日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(企画)週刊三題「ブレス」

──これから毎週、小説を書こうぜ?

毎週一回、ツイッタの「診断メーカー」で出たお題で小説を書いてみるという
自己鍛錬、 それがこの『週刊三題』であります。
さてさて。紡がれる文章は良分か悪文か、或いは怪文か?
とある物書きの拙文晒し、此処に在り。

【今週のお題:神様、息、残念】


「あ、おはようございます~」
 朝目が覚めると、女の子がいた。自分より幾分年下といった感じの娘だ。
 自慢じゃないが昨夜に連れ込んだとか、そういう訳じゃない。
 自慢じゃないが二十年弱の人生の中、そんな華には一度も縁がない人間だ。
「……」
「あれ? 何でちょっと泣きそうなんです?」
「……五月蝿いな」
 ヒロシは無遠慮に顔を覗き込んでくるこの少女に、ちょっとイラッとした。初対面の人間
に向かって見透かすような言葉を掛けてくるな。
「というか、お前誰だよ? 新手の強盗か? それとも詐欺師か?」
「酷いですねぇ。神様相手に盗人扱いですか」
「……カミ、サマ?」
 呆気に取られてそう言い放つ少女の顔を見返していた。間違いなく半眼だった。
 最近の居直り強盗は随分と……その、予想の斜め上をいくんだなぁと、結構に余計な思考
がヒロシの脳裏をばたばたと群れを成して走り去っていく。
「はいっ。あ、私ミコっていいます。本名はもっと長いんですが」
「はあ……さいですか」
 それでも、当の少女はえっへんと胸を張るようにして続けていた。ついその平らな部分に
視線が行ったことは男の性だ。許して欲しい。許して下さい。
 何がなんでも突拍子もないし、怪し過ぎる……。
 ヒロシは再び半眼のままじとっと彼女の得意げな顔を見ると、そう気のない生返事を寄越
しておくことにする。
「……取りあえず警察行こうか。その前に何を盗ったんだ?」
「だっ!? だから違うって言ってるじゃないですかー! 今回私は、神格昇級試験の課題
としてヒロシさんを“幸せ”にしに来たんですっ」
 神様にも試験ってあるのか……。というか何故俺の名前を知ってる……。
 色々な疑問というか、ツッコミが思考の中で疼いたが、それよりもヒロシに強く疑問符を
付けたのは、
「いきなり“幸せ”って言われてもな……」
 何よりも、彼女の言うその課題内容とやらであった。
「そんな事言わないで下さいよー。何かありませんか? ヒロシさんが幸せを感じられる願
い事とか、そういうもの」
 いきなり問われても困る。いや余計なお世話だ。
 目の前の少女──自称神様のミコは既にワクワクと期待の眼差しで見つめ、スタンバイし
ているが、ヒロシの脳内で幸せという事象(そんなかんじょう)は、とうの昔に色褪せて奥
深くにしまい込まれてしまっている。
「無いな」
「えぇっ!? こ、困りますっ。何かないですか? その、もっと具体的に困っていること
でもいいですから!」
「困っていること、ねぇ……」
 適当に満足させてやれば、この奇妙な侵入者は大人しく帰ってくれるだろうか?
 そう早くも折れるようにして、ヒロシはぐるりと決して広くないアパートの自室を見渡し
てみた。必要最低限の荷物を積んだ、我ながらの殺風景さがただしんと広がっている。
「そういや、この前からテレビの調子が悪いんだよな」
「テレビですか。分かりました!」
 だから、正直無茶振りをしてみた。
 そんな事も知らずに、ミコはとてとてとテレビの方へ歩いていくと電源を点け、確かに映
像が乱れたままになっている筐体と暫し睨めっこし始める。
「ふむ。じゃあ──」
 そんな最中だった。
 彼女はおもむろに背を伸ばしてテレビの真上を覗き込むと、そこからふーっと息を吹き掛
けたのである。
 ヒロシは目を見張った。何故なら、彼女のその吐息は虹色の光を纏っていたから。
 綺麗だ……そう臆面もなく思ってしまう。唖然として声には出せなかったが。
 ニッと、満面の笑みでミコが振り返ってくる。
 気付けばテレビはすっかり直っていた。一週間ほど前からどうにも調子が悪く、映像が乱
れっ放しだった画面が今や元通りになっている。気のせいか、筐体自体も何処か綺麗になっ
ているような気もする。
「どうですか? これで幸せに──」
「お前、今どんなトリック使った?」
「トリックじゃないですよ! “祝福”を与えたんです。万物に有効なんですから!」
「ほう……」
 まだ言うか。ヒロシは半眼の体勢を崩さない。
「俺の見えない角度で何処か弄ったに決まってる。まぁいい余興だったよ。さ、気が済んだ
ら警察に──」
「ぬう。まだ信じて貰えないと? だ、だったら!」
 だが意固地というか、諦めの悪い所はお互い様だったのかもしれない。
 ミコは、今度は信用ならぬと眼を向けてくる彼にぐんと近寄ると、ふーっとその懐に先程
の虹色の息を吹き掛けた。
「うわっ、お前何す……ん?」
 言いながらヒロシが反射的に上着を触ると、妙な感触が掌を伝った。
 何だ? 頭に疑問符を浮かべながら弄ってみると、そこ──裏ポケットの奥から使い古さ
れた財布がぺしゃんとしな垂れた状態で出てきたのである。
「……前に失くした筈の財布だ」
 呟き、再びミコを見ると、彼女は「どや?」と自慢げに笑っていた。
 だが暫し沈黙した後、ヒロシはずいとその鬱陶しい顔を両手で押しのける。
「やっぱお前、金目の物を漁っていたんだな」
「違っ……!? あ、貴方はとことん疑り深いですねぇ。ぬぬ……こうなったら……!」
 言われて、地味にショックだったらしい。
 ミコはそう少し泣き出しそうになりながら飛び退くと、今度は自分からぐるぐると部屋の
中を見渡し始めた。するとややあって、その視線はベランダ──の軒下に置かれた自家栽培
のもやし(非常食用)のプラスチック鉢へと向けられる。
「よしっ」
「え? おい、止せ。それはいざって時の──」
 ヒロシは流石に(ライフライン故に)止めようとしたが、既にミコはベランダへと飛び出
して行った後だった。
 例の如く、また彼女の口から虹色の息がもやしに向かって掛けられる。
 止めろ! 俺の非常食! 叫ぼうとして、引っ張り戻そうとして、ヒロシも駆け出す。
「……」
 だが、それらは結局実行には移せなかった。
 ベランダに飛び出してヒロシが見たのは、今まで地道に育ててきた中でも見た事がない程
に生き生きと鉢の中で元気そうにしているもやし達の姿で……。
「これなら、トリックでも何でもないですよね? 私のこと、信じてくれますか?」
「……地味だな」
「え?」
「結構地味だな。お前の力」
 改めてそんな感想を口にすると、ミコは最初以上に凹んでいた。

「だから、特に願い事なんてねぇっての」
「そう言われても困るんですよー。私の昇級試験をまたご破算にするつもりですか……?」
 結局、ミコは居直り強盗ではなく、神様(?)であるらしい。そういう事にしておく。
 この突然の闖入者のせいですっかり朝飯が遅れてしまい、ヒロシはごくごく簡単に身支度
だけを済ませて部屋を後にした。今日に限らず、食事はコンビニの単品食が彼の常套手段と
なっている。
「またって……。お前、過去にも受けてるのか? その試験とやら」
「うっ。ま、まぁそうですね。わ、私ほど優秀な……神だと……」
「嘘は泥棒の始まりって言葉知ってるか」
「嘘ですごめんなさい私優秀じゃありません何度も落ちてるんですお願いですから試験対象
が放棄とかしないで下さいマジでお願いします」
 訂正する。神様(?)というより、神様(仮)の方が正確なようだ。
 句読点も忘れるほどにおろおろして後ろを歩くミコを置き去りにしつつ、ヒロシは上着の
両ポケットに手を入れてずんずんと灰色の路を歩いていた。
 季節は、短い実りの秋を終えて忙しなく冬支度をしている。
 ヒロシはあまりこの時期が好きではなかった。……いや、別にどの季節が好きだという事
もないのだが。ただ、何かとイベント事の多いこの時期は否が応でも集団の人間というもの
が目に付く。その度に、ヒロシは苛々を通り越して呆れるしかなかったからだ。
 近所のコンビニに入って、弁当を買う。
 その折、店内にまでミコが付いて来ようとしたので、眼力で押し留めておいた。
 なまじ頻繁に利用する場所だけに、店員とはいえ妙な陰口を叩かれると思うとそれだけで
不快だった。
「……待ってたのかよ。帰れよ」
「相変わらず冷たいですね……。さっきも言いました通り、このまま帰っちゃうと不合格に
なってしまうんですよ」
「知るか。他を当たればいいだろ」
「駄目なんですよー。私に選択権はないんですものー」
 だから、余計に外にいたままのミコが鬱陶しかった。
 さて……どう撒いたものか。とはいえ走って見失わせるのも面倒だったし、さっきの妙な
息で他人に迷惑でも掛けた日には後味が悪過ぎる。
「きっとヒロシさんにもある筈です! 幸せと感じるものが!」
「五月蝿い」
 仕方なく。
「……分かったような口をきくな」
 彼女がついて来るのも構わず、ヒロシはまた来た道を戻るしかなかった。


 ──ヒロシの父は、某商社に勤めるサラリーマンだった。社会的に見ても中々に裕福な地
位にあったと言っていいだろう。
 しかし、一家の転落は突然訪れた。
 会社が長年働いていた経理不正を父が内部告発したのだ。
 それが「成功」していれば、もしかしたら今頃英雄扱いされていたかもしれない。
 だが現実はそんなに甘いものじゃない。要は「失敗」したのだ。──口封じに殺害されて
山中に埋められたのだ。
 しかし人一人がいなくなった事を隠し通せる筈ものなく、皮肉にもその一件が切欠で会社
の悪事は白日の下に晒されることになった。
 会社は、勿論というべきか、やがて消滅した。
 だが……ヒロシ達にとっての地獄は、むしろその頃から始まったといっていい。
 復讐が始まったのだ。会社の消滅とはイコールそこに勤めていた人々、その家族・親類に
とっての大損失にもなる。会社自体が大きかった事もあって、多くの人間が路頭に迷い──
その内の少なからぬ者達が、抱える憎悪の矛先をヒロシ達に向けてきたのだ。
 連日連夜、嫌がらせが続いた。
 本来守られる筈の告発者一家の情報は何処かから漏れ、一家にプライベートは無くなって
しまった。正義の味方を気取った大馬鹿者──。そんな罵倒がまだ若く幼かったヒロシ達を
容赦なく蝕んだ。
 ヒロシの妹はその結果いじめられ不登校になり、弟は病を患い二度と陽の目を見れない身
体に為ってしまった。……何より、心労の末、母が電車に飛び込んだことで一家の壊滅は決
定的となった。
 馬鹿だ。父は馬鹿だった。
 目立とうとするから、叩かれる。ヒロシは若くして絶望し、決めた。
 平凡でいい。自分から波風を立てる必要なんて、ない。
 所詮他人なんだ。他人に、期待しちゃいけないんだ──そう、深く深く。

 
 気だるげに、追い出す方法を考えている内に、ミコはすっかり部屋に居ついてしまった。
 買って来るコンビニ弁当は半分食われてしまう(曰く、受肉体だと神様でも食事が必要な
のだそうだ)し、相変わらず自分の“幸せ”を実現しようと余計な世話ばかり焼いてくる。
 日常の買出しも。バイト先での仕事でも。
 こちらがちょっと厄介な、面倒なことに遭遇すると、待ってましたと言わんばかりに件の
吐息──祝福とやらを吹き掛ける。……そして、余計に事態をややこしくする。
 掃除が面倒だと言えば部屋のど真ん中に部屋中のゴミを集結させてみせ、バイト先で売れ
行きのいい商品があると知ると勝手にその発注数を増やしてきた。その時はカンカンに怒っ
た店長に平謝りし、数ヶ月単位の自腹を余儀なくされ、何とか事無きを得たが……。
「──いい加減にしろ!!」
 流石にヒロシも堪忍袋の緒が切れた。
 たまに便利かもなと思っていた彼女の祝福も、加減を間違えば一転大惨事の連続である。
 怒りを沸々と腹の底に秘めて帰宅し、顔を付き合わせたミコに、ヒロシはそう可能な限り
の大音量の怒声で以って叫んだ。ガタンッと荒々しく叩かれたテーブルが音を立てる。
「えっ……。でも私……ただ……」
「迷惑なんだよ! お前が来てからずっとこんな調子だ。いい加減に気付け、馬鹿野郎」
 ミコが狼狽しているのが分かった。人間の常識が通じなくても、流石にこれだけ怒りを露
わにした表情をみせれば理解できるらしい。
 彼女は、泣きそうになっていた。私、精一杯やっているのに。そう言わんばかりに。
「……出て行け。今すぐに」
 だからこそ、ヒロシは腹立たしさをもう抑えることが出来なかった。
「お前さえいなくなれば、俺は幸せだよッ!!」

 ミコは大泣きしながら部屋を飛び出して行った。
 しんとした自室。ざまぁみろ。清々したぜと最初、ヒロシは思っていた。
「……」
 なのに。
 一時間二時間三時間──カチカチと時計が時間を刻む度に、ヒロシは自分の中にある苛々
が一向に収まらないことに気付き始める。
 古びたベッドの上に仰向けになったまま、ぼんやりと天井を見つめる。
 あちこちに出来たしみが、何処ぞのアニメキャラクターの輪郭に見えた。或いは、空想上
の人外──神や悪魔といった漠然としたイメージか
 眉間に皺を寄せて、部屋の中を見た。
 埃という埃が集められ、何とかそれをヒロシがゴミ袋に詰め込んで捨てたことで無駄に綺
麗になった部屋。その一角にちょこんと、新品のようになったテレビや尚も元気に育ち続け
るベランダ先のもやし達。懐には、使い古した物と新調した物、二つの財布がある。
 ……殺風景さが増しているような気がした。
 可笑しい。不快(おか)しい。
 邪魔者がいなくなって、ようやく本来の自分の部屋が戻ってきたのに……このモヤモヤと
した感触は、一体──。
「……散歩でもしてくるか」
 らしくない。何故、こうも“虚しい”んだ……。
 ヒロシは不快に顔を歪めたまま、のそりと起き上がって部屋を後にする。

 内心の苛立ち、やる方無さに反比例するかのように、外は思いの外陽気だった。
 冬の寒さに差し込む一時の温かさ。
 もっと別な心持ちであれば空を見上げて穏やかになれたのだろうか? それとも、結局は
長く抱き続ける諦観が何も感じなくさせていたろうか?
(……ん?)
 そうして灰色の路を当てもなく歩いていると、ふと異質な声が聞こえてくる。
 のそりと視線を遣ってみると、すぐ横の道路を挟んだ向こう側で幼い女の子と母親らしき
親子連れが路を往っているのが見えた。
 幼子は、一点の疑問も持たないように母親に満面の笑みと信頼を向けている。
 母親の方も優しい微笑みで応え、きゃいきゃいと楽しそうな我が子を見守っている。
「……」
 ぼんやりと足を止めて、ヒロシはそんな二人を視界に映していた。
 自分もかつてはああだった、筈だ。真面目だけが取り得の父と気遣い上手な母、まだ未来
があった筈の妹や弟と共に明日を“信じて”生きていた。そんな記憶が古びたフィルムを再
生するように脳裏で流れては遠くに消えていく。
 ──そんな最中だった。
「あ。ネコさんだー」
 ふっと、幼子がこちらを見ると、ぱあっと笑顔で駆け出し始めたのだ。
 確かにこちら側の路で猫の集会が始まっているのを途中、横目で見ていたが……問題なの
はそれではない。
「あっちゃん、駄目!」
「……ッ!」
 横断歩道でもない道路を、この子は横切ろうとしたのだ。
 当然、そこには多くはないが車の往来がある。至近距離で突然出てきた彼女に、すぐそば
まで近付きつつあったトラックがその運転手が顔面蒼白になるさまが、スローモーションの
ように視覚に網膜に焼き付く。
「──ぉおおおッ!!」
 本能的で反射的だった。ヒロシは次の瞬間、地面を蹴って幼子の前に飛び出していた。
 手荒だが彼女を突き飛ばして母親の方へ送り返し──ほぼ同時、自身の身体が経験した事
のない衝撃で蹂躙されるのを感じた。
 一瞬。潰れる。赤く染まる。
 分かったのは灰色の地面の冷たさと、妙なぬめりを持った赤色の広がりだった。
(……バッカ、だなぁ……)
 間抜けなことながら、自分が代わりに跳ねられたのだと気付くのに、少し時間が掛かって
しまったらしい。
 目がやたらにしょぼしょぼとする。身体中が、金属を突き刺して掻き回されたような激痛
で感覚がおかしくなっている。泣き叫ぶ母親と事態をまだ呑み込み切れていない幼子の表情
が見える。聞こえる。だが……どんどんその知覚が、痛みの感触すら、遠くになる。
 しかし不思議と気持ちは穏やかだった。
 先程までの苛々は一体何処にいったのだろう。
(ああ……。そうか……)
 記憶が、遠くなっていく今という現実が、母子の顔が自分に告げてくれる。
 俺はただ……“家族(あのころ)”が欲しかったんだ──。
「──さんっ!!」
 そうして、意識が身体から離れる寸前のことだ。
 ヒロシは思わぬものを見る。
「……ひぐっ。よかっ、た……。何とか間に合った……!」
 ミコ。自分が癇癪の末に追い出した筈の、自称神様の少女。
 何故か彼女は今、母子や跳ねられたトラックの運転手に交じって自分を見下ろしている。
ボタボタと、顔に彼女の零す涙の粒が落ちて濡れていくのがぼんやりと感じられる。
「ごめんなさい……私の所為で……」
 泣きながら、それでも彼女は気丈に唇を結んでから。
 ──血だらけの、ボロボロの身体に、その虹色の吐息(しゅくふく)を注ぐ。
 綺麗だった。
 多分、これまで目の当たりにしてきた彼女の力の中で、最高の。
 虹色の光の粒が、自分を緩々と包んでいた。同時に、ゆっくりと、切り離されようとして
いた意識が身体に戻っていくのが分かった。何より身体中に走っていた激痛が、治まってい
ることに驚いた。
「……」
 何も言えずに身体をそっとまさぐってみる。
 流血で汚れた服までは元に戻せなかったらしいが、出血が骨折が、治っていると直感では
あるが悟ることが出来た。ぼうっと顔を上げた視界の中、突然の──文字通りの奇跡を前に
し愕然としている母子や運転手を背景に、彼女は……ミコは涙目をぐしゅっと拭っている。
「……ごめんなさい、ヒロシさん。私が間違っていたんですね」
 何を言いたいか、この時は全てを呑み込めなかったが。
「でも、絶望はしないで下さい。神様は……ちゃんといるんですよ?」
 只々その笑みと言葉に、酷く安堵した思いだけははっきりと覚えている。


 気付いた時には、再びミコはいなくなっていた。
 怪我は治っていたのだが、通行人の通報で自分はやって来た救急車に乗せられ、数週間の
検査と入院生活を余儀なくされた。……尤も、その回復力(?)に医者達は戸惑いを隠せな
かったようだが。
 久しぶりに、思いかけず長い留守となった自宅に戻ってきて、とすんと床に腰を下ろす。
 ヒロシの手には膨らんだ茶封筒が収まっていた。件の事故による賠償金だ。
 目撃者が多く、例の母親側からの尽力もあって、事後処理は手早く示談で済ませていた。
 元より咄嗟に身代りになったことだ。無闇にトラブルを引き延ばして……というのはこち
らとしても遠慮したかったという本音もある。
「……」
 ミコは、どうしたのだろう?
 危機一髪の所で傷を治してみせた彼女だったが、それ以後自分の前に姿を見せていない。
 出て行けと怒鳴ったからか? いや、ならばあの時自分一人くらい見殺しにしていたって
おかしくない。
 入院中に考えていたことを反芻する。
 これは仮設だが、自分という人間の死に干渉したことで何か咎めを受けたのではないかと
いうものだ。神という者達の実像など知らないが、そう安易に人間の生死を弄っていいもの
でもないと思う。だとすれば、もしかして──。
「……ッ」
 ぐしゃっと、茶封筒を握っていた手に自然と力が篭もった。
 馬鹿野郎。最後の最後に自滅するようなことしやがって。そんな別れ方じゃ、こっちが負
い目で忘れられないじゃないか。
 それに、自分は賠償金(こんなもの)が欲しかったんじゃない。
 分かったんだ。自分の欲しいもの。願っていたもの。やっと分かったんだ。
 ──誇れる自分と、そんな自分と寄り添ってくれる大切な人々。
 ただ羨ましかっただけだ。ただ過去を悔いていただけだ。自分はその憎悪だけで、父の貫
こうとした誇りを汚し続けていたのだ。
 今なら、父の理由が分かるような気がした。すぐにでも墓前に赴き謝りたかった。
 なのに。なのに……もういない。
 こうしてずっと封じ込めていたものを解き放ったくれた、あのへっぽこ──だけど自分に
は数少ない同居人だった神様、ミコがいない。
「……。ごめん、ミコ。俺が間違ってた」
 だから、今更一人になった部屋で謝っても仕方なかった筈で。
「──?」
 玄関のチャイムが鳴ったのは、そんな時だった。ヒロシは殆ど無意識の内に振り返り、眉
間にわずかながら皺を寄せる。
 誰だろう。ついさっきまで入院──留守にしていたというのに。
 思いながらヒロシはのそりと立ち上がり、鍵を開けて扉を開けて……。
「お久しぶりです。ヒロシさん!」
「うぉ!? え? お前……まさかミコ、か?」
 ヒロシが最初、そう疑問符で尋ね返すのも無理はなかった。
 確か彼女は自分よりも年下の少女だった筈だ。なのに今目の前にいるのは、自分とさして
外見年齢の違わない一人の女性であって……。
「はいっ、ミコですよー。聞くにあの姿のままではヒロシさんが“ろりこん”になってしま
うそうなので。それで一旦天界に戻っていました」
「……? どういう事だ? お前、俺を生き返らせた所為で捕まったんじゃないのか?」
「え? そんな事を話した覚えはありませんが。大体、あれは因果律を辿れば私の所為なん
ですよ? 責任を取ったという意味でも咎められることはもうない筈ですし……」
 うーんと唇に指先を当てて語る。その姿は、変わっていてこそ、間違いなくミコで。
 ヒロシは「そ、そうか……」と狼狽しつつ、しかしながら内心では自分のネガティブな仮
説が間違いだったと分かり、酷く安堵していた。
「それで、何でまたお前急に成長したんだ? つーか、さっき聞き捨てならない言葉も聞い
た気がするんだが……」
「成長というか、替えてきたんですよ。前の受肉体ではヒロシさんの幸福遂行には不都合か
なぁと思いまして。ちゃんと事情も報告してきましたし、一時帰還もノーカウントです」
「はあ……」
 そういえば、彼女の姿は仮のものだったっけ。
 改めてヒロシは上の空な生返事を漏らしていた。確かに、あの幼い少女よりはこっちの姿
の方がずっといい……って、いや、そんなことを言ってる場合じゃ──。
「ヒロシさん」
 と、ミコが話題を切り替えるように名を呼んだ。
 気のせいか、もじもじと自身の両手を揉みながら、彼女は頬をほんのり赤く染めて照れて
いるようにも見える。
「私、やっと見つけたんです」
「え? 見つけたって……」
 ふいっと見上げてきたその笑顔。
 その満面の笑みは、穏やかな陽の光のように眩しくて、自分にはくすぐったくて。
「ヒロシさん。私、改めて貴方の家族になりに(あなたをしあわせにしに)来ました」
 言われて唖然。でもややあって破顔して。
「……ああ。お帰り、ミコ」
 ヒロシもまた、取り戻した最高の笑顔でそう彼女を迎えたのだった。
                                      (了)

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  1. 2012/11/04(日) 18:00:00|
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自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
します。

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