日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)溝を前に立ち尽くす、壁を前に空仰ぐ

風邪をひいていました\(^o^)/幸い現在はほぼ治ってるようですが。
こんにちは。そんな頭が茹ってた状態でも執筆を止められなかったのを思うに、やはり自分
は創作中毒なんだなぁと、ここ数日を振り返って苦笑している長月です。

先日、デッドレスの四章をUPしました。いよいよ物語も終盤へと向かっていきます。
とりあえず中編(一旦数章での〆)でという心算でプロットを組んだ拙作ゆえ、いざエンド
マークを結んだ後に消化不良が見えてしまうような──また一つ「第一巻完」状態の既存作
が追加されることになる──気が、しなくもないのですが。
半端だとも言えるし、ダラダラ続けず完結?させたんだとも言えるし……_(:3 」∠)_

さて、次の長編執筆はユー録の番。三十五章目となります。
残り日数的に厳しく、もしかしたら来月にずれ込む可能性がありますが、例の如く気長に気
紛れに生温かい眼でお付き合いくださればとφ(・_・;)


“話せば分かるなんて嘘”なんて云ったのは養老猛さんでしたか。
ヒトというのは誰しも多かれ少なかれ「色眼鏡」でセカイを見ていて、正確な認知を持たず
にいる。そこに気付いて取っ払わなければ、対話も何もありゃしない……というような。
そしてこの正確ではない認知(=色眼鏡の原因)というのは、実に色々な言い換えが可能で。
一つは「歪んだ見方」としての言い方。
思い込みや決めつけ、偏見といったものがこれになるでしょう。
二つは「知らない故」としての言い方。
無知や不勉強(知識不足)による認識に至るプロセスの間違いとでもいいますか。
そして三つ目は……何よりも「個人的経験」です。
自分が○○だったから貴方も○○の筈だ、とか、個人的な(嫌な)経験を源泉として憎悪の
エネルギーを周囲に増幅させ、事柄をややこしく複雑にしてしまうといったもの。
今回の雑記は、特にこの三つ目に関して僕がぼやっと思ったこと・考えたことをしたためて
いこうかなと思います。

何も今に始まったことではないのですが、どうにも世の中には「議論」をしない、できない
人達が多いなぁと感じてしまう今日この頃。
要するに彼らが理性的・論理的ではないということ。
議論というのは発言者の意見と人格を切り離して行うもの──あくまでその意見自体の正否
を問い、より良い解を導き出せないかと参加者らが共に模索する行為──なのですが、往々
にして相手の意見を跳ね返す際、彼(彼女)という存在自体も一緒に弾いてしまう。
そうなるともう、それは反論ではなく「口撃」で、議論は喧嘩に早変わりする訳です。
ただ一方で、僕は“誰しもが「論理的」で「私情を排する」世界は楽しいだろうか?”とも
思ってしまうのですよね……。

先日、いつものようにツイッタなどのウェブ上で「議論」を好む方々を見かけました。
それ自体は今日びよくあることです。そして大抵の人はそういった人達とは距離を置き──
所謂スルースキルを発揮し──自分の時間を思い思いに過ごしています。
だけども僕は、その日はたと彼にレスを飛ばしてみることにしました。
その理由はただ一つ。
彼が“論理というものを信頼し過ぎている”と感じたからです。
──かつては僕もそうでした。
人間は醜い。感情を剥き出しにして恥じることも無いからお互いに争いばかり起こすんだ。
理性を収めなければ。論理的で在れれば、理性で感情を御せば、自分はああはならない──。
でもそれは“間違い”であったと今は思っています。
理性は感情を制圧するものではなく、むしろ感情を正当化させしむのが理屈だからです。
勿論、論理的思考を身に付けた人達もいるにはいるのでしょうが、僕には……ついぞできな
かった。理屈で感情を殺し続けて、気付けばボロボロになっていた。
何よりも僕にとり、論理的で在ろうとすることそれ自体が周囲のセカイへの“復讐”だった
のだと気付いてからは、日々感情と理屈のバランスを取れるように心掛けているくらいです。
……だからこそ、彼にかつての自分を重ねていたのでしょうね。
論理的になれない(感情論と個人経験則で押し通すような)人間を、あたかも劣等種である
かのように捉え、そんな「馬鹿」は自分達のフィールドから排除しても当然である──そんな
態度で語っている(ように思えた)のを、僕はスルーできなかったのだと思います。

僕はレスをしました。
個人的経験=その人の思いを悪者扱いしておいて他者と対話しようという態度は頂けない。
感情を排斥すれば解に至るのだというの態度は冷徹過ぎやしないか?
有無を言わさぬ「論理」で、果たして本当に他者を「説得」できると思うのか?
何よりも、論理の正しさでセカイを規定できる・してみせるという尖った刃のような信頼は
時に危ないものになりうる──そんな思いを込めて。
……だけど、彼は受け止めてくれませんでした。
曰く『不可知の領域(他者意識?)を示すことのできない輩と付き合うつもりはない』と。
更に『論理より論理より他者意識に根差しかつ合意を見いだせるツールがあるなら出して頂
きたいです』と言われてぐぅも出ず……。

嗚呼……今回も駄目だったよ。それが僕の自身に対する感慨です。
それをみて僕は、これ以上「情緒」的に会話を続けても無駄、或いはそういった点を「欠点」
としてあげつらってくるだろうなと思い、レスを止めることにしました。
無知を恥と思わないことは卑しいです。知ることを拒む者に対話の用意はないでしょう。
でもだからといって、そういった「知」に対して消極的な人々を見下し、排除し、ひいては
攻撃する対象としてしまう自称・理知的人間とは、果たして本当に理知的なのでしょうか?
何だか違うなぁ……と、僕は思います。
結局の所、それは「憎悪」であるような気がするのです。
知を好む者という自負。より高みを目指すというその志向。
しかしその一方で、知に消極的な──感情論で大抵のことを捌いてしまうような──人々を
無知であると非論理的であると否定し、見下し、攻撃することを智者たる証とするならば、
僕は声を大にして言いたい。

──そんな誇りは、ニセモノだ。

ぐるり巡って感度が情緒的になったのかも、歳を食って思考力が錆びたのかもしれません。
でも周りを見渡してみれば、セカイはいつも争いで溢れている。
つい感情的になり、その場その時で必要な理性を欠いてしまうが故に。
そして逆に「論理的でないという口実」で攻撃され、炎上するが故に。
……違うだろ。
僕達は、喧嘩をする為に語り合おうとするんじゃない。
自分とは違う、そこにある未知を知って取捨選択し、自分の意思で自身を変革させる為じゃ
ないのか。その過程でお互いが頷ける部分を見つけて、それらを制度(システム)の運用に
組み込むのではないのか。
確かに個人的経験──記憶は、時に「○○は嫌いだ」という怨憎の原点になります。
でもだからといってそれを私怨であり無価値だと排除してしまったら、僕らという個人個人
形作るピースは何処に求めればいいのでしょう? モノトーンだらけの世界の、何が正しい
というのでしょう?
つまり論理的であることに執着するというのは、その実根っこはその人の「感情」に他なら
ないのではないか……? そう僕は思うのですよね(まぁそれも個人的思いか。ぐるぐる)

だから僕は、安易に切り捨ててはいけないと考えます。戒めます。
どれだけ人々の少なからずが知に対して消極的で、変わってくれない愚か者だと感じても、
決してその嘆き(絶望)で彼らを斬りつけてはならないのだと。

「論理的に正しい」ことであれば、誰もが「納得」してくれるというのは幻想だと思うのです。
大抵の場合は「コンチクショウ」と心の中で睨み返します。そこで実際にその感情を返して
しまうと、それみたことかと「論理的でない。愚か者だ」的な追加攻撃が待っています。
……そんな、自分の思いを“雑音”として排除してかかる相手に、果たしてどれだけの人が
嬉々として対面してくれるものでしょうか?
そんな時、論理的であると自負する貴方は何と思うのでしょうか?
「どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ」と、眉間に皺を顰めて唾を吐いているのでしょうか?

他人の「個人的経験」「感情」が解らないというのは、分からなくもありません。
だけどもそこでそういった解らない他者を“いない者扱い”することは、間違いなく自身で
自分のセカイを他者のセカイから遠ざけ、閉じていることに他なりません。
ただそういった人間もいるんだと、横目を遣って再び価値観の海を漂っていればいいのです。

溝があったら試しに埋めてみましょうよ。何なら橋を架けてみるのもいい。
壁があったら試しに上ってみましょうよ。何なら回り道してみるのもいい。
価値ベクトルの高低差は、貴方と誰かの上下関係では決してない。
同じ人間が生み出す色(もの)なんだ。愚かさも逞しさも、一緒に愛せるようになりたい。
只管に正しいことを言っているキャラよりも、折りにつけ感情が漏れ出して苦悩している
ようなキャラの方が「生きている」って感じがする。

ヒトの色彩というのは、多分きっとそういうことで。
答えを絞り込むことだけが、知性の全てはない筈で。
議論して「一」に絞ることよりも、議論の中で「十」なり「百」の眼を知りたいと思う。
歳波を経て、もしかしたら僕はそんな「情緒的」な人間になっているのかもしれませんね。

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  1. 2013/02/16(土) 22:30:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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