日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(企画)週刊三題「月下の騎士」

──これから毎週、小説を書こうぜ?

毎週一回、ツイッタの「診断メーカー」で出たお題で小説を書いてみるという
自己鍛錬、 それがこの『週刊三題』であります。
さてさて。紡がれる文章は良分か悪文か、或いは怪文か?
とある物書きの拙文晒し、此処に在り。

【今週のお題:主従、悩み、月】


 不幸は、突然訪れるものだと思った。
 いや……この言い方は厳密ではないのかもしれない。ただ気付かなかった、それだけだ。
本当は静かに着実に、或いは虎視眈々と、自然か人為的かに関わらずその時というのは淡々
と迫っていたのだろうと思う。

 ケヴィンは主を失ったまだ歳若い騎士だった。
 詳しい事情を知る者は既に殆どいない。ただ当時の同僚らの聞き及んだ所によると、老齢
の領主が病死した為だという。そして彼には跡継ぎの子も無かった為に、程なくしてその領
地は王家に没収され──事実上のお家取り潰しとなったそうだ。
 故に職を失くした彼は暫しの間、細々と傭兵をしながら暮らしていたらしい。
 性格は物静かで冷静。長盾を多用する防御の戦いぶりはまさに誰かを護ること、彼が生涯
追い求めたその理想に合致したスタイルだったといえる。
『──君のその“盾”を、我らの為に活かしてはみないか?』
 やがて、彼に仕官の誘いがやって来た。彼にとっては寝耳に水だった。
 最初は迷った。誘いを受けることは、一度忠誠を誓ったかつての主を記憶から捨てること
になるのではないかと。
 だがそんな彼を後押ししてくれたのは、他ならぬそれまで彼がその身一つで護ってきた村
の皆だった。
『領主から誘われるなんてチャンスじゃないか』
『私達はいいんだよ。気にせず、もっと沢山の人を幸せにしてやっておやり』
 村人達はそう言って笑った。
 落ちぶれ、時折哀しみを思い出して辛そうにしていた彼を、ずっと心配していたのだ。
 ありがとう。彼は静かに笑い返した。
 ややあって領主に受諾の返事を届けて荷造りをし、迎えの者らと共に旅立つ。

「──何をぼうっとしている、ケヴィン」
 過去の記憶が、ザザッと波に浚われるように大きく揺らいだ。
 そしてこの目に映る光景が過去だと知った瞬間、目の前のそれらは弾け飛び、代わりに眼
下に見下ろす田園風景が広がる。
「いや……ちょっと、昔を思い出してただけだ」
 ケヴィンはガチャリと鎧を揺らすと、声を掛けてきた同僚に振り返る。
 ヘッドギアをした、精悍な印象の騎士。名をオスカーという。あの日領主サンマリヲから
の招聘を受け、配属された日以来の相棒である。
 彼は片眉を上げて小さく息を吐くと、杖のように地面に立てていた槍を半ば無意識に握り
直す。体格が一回りな上、こちらが座っていたのもあり、ケヴィンはどうしてもその様子を
見上げる格好だ。
「もう五年になるんだったな……。この前暇を貰ってたが、あれは」
「ああ。墓参りだよ、五回忌だからな」
「……忠義者だな、お前は」
 前家が取り潰しになってしまった事で、かつての同僚らとは散り散りになってしまった。
 オスカーのぼやくように、自分は古い価値観の人間なのだろう。目立った戦こそないが、
基本的に領主と騎士は互いにその責を果たして成り立つ主従──という考え方の方が本来は
当たり前なのである。そうした“義務”を自らに課し続けているのは、確かに他人には珍妙
に映るのかもしれない。
「騎士は、僕の憧れだったから。……だから今でもあの土地には感謝しているんだと思う」
 それでも。ケヴィンは呟いていた。
 かつて自分達村人の為に、身体を張り命を賭け賊から護ってくれた騎士達(かれら)。
 実際の所、彼らもまた“これが仕事だから”と割り切っていたのかもしれない。
 だけど……それでも良かった。自分が「あんな風になりたい」と思うのには充分だった。
「そっか。だがまぁ、あまり前の領主への忠誠ばかりを表に出すなよ? 俺達には今の主君
がいるんだ。そっちを蔑ろにしていたら──」
「分かってる。勿論、領主様にも感謝しているよ。こうしてまた騎士に戻れたんだから」
 ケヴィンが苦笑して応え、オスカーも「分かってればいい」と頷き、二人はどちらからと
もなく今いる物見櫓から見える領内の風景を暫し眺める。
「ところで、何でこっちに来たんだ? 今日の勤務表(シフト)じゃあまだ交替の時間には
早い筈だけど……」
「ああ。そうそう、それだよそれ。お前、ルナ様が何処に行かれたか知らないか?」
「……姫様が? またなのか?」
「ああ……“また”だ」

 現在ケヴィンらが仕えているサンマリヲ侯には、目に入れても痛くない愛娘がいる。
 名をルナマリア。父や城の者らに蝶よ花よと育てられた一人娘だ。
 確かに“蝶や花”かもしれない。実際年頃の娘に育ったルナ姫は実に可憐な少女だ。よく
笑い、よく遊ぶ。ケヴィンも実はその明るさに癒されている一人であったりもする。
 だが如何せん……彼女はお転婆に過ぎた。
 父たる領主に可愛がられたからか、それとも生来の性質なのかは分からない。しかし少な
くとも彼女は、貴族社会の規律に縛られるようなタイプの息女ではない──それがケヴィン
の見立てであったし、実際に勉学の時間にこっそり城を抜け出すといったことは最早この城
では日常茶飯事の光景となっていたのである。
「ルナ様ー! 何処におられるのですかー??」
「お部屋にお戻り下さーい、お勉強がまだ残っておりますぞー」
 他の兵と急遽見張りを変わって貰いオスカーと階下に降りると、これまた見慣れた光景が
城内の中央ロビーに広がっていた。
 教育係の眼鏡女性やメイド、老執事まで。
 彼ら城のスタッフらは辺りを駆け回りながら声を張り、この活発過ぎるお嬢様をあくせく
と捜している。
「……毎度毎度、手の焼けるお嬢様なことだ」
「そうだね。でもすっかり慣れたよ」
「お前は、そうかもしれんが。……俺は皆を宥めてくる。今回も任せていいか?」
「ああ。分かった」
 ケヴィンは城の中の事を相棒に任せ、こなれた様子で駆け出していた。
 いつの頃からだったろう? こうして自分が姫様を連れて帰る役割を担うようになったの
は。いい加減、周りに心配を掛けている事は理解されているとは思うのだけど……。
「あ、ケヴィン!」
 案の定、当のルナはケヴィンが予想した場所にいた。
 場所は城から出て少し歩いた、裏の森の中。そこには視界一杯に四季折々の花が咲き乱れ
ており、見る者を楽しませてくれる。
 当の彼女はそのど真ん中で花摘みに興じており、はたとこちらの気配に気付くと満面の笑
みを浮かべて名を呼んでくる。
「あ、ではありませんよ。……またお勉強の時間に抜け出したそうではないですか」
「だって……退屈なんだもん。国の昔話ばっかり聞かされてもちっとも面白くないし」
「ご理解下さい。これも、領民を守護する者としての修練です」
「……むぅ。やっぱりケヴィンはオカタイなあ」
 ぷくっと頬を膨らませ、ルナは少々不機嫌気味。
 だがケヴィンにはもうこれすら慣れたやり取りだった。それまで恭しく頭を垂れていた所
作からおもむろに姿勢を崩し、そっと身を起こすと彼は顔を上げてこの姫君を見る。
 何というか、放っておけない方だと思った。
 見た目こそ元気溌剌としているが、この方はずっと──。
「じゃあ、また外のお話を聞かせて? ケヴィンの昔話」
「……話せば、今回もお戻り頂けますか?」
「うんうん♪」
 ルナは若干胡散臭く笑って頷きながらも、間違いなく楽しそうにしていた。
 いつの頃からだったろう? 彼女が“外の世界”に憧れを抱いていると気付いたのは。
 ここに仕官してから、彼女は今回のように何かにつけ自分の事──この領地の外の話を聞
きたがった。最初は単に外様の自分が珍しかったのだと思っていたが……違ったのだ。
『お父様も、城の皆も大好きだよ。でも……私は“籠の中の鳥”じゃない。なりたくない』
 ふと吐露された本音。あの時に自分に見せた、哀しみを必死に閉じ込めた笑顔。
 多分、率先して彼女の面倒を見るようになった──実際は手に負えない感の下に押し付け
られていたのかもしれない──のは、きっとその頃からだ。
 僕はぐずる子をあやすように語り聞かせていた。
 何度目ともしれない、過ぎ去った自身の過去。普段一人で思い出せばどうしても胸奥が冷
たい痛みを伴う筈の記憶。
 だが、彼女に語り聞かせる時だけは……違った。
 何度も話して慣れたから? いや、多分こんな自分を語っても笑っていてくれる人がいる
のだと思うと慰められる思いがするからなのだろう。
 本来なら、あまり何度も持ち出すべきじゃない。オスカーの言っていたように、たとえ今
や忠節が時代遅れの代物になっていても、過去の主の話ばかりする人間を雇いたがる主はい
ないと思うから。それでも……彼女は笑ってくれている。
 話の度に、思いを馳せているようだった。
 山野の向こうの諸候領、豊穣と水害の両面をみせる北方の大河地域、南には荒れた山岳民
族の大地が広がる。
 現実は、きっと彼女が頭の中に思い描く姿とは違って、争いも醜さも沢山ある筈だ。
 だけど僕は敢えて語らない。彼女がこの騎士の昔話に見出すように、自分もまた彼女の屈
託の無い笑顔に安らぎ、救われた気持ちになるから。
「──……さて、そろそろいいでしょう。戻りますよ? 領主様達も心配しておられます」
「は~い」
 ちょっぴり名残惜しく、だけど先程よりはずっと機嫌よく。
 姫様は私の差し出した手を取って立ち上がった。ファサッと草花が揺れ、香りが漏れる。
(僕は、幸せ者なのかもしれないな)
 遠くの城と、視界一杯に広がる自然、青空を見上げて想う。
 許されるなら、こんな平穏がずっと続きますように……。

「──違います! 私はそんなつもりは全く……」
「言い逃れはできんぞ。既に多くの者がお主の逢瀬を証明しておる!」
 だが、そんな若き騎士の願いは叶わなかった。
 告発されたのだ。曰く、ルナマリア姫を誘惑し領主の座を狙う不届き者として。
 勿論、ケヴィンは事実無根だと反論した。確かに姫様との面識はあるが、決してそういっ
た野心で以って接していた訳ではないと。
 しかし気付いた時には、弾劾が始まった時には既に遅かったのだ。
「諦めろ、ケヴィン。お前とルナ様の密会……俺が知らないとでも思ったか?」
 告発者は、他ならぬオスカーだった。
 仕官以来ずっとコンビを組んできた、相棒だった。
 ケヴィンは愕然とした。だが、ややあって悟ることになる。
『だがまぁ、あまり前の領主への忠誠ばかりを表に出すなよ?』
 いつからだったかは分からない。
 だが、以前から彼は企んでいたのだ。自分を陥れ──姫様を我が物にしようと。
「とんだ疫病神だ……! 腕が立つからと警護役に引っ張ってきたのに、まんまとこの儂を
裏切りおって!」
「心中、お察しします。ですが領主様、この件は私にお任せ下さいませんか?」
 こそりと耳打ちするのが見えた。動く口元が語っていた。
 “我々の邪魔をする者は、この手で消してみせます”と。
「ケヴィン、同僚として騎士としてせめてもの計らいだ。俺と戦え! 勝った方が、姫様と
の交際の権利を得る。……どうだ?」
 証言台から、遥か段上の姫様を見た。彼女は今にも泣きそうに首を横に振っている。
「……分かった」
 だが彼は、縦に首を振る。
 ──それでお前の気が済むのなら、何度だって受け止めてみせるよ。

 決闘の場は、速やかに整えられた。
 領内きっての盾の騎士と、矛の騎士。両雄の死闘が始まると、多くの見物人が当日大挙し
て押し寄せていた。呑気なものだ……ケヴィンは完全武装の姿で満席になった騎士団用の稽
古場を見渡し、密かに自嘲めいて笑う。
「逃げなかったんだな」
「……ああ」
 係員に呼び出され、愛用の長盾を片手に場内に入る。
 同じくもう一方のゲートからは鉾槍(ハルベルト)を手にしたオスカーが歩いてきて、一
回り上の体躯と自信に満ちた表情が見下ろしてくる。
 観覧席の中央に、侯爵が座っていた。その隣には不安そうな表情でルナが座して自分を見
つめている。
 ケヴィンはふるふると首を振った。
 そんな表情(かお)をしたら、御身が危うくなる一方です。そう言い聞かせるように。
 だがそうした無言のやり取りを、オスカーは不快そうに睨んでいた。
 これが五年近く共に過ごした友なのか。……そう信じていたのは、自分だけだったのか。
「両人、準備はよいか?」
 審判役が、ややあって声を掛けてきた。
 オスカーが地面に立てていた槍を水平に持ち替えて構え、ケヴィンも盾の裏に納めた剣を
ざらりと抜き放ち盾を前面にして身構える。
「──始めッ!」
 引き絞り、開戦の合図が響いた。最初に駆けたのはオスカーだった。
 決闘といっても、互いに手の内はよく知っている。そういう意味ではあの五年は確かに存
在していたのだとケヴィンは思った。
 ぐんと突き出される穂先、それを心持ち下からすくい上げるようにして盾で受け流して、
ケヴィンは握った剣を振ろうとする。
「ッ!?」
 だが、相手もまた同じだ。
 初撃をいなされカウンターを狙われるのは分かっていた。オスカーの次なる一手は、こち
らの剣を抑える飛び蹴り。鋼の具足を纏った足払いが、振り出そうとした刀身をぐいっと押
し留める。
 その隙に、また襲ってく槍。
 今度は突きではなく鋭い足元からの斬り上げ。
「ぬぅ……っ!」
 ケヴィンは刀身を下げた剣も併せ、急ぎこの一撃の防御に集中する。

『この決闘、必ず負けろ』
 そう徒党が自分の下にやって来たのは、この戦いが始まるほんの半刻前だ。
 控え室で一人悶々としていたケヴィンの背後から、突然進入してきたローブの一団が刃物
を一斉に突き付けてきたかと思うと、彼らは感情を殺した声でそう言ったのである。
『ここでの事も含め、妙な動きをしたら……分かっているな? 既に仲間達が持ち場につい
ている。合図一つでルナマリア姫は命を失う』
『ッ……!?』
 間違いなく脅迫だった。大方オスカーか、彼を支援する手の者なのだろう。
 だがそれ自体はケヴィンには大した問題ではなかった。ただルナの名と生命の危機が結び
付けられた瞬間、全身から魂が抜けるような錯覚に陥った。
『必ず負けろ。さもなくば、姫は“闖入者”によって命を狙われる。いいな?』

 始めから、自分に勝たせる気などなかったのだ。
 ケヴィンは激しく繰り返される槍撃を盾で防ぎながら、思う。
 怒りは無かった。あるのは、後悔だった。
 どうして気付いてやれなかったのだろう? 姫様に思慕を寄せていた者が、すぐ傍にいた
というのに。その彼は今、憎悪と策謀を背負って自分に襲い掛かっているというのに。
(僕は、こんな事の為に……)
 虚しかった。こんな事になるなら、いっそ──。
「おぉぉぉぉッ!!」
 次の瞬間、ケヴィンは盾を大きく振るってオスカーの槍を弾いた。
 ぐらりと揺れて仰け反った、かつての友の身体。
 今なら、抜ける。だが……自分は。
『──……』
 会場が静寂に包まれていた。観客らが、固唾を呑む。
 そこには盾で友の槍を弾いた筈の、しかし剣を手にぶら下げたままのケヴィンと。
 握り返した柄先、その小さな刃で彼の首筋を捉えた必死の形相のオスカーが立っていて。
「……。しょ、勝者、騎士オスカー!」
 これでいいんだ──。
 首筋に赤筋を付けて地面に膝をついたケヴィンを、オスカーは険しい表情で見下ろす。

 もう此処にいる理由はなくなった。いられる訳もなかった。
 まるで急かされるように荷造りを終えると、ケヴィンはその夜の内に住み込みで仕えた領
主の城を後にした。
 見送りが無かったのは勿論だが、愛用の長盾や剣、馬まで持たされたのはきっと“一刻も
早くここから出て行け”というメッセージなのだろう。
「……ごめんな。こんな形でお別れになって」
 夜道をパカパカと、小さく鳴く愛馬の背を撫でてやりながら、背後の城をどんどん遠いも
のへと押し遣っていく。いや、むしろ自分が押し遣られているのか。
 これでいいんだ。以前の主無しに戻った、それだけだ。
 ケヴィンは、そう自分に言い聞かせて足早にこの地を去ろうとしたのだが。
「──ッ!?」
 あり得ない。いや居てはいけない筈の人影が待ち構えていた。
 軽く愛馬に合図を送りケヴィンは慌ててその人物まで近寄ると、周囲に他人の気配がない
事を確認して下馬して駆け寄っていく。
「ひ、姫様。何故こんな所に……」
「何故? それはこっちの台詞よ。ケヴィン、貴方……わざと負けたんでしょう?」
 待ち構えていたのは、まごうこと無きルナだった。
 血相を変えているケヴィンに対し、彼女はあくまでご立腹といった様子で両手を腰に当て
たまま、夜闇の中外出用の軽装で彼を半ば睨みつけるように見遣っている。
 仕方なく、ケヴィンは件の脅しの事実を話した。
 しかし何故わざと自分が負けたのか、彼女は薄々予想がついてのだろう。一通りの事情説
明を受けるとむしろ「やっぱりそうだったのね。あの筋肉猿……」などと思わずケヴィンも
ギョッとするような悪態を呟いてみせる。
「私、オスカーと付き合うつもりなんてないわ。あんなの言い掛かりよ。お父様の機嫌は何
とか私が直して見せるから、ね? お願い、城に戻って」
「……私の事はもういいのです。姫様こそ早くお戻り下さい。帰路をご一緒は出来ませんが
このままでは貴女の御身がどうなるか……」
 ケヴィンは必死に彼女を説き伏せようとした。
 もしこのまま城に戻らなければ、もしこの場を誰に見られてしまえば、致命的だ。いくら
実の娘とはいえ、領主が振り上げた拳を大人しく下ろしてくれる可能性は絶望的になる。
「……どうして?」
 だが、ルナは拒絶した。普段の活発な声にそぐわない、湿気を含んだ声色で呟いた。
「どうして、そうやって自分だけ行っちゃうの? 嫌よ……私は籠の中の鳥なんか、絶対な
りたくない! もっといっぱい色んな所に行きたいの! 貴方と、一緒に」
 ケヴィンは目を見開く。彼女は両目に大量の涙を浮かべていた。
「姫、様……」
「それもよ。そうやってずっと他人行儀。いい加減、名前で呼んでくれてもいいじゃない」
 嗚呼、そういう事なのか。
 鈍感なケヴィンも、ようやくそこで全ての線が繋がったと思った。
 彼女に思慕を──野心を寄せていたのはオスカーで、でも彼女自身が想っていたのは、何
とこの自分で。
「──!?」
 フッと視界が暗くなった。
 だが次の瞬間、訪れたのは唇に重なる温かい感触。
 そっと自分から離れた、頬を赤らめた姫君の姿。
「ぅ……」
 あたふたと。ケヴィンは同じく顔を真っ赤にして視線を泳がせていた。
 思い切りのよい女性(ひと)だと思ってはいたが、よりにもよって……。
 だが、そんな惚けた時間を過ごしている余裕などなかった。
 ハッとケヴィンが我に返る。隣の愛馬がヒヒンと遠慮がちに嘶く。
「ケーヴィーンッ!!」
 つい先刻、自分が辿った道をケヴィンら元同僚の騎士らが猛追してきたのだ。特にその中
にあって、先頭を駆けるオスカーの形相は夜闇すら裸足で逃げ出すような鬼気だった。
「ケヴィン。公女として──いえ、一人の女性としてお願いします」
 そんな中で、ルナは眉を顰めるケヴィンの袖を取って、請う。
「私を、貴方と一緒に連れて行って」

 なし崩しに駆け落ちと相成った二人は、必死に馬を走らせて逃げた。
 だが途中でオスカーらから矢を受け、愛馬は急速にその動きを鈍らせる。
 毒矢か。そう理解した時には、もう遅かった。騎士生活を共に駆け抜けた愛馬は力なく夜
の地面に倒れ込み、息も絶え絶えになる。
 すまない……。ケヴィンはルナを護る為に、捨て置くしかなかった。
「もう逃げられないぞ!!」
 夜闇の中にオスカーの狂った怒声が響き渡った。
 ここは領内のどの辺りだろう? 芝生と周囲を囲む森、闇の所為で方向感覚が掴めない。
ほんのりとだが月明かりが差して彼らの位置が把握できるのがせめてもの救いか。
 オスカーらが既に武器を抜き放ち、ケヴィンを取り囲み始めていた。
 生かして帰すな。もしかしなくても領主からそんな命を受けたのかもしれない。
「……ルナ様。下っていて下さい」
 躊躇いがちのケヴィンが、盾から剣を抜いたのが合図だった。オスカーらは次の瞬間、彼
が構えた盾に吸い込まれるように怒涛の攻撃を開始する。
 防戦、カウンター。
 それらを身上とするケヴィンには必ずしも悪い状況ではなかった筈だ。だが両者には既に
決定的な差があった。
 殺意。覚悟。一方は出来ることなら諦めて帰って欲しいと願い、防ぎ続ける。だがその相
手方──特にオスカーの意識には、撤退の二文字はとうに消え失せていたのだから。
「お前が! お前さえやって来なければ、俺はァッ!!」
 構えを解く訳にはいかないケヴィンの盾に、彼の槍先が何度も何度も襲い掛かった。突き
や斬り、或いは打撃。文字通りの仇を討つ憎悪の眼で、彼は鬼気迫る勢いで得物を振るい続
ける。
「何でお前なんだよ!? 余所者のお前が、何で!? 俺はずっと登り詰める為に血の滲む
ような努力をしてきたってのに! お前が……お前が全部奪って行きやがって!!」
 刻一刻、槍の一撃を振るう度に、オスカーの表情(かお)が酷く歪む。
 ケヴィンもまた、沸き上がって来る言いようのない哀しみでその頬を落ち込ませる。
 形勢は、逆転し始めていた。
 じりじりと押されてゆくケヴィン。前面の防御に集中するあまり、かつての友の抱えてい
た野心を目の当たりにしたあまりに出来た隙を、他の騎士らが抉っていく。
「く……ぅ……」
 ボタボタと血が滴っていた。背後でルナが大粒の涙で泣き、首を横に振っている。
「……強かったぜ、ケヴィン」
 同じく血に塗れた槍先を一振りし直し、
「終わりだぁぁぁぁーッ!!」
 オスカーは息を荒げて全力の一撃を振り出そうとする。
 だが──悲劇は起きてしまった。
 ケヴィンが、オスカーが、他の騎士達が皆が己の目を疑った。
「……っ、あ……」
 何故なら次の瞬間、オスカーが振り抜いた槍の刃を、ルナの身体が深く深く押し留めてい
たのだから。
 絶叫が重なった。ケヴィンのものかオスカーのものか判断も付かない。
 ただ夜闇と月明かりだけは淡々と継続し、暗がりの芝生に大きく倒れ込んだルナの大量の
血が拡がってゆく。
「……何、で」
 オスカーは握っていた槍を脱力したように落としていた。
 ケヴィンと二人、護るべき人物が今、自分達を隔てるようにして事切れようとしている。
「お前だ……ケヴィン、お前だ」
 ケタケタと。オスカーの表情が歪んだまま鳴き、震える手でかつての友を指差した。
「ケヴィン、お前がルナ様を殺したんだ!!」
「──ッ」
 それからの記憶は、曖昧だった。
 ただケヴィンは。
 自分の中で何かが“切れた”ことだけを覚えている。


 気付いた時には、あれからどれだけの時間が経ったのだろう。
 辺りは不気味なほどにしんとしていた。草の匂いではない、別の異臭が漂っていた。
 血だ。そう理解するのにそう時間は掛からなかった。
 ぐるりと辺りを見渡す。
 そこには顔面と片腕が斬り飛んだオスカーと、血みどろの肉塊に成り果てたかつての同僚
騎士らが人数分、転がっている。
 そして何より……自分のすぐ傍らには、すっかりどす黒い赤の中に沈んだ姫君が、こんな
自分を愛してくれた女性(ひと)が色彩を失って動かなくなっている。
 ケヴィンはぼうっと自分自身を見てみた。
 白銀に磨き上げた自慢の盾も剣も、両の掌も、今は真っ赤に汚れてしまっている。
 やや遅れて、身体中が悲鳴を上げ始めた。
 嗚呼そうか……。もう全身、傷だらけなんだっけ……。
 のそりと座り込んだ身体を動かし、ケヴィンはそっと抱き上げた。もう動かない彼女を。
「……すみません、貴女を護れませんでした。騎士、失格ですね……」
 涙が溢れる。血の赤と混じって汚い濁り色に為る。
 痛いからじゃない。喪ったから哀しいんだと、ようやく分かった。自分の鈍感さを、今更
ながらに呪った。
 かつて、自分は“誰か”を護りたいと願った。
 でも……そんな曖昧で沢山じゃなくて、よかったのだ。
 本当はずっと前から、自分は“この人”を護りたいと願っていたのだから。
 にわかに夜空が明るくなったような気がした。闇夜の雲が静かに晴れ、満月がそっと血塗
れの草畳を照らし出す。
「……ルナ様、見えますか?」
 最愛の人を抱いて、若き騎士はか細く呟く。
「月が……綺麗です──」
 程なくして、最後の一人がその命を燃え尽きさせて。
                                      (了)

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  1. 2012/10/02(火) 18:30:00|
  2. 週刊三題
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自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止します。

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