日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅳ〔51〕

 意識が青く暗い底へと沈んでいったその先は、暴力的までに照らされた一面の赤だった。
 眩さ。だけども目を細めることも何故かできない。
 代わりに彼は思い出していた。そうだ。これは……かつての記憶。
 詳しい経緯など知らない。知る術もない。
 ただ間違いないのは、あの時代(とき)戦争があったという事だけだ。
 国と国がその仲を決裂し、互いにその我を通そうとし、武力で以ってこれを実現させよう
としていた。或いはそれらから領民を守ると謳い、戦った。
 そんな上辺は知らない。今となってはどちらでもいい。大地に満ち満ちていた。
 記憶が蘇る。覚えているのは、火の海に包まれた故郷と逃げ惑う人々。なのに互いに尚も
戦い続けている両国の軍勢達。
 駆け抜けていった、蹂躙された。
 ごろり。あの時の記憶がまた傷を疼かせる。この身になったことで、実際の怪我はとうに
消えてしまった筈なのに。
 記憶が見せる。再び感じさせている。
 時を経て移り変わっていく──戦線が移動して捨て去れていく戦場(こきょう)。そこに
残っていたのは只々死臭だった。亡骸だった。あちこちで燻る炎だった。ぐったりと焼け跡
に倒れ、立ちぼうけたままの同胞達であり、黒く濁った空だった。
 後々になって分かったことだが、これが瘴気だった。
 どうやら両軍が大量に魔導を撃ち合ったことで、一気に周辺のマナが瘴気化するまで汚れ
てしまったらしい。尤も、それは何もこの戦場だけに限った話ではなかったのだが……。
 死んだ者。死にかけている者。まだ生きている者。
 彼は煤だらけの、傷だらけの身体を引きずって歩いた。暴力本体(それじたい)は去った
が、人々に刻まれた痛みはそう簡単に消える筈もない。
 ぼうっとして、クリアに物を考えることはできなかった。目の前で死が続いている。戦火
に呑まれた者は言わずもがな、今度は残された瘴気によって人々が中てられ始めていたから
である。
 彼は皆は逃げ惑った。そのまま朽ち果てた者が大半ではあったが、中には魔獣として再誕
を遂げ、暴れ始める者らが出たのだ。
 ……奴らが戻ってきた。国軍、或いは傭兵畑や賞金稼ぎの冒険者達だった。
 皆を守ると言った。言いながら、彼らは魔獣と化したかつての領民を“処分”して回って
いく。断末魔が聞こえた。そんな武力の連鎖を聞きながら、彼は自らもまた瘴気に侵され始
めていることに気付いてしまった。
 焼け跡の故郷から、生き残って身を寄せ合う人々から、彼は人知れず離れた。
 もしかしたら皆を巻き込んでしまうかもしれない。そんな思考と、せめて醜態を晒さずに
終わりたいという我欲が彼にはあった。
 何処だったか。本来の場所も分からぬ廃屋の奥で、彼はじっと耐えた。
 瘴気に中てられた身体が、内側からメキメキと壊されていくのが分かる。
 独り。感覚をただそれだけに注いだ。
 だが──そもそもこれは、本当に“破壊”なのだろうか?
 色彩を失った瞳で、屋根の役割も満足に果たせない天井を見る。仰向けの身体からふと力
を抜く。
 身を焦がしているのは……単なる痛みか?
 いや、違う。怒りだ。この世界に対する怒りが、相まって己の身体を痛めているのだ。
 理不尽だった。
 自分にはそう学がある訳でもないから、国同士のあれこれはよく分からない。それでも、
少なくともこんな事で解決するとは、彼にはとても思えなかった。
 ……嗚呼、そうか。
 この怒りは奴らに向いたものだけじゃない。暴力と……何よりもそれらに抗えない自身の
弱さを恨んでいたのだ。
 焼き付いた記憶が、次々と乱暴に切り替わりながら脳裏を過ぎる。
 友人、村の皆、家族、妹──。皆みんな、死んでいった。苦しんでいった。一人また一人
と動かなくなった。
 ……嗚呼、こん畜生。
 彼は手を伸ばす。瘴気が黒ずみ蝕む身体に痛みに耐え、息を切らし、それでも彼は朽ちた
廃屋から覗く汚れた空に手を伸ばす。

 力が、欲しい。
 こんなクソどものいる世界なんて、俺が──。

「──ス、バトナス!」
 はたっと、突然半ば強引なまでに意識が引き戻された。
 彼は、バトナスは、空に手を伸ばそうとしたままの格好でハッと我に返る。
 黒くはなかった。仰向けに倒れている自分が見ている空は無機質な灰色で、すぐに自分は
任務の途中で、ここはリュウゼンの、大都一帯に張った空間結界の中なのだと再認識する。
「お、おい! 大丈夫か? お前何で一体、落っこちて来たんだよ……」
「というかバトっち。召集かけられた時、いなかったよね?」
 そして、大量の瓦礫に埋もれつつ倒れていた自分を覗き込んでいたのは、同じ“結社”の
使徒であるヘイトとアヴリルだった。
 尤も既に一戦交えたのか、何故か前者は、顔や服など全身が血の跡やら土埃やらで大層汚
れてしまっていたのだが……。
「……」
 しかしバトナスは、すぐには返事もろくに出来なかった。
 ゆっくりと、半ば無意識の内に空に伸ばしていたその手を下ろし、彼は存外に昂ぶった内
心の鼓動を、今はただ鎮めることしかできなくて──。


 Tale-51.君の想いがセカイを焦がす

 ダンとユイ、そしてクロムの三人を加え、一行は改めて“教主”達と対峙していた。
 リュウゼンは舌打ちし、眉を顰めていた。頭に腕。天地創造(まどうぐ)の鎖はカチャリ
と揺れており、その集中は少なからず削がれているらしい。
 ルギスは眼鏡のブリッジを押さえ、じっとこのさまを観察していた。
 その横で半身の修復を終えたヴェルセークが立つ。ギロリと狂気を纏った赤い眼が、ダン
達の姿を捉えている。
『本当に、裏切るつもりなのだな』
 そしてぽつりと“教主”が言った。
 石塔の頂上、ドームに覆われた天上の中空。相変わらずその見た目は巨大な薄紫色の光球
で、表情などがある訳ではない。しかしその声色は間違いなく問うているものだ
 裏切りに怒るという様子でもなく、只々確認するような淡々とした口調。
 ダンやイセルナ達がちらりと見てくる。その言葉を向けられた当人──クロムはそんな皆
の視線を一瞬見返すと、キリッと“教主”を見上げて答えた。
「確かに、貴方達の救済は“正しい”。だが……私はこの眼で目の当たりにした、思い知ら
された。貴方達も見ている筈だ。──結社の威力に抗う、他ならぬ今この時代(とき)を生
きている人々だ」
 一体、何の話だろう?
 イセルナ達はよく分からなったが、それでもあの時ダンが言っていたように彼が味方につ
いてくれるという事は間違いない。実際、中層でのピンチを彼は救ってくれたのだから。
 アルスやエトナ、セドら五人──最後までこの場に残って戦い続けていた五人も、彼をお
互いの顔を見合わせ、怪訝な表情を浮かべていた。
 ……まさか“結社”側からこちらに流れる者が出るとは。しかも魔人(メア)だ。
 事情はよく分からないが、少なくともこちらを欺く為の演技ではなさそうだ。
 実際、彼はダンやユイと一緒にここに飛んで来たし、今このやり取りと連中の反応からし
て、裏切り──“結社”からの脱退は間違いないものと思われる。
「……迷ってしまったんだ。これまでのように切り捨てられなくなってしまった。だから、
もう闘えない。貴方達のような闘いを続ける訳にはいかない。私はもう一度……ヒトという
ものを信じてみようと思う」
 その当人、クロムは言う。するとちょうどシフォンが、背面の飛行パーツを展開して飛ん
で来たオズに乗って合流してくるのが見えた。
 皆で一瞥して、安堵。だが……気のせいだろうか?
 クロムがそう言葉を告げ終わった瞬間、彼がちらっと肩越しにこちらを見遣っていたよう
に、アルスには思えて──。
『そうか。残念だ』
「馬鹿言ってんじゃねぇよ……。分かってんのか、逆戻りだぞ! これまでのお前を全部、
無駄にするってことなんだぞ!?」
 それでも“教主”は、変わらず淡々としている。もう既に裏切り者(クロム)を切り捨て
る心積もりを始めているのだろうか。
 一方で、リュウゼンは我が事のように叫んでいた。
 頭と両腕につけた魔導具の鎖が揺れる。だがクロムは、眉間に皺を寄せたままそっと視線
を彼に落とし、思い詰めたように言い切る。
「覚悟は……出来ている」
「──っ」
「構わんのだガネ。裏切るというのなら……今此処で逝け(され)バよい!」
 改めて敵意を纏うリュウゼン。その前にサッと進み出て、今度はルギスが言った。
 腕に巻いた腕輪型の装置。その手を振るい、瞬間ヴェルセークが咆哮を上げてクロムに襲
い掛かる。
「クロム!」「お坊さん!」
 ダンが、顔を引き攣らせたエトナと共にアルスが叫んでいた。
 場の皆が一斉に得物を振り出す。この、見返りもよく解らないこちら側についてくれた彼
を、そう簡単にやらせはしないと庇いに出る。
「──」
 しかし、そんな面々の出る幕はなかった。
 何とクロムは、むしろ後方のアルス達を庇うようにしてその場に立ち塞がると、一瞬にし
て全身を硬化、更に纏わせたオーラがさも鋼鉄のように真っ黒になり、この黒騎士が振り下
ろしてきた大鉈を身体一つで受け止めたのである。
 凄まじい威力が二人の周りに放射された。ゴゥン……! 踏ん張ったクロムの足元に大き
な円状のひび割れと陥没が出来る。
 それでもクロムは耐えた。正面で十字に組んだ両腕、その交わり目にヴェルセークの刃を
挟み込み、文字通り火花を散らしてこれと激しい鍔迫り合いを繰り広げたのである。
「……ぬんッ!」
 はたしてそれは折れた。砕かれた。
 ギチギチと挟み込んで力を掛け続けられた大鉈の刃。やがてそれは他ならぬクロムの手に
よってへし折られ、幾つかの破片となって宙に舞い、彼に全身を使って弾き飛ばされたヴェ
ルセークの身体は大きく後ろに退けられる。
「右胸だ! 心臓の逆位置を狙え!」
 驚愕するダン達──仲間達。同じく驚き、眉間に皺を寄せ、軽く顔を庇うルギスやリュウ
ゼン達。クロムは叫んだ。新しい仲間達に叫んでいた。
 中空では尚も“教主”が彼を見下ろしている。だが彼は構わず教えてくれた。
「そこに在った筈だ。私の記憶が正しければ、これの──狂化霊装(ヴェルセーク)の狂気
を造る核は、そこに在った筈だ!」
 そしてそれはきっと、この戦いにおいて一条の光と為るものだったのだ。

「……っ、はあ……ッ!」
 風が止んで消えていく。リュカは暫く掌を眼下に向けていたが、敵の姿が見えなくなった
ことでようやく安堵と呼吸を確保した。
 隣にはジークが立っていた。いや、立っているのがやっとだった。
 前髪に隠れたその表情。しかし肩で全身で息を荒げるその様子は尋常でない疲労を表して
いる。握っていた二刀がザクッと石畳に落ちて刺さった。ジークもまた敵の消失を確認し、
尻餅をつくようにその場に崩れると、そのまま大きく仰向けに倒れ込んでしまう。
「ジーク……。大丈夫?」
「ああ。何とか。サンキュー、リュカ姉。助かった」
 ゆっくりとリュカが振り向く。問うてきた彼女にジークはその格好のまま、乱れた呼吸を
整えながら応えている。
 リュカは眉根を寄せた。辛くて、自分の痛みであるかのように錯覚した。
 だけれど……。彼女はそっと彼の下に歩み寄り、スカートを押さえながら屈むと言う。
「助かった、じゃないわよ。無茶苦茶よ……。やっぱりあんな戦い方、危険過ぎるわ」
「でも、勝っただろ。逃げるしかなかった俺達が“結社”の魔人(メア)を自分達の力で追
い払えたんだ」
 だけどもジークに懲りた様子はない。抱え込んだマナはすっかり四散してしまったが、彼
はこの一戦で自分なりに掴んだものがあったらしかった。
 懐から布袋を取り出し、大きめの霊石を一つ胸に押し当てる。ホウッと淡く輝くマナの光
と共に、消耗した力が回復していくのを感じる。
 次いで、金菫。
 じっくりと霊石が溶け切るのを待ち、ジークはこの糸房がついた脇差型の聖浄器を発動、
ザクリと自身の身体に突き刺し、今度は身体に刻まれた傷(ダメージ)を癒し始める。
『……』
 お互い、黙っていた。
 無機質な空を見上げたジークの眼。きゅっと唇を結んで視線を逸らしたリュカの横顔。
 二人は黙っていた。暫くの間、二人は言い出し難い雰囲気の中でぼんやりと考える。

(まぁ、そう思った通りに強くはなれないか……)
 ジークは思う。確かにバトナス(あいつ)を撃退することはできた。しかしそれは間違い
なくギリギリの戦いだったと言える。
 実際、奴はすぐに見破ってきた。今回は意表を突く形で押し切れたからよかったものの、
また同じやり方が通じるとは考え難い。
 課題は見えた。力の配分を覚えなければならない。何より地の剣技をもっと磨かねば。
 これでようやく、同じ土俵に立てるようになったといった所か。それも接続(コネクト)
を使ってやっという状態だ。リュカ姉にはつい強がってしまったが、正直あの瞬間、加勢を
して貰っていなければ一発喰らっていた可能性が高い。そしてガス欠のまま押し返されて、
自分も彼女も殺されていたかもしれないのだ。
 ──新しい戦法を見出したことによる、慢心。
 だがそう言ってしまえば、それで済むのだろうか?
 いや、済ませちゃいけない。引っ込めちゃいけない。力が……必要なんだ。
 もっともっと、理不尽な奴らから大切な人達を守れるように。
 もう何処にも、やってしまわないように。

(どうして、こんなことになっちゃのかしらね……)
 リュカは嘆いていた。心の中で、傍らで息を荒げて仰向けになっている昔馴染の少年の姿
を見、今に至ったありとあらゆる巡り合せを恨みたくなる。
 サンフェルノで、父と共にシノさん達の出自は聞き及んでいた。だけど彼女は王族として
の自分を諦め、せめて愛する人と穏やかな暮らしをしたいと望んだ。
 なのに……世界はそれを許してくれなかった。二十年後、その息子であるジークとアルス
を狙った“結社”の影、幾つもの争いに巻き込まれていく二人。
 村を代表してここまで付いて来たのは、ひとえに心配だったからだ。
 強い子達だと思う。昔、あれだけ辛く苦しい思いをしたのに、それぞれ自分に出来ること
を極めて「恩返し」をしようとしている。
 でも、だから自分は哀しい。
 そこまでしなくたって、いいんだよ……? 何度そう言って連れ戻したく思ったことか。
この子達が目指そうとしている道の、何と孤独で報われぬものであることか。
 だから、辛い。何処かで本人達も気付いているのかもしれないけれど、それでもあくまで
こうして闘うことが自分達の意思だと言い張るのだから、結局自分は強く言えないでいる。
 ……私も、もっと強くなった方がいいのだろうか?
 この子達ばかりに、こんな思いをさせなくちゃいけないというのなら。

「あいつ……死んだかな?」
 ぽつり。まだ仰向けに寝たまま、ジークがそんな事を口にした。
 訊ね返すまでもなくバトナスのことだろう。リュカはごそごそと動いて身体を石廊の端、
崩落した部分へと向け、大量の土埃残る眼下の空間に目を凝らす。
「どうかしら。結界主が距離を操っていれば墜落死自体なくなっているだろうし、そもそも
相手は魔人(メア)だから……」
 そうだな。呟くリュカの応答を受け、ジークもまたのそりと起き上がり始めた。
 慌ててリュカが振り向き、まだ寝ていなきゃと止めようとする。
 だがジークは大丈夫だと笑ってみせた。強がってみせた。何度か服の汚れを掃い、それで
も切れたり破れたり、血汚れの染み付いた自身の姿に、彼はそっと自嘲(わら)う。
「サフレ達、着いたみたいだな」
「ええ。アルス達、無事だといいけれど……」
 二人して見上げた先には迷宮の最上層が佇んでいた。
 とりわけ太く頑丈に建つ石塔、その天辺を覆う石のドーム。見れば今はその一角に風穴が
空き、微かだが遠く距離を渡って爆音らしき音が耳に届いてくる。
「俺達も急いだ方がいいな」
 バトナスをとどめを刺すべきかとは思った。だが、急ごしらえで回復したとはいえ、また
奴と戦いに行くのはさっきよりも不確定さが多過ぎる。何より下に降りなければならない。
止めておいた方がいいとジークは判断した。
 王──母さんやアルス達を助けよう。時間ならば充分に稼いだ筈だと思いたい。
「そうね。少なくともあいつは、すぐには追っては来れないだろうし」
 少し崩落先を見遣って、リュカも同意を示した。ついっと風穴の空いた最上層を見る。
 ジークは頷いた。地面に転がっていたままの紅梅と蒼桜を回収して一旦鞘に収め、大きく
深呼吸をして気合を入れ直す。
「飛ぶわよ。結界主や取り巻きがサフレ君達と戦っている今なら、邪魔されずに直接飛んで
行けるかもしれない」
 言って、リュカは風紡の靴(ウィンドウォーカー)を唱えた。
 二人をカバーする足元の魔法陣から起こる幾陣もの風。
 やがて二人は両足にその風を纏って、無機質さ広がる空へと跳び出していく。

「──やはり此処も封印されていますね。壊しますか?」
「ううん、大丈夫。大体どんなものかは把握してるし、そもそも僕が相手なら通してくれる
だろうしね」
 一方で、ジーク達は知る由もない。
 迷宮内・志士聖堂。時を前後してその地下への扉が開かれようとしていた。
 聖堂の内部へと足を踏み入れているジーヴァとヴァハロ、そしてそのように一見穏やかな
声色で語るローブの男。
『……』
 最早誰も彼らを邪魔できる者はいなかった。
 正義の盾(イージス)傘下の兵士達だった亡骸の山とスタンロイ、そして全身血塗れにな
ってぴくりとも動かなくなったデュゴーの身体。

 灰色の空の下、また一つと、聖堂深部へと通じる封印が解かれようとしている。


「そうか。クロムの野郎が……」
 やっと意識がしゃんとし、バトナスはヘイトとアヴリルから、中層主戦場で起こった出来
事の一部始終を聞かされていた。
 どれだけ気を失っていたのか分からない。だから先ずは、周囲の状況がどうなっているの
かを把握するのが先だと考えたからだ。
「何だよ。随分と落ち着いてるじゃんか」
「一応驚いてるぞ? まぁあいつは、前々から使徒(おれ)達の中でも変わり者の部類だっ
たからなあ。見ている方向があさってというか、何処か遠い処をみてたっつーか……」
 妙に冷静な自分が可笑しい。だからか、語るヘイトの表情がそこはかとなく不機嫌だ。
 バトナスは呟きながら空を見上げる。
 クロムの奴が、裏切った。ブルートバードの味方に付いた。
 ……どいつもこいつも、目障りなことばかりしやがって。
 改めて憎々しくなった。遥か頭上、端の一角が崩落した石廊の螺旋が見える。
 自分はレノヴィンに「負け」たのか? いや……押し出されただけだ。あの魔導の一撃が
無ければ、逆転していた。決して負けなんかじゃない。
(次こそは……)
 半ばぎゅっと無意識に、その魔獣化が解かれていた拳が握られる。
「それで、一体どうしたっていうの? あんた程の男がいきなり上から落っこちて来るのを
見た時はびっくりしたんだから」
「……ああ」
 そして、今度はこちらが答える番。
 ヘイトとは違ってボロボロになっていない、とはいっても相変わらず身体のあちこちに包
帯を巻いているアヴリルが訊ねていた。バトナスは見上げていた視線を戻し、二人に向き直
ると、先刻のジークとの交戦について語り始める。
 接続開始(コネクト)と呼んでいたあの技。魔人(メア)に迫るほどの導力。
 個人的には恥かもしれない。だがあれは、組織として共有すべき情報だ。
「……マジかよ」
「バトっちが押されるほどの強化、か。確かにストリームを取り込めば可能かもねぇ」
 二人はそれぞれに驚いていた。召集に応じず一人ジーク・レノヴィンを待ち伏せていた事
は命令違反だが、そもそも自分達──というかヘイトも現在進行形で似たようなことをして
いた、クロムに返り討ちにされたこともあり、そこは彼女も彼当人も深く追求する気はない
らしい。
「ストリームを使う……。チッ、生意気な真似しやがって……」
「もしかして、南方であたし達が一戦交えた時に思いついたのかなぁ? ヘイトの洗脳術も
ストリームを利用してのものだし。向こうも何でもありになってきたみたいだねぇ」
「……」
 お前らの所為かよ。
 バトナスは「あはは」と苦笑(わら)うアヴリルに無言のジト目を寄越しつつ、されど思
い起こさざるを得なかった。
 他でもない。あの時のジーク・レノヴィンの姿だ。
 あの場では戦うこと、奴を殺すことにばかり気がいっていたが、今こうして思い返してみ
ると奴はあの時、間違いなく自分に全幅の“害意”を向けていたように思う。
 そりゃそうだ。敵同士なんだから。
 言ってしまえばそれだけの事で詮無い思案なのかもしれない。現実問題そうなのだろう。
 だが何だ? この、頭の奥深くからガンガン叩きつけてくるような感じは……?
 暫くバトナスは後頭部をがしがしと掻き、眉根を顰めていた。
 そして思い出す。そうだ……あれは、いつかの自分と似ている。
 絶対的な力の前にボロボロになり、それでも武器を取る手を緩めず向かっていく姿。
 同胞を倒され、裏切られ、行く当てのない怒りをぶつけているヘイトの双眸。
 憎しみの連鎖──。そんな言葉が脳裏を過ぎって、バトナスはハッと我に返った。
 ……馬鹿野郎。何を今更しんみりしてやがる。力を欲したのは、あの日誓ったのは、他で
もない俺じゃねぇか。
 それを奴の、ジーク・レノヴィンの必死さを見て絆されるなど……あってはならない。
 負けるものか。許せるものか。
 からくりは解った。
 次に、奴があの技を使ってきたら……今度こそ叩きのめす。
「それでバトナス。どうする? さっきも話したけど、今回参加してる使徒の大半は中層で
正義の剣・盾(カリバー・イージス)の連中に捉まってる。その間に何人かが天辺に向かっ
て行ったんだけど……あたし達はどっちに加勢しよっか?」
「最上層(うえ)だろ。お前の話じゃ、レノヴィン達は登って行ったんだろ? それにあそ
こにはクロムもいる。この僕を振り払って、連中の側に付いたんだ……!」
 ずいっとアヴリルの前に割り込み、ヘイトが言った。
 嗚呼、そういえばお前ら仲が悪かったんだっけか……。俺にはどうでもいいが。
 それまでぎゅっと静かに唇を結んでいたバトナスは、そう内心の弱気を改めてねじ伏せ、
足元の瓦礫の山から立ち上がった。ばらばらと耳に障る音が、乱雑に鳴っては散る。
「……いや、最上層(うえ)はいい。ルギスや戦鬼(ヴェルセーク)もいるし、純粋な戦力
なら足りてるだろ」
「ぬっ。で、でもっ──!」
 そんな返答にヘイトは不服そうだった。戦闘能力の序列は彼もまた解っている筈だが。
 だが、だからこそだ。昂ぶる気持ちは同じだが、そうやって自分達は失敗した。
 ならどう動けば奴らに痛手を与えられるか? その抗ってくる心をへし折れることができ
るのか……?
「じゃあ、中層(した)?」
「いや。それよかもっと先だ」
 慣れているのか、同じくアヴリルがヘイトの抗議の声を受け流しつつ言う。だがバトナス
は否と言った。数歩、身体に残るダメージの程を確かめながら歩き、彼はズボンの尻ポケッ
トから予め自分用に渡されていた通行手形(カードキー)を取り出してみせると嗤う。
「外に出る。人質(まと)なら、まだゴロゴロとしてるだろ?」

 使徒の一人(クロム)が味方についた事により、状況は少しずつ変わり始めていた。
 前進を阻む黒騎士(ヴェルセーク)の猛攻。
 それを、これまでは聖浄器(ヴァシリコフ)持ちのファルケン王がメインとなって受けて
いたが、今や“色持ち”の──自覚こそないが──ダンが加わり、そして彼・クロムという
力がぶつかることでこれを大きく封殺することに成功していた。
 役割分担の変更。
 そしてこの三人にアルスとエトナ、彼を守護するリンファ、セドとサウルの八人が引き続
いて狂化霊装(ヴェルセーク)の破壊及びコーダスの確保に組み付き、イセルナや四魔長、
シフォンにオズ、キラサギ父娘率いるトナン近衛隊ら残り二十人弱がこの左右両脇から迂回
するようにして駆け抜け、“教主”達を──この空間結界(あくむ)を終わらせる為に襲い
掛かる。
「……ぬゥ。猟機兵団(イェーガー)!」
 だがそんな彼女達に、ルギスの放った使い魔らが立ち塞がった。
 空間横一列に生じたノイズ混じりのモザイク。そこから次々と、継ぎ接ぎな鉄板だらけの
機械人形達が飛び出してきたのである。
『やはり、そう簡単には通してくれぬか』
「みたいね。シフォン、そっちはお願い!」
「ああ。皆さん、オズ君、突破しますよ!」
 応ッ! 後続のキサラギ父娘とトナンの戦士達、そしてオズが得物を掲げた。
 こちらは足止めを喰らっているヴェルセークを挟んで左翼側。イセルナと四魔長は向かい
の右翼側でそれぞれ、機械人形と激突する。
「なっ──!?」
 しかし、彼らの第一撃目の多くは不発に終わった。剣や槍、こちらの刃が接触する寸前の
タイミングで、機械人形達は自らその身体の部分部分をパージ、これらを空振りさせてきた
のだ。
「分離、した?」
「なるほど。主に似て癖の強過ぎる使い魔どもという訳か」
 セキエイも拳が当たらなければどうしようもない。ウルがパージしながら方々に飛んで来
るこの人形達を砲撃の具現装(アームズ)で冷静に狙って撃ち落し、ミザリーも追尾能力の
ある魔導で以ってこれに続く。
「皆、気を付けてー! こいつら、個人の精神が無いよ! あの眼鏡さんの操作だけで全部
動いてる!」
 機械人形の一体に干渉しようとしていたリリザベートが、にゅうっとその無機質な機体か
ら顔を出して言った。
 人形達の背後、奥でルギスが眼鏡の奥の瞳を光らせている。
 腕に巻いた装置。もしかしてあれで、これだけの数の使い魔を制御しているのか。
「つまり威圧などは意味が無い、と……。怯むな、攻めろ! 相手はモノだ!」
「その割には、随分と活き活きとしてるけど……ねっ!」
 槍を払って背後からの人形達を弾き飛ばし、サジも部下達に活を入れる。振り上げられた
人形からの斬撃を不視錯装(インビジヴル)で全身透明になってかわし、背後に回ってユイ
は再度出現しながら斬り付ける。だが彼らは実際には“見て”いないのか、またもや斬られ
たライン上を基点に身体をパージさせていた。
 そのまま弾丸のように次々と襲い掛かってくる人形達(の部分部分)。
 ユイは地面を転がりながらこれをかわし、他のトナン戦士達もこのトリッキーな性質に苦
戦を強いられている。
「流星掃射!」
 だがそれを、シフォンの弓技が薙ぎ払った。背中合わせにはオズもおり、半端な機械では
敵わぬ豪腕でこれらを纏めて殴り飛ばしている。
「落ち着くんだ! 分離するにしても、分割できる組み合わせは限られている筈……。一人
ではなく、二人一組以上で分かれ目を観察するんだ。攻撃が通る箇所は必ずある!」
 無数のマナの矢に射抜かれて、機械人形達はさも地面に縫い付けられている。
 ルギスが黙したまま眉根を寄せ、口元に憎らしげな弧を描いていた。
 再び皆がこの邪魔者らに立ち向かっていく。剣で受けて、その隙を突く。それでもパージ
されたら、今度は違った軌跡を刻んでみる。
 とはいえすぐに「正解」の部分を見つけるのは難しかった。
 加えてパージした人形達は、変幻自在に別の個体と合体し直したり、腕ごと武器を取り換
えもする。一体が何体にも、何体がより大きな一体になったりもした。ヴェルセークとこの
機械人形達。ヒトを感じさせない横並びの戦列が、再び一同を押し返し始める。
「……あいつら、一体何やってんだよ」
 ぶつぶつ。そんな中でリュウゼンは呟いていた。
 魔導具越しに、何処か余所の様子を視ているらしい。
「勝手ばかりしやがって。もうジジババどもに価値なんぞ──ん?」
 それを、イセルナとブルートの冷気の剣が狙った。振り抜いた斬撃が蒼く凍て付く衝撃波
のようになり、結界主である彼を襲おうとする。
「おっと」
 だがこれを割って入ったルギスの障壁が防いでいた。
 いや、魔法陣。赤い炎を吐き出す魔導の何か。
「獲らせんのだガネ」
 そして連射される炎の魔導が、迫ろうとする飛翔態のイセルナを押し返していた。冷気の
翼を全力にして前に畳み、彼女(とブルート)は「くぅ……ッ!」と顔を顰めながら後退す
るしかない。

「──大樹の腕(ガイアブランチ)!」
「強化(コーティング)!」
 エトナの補助によって太く大きくなった樹の触手が、ヴェルセークの身体をぐるぐる巻き
にして両腕を封じた。
 二人が魔力を込め続けて拘束を維持する。それに縛られた黒騎士は抗おうとする。
「おぉぉぉぉぉーッ!!」
 そこに、マナの炎を纏ったダン、鎧戦斧(ヴァシリコフ)を振りかぶったファルケン、馬
上槍に変化させた霊装で突っ込むサウルと、全身を捻りながら回転を付けて斬り掛かるリン
ファの四人が飛び掛かった。
 狙うは勿論、右半身。
 クロムが教えてくれた、この狂化霊装(かぶりもの)からコーダスを助け出す為の、唯一
と言ってもいい弱点(きぼう)。
「ガッ、ゴァ……ッ!」
 爆炎と断撃、銀の突と閃。
 右胸。心臓の逆位置──四人の攻撃がその一点に集中していた。
 大きく爆ぜて砕ける黒騎士の装甲、今までになく苦しげに咆哮を漏らすヴェルセーク。
 もう少しなんだ……辛抱してくれ。皆は祈る。
 だがそれでも尚、コーダスを覆う忌々しい鎧は破損するだけで剥がれない。
「まだ──!」
 ぐらつくヴェルセークの巨体。その懐へ、更に徒手拳闘の構えで飛び込んでいくクロムの
姿があった。
 握る拳に右腕に、鋼鉄のような真っ黒な硬化を。左手は正面に、捌きと狙いをつけるよう
にびしりと向けた格好で。
 一撃。霞む速さで、その放たれた拳が破損した右胸に撃ち付けられる。
(……流石に、オリジナル相手では一筋縄にはいかないか)
 しかし、まだ届いていなかったのである。
 空中から着地に移りつつクロムが、ダン達が見る。ヴェルセークの右半身は大きく破損し
ていたものの、まだその“核”を現さないでいたのだ。遠くでルギスが腕の装置を構えなが
ら様子を見ている。どうやらクロム──かつての身内の裏切りという状況によって、右半身
の装甲を優先的に強化させ直したらしい。
 先程よりも大きくぐらついた巨体。
 だがヴェルセークは耐え、アルス達の樹の触手を力ずくで引き千切って吼えた。そしてや
はりこの右半身も自動修復を始めるべく動き出し、砕かれた装甲の断面らがわなわなと蠢き
始める。
「退け! 残りは俺が!」
 それでもアルス達は喰らい付こうとした。二人の横で叫んだセドが指を鳴らし、皆と同じ
く右半身の装甲に向けて渾身の“灼雷”を放つ。
「……なっ」
 しかしその一撃は当たっていたし、当たらなかった。
 濛々と立ち込めた爆風と黒煙。すると次の瞬間、隙間から覗いたのは“核”がある筈の右
半身ではなく、自ら肩を突き出して中破した左半身の装甲だったのである。
「野郎……“核”を守る為にわざと……!」
 セドが漏らす。その声色は悔しさと、そして何より哀しさ辛さ──ルギス達に手放されな
いままな囚われの親友(とも)への想いであった。
 アルスが、エトナが歯を噛み締める。もう一度詠唱に入ろうとする。
 だがそれよりも早く、ヴェルセークが動いていた。黒煙を払うように咆哮し、仮に修復さ
れた右腕の刃を振るってダン達を襲撃、四散させ始めたのだ。
「……っ。領域、選定(フィールド・セット)!」
 反撃しようとする黒騎士(ちち)を、アルスは結界で閉じ込めた。その間にダン達が一度
間合いを取り直し、もう一度右半身を狙おうと体勢を整え始める。
 吼えていた。ヴェルセークは突然目の前に現れた翠の半球なそれにただ、力ずくで刃を叩
き付けてこれを突破しようとしていた。
 ガンガンッ、その暴力的な衝撃がストリームを介して全身に伝わる。必死にかざした掌が
表情が、震えて嫌な汗だらけになって悲鳴を上げていく。
「がッ──!」「きゃあっ!」
 ややあって、ぶち破られた。翠の半球は粉々に割られ、アルスは相棒(エトナ)と共に大
きく後ろに吹き飛ばされる。
 アルス! セドが慌てて自分を受け止めてくれた。しかし既にヴェルセークは束縛を無く
して更に凶暴さを増しており、ダン達四人、そして左右でルギスの使い魔達と押し合い圧し
合いをしていたイセルナ達の振り返りをも打ち払ってこちらに迫ってくる。
(どう、して……)
 相棒が、自身もまたダメージを負いながらも自分に呼び掛けてきている。
 だがアルスは、意識が世界が、まるでフッと遠退くような錯覚に陥っていた。
 スローモーションに、セピア色に褪せていく目の前の世界。仲間達。大切な皆。
 なのに、自分は何もできない。
 こうして中和結界(オペレーション)を学んだけれど、結局自分は皆に迷惑を掛けてばか
りのような気がする。
 ──いつもいつも、僕は守られてばかりだ。兄さんと一緒に、僕だって皆を守りたい。
 なのにこの手は何時だって小さくて、弱っちくて、いざという時に肝心な相手(ひと)に
まで届かない。
 まだ力不足なんだろうか? それとも僕は、兄さん達のようには、戦えないのか?
(父さん、兄さん……。母さん……皆……)
 涙が溢れてくる。目の前に伸ばす手が震えている。
 届け。届け! 届いてくれ!
 僕にだって、こんな僕にだって、大切な人はいっぱいいるのに──!
「ゴワァッ!?」
「……えっ」
 そんな時だったのだ。遠退くアルスの世界が現実に引き戻されたのは、ヴェルセークが不
意に短い悲鳴を上げて吹き飛んだ、その時だったのだ。
 エトナが、セドを始めとした仲間達皆が、唖然としていた。
 だって──発現していたのだから。
 まるでアルスが伸ばしたその手に応じるように、彼の足元から大きな樹が飛び出し、更に
そこから幾つもの枝葉が伸びて、襲い掛かるヴェルセークを吹き飛ばしていたのだから。
『……ほう?』
「おいおい。マジかよ」
「これは、厄介だネェ……。さぁて、何の“色”だろうカ?」
 ぐったりと石の地面を転がって倒れてしまった黒騎士(ヴェルセーク)。
 その一部始終にそう静かに目を細めている“教主”達。
 だが誰よりも、この突然の事態に驚いていたのは、他ならぬアルス自身で……。


「……本当に、丸々なくなっちまったんだな」
 大都の外、第三隔壁外周。結界内から逃れた人々の避難は尚も続いていた。
 サミットの為に集まっていた各国関係者や大都の守備隊、そして内外からの冒険者達。
 周辺は急遽掻き集められた飛行艇と乗船を待つ人々で混雑しており、そうしている間にも
また何機もの乗り込みが完了した船が飛び立ち、或いは無事送り終わって戻って来る。
 船内に乗り込んだ者達は、少なからず思い出していただろう。
 高く飛んだ空の下にぽつねんと残る円状の城壁、確かに大都だった筈の場所。
 その“あり得ない”光景は、以前皇国(トナン)で巻き起こったあの内乱の報道映像と、
どうしても重なって見えてしまうから。
「おい、早く乗せてくれ!」
「何もたもたしてるんだ! まだ中に“結社”どもがいるんだろ!? 急がないと殺されち
まうよ!」
「わ、分かっている。今、王達が避難なされている最中だ。じきに皆の便も回ってくる」
「ふざけんな! 何で連中が先なんだよ? 先に脱出したのは俺達なんだぞ!」
「そうよそうよ! あんた達、何百万を見殺しにでもするつもり!?」
 一方、地上は相変わらずの人だかりであった。
 そして其処に響き渡るのは、多くが焦りであり、怒りであり、恨みだった。
 飛行艇は順次集められてきている。だがそれらに先ず乗って行くのは王や政府高官達だ。
 その事実に、市民らはすっかり機嫌を損ねてしまったらしい。
 順番を待つ行列のあちこちで、興奮した老若男女が係員となった兵士達に詰め寄り、平行
線なままの押し問答を続けていた。そんな様子を、苦々しい表情(かお)で睥睨したり、或
いは見て見ぬふりをしながら案内される船に乗り込み、王達は一人また一人と足早にこの危
険地帯から飛び去って行く。
「──まったく。こんな緊急事態(とき)になってまで喧嘩してるんじゃないわよ」
「仕方ないさ。群集心理という奴だよ。これでも大分整理させた方だと思うんだけどね」
 そんな場の様相を、レジーナとエリウッドは対照的な表情で眺めていた。
 義憤とある種の諦観。二人は他の係員らと連携し、今ある飛行艇の配分を指示したり、時
には程度の酷い混乱になった列へと赴いて(主にレジーナが)仲裁に入るなどしていた。
「だけどさぁ……。ジーク君達に頼まれたんだよ? 皆を無事に逃がさなきゃ。こんな醜い
格好、あの子達に見せちゃったら合わせる顔がなくなるっていうか……」
 ぶつぶつ。レジーナがそうぼやいている。また一機、飛行艇が空に飛び立って行く。
 エリウッドは黙っていた。だがぽんと、優しくこの彼女の肩に触れていた。
「優しいな、君は。だけどそれは余計な心配というものだ。彼らの喜怒哀楽全てに君が一々
責任を持つことはない。……ジーク君達だって気付いていると思うけどね。立場が立場だ。
向けられてきた感情は何も好意的なものばかりじゃない」
「エリ……」
 きゅっ。彼女が、俯き加減にこちらの袖口を握っていた。エリウッドは特に何も言わず、
ただ彼女にさせるがままになっている。
 そうだ。この戦いはもう佳境に入っているのだろう。だがそれは、自分達ヒトがこの先直
面するであろうものとは必ずしもイコールではない。
 むしろこれからなのだと思う。
 この戦いもきっと、また何か大きなものの一部に為っていくのだろうから……。
「──陛下!」
 そんな最中だった。ふと二人の耳に、何処か聞き覚えのある声が届いていた。
 見ればそこには、民族服な正装──ハガル・ヤクランに身を包んだまま不安げに城壁を見
上げているシノ皇の姿があった。
 そんな彼女に、跳ねた後ろ髪をアップで留めた女性官吏と他数名が、何やら必死に囲い込
んでは呼び掛けている。
「あれは……」
「ミフネ侍従長だね、ジーク君の弟さんに付いている。映像器で視たよ。彼と一緒に本会議
に参加していたのだったか」
 レジーナとエリウッドは互いに顔を見合わせ、人の波を縫いながら彼女達の下へと歩み寄
って行った。彼女らと、シノ皇が説得し、されながらも拒まれているように見える。
 イヨは二人が近付いて来たのを認めるとハッと顔を上げ、二人が係員の面子であることを
思い出してか、あくせくとしながらも会釈を寄越してくれる。
「えぇっと。お話は団員の皆さんから聞きました。レジーナさんと、エリウッドさん?」
「はい。こうしてお話するのは初めてになりますね」
「というか……女皇様、避難なされないんですか? 便ならもう手配の指示を出したと思う
んですけど」
「そ、そうなんですよぉ!」
 はしっ。小首を傾げて訊ねたレジーナに、急にイヨが涙目になって両肩を取ってきた。
 レジーナ当人もびっくりする。
 あれ? この人って、こういうキャラだっけ……? 彼女がこっちを見てきたが、特に害
意もなさそうなので、エリウッドは黙して苦笑するだけで無理に振り解こうともしない。
「な、何度も申し上げているんですがね? 陛下が避難してくれないのですよぉ。ジーク様
やアルス様が心配だと仰って……」
「だって……あの子達はまだ戦っているのよ? あの結界の中で、今も。母親として、この
まま逃げるなんて……」
「ですが、陛下は同時に皇なのです。どうかご自愛くださいませ。我が国用の便が既に待機
しておりますゆえ」
「……側近のお方の仰る通りですよ、女皇陛下。我々からもお願いします。離脱を。これは
ジーク皇子から我々に託された、彼の意思でもあります」
 迷っていたのだった。
 だがそんな竦んだシノに、エリウッドは敢えて淡々と、諭しながらも頭を下げていた。
 他ならぬジーク本人から託された意思──彼女を含めた囚われの人々を、皆無事にこの災
いから助け出すこと。
 シノは目を伏せて返す言葉もなかった。まるで自分の我が儘を、恥じているようだった。
「だ、大丈夫です! 彼らならきっと無事です。何たってあれだけの崩落があっても生きて
たんですから。その本人達を運んできたあたし達が保証します!」
 ニッと、レジーナが緊張気味に笑顔を繕ってみせていた。エリウッドがちらりとこの傍ら
の彼女を見る。シノ達が、ふっと苦笑(わら)う。
 嗚呼、じゃあこの二人が……。
 周囲の視線が彼らに集中し始めていた。空から降って来たジーク皇子一行、その飛行艇を
操っていたという機巧技師のコンビ。
 ざわめく人々。二人は急に恥ずかしくなって「さぁ」とシノ達を船に促し始めた。
 見れば負傷離脱していた七星・ロミリアも、傘下の団員達に支えられながらこの場に居残
っていた。瘴気を浴びせられたというが、どうやら迅速な治療が功を奏したらしい。
「ささ、早く」
「既に外側の援軍も内部へと突入しています。ご安心を」
 だが──そんな時だったのだ。
 王達を含めて避難が続くこの外周。そこへ突然、黒い靄と共に三人の人影が姿を現したの
である。
「め……」
『魔人(メア)だーッ?!』
 バトナス達だった。
 彼は初っ端から魔性の紅い眼を光らせ、ヘイト・アヴリルと共に、絶叫する人々をぐるり
睥睨しながらゆっくりと歩いてくる。
「あはは、いるいる~♪」
「……ぶっ潰す。そうのうのうと生き延びさせて堪るかよ」
 ヘイトが哂う。アヴリルが不敵に微笑む。バトナスは右腕を一瞬にして魔獣化。無数の目
や牙を持つ、鱗のような褐色の肌で指先までを覆った。
 悲鳴と共に逃げ惑う人々、シノ達を背に拳銃を取り出すエリウッドとレジーナ。引き攣っ
たままながら兵士達は一斉に武器を向け、ロミリアらや各勢力の傭兵達もにわかに臨戦態勢
に入る。
 まるで大型魔獣のようなバトナスの五指。
 軋むほどに握り締め、その矛先がいよいよ彼らに向かおうとした──その瞬間だった。
『ッ!?』
 刹那、彼ら三人の横からオーラを纏った一撃が突き出される。
 バトナス達は咄嗟にこれを大きく飛び退いてかわしていた。故に攻撃自体は空振りだった
のだが、その威力は風を伝って周囲を震わし、円く大きな土埃が上がる。
「──ふむ。やはりこの程度の奇襲は効かんか」
 起こったのは、重なる嬉声と、バトナスらの舌打ちだった。
 人々と彼ら、両者の間に割って入るように歩いて来たのは、一人の老齢の矛使いと二刀の
曲剣(シミター)を握った山羊頭の精霊。
 ザリッ。気付けば全く新しい軍勢がこの場に姿を見せていた。
 その姿は軍隊のように決まった服装や装備をしていないものの、明らかに歴戦の傭兵達だ
と判断がつく。
「よりにもよってあんたか。“獄主”」
 ぶんっ。大型の長矛を軽々と片手で回転させて握り直し、その人物は牙を剥き出しにする
バトナスらと対峙した。
 皆が息を呑んだ。まさか、彼がここに来るなんて……。
「……やれやれ。こんな年寄りまで借り出させるとは、最近の連中は鈍っとる」
 七星連合(レギオン)の現事務総長ヨゼフ・ライネルト。及びその持ち霊コーネリアス。
 大都それ自体へと向けてきた援軍は、そんな猛者(おとこ)が率いていた。

 高く高く空を飛んでみても、今は邪魔が入らないらしい。
 無機質な灰色の空。ジークとリュカは風紡の靴(ウィンドウォーカー)の風を纏い、一路
迷宮の最上層を目指していた。
「どうやらツキが巡って来たみたい。友軍(みんな)が突入してきたことで、結界主もおい
それと制御のみに集中できなくなっているのかも」
 彼女曰く、友軍が最上層(てっぺん)に突入した事により状況が好転しているらしい。
 確かに結界内(ここ)に進入してすぐの頃は、直接飛んで行くこともままならなかった。
結界主が空間──距離を改変し、辿り着くことが出来なかったからである。
 しかし今はその干渉が起こる気配はなかった。それでも二人は、直線ではなく大きく円を
描くような曲線的な軌道で以って飛んでいる。
 彼女の推測では、先に突入した友軍もこの攻略法に気付いたのだろうという。
 距離を弄られぬよう円状に動き、行使がされればすかさず内円側に駆ける。
 理論上、それができれば結界主からの干渉もものともしない筈なのだそうだ。実際、自分
達が飛んでいる──なぞっている軌道上には、明らかに不自然・作為的に迫り出された多数
の石柱が円を描くように残っており、加えてそれらを破壊し、凍て付かせた跡がそこかしこ
に見受けられる。先達の足跡というやつだ。
(氷……。あのキザ野郎か、それとも……団長?)
 それら石柱群を横目にしつつ、ジークははたと浮かんだ可能性に眉を顰めていた。
 先に突入した者達は無事だろうか? サフレ達は? 他の魔人(メア)達に返り討ちに遭
ってはいないだろうか?
 広かった。いざ空を舞って俯瞰してみると、この迷宮内は予想以上に広々と、そして殺伐
としているように思えた。
 灰色の無機質な空、ぐねぐねと絡み付きながら登っていく石廊、まるで立ちはだかり自分
達を見下ろすように建つ方々の淡い藍色の石柱群。
 此処には、これだけ広大な土地には、本来それらを覆い尽くすほどの街並みと人々の営み
があったのだ。
 それが今は、変貌してしまっている。眼下のあちこちで黒煙や火花、友軍と“結社”達が
戦っている様子が窺える。
 刻一刻と移ろいゆく状況と戦火、戦場となった大都。
 これが──自分達が突き進んだ先にみた風景。
「……っ」
 ジークはぎゅっと強く唇を結んだ。噛み締めていた。
 本当にそうなのか? こんなものを、自分は望んだのか?
 確かに自分は力を求めてきた。皆を守れる力を。もうこれ以上、誰も失わせないように。
 なのに……このざまだ。
 誰の声だろう、今まで出会った者達の声か? それとも自分自身の声か。
 頭の中でそれらが悲鳴のように反響する。俺達は“正しかった”のだろうか?
 思い出す。皇国(トナン)の時も、風都(エギルフィア)の時も、フォーザリアの時も。
 そもそもに、あそこに自分達がいなければ、関わらなければ、結末はもっと違っていたん
じゃないかと思うことがある。自分の所為で争いが起きているんじゃないか──? そう罪
の意識が湧き起こる度、自分はそれを“結社のせい”として押し込めてきたように思う。
「見えたわよ!」
 だが意識を揺り戻すように、リュカの声が聞こえた。
 ばたばた、高所ゆえの風圧が全身を撫で回す。見れば目的の最上層──石のドームで隠さ
れた大きな石塔の頂上がそこにはあった。かち割ったような風穴が一つ。まだここからでは
辛うじて剣戟や爆発の音が聞こえる程度だが、今まさに皆があそこで戦っている。
「リュカ姉、あの着流しの鬼族(オーグ)はどの辺にいる?」
「あそこ。奥よ。結界内のストリームが、あちこちからあそこに集束してる」
 傍らのリュカに訊ね、じっと目を凝らした彼女はびしりと指をさした。
 天井、全体を見下ろすに、石のドームの奥の端。マナを視れる魔導師(かのじょ)曰く、
この空間結界を成す力の流れの大元はそこに在るのだと。
「……。リュカ姉、ぶっ挿してくれ」
 ざらり。ジークは腰の三本からずしりと重い黒刀を──黒藤を抜いて言った。
 目を丸くしてリュカがその横顔を見ている。
 だが数拍の逡巡の後、彼女は彼のやらんとしていることを悟り、コクと頷いてから手近な
ストリームを掴んで手繰り寄せると一気に挿入、彼の二度目の“接続(コネクト)”を後押
しした。
「突き崩せ! 黒藤!」
 爆発的に跳ね上がったオーラの量。真っ直ぐに掲げた黒刀の刃。
 叫ぶジークの背後に、巨大な鎧武者が姿を現した。
 しかもその姿は、以前顕現した時よりも明らかに重厚に、豪奢になっている。
 ジークがこの太刀をむんずと両手に握り、脇へ引きつけて構える。同じく鎧武者も手にし
た大刀でその動きに倣う。
「いっけぇぇぇーッ!!」
 放たれる刺突。鎧武者の切っ先が真っ直ぐに石のドームを狙う。

「──? 何か来る」
 弓を構えていたシフォンが、はたとその尖り耳をピクつかせて振り向き、呟いた。
 ルギスの使い魔、或いはヴェルセークと押し合い圧し合いを続けていた仲間達が「え?」
とめいめいに彼の方を見遣っている。
 そんな、次の瞬間だった。メキメキッと、分厚い石の天井が突如裂け始めたのである。
 危険であることは明らかだった。イセルナ以下突入組が慌てて後方──風穴の方へと下が
っていく。ルギスの使い魔達も、何事かと頭上を見上げている所だった。
(!? しまっ──)
 そしてリュウゼンは、ようやくそこで自身の状況の拙さに気付いた。
 逃げ場がないのである。結界制御に集中できるよう、場の奥へ奥へと引っ込んできたこと
がここに来て災いし、彼の後ろにはもう僅かな石壁しかなかったのだ。
 中空の“教主”が心なしか点滅している。石の天井が大きくひび割れていく。
「ガッ……!?」
 刀だった。おそろしく巨大な刀の切っ先が、真っ直ぐにこちらに向かって突き立てられて
来たのだ。
 砕け散る石のドーム、天井。
 響き渡る爆音と、大量の土埃と共に吹き飛んでいく使い魔達やヴェルセーク。
 辛うじて突入口付近へと避難したイセルナ達は唖然とその瞬間を目撃していた。立ち込め
る風圧で思わず身を硬くし、何が起こったのかをすぐには把握できないでいる。
 ──直撃に近い一発を受けていた。
 リュウゼンは魔導具を装備したそのままの格好で、血を吐きながら白目になり、大きく身
体を弾き飛ばされながら宙を舞っていく。
「アルス! 皆!」
 そしてイセルナ達は見た。アルスとエトナが涙目になって、破顔して、その高く上空から
呼び掛けて来る声の主を認める。
「助けに……来たぞぉぉぉー!!」
 風を纏うリュカと、黒藤を突き出して空中に在るジーク。
 閉ざされた迷宮で今、仲間達を再会させる大穴が空いたのだ。

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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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