日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)幸あれ、あらむ、あるべきや

──言葉<ココロ>だって、吐瀉物だ。

どうにもここ暫く浮ついている気がします。そして巡り回ってまたその反動がじわじわと反
撃して来ているような感覚_(:3 」∠)_
当庵は創作中心のブログ(晒し場)と銘打っているのだから、そこで気兼ねしていては筆も
萎む一方じゃないかと吹っ切ってしまうこともできなくはない。
だけども……此処は充分にクローズドで、こうして自分の書き連ねる「吐き出し」は此処を
通り掛かる誰かにとり、嫌悪感以外の何かに為っているのだろうか?と思うと、やはり言葉
を選らばざるを得ないよね?と……。悶々と陶酔の反復横跳び状態、みたいな(?)

とりま、例の如く創作の近況をば。
前回の雑記でDear~の二章目をUPした後、拙作らにまたぼつぼつと区切りの数値を観測する
機会を得ることができています。
一つは、ユー録と三題の累計PVがそれぞれ85000・9000PVを突破したこと。
もう一つは、Dear~の累計ユニークが100人に達したこと。
前者はキリ番ですね。特に三題は閲覧数五桁という大台が視界に入ってきた訳で。元は鍛錬
用の三題噺をUPしてきた短編集だったのだけど、気付けば数値通りユー録に次ぐコンテンツ
に成長してくれた。嗚呼、感慨深い。
後者は……どうなんだろう? 一章目をUPしてからちょうど一ヶ月程になるけれど、これは
早いのか遅いのか。いやそういう細事を気にすることはないのか。
とにかく手に取ってくださっている皆さん、既になろうさんの活報でも記しましたが、改め
てこの場を借りて御礼申し上げたく思いますm(_ _)m<多謝

業深いもので、従来はその月内の連載更新さえ済ませばあとはぼーっとしておこう(気力・
体力的な余裕という意味でも)という感じだったのですが、どうにも今年に入った辺りから
それすらも温いというか、退屈──疼きが強くなってしまっています。

またぼつぼつ。カレンダー的に逆算してフライング気味に書き始めるかもしれません。
あと水面下で他にも新作を書こうと試行錯誤しています。息抜き?も兼ねて。
……まぁ例の如く、形になるより頓挫する方が圧倒的に多いんですけどねφ(=△=;)-3


創作充なんて云いがあったりします。
言うなればリア充の別ベクトル版ですね。創作活動が充実してるぜーっていう。第三者から
賞を頂いたりとかそういう「成功」というよりは、その創作人自身がその営みで満たされて
いるなーっていう感慨、とでも言いましょうか。
ここ暫く、僕はそういう状態を享受しているように思います。
体調と相談しつつなのは相変わらずなのですが、それでも書こう創ろうという意欲、その芯
までが一緒に萎んで何処かにいってしまう……みたいな感触が随分少なくなってきたのです。
ユー録、三題、Dear~、デッドレス他今まで書いてきた拙作達。
書くのが楽しい。勿論ネタを捻り出すまでの悶々は付き纏いますが、それでもプロットをこ
しらえ、執筆に入り、形にしていくのがとても心を落ち着かせる。高揚させる(逆に言えば
創ってないから所在無い……なんていう、手段と目的の逆転現象が起こっているのですが)

……ただ、同じくらいに、自分という人間のネガティブな部分はどうしてもしつこくて。
言ってしまえば「卑下癖」だと思います。調子付いてはいけない、自信を持ってはいけない、
常に自分を律する(責める)べきだという強迫観念。僕がこの創作活動に身を投じるように
なってから、しばしばこれらは一連の高揚を打って打って打ちまくる「反動」の如き役割を
果たしてきたように思います。
元を辿れば、天狗になってしまうこと=他人に嫌われる、その方程式に基づいて(自発思考
のレベルではとっくに解っているのに)吐き出される長年の反射的態度。実際それ自体は間
違っている訳ではなく、特にこの国の人間として「謙虚」は美徳ですらある。……が、それ
だって度が過ぎれば「卑下」でしかない訳です。時には褒めてくれた相手の気持ちすら踏み
躙る。それこそ繕いに繕った末のエゴ。
それを流石に僕も解っていて、拙いだろうと思っていて、だから肯定してくれた言葉には素
直に、だけども「そうかな?」と軽く苦笑する程度で、受け取るように心掛けて。
……でもここの所、またこの僕の中卑下癖とやらは手を品を変えてきた感があります。
分析するに、結局は卑下──自己肯定を抑制せんとする過ぎた反応の延長線上。
だけどもそれが“満たされていることへの後ろめたさ”なんてものだと突きつけられたから、
僕自身堪ったもんじゃない。いや、やり過ぎだろう? 困ってしまうのですよねぇ……。

後ろめたさ──罪悪感。気付けば「かつて」に置いてきたもの。
もう何度も此処では言及している話ですが、僕が一度徹底的に身体を壊して何もできない、
なんていう状態にまでなったことがあります。ただそれも今振り返ってみれば「底」へ落ち
る、その一連の向きの最中のことであって、幸か不幸か紆余曲折あって家族の理解?も得ら
れた僕は医者に掛かりつつ、今も療養しつつの生活を送っています。
今のような創作活動を始めたのも、実はその療養生活の中での流れなんですよね。
主治医曰く、
『好きなことをやってエネルギーを溜めていくといいよ』
『こうなったことを悔やむより、如何これからを生きるかを考えよう』
要するにリハビリのようなもので。
それで、一時片足を突っ込んでいた小説を書くということを、では数年ぶりに再開してみよ
うか……というのが始まり。当庵が開設された起源でもある訳で。

だから、僕が満たされていく──(心が)元気になっていくのは、本来歓迎するべき状況で
はないかと思うのに。
今までには無かった「後ろめたさ」が、はたと僕を衝くようになった。
“お前は何をやっている? お前はそんな人間じゃなかった筈だ”みたいな重苦しい囁き。
……そんな追いすがってくる自分自身のよどみに、ここ数日、目を凝らしていました。
思うに三つ四つ、その「後ろめたさ」は整理できるのではないか?と。

一つは先述の通り、調子付いく自分を戒め(過ぎ)る卑下癖の延長です。故にその意味でな
らば、このアプローチで今の感慨と対峙するのは比較的容易なのかもしれません。
だって要するに、より“強い”言葉で僕自身の天狗鼻を折ろうとしているだけだから。
だから気をつけたいと思います。心理の中から囁いてくるその言葉を額面通りに受け過ぎな
いようにして、この卑下癖を程よい按配にできたらな……と。
二つは、自分が病身であるという意識が薄れていくことへの罪悪感。いや……何処かに有る
“焦り”とでも言うべきものか。
これも筋道立てて考えれば可笑しな話で、要は僕の中の僕が「治る」ことを拒んでいるが故
の心理ではないか?とも言えるのですよね。先述のように僕は一度身体を大きく壊してしま
いました。だから所謂「普通」にはもう戻れないだろうし、今から挽回しようにも周回遅れ
な面はどうしたって拭えない。
……うん。今だってそう。肉体的な意味で、その現実は多分今もさほど変わっていない。
カラダが悲鳴をあげ、自身を壊してまで得たモラトリアム。
きっとそこへの揺さぶりが「怖い」んだ。お前はもっと壊れてなくちゃいけない、みたいな。
僕は病身だ──という記号が、いつか僕の中で保守的になってしまっている。
三つは、だからこそそうした感慨とリンクする。やはりこれも罪悪感、後ろめたさだ。
それは他人との、周囲との兼ね合いであると思う。僕は幸いにも好きなことを続けることが
できて、良いエネルギーが溜まってきた。それ自体が人間にとっては(モラトリアムな環境
があったからこそとはいえ)幸福なことではないかと僕は思う。
だからこそ……ふと「後ろめたい」気持ちになったんだろうなぁと分析する。
“好きなこと”一つとっても、だ。
僕はそれが出来て、研鑽することにやがて苦痛を感じなく──以上の快感がそれらを上手く
紛らわせてくれるように──なって、気付けば満たされた。だけどどうだろう? いざ周り
を見返してみれば、必ずしも同じような充足感の中で“好きなこと”と向き合えていない人
だって目に付いてしまう訳で。
技術的にまだ途上な人、自身の思想を疑ってもがいている人、或いは──“好きなこと”だ
と解っているのに、周りがそれへの没頭を許さない……なんて人。
だから申し訳ないと思ってしまう。僕がこうして満たされている状況でも、他の誰かがそう
でないのなら……今抱いているこの悦びは「善くない」ものではなかろうか──?

四つ目です。そしてこれが多分、僕がカラダを壊してからずっと、僕という人間を縛り続け
ているものの正体なのかもしれない。
それは、ネガティブな方向とよどみの中にいるという“仲間意識”ではないでしょうか。
僕は、カラダを壊した。心を病んだ。実際それで多くのものを憎み、傷付けてきた。
なのに……今僕は満たされている。創作活動という「好き」を通じて、僕は気付けばあの頃
に比べて癒されている。
それは、先述のように、社会的という大きな眼から観れば“道楽”でしかないものだけど。
だけど、僕自身の実感がそれで「治って」きたというのなら、それは事実なんだろうと思う。
だから……後ろめたいんだ。
今だって色々な生き辛さ・障害となるもので苦しんでいる人々がいるのに、今まで迷惑を掛
けてきた人が僕という事象の周りにはいるのに、まるで僕はそんな彼らを「見捨てて」先へ
往こうとしているようじゃないか──。そんなの、本当に「善い」ことなのだろうか──?

……解っています。そんな考えは治っていくプロセスからすれば本末転倒だし、ある意味で
未だ苦しんでいる人々へ余計に纏わりつくような甘えであることは。
だけど、これも人によっては噴飯物なんだろうけど──満たされた人間が苦しみと抗いの世界
を描くことは、オカシイんじゃないかって。そう僕は立ち止まってしまうのです。

誰だったか?とある作家が『日常の安寧は創造の敵だ』みたいなことを言っていた気がする。
多分、この感慨はそういう云いに近いんじゃないかな。もっと解釈を加えるなら、本当にA
を描きたければAと同類にならなきゃホンモノじゃない──みたいな。実情を知らないのに、
上っ面だけで苦しみの、重い世界を描いたって全然クールじゃない。もっともっと“書き手”
であろうとするなら、そういう「よどみ」から距離を置いたり美化しちゃいけないんだと。

まぁ、やっぱりこれも人によりけりなんでしょうね。さっき言ったような噴飯物というか。
世の中には自分(の周囲)が平穏無事なら他人なんてどうでもいい、なんて人間は結構いる
らしくて。実際僕もそういう考え方で生きている人達と出会うこともある。……確かにそれ
は人間の“限度”を弁えた生き方ではあるのかもしれない。冷めている、けれども効率的な
生き方であって、それもまた間違いなく一つの在り方だ。

ただ、僕はそう器用な部類ではないみたいで。
やっぱり理屈以上に情緒に──どうしようもない部分に引きずられる人種なんだろう。
こうやって、折につけて言葉を吐き出している、そんな類の。

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  1. 2014/01/22(水) 15:30:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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