日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅳ〔48〕

 それはまるで、深く深く沈んでいく泥濘(ぬかるみ)のような。
 其処はどうやら想像していた以上に暗いようだ。目を開いている、という自覚は持てない
のだけど、知覚できる範囲は鼻先十数小往(スィリロ)(=十数センチ)にも満たない。
 ただ……この中にいると、何というか、嫌な記憶ばかりが想いばかりが、勝手に揉み出さ
れていくような気がして。

 私に父はいない。いや、いる筈なのだろうけど会った事すらなく、故に顔も知らない。
 少なくとも、物心ついた頃には二人だった。
 母と私。いわゆる母子家庭、シングルマザー。サムトリアの田舎ではごくありふれた、周
囲を豊かな自然──もとい田畑ばかりに囲まれた家の軒先で、ぼうっと私が土の風の香りを
いっぱいに浴びているその向こう側で、母が日がな黙々と家事や畑仕事をこなしていたのを
私は今も覚えている。
『いいのいいの。ロゼッタ、貴女は勉強に集中しなさい。これから先、きっと貴女を支えて
くれるものになるんだから』
 何度も手伝おうと思った。実際何度もその手伝いをした。
 だけどもその度に、母は決まってそう私に言い聞かせていたのを覚えている。
 優しく諭す声色、私を撫でてくれる温かい手。でも幼心に私は知っていた。そう語る母が
哀しみ──諦めのような感情をひた隠しにしていたことを。
 あの頃は幼く、その言葉が意図することを正直解ってはいなかった。
 でもそれは事実なのだろう。貧乏から抜け出すには、それこそこの身一つから立身出世を
果たすくらいしかないのだから。
 負担は決して少なくなかった筈だ。だけど母は言葉少なげに、でもいざという時はまるで
我が子を見透かしているように支えてくれて、私は勉学に励むことができた。
 社会学の博士号を取り、研究者の道へ。
 それはひとえに母──自分達のような割を食うような人々を極力出さない、穏やかで均整
のとれた社会を実現する為。私は仲間達と日々、そんな制度設計のプランニングとその提唱
に没頭し続けていた。
 だけど……世の中はそう簡単に変わってくれる訳がない。
 積み重ねた研究の成果、働きかけた政治家の数。いつか私達はオブザーバーでしかない事
に飽き足らず、自ら政治の世界へと飛び込んでいた。
 世界を変えるには、皆が笑顔で暮らせるようになるには──この想いがその中枢に届かな
ければならない。
 当然というか予想通りというか、先達、いわゆる政界の重鎮と呼ばれる連中からは白い目
で見られた。夢見がちな若造……そんな評を陰で叩かれていたことくらい知っている。
 それでも私達は進んだ。馴れ合いと慣習に塗りたくられた「大人」よりも、論理的に時に
情緒というものを冷静に分析した私達の「理想論(こども)」は徐々に領民らの支持を得る
ことに成功していった。
 統務院議員に出馬、当選したのはそれから何年もした頃である。
 私達は歓喜した。改めて意気込んだ。これで──夢に、願った世界に大きく近付く。
 だが……不幸はそんな最中に起こった。母が、突然の病に倒れたのだ。
 その報せを聞き、私は大慌てでその枕元へと飛んで行った。スケジュールに少しでも余裕
があれば、どんなに労があっても厭わなかった。
 お母さん。私、やっとここまで来たんだよ……?
 なのに母は眠ったままで、機械に繋がれて、断続的な電子音の中で微動だにしなくて。
 死んだ。私達の看病と祈りも虚しく、母は一年ともたずに逝ってしまった。
 相当無理をなさっていたようですね──。そう主治医から聞かされた時には、私は危うく
発狂しそうになった。
 やっぱりそうなのか。お母さんはずっと、私の為に……。
 世界ががらりと色彩を薄めたような感覚に陥った。仲間達は繰り返し私を励まし、慰めて
くれたが、一度覚めてしまった夢はもう二度と同じそれを見せてくれないのかもしれない。
 後悔と責任が、私を両側から挟み撃ちにしていた。
 そしてそれはただ、私個人の感情の問題、精神的なダメージという話ではなかったのだ。
 統務院議員──正義の秤(ヴァランサ)の常任審査官。世界の中枢、間違いなくその筈だ
ったのに、蓋を開けてみれば何と変わらぬことか。
 出身地域や己が支持基盤への利益誘導、国代表としてのパイの取り合い──上っ面は笑顔
でも、その実テーブルの下では互いに足を蹴りあっているようなさま。
 延長線上だった。単なる政争の二次会場でしかなかったのだ。
 けだし政治とは闘争であるのだろう。その少なからずは始めこそ志を持っていたのかもし
れない。だが時が経つほどに、思惑渦巻く世界に呑まれるほどに、その想いはきっと他なら
ぬ自身を含めた彼らという全体によって希釈・分解させしめられる……。
 励ます声はあった。仲間達もいた。
 だけど私はこれ以上は無理だと思った。三期目の選挙が始まるその前に、私は立候補を諦
めて国に帰る事にした。
 そんな時だ──地元の有志の方々から次期大統領選へ出てみないかと打診があったのは。
 確かに以前は州議員を務めていたこともあった。だが、いきなりそれはどうなのだろう?
正直言って「勝てない」だろうと思った。
 しかし……傷心した私を迎えてくれたのは、他ならぬ祖国(サムトリア)の人々だった。
 理想を掻き抱く改革の女性(ひと)。私はそう呼ばれ、尚も慕ってくれる人が少なからず
いたのだった。
 ……泣きそうになった。そうか。もっと近くに、仲間はいたんだなって。
 このまま心を折ってしまっては、道を閉ざしてしまってはならないと自分でも思っていた
のだろう。世界規模のトップダウンが難しいのならば、先ず祖国から。何よりもこんな私の
為に半生を捧げてくれた母の為にも、逃げ出すなんて真似は出来なかった。
 そうして決心し、仲間達や支持者に担がれ、私は大統領選に臨んだ。
 当初は経験の浅さを口撃されたものだが、とうに想定済みな私達はこれまでの社会モデル
という具体的なプログラム、州議員や統務院議員時代の自分をアピールすることで巻き返し
を果たすことができた。
 そうして──私は今この国、顕界(ミドガルド)南方の盟主と呼ばれるサムトリア共和国
の大統領として日々の政務をこなしている。
 それも全ては皆の支えがあるからこそだ。そうでなければ、私はあの時、完全に心が折れ
てしまっていただろう。
 だけど……本音を言えば今が満たされている、とは言い難い。政権基盤の磐石さに難を抱
えている、その点は否定しようがない事実なのだから。
 仮にも改革を謳い、権力サイドよりも民衆の力に依り立って就いたこの身だ。水面下では
重鎮達とその取り巻きは非協力的で、論理的な呼び声よりも自分達が長く積み重ねてきた政
治慣習──歴史と伝統を重んじる。その点では一国だろうが世界だろうが、変わりはない。
 だからこそ……しばしば思ってしまう。襲われてしまう。
 私は、本当にこの国に必要だったのだろうか?
 政治的発言力とその歴史ならば連邦(アトス)、軍事力ならば王国(ヴァルドー)、財力
なら都市連合(レスズ)がそれぞれ抜きん出ている。我が国がそれ以外で誇れるものといえ
ば肥沃な農地と自然くらいだ。導都(ウィルホルム)──魔導の聖地があるじゃないか、と
言う人も少なくないけれど、あそこは自治都市だ。いくら領内に所在するとはいえ、厳密に
は私達からは独立して存在している。
 これで、本当に良かったのだろうか? 自分が大統領にならずとも、国自体は変わらず回
っていたのではないか?
 尤もそんなことを公に口走れば無責任だし、私の夢に改革に賛成を示してくれた皆を裏切
ることになる。少なくとも消極的な現状維持という態度は、発展的な世界に資するものでは
ない筈だ。

(お母さん……)
 嗚呼。なのに、何故こんなにも思い出してばかりなのだろう? 何故こうも後悔ばかりが
揉み出されているのだろう? 涙が出そうになるのだろう?
 この闇の所為か。この光の見えない暗がりが、私の中の闇を深めようとしているのか。
 そうか……だから泥濘(ぬかるみ)、と思ったのか。
 深く深く沈んでいく、心と体。
 だがそれは他でもない。私自身の心の闇が、そうさせるのかもしれない……。


 Tale-48.希望と絶望の一進一退

 デュゴー・スタンロイ以下、志士聖堂前の一個大隊の面々は戦慄していた。
 すぐ向こうに魔人(メア)がいる。そっと静かに、その証である血のような赤い眼を光ら
せている。現在のこの状況からすれば、彼らが“結社”の手の者であることは間違いない。
 一斉に振り返った隊伍のまま、面々は銃口を剣先を彼らに向けていた。
 自分達で敵うだろうか? 畏怖と忌避が混ざり合い、兵達の表情を硬くする。
 いや、でも相手は二人だ。もしかしたら──。
「ふむ……。ざっと一個大隊といった所だの。贅沢を言い出せばきりがないが、まぁ十二分
だろう。どうだジーヴァ? ここは一つ、どちらが多くの首を獲るか競わぬか?」
「……勝手にやっていろ」
「ははは。相変わらずだのう」
 故に数拍の油断がそこには差したのだろう。その間にも二人の魔人(メア)──ジーヴァ
とヴァハロは笑い合い、哂い合い、互いに肩を並べていた。
「──では。勝手にやらせて貰おう」
 次の瞬間だった。場の雰囲気にそぐわぬ高笑いから、スッと調子を落とした呟き。手斧と
手槍、自身の得物を取り出すと、そうヴァハロはこちらに向かって一気に地面を蹴る。
「ッ!?」
「うっ、撃てぇ!」
 その速さ、眼を見張りたるや。
 隊伍前列(本来的には後列なのだが)の兵達は半ば反射的にこの脅威に鳥肌を立たせ、誰
からともなく引き金をひいていた。
 無数に放たれる銃弾。しかしその一発たりとも当のヴァハロには届かない。
 彼はまるでその軌道全てを見切っているかのように軽く、握った手斧を何度か動かすだけ
でこれをことごとく弾き、かわしてみせると、一瞬たりともそのスピードを緩めることなく
この最前列へと飛び込んでいく。
「──」
 最後の一足で軽く中空に跳躍し、捻った身体を巻き戻すように振り下ろされる手斧。
 それはほんの一瞬の出来事だった。その一撃はまるで空気そのものを削ぎ取るように抉り
込まれ、間合いに入った兵らを一まとめに薙ぎ倒す。
 ごうんっと土埃が舞った。白目を剥いて血を撒いて視界に舞う同胞達。兵らはそんな刹那
の惨状に竦み、あちらかこちらかと銃口を向けようとするが、次の瞬間には土埃越しから飛
び出してきた手槍の、二撃目三撃目と続く断撃の餌食に次々となっていく。
「くっ……。散開しろ! 密集すれば的になるだけだ!」
 土埃の向こう、判然としないが間違いなく味方が屠られていくそのさまに、デュゴーが慌
てて指示を飛ばしていた。
 その声が聞こえるかいないか、訓練された筈の兵らが一斉に方々へ散っていく。ちょうど
上部がくり抜かれた細い三日月のような陣形である。大きく距離を取り直し、兵達は一斉に
銃口を向けた。土埃が晴れ、その先にヴァハロと倒れ伏した前列の兵らがみえる。
「……」
 だが嗤っていた。彼は包囲されたその状況下で、ニッと口角を吊り上げていたのだ。
 そしてその意味はすぐに知れる。ふいっと彼が何か力を込め、目に見えない波及が彼を中
心に広がった、その次の瞬間、引き金をひこうとしていた兵達が一斉に地面に叩きつけられ
たのである。
「ガッ!?」「ぐぇっ!?」
「つ、潰れ、る……」
 彼らの傍には他に誰かがやって来たようには見えない。
 いや──在った。目を凝らせば、地面にめり込む程に叩き付けられた彼らの全身頭上に、
何か暗くぼやっとしたオーラが揺らいでいるのが確認できる。
「おわっ! これは……力場?」
「皆、離れろ! よく分からんが、奴に呑まれるぞ!」
 デュゴーとスタンロイ、そして一部の中列と後列の兵らが、慌ててその押し寄せてくる力
場の境界線を察知して飛び退いていた。
 案の定、外側では何ともない。代わりに避け遅れた仲間達が彼の、ヴァハロの放った力に
よって一様に押し潰されてしまっているのが見える。
「魔導……じゃねぇよな。詠唱の暇はなかった」
「ああ。おそらくこれは──」
 そして将二人がこの正体に勘付き始めたのと前後し、ヴァハロがその中心から歩き始めて
いた。ゆたり。両手に手斧と手槍を下げ、そして一気に彼らの方へと地面を蹴る。
 ひぃっ……!? 兵達はすっかり対応が遅れていた。改めて魔人(メア)の恐ろしさとい
うものを目の当たりにし、全身が強張っている。
 だがそんな部下達を庇って、他ならぬデュゴーとスタンロイが躍り出ていた。
 片や両手に現出させた大型手甲(オーバーガントレット)型の魔導具。片や身の丈以上も
ある重厚な長刀。
 ヴァハロの嬉々とした強襲に、二人が放った一撃が食い込んだ。
 デュゴーはその滾らせたオーラを溶岩(マグマ)に変え、灼熱の拳を。スタンロイはその
長刀を同じ姿形をした巨大な刃型のオーラで覆い、渾身の横薙ぎを。ヴァハロの、薄暗い波
動を纏った手斧がこの二人によって食い止められていた。
「……ほう?」
「ぐっ!」
「お、重い……ッ!?」
 しかしそれでも力押しの勝負はヴァハロに大きく分があったらしかった。
 相手の一撃を食い止めること数秒。デュゴーとスタンロイは堪らず大きく後ろに弾き飛ば
されていた。
 小さく感心したように一瞬目を丸くしたヴァハロは、ひらりと中空へ飛び退くと、静かに
そして何事もなかったかのように着地する。二人に向かって飛び出したことで先の力場は途
切れたらしく、その周囲には押し潰されて失神、地面に埋もれた兵達の姿が在る。
「大佐!」
「……大丈夫だ」
「下がってろ。あいつら、マジでやべぇぞ」
 慌てて受け止め、支えてくれた部下達が表情(かお)を引き攣らせている。
 だが二人に慰みを受けている暇はなかった。スタンロイは長刀を杖代わりにしてぐぐっと
立ち上がり、その横をデュゴーが拳を振りかぶりながら踏み出す。
「っ、らぁッ!!」
 力いっぱい込めた錬氣、オーラが瞬く間に煮え立つ溶岩(マグマ)と為り、その突き出さ
れた拳の形をとってヴァハロに襲い掛かった。
 自分へと一直線に向かってくる高熱の塊。
 だが当のヴァハロはそれをのんびりと眺めたまま、逃げようともしない。
「──」
 次の瞬間だった。それまで後ろに立っていた筈のジーヴァが、一瞬にして彼の前で飛び出
してきたのだ。
 文字通り霞むような速さ。既に手は腰の剣に。
 目にも留まらぬ抜刀が繰り出されていた。するとどうだろう。ヴァハロを、彼を呑み込も
うとしてたデュゴーの一撃はまるで鎮火されるように四散し、地面に落ちるその時には元の
オーラ、大量のマナに戻って還っていったのである。
「うんむ。流石だの」
「……あの二人が頭のようだな。各個撃破しておくぞ。作戦の邪魔になる」
「ん、相分かった。ではどちらを獲る?」
『……』
 デュゴーがスタンロイが、隊の兵士達が愕然としていた。まるで効いていない。我らが隊
長達の一撃すら、奴らは涼しい顔をして捌いた──。
「ば、化け物だ」
「どうすんだよ? 防げるのか? 最初の何発かで五十人近くやられてるんだぞ?」
「よ、弱きになるんじゃない。我々は正義の盾(イージス)、警備対象は何としてでも守っ
てみせる……!」
 だが、そんな兵士達の怯えながらの勇みに、この二人の大佐はそっとそれを制しながら再
び前へと出ていた。
「無理すんな。そういうのを蛮勇っつーんだよ」
「下がっていろ。特に“色持ち”でない者は、優先的に」
 ボコボコ。静かに滾らせたデュゴーのオーラが大量の溶岩(マグマ)となって流動する。
 ズズ……。ゆっくりと滾らせたスタンロイのオーラが、彼の全身をなぞるように、その姿
そっくりな巨像を形成する。
 魔人(メア)二人と将校二人。
 彼らは互いにその気配と力を見つめ、構える。


 動かなくなった同類を見て、残った二体の狂化霊装(ヴェルセーク)が咆哮を上げた。
 広大な石廊に響き、ややあって消え入る。するとまるでそれが合図だったかのように、彼
らの周囲にオートマタ兵や魔獣達が転移されてくる。
「……奴らも必死らしいな」
「あっ、踵を……! 皆さん、突破します、ついて来てください!」
 ダグラス以下、場の連合軍は即座に動き出した。
 オートマタ兵や魔獣達──間違いなく“結社”からの援軍──の向こうで先の鎧騎士達が
急にピタと、まるで何者かに命じられたように大人しくなり踵を返していたのだ。
 再び狙い始めるのは上空の黒い筋、逃げる四魔長。それを追う数名の魔人(メア)達への
援護攻撃。ダグラスとエレンツァを先頭に、主力部隊がこの雑兵達の壁にぶつかっていく。
「どけぇッ!」
 槍の石突で地面を叩きながら、ダグラスが叫んだ。
 するとどうだろう。彼が纏ったオーラは踏み込んだその両脚を伝って地面を這い、真っ直
ぐに“結社”の兵達に向かって無数の石槍を走らせる。
 軌道上にいた面々が吹き飛んでいた。それでも勢いは止まらず、その切っ先は更に内一体
のヴェルセークの背後を捉え、串刺しにする。
「……っ!」
 ぐぐっと広げた掌を腕を伸ばし、エレンツァがその手にマナを込めた。
 放たれたのは紫雲。オーラから変質し、低空を駆け抜けていく数条の雲。
 それらは、再び狙いを上空の四魔長らに向けようとするもう一体のヴェルセークを包囲す
るようにして回り込むと、その方々から次々に雷撃を落としてこれを掃おうとする。
「今だっ、長官殿たちに続けー!」
「俺達も負けてらんねーぞ、やっちまえ!」
 正義の盾(イージス)の兵士達と、合流したこもごもの傭兵・守備隊員達。両者は互いに
無理くりの威勢を上げると、早速二人が崩した隊伍の隙からこの群れを叩き潰しに掛かる。
「“黒姫”殿!」
 ロミリアに呼び掛ける声があったのは、ちょうどそんな最中だった。
 つんざくような速さと剛、巧みな槍捌きでオートマタ兵達や魔獣をも薙ぎ倒していたダグ
ラスが、部下達と共に援護の魔導を撃とうとしていた彼女に向かって叫んだのである。
「此処は我々が食い止めます。その間に彼らを──四魔長の保護を! 王達に何かがあった
筈です、追ってください! いざという時に魔人達(やつら)とやり合えるのは……私達で
はなく、貴女がた七星級(クラス)だ」
 敵味方入り乱れる中で、そう彼は確かに言っていた。ロミリアはスッと目を細めて、彼の
そんな懇願を読む。
 ──余計な体裁など、抱えている暇はなかった。
 彼自身、痛いほどに知らしめられていたからだ。此処へ辿り着くまでの途中、あの白髪の
剣士と竜族(ドラグネス)の戦士──“結社”の魔人(メア)らに自分達はまるで歯が立た
なかった。向こうが本気で潰しに来ていなかった、そう気取れていたにも拘わらずだ。
 自分達は“盾”だ。
 しかしその盾であることの矜持が目的を見失わせるなら、幾らでもかなぐり捨ててやる。
守るべきものらを守れずして、何が盾か。
「……分かりましたわ」
 既に他の七星達が、七星連合(レギオン)本部が動いている──その手筈をかねてより知
っていた、いやその仲介主であるロミリアは静かに承諾していた。
 何だ、案外融通が利くんじゃない──。正直もっと堅物な人物だと認識していたロミリア
だったが、どうやら少々(その忠誠心の評価を)修正する必要がありそうだった。
 それでも彼女は内一隊を彼らのサポートに回し、両者がぶつかる脇を迂回してきた方向で
待っていた自身の主力部隊らと合流、その右手に延びている次なる登り坂と階段群を目指そ
うとする。
「ぜぇっ、ぜぇっ……」
「お、重い……」
 そんな中だった。ダグラス達と“結社”達の人波の向こう側、そこをのろのろと逆走して
いる面々が視界に映ったのである。
 どうやら彼らはヴェルセーク──先刻ロミリアが倒した方の、機能を停止したその残骸を
回収しているらしかった。そういえば撃破直後、僅かな間を縫いエレンツァ女史が『彼らの
戦力を知る好機です。貴方達はあれを回収して、一旦技師班のいるグループと合流を図って
ください』などと指示をしていたっけ。
 当の狂化霊装(ヴェルセーク)の鎧は完全に砕けていた。
 その装甲は右半身を中心として大きく破損、あの時は何か球のようなものと繋がっていた
配管も一緒に粉微塵にしたと記憶しているが、おそらくはあれが動力機構だったのだろう。
観るにもう再び動き出すような様子はない。
「……しかし、こりゃあどういうことなんだ?」
 だが、厄介な相手が一体倒れたというのに、彼らの表情は総じて険しかった。
 ロミリアが、彼女の部下達が遠巻きに目を凝らす。
 するとそこには、大穴の開いた鎧の中には人が──真っ白にやつれた一人の人間が入って
いたのである。
「わ、分かんねぇよ。俺達は専門家じゃねぇし」
「ああ。でも……人間、だよな? これ。もう半分ミイラみたいになってるけど」
「やっぱそうなのかな……。あの鎧野郎に“中の人”がいるってことに、なるんだよな」
 それが意味するもの。一介の傭兵や兵士であっても、その推論をすることはそう難しい事
ではなかった。
 ただ、易々とは受け入れ難い。
 何せ相手は魔獣のような化け物、ないし人形の類だとばかり思っていたのだ。なのにそこ
へ“人間”を混ぜ込まれたら──自分達は一体何と戦っているのか分からなくなる。
「……団長。やはり」
「ええ。多分間違いないでしょうね」
 部下達に先へと促されながらも、ロミリアはそう言葉少なげに問うてくる彼らに一度明言
しておかざるを得なかった。
「狂化霊装(ヴェルセーク)は──“人間を核にした兵器”よ」
 とりわけて騒いだ訳ではない。だが部下達の心、その水面下に動揺が走っていたのは明ら
かだった。
 こと魔導の専門家達が多いこの面子である。その発想が技術が、どれだけ気違いじみてい
るのか、彼らには悪寒が走るほどに解る。
「……そう驚くことはないわ。これまでも“結社”は非人道的な行いを何度も重ねてきた。
自分達の目的の為には手段を選ばない──それが戦力としてああなっただけよ」
 だが一方のロミリアは淡々としている。いや、皆が動揺しているからこそ、そう冷静に努
めているのだろうか。
「大体、私達だって仕事(ビジネス)として数え切れないほど魔獣を殺してきたわ。時には
人間だって殺してきた。結社(れんちゅう)との戦いではオートマタ達だって。……命を奪
っていることには、何ら変わりなんてないのよ」
「団長……」
「それは、そうですが……」
 だから部下達も解っていたのだろう。顔こそ辛そうに顰めていたが、彼女を責めるような
言葉は誰からも出なかった。
 沈黙。ロミリア達は気丈に背を向けて登り坂に差し掛かり、ごく自然に空を見上げる。
「お、おい! あれ!」
 ちょうどそんな時だったのだ。後方、交戦していたダグラス達が──石槍と雷雲で二体の
ヴェルセークを阻んでいたまさしくその頭上に、件の黒い筋、妖魔族(ディモート)の眷属
達がこちらに向かって降りて来たのである。
 ダグラス達が兵らが目を見開き、この無機質なこの空を仰いだ。
 ヴェルセークは石廊の端に向かおうとして彼らに押さえられている。無数に刺さった石槍
と繰り返し受けた雷撃、それらのダメージから装甲を修復するのに手一杯のようだ。
 ロミリアと部下達も一斉に振り返っていた。面々と共に頭上を見据える。
「やっと見つけた……!」
 そしてそこには流動する黒い筋──まん丸な蝙蝠型の眷属達による足場と、
「お願い、早くこれを外に!」
 それに乗って滑って、四人の魔人(おって)から逃げ込んで来る、ミザリー以下四魔長の
姿があって。

「……? 何だか騒がしいな」
 ヒュウガに後を任せ、ジーク達は一路石廊を上へ上へと登っていた。
 その道中でリュカに続き、イセルナやブルートからも、真っ直ぐに最上層まで飛んでいく
のは難しいと聞かされた。
 やはりある程度上昇しようとすると感知され、邪魔されてしまうらしい。
 故に一行はぐるぐると、この左右にうねる石廊に足をつけてゆく他なかったのだが……。
「他のグループが交戦しているんだろう。結界内(ここ)が広過ぎて中々目視できないが」
「まぁな。でもさっきの音、下から聞こえたぞ? 例の黒いのも下に行っちまったし、放っ
ておいていいのかなって」
「確かに気にはなるわね……。あれは上層から飛び出して来たわ。シノさん達の側に何か動
きがあった可能性は高そうだけど……」
「ですね……。マルタちゃん、ここから見えそう?」
「あ、はい」
 そんな中、ふとジークがその五感に嗅ぎ取ったものを自覚し、はたと駆ける足を緩めて遙
か後方──足場の高さからすれば此処より下の方へと視線を遣っていた。イセルナ、そして
リュカが少し思案顔をしつつも頷き、振られたマルタがぴくんと背筋を張る。
「う~ん、見た感じあちこちで戦ってますけど……あ。ありました、あの黒い筋! 降りて
行きます! うん? 人が、乗ってる……?」
 一旦ジーク達は立ち止まり、ずいと心持ち身を乗り出して目を凝らすマルタの周りに集ま
っていた。
 被造人(オートマタ)の、常人ではない視力。
 ややあって彼女は、件の黒い筋もとい眷属達の作る流動性の足場を発見、そこを滑り降り
ていく人影を捉えたのだった。
「人? 魔獣の群れとかじゃなかったのか」
「はい。あの黒いの、蝙蝠さんです。いっぱい集まって足場になってるみたいですね。そこ
をトントン渡って移動しているようです。……ふぇっ!?」
「どうした?」
「あわわ……。黒騎士(ヴェルセーク)です、下にヴェルセークがいます! さ、三体も。
あ、でも一体はもう壊れてるみたいですね。統務院の軍服を来た人とか傭兵さんとか、たく
さん入り混じってオートマタや魔獣達と戦ってます」
 ジーク達は互いの顔を見合わせた。どういう状況だ? 目視できているのが彼女だけなの
で、そうすぐに脳内で映像化できていない自分達がいる。
「三体のヴェルセーク? まさか、外から結界内(こっち)に送り込まれたのか?」
「拙いな……。もっと下層(した)にはダンやシフォンがいる筈だろう? 今戦っている彼
らを突破されては」
「ユイもだ。一緒に連れて来ていればよかったのか……?」
 サフレが眉間に皺を寄せ、リンファとサジがそう各々に焦りを漏らしていた。
 イセルナがそんな面々を横目に見遣っている。尚もマルタが目を凝らしてくれている後ろ
で、彼女はとにかく向こうの状況を整理しようと務める。
「マルタちゃん、顔の分かる人はいる? どれだけの面子と戦力がいるか分かる?」
「えっと……はい。ヴェルセークを止めてるのは、多分正義の盾(イージス)のダグラス長
官とエレンツァ副長官だと思います。あと七星のロミリアさん。魔導師さんもいっぱいいる
ので合流したのかな? ん? 空を見上げて、る──」
 そうしてもう一度注意深く目を凝らし、報告してくれている最中だった。
 マルタのその眼が改めて黒い筋──もとい眷属らの作る足場、その利用主へと向いた時、
彼女の表情がサァーッと青褪めるのが分かった。
「……マルタ?」
「め、魔人(メア)です! 魔人(メア)が追って来てます! 数は四人。全員は分からな
いですけど、あの赤い髪の女の人は見覚えがあります。トナン王宮でジークさんとリオさん
が戦っていた炎使いですよ!」
 ジークが仲間達が、それまで以上に緊迫した表情をみせた。
 “結社”の魔人(メア)達が動いている。ということは、何か大きな変化が上層であった
のではないか? 追って来ている。マルタがそう表現するということは……。
「じゃあ、その追われてる方は? 誰か分からない? 王達じゃない?」
「うーん……分からないです。でもこっちも四人みたいですね。妖魔族(ディモート)の女
の人と宿現族(イマジン)のおじさん、鬼族(オーグ)の男の人に、幻夢族(キュヴァス)
の女の……子?」
「魔族の揃い踏みか」
「……ねえ。もしかしてそれって、四魔長じゃない?」
 流石に地底層の住人達に関しては知識が足りず、マルタが掻い摘んでそう種族と性別だけ
を口にしていた。
 ジークが怪訝を漏らす。するとその横ではたと、リュカが勘付いたように自身の携行端末
を取り出し、データとして保存していた複数の画像を彼女に見せ始める。
「あっ、はい。この人達です、間違いありません」
 照会を経て確信した。どういう経緯かは分からないが、今“結社”達が四魔長を──サミ
ットの出席者、オブザーバーである筈の四人を追いかけ捕らえようとしている。
「何でそいつらだけ……? 母さんは、アルスは? 皆はどうしたんだよ?」
 ガシガシッと苛立たしげに髪を掻き毟り、ジークはくしゃっと顔を顰めていた。
 いつの間にか事態は思わぬ動きを見せていたことになる。だが相変わらず、この距離では
マルタ以外はその目で確かめることすらできない。
「上層(うえ)で何かあったのか? 助けに──」
「待ちなさい。ジーク」
 だが焦って引き返そうとしたジークを、イセルナが止めていた。
 周りにはついて来ている団員達。飛翔態──ブルートを纏ったままの姿で彼女は言う。
「ジーク。貴方達はこのまま先に向かいなさい。あっちは、私が加勢するわ」
「えっ? でも……」
「落ち着きなさい。少なくともこの結界を解かないことには戦いは終わらないわ。どういう
経緯で四魔長だけがこっちまで逃げて来たのかは分からないけど……私達の成すべきことは
変わっていない筈よ」
 軽く肩に手を置かれ、じっと彼女に見据えられるジーク。
 そんな、懐から取り出されたもう片方の彼女の手には、あのカードキーが握られていた。
「これが貴方達の話にあった“通行手形”なんでしょう? 大丈夫。いざとなったら私が彼
らを逃がすわ」
 ごくりと息を呑み、ジークは頷いた。リュカ以下仲間達もその判断に同調する意思をみせ
ている。ならばとマルタはそんなイセルナに駆け寄り、霊石をお裾分け。彼女もフッと微笑
みを返しながらその厚意をありがたく受け取る。
「リンとサジさんを連れて行って。シノさんの忠臣なんだから。後の皆は私についてきて?
一気に下り直すわよ!」
 了解っ! 団員達が返事を重ね、そう踵を返すイセルナに続いていった。
 先程マルタが目を凝らしていたその方向、その場所を見下ろし、彼女はぐんと大きく冷気
の翼を打つと、そこへ向かって下ってゆく分厚い氷の道を作り出す。
「……行きなさい、ジーク」
「は、はい。頼みます、団長!」
 アイススケートよろしくそこから次々に滑走していくイセルナ隊。
 彼女から託されリンファとサジ、トナン近衛隊の面々を加えたジーク達は、まるで迷いを
振り切らんとするかのようにその場から駆け出す。再び上層へ向かって走り出す。
『──』
 だがそんな彼らの一部始終を、頭上の遠巻きからじっと見下ろしている一人の人影がある
ことに、当のジーク達は終ぞ気付くこともなく。


 あんなに近いのにすぐそこなのに、届かない。
 ドーム状に閉じられた迷宮の最上層。アルス達五人は尚も結界主のリュウゼンを、立ち塞
がってくる戦鬼(ヴェルセーク)──狂気に囚われたままのコーダスを押さえることができ
ないでいた。
「うおぉぉぉッ!」
 しつこく沸いて来るオートマタ兵らをセドの“灼雷”が吹き飛ばし、濛々と立つ土埃の中
で、アルス達は何とか彼(ヴェルセーク)を止めようとしている。
 サウルの銀律錬装(アルゲン・アルモル)による幾本もの分厚い鎖が、アルスとエトナの
放つ強化(コーティング)されたマナの糸束が四方八方から彼を縛り上げる。そうして必死
に押さえ込まれた隙に、鎧戦斧(ヴァシリコフ)を大きく振りかぶって跳んだファルケンの
一撃が叩き込まれる。
 ざっくり。胸元を確かに深々と裂傷。
 だが何度繰り返しても、砕けた装甲はすぐに自己修復を始めるばかりだった。そしてこの
一撃も例に漏れず、結晶が凝結するように傷が塞がっていくと、ヴェルセークの咆哮を伴っ
た拳が放ち返される。
「ぐぅっ……!」
 咄嗟に斧を前面に構え、ファルケンはこれを防御した。それでも相手のパワーはやはり尋
常ではなく、大きくアルス達のいる方へと弾き飛ばされてしまう。
 四人が駆け寄ってきた。それでも彼は気丈に「大丈夫だ」と言う。
 これで一体何度目だろう。鎖も糸も拳を振るわれる直前にはもたず破られ、ただビリリッ
とその反動ばかりが手に腕に全身にと伝わってくる。
「……ふむ。存外粘るものだネェ。縁者の情、という奴なのだろうカ」
「呑気なこと言ってる場合か。さっさと始末しちまえよ、やかましいんだから」
 そんなアルス達の奮闘──引き下がらぬさまを、ルギスは何処か面白そうに眺めていた。
 こちらにまでむわっと吹いてくる“灼雷”の余波。彼は片手で軽く庇を作りながら、この
状況すら観察対象としているかのようだ。
「……急いだ方がいいぞ。さっき逃げた四魔長(あいつら)が正義の盾(イージス)と合流
しようとしてる。ヘルゼルの奴ら、油断したな。連中、外への脱出口を探す気だぞ?」
「ああ、それなら手は打ったのだガネ。外の狂化霊装(ヴェルセーク)達をあちらへ移送さ
せておいた。撃ち落させるヨ」
『──ッ!?』
 相変わらず気だるげに、そしてジト目で話し掛けているリュウゼンとのやり取りに、次の
瞬間アルス達は目を大きく見開いて動揺した。
「外にも、いたのか……?」
「おいおい拙いぞ。こんなのが他にも遣られてるとなると……」
「ず、ずるくない? 何体もなんて無茶だよぉ」
「……相手は“結社”だからね。絶対に有り得ない話ではない、けど……」
 すぐ前方でフシューッと排気をしている戦鬼(ヴェルセーク)の姿がある。エトナ以下、
場の面々が少なからず愕然を顔面に貼り付けていた。アルスは眉を顰めながらも思う。
 今ここにいるヴェルセーク──父さんはこの世に一人だ。だとすれば結社(やつら)によ
って同じような目に遭った人達が他にもいる? この狂気の黒騎士が複数。即ちそれは連中
がヴェルセークの量産化に着手しているということではないのか……?
「ん~……。でももう一体やられるっぽいぞ。あいつは……“黒姫”か」
 そして更に報せは続いた。それ自体は吉報だったが、されどこの、彼が魔導具越しに視て
いるであろうその状況を好転させるには弱い。
 黒姫。七星の一人“黒姫”ロミリアのことか。彼女が運よく加勢に来てくれているのなら
心強いが、ここから飛び出していった魔人(メア)は四人。いくら七星クラスの猛者といっ
てもこれでは分が悪い。
 チッと軽く舌打ちをしているリュウゼンを、隣に立つルギス──と更にその頭上に浮かん
でいる“教主”を遠巻きに眺めながら、アルスは静かに強く唇を噛んだ。
 状況が、思いの外激しく二転三転している。
 それらがこちらに有利な内は構わないが、逆に裏を返せばすぐにそんな好転は覆されてし
まう、摘み取られてしまいうる危険性を孕んでいる。
 そもそも……“この結界を今解くべきかどうか”すら怪しくなってきたのだ。
 一刻も早く人々を解放できれば良いことは勿論だ。だがそれを阻もうと敵の主戦力がそち
らに流れて行っているこの状況がある以上、それはリスク上昇ではないのか? 害為す者達
がわんさかとやって来る中でこの結界──空間的な分断を元に戻して一つにしてしまえば、
むしろ人々を徒に殺めさせてしまうだけではないのか?
(どうすればいい? 僕の見立ては、甘かったのか……)
 アルスは自分の至らなさに内心苛立たしくなった。
 守る、守りたいものがどだい多過ぎるのか? まだまだ、自分の力など──。
『逃がすな。我々にはまだ暫し、彼らが必要だ』
 そんな時だった。それまでだんまりだった“教主”が心持ち視線を足元、ルギスとリュウ
ゼンへと落とし、そう指示をしていたのだ。
 そして辺りに染み入るように響くこの発言にアルスはハッと顔を上げ、とある一抹の思考
を過ぎらせる。
(まだ? あいつらは“何か”を、待っている……?)
 各国の聖浄器のことだろうか。だがそういった意味には感じられない。大体奴らは一度、
王器がそれではないと白状してしまった王を爆殺しているのだ。いくら人質として根こそぎ
捕らえたという経緯があるにせよ、その発言からくるニュアンスとは微妙に噛み合あってい
ない──全くの無機質な態度ではない──部分がある、ような気がする。
『リュウゼン、四魔長の逃げた先に使徒達を集めろ。民衆や細々とした雑兵どもは後回しで
構わん。王達を捕らえ直せ』
「了解ッス」
 そして非情な声は放たれた。
 一度は迷宮内に散って行った使徒──魔人(メア)達を集結させよと“教主”が命じる。
リュウゼンはその命令に応じ、すぐさま何やら魔導具越しに通信と藍色の魔法陣──おそら
くは面々を空間転移させる準備に掛かる。
「くっ……!」
「止めろぉぉぉッ!」
 アルス達は疲弊する身体に鞭打って叫んだ。もう一度各々の武器を振り出してこれを防ご
うとした。
 銀の鎖刃と緑の手術刀(メス)、弓形態に換えた鎧戦斧(ヴァシリコフ)の矢と狙いを定
めて撃とうとするセドの文様入り手袋。
 だが、届かない。鎖刃と手術刀(メス)はそれぞれヴェルセークの両手に握り取られて潰
され、矢は直後交差させた装甲がギィンッと弾き返す。この黒騎士の、禍々しい視界穴越し
の眼光が、そうはさせぬとアルス達を睥睨する。
「あいつさえ……あいつさえ何とかできれば……っ!」
 突進してくるヴェルセークをすんでの所でかわし、五人はばらばらの方向に散っていた。
 そんな中でセドはごろごろと石畳の上を転がると、このヴェルセークの脇を疾走、突破を
果たしてがら空きになったその先──ルギスとリュウゼンに向かってぐるんと迂回するよう
な軌道の“灼雷”を放つ。
『──』
 だがそんな渾身の一発もまた届かなかったのだ。
 少しばかりルギスがゆらっとリュウゼンの前に立つ。するとそうしながら軽く片手を前方
に差し出した直後、セドが放った“灼雷”は彼が滾らせた水のような大量のオーラによって
文字通り消火されてしまったのである。
「なっ……」
 しかも、それだけでは終わらない。
 次の瞬間、ルギスはもう一度ぐっと掌を広げてみせると、一瞬にしてこのドーム状に閉じ
られていた空間を幾つもの“マス目”に分割、そのそれぞれに位置していたアルス達五人を
一挙に岩槍の魔導で足元から攻撃してみせたのである。
『ガァッ──!?』
 ものの数秒も掛からぬ早業だった。
 一瞬世界がモノクロになり、マス目状に分割されていた場。
 だがアルス達が気付いた時にはその世界は元通りの本来の色彩に戻り、ただ岩槍で各々が
吹き飛ばされ鮮血を流して宙を舞うという結果だけが現れている。
 五人は次々に転がり落ち、倒れた。
 ダメージは即死ではないものの、決して浅くはない。何より殆ど防御する暇も回避する暇
も──いや、認識する暇も充分になかったのだから。
「ど、どういう事だ? 一体、何が起きた?」
「み……皆さん、大丈夫……ですか?」
「何とかね。だが、これは……」
「な、何? さっきの何!? 今急に足元からにゅーって……!」
「……」
 アルス達は動揺を隠せないでいた。痛んだ身体を引きずり、互いに懸命に声を掛ける。
 だがその中で、一番愕然として両手を両膝をついていたのは、セドだった。
「どういうことだ? 最初のは《水》だろ? なのに次のあれは俺の──《盤》の色装じゃ
ねぇか……」
 衝撃、そして過ぎった可能性に絶望。
 するとルギスは、まるでそんな彼の彼らの心中が見えているかのように、消えゆく黒煙の
中で眼鏡のブリッジを触り、嗤う。
「おやおや、私に戦闘能力がないト? 見た目ばかりで判断しないで欲しいのだガネ。これ
でも私は上位──序列第三位だガネ」

「おぉぉぉーッ!!」
 時を前後し、志士聖堂前でも交戦が続いていた。
 デュゴーはジーヴァと、スタンロイはヴァハロと。それぞれに溶岩(マグマ)と化して発
射されるオーラ、その動きと一体化して襲い掛かるオーラの巨像がこの魔人(メア)二人を
捉えようとする。
 だが戦況は終始こちらにとって厳しいものだった。
 何度も何度も突き出す拳と共に放たれるデュゴーの溶岩弾は、全てジーヴァに最小限の動
きで以ってかわされているし、巨躯というアドバンテージがある筈のスタンロイの巨像が放
つ斬撃は、先程から全てヴァハロに軽々と受け止められ、いなされている。
「ぐぅ……っ!」
 上から左右から。スタンロイとその巨像が繰り出す長刀がまたもう一度弾き返された。
 オーラは自身の延長、故に感触も反動も彼自身に返ってくる。思わず顔を顰めるその一方
で、対するヴァハロは手斧をついっと出すだけで嬉々とし、全くといっていいほどダメージ
を負っている様子はない。
「くそッ!」
 もう何発目か分からくなる、より大きく熱い溶岩弾デュゴーは放ったが、この白髪の剣士
はそれをあっさりと真っ二つにすると軽く疾走、残りの間合いを一気に詰めて来る。
 殺(や)られる──。半ば反射的にデュゴーは攻撃の手を止め、防御に移った。オーラを
全身に隈なく行き渡らせ、即座に大量の溶岩(マグマ)壁として展開する。
 しかしそれでもジーヴァは迷いが無かった。音もなく片手で振りかぶったその刃を鋭く叩
き付け、この防御壁をたったの一撃で四散させてしまう。
「ぐっ!?」
 振り抜き、次いでやって来る筈の二撃目。今度のデュゴーは回避行動を取った。
 下半身を中心にオーラを滾らせ、溶岩(マグマ)を流動させる。そうすると身体は自然と
持ち上がり、彼はその勢いのまま大きく頭上へ跳躍、二撃目を放ったジーヴァの上を越えて
アーチを描くようにその溶岩(マグマ)ごと向こう側の地面に転がり込む。
「……ッ、くっ……!」
 直撃は免れた。だがデュゴーの負うダメージは決して少なくはなかった。
 片膝をつき、胸元に手を当て大きく肩で息をしている。見ればその軍服は深めのそれ数本
を始めとし、腕に頬に脚に無数の切り傷を抱えてしまっている。
「な、何て奴らだ……」
「デュゴー大佐が、スタンロイ大佐が、こうも一方的に押されるなんて……」
 聖堂の真前、下がらせていた部下達がそう酷く心配そうにこちらを見ていた。
 動いたので今はこの男を挟んで向こう側。その当のジーヴァはそんな雑兵など興味がない
のか、だらりと剣を手に下げたままカツンとゆっくりこちらに振り返ってきている。
(……勝ち目は、無さそうだな。やはり“結社”の魔人(メア)どもは化け物か……)
 乱れる呼吸が中々治まってくれない。デュゴーは静かに近付いてくるジーヴァの姿を、時
折ぼやっと霞んで見えるその姿を見つめながら考えていた。
 おそらく自分達は、ここで敗れるだろう。せめて部下達だけでも逃がせればいいのだが。
 いや、最早難しい話か。実際にぶつかってみて痛感した。彼ら二人は恐ろしく強い。仮に
殿(しんがり)を務めようとしても、安全圏までもたないだろう。何より、此処は結界に包
まれた時から既に敵の領内(テリトリー)だ。
「……?」
 そう、弱気な考えがじわじわと頭の中を満たしていく最中だった。ふとデュゴーはここに
来て、この状況が持つ不自然さに気付いたのである。
(ちょっと待て。大体何故、これほどの猛者がわざわざこんな所までやって来た? 此処は
志士聖堂。俺達以外、王の一人だって居やしない。こんな寂れた教会に何……が……)
 目を見開き、戦慄する。
 自身の思考がそうして言葉を紡ぐ、その道先の石を先んじて敷き詰めるように、彼の脳裏
には刹那ある「答え」が導き出されていたからだ。
 ──そうだ。ここは志士聖堂、英雄ハルヴェートら十二聖ゆかりの史跡。
 おかしいのだ。この巨大な迷宮、空間結界の中で“あの建物だけ”がこうして目の前に存
在していること自体、不自然なのだ。
 普通、この手の結界内では本来の景色を拝むことはできない。空間と空間の狭間に仮置き
のスペースを作り、そこに面々が移動しているからだ。
 ならば志士聖堂がこうして目の前にあるということは、つまり単純な空間結界ではない。
もっと複合的な構造をしたそれが形成されている事になる。
(……結社達(やつら)も“此処が何であるか”を知っている?)
 そうでもなければ説明がつかない。わざわざそんな面倒な構造の結界にする必然性がない
からだ。
 まさか、そうなのか?
 今回奴らが、そもそも大都(このみやこ)に攻めて来た理由は──。
「ぬ、おぉぉぉッ!?」
 そんな時だった。はたとまるでデュゴーの意識を引き戻すように、スタンロイの苦痛の声
が聞こえてきたのだ。
 ハッと我に返ってその方向を見る。するとそこには巨像と共に、ヴァハロとの鍔迫り合い
にまた押し負けようとしている相棒(かれ)の姿があった。
「ふむ……。自身のオーラを半物質化し、直接的な攻撃力へと変換する──《像》の色装に
類するものか」
 だがしかし──。ヴァハロは嗤っていた。さも愉しそうに口元を緩め、それまで猶予を与
えていたかのような鍔迫り合いをお終いにする。
 左右に振り払った手斧と手槍、先程よりも大きく仰け反ったスタンロイとその巨像。
 ヴァハロはだんっと地面を蹴っていた。そのまま彼は一気に上昇、巨像の顔面辺りまで滞
空すると、
「我には及ばぬ!」
 握るその手斧にぼやっと薄暗い球状のオーラを纏わせ、真っ直ぐにこれを振り下ろすよう
に叩き込んだのである。
「ガッ!? ァ──」
 激震だった。あれだけ巨大なスタンロイの巨像、オーラの塊がその一撃によってまたたく
間に崩壊し、無数の残骸となって飛び散っていった。そしてスタンロイ自身も、感覚が同期
されているその性質上、全身を粉砕されるが如き大ダメージを受けて吐血、白目を剥く。
「スタンローイ!」
 デュゴーが悲鳴のような叫びを上げていた。傍観するしかなかった部下達も皆、総じて真
っ青になって絶叫、ないし絶句している。
 地面は巨大な陥没を作っていた。その中心に昏倒し、二度と動かなくなったスタンロイの
無惨な姿が倒れ込む。顔が、胸が押し潰されていた。デュゴー達が言葉を失う中、その一撃
を放った張本人たるヴァハロが軽やかに着地して小さく息をついている。
「く、そぉぉぉぉぉーッ!!」
 痛む身体に無茶を通し、デュゴーが吼えた。再び全身にオーラを滾らせ、溶岩(マグマ)
と一体化する。
 男泣きをしつつあった。溢れる感情が痛みを忘れさせてくれた。
 相棒にして長年の好敵手(ライバル)、そんな彼が殺された。この職務に就いている以上
いつ逝ってもおかしくはないとはいえ、これでは理不尽過ぎるではないか。
「……」
 なのにジーヴァは酷く冷淡だった。殆ど表情一つ変えず、剣を手に下げたまま一瞬眉根を
寄せた程度の反応しかない。
 先に地面を蹴ったのはデュゴーだった。次いでジーヴァがそれに続く。
 互いに切り結んだ、その直後だった。
 中段に剣を振り抜いたこの白髪の剣士を背景に、デュゴーはその大量の溶岩鎧ごとばっさ
りと斬られ、今度こそ大量に鮮血を撒き散らして倒れ伏す。
「そ、そんな……!」
「二人がやられた……。あの“色持ち”の二人が、こうもあっさりと……」
 斬り飛ばされた溶岩(マグマ)があちこちに飛び散り、程なくして全てマナに不可視に還
って消えていく。デュゴーはどくどくとその身体で血だまりを作り、うつ伏せになったまま
動けない。
(長、官……。自分達は、任務を──)
 それは、ちょうどそんな最中に訪れたのである。
 出血に伴い曖昧になっていく意識、霞んでいく視界。その五感に、ふと何者かの影が差し
たのだった。
「──なんだ。殆ど片付いているのか」
 この場にそぐわない、ぱっと聞く限り穏やかな声だった。
 声質からして男性だろうか。何処か遠くで風が吹く、その中でそっとこちらを見つめてい
る、そんなイメージがデュゴーの脳裏に去来する。
「!? 貴方様は」
「まさか、御身自ら……」
 だがその一方で、この魔人(メア)二人──ジーヴァとヴァハロは驚きを隠せなかったよ
うだ。それぞれ武器を下げ直し、この人物の近くまでわざわざ駆けつけてまで片手に胸を当
てて頭を垂れ、敬意を表している。
「うん。想定以上に観測値が芳しくなくってね……少しでも早く事を運ぶ方がいいだろうと
思って加勢に来たんだ。さっき“彼ら”には伝えておいたよ」
 故に、少なくともこの人物がただならぬ者であることは明らかだった。
 彼は目深に芥子色(からしいろ)のフードを被って素顔を隠し、全身を同じ色のマントで
覆っている。
(何なんだ……? こいつらは一体、何者なんだ……?)
 兵士達は突然の──それこそ寸前までその存在に気付かなかったことも含め、押し寄せる
恐怖の念に怯えており、デュゴーもその場に倒れたまま、気配だけでこの状況が少なくとも
自分達にとっての朗報ではないことを悟っている。
「……」
 ややもすれば遠退いていく彼の意識。
 そんな中、このフードの人物はゆっくりと、残された兵士達に振り向いて。

 積み上げることは酷く困難なのに、いざ崩す──逆の向きを往こうとするとこうも容易で
あるものなのか。
 ジークらと別れたイセルナと団員達は、彼女が作り出す氷の坂道をひたすらに滑り降りて
いた。多少左右にうねっていても、その道筋は一直線に。遠く先が途切れた道が次々に追加
されながら、後ろからの風に押されながら、一同はこのスリルある滑走にて急ぐ。
「ひぁぁぁぁぁーッ!?」
「落ちる、落ちる! 団長ォ、ちょっと無茶過ぎませんかぁ!?」
「嗚呼、塔があんなに……。踏み外したら……死ぬな……」
「悠長に降りている暇はないでしょ! しっかり踏ん張っておきなさい。私とブルートとで
ちゃんと軌道調整してあげるから!」
「さ、寒い……」
 先を行く団員達の両足は、薄く氷の靴に覆われていた。
 言うなればスケート靴。そんな彼らの滑り流される位置を、最後尾から飛翔態のイセルナ
が確認、氷の道から落ちないように操作する。
 彼女も自身、冷気の翼で軽く浮いているのだが、その尾先はぴたりとこの氷道に繋がり、
行く先を造る冷気を供給している。氷系の持ち霊を従えているからこその芸当だ。つい先刻
まで必死に登っていた石廊群の間を、彼女達はぐんぐんと下っていく。
(……思った通り、上手く相手の裏を掻けたみたいね)
 ちらと肩越しにそんな頭上へ伸びている建造物らを見送りつつ、イセルナは思考を過ぎら
せていた。
 ブルートで確かめた時もそうだった。どうやらこの結界は、ある程度上昇してくる飛行体
を感知・妨害できるようになっているらしい。それはひとえに結社達(やつら)──最上層
へ近付き邪魔をして来る者を排除する為だろう。
 だが逆に考えれば“登らなければいい”のだ。実際こうして皆で下っているが、結界主か
らの妨害は無い。
(四魔長が下層(した)へ向かってくれて助かったわ。これが、良い報せになってくれると
いいんだけど……)
 希望的観測。イセルナはあたふたする団員達の背中を視界に映しながら道の先を観た。
 マルタが目を凝らして見つけてくれた行き先、四魔長や正義の盾(イージス)、七星ロミ
リアらの錯綜する中層付近。見ればそこでは、降りて来た四魔長らが彼らに何やら訴えかけ
ているではないか。そして彼らを追い、四人の魔人(メア)と黒騎士(ヴェルセーク)達が
合流、これを討ち捕らえんと迫ろうとしていた。
「皆武器を構えて! 突撃するわよ!」
 ラスト数十往(リロ)(=数十メートル)は半ばイセルナによる力押しだった。
 冷気の翼を大きく持ち上げ、打つ。それによって生じた吹雪の勢いと射出される氷の刃。
団員達は一斉に雄たけびを上げ、目的のそこへ繋がった氷道から跳躍、四魔長らに襲い掛か
ろうとしていたオートマタ兵や魔獣達を次々に奇襲し始める。
「なっ……!?」
「おわっ、凍っ──」
「おい見ろ! “蒼鳥”のイセルナだ!」
「と、いうことは……。クラン・ブルートバード……?」
 まさしく横槍といった状況。ダグラスやエレンツァ以下正義の盾(イージス)の面々、集
まっていた諸々の傭兵・兵士達、四魔長が逃げ込んで来たことで登るを止めていたロミリア
とその部下達。
 オートマタ兵や魔獣を始め、量産型ヴェルセーク二体も足元から凍て付き、身動きを阻ま
れていた。フェニリア、セシル、ヘルゼル、グノア。四人の魔人(メア)達もこの敵方の加
勢に少なからず眉を顰め、それでも邪魔な氷はフェニリアの炎が焼き払う。
「ご無事ですか、四魔長! 皆さん!」
「ああ、何とかな……」
「それで、一体全体どうしたっていうんです?」
「貴方がたはオブザーバーとしてサミット会場にいた筈でしょう? シノさ──王達はどう
したんです? まだ最上層(てっぺん)にいるんですか?」
 イセルナが、そして団員達がそう矢継ぎ早に問うてきた事で、面々にも彼女達が何故この
タイミングで駆けつけて来たのかが解ったようだ。ダグラスやロミリア達が互いに、緊張し
た面持ちで、ちらと顔を見合わせる。
「王達なら──此処よ。この無明の闇沼(ブラックホール)の中。アルス皇子の機転で、彼
らは私達がここまで運んできたの」
 ミザリーが言った。残る三人の四魔長もそれぞれに黒球──王達をその中に梱包した魔導
のそれを取り出し、見せてくる。イセルナと団員達は静かに目を見開き、そして少しばかり
嬉しそうな表情(かお)を浮かべた。
「つい先程レヴェンガート長官から聞いた。ジーク・レノヴィンが結界(このば)の脱出口
を見つけてくれたという。通行手形といったな。お前達は持っておらんか?」
「あ、はい。それなら……」
 ウルの引き継いだ言葉、問いにイセルナはすぐさま応じた。
 懐から取り出してみせたカードキー。瞬間、一同が抑え切れぬ歓喜で声を上げる。一方勿
論の事ながらフェニリア達“結社”側はこれを由々しきと捉えている。
「でかした! イケるぞ!」
「急いで外に繋いで! 王達をお願い!」
『──させるかぁ!』
 イセルナ達に四魔長から黒球が託されるのと、フェニリアら魔人(メア)達が動いたのは
ほぼ同時の事だった。再び両軍が激しく激突する。炎とレーザー、巨大な獅子に変化しての
前脚蹴り、ヴェルセークらが振り下してくる黒刃。それらをダグラスの岩槍、エレンツァの
紫雲、イセルナの氷冷とロミリア達の魔導がすんでの所で防ぐ。
「急いで! シノさん達を、早く!」
 限界ぎりぎりまで冷気と氷の衣・翼を広げたイセルナが叫ぶ。そんな彼女達に庇われる格
好となった団員達はコクコクと頷き、大慌ててで彼女から受け取ったカードキーを使用、開
いた風穴から四つの黒球を抱えて駆け出していく。
「逃がさん……!」
 だが、逃げ切るのを待ってくれているような相手ではなかった。
 魔人(メア)の一人“侵将”セシル、そしてその持ち霊──魔獣のヒルダが他の誰よりも
先んじて追撃に掛かろうとしたのだ。
 滾らせたオーラは瘴気、触れるものを朽ちさせる力。
 彼らはイセルナが広げ阻む氷の壁、翼を溶かしこれを突破すると、この団員達の背後を獲
ろうとしたのである。
「──ッ!」
 しかしこちら側もそれに対応してくる者がいた。ロミリアである。
 彼女は陰影の眷属(シャドウサヴァント)でヴェルセークの内一体を絡み留めていたが、
セシルとヒルダのそれを見、一目散に踵を返して疾走──振り下ろされるその剣から団員達
を庇って割り込み、その一撃を瘴気がこもったそれをもろに受けてしまう。
「ぐっ……!」
「団長ォ!」「くそっ! あいつら……!」
「余所見をする暇は……無いわよ。押し返しなさい!」
 部下達を中心に悲鳴が上がる。だがロミリア本人は気丈にもそう顔を顰めながらも叫び、
セシルの振り下ろした刃をがしりと握っていた。
 彼とその持ち霊が眉を寄せる。ギチッ、瘴気が食い込むのに動かせない。進めない。
 背後で団員達が目を見開き、しかしこれを間隙だと悟ってくれ、脱出を完了させていた。
 そのさまを、直後ロミリアは気配で感じ、
「“あの子”には──指一本触れさせない……ッ!!」
 至近距離の彼ら二人に、次の瞬間、渾身の攻撃魔導を浴びせて吹き飛ばす。
「“黒姫”殿!」
「畜生! もうちょっとなんだ、押さえろ! 押し返せぇッ!」
 イセルナ達は半ば激高したように戦っていた。
 フェニリアの炎が激しく襲い掛かる、グノアの手甲剣が兵士らを斬り捨てていく。それで
も一同は防衛ラインを自ら下げようとはしなかった。獅子に化けたヘルゼルが突っ込んで来
て仲間達がどれだけ吹き飛ばされようとも、ここを譲る訳にはいかない。
『──』
 だが状況は更に悪化した。そんな防戦の最中“結社”側に他数名の魔人(メア)達が空間
転移してきたのだ。
 フェイアンとエクリレーヌ、アヴリル、ヘイト、そしてクロム。
 面々はその光景に隠しきれぬ絶望の表情を浮かべた。黒い靄や青い奔流──空間転移の余
波がこの五人の周りにバチバチ濛々と四散していく。
 そこへ二体のヴェルセーク達、フェニリアらも振り向いて合流しようとしていた。
 五人が中空からそっと、降りて来る。彼女達がこれで確実だなと出迎える。
 だが。
「……ぬんッ!!」
 予想外の事が起きた。着地する寸前、新しく召集されてきた魔人(メア)の内クロムが、
その右腕を真っ黒に硬化させたかと思うと突然、傍にいたヴェルセークを一体、全力で殴り
伏せたのである。
 イセルナ達、そして“結社”達もが驚愕し、唖然としていた。
 このヴェルセーク自身も完全に不意打ちだっただろう。彼に懐へ踏み込まれるのを許し、
右脇腹から思いっ切り一撃を喰らった。砕け散る装甲。中に伝う黒い球体と蛇腹の配管が皆
の視界に入り、その巨体が叩き付けられるようにしてその場に沈み込む。
「……。えっ?」
 ようやく兵士の誰かがそんな間抜けな声を絞り出す。
 他の使徒達が深く眉根を寄せ、当のヴェルセークは地面に大きな陥没とひび割れを作った
後、ぐったりと沈黙している。
「──」
 “鉱僧”クロム。
 拳を握ったまま俯き加減に佇む彼が、この戦いに新たな局面を告げようとしている。

(ドンパチやってるみたいだな……)
 一方その頃、リンファとサジ、トナン近衛隊の面々を加えたジークらはひたすら石廊を登
っていた。
 変わり映えのしない石畳、無機質な空と、延々と続くような螺旋構造。
 少し前から眼下では大きな爆音や剣戟の音が聞こえている。おそらくイセルナ達が向こう
に合流したのだろう。母やアルスに、王達について、何か判明しているといいが……。
「──ッ!? 避けろっ!」
 そんな時だった。ふとひた走る自分達の背後に気配が──スッと暗く影が差して、ジーク
は同じく気取ったリンファやサジ、サフレらと共に逸早く動いていた。
 直後、真っ直ぐに何かが降って来る。轟音を響かせてついさっきまでいたその巨大な石畳
の踊り場を打ち抜かんとした何かがいる。
 半ば反射的に散り散りになり、顔を引き攣らせ得物を抜き放つ面々。ごくりとジークが息
を呑むのに合わせるように、その濛と上がった土埃の中からこの張本人が進み出てくる。
「……ふん」
 右手は魔獣のそれに、打ち抜かれた石畳の部分は深々と穴を。
 “結社”の魔人(メア)──使徒。
 不敵に笑う“武狂”バトナスの姿が、そこにはあったのだった。

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  1. 2014/03/01(土) 18:00:00|
  2. ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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