日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅳ〔40〕

 母の戴冠式から、一週間弱の日数が経っていた。
 夜の帳はとうに下りている。今、室内を照らしているのは机の上のスタンドランプだけで
あり、暗がりの頭上──中空ではむにゃむにゃと寝息を立て丸まったエトナが眠っている。
「……」
 そんなクラン宿舎の自室で、アルスは灯りの下で一人本を読んでいた。
 本格的に眠気がやってくる前の、そう長くはなくとも何気に持て余す一時。
 そうした時間すら惜しいと活字を追うのは、もうアルスにとっては長く習慣となっている
一日最後の光景だ。
 といっても、目を通すのは魔導書ではない。
 予習復習をしていた時分もあったが、今読んでいるのは娯楽小説。物語の世界だ。
 ひたすら事実(リアル)を吸収するだけでは疲れてしまう。時には虚構(フィクション)
という形で知識を、思考を積んでいく。……どのみち活字だらけじゃないかと苦笑いされれ
ば確かにそうなのだが、実際好きなのだからしょうがない。
 暫くの間、じっと物語の中。
 やがて区切りのよい──丸一章分を読み終えた所で、アルスは栞をその頁に挟んでからそ
っと本を閉じた。
 机の横にある本棚の空きに几帳面に納め、カーテン越しの外を見遣る。
 外は言わずもがな闇色だ。そんな黒の中にぼやっと他の家屋の灯りが点々と落ちているの
が辛うじて分かる。
 外はおおよそしんと静かだった。村(サンフェルノ)のような山間とは違う、街が故の音
がそっと聴覚の傍を小走りで駆け去っていく。
「……」
 少しだけ、ほんの少しだけ故郷を懐かしみ、頬が緩んだり可笑しくなったり。
 だけどもそう呑気に構えていられないのだということを、アルスはよくよく理解している
つもりだった。
 待ち構えている。
 今は文字通り暗がりで視えないけれど、窓を開けた向こう側には自分達にとっての善意も
悪意も、厭気が差すほどに溢れかえっている。
 ……戴冠式のスピーチ、本国(ホーム)の優位な条件を利用して、母はあの時語った。
 皇国(トナン)の共和政構想。
 本人も今すぐにという訳ではないと語っていたが、案の定、翌日にはもう一斉に報道が出
ていた。自分も導信網(マギネット)でそれらの記事を読んだ。

 “改革派新女皇の爆弾発言”
 “共和政国家、また一つ誕生か”

 社によって見出しは違うが、概してその趣旨は母の性急さを暗に批判するものだった。
 中には“王位に就いた直後に政治を投げ出さんが如き”と中傷してくる所さえあった。
 ……違う、そうじゃない。
 自分は分かっているつもりだった。反論したかった。だけどこの手の煽りに引っ掛かるの
は「負け」である。皇子としての身分が明らかになってからというもの、侍従らにも口酸っ
ぱく説かれた心得の一つだ。
 母はただ、また王位というものが大乱の元にならぬようにしたいのだ。
 兄はただ、結社に奪われた父の帰還をその手で手繰り寄せたいのだ。
 それだけなのに、それだけなのに……人はあれこれと邪推する。何もよく知らないのに、
さも知っていると言わんばかりに吹聴する。
 怒りか? いや──これはきっと己への情けなさだ。
 悪意(ごかい)が生むよどみに足を取られる大事な人たちを、自分はどれだけ救うことが
できただろう? 救うことができるのだろう?
 闘いがイコール悪ではないけれど、それらをバラバラな解釈で語られ、嘘を真実に塗り替
えられてしまうのであれば……それはきっと“悪意”であると言っていい。
 では……自分達を「正しく」受け止めてくれる人だけが“善意”の人、なのだろうか?
 本当に自分は……「正しい」思いを伝えぬまま、貴重品扱いされていていいのだろうか?
「──っ」
 ぞわわっと、心の中が汚泥に沈むような錯覚があった。
 アルスは冷や汗をかき、慌ててそれまでの思考を放り出すようにぶるぶると首を振る。
 駄目じゃないか。
 “味方”になってくれないから“敵”だなんて、決めつけが過ぎる。
 自分の思いが「正しい」かなんて、決めようがない。
 たとえ母や兄、仲間達の思いを貶める“悪意”であっても、もしかしたら彼らなりの思う
正しさがあるのではないか?
 そう考えられなければ──誰も歯止めを掛けられなくなってしまう。
(僕にしか。僕には僕の、闘いがあるんだ……)
 そっとローブの袖で冷や汗を拭い、にわかに跳ねた鼓動を落ち着かせる。
 それはこれまで何度も自分に言い聞かせてきた文句。
 呑まれちゃいけない。僕らの為に、一緒に闘ってくれている皆を裏切ることにならない為
にも、僕らは進むんだ……。
 しかし、とアルスはまたもはたと思う。
 闘い。そう云っている時点で、自分達は既に敵味方を作っているじゃないか──。
 ごくりと唾を飲んだ。まだ冷や汗が治まらずつぅっと顎を伝った一方で、相棒(エトナ)
は変わらず気持ち良さそうに眠っている。
 もう一度、ゆっくりゆっくり深呼吸。息遣いだけが深夜の室内に漏れ、消えていく。
 机の上の時計を見た。
 既に日付は変わってしまっている。カチカチと刻まれる秒針の音が、一人煩悶する自分に
冷笑を向けているかのような錯覚さえ味わう。
(……。もう寝よう)
 正直言って、今夜はあまりよく眠れない気がする。
 それでも少なからず重くなった身体を引きずり、アルスはランプの灯を消してからベッド
に倒れ込んだ。

 闘わずに争わずに済めば嬉しいけれど、それが「理想」であることも理解はしている。
 だけど、願わずにはいられない。
 様々に苦しむ人々がいるのを実際に見てきたから、知っているから、その現実を否定した
くて堪らなくなる。
 
 ──願わくば、少しでも争うことなき、穏やかな世界を。


▼第Ⅳ部『三界の統治構(ガバナンス)』編 開始

 
Tale-40.それそれの再出発(リスタート)

 その日は学院(アカデミー)の、前期日程最後の日だった。
 入学した頃に比べれば、すっかり空はからりと青く暑い日差しになっている。此処は北方
だというのに昼間になればじわり汗ばむことも珍しくなくなってきた。
「アルス様、準備が整いました」
「あ、はい」
「オッケー。今行く~」
 ホームの横路地につけてあった馬車の中から、侍従が数人、顔を出して言ってきた。
 既に登校準備を終え、鞄を肩に引っ掛け壁に背を預けていたアルスは、エトナと共に彼女
達に応える。
 いつからだったか、以前よりアルスの登校は馬車による送迎になっていた。
 いや……時期ならはっきりしている。以前執政館で、自身の歓迎会で“結社”の刺客が襲
ってきたあの一件からだ。
 流石にもう、呑気にリンファと徒歩で……というやり方が許されなくなってしまった。
 自分を──皇子を危険から遠ざける、警備上の必要性からの仕方ない判断だった。
 だからこそアルスも、内心残念に思いながらも、こうして彼女達の気遣いを素直に受ける
ことにしている。
「……」
 それでも。
 やはり不安というか、怪訝は中々払拭できないのもまた事実だった。
 車内の席からカーテンを少し捲り、アルスは窓の外をアウルベルツの街並みを眺める。
 朝。これから正午にかけてじわじわと日が強くなっていく。それまでに済ませることは済
ませてしまおうと、既に通りのあちこちで商人達が店開きを始めており、徐々に往来の数も
増えている。
 馬車それ自体は、そう珍しい訳ではない。
 だがこうした日々の営みを送っている人達を避けさせながら進むというのは、未だに慣れ
ないし、苦笑に似た申し訳なさがチクチクと胸奥を刺す。
 だからか、気のせいだと思いたいけれどと、アルスは思う。
 ……自分は、すっかり街の人達とすら“遠く”なってしまったのではないか?
 馬車を隔てた物理的なものが、という点もあるが、それ以上に精神的な意味合いで。
 襲撃事件があったことは皆知っている筈だ。だからこそ警備上こうなったことも、ちょっ
と考えてみればすぐに辻褄が合うだろう……とはいえ。
 テロに屈したようには見えないだろうか? そうはたと折りにつけてアルスは考え込んで
しまうことがある。
 再びの襲撃を恐れて馬車移動になっているのではないか、そう人々が捉えているのではな
いかと想像を巡らしてしまうのだ。……尤も、その推測はあながち間違っていない。だから
こそ内心、余計に歯痒い思いをするのだが。
 何より気持ちが塞ぐのは……憎まれているかもしれないという不安だ。
 執政館襲撃だけではない。以前には魔獣を操る少女──“結社”の魔人(メア)率いる軍
勢による、街そのものへの攻撃もあった。
 実際に「お前のせいで」といった眼差し・態度を受けたこともある。最近では成績発表の
頃に、同級生らから受けたものがそれだろう。
 そんな都度、リンファ達に気に病むことはないと励まされてきた。そうしてこちらが萎縮
するほどに結社(やつら)の有利になることは、自分でも分かっているつもりだ。
(……っ)
 でも、そう中々スッパリと割り切れない、切り捨てられない……。
 アルスはそう改めて認識し、きゅっと密かに膝の上の拳を握る。
「……アルス様」
 なのに、そんな小さな機微をも、彼女はちゃんと見ていた。
 少し様子を見るように間を置いて、隣に座るリンファが話しかけてきた。ビクッと、内心
虞を覚えてゆっくり振り向くアルスに、彼女はその握られた掌をそっと自身の手で包み込み
ながら言う。
「あまり気に病まないでください。アルス様が悪い訳では、ないのですよ」
 一言目はそれだけだったが、充分に伝わってきた。
 アルスは繕い切れぬ苦笑いで彼女を見遣る。その後ろでは、同じく心配そうに自分を見て
いる中空のエトナがいる。
 そっと、握ってしまっていた拳を解いた。リンファもそれを掌の感覚で察したらしく、そ
の包んでいた手を静かに除ける。
 悪い──伝えたいことは分かる。分かるのだけど、すぐに頷けない自分がいた。
 自分が悪くない、ということは別の誰かが悪い、ということを含んでいるのではないか?
 ほぼ間違いなく“結社”を念頭に置いているのだろう。事実として、彼らテロ組織は多く
の犯罪に手を染めてきたのだから。
 だけども、では“敵”を排除さえすればいいのかというと……多分違う。皆々が仲良しで
赦し合ってということは凄く難しいことだと思うけど、このまま争い続けた先に何があるの
だろうと考えると、全てを悪役なる者達に押し付けてお終いとは思えないのだ。
 皇国(トナン)内乱でアズサ皇についた者達がいる。
 風都(エギルフィア)の大規模デモに加わった人々がいる。
 事実として、それらには“自分達ではない受け皿”とその思いを持つ他者が──扇動され
てそうなった面はあるにせよ──存在している訳で……。
「お一人で、全てに手を差し伸べようとしなくてもいいのです。そうは言ってもアルス様は
お優しい方なのですけれど……」
 穏やかな笑み、さけどほんの微かに辛そうな微笑でリンファが語っている。
 チクリ。
 お優しい──その言葉が何故か引っ掛かった。
 いや……その理由は多分、いつからか自分でも気付いているものなのだろう。
 でもそれを認めてしまったら、今までの全部が意味を無くして壊れていく気がして。
「少しずつでいいのです。そのお優しさを先ずは近しい者達に分けてあげてください。そう
すればきっと──それがおそらく唯一最善の、悪意を解いていく道になる筈です」
 嗚呼、彼女はやはり……。
 ずらしたカーテンから除く街並みに、リンファは視線を移して呟いていた。
 半分はアルスに、半分は多分自分自身に。彼女もまた迷っているのだろうか。
「……。はい」
 そっと視線を戻した彼女に、押し黙って見守る相棒(エトナ)や随伴する車内の侍従らに
アルスはそう小さく頷いていた。
 だがその声色はひどく大人しく、石畳を滑る車輪の音が掻き消すように騒いでいる。
 アルスは努めて微笑であろうとした。
 しかし……彼自身も、その繕いが無理をして軋む気色を否めない。

 最終日ということもあり、この日の講義はその殆どが先の試験を総括するものだった。
 中には来期分に担当する内容を紹介する営業熱心な教員もいたが、学期が変われば履修す
る講義も変わる。アルスは一応メモこそ取ったが、自分も他の生徒達も、今は一つの季節と
して過ぎたこの三ヶ月を思う感慨と共に、これら〆の時間を消化していった。
「──えっと、確かここの棚に……」
 そうして昼食も挟んで午後。アルスはレイハウンド研究室(ラボ)に足を運んでいた。
 いつものように資料が詰め込まれ、積み上げられた室内をブレアが何やら探してうろうろ
している。
 ちょこんとテーブルに着いたアルスと、中空で胡坐をかいているエトナがその後ろ姿を目
で追っていた。そんな中やがてブレアは鍵付きの戸棚を開け、そこから幾つか厚めのファイ
ルの背表紙を検めると、二人の前にとある数枚を一つに綴じた書類を持ってくる。
「ほらよ。これだ」
「ありがとうございます」
「へぇ~……。学院(ないぶ)的にはこういうのなんだ」
 それは複数の回答用紙だった。
 採点の赤ペンが走ったそれらには見慣れた──自分の筆跡。言わずもがな今期の定期試験
でのアルスの答案である。更にそれらを装丁するように、アルスの氏名や学籍番号が印刷さ
れた表紙と数枚の図表も綴じてある。今回の全成績をデータに起こした一枚だ。
 成績発表が始まった時、エマからガイダンスがあった通り、アルスがブレアに申請した詳
細な回答結果だった。
 端末で知ることができたのは試験ごとの獲得点数とその合計、単純な数値順での学年順位
だったが、これらには一問一問、アルスがどう正解を出し或いはミスをしたかがはっきりと
残されている。
 相棒(エトナ)が後ろから覗き込んでくる中、アルスは暫くじっと、それらの結果を穴が
空くほどに読み込んでいた。その間にブレアは言葉なく備え付けの流し台に向かい、二人分
のアイスコーヒーを用意して戻ってくる。
 それでもアルスは、尚もコップに口をつけることなく目を通し続けていた。
 そんな教え子の様子を、ブレアはやはり黙ったまま、アイスコーヒーを一口二口と喉に流
しつつ眺めている。
「……別に要らなくねぇか? 俺も軽く目を通したがよくできてたぞ」
「はい。でもちゃんと見直しておきたいんです。もっともっと、強くならないと」
「……勤勉だな。お前はよくやってるよ、間違いなく優秀だ」
 ぽつっと問うてきたブレアに、アルスは一度顔を上げてから苦笑いをみせて答えた。
 再びブレアは押し黙った。また成績表との睨めっこを再開するこの教え子、そしてその相
棒を彼はまた一口コップに口を付けながら見つめる。
(もっと強く、ね……)
 内心、ブレアはその彼の返した言葉を予想通りだと思いつつ、また同時に歯痒さを覚えて
ならないでいた。
 理由(わけ)はあの時から知っている。
 もう二度と、瘴気と魔獣で哀しむ人が出ないように。その為に研究の道に進みたい。
 ただのぼんやりとした秀才ではなかった。世界全体から見れば実はありふれたことでも、
強烈過ぎるほどに一つの目的意識を持ってこの学院の門を叩いた。相棒をもしかしたら研究
の中で失うかもしれないことを示しても、彼は彼女は覚悟の上だと言い切った。
 それでも……この少年が“危なっかしい”精神の上に立っていることには変わりない。
 言い換えれば、歪んだほどの自己犠牲の心──だろうか。
 おそらく文字通り、彼は己全てを擲ってでも目標(ゆめ)を追い続けるのだろう。厳密に
はあの時問うた「覚悟」とは性質が違うのだ、ということを自分は未だに話せないでいる。
(何でこう、繰り返しちまうのかねぇ……)
 人間とはかくも。
 表情こそコーヒーを啜って心持ち上向きながら、その実は深い嘆息と──追憶と。
 思い出したくないのに、思い出してしまう。この教え子の必死さを見る度に、忘れたくも
忘れる訳にはいかない記憶が脳裏で再演される。

 ──自分も、かつては冒険者だった。焔の魔導を操り仲間達と共に日銭を稼ぎ、何よりも
刺激的な日々を謳歌していた。
 しかし……この業界は魔獣や忌避地(ダンジョン)を相手にしている限り、特に危険と隣
合せなのである。
 間違いなく油断だった。驕りだった。
 大型ルーキーとしてとんとん拍子に成長した自分達、クラン。
 そんな中で舞いこんで来たとある忌避地(ダンジョン)調査の依頼で……自分達は壊滅に
近い敗北を喫したのだ。
 たくさんの仲間が死んだ。
 不意に現れた魔獣の群れに襲われ、喰い千切られ、或いは瘴気に中てられて死んだ。
 何より自分達にとって打撃だったのは、我が友(リーダー)を失ったことだ。
 自分は、彼が瘴気に中てられ血反吐をはき、喉を掻き毟りながら悶え死ぬのを見た。魔獣
の剛腕で斬りつけられ、片目を失うその瞬間も見た。
 クランは、その後ほどなくして自然消滅──瓦解した。生き残った者達を率いられるだけ
の新たなリーダーが決まらなかったからだ。
 その当のリーダー争い、多くの犠牲を詰る声。そして自分も含めた、そんな落ち目の集団
を見捨てた者達。全てが……もう手遅れになっていた。
 創立メンバーの自分が抜けて彼らはどうなっただろう? その後の彼らは知らないし、界
隈で名を聞かないということはおそらくもう無くなっているのだと思う。
 それから何年か不貞腐れながら過ごして、アカデミーの講師募集に応募して、現在。
 何とも因果なものか。自分があの時逃げたから、また同じようにこのクソったれな世界に
糞真面目に挑もうとする若者と出会ったのか。
 本当は……もっと強く断るべきだったのかもしれない。なのに、受け入れた。
 それは多分、贖罪なのだろう。
 自分がもっとしっかりしていれば、生半可ではない覚悟を身に纏っていれば、もしかした
らあんな事にはならなかったかもしれないと思ったから。
(……お前なら、どう言ってた? 団長(オーエン)──)

「無理は、するな」
 黒い炎に焼かれて消えてゆくかつての友のイメージに、はっと静かに我に返り、ブレアは
内心己を落ち着かせるように、たっぷりと間を置いてから言った。
 アルスがそっと顔を上げていた。間違いなく怪訝──ある種の不満を漏らしている。
 エトナは更に分かりやすかった。中空、相棒の後ろで居住まいを正すと、ぷくっと頬を膨
らませてこちらを見ている。
「……お前が一番やるべきことはお前がよく生きることだ。お前だけじゃない。俺もエトナ
も、皆そうだ。誰かをよくするってことは、その一環じゃねぇのか?」
 成績表を手にしたまま、アルスは暫くこちらを見て固まっていた。
 僕は──。ぱくぱくとそう口が動き、されど声が出ないのが見て取れる。
 自分で言って可笑しくなった。俺はこいつらの味方になりたいのか、邪魔をしたいのか。
多分両方なのだとは思う。ただ生き急がせたくない、自分と同じ轍を踏ませたくない──。
『レイハウンド先生、レノヴィン君、いらっしゃいますか?』
 そんな時だった。
 ふと部屋のドアをノックすると共に、聞き慣れた声が聞こえてきたのだ。
 学院長? ブレアがふいっと再び意識を現在に戻して小さく疑問符を浮かべていた。
 だがこのまま開けない訳にもいかない。
 するとそんな立ち上がりかけた彼を見て、エトナが逸早くドアの鍵を開けてくれる。
「こんにちは。成績の詳細を見ていたのね」
「ええ。……それで、何でまたわざわざ? あとユーディも」
 廊下で待機してくれているリンファと会釈を交わし、中に入ってきたのは学院長ミレーユ
とエマだった。
「今日は今期最後の講義日ですからね。ちょうど時間が空いたのでレノヴィン君の様子を見
に行ってみようかと思いまして。色々と……ありましたから」
「……私はその付き添いです」
 この学院において事実上のツートップ。にも拘わらずブレアの口調はかなり砕けている。
 元々の生真面目さか、故にエマは眼鏡のブリッジを押さえて目を細めていたが、ミレーユ
はというと相変わらず悠々とした佇まい。余裕の貫禄だった。
「どうでしたか? 最初の三ヶ月は。貴方の思うものが学べたでしょうか?」
「は、はい……お陰様で……。こちらこそ色々よくして頂いてありがとうございます」
 だからか、それとも控えめな性分だからか、アルスは恐縮といった様子でぺこぺこと彼女
達に頭を下げていた。
「お前、皇子だろうに……」
 ブレアは幾許かの沈黙の後、苦笑してそれとなくツッコミを入れていたが、もう彼の人と
なりをよく知っているが故に実際のところ違和感はない。
 暫くアルス達はその場で話し込んでいた。
 学院生活の感想、皇子としての公務、皆を守れる魔導師にという目標。勿論一から十まで
話せないことは少なからずあったが、それでもこうして気遣いをくれることがアルスは嬉し
くてこそばゆく──同時に申し訳なさが脳裏を過ぎる。
「それで、夏休みはどう過ごされるつもりですか? この前には戴冠式もありましたし、や
はり公務が増えるのでしょうね」
「え、ええ……。そうですね……」
 だからこそ、ちょっと調子付いてしまったと悔いるように、ミレーユからそんな話題を振
られた瞬間、アルスは言葉を濁していた。
 あながち間違ってはいない。実際、講義がない分身が空くため、スケジュールはこれまで
よりも入れ易い筈だ。
 ……だが何よりも安易に話す訳にはいかない情報があった。
 言わずもがな、統務院総会(サミット)である。
 確かもう少しで公式に発表があると聞いているが……今話してしまうのは拙かろう。
「あの、その。そろそろ僕……」
「? ああ、ごめんなさいね。引き止めちゃって」
「いいえ。……では、失礼します。また中期日程で」
 だからアルスは、そろそろ頃合とみてそう退出を窺わせた。
 ミレーユからの反応に謙遜し、この三人の教員達に一度立ち上がってからぺこりと頭を下
げる。微笑、生真面目、寡黙。それぞれの眼差しを感じた。申し訳程度にコーヒーに口をつ
けた後、鞄の中に成績表をしまい、その足で踵を返すと、彼はエトナと共に部屋を出ようと
する。
「……アルス」
 しかしその寸前で、ブレアがぽつと背中に声を投げてきた。
 半ば反射的に立ち止まって肩越しに振り向き……その神妙な表情(かお)を見て、先程ま
での彼の言葉を思い出してハッとなる。
「もっと足元を生きろよ。ただでさえお前は、色々と面倒な役回りがあるんだからさ」
「……」
 アルスは、その言葉には応えなかった。ただ小さく会釈だけをして再び歩を進める。
 中空ではエトナが再びむすっとブレアを見遣って、不機嫌顔。
 私達は負けないんだから! ──まるで、そう訴えているかのよう。
 ミレーユとエマも、何処となく怪訝な様子で以って、そんな彼ら三人の眼差しのやり取り
を見遣っていた。
 あんまり、こいつらには見せたくなかったんだがな……。
 だが仕方ないと、ブレアは密かに嘆息をつき、ギチッと椅子の背もたれに身体を預ける。
(やれやれ……)
 ゆっくり閉じていくドアの向こう、待機していたリンファと合流するアルスとエトナ。
 ドアが閉まる金属と木材が混ざる音と共に、彼ら三人は研究棟を後にしていった。


「どうして……っ!?」
 宿舎内の会議室で、珍しくミアがそう強い語気で叫んでいた。
 室内には長テーブルを囲み、ブルートバードの主要メンバーと団員達が一通り顔を揃えて
いる。バンッとその机上を叩き、身を乗り出してくる彼女に、彼らの気色は少なからず困惑
や後ろめたさの類であるように見える。
 広げられていたのは、一枚の紙だった。
 そこにはずらりとイセルナやダン、リンファにシフォンを始め、クラン所属の面々の名が
書き込まれている。──そう、これは来たる統務院総会(サミット)に備え、期間中アルス
達の警護要員として出向くメンバーのリストなのだ。
 だが……その中にミアの名前はなかった。レナやステラ、クレアと同様、彼女はリストに
よれば留守番組に割り振られていたのである。
 故にミアは強く抗議していた。
 どうして自分が外されているのか? 今回の遠出はアルスを護ることなのに……。
「落ち着いて、ミアちゃん。皇国政府(むこう)のキャパシティや色々な都合もあって、全
員を連れて行く訳にはいかないのよ」
 応えたイセルナは眉を下げて、それでも努めて冷静を促そうとしているようだった。
 両手をテーブルの上に押し付けたままのミア。そんな彼女の向かい側に、イセルナら幹部
メンバーは座してそれぞれに眼差しを遣っている。
「それに出張ってる間、ホーム(こっち)をガラ空きにする訳にゃいかねぇだろ。そりゃあ
戦力を向こうに集中できればもっと安心かもしれねぇがよ……」
 続いて語るダンの言葉には、額面以外のニュアンスが多分に含まれていた。
 留守中のホームの守備、戦力をどれだけ連れて行っても完璧な安心・安全などないこと。
そして何よりも──今回のサミットが“結社”に狙われるであろう強い確信と懸念。
「結社(れんちゅう)は十中八九動く。だがそれがどの程度のモンか──反発してテロを起
こしてくるのか、はっきりしたことは分からねぇだろ。その意味でも、戦力はある程度分け
ておいた方がいい。向こうのテロで皆巻き込まれました……なんてなりゃ、元も子もねぇん
だぞ?」
 しかし、それでもミアは静かに首を横に振っていた。
 とても強い瞳。それは父相手、副団長相手でも怯むことなく……。
「……そうじゃない。リスクの話はボクだって分かってる。何度も皆と話した。ボクが怒っ
ているのは、お父さんがボクに手心を加えたんじゃないかってこと」
「……」
「ボクだって、アルス達の為に戦いたいんだ」
 何処となく無理をして声色を普段の淡々としたものに抑え戻し、ミアはそう突きつける。
 対するダンは、黙り込んでいた。
 深く深く眉間に皺を寄せた渋面。イセルナやシフォン、ハロルド・リカルド、グノーシュ
といった中核メンバーは勿論、レナらミアと親しい友人達も、様子見とその如何を問う眼差
しを彼に送っている。
「……リスト作りはイセルナ達と決めた。ブレてなんか」
 それでも最初、ダンはしかめっ面のままそう言葉を貫こうとしていた。
 しかし娘(ミア)からの睨み付けは勿論、イセルナ達からも宜しくないという眼を送られ
てしまったため、やがて仕方なくといった様子で、彼はガシガシと髪を掻き毟りだす。
「だってお前……一度死にかけたじゃねぇかよ」
 それが本音だった。副団長以前に一人の父として、娘の身を案じたのだ。
 執政館襲撃事件の時のことだと、誰もがすぐに理解した。毒にやられて苦しんだ彼女の姿
が脳裏に蘇る。
 それでも、ミアはばつが悪く視線を逸らし気味な父をじっと見つめていた。
 声はもう荒げていない。しかし握り締めた拳と物言わぬ闘志が、彼女を怒らせているらし
いことを物語る。屈辱だと訴えている。
「ボクの話、聞いてたの? 覚悟ならできてる」
「覚悟があるないの問題じゃねぇだろ!? あん時はまだ俺達にも手に負えた。だが今度俺
達が出向くのは要人のバーゲンセールなんだ、魔人(メア)どもとやり合う可能性が高い。
トナンでも散々だったろ。本当に……死ぬかもしれねぇんだぞ?」
 本当は言いたくなかった。だがダンは強情な娘についその文句を返してしまった。
 団員達の表情が一斉に曇る。選考会以後の、トナン内乱での惨状を経験していない面々は
まだ認識が遅れている。
 あの時は幸か不幸か重傷人までで済んだ。それですら心が痛かった。
 だが今度はサミット──その規模は一国から顕界(ミドガルド)全域だ。何よりも以前に
比べ、結社(やつら)は自分達を警戒するだろうと予想される。仮に戦いが始まってしまえ
ば……激戦は避けられない。
「だから言うことを聞いてくれ……。アリアだけじゃなく、お前まで失いたく」
「一緒にしないで! そもそもお母さんは死んだ訳じゃない……。そうやって勝手に切り捨
てたりするから、ああなったんだよ」
「ミアっ!」
 今度はダンが怒鳴る番だった。
 とはいえ、その迫力は娘の比ではない。まるで咆哮のようなその一声にまだ日の浅い団員
達は竦んでしまっている。
 イセルナが、シフォンが、感情的に傾こうとしてるこの父娘(おやこ)を何とか収めよう
と立ち上がり出した。ハロルドは眼鏡の奥で、複雑な表情をみせるグノーシュや壁際でじっ
と我関せずと眼すらやっていない弟(リカルド)をちらと見遣っている。
 ミシミシ。まるでそう実際に部屋が軋むかのように、場の空気が悲鳴を上げていた。
 長テーブルを挟み、互いに身を乗り出した父と娘。皆が止めようとし、だがさりとて何と
声を掛ければいいか迷うその間も、二人はぎろっと互いを睨み続けている。
「……っ」
 先に折れた、ように見えたのはミアだった。
 握り締めた拳はそのまま、ガリッとテーブルの上を滑ると、そのまま前髪に表情を隠して
踵を返し、一人ドアの向こうへと駆け出して行ってしまう。
「ダン……」
 イセルナ達が、困惑とその倍ほどの非難の眼差しを向けていた。
 後悔はしているのか、ダンも呆然とし始めていた。
 ゆっくりと、立ち上がった格好から腰が下りていき、しかめっ面が悲痛色になる。
「ミアちゃん!」
 そんな中で、レナが誰よりも早く彼女の後を追って駆け出していた。
 ステラが、そしてクレアも頷いてくれたシフォンを確認すると、
「……この馬鹿親父」
「ぐっ!?」
 ダンにそんな捨て台詞を残してピシッと石化させながら、それに続いてゆく。

 轟音の後、宿舎内の一角で壁が大きくひび割れ陥没していた。
 ミアがその憤りを抑え切れず、拳を振るった跡である。
「……っ、はぁ……っ」
 不満と悔しさと、後悔と。
 ゆっくりと握り締めた拳を引き抜き、パラパラと白壁が剥がれ落ちていくのを視界の隅に
捉えながら、彼女は必死にそんな荒ぶった息を閉じ込めようとしている。
「ミアちゃん!」「ミア~!」
「うっわ……。壁が……」
 レナ達三人も、程なくして追いついてきた。
 親友を心配する表情(かお)と、諍いを哀しむ表情(かお)。
 或いは呼び声を重ねる前に、壁に打ち込まれた跡に驚く表情(かお)。
 彼女達は小走りに駆け寄り、どっと疲労したようにもみえるこの猫系獣人の友を見遣る。
「……ボク、酷いこと言っちゃった」
 たっぷりと空いた間。
 レナ達に振り返り、静かに身を震わせながらミアが口にしたのは、そんな後悔だった。
「ミアちゃん……」
「ダンさんには悪いけど、自業自得だと思うけどな。ミアのこと、何も分かっちゃいない。
奥さんも実の娘も泣かせるなんて酷い男だよ」
 友らはそれぞれの反応を示していた。
 レナは彼女と同じように哀しみを分かち合い、ステラは父娘(おやこ)喧嘩のそもそもの
発端が父(ダン)のエゴにあると断じる。
「……ねぇ。さっきも言ってたけど、ミアのお母さんって何処にいるの?」
 だが、そんな中でクレアは新参故にきょとんとそんな質問を投げかけて……。
「それは~……えっと」
「あ、あのね? ダンさんとアリアさん──ミアちゃんのお父さんとお母さんは、ミアちゃ
んがまだ小さい頃に離婚したの。だから」
「……。ご、ごめん……!」
 先程の義憤を削がれるようにばつを悪くしたステラに代わり、控えめにレナがそうクレア
に諭して聞かせた。
 ポカンと、数拍二人とミアを見る。
 そして程なくして──自分の両親がそうであるように、他の家族がそうであるとは限らな
いのだと──気付き悟った彼女は、慌ててミアに謝りだす。
「……気にしないで。だからお父さんも、ボクに大都(バベルロート)について来て欲しく
ないんだって、分かるから」
 ミアは一見すると淡々としていた。
 十中八九、その言葉はクレアにというよりは自身に言い聞かせるものだったのだろう。
 じっと眉を顰めて、三人から見て斜めな立ち位置。
 一発拳を打ったことで、友らが駆けつけてくれたことで落ち着きを取り戻したのか、彼女
はまた暫く、己の感情を整理するように黙り込んでいた。
「アルスの歓迎会で、ボクはあんなことになった。お父さんや皆にも迷惑を掛けた。だけど
後悔はしていない。アルスを守れたから。だけど……毎回ああやって危ない目に遭っていた
ら、結果アルスを忌避地(ダンジョン)に向かわせるようなことを続けていれば、結局ボク
は何も守れないんだと思う」
 憤りではなく、決心の類。
 今度はそう違った毛色で以って、ミアはぎゅっと拳を握り締めていた。
 昼下がりの光が俯き加減の横顔に差す。レナもステラもクレアも、黙り頷き聞いている。
「分かってる。今度のサミットはもっと危険だって──本当に死ぬかも、死なれるかもしれ
ないって。でも……ボクは戦いたいんだ」
「私もだよ……。私にもおじさんは留守番をしていてくれって言うし、それじゃあ何の為に
里から応援に来たのか分からなくなっちゃいそうだし……」
 ぽつりとつられるように漏らしたのは、クレアだった。
 元より陽気な性格と顔立ちをしているせいもあって、一見ミアほど深刻には見えない。だ
が出会いから今日までの日々で、彼女がただぼやっとしているだけの女の子ではないことは
レナ達も理解していた。それは自ら“安全圏”を飛び出し、両親の名代としてこの街にやっ
て来たことからも窺える。
「うん。だから、ボクも焦っちゃったんだと思う。あの時は抜かったけど、今度は自分も皆
も無事に帰してみせる。そう思ってずっと稽古をしてたから……無駄になると思って、怖か
ったから……」
『……』
 友だからこんなにも話してくれるのか、それとも父との衝突がそれほど彼女の寡黙さを破
るほどに痛々しいものだったのか。
 レナ達は再び黙り込んでしまっていた。互いの顔を見合わせ、黙るしかなかった。
 クレアが共感するように、されどおっかなびっくりな様子で頷いている。
 ステラは先程までのダンへの批判が過ぎたと反省し始めているのか、少々ばつが悪そうな
様子でぽりぽりと頬を掻いている。
「──」
 そしてレナは……抱き締めていた。
 ぽすん。じわっと感極まったように顔をくしゃくしゃにした次の瞬間、彼女はこの親友の
身体を優しく優しく抱き締める。
「辛かったんだね、ミアちゃんも」
 親友の突然の抱擁に、当のミアも驚いたようだった。ぱちくりと目を瞬き、その身長差か
ら彼女を懐に受け止める格好になって──されど両手は抱き返すことに躊躇して宙ぶらりん
になる。
「私もだよ……。大好きな人が遠くに行っちゃうのに何もできなかった。……ううん、前々
からそうだったの。私はミアちゃんみたいに戦える訳じゃないし」
「そんなこと……」
 ない。レナはいつも、ボク達を陰日向に支えてくれているじゃない──。
 だけどミアはそんな言葉を続けられなかった。
 ぎゅっと顔を押し付けられてその表情は窺えない。だが、間違いなく泣いていた。先程ま
で自分が感じていた悔しさが伝染し、彼女自身の後悔を刺激し、感極まらせていたのだ。
「……でもね? 私思うの。ミアちゃんが毒にやられて寝込んだ時、アルス君達が必死にな
って解毒剤の材料を探しに行ってくれたでしょう? それって、お互いにお互いを思いやっ
ているって証だよね」
 なのに、なのにこの親友(こ)は言うのだ。
「だから……傍にいることだけが寄り添うことじゃないんじゃないかって思うの。たとえ距
離が離れていても、その人の心の中に居させて貰えれば……一緒だもん。もしかしたら思い
出して踏み止まってくれるかもしれない」
 まぁ、アルス君もジークさんも、むしろ飛び出しちゃう人なんだけど……。
 今度はくすくすとレナが胸の中で苦笑していた。表情がよく変わる子だ。いや、それだけ
今この瞬間、彼女の中で想いが溢れているのか。
 ミアは宙ぶらりんになっていた両手を、いつしかそっと下ろしていた。
 親友(レナ)に抱き付かれるがままにし、じっと言葉を聞いていた。
「……正直言うとね? 羨ましかったんだよ? 好きな人にあれだけ心配されて、頑張って
貰えて」
「でもまぁ、あの二人はこういうのには鈍いからねー……。私達が期待することまで意識に
あるかは微妙だけど」
「あはは……そうだね。でも、それでもいいよ。それだけ大事に思われてることには変わり
ないもの。だから……ミアちゃんも、もっと自分を大事にしよう?」
 ステラの合いの手が入りつつ、四人を包む雰囲気は徐々に穏やかなものになっていた。
 そっとレナがミアから顔を身体を起こし、見上げる。ミアがそんな親友を見つめ、ぎこち
なく言葉無く笑う。
「帰る場所も大事なんだと思う。アルス君もジークさんも、それは特に。だから待とうよ。
戻ってくるこの場所を守るの。それだって、立派な仕事じゃないかな?」
 ミアが深く一度、頷いていた。レナが泣きそうな表情(かお)で微笑(わら)い返しなが
ら、ステラと共にお互いを見つめる。クレアもそんな三人の長い付き合いを、少し遠目に立
った上で見守り、うんうんと頷いている。
(──何つーかもう、出る幕無さそうだな)
(だね。若い子達だって若い子達なりに考えてるんだよ)
(そうね……。ダン、反省した?)
(あ、ああ。……すまん)
 そんな四人を、ダン以下大人達がぞろぞろと、物陰から覗いてひそひそと。
 ハロルドが眼鏡のブリッジを触って小さく笑い、団員らもそんな中核メンバーと向こう側
のミア達を見てホッと一息。リカルドだけは廊下の遠くに佇んだままで、グノーシュが彼の
そんな態度に不満げな眼差しを遣っている。

 サミットが迫る昼下がりで。
 クランに立った波が、そっと余所(ひと)知れず治まっていく。


 成績表を受け取り研究棟を出た後、アルスは構内を歩いていた。
 足取りは……決して軽くない。だが相棒(エトナ)やリンファが一緒である手前、そうし
た内心は漏らしてしまってはいけないと思った。

『……お前が一番やるべきことはお前がよく生きることだ。お前だけじゃない。俺もエトナ
も、皆そうだ。誰かをよくするってことは、その一環じゃねぇのか?』
『もっと足元を生きろよ。ただでさえお前は、色々と面倒な役回りがあるんだからさ』

 師(ブレア)の言葉を思い出す。神妙な、諭すような面持ちと声色だった。
 おそらく──ほぼ間違いなく、彼は自分達の進むこの道の先が暗いものであると言いたか
ったのだろう。
 ……正直、気付いていない訳ではない。ある種この目標(ゆめ)は、その理由は、囚われ
ているものなのだろうと思う。
 過去の後悔、その贖罪の為と銘打った動機。
 彼が足元を生きろと言ったのは、過去(そう)じゃなく現在・未来(これから)のために
生きて欲しいと願われたからなのだと思う。
(……ごめんなさい、先生。それでも、僕は……)
 だけども、解っていても、諦めるつもりはなかった。
 何故ならもう、それ「だけ」ではなくなっているから。
 贖罪──エゴだけじゃなくて、自分を見守り支えてくれる人達に報いたいと思っている。
皆に、笑っていて欲しいと思うから……。
「アルス~!」
 そんな時だった。はたと遠めに聞き覚えのある声が聞こえてくる。
 振り向けば、案の定フィデロがいた。ルイスがいた。向こうもこちらが気付いたのを見て
手を振り、二人して近付いてくる。
「二人とも登校してたんだね」
「ああ。今日は殆どあってないような講義だったけどな」
「そっちは……成績表?」
「うん。あれ? でも何で分かって──」
「……難しい表情(かお)をしていたからね。君のことだから、もっともっとと思って気を
引き締めていたんだろうと思って」
「あ、はは……」
 快活と冷静と。友人二人との挨拶の中でアルスは思わず苦笑いを零していた。
 ルイス君は本当、何でもお見通しだ……。
 或いはまだまだ自分がポーカーフェイスに為れないでいるからか。
 そうだ、あまり気に病まないでおこう。
 せめて友人、仲間、大切な人達と一緒にいる時くらいは、その一時一時を大切にしよう。
笑っていて欲しいのに、自分がしかめっ面をしていたんじゃ……説得力も無い。
「んでさぁ、アルス。今日お前暇か?」
「え? うん。特に予定は無いけど……」
 そうしていると、不意にフィデロがそんなことを訊いてきた。アルスは小首を傾げつつも
正直に答える。
 二人の故郷に遊びに行く話だろうか? しかしそれはもう暫く先の話だった筈だ。
 念の為にちらりとリンファを見上げて確認してみるが、彼女もこちらを見返してくるだけ
で、おそらく似たようなことを考えているらしい。
「よかった。実は今夜、皆で学期終わりの打ち上げをしようかって話になってんだよ。他の
講義で知り合った奴とか、あとエイルフィードにも声を掛けてある」
「よければ、アルス君もどうかなと思ってね」
 それを聞いて、アルスはぱあっと表情を明るくした。エトナも彼と顔を見合わせて喜色を
浮かべている。
「……すまないが、それは何処で開くつもりだい?」
 だがそれも束の間、このやり取りを聞いていたリンファがそう口を挟んできた。
 きょとんとするフィデロと、あくまで冷静に彼女を見据えるルイス。
 アルスとエトナが彼女に振り返っている中で、フィデロが後頭部の髪をぽりぽりと掻きな
がら答える。
「それはまだちっと調整中ッス。いくつか飯屋の目星はつけてるんですけど、人数が確定し
てからにしようと思ってて」
「そうか。すまないが、侍従としてすぐに容認する訳にはいかないな。アルス様のご身分が
ある。それだと警備上の都合を図れる時間が取れないように思うんだが」
「ぁ……」
 フィデロが、そして当のアルスがぽかんと口を開けていた。
 学院にいる間は基本そうなのだが、リンファは間違いなく「護衛モード」に為っていた。
 指摘される詰めの甘さ。あからさまに指弾する訳ではないにせよ、そこには一定の厳格さ
が漂っている。
「……やっぱりな。だからフィデロ、もっと早くに話を通しておくべきだと言ったんだ」
「そ、そんなこと言われれもよぉ……。面子がはっきりしないままだと開くかどうかも分か
らねえじゃんか。そんな状態でアルスを煩わせる訳にもいかねぇし……」
 ルイスとフィデロがそうぶつぶつと言い合っている。
 どちらも間違ってはない。ただ今回は、フィデロのその気遣いが宜しくない方向に流れて
しまったのだろう。
「……。あの、リンファさん」
 すると、そんな中で何か思いついたようにリンファに口を開いたのは、アルスだった。
 何でしょう? 臣下の礼を漂わせて耳を傾けてくる彼女に、アルスは「うーん」と口元に
指先を当ててから提案する。
「なら、蒼染の鳥(うちのさかば)でやればいいんじゃないですかね? 皆がいるから警備
の都合はつきますし。……まぁ皆さんがオッケーしてくれれば、ですけど」
 フィデロとエトナが、再び喜色を浮かべて頷いていた。
 アルスを含めた四人の視線がリンファに向けられる。数度目を瞬き、思考。ややあって彼
女もゆっくりと頷き返してくれる。
「……そういう事なら。分かりました、ホームに連絡を取りましょう。……えっと、導話の
呼び出しは……」
「あ、ここですよ。番号を押して受話筒のマーク。それか連絡帳ツールから──」

「──ああ、そういう事なら構わないさ。その友人達名義で今夜の予約を取ってくれれば」
 まだ携行端末に慣れないリンファを手伝って導話をかけたアルス達に、酒場のカウンター
にいたハロルドが受話筒越しに承諾を伝えた。
 導話の向こうで彼らがにわかに喜ぶさまが聞こえる。
 ではよろしく頼む。そうリンファが最後に一言を残し、ハロルドは受話筒をチリンッと本
体に収め直した。
「何だったんです?」
「リンさん……みたいですけど」
「ああ。アルス君達の打ち上げパーティに、うちを使わせてやってくれないかと連絡があっ
たんだよ。警備の関係上、他の店でやられるよりも安心だろうとね」
 なるほどー。
 ちょうど酒場にたまっていた団員らが話を聞き、頷いていた。
「ってことは今日は宴か?」
「いや……違うだろ。あくまで学院生達の打ち上げであって、俺達の飲み食いじゃねぇぞ」
「まぁでも一緒にやったって構わねぇよな。アルスの学院のダチって、シンシア嬢以外に会
ったことねぇし」 
 だよなー。
 少々早とちりだったり、冷静だったり。団員達がその一言に笑った。そしてその内の何人
かが、この宴会を伝えるべく宿舎の方へと席を外していく。
「……でもいいんですか、ハロルドさん? サミットの準備──荷造り、まだ途中なのに」
「そうだね……。でも出発までまだ日があるし、そう支障にはならないと思うよ? それに
今の内に羽目を外せる機会を設けておくのも、悪くはないんじゃないかな?」
 団員の一人が、そうハロルドに問い掛けていた。
 然り。グラスを磨いていたハロルドは、そう認めつつも、フッと眼鏡の奥で微笑を零す。
「今回のサミットが終われば、世界の風景は間違いなく変わっているだろうからね……」

「──それでは、やはり陛下がお一人で……?」
『ああ。私達も随分驚かされたものだよ』
 クラン宿舎内、侍従衆の部屋。
 室内に設置された端末を通じて、イヨはトナン本国と連絡を取っていた。
 導話の相手は皇国近衛隊長サジ・キサラギ。
 二人はしみじみと思い出すように、先日式典で起きたある出来事について話をしていた。
 ──トナン皇国の共和政構想。
 先の内乱の原因は、王位を巡る争いに端を発した。
 だからこそ、治める者は特定の者・取り巻きではなく領民自身。彼らが信頼を授けた者達
によって執られるようになれば悲劇は繰り返されないのではと、我らが皇は語ったのだ。
「……」
 しかし、ヘッドセット越しにサジの苦笑い──楽観的な声色を聞くイヨは、少なくとも同
じ気分にはなれないでいた。
 陛下の御心は分かる。サンフェルノ村での穏やかな日々があの方にとって大きなものであ
ろうことは、人伝に聞いた身とはいえ想像できない訳ではない。だが……。
『それで、そちらはどうだ? アルス様はお元気でやっておられるだろうか』
「あ、はい。それはご心配なく。良きご学友にも恵まれておりますし、魔導や様々な学びに
も勤しんでおられます。惜しむらくは、私どもが公務のスケジュールを入れてお時間を縛っ
てしまうことですが……。ですが今日で前期日程が終わりますし、明日からは幾分それにも
余裕を持たせることができるかと」
『そうか。こちらも心配は要らない。陛下の発言で動揺こそあったが、昨日今日でやろうと
いう話でもない。今はとにかく復興の為にあくせくしているよ』
 いや……今は職務に集中しよう。
 イヨはそう思い直し、彼への報告を続けた。
 学院でのアルスは、厳密にはリンファの方が直に見守っていてよくは知っているだろう。
 だがそれはそれ、これはこれだ。
 形式上、侍従衆の代表は自分……相変わらずプレッシャーを感じる日々だが、最近はその
事務にも慣れてきたように思う。だからこそ、あまり雑念を入れるのは宜しくない。
『ではそろそろ失礼するよ。次の大型公務はサミットの出席だが……』
「はい。打ち合わせ通り、こちらも準備を進めてあります。先程ブルートバードの皆さんも
人員編成を済ませたようなので、近い内に資料として送付致します」
『ああ、頼んだよ』
 やがて一通りの報告と今後の健闘を添え合い、通信は終了した。
 ディスプレイに映し出されていたサジと王宮内の映像が消えると、イヨはそのままぐてっ
と椅子の背に身体を預けて大きく大きく息を吐く。
「──イヨさ~ん、いますか?」
「ひゃうぁ!?」
 と、そんな最中にドアがノックされたかと思うと、ひょこりイセルナが姿を見せてきた。
 彼女に応じてドアを開いたのは他の侍従だったのが、イヨにとっては完全に気を抜いた瞬
間であったため、ついそんな素っ頓狂な声を出してしまう。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ……はは。だ、大丈夫です。お見苦しい所を」
「構わぬさ。我らもそういうお主の方が見慣れている」
「は、ははは……」
 イセルナの肩には顕現したブルートがそっと乗っていた。
 そんな、青い半透明の梟型精霊の糞真面目な慰め(?)にイヨが半笑いを浮かべてそれと
なく居住まいを正す中、二人はゆたりと淡青を散らして室内に入ってくる。
「それは……皇国(あちら)と連絡を?」
「あ、はい。定期連絡と、諸々で」
 次いでヘッドセットを外して机の上に置くと、イヨは先程よりは穏やかな笑みを浮かべて
いた。他の侍従らも最初こそこちらを見ていたが、やがていつもの事ねとそれぞれの職務に
戻っていく。
「そ、それで。何か御用でしょうか?」
「ええ、それなのですけど。少し前にリンから酒場の方に導話が入りましてね、アルス君が
お友達とうちで打ち上げパーティーをやりたいと言っているんです。今日で学院の前期日程
がお終いですからね。余所のお店でやるよりは警備も都合がつくだろうって」
「そうですか……。ええ、皆さんがよろしいのであれば構いませんよ。リンがそう判断した
のなら間違いはないでしょうし」
 訊ねられたイセルナからの返答に、イヨはふっと胸奥が優しく明るい陽で揉み解されるよ
うな気がしていた。
 そっか、アルス様が……。
 報告で自分も学院生活を満喫しているとの旨を伝えたばかりだが、実際にそうらしいよう
で安堵したのだ。彼の快適な留学生活をサポートする──陛下より託されたその任は、何と
か実を結んでいるらしい。
「……本当に、イヨさんはアルス君を大事に思っているんですね。いいお供を持ててきっと
彼も救われていますよ」
「ふわっ!? そ、そんな。私はただ、祖国の役に立ちたいと……」
 それも束の間、イヨはそんな母性を感じさせるイセルナの眼差しと言葉で茹で蛸のように
顔を真っ赤にしていた。
 思わず口を衝いて出た言葉。
 だが皮肉も、その「国」というフレーズが、彼女に再び先の不安を蘇らせてしまう。
「……。イセルナさん、ブルートさん」
「はい?」「うん?」
「貴女達は、どう思っていますか? あの時、陛下が語った共和政構想について」
「……あの時というと」「戴冠式での就任挨拶ですね」
 はい。確認してくる二人に、イヨはこくんと小さく頷いていた。
 再びそっと、それとなく他の侍従達もこの上司の様子を窺っている。
 彼女達の顔色も、総じて明るいものではなかった。
 それは皆同じ思いであったのか、或いはイヨの影響でそうなっただけなのか、定かではな
かったのだが。
「……正直申しますと、私は不安なのです。流石に性急ではないかと。陛下の御心は理解し
ているつもりです。でも私には、共和政が必ずしも善だとは思えない……」
 それは間違いなく個人的感情であった。或いは元司書としての知識がそうさせるのか。
 侍従達の何人かも、ざわと戸惑いをみせている。
 確かにイセルナ達のことは信頼している。しかし、だからといって私情を漏らしてしまっ
ていいものなのか……?
「ご存知かもしれませんが、ゴルガニア帝国という“悪の王”から解放された現在の世界に
あっても尚、王政が多くの国々で生き残っているのには理由があります。帝国が滅んだ後、
長らく人々がその圧政にも負けないほどの混乱に苦しめられたからです」
 それは、帝国崩壊から王貴統務院という秩序に至るまでの記憶だ。
 多くの史料にも残されている。
 人々は失ったのだ──ゴルガニア帝国という“共通の敵”を。故に争いが終わることは無
かった。今度はそれぞれの利害がぶつかり合った。打倒帝国で纏まっていた人々は……かく
も容易に瓦解した。
「治める人間が多くなれば、衝突も大きくなる。そう学んだ人々は再び王を望みました。で
もそれは以前のような“絶対者”ではなく“責任者”──国が乱れた時、真っ先に捧げられ
る鎮静剤……。人々の辟易と、既存の王達が抱いていた放逐への恐怖──今の秩序は、妥協
によって生まれたのです」
 イセルナは、その表情を一つ変えず黙っていた。
 ブルートも、淡青の輝きを纏いながら佇んでいる。
「私は……怖くて堪りません。また、繰り返されるのではないか? 対立する者同士が平等
に権力に登ることで、また争いが表面化するのではないか? 私はもう、慕う人々を失いた
くないのに……」
 俯いた前髪と黒縁眼鏡で、ふいっとその表情が隠れた。
 決して恵まれていない体格が、身体の線が震える。侍従らも言葉なく表情を曇らせる。
「──イヨさん」
 だが、それでもイセルナはそっとそんなイヨの手を優しく取っていた。
 ブルートが肩から飛び立ち、物音静かに机の上、彼女の横に着地し二人で囲む格好。イセ
ルナはそっと、何度も彼女の握られた手を擦ってから、言う。
「貴女は、考えたことはありますか? 何故シノさんが内乱の後、当時“敵”側だった人々
全てを赦してまで家臣団に加えたのか」
「……?」
 ゆっくりと、イヨが顔を上げた。その表情は何処となくきょとんとしている。
「分け隔てない慈愛? 人材が足りなかったから? それもあるとは思うけど……私はきっ
とそれが彼女の“覚悟”だと思っているんです」
 思考を先回りされたのだろう。イヨが浮かべた疑問符が殊更大きくなった。
 つまり彼女は、理由が陛下の博愛主義だけではないと言いたいと……。
「キサラギ副隊長もそう。特に武人。普通に考えれば、一度は刃を向けていた相手を懐に抱
え直すなんてリスク無視も甚だしいですよね? だけど彼女はそれを実行した。もしかして
それは“いざとなれば斬られてもいい”と暗に示しているからじゃないかしら?」
「……っ!?」
 イヨの、侍従達の目が、大きく円くなっていた。
 斬られてもいい覚悟。それはつまり、自分が先程語ったような“生贄”的な王と被りはし
ないだろうか。
 切れる女性(ひと)──。戴冠式で彼女が呟いていたのは、そういう理解だったのだ。
「……シノさんは強い人だと思います。あんなに苦労しても、敵を憎むことをしなかった。
それは単なる優しさだけじゃなくて意志の強さ、覚悟だと思います。だから……一緒に支え
ましょう? 私達の戦いは、その為の闘いなんですから」
「……。はいっ」
 ずれた眼鏡の隙間から指先を挿れ、イヨは自ずと湧いてくる涙を拭っていた。
 大舞台(サミット)は近い。
 結束を──強めなければ。

 宿舎の廊下を一人歩く。
 この日もリカルドは、かの“結社”に喧嘩を吹っかけた冒険者クラン・ブルートバードに
紛れて活動していた。黒の法衣に胸元の三柱円架、初夏の日差しであってもそのいでたちに
揺らぎは見せない。
 階段を下り、踊り場を旋回してまた下へ。
 サミットが近い。宿舎のあちこちで団員達が現地への出発準備に追われていた。
 多くは持ち込む武器・弾薬、或いは食料の類。警護の為に随行できるメンバーが限られて
いるのと同じく、大都(げんち)へ入る物資全てにも種々の制約が掛けられている。
「……」
 言うまでもなく大人の事情(あたりまえのこと)だが、正直可笑しいものだと思う。
 そこまで怯えて、警戒心を撒き散らしてまで、尚も奴らを“敵”としようとする。
 十中八九、それは泥沼以外の何物でもなかろうに……。
 一体こうまで拗れに拗れ、今に至るのは……誰の所為なのだろう?
(ちょっ。お、押すなって)
(何まごついてんだよ。早い内に謝っとけって)
 物資を詰めたダンボール箱を運び出す作業と出くわした。
 部屋──物置を往復する団員らの中に、ミアが交じっていた。更にそんな彼女の様子を窺
うように、近くの物陰にダンとグノーシュが身を潜めていることに気付く。
(ほら、行って来い!)
 遠巻きに目を遣っていると、そうグノーシュが、どんっとダンの背中を押していた。
 おい待て──。
 だが漏らす声とは裏腹にその身体は物陰から弾き出され、程なくして彼はちらと振り向い
てきた娘と相対する格好になる。
「……あ~、その……」
 物陰でグノーシュがジェスチャーで声援を送っている。
 作業の手を止めじっと見上げてくるミアに、ダンは暫しぽりぽりとばつが悪そうに頬を掻
いてから──すまなかった、と頭を下げていた。
 遠巻きで、その後のやり取りを全部聞いていた訳ではない。
 だが特に怒り返されているようでもないことから、和解は成功したようだ。
(……呑気なもんだな)
 しかし、眺めていた当のリカルドはそんな父娘(おやこ)を少なからず冷めた眼で見遣る
と、そのままさっさと最寄の階段を下りていく。

 宿舎の階段を下り切り、そのまま運動場(グラウンド)を突っ切って裏門へ。
 昼下がり──を更に過ぎて少しずつ夕方に近付いていくアウルベルツの街並みは、この時
間であっても尚、多くの往来が行き交っていた。
 人ごみの中を黙して往く。
 当たり前だが、どれだけテロの脅威があろうとも世界が諍いの博覧会でも、個々の庶民に
はそれらは「遠い」事実である。
 実感できた時には大抵もう遅い。余波が到達した時には事実は既により先へと進行し、彼
らはただ痛手に悲鳴を上げ、翻弄される他ない。……それでも、彼らはその影をそうそう直
視せんとすることはない。
『──』
 そんな中、ふと雑踏の方から聞き覚えのある少女の声がした。
 今歩く通りから別の区画に延びる路地の向こう、商店の並ぶ一角にレナがいたのだ。
 加えてその傍らには眞法族(ウィザード)──魔人(メア)の少女・ステラとクレア、そ
して彼女達を見守るようにしてシフォンと何人かの団員がいる。
 主に彼らが食材を詰めた紙袋を抱え、彼女達が商人と話していることから、すぐに今夜開
かれるアルス皇子達のパーティー、その買出しなのだろうと分かった。
 そういえば……学院は今日で前期日程が終わりだったか。
 要するに打ち上げ。余所の店でやるよりはよほど安全圏だということなのだろう。
「……」
 平和ボケ。或いは嵐の前の静けさ。
 批判したところでどうなるものではないと分かってはいるが、こうした人々のまどろむよ
うな日常を眺めていると、自分は妙に苛立つ瞬間がままある。
 統務院総会(サミット)という一大イベント──に迫る影に神経を尖らせている故か、或
いはそもそも本山から下されている間諜の任それ自体にか。
 表向きの社交の顔とは乖離した、自身の粗野な本性。
 元は家督を継ぐ気もない不良だったのだから当然といえば当然なのだが、時折この個人的
な怒りが世界の発する憎悪(それ)と重なってみえて仕方がない。いつこの沸々とした衝動
が表に噴き出すか──。その漠然とした不安が更に不機嫌を加速させる。
(……はん。これじゃあどっちもどっちだな)
 リカルドはそっと、だがぎゅっと深く眉を顰めた。
 人を呑む込む、巻き添えの連鎖は、常に自分達の傍に在る。

『──そうですか。彼らも、サミットの準備を始めましたか』
「はい。現地でトナンの代表団と合流する手筈になっています」
 その足で、史の騎士団としての活動拠点にしている教会へ。
 リカルドは隊の部下達と共に、魔導の光球の向こうに座すエイテル教皇らにそう一連の報
告をしていた。
 さて……これで一体何度目の定期報告になるか。
 彼女よりブルートバート──兄達との共闘を命じられて以降、こうして自分はその中で得
た情報を教団本部へと伝えている。
 だが彼女達は彼女達でサミット開催の旨は把握していたし、先方からも外交文書が送られ
ていたのだそうだ。形式上、政治的には中立の立場を取っていても、やはりこの教団という
存在は統務院にとって無視できない相手らしい。
『しかし心配だな……。自分達を排する為の会議となれば、結社(れんちゅう)も黙っては
おらんだろうに』
『それよりも、ジーク皇子です。神官騎士リカルド、まだ彼の居場所は分かっていないので
すか? まさかブルートバードが隠蔽している、という可能性は……』
「全く無いとは言い切れませんが、可能性は低いかと。向こうも承知の上とはいえ、我々は
随時彼らクランの動向を観察しています。もし居場所が見つかっていれば、中核メンバーの
一人や二人が遠出する筈です。しかしそのような事実はない」
『では……彼らをしても、ジーク皇子の居場所を掴めていない、と?』
「はい」
 しかし枢機卿らの目下の心配は、護皇六華──ジーク皇子の行方だった。
 一行はヴァルドーに渡り、その後拾った機人を修復する為に鋼都(ロレイラン)へ。更に
その修復材料を賄う為に出掛けた──情報はそこで途切れている。
 リカルドはめいめいに推測を漏らす枢機卿らに、そう言い切った。
 一番の判断材料は、戴冠式への欠席だ。
 表向きには父親捜しの旅の最中で都合がつかなかったとされているが、本当は単純に連絡
がつかずじまいだったからではないかと踏んでいる。
『……ヴァルドーで何かあったと考えるのが現実的ですかな』
『ええ。しかし参りましたな。よりにもよってあの破天王の掌の上とは……』
『ですが“不明”を押し通せるのも時間の問題でしょう。私達と同様、皇子の消息不明は他
国も察知し始めている筈。サミットの場となれば追求される可能性は大きいでしょうから』
 ぴしゃんと、彼らのざわつきを収めるようにエイテルの発言が被さった。
 すると私語を止め、恭しく控え直す枢機卿達。
 だがリカルドだけは、そう“お行儀よく”いくものだろうかと内心で疑っていた。
 相手はあの西方の盟主──型破りで知られるファルケン王だ。
 ジーク皇子の消息を掴んでいるにしても、知っていないにしても、素直に白状するとは考
え難い。何かしら政局に、サミットでの手札(カード)に使ってきそうなものだが……。
「……我々は、如何致しましょうか? 警戒されているからか、随行メンバーからは外され
てしまっていますし……」
 しかしそういった思案は自分の仕事ではない。
 リカルドは真面目ぶった表情(かお)だけはそのままに、今度はそうエイテルに指示を仰
いでみていた。内心では兄が“監視”するような編成になっていることへの不満もある。
『……。貴方も薄々気付いてはいるのでしょう? 今回“結社”が襲撃を掛けてくることを
前提にクラン・ブルートバードが動いている、その理由を』
 そっと組まれた、肘掛けに置いた両手。
 彼女は小さく呟きながら、そう亜麻色の長髪と白翼を微かに揺らす。
『今回のサミットが、トナン内乱の戦後処理と一連の流れを受けた“結社”対策の為の会議
になる──そのことへの報復だけが結社(かれら)の目的ではないでしょう。サミットが開
かれる大都(バベルロート)は志士十二聖の長“英雄ハルヴェート”ゆかりの土地。加えて
そこに世界各国の代表が集まるのです。トナンの一件で明らかになったように、彼らの目的
は聖浄器。その少なからずである王器の主が一堂に会するとなれば、彼らにとってこれほど
“一網打尽”を狙える好機はない筈です』
 そしてエイテルが紡いだ言葉に、枢機卿達の表情が一斉に曇った。リカルド以下、騎士団
の面々も「やはり」といった様子で表情を硬くする。
『……既に教団からも、外交ルートで各国に親書を送っています。結社(かれら)の狙いが
聖浄器である以上、貴国の王器への守護体勢を強化すべきだと』
 リカルドは密かに、口元の僅かな弧の部分で笑っていた。
 余計なお世話以外の何物でもない。
 だが……そこで明確に反発をみせれば、自国に聖浄器の王器が在るとわざわざ名乗り出る
ようなものだ。
 即ちその親書が、各地の聖浄器──アーティファクトの存在を自分達が把握する為の格好
バロメーターになる。
 相変わらず……喰えない教皇様だ。実際、どれほど釣られるかまでは分からないが。
『重ねて命じます。レノヴィン兄弟とクラン・ブルートバート、及びその協力者達と共に闘
いなさい。傷付けられる人々を少しでも救いなさい。そして何よりサミットの間“結社”が
何をし、何をしなかったかを正確に収集しなさい。それらはきっと、私達が知るべき真実を
読み取る手掛かりになる筈です』
「……。仰せのままに」
 片手を胸元に。片膝をついて頭を垂れて。
 リカルドと隊の面々は、彼女の命をそう厳かに拝承していたのだった。


「ここです。ここが僕の下宿先──“蒼染の鳥(ブルートバード)”です」
 日も落ちた頃、一旦出掛けていたアルス達が戻って来た。言わずもがな、今夜の打ち上げ
パーティの為である。
 呼んだ方が待つというのは筋じゃない、というアルスの弁で、一旦アルス達は繁華街前で
待ち合わせた今夜のメンバー達を迎えに行っていたのだった。
 真っ直ぐにホームへ。
 微笑を向けるアルスの傍らで、ランタンを手にしたリンファと中空で淡翠の輝きを散らす
エトナが灯りとなっていた。ルイスにフィデロ、そしてシンシアを始めとした今宵の面々は
そんな三人に導かれながら軒先へと辿り着く。
「……ここが、レノヴィンさんの」
「き、緊張するわね……」
「なぁに、気にすることはねぇよ。冒険者クランがやってる酒場ってだけだ。話は通してあ
るんだからそんな怖がらなくても大丈夫だぜ」
「いや……。そっちの心配じゃないだろう」
 流石に、フィデロとルイスが呼んだ同級生(友人)とはいえ、一国の皇子が仮住まいとす
る場所へやって来たことに彼らは緊張しているようだった。
 そんな面々に、フィデロは笑ってみせる。
 だがその間違いなく的外れな励ましを、すぐさまルイスがさらりとツッコミを──呆れ顔
でフォローをしている。
「まぁまぁ。フィデロの言ってることは間違ってないし。皆いい人達だよ? そりゃあ職業
柄ちょっと強面なのもいるけど、今まで色々な苦楽を共にしてきた仲間だからね」
 中空で、エトナがにぱっと皆にそう笑い掛けた。
 皇子と会食というだけで緊張し、下宿先が冒険者クラン──世間で云う所の「荒くれ」故
に不安になり、加えて持ち霊という物珍しさが余計に心臓の鼓動を速くするような……。
「ああ。さて立ち話も何だ、入ってくれ」
「そうですね。ささ、皆さんどうぞ~」
 お邪魔しま~す……。
 リンファと何より当のアルスに促され、一行は酒場のドアを潜った。
 夜独特の静けさの中で響くカウベルの音。二十人弱のメンバーは、次の瞬間それまでとは
別な意味で目を丸くすることになる。
「お? 来たな」
「こんばんは。アルスの同級生達」
「お先にやってるぜー」
 酒場内では既に団員達が晩酌と洒落込んでいた。
 それ自体はいつもの事なのだが、今夜は仲間が──アルスが友人・知人を連れてくると聞
き及んでいる所為なのか、何処となくいつもよりも“出来上がっている”気がする。
「ありゃりゃ。もう赤くなってやんの」
「……まぁ仕方ないさ。私達は私達で楽しめばいい」
「そうッスね。ほら、あっちのテーブル席」
 エトナとリンファがそれぞれに嘆息をつく中で、アルス達は大きなテーブル二つ分を合わ
せてある席へと移動した。
 リンファに促され、上座にアルス、その隣にルイスとフィデロ。そこから順繰りに面々が
ぐるりと楕円を作るように席に着いていく。
「……隣に、座れませんでしたわ……」
「まぁお嬢は間接的に呼ばれたクチですからねぇ」
「ふはは。では、私達はクランの皆々と一杯やっておきまする。後ほどに」
「エトゥルリーナよ。我と飲み比べをせんか?」
「へっ? いや、精霊(わたしたち)はそもそも飲み食いの必よ──」
 密かに、シンシアが中程の席順になってぼそぼそと愚痴っていた。
 それでも、やはりというべきか例の如く、従者二人はにやにやと笑みを返してそのまま団
員らの飲みに合流していき、持ち霊(カルヴァーキス)に至っては中空でエトナに絡み始め
ている。
「はーい、お待たせー」
「料理の用意、できてますよ」
 そうしてお冷を口にし始めて程なく、エプロン姿のクレアとレナが料理を運んできた。
 昼間に買出しをした分を加えての、ご馳走が沢山。二人が何度か厨房とテーブルを往復し
ていく中で、アルス達の目の前はにわかに豪華さを放ち出していく。
(そういえばステラさんは……? あ……)
 喜色と声を漏らす面々。その中でアルスはふと、レナといつも一緒である筈のステラの姿
が見えないことに気付いていた。
 シフォンさんの一件以来、閉じ篭りから抜け出せたって聞いてたんだけど……。
 そう思って視線を厨房の中に向けると、いた。ハロルドや他の料理当番の団員達に交じっ
て洗い物をしている姿を見つけたのだった。
(……流石に、クランの皆以外の人といきなりは怖いのかな……?)
 魔人(メア)であることの苦しみは、周囲がつい忘れそうになっしまっても、今も尚彼女
を捉えたままであるらしい。
「その、ありがとうございます」
「いえいえ。皆さんのお口に合うといいんですけど」
「じゃあ、ごゆっくり~♪」
 束の間の、ふっと過ぎる暗い思い。
 だがアルスはそれを内心意識的に頭を振るように追い出すと、努めてレナらに微笑んだ。
 ひょいっと踵を返し、盆を両手に戻っていく二人。
 面子の何人かが、団員の何人かが遠巻きに惚けていたような気がするが、それも次の瞬間
フィデロが人数分のグラスに酎ハイを注いで配り始めたことでうやむやになる。
「んじゃ、早速始めようぜ」
「前期日程終了お疲れさま。今夜は存分に楽しんでくれ。これからの僕達に、そしてこの場
所を提供してくださったブルートバードの皆さんの厚意に」
『乾杯ーっ!』
 そして、フィデロとルイスの音頭を合図に打ち上げは始まった。
 互いにグラスを合わせては鳴らす。アルスにとっては、二人とシンシア以外はほぼ初対面
に等しかったが、それでもアルスは不思議と笑えていた。最初こそ緊張していた彼らも、同
じく場の空気に染まるように打ち解け、笑顔を零し始める。
 皆よく飲み、よく食べた。
 内心飲まれないか心配ではあったが、そこはアカデミーの学生──少なくとも成人の義を
済ませた面子だ。顔が赤くなったりする者こそいたが、潰れて奇行に走るというようなこと
にはならずに済んだ。
「──珍しい」
 と、何気なく視線を遣った向かい隅のテーブル席に、一人ダンがいた。
 ミアがそう言いながら近づくように、確かに酒豪である筈の彼は、何故か今夜は一人ちび
ちびと控えめに飲んでいるように見える。
「……流石に昼間ああだと気分じゃねぇよ。そこまで面は厚くねぇつもりだ」
「……らしくない。お父さんは謝ってくれた。ボクも謝った。それでもうお相子じゃない」
 これもまた珍しい。言いながら、ミアがそう父に酌をしていたのだ。
「ボク、レナ達とこっちで留守番する」
「え。いいのか? お前一人くらいなら何とか──」
「分かってないな……それを言い始めたら繰り返し。……もういいの。アルスやジーク、皆
の帰る場所を守ることだって、同じ戦い(りっぱなしごと)」
「……。すまねぇな」
 学院から帰ってきた時、昼間喧嘩をしていたんだと又聞きをしたのだが……あの様子を見
る限り、どうやら仲直りは既に済んでいるらしい。
(よく分からないけど、よかった……)
 アルスは遠巻きにそんな父娘の静かな晩酌を見遣りつつ、そっと優しく目を細めた。
 そんな彼を、厨房から照れたように頬をほんのり染めたレナ達が見遣っていたのだが、当
の本人は結局気付かないままだった。
「んぐ……。そういやアルス、あれから公務の予定、どれくらい固まった?」
「えっ? あ~……」
 そんな折だった。肉を頬張りながらのフィデロのそんな問いに、アルスは曖昧に笑うしか
できなかった。
 清峰の町(エバンス)──フィデロとルイスの故郷だ。
 以前から、自分は夏休みに一度、この彼らの郷里に遊びに行く約束をしている。
「……」
 ちらと隣席で一人飲むリンファと目配せをした。
 返って来たのは、やはり小さな「否」。やはり案件が案件だけに、サミットの情報は友人
とはいえ漏らす訳にはいかない。
「えっと、近々一つ遠出があるかな……? だから夏休みに入ってすぐには難しいと思う」
「そっかー。ちなみにそれって、何の公務?」
「フィデロ」「フィスター」
 しかしそんな事情と配慮を知る由もないフィデロは、実にあっさりと追求してきた。
 内心ビクリと身体が強張る。だがそんな友を止めてくれたのは、他でもないルイスとシン
シアであった。
「……今は堅苦しい話は止めよう。何の為のパーティだい?」
「そうですわよ。大体、口に物を詰め込みながら訊くなんて……」
 最初こそ場の面々はにわかに緊張していたようだったが、そんな二人の、皮肉が混じった
言い回しに、一人また二人とクスッと笑い出す。
「そうだなー。はは、悪ぃ悪ぃ」
 何よりフィデロ本人があまり勘繰らなかったのが幸いした。
 再び飲食と談笑に戻っていく彼に、アルスとエトナ、そしてリンファは内心ほっとした。
 ちらと二人を見てみる。あまり表情(かお)にこそ出さなかったものの、共に気にするな
と言ってくれているように思えた。
(……もしかして)
 シンシアは貴族令嬢だから、セドの娘だから当然として、ルイスも気付いている……?
「アルス」
「ん?」
「都合がついたら連絡くれよな。帰って来たらこれでもかってくらい楽しませてやっから」
「……。うんっ」
 それでも、フィデロがふと向けてくれた明るい笑みに、アルスは笑い返していた。
 身分は身分として、厳然と存在する。だがそんなしがらみを気にせず接してくれるこの友
を、アルスは心の底からありがたいと思う。
「……」
 だが、同時に気付いてもいた。
 そんな一方、自分にとって最早こうした瞬間が“貴重な日常”になりつつあることも。

「──もっと灯りを焚けー! 少しでも早く見つけるんだっ!」
 時を前後して、ヴァルドー王国フォーザリア鉱山──跡地。
 “結社”の策略により坑道全域が爆破された敷地内は、今や空高く積み上がった岩瓦礫の
山と化していた。
 王都からの救助部隊も到着し、生き残った現地の工員・兵士達らによって連日夜通しで続
けられる捜索活動。
 現場に飛び交うのは焦りと悔しさ、何より“結社”への憤りが織り交ざった怒号だった。
 辺りが夜闇の中に沈んでも、ありったけの灯りを焚いて続けられる作業。
 持ち込まれた重機で岩を一つ一つ運び、そこから更に手作業で人々が生き埋めになった者
達の姿を探し求める。
 ……既に百人単位の犠牲者が確認されていた。
 最初は何者か──十中八九“結社”によって惨殺された鉱夫や傭兵達の亡骸。更にその後
は、瓦礫の下から散発的に見るも無惨な鉱夫だったモノが見つかっては、嗚咽や血生臭さと
共に運び出されていく。
「ジーク君、リュカさん、サフレ君、マルタちゃん……」
 その夜も、レジーナとエリウッドは遠巻きにそんな捜索活動を見守っていた。快活だった
筈彼女の身体が激しく、後悔や不安、絶望によって震えている。
 エリウッドは何度も「大丈夫」と小さく呟き、支えていた。時には上着を被せてやり、彼
女の肩をじっと抱き寄せている。
「皆ー、ちょっと来てくれー!!」
 ちょうどそんな時だった。はたと、それまでにないほどの大きな声で作業員の一人が皆を
呼んだのである。
 レジーナら外野の面々も一緒に、そこへと駆け寄った。
 幾つもの灯りが引き寄せられ、眩しさが過ぎるほどにその場を照らしている。
「……。これは……?」
 ぽつり。
 そう、誰もがこの時、瓦礫の下からものに目を丸くし、立ち尽くしていたのである。
「ジーク、君……?」
 レジーナが、戸惑いを隠せずに呟く。
 それは石像だった。
 ジーク、リュカ、サフレ、マルタ。
 それは本物そっくりに苦悶し倒れ込んだ姿の、四人分の石像だった。

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  1. 2013/07/15(月) 18:00:00|
  2. ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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