日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅳ〔45〕

 自身の拳を胸元に当て、そうジークは叫んでいた。
 唖然とする面々、彼の後ろにずらりと並ぶ四人の仲間達、そして更に後方で着陸しようと
している一機の戦闘艇。
 大都(バベルロート)第三隔壁外周・北城門(ゲート)前。
 きんと響いて四散したこの一言は、ややあって多くの人々を揺るがし動かすことになる。
「……はっ!? ちょ、ちょっと何ぼうっとしてるの。映像機、映像機早く!」
「おいおい。こりゃあまたスクープだぞ……」
「か、確認できるでしょうか? 皇子です、ジーク皇子達が姿を見せました!」
 最初に反応し、慌てふためいたのは、守備隊らの遥か後方に張り付いていた取材クルー達
だった。映像機のレンズが、集音マイクの竿が一斉に向けられる。リポーター達がこぞって
この生還(さま)を報じ始めている。
「……粘ってくれてたんだな。ありがとよ」
「い、いえ。皇子こそよくご無事で……」
 そんな後方の彼らを肩越しに一瞥しながら、ジークは数歩進み出て言った。
 ぶっきらぼうに、だけど優しく。思わず面々を指揮していた将校らが恐縮する。中には安
堵の念に緊張の糸が解れ、目に涙を浮かべてしまう者もいる。
 ジーク達は彼らの腐心を労い、前方を睨んだ。
 城門(ゲート)に立ち塞がるのは“結社”の軍勢と頭目らしき戦士が三人。既に移動中に
確かめた通り、既に大都の街並みは奇麗さっぱり掻き消え、隔壁の向こうに寒々しい空き地
を形成しているらしいことが分かる。
「あいつらが門番か。よっぽどあの先を通したくねぇみたいだが」
「……ところで将校殿。他の城門(ゲート)はどうしているのですか? 確かこの街は東西
南北それぞれに城門(ゲート)が設けられている筈ですが」
 もう一本、蒼桜を抜いてくるりと順手に持ち替えるジークの横で、そうサフレが訊ねた。
 反応は明らかだった。すぐにこの将校以下、指揮を執る各隊長らが渋面をこぼす。
「ええ。最初は我々も四方から突き崩すつもりでいたんです」
「ですが、南門と西・東門にはとんでもなく強い黒騎士達が邪魔をしていて……」
『えっ』
 ジーク達は互いに顔を見合わせた。
 とんでもなく強い、黒騎士。それはまさか……。
「戦鬼(ヴェルセーク)、か……?」
「で、でもおかしいですよ。それだとコーダスさんが何人もいることになります」
「……既に量産化が始まっているのかもしれないわね。或いは運用試験といった所かしら。
フォーザリアでも彼は“開発中の兵器”と言っていたし……」
「……」
 マルタが当然の疑問を、リュカが冷静にその回答を口にする。
 ジークも黙りこそしていたが首肯していた。あの竜族(ドラグネス)──ヴァハロも確か
新しい人形、などと言っていた記憶がある。トナン王宮での一戦でもそうだ。連中も確実に
その戦力を磨き続けているということか。
「それで、その黒騎士達は今?」
「幸か不幸か、追っては来てません。こっちが退却するのを見ていたのに城門の前に戻って
行きましたから、多分……」
「……あくまで命令されているのは城門の守り、か」
 サフレが呟く。ジーク達は改めて“結社”の軍勢が身構え──その一番奥の三人が部下に
何やら指示を出し、走らせているのをみた。
「まぁ、要は先ずあいつらをぶった斬りゃいいんだな?」
「そうだな。とにかく隔壁内に辿り着けなければ話にならない」
 ジークが二刀を構えた。サフレも槍を取り出し、後ろでマルタにリュカ、オズもそれぞれ
戦闘体勢に入る。
「──おい、お前ら!」
 だがその前に、とでも言わんばかりに、ジークが肩越しに叫ぶ。
 向けられた視線の先は取材クルー達だった。彼らのレンズが真っ直ぐにその勇姿を視界の
中に収め続けようとしている。
「その回線、世界中に飛んでるんだよな?」
 彼らは最初、その意図するところが分からなかった。
 目を瞬きぱちくりと。だが世界中にリアルタイムで実況していることは事実なので、すぐ
に誰からともなく彼らはコクコクと頷きを返す。
「ん……ならいいんだ。今どうなってるか、俺達も端末で見た。今あちこちの国が“結社”
に襲われてることも知ってる」
 一度、ジークは深く深呼吸をしていた。
 メッセージだ──取材クルー(かれ)らは確信する。これは彼が、世界中の人々に向けて
語りかけようとしている、その一呼吸前なのだと。
「負けるな、こんな奴らの好きなようになるんじゃねえ! ……踏ん張ってくれ。閉じ込め
られた母さん達は──お偉いさんも大都の人達も皆、俺達が助ける!」
 びりりっ。ジークの宣言が響いた。
 守備隊プラスアルファの連合軍が目を見開く。三人の信徒以下“結社”の軍勢が無表情、
或いは不快に顔を顰めてそのさまを見ている。
「……お、おぉっ!」
「やってやる……やってやるぜっ!」
 だがそれも数拍のこと。
 次の瞬間、ジーク達を取り巻く連合軍の面々が一斉に鬨の声を上げた。


 Tale-45.振り上げられた、その腕は

「兄さん……リュカ先生、皆……」
 それはまさに一条の光が差し込んできたような感覚、安堵に類するものだったろう。
 石の摩天楼、迷宮内上層。
 その元凶たる“結社”達の下に一つの光球──報告が届いたのを、アルス達は遠巻きなが
らも見た。
 外の様子だった。抱え込む筈の街を人を失い、隔壁の外周で戦っていた守備隊や各国国軍
の人々。そこへ何と兄らが突如として降り立ったというのだ。
『負けるな、こんな奴らの好きなようになるんじゃねえ! ……踏ん張ってくれ。閉じ込め
られた母さん達は──お偉いさんも大都の人達も皆、俺達が助ける!』
 光球の映像(ビジョン)とそこから聞こえてくる兄らの確かな声、生存の証。
 鬨の声が上がるのが聞こえていた。救う側と阻む側が駆け出していく足音が聞こえる。
「生きていた……のか?」
「よ、よし! これで、これで助けが来る……!」
 王達もにわかに気力を取り戻しつつあった。少なくとも不利一辺倒(に見えていた)この
状況が変わりつつある、そのことだけは漠然と理解して。
 アルスも、エトナと互いに顔を見合わせ控え目に破顔した。母(シノ)も驚きの後に来る
大きな安堵に目を細め、ぷつんと緊張が切れたように足元がふらつく。そんな主君を、少し
前に目を覚ましたイヨや他の官吏達がスクラムを組んで支えている。
「どういうことだい? 彼らはフォーザリアで瓦礫の下ではなかったのかい?」
「分かんねぇよ。だがまぁ……ははっ、そう簡単にくたばるタマじゃなかったか!」
「おっかしいなあ。あの時確かに、あたし達はドカンと吹き飛ばした筈だけど……」
 一方で“結社”達にとっては痛手──の筈だった。
 仕留めたとばかり思っていた厄介者の登場に魔人(メア)らが口々に眉を顰め、或いは敵
ながら面白いと笑う。目鼻がある訳ではないが“教主”がじっと、報告を聞き映像を眺めて
いる様子を見る限り、一見してまだまだ余裕を抱いているような印象すらある。
「──やっぱりだ。やっぱりあの時手心を加えやがったんだ!」
 しかし一人だけ、あからさまに怒りに震えている者がいた。
 少年の姿をした魔人(メア)・ヘイトである。
 彼は携行端末を握り締めながら叫んだ。ぐんっと首を回して振り返り、その視線の先──
同じ魔人(メア)であるクロムをさも親の仇でもあるかのように睨み付ける。
「教主様、こいつです! フォーザリアで最後にレノヴィン達と戦っていたのはこいつなん
です! あいつらが生きてるってことはこの偽善者(うらぎりもの)が手心を加えたとしか
考えられない!」
 そう、彼は“教主”に向かって訴えていた。ゆらりと淡い紫の巨大な光球が彼とクロムの
方を向き直るように動く。
『……総員に告ぐ。ジーク・レノヴィン達を迎撃せよ』
「きょ、教主様?」
『聞こえなかったか? 今、優先すべきことはそれではない。……使徒クロムの処分はこの
作戦が完了してからでよかろう』
 しかし彼の返した言葉はヘイトにとって大きな誤算であったらしい。
 驚いて問い返すヘイト。だが“教主”はあくまで冷静で、報告してきた外部の部下らに対
してそう指示を飛ばして通信を切ると、一呼吸置いてから淡々と口にするだけだった。
『それに……使徒ヘイト。独断はお前も同じではないか? 今は少しでも多くの兵力を必要
とする局面。その最中に無断で信徒と一軍を動かすのは、褒められたことではない』
「そ、それは……」
 加えて見透かされていた。ヤーウェイ基地へ襲撃を掛けた信徒、カムランを密かに動かし
あまつさえ消息不明にさせたことを“教主”はこれもまた物静かに非難したのである。
 ヘイトは低頭しながらも、ぐらぐらと両の瞳を揺るがせていた。
 そんな動きがあったのを知ってかしらずか、他の魔人(メア)達の眼は総じて冷たい。例
外があるとすれば、糾弾の矢面に立たされかけたクロムその人であっただろう。
 黙してヘイトを見ていることは変わらなかったが、彼の表情(それ)は様々な感情が入り
混じったが故に、むしろ無心にすら感じられる。
「──どうだ? 人間も中々やるもんだろ?」
 そして今度は、ファルケンが口元に弧を描いてそんな彼らを見上げていた。
 王達の視線が一斉に彼らに向く。その少なからずが「まさか」と小さな呟きと鈍痛のよう
な驚愕を含ませる。
「ファルケン王。まさか貴公、皇子達が無事だと知っていて……?」
「ああ。救助されたってのは報告を受けてた。でも馬鹿正直にあんたらに話したらどうなっ
てたよ? 間違いなく漏れてたぜ? こうやって、どうせ何か仕掛けてくるだろう連中への
しっぺ返しのチャンスすら無くしてたかもしれねえ」
 王や議員達が半眼になって彼を見ていた。暗に黙っていた、統務院(みかた)すら騙して
いた彼への不服であることは間違いない。
 だが当のファルケンは何処吹く風といった様子で立っている。そんな他の王達には目もく
れず、彼が遣ったのは……呆然としているシノやアルス達。
「……待たせて悪かったな。もう、大丈夫だ」
「──ッ」
 不意にふっと、優しく笑ってみせた破天荒の王。
 その言葉に、そこに込められた両国における政治的約束が果たされたという意味に、シノ
は思わず大粒の涙を湛える。つぅっと、一条を頬に伝わす。
「まだ抗うのか……。どこまで、世界を壊せばいい……?」
 水を、いや閃光を差そうとした。
 にわかに明るさを纏ったような眼下の王達。結社(てき)に寝返ったグノアはそう苦々し
い呟きを零しながら、その義手となった機械の掌から光線を放とうとする。
「止すのだがネ」
 しかしそれを止めた者がいた。他ならぬ、彼を使徒へと変貌させたルギスその人である。
「もう一度人質を屠るのかネ? 効果のほどは疑問だァヨ。レノヴィン達も人質(かれら)
の事は既に知っている筈。なのに突っ込んで来た。徹底的に抗う気だガネ」
「……」
 ぽんと取ったグノアの肩。ルギスは眼鏡の奥の瞳を光らせ、言う。
「教主様の仰った通りだァヨ。我々には大命がある。優先順位を見誤らぬことネ」
「……。はい」
 更にその後ろには黒騎士──戦鬼(ヴェルセーク)。
 狂気以外の感情はやはりすっぽりと鎧の奥へと呑み込まれ、ただ力を振るえと命じられる
その瞬間(とき)までじっと立ち続けている。
「──さて。問題はあの加勢とどう合流するかだが……」
 溜められた光が止んだ。
 一度は身構えていたアルス達だったが、そこで改めて互いの顔を見た。話し合い始めた。
 率いるのはハウゼンだった。老練の、抜け目なく頭上の“結社”達を観察しながら紡ぐそ
の言葉。ただ救われるのを待つだけでは駄目だろう──その認識は今や場の面々がざっくり
とながら共有しているものである筈だ。
「何とか、ここから降りていくしかないでしょうな」
「散り散りになった者達も心配です。正義の盾(イージス)や正義の剣(カリバー)、各軍
は自衛・防衛もできましょうが、此処には大都の市民も大勢……」
「ほ、本国はどうなっているんだ? 一刻も早く我々が生きていることを伝えねば。王器を
奪われてしまった後では……」
「いや、そもそもどうやって外に出るんです? 空間結界ですよ? ファルケン王がいるに
してもまさか術者を倒して……なんて荒業が通用するとも思えませんし」
 ざわざわ。王や議員、或いは官吏達も混ざって口を開いていた。
 不安は尽きない。懸念材料は次から次へと出てくる。それでも最初の頃に比べて比較的冷
静な声色であったのは、やはりジーク達が助けに来たことが大きいのだろう。
「私達が無理に戦うことはベターではありませんね。どちらにせよ先ずは兵と合流するのが
一番だと思います」
 そうして言葉を挟んできたのは、ロゼ大統領だった。
 長らく控えめだった彼女。そんな若き首長に皆の視線が集まる。ちらりと、それまでじっ
とグノアを、閃光を撃ちかけていた裏切り者を睨んでいたファルケンもその動きに倣う。
「引き離されてしまいましたが、我が国も何も用意をしていなかった訳ではありません。既
に雇った部下達が動いている筈です。我々の生存と帰還、このような事態が起きれば私の指
示がなくとも動くよう、事前に申し合わせてあります」
 少なくともロゼ自身は真面目だった。それ以外の嘘偽りを持っているつもりはなかった。
 だが、他の多くの王達にはそれが眩しかったのだろう。少なからず彼らは、自身の自惚れ
を逆説的に自覚せざるを得なかった。
 ばつが悪い。いざ暴力(りふじん)が起こった時の、何と無力なことか……。
「……ならば尚の事、自分達の身を守らねばならんな」
「結局な。戦える奴は前に出てろ、障壁も切らすな」
 ハウゼンが静かに結び、ファルケンがヴァシリコフを担いでふんと鼻息を鳴らす。
 他にアルスやセド、サウルなどが全面に立った。頭上向かいで“結社”達がこちらの動き
を見つめているのが分かる。
「特に、王器の有無を白状した者らを内側に寄せるんだ。……はったりでないなら、もう奴
らにとっては用済みだからな」
 加えてハウゼンが呟く。身勝手に保身に走った、遠回しな批判であるらしかった。
 既に目の前で一人、犠牲になった(じつえんがあった)のだから。
 王達の表情が再び緊張の色を濃くしていく。
『──散れ』
 それとほぼ同時“結社”達の方にも動きがあった。
 “教主”がゆっくりとその光球の輝きを蓄え膨らませながら言う。そしてその合図で、そ
れまで一ヶ所に集まっていた魔人(メア)達が次々と空間転移し始めたのだ。
 最初はジーヴァとヴァハロの二人。次いでフェイアン・バトナス・エクリレーヌにヘイト
とアヴリル、そしてクロム。転移の瞬間、その寸前までヘイトは憎悪に限りなく近い憤りの
眼でクロムを睨んでいたがやはり当人は視線を合わすことなく、失せる。
『……』
 残ったのは七人だった。いや“教主”を含めれば八人になるのか。
 ルギスとグノア、ヴェルセーク、フェニリアとセシル。奥に立つリュウゼンとヘルゼルは
引き続き、この空間の制御とその護衛の為なのだろう。
 再び対峙が始まっていた。静かに互いの視線がぶつかっている。
 グノアがファルケンに、ファルケンが彼ら全体に。セキエイがリュウゼンに、その視線を
敢えて見ないリュウゼンは半眼のままこの摩天楼を掌握する超感覚へと。
(どうすればいい? どうすれば奴らを振り切れる? 考えろ、考えろ……!)
 アルスもまたそんな中で必死だった。
 自分と仲間達、王や議員に官吏達、そして巻き添えを喰らった大都六百万の市民。
 傍目からこそ黙していた彼だったが、その実内心は何とかこの危機を脱するべく兄達と合
流すべく、その頭脳を全力で回転させる。


「次弾装填完了っ!」
「てーッ!!」
 打金の街(エイルヴァロ)に黒い影達が迫る。
 街を囲う城門の上に陣取った守備兵らは慌しく砲弾を装填しては放ち、装填しては放ちを
繰り返していた。
 だが結社も結社(あいてもあいて)でしぶとい。攻城戦となる──頭上からの砲撃に遭う
ことは予め想定していたのか、軍勢の前面を鎧に身を包んだずんぐりむっくりのオートマタ
兵を集め、こちらの砲撃への耐久力をつけている。加えて砲撃と砲撃の間、そのタイムラグ
を縫って鉤爪を装備した──今まで多く目撃されてきた──黒衣のオートマタ兵が我先にと
駆け出し、城壁面へ張り付こうとしてくる。
「盟約の下、我に示せ──烈火の矢(フレアアロー)!」
「盟約の下、我に示せ──雷撃の落(ライトニング)!」
 だがそれらを、砲兵らと入れ違うように次々と魔導兵らが撃ち落としていた。
 各列数人単位で並んだ彼ら。詠唱による隙を作らぬよう、各人が時間差を設けて詠唱を繰
り返し、発動の瞬間に前へ出て眼下の“結社”達を攻撃、すぐに後ろの仲間と交替する。
「よしっ……防げてる!」
「シルビア様の指示は的確だったな。この態勢を維持しろ、登って来る奴らを一体一体確実
に撃ち落すんだ!」
 守備兵らは手応えを感じていた。領主夫人からのアドバイスに深く感謝しつつ、銃剣を握
った歩兵達も身を乗り出して仲間達を援護している。
「魔力(マナ)が切れてきた奴は補給班へ! 霊石を受け取ってくれ!」
「弾薬が足りない! 追加を頼む!」
 だが……それは必ずしも自分達の“勝利”とイコールではない。それは場にいる面々の多
くが共有し、抱いていた不安であった。
 どだい篭城戦なのである。いずれ蓄えてある物資は尽きる。その時、この拮抗は容易に崩
れてしまうだろう。
 領主(セオドアはく)が戻ってくるまで?
 王都(クリスヴェイル)が勝つまで?
 消え去ってしまった大都(バベルロート)が取り戻されるまで?
 ……終わりが見えないのだ。自分達は一体、どれだけ耐えしのげばいいのか。
「上空に敵影を確認! 数、およそ百!」
「ちっ、またか。魔導兵、迎撃を!」
 そうして、もう何度目か分からない敵の空襲部隊が姿をみせる。
 鳥の姿をしたオートマタ兵の群れだった。
 薄灰色の身体と翼、青白い仮面のような顔にくちばし。双眼鏡で確認するとやはりその足
には筒状の爆弾が握られている。内側から崩しに掛かるつもりだ。
 慌てて魔導兵の一部が離れ、隊伍を作り直した。
 今度は一点集中ではなく広範囲を。複数人による呪文の詠唱が始まる。
「──鳥がんなモン」
「──運ぶでないわっ!」
 しかしそんな迎撃よりも早く、この鳥型オートマタらを撃ち落した者達がいた。
 最初に飛んできた──投げられたのは数本の投擲針(スローピック)。そして続けざまに
それらを、大きく跳躍した何者かが手にした大鎚でぶっ叩いたのだ。
 重量の差。粉微塵に砕ける投擲針(スローピック)。だが彼らの目的はそこではなく、鎚
がインパクトした、その直後の効果にこそあった。
『グァッ……!?』
 喉を絞められたような悲鳴と共に、鳥型たちは吹き飛ばされた。大鎚から放たれた衝撃波
がその身体をボロボロに千切っては捨てたのである。
 ずんっ、と大きく着地する音がした。すとんと、押し殺した足音がした。
「ふむ。危ない所だった」
「つーか、下手すりゃあ城壁(ここ)ごと吹き飛んでますよ。あれ……」
 守備兵らが驚いて振り返る。
 するとそこには巨人族の戦士(ゲド)と人族の密偵(キース)。
「よく耐えたわね。後は私達が何とかするわ」
 そしてこの二人の従者を率いて仁王立ちする、領主令嬢・シンシアの姿があった。
「ホーキンス殿! マクレガー殿!」
「お、お嬢様!? 何故ここに!?」
「ここに居られては危険です! ……というより、街内に敵が」
「ええ。それなら始末しましたわ。今頃追撃に来ていた部隊が被害の確認と皆の避難誘導を
している筈よ」
「ま、倒したの殆ど俺達ッスけどね」
 目を瞬き、おろおろとする隊員らにあくまでシンシアは強気で不敵だった。そのすぐ横で
キースがぼそっと補足をするが、当の彼女に思いっきり足の甲を踏まれ、黙らせられる。
「……行くわよ、カルヴィン!」
 声を殺して蹲るこの従者をじとっと一瞥した後、数歩前に出たシンシアは叫んだ。
 次の瞬間、彼女の頭上に現れたのは持ち霊・カルヴァーキス。人馬の姿をし、隆々とした
肉体に鎧を纏った、自称・鉄と戦の精霊。
 彼女が大きく片手を挙げる。するとどうだろう、カルヴィンは鈍色の巨大な炎となってこ
の相棒を包んだのだ。
 時間にしてほんの数秒のことだった。だが場に居合わせた守備隊の面々、或いは眼下で見
上げるオートマタ兵や信徒らは少なからぬ驚きで立ち止まっていた。
「──」
 そこには、生まれ変わったシンシアの姿があった。
 言うなれば、戦乙女。
 額に巻かれたサークレットには燃えるような赤い宝玉が添えられ、その身体も濃い銀色の
部分鎧が覆う。加えてその方々から伸び、垣間見える真紅のローブはその細やかな金の刺繍
も相まって気高いコントラストを演出している。
「お、お嬢様……」
「これは……精霊との融合」
『然様。名付けて“戦姫態(ヴァルキリーモード)”!』
「う、うるさいわね! 恥ずかしいからその呼び方は止めなさいよ!?」
 尤も、凛とした佇まいはそう長くは続かなかった。契約者と一体化したカルヴィンがそう
口上を挙げるに、当のシンシアが真っ赤になって否定しようとしていたからだ。
 思わず、面々が苦笑いを零す。だがそれは決して嘲笑の類ではない。
「……私だって、少しは成長してるのよ」
 解っていたからだ。
 それが、この撥ねっ返りの強い令嬢が積み重ねてきた努力の結晶なのだと。
「ゲド、キース。援護なさい」
「ははっ!」「ういッス」
 そしてシンシアが城壁のど真ん中に立つ。左右にずらりと砲台と魔導兵が並んでいる。
 “結社”の軍勢もそれが新たな攻撃の兆候だと理解したようだった。一度は歩みを緩めた
その進軍を、先程よりも一層激しく速くして城壁に迫り来る。
「焔よ──」
 次の瞬間だった。そんな敵を眼下に、シンシアは先ず右手を彼らの方へとかざした。
 するとその腕を中心にぐるりと灯ったのは鈍色の炎。まるでリボルバーの弾倉のように彼
女の指示を待って揺らめく。
「ッ……!」
 一旦その右腕を引き絞り、シンシアはぐんと前に突き出した。
 するとどうだろう。その瞬間、鈍色の炎達は一斉に順繰りに射出され、高速で“結社”の
軍勢に叩き込まれていったのだ。
 ──それだけではない。炎のように揺らめいていたそれらはインパクトの数拍前には硬質
の鋼と化し、鎧のオートマタ兵も他の者達も、ことごとく貫いていたのである。
「今度はこっちよ!」
 それでもシンシアは攻撃の手を止めることはなかった。今度は左腕、灯ったのは眩しい程
の赤い炎達。それらは同じく突き出された拳を合図に“結社”達の隊伍へと飛んでいき、着
弾と共に大爆発を起こしていく。
「うーん……やっぱ凄ぇな」
「はは、当然だ。何せ我らの主なのだからな」
 へいへい。キースが苦笑いを零し、ひょいひょいと投げてくる投擲針(スローピック)を
次々に大鎚の一振りで粉微塵にしながらゲドは笑っていた。
 快活。インパクトの瞬間に飛んでゆく衝撃波。
 震撃の鎚(グライドハンマー)──彼が得物としている、インパクトすると衝撃波を放つ
大槌型の魔導具。ゲドとキースの二人はその性質を利用して眼下の軍勢を遠隔攻撃していた
のである。
「おぉ……」
「よしっ、我々もお嬢様達に続くぞ! 砲兵・魔導兵、攻撃再開!」
 それからは怒涛の射撃だった。硬質の鈍い炎と爆発の赤い炎、上空から叩き付けてくるか
の如き衝撃波。それらに続いて砲撃と魔導が入れ替わり立ち代りに降り注いだ。
 しかし……それでも数の不利は否めなかった。
 倒しているのは確かな筈だ。だが相手は、少なくともオートマタ兵は、殆ど無尽蔵に供給
されているように見受けられる。
「……キリが無いわね。うちには王器がある訳じゃないのに。やっぱり……ここがお父様の
街だから?」
「でしょうね。揺さぶりっつーか意趣返しっつーか。奥方とも話してましたけど、伯爵は自
他共に認めるレノヴィン一派ですからねぇ。その領地が攻撃を受けてる、その事実自体が王
都のお偉いさん方にはプレッシャーになっている筈でしょうから」
 相棒(ゲド)に投擲針を、インパクトと衝撃波を放つ切欠になるものを投げ与え続けなが
らキースは答えた。二度三度。シンシアは新たに習得したこの姿・力を振るいつつも、そん
な敵の戦略──卑劣さに歯痒い思いを、悔しさを覚えざるをえなかった。
「耐えなさい! こんな奴らに屈するなんて……お父様が許しても私が許さないわよ!」
 集める。鈍色の灯を剛槍に、赤色の灯を炎槍に。
 叫び、鼓舞しながらシンシアはその二振りを投げつけた。また一層、迫り来る“結社”の
軍勢に地面ごと爆ぜが生じ、大きくその隊伍が乱れる。
「ほっ、報告します!」
 そんな最中だった。一人の守備兵があたふたと、酷く慌てた様子でこの城壁上へと駆け上
がってくると、びしりと敬礼のポーズを取ってから言う。
「さ、先程各メディアが速報を。ば、大都(バベルロート)に──」

「──ジーク達が!?」
 その報せを受けて、梟響の街(アウルベルツ)で戦う冒険者や守備兵達は大きく驚き、何
よりも色めき立っていた。
「ああ……。何でも突然空から戦闘艇で降りてきたらしい。今、第三隔壁の外で、向こうの
守備隊達と一緒に戦ってる」
 大都(バベルロート)にジークとその仲間達が現れた。一度はフォーザリアで、“結社”
に殺されたと宣伝されていた筈の彼らが。
 伝えに走ってきたこの傭兵の言葉に、面々は互いの顔を見合わせてにかっと笑った。
 そうか……あいつらは無事だったんだな。
 一体全体どうやって生き残ったんだ? いや、そもそもあれは誤報だったのか。
 だがそんな疑問はもう、彼らにとっては些事でしかなかった。
 希望の光が差し込んでくる。目の前では現在進行形で、城門から飛び出し“結社”の軍勢
とぶつかっている最中だというのに、不思議と全身に力が漲ってくるように感じる。
「……。よかった」
「ははっ、冷や冷やさせやがって! だがまぁ、これでこっちも気兼ねなく暴れられる」
 ミアが襲い掛かってきた信徒の顔面を殴り飛ばし、ぼそっと言った。そのすぐ近くでは電
撃をもろに浴びて伸びている連中を見下ろし、幅広の剣を担いだグノーシュが笑っている。
「そうだね。後はイセルナ達がシノさんや大都の人々を救い出してくれればいいんだけど」
 一方で、クランを任されているハロルドは淡々とした喜び方だった。
 他の後衛部隊と共に広く障壁を張り、術撃を放ち、彼ら前衛が押し返す隙をアシストしな
ながら呟く。
 激しい戦闘が繰り返されていた。
 “結社”は従来の黒衣のオートマタ兵だけでなく分厚い鎧を纏った壁役(タンク)、鳥型
をした空中対地用のそれも導入してきている。
「盟約の下、我に示せ──」
「我は彼の、彼らに仇なす者らを焼き尽くすことを望む者──」
 城壁の上では砲撃に加え、学院(アカデミー)の教職員らも応援に駆けつけていた。以前
連中の魔人(メア)に襲われた時と同じだ。勿論、災いの規模はあの時の比ではないが。
 術撃が砲撃が落ち、オートマタ兵らがまた吹き飛んでいた。
 障壁を張った向こう側にハロルドはそれを見る。この魔導の壁を巧みに使い、自分や他の
クランの面々がうねるように立ち回っている。
(……本当、君はすっかり世界を変える存在になってしまったんだね……)

 地下避難所(シェルター)の中でレナが泣いていた。
 ぼろぼろと、嗚咽を交えた号泣と言う他ないそれ。少し前、ここを守ってくれている守備
兵が大都にジーク達が姿を見せたという報せを持ってきてくれたのだ。
 最初は声が詰まるような驚きをしていた彼女だったが、差し出された携行端末に流されて
いるメディアの速報映像を目の当たりにすると一気に泣き崩れたのである。
「うぐっ、ひぐっ……! よかった……本当に、よかった……」
「うんうん。全く、ジークのアホンダラ。こんなに女の子を心配させて泣かせるだなんて。
帰って来たらただじゃ、おかないんだから……」
 薄暗いシェルターの中で、そう泣き腫らす友。ステラはその背中をそっと何度も優しく撫
でてあげていた。
 口では辛辣。だけども彼女もまた、両目に大粒の涙を溜めている。
「……。レナちゃん、ステラちゃん。やっぱり私、ハロルドさん達を手伝ってくるよ」
「えっ?」「でも……」
 すると今度は、そんな二人と共にいたクレアが言って、立ち上がった。
 彼女達だけではない。同じくこの場に避難していた住民達もがこの妖精族(エルフ)の少
女の発言に驚き、顔を上げて見つめている。
「分かってる。確かに一度はハロルドさんに『君に万一の事があったらシフォンに合わせる
顔がない』って断られたけど、このままじっとしてても変わるものじゃないでしょ? 向こ
うでもたくさんの人達が頑張ってるのにこれじゃあ私、何の為にこの街に来たのか分からな
くなっちゃうよ」
 友らは心配したが、それでも彼女は笑っていた。
 気を付けてね──ややあって二人は言い、駆け出すこの友を見送る。場の守備兵らも互い
に顔を見合わせると、フォローの為か内二・三人が彼女の後を追っていく。
「どっ……せいッ!」
 一方で街中に侵入した鳥型のオートマタ達を、守備兵らに混ざってフィデロとルイスが撃
ち落としていた。
 電撃を纏う拳で叩き落とし、そのエネルギーで滑空させる迅雷手甲(ヴォティックス)。
 振るう度に突風で巻き込み、その白い飾り布がはためく風繰りの杖(ゲイルスタッフ)。
 場の守備隊らが横目に一瞥し、頼もしく思えるほどの奮闘ぶり。
 それぞれ愛用する魔導具を駆る二人は、襲撃の報せのあとシェルターに逃げることもなく
立ち向かい続けている。
(……あの時、僕達は何もできなかった。知らずに終わった)
(今度こそ一緒に戦うんだ……。俺達は、あいつの親友(ダチ)なんだからよ……!)

『……』
 少し時を前後して、街の城壁をこっそりと登って来る一団があった。
 率いるのは黒いフードを被った女性。続くのは鉤爪で器用に登って来るオートマタ兵達。
 彼女の名はカルラといった。他の面々と同じく“結社”に属する信徒である。
 “結社”とハロルドら街の戦力との激突はここより遠く、正門を中心として繰り広げられ
ていた。彼女達はその隙を狙う格好で、密かに手薄になった側方奥の城壁から侵入を試みよ
うとしていたのである。
「──」
 だが、その動きを察知している者達がいた。
 不意に色褪せ、モノクロになった世界。城壁を登り切った格好の彼女達は静止画のように
固まった状態になっており、そこへ紺色の残像を伴いながら銃口が突きつけられる。
「ッ……!?」
 モノクロが豊かな色彩に。次の瞬間、一発の銃声が辺りに響いて消えた。
 至近距離の筈だった。こちらも捉えたとばかり思っていた。
「……む?」
 だがカルラは生きていた。ぐらりと大きく仰け反りこそはしたが、途中で両脚を踏ん張る
と再び石廊の上に立っていたのだ。
「おかしいな……。避ける暇は与えなかった筈だが」
 リカルドだった。その手には今し方放ったばかりの回転拳銃(リボルバー)が握られ、後
方にも彼と同じ黒の法衣姿の神官騎士らが隊伍を作っている。
 片眉を上げ、リカルドはこの女を観察した。
 年齢は二十歳にも及ばない程か。髪は長いが動くのに邪魔と言わんばかりに後ろで纏めら
れている。羽織っているのは周りのオートマタ兵らと同じく黒いマント。その眼差しは明確
な敵意を向けており、既に懐から鋸のような刃のダガーを二刀流にして握っている。
(……身代の刻印(サクリファス)か)
 そしてそんな彼女の傍で頭を撃ち抜かれ倒れている一体のオートマタ兵を見、リカルドは
疑問に答えを見出した。
 身代わりの魔導。予め刻印を打った相手に、自身のダメージを肩代わりさせる……。
「その装束……史の騎士団だな? ブルートバードと──レノヴィン一派と共闘している、
教団の神官兵ども……」
 だがリカルドのこの僅かな思考も、当の彼女によって阻害された。
 ぽつり。確認するように、自らスイッチを入れるかのように呟かれたその言葉は、ややあ
って彼女自身を強烈な怒りへと誘ったのである。
「何処だ……兄様は何処だ!? レノヴィン絡みの任務に出て兄様は帰って来なくなった。
お前が、お前達が殺ったんだろう!?」
 それは間違いなく怨嗟だった。よりどす黒く鋭利になった敵意だった。
 だが勿論、リカルドにはその意味する所は分からない。ただ懐から一発分の弾丸を取り出
すと、そっと空いた弾倉に補充をする。
「……何の話か知らんが、とんだ思い違いだな」
 一方で背後の部下達はこのカルラの豹変ぶりに一斉に抜剣・抜銃しようとしたが、それを
他ならぬリカルドは片手で制する。
「そもそも──」
 ガチャリ。銃口が真っ直ぐ彼女に向けられていた。
「恨み恨まれってのは、てめぇら“結社”の専売特許だろうがよ」
 宣告。
 哂うでもなく怒るでもなく、彼はただそう冷たい眼でこの“敵”と向かい合う。


 石の摩天楼たちは酷く冷たい。
 ただその至る所でじわじわと、そして確実に戦いの音が染み渡り始めている。
「ここから先は……通さん!」
 彼らもそうだった。
 リュウゼンの迷宮中層、その一角。獲物を見つけたある“結社”の信徒達の一団は、威嚇
するようにこの人物の周りを取り囲んでいた。
「そう言われてもな。これも一応、仕事だからさ」
 ヒュウガ・サーディスだった。
 正義の剣(カリバー)長官、元七星、そして魔人(メア)。そんな大物がのこのこと、た
った一人で遥かに延びるこの石廊を歩いてきたのだ。
「“赤雨(せきう)”のヒュウガだな?」
「こ、ここで討ち取れば幹部昇格も……!」
 虎系獣人の大男をリーダー格に、覆面の下っ端やオートマタ兵らがぐるりと得物を構えて
いる。その数五十以上。一見すれば危機であるようにしか見えない。
「……止めておけ。お前達は魔人(メア)じゃない。と、いうことは良くて中級(しんと)
クラスだろう? そこの虎クンがそうかな」
 だが、当のヒュウガは憎たらしいほど落ち着き払っていた。
 彼はただちらと獣人の男──信徒を見上げるように一度視線を遣っただけで、腰に下げた
その長剣(えもの)の柄にも触れようとしない。
「それにさ。俺が剣を抜いたら、お前達……死ぬよ?」
「じゃかましい!」
 とうとう獣人の信徒が叫んだ。全身に力(マナ)を込め、握り締めた大槌を振り下ろす。
 しかしヒュウガはその一撃を軽く半身を捌くことでかわしていた。めり込んだ鎚と大きく
陥没した石畳。にも拘わらず涼やかな視線が、目の隈をひくつかせる彼と交錯する。
 殺気。そして次の瞬間には他の“結社”達も一斉に襲い掛かってくる。
『──』
 まさに一瞬のことだった。
 彼らが剣や斧、銃を振り下ろし引き金をひくよりも速く、ヒュウガは抜刀した姿勢でこの
包囲から抜け出していたのだ。
 数拍、場の空気が圧縮されたように緊張する。
 解けたのは彼らの反応だった。長剣の刀身がぎらりとヒュウガの表情を映したその瞬間、
獣人の信徒を始めとした“結社”の兵らが次々に鮮血を噴き出して倒れたのである。
「ぐっ……。ま、まだだ……」
 ざっくりと、獣人の信徒は鋼の胸当てごと斬り裂かれた身体を庇いながら起き上がった。
 膝が悲鳴を上げている。ほんの一撃だったのに凄まじいダメージだ。彼は彼らは今更なが
ら、相手にしている者の次元を知るようで冷や汗が止まらない。
「……あれ? 言わなかったっけ」
「む?」
「俺が抜いたら、死ぬよって」
 だがこの一撃すら、この男にとっては“準備”でしかなかったことを、彼らは程なくして
知ることになる。……文字通り、自らの身を犠牲にして。
 ゆっくりと向き直り、ヒュウガはその剣を頭上に掲げた。
 何を……? 思わずつられて視線を上げた信徒達だったが、ややあってその瞳は一様に驚
愕のそれで激しく揺るがされる。
「血──」
 赤い奔流が生まれていた。
 いや、血だ。今し方自分達が斬られ、飛び散った血が、まるで吸い寄せられるようにして
ヒュウガの掲げる剣へと流れ、大きな渦を作っている。
「……雨ってのはさ、循環するんだよ」
 ぽつり。ヒュウガは言った。
「降り注ぎ、地上にある者達に溜まり、やがては空に昇って……また注ぐ」
 信徒達はもう震えていた。戦慄していた。
 間違いない。詠唱でも魔導具でもないのであれば、これはこの男のそれだ。
 色。自分たち信徒クラスですら、そのごく一部しか習得していない錬氣の──。
『──!』
 振り下ろした剣先を合図に、渦巻いた血が一斉に彼らへと降り注いだ。
 故に“雨”。
 だがそれは身を清める水といった生易しいものではなく、その一粒一粒が分厚い鎧すらも
撃ち抜く弾丸の如く。
 暫し地獄がそこに在った。血の雨霰が信徒らを激しく撃ち抜き、そこから噴き出した血が
再びこの魔力の雨へと加わっていく。
 打ちつける度、激しくなった。打ちつける度、赤くなった。
 時間にして数分とかからなかったろう。そこには血塗れと銃創(あな)塗れで息絶えた信
徒らの骸が転がっていた。
「……」
 ふっとヒュウガは笑う。血の滴った刀身を数度薙いで拭い、ゆっくりと鞘に収める。
 カチンと小気味良い金属音がした。だがそれを聞く者はもうこの場にはいない。ただ彼の
足元には、自身の血で殺戮された者達が真っ赤に転がっているのみである。
「さて」
 踏みしめ越えて、尚も涼しく飄々と。
 “正義の剣”はまるで何事もなかったかのようにその先を進む。

「ぐぅ……っ!」
 剣と槍が、何度目とも知れぬ衝突を迎え、大きく場の空間を揺らしていた。
 一方は槍を突き出した“正義の盾(イージス)”の長官・ダグラス、一方は“結社”に属
する白髪の剣士・使徒ジーヴァである。
 二人は激しくぶつかっていた。しかしそれは傍目からのもので、苦しげに顔を顰めている
のはダグラスだけである。つんざくような金属音と共に火花が散る中、対するジーヴァは全
くと言っていいほど変わらぬ無表情で彼の突きを受け止めている。
(……見誤った。使徒というのは、これほどまでに強力な存在なのか)
 そもそも、両者がぶつかったのは少し前に遡る。
 迷宮上層部の爆発を目撃し、王達がそこにいると直感したダグラスらは、散り散りになっ
た部下達に伝言を残して石廊を登り始めていた。
 そんな最中、彼らは出会ってしまったのである。
 突如どす黒い靄が前方に現れたかと思うと、姿を見せた──空間転移をしてきたのはこの
使徒ジーヴァ、そして同じくヴァハロ。
 トナン内乱における情報、及びこれまで拘束した“結社”関係者から聞きだした情報から
するに彼らは同組織における幹部クラス・使徒とみて間違いなかった。
 加えてダグラスの記憶ははっきりと訴えていた。
 あの白髪の剣士は──前皇アズサを死に至らしめた男だと。
 だからこそ、元より“結社”の手の者である以上、ダグラス達は彼らを見逃したり無視し
ようとは考えなかった。
 正直兵力は心許ない。だがここで討ち漏らせば、きっとより大きな災いになる……。
「──ッ!?」
 ダグラスの剛槍、その切っ先を剣の刃一点で支えてたジーヴァがゆらりと動いた。
 あたかも一ミリの無駄もないような流れる動き。互いの得物の接触点を巧みにずらし、彼
は槍の向きと逆に、スライドするようにこちらへ斬撃を放ってきたのである。
 殆ど直感、身体が反応するままに対応していた。
 斬撃が届くぎりぎりの間合い。ダグラスは強く握り締めていた槍を一度フッと離すと、そ
の石突を切っ先と交換するように押し出し、ジーヴァの顔面へ反撃を試みていたのである。
 だがジーヴァは、尚も表情一つ変えずにこれをかわしてみせた。
 やはり流れるように身体を後ろに反らして石突を回避、続いてすくい上げるようにやって
くる槍先を逆手に持ち替えた刀身で防ぐと、再び順手に持ち替えてダグラス諸共中空へ引き
ずり返す。
 それから、斬撃と防御、突きと防御、薙ぎと回避といった攻防が繰り返し続いた。
「……っ」
 じわり。汗がにじむ。ダグラスの脳裏に後悔の文字が大きく踊る。
 足元には変わり果てた部下達の亡骸があった。この使徒二人と激突した際、彼らのその初
撃の下に沈められてしまったのだ。
(すまない、皆……。私が、正義感を発揮したばかりに……)
 そんな思考を、自虐的な雑念を追い払うように、ダグラスは強く地面を踏んだ。
 するとどうだろう。錬氣を纏った彼のそれは、まるで合図となるように周囲の地面を突然
隆起させ、巨大な石柱群となってジーヴァへと襲い掛からせた。
 だが彼はやはり冷静だった。
 その瞬間こそ捉えたかと思ったこの大地の援護。
 しかし次の瞬間にはこれらは一閃の下に斬り裂かれ、その隙間からは彼の射抜くような冷
たい瞳が覗く。
(やはりこの程度では通じないか……。言わば此処は敵の力場内。本物の大地でない以上、
私の“形質”も充分な力を発揮できないという訳か……)
 ガラガラと石柱が崩れていく。ジーヴァがその中で佇み、ぶらりと剣を提げている。
 両者は改めて距離を取っていた。勝負がつかないでいた。
 少なくともダグラスの側は、彼に勝てる気がどうにもしない。
「ふむ……。我も加勢しようか?」
「……要らん。それよりも自分の心配をしたらどうだ?」
 そんなやり取りを、ヴァハロは少し離れた位置で見物して(ながめて)いた。
 にべもなく振り向きもせずジーヴァが言う。ほほ、と彼は笑いかけたが、すぐにこの同僚
兼好敵手が言わんとしていることに気付く。
「貴方の相手は──私です!」
 ダグラスの副官・エレンツァだった。彼女は上司と同じく真面目な、淑やかさを一枚脱ぎ
捨てた表情(かお)をみせ、自身の周りに大量のマナを滾らせる。
「む……?」
 それは、やがて雲に為った。
 黒雲という表現があるのなら、これは紫雲。それらは主である彼女に操られると真っ直ぐ
にヴァハロへと伸び、彼を上下左右から包み隠してしまう。
「……ほう。これは中々面(おも)──」
 言いかけた、次の瞬間だった。
 呑気にこの紫雲を見上げた彼に向かって、雲から轟きと雷撃が降り注いだのである。
 ダグラスとジーヴァが、それぞれにちらと目を遣った。辛うじて生き残っていた部下達が
互いに介抱し合い、遠巻きに見守りながら「やった!」と小さなガッツポーズをする。
「……はは。これは中々面白い技を使いおるわ」
 だが、ヴァハロはそんな攻撃を受けても笑っていた。
 いや……厳密には喰らってすらいない。
 刹那、彼を覆っていた紫雲が弾かれるように破られる。そして次に姿を見せた彼は、竜の
翼と尾を生やした姿──竜人態へと為っていた。どうやら先の雷撃もこの巨大で堅牢な翼で
以って防いだらしい。
 呵々と彼は快活に笑った。エレンツァや兵達が驚き、絶望を含めて顔を顰める。
「女(にょしょう)、我らと来ぬか? その実力であれば使徒の座も狙えるぞ?」
「寝言は寝て言ってください。誇り高き竜の身でありながら……恥を知りなさい!」
 再び紫雲がヴァハロを捉えようとした。だがもう同じ手は通じないのか、すぐに彼は竜の
翼で軽々と吹き払ってしまう。
 暗く濃くなった雲。今度はそこから大粒の尖った雹が降るが、これもまた握る手斧・手槍
と共に嬉々として叩き砕かれていく。
「……お前達は、正義の盾(イージス)なのだったな」
 暫し唖然と見遣っている。
 するとそんなダグラスや兵達に、ぽつりとジーヴァが言った。
 ハッとなって再び槍を構え直す。ボロボロになった身体で後退る。だが当の彼はそう口を
開くだけで斬りかかって来ることはなく、ただじっと返答を待っているかのようにその場で
佇んでいる。
「……そうだ。私が現在の長官、ダグラス・レヴェンガートだ」
「レヴェンガート……やはりそうか。その槍の技、やはりタニアから受け継いだものか」
 ダグラスは次の瞬間、酷く目を丸くした。ぐらぐらと両の瞳を揺らしていた。
 何故それを? 何故彼女の名前を、お前が?
 我が一族(レヴェンガートけ)の歴史ならともかく、あたかもその言い草は──。
「……そんなに驚くことでもないだろう。同じ帝国将校(もとどうりょう)のことぐらい、
今でもちゃんと覚えている」
「同、僚……? まさか貴様、ゴルガニア時代からの……?」
「魔人(メア)だからな。それに、年季ならヴァハロ(あいつ)の方が上だ」
 ダグラスは槍を握るその手が震えているのを自覚していた。
 ただでさえあまり胸を張れない歴史であるのに、あまつさえ目の前の敵にそのことを熟知
されているなど……。
「……千年か。お前達は未だに、あの頃の勝ち負けの“償い”をしているのか……」
「黙れっ! 貴様に、我々の何が分かるッ!?」
 感情的になれば負けだとは思った。だがダグラスはそう叫ばずにはいられなかった。
 ゴルガニア帝国本軍五番隊隊長。それが我が祖、タニア・レヴェンガートを語る上で必要
不可欠なフレーズだ。
 故に、自分達は辛酸を嘗め続けてきた。帝国に与し続けた将の一族。信頼できぬ輩──。
 今こうして統務院に身を置き、自らの心身を賭して王達を護っているのは他でもない、そ
んな歴史があったからだ。
 やっとここまで来た。
 父から子へ、子から孫へ。自分達は償い続けてきた。自身で言えば「槍聖」などと大層な
号まで贈られて。
 お前の言い分はある意味で正しいのだろう。長い長い時の中では瑣末な事かもしれない。
 だが……聞き逃す訳にはいかない。
 積み上げたものが崩れ去った後の苦しみ、取り戻すまでに費やした者達の人生。
 貴様は、それを「無意味」だと哂うのか──。
『……』
 ダグラスはジーヴァは、そうして暫く互いを睨み合っていた。じっと動かず無言の感情を
ぶつけ合っていた。
「──」
 しかしそんな思いは袖にされた。先についっと視線を逸らしたのはジーヴァだった。
「ヴァハロ、行くぞ」
「むん? よいのか? そこの武人と交えておったのではなかったのか」
「……刃を向けてきたから応戦したまでだ。無駄な足止めを喰らった。取り戻すぞ」
「ふむ……。よかろう」
 ハッと我に返った時にはもう遅かった。ダグラスが顔を上げる。エレンツァが消耗して肩
で息をしている。その間にこの二人は竜の翼で舞い上がり、その尾を掴み、瞬く間に空高く
飛んで行ってしまったのである。
「くっ……、待てッ!」
「お、落ち着いてください長官! 皆……満身創痍です」
 ダグラスは怒りに抗え切れずに叫んでいた。
 逃げるのか? そうやって何もかも「つまらない」と切り捨ててまた世界を壊しに行くと
いうのか?
 だがそんな激情はすぐに冷まされた。いつもと様子が違うのを即座に察知したエレンツァ
の一言により、彼は背後の部下達を振り返って青褪めたからだ。
「……。すまない」
 兵らはふるふると首を横に振っていた。
 全員ではなかろうが、聞き及んではいるのだろう。自分の家柄、その歴史。それでも彼ら
はダグラスを上官として信頼し、付き従っている──。
「彼らは、一体何処へ行くつもりなのでしょう?」
「分からない。だが少なくとも“結社”の魔人(メア)──使徒達が何かしらアクションを
起こし始めたということは間違いなさそうだな」
 決して浅からずに傷付いた部下達に歩み寄りながら、ダグラスはゆっくりと頭を振った。
 意識を切り替えよう。今成すべきことは何だ?
 自身にもずしんと戦闘の疲労とダメージが横たわる。だが自分が倒れてしまう訳にはいか
なかった。
 自分には彼らを、彼女を、率いる責任がある。
「……先を急ごう。王達にも何かあったのかもしれない」
 とはいえ皆の傷を考えれば、行軍速度はかなり落ちてしまうのだろうが……。

 ──あの時、私は彼にとどめを刺すことができなかった。
 殺すことができなかった。握った自分の拳に、間違いなく迷いという名のストッパーが掛
かっていたのを今でも私は覚えている。

『……決めてるんじゃねぇよ。人の生き死にを、てめぇが勝手に決めんじゃねぇ!』

 何故だろう?
 最初は怨みであった筈だ。憎しみであった筈だ。私達の成す正義がテロであると言い、彼
らへの弔いと報復の為に刃を向けていた筈だ。加え戦鬼(ヴェルセーク)との私的な因縁も
ある。私達は互いに“敵”だった筈だ。
 だから今までのその他大勢と同じく、相容れぬならば倒す──それだけの筈だった。

『てめぇの勝手で、他人を殺す(まきこむ)んじゃねぇッ!!』

 なのに、気付いた時には変貌していた。
 私の硬化能力すら破り始めていたその激情。込められた力。あれは最初のそれとは明らか
に異質のものであったように思う。
 だが、あの時私が驚愕した、その本質はもっと別の所にある気がする。
 ……泣いていた。
 見間違えではなかったと思う。あの時あの少年は、激情と共に剣を振るいながら、その影
が差した表情(かお)からつぅっと涙を零していたのだ。
 あれがきっと、目に見えた形でのこの迷いの原因ではないか? あの時同じく、ぎゅっと
握ったこの手を見つめながら考える。
 違っていったようにみえた。
 名もなき、或いは見知った少なからぬ人々への哀悼、私に倒された仲間達への弔い戦。
 だが本当にそうだったのだろうか? 少なくとも私が「変貌した」と感じたあの時、あの
滾る力は何というか、もっと別な道を奔り始めた故のものでないかと考えてしまったのだ。
 ……憎しみを越えた、何か。
 彼とて知っていた筈ではないのか?
 全ての“他者”が自身にとって好意的であるとは限らない。私たち組織の差し金、という
場面もあったろう。だがそれ以外でも、彼は状況次第で容易に掌を返すヒトの性をその出自
柄、厭というほど目の当たりにしている筈なのである。
 気付いていなかったのだろうか?
 坑道内に降りた時、私は既に彼らを滅することに躊躇いがあった。
 灯継の町(ヴルクス)の外れに在る“嘆きの端”で、彼らは手を合わせてくれた。世界に
絶望し、自ら霊海へ──それが逃避にも救済にもならぬことをおそらく知らず──身を投げ
た者達の為に哀しんでくれていた。あの押し殺した身体の震えも、憤りの類だったと思う。
 だからできれば、足止めで済めばいいと私は思っていた。そう……対峙した瞬間から。
 魔導師は詠唱を妨げた。魔導具使いは寸前で即死を免れた。オートマタは自己修復を始め
ていた。
 思えば、もうあの時から迷っていたのだ。
 組織と個人の間に揺れながら「勝ち」だけを示し、引き上げて欲しいと願ってしまった。
 ……なのに彼は戦い続けた。立ちはだかり続けようとした。涙してまで。
 あの涙は、何がの為の涙だったのだろう?
 倒れた仲間達へ捧げた決意か? いや、途中でフォンティン公子が目を覚まし、呼び掛け
やり取りを交わしていた事実を考えればその可能性は無い。

『止めるよ……あんたを。止めなきゃ、駄目だろ……』

 だからこそ、当の一戦を終えた後だからこそ、私にはこう思えて仕方ない。
 あれは──私に向けられていたものだったのではないか? あの涙は悔しさだ。だがそれ
は仲間を守り切れない以上に、私を「変える」ことができない自身を嘆いたのではないか。
 ……自惚れだ。
 私は何度も自分で自分を哂った。今更、何を惚けている? 私は世界を敵を回したのに。
 なのに……嬉しかったと思っている自分がいる。久しぶりの経験だった。魔人(メア)だ
というだけで迫害される訳でもなく、結社の一員として忌み嫌われるでもない。ただ一人の
人間として向き合われ、そして叱られたかのような……。
 ──世界は、巨大な檻に似ている。
 魂は器は、生じるも滅するもこの枠組み(ストリームぐん)から逃れることはできず拘束
され、再び半ば強制的に生み落とされる。世界の要素として、世界そのものとして生産され
続ける。
 故にこの世界に“救い”などない。
 姿形は違っても誰もが輪廻から外れることはできす、魂に記録(ログ)が残るために罪は
蓄積し続ける。可能だとすればそれは消滅すること以外に無い。……魂を巡る、事実だ。

『ん~……? よく分かんねぇよ。俺は今で精一杯だし。大体、意味って元からあるもんな
のか? 色々やってる内に作るもんじゃねぇのかよ? まぁそれだとバラバラなものになっ
て、坊さんみたいな人間には“答え”にはならないのかもしれねぇけど……』

 彼は知っているのだろうか? 私達の生きるこの九つの世界について学べば、自ずと突き
付けられてくることではあるのだが。
 嘘をついている表情(かお)ではなかった。実際、それは「間違い」であるとも言えない
のだろう。時に従順であり、抗い、そして争う。今この結界の内側でも外側でも、そうして
人は争い続けている。
 止まらない。何度も何度も。皆が皆、報われること無きそれを。

 ──絶望してくれるな。

 そう、彼は言いたかったのかもしれない。言葉と出来ず、泣いていたのかもしれない。
 だから私は躊躇った。かつて胸奥にあった筈のそれを、はたと掴まれた気がしたのだ。
 ……救いとは、誰かから“与えられる”ものなのだろうか? むしろ己の力で“見出す”
ものではなかったか? そしてそれら苦楽──求道の助けとして信仰というものが生まれ、
必要とされてきたのではなかったのか?
 迷いではない。これはそうだと、勇気を持ち切れない確信ではなかろうか。
 私は……拠り立つ場所を間違い続けていたのではないか? 与えるのではなく、寄り添う
者としてこの身を捧げるべきだったのではないかと。かつて味わった苦しみを、他人が皆辿
るものだと決め付けていたのではないかと。
 ……だから泣いたのか。彼は、語りもしない私を想像し、泣いたのか。
 戦慄した。心がざわつき、躍った。
 だがさりとて、それはエゴなのだと私は思う。それは私達と同様、世界が自身の願う姿で
ないことを深く嘆き、膨大なエネルギーを湧き上がらせる源泉となるものなのだから。
 ……だから、ギリギリまで倒そうとした。あの場でその足を止めなければとも思った。
 しかし、本当にそうなのだろうか?
 同時に私は、彼に──。

「──お前ら、大丈夫かーッ!?」
 そんな叫び声が耳に届き、クロムは現在進行形の現実(リアル)に意識を戻した。
 迷宮中層、下層へと延びる石廊のど真ん中。彼はそこで多数の兵士・冒険者達に取り囲ま
れていたのである。
 しかし状況は切迫とは程遠い。周りを囲む彼らは、皆大きく肩で息をして苦しげな表情を
浮かべている。足元に転がるのは数え切れない程の砕けた刃やへしゃげた弾丸。全てクロム
がその硬化能力で以って防いだ攻撃だ。
「……」
 クロムはゆっくりと、声のした方向を振り向いていた。
 両腕は勿論、身体の隅々が巌のようにゴツゴツと強化された状態。そのさまを見て、こち
らへ向かってくる一団のリーダー格──猫系獣人の男は呟く。
「鉱人(ミネル)の坊主……もしかしなくてもジークの言ってたっていう魔人(メア)か」
 一団の正体はダン達だった。
 この迷宮によって分断された多くの戦力達。その中にあって団長イセルナと二手に別れ、
下層に集中している大都の市民らを救出すべく駆け出していた彼の班の面々であった。
「お前ら、そいつと下手にやり合うな!」
 クロムを取り囲む、しかし明らかに疲弊した同業者達に叫びながら駆けながらダンは戦斧
を大きく振りかぶっていた。全身に滾るほどの錬氣を纏わせ、仲間達より数歩飛び出しなが
ら宣言する。
「どいてろ! 俺がやる!」
 クロムが目を細めたのとほぼ同時のことだった。
 飛び込んできたのは、全身に燃え盛る炎を纏ったダンの一撃。その刃が全身を硬化させた
クロムの腕と激しくぶつかり合い、火花を散らす。
「あわわ……っ!」
「熱っ!? 危ねぇッ!」
「あ、“紅猫(あかねこ)”のダンか? ブルートバードの……」
 団長が氷なら彼は炎。全身のマナを猛火に変える彼の必殺技だった。
 じゅわりと足元に転がる攻撃の欠片も溶けていく。それまでクロムを包囲していた兵らが
一斉に慌てて飛び退いていた。中にはダンの顔を見てその異名を呟いた者も少なくなかった
が、当の本人はもう目の前の魔人(メア)と始まった鍔迫り合いに意識を集中させている。
「ダン!」「マーフィ殿!」
「シフォン、近衛の嬢ちゃん、先に行け! こいつは俺が食い止める!」
 続いて弓や剣──得物を向けようとしたシフォンやユイ、同行していた面々に、ダンは制
するように言った。
 ざわつき互いの顔をみる一同。なし崩し的に交ざっているこの冒険者達。
 その間もダンとクロム両者は鍔迫り合いをしていた。燃え盛る炎の斧、それをぎりぎりっ
と受け止めている、先程よりも黒鉄色に変色しているように見えるクロムの硬化。だがそん
な仲間(とも)の意思を汲み取ったのか、ややあってシフォンが頷く。
「……分かった。死ぬなよ」
「おい、あんたら! このまま俺達について来てくれないか? 下の皆を助けたい!」
「お、おう……」
「いいぜ。こっちも元より助けに行く(その)つもりだ」
 言いながらも尚後ろ髪は引かれつつ、シフォン達はこの彼らを新たに加えて再び駆け出し
ていった。長く下へ下へと延びている石廊。ダンはそんな遠退く後ろ姿を確認するように改
めて力を込めると、一度大きく得物を薙いでから跳躍する。
「……レノヴィンの仲間か。“色持ち”がいたとはな」
「色? 何の話っ、だよッ!」
 互いに飛び退いて取り直した距離。されどそれはすぐに両者がぶつかってゆくことでゼロ
になる。クロムが呟く。だが当のダンはその意味することが分からず、再び炎と化した錬氣
と共に断撃を振り下ろすだけだ。
「……っ!」
 そんな反応に目を細め、続けざまに硬化した両腕でその一撃をガードする。
 辺りに炎と硬質の破片が飛び散った。互いに一歩も譲らない。激しい戦いがその幕を開け
ようとしている。
「今まで結社の魔人(てめぇら)には散々苦い思いをさせられてきたからなあ……。出し惜
しみはしねぇ、最初っからフルスロットだ!」
「……」 
 牙を向き、吼えるように彼は叫んでいた。その闘志に比例するように炎は熱く燃え滾る。
 クロムはじっと耐えていた。黒鉄色を被ったその全身で、彼の威力を受け止めている。

 分かっている。こんなことをしても、どのみち自分が罰を受けることくらいは。
 だが……夢見て(おもって)しまったのだ。
 ジーク・レノヴィン。
 彼が、あくまでヒトを信じようとする彼の切り拓く世界がどんなものか、自分は見てみた
いと思ってしまったのだ。


「いっけぇぇーっ! 押せ押せーっ!」
「皇子達に続けーッ!」
 ジークという援軍(みはた)を得た隔壁外の連合軍は、その勢いを盛り返していた。
 数がそう増えた訳ではない。だがジークにサフレ、そしてオズを筆頭にした三人を突破口
とし、彼らは“結社”の軍勢を押し戻そうとしている。
「邪魔だッ、どけぇ!」
 ジークが駆け、紅い軌跡が舞うように描かれていた。それに合わせて次々にオートマタ兵
や下っ端の戦士達が斬り伏せられていく。
 続けざまに蒼桜。たっぷりとマナを蓄えた飛ぶ斬撃はそんなジークの奮戦に尻込みする者
らをも巻き込み、その討ち取られた頭数をどんどんと増やしていく。
 仲間達も負けていない。
 サフレは彼のようなど派手さほどないものの、兵一人一人を確実にその槍で捌き、圧縮を
加えた改撃(スプリング)の射出で突き飛ばしていくし、オズも両手の指から放たれる機銃
掃射で以って数に勝る敵軍を圧倒、時に突き出した腕は堅牢な鎖で繋がれたロケットパンチ
として敵陣に飛び込んでいき、彼らには恐怖を味方達には“男のロマン”を与えてその目を
輝かさせていた。
 そんな皆の後をおずおずと、しかしマルタ勇気を振り絞ってついていく。
 例の如く彼女は直接戦う力を持たなかったが、それを補って余りある音色が味方を十二分
に援護した。円舞曲(ワルツ)で敵を躍らせその身体の自由を奪い、戦歌(マーチ)は味方
の身体を強化する。
「ありがとよ、嬢ちゃん!」
「助かるぜ!」
 そんなお礼が時折左右を駆け抜けていく兵達から寄せられる。
 彼女にとってはそれで充分だった。にっこり。淡いピンクの髪に負けないほどほうっと赤
くなった頬で彼女は微笑む。
「しかし……いいんですかね?」
「え?」
 皆を指揮し、或いは守護し。そしてそんな奮戦を少し遠目から眺める守備隊員らが、自分
達の傍らに立つリュカに訊ねた。
「いや、だってもう街ん中は結界に持っていかれちまった訳でしょう? 自分達はとにかく
助けに行かなきゃって頭で失念してましたが、隔壁を突破した所でもぬけの殻みたいなもの
なんじゃと……」
「ああ。そのことなら」
 しかし一抹の不安が過ぎっていた彼らとは対照的に、リュカは温厚な微笑みだった。その
一方で襲ってくる敵には容赦なく魔導を叩き込んでいたが、一度ちらっと先を行くジーク達
を見遣ると彼女は言う。
「これは此処に来る途中──戦闘艇の中でもジーク達に話していたことなんですけど、あそ
こにいる奴らは間違いなく“入り口”を守ってると思うんです」
「? ええ、北城門(ゲート)ですが」
「……そうではなく。考えてもみてください。数こそ向こうの方が多いですが、大都という
街を背後をした彼らは、本来なら今現在進行形で“篭城戦”なんです」
 守備隊員らがぱちくり、目を瞬いていた。
 確かに……。
 いや、そうじゃないんですか?
 彼らの向けてくる眼にはそんな諸々の疑問符が浮かんでいる。
「つまり、本来彼らは“退路が無い戦い”をしている筈なんですよ。なのに少なくとも彼ら
は私達が到着するまでずっとあそこに居座っていた。防衛のセオリーからすれば早い段階で
貴方がたを潰しておくべきなのに」
「それは……」
「“結社”が街を占拠したという事実を、内外にアピールする為では?」
「それもあります。だけど、それでもそんな悠長な真似ができるのは、そもそも彼らが持っ
ているからなんじゃないでしょうか? 結界内とのコネクション──退路を」
 大きく静かに目が見開かれる。ようやく彼らもリュカの言わんとしていることに理解が及
び始めたようだった。
「大体無理があるんです。いくら魔人(メア)がいるとはいえ、これだけ巨大な街を細部に
至るまで空間結界の中に閉じ込める、あまつさえその状態を長時間維持するなんて無謀過ぎ
るんです。だからきっと、中の結界主は制御補助の魔導具や法陣の外部触媒といったものを
併用している筈。規模が規模だけに五感だってあっという間に磨耗してしまいます。敵味方
を区別し、柔軟に状況に対処できるようにするには……」
 一度目を瞑りながら、襲ってきた下っ端を障壁で防いで彼女は少し間を置いた。周りの守
備隊員らも、その作ってくれた隙を使ってこの下っ端に攻撃、撃破数の肥やしとする。
「“通行手形”──そういった、人的なやり取りをせずとも兵力の出入り・調整を行える代
物がある筈です。おそらく、ある程度の規模の各部隊単位で」
「手形……」
「じゃ、じゃあ入れるんですね? 奴らからそれさえ手に入れられれば、自分達も結界の中
に突入できるんですね!?」
「ええ」
 次の瞬間、彼らを起点として話を聞いていた味方達が歓声を上げた。
 見えたのだ。この手の打ちようのない閉塞感を突き破る、一条の光が。
「よーし、そうと決まったら前進あるのみだ!」
「進めーっ! 目標は例の三人組。持ってるとしたらあいつらだ!」

(……数が多過ぎる。キリがねぇな)
 一方、両軍の最前線にいるジークはそう内心思って舌打ちをした。
 元より知っていたことだが、奴らの兵力はオートマタ兵の類に限れば無尽蔵なのである。
ただ向かってくるがままに相手をしていたのでは埒が明かない。
「おい、お前ら。ちょっとどいてろ!」
 故にジークは叫びながら二刀を地面に刺していた。
 その声を聞いて振り向き、左右に散っていく守備隊以下連合軍の味方達。ジークは、その
合間を好機と言わんばかりに押し寄せてくる“結社”の軍勢を睨むと、ざらりと三本目の剣
を抜き放つ。
「ぶっ飛ばせ、黒藤!」
 剛剣黒刀。マナを注ぎ込んだ瞬間、彼の背後から巨大な鎧武者が現れた。
 召喚系の護皇六華・黒藤。攻め寄せようとした敵兵らが思わずその巨体を見上げて足を止
めてしまっている。
 ぐんとジークがその剣を横薙ぎに振るった瞬間、鎧武者もまた同じモーションを取った。
 振るわれる巨大な使い魔の太刀。まるで草刈りでもするかのように、そのまま敵兵らが根
こそぎ、その一撃の下になぎ倒されていく。
「あまり飛ばし過ぎるなよ、ジーク」
「分かってるって。でも、ここを越えられなきゃ何も始まんないだろうが」
 大量の舞い上がる土埃の中、サフレが合流して着地した。
 粉塵の向こうをじっと見つめながらこの戦友(とも)は言う。だがジークは話半分といっ
た感じだった。懐に突っ込んでいた小振りの布袋から霊石を取り出し、胸に当てて消耗した
分のマナを補給する。
「熱源接近ヲ確認。退避ヲ!」
 そしてオズが後ろからそう言ってきた、次の瞬間だった。
 土埃を突き破るようにして二人に巨大な斧が振り下ろされた。轟音を撒き散らして地面を
抉る。大きく飛び退いた二人は眉を顰め、先ずサフレが飛び出していきながらジークが黒藤
を納刀、続いて駆け出して二刀を回収していく。
「これ以上は……行かせんッ!」
 攻撃の主は、件の信徒三人組の一人だった。
 鎧を纏った巨人族(トロル)の男。これにすぐ素早く立ち回りながら、サフレも射出する
槍先をぶつけようとする。
 だが、違和感があった。
 ……大きいのだ。元より巨躯な巨人族(トロル)ではあるが、この体躯はそんな標準より
も更に一回り二周り大きくはないか──?
「ここまでやるなんて……。正直、拙いよ」
 そう先行した巨人の同胞を見ながら、残り二人は並んでいた。
 一方は黒み掛かった銀髪──古仰族(ドゥルイド)の少女、もう一方は六本腕を持つ昆虫
系亜人・蟲人族(インセクト・レイス)の剣士だ。
 随分と盛り返されてしまった、ごっそりとなぎ倒されてしまった自軍のさまを見て彼女は
むくれっ面で言う。だが傍らの蟲人の剣士はそれ以上に、まさに苦虫を噛み潰したような表
情をして苛々を露わにしていた。
「キリウス、狂装兵(ヴェルセーク)を呼ぼう? レノヴィンさえ潰せば、後は──」
「いや、それはできん。あれは他方面の城門(ゲート)を守っているんだろう? 上に要請
して動かして貰うには時間が足りない。……それに、ここで泣きつけば俺達が無能ですと告
白しているようなものじゃないか」
 そして彼女の提案に、この剣士・キリウスは否を返した。
「俺達で殺るんだ。ヴィノン、俺とゾルゲを援護しろ」
 殺気。打って出る覚悟。
 彼はぎちりと握った六本の剣に力を込め、そう叫ぶとジークに向かって駆け出していく。
「……まったく。男ってのはどーしてそう見栄っ張りかなぁ?」
 故に彼女、信徒ヴィノンは後方に残される格好になった。
 まだレノヴィンが使い魔で巻き上げた土埃が辺りに濛々と舞っている。各種オートマタ兵
や信者の戦士(したっぱ)も随分とやられてしまった。
 不機嫌に唇を尖らせたまま、彼女はついっとその手にした短杖を視界の向こうより来る敵
軍の群れへと向ける。
「──ん?」
 そして連合軍の兵達は見た。視界の向こう、土埃の隙間に立つ古仰族(ドゥルイド)の少
女が何やら魔導を使い始めているさまを。
「何か来るぞ!」
「壁役(タンク)は前に! 攻撃に備えろ!」
 盾を持った兵士らを前面に出して、止まる訳にはいかない彼らは尚も駆けた。
 すると彼女が中空に描いた文様(ルーン)から次々に飛び出してきたのは……無数の眩し
く輝く球体。
 目を凝らす。それはよく見ると雷の球であるらしかった。
 バチバチと小刻みに震えているそれ。それでも彼らは特に攻撃してこないのをいいことに
その中を強行突破しようとする。
「……ばーか」
 その瞬間だった。突如、雷球が大きく膨らみながら激しく爆ぜたのである。
 自爆だった。更に一個の爆発が数個の爆発を呼び、その火力は文字通り爆発的に増えなが
ら兵達を巻き込んでいく。
「ぐっ……、そういうことか!」
「退け、迂回しろ! これじゃあ地雷原を突き進むみたいなもんだ!」
 しかし慌ててルート修正する──逃げる彼らをヴィノンとその使い魔は逃がさなかった。
 動いたのである。ついっと、彼女が彼らの進行方向へ杖を振るのに合わせ、雷球達が一斉
に中空を滑り始めたのである。
「つ、ついて来た!?」
「ひぃ……ッ!」
 故に虚を突かれる格好であった。
 迂回、隊伍の横腹を抉られるような位置取り。
 兵達は慌てて盾持ちを移そうとするが、間に合わず──。
「……ぬっ」
 代わりに──彼らがいた。
 無数の、しかし中身のない真っ白な甲冑姿の人影達がそこにはいた。
 少なからず役目を、自爆をした雷球達。
 しかしその爆発は連合軍の兵らに及ぶことはなく、それらは全てこの甲冑達がその盾と鎧
で防いでみせていた。
「感心しないわね。切り捨て前提の使い魔なんて」
 兵士達が、安堵した表情でこの近付いてきた姿を見上げる。
 リュカだった。彼女の使い魔・騎士団(シュヴァリエル)が味方を守ったのだった。
「……そっちこそ。騎士に守られるお姫様でも気取ってるつもり?」
 だがヴィノンにとって、この同じ魔導師に反抗心を示してしまったのが運の尽きだったの
である。
 強気に鼻で笑い、睨みを利かす。
 しかし当のリュカは何処か影のある微笑を湛えていた。
 一抹の疑問符、ハッとして振り返る。
 そこには土埃に紛れて背後を取った、オズの巨体があって……。
「ぁ──」
 もう遅かった。気付いた時には終わっていた。
 厄介な敵は五人いる。レノヴィン、フォンテイン公子とその従者のオートマタ、この竜族
の魔導師、そして……何処からか連れてきた戦闘用キジン。
「捕捉完了(コンプリート)」
 ほぼ零距離だった。ヴィノンが振り向いたその顔、真正面。そこへオズの掌がピタリと押
し付けられ、いつの間にか空いたその暗い穴から大量の光が溢れ出してくる。
 注意を逸らされたのだ。何より、キジンは生命力からの逆探知が効かない……。
「……ごめんなさいね」
 閃光。彼女の脳天が一瞬にして撃ち抜かれ、周囲に轟音と爆発が轟いた。
 少しばかり。ゆっくりと顔を逸らして、リュカは兵達と共にその最期を眺め遣る。

「ぬぐぐ……!」
 一方でキリウスは“予想外”が続いて焦っていた。
 こちらは六本、六刀流だ。それに対してレノヴィンは二刀流。手数を考えてもこちらの方
が断然優位である──筈なのだ。
「……」
 なのに、目の前の現実はそうなっていない。
 全て受け止められていた。彼はこちらの斬撃全てを巧みに防ぎ、或いはいなしてみせ、鍔
迫り合いに持ち込んでもけろっとした表情(かお)をしている。
 いや、睨んでいる。まるで何かを悟ったかのようにその内面の怒りを押さえ込んだ顔をし
て立ち塞がっているのである。
 キリウスは戦慄を覚えた。ようやく“教主”がこの男を第三種勅命にまで指定したことの
意味を知ったのだった。
「ぬ、あぁぁぁ……ッ!」
 先に痺れを切らし、キリウスは再び六本腕の斬撃を放った。
 ぶつかる。何度も火花を散らし、しかしそれらの攻撃はジークがいなす刃に阻まれて決し
て届くことがない。
 そして、やがて一本の突きを彼に見切られた。他の剣を押さえていた刀身をくるりと手首
で返し、二本の刃その腹でがしりと挟まれる。
 ──折れた。まるでこの時を待っていたかのように、彼は鋏のように自身の得物を使い、
こちらの得物を一本使い物にならなくしたのである。
「……おめぇは、弱ぇな」
 しかも思わずよろめいた身に対し、彼はそうぽつりとにべもなく言った。
 キリウスは歯を食い縛る思いで踏ん張った。ぎりぎりと怒りが、プライドがズタズタにさ
れた怒りがこみ上げ、再び六本の剣を構えて睨む。
「俺が言うのも何だけどさ、過信しすぎだぜ? 世の中には自分より強い奴なんでごろごろ
といるんだ……」
「ほざけ! 一本折っただけでいい気になるな。俺はまだ……戦える!」
「それが過信だっつーんだよ。六本腕だから何だ? 別に俺は蟲人(インセクト)とやり合
ったのは今回が初めてじゃねぇんだぞ?」
 だからキリウスはカチンときた。馬鹿にされていると感じた。
 わなわなと肩が全身が震えている。任務云々以上に、この少年に負けることが自分には許
せなかった。
「……ふふふ。六本でも余裕だと? それは──これを見てから言うんだなっ!」
 言って、キリウスは腕を大きく広げた。纏っていたマナが大きく滾り、彼の全身を隈なく
覆っていく。
「……?」
 変化はそこからだった。
 本来ただ淡い光のように纏わりつくだけのマナが、にわかに粘り気を帯びた飴のように変
貌し、周囲で転がっている雑兵らの剣を次々に奪って“握った”のである。
「皇子っ!」
「やばいですよ! それは、その技は、仲間達をごっそり殺っていった──」
「はははっ、そうだッ! これこそ俺の“触の色装(しきそう)”! マナを手足のように
伸ばし操ることができる特性!」
 ジークは黙っていた。それでもキリウスは怖気づいたとばかり思い、周りで戦慄する兵達
のさまに気分を良くして口上する。
「六本腕が何だと言ったな? だがこれならどうだ? しめて四十八本、俺自身の腕も合わ
せて五十四本! いくらお前でもこれだけの攻撃は避けられまい!」
 死ね、レノヴィン……ッ! キリウスは叫び、地面を蹴った。
 うねるように従うのは四十八のマナの腕、そこに握られた同数の剣。故に一本折れた所で
何という事はない筈だった。彼の脳裏には八つ裂きにされるジークの姿が霞んで映る。
「……」
 なのにジークは黙って二刀を地面に刺していた。まさに丸腰になって顔を上げ、じっとこ
ちらを見つめて立っている。
「馬鹿め! 今更命乞いなどしても──」
 だが、それは大きな間違いだったのである。
 次の瞬間だった。キリウスがジークの間合いに入った、五十四発の斬撃が叩き込まれた筈
のその時、不意にそれを果たす筈の腕達が水風船を割ったかのように崩れていたのである。
「──」
 言葉も出ず、目が大きく大きく見開かれる。
 キリウスは見た。そこには迫りくる自分の“色装”を一閃の下に裂いてみせた、刀身に文
様だけを持ったシンプルな短刀。彼はそれを自身の間合いにこちらが来た瞬間、迷うことな
く抜き放っていたのだった。
「……よく知らねぇけど、要するにマナを使った細工なんだろ?」
 前髪に隠れていたジークの眼が、キリウスの驚愕をがしりと捕らえて離さない。
 世界がスローモーションになったかのような錯覚。千切れた“腕”達が抗う術もなく宙を
漂い、飛沫に為ろうとしている。
「なら……消せる」
 そして動き出した。振り抜いた短刀・白菊をサッと空中に置いたままの如くジークは重心
を低く移し、一旦身体を沈ませた。そして足元に刺さったままの紅梅を両手で持って抜き取
ると、その爆発的に輝き始めた紅い軌跡を、キリウスへとすくい上げるように叩きつけたの
である。
「ガッ──!?」
 決着だった。
 自慢の奥の手もあっさりと反魔導(アンチスペル)によって破られ、キリウスは斬撃のダ
メージをもろに受けて中空へと吹き飛ぶ。千切れた“腕”達がだらしなくのたうち、次々と
地面に転がり刺さっていく。
「……」
 右の逆手に紅梅を持ち、ジークはサッと懐から白菊の鞘を出した。するとまるでその時を
待っていたかのように白菊本体がゆっくりと重力に従い、寸分の違いもなくそこへと収まっ
ていく。
 カチンと音が鳴った。どうっと鈍い音がした。
 溢れる闘志を、じっと己が内に抑え込んだジーク。
 その背後では、白目を剥いたキリウスが鮮血を撒き散らしながら地面に沈む。

「ヴィノン! ……キリウスまで」
 そうしてゾルゲは残り一人になった。次々に倒れていったこの任務での同胞。そんな彼ら
をレノヴィン達は瞬く間に倒してしまったのだ。
「ぬぅッ!」
 巨人族(トロル)の身体を最大限に活かし、彼は戦った。
 その身の丈に合わせた巨大な斧が何度となくサフレを襲う。だが当のサフレは途中合流し
てきたマルタの戦歌(マーチ)の援護も相まって身体能力が向上、先刻まで以上に素早い立
ち回りでゾルゲを翻弄していた。
「一繋ぎの槍(パイルドランス)──改(スプリング)!」
 だが言い方を変えれば、現状それ「だけ」とも言えた。
 確かにサフレの動きは速い。その槍技も目にも留まらぬ速さで撃ち込んでくる。
 しかしそうして何十発と撃ち込まれているゾルゲだったが、肝心のダメージはさして大き
い訳ではない。多少数ヶ所、鎧に小さなヒビが入ったくらいのものである。
「ちょこまかと……。そんな攻撃は効かないと、言っておろうがァ!」
 再三の、ゾルゲの斧が激しく地面を砕いた。
 サフレも顔を顰めて大きく飛び退いているのが見える。すとんと、彼がまたこちらとの間
合いを取り直そうとしているのが分かる。
「無駄な足掻きだ。俺は巨人族(トロル)の中でも高身長。そんな“小さな”攻撃、いくら
撃ち込まれても倒れはせん!」
「……そうかもしれないな」
 なのに言って、尚もサフレは縮込めた槍を構えていた。
 またあれが来る──ゾルゲは反射的に感じ、一策を講じた。
 言わばダミーである。彼はサフレの槍先が飛んでくるその寸前、空いた方の腕で地面に転
がっているオートマタ兵を一体すくい上げ、そのインパクトを阻害したのだ。
 サフレは流石に驚いた表情(かお)をした。ぴくっと眉根を寄せ、瞬時にそれが危険な状
態になることを察知する。
 ……つっかえてしまったのだ。オートマタ兵の残骸に槍先が刺さり、すぐに抜けず手元に
戻せないとその感覚で察知したのである。
 もらった──! ゾルゲは口角を吊り上げ、大きく斧を振り上げた。
 サフレの頭上にその影が迫る。
 確かに終わっていた筈だ。……槍(これ)以外に、戦う術がなかったのなら。
「ッ……!? がはぁ……ッ!」
 大きなダメージを受けていたのはむしろゾルゲであったのである。
 彼は空中にサフレの頭上に、赤・黄・黒三種類の魔法陣が同時に展開し、消えていくのを
見た。炎弾、雷撃、岩槍。その全てが自分に襲い掛かり、利き腕側の半身をべっとり血だら
けにさせられた痛手を味わった。
「……確かに、槍一本ではお前を倒せそうにないみたいだ」
 苦痛に思わず得物を地面に落とし、大きく後退るゾルゲ。
 そんな相手を見上げ、サフレはゆっくりと左腕──槍を持っていたのとは別の方の袖を捲
くると言った。
「三つ繋の環(トリニティフォース)──複数の魔導具を同時に制御できる、補助用の魔導
具だ。最大三つ、このスロットに装填すれば行使できる。ここに来る前、魔導店を梯子して
買い求めた」
 左腕には金属質な篭手(ガントレット)が嵌められていた。
 言葉の通り、その基盤らしき部分には三つの穴。そこには彼が愛用してきた攻撃の魔導具
達が確かに装填されている。
 仲間達が見ていた。少し離れて援護をしていたマルタは勿論、他の二信徒を倒したジーク
やリュカ、オズに兵士達が方々からこの独白を見つめている。
「……だけど、それはただ単に正規の方法(どうじせいぎょ)をしたかったからじゃない。
手に入れたかったんだ。僕にできる、僕なりの、もっと強い力を」
 言って、サフレはおもむろに三つの魔導具を取り外し始めた。
 無論そうすると魔導具は個人の力量のみで制御しなければならない。なのに彼は取り外し
たそれらを一瞥すると、再び指輪・腕輪として普段の装備位置に戻してしまったのである。
 ──代わりに別の物を嵌めた。彼の主装・一繋ぎの槍(パイルドランス)である。
 動かなくなったオートマタ兵から槍先を引き抜いて一閃、彼の意思と共に槍は光を纏って
収縮し、一個の白銀のブレスレットになる。それをサフレは掌に覆い、このガントレットへ
と嵌め込んだ。
 三つある穴(スロット)。故に埋まったのはその内真ん中一つだけで、上下の二つは何も
嵌ってはいない。
「ちょうどよかった。確かにお前のような相手なら速い槍だけじゃ通用しない。今ここで、
この力を試してやる」
 ゾルゲが、マルタを除く皆が眉を顰めた次の瞬間、三つ繋の環(トリニティフォース)は
作動した。
 本来は複数の魔導具を一度に制御する為のアイテム。
 なら、それを“ただ一つの魔導具”のみに使えば──。
「な……ッ!?」
「で、でっ」「でけぇ!?」
 そこには恐ろしく巨大な槍が生まれていた。いや、それを槍と形容するのは厳密ではない
のかもしれない。
 錨だ。サフレの左半身に装着されていたのは巨大な鋼の筒。その奥にはぐるぐる巻きに収
められた巨大な鎖が見えており、更にその先端、筒から除く刃の部分は「槍」を通り越して
恐ろしく馬鹿でかい「尖ったシャベル」のような代物に為っている。
 何より慄いたのはゾルゲだった。
 当然だろう。さっきからの言動からするに、彼は自分にこのデカブツをぶつけてこようと
しているのだから。
「ちょっとした裏技さ。三つ繋の環(トリニティフォース)は三つ分の魔導具の出力に耐え
られるように作られている。つまり裏を返せば、単純計算で“通常の三倍の出力で魔導具を
使うことができる”とも言える」
 全身を使って、サフレがゆっくりと巨大槍を振りかぶり始めた。
 ジーク達が唖然としている。ゾルゲが口をぱくぱくさせて腰を抜かしている。
 サフレは大きく息を吸い、意を決するように筒の中の鎖を回転させ始める。
「……これが迅(スプリング)に続く、新しい僕の槍だ」
 そして、それは遂に牙を剥いた。
 高速で回転しながらの射出。飛び出した巨大な槍先は真っ直ぐにゾルゲへと伸び、一繋ぎ
になった鎖らをピンと張らせながら巨大な黒の奔流のように見せ付ける。
「一繋ぎの槍(パイルドランス)──剛(ギカンツ)ッ!」
 凄まじい轟音と共に槍先はソルゲにヒットした。
 白目を剥く顔、撒き散らされる血。今度こそ粉々に砕け、主からパージしていくその鎧。

 サフレ渾身の新技が、巨大な相手(てき)をも凌駕した瞬間だった。

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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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