日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)物書的SM考─反作用的精神に添えて

ま た 台 風 か \_へ(=△=;へ)

既にご存知の方も多いと思いますが、今年はやたらと台風が多いですね……。つい先日には
伊豆大島で大規模な土砂災害が起きたばかりなのに、何でこう狙い済ましたように列島へ進
撃してくるのか……。
秋が、四季の趣が蹂躙されるかのよう。ネガティブなだけかもしれませんが、どうにもこの
手のニュースを読むたびに気鬱さに襲われるようになりました。長月です。

自分はといえばまぁ相変わらず創ろう──として形にならず悶々とする日々です。日の短さ
も相まって、時間を無駄にしてしまっているように思えて余計に焦ってしまいますね。
何より、思うほど身体がついてこない(苦笑)
自分が物書きをライフワークとしているのは家族も知るところなのですが、最近はそうした
営みを「実益」に変えろという有形無形のプレッシャーもあったりして……もにょる(:3 _ )=

折りにつけ書いている。そういう意味では充実はしている筈なのだけど。
だけど一方で、その“繰り返し”を打破したくて仕方ない自分もいるんだなと己を見つめて
何度となく思ってしまいますね。
贅沢な悩みであろうことは重々承知しているけれど……自分と他人様、win-winの関係性で
何かを創っていくこと、その何と(バランス如何)の難しいことかφ(=_=;)-3


『読者に無用なストレスを与えないということは、すごく意識して執筆しています。
 たとえば過去のトラウマをいつまでも引きずらせたり、くだらない誤解で人間関係を悪化
 させたり、ストーリーを盛り上げるためだけに意味もなく登場人物を苦しめるようなこと
 はやめようと。仮に物語のラストでそのトラウマやわだかまりが解けたとしても、読者に
 それまでの間ずっと我慢を強いるのは、今どきの娯楽としてちょっとどうなの、という
 思いがありまして。
 心に傷を負っているキャラクターがいたとしても、すでにそれを乗り越えた段階で登場
 させて、その上で新たな人間関係を構築していく、そういう作劇にしています』
(by 三雲岳斗 10/11日付・アニメ!アニメ!インタビュー記事より)

先日、今期放送のアニメの一つ、ストライク・ザ・ブラッドの原作者である三雲岳斗氏への
インタビュー記事をふと見つけて──ザクリと胸が痛みました。
“くだらない誤解で人間関係を悪化させる”だの“意味もなく登場自分津を苦しめる”だの
氏曰く読者への無用なストレス……。
「嗚呼、フルスロットルでやっちまってますよ自分……」と記事を読んでいて苦笑が拭えま
せんでした。僕は氏を口撃するつもりでもなく、ましてや僕に当てられた言葉でもないのに、
その時妙にストンと諭されるような思いがしたのですよね……。
今回の雑記はその感慨を基点に、書き手と受け手についての私的雑感を綴ってみようと思い
筆を取らせてもらったものであります。

『小説書きはマゾだよ。そうじゃなきゃやってらんなくない?』
学生時代の、同好の士の弁です。
分かる人には分かると思うのですが、執筆それ自体はもの凄く“作業”なんですよね。実際
やっている事も──原稿用紙に直筆というスタイルもありましょうが、今日においては──
デジタルのデータ上に文字を起こしていくものな訳で、その物理的事実一点をみれば確かに
この一連の作業に対しマゾ的(苦痛を悦びに変える的)な感覚をもっていないと務まらない
……というのは今でも、実際執筆時にハイになっている自分を思えば、あながち間違っては
いないだろうなと思っています。
ですが……これらに表現を加筆・修正していいのなら、僕はこう言い換えると思います。

『執筆作業にはマゾであり、物語の構築にはサドである』

予め言及しておきますが、これは僕個人の感覚からです。その嗜好により大いに個人差が生
ずるものと考えます。
前者は先述の通りですが、では後者は? 要するにこのサドとは、冒頭の「無用なストレス
を与える」よう執筆している──物語世界を創り上げることに倒錯的感情を抱いているさま
だと言えるでしょう。

……正直な話、僕は一人の書き手として「安易なハッピーエンド」は好きではありません。
これまでも雑記なりツイッタなりでぶつくさと呟いている所ですが、僕はただ眩しく温かい
光ある物語、人々のさまよりも、全体として薄暗くともふっと一条の光が差し込む、そんな
瞬間が好きなのです。……その方がずっとヒトやセカイが映えるような気がして。
何というか、円満な「だけ」の世界はつまらない──そんな思いがあるのかもしれませんね。
でもまぁ……論理的に効率的に詰めていくと、それは酷く身勝手な言い分なんですよね。
自分の好き勝手を綴って読ませるよう仕向ける身勝手さ。言ってしまえばオナニー的な。
そもそも読書だって受け手個々人のリソースを消費しながら行う営みであって、そこに僕ら
の理屈や信条をぶち込むことは、やはり押し付けがましい筈で。
何よりも小説だって今日は「商品」なのだという圧倒的現実がある。使い古されてきた云い
だけども「小説は読んで貰えてなんぼ」という部分も大きい(文字媒体ゆえ特に?)
だからこそ、僕は冒頭の三雲氏の語りを我が事のように思い、こうしてうんうんと唸ってし
まっている訳で……。

やっぱり、自分は娯楽(エンタメ)精神が欠けているなぁ──そう改めて。幾度目とも。
尤も件の発言もおそらくは限定された中での云いではあるのでしょうけれど……。
ライトノベル。若年層をメインターゲットとした娯楽小説。
そもそも其処に僕みたく個人の思索を──世界とは何ぞや? 人とは何ぞや?──ぶっ込む
ことをしようとしているのが、間違いなのかもしれないなぁと。
……だけども、僭越ながら僕は危惧の念がなきにしもあらずなのです。
僕は「ライトノベル=読書の世界へのいち足掛かり」という認識でいました。分量も文学性
も文字通りライトで、とっつき易い。それは実際少なからず効用があると思うのです。
でもふと気付いてみれば、世の中にはラノベ「しか」読まないような人達が結構に溢れてい
はしまいか……??
確かに「○○を知らんような奴はこの敷居を潜るな」と後輩らを弾き出していれば、そんな
彼らをレベルが低いだのと見下していれば、その界隈は遅かれ早かれ衰退します。大衆への
浸透度で言ってしまえば、今日の文壇はぶっちゃけその様相を呈していますよね?
(というより、国レベルや地域社会レベルでも同じことが起こっている昨今な訳ですが)
だから?とにかく受けるものを。重くないものを。
しかしそれでいいのかよ……?と僕自身はどうしても思ってしまいます(何のかんので僕も
歳を食ってきたからなのか。老害化しているのか)小説界隈が滅び去らぬのならまだマシな
なのかもしれませんが、もっと自身の知層を重ねて欲しいなぁ……とは、老婆心にも。

此処が難しい所なのですよね。
界隈のレベル、クオリティ、秩序を重んじて「選別」して「閉鎖」的も辞さないのか?
それよりも後輩達の可能性や将来への期待でもって「開放」的に「裾野」を広げるのか?
書き手個人としてはやはり、本音を言えば前者に僕はコミットしてしまうのでしょう。勿論
新しく入ってくる人々が多彩と為ってくれることもありましょうが、それ以上に“悪目立ち”
していくものらからのデメリットが大きく感じてしまいます(やっぱり老害か……??)
何だろう……。商品価値や「楽」「快」だけで物語達が均され統一されてしまうのならば、
いっそ報われなくても、自分が望んだままの姿で滅んでもいいやと思ってしまうような……。

商品として当たる可能性が増すから。流行だから。

……う~ん。今日びの創り手も受け手もそんなものなんでしょうか?
小説なり何なりの「表現」って、根本に大きく二つの動機があると僕は思うのですよ。
一つ『創りたいから創る』
利益とかは全く関係なしに、その世界がキャラクタが好きだから。二次創作とかが特に多い
ですね。自分のようなオリジ畑だと、良くも悪くも世界観に酔うが故というか。
一つ『現実への反作用表明としての創作』
僕なんかは結構これなんですが……。物語、フィクションだからできることというのは必ず
ある筈です。現実には○○を言ってしまえばやってしまえば干されるけど、ここでならこの
キャラクタ達ならそれができる──そこにカタルシスを感じたり(利より情を取って)幸せ
になれた追体験をしたり、或いはこの世界の諸々個々にノンコミットを表明できたりする。
内に閉じ込めていたものを吐き出すことができる。
流行に乗らないのが流行というか、反骨精神というか。
そういうのが文学性の少なからぬ一端を担っていると思っているのですが、今はそういう事
は求められていないのかもしれませんね。もう旧いのでしょうか。
手前の御託はいいから楽しませろ、と……。商品価値に並行したお客様意識?なのか……。

嗚呼、年寄りじみて愚痴ばかりになってしまいました。すみません。
とまぁこうして微妙にアナクロな感覚のままな自分ですが、このままでは僕の中でこの問い
はやっぱり堂々巡りをするしかないのです(拘りを捨て趨勢に従わない限り)
……でも、折れたくない(そもそもそんな言い方をするからアマ三流なんだろうが)なぁと
いうのが本心なんですよね。というよりも、そういう断絶を在るがままにしたくない。

結局の所、これらも『人それぞれ』ではあるんでしょうから。仮にラノベなり特定の界隈に
留まり続けて他を知らぬ・知ろうとせぬ誰か(受け手でも作り手でも)がいても、僕は彼ら
を責めることは多分すべきじゃないんです。
そうするくらいだったら、せめて僕はその「他」に携わろう──そう前向きに“はぐれ者”
を演じようかなと思うのです。
どうしたってこの世の中、似たような物語は出てきてしまう。
ならば他人を変えるのではなく、自分が色々動き回っていければいい──他人に任せず自分
が少しでも“攪拌”する側に回ってみよう。閉じてお高くとまるか、開いて馬鹿になるかの
二者択一ではなく、拓きながらでも自分達を見失わないように……理想論だけども。

往々にして、悪意は善意を駆逐する。
更に悪意は自覚あるそれよりも、自覚なきそれの方が性質が悪い……。
だけど──じゃあその「善」と「悪」って、誰が決める? 如何やって決める?

重く暗いばかりではなく、明るく温かいばかり物語も、描ければいいんだけどな……。

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  1. 2013/10/22(火) 22:00:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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