日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)死に損いのデッドレス〔5〕

 ロッチの加勢が、商会(ヒュー)の意思じゃない……?
『あいつなら暇(いとま)を取っている最中ですが。デトさんとエリスちゃんがこっちを出
て二・三日ぐらいでしたかねぇ。“身内に不幸が出たので数日暇を頂きたい”と言ってきた
ので、それで──』
 通信機を耳に当てたまま、デトはヒューゼが口にしたその事実に身を硬直させていた。
 小首を傾げるような口ぶりからして、友は本当に知らなかったようだ。
 最初打ち明けるか迷ったが、先程からの嫌な予感に従って、これまでの経過──サヴル隊
と共にロッチが商会の代表として合流・同行していたことを伝える。
『ロッチが……そちらに? どういうことです? ズル休み、という訳ではないですよね』
「……ああ。正直認めたくはないが、どうやら俺達はまんまと嵌められたらしい」
 眉を顰めるヒューゼの顔が想像できるかのようだった。
 返ってくる声色、その少なからずは戸惑いの色。彼もお人好しではあるが、豪商の一人と
して頭は切れる。こちらが何を言いたいのか、考えているか、長年の付き合いもあって既に
察し始めているらしい。
「は、嵌められたって……」「どういう事です?」
「つまり、ロッチ氏は“本当の仲介役ではなかった”ということね」
「……そういうことだ」
 周りにはサヴル隊とササライ父娘及び傭兵団の面々、リノン一派に商会からの助っ人達が
ぐるりとデトを取り囲んでいた。
 口々に漏れる怪訝と不安。
 その中で口元に手を当てて目を細めていたリノンが呟くと、デトは皆がこれまでになく動
揺するのを横目に見ながら首肯する。
 始めから偽るつもりだったのだ。
 ロッチはヒューゼに嘘の忌引きを申告して一旦商会から距離を取り、その上でサヴルらを
騙し、自分達と合流した。
 そこには間違いなく、何か目的がある筈だ。
 ……それも綿密かつ執拗な、大きな企みの類という名の。
「言われてみれば、俺たちロッチさんが実際に商会と連絡を取ってるの見てないな……」
「じゃ、じゃあ今までの手筈はどうなってんだ? 事実こうして傭兵達が援軍に来てくれて
るんだぜ?」
「そこはどうともなる。ロッチは商会内でも地位が高いからな。大方、金を掴ませて代理の
使いを囲っておいたんだろう」
『ええ……。確かに今回の件でロッチ自身から連絡が来たことはありませんでした』
 デトの推測はヒューゼによって確信に変わり、一同のロッチに対する心証は急速に白から
灰に、灰から黒へと変わっていく。
「ロッチは──あいつは、裏切り者だったんだ」
 そもそも、とデトは苦々しい面持ちで語る。 
 先ずもって聖教国(エクナート)と帝国(ガイウォン)の両国が同時期に自分の旅立ちを
知ったという点が妙だと思っていたのだ。
 最初はエル・レイリーでの一悶着が予想以上に尾を引いたのかと思ったが、違う。
 おそらく密告されていたのだろう。そう、ロッチに。
 複数の大国に情報をリークしたのは大方互いを競争させつつ、自分をより効果的に追い詰
めていく為。そしてそんな状況を作った上で味方を装って合流し、彼らと鉢合わせになるよ
うに誘導する。
 思えばトーア連峰に進路を移したのも彼の発案だ。となれば、あの時の賞金稼ぎ達は同じ
く彼の用意した刺客なのだろう。……背後を、エリスを狙えば虚を突けるとあたかも知って
いたようなあの伏兵も、十中八九奴の入れ知恵だと考えていい。
「卑劣な……。紳士のような佇まいは偽りだったのですね」
「……しかしデト殿。そうなると」
「ああ」
 生真面目な性格もあるのだろう、語られる推論にアヤがあからさまな嫌悪感で拳をぎゅっ
と握り締めていた。
 少なからず似た思いを抱く、旅の中で出会った仲間達。
 その一方で、父(カミナ)の方はあくまで冷静だった。エリス云々の件が出た辺りから眉
間に深い皺を刻み始め、まるで確認するかのようにデトに語りかける。
「嵌められたんだ。俺達は、ここで殆ど意味の薄れた戦いをやってたんだよ」
 ざわざわと、面々の動揺は最高潮に達しようとしていた。
 無駄な戦い──そう他ならぬ彼が言ってしまうほどの、そもそもの理由。そこに思い至っ
た者達は次々と戦慄した。
 デトが静かに悪寒で震えている。それをリノンがそっと、肩を取って宥めている。
「身柄を確保しないとはっきりとは言えないけれど……ロッチ氏の目的がもしデト君、貴方
だとすれば、エリスちゃんは」
「……」
 彼女の手をそっと除けて、デトはゆっくりと立ち上がった。
 通信機を商会の傭兵に返し、半壊した古城、その遥か山向こうを仰ぎながら、彼は搾り出
すような声で呟いていた。
「──エリスが、危ない」


 Phase-5.この胸奥に想い出を

 幼い頃から、私はおばあちゃんやお母さんに、折に触れてはおじいちゃんの昔話を聞かせ
て貰っていました。
 名前はイアン・アラカルド。レイリアの首都、エル・レイリーの下町に暮らすちょっぴり
荒っぽい人。だけど……おばあちゃんの言葉を借りれば、本当は誰よりも優しくって、でも
それを表に出すのが恥ずかしい不器用な人。
 元々おばあちゃんは、レイリアのとある中級貴族のお嬢様だったそうです。
 でも、色んな意味でおばあちゃんは貴族という枠の中に収まらない人でした。
 確かその切欠だと言った話は、おばあちゃんがまだ学徒になる少し前。それまでと同じく
お屋敷暮らしをしていた頃のことでした。
 貴族の令嬢として、何の不便もない生活。
 だけどおばあちゃんは知ってしまったのです。
 ハウラン家──だけでなく、少なからぬ貴族が持たざる人達を買い上げ、使用人──もと
い奴隷としてこき使っているという事実に。
 もし彼女が“普通”の貴族だったら、それも持てる者の特権、と考えて特に疑問を持たな
かったのかもしれません。或いは持つことすらタブーだったのかもしれません。
 でも……若かりし頃のおばあちゃんは、その歪みに立ち向かうことを選びました。
 社会学、というそうです。
 成長し学徒となったおばあちゃんは、机の上の資料だけでは満足できず、外へと飛び出し
ていきました。ふぃーるどわーく、と呼ばれる方法だそうです。
 おばあちゃんは、華やかな都の中心地から自分の意思で下町へと、住宅街から貧民街へと
踏み入れる足をどんどん広げていきました。
 そして目に映る光景に、当時のおばあちゃんは酷くショックを受けました。
 まるで生活のレベルが違う。教育のレベルが違う。何よりも……人々が抱く心根が違う。
 怨嗟でした。庶民──持たざる者は日々の生計の為にあくせくとし、それでも一向によく
ならない世の中に、まるで呼吸をするように恨み節を吐いては哂い合っていました。
 それは即ち、持つ者たる自分たち貴族、共和国中枢への憎しみと同じでした。
『こんなことじゃ駄目だって、思ったんだよ。お互いが全然違うところを見てる。金持ちは
お上の顔色や金儲けのことばかり。庶民や──もっと貧しい人達は、醜く霞んだあたし達の
顔や足元を見ていて、そこに憎しみをぶつけて、引っ張って。そうして憂さ晴らしをしつつ
やっぱり金儲けをするしかない。持つ者のように、その殆どが報われないとしても。そんな
セカイなんて……おかしいと思わないかい?』
 だからおばあちゃんのフィールドワークは、どんどん「下」へ「下」へとのめり込んで。
 どれだけ元いた場所──家族や貴族社会に白い目で見られても、よく知り、その豊かさの
為に何ができるかを模索しようとする持たざる者(ほんにんたち)から「貴族の気まぐれ」
などと哂われ恨まれ、実際に危ない目に遭おうとも。……おばあちゃんは、たった一人でも
試行錯誤と闘いを続けていたのです。
 でも──そんな中で出会うことができた。
 そう、おじいちゃん。イアン・アラカルドその人です。
 おじいちゃんはスラム地域のゴロツキさんでした。そもそもの二人の出会いというのも、
その日も下町に降りていたおばあちゃんが、運悪く鬱憤を溜め込んでいた他のゴロツキさん
達に絡まれていたのを助け・助けられたのが切欠だったそうです。
『でもねぇ……。確かあの時は、あたしは“余計なことをしないで”ってあの人に言っちゃ
ったのよ。まだあの頃は、若さに任せて何でも自分でやってやるっていう気概が頭をもたげ
ていたからねぇ。……でも今思えば、それがあたしとあの人を引き合わせてくれたのかもし
れない』
 気付けば、おじいちゃんは折につけてスラムへ足を運んでくるおばあちゃんの案内役を務
めるようになったそうです。
 おじいちゃん曰く、危なっかしくって放っておけない。
 実際、金持ちのお嬢さんならそれらしく屋敷でぬくぬくしてろといったことは何度も言わ
れたそうです。
 でもおばあちゃんの負けん気の強さは当時からそのままで、その度に喧嘩になっては気ま
ずくなり、でもふと気付けばまた近過ぎず遠い訳でもない、いつもの二人に戻っていたのだ
とおばあちゃんは笑っていました。
 だからでしょうか。おばあちゃんはある日、ついにおじいちゃん(とそれまでの中で知り
合ったスラムのゴロツキ仲間達)に自分の理由を語ったそうです。
 貴族だの庶民だの関係ない。ただ自分は、もっともっとたくさんの人々が当たり前に幸せ
を噛み締められる世界を作りたいんだと……そんな夢を。
 それが、また一つ転機になりました。
 金持ちの道楽などではない。本気で今を生きようとしている、君は素晴らしい。
 おばあちゃんは、おじいちゃん以下スラムの住人達に認められ、その仲間(とも)として
迎え入れられることになりました。
 そして友情を、絆を育んでいく中で……やがておばあちゃんとおじいちゃんは恋人同士に
もなりました。それまで使命感で凝り固まっていた自分が、素直に今を幸せと感じられるよ
うになった──そう言っておばあちゃんはにっこりと笑っていました。
 与えるのではなく、与えられた。
 だからこそ、おばあちゃんは心を入れ替えてスラムの人々に尽くしたそうです。
 決して高給とはいえないけれど、おじいちゃん達の仕事のあてを探してあげたり、学徒の
知識を活かして、乱れて久しい街の治安改善に貢献したり。
 ……だけど、そんな「幸せ」は長く続きませんでした。
 ある日、おじいちゃん達がいつものように仕事に出掛けたまま、行方知れずになってしま
ったのです。
 他の仲間達と一緒に、勿論おばあちゃんは必死になっておじいちゃん達を捜しました。
 なのに目ぼしい手掛かりはなくて。駄目元で警備隊にも届けを出しましたが、ゴロツキの
レッテルを貼られたおじいちゃん達を、彼らは真面目に捜してはくれなかったそうです。
 登り切った坂を転げ落ちるように、更に受難は続きます。
 とうとう、おばあちゃんは実家からスラムへの出入り禁止を厳命されてしまったのです。
 以前から“下々”と関わることに、両親──会ったことはないけど、私からすれば曾おじ
いちゃんと曾おばあちゃん──以下周囲の人々はいい顔をしてなかったそうです。それを、
おじいちゃんの失踪を梃子にし一気に攻勢を掛けたということなのでしょう。
 でも、おばあちゃんはその命令に従いませんでした。
 これまで積み上げてきた信頼と想いを無駄にする訳にはいかない。したくない。
 何よりも……この時既に、おばあちゃんのお腹の中にはおじいちゃんとの間にもうけた新
しい生命が宿っていたのです。のちのお母さん──イリス・ハウランです。
 その事実を知って、両親は激怒したといいます。
『おろせ。さもなくばお前とは親子の縁を切る』
 それでも、おばあちゃんは産むことを決めました。説得・憤怒には応じませんでした。
 そして言葉通り実家からは追放され、その後レイリアを離れたおばあちゃんは、お母さん
を女で一つで育てながらトーアの領主達の間を官吏として渡り歩いたそうです。
 あの人は必ず戻ってくる。
 そう、何度かプレゼントされた品の一つ、おじいちゃんや仲間達と一緒に撮った写真を収
めたロケットを大切に大切に持ち歩き、ずっとずっとその帰りを待ちながら──。

「着いたよ、エリスちゃん。皆さん」
 輝術の力に包まれたのは一瞬、だけど脳裏を胸奥を駆け巡った記憶はとても永く。
 《転移》が完了したとの呼び掛けを受け、エリスは閉じていた瞼をゆっくりと開いた。 
「……ここが」
「ハンクルス村、か」
 目の前、すぐ向こうにはエリスにとって見慣れた風景が広がっていた。
 緩やかな勾配の緑の中にある、点在した家屋。牧歌的な景色。もっとも到着した今は陽が
すっかり落ちてしまって、村は幾つかの篝火を除いてしんと静まり返っていたのだが。
「──エリス!」
 そうしていると、村の方から駆け寄ってくる人影達があった。
 これもよく知っている。母・イリス達だ。
 村の中から、村の中へと両者は駆け出して合流、はしっと抱き合っていた。
 温かい。トクトクと安堵という名の色彩が夜闇に溶けかけた自分を迎え入れてくるかのよ
うな。エリスは一行を背後にしたまま、暫し両親や村の人々と久方ぶりの再会に浸る。
「おかえり、エリス。待っていたわ」
「嗚呼、無事でよかった……。アンバー先生も、ありがとうございます」
 エリスと同じ淡い金髪の、ミドルのポニーテールを揺らしてイリスは少し泣きそうになり
ながら何度も何度も愛娘を抱きしめていた。
 隣ではその夫、エリスの父・ロレンスが何処となく気弱なその顔立ちで、先の《転移》の
主であるハンクルス村在住の医師・アンバーに礼を言っている。
「いえいえ。僕も安心しました」
 白衣のポケットに片手を突っ込んで、もう片方の手に嵌められた腕輪型の術具を月明かり
に反射させながら。アンバー医師もフッと笑い、眼鏡の奥の瞳を優しいものにしていた。
「いやー、これでようやく一安心だな」
「ああ。エリスちゃんがイアンさんを捜しに行くって言った時は、一時はどーなる事かと」
「で……そっちの如何にもな傭兵さん達は?」
「あ、はい。その、向こうで色々あって……。こっちに戻るまでに護衛をしてくれたシキブ
の傭兵さん達です」
 おおっ。
 イリスやロレンス、出迎えた村の人々が少なからず驚いていた。
 よりにもよってあの武勇の民族とは。異国の装束ということもあり、彼らは護衛役のササ
ライ傭兵団のメンバー達をまじまじと眺めている。
「……さて。立ち話もなんだ。そろそろ中に入ろう。お義母さんも待ってる」
「う、うん……」
 やがてロレンスの一言で、エリスは傭兵達を連れて故郷への帰還を果たしてゆく。
 しかしエリスの内心は、奇麗さっぱりには晴れようがない。
 何よりも先ず、祖母や皆に祖父の最期、デト達との出会いといった向こうでの経緯を話さ
なければならないからだ。
 一体何処までを話せばいいのだろう? 何処を噤むべきなのだろう?
 祖父の“死”をどう説明すればいいものか。死に損い(デッドレス)──デトさん達との
出会いと幾度のピンチを全て話すのは、皆を余計に心配させはしまいか。
「キュ~……」
 でもそれは、きっと消極的な嘘で。
 エリスは自分に呼応し、不安げに鳴く肩のチコをもふもふしてやると、家の中へと引き上
げていく両親や皆の後を追って歩き出す。


「──隊長、デトさん。只今戻りました」
「おう」「おかえり。……それで、どうだった?」
 半壊した城内に、デト達は未だ居残ざるをえなかった。
 日は暮れて辺りはすっかり夜闇。その中を文字通り隠密に、周辺の偵察に出ていたサブル
隊の面々が帰って来る。
「距離はだいぶ開いています。どうやら本国に指示を仰いでいるようですね」
「ただ、向こうも警戒を続けているようです。連中の密偵もちらほらいましたし」
「だ、大丈夫なのですか? 見つかっていませんよね?」
「それならご心配なく」「ええ。ヴァンダム商会密偵衆の力を侮っては困りますよ」
 話を聞いていたアヤが問うたが、サブル隊の面々はニッと不敵に笑って答えていた。
 討伐軍──それがデト達が未だカーヴ古城に残っていた理由だった。
 商会からの、レイリア国軍を装った傭兵達によって彼らを撤退させることはできた。だが
それをすぐにイコール脅威の排除とするには些か性急である。
 実際、エクナート・トーア両軍はサヴル隊の調べにより、まだクリアナ領内に陣を張って
いるらしい。
 ユージオ(あのおとこ)が率いていた軍なのだ。
 こちらの策に嵌ったまま、のこのことエクナート本国に帰ってしまうとは思えなかった。
 もし安易に此処から離脱し、先刻打った芝居を怪しまれれば、気付かれてしまえば、これ
までに積み上げたものが一気に無駄となってしまう。そうなれば憂いの無い出発──ひいて
はエリスの身にも大きな支障となる。
(……くっ)
 ひとしきりのやり取りの後、仲間達がデトを見遣っていた。
 彼の憂いを、皆もまた共有している。本来なら一刻も早く此処を離れし、エリス達に合流
すべきなのだから。板ばさみの焦燥が、じりじりと胸奥を焼いていく心地がする。
「デト殿……」
「下手に出ては勘付かれるかもしれませんね」
「だけど、このままじっとしている訳にもいかないわ。レイリア軍──商会の傭兵さん達が
死に損い(デッドレス)をいつまで経っても連れ出さないとなれば連中も怪しむだろうし、
何より時間が過ぎるほどエリスちゃんが危ないもの」
「ああ……」
 最大の懸念は、エリスだった。
 裏切り者(ロッチ)は知っている。
 この旅のそもそもの目的。デト本人はそうだと認め話した訳ではないが、今までの交流の
中で仲間達は、彼があの娘に何か特別な感情を抱いているらしいということに薄々気付き始
めていた。
 だからこそ……ロッチは利用するだろう。
 動機は本人をとっ捕まえてみなければはっきりとはしない。だが商会に連れて来られた時
から二人の経緯を知っている彼ならば、彼女というデトの“弱み”を見逃す筈がない。
 もしかしたら、最悪彼女だけでなくハンクルスごと──。
「……ここの誰も、ハンクルスに転移できないのがもどかしいわね。せめてあの子にうちの
面子を加えていたら、折り返し戻ってきて……ということもできたかもしれないけど」
 リノンの心底悔しそうな嘆きに、デト以下一同が言葉少なく項垂れる。
 《転移》では行き先となる場所での実体験(きおく)が門を開く鍵となる。故に術の行使
が可能なのは、その場所に行ったことがある、縁のある人間に限られる。
 だからこそデトは、今回わざわざ徒歩・馬車で以って彼女を送り届けようとした訳だが。
「……言ったって仕方ねぇさ。無駄に時間は喰っちまったが、陽も沈んだ。討伐軍に見つか
るリスクが無くなった訳じゃないが、ここいらで出た方がいいだろう。早くエリス達に追い
つかねぇと取り返しの付かな──」
「ッ!? デトさん!」
 そんな時だった。
 それまでじっと、内心の焦燥に耐え続けていたデトが意を決して立ち上がり、皆に出発を
呼び掛けようとしたちょうどその時、はたとサヴルが何かに気付いて窓際に身体を這わせた
のである。
 まさか……敵襲か!?
 デト達は一斉にこれ以上ないほど緊迫し、しかし得物はしっかりと取り出して握り締め、
窓際の陰から外を覗くサヴルと同様、明かりの無い室内で息を潜めた。
 そして一同は驚きで目を丸くする。
 よくよく目を凝らしてみれば、そこには何と一人の男性が、月明かりに照らされボロボロ
に傷付きながらもこちらへ駆けて来ようとしているではないか。
 見覚えがあった。確か、彼はロッチに同行した密偵の……。
 すぐさまデトが頷くのを見て、サヴルと他の密偵達がこの同胞を受け止めるべく飛び出し
ていった。
 そんな仲間達の姿を認めて安堵したのか、彼はばたりとその場に倒れ込む。それでも周囲
に自分達の声を漏らさぬよう、サヴルはぎゅっと唇を結んだまま、皆と彼を抱え上げてやる
と急いで城内に運んだ。
「大変! すぐに治療を……!」
 急ごしらえに粗末ながらもベッドがこしらえられ、彼が寝かされた。
 リノンら術師達が早速《治癒》を掛け始める。傷は深く多くすぐに消え去ることはなかっ
たが、それでも何とか一命は取り留めることができたらしい。何度も何度も、大きく荒く呼
吸を整え皆に励まされながら、彼はようやく聞き取れる言葉を紡ぎ出す。
「すみません。隊長、皆、デトさん……。大変なんです。ロッチさんが──いや、ロッチの
野郎が……」
「ああ、分かってる。オレ達も少し前に大旦那との通信で知った」
「すまん。俺が隙を見せちまったばっかりに。……デニーとシャフラは」
「……殺られました。生き残ったのは俺だけです。あの野郎、ふと姿を見かけなくなったと
思ったらいきなり軍隊を連れ込んで来て……!」
 皆まで言わずとも、嫌なほどに解ってしまった。
 悔しさで大粒の涙を流す彼を、サヴルとデトが同じく無念の表情で頷きながら、傷に障る
ぞと宥めてやる。実はロッチが裏切り者だと判明した直後、彼に同行した密偵らに関しては
もう始末されてしまったのではないかと半ば諦めかけていたのだ。
「いや……それよりも。デトさんも皆も、早くここから逃げてください!」
 なのに、尚も彼は必死に語り続けていた。伝えようとしていた。
 逃げる? 一応、元からその心算ではあったのだが……。
「すぐそこまでガイウォン軍が来てるんです! それに、ハンクルスも──!」

「──そうか。エクナートとトーアは退けられたか」
 目的地に向け行軍するガイウォン軍の中央、その馬上でザッハロニはその報告を聞いた。
 流石はあの“死に損い(デッドレス)”である。圧倒的不利な状況を直視し、その上で最
善の手を決断して打っている。
 あれがもし帝国軍人であれば、きっと武勇と知略を併せ持った名将となろうに……。
「ですが将軍。分かっておられるとは思いますが、我々まで騙される必要はありませんよ」
 なのに、隣の馬に跨るキルロイは相変わらず仏頂面で、淡白だ。
 報告に来た部下が群列の中に戻っていくのを一瞥してから、ザッハロニは心なし眉根を寄
せてみせた。
 分かっておる。そう短く応えると、彼はトーアの夕暮れ風景を眺めて思う。
 ……そもそも今回デッドレス討伐の命が下った切欠は、外部の漏洩(リーク)だった。
 詳しい経緯はキルロイから聞いた程度でしかないが、どうやらあの男はデッドレスと面識
がある人物であったらしい。
 それを今回、彼がトーアに遠出するという状況を得て、本国へ情報を持ち込んだのだ。
 色々思うことはある。そして許されるなら、その私情を述べていいのなら、きっと自分は
この告発者を「卑怯者」と罵るだろう。信義を欠いてまで得る利益など……果たして如何程
に持続するものか。
 当人曰く、デッドレスには恨みがあるらしい。まだ幼い頃、輝術師であった両親を殺され
たのだという。
 動機は分からなくもない。事実、デッドレスは過去数多くの輝術師らを殺めている。
 しかし、軍属という立場でそれを言ってしまうと詮無いのだが、何とも虚しいなと思う。
 武人とは護る為に戦うのではないのか? 侵し殺しを好きこのんで実行に移す為の組織で
あるのだとは、正直あまり声を大にして誇る処ではないと思う。
 確かに、武を競うという意味での戦いとは血湧き肉躍るものだ。
 それでも、手段と目的を違えてしまったことで善くなったという試しは、どんな世界であ
ってもきっと皆無だろう。
「……」
 肩越しに、ザッハロニは少し後ろ、キルロイ側の隊伍に交ざるその告発者を見遣った。
 ロッチ・ターニヴル。レイリアの有力商家・ヴァンダム商会で働いていた人物で、一見す
るだけでは如何にもという紳士然とした男に過ぎない。
 だが、その腹の底はデッドレスへの恨みで満ちていた。人とは見かけによらない。
「それでキルロイ。例の村にはいつ頃着く?」
「予定通りに行軍すれば、日没頃には到着するかと。制圧するにも都合のよい時間帯です」
 淡々と馬上より答えるこの副官に、ザッハロニは静かに眉間に皺を寄せていた。
 気が進まない……。だが、下された命を遂行するのが軍人である。
 その意味ではこやつの態度も“間違い”ではないのだろうが……。
「では、分隊の方はどうなっている?」
「既に先行し、死に損い(デッドレス)らの潜伏先であるクリアナ領カーヴ古城に向かって
おります。到着時刻もこちらと合わせるようにしてあります故、作戦通り我々がハンクルス
村を制圧するのに併行して同隊が一味を確保・連行致します」
「……うむ」
 事前に立てた作戦通り、自分達は二手に分かれていた。
 一方は目的地──小村ハンクルスに向かうこの本隊。
 もう一方はデッドレス一味が先の篭城戦を繰り広げた古城に向かう分隊。
『将軍、先ずはハンクルス村を押えてください。あそこにはエリス・ハウラン以下、奴の子
孫らが暮らしております。彼らを人質としておけば、確実に奴めを捕らえられるでしょう』
 それは、告発者ロッチの発案だった。
 かねてより素顔を隠してまで交流を続け、得た彼の者の“弱み”。
 デッドレスに妻子や孫がいたとは驚きだが、それ以上にこの男が発揮する卑劣さがザッハ
ロニの内心を激しくざわめかせた。
 肉親という人質を取り、その上で彼の者がいる古城を取り囲んで降伏させる。
 確かに大きなアドバンテージではある。これまでデッドレス討伐に際し、世界が採れた策
は概ね多数の兵力をぶつける、といったものであった。それが今回、ロッチという裏切り者
を得たことにより、自分達は初手からの強固な優勢を掲げることができる。
『しかし……奴が人質(かれら)を切り捨てて逃げる可能性もあるのではないのか?』
 だからこそ自分は、内心ではこんな作戦を回避することを願って、この男に問うた。
『いえ。その可能性は低いでしょう。あの男の人となりは長年見てきたつもりです。きっと
あの男はエリス・ハウラン達を見捨てません。そもそも今回の遠出自体が、彼女を無事故郷
まで送り届ける──ふりをして、妻になる筈だった女性(もの)に会いに行くことだった筈
ですから』
 なのに、この男はほくそ笑んでいた。
 デッドレス──あの“忌術殺し”ですら骨肉の情があるらしいというに、この男はそれを
躊躇いなく利用する気でいる。蹂躙しようとする気でいる。
 私怨。ただ、その為だけに。
「……将軍。私情に流されるのは感心致しません。我々はただ、陛下よりの命を遂行する事
に力を尽くせばよいのです」
 すると、まるでそんなザッハロニの内心を気取ったかのように、キルロイがちらと横目の
一瞥を遣りつつ口を挟んできた。
 相変わらず淡々とした口調。静かに馬上で上下する小柄な身体。
 非情であるのか、それとも堅物なまでに従順であるのか。気のせいかロッチも、心なし自
分よりも随分と彼に擦り寄っている節がある感じがする。
「……分かっておる。陛下よりの御下命に背けば、それこそ帝国軍人らしからぬものだ」
「はい。それならばよいのです」
 偽り半分本気半分、ザッハロニはキルロイに、少しへそを曲げつつ言い返していた。
 それでも尚、返ってくるのは淡々とした、感情を閉じ込めたかのような声色。肩越しに眼
を遣ってみれば、ロッチもまたそこはかとなく自分を哂うかのような眼をしている。
 心、乱さるるに乗じるべからずや──。
 黒鉄色の鎧の上に着込んだ同色のマントを翻し、ザッハロニは心持ち軍馬の手綱をぎゅっ
と握り直す。

「やっぱ、そうきたか……」
 深手を負いながらも逃げ切り、自分達に裏切り者(ロッチ)が巡らせんとする策謀を聞い
て、デトはかねてよりの予感を仲間と共に確信へと変えていた。
 外からは大地を掻き乱す軍靴の音が聞こえる。
 ササライ父娘やサヴルが見立てるに、間違いなくガイウォン軍。黒鉄色の軍服は夜闇に溶
けるかのようだが、点々と焚かれた松明の灯りがその姿を不気味に照らしている。
『死に損い(デッドレス)及びその一派に告ぐ! 我々はガイウォン帝国遠征軍である!
砦は完全に包囲した。速やかに投降せよ! さもなくば、ハンクルス村にいる貴様の妻子と
孫娘らの命はないと思え!』
 あちこちがボロボロになった古城の壁向こうから、軍勢のリーダーらしき男からの呼び声
が聞こえてきた。
 曰く人質。奴らはロッチからの情報を得て、エリスを──ハンクルス村を丸ごと自分を捕
らえる為の踏み台にしようとしている。デトはギリギリッと拳を握り締め、眉間に深い皺を
寄せながら黙する。
 ロッチが裏切った、彼が今回の騒動のそもそもの元凶であると知った次の瞬間から予想で
きていた手ではあった。
 しかし本当に実行に移してくるとは……。デトはこれまでの、折り目正しい紳士という彼
への印象を大幅に下方修正せざるを得なかった。
 そこまで豹変──いや、本性を現してまで商会を騙してまで、この所業に及ばせたもの。
 おそらくそれは怨恨だろう。これまで何度となく目の当たりにした、人間の最も醜い感情
の一つである。
 だがそれをデトは今更責める気にはなれそうにもなかった。
 元より自分も以前はこんな身体になった鬱憤をぶつけるように、輝術師を殺して回ってい
た存在なのだ。俺に怨恨をぶつけるな、というのはそもそも筋が通らない。仮に悔やむとす
るならば、それは長らく憎悪の種を撒き続けてきた自分の歩みそのものである筈だ。
「エリスちゃんが……」「くそっ……!」
「……あれ? でもそれってどういうことですか? デト殿は既婚者だったのですか?」
「それに、ハンクルスにって……」
 だが今はそう悶々と自責している暇はない。
 窓際の陰から外の様子を窺うアヤやリノンといった新参の仲間達が、ふと生じた疑問に目
を瞬くと、じっとデトの方を見遣ってくる。
 デトはそうした視線を真っ直ぐに受け止め、しかし最初は黙っていた。
 サヴルら密偵隊や商会の傭兵らも、明らかに困った表情(かお)をしている。時折デトへ
寄越す視線は、十中八九伺いを立てるかのような気色だ。
「……まぁ、もうここまで来たら話すしかねぇだろうな……」
 商会関係者らがそこはかとなく視線を逸らす中で、デトが一度大きく深呼吸をした。次い
で上着の内ポケットを弄り、ある物を取り出してみせる。
 それは──古びた真珠色のロケットだった。
 間違いなくそれは一度はエル・レイリーにて奪われ、ドブ川の中に投げ捨てられた筈の、
エリスの祖母・ルシア思い出の品。
 しかし今はそんな汚れも奇麗に取り除かれ、再び装飾品として蘇ったそれを、デトは静か
に蓋を開けながら語り始める。
「……イアン・アラカルドってのは他の誰もでもねえ、俺の本名だ。尤も、この身体になっ
ちまったとうの昔に捨てた名だがな」
 リノン達が目を丸くしていた。ガイウォン軍からの声や物音も、フッと夜闇の中へ遠退く
かのような錯覚に襲われる。
「じゃ、じゃあ。エリスちゃんは」
「ああ……。正真正銘、俺の孫だよ」
 言って、デトは蓋を開けたロケットの中身を皆に見せた。
 そこに嵌め込まれていたのは、一枚の古びた写真。その中にはエリスに似た、気の強そう
な女性を中心に、スラムらしき乱雑な町並みを背景とした人々が肩を寄り添い合って笑って
いる姿が映っていた。
 そして何よりも、その女性──若き日のルシア・ハウランの隣には、茶髪ながらも今と殆
ど変わらないデトの、イアン・アラカルドの姿があって……。
「最初会った時は驚いたよ。まさかルシアが、俺の子を産んでたなんて。この身体になって
俺があいつの前から逃げ出さなかったら、もしかしたら後で聞かされてたかもしれないな」
「だからデト殿は、あそこまでエリスさんを……」
「……。化け物が孫を心配しちゃ変か?」
 理由がはっきりとした。そして重ねて驚いていた。
 アヤが思わず言葉を漏らす。そんな彼女に、デトはいつもの少々皮肉っぽい声色に戻って
カウンターを返すと、ロケットの蓋を閉じて再び内ポケットの奥にしまった。
「ま、そういうことだ。だから俺はすぐにでもハンクルスに向かって、ロッチの野郎をぶん
殴ってこなきゃいけねぇ」
「なら自分達も!」「腹が立ってるのは俺達だって──」
「いや……。お前らは来るな。もう連中にお前らの変装はバレてる。だからこそこっちにも
お構いなしに分隊を寄越してきてるんだろうし、何よりこのままお前らが連中と戦闘になっ
てみろ。商会の立場はどうなる? ヒューは間違いなく苦境に立たされるんだぞ」
 商会の傭兵達が勇み立ったが、デトはあくまで冷静を装ってそれを阻止した。
 淡々と述べられる状況分析と彼の判断。その隙のなさに、傭兵達はぐうの音も出ず引っ込
むしかない。
「先ずはお前ら全員をエル・レイリーまで転移させる。あとは……連中をごり押ししてでも
突っ切ってハンクルスに行く。……ヒューに宜しく伝えておいてくれ。お前は今まで生きて
きた中でも、かけがえのないダチだったって」
 そして次に紡がれたのは、間違いなく友へ宛てた遺言そのものだった。
 傭兵達が、サヴル隊以下仲間達がざわめき、止めようとする。だがデトはそんな皆の制止
を片手で振り解き、剣を腰に差し直して部屋を出ようとした。
 なりふり構わず、彼はエリスをハンクルス村を助けに、死地へ向かおうとしていた。
「待って。デト君」
 それでも尚、食い下がる者がいた。杖を取り出していたリノンである。
 がしりと肩を掴まれ、デトはちらと彼女を見た。……斜に構える余裕すらも失った、只々
見つかった肉親を助けることに全てを擲たんとする鬼の形相だった。
「あの中を出て行くなんて自殺行為だわ。それに抵抗したら……エリスちゃん達が」
「分かってるッ! じゃあどうするんだよ……!? 誰もハンクルスに転移できない以上、
先ずは奴らを一人残らず潰して──」
「いいえ、不可能じゃないわ」
 振り解こうとするデトの腕と、必死に押し殺し続けても漏れてしまう焦燥の声色。
 しかし次の瞬間、フッとリノンの表情が緩んだ。真剣な面持ちはそのままだったが、そこ
には先程まではなかった不敵な笑みが見え隠れする。
「さっきの貴方の話でようやく光が見えてきたわ。方法ならまだ残されてる。……貴方達の
絆に、賭けてみない?」


 久しぶりの我が家の門を潜っても、安堵の気持ちにはまだ遠い。
 家族や村の皆に囲まれながら、エリスはこれまでの旅の経緯を話して聞かせていた。
 ──おじいちゃんは、既に亡くなっていました。
 エリスは時折、湧き上がってくる申し訳なさに声を詰まらせながら語った。
 一人勇んでエル・レイリーに向かったものの、都会の人々は素っ気なく、挫けそうになっ
ていたその最中に死に損い(デッドレス)──デトさんに出会ったこと。
 そして彼から聞かされた、不死身の男誕生の事実とそこに巻き込まれた祖父達のこと。
 何より……自分という“遺族”の為に皆と共に命を張って自分を村まで逃がしてくれた、
これまでの幾度となく繰り返されたピンチのこと。
「──そうかい。まさかそんな最期だったとはねぇ」
 皆が集まったハウラン家の一室。
 その窓際にいたのは、ベッドに寝かされた老婆──ルシア・ハウランその人だった。
 暫くの間耳を傾けた孫娘の報告。
 その当人からも、家族や村の皆からも彼女は真っ先に気を遣われてちらちらと眼を向けら
れていたが、彼女は背中をリクライニングで起こしたベッドに預けたままそうゆっくり淡々
とした口調で呟いていた。
「さぞ辛かったねぇ、エリス。ごめんね……ありがとうよ」
「──ッ」
 その言葉と病弱な微笑みによって、エリスの抱えていた感情は遂に限界を迎えた。
 決壊したようにその場に泣き崩れる彼女。そんな娘をイリスとロレンス、両親がすぐさま
抱き寄せて撫で回す。もういいんだ、もう大丈夫なんだ。そう何度も何度も言い聞かせては
優しく宥める。
「ごめん、なさい……。私、全然っ……力に、なれなくて……」
 エリスの涙は止まらなかった。最早そうすぐに治まるものではなくなっていた。
 病に倒れた祖母に、行方知れずなままの祖父の消息を伝えたい。
 最初はそんな勇み足の善意だった。
 しかし、旅の中で彼女は知った。村の外に広がる世界、そこに蔓延る悪意と善意──その
前者に偏ってばかりに思えてしまう混濁模様。その中で祖父が命を落としていたこと。
 全く予想していなかった訳ではない。
 もしかしたら、もうずっと昔に何か事件に巻き込まれて亡くなっていたのかもしれない。
最悪のケースは頭の片隅に置いていた、筈だったのに。
「……いいのさ。何かあったとは思っていたからね。こうやって知らせてくれただけでも、
あたしは嬉しいよ。いい孫娘を持ったものさ」
 いざ祖母の微笑を目の当たりにすると、とてつもなく辛かった。
 そうは言ってくれる。だが内心はきっとショックを受けている筈なのだ。もしかしたら、
精神的に、病の重さに拍車が掛かるかもしれない。
 ベッドの傍にうずくまっていた為、両親に加えて祖母からも、エリスは手を差し伸べられ
慰められる格好になっていた。
 嘘は、結局つけなかった。
 別にデトさんのことを話さずとも、ただ死んでいたとさえ報告すれば皆のショックも軽減
されたかもしれない。なのに自分は全て話した。……皆の受ける痛みよりも、自分に嘘をつ
きたくないという心理が、今はとても身勝手なものに思えてならなかった。
 最悪だ。ボロボロだ。
 祖父の無事を確認するという大義は脆くも否定され、デトさん達との出会いの末に、彼ら
をまるで捨て駒にするかのようにして村まで逃げてきた。
 何て無力なんだろう。
 こんな事になるなら……まだ祖母の傍で看病し続けていた方がよかったのだろうか?
 自分の髪を撫でてくれるその手が、冷たい。力が篭もらず細い感触を与える。
 嗚呼、暫く見ない内に、またおばあちゃんは痩せ細ってしまったんだ。
 そんな人に、自分は最悪の形で土産話を持ち帰って来たのだ。
 言葉だけのことじゃない。彼女が大切にしていた、あのロケットも──。
「そのさ、エリス」
「……?」
 そうしてどれだけ泣きじゃくっていたのだろう。おずおずと、父が自分に声を掛けてくる
のが聞こえた。
 また慰みだろうか? 自分はいいから、おばあちゃんに掛けてあげて……。
「えっと、その。死に損(デッドレ)──いや、デトさんだっけ? 話を聞いた限りだと随
分エリスによくしてくれたみたいじゃないか」
「そうね……。お尋ね者の方とはいえ、出来ることならお礼の一つでもしたかったわね」
「……ああ」
 しかし発せられた言葉は違った。
 これもまた慰みなのかもしれない。だがロレンスはイリスと顔を見合わせると、そうはに
かんだ笑いを浮かべながら頷いている。
「それにしたって世の中には奇特な方がいたものだよ。お義父さんの命を宿しているらしい
とはいっても、彼自身は“他人”な訳だろう? なのにそこまでエリスに義理立てしてくれ
るなんていい人だなぁと思ってさ……」
「──!」
 父はきっとそれ以上の他意を持って喋った訳ではないのだろう。多分、世の中にはそうい
った“いい人”だっているんだよ──。そう何とか励ましたかったのかもしれない。
 だがエリスは、その言葉を耳に届けた瞬間、ハッとなった。
 そうだ。そのことは自分も以前から妙だと感じていたことなのだ。
 村まで馬を走らせている途中も考えていた。あの人は──デトさんは、直接には赤の他人
である筈の自分に対して、親切過ぎる。
 半ば成り行きで泣きついた自分が言ってしまえるものではないが、それでも父の言葉が、
これまでどうにもモヤモヤとしていた胸奥に一つの明瞭さを与えてくれる。
(デトさんは……おじいちゃんの知り合い以上の、何か……?)
 証拠はない。
 だけど、そんな強烈な予感がエリスの胸奥をざわつかせ──。
「なあ……。あれ、何だ?」
 そんな時だった。
 ふと、村人の一人が窓の外を眺めるとそう皆に向けて口を開いていた。
 場の面々が次々にその指差す方向に目を凝らす。エリスの肩の上に乗るチコも、ふーっと
にわかに毛を逆立てて威嚇のポーズを取り始めている。
「何か、ぽつぽつ灯りが点いてるな」
「ありゃあ……人? 何でまたこんな時間に? こんな村(とこ)に?」
「ッ!?」
 やがて最初に察し声を詰まらせたのは、傭兵達と共に終始控えめに皆の後方に立っていた
アンバー医師だった。
「ん? どーしたよ、アンバー先生?」
「心当たりでもあるんですかい?」
「……ええ、まぁ。松明だけではっきりとは見えませんでしたが」
 村人達が怪訝に彼を見遣った。頭に疑問符を浮かべて訊ねていた。
 アンバー医師は一人狼狽していた。そのあまりズレ落ちそうになった眼鏡を慌てて押さえ
ると、一度大きく呼吸を整える。
「あの黒服とエリスさんが見舞われてきた状況。そこから考えるに──軍隊ではないかと」

 夜闇に紛れるように、村へと大量の人影が近付いていた。
 最初こそ疎らだった松明の灯りが一所に集められると、明度を増した灯でその全貌が明ら
かになっていく。
 黒鉄色の軍服を纏った軍隊だった。
 一糸乱れぬ隊伍。各々が担いだ銃剣。何よりも彼らを率いる二人の将軍と、何故か彼らと
一緒に並び立つロッチの姿。
「我が名はガイウォン帝国軍少将、ミゲル・ザッハロニ。此度の遠征軍にて司令官を務めて
いる者だ。此処はハンクルス村で相違ないな? 既に調べはついておる。速やかにエリス・
ハウランなる少女とその家族を差し出して貰おう!」
 最初村の男達が、突如やって来たこの世界最強の軍隊を前に立ち塞がっていた。
 とは言っても、精々棍棒や鍬などを手に身を硬くしているだけである。軍勢の最前列より
のしのしと踏み出してきたザッハロニの巨躯と威厳を前に、男達は只々震えるしかない。
『ちょっと、エリス!』
『だ、駄目だよ! 今外に出ちゃ──』
 しかし名指しされた当のエリスは、そんな中で室内の両親や傭兵達の制止を振り払うと外
に飛び出していた。
 ……自分が狙われている。デトさん達はどうしたのだろうか?
 窓越しにロッチさんの姿も見えた。まさか皆、捕まってしまったのだろうか?
 そして何よりも、これ以上皆を“捨て駒”になんてできないと思った。
「ロッチさん!」
 黒鉄色の人波に囲まれた仲間に目を遣り、エリスは叫んだ。
「大丈夫ですか!? 早く逃げてください! この人達は多分──」
 もう逃げてばかりはいられない。彼だけでも、何とか助けられないか……。
「やあ、エリスさん」
 なのに。なのにロッチは笑っていた。次の瞬間、エリスの背筋には悪寒が走る。
 何で……? 何で貴方はそんなに余裕なの? 何でそんな眼で私を見るの?
 まだ何も言っていない。だけどエリスは肩の上のチコは、彼の豹変を殆ど直感に近い形で
嗅ぎ取っていた。
 慌てて後を追って飛び出してきた傭兵達や両親、村長を始め村の皆が、彼女を守るように
ぐるりと囲むと、じっと怪訝の眼差しをロッチへと注ぐ。
「無事に帰郷できたようで何よりです。これで私の計画も成就します」
「何の……ことですか? デトさんは……皆さんは、どうしたんですか!?」
「……貴女が案ずる必要はない。今頃彼らはお縄ですよ。例の古城に、分隊が包囲しに行っ
ていますからね」
 直感は確信に変わった。この人は──味方じゃない?
 口調こそ丁寧なものだったが、その纏う雰囲気は初めて会った頃、旅の最中の頃とはまる
で違っていた。表情(かお)に差すのは不穏な影。何よりも全身から発せられ、自身の五感
第六感を繰り返し刺激してくるのは、明確な“敵意”だった。
「ロッチ殿……」「ま、まさか!」
「ふふ。そうですよ? 今回エクナートとガイウォン、両国に死に損い(デッドレス)の情
報を流したのはこの私です。ようやく巡ってきた、この復讐のチャンスの為にッ!」
 シキブの傭兵達も、どうやら勘付いたらしい。ロッチは驚愕するエリス達の表情(かお)
を見て、殊更に高笑いをしていた。
「復讐? どうして? ロッチさんは商会の人で、デトさんとも付き合いがあって……」
「ああ。ヴァンダム商会の門を叩いたのはそっちは別の、全くの偶然さ。でもいざ働き始め
たらどうだ。いやがった! 父さんと母さんを殺した、あの憎き化け物が!」
 エリスの瞳が、ぐらぐらと揺れていた。
 こんなにもすぐ傍にいたのだ。デトさんの……犯してきた過去(つみ)の中に閉じ込めら
れてしまった人が。
「でもすぐには手を出せなかった。あいつをぶち殺すのは難しいし、何より会長のお気に入
りだったからな……。だから待った。確実にあいつを殺れるチャンスが来るのを」
 そしてビシリと、ロッチはエリスを指差し、名指しで叫んだ。
「……見つけた。エリス・ハウラン、お前という奴の“弱み”を! のこのこと自分から私
の前にやって来た! 会長や商会の一部の者しか知らない、あいつの孫が!」
「えっ」
 興奮が故か撫で付けた髪は乱れ始め、睨み付けてくる双眸はギラギラと充血していた。
 だがそれよりも、エリスは──場の皆が短く声を漏らして驚いたことがあった。 
 孫? 私が……デトさんの?
「ど、どういうこと? おじいちゃんは、デトさんの中で……」
「ふん。そりゃそうさ、あいつは最後まで語らずに事を済ませようとしていたからな……。
だから私から語ってやる。イアン・アラカルドは他でもない、あいつ自身なんだよ!」
『……ッ!?』
 エリスら以下村の皆と傭兵達が、突きつけられた事実に驚愕として震えた。
 “死に損い(デッドレス)”イコール“イアン・アラカルド”。
 したり顔のロッチを見つめたまま硬直しているエリスの後ろで、両親や村人、傭兵達がお
互いの顔を見合わせて激しく動揺している。肩の上のチコも、フーッとロッチに向かって威
嚇のポーズを取り続けている。
「……。デトさんが、おじいちゃん……?」
 驚きが体を心を落雷のように打ち抜いていた。
 しかし一方で、エリスは何処かホッとしたかのような、不思議な得心をも感じていた。
 そう、違ったのだ。彼は“赤の他人”などではなかった。紛れもない肉親だったのだ。
 その身が不死身の怪物となっても、ようやく出会えた孫娘に──自身に娘ができていたの
だという事実にそれまでの長き孤独を解き始め、文字通り命を賭けてでも自分を守り抜こう
と誠を尽くしてくれたのだ。
「そうさ。だからこれはチャンスなんだ。あの死に損い(デッドレス)に子孫がいる。これ
ほど奴を仕留めるに絶好の材料はない。……人質になって貰うぞ? そして奴の目の前で、
お前らを根絶やしにしてやる! あいつに、私と同じ絶望を味あわせてやる!」
 エリス以下一同が各々にその事実を気取り、デトがあそこまで必死になって彼女を守ろう
とした理由を知り、言葉なく震える。
 当のエリスは勿論、イリスやロレンス、村人の少なからずが頬に涙を伝わせた。
 だがそれはこれから始まる蹂躙への嘆きではない。ただ只管に、心震わす感涙であった。
「……ターニヴル氏。お喋りはその辺りにしておいてください」
 それでも一方で、キルロイの表情は何一つ変わらず冷淡だった。
 復讐心で高揚するロッチを片手で押さえて隊伍の中へ退かせると、彼はザッハロニと共に
一同を見渡しながら言う。
「そういう訳です。貴方がたは死に損い(デッドレス)の血を受け継いでいる」
「怖がらせてすまかったな。……根絶やし云々は忘れてくれ。討伐(にんむ)さえ果たせれ
ば悪いようにはせぬ。投降しては、くれぬかの?」
 ロッチが不満そうに顔を歪めていた。キルロイもちらと、この司令官の横顔を見る。
 それでもザッハロニは、なるべく優しく語りかけてくるかのようだった。
 エリス達はまたも戸惑いで互いの顔を見合わせる。言動が語り手によって二転三転として
いるように聞こえるが、もしかするとこの司令官自身は、この村を“穏便に処理したい”と
考えているのかもしれない。
『…………』
 それでも、一同はすぐに首を縦には振れなかった。
 村長を囲みつつ村の皆がひそひそと話し合っている。エリスも両親に抱き寄せられ、守ら
れるようにその輪の中に入れ込まれる。
 この異国の司令官を信じていいものなのか? もう一人の将軍の意思はどうなのか?
 そして、何よりも──。
「……申し訳ないが、お断り致す」
 暫くの話し合いを経て、村長が皆の意思をそう代弁した。
 ザッハロニ以下、軍勢が意外といった様子を眉根を吊り上げ、或いは愚者を哂うかのよう
にほくそ笑む。
「話は理解致しました。かのお尋ね者を捕らえる為の作戦の途上ということは、儂らも把握
したつもりです」
「でもよ……。じゃあはいそうですかってあんたらに捕まる訳にゃいかねぇだろ。そこの裏
切り者が一緒にいる以上、命の保障は完璧じゃねぇし」
「何より、顔向けできないわ。やっと、やっとお父さんが生きているって、分かったのに」
「もしここで貴方がたに屈服したら……僕達はお義父さんを裏切ることになる」
 それがハンクルス村の下した決断だった。
 屈しない。たとえ世界的なお尋ね者とはいえ、デト──イアンはもう彼らにとって迎える
べき村の仲間だったのだ。
「お主ら……」
 村人、特に血気盛んな若い衆が次々に声を上げている。きゅっと唇を結んで瞳を潤ませる
愛娘(エリス)を、イリスとロレンスがしっかりと抱き寄せて寄り添っている。
 ザッハロニは殆ど言葉を失っていた。
 憤りではない。ただ、彼はそこに宿った意思の高潔さをみる。
「……仕方ありませんね」
 だが、副官(キルロイ)は徹底して非情であり、任務というものに忠実であった。
 そこはかとなく落胆を込めた静かな声色。彼はサッと片手を挙げて合図をすると、背後に
控える兵らに銃口を向けさせる。
「止せ、キルロイ! この者達は──」
「司令官(あなた)が情に絆されてどうするのですか。我々は軍人です。与えられた任務を
反故にするおつもりですか」
 ザッハロニはすぐにこの副官達の挙動を止めようとした。
 間違いない。彼は穏便に事を済ませたがっている。……だが、一方の副官はそんな想いを
要らぬ感情と切り捨てているようだった。
「……“味方”にならないのなら、それは“敵”です」
 ザッハロニが彼を止めようと叫び、動く。一方で「流石はキルロイ将軍!」と憎悪なる昂
ぶりで囃し立てるのはロッチ。
 シキブの傭兵達が得物を抜き放っていた。
 しかしその数は明らかに圧倒的劣勢。多勢に無勢。自分達に向けられた銃口の数は増え、
どう足掻いても捌ききれるものではない。
(おじいちゃん……)
 ごめんね。
 エリスは両親に庇われながら、覚悟を決める村人達を視界の中に映しながら祈った。
 せめておじいちゃん達は、生きて。もう一人じゃないんだよ。だから──。
『──ッ!?』
 だが、そんな時だった。
 ふとエリスの胸奥がひとりでに熱を帯び始めたのだ。
 祈りで閉じていた目をそっと開くと、いつの間にかそこには、自分の胸元を中心とした魔
法陣が回転しながら現れている。
 え? 何?
 そう、エリスが周りの皆が目を見張った、次の瞬間。
「──おぉぉぉぉぉッ!!」
 飛び出してきた。複数の人影が何と自分の胸──の魔法陣から飛び出してきた。
 すると彼らは続けざまに行動する。
 兵らが同時に放っていた銃弾が《結界》によってことごとく防がれ、術師らが攻撃の輝術
を撃ち、異国装束の戦士達が迫ろうとしていた黒鉄色の群れを押し返す。
「ぬぅ……ッ!?」
 ザッハロニ達以下、遠征軍が虚を突かれて体勢を崩していた。
 そしてその間隙に入るように、彼がエリス達との間に割って入り、ずらりと自分達を守る
かのように立ちはだかる。
「ぁ──」
 その後ろ姿に、エリスは後光が差すような錯覚をみた。
 間違いない。懐かしい面子。何故ならそこにはいたからだ。
「……よう、大丈夫か? ギリギリセーフ、だったみたいだな」
 死に損い(デッドレス)──デトさん──いや、祖父達が。


「おじいちゃんっ!」
 次の瞬間、エリスはデトへと駆け出し抱きついていた。
 半身を返して振り向きかけていた彼は驚いていたが、彼女が叫んだその呼び方で何があっ
たかを悟ったらしい。
「……。ロッチの馬鹿野郎から聞いたのか」
 デトの、祖父の胸の中でエリスは静かに震えていた。コクリと、彼女の小さな首肯を彼は
その目でしかと見据える。
「黙っててごめんな。こんな身体になっちまった手前、名乗り出れなくて……」
 そんな娘の姿を見ながら、おずおずと近寄ろうとする足音らがあった。
 イリス・ロレンス夫妻、そしてハンクルス村の面々だ。
 明らかに動揺──いや緊張している。無理もないだろう。デトはエリスに抱きつかれるの
に任せたままゆっくりと顔を上げて、初めて娘とその夫の姿を目に映す。
「お父さん……」
「……お前がイリス──俺の娘か。うん。エリスと一緒で、ルシアによく似てる。二人とも
いい方の血を受け継いだらしいな」
「あの……。は、初めまして。イリスの夫でロレンスと申します。お、お義父さん」
「ああ、お前がエリスの父親か。つーことは俺にとっちゃ義理の息子かぁ。……はは。随分
と時代は移り変わっちまったんだなあ」
 デトのそんな苦笑に、イリスがくしゃっと涙で顔を歪めた。
 すると次の瞬間、彼女もまたデトに──初めて会えた父に抱きつき、娘と共に咽び泣く。
 ロレンスはそんな妻子の背中を頭を、優しく優しく撫でながら慰めていた。
 数十年越しにようやく果たせた親子の対面。そんなさまに、周りを囲む村人達もその少な
からずが方々でもらい泣きを始めている。
「……どういうことだ。お前達の中に、この村に転移できる者はいなかった筈……」
「ええ。確かに“この村”には転移できないわ。でも──」
 キルロイがここに来て初めて、焦りという名の感情を漏らした。
 そんな彼にしたり顔を向けるのは、手の中でくるくると杖を回して語るリノン。
「そもそも《転移》は術者の記憶を糧に門(ゲート)を生成させる術よ。つまり解釈を変え
れば、その対象が必ずしも場所みたいなモノでなくってもいいの。記憶というのはモノだけ
じゃない。人が人を想う──絆の中にだって在る。だからデト君からエリスちゃんとの本当
の関係を聞かされた時、もしかしたらイケるかもしれないって思った。だって肉親だもの。
それに……そんな事実がなくても、既に二人には確かに絆が──縁が存在していたから」
 それこそがこの再びの逆転劇の理由だった。
 《転移》の本質を突いた応用技。それを教わったデトによって、間一髪エリスという少女
そのものを門(ゲート)とした、隔たれた距離からの跳躍が可能になったのだ。
「……まぁ逆を言えば、こっちが嫌でもある程度の縁があって、制御できるだけの技量さえ
あれば問答無用で距離を詰められちゃうってことでもあるんだけど……」
 すると言いながら、リノンがぼそりと付け加えたのは、そんな補足のようなもの。
 その部分だけは明らかに嫌そうな表情(かお)をしていた。……どうやらユージオの時の
それを思い出したらしい。
「ほう? なるほど……」
「感心している場合ですか。総員、構えッ!」
 ザッハロニが思わず唸る横で、キルロイが眉間に深い皺を寄せていた。
 片腕をバッと振り、改めて呆気にとられていた兵らに攻撃の指示を送る。
「……」
 その様子を肩越しに見遣り、デトはゆっくりとイリス・エリス母子を離していた。
 疑問符と不安、綯い交ぜになった感情を宿した二人の瞳がこちらを見上げる。すると彼は
フッと優しく微笑み、おもむろに上着の内ポケットを探るとある物を差し出した。
「ッ!? これ、おばあちゃんの……」
「ああ。実はあの後、こっそりドブん中から拾い上げておいたんだ。俺やルシアが写ってる
から、返したら身バレすると思って今まで隠してたんだが……」
 ロケットだった。エリスがあの時、ドブ川の底に沈んでしまったとばかり思っていた祖母
の想い出の品だった。
 デトはそれを彼女達母子に返してやると、すっくと立ち上がり、踵を返してガイウォン軍
らと正面から向き合う。
「本当はルシアに会ったら、こっそり返そうと思ってたんだけどな。お前らが持っておいて
くれ。……ちょいと、裏切り者と邪魔者どもを片付けてくる」
 言ってデトは歩き始めていた。ササライ傭兵団、リノン一派、サヴル隊らもそれに倣う。
エリスも受け取ったロケットをそっと胸に抱き、両親や村の皆とその背中を固唾を呑んで見
送り見守る。
「サブ、リノン。エリス達を避難させて守ってやってくれ。ササライ達は俺の後に続け」
「了解ッス」「ええ、任せて」
「仰せのままに」
「……悪行の輩、斬ります」
 デト率いる数十人と、一面を黒鉄色に染める万単位の軍勢がぶつかろうとしていた。
 一歩一歩とデトが先頭を往き、カミナら傭兵達と共に距離を詰めていく。そしてそれは同
時に、村の敷地奥に立ち尽くすエリス達を可能な限り遠ざけることでもある。
「──!」
 デトが地面を蹴った。その瞬間に姿が霞んだ。
 猛烈な跳躍。そう兵らが理解し、将校らの掃射の合図が下された時には既に、彼はぐんと
軍勢へと迫ろうとしていた。
 たった一人の男に対して、何千何万という数の弾丸が火薬の悲鳴と共に飛んでゆく。
 しかしそのいかなる一発も、デトには通用しなかった。
 強く地面を蹴った、その同時に、彼は全身の体表面に《結界》を引き延ばして覆わせてい
たのだ。加えて地面と平行に跳躍するその猛スピードの中で、彼は目にも留まらぬ剣捌きで
以って飛んでくる弾丸を次々に銀閃上に巻き込んでいく。
 弾はその動体視力の下で真っ二つにされ、或いは《結界》にぶち当たった。
 推進力と破壊力を削ぎ落とされた弾丸の雨霰はあっという間に夜闇の地面に転がり落ち、
その残骸が増える度にデトを軍勢の間合いへと引き寄せていく。
「くっ……! ぼ、防御ぉ!」
 前列の将校らが堪らず叫んだ。兵達も、その指示を聞くか聞かないかよりも早く、一斉に
鋼鉄製の長盾をずらりと並べて防壁とする。
「雑魚は──どいてろッ!」
 しかし身構えたことを彼らは後悔することになる。
 最後の跳躍で、デトは中空に跳んでいた。加えて抜き放った剣を振りかぶり、そこに一切
の遠慮なしに力を──《衝撃》の輝術を纏わせる。
「ふべっ!?」
 空間が、いとも容易くへしゃげていた。
 鋼鉄製だということを疑いたくなるような、まさに衝撃の一発。
 淡く半透明な球体を宿し、振りぬかれたデトの剣に、直撃を受けた前列の兵らが何百人も
盾ごとまとめて押し潰されていた。
 あまりの衝撃で、彼らが白目を剥きながら吹き飛ぶ。
 びっちりと詰めていた隊伍に、ごそりと直角に交わる空白が出来る。
『…………』
 辛うじて難を逃れた兵達が、あまりの威力に言葉を失っていた。
 これが、死に損い(デッドレス)の本気──。
「隙をみせる」
「余裕などないぞ!」
 加えてこの間隙と文字通りくり貫かれた隊伍に、カミナとアヤ以下ササライ傭兵団が突撃
を敢行してくる。
 慌てて兵らは迎撃体勢に移らざるを得なかった。
 銃剣の刃先を突き出す。或いは並べた盾で、二分された隊伍内部に新たな防衛ラインを作
ろうとする。
「脇ががガラ空きだぞっ!」
 しかし、そうして飛び込んできた一方に対応しようとすると、今度は側方──最初正面で
あった方からも傭兵達が斬り込みにかかってくる。
「ちぃ……っ!」
 次々と放たれる銃剣をアヤの刀がいなし、カミナの矛が受け防ぐ。
『──せいっ!!』
 矛が大きな渦を描くように、兵らを弾き飛ばした。
 刀が流れるような長い銀閃を描き、兵らを斬り伏せていった。
「くっ……。何をもたもたしている!? 兵力はこちらの方が上なんだぞ! 数で押せ! 
押し切るんだ!」
 キルロイは一層表情を歪めていた。薄眼鏡のブリッジを触りつつ、この兵力差を覆しかね
ないデト達の猛攻を押さえ込むよう活を入れる。
「そうだ……村だ。砲兵、村を狙え! やつらも、人質さえ取れば──」
 だが発しようとしたその命令も、次の瞬間には挫かれていた。
 耳聡く察知したデトの巨大な《雷撃》が、砲兵達の隊伍を丸ごと吹き飛ばしたからだ。
「……させねぇよ」
 キルロイがじりっと、また一歩後退っていた。
 その間もデトやササライ傭兵団の面々、加えてリノン達からの援護術撃が最強と謳われる
ガイウォン軍を突き崩し続ける。
「こ、ここまでとは……。おい、急ぎ分隊に連絡を取れ! 一刻も早く合流させ」
「落ち着け。キルロイ」
 そして彼が、今度は置き去りとなる形になった分隊を呼び戻すべく伝令を発した、その最
中のことだった。
「我が出る。兵達を一旦退かせろ」
「なっ……!?」
 驚きで声を詰まらせたキルロイを横目に、ザッハロニが歩き出していた。
 ややあって、その歩みに交戦を続けていた一同が気付いて振り返る。
 デトも最後に兵を斬り伏せた剣を握ったまま、この巨躯の将校をじっと睨み返している。
「……我が名はミゲル・ザッハロニ、本師団の司令官である。死に損い(デッドレス)──
いや、イアン・アラカルド。我と一騎打ちにて決着を付けぬか? もしお主が我に勝てば、
我々はこの戦線から退却すると約束しよう」
『──!?』
 驚いたのはデト達、だけではなかった。
 真っ先に喰らい付いたのはキルロイだった。始めは驚愕の表情(かお)。しかし次の瞬間
にはずんずんと彼に近寄り、激しい口調で批判する。
「何を勝手なことを言っておられるのです! 何の為の駒達(えんせいぐん)ですか!? 
任務は遊びではないのですよ!?」
「……お前こそその目は節穴か? 彼の者は我々の策を覆した。この村で取る筈だった人質
も彼らによって隔たれている。最早これはこれまで繰り返されてきた戦いの焼き直しではな
いか。お前はそれでも兵達を無駄死にさせる気か? ……それに、要は我が勝ちさえすれば
いい話だろう?」
 キルロイは呆気に取られていた。遥か後方のロッチも、白い目でザッハロニを見ている。
 だが当の本人は全くと言っていいほど意に介していなかった。
 本気で言葉の通りのことを思っているのだろう。どうだ? そう彼は改めてデトに向かっ
て眼を遣ってくる。
「……分かった。その約束、本当だな?」
「うむ。帝国軍人に二言はない」
 仲間達と目配せをした後、デトはやがてそう受け入れる旨を口にしていた。
 後方でエリス達が心配そうに見ているのが分かる。キルロイらも、驚きの余韻でまだ立ち
ぼうけになっている。
「……いいぜ。ならその挑戦、受けて立ってやる」
 内心正直な所を言えば、デトにとってそれは渡りに船のような提案だった。
 押せている。だが討伐軍の時と同様、兵力の差を覆すというのはそう簡単な事ではない。
何より自分という存在は、力を使えば使うほど自身の“消滅”に近付いていく宿命を背負っ
ている。
 もう出し惜しみはしない。守るべき者がいるこの場で、躊躇する気はもうない。
 だが向こうが少しでもそのリスクを避けようとしてくれれば、こちらとしても好都合だ。
「決まりだな。キルロイ、兵達を下げろ」
「……。承知しました」
 ザッハロニがにっと不敵な笑みを漏らして言った。
 最初こそ慌てて諌めようとしていたキルロイだったが、何を思ったのか諦めたのか、やが
て彼からのその命に従い、残った軍勢をサァッと後退させてゆく。
 縦に二分された隊伍から、半円を描くようなギャラリーに。
 同じく下がった仲間達とガイウォン軍が見守る中、デトはザッハロニとある程度の距離を
置いて立つと、この出来たスペースの一角に陣取った。
 相手が取り出したのは、如何にも重そうな手斧。更にその柄先には分厚い鎖で繋がれた棘
付きの鉄球が顔を覗かせている。
『……』
 ガチャリとザッハロニの鎧が鳴った。何が楽しいのかその表情は笑っている。
 デトは剣を両手に持ち直した。地面と水平に切っ先を倒し、じっと彼の隙を窺う。
『──!』
 夜風が二人の間を通り過ぎ、二人は殆ど同時に地面を蹴った。
 速い。兵の誰かが呟いたその刹那、両者の得物が激しくぶつかり火花を散らした。
 見かけではザッハロニの手斧の方が明らかに大きかったが、その初手の一撃をデトは刀身
でガッチリと受け止めていた。
 しかし、攻防は続く。
 初手が拮抗したと分かるや否や、ザッハロニが鎖を握っていた手を振り鉄球をデトの外角
へと打ち込んできたのだ。
 しかしデトは既にその追撃に勘付いていたらしく、いとも容易く刀身を斜め前方に捻じ込
むとそのままの勢いで鉄球を回避、間髪を入れず今度はザッハロニに外角から鋭い斬撃を叩
き込み返す。
 ──それからは、見守る者達すら追いつけぬ剣と斧の乱舞だった。
 兵士の防具すら軽々と切り裂いていたデトの斬撃を、ザッハロニは篭手を巻いた腕一本で
防御してみせると、すくい上げるように斧と鎖鉄球の二段攻撃を放つ。それをデトは横っ飛
びでかわすと再び地面を蹴り、剣でまだ伸びる鉄球を叩き落しながらの身を捻った連撃。
 激しい打ち合いだった。
 デトは痺れを切らして何度も輝術を織り交ぜたが、ザッハロニはそれすらも斧の一断ちの
下に砕き、彼へと繰り返し迫っていく。
「……拙いな」
「えっ?」
 そんな中、エリス達の下へ退いていた仲間達の中で、フッとカミナが気難しい表情で呟い
ていた。ちょうど傍にいたエリス。彼女は彼のその言葉に、短く反射的な疑問符を寄越す。
「どういうことなんですか? デトさんも将軍さんも、互角みたいですけど」
「そうだね。確かに戦いとしては互角だ。だが」
 ちらと頷いてくる娘(アヤ)や部下達を見、カミナは続けた。
 眉を潜めて、じっと二人の戦いを見つめるその眼は真剣そのものだ。
「ザッハロニというあの武将……間違いなく“輝力(ソル)”を扱っている」
「そる?」
「……輝力(ソル)とは、自身と大地、その双方から流れ込み感じ取ることのできるエネル
ギーの名だ。そしてこの力こそ、我々シキブの民が古くより武芸に秀でし者と言われてきた
理由でもある」
「これは私達も最近分かったことなのですが、どうやら輝力(ソル)とは輝石のエネルギー
と同義であるらしいのです。だからこそ、輝術師のようにこの力を扱える者は限られている
筈なのですが……」
「やはり物事には例外があってね。中には体系立って修めずとも経験や才能でモノにしてし
まう者がいる。デト殿もその一人だ。尤も彼はその身の成り立ちゆえ不思議ではないと考え
ていたが、ここにきてまた新たな修得者が現れようとは……」
「え? えっ? じゃあ、将軍さんって」
「ええ。多少の違いはあっても、その強さの根っこはデト殿と同じではないか? という事
なんです。もしそうなら、この一騎打ち、どちらに転ぶか分かりません……」
「そ、そんな……!」
 エリスはにわかに胸奥がざわめくのをはっきりと感じた。
 受け取ったロケットを掻き抱く手の力を無意識に強め、祈る。仲間達と共に祈る。
(……おじいちゃん)
 不意に湧き上がってきた、この嫌な予感を断ち切ろうとするように。
「──くっ!」
「ははは! 流石は世界から逃げ続けてきた男、大したものだ! このまま討ち取ってしま
うには実に惜しい。同じ帝国軍人として肩を並べたかった!」
「阿呆。後にも先にも、俺はそーいうのにはならねぇよ」
 もう何度目か分からないザッハロニに斧を受け止め、思いっきり弾き飛ばす。
 デトはそのまま間合いを取り直すように大きく飛び退いた。にも拘わらず、対するこの将
軍はやはり何が楽しいのか、尚も愉悦の笑いを吐き出している。
(……こいつも、シキブの連中と同じアレの使い手か)
 最初は纏うその力の性質に焦ったが、数度刃を交える中で落ち着きは取り戻していた。
 ササライ傭兵団と戦った際にも覚えた、あの輝術とよく似た気配。しかし髪や瞳の色から
して彼がシキブの出だとは判断が付かなかったが……。
「おい。お前、生まれは何処だ」
「うん? 何を訊くかと思えば。勿論、生まれも育ちもガイウォンよ。まぁ帝国内でも北の
田舎ではあるがな」
「……」
 少なくともシキブに関わりがある訳ではないらしい。嘘ではないことは、これまでの当人
の言動から推し量れる。
(だとすりゃあ、マジモンの天賦の才って奴か……。ちっ、憎たらしい)
 大きく息を整えながらデトは思案した。
 どうやらこの男は意図して輝術的なエネルギーを纏っていないらしい。それこそ半ば無意
識の内に、ただ何だか使えそうだという理由だけで術師も真っ青な見えざる鎧・刃を備えて
いることになる。
(このままクソ真面目に攻め続けても埒が明かねぇ、か……)
 思って、両手持ちにしていた剣をぶらんと片手に戻した。それを見てザッハロニが片眉を
ついと上げて、ゆっくりと手斧を持ち上げ始める。
(だったら……)
 そして、先に地面を蹴ったのはデトだった。すかさずザッハロニも、不敵な笑みのまま吼
えるようにして駆け出す。
 場の一同が固唾を呑んだ。何かがある、そう幾人かが直感的に悟った。
 はたして、仕掛けたのはデトだった。
 ぐんとザッハロニと切り結ぶように直進しながらも、その片手指先はもう一方の腕の中へ
と食い込んでいたのだ。
 取り出されたのは──以前も使ったブヨブヨ。彼の中に眠る生命の欠片。
 デトは掌の中でサァッと輝石と為ったそれを握り締めると、ザッハロニとぶつかる数拍前
に投げ付けたのである。
 当然、ザッハロニはこれにも素早く対応した。
 こんな小手先の攻撃、通用せぬぞ──。そう一笑に付して叩き斬ろうとする。
「ぬっ!?」
 だが、次の瞬間だった。
 何と砕いた筈の輝石が衝撃を受けて爆ぜたのだ。
 それも、中身はまるで半熟卵のような例のブヨブヨなままで。
 故にその不定形な赤い液体はザッハロニの腕や頬、胴へと至る所にぶちまけられる格好に
なる。そして……そのブヨブヨの残骸達は、まるでその時を待っていたかのように一斉に光
を帯びながら奇妙な文字列(ルーン)を浮かび上がらせたのである。
「これ、は……」
 ザッハロニはようやくここで理解した。理屈というよりも、やはり直感によって。
 身体中に纏っていた“力”が散っていく。まるでこのブヨブヨが吸い取るかのように。
 そう……。
「うおぉぉぉぉぉッ!!」
 デトが放った輝石(いのち)に込めたのは、《封印》の輝術だったのである。
 刹那、切り結んだ。強さの秘訣となっていた無意識の輝力(ソル)を無効化され、ザッハ
ロニの胴をデトの斬撃が深々と切り裂いた。
 飛び出した勢いでズザザッと数歩余分に進み、デトは剣を振り抜いた格好で止まる。
 世界に還っていく輝石の破片らに見送られながら、ザッハロニは鮮血を流して膝をつく。
「や……やったぁ!!」
「お父さんが、勝った!」
 地鳴りのようなざわめきが起こっていた。
 勝負がついたのだ。相手の力を見極め、素早く次の一手を打ったデトが、帝国の猛将を下
したのだ。
「はは。そうか……こんな戦い方も、あるのか……」
 遠征軍の兵達はまさかの総大将の敗北に目を丸くしていたが、当人はむしろ清々しい様子
で笑っていた。ボタボタと、その間も鮮血が松明の灯で照らされながら流れ落ちている。
「……」
「おお、キルロイ。すまぬが《治癒》を掛けてくれぬか? それと約束通り軍の撤退を」
 だが──その衝撃は何の前触れもなく起こる。
「がっ!?」
 ザッハロニがそっと近付いてきたキルロイに振り向き、苦しみ半分愉悦半分の笑いを向け
た次の瞬間、彼は何と《治癒》ではなく《光閃》でこの上官の胸を撃ち抜いたのである。
 デトは勿論、仲間達も金槌で殴られたような衝撃を受けた。
 何故、自分の上官を? 仲間を?
 そう面々が目を丸くしてこの副官の取った突然の行動に言葉を失っていると、やがてその
当人はザッハロニに対して非情にも告げるのだった。
「……お疲れ様でした、将軍。もう結構ですよ」

「何の、つもり……だ? キルロイ……」
 口元から血が溢れ出していた。
 胸に黒く空いた《光閃》の痕をそっと手で触れながら、ザッハロニは途絶え途絶えの声で
副官だった筈の男に問う。
「貴方こそどういうつもりです? まさか本当にこのまま逃げるとでも?」
 しかし当のキルロイは、両膝をついて起き上がれない彼を、冷たい眼で見下ろしていた。
 無愛想なさまは当初と変わらないが、今やそこには明らかに彼を蔑み見下す気色が溢れて
いる。黒光りする術玉を嵌めた杖先をついっと向け、この副官はその本性を露わにする。
「させませんよ。私がこの軍にいる内は“大将が負けたので帰って来ました”などという言
い訳など使わせません。……悪は、根元から全て断たなければ」
「貴、様……。まさか始めから、村を……」
「当たり前じゃないですか。死に損い(デッドレス)の子孫がいる、そして正義を成す我々
に歯向かった。彼らもまた同罪です」
 全て計算の内だったのだ。
 ザッハロニの情も、真実を知ったハンクルス村の人々が抵抗するかもしれない可能性も。
 その上でキルロイは待った。この司令官(じゃまもの)が衰えるその時を。
 彼は、一騎打ちを文字通りの意味で受け入れた訳ではなかったのだ。
「違う……ッ! 違うぞ、キルロイ! 我々の武は……言われなき理不尽から、人々を守る
為のものだ。我々が断罪するのではない。お前の正義は、領分を越えておる……!」
 傷口から喉の奥から、血吐きながら、ザッハロニは苦痛の表情のままに叫んだ。
 しかしそんな元・上司の訴えに、キルロイは蔑んだまま耳を貸す様子はない。向けた杖先
の術玉が、ゆっくりと力を得て輝き出す。
「軟弱な……。貴方のいう帝国軍人の強さは何処に置き去りにしてきたのですか。理不尽を
──悪を滅ぼせば、災厄は事前に摘み取れます。滅ぼし続ければ、民にとって軍はなくては
ならぬ存在になります」
「……極論だ。悪とは、そんな単純な定義ではない。止せ、止すんだ。お前は正義の為に村
一つを丸ごと消すつもりか!?」
「ええ」
 ドンッと、キルロイが短く肯定したと同時、ザッハロニの身体が大きく揺れた。
 突き刺さっていた。多数の《岩槍》が、この巨躯の猛将を串刺しにしていた。
 デト達が声なき声で叫んでいた。眩暈のするような悪夢、鈍化する認識速度の世界。
「味方にならないのなら、敵ですから」
 再び《岩槍》がザッハロニの周囲足元から襲い掛かった。
 彼を串刺しにする岩石の円錐はあっという間にその数を増やし、最期まで抵抗し止めさせ
ようとしたその思いすらも掻き消して血みどろの肉塊に変える。
 ザッハロニは、やがて二度と動かなくなった。手から斧が落ちて地面に刺さる。大量の血
が雪崩を打って零れ落ち、異様な赤を作る。
「……これだから、時代遅れのジジイは嫌いなんだ」
 そんな亡骸を、キルロイは蔑み切って吐き捨てていた。
 甘い。悪は滅ぼさなければならない。その正義感が、彼に仁義という一線をかなぐり捨て
させている。
「……」
「な、何てことを」
「何処にも外道はいるものね……」
 デト達が、ゆっくりとこちらを見てくるキルロイと対峙した。
 アヤやリノンが呟き、エリス達村の人々を守るように周りを固める。一方でデトは何を想
っているのか、骸となったザッハロニの方をじっと見遣っている。
「さて……。将軍はお亡くなりになられた。ここからは私、ラフタス・J・キルロイが司令
官としての任を引き継ごう。……総員、ハンクルス共々死に損い(デッドレス)を滅ぼせ」
 その一言で、兵達が一斉に銃剣を構え直した。
 推測だが、いずれザッハロニから主導権を奪い取ることを想定して率いる兵達を事前に手
懐けておいたのかもしれない。
「流石はキルロイ将軍だ! 殺っちまってください! ぶっ殺せぇ!!」
 隊伍の後方で、ロッチがデト達とは正反対に興奮していた。兵達の銃口が一斉にエリスら
へと向けられ、引き金に指が掛かる。
「させるかッ!!」
 それでも、デトは飛び出していた。大切な人々を狙う銃弾や砲撃の雨霰を《結界》を張っ
て防ぎ始める。
「おやおや……いいんですか? そうしている間にも、力は消費されていくというのに。既
に貴方の中のエネルギーは危険水域の筈だ」
 しかしキルロイは笑っていた。いや、哂っていた。
 すると気付けば、その傍らには何やら機器を抱えモニタリングしている特技兵が数人。
 その画面上で推移──徐々に下降曲線が描かれているのを一瞥し、キルロイは続ける。
「ザッハロニと戦ったことで、死に損い(デッドレス)を死に損い(デッドレス)たらしめ
ている生命力の残機は大幅に減少した。いつまでも我々の攻撃を防げるとは考えていないで
しょう? 一応陛下より“生死を問わず”とは言われていても、こちらもできれば“消滅”
されない内に確保したいのですがね」
「……はいそうですかって言うと思うか? どのみちこの村も消す気なんだろーが」
 結界を維持し続けながら、デトは強情を張っていた。
 だが事実である。キルロイが部下に分析させているように、ザッハロニとの戦いを経て、
自身の中の残機は随分減ってしまった。まだあれだけの兵力とキルロイ、ロッチを倒すには
正直厳しいとさえ言える。
「デトさん!」
「来るな! ……ここで下がったら、奴らの思う壺だ」
 しかし、力を緩めることはできなかった。
 仲間達がエリスら村の皆が次々に自分の名を呼んでいる。加勢しようとしてくる。
 それでも肩越しに拒んだ。押し留めた。
 でもどうする? あいつの言うようにこのままでは力尽きて終わるだけだ。そして自分が
消えて奴らが残れば、この村は──エリスは、イリスは、ルシアは──。
「…………」
 ゆっくりと顎を引いて、デトは垂れた前髪に表情を隠した。
 銃弾から皆を守る為に《結界》をかざした手。すると空いていたもう片方の手に、彼は新
たな術を込める。
『──ッ!?』
 それは、巨大な炎だった。
 彼を中心として、一気に夜闇を昼に塗り直すかのような圧倒的な灯火。
 何よりもその炎は、三つの頭を持った、獰猛な狼の姿をとっていた。
 《獄犬》──広範囲を地獄の業火で焼き尽くす、高位の攻撃輝術。
 あまりの巨大さに、兵達の攻撃の手が止んでしまっていた。それを確認してからデトは左
手に張った《結界》を解き、更に《獄犬》の火力に力を注ぎ込む。
「……だ、駄目だよ! 今そんな大きな術を使ったら、おじいちゃんが……おじいちゃんが
消滅しちゃう(しんじゃう)!」
 驚きから虞(おそれ)へ。エリスはその表情を転がり落ちるように変えて叫んでいた。
 エリスが思わず飛び出そうとする。だが両親や仲間達、村人らによってその身体は押さえ
られ、ただボロボロと涙だけが彼女の両の瞳から零れ落ちる。
 まさかこの人は……。
 彼のやろうとしていることへの、嫌な予感。それは他の皆も勘付き始めていたことで。
「……死んじゃう、か。可笑しなことを言うなあ。俺は一回死んでるようなもんだろ。むし
ろ今まで長生きし過ぎたんだ」
 エリスが、皆が瞳をぐらぐらと揺らして立ち尽くす。
 その中でデトは、巨大な業火を天高く掲げながら、口角を吊り上げていた。
「間違ってるんだよ。文字通り他人の生命を喰って生き長らえたって、いい事なんて中々あ
りゃしない。知り合った人間はどんどん歳を取っていく。いずれは俺の前からいなくなる。
不老不死なんて……なるもんじゃない」
 ふと漏らした、彼らしからぬ弱さだった。
 だけど皆には解る。
「……ごめんな。せめて奴らだけは、俺の手で消し炭にする。だから……早い内に何処か皆
で遠い場所に移り住んでくれ。もう俺のことで、狙われないような遠い場所に」
 これはきっと、最期の言葉だ。
「エリス、イリス」
「ッ……!?」「お父、さん……」
「ごめんな。父親らしい爺さんらしいこと、何もしてやれなくて。……だけど嬉しかった。
こんな俺にも娘が、孫がいたんだって。俺は……一人じゃなかったんだって。こんなに嬉し
いことは、他にない……」
 もう涙を留めるものは、何一つ残されていなかった。
 母子は大粒に涙する。互いに抱き合い、ふるふると首を振っても言葉が出ない。
 礼を言うのは自分達の方だ。いないとばかり思っていた貴方に、やっと会えた──。
「……」
 ちらりと、しかし確かに、デトが肩越しにエリス達を見遣っていた。
 その目に焼き付けていたのだろう。再び正面に向き直り、一度目を閉じてから決意を繋ぎ
止めるようにガイウォン軍(たおすべきものたち)睨みつける。
 キルロイが震える手で杖を向けていた。兵達が一人、また一人と、腰を抜かしたり本能的
に隊伍から抜けて逃げ出したりし始めている。
 その中にはロッチもいた。デトが殊更にその眼光を彼に向ける。
 すると彼は「ひぃっ!?」と情けない声を上げて後退り、一目散に背を向けて兵らを押し
除けてでも逃げ出してゆく。
「……。ルシアに伝えておいてくれ」
 やがて、デトは言った。《獄犬》が咆哮して兵達を慄かせる。
 エリスが仲間達が爆音の中で叫んでいた。逝かないで。まだ、まだ……。
「──ごめん。愛してるって」
 それでも業火は止まらない。デトは掲げた右手を一気に振り下ろした。
 三つ首の炎狼が夜闇を薙ぎ払い、黒鉄色の軍勢を呑み込んでいく。兵達は勿論、キルロイ
やロッチをあっという間に灰燼に帰す。
 それと同時に、デトの身体がジリジリと加速度的に分解され始める。
 おじいちゃん……!
 エリスの悲鳴は届かない。爆音の中であっという間に掻き消されていく。

 そして、刹那。
 世界は紅蓮を通り越して──真っ白に染まった。


 結果から言えば、デトは消滅し(きえ)なかった。
 《獄犬》の火力が頂点に達するその寸前、チコがエリスの肩の上から飛び出し、自らの命
を擲って彼の完全消滅を食い止めたのである。
 やがて夜闇を晴らした業火は消え、跡には焼き尽くされ全滅したガイウォン軍と一人地面
に仰向けになって倒れているデトの姿があった。
 エリス達が彼の名を叫び、駆け出していた。デトも自らが消滅していないことを理解し、
自分の胸の中で光の粒となって溶け消えていくチコの最期を見た。
 ……災いは、去った。
 泣きじゃくって中々離れない孫と娘に苦笑しながら、デトは暫しほんのりと熱を帯び、黒
焦げた地面の上で寝転がっていた。
 そして夜が明ける頃、エリス達はこの戦いで失われた者達への弔いを始めていた。
 最期の最期まで敵にも仁義を通そうとしたザッハロニ将軍。
 命を狙ったとはいえ、多くが任務故にそうせざるを得なかったと思いたい兵士達。
 そして何よりも、デトを救う為にその身を捧げて逝ったチコを。

「……ただいま」
 加えて、死に損い(イアン)は果たすことができた。
 かつて──いや、今でも愛する人、ルシアとの再会を。
「……おかえり。随分と長かったねぇ」
 朝日が静かに差し込み始める明朝。デトは一人ルシアが眠る寝室を訪れていた。
 たっぷりと間を置き、戸惑いを振り切るように、ぽつりと第一声。
 彼女はずっと起きていたらしかった。半ば村人総出で、あれだけの騒ぎがあったのだから
無理もないのだろうが……。
 デトはゆっくりと彼女の枕元に歩み寄った。そっと屈み、長い歳月を経てすっかりしわく
ちゃになってしまったその手を優しく取る。
 言葉はそう多くなかった。それでも、ただ寄り添うだけで解るものは多くあった。
 暫くの沈黙。カーテンの隙間から差す柔らかな光。
 白髪紅眼と為った以外はあの日々から変わらぬ想い人の姿を見遣って、ルシアは静かに目
を細めながら微笑(わら)う。
「さっき、イリス達から外でのことを聞いたよ。随分と無茶をするじゃないか。あたし相手
に一言二言で済まそうなんてさ」
「……すまん。まさか消滅せず(きえず)に済むなんて思わなかったからよ」
 枕元にはあのロケットが置かれていた。
 年季が入っている節は否めないが、外蓋の汚れも中に収められた写真も、今は可能な限り
奇麗に手入れされている。
「娘がいたんだな。水臭ぇよ。知ってたら、化け物の身(こんなナリ)でも会いに飛んで行
ったろうに」
「あたし達も、エリスから聞かされるまではまさかこんな事になっているなんて思いもしな
かったさ。それに……あの子ができたって分かったのは、あんたが姿を消して暫くしてから
のことだったからねぇ」
 ゆっくりと、互いの絡む手はその位置を移し続けた。
 老婆と青年。しかし彼ら当人には、互いの姿が過去の自分達と重なっていることだろう。
「ごめんな……。お前の夢も、俺が」
「気に病むことはないよ。これはこれで、中々面白い人生だったと思ってる」
 ……すまん。再びたっぷりの沈黙の後、デトは呟いた。
 いいんだよ。それでもルシアは握り返す手を愛しげに動かし、彼の表情(かお)を見る。
「でもよかった。やっと会えた。……あの子達のこともある。暫くはこっちでゆっくりして
いってくださいな」
「ああ。勿論、そのつもりだよ」
 軽く目を閉じ、二人はそっと抱き合う。
 五十年越しの再会。
 そんな小さく大きな奇跡に、差し込む朝日はまるで祝福するかのように柔らかく温かい。

 もしかしたら、ギリギリまで“また会える”と信じ続けていたのかもしれない。
 最愛の人との再会から七日後の明朝、ルシアは皆に看取られ静かにこの世を去った。
 エリス達家族はボロボロに泣いた。村人や仲間達も少なからずがもらい泣いていた。
『……間に合ったのかな? 待たせちまって、ごめんな……』
 だが誰よりも悲しんでいたのは、他ならぬデトであったのだろう。
 彼女の葬儀はしめやかに執り行なわれた。村人達が次々に献花して冥福を祈る中で、デト
は誰よりも長く、ずっとずっとその墓の前に跪いていた。
 彼女との約束通り、デトとその一行は合わせて二週間近く村に滞在した。
 犠牲者達やルシアの弔い、消耗し切ったデトを回復させるという態で連日開かれた宴会。
何よりも、ガイウォン軍を撃退したことで周辺状況がどうなったかを探る潜伏期間。
 サヴル隊やレイリアにいるヒューゼ達より、何度となく念入りに報告が飛んできた。
 曰く、本隊及び総大将を失ったカーヴ城の分隊は、様子を訝しみ接近してきた討伐軍との
小競り合いの末、沿岸部の艦からその情報を受け取り事実上の敗走。エクナート軍も、それ
までデッドレス討伐を銘打って協力させていたトーア諸侯や長引く戦いに批判が沸き始めた
国内世論を受け、帰国せざるを得なくなったのだという。
 念入りにその情報を裏づけをし、デト達は併行して荷造りを始めた。
 このままハンクルスに居座る訳にはいかない。正直後ろ髪は引かれたが、機を逸してしま
えばそれこそ、再び村をピンチに陥れてしまうことになる。
「──世話になったな。それ以上に迷惑ばっかり掛けたけれど」
 その日の朝、デトはサヴル隊とササライ傭兵団、リノン一派らと共にハンクルスを発とう
としていた。まだ焼け焦げが点々と残る村の入り口では、一行をエリス以下村人達が総出に
なって見送りに来てくれている。
「そんな……お礼を言いたいのは私達の方よ。村を守ってくれて、それにお母さんの事も」
「デトさんさえよければ、もっともっと居てもいいんだぜ?」
「また飲もうや。あんたらがいると俺達も楽しいからさ」
「……気持ちだけ受け取っておくよ。これだけデカい騒ぎになっちまったし、色々後始末を
やっとかないといけねぇんだ。古城ん中で帰した傭兵達から話は通してあるが、一旦エル・
レイリーに戻ってヒューに詫びねぇと。あとこいつらの面倒についても話をつけとかないと
いけねぇし」
「おじいちゃん……」
 何度か繰り返した説明を、もう一度皆に話す。
 そうしていると、祖母から託されたあのロケットを首に下げたエリスが、今にも泣き出し
そうな様子でデト達をじっと見つめてくる。
「……そんな顔するなよ。もう大丈夫だ。今度からはもう《転移》でひとっ飛びできるんだ
からさ。もう会えないなんてことじゃねぇだろ?」
 デトは苦笑すると、エリスの前に屈んでその髪を何度も優しく撫でてあげた。
 なのに、彼女の涙は中々止まらない。
 得たもの。失ったもの。きっと此度の旅路によって、彼女自身も分からないほどに心の琴
線が触れられっ放しになってしまっているのだろう。
「……」
 すると、デトはふと何かを考え込んだかと思うと、おもむろに指先をもう片方の腕に押し
当て始めた。
 エリス達が目を瞬かせる中で、彼はずぶずぶと指先を腕の中に完全に差し込むと暫し何か
を捜すように細かく腕を弄っている。
「よし……。エリス、手ぇ出してみな」
「? う、うん」
 そうして取り出したのは、例のブヨブヨだった。
 デトはそれを、エリスが認識するかしないかの内にその広げた手の上に乗せる。
 村人達が少なからず気持ち後退った。しかしエリスは掌の上から伝わるその“懐かしい”
温かさに身動きを止め、じっと乗せられたブヨブヨが揺らめくのを観察する。
 するとどうだろう。最初の内はブヨブヨだったそれが、徐々に石のように固まり始めたの
である。一同は目を丸くした。輝石──彼らの脳裏にそのフレーズが過ぎる。
 そしてブヨブヨが完全に石に、輝石に変じた頃には、赤い色はすっかり褪せて代わりに鮮
やかな金色へと変わっていたのだった。
「……これは」
「チコだよ。あいつは、俺の中でまだ生きてたからな。取り出してみた」
 ぽつりと呟いた問いへ返ってきた答えに、エリスは大きく大きく目を見開いていた。
 淡い金髪のセミロングがふぁさっと揺れる。掌にあるこの輝石が、あの時おじいちゃんを
助けて消えてしまった……あの子の?
「輝獣ってのは前にも話した通り、輝石を核に生まれる。流石に前と全く同じ姿形になるっ
て保障はできねぇが、チコの心が残っているのなら、またお前が会いたいと願えば、きっと
もう一度生まれ直してくれる。……俺からの、あいつへの恩返しだ」
 エリスの頬を、大粒の涙が伝った。
 ぱくぱくと言葉にならない声が漏れる。そんな孫娘の頭を、デトはもう一度優しく撫でて
やってから再び仲間達の方へと戻っていく。
「じゃあ行くよ。エリス、イリス、あとロレンスも。村の皆と仲良くな」
 デト達は一歩また一歩と歩み出そうとしていた。
 受け取ったばかりのチコの石を抱えて、エリスは声を掛けようとする。
 でも……上手く言葉にできない。本当は離れたくないけれど、そうやって我がままを言い
続ける訳にはいかない。
「……いいわよ」
「えっ?」
「行ってきなさい。お父さん達の役に、立ってあげて?」
「ほら、ここに鞄もある。ずっと名残惜しそうにしていたからなあ」
 すると、そんな彼女の背中を押してくれたのは、他ならぬ両親だった。
 イリスはそう言って微笑み、ロレンスは娘愛用の鞄を掲げてみせて優しく苦笑する。
 父から鞄を受け取りながら、エリスはポカンとしていた。
 見れば両親だけではない。村長以下、村の皆が笑顔で頷いている。……いつの間にか、皆
に気を遣わせてしまっていたらしい。
「……。ッ!」
 だからエリスは踵を返して駆け出した。皆の厚意にまた泣きそうになりながらも、それで
も離れたくない大切な人達の下へと駆け出していく。
「おじいちゃん、サヴルさん、リノンさん、カミナさん、アヤさん、皆さん!」
 デト達が振り返っていた。
 それでも何となくこうなると勘付いていたのだろうか。
 リノンやカミナといった年長組からは、その眼差しに始めから何処か包み込んでくれる温
かみのようなものを感じる。
「私もっ、私も一緒に行きます! もっとおじいちゃん達と一緒にいたいんです! もっと
もっと、皆さんに恩返しがしたいんです!」
 とはいえ、少なくともデト本人は大いに驚いていたようだ。
 身内だからこそ、なのか。ここまでアグレッシブに、まさか村人全員が彼女を送り出すと
までは想定していなかったらしい。
「お前……。でもよぉ」
「お願い、おじいちゃん。私も……私も……!」
「あぁぁ……!? わ、分かった。分かったって。だ、だから泣くなよ……な?」
 孫娘の涙には弱かった。そんな人間的な一面が見れて仲間達がそれぞれに苦笑いだの微笑
ましさだのを向けてきている。デトはそんな彼らを心持ちむくれっ面で一瞥しつつ、エリス
に向かって改めて問うた。
「……でも、本当にいいのか? 正直言って、俺の傍にいるとろくなことになんねぇぞ」
「それでもだよ。だからこそ私もいるの。もう……おじいちゃんを一人にはしないからね」
 デトは暫く固まっていた。
 だがその動揺を、むず痒い嬉しさを、彼は苦笑いに視線を逸らすことで隠そうとする。
「……ホント物好きだよ。流石はルシアの血を引いてるだけのことはある」
「うん。それに……おじいちゃんの血も」
 今度はエリスがそう切り返していた。また目を瞬き、デトが「一本取られたな」と笑う。
 仲間がまた一人増えた瞬間だった。改めてデト達は村の入口で手を振ってくれるイリスと
ロレンス、村人達を見遣って手を振り返し、出発の時とする。
「じゃあデト君。はいこれ」
「おう」
 リノンから渡されたのは《転移》の術玉だった。壊れないように嵌められた金属の丸型枠
には、転移用に特化されたという旨の文言が刻まれている。
『……』
 デトはそれを受け取り、一度じっと見た。
 彼を囲むは、五人プラスアルファの仲間達。
 つい半月ほど前はこんなに他人に囲まれることなんて無かったのにな──。
 そんなことと思いつつ、デトは術玉を高く空に掲げて、すっかり満ち戻った力を込める。
 一同の足元に大きな魔法陣が現れた。この門(ゲート)を潜ればあの街に着く。
 長いようで短い旅だった気がする。
 果たして今回の旅の中で、自分はどれだけのものを得られただろうか? どれだけ変わる
事ができたのだろうか? 何も無かったということはない。でも得た、というには厳密では
ないと思う。
 だって思い出したのだから。……かつて愛した人と、その子孫達という愛しい者らを。
「──開門(リンク)、エル・レイリー!」

 術玉に力が伝って辺りに光が満ちる。
 ゆっくりと回転しながら空へ上っていく魔法陣、それらが通り抜けていく自分達の身体。
 田園風景が一瞬にして切り替わるその刹那、死に損い(デッドレス)と呼ばれてきたその
男は、確かに心の底から笑っていた。 
                                      (了)

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  1. 2013/03/14(木) 18:00:00|
  2. 死に損いのデッドレス
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
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Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

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