日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)死に損いのデッドレス〔4〕

 意識の視界を、強い眩しさが真っ白に染め上げる。
 そんな中で聞こえてくるのは、懐かしいあの頃の声だった。懐かしい下町の匂いだった。
 ……そうだ。化け物になってしまう前は、自分もごく普通の人間だったのだ。
 決して裕福ではない、間違いなく持たざる者の側。
 それでも自分達は毎日のようにつるんでは笑い、喧嘩もし、そしてまた笑う。
 あの頃は口癖のように、自分達ごろつきを腫れ物扱いする世の中をクソッタレと蹴り飛ば
していたものだが、むしろそんな日々が──きっと永遠ではないけれどそんなあり余るほど
の「日常」が──本当は一番の宝物だったと、今の自分ならばはっきりと解る。
 何より出会うことができた。愛する人がいた。
 彼女は自分達のような、下町──スラム側の人間ではなかった。むしろその出身は正反対
の富裕層で、世間の“常識”の中では先ず接点を持つことはない筈だった。
 なのに、彼女は自らの意思で自分達の側へと訪れてきた。何度も……何度も。
 出会いの切欠になったナンパ男達からの撃退の時も、放っておけなくて必死に助けてやっ
たというのに開口一番が「ちょっと、余計なことをしないでよ」ときたもんだ。
 後々聞いた話では、彼女にとってはゴロツキ達の生の声を聞くことすらもシャカイガクと
やらの実地調査の一環だったそうなのだが……彼女はとかく、あの頃から男顔負けの負けん
気の強い女性だった。
『だっておかしいでしょう? 世の中はこんなにも豊かさで満ちているのに、それを受け取
れる人と受け取れない人がいる。……おかしいのよ。間違いなく政治の怠慢じゃない?』
 だからか、自分は彼女をどうにも放っておくことができなかった。
 最初の出会いを始め、幾度となく。
 いつしか自分は、地元に彼女が──曰くフィールドワークを行う為に訪れたのを見つける
度に、このスラムに不案内な彼女のフォロー役を務めるようになっていた。
『ん? まぁねー。父さんとかにはいい顔されないけど……。でも机の上で、金持ちばかり
が集まって口喧嘩したって誰も救われないんだよ』
『はん。随分とキレイな言い分だな。どのみち上から目線だろうに』
『……だからだよ。本当にあたし達が手を伸ばさなきゃいけないのは、あんた達みたいに燻
って不満を溜め込んでる人間なんだ。周りの大人達は、まるであんた達を──こういった街
をさも無いかのように扱ってる。こうやって、ちゃんと生身の心を持ってる人間がいっぱい
いるのに……』
 最初は仲間達も、もしかしなくても自分自身も、彼女を偽善者的に見ていた気がする。
 だけど案内が恒例の役回りになって、何度もめげずにスラムに足を運ぶ彼女の、その胸の
内に抱えている思いを聞いて、自分達はそれまでの認識を改めざるを得なくなった。
『あたし達が──貴族や取り巻きの金持ちがそんな体たらくだから、人が人をモノみたいに
使い捨てるようなことが罷り通っちゃうんだよ……』
『……』
 彼女は本気だったのだ。馬鹿馬鹿しいほどに、だけど間違いなく。
 そして自分達はハッと胸奥を鋭く突き刺される思いがした。
 ずっと恵まれている筈の彼女が、本気で自身の人生を生きようとしている。賭けに躊躇い
を見せず突っ切ろうとしている。
 なのに……自分達はどうだ?
 持たざる者。むしろ自分達は、そのレッテルを言い訳に使ってはこなかったか? 彼女の
ように、本気で自分をセカイを変えてやろうと生きてきたのだろうか……?
 ──それからというもの、自分達は彼女を“仲間”として迎え入れた。
 奇特な余所者ではなく、同じ時代を生きるダチとして。
 そして……自分にとっては、やがて恋人として。
 手前勝手な脳内補正が入っていたかもしれないが、自分達と一緒にいる時間が増えるに従
って、彼女の表情(かお)には光が溢れるようになった。
 勝気で活動的であるという点では同じ。だが最初のようなギラギラとした正義感は徐々に
丸くなり、純粋に今という生を楽しんでくれているように思えた。
 だがそれは彼女だけのことではない。自分もまた、彼女の明るく強い光なるものに惹かれ
ていたのだ。
 それは、突然の別離を経て化け物になってしまった現在(いま)も──。

「──さん。デトさんっ!」
 現実の経過は数秒で、きっと記憶は永遠で。
 デトは咽びを帯びた少女の声でハッと我に返った。
 次の瞬間、全身の感覚が伝えてくるのは、自分を抱きしめるエリスの重みと体温。つい先
刻濡れそぼった服と肌に、彼女がぎゅっと押し付けてくる涙の水気が染みるのも感じる。
「駄目じゃないですか……。こんな、無茶を……私なんかの為に……」
「……当たり前だろ。お前がいなきゃ、何の為の遠出だよ」
「でもっ、だからって……! 私だって、デトさんがいなきゃ……泣いちゃいます」
「……。すまん」
 ササライ傭兵団、リノンら輝術師の一団が呆然と様子見で立ち尽くしている中、デトは暫
くの間、エリスを泣きじゃくるままにしてあげていた。
 心細かったろうとばかり思っていたのに、この娘はむしろ自分の取った行動を心配してく
れていたというのか。
 何とも……真っ直ぐというか、お人好しというか。
「……それで? あんたらは一体何なんだ? 俺達を引っ張り出したって事は何か企みがあ
ってのことなんだろうが」
 だがそんな内心の苦笑を、安らぎを、デトは自戒するようにぎゅっと閉じ込めた。
 見据えて訊ねた先には、見知らぬ術師らの一団──リノン達。
 訊ね、答えが返ってくるよりも早く、デトは心持ちエリスを抱き寄せつつも、足元に転が
っていた剣を足で浮かせると再び手に取り直す。
「そんなに身構えないで。私は貴方の味方……の筈よ。それにこっちは必死になってエリス
ちゃんを貴方に引き合わせてあげたのよ? もうちょっと感謝して欲しいんだけど」
 リノンが少々茶目っ気を込めて言い、デトが片眉を上げた。
 ちらと胸元のエリスに視線を落として眼で問うてみると、彼女はコクンと偽りのない旨を
首肯してくる。
「あの……剣を向けないであげてください。この人──リノンさん達は私とチコを助けてく
れたんです。エクナートの人なのに兵隊さん達にも伝えずに、こうして送り届けてくれたん
ですよ?」
「……。まぁ、お前がそう言うんなら」
 デトは解消されぬ疑問に眉根を顰めつつも、他ならぬエリスの言葉で向けていた切っ先を
下ろした。エリスがようやくそっと自分から離れ、チコもぴょんと彼女の肩に飛び乗って辺
りをすんすんと嗅いでいる。
(一先ず、間一髪って認識でいいのかね……?)
 夜闇が冷たい風をかき混ぜていた。
 遠く眼下の討伐軍の本営内ではまだ篝火の灯りと兵らの気配がざわめている。
 崖側に突っ立っている傭兵達にもう戦意はない。だとすれば、やはり警戒すべきこの突然
の加勢なのだが……。
「君が、死に損い(デッドレス)──デト君よね?」
 すると先んじて口を開いたのは、リノンの方だった。
 エリスが証言した手前、もう剣は向けていない。
 だがこの女は、一体何のつもりで……?
「初めまして。私はリノン・パーシュ。元エクナート軍傘下中央輝術工房主任よ。そして彼
らは私の我がままについてきくれると誓ってくれた同僚──仲間達。私達は、貴方の協力者
になりに来たの」
「な……に?」
 思わずデトが、背後のカミナ達が目を見開いていた。
 だが当のリノンとその同胞達は(彼女の言い口はともかく)至って真面目で、エリスも肩
にチコを乗せてニッコリと微笑んでいる。
「なんで……。なんで俺だと分かってて……?」
 やっぱり訳が分からなかった。
 やたら自分をいい人だと言って懐いてくるエリスに加え、今度は味方を名乗る一団とは。

 ……可笑しな話だ。
 自分はもう、独りであるとばかり思っていたのに。


 Phase-4.討ち損いらの行進曲

 ──とりあえず、積もる話は本営(ここ)を離れてからにしましょう?
 デトは渦巻く戸惑いに身を任せて問おうとしたが、当のリノンは眼下の討伐軍を一瞥する
とそう言って林の中へと歩き始めていた。
 仕方なくその後を追う。傭兵達も戻る訳にもいかず、成り行きのまま後ろに続く。
「……ん。ここまで来ればもう大丈夫かしら」
 そうして、どれぐらい歩いた頃だったろうか。
 黙々と雑木林の奥へと分け入り、やがて討伐軍のざわめきが耳に届かなくなったのを確認
するように繁茂した空の視界を仰ぐと、彼女は仲間の術師らと共に改めてこちらに振り返っ
てくる。
「だといいんだがな……。それよりもいい加減、話して貰いたいんだが?」
「話せって言われてもねぇ。本当に言葉の通りよ? 私達は貴方の協力者になりに来たの」
「……そこじゃねぇよ。何故かって訊いてるんだ。目的は何だ? 俺がお尋ね者だと分かっ
てて何でわざわざこっちにつこうとする? お前らは一体、何を企んでる……?」
 だがあくまでデトは警戒を怠らなかった。
 傍らのエリスがきゅっと自身の袖を取り心配そうに見上げているが、どうにも自分はこの
娘のように素直にはなれないらしい。
 だがある程度こうした反応は想定内だったのだろう。リノンはそれまでの何処か茶目っ気
のある雰囲気から一転、表情をスッと真剣なものに変え、答える。
「……この世界を“目覚めさせる”為よ」
 はたと、水を打ったような沈黙。
 エリスがぽかんと立ち尽くし、カミナとアヤの父娘も仲間の傭兵達と互いに顔を見合わせ
て困惑の表情を浮かべている。
「……」
 だがただ一人、デトだけは異なる様子をみせていた。
 まるでこの返答の意図を知っているかのような、深く深く皺を刻んだ眉間。
 彼は少なからず睨むような目つきで、じっと真っ直ぐに彼女を見据えている。
「エリスちゃんには話したのだけど、私達は術師の中でも研究者に近い立場でずっと輝術に
関わってきたわ。国軍傘下のラボを選んだのも、資金や設備といった面で存分に研究に没頭
できると思ったから。私が新たな技術を開拓する、そのことによってたくさんの人々がより
豊かな暮らしを送ることができると……信じていたから」
 まだデト達は黙っていた。そんな中でエリスはゆっくりと小首を傾げる。
 信じて、いた?
 彼女の呟いた“過去形”に少女の感性が反応する。
「……エリスちゃんは、何故輝石というものが存在するか考えたことがある?」
「えっ?」
「──ッ。おい」
 するとリノンは再び問い掛けてきた。
 急に話を振られたこともあり、一層エリスの疑問符は大きくなる。
 自身の肩に乗ったチコと顔を見合わせる。かと思えば何故かデトが気難しい表情のまま、
リノンを諌めんとするかのようにずいっと一歩、エリスの前に踏み出してくる。
「やっぱり分かっているのね。でも、何故と訊いたのは君の方よ?」
 だが威圧を向けられても、リノンは止めなかった。
 むしろこの話をすることそのものが彼女にとっての本題であったようだ。
 真剣なさまは更に濃さを増し、二人の間で戸惑うエリスを見遣ってから、彼女は少し間を
置いて“告白”する。
「デト君。君は輝術を使える。……本来、私達のようにこうして術玉を杖などに装填した状
態でないと使えない筈の奇跡を、君は何の道具もなしに使うことができる」
「そういえば……」
「……」
「大事なことだからよく聞いて。結論から言うわ。輝石の原料は──生命なの。まだ生まれ
来なかった生命が集まり結晶化したもの、それが輝石の正体なのよ」
『──ッ!?』
 二度目の沈黙が走った。
 だが今度は単なる静けさではない。驚愕のあまりに声が出なかったためだ。
 リノンが冷静に告げる言葉。輝石は生命から出来ている──。エリス達の脳天を強打した
その告白は、彼女達の前後左右を不覚にさせるにはあまりにも強烈過ぎた。
「考えてみればおかしい話でしょ? 莫大なエネルギーを秘めた鉱物がこの世界の地下には
ゴロゴロと埋もれている。私達はそれを当たり前のように発掘して、利用して、その恩恵を
受けているけど、そのエネルギーそのものが何処から来たのかは誰も答えようとしない」
『……』
 互いに顔を見合わせる。言われてみれば、確かにそうだ。
 輝石は自分達の暮らしを支えているエネルギーの塊──そういった“常識”はあっても、
では何故? という思考に至っていなかったことに気付かされる。
 てっきり詳しいメカニズムなどは、専門家である輝術師が知っているものだとばかり思っ
ていたのだが……。
「デト君、君もとっくに気付いていたんでしょう? 貴方も形態は違っても輝術の使い手。
私たち他の輝術師と同じように、経験的に知っていた筈。……輝術は輝石を──誰とも知ら
ぬ無名の生命を消費することで引き出すものだから」
 リノンの言葉に、デトはじっと見据えた姿勢のまま黙っていた。
 エリスら場の面々が、グラグラと目を丸くして彼に振り向いている。
 つまりこうだ。
 デトは抱えているからこそ扱えるのだ。彼女の言う通りなら、輝石とイコールである生命
力そのものを、彼はほぼ無尽蔵にその身の中に抱えている故に術具を必要としない──。
(じゃああの時、デトさんが力を使っていなかったのは……)
 エリスは思い出していた。
 待合所で彼に呟かれた、チコを飼っていることと術師の素養。
 賞金稼ぎ達に襲われた時、彼が何故か死に損い(デッドレス)としての力を出し惜しんで
いるように見えたこと。
 もしかして……見せたくなかっただろうか?
 多少の負傷を採ってでも、力を輝術を使うことで自身の中の生命──輝石の元──祖父の
魂をもしかしたら消費してしまう、その瞬間を。
 きゅっと、エリスは胸元を掻き抱いてデトの横顔を見上げた。
 全て知っていたのだ。チコが「生まれた」本当の理由(わけ)も、自身がその力を振るう
ことで背負っていくことになるものも。
「……研究環境としてはあそこは文句なしよ。でもね。私は世の中の人間を騙したまま自分
の好きな事をやっていいなんて思わない。そんなの、私の誇りが許さないのよ」
「に、にわかには、信じられませんが……」
「そうだな……。だが古来より、冥府は地の底にあると云う。彼女の話が本当だとすれば、
先達はそういった創作に真実を込めていたのかもしれん」
 そんなエリスの揺らぐ瞳を、リノンは暫く見つめていた。
 それでもやがて彼女は、キッと相変わらず自分を睨んでいるデトに視線を向け直し、まる
で決意表明かのように語る。カミナら傭兵団の面々も、少しずつながらこの告白による動揺
を収めようと努めて始めている。
「だから、私は今回の軍事作戦を聞いた時チャンスだと思った。デト君、貴方という生ける
巨大輝石に接触するというね。……皆が黙ってる。この世界を支えている力が、たくさんの
無名の犠牲で成り立っていることは他の輝術師だって分かっている筈なのよ。私たち術師は
輝石と交信する。少なからずその内に閉じ込められた“声”を聞いている筈なの。なのに誰
も声を上げようとしない。報復を恐れ真実を話そうとしない……。そんなの間違ってるわ。
人々を騙し続けて、犠牲を当然としたままなんて……間違ってる」
「……」
「目的はただ一つよ。貴方という生き証人を得て、輝石の真実を世界の人々に告発するの。
論文で著しても駄目だった。同胞が何人も握り潰されてきたわ。エクナートもガイウォンも
他の国も、世界中がグルになってこの事実を隠している。貴方を執拗に付け狙うのだって、
一番の理由はこのことが明るみに出るのを恐れているから。抹殺して……あわよくば生け捕
りにして、永遠の命を解読する──大方やつらはそんな魂胆なのよ」
 まるで限界まで堰き止めていた水を吐き出すように、リノンは捲くし立てた。
 エリスが、ササライ傭兵団の面々が、リノンの部下達が、それぞれに緊迫した面持ちで場
に立っている。
「だからお願い……。デト君、私達と一緒に闘って」
 だが──。
「………てめぇの言いたいことは、それだけか?」
「ぇっ?」
 デトは首を縦には振らなかった。
 むしろその鋭い眼光は、痛いほど真っ直ぐにリノン達を突き刺すように向けられている。
「化け物なんだから追われて当たり前だろ。んな事、俺なんかに構わず勝手にやってろ」
「なっ……!? あ、貴方本気!? いつまでも逃げ続けられると思っているの!?」
「こ、これは貴方の為でもあるんですよっ?」
「一緒に真実を明るみにできれば、貴方に掛けられた罪だって──」
「阿呆が。人殺しは人殺しだろうがよ。無かったことになんぞできるか」
 リノン達は大いに慌て、口々に説得を続けようした。
 だがデトはそんな彼女達の言葉に応じる様子は見せない。ザリッと、少しだけ身を返して
斜めを向くと、ついと肩越しに彼女達を見遣って言う。
「なにが闘ってだ。俺からすりゃあ、てめぇらも他の輩と同じだよ。自分達の目的の為に俺
に近付いて利用しようとする。正義の味方ごっこはガキの内に卒業するもんだ」
「が、ガキ──」
「……それにな。俺は今、無性に腹が立ってる。今てめぇは誰に向かって喋った? ここに
いるのは俺だけじゃねぇぞ。エリスも、成り行きのまま一緒に引っ張られてきたシキブの傭
兵連中もいる。なのに、聞いてしまったら『賊』になりかねない話を揚々と語りやがった。
それが一番許せねぇんだよ。てめぇの“誠意”なんてのはニセモノだ!」
「──ッ!?」
 それまで知的で誇り高かったリノンの表情が、大きな音を立てて崩れたように思えた。
 引き攣った、まるで絶望したかのような顔。ガッと胸元を抱きしめて間もなく、その手は
力なくだらりと垂れ下がる。
 そのさまを、デトは暫し眺めた後、
「自分の感情を他人(ひと)に押し付けたって……虚しいだけだぞ」
「……!」
 エリスがハッとなる、いつか彼女に向けて呟いたのと同じ嘆息を呟く。
 サァッと場に吐き出された熱量が冷めていくような錯覚がした。
 ショックでふらつくリノンは慌てる仲間達に支えられ、傭兵団の面々──以上にエリスは
チコと共にこの気まずい空気で自身が押し潰されそうな気分になる。
「……。それよかさ」
 だが次の瞬間、ぽふっとエリスの頭が軽く撫でられた。
 見上げればデトがあらぬ方向を眺めたまま、自分の頭を掌で包んでいる。
 ……大きくって温かい。そんな状況ではないと分かってはいたが、エリスの心は不思議と
安らかになる。
「俺は何よりこいつを故郷まで送ってやらなきゃいけねぇんだ。……正義の味方ごっこは、
その後になるぜ?」
「えっ……?」
 はたと我に返ってリノンが顔を上げていた。
 ちらとデトは彼女を見返し、そっとエリスを撫でていた掌を除ける。ザラリと片手に下げ
ていた剣を鞘に収め、皆が戸惑って動けない中を一人ゆっくりと歩いていこうとする。
「デト……君」
「……やるな、なんていつ言ったよ。ただこっちが色々立て込んでるだけだ。エリスを送り
届けるにしたって、こうも軍隊がスクラムを組んでちゃおちおち路も行けやしねえ。それに
お前さんが巻き込んだそいつらの事も考えないといけねぇしな」
 数歩進んで足を止め、デトはカミナたち傭兵団の面々を見遣った。
 濡れていたり汚れていたり手負いだったり。
 少なくとも、もう元の雇い主の所へは戻れないことは彼らも薄々理解はしていたようだ。
 本営内で受けた味方からの砲撃──デトもろとも始末してしまってもいいとする意図。
 反故・裏切りに対するショックやこの先への不安。そんな陰鬱に沈みかける彼らに、デト
はある提案をする。
「ものは相談なんだが……。お前ら、俺に雇われる気はないか? どうせ元に戻ろうにも今
の時点で“共犯”扱いして処刑の準備をしてるだろうし、だったら鞍替えしねぇかってさ」
「貴……方に?」
「ああ。まぁ形の上では別の人間が雇用主になるだろうけどな。ヒューゼ・ヴァンダム、俺
の昔からの知り合いで数少ない味方(スポンサー)さ。お前らも傭兵なら名前くらい聞いた
ことはあるだろう?」
 傭兵達はざわめいていた。
 レイリア共和国屈指の豪商ヒューゼ・ヴァンダム。その名は出稼ぎ民である彼らにもよく
知られている所だ。
「確か、ヴァンダム商会の……」
「でもいいのか? 俺達はあんたを殺ろうとしてたんだぞ?」
「何だよ。まだやろうって思ってんのか? 俺は殺され慣れてるから一々気しねぇよ。それ
よりも今ここでお前らシキブの戦士を味方に引き入れておいた方が合理的だ。こっちは討伐
軍を追っ払うのに兵力があると心強い。あんたらも仕官先と稼ぎが確保できる。事さえ済ん
じまえば国に帰るなりヒューの所でもっと稼ぐなり好きにすりゃあいい」
 最初、傭兵達は戸惑っているようだったが、ニカッと笑ったデトにすっかり毒気を抜かれ
たようだった。
 互いに顔を見合わせている面々。その中でも特にカミナとアヤ、一団のツートップが意を
決したことで即席交渉はやがて成立することになる。
「……いいだろう。我々の武と義、貴方達に貸すと誓う」
「そ、その。個人的にも貴方には危ない所を助けて貰いましたし……」
「よし、交渉成立だな。じゃあ一先ず退路確保に動いてくれてる俺の仲間と合流しようか。
商会にはその時に話を通そう」
 了解。デトが再び歩き出し、エリスがササライ傭兵団らがその後についていく。
 加えて、ぼうっと突っ立っていたリノン達にも「おーい。何してる、お前らも来いよ」と
デトからの呼び声が掛かり、彼女達も戸惑いからやがて安堵へ、喜色をまとった武人と術師
の一団が新たに彼の傘下に加わる格好となる。
(──なんだか、一気に大所帯になったなあ……)
 とてとてと、エリスはそんなデトの横をついて歩いていた。
 思わず頬が緩む。
 本当は今も凄く気の抜けない状況だというのに、彼が独りじゃない──たくさんの仲間達
を連れて、そして自分もその中にいるんだと思うと、ホコホコと嬉しい気持ちが湧くのを抑
えられなかったのだ。
「~~♪」
 だから横目にこっそりと、エリスは時折自分の歩幅に合わせて歩を緩めてくれるデトを見
上げていて……。
「……?」
 気のせいだったのかもしれない。
 だが見上げた彼のその横顔は、何処となく微笑(わら)っているように見えた。


 一行と共に雑木林を抜けつつ、デトは地面に掌を当てると件のブヨブヨを通じ、待機して
いたサヴル・ロッチらとの合流を果たした。
 当然ながら、再会一番に返ってきたのは驚きだった。
 無理もないだろう。デトとエリスはそれぞれササライ傭兵団とリノン一派、二つの新たな
協力者を得たこれまでの経緯を話し、一度ヒューゼへと連絡を取るように頼んだ。
 勿論、リノン達の動機としての、輝石の真実も。
 彼女達、そして他ならぬデト自身から語られるその真実にサヴルらは予想通りショックを
受けていたようだったが、一方でロッチはさほど動揺している様子はなかった。
 輝石を始め様々な物品を扱う商会の幹部級の一人として、もしかしたら彼個人もかねてよ
り薄々気付いてたのかもしれない。
『……大丈夫でしょうか? これだけ人数が増えれば、極秘行動が難しくなるのでは?』
『まぁな。だがそこは動き方なりを工夫して何とかする。少なくとも俺とお前達だけで連中
と当たるのは無理がある。こっちも兵力があるに越したことはない』
『……。デトさんがそう仰られるのなら』
 一方リノンから《逓信》の術玉を借りつつ、彼はそう大所帯化の弊害に眉を顰めていた。
 その言い分はデト自身も重々承知だ。しかし既に次の一手を練り始めていた彼の言葉と既
成事実としての現状を前に、ロッチは結局それ以上の抗弁はしなかった。
 そして合流を果たした後、一行は足早に動き始める。
 先ずデトの指示で、サヴルら密偵隊がリノン一派とササライ傭兵団の面々に着替えとなる
服を用意してきた。言うまでもなく変装──身バレを防ぐ為の措置である。
 見るからに術師・傭兵といったいでたちを一旦解き、思い思いの私服姿が完了した時には
深い夜闇が白く薄れ始めていた。
 ──長かった夜が明ける。
 デト達は暫し、そんな淡々と繰り返される時の流れを思いつつも、只々前へと進む。
 次にデトが皆を連れて《転移》した先は、ファージ領よりも更に北に位置するクリアナ領
だった。
 彼曰くこの辺りには以前に来た事があるのだという。
「お待たせしました~」
「おう。ありがとよ」
 そんな領内にて、陽が天頂に差し掛かった頃。
 一行は人里のとあるレストランへと足を運んでいた。
 但し流石に全員揃ってだと目立ってしまうため、事前に幾つかのグループに分かれてから
入店する。デト・エリス・ロッチ・サヴル・リノン・カミナ・アヤといった一行の中核メン
バーの班と、その他面々をごちゃ混ぜに編成した複数の班。
 一見すれば個別の客に見えた。だが席に着く際、各々がさり気なく仕切りなどを隔てても
隣接するような位置取りを選ぶことで実質集まって話し合いをすることができる。
「……さてと。じゃあ、食いながらいいから聞いてくれ」
 ウェイトレスが去っていくのを横目で確認し、デトが言いながら骨付き肉を齧り始めた。
 仲間達もめいめいに料理を口に運ぶ。ただこれまでの疲労とこれからの不安、そう簡単に
は拭えない胸奥の暗雲が、味覚すらも鈍らせるかのようだ。
「繰り返すが、俺達の当面の目的はエリスを故郷に帰してやることだ。だが、討伐軍の危険
は今も残ってる。このまま進んだ所で、最悪ハンクルスが戦場に──火の海になる可能性だ
ってある。それだけは……何としてでも避けたい」
 薄々予想はしていたのだろう。デトの言葉に皆が、何よりエリス自身もが、不安げに眉を
顰め頷いていた。
 今回リノン達という裏切り者(きょうりょくしゃ)がなければ、果たして事態はどうなっ
ていたことか。
 連中はきっと今も、デト──大罪人・死に損い(デッドレス)を血眼になって捜している
に違いない。
「それだけじゃないわ。ガイウォン軍もいつ東大陸(こっち)に着くか分からない。時間が
経てば経つほど、こっちは不利になるでしょうね」
「帝国軍まで合流されると、それこそもう手が付けられなくなってしまいます。何とか連中
の兵力を分断させるようにしないと……」
「ああ。だから今の内に討伐軍を叩く」
 一同が目を丸くしていた。中にはボロッと料理を零してしまった者もいる。
「む、無茶ですよ! やっとここまで来たのに、また……!」
 エリスが思わず叫んでいた。少なからぬ周囲の客の視線がこちらを向く。
 だがデトの表情は、何故かとても穏やかなものになっていた。
 違和感……に似た胸騒ぎ。エリスは彼にぽむと頭を撫でられて宥められるも、胸奥は水面
を叩いたかのように大きくざわついたままで。
「大丈夫だ。叩くっつっても、滅ぼす為に戦う訳じゃない」
 半泣きのエリスが、仲間達が、頭に大きな疑問符を浮かべていた。
 撃退しなければ、討伐軍はよほどの事がない限り撤退などしない筈。それは狙われている
張本人が一番分かっているのではないのか……?
 再び店内に日常の雑音が戻ってくる。周囲の客達はやがて無関心に戻り、各々のお喋りに
華を咲かせるようになっていった。
 或いは食事への専念、生命を維持する為に他の生命を摂取する活動に見出す愉しみ。
「……策ならある。連中を、撤退(あきらめ)させるぞ」
 手に取った楕円形のパンを半分、一口で齧り取って咀嚼する。
 デトはそれをごくりと飲み込むと、席を囲む皆にそう不敵な笑みを浮かべてみせて……。

 時を前後して、討伐軍本営内。
 夜闇に乗じた突然の奇襲騒ぎは一応は終息したが、陣内の兵らの緊張は解れなかった。
 言わずもがな、原因は死に損い(デッドレス)である。
 自分達が狙っていた標的がわざわざ向こうから現れたにも拘わらず、ただ被害と混乱だけ
を残して去っていった──そんな落胆や焦り、或いは苛立ちが軍内を覆っていたからだ。
『何たる失態だ! これだけの兵力を投じてもまだ捕らえられぬのか!』
『一体奴は何処に消えた!? このままでは、我々の能力が聖教国側(れんちゅう)に疑わ
れてしまうではないか!』
「は、はい。申し訳……ございません」
「目下捜索を行ってはおりますが、未だ消息が掴めませんで……」
 司令室用のテント内には、前線の将校らと《逓信》によって中空のホログラムに映し出さ
れたトーア諸候らの姿があった。
 室内に響くのは、そうした諸候らから発せられる怒声。いや、最早ただの保身の激情。
 そんな彼らの態度に現場の将校達は決してよい印象を持ちえなかったが、実際問題として
死に損い(デッドレス)を取り逃がしたことに変わりはない。
『言い訳など要らん! そんな暇があったら見つけるんだ、一刻も早くッ!』
 そもそもエクナートの介入を認めせざるを得なかったのは、死に損い(デッドレス)とい
う世界共通の「悪」を討伐する──その御旗を掲げられているからに他ならない。
 もっと別な罪人なら、こうはならなかった。自分たち同盟領を侵される恐怖に苛まれる事
もなかった筈だ。
 無能のレッテル、大国による領地への侵奪。
 聖教国(むこう)も承知でこの機に乗じているのだろうとは想像に難くない。
 だからこそ、余計に焦りばかりが心をしきりに掻き混ぜてくる。
『そもそも、だ。ファージ侯。貴公が奴めを押えられなかった所為でもあるのだぞ?』
 故に、程なくして彼らの批難の矛先は、一人の人物──ファージ侯へと向けられる。
『な、何を言うか! それを言うならユリエル侯とて同じだろう? 奴が連峰に入った時点
での管轄は私ではない!』
『きっ、貴様、自身の非を棚上げする気か! 今陣が敷かれているのは他ならぬファージ領
ではないか。私は、私は……!』
『止さぬか! サヴェーシュ侯も煽るでない! これは領主一個人に帰すべき問題ではなか
ろう。我々トーア同盟全体の危機ぞ』
 誰かを吊るし上げて逃げようとする者、それに抗う者、或いはそんな口論を諌める者。
 ホログラム上で諸候らの口論──焦りは益々加熱していた。勿論、一旦矛先を向けられた
ファージ侯も決してその心中は穏やかではない。
(やはり私を指弾する声が……。訴えたいのはむしろこちらの方だというに……)
 自身は屋敷の執務室で。しかし《逓信》の術玉が照らす光越しに。
 侯はギリギリっと、半ば無意識にデスクの上で組んだ両手指に力を込める。
 どだい無茶な注文なのだ。しかも報告では自分の雇っていたシキブの傭兵らがエクナート
の部隊によって巻き添えを喰らったと聞く。
 それに加え、今朝に至っては──。
「おやおや。随分と揉めているようですね」
 そんな時だった。ふと、外からテントの入口を潜ってくる一団があった。
 将校達、諸候らが振り向いてみれば、そこに立つのはエクナートの軍服を着た将校達。更
にそのリーダー格らしい、一人の術師と思しき青年。
「ユ、ユージオ司令官……」
 トーア側の将校らが途端に──怯えるように畏まっていた。
 一方で対するこの青年・ユージオは、終始線目の微笑を浮かべ、部下らと共に悠々とした
足取りでこの会議の場へと踏み込んでくる。
「死に損い(デッドレス)の行方、まだ掴めてはいませんか」
「は、はい……」
「目下捜索を続けてはいるのですが……」
「……。ふむ」
 将校らの緊張を余所に、彼は暫し顎に手を当てながら室内をゆっくりと歩いていた。
 ホログラムの向こうの諸候らも、緊張と警戒──まだ若いエクナート側の長に宜しくない
印象を抱いている。
「彼なら、既に此処にはいませんよ」
『なっ!?』『ほ、本当か?』
「ええ。先程、部下達に周辺の輝術反応を解析させましたので。どうやら《転移》したよう
です。まぁ、輝術も多彩に使いこなす彼なら別におかしくはありませんが」
 諸候らが互いの顔を見合わせていた。
 道理で見つからない筈だ。そして流石はエクナート、輝術の先進国である。
「……お言葉ですが、諸候がた。貴方達はあの男という者を舐めている」
 はたと足を止め、ユージオは流し目に諸候らを見遣ると口を開いた。
 間違いなく、咎め。一同の表情(かお)が少なからず青褪めたようになる。
「お互いをあげつらっておられる場合ですか? こうしている間も“悪”はのさばっている
のですよ? それこそあの男の思う壺の筈です」
 諸候らが水を打ったように静かになった。
 だがそれは論破された、というニュアンスではない。実際にはこんな若造に諌められた、
その事実に対する業腹といった方が近いだろう。
『……そちら側の司令官だからとあまり調子に乗るな。我々は聞いているぞ? 先の奇襲で
軍内から裏切り者が出たそうではないか』
『そうだ! あの時そやつの邪魔がなければ死に損い(デッドレス)を捕まえられていたか
もしれないのに……!』
 だからか、諸候らの批難の矛先は、今度はユージオへと向かっていた。
 しかし当の本人は取りつく島もなく、静かに首を横に振ってみせるだけだった。
 全く……愚かな自信家達だ。
 そう、彼は待ってましたとばかりに微笑を──その奥に潜めたどす黒い冷徹さを彼らに向
けると言う。
「……学習しない方達ですね。私を責めてあの男が捕まりますか? 勿論、国に背いた反逆
者は我々が責任を以って処罰します。それに今回、裏切り者云々は何も我が軍だけの話では
ないようですしね」
『……??』
 どういう意味だ? 諸候らが彼の言葉で固まっている。
 だがそんな中でただ一人、別の反応を──驚愕と恐怖で震えている者がいた。
「ですよね? ファージ侯」
 面々の視線が一斉に彼を、侯を捉えていた。
 驚きから憤りへ。その物言わぬ攻撃力は彼を萎縮させるには充分過ぎて……。
「──ササライ傭兵団。貴方が雇っていたシキブの傭兵達だ。あの奇襲騒ぎの折、本営内で
死に損い(デッドレス)と至近距離で対決し、そして行方を眩ませた」
『ち、違う! あれはお前達らが──』
「手紙が届いたのでしょう? 団長カミナ・ササライ直筆で“貴公との雇用契約を解除させ
て貰いたく候”と。当時の状況から察するに、彼らは貴方を見捨ててあの男に引き入れられ
た可能性が高い」
『──ッ!?』
 しまった……これはこいつの誘導(わな)だ。
 だがファージ侯がそう悟った時、場の勢力図は完全に彼にとってアウェーになっていた。
 引き攣った顔。首筋に滴る汗。
 まさかこの男は、前々から自分──いや、我々諸候全員に間諜を?
 室内から見たホログラムの向こう側、侯のデスクの上には、書類の紛れてその指摘された
カミナからの手紙──事実上の絶縁状が封を切って放り出されている。
『それは……本当なのか?』
『どういうことだ、ファージ侯! 場合によっては更なる咎めも否めぬぞ!?』
 再び、諸候らの口撃が始まっていた。
 ファージ侯も最早言い逃れすることはできなかった。頭を下げ弁明し、結局それまで手元
に隠していた件の手紙をホログラム越しに皆へと見せる羽目になる。
「まぁまぁ皆さん。落ち着いて」
 だが一方で、ユージオはそんな状況を哂っていた。
 言いながら片手で部下に何やら合図をする。それを受けて何人かがテントから出ていく。
「……その手紙、我々が回収させて頂きますよ。偽装工作の一つや二つは行ってあるでしょ
うが、消印を辿ればこれまでの出没経路と併せて、あの男の居所を絞り込める筈です」

 トーア地方東海岸のとある港町。そこに一隻の軍艦が停泊していた。
 黒鉄色の巨大な機体、そこから降り立つ同じ色の軍服に身を包む軍勢。
 それはまごう事なき帝国(ガイウォン)の遠征軍だった。
 一体、何事だ?
 遂に奴らもやって来たか……。
 港町の住人・旅人らは、一糸乱れぬ黒鉄の隊伍が通りを進むのを只々畏怖の眼差しで見遣
り、退け腰になる他なかった。
 世界最強の軍隊。
 そんな彼らが、あの死に損い(デッドレス)を捕らえる為、遥々東大陸から海を渡ってや
って来たのだと。
「──ここが豊穣のトーアか。成る程、確かに帝国領(こくない)とはまた違った趣がある
ようだのう」
「ええ。ですが将軍、観光気分はまた別の機会に。我々は急がねばなりません」
「分かっておる。そう気色ばむな、キルロイ」
 この遠征軍を率いるのは、二人の上級将校だった。
 一人はザッハロニ将軍。遠征軍の責任者を務める帝国軍でも指折りの勇将である。
 もう一人はキルロイ将軍。ザッハロニのような巨躯には恵まれていないが、知略を駆使し
今回彼の副官として着任している。
 泰然自若と神経質。両者の性格は正反対だった。
 ガチャガチャと堅固な鎧を鳴らして笑っているザッハロニに対して、隣を行くキルロイの
表情は終始硬い。後ろに続く兵達も、そんな対照的な上官らにどういう表情(かお)をした
らよいか判じかねているらしく、一様に張り付けたような無表情が並んでいる。
「……。報告によるとトーア諸候らは死に損い(デッドレス)の捕獲に失敗したようです。
一度は陣に奇襲を掛けられたものの、取り逃がしたと」
「ほう? 流石は……といったところだな。まぁそうでなくてはこちらとて困るが」
「ええ……」
 道すがらキルロイは語る。だがトーアの失敗は想定の範囲内だった。
 むしろ問題なのは、既に聖教国(エクナート)がトーアへの介入を始めているという点で
あろう。本国が自分達の出陣を急がせたのも、このままでは今回の討伐を切欠にかの国の版
図が広がりかねないと警戒しているためだ。
「ですが、死に損い(デッドレス)と真正面からぶつかってもこちらの損害が膨らむばかり
なのは明らかです。兵力で押す以外にも、彼を抑え込む手を講じなければ……」
「ふふ、相変わらずだのう。その点はお主に任せる。とはいえ、相手は何十年も世界を敵に
回してもなお逃げ続ける不死身の男──個人的には一度手合わせ願いたいものだが」
 呵々と笑うそんなザッハロニの横顔を、キルロイは静かな嘆息で一瞥していた。
 相変わらず、人の話を聞かない方だ……。
 眉間に深い皺を寄せ、彼は薄眼鏡のブリッジをそっと指で押さえる。
 世界最強の名を欲しいままにしているといっても、実際のところその内部の精神はこんな
一昔前の錆鉄ばかりだ。
 そんなざまでは、いずれ──。
「……」
 しかしふるふると小さく首を振り、彼はそこで陰鬱な思考を中断した。
 余計なエネルギーを使うべきではない。今はただ、どうやればあの男を効果的に捕らえら
れるかに集中するべきだろう。
「トーアもエクナートも、まだ逃げた彼の居所を掴んでいません。我々はこの状況を最大限
に利用すべきだと考えます」
 言ってキルロイはそっと振り返る。ザッハロニも、肩越しからの視線で以って彼に倣う。
『──』
 そこには、兵達とはまた別の、不穏な人影が交ざっていて……。


 まだ夜も明けきらぬ内から、トーア領内をひた走る複数の馬があった。
 そこに乗っているのはエリスとチコ、そして彼女の護衛を兼ねて同行するササライ傭兵団
の面々が数人。

『──えっ。デトさん、今なんて……?』
 事の発端は、クリアナ領での作戦会議だった。
『先にハンクルスに帰れって言ったんだ。俺達はさっき話した古城に討伐軍を誘き寄せて、
お前が向こうに着くまでの時間を稼ぐ』
 思わず訊き返してしまった、デトの練ったプランはこうだ。
 まずエリス(と護衛数人)が先んじて此処を経つ。後は全速力で馬を飛ばし、当初の予定
通りに村の術師センセイが迎えに来てくれる街まで向かう。
 一方でデト達は、それまでの時間を稼ぐことに注力する。
 此処クリアナ領内には、以前デトが潰した輝術師グループがアジトとして使っていた古城
がある。自分達はそこへ討伐軍を誘き寄せて篭城し、エリスの到着を待って《転移》で脱出
するのだと。
『そ、そんなの駄目です! 私の為にそんな、危ないこと……』
『もうこれ以上お前を巻き込む訳にはいかねぇんだよ。リスクは百も承知さ。それに全くの
無策じゃない。言ったろ? ……じきに、追いつく』
『……』
 勿論エリスは最初、拒もうとした。何か考えがあるとは言われても、無謀過ぎる。
 だがデトは本気だった。驚くほど真っ直ぐに、強い瞳で見つめ返してきた。
 本気で彼は、己を盾にしてでも自分を逃がそうとしてくれている──そう感じて。

 道中、エリス達は馬を休ませる為に何度か休憩を取った。
 徐々に薄れていく朝靄、目覚めを迎える小鳥の囀り。川辺で水を飲む馬の背を撫でてやり
ながら、ぼうっとエリスは立ち尽くしている。
「……」
 そもそも……自分がデトさんを巻き込まなければこんな事にはならなかったのだろうか?
 自分の無力さが酷く悔しくて、哀しい。
 デトさんは、悪い人なんかじゃない。
 どれだけ化け物じみた力を持っているとしても、自分達と同じように他人を思うことがで
きる人だ。痛みも喜びも分かち合える人間だ。
 ……ただちょっぴり、捻くれてしまっているだけで。
 なのに、あんまりではないか。
 偶々悪い輝術師達の実験に巻き込まれた、それだけで世界中から“敵”と見なされ続けて
いる。実際に復讐に燃えていた時期があったとはいえ、リノンさんから彼が狙われる本当の
理由(わけ)を知った今、自分はあの人を絶対に見捨ててならないとさえ思っている。
『他人(ひと)に自分の感情を押し付けるなんて……虚しいだけだ』
 自分はあの人を“諦め”から救いたい。
 自分は確かに見た。リノンさんやカミナさん達が仲間に加わった時、彼の横顔にほんのり
と「光」が差していたのを。
 お節介……なのかもしれない。だけど、本当は彼だって信じたいのではないだろうか?
 悪い人もいるけれど、善い人だってきっといる。
(……? お節介?)
 そんな時だった。ふともやもやとする胸の内と向き合う中で、エリスは一つの疑問に行き
当たったのだ。
 
“デトさんは何故、赤の他人である自分にここまでしてくれるのだろう……?”

 以前語っていた『今は依頼人だから』というドライさ──ビジネスライク故か。
 いや……多分それは違う気がする。
 何せ彼は世界から狙われても尚、何十年と逃げ続けている人物だ。これではまるで、決し
て多くはない今回の報酬よりも、自分を守ることを優先しているようではないか。
 いざとなれば、自分一人くらい見捨ててもおかしくはない程の苦悩を味わってきたであろ
うに、実際にはその選択肢を採っていない。
 それこそ今の彼が、自分という人間を“信じて”くれているかのような……。
「……キュ?」
 馬の背を撫でるエリスの手が止まっていた。
 そんな主人(かのじょ)の内面の変化に、肩の上のチコはすんすんと鼻を鳴らすと頬に顔
を寄せてくる。
「まさか……そう、なの……?」
 指先でそっとチコの喉元をもふもふしてやりながら、エリスは一人そう小さな呟きを漏ら
していた。
 はたと湧いた戸惑いと、同じくらい妙にくすぐったい嬉しさ。
 もしかしたら彼は……変わろうとしているのかもしれないと思った。
 その一縷の可能性をみたような気がして、エリスは内心で驚きながらも嬉しかった。
 実際は祖父を自身の中に宿したまま、それを知られているが故の義理立てでしかないのか
もしれないけれど。
 だけどそうであっても、自分に対してそうした誠を通してくれることが……嬉しかった。
「お嬢ちゃ~ん」
「そろそろ出発するよ。いいかい?」
「あ、はい。大丈夫です!」
 疑問から予感へ。予感から喜びへ。
 それぞれの馬を引いてきた傭兵達に声を掛けられて、エリスはにこりと微笑(わら)って
振り返る。

 デトが迎撃先として選んだ古城はカーヴ城という名前らしい。
 かつては当時の領主の居城であったらしいが、主の死と時代の変遷によって忘れ去られ、
一時は輝術を強盗などに悪用するグループの根城になっていたのだそうだ。
 だが彼らも、やがてはその悪評を聞きつけたデトの手によって滅ぼされ、古城は再び長く
主不在なり現在(いま)に至っている。
「……」
 彼の作戦を聞きここにやって来て、六日目の夕暮れを迎えようとしていた。
 再び兵装に身を包んだアヤは、あちこちで配置についている傭兵団の仲間達、リノン一派
の術師達の様子を視界に映しながらそわそわと城内を歩いて周っていた。
 長らく放置されていたこともあり、内部は相応に荒れ放題になっている。
 しかしそのままでは防衛の場としては心許ない。故に到着からつい先日までは、皆総出で
そういった破損箇所の修復に追われた。もしリノンら輝術師がいなければ、その力を借りな
ければ、今も城内のあちこちが穴ぼこだらけのままだっただろう。
 ……誰とも知れぬ生命を消費することで起こす奇蹟、輝術。
 彼女の口からその真実が語られた時、正直大いに驚きショックを受けたものだが、一方で
この修復作業も含め、それらが人々に多大な恩恵を与えているのもまた事実ではある。
 だからこそ、まだ自分にはよく分からない。
 彼女はその真実を突きつけ“世界を目覚めさせる”と語っていたが、果たしてそれは本当
に「正しい」ことなのだろうか? 犠牲──今回の自分達のような、使い捨ての誰かを出さ
ずに、本当に物事は回ってゆくものなのだろうか?
(うん……?)
 そうして見回りをしていると、廊下途中の一室が半開きになっていた。
 近付いてみれば、何やらゴソゴソと弄る音も聞こえてくる。
「? あら、アヤちゃん」
 中にいたのはリノンだった。
 自分と同じよう、今は最初に出会った時と同じローブとマントの術師姿。
 室内には埃を被った本棚がいくつも並んでおり、彼女はそこに収められていたらしい古書
やメモを取り出しては目を通している所だった。
「……何をなさっているんですか?」
「ん? まぁちょっとね。ここが昔、輝術師のアジトだったって聞いたから何か面白そうな
ものでもないかな~と思って」
「ないかな~って……。そんな呑気なこと言っている場合ですか。討伐軍(てき)がいつ来
るかも分からないんですよ?」
 彼女の返答にアヤは思わず顔を顰め、ため息をついていた。
 ここ何日かの同行の中で感じていたことだが、この人は飄々というかおちゃらけている。
「分かってるわよ~。でもサヴル君の隊があちこちにデマを撒いてくれたお陰で、討伐軍も
まだここには攻めて来てないでしょ?」
「それはそうですが……。でもそれだって、あくまで目的はエリスさんの時間稼ぎを増やす
為じゃないですか。いずれは戦うことになるんですし……」
 だがそれはあくまで表面上のことだ。
 本営からの脱出前後に語っていたように、おそらくその本性はもっと知的であり情熱家で
あり、故に壁にぶち当たっているのではとアヤは思う。
「デトさん達ばかりに任せてはいられません。私達だって、頑張らないと」
「……。ふぅん?」
 だが当のリノンは、すっかりそんな表面を取り戻していた。
 真面目に諌めようとするアヤに対し、フッと向けてくるのは、何だか妙な微笑み。
「もしかして、デト君に気があるの?」
「──ッ!?」
 次の瞬間、アヤの顔が真っ赤になっていた。
 ボンッと沸騰するように身を震わせて、直後硬直する彼女。
 そしてリノンはそんな反応を暫く肩越しに眺めていたかと思うと、悪戯っ子よろしくほく
そ笑んで「そっかそっか」と手にしていた古書やメモを棚に戻し始める。
「まぁアヤちゃんだって年頃の女の子だもんねー。でも、彼って間違いなく私達より遥かに
年上よ? 見た目は若いしワイルドだけど。あ、もしかしてアレ? 枯れ専?」
「か、枯れ……? よく分かりませんがそういう訳では……。ただあの方は、敵として相見
えた私達の危機に手を差し伸べてくれたんです。あのまま捨て置いてもおかしくなかったの
に、庇ってくれていました。それに──」
 生まれてこの方、武芸ばかりやってきた男女を一人の女性として扱ってくれたから……。
 そこまで言いかけて、アヤはハッと我に返って口を塞いでいた。
 幸い、今度の本音はリノンには気付かれなかったようだ。むしろ今度は何処か微笑ましさ
のようなものを混じらせて「ふぅん……?」とこちらを見つめてきてさえいる。
「確かに何かと興味深い相手ではあるわね。死に損い(デッドレス)としても、一人の人間
としても。巷説通りの悪人……ではないのは間違いないから」
「……」
 アヤは黙り込んでいた。
 そうだった。この人はそもそもデトさんを利用する為に近づいて来たのだ。当人も最初は
その野望──個人的な正義感に不快感を示していたけれど……。
「あの……リノンさん。一つ、訊いてもよろしいですか?」
「うん? なぁに?」
 正直戸惑いはあった。だがこのまま見て見ぬふりをしたままではいられなかった。
「貴女は、デトさんに近付いた目的を輝石の真実を世の人々に伝えることだと仰っていまし
たよね。でも……本当にそれでいいのですか? 文字通りそれで世界を敵に回せば、貴女の
大切な人達にも被害が及ぶことになるんですよ?」
 その正義に、自分達が信を託すに値する理知が備わっているのかと。
「……」
 本棚の前の丸椅子に腰掛けたまま、リノンは黙っていた。
 室内に暫しの沈黙が流れる。
 だがそれは、少なくとも彼女が無理解であったことを意味しなく……。
「覚悟なら、とっくにできてる。同胞達(みんな)も同じ。妻子のある者は別れたし、そも
そも私を含めて、声を掛けたのは身寄りのない者が大半だから」
「ぁっ……」
 彼女の表面がそっと剥がされ、傍に安置されるようにアヤには思えた。
 真っ直ぐに、凛として見据えてくる青い瞳。
 これは後悔? いや、今胸奥を握ってくるのは……もっと別な何か。
「貴女にはお父さん──カミナさんがいるものね。私達のやろうとしていることが傍迷惑だ
と考えるのも分からなくはないわ。私の場合両親はもう亡くなっているけれど、貴女達には
シキブの里(かえるばしょ)がある訳だし」
「……すみません」
「ふふ。そんな謝らなくてもいいわよ。むしろ大事になさい。孝行をしたい時に親は無し、
なんて云うものね?」
 そんな気持ちに押されて尻すぼみになるアヤに、リノンは再びいつもの茶目っ気を拾い直
して語り掛けていた。椅子から立ち上がり、戸口に立って悶々とする彼女の肩をそっと抱い
てやりながら苦笑まじりの呟きを残す。
「……私はむしろ、そういう機会を自分から棒に振ったような女だから」
「えっ? それって──」
「チーフ!」「アヤさん!」
 ちょうど、そんな時だった。
 術師と傭兵、古城周辺を警戒していた両グループのメンバーがはたと二人のいる部屋へと
駆け込んできたのである。
「ど、どうしました?」
「まさかとは思うけど……」
「……ええ」
 彼らの慌てた様子と今という状況。
 二人が抱いた予感は同じで、頷く彼らも激しく緊張しているのが分かる。
「こちらへ近付いてくる軍勢を確認。エクナート及びトーア──討伐軍です!」
 分かっていても、大きく心臓が跳ねていた。
 とうとう来たか……。アヤとリノンは息を呑み、互いに顔を見合わせる。


 小高い丘の上に建つ古城へと、遠征軍がの群れが押し寄せてつつあった。
 集合したデト達は、本陣とした三階の広間の窓からこっそりと、そんな眼下の敵軍の様子
を窺っている。
 大きく、遠征軍(てき)は三列に分かれていた。
 前衛には騎兵や重騎士、槍を携えた歩兵達。
 中衛には銃兵や砲兵といった射撃兵。
 更にその後ろ、後衛には輝術師の部隊が続く。
 ただそうした布陣はデト達の想定内だった。討伐軍──エクナートとトーア、両国の風土
を考えればその主戦力・運用方法はある程度絞り込めるからだ。
 聖教国(エクナート)は世界最大規模の輝術師らを抱え、同盟領(トーア)は緑豊かな平
野や丘陵をその中に有している。
 故にそれぞれの主戦力は輝術を駆使する術師隊であり、機動力に富む騎兵隊である。
 輝術師の一撃は強力だが、肉弾戦はからっきし。
 一方で術は使えないものの、騎士はそれだけ動く防壁となる。
 だから十中八九、彼らの布陣は前衛に彼ら騎士を置いて壁役とし、後続の射撃兵や術兵を
守る形を採るだろう──。そんなデトの予想が今回バッチリと的中していた訳だ。
「……いいな? 打ち合わせ通りにいくぞ」
 そっと窓の引き戸を閉め、デトは面々に振り向いて言う。
 作戦開始の合図。皆も力強く頷き返し、急ぎ城内の持ち場へと散っていく。

「──我々はトーア同盟領・エクナート聖教国共同軍である! 死に損い(デッドレス)、
ここにいるのは分かっている! 命が惜しくば今すぐ投降せよ!」
 閉ざされた城門前に集結した軍勢、その隊長格と思しき将校が叫んでいた。
 だが既に内部で動き始めていたデト達からの返事はない。
 しかし彼はそんな沈黙も予定内だと言わんばかりに、ニッと静かに口角を吊り上げると、
「……。攻撃、開始ーッ!!」
 ザッと一度挙げた手を振り下ろし、開戦を合図する。
 瞬間、隊伍の中列から無数の砲火が飛んだ。
 銃口が向けられた先は、古城の上階部分。
 だが驚いたことに、攻撃が直撃した筈の外壁には傷一つ付いていない。
「何……!?」
「くそっ、《結界》か。姑息な真似を……」
「替われ! 俺達が撃つ!」
 見れば薄らと、半透明のオーラが城壁をすっぽりと覆っていた。
 どうやら城内のあちこちで輝術による防壁が張られているらしい。小さく舌打ちし、今度
は後方の輝術師らが攻撃を加えようと杖先に力を込め始める。
「──悪いけど、そう易々とはいかないぜ?」
 だがそんな声が聞こえたかと思うと、外壁に点在する窓の一つがおもむろに開いた。
 そこから顔を覗かせたのは、サヴルとその部下達。加えて彼らの手には何やら黒くて丸い
物が握られている。
 軍勢が「何だ……?」と見上げた瞬間が隙だった。
 その合間を見逃さず、サヴル達は手にしたそれらを地上に向けて投げ付けてくる。
 そして地面に叩きつけられた瞬間、球らが爆ぜた。
 同時に周囲へと一気に溢れ出したのは、目や鼻を猛烈に刺激する濃く黒い靄。
「ぐっ……。げほっ! がほっ!?」
「め、目がぁぁ!?」
「畜生っ、こいつは、催涙弾か……!?」
 兵士達が痛みを訴え、のた打ち回り、隊伍が乱れる。
 将校クラスの者が慌てながらも落ち着けと叫ぶが、軍人とはいえ一旦崩れた平静を取り戻
すには少なからずの時間が掛かる。
「よし、今だ!」
 床に手を──予め城内の各所に仕込んでおいた《結界》の術玉にコンタクトし続けながら
デトが合図を飛ばした。
 サヴル隊、リノン一派にササライ傭兵。彼らはそれぞれ協力し、厚布に包んだ無数の木片
や瓦礫片を窓から次々に投げ落としていく。眼下の兵達が、煙幕に呑まれながらあちこちで
悲鳴をあげているのが聞こえる。
 ──これが、デト達の採った戦法だった。
 どれだけこちらが城に篭もっている防御側だとしても、討伐軍との兵力差は如何ともし難
いものがある。相手に攻城の隙を許せば、こちらの最大の目的である時間稼ぎはきっと思う
ほどには出来ないだろう。
 故に、攻め返すというよりは撹乱すること。
 デト達がまず優先したのはそんなスタンスだった。
「ちっ……。ずっと、この手が通じると思うな!」
 だがそれも、やはり時間稼ぎという意味では同じで。
 ややあって術兵の一人が《疾風》の輝術で突風を起こし、それまで周囲を覆っていた煙幕
を吹き飛ばした。そしてようやく厄介な妨害から解放された兵達を率いて、将校らが叫ぶ。
「城門を破るんだ! 内部に突入さえすれば押し切れる!」
 指示を受け、騎兵や重騎士がその自重を活かして城門への突撃を始めた。
 しかし《結界》はここにも張られており、一撃二撃ほどではびくともせず彼らを拒むよう
に弾き返してくる。
「ぬぅ……」
「ただの力押しでは駄目だ! 我々がサポートする。後に続け!」
 その間も、古城上階の狭間(さま)から矢や術撃が飛んできていた。
 じわじわと倒され、削られていく兵力。仕方なく城門へ集まっていた騎士(かべやく)達
は一部隊伍内に散開せざるを得ず、鎧や盾で防御する。それでも防ぎ切れない炎や雷の輝術
攻撃は、同じ術兵らの《結界》がカバーする。
「撃てーッ!!」
 ドンッと、術師らの攻撃が城門へ向けて集中砲火されていた。
 白ばんだ金色の光。それらが各々の杖先で集束し、合わさり、巨大なエネルギーの塊とな
って《結界》を脅かす。
 そして攻撃を繰り返す内、徐々に《結界》が緩み出すのを術兵らは見逃さなかった。
 今だっ! 彼らからの合図を得た騎士達が再度、全身を賭けて突撃を試みる。
「──よしっ!」
 遂に城門が破られた。打ち負けた衝撃か、大きくひび割れた術玉が複数内側に飛び散る。
 前線の騎士や歩兵達はほくそ笑んだ。剣を盾を、はたまた槍を引っさげて一気に城内へと
なだれ込もうとする。
「がっ!?」「ぎゃあッ!」
 だがそんな突撃第一陣を、左右の物陰から攻撃する者達があった。
 鎧越しの筈なのにザックリと斬られた者、貫かれた者、或いは射掛けられた者。
 崩れ落ちた先頭メンバーらを前に、一同が思わず立ち止まる。
 そこには異国風の武装をした一団──カミナとアヤ、そしてササライ傭兵団の主力部隊が
武器を引っ下げずらりと待ち構えていて。
「ぬう? お前達は……」
「なるほど……そうか。その装束──お前達が報告にあった、シキブの裏切り者か」
『……』
 最初数拍、兵士達は眉根を寄せていたが、すぐに事前の情報から彼らが“敵”であると再
認識したらしい。その誰何に傭兵団一同は肯定も否定もせず、ただ黙したまま彼らと間合い
を取り直して身構えていた。 
「……アヤ、皆、分かっているな? 私達はくれぐれも」
「ええ」「はい」
「分かっています。可能な限り、この戦線を敷地外にて維持する。深追いはしない……」
 城門を通り内部へと続くまでの、囲われた広場のような空間。
 カミナは静かに矛を握り直し、アヤはゆっくりと刀を上段に地面と水平に持ち上げる。

「──ようやく城門を突破できましたか」
「はい……。遅くなって申し訳ありません」
「どうやら死に損い(デッドレス)達は城全体に《結界》を仕込んでいたようで……。それ
で、少々打ち破るのに時間が……」
 そんな戦況を、ユージオは隊伍のずっと後列に位置する本隊の馬上から眺めていた。
 部下達がようやく持ってきた攻勢反転の報せ。
 彼らは手こずったことを責められはしまいかと恐れているようだったが、ユージオにその
ような心算はない。むしろ“この程度”なのか? というのが正直な感想だった。
「それだけ対策を練ってきたという事でしょう。前線に引き続き城の攻略を。トーアの騎士
達を盾に、輝術と砲撃を中心に叩いていくようにと。城内もまだ彼らが何かを仕込んでいる
可能性があります」
『はっ……』
 そして指示を飛ばし、部下らが戻っていくのをユージオをは見送る。だが、
(……それにしても。妙ですね)
 当の彼が抱いていた本心は決して自軍に対する楽観ではなかった。
 そもそも、何故彼は自分達と戦うという選択肢を採ったのか?
 例の書簡も含め、複数のデマを流してこちらの追跡を撹乱してきたこの数日間に《転移》
を繰り返していれば、きっと今回も逃げおおせていた筈なのだ。
 なのに……今回彼はそういった行動を採っていない。
 たとえこちら側からの離反者を引き入れても、兵力的な不利は否めない筈だ。そんなこと
をあの男が解っていないとは考え難い。
 討伐の手を断つ為? いや、何を今更そこで踏ん張る必要がある?
 彼にとっては今回の一件も“追いかけっこ”であろうものだ。ならば例の如く、ほとぼり
が冷めるまで身を隠す方が消耗などを考えてもスマートな筈である。
 なのに、今回敢えて戦っているその理由……。
(何か新たな事情が……今までと違う何かが、彼に?)
 ユージオは口元に当てていた掌に心なしか力を込めた。
 論理的思考に沿えば、その可能性は高そうだった。
 少なくとも現実として、今回彼にとって退けない・退かない理由が何処かに在る。
「……」
 これだという確証はない。
 だがそれは多分、この古城の向こうを越えれば分かるのではないだろうか。
「し、司令? どちらへ……?」
「まだ前線が交戦中です。御身自らが出るにはまだ……」
 思い立ち、思考を深く意識へ落とし込み、ユージオははたと馬を降りた。
 当然、周りの部下達は慌ててそれを引き留めにかかってきた。万が一総大将を死なせてし
まうような真似を見過ごしたとなれば、自分達への責は免れない。
「予備の兵を何人か連れて行きます。くれぐれも私の邪魔をしないように通達なさい」
 だがユージオはそんな慰留には耳を貸さなかった。
 鮮やかな琥珀色をした術玉を嵌めた杖を、ポンと手から手へ移し、
「……ちょっと、禍根を始末して(ようじをすませて)きますので」
 そう、にこやかに軍服を翻す。

 状況は確実に悪化しつつあった。
 最初こそ予め仕込んだギミックを投入して撹乱できていたものの、元より相手との圧倒的
兵力差を覆せる訳ではない。……ただ少しでも、あの娘の為に時間を稼げればよかった。 
「ぐっ……! デ、デトさん、もう限界ですっ!」
「あいつら、こっちじゃなくて階下(した)を狙い始めた! 古城(ここ)ごと俺達を潰し
に掛かる気です!」
 城門が突破された後も、後続の兵らを狭間(さま)から攻撃を撃ち足止めをしようとする
サヴル、傭兵団の面々やリノン一派達。
 だが相手も馬鹿ではない。
 上から矢や投擲針、術撃が飛んでくると分かれば、彼らの構える盾や張り返す《結界》は
むしろ頭上をカバーするように修正されていた。加えサヴルが再度煙幕弾を投げつけても、
同じ手は通じないと言わんばかりにすぐに風の輝術で吹き飛ばされ、無効化されてしまう。
「デト君、“あれ”はまだなの!?」
 光弾を一発放っただけで、お返しにと何十発もの銃撃が飛んでくる。
 他の皆と同じく、身を隠しよけるので精一杯になりながら、リノンは後ろに振り向くと叫
ぶように問い掛けていた。
 彼女らの傍、少し奥には、複数の《結界》術玉をチョーク描きの魔法陣に載せてじっと力
を込めているデトが屈み込んでいる。
「まだだ……。まだロッチ達が戻って来てない……」
 しかしその術玉らも最早限界が近付いていた。
 その多くは外からの猛攻に押し負け激しくひび割れており、砲撃などの大きな衝撃が城内
を揺らす度に、一つまた一つと力を失っては弾け飛んでいってしまう。
(間に合わない、か……)
 想定していたよりも時間が稼げなかったということか。デトは全滅寸前の術玉らを一瞥す
ると、次の行動をどうすべきかを考えていた。
 城門への攻撃が始まった前後から、ササライ傭兵団の主力を一階に集めている。今も彼ら
は多勢に無勢ながらも奮戦してくれている。
「……仕方ねぇ。上階(ここ)はもう捨てる! 全員、階下(した)のカミナ達をフォロー
しに行ってくれ! 何とかあいつらが戻ってくるまで耐えるんだ!」
 デトは少し迷ったが、かといって諦めるつもりもなかった。
 小さく驚きつつも、各々が抱き始めていた予感。
 サヴルやリノン達は緊張の面持ちで頷き、一気に城内へ撃ち込まれてくる銃撃の雨霰を掻
い潜りながら階段を駆け下りていく。
「……ッ!?」
 だが。
「!? リノンっ!」
 殿で《結界》を張っていたリノンに、突如異変が起きた。
 何かに捉えられたように、ビクッと身体を震わせ立ち止まる彼女。
 デトが、階段を下りていた仲間達が、気付き振り返る中、何とその身体を基点とするよう
に魔法陣が浮かび上がり飛び出してきたのだ。
 更にその円から姿を現したのは、琥珀色の術玉を嵌めた杖を持つ青年とその取り巻きらし
き兵士が数名。
「あれは《転移》か? いや、でもなんで……」
 スタッと床に着地する青年達。
 一方まるで“門”代わりにでもされたリノンは、魔法陣が出現した反動からか大きく仰け
反り、それでも何とか踏ん張り切ると、気丈にもこの彼らを睨み返す。
「やあ、リノン。迎えに来たよ」
「……迎え? 冗談はその下衆顔だけにしときなさい」
 優雅に踵を返して振り返り、青年は開口一番、リノンにそう語り掛けていた。
 どうやら知り合いであるようだ。だが対する当の彼女はあからさまに嫌な顔をしており、
返した言葉も平素以上に辛辣である。
「やれやれ……相変わらずだな。むしろ僕に感謝して欲しいんだけどね? よりにもよって
君は死に損い(デッドレス)に寝返るなんて暴挙に出た。でも大丈夫。僕なら、まだ君の罪
を軽くしてやることもできる」
 それでも慣れっこなのか、青年は変わらず気障ったらしく微笑(わら)っていた。
 銃を構える兵を一旦待機させ、言いながら一歩二歩と彼女に近付こうとする。
 さあ。彼は手を差し伸べていた。
 しかしリノンはその誘いに対し微動だにしない。眉間に皺が寄り、むしろ彼に対する嫌悪
は益々はっきりと見て取れるようになる。
「馬鹿にするのもいい加減にしなさい。私は私の意思でここにいるの。私達は成し遂げてみ
せるわ。本国(くに)には戻らない。あんたのものになんて……絶対にならない」
 青年は、静かにショックを受けているようだった。
 だがそれも数秒の事。彼はやれやれと嘆息まじりに頭を振ると、
「──仕方ない」
 軽く片手を払って合図、左右に控えていた兵らに引き金をひかせようとする。
 だが……次の瞬間、彼らやリノンが脳裏に描いた(過ぎった)光景は起こらなかった。
 兵らの銃撃動作よりも速く、後方にいたデトが《岩槍》の輝術で彼らを足元や側壁から撃
ち抜いていたからである。
「リノン、今の内に! お前らも早くッ!」
 デトが振り向いた彼女を呼び寄せていた。同様に、思わず途中で固まっていた仲間達にも
早くカミナらの加勢に行くように発破を掛ける。
 足早に仲間達が下りていった。それを肩越しの一瞥で確認しつつ、デトはリノンを庇うよ
うにして彼らの前に立ちはだかる。
「……あいつ、知り合いか? エクナートの軍服を着てるが」
「ちょっと……ね。昔、無理をして見合いした時の相手。でもただの下衆野郎よ」
「酷いなあ。そもそもあの話を持ってきたのはそっちじゃないか」
 デトの問いにそんな言葉が返ってくる中で、はたとその当人の声がした。
 ガラッと《岩槍》が貫く地面や壁の間をくぐり、青年はけろりとした顔で再び二人の前に
姿を現してくる。手の中でくるくると回されているのは、琥珀の術玉を嵌めた杖だ。
「やあ、死に損い(デッドレス)君。初めまして、僕はユージオ・ボルニッツ。エクナート
聖教国政府から今回の討伐軍の指揮権を預かっている者だ。そしてそこの彼女──リノンの
婚約者でもある」
「阿呆。縁談はとっくに破棄したでしょうが。このストーカー野郎」
「……」
 なるほど、大体分かった。
 そう言わんばかりにデトは少々大仰に肩を竦めつつも、一方でこの青年、司令官ユージオ
から警戒の眼を逸らさなかった。
 むしろ、ある意味好都合だ。
 何せ総大将がのこのこと出て来たのだ。ここでこいつを仕留めれば──。
「待って」
 だが剣を抜こうとしたデトを止めたのは、他ならぬリノンだった。
 ポンと叩かれた肩。はたと止まる動き。
 剣の柄を握ったままの格好のデトに彼女は、
「……こいつは、私が殺る。私が始末(けり)を付けなくっちゃいけない相手なの」
 そうユージオを射殺すような眼差しを向けつつ、深青の術玉を嵌めた自身の杖をゆっくり
と持ち上げている。
「……勝てるのか?」
「勝つのよ。それに君が階下(あっち)に加勢しないと、多分皆も長くもたない」
 彼女の言い分は間違ってはいなかった。
 押し黙るデト。その間にも階下を中心に激しい戦闘音や爆音が聞こえてくる。
「……。やばくなったら逃げろよ」
「あんた達もね」
 言って、デトが踵を返して駆け出すのと同時にリノンは杖先をユージオに向けていた。
 青い光が点り、急速に周囲の水分が凝縮されてうねりになる。
 次の瞬間、彼女はそれを躊躇もなく射出する。
「──」
 しかしその水撃は彼には届かなかった。
 同じく掲げられた黄色く光る杖先。そこから一気に膨れ上がったエネルギーの塊が、襲い
掛かる水撃を爆ぜ除けたのだ。
「……やれやれ。あくまで僕らに逆らおうってつもりか」
 いや、厳密に形容するならば、それは巨大な雷の球だった。
 余裕綽々に笑い、無数のエネルギーを迸らせるユージオ。最初はにこやかなだけに見えた
その表情(かお)に、スッと暗い影が差す。
「やはり君には、調教(おしおき)が必要のようだね!」
 すると巨大な雷球が、瞬時に無数の小振りなそれに分裂した。
 彼が叫びながら、再び杖に水を集めているリノンを見る。いくつかの雷球がぐんと加速を
つけて彼女へと襲い掛かる。
「──《水眷》ッ!」
 今度はリノンの番だった。
 集束していた水が一気に広がったかと思うと、飛んできた雷球を削ぎ殺すように渦となっ
て蠢いていた。更にその複数の水流はまるで命を宿したかのように半液体の状態に変化する
と、彼女を護る巨大なアメーバ状となって咆哮する。
 これが彼女の十八番、《水眷》の輝術だった。
 一方でユージオを取り囲む雷球らは、彼の十八番である《雷星》の輝術。
『……。ッ──!!』
 互いに暫くの沈黙を演じた後、二人は同時にそれを破った。
 《水眷》からは無数の水の触手が襲い、《雷星》達はそれらを迎撃する。
 雷球は自身を消耗しながらエネルギー光線を放って触手を焼き切っていった。或いは自ら
突撃していった。
 だが相手の元は水。壊されたと思ってもそれは形を崩されただけで、すぐにまた集束して
触手になる。また触手の方も何度となく雷球の弾幕を掻い潜り、払い除け、ユージオを捉え
ようとしたが、他ならぬ彼がエネルギーを供給し続ける為に残弾が途切れることがない。
 猛烈な破壊力。しかし同時に非常に高い操作性を要求される撃ち合いだった。
 リノンにもユージオにも、互いに相手の攻撃が届かない。その一方で城内周囲はその交戦
の余波を受けて次々と破壊されていく。
「何故僕の言う通りにしない? 何故世界を敵に回すような真似をする? 君はいつもそう
やって我がままを言う!」
 複数の雷球が光線を放ち、再生しようとする触手の断面を焼き広げていく。
「あんたの都合なんて知ったこっちゃない! 私は私よ! 善人面しないで!」
 だがそれをリノンは、別の触手達で跳ね除け、彼に向かって攻撃を続ける。
「あんた達だって分かってるでしょう? 輝石技術(いまのシステム)の欺瞞を、犠牲を!
 こんなの間違ってる。秘密にし続けるなんて間違ってる!」
「善人面は君の方だ! 君個人の正義感の為に、君は世界中の人々を絶望させる気か!? 
この世界の文明レベルを奈落の底に落とすつもりか!?」
 合体した無数の触手と、合体した無数の雷球が激突した。
 リノンとユージオ、二人が叫ぶ中、古城に巨大な亀裂を刻む轟音が響き渡る。
 足場が大きく崩れ出していた。
 濛々と立ち込める土埃の中で、二人はほぼ同時にある行動を取る。
 それは、術玉の交換だった。
 輝術とは術者自身、何より輝石内のエネルギーを消費して発揮される。故に輝術師にとっ
てその力の源である輝石の消耗は死活問題なのだ。杖など術具に装着した輝石が無くなって
しまえば、それは即ち術師としての無能に直結する。
 大規模な術を使い続けて、お互い杖先の術玉は完全消耗一歩手前だった。
 故に、取り替える。予め持ち歩いてる予備の術玉を杖先に装填し直すのだ。
「──ッ!」
 だが、そのモーションと再駆動はユージオの方が少し速かった。
 リノンが術玉を取り替え再び《水眷》に命を吹き込もうとしたその瞬間、はたと土煙の中
から光線が飛んでくるのが見えた。
 互いの攻撃力に大差はない。だが彼の《雷星》──その分裂体の方が、小回りと射速にお
いて彼女の《水眷》を上回っていたのである。
 リノンは咄嗟に身を捻ったが、光線はジリッと左肩を掠めていた。
 焼ける痛みに表情が歪む。だが続く二射三射は、確実に触手らを操って弾き飛ばす。
「…………。君は、いつもそうだ」
 徐々に土煙が四散していき、半ば崩落した上階の惨状が明らかになる。
 そんな瓦礫の上を、ゆっくりと踏みしめながら、ユージオは陰のある笑みで歩いてくる。
「意思の強い女性だと思った。僕と同じ輝術師の家系と聞いたから、きっと優秀な術者にな
れると思った。なのに君は……僕との見合いで否を叩き付けた」
 ゆらり。
 いつの間にか彼からは、何処か暗い凶気が漏れて始めていた。
 顔は笑っている。声色も落ち着いている。だが、直感が“普通”でないと告げてくる。
「僕はね、一度目をつけたものは絶対に手に入れる主義なんだ。人だろうが物だろうが何で
あれ、僕を拒むものなんてあっちゃいけないんだよ」
「……」
「どうして。どうしてッ!? 何故君は僕を拒む!? あのまま僕のものになっていれば、
パーシュ家は滅んでいなかった筈だ。我がボルニッツ家の一門として何不自由のない生活を
送れていた筈だ。それを、どうしてッ!?」
 ユージオの周囲中空に無数の雷球が集まっていた。
 彼はカッと見開いた両目を血走らせて叫んでいた。
 ……やはりだ。これがこの男の本性だ。リノンは改めて確認する。
 潔癖なまでのプライドの高さ。己の地位・能力に対する全幅の信頼。
 だが、本当は彼自身も何処かで分かっているのではないか。
 いつか誰かに追い抜かれる、誰かに使われることになる。
 だから確認し続けなければ冷静でいられなかった。自分という存在が「他」者を屈服させ
る、その瞬間を以って。
「没落家の嫡子を娶ろうと言ったんだ。それを……君は拒んだ。二度も、二度もこの僕の顔
に泥を塗ったんだ。君の両親が、あの後亡くなったのも当然の──」
「分かったような口を利くな!」
 ぶつぶつと、怨嗟を交えて語るユージオにリノンは叫んだ。
 ピクッと瞼を痙攣させる目の前の彼。……それだけは譲れない。彼女は言う。
「……父さんと母さんが病に倒れたのは関係ない。二人とも、私の意思と理由を聞いて受け
入れてくれたわ。喜んでくれたわ。『貴女は貴女の人生を生きなさい。どれだけ惨めでも、
誇り(たいせつなもの)はきっと貴女を強く美しくするから』……そう、笑ってくれた」
 傷口に澄んだ水が集まり、《癒水》の輝術が出血を止める。
 スッと見上げた顔。誇りを抱く顔。
 そこには相対するユージオのような、歪んだ自己愛の入る余地はない。
「……。やっぱりお前は、拒むのか」
 そして彼は、だからこそ彼は、
「なら──もう死ね(いらない)」
 頭上の雷球らを降り注がせるべく、杖を振り上げようとする。

『そこまでだ! 聖教国(エクナート)討伐軍!』

 その時だった。
 辺りに響き渡ったのは、拡声器(これも輝術を応用した代物である)越しに叫ばれた声。
 ユージオがハッと我に返って振り向くと、そこには半壊した古城を取り囲む、少なくとも
自分達の友軍ではない軍勢があった。
『我々はレイリア共和国北部第二師団である! トーア同盟の要請を受け、貴国による領内
への侵奪行為を中止するよう警告する! もし拒否された場合には攻撃の許可も得ている。
先方司令官の賢明な判断を期待したい──』
 レイリア軍だった。
 まさかとは思ったが、あの黒と赤ワイン色が特徴的ないでたちは間違いなくかの交易大国
の軍服である。戦いを中断させられ、一斉に戸惑いの眼を向けてくる配下達に、ユージオの
思考は急速に冷却されていく。集中が途切れ、頭上の雷球が静かに消滅していく。
(くっ……)
 沈黙していたあの成金国が動いたか。
 しかし少なくとも、独断でかの国と戦争状態になるのは流石に拙過ぎる……。
「……こちらボルニッツ司令官。了解した。既に死に損い(デッドレス)一味はこの通り追
い詰めてある。貴国らの然るべき処罰を期待し、注視するものとしたい」
 心底悔しそうな、消化不良を隠せない苦悶の表情(かお)。
 だが彼は何とか理知的の仮面を取り戻すと、
「──討伐軍総員に告ぐ。ただちに本領域から撤収せよ!」
 ややあって苦渋の決断と命令を下した。

 それからの彼らは思いの外迅速だった。
 ただでさえ“化け物”を相手にしているのに、更に強国の一つと自分達の所為で戦争にな
るかもしれないという恐怖。いや、保身の念が彼らを突き動かしていたのだろう。
 整然と、隊伍を揃えて来た道を戻っていく討伐軍。
 デトはリノンは、仲間達は、その軍勢の中でユージオが去り際、肩越しに猛烈な憎悪の眼
を向けくるのを見ていた。
「……。苦戦したみたいだな」
「そうね。……ごめんさい。私も血が上っちゃって」
 すっかり砦の役目を果たさなくなってしまった古城を見上げつつ、デト達はそう静かに生
存の喜びを分かち合った。
 作戦は成功した。
 だけど、胸奥を撫でるこの虚無感(すきまかぜ)は……何なのだろう?
「お疲れさまです、デトさん」
「ん? おう。お前らもな。中々の演技だったぜ」
「まぁ、欲を言えばもうちょっと早く来て欲しかったけどもなぁ……」
 そうしていると、先程レイリア軍を名乗った一団が話しかけてきた。
 しかし応えるデトやサヴルは、何処か気安い声色をしている。疲労して兵装も少なからず
乱れたカミナ・アヤ父娘(おやこ)らササライ傭兵団、リノンとその一派の術師達もまた、
一国の軍隊相手に何故か気安い態度を取っているかのように見える。
「はは、悪ぃ悪ぃ。でもこれでも全速力で駆けつけたんだぜ?」
「ちゃんと軍服と台詞を用意してきた俺達の苦労を労ってくれてもいいじゃんよー」
 理由は、簡単だ。──彼らは“レイリア軍ではない”のではないのだから。
 その正体はヴァンダム商会の傭兵達である。デトは勿論、サヴル隊にとっては特に親しみ
のある者達だと言える。
 実は今回の作戦における肝こそ、彼らだった。
 エクナート・トーア共同軍──デッドレス討伐軍を確実に諦めさせ、撤退させるにはどう
すればいいか? デトが考えた末に思いついたのが、この“偽の国軍”だったのだ。
 たとえエクナートとはいえ、同じ三大国の一つであるレイリアと下手に戦争状態になる事
は望まない筈だ。何よりレイリアは世界経済の要でもある。その国が混沌に落ちれば、自国
ならず世界全体に与える影響は計り知れない。
 そこでデトは、ロッチらを伝令役に商会にこれまでの経緯を伝え、ヒューゼお抱えの傭兵
達にレイリア国軍の格好をさせてこの場に呼んだのだ。
 要するに──盛大なハッタリである。
「デトさん」
 ようやく安堵できて、笑い合う。
 だがそれは、ほんの小休止に過ぎなかった事をデト達はこの後すぐに思い知らされる。
「ん?」
「これを。会長からの通信が入ってます」
「おう。サンキュー」
 傭兵の一人が言って、小振りの通信機(内部に《逓信》の術玉が組み込んである)を手渡
してきた。デトは何の気もなしに笑って受け取り、今頃エル・レイリーにいるであろう友の
声をその耳に届ける。
「もしもし? 代わったぜ。俺だ」
『ああ、デトさん。良かった……間に合った、みたいですね?』
「一応な。思ったより戦闘が長引かなかったというか、この古城が脆かったというか」
 人好きのする聞き慣れた声。機械越しとはいえ、彼の最初喜色・後控えめな声色とそこか
ら想像できる表情(かお)が自分達を心から心配してくれているのだと分かって、どうにも
こそばゆく感じる。
 デトは耳に通信機を当てたまま半壊した古城を見上げた。
 エリスはもう故郷(ハンクルス)に着いただろうか? そこも含めて早く確認しておきた
い所なのだが……。
「ま、ともあれありがとよ。礼を言う」
『ははは。そんなに畏まらないでくださいよ。こっちはこれでも恩返ししてもし足りない位
なんですから。……あの日、行き倒れていた私を貴方が助けくださらなかったら、今の私も
商会も存在していないんです』
「……相変わらず義理堅いこった。その後の財はお前のモンだろうに。……まぁいい。とも
かくこれでエリスの里帰りも何とかなりそうだ。間を取り持ってくれたロッチ達にもよろし
く言っておいてくれ。まだこっちには顔を見せてないが、近くの街なり村にいるんだろ?」
『え? ロッチ、ですか?』
 はたと、通信機の向こうのヒューゼが怪訝の声を漏らしていた。
 そんな予想外の反応に、デトも半ば無意識に眉を顰める。
『いるも何も、あいつなら暇(いとま)を取っている最中ですが。デトさんとエリスちゃん
がこっちを出て二・三日ぐらいでしたかねぇ。“身内に不幸が出たので数日暇を頂きたい”
と言ってきたので、それで──』
「……」
 無線機を押し当てたまま、デトは固まっていた。
 笑顔を取り戻していた仲間達も、にわかに険しくなった彼を見て、何事かと恐る恐る周り
に集まって来ては聞き耳を立てている。
 ロッチは──休暇中?
 上司(やといぬし)であるヒューが嘘を言っているとは思えない。だとすれば、ロッチが
ずっと、今の今まで自分達に嘘をついてきたことになる。
『デトさん? あの、デトさーん!?』
 無線機の向こうでヒューゼが怪訝に呼び掛けてくる声が聞こえていた。
 しかしデトの意識は、もうそんな友や仲間達の声さえも遠く霞むほどに、強く激しく揺さ
ぶられていて。
(……。まさか……)
 “死に損い”の背筋に、とてつもなく言い様のない悪寒が駆け抜けた。

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  1. 2013/02/15(金) 18:00:00|
  2. 死に損いのデッドレス
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止します。

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