日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅲ〔35〕

 胸の鼓動が妙に不規則な揺らぎを刻むようで、じわじわと息苦しい。
 先程までの争いの喧騒がはたと、切り抜かれた絵本の背景のように遠く感じられる。
(誰だ……こいつ……?)
 明らかに彼の手は自分に差し伸べられていた。
 しかしジークは硬直したまま握り返すことができず、握り返そうとも思えず、ただその場
に突っ立っていた。
「お、おい」
「いきなり何様だよ、兄(あん)ちゃん」
 そんな傍目のギクシャクした様子でようやく我に返ったのだろう。
 同じくそれまで固まっていた若い技師達やデモ隊の面々が、その合間を縫うようにずいっ
と、この茶髪の人族(ヒューネス)男性に矛先を変えようか巻き込んでやろうかと詰め寄り
始めたのである。
 拙いとジークは思った。後ろの仲間達の心配そうに見遣っている視線も感じる。
「待てよ。この人は関係な──」
 だから彼らの踏み出しを遮るように、ジークは彼を庇おうとしたのだが。
「君達こそ何様のつもりかな? 一国の王子を寄って集って揉みくちゃにするなんて」
『え……?』「──ッ!?」
 この男性は、次の瞬間確かにそう彼らに言葉を返していた。
 思わず目を見開いて彼を見遣るジーク、そしてリュカ達。
 間違いない。この男性は、自分の正体に気付いている……。
「トナン皇国第一皇子ジーク・レノヴィン。先の同国の内乱を経て事実上の新国王になった
シノ女皇代行の嫡男──。君達も見覚えはないかな? 気付いていなかったとしても、皇爵
家の一員に危害を加えたとなれば……この場で斬り捨てられても文句は言えないよ?」
 言って男性はちらと、ジークの腰元に目を落とした。乱闘の面々もつられて倣う。
 そこには勿論、彼の愛刀でありトナンの王器である護皇六華が差してある。
『ひっ……!』
 数秒のラグ。かの青年の剣がただの剣でないと理解した刹那、彼らの多くが腰を抜かして
その場に崩れ落ちた。
 まさか、男性の言葉の通り、本当に斬り殺されるとでも思ったのか?
 どれだけ自分は粗暴だと認識されているんだ……。ジークは掌を返したそんな反応につい
眉根を顰めてしまい──結果、その外面が彼らを更に萎縮させてしまう事態を招く。
「あ~……。コホン」
 こいつは弁明しておかないと駄目だな。ジークは心外なと思いながら、彼らに言った。
「そんなにビビるなよ。そもそも俺は巻き込まれたんじゃなくて、お前らを止めたくて割っ
て入ったんだぜ? 止めてくれりゃあ何もしねぇよ。つーか、思い通りにならないからって
相手を斬るほど分別がないつもりはねぇよ」
 終始ジト目ではあったが、正直な言葉であることは伝わったようだ。
 コクコクと頷き、サァッと溝を刻んだように分かれる若い技師や町の住人達とデモ隊。
 本当ならそこで“溝”を設けず、入り混じっても仲違いすることない姿を望むが……流石
にそれは高望みというものか。
「分かればよろしい。さぁ、行きなさい。皇子の温情に感謝することです」
 次の男性の一言で騒ぎは一気に霧散していった。
 デモ隊は町の人々の視界から逃げるように走り去り、乱闘に加わってた住民もそうでない
住民も、渋々といった様子でそれぞれの日常に戻っていく。
「ジーク!」
「お~い、大丈夫か? 兄(あん)ちゃ──あ、いや。皇子」
 そこでようやく、仲間達と先の中年技師が駆け寄ってきた。
 まだ周りからちらちらと見られているが……仕方ない。
 ジークは上着をサッと翻して振り返ると、打ち身すり傷をみてオロオロするマルタやオズ
に「大した事ねぇよ。平気平気」と苦笑してみせる。
「……で? 結局あんたは誰なんだよ?」
 だがそれも束の間、ジークは仲間達は先程から後ろに立っているあのワイシャツ姿の男性
に振り返ると、問い掛ける。
「まぁまぁ。親切なお兄さんでいいじゃないですか」
 男性はにわかにひそひそ声になりつつ、ジーク達に近付いてきた。しーっと人差し指を口
の前に立て、妙に爽やかなウィンクを一つ。
 ジーク達はそっと眉根を寄せた。互いに顔を見合わせた。
 少なくとも自分達に害を成さんとする相手ではなさそうだが……。
「……ま、一応礼を言っとく。助かったよ。欲を言えばああいう権力(ちから)は使いたく
はなかったんだけどさ……」
「そうですね。でも力がなくては正しさはただの飾りですよ? 力だけあってもただの暴力
にしかなりませんが」
 ジークは言った。それとなく自分の意思を、無力さを滲ませていた。
 男性も微笑んでいた。だが頷きつつも、その言葉は何処か冷めているようにも思える。
「……さてと」
 周囲の人々の眼をちらと一瞥し、男性はまた一歩とジーク達に近寄った。
 傍目からみればかねてより既知であるかのような距離感。ジーク達は思わず少し身構えか
けたが、次の一言で許容せざるを得なくなる。
「このまま留まっていればまた面倒事になります。一緒にこちらへ。……西方(ここ)での
諍いに一々首を突っ込んでいたら、キリがありませんよ?」


 Tale-35.巧機なる地の千年紀(後編)

 男性の名は、エリウッド・L(ローレンス)・ハルトマンといった。
 彼もまた機巧技師の一人であるらしい。あの町には偶々出張で通り掛かったのだそうだ。
「……何で助けてくれたんだ? 俺のことが分かってたなら、尚の事関わらない方が身の為
じゃないのかよ」
「随分と自虐的だね。理由もない親切はいけないかい? まぁ実際、君が君だと思い出した
からこそ、立ち回り次第では収められると考えたんだけど」
 中年技師に再度礼を言い、別れて一行は町を出る。
 道すがらジークが訊ねた問いに、エリウッドは一度フッと微笑むとそう口を開いた。
「それに……その機人(キジン)はタイプ・オズワルドだろ? 僕だって技師の端くれだ。
こんな珍しい個体を見逃す気はなかったからね」
 口調が変わっていた。やはり先刻の妙な丁寧語は演技の内だったらしい。
 西方への転移トラブルとオズとの出会い、そしてその先で出くわした開拓を巡る争い、場
に現れ不敵な存在感を残して去っていったファルケン王──。
 ジーク達はそんな慌しい事件も含め、オズとの出会いをエリウッドに語って聞かせた。
 そしてオズを直してやるべく、腕の立つ技師を探しに鋼都(ロレイラン)へ向かうつもり
なのだと語ると、
「そうだったのか。だったら僕と一緒に来るかい? ちょうど僕もこっちでの出張を終えて
ロレイランに戻る途中なんだよ」
 至極ナチュラルに、彼は再びの協力を申し出てくる。
「いいのか? そりゃあありがたいが……」
「じゃ、じゃあエリウッドさんはオズさんのこと、直せるんですか?」
「僕じゃないよ。僕個人のキャリアはまだ浅いし……。でもうちの社長なら大丈夫。性格は
アレかもしれないけど、技師としての腕は一流だ。僕ら社員一同が保障する」
 渡りに船という奴だった。
 ジーク達は一旦顔を見合わせたが、ここで断ったとして当てがある訳でもない。結局これ
も何かの縁だと彼の厚意に甘えることにした。
 暫くして町郊外の駅まで着くと、彼を認めて近付いてくる数人の技師らがいた。
 エリウッド曰く、自分と同じ会社の仲間達なのだそうだ。
 彼が事の経緯を説明してやると流石に面々は畏まっていたが、当のジーク自身がそう硬く
なるなと言い、その態度も砕けたものであることも相まってやがて互いに打ち解けていく。
 ──それからの数日間は、彼らと往く鉄道の旅となった。
 ゴツゴツとした岩肌の荒野に延々と敷設された鉄道網。
 寝台付きの長距離列車で一晩二晩と日数を重ね、必要に応じては路線を乗り換え、一行は
一路ヴァルドー中部にある同国第二の都市・ロレイランを目指す。
「……やっぱ、北方とは随分と感じが違うよな。岩がゴロゴロしてるっつーか……」
「支樹(ストリーム)の性質故だな。じきに慣れるさ。僕らも君達と出会う前、北上をして
いた間、周囲の環境変化に驚いたものだ」
「ですねぇ。思えば私達って東西南北をぐるりと回ってるんですよねえ」
「すげぇ大まかだけどな。もしかしたらまだ南方に、結社(れんちゅう)の痕跡があったの
かもしれねぇけど……」
「過ぎた事を責めてみたってどうしようもないわ。私達が今できること、今成すべきことに
集中しましょう?」
「……。ああ」
 とはいえ、一度──いや何度となく胸奥に過ぎったもどかしさ、悔しさまでは次々と去り
行く景色に置いてくることができなかった。
 窓辺の席で、ジークはぼんやりと思いつつ、ごちる。
 リュカら仲間達もそれぞれに思いを口にしては旅愁に浸かり、或いは気を引き締める。
 ……自分はただ、取り戻したいだけだ。
 一度は亡くしたと思っていた父、母の心の底からの笑顔やあの穏やかな日々。それらを父
が戻ってくることで少しでも埋め直せるのではないかと思った。
 ただそれだけ。それだけなのに。
 それだけの事なのに……何故こうもややこしくなる?
 最初は“結社”の所為だとばかり考えていた。実際奴らが成す悪行、混乱は否定できるも
のではない。
 だが──それすらも、もしかしたら溢れる悪意らの「一部」ではないのか? そう最近は
思うようになってきている。
 皇国(トナン)内乱から二度に渡るアウルベルツ襲撃、そして風都(エギルフィア)で突
き付けられた「否」の大合唱。
 全て連中の仕組んだものだとはいえ、では一方でそれらに乗っかった人々を、自分は何と
断じればいいのだろう。
 愚者として切り捨てるのか? 振り回された、下位の悪として恨むのか?
 ……違う。そうじゃない。多分きっと、そこへ流れてしまっては「負け」なのだと思う。
 結社(やつら)は巧妙で卑劣なのだ。
 こうやって、まるで“敵”が感染するように膨れ上がり、まるで霧のように悪の在り処を
霞ませようとしてくる。
 だからきっと、時間が掛かってしまえばしまうほど、自分は今後も不幸な誰かを生み出し
てしまうのではないか……? そんな予感を抱かずにはいられない。
「……エリウッドさん。ロレイランに行くのに導きの塔は使わないんですか? あっちなら
運賃も掛からないし、時間も大分短縮できると思うんスけど」
 ふるふると、静かに首を横に振った後、ジークはふと通路を挟んだ向かい席のエリウッド
にそんなことを訊ねていた。
 ふむ? と、小さく眉根を上げてこちらを見返す彼。
「理論上はそうだね。でも、他の地域は知らないけれど、西方にはそう多く導きの塔が残っ
ていないんだ。長年の開拓で取り壊されてしまった所も多いからね」
 だが返ってきたのは、存外に重いこの地の歴史と実情だった。
「……知っているとは思うけど、ヴァルドー王国と近隣数ヶ国は旧ゴルガニア帝国の中核地
域でもあった。だから大戦後、長らくこの辺り一帯は“悪魔の遺児が棲む”なんていう風評
被害に喘いでいた時期があってね」
『……』
「悪魔ノ遺児……デスカ」
「勿論、そんなのは言い掛かりなんだけど。でも大戦後暫くは、諸外国から随分と理不尽な
排除に遭っていたそうだ。だからこそ、ヴァルドーを始め西方諸国は機巧技術の復権に力を
入れてきた歴史がある。開拓が盛んなのもそれとワンセットなんだ」
 ジーク達は眉を顰めていた。
 特にオズは自身の失われた千年を埋めるべく、心持ち身体を乗り出しながらエリウッドの
話に耳を傾けているようにみえる。
「そんな先人達のお陰で、今日の機巧技術は魔導と肩を並べるほど人々にとって必要不可欠
なものになった。実際、魔導との融合で技術革新も進んで、暮らしも随分と豊かになった。
だからこそ、今は昔ほど悪者扱いされることは少なくなってきたんだけど……」
 そこまで言って、一旦エリウッドは静かに目を閉じていた。
 見れみれば、同僚の技師達も何処か浮かない様子だ。ガタゴトと列車が線路の上を走り、
小気味よい振動が足元から伝わってきている。
「それでも、君達が出くわしたようにこの土地では争いは絶えない。理由は色々あるけど、
一番はそうした歴史の揺り戻しなんだろうと思う」
「むしろ今は、内紛に近いんでしょうねぇ。ある程度落ち着いてきて保守派(アレ)に走っ
ちまう連中もいたり、恩恵にハブられた連中がごねてたり」
「あと、怖いのかもなあ……ヴァルドーが第二の帝国になっちゃうんじゃないかっていう。
実際に保守同盟(リストン)とかも余所の偉いさんが混じってるって話、あるだろ?」
「話半分っぽいけどな。まぁファルケン王(いまのおう)が思いっきり開拓寄りだし……」
 今度はエリウッドだけでなく、仲間の技師達もが語り始めていた。
 とはいっても、直接ジーク達にという訳ではなく、互いにこの土地の不穏を憂いていると
いった感じだ。
「……だから一度目を付けられたら用心した方がいいと、僕は思うんだ。ジーク君、君自身
はそのつもりはないかもしれないけど、世間の少なからぬ人々は君を開拓派の一角とみなし
ているよ。それに風都(エギルフィア)での騒動もある。導きの塔を使う──殆どが保守派
で固まっている衛門族(ガディア)達と対面するのは、少なくとも今は得策じゃない」
「ッ──」
 ジークは一言も反論できなかった。眉根を顰めて、唇を噛む。
 まるで先程までの思考が見透かされていたようだった。……そんな筈は、ないのだが。
 何よりも自身の口を噤ませたのは、彼が頼まれもせずこんな配慮をしてくれていたのだと
知って申し訳なく思ったからだ。
 おそらく自分がこの話題を振らなければ、彼は何も語らずにロレイランまで案内を続けて
くれたのだろう。
「……。すみません」
「君が謝ることじゃないよ」
 ようやく辛うじて出た言葉に、彼の反応は即答に近く速かった。
 静かに優しく、そして内に秘めた強さのようなもの。
 リュカら仲間達も少なからずその配慮に気付いていたようで、ようやく彼を信頼を置いて
大丈夫だと断じたようだった。顔を上げるジークに、苦笑する彼に、向ける眼差しはフッと
緩んで穏やかなものを帯びている。
「……おかしな話ではあるんだけどね。過去があって現在(いま)がある。たとえどんな事
があっても、時計の針を戻す(すべてをいちからやりなおす)なんて出来ないのに」

 鋼都(ロレイラン)に到着したその日には、もう陽は随分と沈みかけて街は一面が茜色に
染まろうとしていた。
 最初の町とは比べ物にならないほど広い駅の改札をくぐり、エリウッドらの後をついて駅
前のストリートに出る。
「ここがロレイランか……」
「凄いですねぇ。人がいっぱいです」
「流石はヴァルドー第二の都市、か……」
 夕暮れにも拘わらず、人通りは多かった。
 いやむしろそんな時間帯だからこそ、帰路に就いた人々でごった返しているのか。
 布包みに隠した六華を背負ったジークを始め、仲間達がエリウッドらに続いて改めて歩き
出していく。
 車中でも念を押されていた。
 この街も例に漏れず気性の荒い人間が多い──揉め事は極力起こさないように、と。
 ロレイランは、まさにその二つ名の通りの鋼鉄の街だった。
 あの鉱山町もそうだったが、通りの両翼に機巧技術関連の店を始め、様々な商店が軒を連
ねている。そして何よりも印象的だったのは、多彩な種族の人々に混じり機人(キジン)も
また当たり前のようにその中にいるという点で。
「……時代ハ、進ンダノデスネ」
 オズがのしのしと、しかし茜色のランプ眼をゆらゆらと震わせて感慨深げに呟いていた。
 左右を往くジーク達が互いに顔を見合わせ、苦笑気味に笑う。
 そうだ。もう兵器としてしか生きる術がないなんてことはない。
 だから……お前も、この地の人達も、もっと手を取り合って生きて欲しい──。
 多分そうすぐには容易には叶わない願いなのだろうけど、一同は心から想う。
「こっちだよ。表通りはまだ小奇麗にされてるけど、むしろこっちがこの街の本性だ」
 そうしていると、ふいっと途中の路地の一つを曲がりながらエリウッドが肩越しにこちら
を見遣ってくると言った。
 要するに本来はもっと猥雑であるということか……。
 ジーク達ははぐれぬよう、互いに気を引き締めながら彼らに続く。
 実際、一旦路地裏に入ると景色は一変した。
 機巧技術の恩恵──堅固で金属質な家屋が多く建ち並ぶさまは表通りとさほど変わらない
が、その醸し出す雰囲気は、明らかにねっとりとした、陰気な部類である。
 時折路地裏の片隅で蹲っている人々がこちらを睨んできたが、下手に視線を合わせ続けな
いように努めた。チクリと、ご立派な良心が痛むのを感じて可笑しく思えた。
「……さあ、着いたよ。ここが僕らの会社だ」
 だからある程度予想はついていたかもしれないのに。
 なのに、エリウッド達が進んでいくのは路地裏のどんどん寂れた場所になっていくし、や
がて到着を告げられその社屋──もとい大きいだけのボロ倉庫を見た時は流石にジーク達も
彼らを頼ってよかったのだろうかと少しばかり不安になった。

“ルフグラン・カンパニー ~機巧技術、何でもござれ~”

 どうやら軒先に下げられた古びた鉄板がこの会社の看板らしい。
 黄色のペンキで殴り書かれた文字は、如何にもこの中にいる人物の豪快さを物語るかのよ
うだった。
「社長、ただいまッス!」「今戻りました~!」
「……レジーナ、いるかい?」
 ガラリと金属の引き戸を開いてエリウッド達が入っていく。
 つい心持ち離れて立ち尽くしていたが、ジーク達もハッとなってその後ろについていく。
「──おかえり~。あたしならこっちだよ~」
 奥から返って来たのは、予想外にも女性の声だった。
 快活そうな、猥雑なこの場の空気に難なく馴染んでいる人好きする声。そんな返事が多数
の甲高い機械音をも遮って届いてくるのだから、その胆力は相当なものだ。
「んぅ……?」
 不意に騒音が止んでいった。どうやら彼女が機材の電源を止めたらしい。
 ごちゃごちゃと置かれた雑多な機械。床には同様に、多数の工具が散乱していて……。
「おお?」
 するとひょっこり、そんな機体の一つの下から車輪付きの板に寝転がって出て来たのは、
「随分とまぁ、変わった土産を持ってきたもんだねぇ。エリ」
 土色の髪をアップにまとめ、額へと分厚い作業用ゴーグルをずらしながらニカッと笑う、
まだ歳若い一人の女性技師だった。


 梟響の街(アウルベルツ)郊外のとある元街道沿いに、クラン・ブルートバードの面々が
ずらりと立っていた。
 元、という事は現在は使われていないという意味である。
 理由は簡単だ。この街道周辺で魔獣の出没が確認されたからである。
 当初はゆるやかな曲線を描き、所々に森が残されたランニングや森林浴などにもってこい
のスポットだったが、魔獣出没によって一般人の立ち入りが禁止されて以来、人気を失った
ここは随分と雰囲気も木々の繁茂具合も様変わりしてしまっている。
『……』
 この日、一同は新団員らを加えた実戦も兼ねて、その討伐依頼を遂行しに訪れていた。
 前衛のダンとグノーシュらを筆頭に、森の一角を囲むように陣形を張って彼らはじっと何
かを待っている。
「──! 来た!」
 そうしていると、はたと森の中が騒がしくなった。
 明らかに何か大きな者が木々をなぎ倒すような轟音。それが得物を構え、持ち上げたダン
達の方へと近付いてくる。
「ギュ、オォォォーー!!」
 森を突っ切って現れたのは、巨大な蟷螂(かまきり)型の魔獣・デスマンティスだった。
 その力の影響を受けているのか、周囲には小振り──といっても、大の大人を軽く越える
体躯なのだが──の同型魔獣・キルマンティスらが続く。
「誘導したぞ! 頼む!」
「おうっ! 掛かれ、野郎どもッ!」
 この魔獣の群れを誘き寄せて共に飛び出してきたのは、シフォンを始めとする遊撃部門の
メンバー達だった。
 健脚を活かして隊伍に戻り、ダンら前衛隊の後ろに回ってすぐに弓や銃器を向ける。多数
の蟲の鳴き声が辺り一帯にこだまする。
 ダンの一声で、前衛集団が魔獣の群れへと襲い掛かった。
 中央はダン率いる二番隊、左右からは三番隊・四番隊がぐるりと追い込んでいく。
 ……因みに本来の三番隊隊長であるリンファは皇子(アルス)の警護を優先している為、
事前の取り決め通り、同隊の団員が隊長代理を務めている。
「ふっ──!」
 戦法としては、何よりも先ず敵の数を減らすこと。
 魔獣達の出現に合わせて、ハロルドら七番隊が聖浄の鳥籠(セイクリッドフィールド)を
張ったこともあり、その動きはぐんと鈍っていた。
 戦斧に拳、剣に槍。
 その虚を突く形でマーフィ父娘以下、前衛メンバーらが一気に戦線を押し出していく。
(……円の動き。いなして、壊す)
 マンティスらの鎌状の腕は強烈な攻撃力を持つが、そのモーションは得てして大振りだ。
この手の魔獣への定石としては、誰かが引きつけ空振らせ、その隙に小グループ単位の味方
で一気に叩くというものであろう。
 振り下ろされる鎌の動きを真正面から見据え、ミアもまたその引きつけ役の一人として半
身を返し、拳の腹でいなした斬撃のまま、また一体、マンティスの体勢を崩させていた。
 すかさずそこへ味方からの攻撃が叩き込まれ、着実に魔獣の群れが捌かれていく。
「もういっちょ!」
 だが──そう常に上手くはいかない、甘くないのがこの業界である。
 新団員らだった。優勢になっているのをいい事に、彼らの何人かが勝手に追撃を加えよう
とし始めたのである。
「!? バカっ、出過ぎるんじゃ……!」
 ダンが斧を振るいながら叫んだが、遅かった。
 若手の新人が調子付いて二撃目を振り下ろした次の瞬間、クワッと振り向いたマンティス
の鎌が彼を握っていた剣ごと吹き飛ばしたのである。
「ぐぁ……っ!」
「お、おい、大丈──ぶがっ!?」
 そしてそれが綻びとなることを、彼らはまだよく解っていなかった。
 攻撃の手、小グループでの包囲が緩んだのを見逃さず、デスマンティス達がこちらの戦線
に切り込んで来たのだ。
「馬鹿野郎! 戦線を崩すなって言ったろ!」
「くっ……。遊撃隊、十五番から三十五番まで迎撃に移れ!」
 優勢が少しずつ崩され始めていた。
 ダンに続きグノーシュも叫んで幅広剣を振り回し、シフォンが隊の一部を彼らのフォロー
に宛がわせる。弓矢や銃弾がマンティスたち目掛けて飛んでいく。
 だが、それがいけなかった。
 それまで中衛・後衛の射撃と魔導で押さえ込まれていたデスマンティスが、緩んだその威
力の隙を縫って一行に迫ってきたのである。
『……ッ!!』
 大きく振りかぶられる巨大な鎌の片腕。
 しかし防御するにはそれはあまりに大きく、一同の防御の要である前衛部隊の面々も隊伍
が崩されたままだ。
 眉根を寄せ、イセルナがブルートと飛翔態に為ろうとした。
 ハロルドとリカルドがそれぞれ懐に手を伸ばし、本型の魔導具と純白の弾丸を取り出す。
「──」
 だが……振り下ろされた鎌は、彼らを抉ることはなかった。
「せ、聖壁の……」
「嘘だろ? 防い、だ……?」
 攻撃が落ちる、その真正面に飛び込んだ騎士風の青年──“聖壁”のアスレイの構えた盾
型の魔導具が、障壁を発生させながら皆を守っていたのである。
「くっ……」
「何ぼやっとしてんだい! 隊列を戻しな、若ぇの!」
 そんなアスレイの単騎防御に驚く新入り達に、また別の名うての一人が叫んだ。
 皆の中を駆けてマナを込めた長刀を振りかぶったのは、着流し風の男。アスレイと同様、
団員選考会でリンファと競り合った“傾奇(かぶき)”のテンシンである。
 アスレイの盾に押し負け、仰け反ったデスマンティスの腕に目掛けて、二人の剣と長刀が
叩き込まれた。
 あがる短い魔獣の悲鳴。
 流石に腕を斬り落とすまでには至らなかったが、デスマンティスは少なからぬダメージと
出血を受け、大きく後ろによろめく。
「今だ! 押し返せ!」
「一人で出過ぎるなよ、グループ単位で列を崩すな!」
 その隙を見て、ダンやグノーシュに活を入れられ、前線の団員達はようやくその隊伍を整
え直すことができた。切欠となった若手の新入りも含めて一列にずらりと武器を構え、再度
厄介な敵数(キルマンティスら)を始末しようとする。
「ギギッ……!」
 だが魔獣達にも知恵はある。
 再び押され始めた状況を感じ取ると、デスマンティス以下が皆、ガサッとその背中に付い
ている翅を揺らし始めたのだ。
「ッ!? マズイぞ、飛ぶ気だ!」
 主にデスマンティスのそれ。
 次の瞬間、この蟷螂型の魔獣達の羽ばたきは面々に猛烈な突風を与えた。
 思わず得物を盾代わりにしつつ、立ち止まる一同。その隙を縫って、マンティス達は一斉
に中空へと舞い上がっていく。
「気を付けて。空(うえ)から来るわよ!」
 イセルナが飛翔態に為り、先頭に立って迎え撃つ体勢を取っていた。
 面々も、遊撃部隊を中心に、来るなら撃ち落してやるとばかりに次々とその照準を中空へ
と向け始める。
「──そう、てめぇらのペースに乗ってたまるかよ」
 そんな時だった。
 不意に、同じく中空に飛んだマンティスらを見上げていたグノーシュがそんな事を呟いた
かと思うと、彼は握ったその剣を真っ直ぐに頭上へと持ち上げたのだ。
「来い! ジヴォルフ!」
 すると彼の周りに落ちたのは、多数の落雷。──いや、雷撃を纏った狼型の持ち霊たち。
 そしてグノーシュが剣を正面に構え直して合図とすると、何と彼らは次の瞬間、雷光を纏
いながら一つになったのだ。
 出来上がったのは、この雷獣らが引く巨大な戦馬車(チャリオット)。
 グノーシュはその荷台にどんと構えて乗り込んでおり、ダンとミア──以前から彼を知る
者以外の団員らが驚きで目を丸くしている。
「行っけぇ!」
 そして彼が剣を振った瞬間、精霊戦車──グノーシュとジヴォルフ達の融合形態は猛烈な
加速を伴いながら空に昇っていく。
 驚いたのは、マンティス達だった。
 蟲特有の複眼がギョロギョロと蠢き、皆が一様に腕の鎌をもたげる。
「落ちろ! デカブツっ!!」
 だがグノーシュの狙いはあくまで親玉、デスマンティスだった。
 迎撃しようと襲い掛かってくるキルマンティスの群れを、チャリオットの突進力と振り回
す剣に任せながら次々と大雑把に薙ぎ払い、一度ぐるりと旋回してデスマンティスの背後へ
と回る。
 ジヴォルフ達が吼え、再びチャリオットが加速した。
 デスマンティスも迎え撃とうと両手の鎌を振り上げたが、機動力に勝るグノーシュ達には
その一撃は掠りもせず。
 ただすれ違いざま。
 その一瞬の交差の際に振り抜かれたグノーシュの斬撃がこのマンティスの翅を一刀両断、
そのまま飛行の術を失い、魔獣の巨体が地面に落下する。
「よし! いいぞ、グノ!」
 ダンがそんな友の活躍に口角を吊り上げていた。同じくダメージを受けて落ちてくるキル
マンティスらの一部を、片っ端から戦斧の餌食にしていく。
「ギギ……ッ!!」「グガッ……!」
 故に、残されたマンティスらは興奮した。
 まだ上空を飛ぶグノーシュ──の精霊戦車を見上げると、再び仲間を討たれた仕返しと言
わんばかりに一斉に襲い掛かってくる。
「盟約の下、我に示せ──過重の領(グラヴィフィールド)」
 しかしその凶刃は届かなかった。
 次の瞬間、地上から詠唱された重力の魔導によって、マンティスらが一挙に地面へと叩き
付けられたからである。
「……全く。出過ぎるなと言うたのはお前さんらじゃろうが」
 目の前の地面を広くカバーする黒色の魔法陣。
 そこに叩き付けられ、苦しみながらも身動きの取れない魔獣達を一瞥して、そうこの術の
主が眉根を寄せながらぼやいていた。
「はは。でもこうやってちゃんとカバーしてくれてるだろ?」
「ふん……」
 “地違(ちたがえ)”のガラドルフ。
 彼もまた団員選考会で才覚を発揮してみせた一人、火門を中心に多くの術式を修めた老練
の魔導師である。
 苦笑する上空のグノーシュに、杖を抱えたこの老魔導師はまた一つ嘆息をついた。
 焦げ茶色のローブを翻し、前線でマンティスらにとどめを刺しているダンらを見る。
「今がチャンスだ! ぶっ潰せ!!」
 その視線を合図に頷き、ダンが叫んだ。
 響き渡った『応ッ!』の声と共に団員達が一斉にマンティスらに襲い掛かっていく。
 ガラドルフがそっと術を解いた時には、もうマンティスらは逃げも隠れもできなかった。
四方八方を前衛の戦士達に囲まれ、中衛・後衛からの射撃や魔導も飛んでくる。何よりも翅
を切り落とされたことで空に退くこともできない。
『盟約の下、我に示せ──』
 錬氣を込めた武器や徒手拳闘。或いは様々な魔導の雨霰。
「冷氷の剣雨(フリーズランサー)!」
「日輪の浄渦(アジローレ)!」
 街道を脅かしていた魔獣の群れは、この日ようやく退治されたのだった。

「──何とか、片付いたな」
「ええ……」
 マンティス達の亡骸は、ハロルド以下後衛部隊の面々によって丁重に浄化・処分された。
 ギルドの報告用にと、厚布に包まれたデスマンティスの破片を握って立ち尽くすイセルナ
に、ダンやシフォン、グノーシュら幹部メンバーらが近付いてくる。
 彼女の表情は正直浮かない様子だった。
 魔獣とはいえ、自分達は殺しているのだ。無理もなかろう。
 だが……ダン達はきっと憂いの正体はそこではないだろうと分かっていた。何よりも常に
微笑で団員(かぞく)を見守っている我らが団長らしくないと思った。
「……やっぱ、新入りどもは不安か」
 つっと気持ち顔を上げ、彼女は曖昧に苦笑していた。実質の首肯だった。
 一同が少し離れた場所を見遣る。魔獣の群れを倒した現場では、まだ新団員達──それも
まだ若手の面々が居残って互いを労い、或いは勝利に酔っているのが見える。
「今回は、運が良かったんだろうね」
「ああ。しっかりと俺達が予想していたことが起きやがったからな」
 思わず嘆息。互いの顔を見合わせて、幹部メンバー達は思わず気が塞いだ。
 言わずもがな、彼らの出張り過ぎに関して、である。
 事前にフォローの手順を用意していた、グノーシュら名うての新団員達の活躍もあって結
果的には討伐(にんむ)を果たすことができた。……だが、そこには間違いなく博打的要素
が混じっている。これからもコンスタントにクランとしての働きをしていく為には、そんな
要素を許していてはいずれ大きな痛手を被ることになる。
「功名心に囚われない者を厳選した筈、なのだけどね……」
「勿論さ。でも実際、ブルートバードの肩書きを得て調子付いた連中もいるんだろう」
「……慢心、だな」
 黙り込むイセルナの肩の上で、ブルートが言った。
 反論の余地もない。精霊に言われるようでは、若手ども(やつら)の先が思いやられる。
 ダン達は、暫し互いに慰めることもできず、ただ黙り込む。
 改めて自分達の課題がみえてきた。
 組織の巨大化に伴うリスク。看板に酔う驕り、統率の乱れ、即ち総合的戦力の綻び。
 立て直さないといけないと皆が思った。
 何の為に新団員を募集した……?
 言うまでもなく、アルス──いや、レノヴィン兄弟という仲間を守り共に戦う為だ。
 なのに、これでは……。こんな体たらくでは、今頃西方に向かっている筈のジーク達に顔
向けできやしない。
「……色々と、忙しさが続きそうね」 
「そうだね。加えて物理的な面で言えば、団員の収容をどうするかというのもあるし……」
 “器”が──足りない。
 嘆息と気概の狭間に揺れながら、誰からともなく、イセルナ達は遠く灰色の掛かった西の
空を見上げていた。

 魔導学司校(アカデミー)の昼下がり。
 この日、アルス達学院生の少なからずが緊張した様子で中央講義棟へと足を運んでいた。
 理由は簡単だ。今日が彼らにとって初めての定期試験、その成績発表の日だからである。
「……」
 講義棟のエントランスを入って右手、ずらりと端末と印刷機が並んだスペースの手間で、
腕時計に目を落としていたエマがスッと顔を上げた。
 ビクリと、成績発表の場に集まった生徒達一同が身を固くする。
 その中にはアルス──とエトナ、及び護衛のリンファも混じっていた。そのすぐ傍らには
例の如くルイス、フィデロにシンシア、その目付け役コンビのゲドとキースが遠巻きにと、
今日もいつもの面子が顔を揃えている。
「時間です。閲覧データを更新してください」
 エマの合図で、受付内にいた女性職員が手元の端末を操作し始めた。
 すると一同がその前に立つ、広報用のディスプレイに表示されたのは『更新:一回生定期
試験結果』という文言。
 他のインフォメーションと合わせて表示され、静かに流れている画面。
 アルスら生徒達が見上げる中で、エマは改めて告げた。
「見ての通り、学内の内的導信網(ローカル・マギネット)に先日の定期試験の成績が掲載
されました。以後成績は自由に閲覧できるようになります。掲載ページに飛び、端末本体に
学生証を挿入してください。データ化されている順位は単純に全履修科目の合計点数となり
ますので、必ずしも厳密な序列ではありません。詳しい回答結果を知りたい者は、各自担当
の指導教官に申し出てください。一ヶ月以内に申請が無ければ、各指導教官が責任を以って
これらを処分する決まりになっています」
 生徒達が頷きつつも、心なしざわつき顔を見合わせているのは気のせいではないだろう。
 要は情報漏洩に学院側が気を配っている、ということなのだとアルスは理解した。
 プライバシーの問題ということも勿論あるが、何より学院内で具体的にどのような内容が
教えられているのか、それを安易に知られることは廻り回って魔導学司(アカデミア)──
魔導の最高学府の沽券にも関わるのかもしれない。
「おい。アルス」
「どうしたんだい? 端末、埋まっちゃうよ?」
「あ、うん……」
 アルスは友人達と共に端末スペースの奥へと足を踏み入れた。
 ぼんやりと思考が推測の域を走り回っている間に、エマの説明はサックリと終わっていた
らしい。既にこの時間に合わせ足を運んできた他の同級生らが、我先にと端末に向かっては
自分(と連れらの)成績を確認し始めている。
 アルス達も勿論、そんな流れに倣った。
 誰からと言われた訳でもないが、端末を操作するのはアルス。金属質の板に嵌め込まれた
球体の装置を手で撫でながらカーソルを動かし、件のページにアクセスをすると、表示から
も要請されたように自身の学生証を端末本体の溝(リーダ)に差し込む。
「さぁ……。勝負の時ですわ」
 アルスは苦笑した。
 あの話、まだ生きてたのか……。
 正直意図が掴めぬまま忘れかけていたが、当のシンシア(かのじょ)の様子を見てしまう
とおいそれと口に出す訳にはいかない。曖昧な笑顔のまま、アルスは自分と集まった友人ら
の名前を検索に掛ける。

 アルス・レノヴィン──合計四七〇四点(履修数:二十四/学年一位)
 シンシア・エイルフィード──合計四一八〇点(履修数:二十二/学年三位)
 ルイス・ヴェルホーク──合計三三二〇点(履修数:二十/学年二十七位)
 フィデロ・フィスター──合計二一〇〇点(履修数:十五/学年百三十三位)

「……ま、負けた!?」
「やっぱり俺だけ違ぇー!?」
 結果が表示され、皆が端末を囲んで睨めっこすることたっぷり数分。
 内、がくりとその場に崩れ落ちたのはシンシアとフィデロだった。
 とはいえ、その内情は共に随分と違う。
 シンシアは単純な合計点数でも、肝心の「平均点」でも、一九六点対一九〇点でまたもや
アルスに敗北を喫し、フィデロは(当人の予想通り)面子中最低点を記録したことに項垂れ
ていたのである。
 そんな二人の反応に、アルスはその苦笑をついつい色濃くしてしまっていた。
 否応なしに周りの注目が集まる。視線が痛い。そんな内心を汲んでくれたのかはたまた予
め心積もりをしていたのか、ルイスはフィデロを、ゲドとキースはシンシアを、それぞれに
毒気あるツッコミやら慰めやらで落ち着かせている。
「ぬぅ……ま、またしても私が負けるなんて」
「そ、そんなに落ち込まないでください。入試の時に比べれば僅差じゃないですか。ちゃん
とシンシアさんも成績が上がっているって証拠ですし……」
「でも負けは負けだよねー」
「エトナぁぁぁっ!?」
 だと言うのに、やはりというか、相棒(エトナ)は未だに彼女には手厳しく。
 思わずアルスは涙目になっていた。するとそれまで真面目に佇んでいたリンファや目付け
役コンビも思わず苦笑いを零し、端末を囲む一同に笑いが満ちる。
「──はんっ。どうせコネなんだろ? 何たって王子サマなんだからさあ」
「ていうか、入試の時も怪しいよね。ここまでぶっちぎりで主席なんてあり得なくない?」
 しかし、そんな一時に水を差す者達がいた。
 ……他ならぬ、同じく他の端末から成績を見ていた同級生らの一団である。
 瞬間、場の空気が一気に険しく凍り付いていた。
 そうだ──こいつは貴族なんだ──。
 ザッとアルスへと向けられた同級生達、ひいては期せずして居合わせた上級生らの眼。
 悪意だった。いや、やっかみという奴か。
「てめぇ……言ってもいいことと悪いことがあんだろうがよ……」
「王子サマに擦り寄ってる本人が何言ってんだか。お前もこっそり底上げさせて貰ってたり
してないだろうな?」
「ッ! このっ──!!」
 そんな黒い感情に、真っ先に真っ直ぐに反応したのがフィデロだった。
 誰よりも真っ先に、アルスを庇うようにして身を乗り出していた。
 ──アルス(おれのダチ)に限ってそんな事はねぇ!
 心が叫ぶよりも、先ず体が拳が動き出そうとしていた。
 しかしそんな彼らからの挑発に乗りかかる幼馴染の肩を、がしりと黙したルイスが取る。
「……落ち着け、フィデロ。アルス君の立場を僕らが悪くしてどうする」
 そこでようやくフィデロが我に返った。
 ゆっくりと、バツが悪くまるで絶望したかのように、心配そうな表情のアルスを眉間に皺
を寄せて黙っているリンファを見遣る。
「君達もだ。栄えあるアカデミーの学生がそんな暴言を吐くなんてがっかりだよ」
 声色は酷く落ち着いていたが、ルイスもまた明らかに怒っているのが分かった。
 されど退かずに睨み返してくる件の一団。そんな彼らと暫く睨み合い、やがて彼は日頃の
毒っ気をこの時存分に発揮する。
「……ただ一つだけ確かなことがあるよ。他人の努力を貶す人間が高みに登り詰めることは
ない。仮に実現したとしても、待っているのは周りを巻き込む性質の悪い不幸だけだ」
 ぐらりっと、彼らが仰け反るのが分かった。
 自覚していない筈はないのだ。妬みや嫉み──おそらくヒトの最も醜悪でかつ身近な面が
指弾され、全く引け目を覚えない人間はいないのだろう。
「チッ……」
 居心地が悪くなったと感じたのか、明らかに舌打ちをしてみせ、やがて一団はそのまま足
早に講義棟を後にしていった。
 場に残されたのは、論破したルイス達と……誰も“勝った”気がしない嫌な心地だけ。
「……ごめんね。ルイス君、フィデロ君」
「な、何でお前が謝るんだよ。因縁つけられたのはこっちだろうに……」
「そうだね。気にするな……と言ってももう遅いんだろうけれど、あまり気に病まない方が
いい。学院だからといって、中にいるのは間違いなく人間だってことさ。ただでさえ、君は
自分を過小評価し過ぎている……。もう少し威張ってみたって、罰は当たらない筈だよ」
「そ、そうですわ。この私の好敵手(ライバル)がそんな調子じゃ甲斐がありませんもの」
「だな。安心しろって。またああいう連中が出たら、今度こそバコーンッと──」
「いやいや、それは駄目だよ! 僕のことを心配してくれるのは嬉しいけど、喧嘩はしちゃ
駄目だよ。穏便に……ね?」
 不敵に笑う友らに、アルスは慌てて宥めに掛かっていた。
 衝いて出た言葉の通り、そこまで案じてくれる身を擲ってくれる心は嬉しい。だけど本当
にそんなことになってしまったら……きっと自分だけでなく色んな人が苦しみ悲しむ。
「アルス様の言う通りですよ、フィスター君。荒事はむしろ私の仕事です」
「勿論、私も!」「我々もな!」
「えっ? いや、俺達は違うっしょ、ホーさん!?」
 だからなのか、それともまた妙な悪乗りなのか。今度はリンファやエトナ、ゲドまでもが
そう言って憚らない。
「……。お、穏便にね?」
 皆は鼻息を荒くしたり、約一名巻き込まれてうろたえていたが、一方で当のアルスは複雑
な気持ちでいっぱいだった。
 守られているという安堵と、自分が皆を守りたいという願い。
 嬉しいけど悔しかった。もっと強くなるんだ、守るんだと願って魔導師(このみち)を志
したのに……どうしてこんなに皆の厚意が苦しいんだろう?
(……兄さん。僕、間違ってるのかな……?)
 再び騒がしくなる自分達の端末周り。
 その椅子にぽつんと座ったまま、アルスは遥か遠くにいる筈の兄(あこがれ)を想った。


「──改めて初めまして。あたしはレジーナ・ルフグラン。このルフグラン・カンパニーの
社長をしてるよ。まぁ、見ての通りオンボロ会社だけどねー」
 一旦作業の手を止めて、女性技師レジーナは他の社員(技師)達と共にジーク一行を迎え
入れてくれた。
 社長と名乗るのは些か──いや、実際かなり泥臭い、皆と同じ作業着姿で彼女は笑う。
「そして改めまして。僕が副社長のエリウッドだ。主な仕事は経営事務全般、あと営業関連
かな。今回あそこに出張していたのも、商談があったからなんだ」
「……。経営と営業とって……ほぼ全部じゃないッスか」
「あはは、まぁねー。そういう細かい事はエリに任せっ放しになってるよねー」
「いいんだよ。僕は途中参加みたいなものなんだし、レジーナ達が存分に機械を弄れる環境
をアシストするのも立派な仕事さ。もうそういう役割分担で長くやってきているしね」
 次いで改めて名乗ったエリウッドの言葉に、ジークが目を瞬きながら突っ込んでみる。
 だがもう、そういった力関係は彼らにとっては当たり前のものであるようだ。レジーナ達
苦笑しているのを、当のエリウッドは穏やかに慈しむような表情で見守っている。
(お二人とも仲良しさんなんですね。いいなぁ……)
(……。何故そこで僕を見る)
 ひそひそ声だったが、マルタがそんな彼女達の距離感を羨ましがっていた。
 チラッチラッと向けてくる彼女の視線。傍らのサフレが目のやり場に困ったように呟きな
がら、作業所の隅っこの方に顔を背けている。
「……あの、レジーナさん。貴女の苗字のルフグランというのはまさか……。あのトビー・
ルフグランと何か関係が?」
「うん。そうだよ、竜のお姉さん。何を隠そう、あたしはそのトビー・ルフグランの子孫な
訳だからね」
 一方で小さく疑問符を浮かべていたリュカの問いに、レジーナは始めは照れ笑い、そして
意気揚々として答えていた。
 目を丸くするリュカ。次いでそのやり取りを聞いていたサフレらも静かに驚きを漏らして
いるように見える。
「何だよ? そんなに驚くことなのか? えっと、そのトビーって奴が」
「……今に始まった事ではないが、君は本当に知らないことは何も知らないんだな」
「まぁこの子は昔っから勉強の類は苦手だったから……。えっとね、トビー・ルフグランは
ゴルガニア中期に活躍した機巧技師で、別名『飛行艇の父』──それまで軍事用の大型艦が
主流だった飛行艇を、より民間レベルにまで普及させた功労者よ。あと、一方で大の冒険好
きでもあって『冒険王』なんて仇名もあったわ」
「へぇ……」
「……十二聖と聖浄器の件でもそうだったが、常識だぞ?」
 苦笑するリュカの補足説明を受けて、ようやくジークにも目の前の彼女の凄さが分かった
ような気がした。当のレジーナは鼻を擦って笑い、サフレは横目でこの友にこっそりため息
をついている。
「ルフグラン博士ノ末裔ノ方デシタカ。私モ直接オ会イシタ事ハアリマセンガ、内部データ
ベースニモ情報ガ確認サレマス。オ会イデキテ光栄デス」
「まぁ今は随分落ちぶれちゃってるけどねー。好きな事を好きなようにしてたら、他の同業
者連中ばっかり肥えちゃって……」
 オズも、面識はなくとも知識はあったようだ。
 破損していない右側の腕を差し出し『飛行艇の父』の末裔、レジーナと握手を交わす。
 だが当の彼女は笑顔ながらも自虐的だった。
 悔やんでいる印象こそ薄かったが、エリウッド以下周りの社員(なかま)達の表情が少な
からず曇ったのをジーク達は見逃さない。……かといって口にはできない。
「君が話にあったオズ君──タイプ・オズワルドかあ。凄いなあ、こんなレア個体が動いて
るのなんて初めて見るよー。ね? バラしていい?」
「レジーナ」
「あはは、分かってるよ。ジーク君達の要望通り、バッチリ修理するからさ?」
 オズを見上げながらレジーナはそんなことを口にしていた。
 流石にエリウッドに釘を刺されたが、彼女はにやにやと笑っている。よほどキジンを始め
機械が好きなようだ。先刻互いの自己紹介と共に話したこれまでの事情を汲み、彼女は明る
い笑みを溢してトンと自身の胸を叩いてみせる。
「オズさん、直せるんですか?」
「うん。その為にエリについて来たんでしょ? 任せなさいって。無い部品は取り寄せる、
それでも無きゃ自分達で作る。あたし達ルフグラン・カンパニーの底力を甘く見ちゃいかん
のですよ」
 随分な自信だった。だがこの彼女の笑みと言葉は、妙に人好きがするというかホッとして
しまう威力がある。マルタを始めジーク達一行も、思わず表情が緩む。
「……ただ少なくとも彼を一度総点検しておく必要はあるだろうね。外からは左腕と脇腹以
外大きな損傷はみられなくても、長らく放置されていたというのなら内部機構が痛んでいる
可能性は高い」
「だねー。となると、すぐにホイホイバラす訳にはいかないかー」
「そりゃあ骨董品レベルッスからねぇ」「当時の設計資料とかも当たらないと……」
 あくまで慎重なエリウッドの意見を皮切りに、レジーナ以下社の技師らが互いに思案を積
み上げ始めていた。
 あーだこーだ。流石にここまでくると門外漢なので、ジークは暫く黙っていたのだが。
「……なあ、レジーナさん」
「うん?」
「……本当にいいのか? 俺っていう人間から、依頼を受けて。さっきも話した通り、俺は
現実、関わるだけで相手を保守だの開拓だのって喧嘩に巻き込んじまう。落ちぶれてるって
言うんなら、尚の事──」
「ふふっ」
 レジーナは、数拍ポカンとした後、確かに笑っていた。
「そんなこと? 別に気にしないよ。貴族だなんだってのは、ホントただの飾りだからね。
そう自分を責めなさんなって。悪いのは君じゃなくて、君の肩書きやらを利用しようとした
り、勝手に喚いてる連中でしょ? ……それにあたしは、キジン相手でも“怪我人を放って
おけない”なんて言ってくれる子を無碍にするなんてのは、ポリシーに反するから」
『……』
 今度はジーク達が呆気に取られる番だった。
 一度は不意に彼が漏らした迷い、自責の念に心揺らいだリュカら仲間達だったが、そんな
彼の気弱すらレジーナは「違う」と言い切り、笑う。
 社員達がもそもそと奥の棚から図面を取り出してきている。
 そんな彼らを見遣りつつ、彼女は言う。
「まぁそういう訳だからさ。あたし達に任せてみてよ? エリの話じゃあ他に当てがある訳
でもないんだし。好きなだけうちでゆっくりしていくといいよ」
「……。はい」
「お世話に、なります」
 要らぬ吐露だった──。
 ジークはまるでそう言わんばかりに恥じ、くすぐったく、バツの悪い苦笑のままに小さく
首肯すると言葉少なげになる。
 そしてリュカら仲間達も、改めてそう、二重の意味で彼女らに頭を下げていたのだった。

「……ほう? レノヴィン達とルフグランが」
「はい。どうやら例の機人(キジン)を修理しようとしているようです」
 グランヴァール城の玉座で、ファルケン王はそう部下から上がってきた報告に耳を傾けて
いた。肘掛に乗せた片腕で頬杖をつき、彼は静かに目を細めている。
「なのでまだ、当面は彼らに“結社”との交戦に打って出る心算はないものかと」
「そのようだな。まぁ皇子本人が自分なりに歩いてみると言ってたんだ、人助けなり何なり
の寄り道だってするだろう」
 報告を上げてきた官吏の表情・様子は終始硬かった。
 無理もない。ただでさえこの西方(ち)に一波乱も二波乱も持ち込みうる人物が、呑気に
国内をうろついているのだから。
 大方、目の前の彼の内心は困惑と苛立ちといった所だろうか。騒動を起こすなら起こすで
さっさとしてくれ……事務方らしい発想だとは思うが。
 しかしそれでも尚、ファルケン王は不敵に笑っていた。面白いじゃないかと、そう笑う。
 報告を聞くに、自分が出向いた吹均の町(ヒューイッツ)で早速一度、揉め事に巻き込ま
れていたのだという。
 原因は保守派デモ隊と地元住人らの衝突を仲裁しようとしたから。
 何というか、これは思った以上にあの青年は興味深い人物であるらしい。
 この手の争いはもうこの国・この西方(ちほう)では多過ぎて、自分達はすっかり慣れて
しまっている。鉱資源の争奪等の歴史も相まって、元々負けん気の強い連中が生まれやすい
土壌もある。
 だから、ファルケン王にとってはあの青年がとても新鮮に思えた。
 若さ故の向こう見ずか、はたまた根っこがそういう性格なのか。そこに力を突っ込む気は
ないが、彼にとっては皇子のそんな人柄そのものが“美味しく”思えてならない。
「で……鋼都(ロレイラン)に入ったんだってな。あそこから一体何処でルフグランと接点
を持ったんだ?」
「申し訳ありません、そこまでは……。ただヒューイッツので騒動の前後、彼らが町の技師
らに修理の打診をして回っていたそうですから、そこでロレイランやルフグランの名が出た
のではないかと推測されます」
「ふむ……」
 叱るほどの情報不備ではない。
 あながち間違っていはいないだろうと、ファルケン王はこの官吏が話す断片的情報とその
推測を素直に聞き入れていた。
 運命という言い方はご都合主義的でさほど信用していないが、こちらが何か示した訳では
ないのに、彼らと接触を持つとは……やはりあの青年は“持っている”と思えてならない。
「しかしルフグランとなると、アレだな。ハルトマンの」
「……はい。元大尉の……」
 官吏が、その場に居合わせた臣下達が、この時一様に表情を硬くするのが分かった。
 『飛行艇の父』の末裔と、逃げるように軍部から身を退いたあの男。
 ただでさえトリッキーでイレギュラーなあの二人に、今度はレノヴィンが加わる──。
「如何致しましょうか? まだロレイランに到着して日が浅いです。今なら、介入も」
「……いや、止めとけ。そっちは手を出さなくていいだろう。これまでも秋波は全部突っ撥
ねてきてるだろ? 余計に拗れるのが関の山だろうよ」
 より一層気難しい表情になる官吏の問いに、ファルケン王はあくまでサッパリと即断即決
で答えていた。
 確かにあの男を欠いたのは惜しい。
 だがそうした穴を埋め直す、取り戻すのに強引な手を使った所で、当人の意識から忠心が
湧いてこなければいずれ“災い”になるだけだ。
 臣下──特に武官連中は今も未練がましくしているようだが、状況(とき)は常に変化し
続けているのだ。優先順位は、こまめに見直さなくてはならない。
「レノヴィン達に関しては暫く様子見だ。こっちはこっちで間近の政務を片付けるぞ。だが
まぁ、軍部にはしっかり釘を刺しとけ。──“口説き過ぎるな”ってな」
「……承知致しました」
 ゆっくりと、恭しく一礼をして白髪頭を下げた後、官吏は相変わらず硬い様子で王の間を
後にしていった。列席していた臣下らも、目立って何か文句を言ってくる訳ではないが、互
いにひそひそと何やら言葉を交わしているのが見聞きできる。
「……」
 サイドテーブルを引き寄せて持ち込まれた書類を片付ける──前に、ワインを一杯。
 酒瓶からなみなみとグラスに赤色が注がれ、満ちる。
 ファルケン王はそれをくいっと、こなれた様子で一気に飲み干すと、だだっ広いこの王の
間の遠くを眺めながら深く息をついた。
(ジーク・レノヴィン──。やっぱお前は“変革の子”だぜ?)
 西方の破天王。
 畏れとやっかみ、両方を込めて呼ばれるその面構えに、ニッと吊り上げた口角を加えて。

 数日ぶりにちゃんとしたベッドで眠れることになった。
 尤も上質なものとはお世辞にも言えなかったが……その点はとうに慣れているし、まさか
文句など言えまい。
「……」
 にも拘わらず、ジークはどうにも寝付けないでいた。
 鋼都(ロレイラン)に着いて最初の夜。
 まさか連日の列車の旅による疲労が、ここに来て睡眠すら妨げているのか。
 いや……違う。自分の身体だ、精神(こころ)だ。この胸奥を撫で回す嫌な感じの正体は
既に見当がついているではないか。
 拒絶である。南方──風都から西方──鋼都に至るまでの一連の事件で、自分はこれでも
かというほどに世の悪意に出くわしてきた。
 勿論、あれがこの世界の全てではない。むしろ“結社”や保守過激派といった一部の者達
の介在による「例外」であるのだと思いたい。
 しかし、だが一方で、それらもまたこの世界を構成する「要素」なのは事実だ。
 故に圧し掛かってくる。少なくとも自分を踏み躙り、否定する者達がいる。
 ……情けなくも、怖かった。
 自分一人だけの話ならまだいい。許せないのは、そうした悪意が周りの人々にも及んでし
まうという点だ。
 動揺させながら、崩す──。
 それが連中の手口なのだと分かっていても、いざ一人の時になると、まるで狙い澄ました
かのように一斉に襲ってくるのだ。
 仲間や大切な人達への後ろめたさ、罪悪感。
 はたと、そして執拗に、自分という存在を揺さぶってくる無尽蔵の猜疑心。
 キリがなかった。
 信じてくれる彼らを思い、罪ではないと言い聞かせても、今度は別方向から「本当にそう
なのか?」と自分とそっくり同じ姿をした悪魔がしたり顔で囁いてくる。
 何度も、何度も、何度も。
(とんだ馬鹿野郎だ。どんだけ剣を振り回したって、強くもなんともねぇじゃねぇか……)
 木造に些か心細い鉄筋を仕込んだルフグランの社屋。
 ジークはそんな物寂しげな深夜の廊下を一人歩きながら、己の弱さを哂う。
 こんな体たらくは、それこそ弟(アルス)には見せられやしない──。
(……ん?)
 そんな最中だった。
 ふと廊下の先で、煌々と明かりが点っている部屋を見つけたのだ。
(確か、あそこは……)
 少しばかり眉根を寄せて近付いて行ってみる。
 昼間のやり取りや案内の記憶が正しければ、確かあそこは社の作業場だった筈……。
「お? どうしたのさ、こんな夜更けに」
 そこには、昼間と同じく作業着姿で一人機械弄りに勤しむレジーナの姿があった。
 研磨機──らしき台型の装置の前で何やら作業をしていた彼女が、フッとこちらの気配に
気付いて振り返る。
「……ちょっと寝付けなくて。レジーナさんこそ、こんな遅くまで仕事ッスか?」
 邪魔をしてしまったか……?
 ジークは苦笑しつつ応えていたが、それがまた一つ胸奥を無駄にざわめかせる。
 どうと言われた訳ではなかったものの、そのまま戸口に突っ立っているのもアレなので、
おずおずと彼女の方へと歩いていく。
「仕事っていうか、趣味っていうか……。あはは、あたしもよく分かってないや」
 レジーナもまた笑っていた。
 しかしそこにジークのような内に秘めた暗さは見受けられない。
 自分よりも年上な分、もっとそういった私情を隠すだけの能力を身につけているのかもし
れないが、ジークにはそんなカラリとした笑みが羨ましくさえ思えた。
「一応ねー、オズ君のパーツを試作してたんだよ。一度バラしてみないと正確には分からな
いけれど、その前にちょちょっと確かめてみたくてさー」
「えっ。オズの為にわざわざ……? す、すみません」
「だからいいってー。さっきも言ったでしょ? 趣味みたいなモンだって」
 作業台──と思しきごちゃまんと物が積み上げられたテーブルの一角には、布を敷いた上
に鎮座するいくつもの彼女お手製の部品達が転がっていた。
 門外漢で、ジークには何が何の為のものかは分からない。
 だがそんな素人目にも、彼女の手掛けた機械仕掛けの欠片達は今にも寄せ集まり、何かの
形を成そうとしているかの如き錯覚を受ける。
「実際ね、こういう面白そうな仕事が来るのって久しぶりなの。だから社員達(みんな)も
張り切ってたよ。タイプ・オズワルドを触れるー……てね」
「……そう、負担でないならありがたいんッスが。でも、その……こんな事訊くのは失礼だ
とは思うんですけど、儲かってないんですか? 昼間も落ちぶれたの何だのって……」
「ああ。それね~」
 実は気になっていた事ではあった。
 いくら機巧技術の聖地で競争も激しいだろうにしても、リュカ姉らの言うように偉人の子
孫であれば──本人の意思に関わらずとも大きな肩書きがあれば──もっと入ってくるもの
は入ってきそうだとは思っていた。しかしこの会社は……どうみてもボロっちい。 
 だが気を悪くしないかという心配は無用だったようだ。
 レジーナはジークにそう問われると、あっけらかんとした表情で笑っていた。
「簡単なことだよ。あたしがカネモウケに乗っからなかったから」
「えっ?」
「ふふっ。……機巧技術の世界もね、今じゃすっかり腐ってんのよ」
 しかし気のせいではない。最初の一言、ジークが疑問符を浮かべた次からの言葉。その間
には間違いなく、彼女に影が差す瞬間があった。
「今の機巧技師(どうぎょうしゃ)どもはね、金儲けばっかりでロマンがないのよ」
 レジーナは試作した部品を一つ、手に取って弄り出すと、そう何処か遠い別の場所を見る
ようにして語り始めていた。
「エリが案内がてら話したかもしれないけど、ゴルガニア戦役から暫くは、機巧技術はそれ
こそ帝国の負の遺産って感じで目の仇にされてたのよね。で、その復権の為に数百年間、世
界中の技師が必死になって魔導と肩を並べるべく頑張った。実際、今はもう魔導と共に人々
の生活にはなくてはならないものになった──市民権を得た」
「……」
「でもね、その間に失ったものもあるのよ。それは……ロマン。自分達が技術でもって世界
を拓くんだっていう気概、とでも言うのかなあ。それが今の連中にはからっきしなのよね」
 研磨機も電源が落とされ、辺りはとても静かだった。
 ほうほうと、外の夜闇の向こうにいる鳥が何処かで鳴く、それ以外の音は殆どこの作業場
に入ってこない。街は、今完全に眠っている。
「ご先祖様──トビー・ルフグランは生涯捨てることはなかったわ。見果てぬ夢、この無限
の謎を秘める世界を、この手で明らかにしてみせる。……そう言い続けて、最期は探検に出
たまま二度と戻ってくることはなかった」
「ッ──!?」
「……そんな絶望みたいな表情(かお)しなくてもいいじゃない。大体、別に恨んでなんか
いないよ? むしろあたし自身は、そんなご先祖様を誇りに思ってる」
 彼女の言葉に、嘘はないようだった。
 とても楽しそうな笑顔。真っ直ぐで……自分の道を進み続けている女性(ひと)の笑顔。
「なのに、今の連中は馬鹿だよ。目先の小銭ばっかりに気を取られてコソコソ固まってる。
そしたらどうだい、連中はあたし達を機巧師協会(マスターズ)から追い出したんだ。夢ば
かり語って非協力的な、時代遅れの技師なんだってさ」
「……」
 どうやらそれが、彼女が“落ちぶれた”理由であるらしい。
 勢力拡大に伴って肥大化した組織と、既得利権。その集団の意向に沿わない彼女を、彼ら
は時代遅れのレッテルを貼って弾き出したということか。
「……ごめんね? 湿っぽい話になっちゃなあ。むしろあたしは清々してるんだけど……」
「いえ……。いい事だと思いますよ? 夢というか、目標があるってのは」
 だからジークは口にしていた。
 自身の抱き、持て余すこの弱さも含めて、素直に羨ましいと思った。
「ふぅん……?」
 レジーナは少々驚いていたようだった。
 すると彼女はじーっと、暫く品定めをするかのようにジークを眺めると、言う。
「──夢の船」
「えっ?」
「夢の船。どんな世界の果てにも飛んでゆける、夢の船。そんな最高の飛行艇を造って、ご
先祖様みたいに大冒険する──。それがあたしの夢なんだ。確かに最初は戦争の為の力だっ
たかもしれない。でも機巧技術はヒトの知恵ってのは、殺し合うんじゃなくて、開いて結ん
で皆を幸せにするものであるべきだと思うの」
「……」
 ジークは目を見開いていた。そして嬉しく思った。
 やがて見開いた目は破顔に変わり、彼は満面の笑みで頷く。
「ああ。俺もそう思うよ。……あんたにオズの修理を頼んで、本当によかった」
 差し伸べた手に、レジーナは少しばかりきょとんとしていたが、すぐに笑顔を向けて握り
返してきた。ぎゅっと、確かに心通わせた瞬間が分かる。
 ──嗚呼そうだ。こうやって、在(い)る。
 どんなに悪意をぶつけられても、世界には同じくらい、自分の心に誠を掲げて真っ直ぐに
生きようとする人達がいる。善意……と括るのは焦り過ぎかもしれないけど、愛すべき人達
が息づいている。
(……そうだよな。やっぱ恨み返しちゃ負けだ。俺まで、同じになる……)
 嬉しかった。ジークは彼女が少し頭に疑問符を浮かべ始まるまでその手を握り、励ましの
思いを送り続けていた。

 深夜の寂れた作業場に抗う者がいた。その志を抱くさまに、励まされる者がいた。
 繁栄を謳歌する都市。その押し遣られた猥雑さの片隅で二人は笑う。
「──」
 そっと廊下の物陰から、盆に載せたコーヒーを持ったまま、静かに微笑み佇んでいるエリ
ウッドをも知らず知らずの内に巻き込みながら。

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  1. 2013/02/22(金) 18:00:00|
  2. ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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