日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅳ〔52〕

 遥か頭上で、不意に轟音が鳴り響いた。
 迷宮内中層域。一進一退の戦いを続けていた連合軍と“結社”の軍勢は、それぞれがはた
と攻撃の手を止めると空を仰いだ。
「……何だ、あれは」
 巨体があった。見上げた遠く上空に、巨大な人影らしきものが浮かんでいる。
 そしてそれはヒトではなく、何かの使い魔のように見えた。
 目を凝らす。黒地に豪奢な文様と装飾が彩られた全身鎧の武者。見ればその巨体が突き出
した大刀が、最上層の岩のドームをざっくりとぶち抜いているではないか。
「鎧武者……? まさか」
「お、皇子です! じ、ジーク皇子が、最上部に突入を!」
 一旦相手──セシルとヒルダを足元からの岩槍で以って突き放し、ダグラスは呟いた。
 するとすぐに近場の部下が双眼鏡を取り出し、確認してくれる。わぁっと仲間達が喜声を
上げていた。そして勿論、一方で“結社”側の魔人(メア)──使徒達は面白くないと、静
かに剣呑な表情を浮かべ出す。
「……まさか、本当に辿り着くとはね」
「さっき“蒼鳥”達がカチコミを掛けていたからな。リュウゼンの奴も流石に対応が後手に
回ったってことなのかもしれん」
「アヴリルとヘイトは? 彼らを追って行ったんじゃなかったの?」
「さてね。むしろ返り討ちに遭ってるんじゃないか? アヴリルはともかく、ヘイト程度の
戦闘力じゃあ、あの裏切り者を押さえるのは難しいし」
「ねぇねぇ、バトちゃんは? バトちゃんは何処に行ったの?」
「“武狂”殿か? 確かに召集に応じていないな。……まさか、レノヴィンに?」
 それでも尚、彼ら五人(と一体)には余裕さが感じられた。
 状況は連合軍にとり好転している筈だ。なのに彼らは、この状況にも殊更怒りを剥き出し
にするでもなくただ淡々と、それでいて「忌々しい」という態度こそはみせている。
(どうあっても、私達のことは歯牙にもかけぬつもりか。しかし……)
 妙だ。エレンツァ以下部下ら、そしてサーディス兄妹とも改めて横並びなり、視線を戻し
たダグラスは槍を握ったままそう暫し沈黙する。
 そもそもこの場は、脱出させた王達を奴らに追撃させない為のものだ。
 既に他の敵友軍が外に出、襲撃している可能性はある。だがそれをさせぬよう、この結界
内に散る友軍には可能な限り通信を繋いでおいた。少なくとも此処で奴ら使徒級(クラス)
の敵を押さえておけば、これ以上致命的な失敗になるとは考え難い。なのに。
「まだ余裕綽々といった様子、だねえ。よっぽど最上層(あっち)の残存兵力に自信がある
のか……」
「だとしても不自然です。奴らがこの大都を襲ったのは、王達を一網打尽にする為ではなか
ったのでしょうか?」
「うむ……」
 言ってゆらりと隣に立つヒュウガと、それとは反対側の傍らで呟くエレンツァ。
 ダグラスはこの副官の言葉に頷きつつも、明確な肯定まではできなかった。利発な彼女の
ことだ。向けてきた表現こそ疑問形だが、彼女もまた既に勘付いてはいるのだろう。
(奴らには何か、他に目的がある……?)
 とはいえ、それが何かは分からない。結界の外と充分に連絡が取れない以上、王達を人質
に何かをしようとしていたという大雑把な推測が関の山だ。
 それに、ヒュウガの言葉もある。
 見当たらないのだ。トナン内乱の報告にあった、先皇アズサを死に至らしめたという白髪
の剣士、ここに来る道中で交戦もしたその使徒と、その時一緒だった竜族(ドラグネス)が
この場には姿を見せていない。
 これも推測でしかないが、彼らは最上層(あちら)に回ったのだろうか? そもそも奴ら
が今回、どれだけの数を投入されているのかすら分かっていない。イセルナ・カートン達に
結界からの解放を託したのは、もしかすれば失策だった可能性もある。
「……」
 それでも、そんな諸々の思考──手前勝手な推論をここで漏らす訳にはいかなかった。
 第一、メリットが乏しい。今ジーク皇子が最上層に突入した、その変化が部下達の士気を
明らかに高めているというのに、不確定な自分の言葉でそこに水を差すべきなのか。
 少なくとも王達を脱出させることはできた。その部分は事実で確かな進捗だ。
 繰り返すが、なのに今ここで兵力を──そんな己の漠然とした不安を理由に──分割し、
目の前の魔人達(かれら)を獲り漏らせば、それこそ外で進行中であろう王達の避難をふい
にしてしまいかねない。
 自分は正義の盾(イージス)だ。彼らを、護る者なのだ。
「総員!」
 故にダグラスは叫んだ。部下達、ヒュウガや傭兵らがそれぞれにこちらを見遣る。
「もう少しの辛抱だ! 全力で、食い止めろ!」
 過ぎった疑問がある。不安がある。
 だがその所為で今なすべきことを怠ってしまえば……またどれだけの犠牲が増えるのか。
「……はい!」
「元よりそのつもりだけどね……。これが“全て”の終わりにはならないにしても」
「正直、一番おいしい所を持ってかれるのは惜しいが、まぁしゃーねぇわな」
「少なくとも収穫はあるしね。使徒(サンプル)が一人、確定してる訳だし」
 ヒュウガが長剣を、グレンが大剣を構え担ぎ直し、ライナが両腕に磁場と化したオーラを
燻らせていた。正義の盾・剣(イージス・カリバー)、その他兵達。そのずらり波打って横
並びになっていた面々に、小さく舌打ちするフェイアンらと“結社”の軍勢が向かい合う。
「押し返せぇ!」
『おぉォォーッ!!』
 そして、再び激しくぶつかり合う両陣営。
 無数の剣戟と共に、今災い(たたかい)は最終局面を迎える。


 Tale-52.待ち侘びた彼(か)の肖像

「助けに……来たぞぉぉぉー!!」
 それは切っ先と言うよりは、巨大な鉄柱のように見えた。
 護皇六華の一つ、黒藤。その性質は使い魔(鎧武者)の召喚。
 大刀の突き。ジークの絶叫に近い気合いと共に、アルス達を閉ざしていた岩のドームは、
その天井からも大きく大きく風穴を空けられる。
「兄さん……」「ははっ、ジークったら」
「嗚呼、ご無事でしたか……。よかった……」
「登場は、随分と派手にしてくれたみたいだけどね?」
 空高く浮かぶ彼に、黒藤とリュカに、仲間達──とファルケン王、四魔長はそう仰ぎなが
ら笑みを零さずにはいられなかった。風穴の下では大量に土埃が舞い、瓦礫となったドーム
の破片がばらばらとあちこちで落ちていく。
 敵はどうなったろう?
 苦笑しながらも、しかしイセルナはまだルギス達から警戒の眼を解かないでいた。
「しかしよ。あいつのデカブツ、あんな派手だったか?」
「言われてみれば……。トナンの時と比べて感じが違うね」
「……彼のオーラ量が尋常ではなくなっている。何があったかは知らないが、ああいう一体
型であれば、強く使い手の影響を受けて変化してもおかしくはない」
 一方でダンは、黒藤の変化に気付いて眉を寄せていた。
 シフォンも以前の記憶を辿りその巨体を見上げていたが、魔人(メア)であるクロムには
皆とは違ってある程度、ジークの身に起こった変化には見当がついているらしい。
「──」
 ガリゴリッ。ゆっくりと黒藤の大刀が石畳から引き抜かれていった。大きく抉られたその
痕、そこを中心に攻撃に巻き込まれたルギスの使い魔達が残骸となって転がっていく。
 空中で鎧武者とぴたりと動きを合わせ、引き寄せた黒刀を片手に、ジークは目を凝らした
まま眼下の様子見ていた。
 どうやら仲間達を巻き込むという失敗はせずに済んだようだ。尤もこの一撃の狙い自体、
リュカに示して貰ったストリームの集束先──ドームの奥側である。侵入経路からして中で
は敵味方、半分に分かれて戦っていたものとは思うが……。
(ありゃあ……何だ?)
 それでもジークは尚眉を潜めていた。近くで浮かぶリュカも、同じくその視線の先を怪訝
に注視している。
 光球があった。薄紫に光る大きな光球が、石塔の頂上、自分達がかち割った岩のドームの
中で静かに佇んでいたのだ。
 白衣の男──ルギスが、ゆっくりと眼鏡のブリッジを押さえながら立ち上がっていた。
 まだ土埃が激しい。仰ぎ見て安堵している仲間達は手前側に集まっているが、肝心の敵の
頭数がまだ把握し切れていない。
 あれは一体、何なのだろう?
 少なくともリュカが示してくれた通り、この結界を操っている術者──おそらくあの着流
しの鬼族(オーグ)──をぶっ飛ばすことはできた筈だが。
(……少なくとも、味方じゃねぇわな)
 両手で黒藤を握り、ジークは平行に剣を構える。
 よく分からない。しかしルギスが生き残った継ぎ接ぎの機械人形達を呼び寄せているのを
見るに、どうやら奴らにとって大切な何かではあるらしい。
 しかし、それで充分だった。
 平行から持ち上げ大上段に、背後の鎧武者(くろふじ)も大刀を持ち上げて構える。
 ……なら、ついでにぶっ潰す!
 少なからず身に余るそのオーラを伝わせ、ジークは再び“結社”達に、眼下に佇むこの薄
紫の光球目掛けて刃を振り下ろし──。
『ッ!?』
 だがその一撃は届かなかった。
 振り下ろされた刃、その真正面に黒い靄と共に転移してきたジーヴァとヴァハロ、二人の
剣と手斧・手槍によって次の瞬間、これが受け止められていたからだ。
「あいつら……!」
 アルスが、場の面々が険しい表情になって身構えた。
 忘れもしないあの白髪の剣士。
 トナン内乱の際、玉座のアズサ皇を斬り捨てた魔人(メア)……。
「……」
「どっ、せいッ!」
 無言で、或いは呵々と笑いながら両腕に力こぶを作り、二人は何とこの巨大な一撃を弾き
返してしまった。その反動で黒藤と大刀は上空へ打ち上げられ、動きを連動させるジークも
この反撃の一発によって大きく後方へと飛ばされる。
「ジーク!」
 斜め上を滑っていった彼に慌てて振り返り、リュカが叫んだ。
 だが弾き飛ばされた勢いも、当のジークが歯を食い縛りながら踏ん張ることで止まる。
「……っ」
 空中でぐっと立ち直し、ジークは大きく息を荒げた。
 見える、感じる。奴らだ。皇国(トナン)で南方で、まるで歯が立たなかった奴らだ。
 暫し遠く眼下の彼らを睨み、対峙する。二人とルギスらは、さっきの光球を守るようにし
て立ち、同じくこちらを見上げている。
 唇を強く結び、ジークはぐんとその高度を下げて行った。リュカも慌ててこれに続く。
 風穴から石塔に、皆の下に着地する。黒藤はその召喚を解き、黒刀も鞘に戻した。代わり
にざらりといつもの二刀を抜き放つ。消耗もそうだが、黒藤(こいつ)をこのまま振るい続
ければアルス達にも危害が及ぶ。
『……済んだか?』
「はい。先ほど」
「多少邪魔者はいましたがね。ですがそれもまぁ、あの方のお陰で随分と」
『うむ。連絡は受けている。大儀であった』
 なのでその光球──“教主”が喋った瞬間、ジークやリュカは目を丸くして驚きを隠せな
かったようだ。
 あくまで得物を手にしたままジーク達を警戒し、ジーヴァとヴァハロが答えている。
 もしかして……あれが奴らの親玉だってのか?
 ようやくその正体に気付いたジーク(とリュカ)の下へ、仲間達が駆け寄ってくる。
「兄さん!」「ジーク!」
「どうやら無事に追い返せたようだな」
「で、でも何か、ジークさん、凄いことになってません……?」
「……その辺の諸々は後でいいだろ。それよか今は」
 ぐるり。やっと再会できた仲間達に囲まれ、ジークはリュカと共にこれをざっと見渡して
いた。
 アルスとエトナ、団長に副団長、リンさん、シフォン。サフレとマルタにオズ、サジのお
っさんにユイ、トナンの戦士達。加えてセドさんとサウルさんが此処に残ったままというの
は、やはり戦鬼(とうさん)絡みか。その当の本人も、さっきの一発に巻き込まれた筈なの
にもう復活している。
 しかし……何でファルケン王(あいつ)まで交ざってるんだ? てかなに嗤ってんだよ。
 あとあそこの魔族四人組は──見覚えがある。大都(ここ)に来る途中、リュカ姉の端末
で映像を見た。確か四魔長とかいったっけ。
 あ~、いやいや! それよりも……。
「うん?」
 言いたい事は山ほどあった。
 しかしジークは、今この状況とマルタに問われたそれから逃れる為に、一つ最低限の疑問
だけをダンらに向けることにする。
「その。何でこっちに坊さんがいるんだよ? これじゃあ、まるで──」
「ああそれな。心配すんな。色々あって仲間になったんだよ」
「既に下層の市民や王達は避難させた。あとは、僕らがやるべき事をやるだけだ」
「お、おう……?」
 なのに、当の仲間達は既にこちら最大の謎をあっさりと認めているようだった。
 次いでシフォンが補足のように結界内の現状も伝えてくれる。だがジークはリュカと顔を
見合わせるだけで、生返事のような反応しかできない。
「いいんだよ。どーんと構えとけ。そもそもこれは、他ならぬお前のお陰なんだからさ」
「……??」
 だが、そんな時だったのだ。
 ガラガラ。四散してきた土埃の向こうで、リュウゼンが息を荒げながら瓦礫の中から起き
上がってきたのである。
「馬鹿……野郎。てめぇ、自分が一体何やったか分かってんのか?」
 一同が一斉に彼の方を向く。それぞれに武器を手に身構える。
 リュウゼンは着流しを大いに血や土埃で汚していた。それでもダメージは魔人(メア)の
再生能力が順調に回復させているようで、即ノックダウンという様子でもない。
 しかし一つ変わったことがあった。魔導具である。
 この空間結界が発動した、その最初の瞬間から彼が装備していた『天地創造』が、鎖から
輪っかの部分から砕けて崩れ落ちていたのである。
 “教主”やルギス、ジーヴァ、ヴァハロ。
 淡々と視線を遣っていた面々が、そこでようやく彼を静かに見開いた目で捉え始める。
「崩壊しちまう。制御器がお釈迦になった今、もう空間結界(ここ)は長くもたねぇ。敵も
味方も、全部まとめて空間の狭間に押し潰すことになるんだぞ!」
 叫ぶ。イセルナ達が眉を深く深く寄せていた。
 そして次の瞬間、さもその言葉を待っていたかのように──セカイが揺らぐ。
 崩壊が始まったのだ。足元から繰り返し強く揺さぶられる感覚。それは徐々に威力と頻度
を増やしていき、皆々が持つ本能的な感覚に火を点けるのに事足りなかった。
「……これ、拙くない?」
「警告。魔流(ストリーム)座標ノ基軸群ニ深刻ナ揺ラギヲ検知シマシタ。速ヤカナ脱出ヲ
提言シマス」
「あわわっ! どど、どうしましょう!? 結界が解けるには解けますけどぉ!」
「落ち着きなさい。……私達にはまだ、やり残したことがある」
 エトナが青褪めた顔芸を見せ、オズが橙のランプ眼を点滅させながら言う。皆が起こり始
めた事態に忙しなく周囲を見渡し始め、サウルが半泣きになって狼狽するマルタをそっと宥
めている。
『……撤収する。目的は果たされた。もう此処に用は無い』
 なのに“結社”側は何を思ったか、一方でそんな命令が下されようとしていた。
 たっぷり数十拍黙り込み、“教主”がその薄紫を点滅させながら場の使徒達に言う。
 するとリュウゼンを含めた彼らはただ「御意」と恭しく頭を垂れ、そのまま踵を返すと何
処かへ行こうとするではないか。
「ま、待ちやがれッ!」
 思わずジークが、ダン達やファルケン王、四魔長が追いすがろうとした。
 だが先に黒藤の大刀の一撃を叩き込んでいたのがここ来て仇となった。再会の時を喜ぶに
は有用な間合いであった両者の隔たりも、逆に逃げる“結社”達を追うには妨げになってし
まったからである。
 次々と、使徒や“教主”は姿を消していった。黒い靄や弾けるストリームの光、多段に重
なったそれだけが残っていき、追いすがるジーク達の視界を邪魔する。
「さぁ、戦鬼(ヴェルセーク)。行くゾ」
 そしてルギスもまた、先を行こうとするリュウゼンを追いながら振り返り、次々に消えて
いく使い魔達を背景にこの黒騎士を持ち持ち帰ろうとする。
 だが。
「──」
 蹴っていた。次の瞬間、ジーク達も予想していなかったクロムが、まるで射出されるが如
く地面を蹴っていた。
 飛び込んでいる。その先にいるのは、他ならぬ戦鬼(ヴェルセーク)。
 ルギスや背後のリュウゼンが驚き、目を見開いていた。
 何よりも虚を衝かれたのはヴェルセーク当人だろう。何せルギスに振り向こうとしたその
半身の姿勢のまま、彼はクロムの“石罰”を受け、その右脚を地面に固着される格好になっ
てしまったからである。
「坊さん!」
 ジーク達が叫ぶ。ルギスらが眉間に深い皺を寄せる。当のヴェルセークの眼に、凶暴な光
が宿る。
 それでもクロムは止めなかった。全身でこの黒騎士の右脚に組み付いて抱え込み、まるで
有りっ丈の力を注いでこの部位周辺全てを硬く硬く留めようとする。
「そうは、させない。せめてお前だけは……彼らの為にも……!」


「──らぁッ!!」
 迷宮の外、大都第三隔壁外周。
 逃げおおせんとする王達や大都の市民らに一矢報いる為、結界の外へと先行したバトナス
ら三人であったが、奇しくも時を同じくして現れたヨゼフ率いる七星連合(レギオン)精鋭
部隊によって場は両者交戦の舞台と化していた。
 大慌てで避難を続行する人々。レジーナやエリウッド、イヨらに抱かれながら、危険を承
知でその誘導に協力し、時折交戦のさまを見遣っているシノ。そしてそんな彼女達を、文字
通り人間の盾となってずらり並んだレギオンの戦士達がガードする。
「ふん……」
 明らかに老齢の域である。
 しかしこのヨゼフの矛捌きは、結社の魔人(メア)であるバトナスの怒涛の攻撃を次々に
いなしては押し返していた。
 すっかり魔獣化を施し、異様なまでに隆々となったバトナスの両腕。
 その霞むような速さの拳の群れを、彼は矛先で柄で受け流し、全身のオーラを得物に伝わ
せると一閃。かわそうと身を捻った彼の二の腕をいとも容易く抉る。肉片が飛ぶ。
「畜生!」
 一方で、ヘイトとアヴリルはもう一人の相手に苦戦を強いられていた。
 コーネリアス。山羊の獣人のような姿をしたヨゼフの持ち霊である。
 二刀の曲剣(シミター)を握った彼は、ヘイトが放つ、うねりながら襲い掛かるストリー
ムの錨らを電撃の奔流を伴う高速移動で次々とかわし、何度目となくその懐へと切っ先を突
き立てようとする。
 ずしゃり。引き寄せたストリームの錨らを盾にするよりも早く、蟲型の魔獣達が文字通り
肉壁となってこれを庇った。
 どうと紫の血を散らしながら崩れ落ちる身体。コーネリアスはぼうっと薄暗く光る双眸だ
けを向けたが、それに特に気を留めることなく刀身を引き抜き、その間にヘイトはちっと舌
打ちをしながら後ろに跳んで距離を取り直す。
「あんたに近接戦闘は向かないよ?」
「分かってる。……そんなことは、僕が一番知ってる」
 着地した背後にはアヴリル。彼女は両腕の包帯を解き、そう背中合わせで言葉を交わす間
も蟲型の魔獣達を生み出していた。
 しかしずらり、彼女(と彼)を囲むのは……レギオン精鋭兵。並の戦士ならとうに食い殺
されている算段なのだが、やはり総長自ら連れてきた戦士達だけあって中々どうしてしぶと
く、剣に銃にとその照準を向けられ、包囲されつつある。
(……面倒だな。しっかり自分達が囮になって連中を逃がそうとしてやがる)
 舌打ち。ぐちゅぐちゅと自己再生していく抉られ痕にちらと目を落としながら、バトナス
は思案していた。
 正面はかつて“獄主”と呼ばれた傭兵。後ろは奴の持ち霊と部下達がアヴリルとヘイトを
追い込もうとしている。
 過去実際に七星になった訳ではないが、確か現役の頃は何度かその候補に挙げられたこと
もある男だ。厄介な状況になった。柄にもなく「浅慮」の二文字が頭を過ぎる。
「……ふむ?」
 両者互いに距離を取る。ザザッと両脚で地面を引き摺り、ヨゼフとバトナスは長矛と拳を
構えて対峙する。
 何か考えていそうな眼差しだった。
 事実それは間違いではなかったらしい。ついっとバトナスが片眉を上げるとほぼ同時、彼
はくるくると矛を手で弄びながら訊ねてくる。
「お主“色持ち”ではないのか? 無論皆が皆というものではないのは承知じゃが、使徒の
一角であるお前さんが“ただの魔獣人(キメラ)”という訳でもあるまい。或いは持ってい
ても、相応のリスクを伴う能力か」
「……」
 だがバトナスは答えなかった。黙したまま力を込め、更に身体の随所を魔獣化させて襲い
掛かろうとする。
 ヨゼフは小さくため息をついたようだった。何故なら、彼のそれは無言の肯定に他ならな
いからである。
 地面を蹴って飛び込んで来る相手。更に後ろで自身の持ち霊と戦っている残り二人。
 スッ……。足元に片掌を向け、次の瞬間、ヨゼフは叫ぶ。
「コーネリアス!」
 厳としてその声が響いた。当のコーネリアスは勿論、バトナス達もまたこれに反応する。
 だが実際に起こしたその行動は、両者で全く違っていた。
 先ずコーネリアスは、その自慢の高速移動でヘイト・アヴリルの背後に回ると奔流を纏っ
た強烈な一閃。直撃こそしなかったが、結果二人は思わず後ろへ──バトナスの方へと飛び
ずさるしかない。なのに一方で、彼女達を囲もうとしていた精鋭兵らは同時、それとは逆に
飛び退いていたのだった。

 ──何か仕掛ける気だ!?

 しかし、そうバトナスら三人が気付いた時にはもう遅かったのだ。
 彼ら三人がおおよそ一塊、自分の正面に位置したのを見計らい、ヨゼフはかざしたその掌
から一気にオーラを開放、空気を弾き飛ばさん勢いで大きなドーム状の力場を形成する。
「……ッ!」
 さりとて、急には止まれなかった。
 既に振り出し始めていたその拳、刹那目の前でずらりと多重に展開していく文様付きの障
壁群。
 バトナスは殴るしかなかった。まるで始めからそう決められていたかのように、この文様
付きの、ヨゼフを護る壁のように並ぶ障壁に拳を叩きつけ──そしてまるで放電を浴びたか
のように弾き飛ばされる。
「バトナス!」
「ちょっ……!? え? 何これ」
 驚いたのはヘイトとアヴリルも同じだった。
 見渡せば周りはぐるり半球の力場の中。そしてその境目全面に、自分達のすぐ近くに、先
ほどの文様付きの障壁が波打ちながら漂っている。……いや、囲い込もうとしている。
「……なるほどな。それで“獄主”って訳か」
 じんと痺れた拳に息を吹きかけつつ、バトナスは体勢を立て直していた。
 アヴリル・ヘイトと背中合わせで立ち、このドームのさまを観る。
 どうやらこれがヨゼフ・ライネルトの“色装”らしい。力場内に反射性を与え、敵を閉じ
込めて逃がさない──まさに《檻》だ。
 これでは前にも後ろにも飛び出すことは難しいだろう。逃げ惑う市民らを自分達と隔てる
という意味でも、これほどおあつらえ向きな能力は中々あるまい。
 前方にはそのヨゼフ、アヴリル達の側からはコーネリアス。
 二人がじりっと、互いに隙なくこちらを窺っている。
「ロミリア、お前も加勢せい。もう浄化(ちりょう)は済んどるじゃろう」
「……人遣いの荒いお方だこと」
 更に前を向いたまま、ヨゼフは力場の外にいたロミリアにも呼び掛けた。
 ゆたり。彼女は部下達に心配されながらも苦笑して立ち上がる。そっと持ち上げた手から
何処からともなく占札(タロット)を取り出し、てくてくとこちらに近付いてくる。
 やはり力場はヨゼフ自身が自由に出入りする者を選べるらしい。サッと文様壁が引いた隙
間から彼女が入り込み、数の上ではようやく両者は三対三になった。
 片や七星級(クラス)二人とその持ち霊。
 片や“結社”の魔人(メア)達。
 されど状況は、明らかに前者に有利なように見える。
『──ここにいたか。使徒バトナス。アヴリルに、ヘイトも』
 だがしかし、その有利さはあっという間に打ち砕かれてしまったのだった。睨み合い、今
にも再びぶつかりそうになった次の瞬間、突然彼ら三人の頭上に小振りな光球が浮かび上が
ったからである。
 これに、誰よりも驚いたのはヨゼフであったろう。何せ自慢の“檻”がいとも容易く第三
者の進入を許したのだから。実際、光球が現れた瞬間、彼の作ったこのドームは激しく歪ま
されていた。
 矛が、曲剣が占札(タロット)が構えられる。
 だがバトナス達は、そんな警戒心にはもう目を向けずに、慌てて胸に手を当て低頭の姿勢
をみせていた。光球──ストリームを介した“教主”の声が響く。
『撤収する。目的は果たされた。帰還するがよい』
「!? し、しかし!」
「僕らは……ッ!」
『撤収すると言ったのだ。……そんなに、二度目の負けが欲しいか?』
 バトナス、そしてヘイトが思わず食い下がろうとしていた。
 前者はジークに、後者はクロムに。逃がさない許さないと思った相手への敗退。しかし対
する“教主”の声はあくまで淡々と冷静冷徹で、次の瞬間には二人はぐうの音も出ずに押し
黙ってしまう。
『──』
 ぎろり。そしてヨゼフ達に向けられた眼は、一切の躊躇なき憎しみであった。
 それでも“教主”の命令は絶対だ。彼ら三人は爆ぜて消えた、その光球の威力で四散させ
られたヨゼフの力場から抜け出し、瞬間、黒い靄に包まれながらあっという間に空間転移し
ていってしまう。
「……」
 しんと、場に張り詰めた静寂だけが残った。
 すんでの所で逃げられた──ヨゼフ達は勿論、場に居合わせた全ての者達が唖然とする。
 あれは何だったのか? 七星連合(レギオン)総長すらいなしてみせたあれは?
 結果的には退けられた筈だ。なのに、全くというほど“勝った”気分にはならない。
『──ッ!?』
 しかし、その直後だったのだ。
 妙な消化不良感。されど最悪の事態が回避されたらしいという安堵。そんな面々の苦笑の
横っ頬を引っ叩くように突然、ズンッ! という見えぬ衝撃が辺り一帯を襲ったのである。
「なっ、何!?」
「地震か?」
「かっ、勘弁してくれよ! 災難はもう懲り懲りだって──」
「お、おい! あれ……」
 暫し面々は狼狽した。シノ達やヨゼフらが宥める、再び避難を呼び掛ける。
 だが程なくして、彼ら達は知ることになる。気付かざるをえなくなる。
 最初、一人の市民が指を差した。皆が次々にそれにつられて──中空を見上げる。
「……何よ、あれ」
 サァッと青褪めた。言い知れぬ不安が胸奥から湧き上がった。
 面々が見上げた中空、空っぽになっていた筈の隔壁の内側。
 その空が明らかに軋み、ひび割れ始めている。

 空間が軋んでいくその音以上に、狂気と害意に満ちた咆哮が場に響いていた。
 振り向きざまに片脚を取られ、クロムの“石罰”を受けた戦鬼(ヴェルセーク)。
 彼は固着された半身でもがきながら、狂ったようにその張本人であるクロムを激しく打ち
付け始めていた。
 何度も、何度も。刺々しい黒の拳が、全身を黒鉄色に硬化させて組み付き続けるクロムの
肩を横っ面を殴りつけている。
「坊さんッ!」
「駄目だ! そんな無茶をしたら、貴方が死んじゃう!」
 険しい表情でジークが、アルスが泣きそうになりながら叫ぶ。
 それでもクロムはじっと耐え続けていた。
 構わない。早く──!
 その肩越しに向けてくる苦しげな眼は、そう自分達に呼び掛けているようで。
「クロム……貴様ァ!」
 当然、戦鬼(かれ)の所有者を名乗るルギスはこれを許す筈がない。バッと手をかざし、
ジーク達が躊躇う隙にこれを解かせようとした。
「馬鹿野郎、構ってる場合か! 急がねぇと俺達でも無事じゃ済まねぇぞ!」
 しかしその反撃の手をがしりと取って制止する者がいた。同じく離脱最後のメンバーとな
っていたリュウゼンである。
 血汚れと土埃だらけになった着流し、乱れた髪から覗く鬼族(オーグ)の角。
 クロムめがけて魔導を放とうとしたルギスの手を、その危うい手間を、諌める。
「しかシ……」
「置いてけ。もう量産化は始まってんだろうが。大体、高序列のお前をみすみす見殺しにな
んてしてみろ。俺が“教主”に殺されるっつーの」
 飄々、余裕綽々を着て歩いているようなとばかり思っていたルギスの表情が、今回ばかり
は珍しく苦々しさで歪んでいた。
 ぬぅ……。クロムに向けていた腕から力が抜ける。リュウゼンがそれを見て取っていた手
を離し「ほれ、早く!」と彼に離脱を促す。
 睨まれていた。眼鏡の奥、痩せぎすの身体に似合わぬ威圧の眼が、クロムにそしてジーク
達に向けられていた。
 ばさり。着流しと白衣、それぞれを翻して二人は踵を返す。黒い靄や電流のような跡を残
して程なくして彼らは転移し──とうとう場にはジーク達だけが残される。
「……逃げた、のか?」
「そのようだね。無理もないけれど」
「悠長に構えてる場合か。おいイセルナ、下の連中に知らせて来てくれ。このままじゃ俺達
もやばいぞ」
「ええ。任せて」
 槍を片手にサフレらが唖然としている。シフォンが妙に落ち着いて応え、あちこちでひび
割れが起こり始める中空を見渡していたが、ダンはその副団長の責任感からか、逸早く相棒
にそう指示を出した。イセルナも飛翔態のままこれに頷き、すぐに地面を蹴ると最上層から
翼を広げて飛び出していく。
「──ガァ……ッ!」
 そんな時だった。とうとうクロムの我慢が限界を迎えていた。
 ジーク達が振り向き、瞳の中に飛び散っていく彼の硬化の破片らをみる。ヴェルセークは
何度目とも知れぬ拳を振るって、遂にこの邪魔者を手酷く殴り飛ばしていたのだ。
 こちらに向かってゴロゴロとクロムが転がってくる。慌ててジーク達が彼に駆け寄り、保
護しようとする。
 ズンッ。そこへ、真っ赤に滾らせた双眸を光らせ、ヴェルセークが重く重く足元を踏み締
めながら近付いてくる。
「……。な、何か、さっきよりもずーっと凶暴になってませんか?」
「暴走してる……な。これは。まさか、あのガリ白衣がいなくなったから……」
「ああ。おそらくそうだろう」
 硬化すらぶち抜かれ、肩にざっくりと抉られた怪我を抱えたクロムが言う。
 ジークやアルス、エトナらに抱えられ、囲まれ、彼はぼうっとこの狂気の黒騎士の姿を見
つめていた。この空間が壊れる。そんな事実すら霞んで見えるような──殺気。
「量産型とは違い、あれは試作機(プロトタイプ)──いや、原典(オリジナル)だ。他の
それとは違い、制御機構がまだ甘いらしい。ルギスも以前……そんなことを言っていた」
「……マジかよ」
「今までよか、リミッターの外れた……。はは、悪い冗談だ」
 セドの予想はまさにそうで、ファルケンに至ってはその強気も少なからず削がれて苦笑す
るしかない。
 面々が近付いてくるヴェルセークを見ていた。殺気。圧倒的な、絶望。
 だがしかし、ジークはそっとクロムを抱えていた手を放し、立ち上がり始めた。アルスと
エトナも、次の瞬間には何か言われるでもなくそれに倣っている。
 お互いに。兄弟の、三人の視線が──交わる。
「……坊さん。いや、クロム」
「?」
「あんたも“結社”の魔人(メア)だったなら、持ってるよな? この結界を出入りする為
に使う、通行手形(カードキー)」
「ああ。持っている。だが──」
「なら脱出させてやってくれ。ファルケン王と四魔長を」
『ッ!?』
 驚いたのは、誰よりもクロムだった。次いでアルスとエトナを除く仲間達だったろう。
 しかし仲間達(かれら)は程なくして理解していた。クロムを挟んで立つ兄弟。その向こ
うから迫ってくるヴェルセーク。
 彼らが、一体何を為そうとしているのかを。
「……クロム。言う通りにしてやってくれ」
 皆を代表してダンが言った。ファルケンと四魔長も互いに戸惑って顔を見合わせている。
 それでも当のクロムは、間違いなく躊躇していた。
 彼も勘付いたからなのだろう。
 レノヴィン兄弟。ダン・マーフィ。君達は──。
「……これだ」
 ぎゅっと一度強く目を瞑り、やがてクロムは懐から自身のカードキーを差し出した。それ
をジークは手を伸ばして受け取り、ファルケン王に渡す。そしてこの手形にちらりと目を落
とし、四魔長を加えた五人は、じっと隠し切れない渋面を漏らしている。
「さぁ早く。でも助かりました。本当はもっと早く逃がすべきだったのでしょうが……」
「ほら、急いで! ここから先は俺達の問題です。どうか、ご無事で」
 サウルが銀槍を構える。セドがぎゅっと手袋の裾を引き絞る。
 静かに唇を結んだファルケンが、躊躇いを振り払うようにカードキーを発動させた。
 現れる空間の歪み、外へと繋がるゲート。
 だが五人は、迫るヴェルセークを迎え撃とうとその場を動かないままのジーク達に、こう
請わず(たずねず)にはいられない。
「……本当に、いいのかよ?」
「分かってるの? ここはもう壊れかけてる。私達にカードキーを渡したら、もう……!」
「今ならまだ間に合う! お前らも一緒に来い!」
 ファルケン王と、ミザリーにセキエイ。逃がされようとする彼らは言った。
 だがそれでも、目の前で背を向けているこの者達は誰一人としてなびかない。それぞれに
武器を構えたまま、ただ声だけで「ありがとう」と返すのみで……。
「それはできません。まだ戦友(とも)を一人、ここに残している」
「それよりも、先ず貴方がたご自身の心配を。何人か部下をつけましょう。陛下達には、知
らせておかねばなりますまい」
 リンファ、サジ。皇国(トナン)の近衛戦士らが答えた。
 共に並ぶのは十数人。迷宮内の友軍へと事態を知らせに飛んだ、イセルナを含めたジーク
とその仲間達。
 サジ、そしてユイの指示でトナン戦士の何人かがファルケン達の下につく。
 さぁお早く。彼らもまた、険しい表情でこの五人を崩れ行く結界の外へと誘っていた。
「うぅ……」
「覚悟、か。やはり首を縦に振る気はないか」
「ああ」「はい」
 情に絆されて悩んでいるリリザベートに、唾広帽を目深に被って呟くウル。
 短く、ジークとアルスの返事が重なった。
 そこでようやく彼らはちらりと、肩越しにこちらを──崩壊の中、迷いなき瞳でこちらを
見遣りながら言ったのである。
「戦鬼(ヴェルセーク)を──父さんを、取り戻します」
「俺達の旅は、そもそもその為のものだったんだから」


『──楽園(エデン)の眼に属する全ての同胞達よ。“教主”の名において命じる。速やか
に撤収せよ。目的は、果たされた』
 時を前後して、迷宮内の各地にそう“教主”の声が響いた。
 現れたのは小振りの光球。局所的に可視化され、一部光球状に膨らんだストリーム。
 石廊の各所で戦っていた“結社”達と、諸々の傭兵・正規兵らは不意に現れたその存在と
報せに慌てた。
 “結社”の軍勢らが鍔迫り合いから逃げ、大きく距離を取り直そうとする。
 させるか! よくは分からないが、兵達とてこのままおいそれと見逃すつもりはない。
 だがしかし……激変する状況がこれを妨げる。
 次の瞬間、セカイが揺れた。
 どんっと、足元から全身へ押し寄せる衝撃。にわかに軋み出す灰色の空。
 明らかに危険な香りがした。空間が……壊れ始めている?
『繰り返す。速やかに撤収せよ。ジーク・レノヴィンによって制御機構が破壊された。この
結界内もそう長くはもたぬ。こちらが一括して拾い上げることも難しくなっている。各自、
手持ちの魔導具を使い離脱せよ。……以上だ』
 更にそう付け加え、光球達──“教主”からの通信が弾けて消える。
 敵味方、双方が問わずざわっと青褪め、騒然となった。

“空間結界(ここ)が、崩れる”

 もう戦っているどころではなかった。
 途絶えた通信の静寂、その音の合間を縫うように進行していく崩壊。
 “結社”の兵達は次々に通行手形(カードキー)を取り出し、外部への脱出をし始める。
「くそっ、逃げられた!」
「どど、どうするんだよ!? このままじゃあ、俺達も……」
「本隊──いや何処でもいい、友軍に通信を! 聞き漏らしていたなら伝えろ、そうでなけ
れば可能な限り合流する。少しでもこちらの生存率を上げるんだ!」
「奴らからカードキーをぶん取った奴はいないか!? 一つでもあれば脱出できる!」

「……」
 飛翔態のイセルナは、神妙な面持ちのまま崩壊が進む迷宮内を飛んでいた。
 激しく軋み、あちこちでひび割れていく灰色の空。止まない揺れによってぼきりと折れ、
崩れていく無数の藍色の塔。立ち込める土埃と響く轟音の中に、遠くあちこちの石廊で逃げ
惑う友軍の兵らの姿が、慌てふためく叫びが視える。
『イセルナ。いたぞ』
 そうして唇を結ぶイセルナに、冷気の衣と化した相棒(ブルート)が言った。
 降りていく先、主戦場となっていた筈の中層域。
 そこには確かにダグラスやエレンツァ、サーディス兄妹を始めとした味方達がいたが、既
に戦うべき敵を失い、立ち往生しているような様子が窺える。
「皆さん!」
「!? おお。あんたは“蒼鳥”の」
「団長!」「ご無事で?」
「何とかね。……連中は?」
「逃げられたよ。急に“教主”を名乗る球が撤収を呼び掛けてきてね。そのまま雑兵達もひ
っくるめて空間転移していった」
「ま、去り際に滅茶苦茶睨まれたけどね。これで良かったのやら悪かったのやら」
 場に留まっていた団員達、そしてダグラスや肩を竦めてみせるヒュウガらの返答を聞き、
イセルナは大よその状況を理解した。
 着陸し、ゆらゆらと冷気の衣と翼が揺れている。
 ざっともう一度、彼女は面々を見渡し、早速肝心の──先刻最上層で起きた出来事の一部
始終を話すことにする。
「……そうか。ジーク皇子が結界を」
「こ、こうしてはいられません。誰か、急ぎ他隊にも連絡を! これだけストリームがねじ
曲がっている状態で、どれだけ繋がるかは分かりませんが……」
「いやまぁ、解放っちゃ解放かもだけど……。流石に、これはやばくない?」
「かもな。んでも、お前が言えるクチかよ?」
 兄(グレン)にそう突っ込まれて、ライナがむすっとジト目を返している。ダグラスや団
員達以下、場に集まっていた連合軍らも、動揺・迷いの類は隠し切れなかったようだ。
「とにかく、皆さんは早く此処から脱出を。カードキーは持っていますね? 敵も退却した
今なら、それさえあれば安全に退避できる筈です」
 お、おう……。既に“結社”の兵達から奪い取っていたそれを何人かが取り出して掲げ、
されど彼らは明らかに躊躇っているようにみえた。
 でも、貴女達は──?
 そんな眼が、間違いなくそうこちらに投げ掛けられている。
「……ではこれで。貴方達、長官達をお願いね」
「あ、はい」「それは、大丈夫ですが……」
「……本気なのか? この状況で上(あちら)に舞い戻るなど、危険過ぎる」
 バサリ。冷気の衣と翼を翻し、イセルナはそう肩越しに残る団員達に後事を託した。そん
な後ろ姿に、ダグラス以下正規兵らは神妙な視線を注ぐ。
「そうですね。でも」
 再び飛び立つ、その直前。
「皆(かぞく)が……待ってますから」
 大きく冷気の翼を広げながら、彼女は微笑(わら)った。

 ──もう、ぼんやりとした記憶ばかりしかないけれど、俺達には父さんとの日々が今も脳
裏に焼きついている。一言でいえば、父さんは……穏やかな人だった。
 ──言い方を変えればお人好し、なのかな?
 僕が言えた立場じゃないんだろうけど、記憶の中の父さんはどちらかというとなよっとし
ていて、だけど優しくて。うろ覚えでしかない僕でも、父さんと母さんは傍から見ても凄く
仲睦まじかったと思う。
 ──わんぱくを通り越して、加減を知らない悪ガキだった俺を相手にしても、父さんは嫌
な顔一つせず遊んでくれた。
 それは父さん自身が元冒険者で、基礎体力が充分過ぎるくらいにあるからでもあったんだ
ろうけど……。当時の俺達は、そんな過去(むかし)のことは知ることもなくて。
 ──今思えば、よく「耐えていた」と思う。
 こうして色んな事があって、父さんと母さん、セドさん達の昔を知って、サンフェルノで
の日々が決して何不自由ない安息の日々だった訳じゃないことが僕らにも分かったから。
 女傑族(アマゾネス)の国・トナン皇国。
 そのお姫様だった母さんと、その逃避行を助けた父さん達。やがて恋に落ちた二人。
 想わなかった筈はない。サンフェルノと皇国(トナン)と、二人は二つの土地の間でずっ
と板挟みになっていたと思うから。
 ──そんな父さんが、俺達の前から姿を消した。
 あの日、突然村を襲った魔獣の群れ。
 瘴気に中てられて我を失う、それ自体はそう珍しくない。俺自身も冒険者をやって来て見
聞きしなかった訳じゃないからな。
 だけど、それは言い訳になんてなりゃしない。理不尽はいつもこっちの都合なんて聞く耳
一つ持たずにやって来る。
 あの日、父さんは村の自警団の皆と一緒に押し寄せた魔獣の群れに立ち向かった。
 そして……そのまま二度と、村には帰って来なかったんだ……。

「ヴォ、オォォォォォーッ!!」
 軋んでいく、ひび割れていく、崩れていく。
 激しく崩壊が進む迷宮の中で、風穴が空いたその最上層で、ジーク達は暴れ狂う黒騎士と
最後の戦いを繰り広げていた。
 戦鬼──狂化霊装(ヴェルセーク)。コーダス・レノヴィンを捕えて離さない、鎧甲冑の
姿形をした牢獄。
「大樹の腕(ガイアブランチ)!」
「強化(コーティング)!」
 アルスとエトナが造る樹の鞭がぐるんと巻きつき、ヴェルセークを捉えた。
 更にその樹手はより強く、太くなっている。
 あの時にみた目覚め、心の中で必死に伸ばした手──身に宿る力は、全て使ってやる。
「照準、右胸。心臓ノ逆位置。キャノン・レフト。出力充填(エネルギーチャージ)……」
「流星掃射──」
「その装甲(ころも)、剥げってんだよォ!」
 動きを押さえ込み、先ず放たれるのは砲撃組。
 左腕が砲身状に変形し、オズがその空洞にエネルギーを溜め込む。シフォンが側面へと矢
を番えながら駆け抜け、そのマナの矢をあっという間に無数のそれに増やす。
 セドが叫んだ。文様(ルーン)を編み込んだ手袋で指を弾き、オズとシフォンの放つ攻撃
に合わせて“灼雷”を撃ち込む。
 爆音と大量の黒煙がヴェルセークを中心として広がった。
 その巨体が揺らいでいる。重ねた装甲がひび割れ、破壊され始めている。
『おォォォーッ!!』
 更に、そこへ残りのメンバーが飛び込んでいく。
 サウル・サフレ父子は槍を、リンファとキラサギ父娘は刀と槍を。
 炎のオーラに身を包んだダンと全身を黒鉄色に硬化させたクロムは戦斧を、拳を振るい、
そんな彼らの後ろでマルタが全身全霊を込めて戦歌(マーチ)を謳う。
 狙うは勿論、右胸──狂化霊装(ヴェルセーク)の核だ。次々に渾身の攻撃を叩き込まれ
て、砕き抉り取られていくその装甲。
 だがこの黒騎士は怯まない。半身をボロボロにしながらも、狂気の咆哮で樹手の拘束も彼
らの組み付きをも振り解き、両腕に黒い大鉈を装着させる。
「ぬんっ!」
 そこに、接続(コネクト)状態が続くジークが割って入った。残りのオーラ量を、後ろで
リュカが固唾を呑んで見計らい、繋げたストリーム越しに調整を請け負っている。
 大鉈と二刀が激しく火花を散らした。ジークの足元が瞬く間に深く深く円状にひび割れて
陥没していく。
 それでも彼は万に一つも逃げなかった。この黒騎士に引けを取らぬ程の鬼気迫る表情で、
ギリギリッと真正面からこの鍔迫り合いに立ち向かっている。

 ……思う。皆を守りたい。その願いは、実はそんなに“大袈裟”なことではなかったので
ないか? 判明したこの血筋で、巻き込まれる事件の大きさでつい巨視的(おおきな)視点
ばかりに気を取られていたけれど、皆が願っていたことは本当はもっと小さくて、もっと身
近なものではなかったのか?
 お互いに大切にすればよかったんだ。尊重し合えばよかったんだ。
 その者にとっての“近距離”。
 それは必ずしも“理解”されなければいけない訳じゃない。
 ただ傍にあるものなんだ。ただ自分達は、それぞれの手が届く、この世界からすればとて
も小さなそれを、そっと大切に守っていればよかったんじゃないのか。
 ちょっと……大きくなり過ぎただけだ。重なり過ぎただけだ。
 元々はすごく個別的な、小さな円だった筈だ。手を伸ばして届く範囲にある、ごく当たり
前の至近距離のセカイだった筈だ。
 だけどもそれを色んな理屈をつけて、夢をみて、自分達は広げ過ぎてしまう。いつか忘れ
て置き去りにしてしまう。
 そうなれば──どうしたってぶつかるに決まってるんだ。
 お互いの大きく円はきっと何処かで重なってしまい、そしてヒトはそれを許せない。ただ
すぐ傍の大切を守りたかっただけの志が、相手を蹴落とすことに変貌してしまう。
 ……違うだろ。そんなつもりじゃ、なかったんだ。
 自分達は、越え過ぎたのかもしれない。
 譲れない(たいせつな)もの。
 それらは本当は元々単純であって、だけど彼に、彼女にとってはとても深くって……。

「戻って来てくれ……父さん! もう、皇国(トナン)の事だって終わったんだよッ!!」
 押し返す。ジークは噛み締めた口を開いて叫び、鎧の中に囚われたままの父に言った。
 だが、届かない。コーダス──狂化霊装(ヴェルセーク)は、むしろその刺激(ことば)
に一層狂気を濃くし、次の瞬間には再びジークを押し始める。
「ぐぅ……っ!?」
 両脚が地面にめり込む。全身が激しく軋む。
 接続(コネクト)で強化しているのに、何てパワーだ。
 狂気が、彼にまつわる他の一切を破り捨てている。ただ壊すことに、彼のリソース全てを
消費させようとしている。
「避けなさい、ジーク!」
 そんな時だった。助太刀は空から飛んで来た。
 見ればヴェルセークの背後、空中から滑空してくるのは飛翔態のイセルナ。その手には冷
気を滾らせた剣が既に構えられている。
 右に重心をずらし、大鉈の圧力から逃げるようにしてジークが身を捌いた直後、イセルナ
が背後からヴェルセークを強襲した。
 衝撃で揺らぐその巨体。狙われた右半身の装甲は更に打ち壊され、更に右腕を含めたその
断面らが凍て付くことによって、彼の自動修復を阻害することにも成功する。
「大丈夫、皆!?」
「何とかな……。下層(した)の連中は?」
「報せてきたわ。今頃、皆避難してる筈」
「そっか。ならもう、気を配るこたぁねぇな……」
 凍り付いた右腕を一瞥し、代わりに左腕で薙ぐ。
 しかし既にその反応を予想していたジークは先んじて跳び、逆にこの左腕を踏み台にして
ヴェルセークの遥か頭上へと回り込んでいた。
「──」
 着地したイセルナが、ダンら弾き飛ばされた面々と言葉を交わしている。
 数拍、世界がスローモーションになった気がした。
 しかしそれも束の間のこと。ジークはくわっと目を見開き、持てるオーラを二刀に込めて
見下ろすと、そのまま身を回転させ、落下の勢いに任せてこの装甲の右半身を強烈に撃つ。
『……よしっ!』
 砕けた。遂に、狂化霊装(ヴェルセーク)の装甲は最後の皮一枚を破られ、中に囚われた
コーダスの──正気を失った男性の胸元から肩、顔の右半分を露わにする。
「今だ! 銀律錬装(アルゲン・アルモル)──鎖網(チェインネッツ)!」
 そして、これに逸早く動いたのはサウルだった。
 銀の槍をどろりと水銀状に戻し、姿をみせた友を狙いながら、頑丈な金属の網へと変化さ
せたそれを投げつける。
 ギチチッ。網はまるでそれ自体が生き物のように黒騎士──コーダスを捉えた。
 特に生身が露わになった本体には滑り込むように、絞り出すように。
 するとどうだろう。ややあって鎧の奥から何かが引っ張り出されてきた。
 丹精込めた泥団子のような、どす黒い球。そしてドクドクと脈打つそこからまるで血管の
ように、無数の蛇腹な配管が鎧の奥へと繋がっている。
「間違いない。これが核だ! コーダス君を操っている……狂気の核だ!」
 サウルが叫び、網越しに自身のオーラを込める。
 そうして滑るように変化していくその色は《銀》。それは即ち彼の“色装”で、あらゆる
害を取り払う力を持つ、解毒の象徴だった。
 ジークは全身から黒い湯気を上げ、仰け反り苦しむヴェルセークの前にやや距離を置きな
がら着地していた。
 仲間達が促すように頷き、こちらを見ていた。視線を横に──樹の戒めを破られて吹き飛
ばされていたアルスとエトナも既に立ち直っており、語らずともすぐに兄(かれ)の意図に
同調する。
「……薙ぎ払え。紅梅!」
「エトナ!」
「うん! 強化(コーティング)、全力全開っ!」
 ジークは残る全オーラを注ぎ込んで、紅梅の光を、強く輝く大きなそれに変えていく。
 アルスはエトナと共に、再びより合わせた樹の鞭──鉄球状に膨れたそれを硬化させる。

 ざりっと一歩を踏み締める。いくよ。ああ。
 仲間達が見守り、固唾を呑む中、三人はその振りかぶった一撃を──。


 見上げた中空は、最早誰の目にも明らかなほど不気味にひび割れだらけになり、何度も何
度も軋み続けていた。
 第三隔壁外周、そこから更に距離を取り直して事態を見つめる人々。
 バトナスらも去り、混乱を乗り越えて、各正規軍や冒険者達は既に王や市民達の避難を完
了させていた。
 その更に外側には、ぐるり散在とマスコミ各社の取材クルー。
 しかし彼らの映像機のレンズこそ向けられど、場の空気は繰り返された緊張で張り詰め切
っていた。ごくり。固唾を呑んで只々、彼らは待つことしかできない。
「……」
 そんな中に、シノはいた。レジーナやエリウッド、イヨら数人の臣下らにそっと寄り添わ
れながらじっと、彼女は組んだ両手を胸に当てて空を仰いでいる。

 ──それは、残りの避難が粗方済もうとしている時のことだった。
 ファルケン王と四魔長が脱出してきたのだ。
 あの、渦巻く窪みを作るような風穴(ゲート)が不意に空き、彼ら五人が出てくる所を自
分達は見た。
 当然ながら、ヴァルドー王国や万魔連合(グリモワール)の臣下・部下達が大慌てで五人
の下へ駆け寄っていた。彼らとて自分と同じように──立場は逆になってしまうけれど──
大切な人達が心配で心配でしょうがなかった筈だ。
 息子達は……? 自分は半ば無意識に見渡していた。他に出てきた者はいないのか。
 するとどうだろう。ファルケン王達は、無事脱出できたのに何故か浮かない顔をしていた
彼らは、こちらの姿を認めると足早に近付いて来て……告げたのだ。

“ジーク・レノヴィンとその仲間達は今、黒騎士(ヴェルセーク)と戦っている”

 結界内での一部始終を聞かされた。最初、王達が何を言っているのか、身体が理解してく
れなかった。
 曰く、最上層で引き摺り落すことに成功した彼を、息子達が救い出そうとしていると。
 理解した。あの鎧には……私の愛した人(コーダス・レノヴィン)が囚われているから。
 そもそもあの子がトナンを飛び出して行ったのは、彼を“結社”から取り戻す為だ。故に
詳しい事は分からないが、今こそそのチャンスだと判断したのだろう。
 でも……危険過ぎる。この状況が分かっていない筈はない。
 王達の話から、結界が内部から崩壊を始めていることが明らかになった。それはややあっ
て次々に脱出してきた、レヴェンガート長官や団員さん、他諸々の兵達の話を総合しても間
違いない。
 なのにあの子達は立ち向かっている。崩壊の時が迫る空間結界の中で、あの人を取り戻そ
うと必死になっている。
 こっちが、壊れそうになった。
 お願い……無茶だけはしないで。貴方達に死なれたら、私は……。
 夫、息子達、戦友(とも)に、信頼のおける大切な皆さん。
 自分が不甲斐ないばっかりに、もしものことになったら……。

(──ジーク、アルス、皆……)
 そうして、シノが文字通り祈るような気持ちで見つめていた、そんな時だった。隔壁の内
側で広がる中空のひび割れが、それまでに無く激しく膨張し始めたのだ。
「お、おい」
「やばいぞ……。壊れる……!」
「皆、急いで逃げろーッ! できるだけ遠くへっ!」
 ドンッ、ドンッ。まるで内側から何者かに叩き付けられるように、見上げる空間が衝撃を
放ちながら揺れていた。兵や冒険者達が大慌てで、皆に更なる退避を呼び掛ける。流石に目
の前に迫る危険のさまに怯えたのか、人々もそれを拒むものは誰一人としていない。
『ひっ──!?』
 次の瞬間だった。まさに限界を迎えたかのように、広く空間が震えを解き放った。
 広がったのは、同心円状に伝わる衝撃波。視界が霞むほどの揺れ。
 一目散に逃げていく人々を追い越すように、それらは奔る。それら目に見えない力に押さ
れるようにして、彼らは大きく吹き飛ばされる。
 大きく土埃が舞った。人々が転がった。
 幸い怪我人が出るという類のものではなかったらしい。だが放たれたそのエネルギーは、
間違いなくヒトの都合など構わぬ、理(セオリー)の則った現象であった。
「お、おい。大丈夫か……?」
「何とか、な。そっちは?」
「ちょっと擦りむいたけど平気だ。それより」
 人々は慌てて、あちこちで身体を起こし、見上げた。
 第三隔壁。そこには濛々と、全貌を隠す大量の土埃が立ち込めている。
「…………お、おい! あれ!」
 だが程なくして皆は目撃することになる。誰とも知れぬ兵が逸早く、その変化に気付いて
土埃の向こうを指差していた。
 徐々に晴れていく土埃。面々はそのさまに驚愕する。
 現していたのだ。少なからずひび割れ、損壊を受けていたものの、隔壁の向こうには皆の
記憶にある、大都の街並みがそっくりずらりといつの間にか姿を現していたのだから。
「大都(バベルロート)……?」
「どういう事だ? これって、空間結界が解けたってことで、いいんだよな……?」
「……こうしてはいられないぞ。皆、捜すんだ! 生存者を──皇子達を!」
 暫し皆は唖然としていた。誰も親切に状況を説明してくれる者などいないのだから。
 それでもややあって指示を飛ばす者がいた。ダグラスだ。彼もまた暫し開いた口が塞がら
ないでいたが、復旧してきた思考が急速回転を始めると、そう今自分達が今最もやらなけれ
ばならないであろうことを導き出し、叫ぶ。
 ばたばた。兵という兵が戸惑い、しかし互いに顔を見合わせると一斉に駆け出していた。
 隔壁の向こうへ。閉ざされていた大都の中へ。
 この動きにヨゼフは部下達に協力するよう指示を出し、一方でヒュウガらサーディス三兄
妹は、静かに戦塵を掃いながらこれを遠巻きに傍観している。
「……イヨ」
「ええ。私達も参りましょう」
 “結社”らの姿は無かった。やはり話の通り撤収(たいきゃく)した後なのか。
 ダグラスら各上官達の指揮の下、兵達は人海戦術で、損壊した街並みとあちこちに散らば
る瓦礫の山を掻き分けながらその者達を捜し始めた。
 シノもこの後をついて行く。イヨら周囲の者達も同じく心配で、もうその伺いを拒むこと
すらしない。途中で自国の兵らを連れてきたファルケン王や四魔長、やや遅れてロミリアら
とも合流した。ガチャゴト……。暫し辺りに多くの人と物の音が入り混じる。
「──いたぞーッ! こっちだ!」
 そしてそれから、一体どれだけの時間が流れたのだろう?
 半大刻(ディクロ)か数大刻(ディクロ)か、定かではない。短いようでとても長い不安
の中にいるようにシノ達には感じられた。
 場所は第二隔壁と第一隔壁の中間辺りだった。手分けして捜していた兵らが遂に、求めて
いたその姿を見つけたのである。
 他の面々、勿論シノ達も急いでその場に駆けつけた。
 激しく息切れするほどに身体に鞭を打つ。それでも尚、もどかしいとすら感じた。
「ぁ……」
 いた。とある大通りから少し入った先にある瓦礫だらけの一角に、ジーク達はいたのだ。
 先ず目に映ったのは、透き通る翠色をした半球状のドーム。ジーク達はその中に包まれ、
守られるようにして各々、ぐったりとしていたのだった。
 その中心にジークがいる。その手には抜いた脇差──結界の六華・緑柳が握られており、
剥き出しになった何かの基礎だったものに体重を預け、静かに乱れた呼吸をしている。
 シノが、皆が息を呑んだ。加えてそこには寝かされていたからだ。
 すっかり疲弊したアルスやエトナ、リンファにセド、サウル。
 仲間達に囲まれ、そして介抱されながら眠る一人の男性。
 その身体は長年の酷使にやつれ、周囲には狂化霊装(ヴェルセーク)だった、もう欠片も
自己修復しない装甲の残骸が無数に転がっていたが……その寝顔、横顔ですぐに分かる。
 コーダス・レノヴィン。
 彼女、シノ・スメラギが愛した、息子達が命懸けで救い出してくれた……最愛の人。
「──ッ!!」
 次の瞬間には駆け出していた。イヨらも最早止めない。レジーナとエリウッドも、そっと
お互いに肩を寄せ合い、駆け出す彼女の背中に穏やかな眼差しを向けている。
 そんな母の姿をみてようやく安堵したのだろう。ジークはぼうっと虚ろな眼になりながら
もフッと微笑(わら)い、そしてその手から緑柳を滑り落した。
 がしり。強く強く、だけど優しい抱擁。
 シノが彼の下に飛び込んでいった時、結界もほぼ同時に消えていた。
 アルス達もまた彼女を見遣る。嗚呼よかったと、心底安堵した様子で微笑(わら)う。
 ぼろぼろと大粒の涙を零していた。抱き締め、何度も何度も彼女は紡いでいた。
「ありがとう……ごめんなさい。貴方達が無事で、本当によかった……」
 勢いよく抱き締められたまま、ジークは声に出すことなくそっとその身体を抱き返した。
 存外に華奢であった。
 それは母(かのじょ)が母(かのじょ)なりに、これまで重ねてきた苦労が加速度的に脳
裏を過ぎっていくかのようで、ジークもまた静かにつぅっと頬に涙を伝わせる。
「……。ただいま」
 とても小さな声でジークが言う。アルス達も、よろよろとした足取りながら、程なくして
彼女の下へ集まり直そうとする。

 それはきっと、十数年越しという歳月の。
 欠けたままの家族の肖像(ピース)が、今ようやく揃ったのだった。

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  1. 2014/06/06(金) 18:00:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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