日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)Dear SORCERY〔3〕

 遠くにかつて鉱山だった山々が在る。
 しかしそれは昔々の栄光で、今はただゆっくりと時の流れに沈むだけだ。
 闇が呑み込んでいく。かつての日々も今日という一日も等しく埋もれ、隠されていく。
 そんな夜闇の中、人知れず交戦があった。妖しい火花が断続的に散り、そして消え入り静
かになる。
 いや……それを交戦と呼ぶのは厳密ではないのだろう。それらは終始一方的であった。故
にこの男、強襲を受けた側は程なくして敗れ、命辛々一人夜闇の中を逃げ続ける。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
 多くを白髪に占領された頭、暗闇の中でも疲弊したさまが分かる息遣い。
 彼は大きく肩で息をつき、それでも傷付いた身体と心を引き摺って物陰に隠れていた。
 全身が痛む。現に左肩は撃たれたように赤黒くシャツが汚れており、それを庇うように彼
の片手が添えられている。
 聞き耳を立てる。追っ手の気配は尚も多く、執拗だ。当然の反応というべきか。
 だが自分にはもうこれしかなかったのだ。こうでもしなければ、取り戻すことなど……。
 そうしていると、気配が先程よりも広く散っていくのが分かった。どうやら手分けして付
近を捜索し始めるらしい。拙いなと彼は思った。早く離れなければ此処も危ない。
「……」
 一体何処へだ? 自分は、何処へ?
 あの町はもう駄目だ。他ならぬ自分が駄目にした。理論に粗は無かった筈なのに、失敗し
てしまった。
 足りなかったということか。自分が“差し替える”その瞬間まで、持たなかったのか。
 ぎりっ……。彼は俯いた表情(かお)のまま唇を噛み締め、もう片方の拳を強く強く握っ
ていた。
 懺悔の念は無い。あの時からもう持ってはいけないと思った。狂うと決めた。
 代わりにこの身体を支配しているのはただ一念だ。何としてでも取り戻してみせる。故に
あの失敗は手痛く、邪魔をするあの連中どもが忌々しく思えてならなかった。
 自分の記憶が正しければ、奴らは“騎士団”からの刺客だろう。
 正直、侮っていた。こんな地方の町に迅速に兵を送り込んでくる、その情報網と組織力の
大きさをずっと遠く──自分とは関係ないものと頭の何処かで思っていたのかもしれない。
 もう引き返せなかった。奴らが兵を寄越して来たということは、既に自分を捕らえるべく
警戒網が敷かれていることだろう。
 この国に──もう、自分の居場所は無い。
「くそ……ッ!」
 悔しさと憤り。吼えたくなる叫びを噛み殺し、男は歩き出していた。
 逃走を続けた疲労とその内心の焦燥。それらが混ぜ合わさり、髪はぼさぼさに乱れ、両の
眼はぎらぎらと血走っている。
 ぐらり、ゆたり。一歩一歩が重い。受けたダメージは少なくない。
 此処は海岸線に近かった。されど今は潮の香りや波打つ音すら苛立ちの材料に為る。
 彼は身体を引き摺り、歩いた。
 内陸に向かってはみすみす捕まりに行くようなものだ。ぼやっと、しかし確かにそう判断
して幹線道を目印に南下してきたのだが……さて。
(……。あった)
 寄せる波のすぐ際まで人工の足場が迫る、されど明らかに大規模とは言えぬ港がそこには
あった。男は見上げる。夜闇に溶ける停泊する船影や積み下ろし用のクレーン、そして周囲
に積み上げられた貨物コンテナ。そう暫し辺りを見渡したまま、彼は大きく深呼吸する。
(詳しく調べている暇は、無さそうだな……)
 ようやく呼吸が落ち着いてくる。顰めた表情(かお)のままで思考する。
 船に直接乗り込む(かくれる)のは向こうも想定してくるだろう。
 だが、こちらなら……。
 少なくとも出港してしまえば奴らは手が出せまい。少なくともその間に時間を確保するこ
とはできる。仮ではあるが“場”を設えることができる。
「……っ」
 灯台の光は遠く届かず、此処はコンクリートと鉄で出来た剥き出しの蔵。
 三度身体を引き摺り、積み上げられたコンテナ群を目指し、彼は歩き始めていた。


 第三幕:来訪者たち -Visitatores quis-

『もう一つ、貴方達に与えるべき任務があります』
 気付けばすぐ近くにいたその鴉──もとい鴉型の式神越しに宗主は言った。
 柵の上に止まってこちらを見つめている金の瞳。聞く限り、その声は妙齢の女性のものの
ように思える。
 麻耶や正明ら巫監の五人は勿論、瀬名川母子(おやこ)や聖もそんな発言とこの状況に少
なからず戸惑っていた。それでも宗主は構わず、静かな威厳を湛えながら、少し間を置いて
一同を見渡すと話し始める。
『先日、我々巫事監査寮に“清十字騎士団”から本国への進入許可申請が来ました』
「清十字……騎士団?」
「イギリスを拠点にしている魔術結社の一つだな。こと魔術災害・犯罪への対応に特化して
いて、構成員らの戦闘能力はかなり高いと聞く」
『ええ。貴方は知らないかもしれませんが、魔術結社というのはこの国以外にも大小様々に
存在しているのですよ』
 面々の中で唯一、魔術それ自体に素人である聖が漏らした疑問符に武蔵が答えていた。鴉
もとい宗主も一見穏やかな物腰でそう付け加える。
「と、いうことは……英国(むこう)で魔術犯罪が?」
『はい。先日現地で逃走した犯人が、どうやら本国──この潮ノ目市近郊に流れ着いたらし
いことが判明したのです。そこで騎士団本部からの追討部隊派遣に当たり、予めこちらとの
事前了承──根回しが来た、という流れですね」
「……そうでしたか。では我々への追加任務というのは、その補佐のような……?」
 既にある程度の素性は分かっているらしい。現地出身者(アリス)からの問うような言葉
に、宗主は先程よりも心持ち丁寧な声色をしていた。
 根回し。
 聞く限りでは何かとネガティブな響きだが、こと秘匿されなければならない魔術師の世界
においては大事なこと。
 凛が再び、意図を咀嚼するようにしてから促そうとした。だがそれを、ずいっと正明が、
文字通り言葉も身体も割り込むようにして訴え出す。
「せ、僭越ながら宗主様。お待ちください。ここには“部外者”達がいます。任務の為とは
いえ御身自ら……。お話でしたら、場所を変えて──」
『そうはいかないのですよ。今回の任務には、彼らが──そこにいる相馬聖が必要不可欠な
のですから』
「えっ?」
 しかし当の宗主は落ち着いていた。想定していた反応だったのだろうか。
 面々が声を揃えて驚き、割り込んだままの格好で正明が固まっている。そんな中で麻弥も
狼狽を隠せないまま、兄や仲間達、そして聖らの方を交互に見遣っている。
『その魔術師(ざいにん)というのは……魔法使いなのですよ』
 衝撃的な事実は、そう極々自然な口調で告げられた。
 彼女は言う。今回事件を起こした魔術師、罪人は魔法を得た者でもあるのだと。
 面々は総じて目を見開いていた。正明達四人は驚きにわかに緊張し、麻弥は動揺を更に深
める。アリスと晴はお互いに顔を見合わせ、聖はじっとこの宗主の顔(もとい鴉)を見つめ
ている。
『今回の任務は二重構造です。先ほど卯月君が言ったように、貴方達には件の騎士団から派
遣される部隊の補佐を務めてもらいます。ですがそれは表向きの話。貴方達に我々が命じる
のはただ一つ──“この魔法使いを相馬聖に倒させること”です』
 そうして、ぴんと張り詰めた緊張は一切の弛みをなくすように正明達を縛り上げた。
 厳粛で在れる訳がない。
 一斉に面々が黙り込んでいる聖を見る。彼は先程からずっと目を細め、まるでそこに分厚
い壁を建てているかのように宗主の方を見つめて動かない。
「なっ……。なっ!?」
「ご説明、願えますか? 何故そのような話になっているのです?」
『勿論。そのつもりでこうして直々に式神を遣ったのですからね。──魔法使い・相馬聖。
その現保護責任者である瀬名川アリス殿。貴方がたのことは既に耳にしています』
 武蔵の押し殺した問いかけに、宗主はやはり朗々と応えた。金色の双眸が聖を、瀬名川母
子をスッと捉えている。
『……発端は政府からの一報でした。どうやら今回の、魔術薬の一件に関する報告を見て、
政府内から不安の声が上がっているようなのですよ。相馬聖(まほうつかい)などいう危険
人物を野放しにしているのか? すぐに始末すべきだ、とね』
「そ、そんなっ! ひー君は──」
『分かっています。頷ける筈ないじゃないですか。確かに魔法使いとは存在そのものが異端
ではあります。ですが相馬聖という個人に関して観れば、その覚醒から十年“他に”これと
いった罪を犯している訳ではないでしょう?』
「……」
 殆ど悲鳴のように、逸早く麻弥が反応していた。しかし尚も宗主は続け、自身に即抹殺の
意思が無いことを示した。
 それでも聖は、アリスや晴は浮かない顔をしている。宗主の宥めるような二言目にホッと
した様子の麻弥を、三者三様の眼差しで以って一瞥していた。
『魔術師とは技能者です。科学とは異なった理論と実践、道を辿ってきた──いち技能者な
のです。それをただ危険だからと、その力が恐ろしいからと安易に迫害を許すという事は、
それは即ち能力がある者は殺すという狂ったロジックを認めることに他なりません』
『まったく……まるで蛆のようじゃ。魔術側(こちら)のことは魔術側(こちら)で治める
ゆえ手を出すなと言うに、しつこくしつこく干渉してきよる』
『最近の世人達は領分というものを知りませんな。魔術も科学も、越えてはならない一線を
守ってきたからこそ、今日まで存続しているというのに』
『……そうですね。彼らはただ、我々が魔術師だから──自分達には理解できない存在であ
るが故に、そう声を張り上げているだけなのでしょう。逐一相手にせぬことです』
「そ、そうです……よね?」
「しかし、宗主様? それで政府側(れんちゅう)が納得したとは思えないんですが……」
「だよなあ。あいつら、何かにつけて無茶言ってくるし……」
 麻弥が、伴太が正明が。
 当の魔術師達はそう胸を撫で下ろし、さりとて安堵し切れないでいた。式神の向こう──
巫監本部にはどうやら宗主以外の幹部達も同席しているらしく、ぽろぽろとそんなある種の
蔑みを含めた嘆声が聞こえてくる。
『ええ、だからこその今回の追加任務なのですよ』
 だからか、なお怪訝な正明達に宗主は言った。
 短く、厳粛に。話の流れをさりげなく本筋に戻す。
『……示す必要があります。彼が、魔法使い・相馬聖が我々にとって脅威ではないこと──
もっと言ってしまえば“利用できる(つかえる)”存在であることを示す必要があります』
「だから……そのイギリスの魔法使いを倒せ、と?」
『そうです。魔法使いを凌駕する魔法使い、そんな人材が自分達のコントロール下にある、
そう彼らの側に思わせておけば、先日からの理不尽な要求も収まるでしょう。何せ我々は政
府直属の機関という扱いなのですから』
 ふふ。決して本心はそうではない、そんな場の面々も重々承知だが敢えて口にするまでも
ない建前を盾に、彼女は上品に笑っていた。
 つまりそういうこと。この街に逃げ込んできた魔術犯罪者もとい魔法使いを、聖という魔
法使いが破る──その命令を忠実に、最終的に実行することが今回の任務という訳だ。
「ま、待てよ! そんな身勝手な──」
「晴」
 それでも最後の最後まで、晴だけは反対していた。
 いや、嫌悪感というべきものだろう。それは“大人の事情”への反発であり、聖をあくま
で義弟(かぞく)として扱いたい彼の心根が成したものだったのだろう。
「落ち着きなさい。私達に拒否権はない筈よ。もしこれで聖を協力させなかったとして、今
後あなた達の身が安全である保証はある? 政府が聖を狙うようなことがあれば……それが
何を意味するか、分からない?」
「──ッ!?」
 しかしそんな彼を止めたのは、他ならぬ母(アリス)本人だった。
 身を乗り出さんとしていた晴を止め、そう自身の感情を押し殺すように告げるアリス。す
るとそんな母の言葉に眼に、彼ははたと何かを悟ったように反論の術すら失う。
『……ご理解いただけたようですね。賢明なご判断、感謝致します』
 そして宗主は静かに呟いていた。じっと見返す、項垂れるこの母子(おやこ)に、彼女と
正明・麻弥兄妹以下巫監のメンバー達も思い思いの顰めっ面を遣っている。
 防がなければならないのだ。
 政府(かがく)が魔術(こちら)側に干渉する状況を許し、為させてしまえば、互いの世
界の均衡は大きく損なわれる。それだけは、何としても防がなければならない──。
「……。聖は、それでいいのか? それで」
 まるで我が事のように唇を噛み、晴は問うた。彼を含め、またおろおろとし出す麻弥、む
すっと明らかに不機嫌面になっている正明など場の面々の視線が再び聖の方へと向かう。
「……構わない。それが、色んなものを守ることになるのなら」
 酷く機械的な声色のように思えた。或いは魔法使いとしての“自分達”を演出し、その感
情を殺す為なのか。
 晴が目を瞑って唇の中で息を吐いていた。麻弥が哀しそうに、しかし何も声一つ掛けてや
れることもできず、押し黙る凛らの傍に佇んでいる。
 ふぁさっと、宗主もとい鴉の式神が翼を広げて柵から浮き上がっていた。もう一度、ほう
っと金色の瞳を輝かせながら言う。
『決まりですね。では、詳細は追って知らせます』

 期待していますよ──?
 言い残し、次の瞬間鴉は十文字の和紙に為ると、遠く風に運ばれ飛んで行ったのだった。


「……」
 どうしても、塞いだ気持ちが晴れてくれない。
 宗主から新たな任務を命じられた後、麻弥達は件のビジネスホテルに再チェックインして
いた。正直言うと少々ばつが悪かったが、こればかりは仕方ない。
 当初そうだったように入ったのは二部屋、男性陣・女性陣で一部屋ずつ。
 麻弥はベッドにぼふんとうつ伏せになって布団に埋もれ、先刻からずっと悶々とした想い
を抱え続けていた。
(ひー君……)
 その対象は、言わずもがな聖のことだ。
 十年前、魔術師達が起こした事件。以来ずっと──御門家に貰われたというこちらの事情
もあったとはいえ──音信不通だった幼馴染の男の子が生きていた。
 だけど、再会した彼はもう以前の彼ではなくて……。
 魔法使い。異端の術を行使した者。
 一体何の為に手を伸ばしたのかは分からないけど、本来の彼はいなくなっていた。代わり
に存在する(いる)のは、相馬聖という肉体(うつわ)に宿る十三人の魔法使い……。
「大丈夫、麻弥ちゃん?」
 そうしていると、ふと凛が傍まで近付いてきた。
 艶のある、でも優しい声。見ればその手には二人分の紅茶が淹れてある。
 どうぞ? そう促されるように微笑みかけられ、麻弥はのそっとベッドから身体を起こし
て対座した。カップを受け取り、口をつける。……いい香りだ。悶々とした心がそっと解き
ほぐされるような感じがする。
「相馬君のこと、やっぱりショックだったみたいね」
「……。はい」
 自身もカップに口をつけて一口二口と飲んでから、凛はそう努めて静かに言った。両手で
カップを持ち、麻弥はぼうっと、彼女と顔を合わせることもできずに肯定する。
「嬉しかったんです。もうあの事件で、お父さんもお母さんも、私を知っている人は皆いな
くなっちゃったって思ってましたから……。でも、あの時ひー君を見つけて、生きてるって
知って。それで……」
 凛は黙っていた。訥々と語り始める彼女をそっと見守っている。
 麻弥は言葉こそ希望の片鱗だったが、それはすぐに泡沫だったのだと悔やむ。
「馬鹿みたいです。聖君──《羊》さん達もきっと、動揺したと思うんです。私が舞い上が
って名乗ろうとしたから、学園まで乗り込んで来たから。この前瀬名川君のお家にお邪魔し
たのも、それを謝りたかったってのもあって……。でも彼は、謝るのはこっちの方だって言
ってて……」
 言葉が途切れ途切れになっていく。両の眼からぽろぽろと涙が零れていく。
 凛は黙っていた。そして心の中で、やはりこの娘は優しいなと思った。
 実際、一度はその彼によって死にかけたのだ。幸い正明君(あに)によって間一髪助けら
れたからよかったものの、潮ノ目学園での一件は明らかに、魔法使い・相馬聖は彼女を亡き
者にしようとしていた。たとえそれが十三人の内の一人が暴走した結果であると過小評価し
ても──尚も彼女が彼に温情を抱くには、本来マイナス材料過ぎる。
(やっぱり、そういう事なんでしょうね……)
 だから、同じ女だから、凛はフッと哀しい苦笑を隠し切れない。彼女はサイドボードに自
身のカップを置くと、そっと項垂れる麻弥の背中を頭を優しく擦ってやった。
 堪えていたその涙が、カーペットの上に落ちた。
 尚も彼女は声を殺しているものの、凛は辛かろうその心情を容易に察することができた。
 恋慕──幼き日の思い出と共に、きっと彼女の孤独を支えてきたもの。それが変わってし
まった、目の前でその当人自身に変えられてしまったショックはきっと大きかろう。
 何とも酷な話ではないかと思った。いや、どちらにせよ……か。
 あのまま任務終了と京都(むこう)に帰ったとしても未練はあったろうし、かといってこ
うして追加の任務──滞在が延びても彼とこの子の間のそれらが直接好転する訳でもない。
「……もう、元の聖君は戻ってこないんでしょうか……?」
 そうして擦ってやること慰めてやること暫し。やがて麻弥は、ぼうっとカップの水面を眺
めたまま呟いていた。
「難しいわね。それってつまり、魔法の代償として消えた相馬君本人を取り戻すってことで
しょう? 理論上、なくはないけれど……」
 驚き、しかし嗚呼やっぱりと思いつつ、凛はそっと口元に軽く握った拳を遣っていた。
 麻弥がゆっくりとこちらに顔を上げている。凛はそんな彼女と目を合わせ直し、そう優し
く諭すように言う。
「養成所で習わなかった? 魔法使いの呪刻について」
「呪刻……。あの、腕にあった刺青みたいなものですよね? 聖、君にも……ありました」
「そう。じゃあやっぱり魔法使いだってことは間違いないわね。これは、アリスさんの話し
ていた通りであるという前提での話だけど──」
 彼女は一度小さく目を瞑り、そして深呼吸をしてから目を開いた。
 躊躇い。だけど多分、彼女自身が向き合わないといけない事なのだろうと思い、続ける。
「代償を取り戻す方法自体はあるわ。その呪刻を第三者に譲渡するの。具体的には“第三者
に魔法を使わせる”こと。それができれば理論上、彼が払ったとされる代償──本来の相馬
君が戻ってくる。手に入れた魔法は、失うけれど」
「そ、そんなの……!」
「ええ。だから魔法は“呪い”なのよ。一度手を出してしまえば、その喪失を取り戻す為に
はまた新しい魔法使いを生み出すしかない。魔術界(わたしたち)において、魔法使いが忌
まれる存在とされる理由の一つよね」
「……」
 尤も、相馬君は魔術それ自体には素人みたいなのよねぇ──。
 凛は最後にそうにわかにフッと思案顔になって呟いていたが、麻弥はもうその事実を聞か
され、思い出し、絶望に近い動揺に震えていた。
 ぎゅっとカップの取っ手と底を握る。
 そんなこと、できる訳ないじゃないか……。
 間違いなく躊躇いがあった。ひー君を助ける為とはいえ、新たな魔法使いを──身代わり
を用意するなんて。
 いや……そもそも自分にそんな資格はあるのか? 彼に、彼らにその意思はあるのか? 
何よりひー君(かれ)が自身の存在そのものを擲ってまで手にしようとしたものの正体を、
自分は何一つ知らないのだから。
「──」
 残っていた紅茶に口をつける。先程よりも幾分、温くなってしまった。
 香りはまだ、ちゃんと鼻腔をくすぐっている。
 だけど……その良い匂いはもう、再び湧き上がるこの不安を解してはくれなくて。

「……」
 一方の男性陣の部屋。そこではずっと張り詰めた空気が支配していた。
 原因は明らかだ。正明である。彼がずっと、先程から敷いた茣蓙(ござ)の上でその太刀
の手入れを続けていたからである。
 ぽんぽんと打粉を塗し、ぴたりと止まる手。刀身に彼自身の顔と、同室の武蔵・伴太両名
の姿が映り込んでいた。ギラリ……。そんな言葉もない鬼気に、伴太はビクビクと腰掛けた
ベッドの上で震え、時折彼を恐る恐る見遣っており、一方で武蔵はやれやれといった様子で
自若。窓際の肘掛け椅子に座って静かに茶を飲んでいる。
「……不服か? 正明」
「当たり前だ」
 そうして、どれだけ重苦しい沈黙が流れていただろう。やがて怯える伴太を見かねてか、
武蔵がそう肩越しに正明に一瞥をくれると言葉を掛けていた。
 振り向きもせず。しかしそれは、さも彼の吐露を促すような一言になった。
「俺達は政府の道具なんかじゃねえっつーのに……。何でまた相馬聖(あのガキども)を巻
き込まねぇといけないんだよ」
「それは宗主様も仰っておられたろう? 大を守る為のご判断だ」
「分かってるよ。分かってるけどさぁ……」
 ぽんぽん。言葉遣いとは裏腹に、打粉を塗す手つきは慣れたもので、丁寧だった。
 もしかしなくても、敢えて得物の手入れをすることで自身の感情(いらだち)を解きほぐ
そうとしているのかもしれない。伴太は気持ち縮こまっている。武蔵は湯飲みの中の茶を飲
み干し、今度は身体ごと彼の方へと向いていた。
「どのみち素人とは分かり合えないさ。棲み分けるしかない。そうだろう? 無知が偏見を
生む。だがそれらと“闘う”ことで得られるものはそう多くはない。故に互いの世界は領分
を越えるべきではないと戒め続けてきた」
「魔術師的思考、ね……」
 武蔵は敢えて後者の台詞(ことば)には反応しないつもりらしかった。
 代わりに繰り返す。宗主──自分達が所属する魔術結社の長が下した判断、それに従う。
彼女達が一見政府におもねるような手を打とうとも、それらは長い目で魔術という世界全体
を守る為である……。
 正明は呟き、ため息をついていた。刀身にゆっくりと紙を滑らせ、打粉を拭う。
 不服。確かにそうだ。だがそれは別に、任務自体に対してじゃない。
 相馬聖。あいつがまた絡むということ、その一点に関してのみなのだ。麻弥(いもうと)
の心に少なからぬ影を落とす、あの魔法使いに対してなのだ。
 ……気に食わない。やっと立ち直ったあの子の前にふらりと現れやがって。幼馴染だか何
だか知らないが、あいつは麻弥を傷付けた──実際に危害を加えた相手なのだ。
 とはいえ、こちらも抜かりがあったと言えばそうなのかもしれない。奴がいたという話自
体は麻弥本人から何度か聞いていたし、その後どうなったかくらい調べておくべきだった。
まぁ確かに魔法使いになっているなんて予想はしていなかったが……少なくとも宗主や上層
部は知っていたとみえる。ほぼ町一つを瓦礫に変えた魔術犯罪だ。むしろ把握していない方
が不自然ではある。
「そこは分かっているつもりさ。どのみち俺達がこの街にいて、例の逃亡者がこっちに流れ
着いたらしいなら、俺達が当たるのが筋だろうよ。だけどな……俺は信用ならねぇんだよ。
あの魔法使いと共闘だなんて。宗主様もあいつが麻弥にやろうとしてた事を知らねぇ訳じゃ
なかろうに。お前だってそう思うだろ? 伴太」
「えっ!? あ、はい。そうですよね……。麻弥さんと、彼は……」
 だから一度ぐっと言葉を感情を呑み込んで、正明は言った。太刀と手入れ道具を手にした
まま、座する向きを変えてこの二人を見る。
 急に同意を求められ、伴太はビクッと肩を震わせたが、程なくして彼は首肯していた。
 ただその頬は何故かほんのり赤く、ばつが悪そうに視線を逸らしながらの返事ではあった
のだが。
「気持ちは分からんではないがな……。だが彼には瀬名川母子(おやこ)がいる。実際あの
時も鎮静剤とやらで大人しくなったではないか。全くの“放し飼い”でもなかろう?」
「そういう問題じゃねぇんだよ。その、兄貴としての責任っつーか何つーか……」
 それでも武蔵の方は変わらず冷静だった。
 落ち着いて説くように、そして何処かこちらの心中をとうに察しているかのように。
 今度は正明がばつが悪く視線を逸らす番になっていた。漏れる声色は先程よりもずっと弱
腰になり、つい可愛がってきた義妹への心配(つくろおうとするほんね)がにじむ。
 ──ふっと張り詰めていた場の空気が、和らいだ気がした。
 しかしそれも束の間。次の瞬間にはついっと刀身に油紙を通し、正明はガチャリとその太
刀を握り直していた。
 磨き上がった刃。そこには再び深く眉間に皺を寄せた彼本人の表情(かお)が映る。
「……俺にも分かる。苦しむんだよ。相馬聖(あいつ)と一緒にいると、麻弥が」

 別れの日であった筈の今日が繋ぎ止められ、また明日に続こうとしている。
 すっかり日が落ちてしまった空は闇に染まった黒色で、どんな悩みも彼の彼女の、己が中
へと押し戻される。
「……」
 瀬名川家(じたく)の屋上。
 そんな薄曇りの空の下でただ一人、聖はじっと、波打つ夜風に吹かれていて……。


 船が着岸し、中にいてもその揺れが伝わった。
 本国から遥々。クラリッサ・L(ルイス)・アンダーソンと彼女が部隊長を務める清十字
騎士団の面々は、揃いの紺の洋法衣を纏って潮ノ目港の一角に降り立っていた。
「んっ──」
 朝の潮風をいっぱいに浴び、彼女は静かに深呼吸する。
 揺れる髪は澄んだ空色のような淡い青、緩く結んだポニーテール。ゆっくりと開いた瞳は
綺麗なエメラルド色の翠。年は二十歳になるかならないかといった所だろうか。ただ欧米人
という人種は勿論、彼女自身のスラリとした体型が相まって、一見した限りではもっと大人
びて見える。
 とはいえ、存外に若い隊長であるのは間違いないだろう。
 実際、すぐ後ろでのんびりと気だるそうにしている、線目でもさもさ茶髪の男性──同隊
の副隊長エリオット・ベイカーは今年で二十七になる。他にも隊のメンバーの大半は彼か、
彼よりもう少し年上といった外見の者が多い。それだけで彼女の、魔術師としての能力の高
さが暗に示されているとも言える。
(……此処が、サムライの国なのですね)
 観光ではないことは重々分かっているが、それでも彼女の心は幾許か嬉々としていた。
 初来日。異国の少女はかねてより聞き及んでいたこの国・日本について、今回の来日に当
たり色々と想像を膨らませていたからだ。
 先ずは嗅覚、潮の香り。木々の匂い。場所が違えばまた違うのかもしれないが、総じてそ
れらは祖国に比べてぎゅっと濃く押し込められている、そんな印象を持った。
 目に映るのは、人気の少ない船着場の風景。今回の事情が事情だけに当局が“人払い”を
施しているからかもしれないが、少々物寂しい。
 ついっと空を、遠く広がる街の方を眺めてみる。遠目とはいえ、あまり統一性は見出せな
さそうだ。現に今自分が立っている周囲の建物群ですら、高さも意匠も疎らに思える。なる
ほど。現代日本において都市がややもすれば猥雑であるという話は本当らしい。
(キョウト、ナラにでも行けば、違うのかもしれませんが……)
 気持ちしょんぼり。その脳裏に流れていくのは、典型的な旧き良き日本のイメージ。
 侍、富士山、寿司、天ぷら、芸者──何より彼女が文献を見聞きし強い興味を抱いていた
のはこの国の武士道(ブシドー)であった。
 剣を携え、主と祖国の為に身命を賭して戦う、潔さの文化──其処には彼女の祖国で云う
騎士道に通じるものがある。
「隊長?」
「……。ええ、行きましょうか」
 そうしていると小首を傾げてエリオットが声を掛けてきた。いけない、また夢想の世界に
旅立ちかけていたようだ。ハッと我に返り、クラリッサは彼らを引き連れて歩き出す。
 本部からの情報では、今回この国の魔術結社──巫事監査寮の魔術師達がサポートについ
てくれるのだという。予定ではこの中央区にて、その派遣された彼らと落ち合う手筈だ。
 素直にありがたいと思った。何分こちらには土地勘がなく、たとえ奴もまた条件は同じ筈
だとしても、こちらで満足に動けるか一抹の不安があったのだ。
 一刻も早く奴を捕まえなければと思った。
 魔術犯罪、それも魔法にまで手を出した重大事件を野放しにしておく事はできないし、何
より自分がかねてより憧れていたこの国を、美しい姿を、奴に破壊させる訳にはいかない。
(……うん?)
 そんな最中だった。船を着けた区画(内密故、立たぬ位置に着岸している)から港の中心
部まで足を運び、彼女が見たのは……桟橋の中ほどで佇んでいる、一人の少年だった。
『──』
 さわさわ。寄せる波音と海鳥の声。
 クラリッサは何気なくそんな彼に目を遣っていたのが、ふと気付いた時には何処からとも
なく、何か餌を与えた訳でもないのに、彼へ次々にカモメ達がやって来ては留まり、纏わり
付き始めていたのだ。
 彼女と、そして部下の何人かも、ややあってその様子に目を見開いていた。
 誰だろう? 不思議な感覚。少年はそっと片手を伸ばし、ただカモメ達にじゃれつかれる
がままにされている。
「……」
 しかし何故だろう?
 光景それ自体はとても穏やかで優しいのに、その横顔は何だか哀しそうで──。
「何だ、そこにいたのか」
 すると道を挟んで桟橋と向かい合う建物の中から、また一人別の少年が出て来て彼の姿を
認めていた。
 ナチュラルな金髪。自分達と同じ人種か。どうやら二人は顔見知り、それも相当に親しい
間柄であるらしい。こちらの少年の呼び掛けに彼はカモメ達を空に放たせると、それまでの
佇みに未練をみせるもことなく歩き出していた。
「えぇっと。貴女がアンダーソン隊長、ですかね?」
 そうして程なく。クラリッサ達は合流する。
 自分達の姿を認め、そう確かめるように近付いてくる一団があった。
 人数は五人。彼らを率いる、肩に長い布包み──おそらく剣や長銃の類──を引っ掛けた
黒コートの青年と、がたいの良い大男。アジアンビューティーな妙齢の女性と、自分より更
に若いと思しき少年少女が一人ずつ。加えて見遣れば、先の少年二人がこちらへ駆け足でや
って来るのが彼ら越しに見えた。……どうやらあの少年も魔術師らしい。
「はい。では貴方がたが今回、我々をサポートしてくださる……」
「ええそうです。自分は巫事監査寮所属、御門正明。こっちは羽賀と卯月、んで物部。あと
妹の麻弥です」
 クラリッサが肯定し、訊ね返すと、彼──魔術師ミカドはそうざっと場の面々を紹介して
くれた。こちらもエリオットと併せ丁寧に名乗る。だが、言っては悪いが、クラリッサは既
見透かしていた。この人は……あまり堅苦しいのは得意ではない。
「あの~、あっちの二人はお仲間じゃないんです? あ。追いついてきた」
「……まぁ、そう括ろうと思えば括──」
「え、ええ! そうです。扱いはちょっと違いますが、同じ魔術師ですよ?」
 相変わらずぼやっとした様子で、エリオットがそうクラリッサよりも先にその質問を投げ
掛けていた。幾分間を置き、正明が答えようとする。だがそれを遮って、麻弥が強く修正す
るかのような苦笑いで被せていた。
「扱い?」
「在野の、という意味ですよ。我々は組織直属の構成員ですが、彼らはこの現地で雇った嘱
託の魔術師でして」
「さぁ、騎士団の皆さんがお待ちかねよ。挨拶して?」
「あ、はい……。初めまして、瀬名川晴です。見て分かると思いますが、ハーフです。母が
イギリス人で、父が日本人です。今日は母の代理でお邪魔しました」
「……。相馬聖といいます。よろしく」
「ご丁寧にどうも。改めて初めまして。当隊の指揮を執っているクラリッサ・L(ルイス)
・アンダーソンです。皆さんのご協力、感謝します」
「同じく副隊長のエリオット・ベイカーだ。いやぁ、驚いたね。うちの隊長も若いが、更に
若いのが四人もとは……。ふぅむ? 日本も中々やるもんだ」
 ははは。何とも能天気なエリオットの笑い声が辺りに染み入る。クラリッサや正明がそん
な彼にジト目を遣っていたが、当の本人はぼさぼさの茶髪をぽりぽりと掻いているだけで気
にもしてないらしい。
 晴と聖が追いついてきて、これで双方の捜査関係者が揃った。行動開始だ。
「では、早速会議といきましょう。あちらに私達の船があります。立ち話も何ですから」
 かつん。軽くそのまま半身を返し、クラリッサは言う。

 クラリッサ達が乗ってきたのは、やや中型のクルーザーだった。
 内装はシックさを基調とした、派手さこそ無いが機能的なものだ。清十字騎士団は中々ど
うして豊かなのか、或いは他国への派遣ということもあって体面を重視しているのか。
 どうやらそこはかとなく結界を施してあるらしい船内。そのリビング的スペース、中央に
設えられたつやのある円卓を囲み、一同は席(ソファ)に着いていた。
「エリオットさん」
「あいあい。どうぞ」
 促され、エリオットが小脇に抱えたファイルをその卓上に出してくる。
 ぱらぱら。捲られる頁。するとそこには、短いアッシュブロンドの髪をした、微笑の中年
男性の写真が挟まっていた。取り出し、クラリッサが皆に見えるようにして言う。
「デズモンド・ボートン。今回の事件の犯人と目される人物です。彼は犯行後我々の同志ら
と交戦し、逃走しました」
「この人が? 優しそうな人ですけど……」
「ま、写真自体は何年か前だからね。人相は多少なりとも変わってるかもなあ。んでも、顔
も名前も知らないっていうのは話にならないでしょ」
「……それで? あん──貴女達の国で起きた事件ってのは」
「無理して畏まらなくてもいいですよ。……事件はおよそ二週間前、ウェールズ南岸に程近
い小さな町で起こりました。ボートンは以前からこの町に住んでいて、専門である魔力力学
の知識を活かし、魔術具の調律から生体回路を正すことによるマッサージ治療まで色々細々
と営んでいたようです」
「だけども事件は突然起きた。その日、この町が丸々魔術の力場に置かれてね。その時町に
いた住民──家畜も含めて全員が根こそぎ何者かに魔力を奪われたんだ。酷いもんだったよ
うだよ? 生命と名のつくものはことごとく昏倒、中にはそのまま憔悴して息絶えた者も少
なくなかった。即日、最寄の当局からうちの騎士団に連絡がいった。こんな真似ができるの
はボートン、町に住む唯一の魔術師しかいない。それで現地に騎士達が出動したんだが……
そこで彼らが見たのは変わり果てたように狂うボートンと、人の姿形こそせど人じゃない、
まるでゾンビのような使い魔の大群だったんだそうだ」
『……』
 クラリッサと何度か言葉を引き継ぎ合い、エリオットは語った。
 麻耶や正明ら巫監の面々、そして晴の表情が一斉に険しいものになる。
 それでも……唯一聖は表情一つ変えず黙っていた。じっと、微笑を浮かべるデズモンドの
写真を見つめたまま、独り何かを考えているかのようだった。
「一体、何の為に?」
「分かりません。ただ確かなのは、彼が駆けつけた同志達と交戦し、少なからぬ傷を負いな
がらも逃走してしまったということだけです。すぐに警戒網が敷かれたのですが、何分彼が
放置した使い魔達の始末に手間取ってしまいまして……結果、後手に」
 両手を組んで眉を顰めるクラリッサは、本当に悔しそうだった。
 麻弥が思う。晴は考える。彼女は……かなり正義感の強い人物らしい。
「その後のことはそちらも既に聞いていることかと思います。うちらが小さな港までカバー
できなかった内に滑り込まれ、それで」
「流れ流れて、日本(こっち)まで来た、と……」
 ええ。エリオットの結びに、正明はそう呟いて静かに嘆息をついた。
 なるほど。そう繋がってくる訳か。
 宗主からの、本部から追加されてきた情報によれば、件の犯人・デスモンドはそんな警備
の隙を縫い、とある貨物船に紛れたのだという。
 船自体にその存在は確認されなかった。ということは……貨物だ。おそらく彼は積まれた
コンテナの一つに入り込み、まんまと逃亡したのではないか? あれだけ重い鉄の箱を一つ
ずつ開けようとは、現地の魔術師達も思わなかったのだろう。
 それでも──船自体の行き先は決まっている。調べれば分かることだ。
 故にこうして今回のこの街、この巡り合せとなったという訳なのである。
「その彼が魔法使いだというのは、確かなんですか?」
「はい。それは交戦時、同志ら複数人が目撃済みです。彼にははっきりと、その左腕に呪刻
が宿っていました。後日彼の自宅を捜索した際も、古今東西の“奇蹟”に関する文献が多数
発見されています」
 凛が念の為、確認するように問うた。そんな声にもクラリッサは更に情報を付け加えて答
えてくれる。
 正明らが顔を見合わせていた。麻弥が俯き加減にぎゅっとスカートを握っていた。
 晴がちらとそんな彼女を流し見ている。魔法使いが二人、その事実がどうしても彼女を動
揺させ、怯えさせているのだろう。……一方で、その当の片割れである所の聖は、そんなク
ラリッサが告げた一言に、スッと何か視線を遣っていたようにみえる。
「奇蹟の……。それで何か分かったんですか? その、彼が魔法に手を出したらしい理由と
いうか、動機というか」
「すみません、何分押収した数が多過ぎるもので……。今懸命に別隊らと当局が洗い出しを
行っている最中です」
「ふむ……。とにかく捕らえるのが先決、という訳か。そうだな。事情をあれこれ調べる暇
があるのなら、先ず第二第三の魔術犯罪を犯させないよう、とにかく押さえるべきか」
「……はい」
「そういう事です」
 伴太と武蔵、それぞれの確認と納得を経て、一旦一同は黙り込んだ。添えるような武蔵の
的確な一言。それが否応もなく事態の緊急性を物語っている。
「彼の目的は……まだ分かりません。ですが、実際こちらからの攻撃を受けて彼は深手を負
っています。密航の間に傷を癒したとしても魔術反応が出ますし、四・五日で完治するとは
考え難いです」
 それでも気丈に、クラリッサは一同に向かって口を開いていた。そんな彼女の様子を皆が
一斉に見遣っている。
「先ずはこの港──港湾地区を中心にボートンの足取りを手掛かりを探しましょう。そこか
ら併行して市街へと捜査範囲を広げます。その際は土地勘のある巫事監査寮の皆さんの助力
を頂きたく」
「まぁ、つっても俺達だって地元人じゃねぇけど……。伴太、地図」
「は、はい」
 会議は大詰めになり、実際の作戦立案に移っていた。正明に促され、伴太が鞄から取り出
した潮ノ目市一帯の地図が何種類か広げられ、当面の捜査エリアが決められていく。
「──では始めましょう。皆、いいわね?」
「──俺達は分かれて回るぞ。俺、凛と麻弥、武蔵と伴太。あと瀬名川と相馬だ」
『Yes Ma'am!』『了解!』
「ん……」
 クラリッサと正明と、双方のリーダーが音頭を取る。
 騎士団達はさも軍人よろしく、晴を含めた麻弥達は各々に、そして聖は寡黙に。

 魔法使い討伐(はんにんさがし)が──始まった。


 僕らが相馬聖を名乗って暮らしていけるのは、その原典(オリジナル)の記憶がこの器に
もまだ残滓として残っていたからだ。本来の彼を知る者達の記憶を喰い、相馬聖という人物
の「知識」を蓄えてきたからだ。
 僕らがこちら側に降り立ち、襲われた強い衝動。それこそが彼の願いだった。
 ──力。彼は“如何なる理不尽をも薙ぎ倒す力”を欲したのだ。
 故に僕らは殺した。あの魔術師達を。彼がそう願うに至った、彼を絶望させ狂わせた元凶
である二人を。
 故に僕らは助けた。彼が絶望にあっても尚、大切な人だとその記憶に刻み、僕らに救って
やってくれと命じた少女を。
 故に僕らは喰った。抜け殻の自分達が相馬聖(かれ)を名乗る為に引き継ぐ為に、彼を知
る者達を、その記憶の残滓を手掛かりに捜し当て、喰らった。
 なのに否定された。あの日割り込んできた魔術師達によって僕らは取り押さえられ、これ
以上暴れるなと強く強く釘を刺された。紆余曲折あってその後、自分たち相馬聖は魔術師・
瀬名川アリスの保護観察下に置かれ──現在に至る。
 何度も疼いてきた。僕らはその抑圧と闘い続けてきた。
 瞳を閉じれば、意識をこの内側に向ければ、ありありと視える。
 赤、水、茶、白、銀、青、緑、黄、金、紫、灰、紺、そして橙色。僕たち十三人の魔法が
ぐるりと空っぽの“核”の周りを囲み、それぞれの魔力を灯している。
 皆の性質は様々だ。それこそ戦いに積極的な者もいれば、消極的な者もいるし、或いはそ
もそも何を考えているか望んでいるか表明せず、分からないなんて者もいる。
 それでも……十三人の意思は総じて前者に傾いていた。それは原典(オリジナル)が望ん
だことでもあるからだ。
 力。如何なる理不尽をも薙ぎ倒す力。即ち“最強”であること。
 では、それを誰が証明する? 何を以って証明する?
 他にあるまい。とにかく戦い続けること、負けることなく勝ち続けること。そのことによ
ってのみ、僕らは僕らであり得ると主張される。それが原典(オリジナル)が自分達と己を
入れ替えてまで“願った”大義(りゆう)なのだから。

 だが……この僕という個は、次第にそのことに意味を見出せなくなっている。
 有体に言えば「虚しい」という感情なのだろう。自分という魔法がその性質上、直接的な
攻撃力に向いていないこともあってか、比較的戦いに消極的な立場は以前よりも強まってき
たのではないかと思う。
 なので、しばしば哂われる。他の僕ら、こと戦いを渇望する者達からは『甘い』だの『表
に出過ぎて絆されている』だのと揶揄されることも珍しくない。
 そうなのだ。僕らは十三人の魔法で、相馬聖(オリジナル)ではない。
 なのに……彼女はとても哀しそうに見えた。
 谷崎、改め、御門麻弥。
 原典(オリジナル)と親しかったという幼馴染の少女──知識はそう告げている。そして
今は巫事監査寮の魔術師……。

 何を迷うことがある。実際に一度、自分達は本物(オリジナル)ではないと彼女に告げた
ではないか。禁(いさ)めたではないか。
 これは好機だ。許可の必要性という不自由さは続くとはいえ、戦える。この執拗に疼き続
ける衝動も、これで少しは大人しくなるかもしれない。

 嗚呼、そうだ。
 僕らは呪い(まほう)。ヒトではないのだ──。

「……」
 はたと我に返り、聖は意識を現実(リアル)に引き戻した。少し遠めから波や風の音が聞
こえてくる。
 場所はあれから変わり、同港湾地区の一角。紺の法衣を纏った騎士団の面々があちこちに
放射状に散開し、デスモンドの足取りを示すような痕跡を探し回っている。
 一方、巫観の面々は半ば傍観者な状態だ。
 会議での決定通り、市街に捜査網が延びていくまでは暇だというのもあるのだろうが、三
班に分かれた彼らはゆっくりと巡回を繰り返しており、凛・麻弥ペアから武蔵・伴太ペア、
そして正明単騎というローテーションが先刻から何度かこちらにも姿をみせている。言わず
もがな、それはデズモンド本人の出現を待っている──彼を自分達で仕留めるという本来の
任務・目的を隠し持っているからに他ならない。
『──』
 今は、気付けばまた正明だった。
 積み上げられたコンテナ群がずらりと並ぶこの区画。まさかまだ中にいる訳ではないだろ
うが、予想された逃走(密航)の手口からして痕跡があるとすれば此処が一番怪しい。
 騎士達が灰色の地面を、頭上高いコンテナらを、丹念に視ている。
 麻弥が来ていた時もそうだったが、どうにも正明の向けてくる視線が頻繁というか殺気め
いているというか……。
 尤も悪印象なのはお互い様だ。こちらの企みが騎士団達にバレない為にも、ここは努めて
無視しておくことにする。
「……ふぅ」
 そうしてぼうっと辺りを見回し、正明が遠くから向けている警戒の眼にわざとそっぽを向
いていた時だった。当局の根回しもあり、幾つか開けられたコンテナの一つに自ら入ってい
た晴が、そう神妙さを顔面に貼り付けて出て来たのである。
「お。どうだった? 何か見つかったか?」
「一応な。だが……妙だ」
「妙?」
 しかしその面持ちはどうにも清々しくない。後から数人、同じように騎士団のメンバーが
出て行ったが、彼らも含めて晴は気難しい様子でこちらに眼を遣ってきている。
「多過ぎるんだよ。奴が潜伏していたらしいコンテナの中だけじゃない。この港のあちこち
で魔術物質が検出されてる。おかしいとは思わないか? いくら計画的な逃走ではなかった
とはいえ、航路を調べられれば追っ手が来ることくらい予想できただろうに」
「ああ。まぁ……」
 その手には岡持ちのような、丈夫な金属製の手提げ鞄が握られていた。
 試しにと聖の目の前に置いて中を見せてくる。そこには数段、スライド式の、零れぬよう
に固定できる試験管立てが設えられており、既に何本もの中身入りの試験管がある。聖は学
問としての魔術は素人同然だが、少なくとも晴がコンテナとその周辺で多くの物証を見つけ
たらしいことは分かる。
「間違いなく、デズモンド・ボートンは此処で魔術を使っている。コンテナの中──逃走中
に傷を癒していたのならまだ分かる。だが回復するにせよ、体勢を立て直すにせよ、自身の
“場”を確保するなら、もっと隠れた──人目につかないような場所を選ぶべきだろう? 
現にこうして見習いレベルの僕にすら気付かれている。それ位、魔術師なら常識なのに」
「……」
 晴はそう心底怪訝そうに語っていたが、聖は内心そんな友を半分滑稽に思っていた。
 常識。魔術師の云う「普通」──さてそれはどうだろう?
 相手は自分の同類(まほうつかい)なのだ。そもそも人間がその力に手を出したという時
点で、奴が“正気”であるとは思えない……。
『──ッ!?』
 まさにそんな時だった。突然、区内の遠くで爆発が起きたのだ。
 聖と晴、周囲にいた騎士団の面々も驚いて顔を上げている。正明が「ちっ……!」と、小
さく舌打ちをしながら一人即座に駆け出している。
 爆発はそれから散発的に続いた。
 東かと思えば西に、南かと思えば北に。あちこちからもうっと黒煙が上がり始めている。
「これは……」
「ああ。もしかしなくても」
 晴が言った。聖もついっと空を見上げながら肯定する。
「き、緊急事態! 緊急事態! 総員、船の区画まで戻れっ!」
「ゾンビだ! 例の、報告にあった使い魔達が攻めて来たぞー!」
 騎士達の伝令が、そう二人の耳にももたらされる。

「船を守れ! ラインを崩すな!」
「三十、四十……。流石に多いな……」
 異変の中心地は船着場だった。騎士団が乗ってきたクルーザーが泊めてある区画である。
 船を背にし、ずらり半円状に並ぶ。
 クラリッサとエリオットは、急ぎ戻ってきた騎士達を含めた部下達に隊伍を組ませ、この
襲撃者らと対峙していた。
 使い魔の群れ。しかし人の姿形こそせど、それらは明らかに人間ではなかった。
 なるほど。報告にあった通りだ。
 彼らは総じて青白くくすんだ肌をしており、服もボロ布のよう。だらしなく開いた口から
はよく分からない液体が垂れ、こちらを見ている両の瞳にもおよそ生気というものは感じら
れない。そんな人もどきが、わらわらと自分達を取り囲もうとしている。
 ……まるでゾンビ。
 確かに、これ以上的確な形容はないのだろう。
「総員、陣形維持を優先して! 合流してくる仲間と挟撃します。下手に追撃はしないで。
まだ相手の意図がはっきりしないわ」
「しかし気色悪いですねぇ。やっぱこいつら、ボートンの僕でしょうか? あっちから吹っ
かけて来るとは、正直思ってなかったですけど」
「ええ。一体どういうつもりなのか……」
 相変わらずエリオットは間延びした声色だが、状況の観察は一本筋が通っている。クラリ
ッサはそんな彼と横並びになり、目の前の光景に思考をフル回転させていた。
 彼が言うように、この者達はボートンからの刺客であると考えてほぼ間違いないだろう。
 しかし……何故? 順当に考えれば手出しをせず、隠れ真っ直ぐに逃げていればその存在
を気取られるのはもっと後になっていた筈だ。それをわざわざふいにするように、自分の方
からけしかけてくるとはどういうつもりか。
 観るに、ゾンビな使い魔達は二重の円を描いて取り囲んでいるようだった。
 一方は外側大回りに立ち、おそらくボーダーを敷いている者。
 一方は内側からこちらににじり寄ってくる者。一先ず迎撃すべきはこちら側か。
 隊の面々から、既に彼によるものと思われる魔術の痕跡──魔術物質を多く検出したとの
報告が入っている。潜んでいたと思われる、密航中“場”としていたと思われるコンテナの
内部を中心に、まるで滴って往くように。
「……」
 やはり妙だ。場(コンテナ)の中はともかく、外に痕跡がある。
 逃走の為か? いや、報告された規模からしてこの使い魔達を造る為と考えた方が辻褄が
合う。だとすればボートンは始めから、こちらが追ってくることを織り込み済みで、尚且つ
それに対抗しようとしていることになる。
 資料を読んだ限りでは、彼は特に戦闘に長けた魔術師ではなかった筈だ。
 となると、彼の意図する処とは──。
「ウ、アァ……ッ!」
 そんな時だった。クラリッサの観察を振り払うかのように、後列の使い魔達がにわかに動
き始めたのだ。近くの倉庫横に置かれていた大きな木箱、鉄のカートや古タイヤ。それらを
彼らは人並み外れた膂力で持ち上げ、一斉にこちらに投げ飛ばしてくる。
「──」
 騎士達が「拙い!」と顔を顰めた。だが次の瞬間、突如としてクラリッサを中心に、皆を
覆い隠すような白く激しい竜巻が起こったのだ。
 飛んできた多数の器物が、その風に乗って巻き上がり始めた。そしてそれらを霞むような
連続の剣閃が捉え、一瞬にして粉々にしたのである。
「……皆の合流を待っている暇はなさそうですね。総員抜剣、彼らを排除します!」
 風が止み、その手には十字架を思わせる一本の長剣が握られていた。
 なびく髪を法衣をそのままにしながら、クラリッサが叫ぶ。鎚(メイス)を握ったエリオ
ット以下場の部下達が、次いで襲ってくる前列の使い魔らと一斉に切り結ぶ。
 吼えるゾンビな使い魔達。その腕力はやはり尋常ではなかった。
 それでも彼女らは清十字騎士団──対魔術災害、戦闘に特化した魔術師だ。
 剣に鎚、槍に攻撃魔術など。
 クラリッサ達は数に勝る、組み付いてくる彼らを次々に討ち倒していく。
「──燃えろ、爆ぜろ、因果応報だ(てめぇのしまつはてめぇでつけろ)!」
 更にその中へ加わる味方がいた。船着場に駆けつけて来た正明である。
 彼はその言霊で後列、外側で邪魔をするゾンビ達を発火させると、低く唸って苦しむその
彼らの隙を突いて一気に突破していった。そして地面を蹴って大きく突入、クラリッサ達が
戦う前列(内側)のゾンビ達を瞬く間に、その抜き放った退魔刀で斬り捨てる。
「ほうら。どいたどいた!」
「あれが使い魔? それにしては……」
 続いて別方向から武蔵や凛、麻弥に伴太と残りの巫監メンバーもやって来た。同時にぱら
ぱらと、散開していた騎士達も集まり出す。
 ぐわんと大きく隆起した豪腕で、尚も取り囲もうとする使い魔達を地面ごと吹き飛ばす。
 その一方で式神──獅子らを放ってこれを遠ざける凛は、そう眉を寄せて呟いている。
「麻弥さん、矢を!」
「うんっ!」
 そして麻弥は破魔蔓を展開、弓に変えて彼らを一体一体撃っていた。
 緩慢ながら動く標的。数は少なからず、見れば建物同士の隙間からまだ沸いてきている。
 手にした鞄の底蓋から、伴太は複数のワイヤーフックを射出させていた。
 それらには写経のような呪文がびっちり巻き付けられており、捉えた使い魔の動きを封じ
込める。麻弥はそんな彼の援護もあり、半透明から翠色へと魔力と祈りを込めて引き絞った
矢を放つと、このゾンビらを浄化──刺さった矢から注がれた力で蒸発させ、抜け殻の人皮
だけに変えて倒していく。
「まさか向こうから攻めて来るなんてな……。全く奴は何を考えているんだか」
「……」
 加えて最後に、晴と聖が駆けつけて来た。晴は少なからず相手の思考が読めずに混乱して
いるようだったが、一方で聖は黙ったまま並走、気持ち遠めを見ているようにみえる。
「? 聖?」
「……いた。人形どもはあいつらに任せる。俺達は親玉を仕留める(ヤる)ぞ!」
 気付いた時には替わっていた。それまで黙していた友に、ふと怪訝になって目を遣ると、
聖は既に黄色に光る瞳──《狼》に替わっていた。彼は晴の返事もそこそこに、そう吼える
ように言い残すと、大きく大きく跳躍する。
『──』
 建物の屋根を次々に跳び、駆ける。そこに聖が見つけた相手がいた。
 コンテナ搬出入用のクレーン。その遙か高い天辺に茶ぼけたダッフルコートに身を包んだ
中年男性──船内で見た写真の姿、今回の犯人、デズモンド・ボートンがじっと彼女達を見
下ろすように立っていたのだ。
 ちらと彼がこちらに視線を送る。だが《狼》はもう射程圏内だった。
 その名の通り獣のような俊敏さでコンクリやトタンの屋根を駆け……跳躍。デズモンドを
その頭上中空に捉えると、落下する勢いに任せ、彼は大量の電撃を纏った拳を叩き込む。
「おわっ!?」
「な、何……?」
 当然それは並みの轟音では済まず、ゾンビ達をすっかり押し返していた正明達やクラリッ
サ以下騎士団の面々を驚かせた。
 濛々と大量の土埃を上げて無惨に崩れ落ちるクレーン。現場に追いついて大きく肩で息を
している晴。その立ち込める諸々の中、程なくして一同は二人の人影が着地したのを見る。
「避けやがったか……。まぁそうだよな」
「……」
「安心しろ。お前もちゃんと他の人形どもと一緒の所に送ってやる」
 聖とデスモンドだった。
 しかし事情を知らないクラリッサ達は驚き、そして戸惑っている。
 彼はあんな荒々しい人間だったか? それにあそこに立っているのは……。
「ボートン!」
「ありゃま。まさかの本人かい?」
 隊長とその副官がそれぞれに反応した。剣を鎚を握り直す。
「……よく分かりませんが、見つけてくださりありがとうございます。後は我々が──」
 予想外が続くが結果オーライ。ならば早速、此処で捕らえて──。
『ッ!?』
 だがもう一つ予想外はあった訳である。次の瞬間、足を踏み出そうとしたクラリッサ達の
前に、晴が呼び出した水ゴーレムが立ち塞がって来たのだ。
 先程以上の驚き、そして深い怪訝。
 空になった使用済み試験管を一本、そっとこちらに向けている晴。更に。
「悪いが、そうはいかねぇんだな。これが」
「あの……。このままじっとしていてくれませんか?」
「いきなりすまぬな。こちらも……色々と事情があってな」
「す、すみません! すみません!」
「それにしても……いきなり過ぎだしやり過ぎでしょ? あれ、後始末大変よ?」
『……』
 見れば正明たち巫監の面々もサッと、さもこの水の巨体に倣うようにして間に割って入っ
てくるではないか。
「お膳立てご苦労! 後は俺に──ん?」
 そんな面々、巫監達の予定通りの対応を肩越しに見て、聖もとい《狼》は笑っていた。
 だが先手を打ったのはデスモンドの方だった。彼が視線を後ろに向けていた、その隙を見
計らって、相手に突き出すように向けた人差し指に魔力を込める。
「っと……!」
 即座に振り返り、聖の足元から飛び出してきたのは分厚い数枚の岩。この区画の足場を形
成するコンクリートの塊だ。するとそれらはまるで盾のように機能し、刹那デズモンドが放
ってきたぼやけた紫の光弾らを防いでみせる。
「へぇ、ガンドかいな。……それっぽい真似しおってからに」
 聖がまた替わっていた。
 その瞳は茶色の輝き。人格の名は《虎》。大地の魔法。語る口調はなまり気味。
「──ッ」
 クラリッサは、ギリッと強く唇を噛んでいた。
 何のつもりだ? あの土埃の向こうにボートンがいるというのに。
 刹那、彼女の胸奥に去来していたのは……失望だった。
 ニッポン。長い歴史を持つサムライの国。幼い頃から文献に触れ、憧れていた。なのにこ
の仕打ちは何だ? 我が国の騎士道と共鳴するかの如き魂を持っている筈のこの国が、その
住人が、さも自分達を裏切るような行動に走っている。
「おいおい。何のつもりだい? あんたらは俺達のサポートをしてくれるんじゃなかったの
かい?」
「そこを退け! 自分達が何をやっているのか分かっているのか!?」
「大体彼は何だ? 顔合わせの時とはまるで別人みたいな……」
 それでも彼らは答えてくれない。いや、答えられないといった感じか。
 マヤとモノノベ、年少の二人の態度からしてそう判断できる。ミスター・ハガが口にした
彼らの事情とやらが関係しているのか。
「……」
 だがそんなことは、今はどうでもよかった。
 ぎゅっと、クラリッサはその騎士の剣を握り締める。
「……いいでしょう。ならば力ずくで私達は私達の任務を果たすまでです」
 それはきっと失望──からの憤りが含まれていた。剣先を真っ直ぐに正面へ。正明らと水
ゴーレムが割り込んでいる先、デズモンドと聖のいる方へと向けられる。
 正明らが互いの顔を見合わせていた。どうする? それはきっと逡巡で、彼女にとっては
誤解を解く一助にもならなくて。
 部下達すら「えっ?」と見遣ってくる中、クラリッサはそっと片足を持ち上げて後ろに裏
が来るようにした。ほうっと現れる円と十字が合わさった魔法陣。さもそれが空間に現れた
壁であるかのように、彼女はダンッとこれを蹴って加速する。
『──!?』
 まさに突風だった。
 地面と平行に飛び出した彼女は、渦巻く風と共にさも射出されるように正明らへと突っ込
んで来たのだ。
 慌ててかわす正明達。そして風の刃で無数のゲルに切り刻まれる水ゴーレムを置き去りに
して、クラリッサは前方の土埃を吹き飛ばしながら突き進む。
「なっ……!?」
 故に、その先にいた聖もとい《虎》も驚いていた。
 辺りに隆起していたのは地面。果実の皮のようにデズモンドを囲もうとしていたコンクリ
の塊達。だがそれすらも彼女は渦巻く風の威力と共に砕き、吹き飛ばしながら、この捕らえ
るべき罪人へと迫る。
「ボートン、覚悟ッ!」
「チッ……! このアホ──」
 なのにだ。なのにデズモンドは逃げる素振りすらなかった。
 まるで彼女がそう仕掛けてくるのを、攻撃してくるのを待っていたかのように、その瞬間
ニタァと“不気味に哂って”さえいたのだ。
 刺さった。あまりにも呆気なく、彼を刀身が貫いていた。
 そして溢れ出す。しかしそれは痛みによる叫びでもなければ鮮血でもなく、彼という人皮
から噴き出した大量の煙──毒々しい濃い緑をしたガスだったのだ。
「──ッ!?」
 寸前、舌打ちをしながら聖は飛び退いていたが、彼女は間に合わなかった。
 デズモンド。その偽者から溢れ出た煙(ガス)に、クラリッサは直に呑み込まれる。
「た……」
「隊長ぉーッ!!」
 麻弥が、正明ら巫監のメンバーらが口に手を当て絶句し、或いは目を見開いていた。
 聖が大きく飛び退くのを視界の端で確かめつつ、晴はこのガスの正体を凝視する。
 エリオット以下、部下の騎士達は口々に悲鳴を上げ、しかし溢れ出したものがものだけに
安易に後追いすることもできない。
『……』
 デズモンドそっくりに作られたゾンビは、その身体の最奥に溜め込んでいた凶器を解き放
つと、瞳に力を失い静かに崩れ落ちていった。
 濃緑のガスに呑まれるクラリッサ。
 彼女は為す術もなく白目を剥き、ぐらりとその場に昏倒する。

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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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