日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)Dear SORCERY〔1〕

 視界も意識も、染め上げるのはむせ返るような赤だった。

 その日も彼らは何一つ疑っていなかった筈だ。
 朝起きて、その多くは昼間に汗水を垂らし或いは頭をフル回転させて働き、日がとっぷり
暮れた頃にようやく家路に就く。
 ふと、何の為に自分は生きているのだろう……? そう自己嫌悪を併せて自問したくなる
日常ではあった。だが多くの者はそんな問い自体を詮無いものとした筈だ。してきた筈だ。
むしろ生産性を下げるだけの“雑念”だと言い聞かせ──それでも現実はくそったれだと頭
の片隅では理解していても──日々の生計を立てることがイコール人生だった筈だ。
 ……なのに、世界はもっと理不尽だった。
 家族団欒、或いは自室やアパートの部屋に篭って他者と隔絶し、隔絶された環境で。
 夜が深まっていく、まさにそんな最中だった。皆が皆、明日が当たり前のように訪れると
信じて疑うことすらしていなかった。

 爆発。予告も何もない熱風。

 必ずしも満たされている訳ではなかったにせよ、彼らの平穏は文字通り一瞬で灰になって
しまった。
 彼らが振り向く。
 その時、各々の瞳に映ったのは猛烈な勢いで破壊され、蒸発していく家財であり、我が家
そのもので。……彼らの住んでいた、とある街そのもので。

『──』
 赤い。
 少年は生まれて初めて、この三原色の一つがこんなにも暴力的なのだと知った。
 闇は深かった。深かった筈だ。
 それは、今やおぼろげになってしまった記憶自体の所為もあるのだろうが、この赤い光景
があまりにも逆に闇の色を際立たせていたからに他ならない。
『……っ、ぁ……』
 傷だらけだった。少年はぽつんと、原形すら留めてない街の瓦礫の上に立っていた。
 それはほんの六歳の少年にはあまりに過酷すぎる現実であっただろう。
 一瞬だった。いつものように夕食を摂った後、母はキッチンでいそいそと後片付けをして
いたし、父はリビングで横になってテレビを観ていた。自分は少し離れた所で壁に背を預け
ながら本を読んでいた。……それだけ。ただ、それだけだったのに。
 奪われた。あの、この赤が全てもっていった。
 ざくり。一点に定まらない身体の力。少年は大きく肩で息をつきながら、再びこの惨劇の
中を歩き出す。
 殺した。焼き尽くすよりも早く、砕けた家屋が。
 貫いていた。或いは押し潰していた。あまりに突拍子もないことで、気付いた時にはもう
全てが手遅れになっていた。
 母の身体に頭に、飛び散った瓦礫が刺さっていた。人間って柔らかいんだなと思った。
 父が大きな瓦礫に胸を潰されてへしゃげていた。普段口下手な彼が、気付けば自分を庇っ
て事切れていた。 
 はたして何処でもう助からないと悟ったのだろう? 諦めた──見捨てたのだろう?
 少年は父が作ってくれた物陰から這い出し、暫くの間変わり果てた両親を見つめていた。
 元より感情をあまり表に出さない性格だったのが災いした。或いはそれは不幸(すべて)
の始まりだったのだろうか。ぼろぼろと大粒の涙こそ伝ったが、彼は声をあげて泣き喚くよ
うなことはなかった。
 何となく解っていた。だけども解りたくなかった。
 瓦礫の山となった我が家を出て、外──というのも既に体を成さなかったが──に意を決
して足を踏み出し、そして少年は知らしめられた。
 自分達だけじゃない……。見渡す限り、おそらくこの街の殆どが同じことになっていた。
 赤色。燃え盛り、灰燼に帰し、或いは流血を示すそれ。
 こんなにも、暴力的な色だなんて──。
 ふらりふらり。自身、身体中に傷を負っていたにも拘わらず、少年はそんな無残の跡を歩
き回った。
 全てが変わって(こわれて)いた。
 顔を合わせば可愛がってくれた近所のお婆ちゃん、よく野菜を分けに来てくれたおじさん
や年上のよく笑うお兄さん、しっかり者で怖いけど本当は優しいお姉さん。
 そして──物心つく前から一緒だった、幼馴染の女の子。
 誰も彼もが遠くにいってしまった。両親のように瓦礫の下敷きになっていたり、辛うじて
人の形をした、焦げた塊になっていたり。怪我もたくさんしていた。
 でも……自分には何もできなかった。
 ただこうして他人(ひと)がたくさん酷い目に遭った、満足に動ける人もいない筈のこの
瓦礫の中を、助けを求めて当てもなく彷徨うことしかできなくて。
『はっ、ぁッ……!』
 だけども、限界は程なくしてやってきた。自身もまたボロボロになっていることを身体が
全力で訴えてきて、遂には震え続けた膝が耐え切れずに地面をついた。
 荒い呼吸が止まらない。少年は両膝を、両手をついたままの格好でその場に蹲る。
 しとしと。少しずつ雨が降り始めていることに気付いた。
 そうなればあちこちの火は消えてくれるだろうか……? ぼうっとそんなことが脳裏を過
ぎっていくと同時、思考(じぶん)が自分を哂っている気がした。
 瞳が、濁る。
 視界ならさっきからずっと霞んでいる。
 けれど、それ以上に目に映る世界はどんどん暗くて澱んで、自分の中にどうしようもない
怒りがこみ上げくる。
 余りに理不尽なこの現実への、ぶつける相手のいない、怒り──。
『ああ、やっと見つけた』
 そんな時だった。ふと直前の気配すら感じ取れず、いきなり頭の上から声が降ってきた。
 少年は一瞬身体を強張らせたが、一方ですがり付きたい思いであった。
 助けを、呼べる……。
 悲鳴を上げ続ける身体に鞭打って、彼はゆっくりとこの声の主を見上げる。
『……いい眼だ。ただ如何せん子供過ぎるが……。まぁよい』
 相手が何者かはよく分からなかった。
 ただでさえ夜と灰と瓦礫と、降り始めの雨で暗いのに、この人物は頭を含めてすっぽりと
黒いコートで全身を覆っていたからだ。
 とはいえ、掛けてきたその渋い声色からすぐに男であることは分かる。
 ぱくぱくと口を開け、言葉を紡ごうとする。だがこの男は軽く片手でそれを制すると、何
かを値踏みするように少年を見つめていた。
『この爆発は、ある二人の大人が起こしたものだ』
『──ッ!?』
 そして口にされたその一言。少年はすっかり濁ったその瞳を大きく見開き、内側から滾る
その感情を抑え切れなくなっていく。
『ああ、言っておくが私ではないよ? あそこ──あの一番燃えている所にいるのを見たん
だ。まったく、いくら何でもやり過ぎだよ。あれは』
『……』
 少年は震える身体を腕を、ぎゅっと押さえつけていた。
 男は相変わらず自分の前に立ったまま、口ほど真剣なようには振る舞っていない。それが
余計に、少年にはこの滾る思いに火をくべる結果となり、違うと言われたのにさも彼を仇の
ように睨みつける。
『……ふっ』
 笑った。男はフードの下から覗く口元にそっと弧を描き、笑っていた。
『いいだろう、今回は君を選ぶことにする。さぁ答えろ、君が望むものは何だ? 私が一つ
だけ叶えてあげよう』
 言って、持ち上げた左腕。その袖口からは何か……刺青、のようなものが覗いている。
 だが少年にとってもう、そんな視覚情報は瑣末なことだった。
 望みを叶えられる。この男がそう言う。嘘か真かなんてどうでもいい、考えている暇も何
もなかった。
 ただ今この瞬間、自分を衝き動かすのはこの滾りだった。全てを奪った──奪おうとして
いる誰かがいる。正体なんて判らない。ただ、それは強く強く願うもの。
『……。僕、は──』
 故に少年はそうして口にした。願った。
 それが神の奇跡か、悪魔の契約か、問い直すこともなく。


 第一幕:魔薬捜査 -Lorem investigationem-

「──」
 県道を一台のワゴン車がくねくねと走っている。
 その後部座席右の窓際にぺたんと頬をつけ、御門麻弥はぼうっと物思いに耽っていた。
 ……今回、自分達がこの先にある町に向かっているのは何も観光の為ではない。
 任務なのである。水面下で起きているある事件、その震源地と目されたあの町へと赴き、
事の全容を解明することが今回自分たち五人に命じられた任務なのである。
 話によれば、とある薬があの町を中心にして出回っている……らしい。
 それはただ違法な薬というだけではない。自分達の“畑”に属する代物なのだという。
 実際、その薬──ドラッグを服用した者達による事件が、次々に本部へと報告されている
のだそうだ。
 それは器物損壊から始まり、傷害、時には殺人まで。
 やはり放置しておく訳にはいかないのだろう。自分のような新米でも──たとえこの件が
自分達の畑(せかい)の出来事で、結局は内々に処理されるのだろうと分かっていても──
それは理解しているつもりだ。
(でも、大丈夫……なのかな?)
 しかし実の所、現在進行形で麻弥は緊張していた。窓ガラスに預けた頬はひんやりとして
いるが、肝心の胸の奥はバクバクと忙しなさを維持したままだった。
 無理もないのかもしれない。彼女にとって、今回は初めての“実戦”だったのだから。
 今までは京都(ほんぶ)の膝元でサポート役をするのが大抵だった。勿論、いつかは実戦
の場に立たなければならず、立つべきで、それがやっと回ってきたのだと思えば何もおかし
くはない。それでも、この内心の緊張は無視できない。
「……」
 そんな彼女を折につけちらちらと、助手席から窺がっている青年がいた。
 御門正明、彼女の兄だ。しっかりと胸にはシートベルトを巻き、黒革のコートを着こなし
ているが、それも肌身離さず抱えている長い布包みが幾許かの違和感を醸し出している。
「? 兄さん?」
「あ。いや……」
 当然そんな視線を忙しなく遣っているのだから、ややあって当の麻弥が頭に疑問符を浮か
べて見返してきた。
 きょとん。ほぼ一回り年下の家族の眼差し。
 正明は何でもないと、肩越しに眼を遣る姿勢を直し、改めて前に向き直る。
「……相変わらずの心配性だな」
 するとそんな彼の隣、ハンドルを握っている男が弄るように苦笑いを零して言った。
 年格好は彼よりももう少し上だろうか。だが何よりもこんな車内では狭くないのだろうか
と思ってしまうほどの隆々とした、大きな体躯が見る者の目を惹く。
「あ、当たり前だろう? 麻弥は……今回が初めての実戦なんだぞ?」
「誰もが通る道さ。うちに属する者ならな。第一、お前や私だってそういう時分はあった」
「そりゃあ、そうだけど……」
 名を、羽賀武蔵。名目上今回の責任者は正明ということになっているが、実際の所は彼が
それとなく皆を導くリーダーである。
「ふふ。駄目よ、正明君。本当に麻弥ちゃんを思うなら信じてあげなくちゃ。それに貴方が
そう言うって分かってたから、上層部も一緒にしたんでしょう?」
「だ、大丈夫ですよ。ぼ、僕だっています。……まぁ、麻弥さんと一緒で僕もサポート要員
ですから、皆さんみたいにドンパチやるのは苦手ですけど……」
 残りの面子は、続いて口を開く二人だった。
 一人は全身から大人の色香、妖艶さをほんのりと匂わせる女性・卯月凛。
 もう一人は麻弥と同じ年頃と見受けられる小柄な少年・物部伴太。
 凛は見た目同様、妙齢の落ち着いた笑みを浮かべてそう言っていたが、一方で伴太の方は
ある種の必死さがあるようにみえた。
 ……謙遜というか、自虐的というか。
 彼もまた正明と同様、自身の着く中部座席の空きに、角ばった木枠のアタッシュケースと
いう妙な代物を持ち込んでいる。照れ照れ。そう彼は苦笑いをしながら、その角を指先で弄
っていた。
(誰もが通る道、か……)
 確かに兄は──自分の出自が故に──何かと心配性だが、嫌いではなかった。
 麻弥はにわかに賑やかになった車内の仲間達を眺めるとくすっと笑みを零し、再び窓の外
の風景を眺め始める。
 ……仲間。そう、自分達は同じ組織に属する仲間だ。
 “巫事監査寮(ふじかんさりょう)”──通称・巫監。それが組織の名前だ。
 平安の時代から受け継がれ今の姿となった、この国最大の公的魔術結社。現在は形式上、
内閣官房直属の特務機関という扱いになっている。
 そう、形式上は。
 魔術師歴(キャリア)の浅い自分が言うのもなんだけど、今も昔も、科学と魔術は決して
一つにはなれない。だって両者は分かれて以来、ずっと別々の道を歩んできた学問体系なの
だから。
 実際はどちらもが在る。政府は多くの人々が真理と信じている科学(おもて)社会の元締
で、自分たち巫監は魔術(うら)社会の元締なのだ。即ち、並立している。
 科学と魔術。世界の本当の姿。
 最初は、そんな馬鹿なことが……だなんて驚いたものだけど。

 くねくねとした道が下りになり、真っ直ぐになり始めて暫くすると、麻弥たち一行は目的
地に着いていた。
 名を潮ノ目市という。古くからの漁港を梃子にして発展した、風光明媚な港町だ。
 外部幹線道路から市内に入り、駅に程近いパーキングエリアにワゴン車を停めて各々外に
出る。土地柄、海抜が低めなためだろうか。市内でも注意して五感を澄ませれば潮の香りが
漂ってくるのを感じる。
「ちょっと、寒いですね」
「そうね。京都(ほんぶ)の方がずっと北の筈なんだけど……」
 荷物を降ろし、先ずはぐっと伸びを。季節的には春──新学期の頃合とはいえ、まだ風は
幾分冷たさを残しているようだ。
「……」
 布包みを片肩に負い直し、紐で前に結び、正明はちらりと麻弥(いもうと)の様子を窺が
っていた。
 一見すれば、いつも通り。
 だが十年の時を共に過ごしてきた自分には分かる。緊張と好奇心、その両方の感情に揺れ
て心がざわめいているであろうことが。
(ま、顔に出てるんだけどな……)
 麻弥は慣れぬ潮風に身を硬くしながらも、それでも辺り一面をきょろきょろと見渡してい
るようだった。
 新しい高いビルとその足元に広がるように分布する昔ながらの低い家屋。京都(むこう)
ではもっと景観に関して条例が厳しい為、このような混在ぶりはあまりお目にかかれない。
「~♪ ……っ! ~♪」
 だからこそ──実際は猥雑の類であるのだろうが──彼女は好奇心に中てられるように目
を輝かせていた。
「…………」
 微笑(わら)い、そしてハッと我に返って気を引き締め直す妹。
 そんなコロコロと緩んでは戻ってを繰り返す彼女の横顔を微笑ましく見つめ、正明は自身
もまたこの港町の市街地を見上げた。
 ──だからこそ、連れて来たくはなかった。
 せめて任務とは関係のない、それこそ観光などの楽しい「普通」の思い出作りの為に来る
ことができればと思った。
 元服の歳、この年頃になるまでずっと、あいつは京都(ほんぶ)から出ずに育った。それ
は自分達の慈しみであったし、同時にあいつ自身が修行に集中したいからだったことも実は
知っている。
『本当に麻弥ちゃんを思うなら信じてあげなくちゃ』
 凛はそう言う。確かにそうだと自分でも思う。
 だが本当にいいのか?
 本当に、この娘を俺達の世界に引き込んでしまって……。
「ねえ、正明君」
 するとそんなこちらの心中を見透かしてかいないか、凛がふいっと声を掛けてきた。
 少しだけ眉間に皺を寄せ、あくまで平静を装って正明は振り向く。
「この後はどういうルートを採るの? 宿の手配は京都(むこう)にいる時に済ませておい
たけれど……」
「ああ。そうだな」
 肩に負った布包みを揺らして、正明は言った。
「先ずはこの街の警察署に向かう。本部から話を通して貰っているから、魔術師(こちら)
側の内部協力者とコンタクトを取るつもりだ。具体的な案件のデータがないと捜査も何もで
きないしな」
「そうですね。じゃあ、この町が震源地だっていうのは、やっぱりその」
「ああ。俺は現物を見てねぇんだが、データからそう推測できるんだとよ」
 そして正明と伴太、凛と彼女に促されてついていく麻弥と、面々は早速捜査の第一歩の為
に歩き出していく。
「……」
 麻弥の歩みを目の端で捉え、それとなく待ってあげる正明。自らの身と二人を挟むことで
彼女を護るように立つ彼。
(やれやれ……。お前の愛情には感服するよ)
 五人のうち最後尾を行く武蔵は、内心そう感心していた。
 大丈夫。守ってみせるさ──。
 だからこそ同時に、故に危なっかしい正明と麻弥(かれとかのじょ)を彼は眺める。
(……大丈夫さ。たとえ血が繋がっていなくとも、お前達は本物の兄妹だ)
 そう、もう面と向かって繰り返すこともなかろうと思う言葉を、胸の内でごちる。

「──はむ」
 太陽は頂点を迎えて少しずつ下り始めている。
 時は昼休み、所は潮ノ目学園・一年C組の教室。その窓際の席で、相馬聖(ひじり)は前
方の友人と向かい合い、コンビニのサンドイッチを齧っていた。
 基本的に、穏やかな一時。
 クラス内はこの時期特有の初々しさを漂わせ、しかし一方で何処か気忙しい空気も内包し
て経過する。
 それは大方、互いの距離感を量る──値踏みをしているが故なのだろう。
 新しい環境、即ち新しい人間関係。こと女子においては既に始まっているとみえた。繕っ
た笑顔の下で目を光らせる、実に面倒臭いことこの上ないパワーゲーム……。
「なぁ、聖」
「うん?」
 尤も自分には関係ない話だが──そう思って二口三口と続けていると、ふとこの向かい合
う友が声を掛けてきた。
 瀬名川晴(はる)。何につけても先ず線の細いすらりとした体格と至極ナチュラルな金髪
が目に付く、日英ハーフの少年だ。
 当然、入学当初から周囲の好奇の眼に晒されてきた訳だが……当の本人はすっかり慣れっ
こなのかまるで気にする素振りはない。そもそも育ちは丸々日本ということもあって、今も
器用に箸を使って弁当のおかずを突いてさえいる。
「その、さ。お前の弁当も作って貰わないのか? 折角進学したんだ。母さんだって頼まれ
れば断るとは──」
「言っただろ。僕はこれでいい。線引きは……必要さ」
 しかしそんな友の、同居人の進言を、聖はぴしゃりと全てを言わせない内に断っていた。
 もぐ。晴が出汁巻き玉子を口に含んだまま気まずい表情を零す。だが聖はそんな反応を見
ていて解っていて、それでもなお強情を貫き通した。
「……そうか」
 再び黙々とただ飯を頬張る。聖は視線を落としたまま、この妙にお人好しな同居人のこと
を思う。
 駄目だと思うのだ。甘えてしまっては、駄目だと思う。
 解ってくれているとは思う。自分が瀬名川の保護下で暮らすようになってからもう十年に
なる。これはけじめなのだ。少なくとも“この自分”だからと気を許し過ぎれば、いつその
足元をすくって──喰ってしまうかも分からない。
 だから、線引きが要る。
 あくまで自分達は「同居人」であって「家族」などではない。家族では、ない。
「……。まぁ、この生活に慣れてくれればそれでいいよ」
「慣れる、か……。その方がもっと無理な話だと思うけどね」
 だからつい、そうして突き放してしまう。
 晴が苦笑して話題を繕ってくれたのに、聖は酷くさめざめとした面持ちで呟いていた。
 穏やかなクラスの一角、窓際。そこだけがにわかにサァッと老成したかのように色褪せて
いるような。
 晴は「そうだな」と、数拍間を空けてから言い、再び弁当を突いていた。
 聖も次の瞬間にはこの態度が決してよろしくないものだとハッとなって反省し、されど謝
罪の言葉も出ずにただパンとハム、玉子にサラダの塊を咀嚼するしかできなかった。
「……」
 その意味は二重に在る。
 一つは外面的なものだった。自分はともかく、この友はその容姿故にどうしても目立つ。
そんな彼が何かと自分を──ある種の義務感と共に気に掛けてくる、くれるものだから、特
に女子からの妙な眼差しは以前からよくあることだった。
 とはいえ、その目立ち方というのはある意味カモフラージュでもあるのだろう。できる事
なら止んで欲しいものではあるが、本当に自分達が隠したいことが「外」から見えなくなっ
ているのなら甘んじて受けようかという諦めも一方では在る。
 ……そしてもう一つ。問題はそんな上っ面以上の、自身の内面に関わることだ。
 どうにも慣れないという点だ。この“記憶に慣れられる気がしない”ということだった。
 確かに自分は相馬聖である。
 だがこの身体が抱える「記憶」は「経験」はどうしたって“自分達”のものではなく、故
に自分達のものにしてしまうこともできない。
 あくまで「知識」でしかないのだ。相馬聖という人間を成していたデータ、そのレベルよ
り先の感触を、おそらく自分達はこれまでもこれからも得られることはない。
(……十年、か)
 サンドイッチを、そう呼ばれる加工物の塊を胃の中に放り投げ終わり、今度はパックの野
菜ジュースに口をつけた。
 この食事という行為もそうだ。必要だから摂っているが、これも何と実感のないことか。
 もしあの時、彼女達に会わなければ自分達はどうなっていたのだろう? やはり際限なく
暴走していたのだろうか? それとも目覚めたあの感触のまま、討ち取られるその瞬間まで
膨大な虚脱感を抱えていたのだろうか?
 他人は、どうでもいい。周りに慣れろというその注文自体が、そもそも的外れじゃないか
と先ず思ってしまう。
 十年、二十年、三十年。
 これから先、自分達はずっと「相馬聖」を演じ続けなければならない──。
「聖」
 そんな時だった。また晴がこちらを覗き込み、今度は妙に真剣な表情(かお)になって声
を掛けてくる。
 ちゅーっと残りを飲み干し、視線を向けてやる。
 途中、視界の端に女子の一団が映り、こそこそと「やっぱり瀬名川君がセメかな?」だの
「いやいや、むしろウケでしょ。相馬君がこうがば~っと!」だのと話し合っているのが聞
こえたような気がしたが、どうせ雑念なので視界からも意識からも外して無視しておくこと
にする。
「何だよ? 慣れだの何だのって話はもう」
「いや、そうじゃない。聖、お前、最近出回ってる薬(ヤク)の話を知ってるか?」
 ひそひそ声だけなら、こちらも負けていなかった。
 周りに聞こえないように、細心の注意を払うように。晴はいつの間にか自身のスマホを片
手に心持ち身を乗り出してくると、そう突拍子もなく訊ねてきた。
「……いや、知らないけど」
「そっか。何でもここ暫く、妙な薬をやっている連中が増えてるって噂話があってさ……。
その件でさっき母さんからメールが来た。面倒な事にこっちにも飛び火してきたらしい」
「……。ああ……」
 だから短く、聖は理解して声を零していた。
 どうやらぼうっとしている間に彼ら母子(おやこ)の間でやり取りがあったらしい。
 薬、アリスさん、飛び火──なるほど。ということはつまり“魔術”絡みか。
「そういう訳だからさ。聖、今日は寄り道せずに帰るぞ?」
 言って、何事もなかったように元に位置に戻っていく晴。
 聖は黙って頷きながら、ガサゴソと食べ終わったゴミをビニール袋に押し込んだ。


 瀬名川家は旧市街の一角にあった。
 低く広く建ち並ぶ昔ながらの家屋の群れ。そんな、道すらも所々狭まり入り組んでいる中
に埋もれるようにして、その家は建っている。
 大別するなら、レトロな洋館。だが建てられてから相応の歳月が経っているのか、或いは
意図的にそうしてあるのか、その全体は縦横無尽に繁茂した庭の木々や蔦がそっと隠し通そ
うとしているかのようだ。
「ただいま~」
「……ただいま」
 放課後、申し合わせ通り晴と聖はまっすぐにこの家へと帰ってきた。
 晴にとっては文字通りの我が家であり、聖にとっては生まれ変わって以来、居候先となっ
ている古民家。彼の(当然ながら)忌憚ない足取りの後をそっとついていくように、聖は息
を潜めて立っていた。
 玄関で靴を脱ぎ、夕方近くとはいえ妙に薄暗い廊下を往く。
 台所、そしてリビング。晴と聖はひょこっと室内を覗いたが、そこには誰も──目当ての
人物の姿はない。ちらりと互いを見合わせ「やはりあそこか」と言葉なく理解する。
 地下室であった。
 一見すると廊下を曲がった先の突き当たり──行き止まりでしかないように見える壁。
 だがその一角を軽く小突くと、キィ……とひとりでに壁の一部がくり抜かれたドア状にな
って開くのだ。
「? ああ、おかえりなさい」
 十ほどの階段、段差を下りると、すぐそこにはおよそ民家とは違う光景が広がっていた。
 いわば──研究室(ラボ)。
 石床な部屋の中央、ないし壁際には点々と据付型のテーブルが置かれており、その上には
大小様々な形のフラスコやビーカーがずらりと木製の立て具に収められている。
 ぽこぽこと、方々から気泡を吐き出している容器の中の液体達。
 緑や桃色、透き通った金──それらはやはり全体的に薄暗い部屋の中にあって、怪しげな
雰囲気を演出しているかのようだ。
「ただいま。……研究?」
「じゃ、ないわね。頼まれてる触媒の精製。納期が近いから」
 そんな室内に彼女はいた。
 石床をカツンと踏んで、程なくしてその視線はこちらに向く。白衣を引っ掛けた、晴と同
じ金髪の女性である。
 瀬名川アリス。晴の母親で、この洋館の主──そして聖にとっては居候先の家主といった
ところか。
 顔を出してすぐこそ真剣な横顔だったものの、息子達が帰ってきたと分かるやその気色は
確かにふっと緩んでいた。聖が黙している中、母と子、ごくごく自然な会話が一先ず交わさ
れる。ややもすれば二人が英国人(のハーフ)であることを忘れてしまうほどにその日本語
は流暢だ。
「メール、見てくれた?」
「うん。飛び火してきたってあったけど……」
 一旦作業の手を止めて、アリスは確認するように訊ねてきた。
 頷き、その詳しい話を促す晴。彼はとりあえず、聖と共に空いている椅子の上に鞄を置く
と、コツコツと石床を歩いてにわかに曇った母の表情(かお)に目を細める。
「ええ。どうやらこの街を中心に妙な薬(ドラッグ)が出回っているらしくてね。しかも単
に幻覚をみせるものじゃない──服用者の身体を異常なまでに強化するっていう代物らしい
のよ。もう聞いてるかと思うけど、実際に服用者による犯罪も多数確認されているわ」
 故に、聖と晴は思わず互いの顔を見合わせていた。
 一般的なドラッグではない。一種のドーピング剤のようなものか。
 それも、彼女曰く“異常”なまでに……。
「……。魔術、ですか」
 認めたくない。だが口にしないと話が進まないのだろうと観念し、聖は呟くように訊ね返
していた。こくり。アリスは静かに首肯してみせると深くため息をつき、白衣のポケットに
突っ込んでいた片手を出しながら肩をすくませると言う。
「昼間、魔術側の連中(とうきょく)が来てね。事情を聞かれたわ。──貴女はこの魔術薬
を作ることができますか? ってね」
「ッ!? なんだよそれ。まるで母さんを疑っている口ぶりじゃないか!」
「まるでじゃなくて、実際リストに含まれてるんでしょうね。何たって私の専門は製薬……
作ろうと思えばいくらでも作れる訳だから」
 実の息子が反射的に憤ったが、当のアリス本人は実にさばさばとした様子だった。
 まぁまぁ。そう晴を宥めながら彼女は苦笑する。魔術に用いられる各種薬剤の調合。確か
にそれはこの人物──“万薬の魔術師(マギウス・ザ・メディック)”の十八番ではあった
が、他ならぬ彼女自身がこの件に関して自分は潔白だと知っているからこその態度だったの
だろう。
「大体、そんな事をして何のメリットがあるっていうの? 私が言うのも何だけど魔術師は
俗世に興味はない。基本的に探求欲の塊だもの。仮にそういった探求の一環で誰かが素人を
実験台(モルモット)にしているにしても、私じゃないわ。魔術師には魔術師なりの倫理や
美学があるものよ。私は、そこまで外道じゃない」
「勿論だよ。母さんが犯人な訳ないじゃないか……」
 しかし晴は尚も、同意しつつも興奮気味だった。
 机の空いたスペースに両拳を押し付け、彼は疑われているというのに妙に落ち着き払って
いるこの母を心配そうに見遣っている。
「……」
 聖は、尚も黙っていた。
 それは単に母子(おやこ)の会話に割って入ることもなかろうという目測だけではない。
 二人は正真正銘の魔術師──の師弟──だが、自分は“そう”じゃない……。
「っ……。行こう、聖」
「え?」
「証明するんだ。僕達で、母さんの無実を!」
「えっ。ちょ、ちょっと待──」
 だがそう距離を置いて、何処か気が緩んでいたのがいけなかったのかもしれない。
 次の瞬間、気付いた時には、聖は彼にがしりとその手を掴まれていた。
「は、晴?」
「待ってて。すぐ、犯人を捕まえてくるから」
 そして当のアリスが虚を突かれ、ワンテンポ引き止めるのが遅れたのにも構わず、晴は聖
の腕を取ったままそうやる気満々な表情(かお)を向けると、この地下研究室(ラボ)から
飛び出して行ってしまう。
「……やれやれ。私はただ、だからくれぐれも気を付けてねって言っておきたかっただけな
んだけど……」

 潮ノ目警察署を訪れ正明が協力者の名を告げると、一行は迅速に秘密裏に署内の一角にあ
る個室へと通された。
 現れたのは一見してごく普通の、スーツ姿の警察官。彼もまた本性は魔術師だった。
 そこで受け取ったのは、情報。
 今回の薬(ドラッグ)関連の事件をリストアップした書類から始まり、実際に逮捕する事
ができた者達の一覧、素性調査の結果、或いは彼らから取った調書のコピーなどなど。
 彼と向き合って座った正明を中心にぐるりと机を囲み、五人は暫しその資料の山に目を通
してから署を後にしたのだった。
「──こうしてみると、殆どが若い子なのね」
「ま、腐っても薬(ヤク)絡みだからな。“普通”の物はともかく、今回のは丸っきりこっ
ち側の“新商品”な訳だろ? 基本向こう見ずな馬鹿が飛びつくんだよ」
 そうして、再び道を戻り、一旦乗ってきたワゴン車の中。
 ホチキスで留められた資料を捲りながら、正明は凛の指摘に対し、そう敢えて気持ちまで
深入りせずといった態度で答えていた。
 逮捕者のリストを見るに、多くが学生、或いは少し年上のフリーター連中──要するに最
もアウトローの世界に足を突っ込みやすい層だ。そしてそんな、体力的にも決して筋骨隆々
な訳でもなかろう人種がビル内の設備や車体を叩き壊し、時には死人──どうやったらここ
まで惨殺できるのやらと思えるほどの殺人事件まで起こしている。
(なるほど……。確かにこりゃあ魔術(こっち)が絡んでない訳ねぇわな……)
 その内一枚の遺体写真を見て、正明は静かに眉間に皺を寄せた。
 物証はまだだが、状況からして間違いなくこれは魔術犯罪だ。自分たち巫監にヘルプが飛
んできたのも頷ける。
「おい、そっちはどうだ?」
「あ、はい」
「うん。大体は書き込めたよ」
 背もたれ越しに振り返ると、中部と後部の座席をリクライニングして平らにくっつけ、そ
の上で武蔵と伴太、そして麻弥が作業をしていた。
 武蔵が広げて押さえてくれているこの辺り一帯の地図。そこに麻弥と伴太が、署で受け取
った関連事件のリストを片手に一つ一つマジックペンでバツ印を点けている。
 ゆうに五十件ほどはあったろうか。
 地図上には、二人が照らし合わせてくれた印がびっしりと記されている。
「……ふむ。狙い通りだな」
「ああ。多少ぐねぐねしてるが、全体的に円状に分布してる」
「中心は……潮ノ目市の北東かしら。近くに学校もあるみたいね」
「じゃあ、やっぱり犯人は学生達を狙って薬(ドラッグ)を……?」
「だと思うんだがな。しかし分からん。何処の魔術師だ? 素人に魔術てんこ盛りのブツな
んぞ配るだなんて。何のメリットがある? 何が目的なんだ?」
「さてな。そこは実際に捕まえてみないと推測しか並べらんだろう」
「……」
 地図を囲んで、暫し五人は話し合っていた。作戦会議をしていた。
 そんな中、麻弥はフッとそんな兄達の声が遠くなるのを感じる。自分からそっと、会話に
加わっているようで軽く身を引き始めた自分を自覚する。
 遠巻きに見る皆。魔術師という人種。
 そしてそれは、これから自分もまた踏み入れていこうとしている世界……。
 初の実戦任務とはどういうものなのか。再び全身に静かな緊張が走っていくのが分かる。
 今はまだ、皆とあーだこーだと話しているだけだけど、そう遠くない内に今回の犯人──
魔術師と一戦を交えることになるのかもしれない。
 大丈夫。兄さんは、兄さん達は強い。
 だから今回一部隊を任されたのだと思うのだけど、そこに自分がいるというのがまだ何と
いうか……夢みたいな気がしていて。

 十年前、自分は町をほぼ丸々焼き尽くされるという大火によって身寄りを失った。
 そこで自分は谷崎から御門へ──現在(いま)の家に引き取られた訳だが、そこで思いも
よらない世界の真実を知った。
 魔術。その実在と使い手たる魔術師達のコミュニティ。それらがこの現実社会と表裏一体
に、すぐ間近で脈々と受け継がれてきたのだということを。
 加えて傷もすっかり癒えた頃、ようやく聞かされた。あの事件は、他ならぬ魔術師同士の
抗争が引き起こした人災だったのだと。
 ……だから決めた。自ら志願した。
 幸か不幸か、自分はそんな魔術師の家に引き取られた。それは事件を──魔術の存在を確
実に隠蔽する為の処置だったのだろうけど、同時に自分が同じく魔術師となるには絶好の環
境でもあったのだ。
 もう二度と、繰り返さないように。
 確かに自分はあの時願った。今だってその筈だ。
 自分も魔術師に、善い魔術師になって人々を魔術犯罪から守る──それができるようにな
れば、少しは報われるんじゃないかと思った。あの日、理不尽に奪われた命。お父さんやお
母さん、お祖父ちゃんお婆ちゃん、ご近所の小父さん小母さん。皆みんな。
(……“ひー君”)
 そして何よりも、この決意を反芻する度に思い起こされるのは彼のことだ。
 ひー君。当時家の隣に住んでいた、大人しいけど優しかった、幼馴染の男の子。
 ぎゅっと、静かに己の手を握る。
 どうか……どうか安らかに。
 自分じゃあ直接戦う力は劣っているけど……頑張るから。

「──そうだな。じゃ、先ずはこの手のガキ達を洗っていこう。ある程度浚ったらこの潮ノ
目学園とやらにも足を運んでみる。行くぜ」
 そうしていると、はたと正明が方針を打ち出しているのが聞こえた。どうやらぼうっとし
ている間に作戦会議は大詰めを迎えていたらしい。
 ガラリ。ワゴン車のドアを開けて出て行く皆の後を、ハッと我に返った麻弥が追い掛けて
いく。駅前のパーキングエリア。新旧のビルと家屋が妙に味のある猥雑さを醸し出す風景。
麻弥を含めた五人は所々傷んできたアスファルトの上に立ち、改めて潮風が混じるこの街の
空気を肺一杯に吸い込んでそっと意気込む。
「……あら?」
 そんな時だった。さぁ行こうかというその寸前になって、ふと一羽の鳩がこちらに向かっ
て飛んで来たのである。
「ああ、式神か。何か見つかったのか?」
「ええ……」
 それは凛が事前に放っておいた式神の一つだった。
 彼女の差し出したその掌に止まり、すんすんとこの鳩──を象っていた折り紙が数度頭を
揺らす。
「皆、行き先変更よ。幸か不幸か……また事例が一つ増えるみたい」
 長い髪を揺らして向き直り、神妙な表情(かお)。
 彼女はそんな使い魔の声なき声を聞くと、そう一同に告げたのだった。


「──くす、り……」
「そうだ。お前達もやってるんだろう? 教えろ、誰から買った?」
 ゆっくりと陽が傾いてゆく潮ノ目市街。
 その片隅、人気とは縁遠い路地裏の一角に聖と晴はいた。
 目の前には私服姿の、如何にも柄の悪そうな少年達。
 ただその近寄り難さも、今はとろんと色彩と力を失った両の瞳が相まって随分となりを潜
めている。
 魔術の一種だ。魔眼と言霊──魔力を込めた視線と言葉が持つ拘束力で以って対象をいわ
ば催眠状態に陥れる。魔力耐性のない人間、素人には特に有効な手段だ。
 先程から、晴はいわゆる「不良」達の溜まり場に足を運んでは、こうして魔術を利用した
聞き込みを続けている。
 その様子を、聖は傍らでじっと眺めていた。
 友と違い、彼は“魔術師ではない”。ただこちら側の人間ではある。だからとうに晴が魔
術を使っていることには驚かなくなっているし、今だって言われぬ内にそれとなく周囲の見
張り役をやっていたりする。
「……分からない。買ってくるのはリーダーだから。俺達は、ただリーダーから分けて貰っ
てるだけだ……」
 しかしながら肝心の成果の方は芳しくなかった。
 返ってきたのは、もう何度聞いたかも分からないそんな返事。
 晴は「そうか」と短く呟いていたものの、おそらく内心は舌打ちの一つでもしているのだ
ろう。すぐ次の──予め一纏めに言霊を掛けておいた少年達へと同じ質問を浴びせている。
「下っ端じゃ分からない、か」
「みたいだな。だから言ったんだよ、勇み足だって」

 そもそも誰に聞けば……?
 半ば勢いで飛び出していったものの、最初二人は程なくして自分達の無計画さに気付いて
立ち止まっていた。
 その場はとにかく、件の薬をやっていそうな連中──不良達の溜まり場を当たればいいだ
ろうという話になったが、聖はそんな友の背中を追いながらの道中、アリスに電話を入れ直
していた。
『はは、やっぱりか……。いやぁね、ただ私はそういう火の粉が飛んできてるから、あなた
達も気を付けておいてねって念を押したかったのよ』
 電話の向こうで彼女は苦笑(わら)っていた。背後でコポコポと薬液が煮立つノイズも少
しばかり雑じっている。
『気持ちは、分からなくもないんだけどね。父親の死だのハーフだの、あの子にもあの子な
りに色々苦労させちゃったから。一旦目の“敵(かたき)”にすると熱くなっちゃう所はそ
の所為なのかしらね』
 だけども、それは決して嫌だというニュアンスではなかったなと聖は思う。
 実際「まぁ母親思いのいい子に育ってくれた分、救いかな……」と彼女がごちるのを聞い
たのもあって、この感慨は尚の事リアリティがある。
『だから、よければ付き合ってあげて? でも程々にして帰ってらっしゃい。服用者からの
危害は勿論だけど、当局も眼を光らせてる筈だから。……特に相馬聖(あなた)は魔術関係
のトラブルに巻き込まれると面倒でしょ』
『……ええ』
 息子への優しさ、気遣い。併せて的確な現在の状況把握からの抑制。
 聖は少し間を置きながらも、そう短く首肯していた。
 携帯を顎と肩に挟んでもぞもぞ。そっと袖の上から左腕を握る。
 分かってますよ──僕は“皆”を抑え込む役割を担ってるんですから──。

「おいおい、困るなぁ。ここはうちの縄張りだぜ?」
 そんな最中だった。ふと背後から声がしたかと思うと、ざりっざりっと一人の少年が気だ
るい足取りでこちらに近付いてきたのである。
 彼もまた、私服姿の不良だった。
 革ジャンと膝辺りに穴が開いたジーパン、がちゃがちゃと不快に鳴る腰元の鎖。年格好は
多分自分達よりも年上──或いは大学生辺りの年齢かもしれない。聖と、尋問を続けていた
晴はどちらからともなく振り返り、返答をすることもなく身構える。
「何の用だ? よく分かんねぇけど好き勝手してくれてんじゃないの。……警察(ポリ)に
チクるつもりか? させねぇよ」
 それを交戦の意思ありと捉えたのだろう。この少年──おそらくこの一団のリーダー格は
ゆっくりと近付いてきながらスッと胸ポケットから何かを取り出した。
 晴と聖が思わず目を見開く。
 それは──歪な丸型の、くすんだ白色をした一粒の錠剤だったからだ。
「……」
 がちり。まるでサプリメントを摂るように躊躇いもなく、口の中へ。
 噛み砕きつつ唾液で溶かす。そして刹那、この少年の様子に異変が起こった。
 ほんの一瞬だったが、ブレるように震えた身体。四肢はにわかに隆々とし、目は血走る。
「ッ!?」
 晴は反射的に、身を庇って飛び退ろうとした。彼がこちらに明らかな害意を向けると、霞
むような速さで地面を蹴ったからである。
 だが……その初撃は晴に届く事はなかった。
 飛び出した勢い、そのままを利用して放たれた彼の拳は、二人の間に割って入った格好の
聖によってはしと受け止められていたからである。
「──何すんだよ、てめぇ」
「……!?」
 今度はこの少年が驚く番だった。
 あり得ない。この薬(ヤク)が効いている状態の喧嘩で負けるなど、今まで無いに等しか
ったというのに。
 更に妙な変化があった。この乱入者──聖の纏う雰囲気が急に荒々しくなった気がする。
 拳はその掌一本で受け止められ、不敵に笑うその口元には犬歯がちらりと見える。加えて
顔を上げそう呟いてきた瞬間、その両目が黄色に光ったようにも見えた。
 ざわっと本能が恐怖を告げてきた。
 少年は思わず拳を引き、しかし怖気づいたままではいられないと、もう一度拳を振るって
くる。
 それを聖は、いとも容易くかわしてみせていた。
 右、左、右、左。軸足を移して彼を晴から逸らし、ビルとビルの間、壁の方へ。
「おい、あまり……」
「分かってる! 加減くれぇするよ!」
 その隙を見計らって晴も動いていた。尋問は中断、それまで魔術で催眠状態になっていた
不良達を一人ずつ昏倒させて灰色の地面に寝かせながら、この友は諌めの言葉を放とうとし
ている。
 だがこの少年にとっては、答えた聖の発言が、自分を舐め切った言動に映った。
 負ける筈がない。この薬(ヤク)のスピードに、パワーについてこれるなんてどういう事
だ? まさかこいつらも同じようにヤっているクチなのか……?
 六発目。遂に彼の放った左ストレートは正面のコンクリート壁を大きく穿った。
 ガコンッと響く音。円状にひび割れた壁の視界。
 だがその一撃も聖は悠々と交わしていた。サッと身を捻って横に飛び、腕を壁に突っ込ん
だ格好の彼をわざとらしく小首を傾げて見つめている。
「こん、の……っ!」
 壁から拳を引き抜き、少年は右手を再び胸ポケットに突っ込んだ。
 一つじゃ足りない。ならばもっと──。
「はん」
 だがそれが術中だったのである。
 ポケットに手を伸ばした、その一瞬の隙を突いて聖は──黄色に瞳を輝かせた聖は彼の懐
に飛び込んでいた。
 速い。その加速力は少年のそれを遥かに凌ぐ。
 気付いた時にはもう、彼はほぼ零距離でその接近を許してしまっていた。
「──がァッ!?」
 そして、次に叩き込まれたのは掌底。握られた拳ではなく、びしりと開かれた掌。
 一瞬にして眩い奔流が彼の視界に満ちた。まさに貫かれたような──電撃。少年は聖が放
った電撃の掌底をもろに受け、大きく背後へと吹き飛ばされる。
 拳で抉った時以上の陥没と共に、彼はコンクリート壁に叩き付けられていた。
 まだバチバチッと電撃の余韻が漂っている。そこはかとなく隆々とした身体からは煙が立
ちこめ、だらりと下がった両手足と共に表情(かお)は完全に白目を剥いてしまっている。
「……ふぅ」
 大きく深呼吸をして、聖がそっと戦闘体勢を解除していた。
 ゆっくりと開かれた目。だがそこにはもう黄色に光っていた瞳などはなく。ただそこには
温和な雰囲気を纏う“いつもの相馬聖(かれ)”が立っているだけだった。
「死んで……ないよな?」
「その筈だよ。いくら例のドラッグがあっても《狼》の打撃をもろに受けてたら身体が粉々
になっちゃうし。だから電気ショックだけにしておいた。死にはしない……筈だけど」
「……」
 自身の横を吹き飛んでいった少年を暫し見遣り、確認するように訊ねてきた晴に聖は苦笑
しながらも言う。
 身体が痙攣している。暫くは意識を取り戻さないだろうが、即死ではなかろう。
 ふと晴が何か地面に屈み出すのを聖は見たが、先ずはこの少年だ。
 意識を取り戻すのを待つなり、この一戦の記憶を抜き取るなりして、また晴に肝心の情報
を聞き出して貰わないと。
 少なくとも事態は思っていた以上に深刻なようだ。
 話からして、元締がいる。
 そこからいわゆるネズミ算のように、薬が拡がっている……。
「──いたわ、あそこ!」
 だが、ちょうどそんな時だった。
 路地裏の向こう、通りの方から聞こえてきた声と複数の足音。聖と晴はギョッとなって振
り向いた。見れば頭上を一羽の鳩が飛んでおり、その一団はあたかもこの鳩に案内されるか
のようにしてこちらに駆けつけようとしていたのである。
「あれって……」
「……式神か。拙いな、嗅ぎ付けてきたのか」
 二人して見上げ、そして見遣る。
 気付いた時には聖は晴に手を取られていた。足元に、壁際に転がる不良達を置き去りにし
てでも彼はこの場を抜け出そうとしだす。
「逃げるぞ。当局の魔術師だとしたら厄介だ」
「あ、ああ……」
 そうして、両者はちょうど入れ違いになった。
 逃げ去っていったのは聖と晴。その後にやって来たのは、麻耶や正明──巫監の面々。
 その後ろ姿は確かに彼らも目撃した。だがそれよりも駆けつけたこの現場に転がる、多数
の少年達を放置しておく訳にもいかなかった。
「お、おい! ……行っちまった」
「何があったんでしょう? 戦った、んですかね?」
「みたいだな。例の薬だろうか。あんな陥没、素人の喧嘩では先ずあり得ん」
「……少なくとも魔術絡みのようね。みて。この子達、僅かだけど魔術を掛けられた痕跡が
あるわ」
 正明が路地裏に消えた二人を追おうとして立ち止まり、その間にも他のメンバー達がこの
現場を早速調べ始めていた。武蔵と伴太が辺りを見渡して唸り、痛ましく眉を潜め、一方で
凛はその犠牲者の一人の前に屈んで感覚を凝らすと、程なくして彼らが魔術──言霊や魔眼
を掛けられていたらしいことを看破する。
「少しばかり遅かった、か」
「でも物証はたくさんありそうよ。調べましょう?」
「そうだな……。伴太、この辺りに結界を」
「了解です」
 ならば自分達は自分達の仕事を。正明が意識を切り替えて指示を出し、伴太が大きく頷く
と、その鞄から御札の束を取り出して辺りの壁に貼り付けていった。
(……どうして。どうして、こんな所に……?)
 だがそんな中で、一人、麻弥だけは。
 不意に目撃した彼──遠目からもハーフらしい少年に手を引かれていた、あのもう一人の
少年の横顔が、目に焼きついて離れない。
「ひー君──」


 路地裏での一件(ニアミス)から、その日で三日目を迎えようとしていた。
 正明達が調査した結果、確保した少年達からは種々の魔術物質が検出された。その多くが
肉体強化に作用するものであり、おそらくは混合されることで相乗効果を狙ったものとみら
れる。一件自体は表向き一般の傷害事件として処理され、全員幸か不幸か命に別状はない。
ただ最も激しく交戦したとみられるリーダー格の少年だけは別で、また後日、その回復を待
たなければ聴取もできぬだろうというのが大方の見解だった。
『照合完了しました。潮ノ目学園……この辺りでは一番大きな学校みたいですね』
 とはいえ、それまで何もせずにぼうっとしている訳にもいかない。
 確保した物証、自分達の記憶を頼りに、正明達はあの時現場から逃げ去った二人の少年を
特定すべく動き出していた。市内での拠点──ビジネスホテルの室内にて伴太がノートPC
を操り、彼らの着ていた制服から所属する学校を割り出す。
『また学生か。これは思った以上に例の薬が蔓延しているらしい』
『でも妙ね。倒れていたあの子達は物理的なダメージはなかった。……眠らされていたわ。
まだ未熟だけど魔術を使って』
『やっぱり魔術師が関わっているんでしょうか? 何かトラブルがあって、あんな……』
『さてな。実際に掴まえてみないことには推測でしかねぇさ。大丈夫だ、お前には戦いの負
担は押し付けない。いざとなったら俺達がやる』
『……うん』
 状況は一見して尚混線しているようにみえた。実際本丸である魔術薬の出元は分からない
ままだし、そこに件の二人組が加わったのだ。どう両者を関連付ける──或いは全く別の線
とすればいいのか、まだ情報が足りない。
『……仕方ねえ、ここは二手に分かれよう。武蔵・凛・伴太は引き続き薬の流通ルートを辿
ってくれ。俺は麻弥を連れてその学園とやらに行ってみる。上手くいけばあの二人をとっ捕
まえて芋づる式に解決するかもしれん』
 故にそうして一行は一旦別行動をすることになった。
 いわば直接的な攻めと、間接的な攻め。戦力が分けられてしまうが事態の深度を考えるに
あまり悠長に調べている訳にもいかないだろう。武蔵たちも快諾してくれた。楽観的かもし
れないが、あの二人が絡まった糸を一気に引き寄せるつかみになることを願う。
(やっぱり、あの男の子はひー君なのかな……?)
(麻弥をこのまま宙ぶらりんにはしておけねぇしな。魔術絡みの幼馴染クン、か……)

「──ん? 誰だ? 此処から先は関係者以外立ち入り禁止だぞ」
 当然ながら、いざ潮ノ目学園の前まで来ると、正門傍の詰め所らしき場所から守衛と思し
き制服姿の男達が姿をみせた。そこはかとなく上から目線。こちらが年下だというのもある
のだろうが、端から邪険に扱うつもりで接してきている。
「……“此処を通せ。上客だ。お勤めご苦労”」
 だがそんな警備を正明はあっさりと通過してみせた。
 少しばかりムッとした後、静かに目を細めてそんな軽くリズムを含んだ一言を。
 するとどうだろう。まるでそれが上官の命令であるかのように、彼らは急にその瞳に色彩
を失って易々と道を開けてくれたのである。
「ふわぁ。相変わらず凄いね、兄さんの言霊」
「そうでもねぇよ。……行くぜ」
 ぼうっと突っ立った守衛らを背後にし、正明と麻弥はそのまま敷地内へと進んだ。
 肩に担いだ長い布包みが歩みごとに揺れている。麻弥は素直にこの兄の──魔術師として
も先輩のその力量を褒めたつもりなのだが、当の正明自身は照れ隠しなのか淡白な反応だ。
 潮ノ目学園はレンガ造りの、全体的にレトロな風情を湛える佇まいだった。
 正門から入って程なくすると丸い石畳が広がり、右手に進めば奥へ奥へと連なる校舎、左
手に進めばグラウンドと部活棟や倉庫らしき建物が遠巻きに見える。
 二人は暫し石畳からレンガ道へ、レンガ道から芝生へとその右手方向を進んだ。
 どうやら建物もレトロなら、それらを彩る緑もまた豊からしい。
 正明(あに)の後をついていきながらも、麻弥はその手入れの行き届いた庭園を感心して
見渡していた。京都(むこう)だと純和風のそればかりに慣れてしまっているが、港町らし
いこうした洋風の雰囲気というのもまた乙なものだ。
「……あの人達、本当にいるかな?」
「伴太が調べてくれたし、大丈夫だろ。今日は普通の平日だ。授業中だからか他人の気配は
ないが、もう少し行ったら適当に誰か掴まえて言霊で訊いてみればいい」
 しかし一方で正明はというと、そんな風情を感じる気持ちの余裕は持ち合わせていないよ
うだった。勿論今はれっきとした仕事中なので当たり前の態度かもしれないが、麻弥にして
みればどうにも気まずく会話が続かない。
(あの子が本当にひー君だとすれば……あの事故で生き残ってた訳だよね。どうして連絡し
てくれなかったんだろう? やっぱり魔術側(こっち)に来た所為かな? 巫監自体一般の
人には──あ、でも一昨日のあれはどうみても魔術絡みだし……)
 麻弥は悶々と、期待と不安の間を行ったり来たりしていた。
 幼い頃、毎日のように一緒に遊んでいた幼馴染の男の子。両親もご近所の皆も死に、もう
誰もあの頃を知っている人はいなくなった。だからこそ京都(しんてんち)で頑張ろうとし
てきたのに、これではどうしようもなく気持ちが揺らぐ。
 見間違いかもしれない。だけど今もあの頃の記憶は自分の中で輝いている。
 彼(ひーくん)だと思う。確かに、確かにあの横顔には……面影があった。
(……よりにもよって初実戦(このタイミング)で登場とはな。昔から思い出話で聞かされ
てはきたが……場合によっちゃ、俺はこいつの目の前で……)
 そして正明もまた、敷地内を往きながら思う。深く静かに眉を顰めていた。
 事ある毎に義妹(いもうと)が口にしていた過去。大切にしてきたであろうその記憶。
 だからこそ苛立った。許せないという感情が沸き出していた。
 相馬聖。お前は一体何なんだ?
 何故今頃になって、何故魔術に、お前は拠り立ちながら、こいつの前に現れた──?

「……」
 陽が昇っていくに従い、聖の座る窓際の席はぽかぽかと心地よくなってくる。
 クラスの教室。呪文のような数式を読み上げる声と黒板を走るチョークの音を意識の片隅
に、聖はぼうっと窓の外を眺めていた。
 まだ入学して程ない、しかし妙に既視感のある洋風レトロと庭園のそれ。
 穏やかだった。少なくとも多くの市民にとって世界は──遠くの何処かで誰かが炎に包ま
れていても──平和に属するのだろう。
 だが、だからこそ聖は虚しくなる。
 こんな外面の穏やかさすら、本当はただのまやかしに過ぎないのではないか。
『──結論から言うと、粗悪品よ』
 あの日、慌てて家に逃げ戻って来た自分達を迎えたアリスは、晴から預かったとある代物
をひとしきり分析に掛けた後、そう地下の研究室(ラボ)で断言した。最初は気付かなかっ
たが、どうやらこの友はあのどさくさの中でリーダー格が落とした薬の欠片を拾ってきてい
たらしい。
『確かにこれは肉体を強化する為の魔術薬よ。だけど調合も雑で、今まで一応作用していた
っていう方が私にしてみれば驚きね。そもそもこれに使われている製法自体が旧式だし、現
在の一般的な魔術師が使うものだとはお世辞にも言い難いのよ』
 魔術師に普通も何もないと思うのだが、彼女はそうばっさりと斬り捨てる。
 故に粗悪品。調合の精度も素人に毛が生えたレベルだし、錠剤自体も随分と脆いものだっ
たという。
 少なくともちゃんとした魔術師の仕業ではない筈だ──それが彼女の、製薬を専門とする
プロの魔術師の見解だった。
 そして色々危ない目にこそ遭い、しっかりお叱りも受けたのだが、同時にこれだけの証拠
があれば当局に身の潔白を(逆説的に)証明できるだろうとも付け加えてくれた。
 もう自分達が先日のような危ない橋を渡る必要はない。
 あとは彼女自身が、いち魔術師としてその火の粉を払うだろう。
(──ん?)
 ちょうど、そんな時だった。
 瀬名川家地下でのそうしたやりとりをぼうっと思い出していた聖の目に、思いもよらぬ光
景が飛び込んできたのだ。
 ……歩いていた。あの時、路地裏に駆け込んできた魔術師達(仮)の内二人が、何故か校
舎の下、レンガ道が貫く庭園の中を歩いていたのである。
「は、晴」
「うん? なんだ。今は授業中だぞ」
「し、下……。あそこ見ろ」
 だから思わず聖はすぐ前の席に着いている晴を小突き、こちらを向かせた。
 どうやら彼の方は至って真面目に授業を受けていたようである。晴は最初怪訝な様子でこ
ちらを見ていたが、聖が窓ガラス越しに指し示すものを見て同じく目を丸くする。
「……おい。あれって」
「ああ、あの時の面子だと思う。見えてるのは五人じゃなくて二人だけど」
「まさか僕達を追って来たのか? ……ああ。そういえばあの時は制服のままだったっけ」
「これ、拙くないか? アリスさんへの疑惑が晴れる前に当局が動いてるとなると……」
「入れ違い、か……確かにな。実際、僕達が一騒動起こしてしまってる訳だし、下手をすれ
ば無駄に事態がこんがらがるかも……」
 二人はそうひそひそと呟きながら、互いに顔を見合わせていた。
 姿が確認できるのは布を担いだ青年と、自分達と同じ年頃とみえる女の子だ。
 向こうはどれだけこちらの素性を把握したのだろう? このままではクラスに踏み込まれ
るのは時間の問題に──。
「瀬名川、相馬っ! ……私の授業は、そんなに退屈か?」
「あっ、いえ……」
「そういう訳では……。すみません」
 しかし平穏は日常は、やはりいつも通りのそれでしかなくて。
 二人は教壇から飛んでくる教師からの叱責に、思わずビシッと背筋を伸ばさせられる。

『──それは、瀬名川君じゃないですかね』
 校舎の周りを歩いてチャイムが鳴るのを待ち、正明と麻弥は渡り廊下の向こうからやって
来た一人の女子生徒を捉まえると、打ち合わせ通り言霊で早速例の二人の事を訊ねてみた。
 どうやら幸先はよいらしい。ハーフという目立つ容姿があったおかげだろう。とろんと色
彩を失った瞳で彼女はそう答えてくる。
 名前は、ハーフな少年の方が瀬名川晴。そして──もう一方が相馬聖。どうやら麻弥の直
感と思い出補正に間違いはないらしかった。
 そのまま彼女を解放し、充分に離れたところで言霊からの暗示を解いてやる。つい先刻ま
での記憶もなく、頭に疑問符を浮かべているその女子生徒が去っていくのを物陰に隠れなが
ら見つめ、正明は「呼び出しに行ってくる」とだけ言い残して出て行ってしまった。
 今度は教員あたりを捉まえ、直接コンタクトを図るのだろう。
 なら式神を何体か放った方が手っ取り早いじゃないかと思ったが、そもそも相手は魔術の
心得がある可能性が高い。事を穏便に済ませたい以上、下手に刺激し、勘付かれるような選
択肢はできるだけ避けたかった。
「……」
 故に麻弥は一人、中庭の一角に取り残されることになった。
 まだ兄は戻って来ていない。そう手間取ることもないだろうが、強引な真似をしてはいな
いだろうか? 自分がまだまだひよっこの癖に、他人を心配することだけは一人前だなと気
付くと独り可笑しくなる。
 木陰に座り、じっと兄が戻って来るのを待つ。
 もしかしたら生徒や職員に見つかるかもしれないが、そこは自分も魔術師の端くれ。言霊
なりこの年格好で充分に誤魔化せるだろう。それでも心細さは否めなかった。不安と緊張の
綱渡り。その揺らぎが潜入前より確実に大きくなっている気がする。
(ひー君が、魔術に関わっている……)
 正直、あまり考えたくはなかった。しかし状況と残された手掛かりがそれを否応なく突き
つけてくる。
 不安に押し潰されそうだった。
 やっと会えた、生きていたと知れた彼に、自分はどんな顔をして会えばいいのだろう?
 事情はまだよく分からない。そこに一縷の希望を託したい。だけども、もし彼ともう一人
のハーフの子が今回の事件に関わっているなら、自分は彼らと戦わないといけなくなるかも
しれない……。
 思わず表情が歪んだ。苦しくて自然と胸元に手がいく。 
 もしそうなら──私が助けないと。
 それでも麻弥は気丈にあろうとした。もし敵同士になってしまうとしても、あの頃の思い
出までが否定される訳ではない筈だから……。
「──ととっ」
 しかし、それはそんな最中に起きた。
 不意にこちらの中庭に向かって、校舎から渡り廊下に飛び出してくる人影があった。
「は~……。危ない危ない」
「ギリギリだったな。まさか先生を使って呼び出しにくるとは……」
 麻弥は思わず目を丸くする。
 そこには件の瀬名川というハーフの少年と、相馬聖(かれ)がいて──。
「ひー君!」
 叫んでいた。麻弥は殆ど反射的に立ち上がり、二人に向けて呼び掛けていた。
 最初こそ何事か分からなかったらしい。だが聖と晴は、廊下の向こう、中庭に彼女が立っ
ているのをみるや否や「やばっ!?」と顔を引き攣らせてその場から逃げようとする。
「ま、待って! ひー君でしょ? 相馬……聖君だよね? 私だよ! 麻弥。谷崎麻弥! 
今はちょっと……色々あって、御門になってるけど……」
 庭の緑を何度となく踏み締め、麻弥は前へ前へと出てそう訴えていた。分かってくれると
ばかり思っていた。
 なのに──反応がない。
 晴はそう必死に叫ぶ彼女を困ったように眉を顰めて見つめ、当の聖本人に至ってはぽかん
と何の感慨もないような表情をしている。
「……誰?」
「えっ」
 返ってきたのは、そんな短い疑問系だった。
 麻弥の動きが止まる。じわりと両の瞳に潤んだ揺らぎが起こる。
 しかし聖は一ミリの冗談もなく、至って真面目に訊ねているようだった。
「ひー、く」
「知らない……。君、誰……?」
 ゆっくりと、その怪訝を向けつつ、彼はそうかつての幼馴染に答えていたのだった。

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  1. 2013/12/23(月) 18:00:00|
  2. Dear SORCERY
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コメント

話主のはっきりしない冗長なモノローグはカットして、さっさと平穏な日常を謎の爆発で奪われた少年の描写に入ったほうがいいと思いました。
退屈すぎて第一幕までたどり着けない。
  1. 2013/12/24(火) 13:18:28 |
  2. URL |
  3. 名無し #-
  4. [ 編集 ]

UP後早速のレスポンスありがとうございます。
うーん、冗長かあ。
順繰りに……と思ってああなったのですが、早速長さの弊害が出ようとは。
中々どうして、そうすぐに簡単にはスマートに筆力は進化してくれないものですねφ(・_・;)
  1. 2013/12/25(水) 10:12:34 |
  2. URL |
  3. 長月 #oOZ748FU
  4. [ 編集 ]

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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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