日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅲ〔31〕

 転移先に登録していた郊外のあばら屋は、既に守備隊らに捉えられつつあった。
 皇子アルスの抹殺に失敗したゲイスとムドウは、そのまま殆ど転がり出るようにして追撃
の軍靴から逃げ続けていた。
 夜の闇は深い。森の木々は我先にと枝葉を伸ばし、頭上にある筈の月明かりすらも虫食い
のように遮っている。
「……っ、はぁ……!」
 ゲイスの脚が悲鳴を上げていた。もうどれだけ走ったのだろう。なのに自分達を覆わんと
する闇は、相変わらず周囲に沈殿したかのままだ。
「急げ、早くしないと追いつかれるぞ!」
 焦りと疲労は一歩先を往くムドウも同じだった。
 しかし歩を緩める訳にはいかない。アウルベルツからの追跡者の数は、時間を経るごとに
増している。おそらくは周辺諸候も動き出したのだろう。一刻も早くこの地域から一時離脱
する必要がある。
「儂のバフォメットも、自己修復が終わるまでは使い物にならん。人形達も殆どやられた。
今連中に捉えられれば犬死にするだけじゃ」
「……」
 焦燥に駆られ、思わず衝いて出た彼の言葉。
 するとそれを聞いた瞬間、俯き加減のまま肩で息をしていたゲイスが、ふと動きを止めて
ギロリとこちらを睨み付けてくる。
「犬死に? やっぱりてめぇは、キリヲを見捨てたのかッ!?」
「? 何を──」
 眉間に皺を。
 だが疑問符が口に出るよりも早く、次の瞬間ムドウはその胸倉をゲイスに掴まれていた。
 身長差からも見下ろされる格好。ゲイスは普段の戦闘狂とはまた違う、泣き腫らすような
真っ赤に充血した目でムドウに詰め寄り、叫ぶ。
「あいつは……キリヲとは、昔っからの相棒なんだよ。一緒に伸し上がって、この糞ったれ
な世界を変えようぜって……。あいつはバカだけど、気の置けない奴だった……。それをよ
りにもよって犬死にだ? ジジイ、てめぇはあいつを捨て駒にして逃げてるんだぞ、分かっ
て言ってるのか、あァァ!?」
「ぬっぐ……。お、落ち着けゲイス! あの一瞬で儂らにキリヲを救えたか? 発動の瞬間
は見えなんだが、あれはおそらく刻魔導の一種じゃろう。仮に割って入れたとしても、こち
らの犠牲が増えただけじゃ」
 ムドウは咳き込みつつ、何とかゲイスを振り解いていた。
 老いた身体が若者の激情に晒され、ギシギシと悲鳴を上げている。それでも長年の相棒を
失う結果となった彼は、尚もやり場を見出せない怒りを自分にぶつけようとしている。
「……教団の神官騎士が入り込んでいるとは想定外じゃった。おそらく当日にやって来たの
じゃろうな。……儂の、ミスじゃ」
 夜闇を見上げて、ムドウは大きく息を吐いた。
 自分達が世間から“敵”とされていることは重々承知の筈だった。しかしどちらに大義が
あるにせよ、こうして憎悪は連鎖していくのだろう──そんな思考がフッと脳裏に過ぎって
は霧のように消えてゆく。
「耐えろ、ゲイス。今はとにかく退くしかない。別の大陸まで退いて、もう一度体勢を立て
直せば──」
「その必要はないよ」
 ちょうど、その時だった。
 それまで二人しかいなかった筈の闇から声が聞こえてきたのだ。
 思わず弾かれたように振り返る。するとそこには、どす黒い靄と共に空間転移してくる三
人の人影が姿をみせようとしていた。
「随分と大きく出たみたいね。信徒ムドウ、信徒ゲイス」
 夜闇から歩を踏み出してきたのは“使徒”達だった。
 気障なマント青年フェイアンとその姉フェニリア、そして面倒臭そうに初っ端から睨みを
効かせている大男バトナス。
 彼ら三人の姿を認めて、ムドウとゲイスは反射的に低頭のポーズを取っていた。
 “結社”の下っ端──「信者」らを取り纏める自分達「信徒」が中級の構成員なら、彼ら
は更にその上、教主直属の幹部級なのだ。
 フェニリアの妖艶かつ指弾するような眼に、ムドウは内心慄きながらも返答する。
「も、申し訳ありません。どうやら教団からの伏兵が混じっていたようで……想定以上にこ
ちらの包囲網が早く破られてしまったのです」
「……キリヲが、相棒がそいつに殺られました」
「で、ですが戦力は把握しました。今度こそは……!」
 平身低頭。ムドウは何とかこの使徒らの機嫌を取ろうと必死だった。
 だが当の彼らは最初、黙ったままだった。
 恐る恐ると、ムドウはゲイスは顔を上げて彼らを見てみる。
 バトナスは両手を組んだままの仁王立ち。フェイアンは姉と顔を見合わせてから、相変わ
らず飄々とした──しかし確実に腹の底にどす黒いものを抱えたまま、微笑(わら)う。
「おかしいなあ。さっき『その必要はないよ』って言ったよね?」
 ムドウの顔から血の気が引いた。
 やはり彼らは咎めに来たのだ。今回のレノヴィン抹殺の失敗を。
「……一応言っとくが、俺達はトチったからシメに来たんじゃねぇぞ? いくら片割れだけ
だっつっても、信徒級(てめぇら)が仕留められるなんざ思ってねえし」
 バトナスが発言を繋ぐように言った。
 ゲイスとちらと顔を見合わせ、ムドウは戦慄の表情の中に少なからぬ疑問符を含ませる。
 ならば何故、わざわざ使徒クラスの彼らがやって来たのだろう? まさか教主様より直々
のお言葉でもあるのだろうか……。
「私達は、貴方達に“罰”を与えに来たの。大命より己の功名を優先した。何より……信徒
ムドウ、貴方は決してしてはならないミスを犯した」
「えっ?」
「……てめぇ、自分が口上の時何て言ったか覚えてるか?」
 一瞬間、間の抜けた返事。
 だがスッと眼光を鋭くしたバトナスの一言に、ムドウらの精神は再びおぞましい戦慄に支
配されることになる。

『教主様が大命の下、貴様らを処刑(まっさつ)する。摂理への反逆(なんじらがつみ)、
その命で以って贖って貰おう!』

 確か、そんな台詞。
 犯してはならないミス──ムドウはゲイスが目を見開いて固まったのを横目で見ながら、
ようやく自分達が置かれている状況を悟った。
「きょ……教主、様……」
「正解。愉悦にかまけて貴方は禁則を破った。決して外部に漏らしてはいけないあの方の名
を、貴方はレノヴィン達の前で口にした」
「そーいう訳だ。もう二度目はねぇ、ここで消えろ。それがあの方からの命だ」
 どちらからともなく、二人は後退り始めていた。
 闇の中に身体が沈んでゆく、ザザッと足元の茂みが擦れた音を立てる。
 殺される──!! 二人は次の瞬間、彼らに背を向けて逃げ出そうとしていた。
 だが……足が動かなかった。無残に大きく顔面から地面に倒れてしまう。
「誰が逃げていいって言った?」
 フェイアンが嗜虐的な微笑を湛えていた。かざした掌からは薄らと冷気が漏れている。
 ぶつ切りに喉から漏れる二人の悲鳴。その足元は、彼が放った魔力の氷でびっちりと固め
られてしまった後だった。
「手間取らせるなって。ただでさえ余計な仕事増やしやがってよぉ……」
「大丈夫、すぐに終わるわ。すぐに……ね」
 動けない二人に、バトナスとフェニリアがゆっくりと近付いてくる。
 メキメキッと肉を裂く音と共に彼の片腕が魔獣のそれに変じ、月明かりが照らす影を文字
通りの異形に変える。歩を進める度に彼女の回りには焔の悪魔が姿を現し、ぐるぐると宙を
闊歩しながら闇色を紅く染める。
「ひぃ……ッ!」「た、助け……」
 二人は威勢も何もかも削がれ、掠れた悲鳴を上げる事しかできなかった。
 それでも、処罰の為に訪れた使徒らは歩みを止めない。
 振り上げられた魔性の腕(かいな)、命を宿して蠢く焔の使い魔達。
 ──次の瞬間、二人分の短い悲鳴が夜闇の森に残響した。


 Tale-31.ただ想いは大流(うず)に呑まれ

 洞窟内に咆哮が響き渡る。
 此処が忌避地(ダンジョン)に指定されている理由を、アルス達は今更ながらに理解せざ
るを得なかった。
 変異性土蛇(アースワーム)。
 瘴気の侵食が引き起こしたこの魔獣の巨大化は、今まさに一行へ牙を剥こうとしている。
「ッ……!?」
 先手を打ってきたのは、ワームの方だった。
 思わず立ち尽くしていたアルス達を見下ろし、大きく息を吸い込んで口を開く。
「伏せろッ!」
 ワームの口から無数の岩礫が吐き出されるのと、咄嗟に前に出たブレアが宙にルーンを刻
んだのは、ちょうどその同じタイミング。
 次の瞬間空間を裂いて現れたのは、全身に眩い炎熱を纏った巨大な一つ目入道──アルス
の練習にこれまで何度となく付き合ってくれているブレアの使い魔・煌(オーエン)だ。
 彼は野生の唸り声を上げ、飛んでくる岩礫を次々に熱で消し炭に変えるとそのまま全力の
右ストレート。ワームは顔面にその拳を受け、辺りに大量の土埃を撒き散らしながら大きく
地面に倒れ込む。
「すげー……」「伊達に学院の教員じゃない、か」
「教官殿、感謝します」
「皇子、急ぎましょう。今の内に外へ──」
 だが襲撃はそれだけでは終わらなかった。
 薬草を収めた籠を片手にキースがアルス達を促し駆け出そうとした瞬間、薄闇の向こうか
ら多数の気配と物音を感じたためだ。
 緑、青、赤、黄。蠢くゲルや肉喰鼠(キラーマウス)の群れ、頭上には忙しない羽音を立
てる吸血蝙蝠(ブラッドサッカー)、更には天井を這う女半蜘蛛(アラクネー)の姿まで。
 退路が、来た道がものの見事に塞がれていた。
 一体一体はともかく、数が多い。どうやらワームの目覚めに引き寄せられ洞窟中の魔獣達
が集まってきているらしい。
「ひっ……」
「拙いぞ、これじゃあ逃げられない」
 銃剣を構える守備隊員らの顔が青褪めていた。
 いくら軍属とはいえ、一般的に魔獣退治は冒険者の仕事だ。無理もない。
「……アルス!」
 するとややあって、にじり寄ってくる魔獣らを肩越しに見遣っていたブレアが彼らに向き
直りながら叫んだ。使い魔たるオーエンもまた、その巨体を──場所が場所だけに何処とな
く手狭なように持て余しつつ──翻している。
 アルス達は振り向いた。その挙動を背中で感じながら、彼は真剣な表情で告げる。
「こっちの雑魚どもは俺が抑える。お前らはそのデカブツを倒せ。……予定にはないが、こ
ういう事態も実戦の内だ。お前が皇国(むこう)で学んだものを見せてみろ」
「えっ? あ、あんたこの状況で──」
「分かりました」
 キースを始め、仲間達の少なからぬ者が戸惑いをみせていた。
 だがアルスはそんな皆の声が口を衝く前に頷いていた。傍らで浮いているエトナも、この
相棒の腹を括った横顔にコクリと理解を示している。
 そもそも皆をここに誘った元凶は自分だ。ならその“責任”を取るのは自分しかいない。
「では先生、そちらは頼みます。エトナ、リンファさん!」
「ぬ……。承知しました」「ふふん、任せなさいって」
「俺達も加勢するぜ!」
「……まぁ、あいつを起こしたのはフィデロだしね」
 皇子の短い懇願に、程なくして仲間達が応えた。
 起き上がろうとするアースワームにはアルス・エトナにリンファ、フィデロとルイスが、
背後から迫ってくる他の中小の魔獣達にはブレアと兵士達、薬草籠を保持したキースがそれ
ぞれ向き合う。
「無理だと思ったらすぐ言え、死んだら元も子もねぇからな!」
 ブレアの頭上でオーエンが腕を振るい、押し寄せてくる魔獣らを次々に払い除け燃やし始
めてゆく。中には巨体を掻い潜る者もちらほら出たが、それらは総じて守備隊員らの銃撃や
キースの放つ投擲針(スローピック)の餌食になる。
(……悪ぃなアルス。洞窟内(こんなばしょ)で火を焚き過ぎたら、皆窒息死しちまう)
 体勢を立て直したワームが大きく牙を剥いた。
 今度は岩礫のブレスではなく、巨体を活かした突進だ。
「トナン流錬氣剣──」「どっ──」
 その真正面に太刀を下段に構えたリンファと、雷を両拳に滾らせたフィデロが出る。
「鬼刃(きじん)ッ!」「せいッ!!」
 巨壁のようなワームの下顎を、すくい上げるような剛の剣と渾身の拳が押し留めた。
 む、無茶苦茶な……。アルスは驚きながらも、同時に心強く思う。ワームもまた、たかが
人間二人に止められるとは思わなかったのだろう。ギョロッとした眼が、驚きを示すように
瞳をぐるぐると回しているのがみえる。
 ワームが堪りかねて身を退いた。迎撃の余波もあり、少し動きが鈍っている。
 すかさずアルスは例の如く、この魔獣に自身の戦法を適用しようとした。
「領域選(フィールド・セッ)──」
 だがそれよりも速く、ワームは顔を出していた穴に身体を引き摺り込ませるとあっという
間に地中へと姿を消してしまう。
 アルスは凝らした集中力を慌てて気配探りに切り替えた。
 しかしそんなこちらの様子を嘲笑うかのように、ワームは別な穴から姿を現すとアルス達
の間合いへと突っ込んで来、また別の穴へと潜り込んでいく。
「皆、大丈夫!?」
「ああ、平気だ」「固まっていては駄目だな……。散るぞ!」
 何度も、ワームは穴から穴へと移動を続けていた。
 それ自体は攻撃ではないのだろう。だがなまじ変異性の巨体が故に、アルス達にとっては
実質高速の体当たりを何度も敢行されているのに同義だ。
「アルス、あんなに動き回られてたら結界を張れないよ!」
「うん……。あっちに地の利があり過ぎるんだ」
 棒立ちにならないよう、アルスはエトナと共に駆けながらやり取りを交わしていた。その
傍らには、抜け目なくワームの動きに眼を光らせるリンファが併走する。
「中和結界(オペ)で弱らせるにしても、先ずはこのもぐら叩きをどうにかしないと……」
 アルスは穴同士を行き来する巨体と土埃の中、距離が離れた友人達の姿を確認した。
 フィデロは負けじとワームを追いかけ、雷撃の拳を空振っているし、一方のルイスは元々
翼を持つ鳥翼族(ウィング・レイス)という点を活かして既に空中戦へと移行している。
「ルイス君、皆に風紡の靴(ウィンドウォーカー)を! こっちも機動力を上げないと動き
に追いつけない! 攻撃よりも撹乱をお願い!」
「ああ、分かった!」「おうっ! 要は俺達で煽ればいいんだな!」
 叫びと指示を二人はしかと受け取ってくれたようだ。……約一名、全力バカ続行中な友人
はいたが。すぐにルイスはフィデロ、そしてワームの巨体を縫って一度合流し、アルス達に
宙を舞う風の靴を履かせてくれる。
「らァァッ!!」
 迅雷手甲(ヴォティックス)のエネルギー逆噴射も相まって、フィデロの機動力は爆発的
に上昇していた。
 彼はこちらが見ていてハラハラする程に空中を飛び回り、右に左に後ろにとワームに雷拳
を叩き込むヒットアンドアウェイを繰り広げる。ワームはその度に短く衝撃に仰け反ってい
たが、見た限りダメージはそう大きくない。
「地の魔獣に電撃が効く訳ないだろう。全く……」
 そんな相棒に、ルイスは嘆息をつきつつも杖を振るってサポートしていた。
 勢いに任せて間合いを詰め過ぎる彼を風で押し離したり、或いは規模のある風圧でワーム
の身動きを阻害する。
(今の内に……)
 アルスはその間、地面擦れ擦れを飛びながらあるものを確認していた。
 この洞窟の奥、このワームが自身のホームグラウンドとするこの巣穴の数だ。
 先刻オーエンが現れたことで視界はずっと明るく広がっている。奇しくも全景を把握する
条件は整っていた。
「盟約の下、我に示せ──硬石の盾(ストーンウォール)!」
 するとアルスはそんな穴の一つの前で止まると、手早く詠唱を完成させ眼前に岩の盾を出
現させていた。位置的には、ちょうどアルスと穴の間に割り込む格好である。
「リンファさん、今から壁を出していきます。全部砕いて埋めて下さい!」
「……? そうか、なるほど。承知致しました」
 最初は何のつもりか分からなかった傍らのリンファだったが、ややあって彼女もエトナも
彼の意図に気付いたようだ。
 リンファはすぐに太刀を持ち上げ──そもそも言われてすぐに出来てしまうのが彼女の恐
ろしい所ではあるのだが──、瞬く間にこの岩の盾を粉々に斬り砕いてみせた。瓦礫はその
ままガラガラと、崩れ落ちるままに穴に吸い込まれていく。
「──オォォ……」
 そんなアルス達の行動に、ワームがギロリと眼を向けた。
 まだ何をしているのか分かっていないようだったが、怪物の動物的本能が彼らを止めるべ
きだと後押ししたようだ。ワームは大きく口を開けて振り向くと、再びブレスを放とうと息
を吸い込み始める。
「そうは問屋が卸さねぇぜ!!」
 だがその口に向けて、フィデロが空中から雷剣の閃(サンダーブレイド)を放っていた。
 吐き出される寸前の岩礫らが、巨大な電撃の束とぶつかって連鎖反応的に爆ぜる。
 ワームは口内に叩き込まれたその一撃に、思わず不快感の咆哮を残してまた穴の中に潜っ
ていく。
「アルス君、急いでくれ! 全力バカの導力も無限じゃない!」
「おめーは一言余計なんだよ。アルス、俺達は大丈夫だからお前の作戦を続けろ!」
 空中の友人らも、アルスが何をしようとしているのか勘付き始めているようだった。
 アルスはそんな二人に向かって力強く頷く。
「──硬石の盾(ストーンウォール)!」
 何度もその術式が繰り返されていた。穴の前に地中から迫り出してくる岩の盾。それを彼
らは防壁に使うことはなく、ただ護衛の女剣士が次々に壊してゆくばかり。
「あと三つ……!」
 当のワームがようやく理解をしたと思われた時にはその策は進み、気付けばかの魔獣の巣
穴はその殆どが砕けた岩によって塞がれていた。
 荒々しい瞳が大きくなった気がする。ワームは再度アルスへと牙を剥こうとするが、
『させるかっ!!』
 両側からの雷拳と風撃によって押さえ付けられ、またもや阻まれてしまう。
「……よしっ。ルイス君、フィデロ君、強烈なのを一発お願い!」
 その間にまた一つ、巣穴が瓦礫によって塞がれ終わった。
 アルスは周囲を見渡し進捗状況を確認すると、暴れるワームから逃げ回る空中の二人にそ
う叫んで指示を送る。
「おっしゃあ! 任せろ!」
 噛み付こうとしたワームをひょいっと飛び上がってかわしたフィデロが、眼下のそれに狙
いを定めて両手甲に大量のエネルギーを込めた。
 両手を組み、振り上げたのはまるで鎚を振りかざすポーズ。
 彼はそのまま巨大な一纏まりの雷撃となって、叫びながらワームの脳天に渾身の一撃を叩
き込む。
 ワームは堪らず絶叫した。そしてそのままズルズルっと穴の中へと逃げていく。
「よしっ……」
 アルスはすかさず宙を飛んだ。
 目指すは残り二つになったワームの巣穴──即ち次に奴が出てくるのは此処しかないとい
う状況。アルスが友人らを撹乱役にしてまで時間を稼いだのは、全てこのもぐら叩きを簡素
にする為だった。
 案の定、ワームは行き場を失いアルスの目の前から飛び出してきた。
 上がる土埃、ぐんと頭上に伸びていく影。アルスはその射出さながらの空気の揺らぎに耐
えつつ、移動しながら紡ぎ始めていた詠唱を完成させる。
「盟約の下、我に示せ──星球の棘手(ギドラジア・ジュロム)ッ!」
 次の瞬間だった。
 まるでワームが顔を出すのを待っていたのかのように、アルスの足元から巨大な物体が姿
を現した。
 それは一言で形容するなら……植物製の巨大モーニングスター。
 緑色の魔法陣から、地面を砕きながら、飛び出したこの天然の鈍器はちょうどワームの下
顎を強烈に叩く一撃へと変貌する。
 アッパーカット。自身で飛び出してきた勢いも手伝って、ワームはそのまま中空に吹き飛
ばされていた。数秒の滞空時間。だがそれも束の間で、遂にこの巨体は轟音を立てながら全
貌を晒して地面に落下する。
「皆、合図をしたら一斉に攻撃を!」
「領域──選定(フィールド・セット)!」
 エトナが仲間達に叫びながらワームに向けて両手をかざしていた。
 アルスもまた、今度こそワームを結界の中に捉えようと意識を集中させる。
 身体が……悲鳴を上げていた。
 無理もないのだろう。先程から自分は魔導を連発している。いくら日頃学院生活で導力を
鍛えているとはいえ、消耗には変わりない。
 精神(こころ)が啼いている。
 魂と肉体を結ぶ淡い光の保湿液。脳裏に強烈に浮かび上がる己の奥底のイメージ。
(へこたれるな……! ここで踏ん張らなくっちゃ、どうするんだよ……!)
 だがそれでもアルスは手を止めなかった。
 奥底からの飢餓感をぐっともう片方の手で押さえつけ、彼は目を見開く。
「施術開始(オペレーション・スタート)!」
 強制的にもぐら叩きから引き摺り出され、地面の上でもがいていたワームをエトナが重ね
掛けした結界をすっぽりと覆っていた。同時にアルスは両手の五指から無数のマナの糸を繰
り出し、ほんの数秒でそれらを巨大な手術刀(メス)や鉗子に編み上げる。
 ──こうなれば、後はスピード勝負だった。
 速やかに、しかし緻密に。アルスはマナ製の施術(オペ)道具を振るい、次々にワームに
伸びていたストリームを切断していく。
 繰り返し、ワームが苦しそうに咆哮をあげていた。
 本来なら聖気を注ぎ込んで駄目押しとするのだが……既にこの魔獣は皮膚のあちこちから
剥離が──自身の崩壊が始まっている。
「……今です!」
 一瞬、ほんの数秒だけその光景に眉根を寄せて、アルスが叫んだ。
 エトナが維持していた結界を解き、グラリと大きく弱体化したワームの巨体が地面に倒れ
込み始める。
 ルイスとフィデロが詠唱を完成させつつあった。
 風の靴を両足に纏ったリンファがアルスの傍を駆け抜け、大きく中空へと跳躍する。
「盟約の下、我に示せ──重の風砲(エアブラスト)っ!」
「盟約の下、我に示せ──雷剣の閃(サンダーブレイド)ォォォ!」
 次の瞬間左上段から叩き付けられたのは、マナを限界ギリギリまで注ぎ込んだフィデロの
雷撃。その押さえ込みに同調するように、右側方からはルイスが白の魔法陣から渦巻く巨大
な風撃を射出し、ワームの身動きを制している。
「トナン流錬氣剣──」
 その頭上から、リンファはマナを纏わせた太刀を握り締め、降下する。
 限界まで身を捻って引き絞った体勢。
「十六夜霞(いざよいがすみ)!!」
 そこから放たれた剣技は、まさに目を見張るものだった。
 アルス達が何とか視認できたのは、最初の振り下ろし一発のみ。その直後、ワームの身体
はまるで包丁で千切りにでも遭ったかのように無数の鮮血を撒き散らした。
 中空からの加速度も加えた、トナン流の高速連撃。傷口を見る限り、確かに十六発。
 そして最後の一発は、リンファが着地し刀身を振り抜いたと同時にワームの首根っこをば
さりと断ち切っていたのである。
 断末魔の叫びは……一瞬だった。ただワームは泥のような血を大量に吹き出し、そのまま
元巣穴の一角で二度と動かなくなる。
「……。やった、の?」
「そうだよ! 私達あのデカブツに勝ったんだよ!」
 暫しの沈黙。そして相棒(エトナ)を始めとした面々は安堵と喜びに顔を綻ばせていた。
 血を拭って静かに刀を納めるリンファ、大きく息をつきながらも満足そうに地面に仰向け
になるフィデロ、その姿に「お疲れ」と声を掛けてゆっくりと隣に腰掛けるルイス。
「……そっか」
 だがアルスだけは、どうにも悦ぶ気にはなれなかった。
 これは正当防衛なんだ。先生からの課題なんだ……。そう己に言い聞かせてみても、一度
胸奥へ張り付いてきたこの嫌な感じはそう簡単には拭い取れそうにない。
「お疲れさん。……どうだ? これが魔獣を殺す(まもるためにたたかう)ってことだ」
 そうした内心を悟っていたのだろうか。ややあってはたと、ぼうっと突っ立っていたまま
のアルスの肩をブレアが軽く叩いた。
 二言目に込められた意図。
 何か返答すべきだったのかもしれないが、アルスは結局黙して頷くしか出来なかった。
 肩越しに振り返ってみれば、オーエンの姿も湧いていた魔獣らの姿もない。守備隊員達や
キースらの安堵して一息つく様子を見ても、どうやらあっちも片付いたらしい。
「手間取ってたみたいだが、まぁ結果オーライだ。及第点ってとこだろう」
 アルスが何とも言えずに立っている。視線を合わせられずに立っている。
 エトナが、戻ってきたリンファ達がその様子を見て流石に何だろうと怪訝の表情を浮かべ
始めているのが分かった。
 もう一度肩をぽんと叩いて数歩前へ。ブレアはおもむろに巨大ワームの亡骸に向き合うと
サッと詠唱を一つ。今し方アルス達によって屠られた魔性は、瞬く間にその魔導の焔によっ
て焼き尽くされていく。
「……さて、と」
 暫く一同はその様をじっと見つめていたが、ややあってブレアは皆に向き直ると言った。
「後始末が済んだらさっさと戻るぞ。外はもう日が沈んでる頃だ」


「坊さん……何で……」
 月夜の下で、四人八つ分の紅い眼がこちらを見下ろしていた。
 つい数刻前まで此処は平凡ないち小村でしかなかった。しかし彼ら“結社”の侵入により
今やこの場はその住人達すらも傀儡へと変え、ジークら四人を包囲している。
「ん? なになに? クロムっち、もしかして知り合いなの?」
「……。数日前、一度だけ顔を合わせたことがある」
「はあ!? 何でその時に殺っとかないのさ?」
「無茶を言うな。あの時はレノヴィンの顔までは覚えていなかったからな」
「に、二度手間だ……。だからあれほど端末くらい持っておけって言ってるのに……」
 包帯女が小首を傾げて訊ね、僧侶風の男・クロムはじっとジークを見つめながら答えた。
 その内容に今度は端末を弄っている少年がむすっとしたが、そんな三人を遮り宥めるよう
に快活な笑い声が辺りにこだまする。
「なぁに、此処で仕留めればよいだけの事よ。……それに、もしその場でクロムが始末して
おったらなら、我はさぞ不満であったろう」
 どうやら場の“結社”達のリーダー格は、この鎧に身を包んだ竜族(ドラグネス)の男で
あるようだった。ガチャリと鎧を鳴らし、取り出してみせたのは手斧・手槍の二刀流。され
どその重量感は遠目から見ても相当なものだと分かる。
「我が名は“竜将”ヴァハロ! 結社・楽園(エデン)の眼に属する者なり!」
 眼下に操り人形と化した村人らを、ジークらを見据え、この男ヴァハロは口上した。
「ジーク・レノヴィン、我が好敵手ジーヴァと相見えたというその力……見せて貰おう!」
 ジーヴァ──あの白髪の男か。
 そうジークが脳裏に記憶を引き出していた、次の瞬間だった。
 ヴァハロは言うや否や地面を蹴って跳躍すると、驚異的な身体能力で一気にジークの頭上
から手斧を振り下ろしてきたのである。
「ぐぅ……ッ!?」
 殆ど本能的な動きだった。
 ジークはその姿を感覚の中で捉えてすぐ、二刀を交差させるように構え、直後の一撃を全
身で受け止める。
 だが──それはあまりにも重過ぎた。
 物理的なものだけではない。ジークの全身が一瞬にして泣き叫ぶように悲鳴を上げた。
 こちらは二本で間一髪受け止められたというのに、相手は手斧一本。なのに自分は既に奴
の攻撃で今にも沈みかけている。
(な、なんて……パワーだよ……ッ!?)
 衝撃の大きさを物語る地面の亀裂がジークの足元を中心に広がっていた。ヴァハロの一撃
は更にその余波ですら一緒に居た筈のサフレらを押し除け、体勢を崩させている。
 真下から受け止めるのは、無理だと思った。
 ジークは軋む身体に無茶を打ち、何とかこの男の一撃を流そうとする。金属同士の火花を
散らしながら、二刀の位置をぎりぎりっと後方へ。
 刹那、相手のパワーに押される形でジークの身体は猛スピードで吹き飛ばされていた。
 つい先程まで立っていた地面を手斧が深く穿ち、破壊する。轟音と土煙が舞う。そのさま
を急速に遠くなる視覚に映しながら、ジークは遥か後方の宿の壁に射出された弾丸よろしく
めり込んでいく。
「ガぁッ……!!」
 この間、実際の時間にしてほんの数細刻(セークロ)。ジークの目が刹那焦点を失い、喉
奥から勢いよく血が吐き出される。
 サフレ達は、一瞬何が起こったのか分からなかった。
 ただヴァハロが飛び降りて来た次の瞬間には、ジークは弾き飛ばされ、宿屋の壁に大穴を
開けて倒れ込んでいた。
「ジーク!!」
 仲間達の顔から血の気が引く。急いで駆け寄ろうとする。
 だがその時には既に、住人らが飢えたゾンビのように三人を囲み、襲い掛かっていた。
 いくら操られているとはいえ、元は一般市民だ。サフレは苦虫を噛み潰したような表情で
槍の石突を先端に持ち替え、次々に振り下ろされてくる鍬や鉈を受け止めてはいなし、彼ら
の腹を突いては押しのけてマルタやリュカを庇う。
「……なに単騎特攻してんの、あの脳筋」
「ははは。まぁいいじゃん。あたし達の中じゃダントツに強いんだし」
 高みの屋根に残った三人の使徒は、そんな様子をまるで他人事のように眺めていた。
 包帯女がにこにこと、場にそぐわぬ朗らかさで笑う。そんな彼女に少年は端末を弄りなが
らヴァハロの背中へと半眼を送り、クロムはじっと眼下の戦況に黙している。
「ぅ、あ……」
 自身を弾丸にして壁をぶち抜き、ジークはぐったりと瓦礫の中で仰向けになっていた。
 先程からずっと身体の至る所で真っ赤な警報が鳴り続けている。これ以上気を抜けばすぐ
にでも意識がブラックアウトしてしまいそうだ。崩れた壁の向こうから差し込む月明かりと
血だらけの手の感触を頼りに、ジークは懐の短刀を一本──金菫を抜く。
(む……? 魔導の気配)
 次の瞬間、ヴァハロには瓦礫の中から金色の光が広がるのが見えた。
 手斧手槍を握ったまま、ゆっくりと近付いていた足を止める。よく目を凝らしてみれば、
ジークは何故か自身の腹に短刀を差して深呼吸をしているらしい。揺らめくその柄先の糸房
は赤い霧を吐き出しているようにも見える。
「……ふむ。やはり妙な得物よの。それも護皇六華の一つか」
 ヴァハロが興味深そうに言ったが、ジークは答えなかった。急ごしらえに治癒を済ませ、
抜き取った金菫を再び鞘に収める。
 だがそれでもダメージは完全には消えていない。だいぶ楽にはなったが、痛みなのかまさ
か恐れなのか、まだ身体は震えている。
(端っから出し惜しみの効く相手じゃねぇ……。全力でぶつかるしか……)
 その震える脚を、ジークは無理やり掌で押さえ込んだ。
 吹き飛ばされた衝撃で転がった愛刀らを拾い上げ、ゆっくりと再び腰を落として構える。
 一度縮込ませた身体。そのバネを利用して、ジークは強く地面を蹴った。
 同時に両手の紅梅・蒼桜にマナを込めて能力(ちから)を解放、赤と青の軌跡がぐんっと
仁王立ちしていたヴァハロへと迫る。
 だがそんなジークの必死の攻撃にも、彼は悠々と落ち着き払っていた。
 初撃をひょいと持ち上げた手斧の刃で受け止め、ジークの身体ごといなしてみせると、即
座に飛んでくるのはもう片手に握る手槍。ぐらついた姿勢ながらもジークは蒼桜の刃でその
一撃をいなさせ火花を散らして後退、再び両脚を踏ん張って彼に斬り掛かっていく。
 ──そのさまは、まるでヴァハロを軸とした舞のようだった。
 赤と青の軌跡が何度も宙に弧を描く。縦に横に、或いは抉るように斜め奥行きを伴って。
 しかし対するヴァハロは、最初立った場所から殆ど動いていなかった。
 重い手斧はジークからの攻撃を悉く受け止め、右へ左へと押し遣る。そのぐらついた隙を
今度は手槍の切っ先が狙う。
「つぅ……ッ!」
 自若なこの竜族(ドラグネス)の男。
 一見するとパワー任せの重戦士にも見えるが、それは浅はかな考えだとジークは思い知ら
されていた。
 彼は、力の硬軟を自在に使い分けていた。
 強撃を与えるのは手斧。だがその大振りだけでは速度重視の相手には対応し切れない。故
に斧を振るった軌道、それらが描く隙間を縫うように手槍が入り込む。一見モーションが大
きいようで、緻密に誘導されたその武器捌き。
(こいつ……とんでもなく、出来る)
 何度目かの手槍を何とかしのぎ、ジークは確信を持って、弾かれた身体を彼の間合い寸前
に押し留めていた。
「ふむ……。妙だな、こんなものか? お主、ジーヴァとやり合ったのだろう? 我の一撃
目すら耐え切れぬとは思えんが……」
「……何かすげー勘違いしてる気がするんだが。確かに皇国(トナン)で俺はあの白髪達と
戦ったさ。でも実際に連中の攻撃を捌いてくれてたのは、剣聖(リオ)だっての」
「むう? そうなのか。七星の……。道理で“軽い”筈だ」
 おそらくヴァハロ自身に悪意はなかったのだろう。
 だが彼が発した言葉に、一人勝手に納得したようなその舐め切った態度に、ジークは無意
識の内に苛立ちの気色を漏らす。
 確かにあの時も、奴らに歯が立ったという感触は無い。だが、それでも──。
「……お主には雑念が多過ぎる。いや、背負ってくるものが雑多過ぎるというべきか……。
我も悩みを抱くヒトは嫌いではない。それだけ己が生と向き合っているのだからな」
 しかしヴァハロは、至極真面目な様子で続けていた。
 深く、ジークの眉間に皺が寄る。この男は左手の手槍を心持ち弄びながら言った。
「だがそれを戦いの場に持ち込まぬ方がよいぞ? 戦いとは即ち“死合い”──互いの心技
体と生命を賭けたぶつかり合いだ。そこに雑念を持ち出すなど無粋。何よりも得物の切れが
鈍る。みすみす死にに向かうようなものだ」
 寄った眉根がじりっと上がっていた。
 一方でヴァハロは言いながらも「まぁ我の場合、そう簡単に死ねない身に為っておるが」
と、冗談のつもりらしくそんなフレーズを付け加える。……全くもって、笑えない。
 だが……当たっている。実際、この夜も今までの旅路を思い返していた。
 まさかとは思うがこの男、剣を交えただけでそんな事まで嗅ぎ取れるとでもいうのか。
「……事の正邪を武人が問わずともよい。理屈を捏ねて遊ぶは学者や役人の仕事ぞ。我らは
ただ一念に得物へと持てる力を込めるのみだ」
 しかし、そんな詮索はすぐにふつと沸いた感情が押し流していた。激情が、握り締めた二
刀に更なる握力を込めさせる。
「……じゃあ、てめぇは一体何の為に戦ってる? 人殺しの結社(テロそしき)に所属して
まで何で戦う?」
「無論、求道だ。死力を尽くし、より強きものを乗り越えて更なる高みを登る──武の道に
それ以外の何がある? それに“結社”には我が主君もおるからな。忠節もまた一つだ」
 やはりか──。ジークは歯を噛み締めた。
 こいつは、戦闘狂だ。戦いが引き摺り込む人々の苦しみや嘆き、憎悪の連鎖というものを
まるで意に介していない。
「ふざけるなっ! 戦いは娯楽なんかじゃねぇッ!!」
 気付いた時には叫んでいた。
「娯楽なんかじゃ、ねぇ……」
 脳裏にフラッシュバックするのは、幼い日々。
 世界を知らず、村の皆の温もりに甘えていた日々。そして……自分の所為で失った生命。
 戦いとは、必要に迫られて取った剣だった。
 取らねば奪われてしまうから、奪ってきたのだ。必要なんだと、自分に言い聞かせて。
「……お前らだ。お前らみたいな奴がいるから、お前らみたいな他人の命をゴミ屑みたいに
扱うような奴らがいるから、争いがなくならないんだッ!!」
 ジークは地面を蹴っていた。赤と青、二刀の輝きが強さを増す。
 叫びと共に刃を振り下ろしていた。するとその一撃を、ヴァハロは初めて手斧と手槍の両
方で受け止める。
 マナを纏った力同士の衝突が辺りをざわめかせた。
 その構図は一見すると、ヴァハロが最初ジークに浴びせた一撃とよく似ている。
「……言った筈だがな。武人が説く正邪など意味は無い。それは単に勝ち残った者の言葉に
過ぎんのだぞ?」
 しかし根本的に違っていたのは、そのヴァハロ本人が涼しい様子でジークの怒りと斬撃を
受けて止めていた事で……。
 程なくして、手斧と手槍がジークと二刀を弾き飛ばす。
「だが──嫌いではないな。これは、良い一撃だ」
 それでも彼は得物を手繰り寄せ、握り直しながら笑っていた。

(拙いな……)
 ジークの怒声と姿をサフレは視界の向こうに捉えていた。
 眉間に皺を寄せ、熟考。一方でその間も彼は槍の石突を使い、四方八方から襲い掛かって
くる村人(あやつりにんぎょう)達を押し留めては払い除けていく。
 分断されたから、だけではない。
 押し寄せる村人達の呻き声と物理的な距離でよく聞き取れなかったが、またジークは激情
を刺激されたらしい。
 情熱を抱くことは嫌いじゃない。否定しない。
 だが彼のそれは……同時に大きな弱点でもあるとサフレは思っていた。
 彼は吐き違えている節がある。痛みを知ったからこそ、誰よりも“正しく”在ろうと。
 ……違うのだ。事情は団員達から断片的に聞いたことしかないので推測が混じるが、少な
くとも自分達が向き合っている“現在(いま)”は彼が傷を負った“当時”ではない。
 だから自分はそのつもりで言ったのだ。──『敵』に情を掛ければ死ぬぞ、と。
(まさか、何日もしない内にその敵が現れるとは思わなかったが……)
 襲撃が来るのは承知の上だったが、サフレはぎゅっと唇を一文字に結んでいた。
 背後では障壁を張るリュカがマルタと共に村人達からの攻撃に耐えている。サフレは石突
を更に伸ばして長くし、一層彼らを払い除けるべく立ち回った。
 何とか、感情的になっている彼(ジーク)に加勢を。
 そう思っても、しつこく迫ってくる住人達が邪魔をする。かといって彼らを傷付ける訳に
はいかない。良心の呵責も勿論だが、何より安易に市民を犠牲にしようものならジークの立
場は今以上に悪くなる筈だ。
 ……尤もこの躊躇いも、十中八九奴らの計算の内なのだろうが。
(やはり元を断たないと埒が明かない、か……)
 思考はやがてループし、視線が何度目かの夜空を仰ぐ。
 サフレの視線の先、集会場と思しき屋根の上に奴らはいた。
 住人達を操っているらしい魔人(メア)の少年にあちこちが包帯だらけの女、そしてつい
先日“嘆きの端”で出会った僧侶風の男・クロム。
 三人は余裕綽々──クロムだけは何か考え事をしているのか、或いはあれが地なのか気難
しい表情を浮かべたままだったが──といった様子でこちらを見下ろしており、サフレは否
応なくそのさまに苛立ちを募らせる。
「リュカさん、マルタ、このままじゃ彼らに潰されます。一旦、高い場所へ飛びますよ」
「そうね……分かったわ」
「ですがマスター、飛ぶって……?」
 被造人(オートマタ)な従者の少女が小首を傾げる問い掛けに、サフレは肩越しに小さく
しかし力強く頷きだけを返していた。
 すると正面に向き直ったと同時、彼は「でいっ!」という気合の一閃で住人らを円状に大
きく弾き飛ばすと、逆手にしていた槍を順手に持ち直して心持ち腰を落とす。
 障壁越しに二人が見遣る中、サフレは槍先を中空に向けて意識を集中させ始めた。
「一繋ぎの槍(パイルドランス)──」
 するとその魔導の槍に起こったのは、変化。
 一言でいえば、縮んでいた。まるでぎゅっと柄先から押し潰したように彼の主装はバネが
縮こまるさまよろしく一気にミニサイズに為っていく。
「改(スプリング)!」
 そして次の瞬間、サフレの身体が猛烈な速さで跳んでいた。
 一度はぎゅうぎゅうに縮んだ槍。それが今度は一気に元の長さに戻り、その反動が彼を槍
ごと空中に射出したのである。
 ──それは、この旅が始まってからサフレがずっと思案していたこと。その結実だった。
 リュカの空間結界の中で六華の修行を繰り返すジーク。その鍛錬にサフレもまたフォロー
役として同席する中で思ったこと。
『これは二人共に言える事なんだけど、貴方達はまだまだ“性能(じゅつしき)に使われて
いる”印象があるのよねぇ……』
 あの時、リュカ──魔導の専門家がふと口にした言葉。
 それ聞いてからサフレはずっと、密かに思案していた。
 ジーク(とうじしゃ)だけじゃない。
 自分達もまたもっと強くならなければ、この先の旅路はより一層の苦難が待ち構えている
筈だ。その為にも、自分は今までの戦闘スタイルを見直す必要がある。
 それがこの改良型の一繋ぎの槍(パイルドランス)だった。
 備える特性は伸縮自在。だが今まではただ伸ばして突くという使い方ばかりをしていたよ
うに思う。ならいっそ、今度は逆に縮めてみてはどうだろうと考えたのだ。
「──ッ!? 避けろ!」
 槍ごと突撃してくるサフレに、三人は咄嗟にその場から大きく飛び退いていた。
 だが予想外の一手に反応が遅れたこともある。彼の切っ先は、その交差の最中、包帯女の
右肩をザクリと抉ったのだ。
 ストッパー代わりに石突を屋根に突き立て、ブレーキを掛ける。
 バリバリッと石材が剥がれる音を撒き散らしながら、サフレはやがて三人と交差した格好
でようやくその突撃を停止する。
 リュカとマルタが「やった!」と言わんばかりに驚き、ぐっと拳を握っていた。
 思えばこれまで“結社”の魔人(メア)には実質の連敗続き。一矢報いた感はサフレは勿
論の事、彼女達もまた共有していたのだろう。
「……ふふ」
 だがそれは、すぐにぬか喜びだと知らしめさせられることになる。
「駄目じゃない坊や。そんな激しくしちゃ」
 右肩を抉られたにも拘わらず、包帯女は何故か余裕の表情だった。
 むしろ彼女は、妙に艶っぽい声色で呟くと、
「……溢れちゃう」
「ッ!?」
 はらりと傷口付近の包帯を解き──そこから大量の“蟲”を解き放つ。
 サフレはあまりのおぞましさに顔を引き攣らせていた。
 まるで彼女の意思に操られるかのように、その身体から溢れ出す蟲──型の魔獣達。
 巨大百足や棘だらけの蜂、三つ首のゴキブリなど。その群れは生理的嫌悪感すらも越える
悪寒をもたらし──。
「盟約の下、我に示せ──風霊の剃刃(エギルシェイバー)!」
 その時だった。咄嗟に楯なる外衣(リフレスカーフ)を広げようとしたサフレの眼前を、
巨大な鉈を思わせる風の刃が通り過ぎていったのだ。
 即ちそれは、サフレに襲い掛かろうとしていた蟲系魔獣の群れを一刀両断に粉砕する結果
を引き寄せ、無残にバラバラにされた魔性の身体達は無数の叫びを上げながら次々に地面へ
と墜ちていく。
「大丈夫、サフレ君?」
「……はい、何とか。すみません」
 見ればリュカは蟲の大軍に真っ青になっているマルタの手を取り、足に風を──空中移動
の魔導を纏ってこちらへ飛来してくる所だった。
 改めて彼女達と屋根の上で合流を果たし、サフレは再びこの魔性の三人組を睨み直す。
「お前……魔獣人(キメラ)か」
「そうだよ。あたしは“蟲繰”のアヴリル。宜しくね? 坊や」
 言って、包帯女ことアヴリルは笑ってみせた。
 元は中々美人だったのかもしれない。だが全身に巻いた包帯とやつれ気味の体躯、何より
もぼたぼたと滴る血の中から現在進行形で生まれている“蟲”達が、間違いなくその全てを
台無しにしていた。
「……ヘイト」
「ん?」
「……やはり止めぬか? 市民を傀儡にするのは」
 その一方で、彼女のより後ろへ着地していたクロムと端末を弄る少年・ヘイトはそんなや
り取りを交わしていた。
「何言ってんのさ。人形達だと、あいつら容赦せずに壊すだろ? 僕らは任務の途中でレノ
ヴィン達を見つけたんだ。この後に支障を来たすのはごめんだね。何よりもあいつらに対し
てこれほど効果的なプレッシャーは無いよ」
 静かに、クロムは村人(あやつりにんぎょう)達について苦言を呈してみる。だがむしろ
ヘイトはこの状況(もてあそび)に嬉々としているようだ。
「……」
 他人の辛苦に愉悦を見ている──。
 眼下で飛び散った魔獣の血に灼かれる村人らのもがく様を、アヴリルと対峙するサフレら
の姿をそれぞれ見遣って、クロムは改めてこの同僚“使徒”とはそりが合わないと思った。

「はははっ! どうした? あの一撃は偶々か?」
 苦痛で歪む視界の向こうで、サフレ達が残り三人と交錯したのが見えた。
 操られている人達を何とかしねぇと……。だが今やジークにそんな余裕は微塵も無い。
 周囲の木々や家屋を巻き込みながら、ヴァハロの猛攻が続いていた。
 強烈過ぎる手斧の一撃、その大振りを埋める巧みな手槍の刺突。ジークは六華を解放した
状態でありながら、ひたすら防戦一方に押し遣られている。
「温い……。お主は六華(えもの)で着飾っておるだけか? 雑念ばかり背負った所でその
太刀筋は鈍るだけだというに……」
 惜しいのう──。
 ヴァハロは何度目かの手槍を払い、ジークの必死の反撃すらも易々と弾いてみせた。
 その一振りすら受け止め切れず、ジークは勢いのまま大きく後退、両足を踏ん張ると何と
か倒れることだけはせずに大きく間合いを開けて踏み止まる。
「まだまだ経験が足りんとはいえ、我の攻撃をここまで耐えるとは大したものよ。反応速度
も悪くない。きっと腕の立つ武人になろうものを……」
「……やかましい。てめぇにあれこそ言われる義理なんざねぇっての」
「その強情、か……。惜しいのう、我の部下であればみっちりと鍛えてやったのに」
 六華を使い続けてマナもかなり消耗している。身体も既に限界を越えて悲鳴の嵐だった。
 しかしそれでも、ジークは立っていた。
 負けられない。ここで倒れれば、リュカ姉達やこの村の人々を見殺しにすることになる。
「んなもん、死んでもごめんだ!」
 身体に鞭を打ち、ジークは再び地面を蹴っていた。
 赤と青の軌跡が同じ曲線を描く。しかし手斧がそれを防ぎ、続けざまに放たれた左右から
の交錯にも動じない。
 ヴァハロはこの攻撃に敢えて弾き飛ばすことはせず、実に嬉しそうに笑いながらこの鬼気
迫る少年を見遣っている。
「……そうだったな。確かお主らは戦鬼(ヴェルセーク)を追っているのだったか。流石に
仇敵の軍門に下らぬ程の誇りは持っておる、か……」
 そしてスッと目を細めて呟いた彼の言葉に、ジークは思わず目を見開く。
「お前、知ってるのか!? 何処だ! あいつは──父さんは何処にいるっ!?」
「父(とう)……? そうか。だが生憎、我は知らんよ。あいつはルギスの新しい人形だか
らのう。捜すのであれば奴に直接当たればよい」
 応えながら一方で「尤も、此処で我が潰してしまうがな」と笑い、ヴァハロは再び手斧を
振ってジークを弾き飛ばしていた。
 強く強く、ジークは歯を食い縛って表情を歪めた。
 お前達だ──。お前達が、父さんを皆を、乱して壊して傷付ける。
 着地する数拍前、ジークの視界には迫るヴァハロと、その後方の屋根にいるヘイトらの姿
が映っていた。
「ぬんッ!」
 蒼桜の“飛ぶ斬撃”を放ったのは、思考よりも感情に任せての判断だった。
 左手に握った太刀を体勢が崩れるほどに振り抜けば、ヴァハロに向かって飛んでいくのは
青い斬撃。彼はジークが撃ってきたその一発にほんの一瞬だけ驚きつつも、サッと半身を捻
って回避してくる。
「──ッ!?」
 そうなると、飛ぶ斬撃が向かっていくのはより遠方の中空──ヘイトらだった。
 ちょうど眼下で蠢く村人(あやつりにんぎょう)達を操作し、サフレらがこれ以上動き回
れないように動かしていた最中だった彼は、思わず端末を握ったまま硬直する。
 だが……青く爆ぜた月形のエネルギーはヘイトを穿つことはなかった。
「……」
 濛と上がった土埃。
 するとそこに立っていたのは、両腕が巨大な石版のように硬化していたクロムの姿で。
「なるほど。これが護皇六華の力か」
 ジークがヴァハロが、そして庇われる形になったヘイトが、それぞれに彼を見ていた。
 両手を交差させて衝撃に耐えたクロムはゆっくりと落としていた腰を上げる。その動作に
合わせて、バラバラと大きくヒビを刻んだ硬化盾から破片が落ちてゆく。
「事前に来ると分かれば、私でも防げない事はない……か」
 “嘆きの端”でセカイを嘆いていた僧侶は、呟いてからじっとジークを見下ろしていた。
 振り抜いた太刀をゆっくりと構えに戻す。ジークもまた、じっと遠く頭上の彼を見る。
「おいこらヴァハロ、こっちに飛び火させるんじゃねーよ!」
「おう、すまんすまん。そっちにおったか」
 一方でヘイトはクロムに礼の一つすら言わず、代わりにヴァハロへとそんな怒声を降らせ
ていた。しかしそれでも当の竜の戦士は笑っており、相変わらずの余裕綽々。
「……すまぬな。我もつい舐めた真似をしておったのう。仲間の気遣う余力がお主にもあっ
たとは。これは失敬」
 だがそれも束の間、彼は次の瞬間、何処かフッと真剣な──先程までとは明らかに異質な
殺気を纏わせ、ジークに向き直ってくる。
「もう少し調子(ギア)を上げよう」
 一瞬だった。刹那、ヴァハロの姿が不意に霞む。
「ガッ……!?」
 本能的にジークは二刀を前面にしていたが、それでも叩き付けられた衝撃は収まることを
知らなかった。
 ヴァハロが言ったと共に攻撃を再開した。
 そう脳味噌が理解に至るまで、数拍。
 しかしその間も、彼の攻撃速度はみるみる内に上がっていく。一撃一撃が今まで以上に暗
くそして重い。
「あ、が……ッ!?」
 ジークはようやく悟った。彼は──まだ手を抜いてくれていたのだと。
 敵味方関係なく伸びしろのある後輩を慈しむ眼。
 だがそれらは、今やいち武人として“敵”を打ち負かすことに意識をシフトさせた猛将の
それへと変貌を遂げている。
(めっ、滅茶苦茶──)
 まるで為す術がなかった。
 自分では防御している筈なのに、怒涛の勢いで身体中に斬撃や刺突の傷が、ダメージが蓄
積されていく。振るわれる衝撃、その一割すらも自分の二刀は和らげていない。
 視界一杯にヴァハロの姿が映っていた。
 手斧を振り下ろす丸太のような腕。全身に滾っているマナの奔流。
 その肩越しに遠く、サフレ達もまた包帯女と村人らに追い詰められているのが見えた。
 あれは、蟲……? 魔獣らしき大軍が彼女を中心に渦巻き、障壁の内側に篭城した三人を
今にも呑み込もうとしている。
(……俺は、また)
 また、大事な人達を喪ってしまうのか?
 そして全身を隈なく覆い始める絶望感と脱力感。
 ジークはフゥッと、その黒い渦に飲み込まれそうになり──。
「ぬッ……!?」
 そんな闇が降り始めようとしていたジークを引っ張り出したのは、すぐ至近距離で聞こえ
てきた鋭い金属音だった。
 ハッと我に返り目を見開いてみれば、ヴァハロが突然割り込んできた鈍色の何か──長い
長い金属の鞭を手斧・手槍で防御している。
 ジーク達が“第三者”に気付いたのは、ちょうどそんな時だった。
 はたと周囲を見渡してみれば、夜闇に紛れて全く別の軍勢が自分達を包囲している。その
数も“結社”達に比べれば圧倒的に多い、そう直感が告げてくる。
「……お主らは」
 ヴァハロが金属の鞭を弾き返し、その得物はギュンッと闇の中に消えてゆく。
 屋根の上で攻防していたサフレ達も、眼下で突然現れた軍勢らが暴れる村人らを次々に当
て身して気絶させていくのを見、唖然としている。
「やあ。結社・楽園(エデン)の眼の諸君」
 ジーク達がヴァハロ達が、月明かりの下に目を凝らしたその先には。
「それと初めまして。ジーク皇子御一行?」
 ずらりと並ぶ大軍を引き連れた、長いマントと鍔広帽子を纏った男性が立っていて。


 その男は蟲人族(インセクト・レイス)だった。
 帽子と前髪に隠れかけてはいるが、目元には複眼を連想させるように小粒の器官が点在し
ており、上半身を包むマントの下からは三対のふくらみ──六本腕を確認できる。共にこの
昆虫系亜人の特徴だ。
 村の外周をぐるりと囲むのは、従えられた大規模な傭兵達(ぐんぜい)。
 にも拘わらず、彼は一見すると場にそぐわないにこやかな表情を浮かべている。
「……セロディアス・ギラファード」
「えっ」
 そんな沈黙がたっぷりと十数秒は続いただろうか。武器こそ手に垂らしていたが油断なく
彼を見遣るヴァハロが口にしたその名に、ジークは短く声を漏らして目を丸くした。
「あんたが“万装”のセロか……」
 七星連合(レギオン)の顔たる七人・七星。その内の一人が今ここにいる。
 まだ身体中がダメージによる悲鳴を上げていたが、ジークは剣を杖代わりに地面に刺して
踏ん張り、この新たな第三者らを窺う。
 この男セロは帽子の頭をちょいっと掌で包みながら、変わらず飄々とした様子で言った。
「随分と好き勝手に暴れてくれたじゃないか。南方(こっち)は僕らの縄張りだと知っての
ことかい?」
 心持ちセロ傘下の傭兵達が包囲網を狭めて来た気がした。
 ヴァハロに向けられたものは勿論、操り人形にされた村人らを昏倒させた切り込み部隊は
サフレやクロム達の上っている家屋を取り囲み、セロの合図一つで一斉射撃を行える体勢を
整えている。
(これは助けが来た、という事でいいのか……?)
 ジークは肩で息を整えながら、この状況を何とか把握しようとしていた。
 “万装”率いる軍勢が村を取り囲んだ。少なくともヴァハロらを止める目的があるものと
考えていい。
 だが……自分達はどうなのだろう?
 皇国(トナン)の一件で七星らに借りはあるが、彼らも冒険者──傭兵だ。基本的に自分
達の利害に関わらない限りは、頼まれてもいない干渉はしないのがこの業界の不文律だ。
 ただ真っ先に村人らを封じた所をみると、すぐさま縄張りが故の“喧嘩両成敗”を行う気
はないのだろうとも思った。連中の戦力を減らす為か、自分達を助ける為か。少なくとも今
の状態で断定するのは早計だろう。
 それに、どうにもこの男からは──。
「悪い事は言わない。すぐにここから立ち去れ」
 表情は相変わらずのまま、しかし声色はぴしゃりと宣告するようにセロは言った。
 そんな彼の視線の先──ヴァハロら“結社”の面々は、細めながらもその眼光を静かに鋭
く研ぎ澄ます。
「……見逃すと? 我らはお主らにとっては上玉の首であろうと思うが?」
「だろうね。でも僕は安全マージン外の仕事は願い下げな主義でね。他の連中はともかく、
数をぶつけても損害ばかりになるような化け物と嬉々として戦う趣味は持ってないさ。そも
そも、今回の仕事はお前達の討伐じゃないしね」
 セロは何を言っているんだと、あたかも自分達以外が異常であるかのような口ぶりで肩を
竦めていた。しかしその間も傘下の傭兵達は微動だにせず、変わらぬ臨戦態勢だ。
「まぁ戦いたいってなら受けて立つよ? その代わり、朝のニュースには“結社との交戦に
より村一つが壊滅”なんて字幕が踊るだろうねぇ」
「……ッ!?」
 今度はジーク達が眉を顰める番だった。サラリと、セロはそう言ってのける。
 それはつまり、ヴァハロ達の抵抗に遭えばこの場を血の海にしても構わないという意思に
他ならないではないか。
 しかもよく見てみれば、驚くジークにセロはちらりと目を遣り、微かに口角を吊り上げて
いる。明らかにこちらの動揺も見抜き、想定していた発言だと物語っている。
 ──やはりそうか。ジークは先程から胸奥を焼くような違和感にようやく確信を持った。
 これは、既視感(デジャヴ)だ。
 目的達成のためなら如何なる手段も躊躇しない、徹底的なまでの冷淡さ。その本性を覆い
隠すが為の、演技でしかない上辺だけの笑み。
 “結社”の面子にいたあの気障男の持つ雰囲気と、この男は似た性質を持っている……。
 理屈ではなく直感がそうジークに警告し、じりじりと脳内の音量を引き上げていた。
「舐められたもんだね。そんな脅しが僕らに通じるとでも──」
 最初に反発の意思をみせたのはヘイトだった。
 元より村人達(あやつりにんぎょう)は捨て駒のつもりなのだろう。彼はセロの言葉を鼻
で笑い、眼下で倒れたままの彼らを再び操ろうとする。
 だが……端末を操るその手を掴んだ者がいた。他ならぬ、すぐ傍にいたクロムである。
「……止めろ。任務外の殺生を看過する訳にはいかない」
「ばっ、何言ってんだお前!? 離せよっ、この……ッ!」
 同じく屋根の上にいたサフレ達の唖然を余所に、ヘイトはこの思わぬ邪魔に感情を露わに
していた。
 用意していた傀儡(てごま)、魔人(メア)の圧倒的力。
 それらで抹殺対象(ジークたち)をいたぶり、倒す筈だった計画が、気付けばはたと逆流
するように崩されていて。今はむしろ、嬲られつつあるのは彼のプライドの方で。
「でもさー。この数を相手にするのはしんどいかもよ?」
 そんな仲間二人をさして気にする様子もなく言うと、アヴリルは手で庇を作りながらぐる
りと眼下を見渡していた。
 先程からこちらをセロ配下の傭兵らがじっと取り囲み、狙っている。
 蟲達をけしかければ何とかなるかもしれない。だがあっちの坊や達はその動きを見逃さな
いだろう。……心持ちはあくまでもマイペースだが、仕掛けるのが得策とは思えない。
「……ふむ。そうだな、退くか」
「なっ!?」
 同じ事を──ここで七星の大軍とぶつかるデメリットを考えていたのだろうか、彼女の言
葉にヴァハロもまた賛成の意を示した。
 短く声を漏らしたのはヘイトだ。尚もクロムの大きな手に端末ごと腕を掴まれたまま、彼
は表情を歪めて叫ぶ。
「何言ってんだよ、お前がもう一・二発入れればレノヴィンを殺れるじゃねーか! ここま
で来て逃げるってのかよ!」
「落ち着け。今の兵力で七星とぶつかる気か? 武人とは引き際も潔くあるものだ。お前も
皇国(トナン)での反抗のさまは聞き及んでおるだろう?」
 だがそれでも、ヴァハロは屋根の上のヘイトに一瞥を寄越しながら言うだけだった。
 竜将の一声。ジークを寸前まで追い詰めた武力は、同時に彼ら四人の中でも強い発言力も
兼ねているらしい。ギリッと歯を食い縛って悔しがり、ヘイトはようやくクロムから自身の
腕を引き剥がすと舌打ちをした。
 そんな様子を、セロは鍔広帽子に片手をやったままじっと微笑みを作って窺っている。
「……命拾いしたのう。ジーク・レノヴィン」
 最後の最後まで得物はそのままに、ヴァハロはゆっくりと踵を返しながら未だ呼吸の荒い
ジークに向かって言い残す。
「次に会う時はもっと強くなってくるがよい。それまでにその迷い、しかと向き合い己が刃
を研ぎ澄ます力とせよ。さもなくば……遅かれ早かれ、死ぬぞ?」
 黙したまま、ジークの両の瞳が大きく揺らいでいた。
 ヴァハロは肩越しにそんな若き剣士の反応を見るとフッと笑って鎧を鳴らし、どす黒い靄
と共に空間転移を始める。屋根の上のヘイト達残り三人も同じくだ。
 セロと大軍、分断されたジーク達が見つめる中、彼ら四人はやがて跡形も無く消えた。
「──ぁ、ぐっ……」
 不意にジークは身体から力が抜けるのを感じ、思わずその場に膝をついていた。連中が姿
を消し、ようやく緊張から解放された所為だろう。どさりと斜めから仰向けに倒れ込んだ身
体の痛み(ダメージ)は再び激しく、悲鳴を上げてはのたうち回る。
「ジーク!」
 すぐにリュカの飛行魔導と共に、上空からサフレ達が駆けつけて来た。
 視界から覗き込んでくる、仲間達三人の顔。ぼうっと、ジークは荒い呼吸と格闘しながら
ゆっくり視線を彼らのいた家屋に向ける。
 あちこちに操られていた村人達がぐったりと気絶していた。洗脳が解けたのだろうか。傭
兵達も得物の柄で軽く突付いてみたりと、念を入れて用心しているようだ。
「おい、大丈夫か?」「し、しっかりして下さい!」
「ごめんなさい。こんなになるまで……」
「……いいんだよ」
 お前らが無事なら、それで。
 そこまで意識には浮かんでいたのに、ジークは口には出せなかった。
 心配してくれているのに、自分はどうでもいいなんて言い草は……流石に配慮に欠ける。
何よりあの男にボロボロにされた身体では、長く言葉を紡げない。
「随分と手酷くやられたねぇ。おい、救護班──」
「それには、及ばねぇよ」
 次いでゆっくりと歩み寄ってくるセロの言葉と部下に遣ろうとした視線を、ジークは咄嗟
に搾り出した声で遮っていた。
 力が入り切らない手で腰から金菫を抜き、発動させる。
 二度目の金色の輝きと共に自らその刃を腹に刺し、柄先の糸房から吐き出される血色の塵
と共に応急処置的な回復を自身に施す。
 セロは「ほう……これが六華か」と言わんばかりにそっと視線を戻すと、暫しそのさまを
眺めていた。やがて金色が収まりジークが再び金霞を鞘に戻す頃には、配下の傭兵らもじり
じりっと、今度はジーク達四人を囲む格好になっている。
「……。一応礼は言っとくよ。助かった」
「何、気にすることはない。これも仕事の内だ」
 正直上から目線で癪だったが、ジークは形ばかりながら礼を述べておいた。それでもこう
した態度すら想定内だったのだろうか、セロは何が面白いのかフッと今度は分かり易く口角
を上げて笑ってみせる。
「ヨゼフ翁に頼まれちゃったからねえ……。縄張りなんだからお前がやれって」
「……ヨゼフ?」
「ライネルト事務総長の事だな。所属組織のトップぐらい覚えておけ」
 ぽつんと浮かんだ疑問符にサフレが応えてくれたが、当のジークは既に別のことに思考が
移りつつあった。
 相手は七星の一人。トナン内乱の際、助力してくれた七星の残りメンバーの一人──。
「なぁ、一つ訊いていいか?」
「何だい?」
「……どうしてあんたは皇国(トナン)の時、来なかった? 後で聞いたことだが、あの時
は七星全員が召集されたんだろ?」
「ああ……。なんだ、そっちか」
 ジークはそう疑問をぶつけたが、対する当のセロはさして悪びれる様子もなかった。
 油断ならない微笑みと細目や小粒器官から注がれる眼差しが、仰向けのまま未だ動けない
ジークを観ている。
「必要性を感じなかったからね。皇国(トナン)は“剣聖”の故郷だし、東方は“海皇”の
縄張りだ。真面目君な“青龍公”も加われば、国一つ落とすのに僕らが出る幕はない」
 実際に“仏”や“獅子王”も加わったのはちょっと予想外だったけどね。
 言いながら、セロはしれっと笑っていた。
 サフレ達はその態度に唖然とし、ジークは深く眉根を寄せて彼を睨み始めている。
「むしろ君達は感謝すべき所だよ? 七星の内五人もが力を貸した。そもそも全員召集と言
われても大抵皆自分のクラン運営を優先するんだ。こっちはレギオンに名前を貸してやって
いるんだから。……君達は、たまたま運が良かっただけなんだよ?」
 明らかにこちらを哂っている本性が透けて見える。だがジーク達は彼の言葉に有効な反論
の術を持ちえなかった。
 少なくとも彼の語っている七星──この業界の者らの優先順位の感覚は事実なのだ。
 元よりクランとは、競合他者に対しコンスタントに依頼を競り取る為の集まりである。基
本理念はあくまで自分達の利益の為……である。
 身内の剣聖(リオ)はともかく、あの時の残り四人の七星も、何もボランティアで国一つ
を落としたのではない。それはジーク達もはっきりと知っている所だ。間違いなく、彼らの
助力なくしてあの逆転劇は成し得なかった。
 四人が黙り込む。セロがフッとまた静かに笑う。
 彼はくいと帽子の唾を持ち上げ、ゆっくりと踵を返し始めた。
「さて……これからが本題だ。君達を保護させて貰う。僕らについてきたまえ」
「保護?」
「……一体、俺達を何処に連れて行こうってんだよ?」
 仲間達が顔を見合わせている。ジークもようやく身体の痛みが引き始め、のそりと身体を
起こし始める。
 セロは肩越しにそんな皇子一行を見遣ると、妙な含みを持たせながら言った。
「“風都エギルフィア”──この顕界(ちじょう)で最も世界樹(ユグドラシィル)に近い
街さ」


「──奴らが殺されてた?」
 すっかり更けた夜の病院の廊下で、ダンは訪れたハロルドからそんな報告を受けていた。
「ああ。つい半刻前、捜索隊が二人の遺体を見つけた。……写真を見せて貰ったが、酷いも
のだったよ。一人は全身を消し炭にされて焼死、もう一人は腰から上をもぎ取られて肉塊に
成り下がって滅茶苦茶だ。あれじゃあろくな手掛かりも残っていないだろうね」
「……。そうか」
 眼鏡の反射でハロルドの眼の色は窺えない。だが写真で惨状を見たからか、流石に表情は
不快や吐き気の類で芳しくはないようだ。
 何とも呆気ない、そして理不尽な最期だとダンは思った。
 娘を毒に蝕んだ張本人が見つかれば、すぐにでもこの手でぶちのめすつもりでいた。なの
にその当人は既にヒトの形すら成していないという。……内心の憤りを、何処にぶつければ
いいのか。
 それでも、ダンは拳をギシギシッと握りながら耐えた。平静を装った。
 幸い少し前に例の物(ブツ)が投与された。状態も落ち着いてきている。近い内にあの子
は目を覚ますだろう。
「捜索隊は解散したよ。シフォン達もホームに帰ってきた。今頃、皆に状況を説明している
と思う。残念だけど、あとはもう当局の管轄になってしまうだろうから」
「ああ……」
 廊下にそっと月明かりが差しては、また夜空の雲に隠され姿を消す。
 暫く二人はその場で黙り込んでいた。ダンは廊下の壁に背を預けて片手をぶらりと下げ、
ハロルドは眼鏡のブリッジを押えながら、この副団長の様子を窺っているかのようだ。
「……無力だな」
 たっぷりの間。先に口を開いたのは、ダンだった。
 ふぅと息を吐き、薄闇の天井を見上げる。
 結社(やつら)の報復行動自体は予想していた筈だ。なのに、こちらに──実の娘に被害
を残し、更には護るべきあの少年にも多大な負荷(ショック)を与えてしまった。
 情けない。結局皇国(トナン)でもこの街でも、自分達が発揮出来る力とはこんなものか
と思った。
「……やっぱ、口封じなんだろうな」
「十中八九そうだろう。アルス君抹殺に失敗した罰、もとい証拠隠滅といった所か」
 ハロルドがそっとブリッジに触れていた指先を離し、改めてダンを見据えていた。
 やはりそうなるよな……。
 テロ組織(れんちゅう)のやりそうな事ではあるが、ケースがケースだけにげんなりする
感情は拭えない。ダンは再度ゆっくり息を吐き、何とか気持ちを新たに持ち直そうとする。
「結局、連中については謎だらけなままだな……。少しでも情報があれば、ジーク達の助け
にもなるかと思ったんだが」
「そうでもないさ」
 だが次の瞬間、ハロルドの気色が変わった気がした。
 ダンは眉根を上げて彼を見遣る。見た目こそしんと立っているままだったが、こちらへ投
げ掛けてくる視線は知性を研ぎ澄ましたそれに変わっていた。
「ジーク君の父親探しには直接関係ないかもしれないが、今回の対峙でいくつか分かった事
ならある」
「……本当か?」
 ああ。ハロルドは頷き、一度眼鏡のブリッジを触る。そしてすぐに顔を起こし直すと、彼
はピッとその右手の指を三本、立ててみせる。
「大きく分けると三つだ。一つは言わずもがな“結社”が狙いを定めたのはジーク君だけで
はなく、アルス君──レノヴィン兄弟に向いているらしいということ。勿論、その周囲で警
護する私達も少なからず障害として認識されている筈だ」
 ダンは黙し、深く頷いていた。
 それは自分も薄々勘付いていたことでもある。アズサ皇の国葬の際、ジークがマスコミ越
しに発した宣戦布告。あれは連中の矛先を自身に向ける為のものだった筈だ。
 だがしかし、連中はその意図通りに挑発には乗らなかった。弟もろとも、奴らは自分達を
“敵”と見なしてきている。今回の一件はその発露だと考えて差し支えないだろう。
「二つ目。これは僕もあの場にいたから間違いない。執政館に現れた奴らは確かにこう言っ
たんだ。『トナン皇国第二皇子アルス・レノヴィン、及びその同調者達よ。教主様が大命の
下、貴様らを処刑(まっさつ)する。摂理への反逆(なんじらがつみ)、その命で以って贖
って貰おう』……ってね」
 一本、立てた指を折ってハロルドは続ける。
 そんな口上があったのか。ダンは頷きつつも眉根を顰めていた。
 確かにその発言があったのなら、既に奴らはジークもアルスも双方を標的にしていること
は間違いない。
「仰々しい口上だな。それが?」
「分からないかい? 奴らは“教主様が大命の下”私達を襲ったんだ」
「……教主?」 
 最初、ダンはすぐにピンとは来なかった。
 だがハロルドが微かにしたり顔を浮かべて再度口にすると、ダンはそれまで耳にした事の
なかったフレーズを記憶に焼き付けることになる。
「ああ。今まで“結社”について、私達はあまりにも知らなさ過ぎた。今回の当事者達抹殺
もきっと、これを含めた口封じなのだろう。いいかい、ダン? 敵の姿がここに来て見えた
と言っていいんだ。あの刺客は、ボロを出していたんだよ」
「じゃあ、その教主っていう奴が」
「おそらくは。肩書きなんだろうけど、奴らの親玉クラスと仮定していいと思う」
 更に言ってから、ハロルドはもう一本立てた指を折った。
「そして三つ目だ。今まで僕らの戦ってきた“結社”達を──その力量の違いを思い出して
欲しい。最初は黒衣のオートマタ兵、これは奴らの雑兵だろう。テロ組織の性質上、あれほ
ど使い勝手のいい駒はないだろうからね。次は今回襲ってきた連中やシフォンを攫ったあの
僧服の男だ。魔人(メア)ではないが、結社の軍門にある者達だ。今までの戦ってきた感触
からしてもおそらく中級クラス──平の構成員を率いる中間管理職といった所だろう」
「中級……。だったらサンフェルノや皇国(トナン)での奴らは──」
「間違いなく上級クラスだろう。もしかしたら件の教主に近い存在なのかもしれない。実力
は私達が実際に肌身に味わってきた通りだ。構成は全て魔人(メア)。今後とも間違いなく
最大の強敵となる層だと思われる」
 そこまで語られて、ダンもやっと彼の言いたい事が分かりつつあった。
 一介のテロ組織だと思っていた。だがとんでもない。奴らは──。
「整理するよ? つまり結社・楽園(エデン)の眼はその全メンバーがピラミッド構造を形
成している可能性が高い。オートマタ兵や平の構成員から始まり、中級クラス、そしてメア
達で固めた上級クラスへと。更にその頂点に教主と呼ばれる者がいる……」
 ダンの頭の中で、これまで曖昧模糊としていた“結社”のイメージが急速に形を成してい
くのが分かった。
 相手は──強大だ。
 秘匿された全景。その内部には厳然たる階級が力量の差と共に整えられている。
 ハロルドの語り曰く、その頂点に位置するのが“教主”。
 自分の娘(ミア)を、ジークやアルス達を、こんなにも苦しめておきながら高みの見物を
している張本人……。
「ダン、ミアちゃんが回復したら私達は急がないといけないよ。敵は相当な組織力を持って
いる。ただのゴロツキの集まりなんかじゃないんだ」
「ああ……。道理で統務院が何十年も潰せない筈だよ……」
 ハロルドと共に、ダンは苦虫を噛み潰したように表情を歪めた。
 漫然と護るだけでは、護れない。
 自分達に必要なことは、同様に組織力の強化。そして何より個々のレベルアップ。
「この話、まだイセルナ達には?」
「まだだよ。口封じされていた事は、先ず父親(きみ)に伝えるべきだろうと思ってね」
「……ありがとよ」
 ポツリと、ダンは言った。
 全く……このご意見番は恐ろしく知恵が回る。感情を表に出さない分、もしかしなくても
団長(イセルナ)より、敵に回せば厄介ではないだろうかとさえ思う。
「それだけ聞けりゃあ充分だ。お前は先にホームに戻って皆にこの事を伝えておいてくれ。
俺もミアが目を覚ましたらすぐに戻る」
「分かった。その時は連絡を宜しく」
 ハロルドとそんなやり取りを交わし、ややあってダンは彼と別れた。
 軽く片手を上げて踵を返し、カツンカツンと夜闇の廊下の奥へと消えてゆくこの仲間の背
中を、ダンは暫しの間見送る。
「……」
 離れた物陰に隠れてじっと聞き耳を立てた後、立ち去ってゆくリカルドの影に、ついぞ気
付くこともなく。

 始めは、身体のあちこちが錆び付くように動かなくなる感覚だった。
 だがそれよりも恐ろしく思えたのは、そんな四方八方からの違和感の波を追ってくるよう
にやって来た、暗い暗い黒塗りの闇だった。
 これが……死の気配なのか。
 漠然とだが、そう思った。だが不思議と泣き叫ぶような事はしなかった。
 もうその時には、声も含めて身体の自由が効かなかったからなのかもしれない。
『ど、どうしたんですか!? しっかりして下さい! ミアさん、ミアさんっ!!』
 でも、多分違う。きっと自分はホッとしていたんだろう。
 助けられて、よかった。
 彼を、護れたんだって──。

「…………んっ」
 ふと身体が軽くなった。温かい何かが心身の錆び付きを解いてくれたかのように。
 ミアは一度眉間に皺を寄せ、ゆっくりと目を覚ましていた。
 あの時とは逆に、身体中から錆び付く感触が撤退してゆくのが分かる。感覚全てを覆い隠
さんとしていた暗闇も、今は瞳にそっと差してくる月明かりが照らし、祓う。
(……。此処は……)
 背に敷かれた布団が丸められ、ちょっとしたリクライニング状態になっていた。
 ぼんやりとした意識の中、ミアはゆっくりと手元を確認する。
 鼻をつく消毒液の臭い、やけに静かな室内、そして何よりも腕から伝う点滴の感触とその
さま。どうやらここは病室であるらしい。
 自分は助かったのか?
 そうミアは何気なく視線を横にズラし……。
「──!?」
 そこに、すやすやと眠るアルスの姿を見た。
「……ッ!? ッ!?」
 瞬間、ぼんやりとしていた意識が沸騰したように覚醒する。
 何故なら彼は、ベッドの布団越しとはいえ自分の膝の上に両腕と顔を預けて──身を寄せ
て、静かな寝息を立てていたのだから。
 ……か、可愛い。あ、いや、そんな場合じゃ……!?
 想い人のあまりに無防備な寝顔。
 ぐるぐると、ミアの思考はほんの数秒の内にあちこちへぶつかるかのような混乱に陥って
しまう。
「やっほ。目、覚めたみたいだね」
 すると不意に聞き慣れた声がした。
 視線を上げる。月明かりの差す夜闇の中でも、淡く輝く翠色の精霊──エトナだ。
 そうだった。アルスがいるのだから、彼女だって当然の如くこの場にいる訳で……。
 見ればエトナは、少なからずニヤニヤした表情(かお)でこちらを窺っていた。ミアはぐ
らぐらとする瞳のままその視線に向き合う。ボッと、頬は既に真っ赤になって熱を帯びてい
るほどだ。
 ……間違いなく、先程の起き掛けの自分のリアクションは、全て彼女に見られてしまって
いるのだろう。
「ああ、目を覚ましたか。よかった……」
 そしてもう一人、ミアの目覚めに安堵の表情を浮かべてくれる者がいた。凛と、窓辺から
外の月夜を眺めていたリンファである。
 彼女とエトナの二人は、そっとアルスの左右に陣取るように近付いてきて、浮かんで、改
めてベッドの中に座っているミアと向き合う。
「……ボクは、どうなったの?」
「うん。それなんだけど」
「覚えていないか? アルス様を庇って負傷して……。実はその刃に毒が塗られていてね」
 ミアに、二人は順を追ってこれまでの経過を話してくれた。
 “結社”からの襲撃の中、ミアがアルスを身を挺して守ったこと。その際受けた毒によっ
て昏睡状態に陥ったこと。故にアルスは酷く気を病み、心配し、自ら解毒剤の材料を採取す
る為に忌避地(ダンジョン)に赴き──完成・投与されて今に至ること。
「アルス様もホッとされたのだろうな。見ての通り、疲れて眠ってしまった」
「大変だったんだよ? 途中ででっかい魔獣を起こしちゃったもんだから……」
 代わる代わるに語ってくれる二人。
 だがミアは、途中からその話も何処かぼんやりと遠くのものに感じられていた。
(アルスが……ボクの為に……)
 彼女にとって、何よりもその事実がドクンッと胸奥を突いて疼き始めていた。
 優しい彼のことだ、きっと罪悪感からの行動だったのだろう。だけど……それでも、自分
はこんなにも嬉しく思う。頬が、胸奥が熱い。心臓の鼓動がドクドクと強く脈打っている。
「そっか……」
 何と言えばいいのか分からず、結局ミアはただそう呟くことしかできなかった。
 ちらと疲れて眠ったままのアルスを見る。ほうっと、また頬が赤く熱を持つのがはっきり
と感じられる。
「……さて。少し待っていてくれ、ダンを呼んでくるよ。ちょっと前にハロルドが来て何や
ら話していたようだが……」
 エトナがニヤニヤと笑い、リンファが穏やかな微笑みを向けてくる。
 すると彼女はすっと身を返し、そう言って早速父親(ダン)を探しに部屋を出て行った。
 ドアがそっと開く。だが気のせいか、出て行く寸前にあらぬ方向を見ていたような──。
「……」
 そうミアが小さく怪訝を見せたのとほぼ同時、リンファと入れ替わるように病室に姿を見
せたのは、シンシアとゲドだった。
 入ってすぐに彼女は彼に「外で待っていなさい」と小声を。彼は相変わらず豪快というか
保護者然とした笑みで頷き、そっと身を退いてまた姿が見えなくなる。
「目が覚めたみたいね。ミア・マーフィ」
「……シンシア・エイルフィード」
 今度は緊迫気味のような。
 シンシアとミアは、互いに姿を認めるとその名を呼び合って暫し視線をぶつけていた。
「そんな眼で見ないで下さる? む、むしろ感謝なさい。解毒剤を実際に作ったのはうちの
キースなんですから」
 だが今夜は、シンシアは別段火花を散らす為に訪れた訳ではないらしい。
 ミアがぱちくりと目を瞬き、確認するようにエトナを見遣る。
「うん、そうだよ。取り寄せてる時間が惜しいってアルスが忌避地(ダンジョン)に行った
のも、元々はキースが解毒剤の作り方を知ってたからだし」
 補足説明を受け、ミアもまた乙女の警戒を解いたようだ。
 改めてシンシアを見遣り直す中、今度はエトナが問う。
「で、そのキースはどうしたの?」
「薬事課に残ってますわ。調合後の後片付けとか、あと病院のスタッフ達と話し込んでいる
みたいで。私には専門外だからよく分かりませんけど」
「ふぅん……」
 暫し、三人は会話が途切れて黙ってしまっていた。
 その間も月明かりは静かに病室を淡く照らしている。聞こえるのは外の虫の音や、未だに
起きる気配のないアルスの寝息ぐらいだ。
「……これで、今回の件はノーサイドですわよ?」
 やがてシンシアがそう、視線を逸らし気味に口篭る。
 ミアも、軽く眉根を寄せて彼女を見る。
「私……負けませんから」
 ぽつっと疑問符。しかしすぐに氷解、理解。
「……うん。ボクだって」
 ミアもまた、そんな彼女の意図──恋の鞘当の再開に頷き、きゅっと唇を結ぶ。
(やれやれ……。寝てる場合? まったく、兄弟揃ってニブチンなんだから……)
 そしてそんな彼女達を、エトナは傍観者的に眺め、未だにむにゃむにゃと眠りの中で安堵
するアルスを見下ろしては穏やかに苦笑する。

「──くちゅん!」
 誰かに哂われたような気がして、レナは不意にくしゃみをしていた。
 時は夜更け、処はホームの酒場内。
 レナはステラや当番の団員ら数名と共に、ひっそりとした夜の厨房で後片付けをしている
最中だった。
「大丈夫、レナ?」
「う、うん。平気……」
 皿を拭いていたステラがきょとんとしてこちらに振り向いてくる。レナは苦笑を返して平
常心を装い、ひらひらと手を振る。傍の蛇口を捻って水を出し、そそくさと掌を洗い直す。
 普段は夜遅くまで酒盛りをする団員達(主にダンだが)で賑やかなこの『蒼染の鳥』も、
今夜に限っては皆口を閉ざしがちだった。
 自分も含め、ミアが心配で仕方ないからというのは言うまでもないだろう。目覚め祝いに
と用意された酒も結局未解封のままである。
 それは庇われたアルス当人も同じ──いやむしろ深刻で、少しでも早く解毒剤を作る為に
わざわざ危険を顧みずに郊外の忌避地(ダンジョン)に潜ったと聞く。
 紆余曲折を経て肝心の解毒剤はキースによって完成し、早速ミアに投与されたそうだ。
 これで彼女の体内に居座る毒が消えれば、やがては目を覚ますだろう。
 今夜は父親であるダンや、アルス・リンファらが夜を徹して看病に行っている。そういえ
ば犯人捜索から戻ってきたシフォンと話していた父が、ふと出掛けて行ったようだが……。
(好きな人が付きっきり、かあ……)
 先刻に聞かされた襲撃者達の末路が脳内映像であまりにもグロテスクで、レナは不謹慎だ
とは思いながらも、自身の思考を別の方面へと切り替えてみる。
 毒に魘されているとはいえ、今友人は想い人に看病されている状況なのだ。
 やっぱり不謹慎だけど──解毒剤を投与されたという安堵材料が今あるからにしても──
ちょっぴり……羨ましい。
(ジークさんだったら、どうなるんだろう?)
 ふと、そんな妄想が羽を広げ始めた。
 今は遠く南方まで行ってしまった彼だけど、もし自分に何かあったら駆け付けてくれるの
だろうか。あ、でも何だかんだで照れ屋さんだから、アルス君みたいなストレートな優しさ
は発揮してくれないかもしれない……。
「……」「……」
 ほうっと頬が赤くなり、ふるふると首を横に振る。
 すると不意にステラと目が合った。女の勘だが、彼女も何だかそわそわとして頬も赤い。
 もしかしなくても、似た事を考えていたのか。……互いに打ち明けたことこそないが、自
分達は想い人を共有している間柄でもある。
(うぅ。私達って大変な人を好きになっちゃったんだなあ……)
(はぁ……。私達が好きな人って何でこんなにも難儀なんだろ……)
 想いを呑み込みつつ、それでも同時に吐き出されたのは、そんな嘆息。
 計らずも寸分違わぬタイミングでその動作をしたレナとステラは、互いに顔を見合わせて
驚き、そして何とも可笑しくって苦笑する。
「皆っ!」
 酒場の裏手──宿舎の方からシフォンと数名の団員が飛び込んで来たのは、ちょうどそん
な時だった。
「ダンから連絡があった。ミアちゃんが目を覚ましたよ!」
 瞬間、場の面々が上げる歓声が重なる。厨房のレナとステラも、それは同じだった。
 パチンと互いの手を合わせ「やった!」と歓喜。アルス達が必死になって作ってくれた解
毒剤は、友に降りた災いを確かに振り払ったのである。
「良かった……無事で……」
「シフォンさん、で? で、ミアちゃんは今……?」
「うん。目を覚ましてリンファやエトナと話してるみたい。ダンからの導話は今イセルナが
受けている最中だよ」

「──そう、良かった……。お疲れさま、ダン」
『……ありがとよ。まぁ俺は看てただけで何もしてねぇんだがな。礼を言わなきゃいけない
のはむしろ俺の方だよ。護るべき相手なのに、結局そのアルスに負担を掛けちまった』
 団員達が歓喜と安堵に包まれているその一方、自室にいたイセルナは病院から掛かってき
たダンからの導話に応じ、事の顛末を聞き終えた所だった。
 声色はいつも通り落ち着いているが、内心は酷くホッとしていた。
 かつては一度本気で刃を交えた副団長(あいて)。その愛娘は、今や自分にとっても家族
同然である。だからこそ、その父当人が乾いた笑いを零すのを、イセルナは他人事ならざる
想いで聴いていた。
「そう自分を責めないで。皆にも言っていたじゃない、それぞれが自分の役割を果たしてい
るだけだって」
 言ってはみたものの、それがダンの本心ではないことはとうに分かっていた。
 あくまで毅然と、クランの副団長として一介の戦士として、皆に表立った動揺を見せる訳
にはいかないと気を張っていたのだと思う。
 導話の向こうのダンは、またフッと自嘲的に笑っていた。
 これが子を想う親心か……。イセルナは思い、それ以上の無闇な慰めを封じる事にした。
 カーテンの僅かな隙間から月明かりが漏れている。
 二人は導話越しに、暫く黙り込んでいた。
 神妙な面持ち。思考が故の沈黙。ゆらゆらとその間も変遷する夜闇と灯り。
『……イセルナ』
 やがて最初に口を開いたのは、ダンだった。
『やっぱさ、このままじゃいけねぇよ。今のままじゃあアルスを、皆を護り切れねぇ』
「奇遇ね。私も……そのことを考えていた所よ」
 イセルナは静かに同意していた。先刻、執政館を襲った“結社”の末路を知り、彼女もま
たハロルドと同様に敵の強大さに気付いていたからだ。
「こちらも、動かないといけないわ」
 導話の向こうでダンが黙っている。コクと頷く様子が、震えた空気で察せた気がした。
「改革しましょう(かえましょう)。このクランを──もっと強く、大きく」
 今一度、深呼吸を一つ。
 数秒、スッと瞑った目を開き、次の瞬間イセルナはそう静かに言ったのだった。

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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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