日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(企画)週刊三題「灯継廻し」

──これから毎週、小説を書こうぜ?

毎週一回、ツイッタの「診断メーカー」で出たお題で小説を書いてみるという
自己鍛錬、 それがこの『週刊三題』であります。
さてさて。紡がれる文章は良分か悪文か、或いは怪文か?
とある物書きの拙文晒し、此処に在り。

【今週のお題:炎、悩み、禁忌】


 その部屋は都内でも一等地とされるとあるビルの一室にあった。
 とある一室。
 だが、その形容は多くの庶民にとっては似つかわしくない。要するに実際のそれとは乖離
しているからだ。
 広かった。これが一部屋と言われてどれだけの庶民が素直に受け止めるだろう。
 上手く仕切りを使えば、一般的なアパートの部屋が三・四つは出来上がりそうな広さだ。
 床には濃淡で複雑な文様が描かれた絨毯が一面に張られており、周りを囲む調度品はどれ
も古木が光沢を帯びた純和風の高級品ばかり。ここに来るまでの廊下の間取りは明らかに洋
風であったのに、内装をこうまで変貌させてしまうとはやはり金の力は恐ろしい。
「……本当に宜しいのですね?」
 男は案内されたその部屋で、暫しの問診と僅かばかりの雑談を経た後、そう改めて確認す
るように問うていた。
「ええ。金ならいくらでも出しましょう。そっちの意味での貴方の評判も、私は聞き及んで
いるのでね」
 男はオールバックに撫で付けた髪をし、真っ黒なスーツに身を包んでいた。
 一見すると細目な笑み。そこにちょこんと乗せられたような薄眼鏡が知性を演出している
かのようだ。
 そんな彼と対面するのは、恰幅の良い壮年の紳士。この部屋の主だった。
 愚問だ──声色こそ変わらなかったが、含まれていたニュアンスはそれに相違なかろう。
そう切り替えされた彼の言葉に、スーツの男は僅かに片方の口角を持ち上げる。
「分かりました。では一度診察を行いましょう。後ろを向いてくださいますか? あとでき
ればここを暗所にして頂けると。明るいと、どうしても目に頼ってしまいますからね」
「……ふむ? 分かりました。おい」
 壮年紳士の合図で、周りに控えていた黒ずくめの男達が室内の照明を消して回った。念の
為にと、無駄に大きく幅広い窓のブラインドも自動制御で下りてくる。
 既に外は夜の帳が下りていたこともあって、室内は完全に真っ暗になった。
 暗がりの中、油断ならぬ気配だけがぽつぽつとする。
「──では、視させて頂きます」
 そんな中でスーツの男は密かにまた口角を吊り上げると、されどすぐに真面目な表情に戻
って言ったのだった。


(居酒屋『三川(さんせん)』……。ここだ、間違いない)
 その日、小薮は未だ本調子ではない、それが普通になりつつある身体を引き摺りながらも
ある場所へと足を運んでいた。
 流れるような書体で店名が書かれた提灯が軒先に下がっている。
 街の一角、街の外れも外れにある路地裏の小さな居酒屋。場所が場所だけに、吊るされた
それは暗がりの中でぼんやりと怪しく光っている。
「いらっしゃい」
 ごくりと一人息を呑んでから、恐る恐る踏み出していく足。
 暖簾と格子戸を潜って中に入ると、そこには木枠のカウンターの中からこちらを見る女将
らしき和服女性の姿があった。
 店内は、思いの外おどろおどろしくはなくしっとりと落ち着いている。
 純和風で整えられた内装、木の温もりで統一されたカウンターと幾つかのテーブル席。
 客はカウンターの隅で飲んでいる男一人を除けば、他には誰もいないようだった。営業用
であろうとはいえ、凛とした美人に声を掛けられ小藪は思わず竦む。
 だが、そんなことは目的でない。
「い、いいえ……。自分は客ではないんです」
 冷やかしと思われるのは申し訳ないので、早々に訊ねてみることにした。
 こちらが控えめに、苦笑を取り繕ったからか、女将の表情(かお)もそう不機嫌になった
ようには見えない。
「あの。ここに、どんな人間も治せる医者が来るって聞いたんですが……」
 女将と、そして奥で飲んでいた男がピクッと、ほぼ同時に動きを止めた。漆塗りの碗を拭
いていた彼女が、一旦その作業を止めてこちらを改めて見てくる。
 穏やかな様子が一変していた。
 不機嫌……という感情、ではないように思う。分からない。だが少なくとも彼女にとって
はあまりいい気分ではない気色であるのは嗅ぎ取れる。
「残念。今夜は貴方のほうが客足がいいみたい」
「え……?」
 だが小藪のそんな観察も、程なくしてその集中力が途切れた。
 ちらと女将が視線を遣った先。それは間違いなく、先客である男に向けられていて……。
(……こんな男が、医者?)
 少なくとも、医者であるようには見えなかった。
 大雑把に後ろで括ったぼさぼさの髪、半袖の黒シャツと紺のジーンズ。上から羽織ってい
るのは迷彩柄のパーカーで、所謂エリート像なるものからは程遠いと言っていい。
(まさか、ヤブなんじゃ……?)
 小薮は今更ながらに後悔した。藁にもすがる思いだったからとはいえ、こんな怪しい男に
根拠のない噂に、自分はあの子の命運を託そうとしていたのかと情けなくなった。
「初対面でいきなりそんな顔するなよ。まぁ気持ちは分からんでもないけどさ。……その話
は本当だ。他に同じ事をやってる奴がいない限り、その医者ってのは俺のことさ」
「で、でも……」
「医者ってのは、他人の生命を弄る人間だろ? なら間違っちゃいねえ」
「……」
 ぼさぼさ髪の男は、酒瓶の残りをコップに入れると一気に飲み干した。
 少しばかり顔が赤い。その所為か、胡散臭さは二割増しくらいしている気がする。
「……兄ちゃん、寝不足みてぇだな」
「えっ」
 なのに次の瞬間、不意に彼に指摘された一言で、小薮はまるで心臓を鷲掴みにされたよう
な心地になった。
「んー、一ヶ月くらいか。身体がだいぶへこたれてるぞ。それに……栄養も足りてねぇな。
ろくに飯も食ってねぇだろ? そんなんで気だけ張ってりゃあ、すぐに倒れちまうぜ?」
 男はそっとその目を細めると、そう何かを観察するように小薮を見て口を開いていた。
 当たっている……。
 周囲に気を遣わせたくないと踏ん張っていることも、あの子のことで中々眠れず食も細っ
たことも、彼は全て言い当てていると小薮は思った。
 見た目こそアレだが。医者としての眼力は確かなのか──。
「まさかあんたを治せってか? ……違うな。患者は別の、大事な人か」
「……」
 男の眼が強く真剣なものになっていた。
 小薮も、自ら疑心を半ば拭い去り、じっと彼を見返す。
「まぁとりあえず座ったらどう? 秋といっても夜は冷え込むから。……それに、こんな身
なりだけど、眼だけは確かよ」
「おい。だけってどういうことだよ」
「あら……そのままの意味だけど?」
 やがて、女将が軒先に突っ立っていた小薮にそう呼び掛け、中へと促してきた。
 確かに夜風が地味に身体に堪える。このまま一飲みへと誘導されてしまうのは懐的にも勘
弁願いたいが、結局その言葉に従って再び数歩を踏み出し、がらがらと戸を閉める。
 その間も、彼女と男はそんな軽い言い合いをしていた。
 どうやら彼らは相応に付き合いが長いらしい。
 常連、なのだろうか? だからこの店なのだと噂が流れているのかもしれない。
「あの」
 だから小薮は、意を決して言った。藁にもすがってみせると覚悟を決める。
「どうかお願いします。妹を──助けてください」

 小薮の家は、如何にもといった感じのボロアパートだった。
 『三川』で見つけることのできたぼさぼさ髪の男──噂ではどんな人間も治せる医者──
を連れ、彼はその二階にある一室、自宅へと戻って来た。
「こちらです」
 錆び付き軋む金属音がする階段を上り、同じく建てつけが悪くなっているドアの鍵を開け
て中へと促す。
 部屋の中は電気一つ点いていなかった。
 小薮が壁に手を這わせ、スイッチを探って点ける。ぼうっと惚けたような間を経て、室内
に心許ない照明が点く。そしてやはり軋む廊下を渡って、二人はとある個室の前へと辿り着
いたのだった。
「亜実! いるか? 兄ちゃんだ、入る……ぞ?」
 ノックをし、呼びかける小薮。
 だが中からは返事はない。男が片眉を上げて見てくるのに力ない苦笑を返し、小薮はそっ
とドアノブの手を掛けてみる。
「……亜実?」
 部屋に鍵は掛かっていなかった。しかし電気も点いていなかった為、中はかなり暗い。
 小薮に続いて男も中に入る。時間帯が時間帯だけにどうやらカーテンも閉めきってあった
ようだ。
 しかし注意を向けるのはそこではなかった。
 少女がいた。
 十六、七歳ほどの少女が一人、部屋の片隅──ベッドと箪笥の間に身を隠すように体育座
りをしたままじっとしていたのである。
「妹の亜実です。一月ほど前、友達と遊びに行って帰って来たと思ったらこんな風になって
しまって……」
 小薮の妹・亜実は二人が部屋に入ってきてもまるで反応しなかった。
 いや、意識がそもそもあるのだろうか? 組んだ膝と腕の中にうずめた顔は青白くなって
酷く痩せてしまっており、その瞳も力なく虚ろになっている。
「……どうしてこうなったのか、本人からは?」
「いいえ。帰って来たその日は私も仕事で遅かったですし。気付いた翌日には、もう」
 男はぽりぽりと髪を掻いてから、ゆっくりと亜実の前に座り込みながら訊ねた。
 しかし小薮からの返事は否。彼自身も一体何が起きたのか把握できていないらしい。
「病院に連れて行こうとしても、梃子でも動かないって感じで……その時だけは酷く暴れた
んです。普段のこの子じゃあり得ないくらい、狂った……みたいに」
「それで困り果てて俺の所に来た、と」
「はい……」
 小薮が嘆き、頷いた。
 男はその瞬間、少しだけ亜実の瞳がぐらっと揺らいだのを見た。
「……ふむ」
 とんっ。
 すると何を思ったか、男はふと人差し指を彼女の額に軽く押し当てると、暫くの間じっと
目を凝らしたのだ。──その瞳に、彼女の胸奥に、暗く弱い炎が揺らめいている。
 小薮はそんな様子を後ろから心配にそうに見守っていた。それでも亜実はされるがまま、
やはり虚ろな目でその場から微動だにしない。
 嫌な、嫌な沈黙が場に下りていた。
 せめて部屋の明かりを点けようか? そんな思考も何処か遠く意識の向こうにあるような
気がして、小薮は只々暗がりの中、変わり果ててしまい理由すら分からない妹とこの怪しい
自称医者を見ていることしかできないでいる。
「……あんた、本当にこの子を治したいのか?」
「あ、当たり前です! たった一人の家族なんです! お、お金なら、私が何とか用意しま
すから──」
「いや、いい。取れる人間から取る、それが俺のやり方なんでね。実際そっちの方が色々理
に適ってると思うしな」
「は、はあ……」
 それでも、内心の己の無力さに歯痒い思いをしていても、男は淡々としていた。加えて治
療費は要らないとまで言ってきた。
 小薮は思わず呆気に取られたように次の言葉を失う。
 確かにうちは貧乏だ。金をかけずこの子を救えるのなら万々歳ではあるが……。
「……後悔、するなよ」
 ぽつりと男が亜実に指を当てたまま、彼女に顔を向けたまま呟いていた。
 それはどういう──?
 また疑心がぶり返してくる。
 だが他に頼れそうな人はいない。小薮は不意に妙な胸騒ぎを抱きつつも、結局無言の首肯
を示すことしかできなかった。


「いやはや、御足労お掛けしましたな。秋水先生」
 指定した別荘(マンション)の一室に件の医師が来たと聞いて、大澤は内心小躍りしたく
なった。それでも威厳はそのままに、部下を遣って案内し、彼を出迎える。
「いえいえ。これも仕事ですので……」
 真っ黒なスーツに身を包み、オールバックに髪を撫で付けた薄眼鏡の男性。
 どんな人間でも治してみせる流離の名医──まさか噂の秋水医師本人を呼び寄せることに
成功するとは。
 別荘とはいえ、ここは贅を凝らした自身の部屋だ。
 私邸ではマスコミに嗅ぎつけられそうなので、此処へと迎えの者を遣らせた。流石に彼も
これだけの規模は珍しいのか、時折しげしげと調度品や美術品のコレクションを眺めている
のが分かる。
 同じく高級木材と分厚い硝子を組み合わせたテーブルに向かい合い、大澤と秋水医師は席
に着いた。周りには物々しく、無言の威力を放つ黒ずくめの部下達が控えている。
「お茶をどうぞ」
「ああ……これはどうも」
「ふふ。先日、取り寄せたアッサムです。お口に合えばよいのですが」
「……大丈夫ですよ。お気遣いなく」
 すると今度は別の部下──給仕の男性が二人分の紅茶を淹れてやって来た。
 テーブルの上に置かれたカップ二つ。甘く芳醇な香り。大澤は得意げにそう話し機嫌よく
笑っていたが、対する秋水医師はあくまで淡々としている。
 義理的に。彼は一口だけ飲んでそっと目を細めた後、問うた。
「それで、依頼の詳細をお聞かせ願えますか?」
「はは。流石は先生、仕事熱心なことで……」
 大澤はやはり笑っていた。
 しかし既に、そこには壮年の紳士という性質は失せつつあった。
 老獪。あくまでビジネスライク──のように振舞う彼に、少しずつ真面目に、そしてそっ
と心の牙を見せつつ言う。
「秋水先生。貴方はどんな人間も治せるとお聞きしている。今回貴方を探し求めたのは他で
もない。この大澤を──老いぼれを、再び政治のど真ん中で戦える身体にして頂きたい」
 僅かだが、秋水医師の眉根が動いた。
 それは即ち……延命。この目の前の老練の政治家、その歳波ゆえにあちこちが痛んだ身体
を片っ端から治せ、そう言ったのだ。
「正直に言いましょう。私は、随分歳を取ってしまった。既にいくつか持病も抱えている。
この先どれだけ身体が持つか分からんのです。ですが……まだ私は戦いたい。腑抜けた今の
若造どもを叩き直し、もう一度この国を強く在るべき姿に変える、その最後のご奉公をせね
ばならんのです。ですから秋水先生、どうか……」
 大澤──議員はそう言うと頭を下げた。年齢故かプライド故か、それは彼の体格の割には
控えめなものだったが。
「……」
 秋水医師は、暫く黙っていた。
 まるで見定めるよう。そしてややあって彼は、持参した鞄の中をそれとなく検めるように
して呟く。
「確か、大澤先生にはご子息がおられますよね」
「? ええ。それが何か?」
「お譲りにはならないのですか? 確かに私ならその望み、叶えて差し上げられます。です
がそれがいつまでも続く訳ではない。いずれ後継者というものは必要になるでしょう?」
「……少なくとも、あやつには渡せませんよ。ここだけの話、頭は良いのですが女好きが過
ぎましてな」
「まぁ英雄色を好むとは、昔から云いますから」
「だといいんですがね……。ですが跡目はもう他の者にやるつもりです。その意味でもせめ
て彼らがこの国を引っ張ってゆける人材に育つまで、私はくたばれんのですよ」
「……。なるほど」
 最初だけ大澤は笑っていたが、最初だけだった。
 たとえ実の息子であろうとも資格無しとあらば切り捨てる。そして理想の国の為には血脈
よりも信念の繋がりで人を選ぶ──。
 問われて顔を上げた彼を、秋水医師はそれでも変わらず淡々と見遣り、そう一言。
「……本当に宜しいのですね?」
「ええ。金ならいくらでも出しましょう。そっちの意味での貴方の評判も、私は聞き及んで
いるのでね」
 再確認の問いと、愚問だと言わんばかりに即答する大澤。
 秋水医師は謎多き腕前と実績とセットで、持つ者とされる依頼主には法外なまでの治療費
を請求してくることで知られていた。
 だからこそ流離、なのだろうと大澤のような大口の客は考えている。
 どんな手段を使っているかも分からない、しかし確実に“延命”を成功させている人物。
 命が金で買えるのなら、その辺りも黙っておこう。そんな共犯関係。
「分かりました。では一度診察を行いましょう。後ろを向いてくださいますか? あとでき
ればここを暗所にして頂けると。明るいと、どうしても目に頼ってしまいますからね」
 秋水医師は、少しだけ片方の口角を持ち上げていた。
 しかしそれも束の間、彼はまた真面目な営業モードに戻るとそう大澤らに指示をする。
「……ふむ? 分かりました。おい」
 大澤の合図で、周りに控えていた部下達が室内の照明を消しに行った。
 念の為にと、やたらに大きく幅広い窓のブラインドも彼らによって操作され、電動音と共
にそれらは塞がるように下りてくる。
 時間は既に夜。一切の光源を断った室内は完全に真っ暗になった。
 この暗闇の中で、大澤は背を向けて座っている。
 目に頼らない──独自の触診が何かだと思っているのだろうか。それとも暗がりとはいえ
周りには屈強な部下達もいる、抜かりはないと思っているのか。
「……」
 しかし秋水医師にとって、もうそんな先方の思惑はどうでもよかった。
 これでこっちのものだ。彼らに“これ”は視えないのだから。
「──では、視させて頂きます」
 言って、ポーズだけの触診を始める。
 だが本当の行動は別の所にあった。
『……』
 火だった。いや、人魂というべきか。
 それらが秋水医師の左右背後をぐるりと囲んで現れたのだ。
 しかしそんな明らかな異変に、光源の出現に、大澤らは何一つ反応していない。まるで彼
らにはそれが見えてないかのように。
(望み通り、延命させてやるよ……)
 秋水医師は暗闇に目を細めて、その人魂の一つを手に取った。
 静かに燃えている灯火。
 それを一呼吸入れてから、彼は一気に大澤の背中へと──。


 売店で手に取った新聞には、こう書かれていた。

『大澤議員の長男、謎の急死』
『長男・秀雄氏の乱れた女性事情!』

 ここ数週間、メディアはこぞって政界の大物・大澤議員をマークしている。
 最初は単に長男急死のニュースでしかなかった。
 しかし、死人に鞭打つというか好奇心の罪悪の面というか、報道合戦の中で徐々に同氏の
女好きが明るみにされていったのだ。
 所帯を──特定の女性と落ち着くことはなく、何人もの女性を手玉に取るエリート。時に
は友人らと共に乱交まがいのことまでやっていたらしいというのだから驚きだ。
 当然、追求は父である大澤議員本人のところまで飛び火した。
 かつて豪腕と呼ばれた大物。今も尚、満ち満ちたバイタリティを持つ偉丈夫。
 だがそんな彼も歳も取り、幾度目かのスキャンダル──犯罪の尻拭いまでやって来た。
 あちこちで、もう彼は駄目だろうという声が上がっている……。

「秋水」
 駅のホームに立っていた彼は、そう呼ばれた。
 後ろで括ったぼさぼさの髪に、ジーンズなどの上下ラフな格好の彼はそう呼ばれた。
 新聞を片手にしたまま、ぼさぼさ髪の男──秋水が顔を上げると、ちょうど景色が一変し
ているところだった。
 忙しなく人と列車が行き交う筈の構内。
 しかし今は何処からともなく紫を帯びた暗闇に包まれ、秋水以外の人間やあらゆる設備が
まるで彼を隔離するかのように遠ざかっていく。
「なんだ、お前か。七緒」
 それでも彼はさして驚くこともなく、もうとうに見慣れたといったばかりの気だるい様子
で彼女の呼んでいた。
「なんだとは失礼しちゃうわね。こっちは仕事の時間を切り詰めて来てるってのに……」
 そこに立って──線路上の中空に浮かんでいたのは、一人の女性だった。
 女将である。結わっていた髪を下ろし、真っ黒な左前の袴を着て大きな鎌を手にしている
が、間違いなく居酒屋『三川』の女将その人であった。
「へいへい。お勤めご苦労さん」
 加えて彼女の傍らには、青白い人影がいくつか立っている。
 死人のようだった。多くは目は虚ろになっていて、ぼうっと彼女の後をついて来ているよ
うな印象を受ける。服装が死に装束ではないのは、皆が皆看取られた訳ではないからか。
 しかし、やはりぼさぼさ髪の男──秋水は驚いている様子はなかった。むしろ彼女──七
緒にちょっとした憎まれ口を叩くほどの余裕すらある。
「……で? 一体何だよ? まさかお前が俺を狩りに来たってのか」
「違うわよ。貴方にもう一度合わせておいた方がいい子も交ざってたからね」
 だが一方の七緒の方もそれは既に慣れっこであるらしい。
 彼女は面倒臭そうに問うてくる彼にそう言うと、ついっと鎌を動かして一人の死人を自身
の前へとやってくる。
『……』
「っ!?」
 それは、亜実だった。
 相変わらずの虚ろな眼。だが今この場にいる、七緒が連れて来ているということは──。
「……。死んだのか」
「どうやら吊ったみたいよ。首にも痣が残ってるでしょう?」
 言われてみれば確かに、彼女の首にはきつく絞まった痕が残っていた。ただでさえ痛々し
いものなのに、幽体となって青白い分、余計にその不気味さが増している。
「貴方も分かってたんじゃないの? 視たんでしょう? お兄さんに頼まれて、この子の命
の灯を確認した時に。……灯火は魂そのもの。彼・彼女が抱いてきた思いも記憶も一緒に刻
まれている」
「……」
 秋水は最初の内、ぎゅっと眉間に皺を寄せて黙っていた。
 その間も、まるで責めるように、七緒は静かに語っている。
 暫くして彼女は亜実を死人の列に戻した。ひゅんと鎌を振り、バラけ始めていたその列を
整え直させる。
 再びの諭すような眼差し。
 彼女は半ば諦観をその瞳に抱きながらも、言った。
「その新聞──大澤議員の息子の灯を奪ったのも貴方なんでしょう? この子をマワした犯
人の命を、その父親に移し変えた……」
「……延命させてくれって言ったのは向こう側だぜ。誰を使えなんて指示はねぇ」
「そりゃあそうでしょう。誰も貴方が他人の命の灯(せいめいりょく)を弄って誰かを延命
させているなんて考えもしないわ」
 少しばかり七緒の声が強くなった。
 だがそれも束の間、彼女は一度フッと語気を落とし、改めて諭すような冷静な声色になっ
て続ける。
「何度でも言うわ。止めなさい。どれだけ理由を並べても、貴方のやっていることは万物の
生死に介入するという大罪よ。貴方が死んだら……地獄行き(ゆうざいはんけつ)は間違い
ないのよ? そこまでして他人に私刑を与え続けたって──」
「無意味だってか? 本当にそうかよ? この世には掃いて捨てるほど悪い奴らがのさばっ
てる。そのまま死にゃあ、俺と同じコースだ」
 ──だがよ。
 秋水はぎろっと睨み付けるように七緒を見た。その瞳には、憎悪の炎が宿っている。
 彼女は押し黙っていた。今度は、彼が思いを吐き出す番だった。
「それまでに奴らは色んな人間を不幸にする。不幸にして踏み台にして、今の人生を謳歌し
やがるんだ。……いいのかよ? そうやってこの世が恨み辛みの魂ばかりになりゃあ、大変
なのはお前ら死神なり冥府の連中だろ? 霊的治安っつーのが乱れてる一方なんだろ?」
「それは……そうだけれど」
「なら、先ずはそのクソったれな悪人どもを捌いていかねぇことには始まらねぇだろうが。
巻き添えになる奴らが増える前に、少しでも間引く。悲鳴を上げる魂も減らしていけるし、
現世(こっち)もマシになる。悪いことなんざねぇだろ」
 七緒はふるふると首を横に振った。
 駄目なんだ、そう言いたくとも説得力のある言葉にできない。
 彼女は知ってるからだ。死神(じぶん)には手を出せないと──死者を導く者が恣意的に
生死に介入してはならないと知っているからだ。
「……一度死にかけた奴がいるんだ。相手は医者の息子で、そいつを轢き逃げしやがった。
なのにその息子どもは金の物を言わせて事故自体をなかったことにしたんだ。そいつの親は
金に目が眩んで、その内取り分で争って、家の中はズタズタになった」
「秋水──」
「でもそいつはあるものを得た。一度死に掛けたことで、命が燃えているのを視ることがで
きるようになってた。……もしかしたらって思ったよ。この力を上手く使えば、死ぬべき奴
を死なせて、そうじゃない奴を生かせるんじゃないかって」
 新聞を握る秋水の手に、ギチギチッと力が入る。
 彼が自分をまた見ていた。睨んでいた。
 もどかしさで、七緒はその顔をくしゃくしゃにする。
「……見せ付けて満足か? 俺の“失敗”がそんなに嬉しいか? そりゃあその子みたいに
灯だけ継ぎ足しても、生きる気を失くした奴までは中々な……。吊ったり飛んだり何なり、
肉体(うつわ)がぶっ壊れればお終いだからな」
 死人の列を見遣って秋水は言った。
 淡々。しかしそこには間違いなく七緒への批判が織り交ざっている。
「そうじゃないわ……。だけど、貴方の一存で命をどうこうしようなんてことは」
「間違ってる、か。なら俺を殺せよ。その鎌でサクッと狩っちまえば済むんだろ? それを
今までしてこなかったのは、てめぇの怠慢だ。規則だの何だのがあるから、そうやって逃げ
てきた連中の言い訳だろうがよ!」
 秋水が叫んでいた。紫を垂らした闇の中で、一度だけ七緒の鎌が揺れる。
 半分はこのまま狩られても構わないと思っていた。半分はその禁則がゆえにそうすぐに自
分が狩られることはないだろうという算段だった。
 ……何度も続いてきたやり取りだ。
 死にかけてこの灯を視る眼を得てから、彼女と出会ってから、何度も。
「行けよ。仕事の時間を使って来てるんだろ? 早くそいつらを導いてやってくれ」
「っ、秋水。貴方は──」
「分かってるさ。でも文句を言いたきゃ、俺を殺す許可が下りてからにしな」
 秋水は言い、そっと踵を返した。紫を帯びる闇の中を慣れたようにして出て行く。
 背後から七緒の、奇妙な距離感と相成った死神の悲痛の声が聞こえる。
 それでも彼は言った。歩を緩めることはしなかった。
 とうに腹は括っている。一度は死んだような身、いつお迎えが来たって構わない。
 だがそれまでに……抗う。抗って抗って、抗いまくってみせる。怪我の功名の如く得たこ
の生と死の狭間で、存分に復讐してやる(わるいやつらをぶっつぶす)。
(ったく、死神ならもっと死神らしく非情でいろっつーの。これじゃあどっちが“化け物”
か分かんねぇじゃねえか……)
 ボサボサの髪をサッと撫でつけオールバックに。薄眼鏡を取り出して鼻の上に。
 七緒が出現させていた闇の向こう、普段生と死を意識しないであろう普通の人々が行き交
う現実を前に、彼はバッグから黒いスーツを取り出した。
                                      (了)

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  1. 2013/07/22(月) 18:00:00|
  2. 週刊三題
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  4. | コメント:0
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自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
します。

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