日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(企画)週刊三題「イロコイシルシ」

──これから毎週、小説を書こうぜ?

毎週一回、ツイッタの「診断メーカー」で出たお題で小説を書いてみるという
自己鍛錬、 それがこの『週刊三題』であります。
さてさて。紡がれる文章は良分か悪文か、或いは怪文か?
とある物書きの拙文晒し、此処に在り。

【今週のお題:天使、リボン、魔法】


 次の瞬間、虹色に輝く光の粒が自分に雨霰と降り注いできた。
 そんな出来事に透也は思わず唖然とする。
 だが、彼にとって驚きだったのは。
「は~い。これでオッケーです! これで貴方もモテ街道間違いなしなのですよー」
 むしろこの騒々しい変化を持って来た張本人──頭に淡い金色に光る輪っか、背中に白い
翼を生やした“自称・天使”なる人物そのものであって……。
「……。何で俺なんだよ……?」
 別にそんなことを頼んだ訳でもなく、ましてやこんなエキセントリックなイベントに飢え
ていた訳でもない。
 ただ穏やかに日々が過ぎればいいと思っていた。
 それがたとえ平凡な生活でも、死なない程度の稼ぎと節制があればいいと思っていた。
「何でと言われましても。今回ターゲットに指定されたので」
「はあ……」
 なのに。なのに神様というのは色々と意地悪い性格らしい。
 不完全な世界を創り、要らぬトラブルを巻き起こし、それらを試練だ何だとのたまっては
遥か高い何処かで踏ん反り返る。
 これまで何度となく世の中というものを恨んできた自分も、流石にグーパンして彼奴を引
き摺り下ろしたい気分だ。
 透也はあからさまに面倒臭そうな、信心など丸めてゴミ箱に捨てたような表情(かお)を
していた。一方で天使を名乗るこのみょうちくりんな女性──最初に現れた直後のやり取り
の中、便宜上“テン子”と仮名した彼女は、ぼさっとした長めの茶髪で表情を隠し、辛うじ
てその口元からどうやらニコニコとしているのが分かる。
「まぁまぁ、そんな嫌そうな顔をしないでくださいよ。ここはどーんと大船に乗ったつもり
でお任せください。この私が、貴方の恋を成就させてみせますから!」
「……。余計なお世話だよ」
 テン子曰く、自分に春を訪れさせるのが今回の彼女の任務であるらしい。
 安アパートの一室。確かいつぞや引越しをする友人から譲り受けた、プラスチックな灰色
のテーブルに肩肘をついて大きなため息を一つ。
 透也は、平凡というものの脆さを嫌というほどに思い知らされる。


 その日以来、テン子は四六時中透也につきまとうようになった。
 流石にトイレや入浴中は来なかったが……それでも寝ている時まで頭上で浮きながら寝て
いるのは、その、精神衛生上よろしくない。みえる。
「……」
 それはさておき、彼女が現れてからのこの数日で分かったことが幾つかある。
 一つはテン子の姿や声は自分以外には見えず、聞こえていないらしいということ。
 未だに半信半疑なのだが──愛の天使(キューピッド)の任を果たすのに支障が出る事態
を避ける為の効力なのだろう。その所為で何度彼女についツッコミを入れてしまい、周りか
ら怪訝の眼で見られたことか……。
 もう一つは、彼女が「自分の恋を成就させる」と宣言していたことに関係する。
 多分あの時の虹色粒子の影響なのだろう。
 自分には──“視える”ようになっていたのだ。
「……荷物、持ちましょうか?」
「あらま。ありがとうねぇ」
 それは胸元にちょこんと付いたリボンだった。
 最初は何かしらのキャンペーンでもあるのかと思っていたが、見る人全ての胸元にそれが
付いていることを考えて違うと分かった。
『ふふふ。何を隠そう、これこそ貴方に与えた祝福なのです!』
 まさかと思って訊いたら、テン子はご丁寧にも得意げな様子で説明してくれた。
『今貴方の目には“他人の自分に対する好感度”が視えるようになっているのです。リボン
の色が鮮やかな赤であるほど好意、逆に暗い青になるほど敵意をその人が抱いているという
ことになります。ですので、赤いリボンが見える人にどんどんアプローチしていけば恋人の
一人や二人、ホイホイ作れるってカラクリなのですよー』
『いや……何人も作っちゃ駄目だろ』
 要するに好感度メーターである。
 なるほどと透也は思ったが、正直それでテン子が促すように新しい恋を見つけるという気
にはなれなかった。どうにもズルをしているような気がして気持ち良くなかった。
「……。それではこれで」
「はいはい。どうもご親切にありがとうねぇ」
 だからバイトに行く途中で見かけた、多い荷物に困っている老婦人を見てみぬふりする事
もできず、つい足を止めて戻って手伝ってしまう。
 近くのバス停まで荷物を持っていってあげ、来た便に乗り込む彼女を透也は見送る。
 声を掛けるまで黒かったリボンの色が、自分が手を貸したことで薄くなり、今や淡い黄色
にまで変化している。
『ふぅん……。じゃあ黒は何になるんだ? 見た感じ、こうして見かける連中の殆どがそれ
なんだが』
『はい。黒色は“無関心”を意味しています』
『……なるほど』
 老婦人が乗ったバスが走り去るのを肩越しに見送り、再び歩き出しながら透也は思う。
 ──やっぱりこんなもの、視えても気持ちのいいものじゃない。

 あの天使(自称)は自分に春を訪れさせようとしている。
 放っておけ、余計なお世話だと何度も言った。だが……実の所自分も、今まで一度も恋人
がいなかった訳ではない。
 名前は彩子といった。よく喋りよく笑う、太陽のような笑顔の眩しい女の子だった。
 切欠は何だっけ。確か学生の頃、同じ自転車サークルに入ったことが縁だったように記憶
している。
 特に意識していた訳ではない。なのにアプローチは彼女からやって来た。
 最初は何故平々凡々な自分に? と思ったが、結局断る理由もなく付き合い始めた。
『ん~……? あれだよ、アレ。いつも静かにしてて、皆の中でも隅っこにいたからさー。
それで気に掛けてたら……好きになっちゃってたんだ』
 いつか訊いた理由はそんなもの。実際にその時の彼女自身も、照れ臭そうに笑っていた。
 だから色恋なんてものは、案外そんなものなのかもしれないと思った。テン子が半強制的
に視えるようにしてきた好感度リボンだって、結局は状況次第で簡単に旗色を変える。人も
世も、気が付けばすぐに移ろい、変貌する。
 ……別れは突然だった。
 前日、女友達ら数人と日帰り温泉に出掛けた彩子が、帰らぬ人となった。
 交通事故。彼女らが乗った帰りの車に、居眠り運転のトラックが対向車線からはみ出して
正面衝突したのだ。
 彩子達は病院に運ばれたが、助からなかった。
 何せ機体の大きさが違い過ぎる。五人の内、彩子を含めた三人はほぼ即死。残り一人は今
も後遺症に悩まされ、最後の一人は生き残ってしまったことを苦に自ら首を吊ったという。
 悪夢の五年間だった。
 最初の一年は毎日のように部屋の片隅で咽び泣いた。成り行きで付き合い始めた彼女とは
いえ、喪うことがこんなにも苦しいのかと思った。いっそ後を追おうかとも思った。
 それでも……二年、三年と時間が過ぎるにつれて、慣れていく自分がいた。
 いや、正確には元々“いなかった”状態に戻っただけなのだと、自分に言い訳をし始めて
いたからか。
 件のトラック運転手を恨む気持ちは、不思議なことに徐々に色褪せていった。
 既に彩子達の遺族が、裁判を起こして争っていたからだろう。
 決して戻ってくることのない者達の為に闘う──そんな姿を遠目に眺めている内に、自分
はどだい“他人”なのだと、そう感じるようになってしまったからだった。
 だからもう……繰り返したくないと願った。
 こんなにも苦しいのなら、こんなにも薄情になれてしまうのなら、もう二度と──。

「はぎゃっ!?」
 鈍い痛みを伴うかつての光景が不意に途切れたのは、そんな素っ頓狂な声が耳に飛び込ん
できた所為だった。
 透也はハッと我に返り、それまでぼんやりと立っていたキッチンルームで顔を上げる。
 見渡したのは、バイト先である某ファミレスの店内。
 すると彼が予感した通り、テーブル席の一角では先程の声の主がピンチに晒されていた。
「おい、お前……。何てことしやがる」
「も、もも、申し訳ございませんっ! す、すぐに拭き──」
 自分よりも幾分年下の、ウェイトレスの女の子だった。
 先程まで対応していたとみえる席には、トマトソースとスパゲッティを盛大にぶちまけら
れて噴火寸前の強面な男性客が、慌てふためく彼女を睨み付けている。
 またやっちまったか……。
 そんなことを思って、透也はごく自然に習慣と為ったように足を踏み出していた。
「ちょ、てめっ……。そんなにゴシゴシ拭いたら余計に拡がっちまうだろーが!」
「えっ? うわ、すすす、すみません!」
 その間も、二人のやり取り(というよりも怒号)は続いている。
 女の子は咄嗟にこの客にこぼしてしまった料理を拭き取ろうとするが、彼が着ていた服の
生地も相まってむしろ汚れは染み込んでしまう格好になる。
 再び怒鳴られて、彼女は完全にパニックになっていた。
 涙目になって、文字通りどんどん小さくなっていくのが分かる。
「お客様」
 そこへ透也が割って入った。
 一方では「せ、先輩……」と、安堵や戸惑いの混じった声。
 一方では明らかに怒りの矛先をこちらに向ける気満々で睨んでくる、この男性客の視線。
 透也はそれでも至極落ち着いて口を開いていた。伊達に長く店員をやっていない。
「スタッフが粗相をしてしまい、申し訳御座いません」
「見りゃ分かんだよ! この服ぁ高いんだぞ、弁償してくれるんだろうなぁ!?」
 形式的に深く謝罪の一礼。だが男性客の怒りは収まらず、徐々に本性らしき荒っぽい言動
が露わになる。
 やっぱヤーさんの気(け)か……。
 透也は判断し、店の奥からこちらを覗いているフロアチーフを横目に見ると、彼が許可の
意で頷くを確認してから、言う。
「そう大きな声を出さないでくださりませんか。お詫びとして今回の料金は無料にさせて頂
きますので。……周りのお客様が、見ております」
 非はあろうと、一方的な脅しには屈しない。後々で紛争沙汰になればそれこそ面倒と損失
が急激な比例曲線を描くことになる。
 できるだけ穏便に。この場で片付くように。
 透也はこれまでのノウハウを活かして、利益をちらつかせつつ今という状況──大多数の
目撃者という現実を彼にそれとなく突きつけてやる。
「……。チッ」
 言われて男性客は店内を見遣っていた。そんな彼に返ってくるのは、怯えや不快感を滲ま
せた他の客達の視線。
 もし此処で事が大きくなれば、この少なからずが自分の“敵”になるかもしれない──。
 そう理性が勢力を盛り返したのだろう。男性は捨て台詞のように舌打ちをすると、改めて
透也達を睨みながらすっくと席から立ち上がる。
「……もういい。帰る」
「……。ご利用、ありがとうございました」
 最後まで男性客は不機嫌だった。ウェイトレスの子と共に彼が出入り口の自動ドアを潜っ
て姿を消すまで、深々と頭を下げる。
 当然というべきか、彼の胸元のリボンが黒からあっという間に深い青になるのを視界に映
しながら。
「……ふぅ」
「あの。す、すみません、先輩。また私……」
「反省してるならいい。ほら、早いとこ片付けるぞ」
「……。はい」
 それからは同僚らにフォローして貰いながら、透也は二人して、彼女がぶちまけたトマト
ソースやスパゲッティの掃除に追われた。
 彼女はまだ涙で目を腫らしていた。その間も黙々と、目立つ料理の残骸などは奇麗に拭き
取られては生ゴミ行きになる。フローリングに染み付いた汚れは閉店後にでも清掃機を掛け
ることになるだろう。店内ではまだ客が飲食をしている。
「お疲れ。すまないね、また対応させて」
「いえ……。もう慣れっこです」
 一通りを済ませて奥に引っ込むと、フロアチーフが苦笑しながら声を掛けてきた。
 透也はそんな彼の言葉にも淡々と応えると、手を洗いまたすぐに仕事に戻ろうとする。
「あの……」
「ん?」
「すみません。何度も何度も……」
 そうして前を通り過ぎようとした時、ぽつっと彼女は改めて頭を下げてきた。
「さっきも言ったろ。反省してるんなら俺が叱る理由なんてないだろ。まぁ、チーフからは
また別にあるかもだけど」
「うぅ……。そ、それは……。はい」
 毎回よくもまぁ懲りずに同じ反応をするよなぁ。内心で透也は困惑していた。
 先程言った言葉を繰り返す。つい皮肉も付け加える。
 ぶるるっと、分かり易く彼女が「美郷」の名札と共に身体を震わせるのが分かった。
(ヘマはするけど、そう悪い子ではないんだけどなあ……)
 そう思い、つい背丈の差や年下ということもあって慰めるように頭を撫でてしまい、透也
はすぐにこの自分の行いにバツの悪さを感じる羽目になった。
「……」
 同僚・先輩とはいえ、撫でられているのに何処かほっこりと頬を染めて嬉しそうな彼女。
 その胸元に付いた例のリボンは、鮮やかな赤色に染まっていて……。


「──う~ん。やっぱりあの子、美郷ちゃんだっけ? いいと思うんだけどなあ」
 慣れとは怖いもので、今日もまたごく自然に──しかし実際、他人が見たら間違いなく驚
くであろう非日常的さで──テン子が部屋の天井近くに浮かんでいる。
 ベッドの上に横になっている透也に語っている彼女の話題は、彼のバイト先の後輩・美郷
についてであった。
 彼女の目的は、繰り返すが透也に春を来させる──恋人を作らせることにある。
 そんな自称キューピッドな彼女が、美郷が宿すあの赤リボンを見逃す筈がなかったのだ。
「……美郷はそういうのんじゃねぇよ。ただの後輩だ。新人の時に俺が教育係を任されてた
から、その延長上でくっついてくるってだけだろ」
 しかし透也の方は、あくまで素っ気ない態度を貫こうとした。
 頭上でテン子が前髪に隠れた顔で唇を尖らせているのが見える。だがそれも敢えて無視を
し、彼はごろりと寝返りを打って話題を断ち切ろうとする。

『──せ、先輩。ず、ずっと好きでした! つつ、付き合ってください!』

 なのに思い出されてしまうのは、先日のバレンタインデーのこと。
 何故か自分のシフトが終わるのを待っていたらしい彼女から渡されたのは、十中八九間違
いなく本命宛てにとラッピングされたチョコと、そんな愛の告白。
 例の如く胸元のリボンは赤かった。内心、透也は神様とやらに幾度目かの怨嗟を吐いた。
 放っておいて欲しい──もう恋人だの何だのは懲り懲りなんだ──。
 しかしそんな、きっと他人とって胸糞悪く重いだけの事情(りゆう)を話せる筈もなく、
結局チョコだけは受け取り、肝心の告白の返事は暫く時間をくれという形でその場をしのい
だのだが……。
「またそんな事言っちゃって……。実際嫌じゃないんでしょ? もしそうだったらあの場で
断ることだってできた筈だよ? あれだけフラグも立ってるんだから、据え膳食っちゃえば
いいのに」
「フラグ言うな。あと俺はそんな節操のない男じゃない」
 本当に天使なら、いち人間の過去(プライベート)くらい知っていそうなものだが……。
 透也はツッコミ的に言い返すと、また一層ぎゅうっとベッドの上で丸まった。
 実際、テン子の言っていることは当たっている。
 自分は美郷が「嫌い」ではない。ドジこそ多いが、根っこはとてもいい娘だ。もし彼女の
父親やら兄だったら猫可愛がりしていたかもしれない。
「……」
 でも、だからこそ。峻別しなければともう一人の自分が厳しく訴える。
 もう繰り返さないと願った。平凡でいいんだと決めた。
 ……そして、何よりも。
(あのリボンを使って彼女を作ろうだなんて、やっぱり卑怯だろーよ……)
 拭えない痛みが、恐怖が、この自分の判断を正当化させようと蠢き続けているから。

 翌日、透也はいつもより早めに起きて電車に乗った。
 向かった先は、自分の住んでいる街の下町よりもずっと郊外にある、閑静な住宅街。
「──ごめんなさいね。ろくなものを用意できなくて」
「いいえ、お構いなく……。自分が急に押しかけるような真似をしたからですし」
 暫くぶりに訪れた、彩子の実家だった。
 出迎えてくれた彼女の母に案内され、真っ先に仏壇の前で焼香をして手を合わせる。
 彩子の母は少しだけ、ほんの少しだけ元気を取り戻しているように見えた。
 とはいっても、全体から見る印象は“痩せこけた”の形容からは抜け切らない。そんな事
実が、それでも微笑を作って自分を迎えてくれる彼女が、透也にはとても不憫で申し訳なく
思えてならなかった。
「でもどうして今日? 月命日でも何でもないのに……?」
 出された茶を受け取り、一口二口啜る。畳敷きの部屋と相まって、緑茶の香りがざわつく
胸奥をそっと撫でてくれる。
「……ちょっと、思い出してしまって。ふと会いたくなったんです」
 彩子の母は静かに笑っていた。……いや、多分困惑していたのだろう。
 暫く二人は黙っていた。本当は頭上にテン子もついて来て浮かんでいるのだが、流石にこ
の場の空気──何より透也の抱える事情を気取ったらしく、今は空気を読んでくれている。
「…………。ねぇ、透也君」
 彼女がゆっくりと口を開いたのは、そんな長い沈黙の中に呑み込まれそうな錯覚に陥る、
その寸前のことだった。
「これは、今までも何度か言おうとしていたことなのだけど……もうそろそろ、透也君も自
分の幸せを求めてもいいんじゃないかって、思うの」
 緊張気味に顔を上げた透也は、静かにその両の瞳を揺らしていた。
 遠回しに言えば、ネガティブにとれば、もう私達に関わらないで欲しい──。
 全く忘れることはできないにしても、もしかして自分がこうして訪れることが、彼女達の
心の傷を抉っていることになるのかと思った。
「あ、ごめんなさい。その……透也君を突き放すとかそういうことじゃなくて」
 顔に出てしまっていたのだろう。彼女は苦笑して、彼の瞳からその懸念を否定していた。
 バツが悪そうに視線を下にきょろきょろ。慎重に言葉を選び直すようにして、彼女は改め
て話し始める。
「……先月、判決が出たのはもう連絡したわよね? 結局危険運転の方は認められなかった
けど、あの子達を死なせた運転手はこれで刑に服することになる。だからこれからは、彩子
にも静かに眠って貰おうと思って……。だから進まなきゃって、思うの。私達も透也君も、
これからはもっと自分の幸せの為に生きるべきなんじゃないかって」
「ッ……。でもっ!」
「分かってるわ。貴方は彩子のことをとても大切にしてくれた。もしかしたら息子になって
いたかもしれないものね。今でも彩子のことを愛してくれているのは、嬉しい」
 でもね、と彼女は控えめに呟いていた。
 一方で戸惑う、と言いたかったのだろう。透也は口を噤み、目を細めようとした。
「信じられないかもしれないけどね? 少し前、夢の中で彩子に会ったの。そうしたらあの
子、何て言ったと思う? 『透也が悩んでるみたいだから、背中を教えてあげて』って」
「えっ」
 なのに、返ってきた言葉は思いもよらぬものだった。
 夢枕に出る──。本人の言う通り眉唾な話ではあるが、実際に自分が迷いを抱えているの
は事実だった。思わず短い驚きを漏らす。それは、実質的な自白でもある。
「……もしよければ、話してくれる?」
 それでも透也はすぐに打ち明けることはできなかった。そして怖かった。
 自分には彩子という女性(ひと)がいるのに、今まさに別の新しい女性に──年下の女の
子に告白されてしまっている。その不貞を、この人に知られたら……。
「……。実は──」
 しかし透也は、最終的に詰まりながらも打ち明けざるをえなかった。
 虚を衝かれたとはいえ、ボロを出してしまった。もう繕い偽ることなどできぬだろう。
 何よりも、じっと真剣な眼差しで見返してくる彼女に抗うことができなかったのだ。
「……そうなの。モテモテね。流石は透也君」
 美郷に関する一通りの話を聞いて、彼女はたっぷりと間を置いてからそう口にした。
 後半混ぜたからかいの言葉。だが透也も、それが純度百パーセントのものではないことく
らい、流石に解る。
「それで、何を躊躇うことがあるの?」
「えっ?」
 なのに……二度目の虚が来た。
 彼女から返ってきたのは、聞き間違いがなければ、それは紛れもない“許し”だった。
「……そんなに驚くことないじゃない。言ったでしょう? 透也君もそろそろ自分の幸せを
見つけたっていいって。彩子のことを忘れられないっていうのは分かるし、親としてもそこ
まで想っていてくれるの嬉しいわ。……でもね? 貴方が幸せになってくれれば、きっとあ
の子も喜んでくれると思うの。だからこそ夢枕に出てきたんだろうし、あの子の性格からし
てこのままずっと自分の所為で貴方が悩み続けるのは本意じゃない筈よ」
「……」
 ゆっくりと、しかし以前から考えていたことであるように、彼女は語ってくる。
 確かにそうかもしれない。透也もそう思った。
 あの快活な性格の彩子なら、自分達のような立場に置かれたなら、そう願っても不思議で
はないと思えた。
「透也君。貴方も、自分の幸せを見つけて」
 何と強い女性(ひと)だろうと透也は思った。
 仮にはいそうですかとなれば、間違いなく自分とは疎遠になる。また一つ、彼女は孤独を
味わうことになるであろうに。
「それに……。女の子を泣かせるなんて、男が廃るわよ?」
 彼女はそしてそう、ウィンクをしてみせて言った。
 静かに、酷く力なく透也は只々苦笑する。
 ……女性に背中を押されている時点で、男の矜持も何もない気がするのだけれど。


 ホワイトデー当日の夜は、しんしんと雪が舞っていた。
 もう三月だというのに今年の寒波はしつこい。そんな事で思考を紛らわせても、透也の内
心は先程から一向に落ち着かない。
『……』
 理由は簡単。この日、透也は美郷と共にバイト上がりの帰り道を歩いていたからだ。
 結局、答えを出さずに今日まで来てしまった。
 一応お返しの品はギリギリになって用意しておいた。なのにそれを渡すタイミングを自分
は見つけられない。……いや、見逃してしまう。
「……っ、み、美郷」
「は、はいっ!?」
 ええい、ままよ。
 人気が少ないことを再度確認し、透也は一歩前に出ると振り返って言った。緊張していた
のは彼女も同じようで、そこだけはホッとし、大きく息を整えると片肩に引っ掛けていた鞄
から包装されたお菓子の詰め合わせを彼女に差し出す。
「これ……。バレンタインの、お返し」
「あ。ありがとう、ございます……」
 おすっとして手を伸ばし、美郷はその一品を大事そうに胸元に抱えて俯いていた。
 彼女も透也も、黙り込む。
 そうだ。まだ肝心なことを……伝えていない。
「その、な。一ヶ月前のことだけど」
 ビクンと美郷の身体が震えるのが分かった。
 無理もないだろう。引っ張るだけ引っ張っておいて、この状況だ。予想しない訳がない。
「……気持ちは嬉しいけど、うんとは言えない」
「えっ」
 だから勇気を振り絞って透也は言った。刹那、半ば反射的な彼女の小声が聞こえる。
「もうそういうのは、懲りてるんだ。……仕事仲間でいようぜ」
 また暫くの間、美郷はその場で黙り込んでいた。
 ゆっくりと無数の白が地面に落ちてくる。彼女の羽織るコートにも、点々と斑点を作りな
がら静かに水気に変わっていく。それまで経過を見守っていた頭上のテン子も「何で!?」
と言わんばかりに頭を抱えているが……例の如く気にしたら駄目だ。
「……やっぱり、彩子さんって人のことが忘れられないんですか」
 驚いたのは透也の方だった。
 まるで後頭部を鎚で殴られたかのような衝撃。
 記憶が正しければ、この子に彩子のことは話していない筈だが……。
「あ、その……。以前に聞いたんです。米岸さんに」
「……。あのゴシップコック……」
 今度シフト外で会ったら殴ろう。二千発くらい殴り倒そう。
 そんなことを透也は思い、小さく舌打ちしたが、そんな自分を見る美郷の眼差しは真剣そ
のものだった。
「覚悟は、していました。亡くなった方でも、先輩の心の中で生きてるんですから」
「……じゃあ何で」
「決まってるじゃないですか。それでも……好きだからですよ」
 泣いていた。いつものドジをした時の涙目ではなく、恋する乙女の大粒の涙だった。
「先輩はいつも、ドジばっかりする私をフォローしてくれました。優しくしてくれました。
それが先輩にとっては仕事の一つに過ぎないってことは、分かっているつもりです。私も最
初の内は、この気持ちはちゃんと仕事とプライベートに分けてしっかりしまっておくべきだ
と思っていました。でも──」
 透也は聞きたくないと思った。解ってしまったから。でも訊くしかできなかった。
 ぎゅっと、お返しのお菓子箱を胸に抱き締めて零れる涙を必死に堪えて、彼女は続ける。
「聞いてしまったんです。米岸さん達から先輩が昔、恋人を事故で亡くしたって……。その
日、私は自分の部屋でわんわん泣きました。届かないんだって。多分この気持ちを伝えても
先輩の中には彩子さんがいるんだって」
「美郷……」
「でも。でも……やっぱり駄目です。自分に嘘はつけませんでした。相変わらず先輩は私を
いつも助けてくれて、優しくって。もしこの人の想われたなら、凄く大切にしてくれるんだ
ろうなって。それこそ、死んでしまっても」
 喉の奥が酸欠になりそうだった。
 声が出ない。彼女が必死に想いを伝えてくれているのに──最初にこっちが断ったのに、
まだ伝えてくれている。
「差し出がましいとは分かってます。彩子さんの代わりにはなれないんだろうなって、前々
から解っていたつもりなのに……」
 自分なんかと違って、恐れを乗り越えて、正直に真っ直ぐに。
「でも──好きなんです。ごめんなさい……っ」
 そこまで言って、彼女は力尽きた。堪えていた涙が限界を越え、ぼろぼろと溢れては薄ら
と雪が積もり始めた路の上に落ちていく。
「……」
 透也は長い間、応答すらできないでいた。
 拒絶される恐れを悟って、覚悟して、それでも伝えてきたこの子の思い。
 自分の幸せを見つけて欲しい、女の子を泣かせちゃ駄目だと言ってくれた彩子の母親。
 何よりも……そうして誠をぶつけられても、尚も自分本位の痛手を恐れて逃げ続けている
自分という存在への怒り。
「──本当に、いいのかよ?」
 美郷がゆっくりと、泣き腫らした顔を上げていた。
 じっと見返す透也の瞳が震えている。
 少しでも気を抜けば、すぐに足元から奈落へと崩れ落ちてしまいそうな錯覚が彼の四肢を
捕らえている。
「俺は……臆病者なんだ。彩子の所為にしてずっとめそめそしてる癖に、それをバレないよ
うにクールを装ってきた大馬鹿野郎なんだぞ」
 最初、美郷には言っている意味が分からなかった。
 だがやがて、それが彼なりの本心の吐露だと知り許しを請う言葉だと解り、彼女はフッと
涙を残して微笑むと答えた。否をいう筈もないと応えた。
「……関係ありません。クールな先輩も、臆病な先輩も全部好きです。どれも間違いなく、
私が好きになった人に変わりはありませんから」
 大粒の涙が流れた。
 だがそれは美郷ではなくて、透也。ずっとずっと、抑えてきたものが一気に決壊するよう
うに、彼は雪の上に膝をついて崩れ落ち、体裁の一切を投げ捨てて嗚咽する。
「大丈夫です。今度は、私が先輩をフォローする番です。彩子さんの代わりにはなれないか
もしれないけれど……同じくらい貴方の中にいられる人になれるように、頑張ります」
 コクコクと透也は頷いていた。そっと歩み寄り、同じく跪いてきた彼女を抱き締める。
 歪だったけれど、通じた。
 共に恐れを抱えていたけれど、踏み出そうと決めた。
 彼女のリボンは一切くすみを生じていなかった。透也が最初に見た時と同じく、思慕を意
味する鮮やかな赤で満たされていた。
「……うん。色々ややこしかったけど、これでハッピーエンドかな?」
 そんな二人を、きっと一晩開ければぎこちなくも幸せなカップルとなるであろう二人を、
頭上のテン子は何度も頷きながら見ていた。
 ふわりふわりと天使の翼を動かす。夜の筈なのに、不思議と彼女に注ぐ闇は明るくて。

「──よかったね。透也……」

 そして次の瞬間、まるで昇天するかのように、テン子は高く高く空へと昇っていく。
 しかし透也も美郷もその事には気付かない。ただ抱き合って、今芽生え始めた大切な関係
を手放さないようにじっと膝をついている。
 テン子は笑う。ぼさぼさでよく見えなかった前髪が、眩い光の放射に煽られてサラサラと
靡いている。
 やがて露わになる素顔。
 その笑顔は……まるで太陽にように眩しかった。
                                      (了)

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  1. 2013/03/05(火) 18:00:00|
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自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
します。

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