日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)Dear SORCERY〔4〕

「隊長ぉーッ!!」
 突如風と共に疾走していったその向こう側で、クラリッサが昏倒していくこの一部始終を
麻弥達は見ていた。
 デズモンド──の姿をした偽者から溢れ出した濃緑の毒煙、悲鳴を上げつつも下手に近付
けない彼女の部下達、そしてデズモンドだった人皮(モノ)がすっかり萎んで崩れ、独りで
に無に還り始めていくさま。
 聖は寸前で飛び退いていたようだ。ちょうど両者の間に片膝をつく格好になっていた晴の
背中を視界に、毒々しい緑は濃く濛々と立ち込めている。
「……助けなきゃ!」
 危険なのは直感していた。だが、たとえ知り合って数時間ほどでしかない女性(ひと)で
あろうとも、麻弥は駆け出そうとしていた。
 もう魔術の所為で、人が傷付くなんて……嫌だったから。
「待て。麻弥」
 だがそれをサッと手で制する者があった。他ならぬ、彼女のすぐ傍らに立っていた義兄・
正明である。麻弥は思わずそんな彼の横顔を見上げていた。
 どうして?
 軽く制されているだけなのに不思議と動けない。掌から伝って、感じる。見上げたその横
顔はぶすっと顰められているが、義妹(じぶん)を止めているその心はきっと愛情に満ちて
いたから。
 その直後だった。まるでこのデズモンドの偽者が爆ぜたのを合図とするように、周囲の他
の使い魔(ゾンビ)達もが次々に爆散、同じく濃い緑の毒煙を撒き散らしてきたのだ。
「げぇっ!?」
「こ、こっちも……」
「くっ……。退避! 退避ぃ!」
 それはちょうど外側、一同をぐるりと囲むボーダーを形成していたゾンビ達で。
 巫監の、騎士団の面々がそれぞれ見渡し、顰め、慌てて後退していった。しかしそれでも
毒煙はまるで生き物のようにうねりながら襲ってくる。騎士達の何人かが逃げ遅れて巻き込
まれ、白目を剥いて倒れた。
「囲まれたか……。皆、私達の周りに!」
「瀬名川君も、早く!」
 武蔵、そして凛が叫んだ。共に素早く胸元で印を結んでいる。
 次の瞬間、彼らを中心に半球型の結界が形成された。迫ってくる毒煙がその外郭で受け流
されるようにして流動する。呼び戻された晴が、倒れた同胞を引っ張り出し担ぎ上げた騎士
達が、慌ててその合間を縫ってこの内側へと避難していく。
「聖!」
「こっちは気にすんな、そっちこそ吸い込むんやないぞ!」
 防御結界の中から晴が聖──《虎》に向かって叫んでいた。当人は大丈夫だと言う。見れ
ば白目を剥いて気を失ったクラリッサをひょいと肩に担ぎ、すんでの所でこの毒煙群を潜っ
ているようだ。
「ったく。せやから来るな言うたのに……」 
 聖はチッと独り静かに舌打ちをしていた。一番面倒な方向へ、この女は状況を混ぜっ返し
てきなすった。騎士団だか何だか知らないが、余計な事をしてくれたものだ。
「ひー君!」
 また──いや今度は別の、自分を呼ぶ声がした。
 御門麻弥だった。結界の中で、兄に飛び出さぬよう片手を取られ、それでもこちらを心配
そうに見遣って呼んでいる。早くこっちに──という意図なのだろう。
「……」
 だが聖はその意図に応えなかった。見返しこそはしたが、彼女達の方へ向かうことはしな
かった。
 何処かで“近付いて”はならぬと思っていた、言い聞かせていたからだと思う。物理的に
それを軽く越えてしまえば、気持ちの方もいずれ持っていかれてしまうような気がして。
 とはいえ聖自身、そんなフッと過ぎったイメージは決して口にはしない。ただもっと目の
前の現実、現状として、ただ皆で寄り集まってもこの毒煙が晴れて──自分達を避けてくれ
るとは思わなかったから。
 外側、ぐるりとゾンビ達(やつら)が包囲していたのは、やはり……。
「ちっ……」
 再度、今度は向こうの彼女達におそらく見えたであろう位置で。
 聖もとい《虎》は舌打ちをしていた。
 何で俺が、こいつの尻拭いをせんといかんねや……。
 ちらっと周囲、うねって面々に迫る毒煙の全体を観る。デズモンドが残した面倒な奴らを
見遣る。
 カツン。そして聖はそう脚で地面を押していた。するとどうだろう、まるで彼が合図を送
ったかのように、三度周囲のコンクリートな地面は次々に塊(ブロック)ごと隆起、巧みに
彼自身と麻弥達を毒煙から阻む防壁のようにびっちりと展開してこれを大きく迂回させた。
「毒ガスが……」
 流動する脅威が通り過ぎていく。伴太や騎士達がこの大地の魔法を少なからず驚いて見上
げ、ぐるんと上部で反り返りアーチ状に組み合わさったそれらに目を瞬かせている。
「よくやった! 早く、隊長をこっちに!」
 そうして頷くように叫ぶ副官(エリオット)。彼はこちらに手を伸ばしていた。
 あんたらの為じゃないんだけどな……。まぁいいけど……。
 よっこいせ。存外軽いクラリッサの身体を肩に引っ掛け直し、石壁のアーチと己の後ろ姿
を背景とするように。
 聖はようやく、彼らの方へと歩き出していた。


 第四幕:願いの果て -Finem in volumus-

「──んぅ……」
 それから一体どれだけの時間が経っただろう? クラリッサは随分と長く沈み込んでいた
意識をようやく取り戻すことができた。
「あ。隊長!」
「大丈夫ですか? 自分達のこと、分かりますか?」
 唇から漏れた声。聞きつけてわらわらと取り囲んでくるエリオット以下部下達の姿。
 彼女はぼうっと視界にそれらが映るままにしていた。
 先ず身体を覆っているのは、重ねられたブランケットとシーツだ。気付けばベッドの上。
どうやら自分は寝かされていたらしい。視界の中の天井も見覚えがある。自分達の船か。
「ええ。それで──」
「ご心配なく。母船の中ですよ。流石に停泊場所は変えましたけどね」
 まだ頭が完全に回り切っていない。先んじてエリオットが応え、微笑(わら)っていた。
 とはいえ、彼も内心では焦っていただろう。気を揉んでいただろう。そういう人なんだと
クラリッサは知っているし、信じていたかった。
 彼の言わんとすることが程なくして理解できた。ボートンだ。また彼の刺客が差し向けら
れるか分からない。適切な判断だと思う。
「……エリオットさん。あれから、どうなったんですか?」
 そして彼女は彼らに訊く。
 巫事監査寮との共同捜査とボートンの使い魔達による襲撃、迎撃と彼ら魔術師達の突然の
妨害。そしてあの豹変した少年と、人皮を被った偽者から溢れ出した毒ガス──。
「覚えてませんか? まぁ無理もないんでしょうけど。……自分達は助けられたんですよ。
ソウマ少年に」

 デズモンドの使い魔(ゾンビ)達は、最初の一発を皮切りに全て自爆したようだった。
 聖によって築かれた防壁の中で毒が霧散するのをじっと待つ。そうして外の様子を覗き、
ようやく警戒を解いた頃には、彼らの痕跡は殆ど残っていなかった。デズモンドの偽者がそ
うであったように、隠し持っていた毒を吐き出したことで力尽き、消滅したのだろう。
『呪薬の一種ですね。取り込んだ相手の魔力を乱すタイプの物です。こと魔術師相手にとっ
ては一番厄介な代物かもしれない』
 クラリッサを始めとした、毒煙を吸い過ぎてしまった騎士達を手分けして運び込み、一行
は船の中にいた。急ごしらえで寝台を用意し、彼女達をそっと寝かせる。
 その間にも晴──曰く彼もまた本国(イギリス)の血を引いているのだそうだ──があの
煙の正体を調べてくれていた。
 相手の魔力を乱す魔術薬。あの毒ガスの中にはそれが大量に含まれていたのだという。
『魔力を……』
『デズモンドの野郎、随分と殺(や)る気できたな』
『それで、治るんだろうな? 元はと言えばあんた達が隊長をキレさせたから……!』
『止めとけ。今喧嘩した所で隊長達が目を覚ます訳じゃないだろうに』
 無事だった騎士達は口々に呟き、そしてその悔しさと憤りの矛先を正明ら巫監、この国の
魔術師達に向けていた。
 だがそんな部下達の噛み付きを、他ならぬエリオットが制止する。
 彼らは押し黙った。麻弥や伴太があわやと身を硬くしたものの、一応決定的な溝となる事
は避けられたようである。……他ならぬエリオット自身がぐっと抑えていたからだ。普段は
飄々と笑っているその横顔が、それでも冷静に今を打開しようという強さに満ちている。
『だから手出しをするなって言ったんですよ。奴は、始めからこうなることを目論んで仕掛
けて来たんですからね』
 なのに、また冷や水を浴びせるような。それまで皆とは違って、寝かされている被害者ら
をぐるりと見回っていた聖がそう背を向けたままに言った。声色も纏う雰囲気も、既に平常
時のそれである《羊》に戻っている。
『お、おい。聖』
『臭ってたんですよ。あのゾンビ達は勿論、デズモンドの姿をしたあいつからも生命の気配
がしなかった。偽者だって分かった。この腐臭は……何かを仕込んでる。そう僕らは直感し
たんです。だから気取られる前に、あの親玉を始末しようと思ったんですが……』
 晴が、顰めっ面をした正明以下面々が視線を向けてくるにも構わず、聖は続ける。
 麻弥を始め少なからぬ者が小さく驚き、目を丸くしていた。初耳だった。宗主からの密命
以外に、あの時彼がそんな思考を携えていたとは……。
『始めから、奴は僕らを“妨害”する目的だった筈です。実際、貴方達の戦力はその所為で
一時的に削がれざるを得なくなった。だろう、晴?』
『ああ。この呪薬は魔力を乱すだけなんだ。本来これ単体で殺すようなものじゃない。解呪
を施せばすぐに治るよ。大体もし殺害する意図であったなら、あの煙の中にもっと致死性の
高い毒を込める方が合理的だよ』
『……殺すまでは考えなかった、か。どういうことだい? そこまでしてくるって事は、俺
達が追ってくる可能性は奴の認識にはあった筈だが』
『さてね。自信や技量が無かったか、或いはもっと別の目的でもあるのか』
『……』
 晴に補足を入れさせ、聖はクラリッサの枕元に近付いていた。エリオットと正明、騎士団
と巫監の面々、それぞれの代表格がそう推測と疑問を述べ合っている。
 だがそうした言葉に、聖は結局応えなかった。
 ぎゅっと眉を潜め、苦しそうに眠っているクラリッサ。その傍らに立ち、彼は次の瞬間、
またしても“替わって”いたのだから。
『──それよりも、先ずは彼女達の治療が先よ。私も手を貸すけど、みんな晴の指示に従っ
てくれる? こう見えても彼、万薬の魔術師(マギウス・ザ・メディック)の愛弟子なんだ
から』
 晴を除き、一同はぽかんとしていた。ややあっておたおたと、治療系の魔術に心得がある
騎士達や麻弥、凛といった面子が動き出す。
 何というか……妙に色っぽいのだ。見た目は聖少年のままなのだが、声色や纏う雰囲気が
急に女性っぽくなったというか。
 そう彼──いや彼女(?)は言って微笑むと、そっと片掌をクラリッサの胸元にかざす。
『……うぅ』
 刹那、温かな光が溢れた。
 かざした掌、そこから染み出すようにクラリッサを包む金色の光と、同色に輝く聖の瞳。
 見れば当の彼女が先程よりも穏やかな表情になったようにみえる。正明らやエリオット、
騎士達がめいめいにそのさまを見遣っていた。こと麻弥に関しては口元に手を当て、何やら
ぱちくりと目を瞬いている。
『……あれが《姫》の能力さ。解呪──魔術的ダメージからの回復。正直全員に掛けてくれ
れば、もう僕の出番はないと思うけどね』
『姫? じゃあ、やっぱり女の人……なの?』
『十三人もいるからね。女性の人格がいてもおかしくはないさ。大体、性別すらもはっきり
しない奴も混じってるし……』
 ちらっと麻弥が横目を遣って、晴に問う。岡持ちのような、その金属製の手提げ鞄の中か
ら色々と薬剤らしきものが取り出されたりしまわれたり、彼は確かに医者のような手際の良
さで被害者(クランケ)達を捌いている。
『大丈夫だよ。彼女は穏健な人格だから。それより御門さんも治癒の魔術を。僕は彼らから
毒を抜く作業をする』
『あ。は、はいっ』

「──そう、そんな事が。貸し、作っちゃったわね……」
「そうッスね……」
 エリオット達から眠っている間の顛末を聞き、そっと上半身を起こされたベッド上のクラ
リッサは静かな苦笑いを零すしかなかった。
 明らかにしょんぼりとしている。反省しているのだろう。部下の一人が言っていた『元は
と言えばあんた達が隊長をキレさせたから』という台詞。それが彼女にとっては手痛い指弾
になってしまったのだろう。
(真面目、なんだよなあ。正義感が強いっていうか……)
 エリオットはそう内心で思いながら苦笑し、ばつが悪くて、部下達と顔を見合わせる。
 実はソウマ少年達にも同じようなことを話して──伝えていたからだ。
 その能力を買われて若くして部隊長を任された彼女。その性格は、基本深く狭くで自身の
興味に没頭しがちな魔術師の中にあって、真面目なのである。
 正義感が強く、この場の誰よりも騎士としての自分に誇りを持っている。
 それはむしろ魔術師というより、本物の騎士であるかのような。
 でも……だから、自分達は隊長についていきたいと思う。
 世俗だの魔術界だのという区切りなんて関係なく、誠実であろうとする生き方。それは凄
く眩しくって、だから危なっかしくて……信頼できるし、放っておけない。
 尤もこんな事、小っ恥ずかしくて本人の前で言えたものじゃないけれど──。
「やっぱり只の魔術師じゃなかったのね。万薬の魔術師(マギウス・ザ・メディック)──
二つ名持ちの弟子というのも驚きではあるけど、あれほど多彩な能力を扱ってみせるなんて
大したものだわ。多分、私よりも年下だと思うんだけど……」
「あ、それなんですがね。そっち──ソウマ少年は魔術師ではないようです。どうやら彼は
“魔法使い”なのだとかで」
「えっ!?」
 ぶつぶつ。そうしている間にも口元に手を当て早速真面目に考え込んでいた彼女に、エリ
オットが皆を代表してそう話していた。
 当然ながら驚くクラリッサ。彼は部下達を見、委任よろしく首肯を受け取ると、その彼ら
──巫事監査寮の面々と件の少年二人が彼女達を治療してこの船を去っていく、それまでに
打ち明けられた彼らの事情(みつめいのけん)を伝える。
「……そういう事だったのですか。予め言ってくださればよかったのに」
「まぁ、元々が先方内部での案件ですからねぇ。できることなら自分達で済ませたかったん
じゃないですか? 日本人らしいと言えば、らしいですが」
 一番怒り心頭だった筈のクラリッサは、存外落ち着いて話を聞いてくれたようだった。
 そこは元が真面目というか、筋を通す女性(ひと)というか。エリオットがそう多少なり
とも彼らに皮肉を込めてごちているにも拘わらず、その表情はとても穏やかだった。
 尤もそこには自分たち清十字騎士団としては、デズモンドの身柄さえ確保できればいい訳
で、そこに至るまでの交戦の有無──誰が戦って破ったかまではさして大きなファクターで
はない、という理由もあるのだろうが……。
「魔法使いにも──色んな人がいるのでしょうね」
 やや俯き加減に両手を組み、そうクラリッサは呟く。気のせいか妙にはにかみ、歳以上の
艶が垣間見えた気がする。
「さて」
 だがそれも束の間、彼女は自身の気持ちを切り替えるようにベッドから滑り出ていた。
 寝かされていたために解かれていた髪。それを彼女はサイドテーブルに置いてあったゴム
紐を手に取り、馴れた様子でいつもの緩いポニーテールに結ぶと、早速騎士団の洋法衣に袖
を通そうとする。
「えっ。あの、もう大丈夫なのですか?」
「無理はなさらない方が……」
「ありがとう。もう平気よ。それに結局ボートンは捕まえられていないわ。同じような被害
を出さない為にも、早く見つけなくっちゃ」
 こうしてはいられない。まさに全身でそう語っているようだった。
 部下の騎士達が流石に病み上がりだと心配するが、当の本人はすっかり回復したようだ。
聖──《姫》の能力がよほど功を奏したのか。
「あ。そういえば隊長」
 笑みを返すそんな上司に、エリオットはそこでふと思い出した。
「実はその彼から、言伝がありまして……」
 袖を通して身も心も切り替えた彼女に、彼はややあって取り戻した、いつもののんびりと
した声色で言う。


『……貴方達は“魔法使い”に対する認識が甘いんですよ』
 それはクラリッサ達の治療が一段落し、面々がその回復を待っている中で、聖──《羊》
が口にした言葉だった。
 始めは漏らすように、だがそれは明らかに助言もとい警鐘とも取れるような。
 ようやく場、船内の空気も解れた所でそんな批判をされたものだから、騎士達の少なから
ずが不快に表情を染めていた。
 一度上官(エリオット)に制されたこともあって今度はあわや喧嘩にとまではいかなかっ
たが、それでも麻弥や伴太が「またか」と不安げに、正明に至ってはさも聖が彼ら騎士達と
いざこざを起こすのを待っているかのように静観の構えを取っている。
『魔法は、代償を払ってでもその人間が手繰り寄せた奇蹟です。そこには必ず願いがある。
たとえ“世界を敵に回してでも”叶えたいと願ったものがある筈なんです』
 しかし当の聖はそんな面々を直接見ている訳ではなかった。
 ただ背を向け、並べられた即席の寝台で眠るクラリッサ達を眺め、そう何か──沸き立つ
衝動を抑えているような、そんな雰囲気を音もなく色もなく放ちながら呟いていたのだ。
 エリオットが正明が、眉間に皺を寄せる。但し両者には気付きからの思案、不信を前提と
した侮蔑という異なる感情が混じっていた訳だが。
 騎士達が、凛や武蔵、伴太が黙している。彼らは共にその言葉の意図する処──妙に物騒
な比喩を用いるその意味を各々に想像していた。
『……これは、まだ仮説の域を出ないのですけれど』
 そして麻弥は、そんな彼の、すっかり変わってしまった幼馴染の背中を哀しげに見つめて
いた。少しでもその胸中に痛みに寄り添おうと、必死に理解しようとしていた。
 そっと聖が踵を返す。その表情(かお)は神妙そのもので、そこだけを切り取れば私情す
ら許していないようにも思える。ただこの一件を、同じ“魔法使い”による不穏を、より根
底から質そうとしているらしいさまが窺えた。
『騎士団の皆さんにお願いがあります。デズモンドのこと、もっとよく調べてみてはくれま
せんか? きっとある筈です。彼が英国(ほんごく)で事件を起こした動機も、こんな所に
まで逃げてきた必然性も、何より魔法使いになった理由(わけ)も』

「──」
 港湾地区での一件から数日が経っていた。
 あれだけの被害者が出たのに、街は今日も変わらずに回っている。
 それは今まで通り、魔術(こちら)側と科学(あちら)側が境界を越えないさまであるの
だが、流石に今回ばかりはそんな魔術師の“常識”が余計に胸を痛めるように思う。
「あん? 何だよ、あんたら」
「無駄口叩くな。訊かれた事だけ答えりゃいい。俺に嘘は通じない」
 この日、麻弥は正明と武蔵、そして騎士団の魔術師数人を加えたメンバーと共に昼間の繁
華街を往き、地道な聞き込みを続けていた。一人また一人、路地裏に溜まっていた者達が正
明の言霊を受けて、とろんと色彩を失った瞳になっていくのを見る。
 ──クラリッサ達の窮地は、他ならぬ聖によって救われた。
 また新たな、治癒の力を持つ魔法(じんかく)が呪薬のダメージを癒し、程なくして彼女
達の容態は落ち着いたのだ。
 打ち明けざるを得なかった。当の聖自身はあれを偽者だと看破していたらしいとはいえ、
これ以上彼女達に腹に得物を持って近寄るのは不可能だった。
 それでも幸か不幸か、一番割を食ったであろうクラリッサが後日許してくれた時には正直
酷く安堵し、どっと内心疲れたものだ。兄達はそうでもなかったが、宗主より密命があって
からというもの、後ろめたさはずっと纏わりついていたから。
 クラリッサ曰く『事情は分かった。ボートンをその場で殺さないのであれば、協力関係は
引き続き維持したい。本部への報告もこちらで後手に回しておく』……と。
 今はその聖──思いがけず現れた“味方の魔法使い”からの要請を受けて、彼女達はデズ
モンドの身辺を改めて調査している。現状、本部へ照会したその返信を待ちながらこうして
騎士達と共々複数班に分かれ、未だ姿を見せないデズモンドの足取り・居場所を追っている
ところだ。
 もしかしたらもう、別の街に移っているかもしれない。
 それでも、自分達にできることがあれば全部やっておこう──それが目下の方針であり、
事実彼について“何も知らない”自分達にできる限界でもあった。
「……」
 街の、その中でも目立たない所目立たない所、魔術側の人間が潜みそうな「裏」の場所を
中心に当たっていく。
 だが麻弥が先刻からずっと気を重く、悶々としているのは何もそんな現在地の放つ空気で
はない。……他でもない、聖のことだった。
 彼は言っていた。自分達が魔法使いという存在を甘くみていると。
 魔法は本来人の身には余るほどの奇蹟であり、本来その高みに研鑽で近付こうとする魔術
の精神を蔑ろにするものだ。しかし彼は言う。彼ら魔法使いは──デズモンドは、そうした
本来ならば届かないような奇蹟を半ば力ずくで手繰り寄せた者達であると。決して小さくは
ない代償を払ってまで手にしようとした、強烈な“願い”の持ち主であると。
 それは彼が真摯である所以か。いや……多分違う。おそらく相手の願ったものが何か分か
れば、その魔法の正体が分かる──そういった戦略的な意図なのか。
 あの時、彼は抑えていた。抑え込んでいた。
 あれは怒りだったのだろうか? 哀しみだったのだろうか? それとも戦いに狂喜する己
を、別の己が戒めている姿だったのだろうか?
 分からない。自分にはそれすらも、彼が何を思っているのかも、分からない。
(ひー君……)
 そう、分からないのだ。彼が分からない。十年前は、あの事件に隔たれる前までの幼馴染
の男の子は、あんなにも穏やかで優しかったのに。
 彼は言っていた。魔法使いには必ずその力を願った“理由”がある筈だと。
 ……では、当の彼自身は何なのだろう? 魔法に手を染めてまで、自分自身というとんで
もない代償を払ってまで得たかったものとは、一体何だったのだろう? そして何故、その
結果が十三もの魔法──を操る別人格達なのだろう?
 胸がざわつく。どうしようもなくわざつく。だが……今はそれだけじゃない。
 彼女だ。騎士団の船の中で現れた、あの《姫》と名付けられた魔法、十三人の内の一人。
 見覚えが、あるのだ。
 いつ何処でだったのかもはっきりとはしない。だけどあの佇まいを能力(ちから)を見た
瞬間、自分の脳裏に過ぎるものがあった。
 何だっけ? 何故だっけ?
 遠くに点々と赤が広がっている。その怖いほどの鮮やかさと拮抗するように深い黒が周囲
を包んでいる。
 掌だ。そんな中にあって、自分に近付いてくるものがあった。
 それが、あのような掌。金色に輝く手。蘇りそうで蘇ってくれない。
 それはとても温かくて包み込んでくれるようで、その時「もういいや」と諦めかけていた
自分をそっと救い出してくれた──。
「外人の、おっさん……」
 ちょうどそんな時だった。麻弥の意識ははたっと、そう虚ろな眼をして呟く市民の声によ
って現実に引き戻されていた。
 こちらが物思いをしている間も、兄達は聞き込みを積み重ねていたようだ。気付けばとう
に違う別の男女らを路地裏にそれとなく追い詰め、その言霊で以って支配している。
「そうだ、この男を捜してる。よーく思い出せ。見たことはないか?」
 正明がそう示しているのは一枚のフルカラー写真だった。
 デズモンド・ボートン。だがそれは最初クラリッサ達に見せてもらったものとは別の、在
りし日々とは激変してしまった彼の近影だった。
 何でも英国(ほんごく)で事件を起こす少し前の姿なのだそうだ。例の詳しい再調査が始
まった頃に送られてきたものらしいが、先の「穏やかな紳士」というイメージとは程遠い。
 アッシュブロンドはすっかり白髪に変わってしまっており、髪全体もばさついたそれに。
顔はげっそりと痩せこけ、両目に隈が出来て不気味ですらある。
 まさか聖がこの事を知っていた、という訳ではなかろうが……これは確かに、彼に一体何
があったのか? 知りたくならずにはいられないだろう。
「……白髪の、外人。この街で……」
 ぼうっと、この男女数名のグループは呪文のように呟いていた。
 それでも言霊が効いているからなのか、互いに記憶を確かめ合うといった行為はしない。
ただ色彩を失った眼で中空を見つめ、正明に命じられるがままにその記憶を辿っているだけ
である。
「……ある。いた」
「……うん、見た」
「ッ!? 本当か、何処だ?」
「ここみたいな、裏路地。何か一人で、辺りをぺたぺた触ってたっけ……」
 成果があった瞬間だった。ややあって彼らが、本人すらも意識していなかった記憶の像を
辿りおぼろげながらその証言を始めると、武蔵と周りの騎士達(流石にスーツ姿である)が
一斉にメモを取り出した。正明も「ふむ」と口元に手を当て、ふいっと考え込み始める。
「麻弥、地図を出してくれ。こりゃあ他の証言(しるし)とも──」
 肩越しにちらっと眼を向けられて言われ、麻弥はコクコクと頷くと肩に引っ掛けていた鞄
に手を伸ばしていた。
 がさがさ。この街の地図を広げる。
 そこには既に、幾つかの色のペンで印が書き込まれた、デズモンド出没ポイントの記録が
作られ始めていて……。

 時を前後して、瀬名川邸。
 その日も放課後になり、晴は家に帰って来ていた。
 一旦自室で着替えを済ませ、暫しリビングで一服を。その後聖がやって来ないことを悟る
と彼は一人、アリスの研究室(ラボ)へと足を運ぶ。
「ああ、お帰りなさい。……聖は?」
「帰って来てるよ。屋上(うえ)じゃないかな? また風に吹かれてるんだと思う」
「そう……。まぁいつも通り使い魔(ファミリア)で観ておくわ。コーヒーでも飲む?」
 いつものように、何となしに顔を合わせて時間を共有する母子(おやこ)。これもいつも
のように、白衣を引っ掛けたアリスはそっと踵を返すと室内の片隅へと歩いていった。
 種々様々な色合いの薬剤が試験管に入れられて、静かに泡立っている光景。
 そんな怪しい、ケミカルな雰囲気と気持ち隔てるように、つい立一枚向こうに設えられて
いるシンクで彼女はインスタントコーヒーを淹れ始めた。晴はぼうっとそんな母の背中を様
子を眺めている。
 うん。ちゃんとカップを使ってる。今日は忙殺されてはいないらしい。
 時々母さん、空きのビーカーで飲み物を淹れてくることがあるからなぁ……。
「はい。どうぞ」
「うん」
 特にどうこうと指示を受ける訳でもなく、比較的空いているテーブルに着く。アリスも自
身の分のカップを片手に座り、ほうっと静かに一息をつく。
 ……期せずして休憩を与えることになったみたいだ。
 晴は数度、カップに口をつけながらそうぼんやりと、だがある種一定方向に揃った悶々を
抱えつつも訊ね始めた。
「その、さ。あれから当局から、何かされてない?」
「? 何かって?」
「具体的にと言われると、すぐには浮かばないけど……。母さんの研究とか、普段の生活を
邪魔してくるようなことはない? ってこと」
「……大丈夫よ。魔術薬の件は解決したじゃない。まぁ確かに、魔法使い(ひじり)を匿っ
ていることは、前よりも知れ渡ってるみたいだけどね」
 フッとアリスは小さく苦笑(わら)っていた。だが対する晴はきゅっと唇を結んで気持ち
眉を顰めている。
「私ならいいのよ。あの子を引き受けた時から覚悟は決めてたんだから。それよりそっちは
どう? 例の魔法使い──ボートンは見つかった?」
「ううん、まだ。巫監と騎士団が聞き込みを続けているけど、本人は今も隠れたままだよ。
だから現状は待機。聖や、僕の出番じゃない」
 本心を言えば、このまま何処か遠くに行ってしまえばと思うこともあった。
 だが晴はそれらを口に出す事はしない。それは一つに魔術師として無責任だし、何より聖
の今後を保障しうる材料(きかい)を捨てることでもあるからだ。
 母への心配。だがその当人はそれとなく、話題を別のそれへと向けさせる。
 魔法使いに堕ちた男、デズモンド・ボートンを同じく魔法使いである聖が破ること。
 それは巫事監査寮が矢継ぎ早に下してきた密命であり、尚も巻き込んでくる理由であり、
そして権力連中(むこうがわ)が侵してきかねない、手前勝手な不安やら恐怖心やらを鎮め
る為の方策でもあって……。
「そう……。早く捕まって欲しいものね。この前だって、こっちでも騎士団の何人かが犠牲
になったらしいじゃない?」
「……?」
 そこでふと、晴は違和感を持った。
 “犠牲”になったという表現。彼女はまさか。
「母さん。もしかして、ちゃんと聞いてはいないの?」
「え?」
 晴は改めて話して聞かせることにした。
 先日、騎士団との合同調査が始まったその当日、港湾地区でデズモンドの使い魔達による
襲撃に遭ったこと。そこでデズモンドの偽者が現れたこと。その意図を真っ先に察知した聖
が倒しに掛かったが、クラリッサの特攻により毒煙が撒き散らされてしまったこと。そして
そんなヘマを、倒れた彼女達を、他ならぬ聖が救ったこと。
「……そうだったの。私はてっきり……。でもあの子、そこまで詳しく話してはくれなかっ
たわよ?」
「そういう事か。報せるくらいはしておくべきだったかな……。少なくともまだ犠牲者は出
ていないよ。聖──《姫》が出てきてくれたし、デズモンドの側も本気で殺す気はなかった
のかもしれない。あくまで邪魔するのが目的、みたいなことを聖も言ってたけれど……」
 案の定、アリスの把握にはぽつぽつと抜けている部分があった。
 デズモンド側からの強襲、クラリッサ以下幾人かの被害者。
 聖のやつ、自分が助けたってことを母さんに話さなかったのか……。晴は言いながらも、
そう口元にそっと手を当てつつ思案を巡らせる。
 少なくとも今回の件は母さんには無関係だ。だから奴は自分と聖、巫監や騎士団達の内で
終わらせたい思っていたのだけど……。
「恥ずかしかったのかな? あいつってば普段、他人に肩入れする事も少ないし」
「かもしれないわね」
「はは。でも、こう言うと本人には悪いけど……いいじゃないか。それって感情でしょ?
人間的というかさ。あいつも……少しずつ変わってきてくれてるのかも」
 だから苦笑し、だから微笑ましくもあった。
 晴は思う。たとえ原典(オリジナル)の人格がいなくなっても、相馬聖という人間は案外
やり直せるんじゃないか? そんな事を。
「……晴」
 だがしかし、一方のアリスはそうは思わなかったらしい。少し冷め始めたコーヒーを再び
口へと運び、スッと細めた眼でこの息子を見つめながら言う。
「忘れないで。あの子は“空っぽ”なのよ。本来の器と中身が違っている──根本的に齟齬
をきたしながら存在している子なの」
 晴もまたピシリと、その表情を硬くした。他ならぬ目の前の母から冷静な「事実」を突き
つけられ、諭されていた。
「魔法使いの中でも特殊なケースなのよ。解っているでしょう? あの子はずっと、相馬聖
という記憶(ちしき)を着ているだけなのよ。だから……彼らが“人間”に近付けば近付く
ほど、その苦しみは大きくなるんじゃないかしら」
「……」
 嗚呼そうだ。自分だって解っていた筈なのに。解っていたつもりなのに。
 長い時間を一緒に過ごしてきたから、というのはおそらく間違いない。
 魔法使い。母に保護され、監視下に置かれた魔法使い。
 だけども自分は、瀬名川晴は──彼を“義弟(かぞく)”だと認識している瞬間がどうし
ても増えているのだ。
「気を付けなさい。いざという時、貴方にだって鎮静剤を打つ義務があるんだから」
「……うん」
 同居人として、監視すべき他者として。
 自分達はその“距離”を見失ってはいけないのだと、改めて知る。
『──?』
 ちょうどそんな時だった。ふとこの地下の研究室(ラボ)にも、来客を告げる呼び鈴の音
が拾われてきたのだ。
 ぽんっと部屋の一角にオレンジのランプが点る。その下に付けられたインターホンの映像
から、その来客達が二人にとって見知った顔であることが分かる。
 晴とアリスはコーヒーブレイクを中断し、二人して玄関に出た。気付けば辺りはすっかり
日が沈み、暗がりになりつつあった。
「あ……こんにちは。あ、いや、もうこんばんは、ですか」
「お忙しい中、失礼します。相馬君が頼んでいた例の資料、持って来ましたよ」
 来客は伴太と凛。
 彼らは小脇に抱えた書類の束を差し出し、そう用件を告げる。

 闇は次第に深まっていく。潮ノ目の街は徐々に眠りに就こうとする。
 そんな中で、照明一つ点いていないとあるビルの一フロアで、一人の人影が黙々と作業を
続けていた。
 カリカリとチョークを床に走らせる。その身体はふらつき、弱っているように見えるが、
その人物は己に鞭打つようにその手を休めない。
 やがて円が描かれた。中に何重にも重なった星型、不可解な文様がびっしりと並ぶ。
「──」
 彼は嗤っていた。白髪の、痩せこけた中年の外国人男性。
 灰色の支柱群と暗がりの中で、デズモンド・ボートンは暗闇にその表情を隠して嗤う。


 その翌日だった。
 早朝、麻弥たち巫監の面々とクラリッサら騎士団の面々、そして晴は聖から連絡を受けて
ある場所に集合していた。
 潮ノ目タワー──市内中心部に建ち、同市の観光スポットにもなっている電波塔だ。数年
前に大規模な改装が行われた現在、その外観はよりお洒落になり、市内で最も高い建造物と
して今日も街の人々を見守っている。
「何でこんな朝っぱらから……。俺達はあいつの助手じゃねぇんだぞ」
「あ、はは。まぁまぁ」
 三者が集合して内部へ。本来の開場時間はもっと後なのだが、そこは正明らの言霊で事務
局の人間を操り、何とでもなる。
 ぶつくさと不機嫌な兄を苦笑いしながら宥めつつ、麻弥達は最上層へのエレベーターに分
乗していった。箱のような内部、そこにはじっと背を向けて出入り口正面に立っている聖と
操作ボタンの前で階数表示を見上げている晴の姿がある。
 程なくして、最上層の展望台フロアまで一同はやって来た。当然だが他に人影はない。
 しかし聖の目指す場所はまだ先だったようだ。晴に言って言霊を使わせ、連れてきた係員
に関係者用階段への扉を開けさせる。カツンカツン、聖はただ神妙を貼り付けた表情でそこ
を登って行った。晴、そして麻弥達一同もその後に続く。
「……ねぇ、ソウマ君。一体何故こんな所に来たの? どうやって貴方はボートンを見つけ
出したというの?」
 道中、クラリッサが問う。それは晴を除く一同全員が疑問に思っていたことだった。
 何せ聖(かれ)からの連絡が寝耳に水だったのだ。
 曰く『デズモンドを倒しに行きます』だ。驚き、不審に思うのは無理もない。
「……そうですね。ざっと話しておきましょうか」
 振り返らずに聖──《羊》は言った。ちらっと彼と並行している晴が肩越しにこちらを確
認してくる。
「厳密にはまだ当人を見つけた訳じゃないです。でも大よその居場所と奴の魔法使いとして
の詳細は掴んだつもりです」
 驚きと、疑心。
 麻弥や伴太、クラリッサといった“素直な”面々は前者の、正明やエリオットのような彼
を“警戒”している面々は後者の感情を、各々そこはかとなく表情に漏らす。
「確証が持てたのは昨夜です。頼んでいたデズモンドについての資料、それと御門さん達が
一生懸命集めてくれた奴の足取りが全てを繋げてくれました。目を通させて貰いましたよ。
僕の予想は間違っていなかった。奴は……とうに壊れていたんだ」
 カツンカツン、金属板が剥き出しの螺旋階段を一歩一歩登っていく。
 聖は言った。その声は静かで、だけどじっと何かを叫びたくなるような激情を抑えている
ようにもみえる。
「そもそもの始まりは十七年前にありました。デズモンド・ボートンはその日、妻を流産で
亡くしています」
 ぽつり。その言葉に事実に、特に反応したは麻弥やクラリッサだった。こと麻弥において
はその一説だけで想像してしまったのか、はたっと口元を押さえて青褪めかけている。
「資料に補足されていた当時の住人達の証言、ボートン夫妻の結婚した年と彼女の亡くなっ
た年……そこから推測するに、彼らは中々子に恵まれていなかったようですね」
 流産による死亡。それは否応なく突きつけてくる。
 彼は一気に失ったのだ。妻と我が子になる筈だった赤子、愛する二人分もの生命を。
「哀しんだ筈です。悔やんだ筈です。怒った筈です。どうしてこんな事になったのか? 妻
を喪わなければならなかったのか? ……もっと早くに諦めていれば、こんな結末にはなら
なかったのではないか?」
 カツン、先頭を行く聖が踊り場の一つに差し掛かった。自然そこで麻弥達は彼の横顔を目
の当たりにすることになり──その酷く冷静な佇まいに息を呑む。
「妻子の復活──。十中八九、それが彼の“願い”でしょう。資料によれば奴の魔術師とし
ての専門分野は魔力力学、魔力の流れを制御する分野。そして実際、僕達の前に差し向けら
れた使い魔はゾンビと言う他ない姿をしていた」
『……』
 一同は黙するしかなかった。
 魔法使い、奇蹟を無理やりに手繰り寄せた邪法の者、忌むべき存在──。
「で、でも! 十七年ですよ? 妻子を復活させるにしたって……」
「だから壊れていると言ったんです。奴にはもう世間で云う真っ当な頭はない。むしろこの
十七年は本人にとって、苦しみもがき続けた十七年だった筈だ。そうしておそらく、最後に
縋ったのが魔法だったんでしょう」
 クラリッサが唇を結ぶ、ふるふると首を横に振る。だが聖はそれでも彼女達に振り返る事
すらなく、ただ淡々と階段を登り続けていた。
「これは晴やアリスさんから講釈を受けて補完した部分なんですけどね。具体的には、奴の
得た奇蹟(まほう)は“反魂”だと思われます。科学ですら説明できない、死の向こう側に
逝ってしまった者をこちらへ呼び戻す術──。肉体(うつわ)の方は割合簡単ですからね。
物質的な組成は判っている。後はそれに魂を埋め込んでやればいい」
「……差し詰め“屍霊使い(ネクロマンサー)”といった所か」
「なるほどねぇ。だから奴の使い魔はゾンビだったって訳か」
「あれが、人? そんなの……」
 武蔵や正明が、努めてそう分析的に理解しようとしていた。一方でクラリッサなどはその
推理をすぐには受け止めることができず、深く眉間に皺を寄せている。
 麻弥の青褪めた顔は更に酷くなっていた。
 流石にこれを放ってはおけず、正明や凛、伴太が速度を落として寄り添い、そっとその背
中を擦るなどしてあげる。
「でも、それだけじゃ駄目よ。魂が定着しないわ。どれだけ反魂の能力を使っても繋ぎ止め
られない。精神──自我(こころ)に相当する部分が必要よ。両者を満たし、繋ぐ保護液と
でもいうのかしらね。大体心が、記憶がなかったら……仮に蘇らせる事ができてもボートン
自身が救われることはない……」
 睫毛を伏せがちに凛が言った。正明や伴太と共に麻弥を励ましつつ、そういち魔術師──
式神、擬似生命の専門家としての意見を述べる。
「ええ。それは僕も母さんも訊かれた時に言いました。でも」
「だから必要としたんですよ。無いなら補充すればいい。精神──それに限りなく近いエネ
ルギーを、貴女たち魔術師はよく知っているでしょう?」
「……まさか」
「魔力……。くそっ、そういう事か!」
 だが晴から継いで聖が次の述べたその一言に、場の面々はようやく理解したようだ。ある
者はそう叫んで唇を噛み、またある者はその無謀さに目を丸くし、ないし深く眉を顰める。
 聖曰く、それが英国(ほんごく)でデズモンドが事件を起こした動機だという。
 魂は取り戻せる。だがその者をその者たらしめる心が、記憶までが戻ってくる訳ではなく
放っておけばいずれ肉体と魂は遊離してしまう。
 精神の蒸発、心と体の剥離──それが魔術的解釈における死という現象の本質だ。
 故に“生かし続ける”為には、代わりが要る。
 大量の魔力。精神と起源を同じくする神秘の側のエネルギーが。
「……結果的に奴は失敗した。制御が上手くいかなかったのか、或いは必要な量が足りなか
ったのか。少なくとも町丸々一つをモルモットにした訳です。そして今も尚、奴は逃げ続け
ている。その目的を、果たせていないから」
 最初、聖は直接そうとは言わなかった。
 だがもう皆には理解が及んでしまっている。彼の言わんとすることが、何故突然皆を集め
てこんな所にやって来たのかが……。
「まさか、またやるつもりだっていうの? この街で、あの魔力喰いを!?」
「他に考えられません。実際、奴はこの街に流れ着いてから市内を大きく転々としている。
御門さん達が作ってくれた地図のおかげです。奴はこの街に“場”を──自身の魔術領域を
作ろうとしている」
「……チッ。やっぱそういう事かよ……!」
 正明がそうあからさまに舌打ちをし、一同に緊張が走った。
 聖(かれ)が、資料が届いた昨日の今日に動いたというのは、そういう事なのだ。
 魔法使い。彼らが魔術師達にとって忌み嫌う対象である、その理由……。
「資料から計算するに、この街の人口は奴の住んでいた町に比べて約三.八倍。制御の精度
は奴自身の力量によるけれど、潜在的な魔力の量は前回よりも改善される筈です」
「そんなこと……! 絶対にっ、させない!」
「勿論」
 ぐっと涙を堪えて立ち直り、叫んだ麻弥。聖はようやくちらりと肩越しに彼女を、後ろの
面々を見遣ると、登り終えた階段の先を開け放っていた。
 飛び込んでくるのはまだ冷やっこい外気。目も眩むような高所からの風景。
 そこは展望台から更に上、設計上可能な限り登り詰めた潮ノ目タワーの頂上付近だった。
 円形に張り出している構造物、そこに聖達は内階段から出て来た格好になる。
 伴太や騎士達の何人かがごくっと、その高さに息を呑んでいた時だった。はたと聖は一人
この縁に向かって歩き始めると、足場のあるその限界で立ち止まり、一度静かに深呼吸をし
たように見えた。
「──まったくもう。《羊》ってば回りくどいことするよねぇ。さっさと捜してぶっ飛ばせ
ばいいのにさ?」
 そんな、次の瞬間だった。何となく気配が変わった……そんな気がした直後、聖はくるり
とこちらに振り返りながらそう屈託なく笑うと、言ったのである。
 また替わった──麻弥達はこれまでの経験からそう直感していた。
 表情は先程と打って変わって解け、妙に人懐っこく自由な感じ。声色も少年のそれからや
や幼めの少女のものへと変わっているように聞こえる。
「え、えっと……。聖く──《羊》さんとは、また別の人?」
「うん。ボクは《燕》、風の魔法使いだよ。奴を捜すなら任せておいて? 感覚の鋭さには
自信があるんだー。あっそうそう、あの時奴の偽者が臭うって気付いたのもボクだからね。
感謝してよ?」
 妙に元気な人格だった。麻弥が誰からにともなく代表して訊ねていたが、存外に矢継ぎ早
な言葉を発してくる彼、もとい彼女につい押され気味になってしまう。
「……」
 またくるり。《燕》は頂上の際に立って佇み始めた。
 いや、じっと集中しているのだ。そっと目を閉じ、耳を澄ませ、この広い潮ノ目の街全体
を“視て”いるらしい。
 港湾地区や山麓方面は除外だ。人が多くない。奴の目的を考えればより人々の集まる──
それこそ繁華街やオフィス街、市の心臓部の何処かに拠点を構えている筈である。更に狙っ
てくるであろう時間は正午辺り。最も人の出が多くなる時間帯。だからそれよりも早く行動
を起こし、先手を打って、その身柄を確保するつもりだった。
 脳裏に、正明達が作った印付きの地図の像を呼び起こす。
 一見無意味にみえる点々としたそれら。だが注意深く法則性を──これらが大きく円を描
くその外周の一部だと仮定すれば、自ずとその中心部が見えてくる。
 魔術領域の中心。奴が騎士団を襲って時間稼ぎをしてまで作ろうとしたもの……。
「……見つけた!」
 くわっと目を見開き、その瞳が白く輝いていた。
 だがそれも刹那、聖はぐんと駆けると、そのまま身体一つで飛び降りてしまう。
「えっ!?」
「ちょっ──」
 しかし心配する必要はなかった。思わず強張って目を瞑りそうになりながらもその姿を追
ってみると、既に《燕(かのじょ)》はさも空中でスノーボードをするが如く滑空、あっと
いう間に遠くへ飛んで行っていたのだから。
「……なんだ。飛べるのかよ」
「らしいな」
「あれ? でもこれって、僕たち置き去りってことじゃあ……?」
「追いましょうか。どうやらデズモンドを見つけたようだし」
「そ、そうですね……」
「隊長!」
「……私が彼を追って先行します。エリオットさん、皆を連れて続いてください。念の為、
現場周辺には順次人払いを」
「はっ!」
「了解ッス」
 麻耶達があたふたと来た道を戻り始めた。エリオット以下騎士達もこれに続く。
 そんな中でクラリッサだけは皆と逆方向──聖が飛んでいった先を見据え、跳躍、足元に
出現させた魔法陣を踏み台のようにし、次々と蹴って跳び上がりながら高く高く空中を進み
始めたのだった。
(……ッ、何て速さなの。あれが、魔法使いのポテンシャル……)
 本人は風の魔法と言っていた。属性ならば自分も同じだ。
 なのに中々どうしてこうも大差があるものか。こちらは文字通り空を蹴っているが、対し
て向こうはまるで風の流れ自体に乗っているかのようだ。

「──見つかってしまったか。想定よりも早い……」
 その一方で、相対するべき彼も聖達の動きに気付き始めていた。
 魔法使いデズモンド・ボートン。昼間から薄暗い空きビルの一フロアで、彼は自身の魔術
領域に同類の侵入者が近付いてくるのを察知する。
「だが、止める訳にはいかんのだ……。準備なら整っている。予定を、早めるしか……」
 総白髪になり、痩せ衰えた身体。それでも彼はぶんっと、苛立たしく片腕を振る。
 足元にはチョークで描かれた大きな魔法陣。それらは外周から螺旋を描くように線を延ば
しており、フロア外へ、そして設えたこの魔術領域各地へと接続する。
 わらわら。彼の周囲から、あちこちの物陰から、使い魔達が現れ始めた。
 それはまごう事なきゾンビの群れ。彼がその唯一無二の目的の為だけに「実験」を重ねて
きた結果、産物の果て。
 そんな者らの中に在って濁ったような、彼の両の瞳。
 その傍らで虚ろに佇む、くすんだ肌の胎児を抱くのは、一人の女性のゾンビ。
「もう少し、もう少しなんだ……。邪魔は……させん」

 まだ日が昇って程ない筈なのに、空が急に暗くなり始めた。
 朝の通勤・通学時間帯、人々は何事かとめいめいに天を仰いでいる。
 そんな時だ。突如赤黒い魔法陣が出現したかと思うと、そこから文字通りのゾンビ達が湧
いて出てきたのは。
「あの野郎……。滅茶苦茶しやがる」
 大急ぎでタワーを降りて来た正明達が見たのは、そんな使い魔らの出現に悲鳴を上げ、散
り散りに逃げ惑う街の人々。それでも狙いはこちらだったのだろう。一行がタワーの正面入
口から出てきたのを見て、彼らは低い唸り声を上げながらこちらへと近付いてくる。
「足止めする気だな」
「みたいね。さっき式神を飛ばしたから、相馬君の方角はおおよそ掴んでいるけど……」
「突破するぞ! この分だといつ魔力喰いを始めるかも分からねぇ!」
 正明ら巫監、そしてエリオットに率いられた清十字騎士団の面々が一斉にこのゾンビの群
れへと向かっていった。退魔刀を抜く、右腕を隆々とさせる、獅子の式神達を繰り出す──
その第一陣を務めたのは正明達だ。
「折れろ、砕けろ、死人(しびと)にゃ地べたがよく似合う!」
 言霊が炸裂した。
 瞬間、ゾンビ達の四肢は見えない力でぐしゃりと折れ、砕け、その場に崩れ倒れて満足に
動けなくなった。逃げ惑う人々らの為だ。先ずは彼らの身の安全を確保せねばならない。
「伴太、結界を張れ! 出来る限りでっかくだ!」
「ルーンを刻め! “人払い”と“忘却”を!」
 正明が、エリオットがそれぞれ仲間達に指示を飛ばしていた。
 伴太は鞄を開けて全方位にワイヤーを射出、ぺらりとその先に貼られた御札同士の力が結
び付き合い、この現場とそれ以外を隔て始める。
 騎士達は散開しながら逃げ惑う人々の方へ。魔力を込めた指先で宙にルーン──力ある文
様を描くと彼らをとろんとした瞳にさせ、現場から逃がしていく。
 武蔵がその巨腕で次々に数体まとめて殴り飛ばし、凛の式神達がゾンビを噛み千切る。
 戻ってきた伴太が小型拳銃な術具で霊弾を放ち始め、麻弥も哀しく眉を潜めながらも破魔
蔓の輝く矢をゾンビ達に一射、一体一体をその人皮ごと成仏させる。
「不死者(アンデッド)、となれば……」
 そしてエリオットが小さく呪文を唱えていた。
 横に握った鎚(メイス)の矛先、その腹部分にサァッと掌を走らせると、そこには輝きな
がら刻まれたルーンの文字列が現れる。
「せいっ!」
 退魔刀を振るっていた正明、その背後から襲い掛かろうとしていたゾンビ数体を、彼のそ
の一撃が叩き伏せた。
 しかもそれだけではない。得物に刻まれたこのルーンの力が、攻撃を受けたゾンビ達を皆
一様に蒸発させ、そしてそのまま無に還していったのである。
「……やるな」
「そっちこそ。流石はサムライの国かい」
 だが敵の数が減っているようには見えなかった。倒せば倒すほど、減らせば減らすだけ、
また何処からともなくゾンビ達は現れる。じりじりっと、正明達はこの使い魔らに包囲され
てしまっていた。
「……キリが無いわね」
「だねぇ。まぁ、その内“残弾”は尽きるかもしれないが……」
「そ、そんなの相手の思う壺ですよ。早く彼を止めないと!」
「麻弥の言う通りだ。おい、瀬名川!」
 互いに背中を預けながら外向きの円陣を組み、これと向かい合う。
 しかし埒が明かない、時間が惜しいと判断したのか、正明は同じく水ゴーレムを操ってい
た晴に向かって叫ぶ。
「道を作る。先に行け! 相馬聖(あのまほうつかい)を一人にしちゃ拙いだろ!」
 爆ぜ飛べッ!! 言って正明は再び言霊を放ち、包囲してくるゾンビ達の一角を爆発させ
てみせた。試験管に一旦ゴーレムの核を戻し、晴は「すみません」と神妙な面持ちで会釈を
向けながら、その出来た隙を縫って駆け出す。
『隊長、今何処に……』
「さっきの電波塔からほぼ真西よ。ルートを指示するわ、急いで」
 一方でクラリッサは中空を跳び続けていた。だんっと降下し始める先の宙に魔法陣を出現
させ、トランポリンの要領で再び高く舞い上がるのを繰り返す。
 風の魔術、その応用で彼女は地上の部下達と連絡を取り合っていた。
 視覚や聴覚を始めとした、あらゆる己の感覚。
 それを彼女は、どんどん先へ飛んで行ってしまう聖を追い捉えることに集中させている。
(彼が向かっているのは……あのビルかしら? 半ば放置された感じね。隠れ家にするには
もってこいだわ)
 そうして必死に追い掛けている途中だった。ふと眼下を見ると、巫事監査局の面々と部下
達が足止めと思しきゾンビ達と戦っている。そこに爆ぜた数拍の間隙を縫い、あのハーフの
少年が駆け出していくのがみえた。
「セナガワ君」
 一瞬だけ空中で考え、クラリッサはぐんとその地上へと降りて行った。
 駆ける晴のすぐ先、その地面ぎりぎりに魔法陣をマット代わりに出現させ、降り立って彼
に話し掛ける。
「ソウマ君の所に行くんでしょ? 連れて行ってあげる」
「! 聖の向かった先、分かったんですか」
「ええ。多分あのビルだと思う。急いだ方がいいのよね?」
 晴は少しだけ警戒していたようだったが、すぐに頷き、近付いてきた。クラリッサも早速
彼を共に上空へ運ぼうとする。
「あ、あのっ! 私も連れて行ってください!」
「麻弥? 馬鹿言うな! お前は──」
「分かったわ。行ってらっしゃい。ここは私達に任せて」
 すると更に麻弥が、志願者が一人増えた。
 駆け出そうとする妹を正明はぎょっとなって止めようとしたが、その呼び掛け自体をさも
意図的であるかのように凛が遮り、送り出す。
「一応貴方達にも術は掛けるけど……ついて来てね? ちゃんと踏み場は出るから」
 軽く片手を振り、刹那二人の身体にふいっと細かな風が纏われた気がした。
 次いでクラリッサが手を取ってくる。そして次の瞬間、足元に先刻と同じ魔法陣を出現さ
せると、三人は一気に上空へと跳び上がった。
「ふ、あぁぁぁぁぁー!?」
「……なるほど。こういう原理か」
 数秒の空中浮遊とそれぞれの反応。やがて三者は重力に落とされ始め、そして再び現れた
魔法陣を蹴って舞い上がる。
 そうして暫く跳び続けていると、件の空きビルが見えてきた。
 みれば既にその屋上には人影──聖が到着しており、さっさと階段扉をぶち破って中に入
ろうとしている。
「聖!」「聖君!」
 慌てて追いつき、その背中に声を掛けた。彼はふいっと振り返ってくる。どうやら人格は
既に普段の聖──《羊》に替わり戻っていたようだ。少し驚いていたようだったが、その面
持ちは見覚えのある柔かさ、そして今という状況が故の神妙さを併せ持っている。
「……此処に、ボートンが?」
「ええ。この下の十四階です。フロア丸々が魔術領域の中心になっているみたいですね。奴
にも僕らの動きは勘付かれています。すぐにでも儀式を始めようとするでしょう」
「ッ!?」
「そんな……。急がなきゃ!」
 階下へ続く扉が半開きになったまま、聖は言った。
 もう敵の本拠地である。ここから下っていけば、すぐにでも奴と対面する事になる。
「……。御門さん」
「は、はいっ?」
「貴女は回復や補助の魔術が得意だと聞きました。そこで一つ、頼みがあるんですが──」

 昼間の太陽を、空を覆う暗がりは時間を追うごとに濃くなっていた。
 カツン……。準備を整えたデズモンドは遂に魔術を発動、その魔法陣がビル全体を奮わせ
るように発光し始める。
 闇空の下、潮ノ目の街、その中心部は彼の支配下に置かれた。その拠り立つビルを中心と
して、急速に巨大な魔法陣が街の全景の中に描かれていく。
「くっ──!」
「始まって、しまったか……!」
 異変は明らかだった。大地が揺れるような錯覚、ぐわんと身体中の感覚が霞む。
 みればバタバタと人々が倒れていくのが分かった。皆白目を剥き、あんぐりと口を開け、
道端に転がる。それは車を運転していた者達も例外ではなく、意識を失った運転手を乗せた
車体はあちこちで激突、機械のクラクション音だけが無様に辺りに響き渡っていく。
「ったく。こりゃあ、また罪を一つ重ねやがった……ねぇ……」
 それでも正明らやエリオット以下騎士達、対峙する魔術師の一団は昏倒せずにいた。
 身体から力が抜ける──魔力が無理やりに抜き取られていく感覚は否めないものの、顔を
顰めながらも辛うじてその場で両膝を押さえ、或いは片膝をつき、踏ん張っている。
「──はははははは! 素晴らしい! あの時よりもずっとずっと、大量の魔力だ!」
 そしてデズモンドは高らかに笑う。濁った瞳に狂喜を宿す。
 フロアの床に描かれた魔法陣、そこが終着点であるかのように抜き取られた魔力が次々と
集まっていた。
 室内の中空に凝縮されていくのは半気体半固体の塊。目に見えるほどの密度に達し、それ
でもなお集束を止めない大量の魔力だ。
 彼はそれらを大きく見上げる。両手を広げる。この儀式の成功を確信しようとしていた。
「いける……! これなら、今度こそ──」 
 だが、その喜びは程なくして打ち砕かれた。
 次の瞬間、この巨大な魔力目掛けて無数の黒い触手が伸び、これを瞬く間に“喰らって”
いったのだから。
 デズモンドの眼が、ぐらぐらと揺らいだ。広げていた両手が、力なく下がり始める。
「ふぃ~……。ごちそうさん」
 ハッと我に返り、その声のする方向を見た。
 物陰の向こう。そこに彼らは立っていた。
 聖──いや、《沼》が身体中から大量の黒いぬめりを溢れさせ、無数の触手と変えたそれ
らが鋭い牙を並べ持つ裂けた口と為って蠢いている。
 そんな彼のすぐ後ろに更に三人が並んでいた。金髪の欧米人風の少年、セミロングの黒髪
をした少女、そして……見覚えのある、清十字騎士団の法衣に身を包んだ女騎士。
 併せ技だった。 
 《沼》の闇──呑み込み喰らう能力(ちから)を、麻弥の補助魔術が更に強化したのだ。
「残念だったな。デズモンド・ボートン」
「観念なさい! この清十字騎士団所属、クラリッサ・L(ルイス)・アンダーソンが貴方
の身柄を確保します!」
「もう……止めてください! こんな事したって、奥さんも子供さんも喜ぶ訳ない!」
「黙れッ!!」
 晴、クラリッサ、そして麻弥。それぞれの口上が飛ぶ。だがデズモンドは聞く耳を持たな
かった。狂喜は怒りに。叫び、方々の物陰から使い魔(ゾンビ)達が沸いて来る。
 四人はそんな中確かに目撃していた。
 彼の傍ら、ゾンビ達が集まってくる中で、彼の妻子だったと思われる赤子を抱いた女性の
ゾンビが虚ろに佇んでいるさまを。
「何故だ、何故邪魔をする!? 私は、私は……取り戻さなければならないんだ!」
「んなもん知るかよ。その為にどれだけ他人を巻き込んでる? ま、俺達がそういう話をす
る資格なんぞねぇんだろうけどよ……」
 切り捨てる。舌打ちをする。聖もとい《沼》はゆっくりと歩き出していた。
 一方で麻弥がクラリッサが、この妻子のゾンビを実際に目の当たりにし、深く顔を顰め、
或いはその口元に手を当てている。
「さぁ来いよ。お前も魔法使いなんだろう?」
 《沼》は、敢えてその左袖を捲ってみせていた。
 それは即ち自身の“呪刻”を曝すこと。魔法使いであることの証明。
「まさか、お前も……。くっ!」
 驚きは充分にあったようだ。だがデズモンドが口にするのは「何故」という呟き。
 彼は右手の人差し指を向けて、魔力を込め始めた。ガンドだ。
「えっ? 弾が膨らんで……」
「散弾式か!」
 ただそれは自身の偽者が放ったものとは違い、より強力なものだった。
 指先に集めた魔力の弾。するとそれはみるみる内に分裂し、結び付き、薄皮で包まれた巨
大なガンドへと変わっていく。
 晴が懐から試験管を取り出し、水ゴーレムを召喚した。雨霰と撃たれる筈のそれから麻弥
とクラリッサを守ろうとしたのだ。
 だが──その弾け、一斉に多方向から襲い掛かった魔力弾は全て“喰い尽されて”いた。
次の瞬間《沼》が押し広げたその闇に、この攻撃は全て呑まれてしまったのである。
「……温い!」
 そして、吐き出す。
 フッと余裕綽々に笑い、そしてくわっと怒鳴り、その闇からこのガンド全弾がデズモンド
に撃ち返されていた。
 すると彼は、咄嗟に妻子のゾンビを庇う為に飛び出す。両手をかざして魔力の障壁を作る
と、必死にこれを守ろうとした。
 他のゾンビ達が少なからず巻き添えを食らっていた。彼も身体にもあちこちに、防御の甲
斐なく、この撃ち返された魔力弾が掠めていった。
 ただでさえ草臥れた彼の服があっという間に破けていった。そして左腕──彼の呪刻も、
そんな被弾の中で露わになる。
「──ガッ!?」
 しかし《沼》は攻撃の手を休めなかった。
 最後まで庇い、ふらつくデズモンド。彼はその至近距離まで一気に詰め寄ると、闇を彼の
四肢に絡めさせて、強烈にもろとも壁に叩き付けたのである。
「弱ぇ……弱過ぎる。魂を引っ張り戻す以外は並以下かよ? 拍子抜けさせやがって……。
足りねぇぞ、こんなんじゃ足りねぇ! もっと俺達を戦わせろ!!」
「《沼》ッ!」
「……分かってるよ。殺(や)りはしねぇ。さっき喰った魔力も連中に戻す。大体、俺達が
勝ったっていう証拠も残らなくなっちまうしな」
 凶悪という意味では《沼》──達も負けてはいなかった。爛としたその好戦的な瞳に晴が
思わず戒めようとしたが、幸い引き際の類は弁えてあるらしい。
「気に入らねぇな。こんなのがお前の願った力かよ。くだらねぇ……本当にくだらねぇ」
『……』
 がっしりと首を掴まれて、デズモンドは動けなかった。加えて《沼》から溢れる闇が時間
を追うごとに身体中に絡み付いてきて、力という力が奪われていくような心地がする。
(気付いていないのか……)
 晴は思った。きゅっと唇を結んでいた。
 聖。それは“同族嫌悪”って云うんだよ──。
(ひー君……)
 麻弥は思った。哀しくて哀しくて、ただ眉を下げていた。
 こんな事なの? ひー君。貴方が自分を捧げてまで願ったのは、こんな事なの──?
「──二人とも」
 そうしているとクラリッサが静かに声を掛けてきていた。気付けば先程の一戦で生き延び
たゾンビ達がのたのたと、こちらを囲うべく迫って来ている。
「主がもうあんななのにな……。仕方ない」
「大丈夫。私に任せて」
 晴が水ゴーレムを動かそうとした。だがそれよりも早く、クラリッサがざらりと腰の剣を
抜きながら前に出る。
 静かに深呼吸、そっと切っ先を前に向けていた。
 わらわら。知ってや知らずか、ゾンビ達が彼女の方へ向き、集まってくる。
「──“烈空砲(ショック・エア)”!」
 次の瞬間だった。彼女と、剣先から広がった空色の魔法陣が彼らを捉えたその直後、まる
で切り抜いたようにゾンビ達のいた空間が鋭い風圧に包まれたのだ。
 デズモンドが、彼の首を掴んでいる《沼》がこちらを見ていた。
 一時真空になって押し出された空気。その圧力で消し飛んでいったゾンビ達。
 麻弥が晴が、唖然としていた。
 風の余韻。緩いポニーテールを揺らすクラリッサの背中が、妙に頼もしく見える。
「今よ、夫人達を!」
「……っ! はいっ!」
 促され、麻弥は破魔蔓を取り出した。その翠のカプセルを胸に抱き、魔力を込める。
 ぴしゃん──心の中で静かに波打つ水面。目を開いて腕を払う。カプセル型だった形がそ
れを合図とするように展開し、迫り出し、本来の和弓へと姿を変える。
「……汝は霊木。我は巫女。名字(あざな)は御門、真名(まな)は麻弥。陰陽ノ寮に連な
る信徒が願い奉る」
 引き絞り、番える。半透明な色をした魔力の矢が、彼女の手によって、尚も虚ろに佇んで
いるだけの胎児と女性のゾンビへと向けられる。
「慰みを与うる其の霊威よ。我が言霊と魂を以って、今此処に彷徨う魂を救い給え──」
 祝詞を重ねる。半透明から煌く翠へ、そして金色へ。麻弥が限界まで祈りを込め、引き絞
ったその矢は直後まっすぐに放たれると──この母子だった者達を射抜く。
「……ごめんなさい。でもどうか、今度こそ、安らかに……」
 デズモンドが、声にならぬ叫びでこの彼女達に手を伸ばそうとしていた。
 なのに断末魔の叫びすらなかった。
 夫だった人物は必死に、闇に掴まれながらも手を伸ばそうとしていた。
 だが彼女達は、ただ破魔蔓の矢によって黙々と浄化──輝く光に包まれて消滅していく。
『──』
 しかし気のせいだったのだろうか?
 無に還る、死に戻っていくその寸前、我が子を抱いた彼女がちらりと、デズモンドの顔を
見ていたような気がするのは。
「な、ナタリー……、ガイモン……っ!!」
 フロアに光が満ち、消えた。《沼》もこれで終わったと思ったのか、そろりと闇の触手を
緩めて彼が這い出していくのをそのままにし、じっとこの背中を眺めている。
 嗚咽していた。
 デズモンドは欠片すら残らなくなった妻子──だと信じていたものの跡に縋りつき、その
まま全身が枯れてしまうのではないかという程に大粒の涙を零して、震えていた。
「ボートンさん……」
「呆気ないものだな。もう戦意は無い、か」
「最初から分かっていたことよ。こんな手段に出て、幸せになる筈……ないじゃない」
 麻弥が弓(はまかずら)を抱えたまま泣きそうになり、晴は感情を押し殺してこの戦いが
終わったのだと言い聞かせていた。
 カツン、聖が黙したままこちらに近付いてくる。クラリッサも同じく歩き出し、本来の目
的であったこのデズモンド確保を行おうとする。
「うぅ……ぅ!? ガッ、ァ──ッ!?」
 そんな時だったのだ。突然、デズモンドが嗚咽から急に苦しみ出し、その場で大量の血を
吐き出したのは。
 四人はそれぞれに目を丸くした。彼の名を呼んだ。慌てて駆け寄り、胸を押さえて痙攣し
ている彼を抱え起こす。
「ボートンさん、ボートンさん!?」
「な、何? 一体どうしたっていうの……?」
「……」
 それでも唯一、聖だけはやけに落ち着き払っていた。
 近付いて来たその姿を肩越しに振り返った晴、懸命に呼び掛け、動揺している麻弥やクラ
リッサの姿をもそこそこに、
「そうか。あんたの代償は……」
 ぽつりと、そうまるで何かを悟ったように呟いていたのだった。


 魔法使いデズモンド・ボートンがその願いの為に払った代償は……己の寿命だった。
 どうやら得たその異能、反魂の力を行使する度、彼は自身の精神を魂を少しずつ磨耗させ
ていたらしい。
 急変の後、彼は魔術当局の傘下にある病院へと緊急搬送された。
 だが必死の治療も虚しく──元より魔法に払った代償が故、数日後、彼は遂にこの世を去
ってしまう。
 かくして事件は幕を閉じた。犯人の死亡という形でもって。
 後日イギリス本国からの報告で、彼の自宅から押収された書物の中に死者蘇生の術や魔法
の指南書が発見されたという。聖の推理は当たらずともいえど遠からずだったのだ。
『──本当、色々と迷惑を掛けてしまったわね……同じ英国人として謝罪するわ。ごめんな
さい。そしてありがとう。やっぱりこの国は、サムライの国だった』
『──はは。まぁそう嬢ちゃんが気に病むことはないよ。確かに被疑者死亡ってのはベスト
な結末じゃなかったかもしれねぇが……間違いなくボートンの自業自得だろ? そっちさん
の魔法使いが殺した訳じゃない。気にすんな。上に小言を言われるのだけは慣れてるしな』
 辛うじて救いだったのは、今回わざわざ来日してまで彼を追ってくれたクラリッサさん、
エリオットさん、清十字騎士団の皆さんが自分達を責めず、そう苦笑(わら)いながら日本
を後にしてくれたということくらいで……。

「行って来ま~す!」
 事件から、半月ほどが経っていた。
 場所は潮ノ目市内のとあるアパート。この日麻弥は、真新しい制服に身を包んで鞄を片手
にし、つい先日引越しを済ませたばかりの新居を元気よく後にしようとしていた。
「おう。気を付けてな」
 すると返ってきたのは、二軒隣の部屋。その前の廊下でぼうっと缶コーヒーを飲みながら
佇んでいた兄・正明だった。
 にこっと笑って麻弥は駆け出す。あの後二人には、また新たな任務が下されていたのだ。

『……監視?』
『ええ』
 二つの事件を解決し、巫監の本部・京都に帰っていた麻弥を呼び出したのは、何と宗主と
その取り巻きという組織の重鎮達だった。
 緊張した面持ちで畳敷きの広い部屋の中に入り、御簾の向こうの彼女に何を言われるのか
と息を呑んでいると、宗主はそう麻弥に新たな指令を下したのである。
『巫事監査寮が所属の魔術師・御門麻弥に命じます。先の案件における潮ノ目市在住の魔法
使い・相馬聖を現地にて監視、当人及びこれに付随する脅威を討ち払いなさい。……色々と
大人達は複雑でしてね。ならば現状最も彼に理解のある貴女にこれを任せるのが適任だろう
と、そう皆と話し合って決めたのです』
 それは麻弥にとって願ってもない指令だった。
 何せ任務が終わり潮ノ目市を去ったものの、彼女自身、聖のことが何も解決していないと
思い内心ずっと悶々としていた所だったのだから。
『……御門さん?』
『はひっ!? わわ、分かりました! わ、私でよければ、不束者ですが、その任、謹んで
お受け致しますっ!』

 そうして本部のサポートもあり、急ピッチでこちらに拠点もとい住居を得たのがつい先日
の事。通っていた京都の高校も転校という扱いとなり、新たに潮ノ目学園の生徒となる。
 とはいえ流石に自分一人を行かせるのは心配だと思ったのだろう。指令が下されてすぐ、
兄もついていくと表明、宗主達に直接頼み込んだらしい。ああしてすぐ近所に住み始めたの
はそれ故だ。
「~~♪」
 されど麻弥は、胸が躍らない訳がなかった。
 任務を一先ず置いておけば、十年ぶりなのである。
 ひー君と同じ学校に通い、同じ時間を共有することができる──。あの日以来、すっかり
戻って来ないものばかりだと思い込んでいた日々を。
(でも……)
 それでも変わってしまったものは、厳然として在る。
 幼馴染の男の子だった相馬聖は、何故かこの十年の間に魔法使いと為り、その本来の人格
すらも犠牲にして十三の魔法という名の人格達と入れ替わってしまった。
(本当に、戻れるのかな……? あの頃に……)
 新旧混ざり合った街並みを往き、学園へ。先ず向かうべきは職員室だ。既に手続きの類は
済ませてあるから、後は新しいクラスに足を踏み入れる、その第一歩、第一印象の勝負だ。
「──京都から来ました、御門麻弥です。家の都合でこちらに引っ越してきました。まだ慣
れないことも多いと思いますが、どうぞ宜しくお願いします」
 朝のホームルーム、一年C組の教室。
 担任のまだ若そうな女性教師に促されて麻弥はそう丁寧に自己紹介をし、コクンと軽く頭
を下げた。
 ぱちぱち。好奇や怪訝こもごもな皆の視線と緩い拍手が教室内を満たす。
 それでも当の麻弥はその眼は、この窓際の席に座っている、
「……」
 あからさまに視線を逸らして窓の外を見ている聖と、静かに苦笑いをして「やぁ」と密か
に手を挙げてくれている晴に向けられていて……。

『取り戻す?』
『う、うん……』
 それは少し前、諸々の手続きの為に潮ノ目(こちら)へ滞在していた時のこと。
 麻弥はそんなスケジュールの合間を縫って瀬名川邸──聖を訪ねていた。以前そうしたよ
うに屋上に二人して立ち、再会してからその事情を知ってから、ずっと確かめたくても確か
められずにいた質問を彼にぶつけたのだ。
『取り戻したくは……ない? 魔法を得ることで差し出した代償──原典(オリジナル)の
相馬聖、ひー君を』
 その日も彼は風に吹かれていた。真剣に訊ねる麻弥をろくに見ることもなく、この十三人
の代表である《羊》はたっぷりと間を置いてから言う。
『取り戻し方、知ってるの? 左腕のこれを──呪刻を他人に譲渡する、魔法を使わせるん
だよ? 君も魔術師の端くれなら、そんなことを勧めちゃいけない』
『わ、分かってる。だけど──』
『……それにね。本音を言うと戻りたくないんだ。真っ白で何もないあそこに、僕らはもう
戻りたくない』
『??』
『確かにこの身体は記憶は、借り物だ。だけどあそこの“無”に比べれば、こちらはずっと
満ち溢れているんだよ。その点においては……皆とうに一致している。僕ら十三人全員の、
総意なんだ』
『……』

 あの時の横顔は、凄く哀しそうだった。じくじくと胸が痛んだ。
 彼らが一体その実どんな存在で、何の為に相馬聖(ひーくん)の身体を乗っ取ったのかは
分からない。だけど、少なくともその入れ替わり自体に、彼らもまた言葉にし難い苦しみを
抱えているのだと感じた。
 ──どうしてこんな事になってしまうんだろう? 自分達はただ、願っただけなのに。
 己の、他人の、身近だったり大切な人の幸福を、自分達は祈る。
 でもそんな思いすら「悪」だと言われてしまうのなら、こんなに不条理なことはない。哀
しいことはない。
「じゃあ御門さん。そこの席を使ってちょうだい。見え難かったりしたらまた言ってね」
「はい。ありがとうございます」
 彼女は歩き始めた。新しい生活の第一歩を。新しいクラスメート達が目を遣っていく中、
すたすたと背筋を伸ばして、その用意された空き机の下へと向かう。
「……」
 聖は尚も視線を逸らし続けていた。こちらがそっと目を遣ってみても、頑として無関係を
装いたいようだ。
 だから彼女は思った。より強く決心していた。
 あの日、一番深い所を訊ねた時のあの哀しそうな横顔。押し殺した声。
 一体彼は何の為にその魂を捧げなければならなかったのだろう? 彼らは一体、何の為に
この十年という日々を過ごしてきたのだろう?
 おかしい。間違っている。
 誰も、誰もその願いで幸せになんてなっていないじゃないか──。
(……ひー君、待ってて。まだ全然分からないことばかりだけど、きっと貴方を助けて出し
てみせるから……)
 制服を、髪を揺らし、彼女はそう心の只中で言った。
 
 だって自分は魔術師。
 もうあんな悲劇を繰り返させない為に、何よりも大切な人達を守る為に、踏み込んだ世界
なんだから。
                                      (了)

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  1. 2014/03/09(日) 18:00:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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