日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)交わりそうで、人の輪と

気付けば早くも一週間が経ってしまった……orz

前回の雑記から読書とゲームしかやってねえ。時間が勿体ねえ<(^o^)>
ポジティブに捉えようとすればインプットな使い方、ではあるけれど、こうポンと空いた間
にこれ!といったことが成せないと自身のリソースが凄く無駄になった気がする……。

お天道様も、人間(こちら)の把握の斜め上を往くよう。
梅雨入りは確かに宣言されましたけど、かといって四六時中雨が降ったりどんよりしている
訳じゃなく、降る時は夕立というか集中豪雨みたいなケースがまま。そうでない時はカラリ
と晴れ渡りくさって眩しいったらありゃしない←出不精
まだ汗ばむ程ではなく、時に清々しささえあるのでまだその時ではないのでしょうけれど、
どうせこのままずるずると夏本番に滑り込んでいくんだろうなぁと思うと……_(:3 」∠)_

──何時から、こう感じるようになったんだろう?
もっともっと昔、それこそ子供だった頃は、明日が来ることに時が過ぎていくことにこうも
感傷的になりはしなかった。
それは、他ならぬ当時は文字通りの子供──“知らぬ”者であったからで、感傷を覚えるの
はそれだけ歳を食った証(良くも悪くも知ってしまった後)だからなんだと嘯き、理由づけ
するのは出来ない訳じゃない。
だけども……少なくとも、自分個人のレベルで言えば、間違いなくそれに加えて(以上に)
身体を壊してしまったことがそのターニングポイントになったんだろうなぁとも考える訳で。

「普通」のレールからあの時降りてしまったことが、間違いなくそんな土壌を作った。
今でこそ病院通いを続けて、日常動作をするには支障ないくらいにはなったけど、じくじく
自分の奥まった所は未だに、こうして勿体無い──リソースを無駄にした感を、速球で投げ
つけてくるブルペンとして機能しているような気がする……。

まぁ、それでも。
一方でこういう“レール”に乗ったからこそ、ここまで創作中毒もとい物書き道に邁進でき
たと言っても過言ではないんですよね。数奇なる、というか、何というかφ(=_=)


言ってしまえばそういう僕個人の経緯からくる後ろめたさと、妙ちくりんなプライドみたい
なものが綯い交ぜになってのことなんだろうなぁとは思うんですが。

創作に邁進……と言えば聞こえはいいものの、それって要は“群れない”ってことと被るん
ではないかと思うのですよね。
僕は人ごみが苦手です。他人の会話や話を向けられること、テレビの音なども自分にとって
は「雑音」であることが多いです。それはひとえに自分の空間を邪魔されたくない──作業
だけに没頭していたいからに他なりません。
では直接面と向かわなければいいのか?というと、必ずしもそうではない気がします。確か
にネット越し画面越しなら割と言葉「だけ」は饒舌だけども、自分から個人に話し掛けると
いうことは中々ない。というかまごついて出来ずに終わることが殆どです。
……だから創作人さん同士の「交流」というのが、僕にはいまいちしっくりと来ません。
ワイワイ皆で。知識としては分かっているつもりです。だけど、間違いなく僕という作り手
それが目的にはなれないという確信(諦め?)があるなぁと感じてならないのです。これは
交流を重んじるタイプの創作人さん達を貶めているのではなく、単に僕自身の性分の問題と
言うべきであろうもので……。

『確かに長月さんってそういうの苦手ですよねぇ』

そしてどうやら、そんな感慨は第三者の眼からしてもそう間違いではなかったようです。
先日、こんな僕でもあるにはある同好の士達との語らい(ぶっちゃけるとスカチャ)にて、
こんな旨の発言が向けられました。
前に会話の流れで、僕がどうもいわゆる創作交流ってのが苦手だというぼやきに応える形で
返されたレスポンス(他意はありません)だったのですが、内心僕は「嗚呼やっぱり……」
と、自分の中の自分と自嘲い合ったものでした。

それ(交流がその第一な目的ではない)自体が“悪い”という訳ではないのです。
だけども、改めて自分は自ら苦境へ苦境へ自分を遣っているような気がするんですよねぇ。
第一「流行らない」でしょう?
僕個人は、いち物書きとして物語をそこに込めていく思索をもっともっと(それこそ一生を
費やしても)磨いていきたいと思ってすらいる。
だけども……それって相対的にはまま無意味、ですよね?
結局の所、面白ければいい。作者がどれだけ創り上げることに七転八倒したとしても、イデ
オロギー的なものを練り上げようとも、大抵の消費専門の受け手にとってはどうでもいい。
むしろそんな、こちらの押し付けがましい苦労と高尚さを気取る重苦しさに、人によっては
拒否反応すら示すかもしれない。
(尤も逆に、そういう暗部?を面白いものと物語を手に取る愛好家も、いるにはいるんです
けども。僕個人も実際にそういうベクトルで楽しむ人達との交友があったりします)
だから……苦境へ遣っている、世の大勢とは逆、違う方向にばかり自分をねじ込んでいるよ
うな気がしてならないのです。
“そもそも藝術なんてのは、元よりまま、我欲を満たして「普通」に抗うツールだろう”と
嘯くことは簡単ですけれど、結局それらもこちらの押し付けがましい(以下略)に繋がって
いく訳で、やはりそこに他人との融和──と表現するには楽観的過ぎるか──という意識は
乏しいか二の次になっていると考えられますし……。

そしてこれもまた、付き合いのある創作人さんのぼやきを掠め取りながらの話になりますが、
そんな意味で今日びのインターネットも、また僕みたいな人種にはそもそも駆使する資格な
んて無いんじゃないか? とも思ったりします。
要はSNSや投稿サイトの類ですね。前者はいわずもがな、後者(というか此処ではなろう
さんのこと)ですら、その実情はサイト・サービスという枠組み、コミュニティを如何に利
用して伸し上がって行くか?なんて「戦い」が半ば前提として定着してしまっていたりする。
ツイッタなどでは──かく言う自分も利用している一人なのですが──自分の投稿先のURLを
貼り付けた宣伝メッセージが次から次に流れ、その投稿先では(特にランキング上位陣との)
人脈を維持、あわよくば自分もその相乗効果に預かろうと汲々として褒める、感想を返す、
ポイントを入れる。そしてややもすれば手段と目的がひん曲がったその活動スタイルに苦言
でも呈そうものなら『上位目指して何が悪い?』『文句があるなら出て行け』的な開き直り
だったり、アンチ認定だったりの集中砲火が放たれたりする。
……別にいいんですよ? 向上心なりモチベとしてサービス内の競争に参加するのは。
だけども理解は、片隅にでもしておいて欲しいなぁと思うのです。そういう(気付けば変貌
してしまった)場の性格についていけず脱会したり、或いはその筆そのものを折ってしまう
なんて人も、中には出てきてしまうんですよ?ってことを。
(それでも彼らを“敗者”と吐き捨てて憚らぬのなら、もう僕は何も言いませんけどね……)

高みに登る。その言葉の広さと狭さの、何とも“優しさ”の乏しきことや。
創ること、サイトを利用することの理由は勿論人それぞれで、一律であるべきですらないの
ですが、とある別な(評論し合いっこがメインらしい)投稿サイトの住人さんの言葉を借り
るに、同じこれら向上心でも、両者は根本的に違うとのことでした。
曰く群れることなく研鑽する。その目的は「物語を面白くすること」自体にある。
だけども群れの中で高みを目指す時、ややもするとそれは「そのコミュニティ内での面白さ」
に偏ってしまうのだと。更に曰く、本質的な研鑽からすれば、後者は怠けている。それらから
眼を逸らしているのだ、とも。
……そうかもしれない。そうなのだろう。多分、それが僕や他の方々が感じている嫌悪感の
正体なのではなかろうか?
詰まる所「閉じている」のだ。たとえ出身投稿サイト内での人気──潜在的な読者数という
アドバンテージ、商業的には美味しい事前の保険材料があっても、逆を言えばそれ以外から
来る受け手を想定していない。ややもすれば「いや、これが私の実績ですから」と知らぬ内
に弾き返しているかもしれない──そうした構造的な障壁が、この内外両者の対立の遠因と
なっているのではないか?と僕は考えるのです。
確かに銘こそ「交流」だ。だけども、コレジャナイ。そうじゃない。
趣味嗜好でお互いに“棲み分ける”ことはしても(必要不可欠であっても)それらは緩やか
な膜(?)のような境界線で覆われているべきなんだ。
もっと個人が願えば自由に行き来できるような、打算とか利害ではない意味で笑い合える、
そんな関係性──。

いや……流石にこれは言い過ぎですかね。理想論というか、美化というか。
良い意味で和気藹々。羨ましいなぁと思うけれど、冷静に自分という性格を見つめれば見つ
めるほど、それは難しい(雑談下手の職人気取りは対話や集団に馴染まない)と解っている
が故に、そんな憧憬を込めて大言を吐いてしまうのか。

人が他人と、如何交わるかは、おそらく自由です。
加えて特にその場を調整すべき法的義務でも負っていない限り、彼らを“諭そう”なんての
は高慢もいい所で。
いずれ、報いは当人が得る筈。だけども……そこを突っ走ってしまうのが仁義なのかなぁ?
老婆心(お節介)なんて、僕はよく付け加えて自嘲ってみせるけど……やっぱり如何すれば
他人と穏やかな交流を持てるのかが分からない。仮にそういう関係が成り立っているように
みえても、時の流れとちょっとした切欠でそんなものは容易く壊れていく。(そこを疑っち
まえばそもそも成り立たないだろうって話だが)そもそも相手はどう思っている? 屁理屈
を捏ね回す僕に、果たして得るものを観ているんだろうか? 得られる可能性──それこそ
ある種の打算を携えてでも、付き合いを持つに値する僕なんだろうか?
(そもそもこうしてうだうだ言ってるから「面倒臭ぇなあ」って思われるんだろうし……)

それぞれに描く円が、そうぴったりとは重ならないように。くるくると回り続けて。
僕にとっての「楽しさ」は、必ずしも他人のそれとは重ならない……。

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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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