日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)NIGHT GUNNERS〔3〕

「──以上が、今回の報告内容となります」
 会議室の中は薄暗かった。
 窓の類は一切無く、唯一の出入り口であるドアも今は厳重に閉め切られている。
 室内の照明は上座のバッグに映るスクリーンの光と、円卓、そして各人の目の前で展開さ
れているホログラム映像の光だけだ。
 数にして出席者は十人程度だろう。或る者は一人立ち、此度の定期報告をする痩身の眼鏡
の男を見つめ、或る者は手元に映し出される、背後のスクリーンと同内容のデータを映した
ホログラムに目を遣り、また或る者は報告もそこそこに別の作業に没頭している。
「……ご苦労」
 長めの沈黙の後、上座に座る男が言った。
 テーブルの上で肘をついて両手を組み、手元のホログラムの光を反射させた眼鏡越しに、
その瞳を窺わせない視線をちらりと向ける。
「……ところで」
「はい」
「この被害ドールの件数と、破壊されたカードの枚数が違っているのはどうなっている?」
「……あら、本当。五枚少ないわねぇ」
 妖艶な女性の声がその質問に追随した。
 他にも数名、ちらと視線が痩身の男性へと飛ぶ。
「その件に関しては目下捜索中です。ただ、状況からして例の者達に持ち去られた可能性が
高いでしょう」
 その返答に、室内が静かに張り詰めた。
 だがそれは戸惑いではない。「またか」という呆れに近い反応であった。
「ナイトガンナー……ですか。厄介ですねぇ」
「え~、またぁ? ドールちゃん達、やられ過ぎじゃな~い?」
「……ったく、面倒臭ぇな。どいつもこいつもよぉ。そんなの、さっさと捜して殺っちまえ
ばいいだろうが」
 面々から声が上がった。
 室内がざわつく。痩身の男と上座の男は、じっと眼鏡に照明の光を弾いて黙している。
「……ま、所詮は微々たる反抗さ。僕達の計画に大きな支障は来たさないと思うけど?」
 そんな中で、席に着く一人の男性が携帯電話を片手に弄りながら言い放った。
 いや、男性ではない。見た目は少年といって差し支えないだろう。そもそもこの場にいる
メンバー自体にも、年齢的な統一感が欠けていた。壮年から妙齢、青年、少年少女まで様々
な層のメンバーが円卓を囲んで座している。
 そんな少年の言葉に、痩身の男が言い返した。
「……そう事を侮るのは君の悪い癖だ。どんな些末な事象でも、それらは時に大きな変化に
化けうるものだ。我々の計画の邪魔をするものならば……それは極力排除すべき筈だぞ」
「はいはい。だったらさっさと始末すればいいじゃない。何たって君は“よく見える”眼を
持っているんだからさ?」
「……。見える事と実効性とは別問題だ」
 両者が円卓を挟んでじっと睨み合った。
 生真面目な顔と、飄々と不敵な顔。だが周囲は誰も止めようとはしない。まるでこれ位の
事など日常茶飯事であるかの如く、それぞれの反応の下で傍観を決め込んでいる。
「……二人とも、その辺りにしておけ」
 代わりにたっぷりと沈黙を保った後、上座の男が重々しい威圧感と共に口を開いた。
「ナイトガンナーと名乗る者共については私も憂慮している。たとえどんな虫けらでも反抗
してくるのは鬱陶しい」
 少年が、痩身の男が静かに頷いた。
 だがその様子には目もくれずに、上座の男は少し間を置いて、
「……念の為、向ける戦力を強化するとしよう。あまり手の内を出すのは計画に障るが仕方
あるまい。二倍だ……。それで遅れている分も取り戻せ」
「はっ……」
「は~い」
 痩身の男は恭しく頭を下げていた。対照的に少年の返事は気安い。
 注意するなど者はいなかった。だが、張り詰めた空気は自然と立ち消えていた。
 それだけ、上座の男の発言は彼らにとって絶対的なものであったのである。
『…………』
 それから暫く、辺りに静かな沈黙が降りた。
 各々が手元のホログラムに立体的に映し出された膨大なデータ図表を確認するかのように
目を通している。上座の男も、手を組んだ格好のまま、まるで微動だにせず座っている。
「……あ。ねぇねぇ、チーフ」
 そして、そんな沈黙を破ったのは先の少年の声だった。
 事務椅子をくるっと回転させ、じっと佇むチーフ──上座の男に向き直る。互いに敬語と
いうものはあまり意識していないらしい。男は僅かに顔を動かして彼を見遣ると言った。
「……何かね?」
「うん。ちょっとね、今ナイスなアイデアを思いついたんだけど」
 片方の手、携帯電話を手にした腕で肩肘をついたまま、少年は再び不敵に笑っていた。
 世の中が面白くて仕方がない。そして同時に外見に似合わぬサディステックさを強く纏う
かの如く。
「……。聞かせて貰おうか」
 だが上座の男は、そんな雰囲気にも顔色一つ変えずにそう一言促す。
 興味、怪訝、静観に若干の敵意。
 同じく円卓を囲む他の面々も、それぞれに静かに反応を漏らしながらその返答を待つ。
「お祭りさ」
 そんな彼らをぐるりと見渡してから、少年は言った。
「一石二鳥……いや、三鳥のお祭りだよ」
 恐ろしいまでに不気味な、笑顔と共に。


 Slot-3.少女の想いと街の闇

 ナイトガンナーが奈々子をドールの魔の手から救い出してから数日。
 一聖と奈々子は、その日もいつものように清浜ジャーナルに出社していた。
「ふむ…………」
 編集長のデスクを挟んで、じっと返答を待って立つ一聖と奈々子。その視線の先で、原は
じっと机上のパソコン画面に映し出された彼らの原稿を検めていた。
「……なるほど。確かに前よりもよくできてるみたいだな」
 待つ事暫し。原はついと視線を二人に戻すと先ずそう口を開いた。
「はい。私、頑張りましたっ」
「……ま、それも黒田の助力があったから……なんだろうが?」
 言われた一聖は何とも言い返す事はなく、小さく苦笑するだけだった。その傍らで奈々子
は遠回しに実力と見られていない事に心持ち唇を尖らせている。
「しかし黒田。お前が肩入れするとはなぁ。良かったのか? 乾はお前にとってカメラマン
じゃないのかよ?」
「ええ。でもこいつが書きたいっていうのなら手伝ってやりたくて。何だったら文責は俺が
負いますから。大事なのは誰が書くかじゃなくってその質、でしょう?」
「うむ……。まぁ、それはそうかもしれんが……」
「それに、俺も気にはなってたんですよね。件の衰弱事件については。それで元々調べてた
俺の分も合わせてみたんですけど」
「火の気の無い所には煙は立ちません。噂だと言われようとも、実際に被害者さんがいる事
件なんですっ。この街に起きてる事を報道する、それって私達の仕事じゃないですか?」
「……まったく、お前らと来たら……」
 肩肘をついたまま、原は薄っすらと目を細めてからそっと息を吐き、そう呟いていた。
 その様子を、一聖は静かに見遣っている。
 何かを押し込めているような静けさ。その一方で、傍らの奈々子は徐々に混じる期待と不
安でそわそわとし始めているようだった。
「だがな……」
 しかし原は画面上の原稿を閉じると、USBメモリを抜きながら、
「駄目だ。こいつは……載せらんねぇよ」
 そう突っ撥ねてくる。
「え? な、なんでですかっ?」
 USBメモリを受け取りながら、一聖は言葉無く眉根を上げていた。
 彼の助力も得て今回こそはと意気込んでいたのだろう。その横で、奈々子は驚いたように
思わず少し声を荒げて聞き返していた。
「先輩に協力して貰った文章でも不合格なんですか? そ、それとも都市伝説ネタはやっぱ
り駄目だって事じゃ……?」
「いや……。別にそういうつもりで言ったんじゃない」
 対する原は何処か躊躇しているかのような様子だった。
 頬をぽりぽりと掻きながら、適当な言葉を探しているかのように見える。
「…………タイミングが、悪いんだよ」
「タイミング……ですか?」
「どういう事ですか? 今回はちゃんと会議前に間に合わせた筈ですけど……?」
「あ~……いや、そういう意味のタイミングじゃないんだ……」
 だが原の返答は要領を得なかった。
 一見して、その何処かにある種の諦観を抱えた、何となく草臥れた印象の中年には変わり
ないように見える。だがその様子からは彼が何かしらを言い淀んでいるらしい事が窺える。
 二人はどちらからともなく、互いに顔を見合わせていた。
「? それってどういう……?」
「……一体どうしたんです? 何だか様子が変ですよ、編集長?」
 そして怪訝を吐き出すように、原を見返す。
「──箝口令だよ」
 答えは二人の背後から返ってきた。
 その声に振り返ると、辰巳と長嶋が近づいて来ていた。二人とも鞄を持っている所を見る
限り、どうやら外回りの取材に出掛けていたらしい。
「へ? カンコーレーって……どういう事ですか?」
 奈々子がその言葉に小首を傾げながら訊ね返す。
「それがね、どうもあちらさんがだんまりを決め込み始めているみたいなんだよねぇ……」
 それでも辰巳は相変わらずマイペースな調子でそう話し始めた。
「……だんまり?」
「うん。どうも俺達マスコミに情報が漏れているのが上の人達には気に食わない……不都合
な状況みたいだねぇ。ちゃんと話してはくれずじまいだったけど、役場とか警察とか、俺達
が行った所は全部、上から下まで口が堅くなってるんだよねぇ。何だか萎縮してるというか
さぁ……」
「ホント、まったくとんだ無駄足だったわ。急に取材に応えなくなるなんて……」
 だが傍らの長嶋は、対照的に苦虫を噛み潰したような不機嫌そうな様子を隠さなかった。
 取材拒否、という事だろうか。
 一聖と奈々子はゆっくりと原の方を見遣っていた。
「…………。実際にもうそういう反応になってるのか。そうか……もう、こっちも隠したま
まじゃあいられないって訳か……」
 原はそう呟きながら大きなため息をついた。
 戸惑い。それ以上の何処か草臥れた諦観を強く混ぜた嘆息。
 暫しそのまま苦々しい表情で逡巡をみせると、彼はスッとおもむろに立ち上がり、
「皆、ちょっと集まってくれ。……話しておかなければいけない事がある」
 手を叩きながらそうオフィスの面々に呼び掛けた。
 デスクに張り付いていた記者達が次々と顔を上げ、見合わせ、立ち上がり、何事かと編集
長のデスクの前に集まり始める。一聖と奈々子、辰巳と長嶋もその人ごみの中に混ざった。
 そんな一同をざっと見渡し、原はゆっくりと息をついてから言った。
「……今朝、上からの通達が回ってきた。今後三ヶ月、清浜の行政全般に対する取材、報道
を自粛するように、だそうだ。発表する情報も、精査して見直す予定だそうだ」
 その言葉に、清浜ジャーナルの一同は大きくざわついていた。
 オフィス内に記者達の戸惑いと反発が反響する。
 それは当然の反応だったのだろう。原は敢えて遠回しな言い方をしたが、
「そ、それって、もしかしたらもしかしなくても報道規制ってやつじゃないですか!」
 実質それはマスコミに対する締め付けに他ならなかったのだから。
「……否定はしない。実際、この通達はウチ以外にも届いているらしいからな……」
 更にざわつく一同。
 その中でも奈々子がいの一番に声を荒げていた。
 だがそれも想定内だったのだろうか。原は少しだけ眉根を上げてみせるだけで、少なくと
も見た目からは動揺している素振り、反感を窺う事はできなかった。
「まぁ大方、何処かの奴が向こうさんの嫌な部分に障ったんだろうな。俺達はパイプを繋げ
られてこそなんぼの商売だ。……そこの距離感を履き違えた奴の不手際ってこったな」
 今度は一聖が密かに眉根を上げる番だった。
 だがしかし、その一瞬の変化に誰も気付くことは無かった。それよりも自分達に突き付け
られた通達への衝撃に意識がいってしまっていたのである。
 原は窓際にもたれ掛かって腕を組んでいた。
 神妙な顔で細めた眼を、少なからず動揺する部下達に注いでいる。
 重く押し黙る面々。奈々子も、向けられるその威圧感に次の言葉が出ずにいた。
「……まぁそういう訳だ。暫くは皆もその辺の所に注意を配ってほしい……以上だ」
 再び原はポンポンと手を叩いた。
 それを合図に、記者達はゆっくりと散り始めた。それでも彼らの多くは納得していない者
のようで、すぐには消化し切れぬ燻るような想いを抱えながら、重苦しい足取りで自分のデ
スクへと戻っていく。
「……うぅぅ~」
 奈々子も、そんな内の一人だった。
 デスクに戻っていく先輩達を横目にしながら、行き場の無い唸り声のようなものを上げつ
つその場に突っ立っている。
『……』
 原と、視線が合った。
「……編集長。ほ、本当にそれでいいんですか」
 ぐっと飲み込みかけた言葉。だが奈々子は意を決したようにそれを原にぶつけていた。
 悔しい。そんな感情を前面に出す彼女。原は一度軽く目を瞑って数秒黙り込んでから、再
び目を開いて言った。
「……これはお前の為でもあるんだぞ」
「え……?」
 奈々子は思わず目を瞬かせていた。その言葉に、それまで傍らで黙り込んでいた一聖も静
かに目を細める。
「お前の追ってる件だよ。原因不明の衰弱事件……警察も実質お手上げ状態。だろ?」
「は、はい。そうですけど……?」
「……もしそれを記事にして出してみろ。向こうは自分達への批判と取るのは間違いないだ
ろうが。それもこんな……向こうが神経質になってる状況でだぞ? これで意趣返しがない
方がおかしい。お前、その辺のリスク、考えてんのか?」
「……」
 奈々子は目を見開いたまま黙り込んでしまった。
 言われてようやく意識に上ったらしい。一聖が半眼で彼女を見下ろす中、
「だから言ったろ? タイミングが……悪いってな」
 原は更にそう続けていた。
「で、でもっ」
「……まぁ抑えろ。俺だってこんなのは気に食わんさ。だが力の差を考えろって言ってるん
だよ。正義感までは否定しないがな……。それと同じぐらい、俺は管理職としてお前ら部下
の記者生命も守ってやらないといけねぇんだ。分かってくれ」
「……。でも……」
 奈々子はぎゅっと唇を噛み締めながら俯いていた。無意識に握る拳に力が入る。
 ある意味で素直な奈々子に対し、それでも原は淡々とした様子を崩そうとはしなかった。
細めた一聖の視線が原のそれと交わる。数十秒、距離を保った沈黙が続いた。
「……まっ、そういう事だから俺達も戻ろう? 仕事、増えちゃったからねぇ」
 そんな沈黙を破ったのは、にこやかな表情を保った辰巳だった。
 後ろから奈々子と一聖の肩をポンと叩き、振り返らせる。
「そうね……。記事の内容とか、修正しなくっちゃいけないって事だし」
「……。はい」
「……そうっすね」
 背後の辰巳と、その横を嘆息と共に歩く長嶋と共に、奈々子と一聖は原に背を向けて渋々
といった感じで歩き出した。
 そんな四人を、原はじっと壁にもたれ掛かったまま見つめていた。
「あ、先輩、何処に……?」
 すると一聖が不意に奈々子達から離れてオフィスの外に出ようとした。
 思わず奈々子がその背中に声を掛ける。
「……。トイレだよ」
 ポリポリと。
 一聖は髪を掻きながらそうぶっきらぼうに答えると、そのまま部屋を後にしていった。
(……黙ってたけど、先輩もやっぱり怒ってたのかなぁ)
 そんな彼の後ろ姿を見送りながら、奈々子はふとそんな事を思う。
「……大丈夫、乾?」
 だがそんな思考も、長嶋からの掛けられた声で立ち消えた。
 視線を戻すと長嶋が奈々子の傍らで、不器用ながらも心配げに自分を見ていたのだ。
「あ。だ、大丈夫です。ぶつかっていってナンボだって、先輩にも言われましたし……」
 あたふたと。奈々子は思わず反射的にそう答えていた。
「そう……? ならいいんだけど」
「うん。今回はちょっと運が悪かっただけだよ。記事ならまた機を見て出せばいいしね。そ
れに乾ちゃんだって、そればかりに掛かる必要は無いんだ。清浜の人々が知りたい情報とい
うのは何も一つじゃないんだからね」
「……はい」
 奈々子は何だか気恥ずかしくなった。そして申し訳なくも思った。
 何だかんだといって二人にも心配を掛けてしまっているのではないのか。編集長に釘を刺
されたのも然り。自分はどうも火がつくと周りが見えなくなる……。
「まぁ、編集長も悪気があるわけじゃないんだ。許してやってよ。あの人も、昔は色々冒険
してかなり手痛いしっぺ返しを受けたらしいから……」
「え……っ?」
 だが奈々子は次の瞬間辰巳の口走ったその言葉に思わず我に返る。
 驚いたように顔を上げた彼女を、辰巳は微笑のまま見返していた。
「だからなんだろうね。自分も同じ思いはしたくないし、俺達部下にだってさせたくない。
そんな風に思ってるんじゃないのかなぁ……?」
「……辰巳」
 だがその当人は耳聡かったようである。
 原は先程の体勢のまま、ずしりと重い声色で辰巳の言葉を食い止める。
 ちらりと目だけをやってみると、凄く怒っていた。不機嫌なんてものじゃない。
 彼のその様に奈々子は思わず息を呑んだが、
「ははっ。ささ、行こう行こう。お仕事頑張ろう~」
 一方の辰巳は相変わらず、にこやかで気楽な表情のままだった。

 清嶺ヶ浜の治安を一手に担う、清嶺警察署の署内。
 師崎は所属する刑事課の一室で書類仕事に追われていた。
(……ハァ。重いな……)
 視界の横目に映すだけにして、師崎は内心辟易を強めていた。
 張り詰めている。職務柄、緩い空気では決してない自分達ではあるが、昨日からの様子は
そういった平素の緊張感とは違う重苦しさを自分達とその周囲に纏わらせている。
 同じく書類仕事をしている者、外回りに出向いて行く者、帰って来る者。
 そんな先輩刑事達が、一様に多かれ少なかれピリピリとした緊迫の中に置かれているのが
師崎には感じ取れてならなかったのだ。
(やっぱ、あれだよなぁ……)
 ペン先を紙の上で揺らしつつ、師崎は気付かれぬようにそっとため息をついた。
 原因は分かっている。昨日、上層部から示された──
「ん……?」
 ちょうど、そんな時だった。
 師崎は懐にしまっていた携帯電話がバイブレーションするのを感じ取り、書類仕事の手を
止めた。取り出し、相手が誰かを確認する。
(……あんにゃろう。こんな時に)
 その着信表示を見て、師崎は思わず顔をしかめていた。
 そっと周囲の様子を窺う。幸い先輩刑事達は師崎への着信には気付いていないらしく、変
わらずピリピリとした雰囲気を漏らしつつ、それぞれの仕事に何とか集中しようとしている
ようにも見える。
 師崎は携帯電話をポケットに押し込むと、そっと立ち上がって部屋を後にした。
 途中、廊下で事務員などとすれ違ったが……大丈夫。気付かれていない。
 周囲に、中に誰もない事を確認してから、師崎は個室トイレの一つの中に入り込む。
「……もしもし」
「あ、どうも先輩。俺です、黒田です」
 電話の相手は一聖だった。
 向こうもいつものように周囲を気にしているのだろう。声も控えめに抑えられている。
 師崎は半開きのドアを、鍵を閉めながら用件を問い質した。
「おう。で? 用件は何だ? また情報をくれってか? 悪いが今は状況が悪くてな……」
「……やっぱり本当なんですね? 箝口令の件」
「……。なんだ、知ってるのか」
 少し間を置いて返って来た言葉。
 師崎は無意識の内に眉間に皺を寄せていた。
「ええ。ついさっき、編集長から皆にそういう話がありまして」
「そうか」
 念の為、周囲の物音と気配を探ってみる。どうやら近づいて来る者などはいないようだ。
「どういう事なんです? 口を閉ざす事自体は別に珍しいわけではないですけれど……何か
切欠でも?」
「さぁな。上からのもんだ、末端の俺達には分かんねぇよ。ていうか、分かってるなら尚の
事連絡は控えろ。そっちもそっちでバレたらマズイんじゃねぇのか?」
「はは、まぁそうなんでしょうけどね。でも念の為に確認しておきたかったんですよ」
「そうかよ……。まぁ今回のも大方、上にとって何か都合の悪いことでも起きたからなんだ
ろうがな……」
 師崎はそう呟きつつ、少し考えてみる。
 確証があるわけではないが……心当たりがないわけでもない。
「もしかしたらあれかもな。お前も追ってる例の衰弱事件だ。捜査も進まない、だけど被害
者は相変わらずコンスタントに出てる。今までの調子じゃいつまで騒ぎを抑えられるか分か
らない……とかさ」
 実際、うちに直談判してきた奴もいるらしいしよ──。
 だが師崎はその言葉を敢えて飲み込んでいた。今はそういう場ではない。こいつから聞か
れた時に答えればいいだろう、そう判断したのだ。 
「かもしれないですね。……じゃあ、もしかして俺が先輩に会ってるのが」
「いや、それはねぇと思うぞ。俺がお前にリークしてるって事は俺の個人的な情報収集だ。
それに他の奴には一切話してねぇし、バレてるとは思えねぇな」
 まさかな。そう思いながら師崎は否定していた。
 だがそれと同時に浮かんだのは、つい先日のあの記憶……。
「そもそも仮にそうだとしたら、今頃俺が処分されてる筈だ。……ハヤさんじゃなくてな」
「……?」
 電話の向こうで一聖が一瞬怪訝を漏らしていた。
 師崎はハッと我に返り、切り替えるように小さく咳払いをすると言った。
「……ともかく。こっちもそんな状況だ。用心の為にも暫くは会わない方がいいだろう」
「そうっすね。こっちもこっちで行動が縛られるでしょうし」
「あぁ。お前もほとぼりが冷めるまで自重しとけよ? ……お前自身の為にもな」
「……はい」
「じゃあな。また何かあれば連絡する」
 そして師崎は、電話の向こうで大人しくなった一聖を確認すると、通話を終了する。
「────ふぅ……」
 通話が途絶え、電子音だけになった電話を切ると、一聖はそっと立ち上がった。
 一聖もまた、人目を避ける為にトイレの個室の中にいた。
 念の為に耳を済ませてみるが他の者の気配はない。携帯電話をポケットにしまい、一聖は
ゆっくりとした足取りでそこから出ると手洗い場のスペースへと歩き出す。
(これで暫くモロ先輩はNGだな……)
 予想はしていたが、やはりかと思う。
 一聖は自身の足音を耳に届かせながら、蛇口から流れる水に手をかざした。
 揉み洗う。だが現実の組織の垢は内部の人間でも容易には落とせないようだ。
 思考を、切り替えろ。
 自重しろとは言われたが、全く動かないわけにもいかなかった。
 いちジャーナリストとして、ナイトガンナーとして、ドール達の動向・情報はできうる限
り把握しておきたい。そして奴らから人々を守りたい。
 それが自分が担う事となった、担うと決めた役割でもあるのだから。
「…………」
 ハンカチで手を拭い、一聖は頭を回転させる。
 さて何処から攻めていくか?
 本丸とのパイプは暫く使えない。故に直接的な情報収集は難しくなるだろう。
 だとすれば、他に取れる方法は……。
「……アヤの所、かな」
 ならばもう一度、外堀から見直してみようか。
 一聖は誰もいない中そう独り呟くと、入口のドアを開けて歩き出したのだった。

「ただいま~」
 午前中の講義が一通り済み、早苗は清浜の住宅街にある自宅に戻って来た。
 玄関のドアを開けて、いつもの調子で中に入る。
(……あれ?)
 だが靴を脱いで廊下からリビングに差し掛かったその時、早苗は思わず足を止めていた。
「お父、さん……?」
「……」
 視線の先には、リビングのソファに背を預けている中年男性が一人。
 顔は見えないが間違いない。早苗は確かめるようにその名を呟く。
「……ああ、早苗か。おかえり」
「う、うん……。ただいま……」
 雪村隼人。
 早苗の父であり、地元・清嶺署のベテラン刑事でもある。
 ちらりと視線だけを寄越した、何処か沈んだ声色。一瞬早苗はその表情に苛立ちのような
ものを垣間見た気がしたが、それも束の間、隼人はスッとクールダウンしたかのような表情
に変わっていた。
 それだけの事なのに、早苗はついつい動揺してしまっていた。
 父は職業柄、そして昔気質な性格で普段から仕事に没頭しあまり家に帰ってくる事はない
人物だった。正直言って彼の父親としての記憶自体、あまり残っていないほどだ。だからこ
そこんな平日の、それも真昼間にリビングでぼうっとしているなど、早苗は予想だにしてい
なかったのである。
 数秒視線を交えた後、隼人は再びゆっくり前を向いていた。
 だが特にテレビや新聞を読んでいるというわけでもない。ただぼうっとソファに背を預け
て静かに座っているだけのようだった。
(……どうしたんだろう? お父さん)
 何か気の利いた言葉を掛ける事もできず、早苗はどうしたものかと立ち尽くす。
「早苗」
 そうしていると、キッチンの方から母が顔を出してこちらに手招きをしているのに気が付
いた。もう一度父の方を見遣ってから、早苗はそろそろと母の方へと歩み寄っていく。
「何、お母さん?」
「……驚いたでしょ? お父さんが帰って来てて」
「う、うん。正直言うと」
 聞こえたら失礼ではないか。
 早苗は声量を落としながら頷いていた。母も同様にひそひそとした声で話し掛けてくる。
「お父さん、どうしたの? いつも忙しいのにこんな時間に……」
「それがねぇ……。本人もあまりはっきり言ってくれないから分かり難いんだけど」
 母はふっと苦笑を漏らしてから、言った。
「どうも偉い人達と喧嘩して……自宅謹慎になったみたいなのよ」
「えっ!?」
 思わず大きめの、短い驚きを漏らしてしまい、早苗は慌てて口を塞ぐ。
 ちらりと父の方を振り返ってみたが、やりとりが聞こえていないのか特に様子に変化は見
られない。再び母に向き直り、早苗は意識的に声量を落としながら訊き返していた。
「謹慎……? 本当なの?」
「ええ。本人もそう言ってたし、そうじゃなきゃ連絡もなくいきなり帰ってくるような人じ
ゃないもの」
 母もまた、どうしたものかと困っているような様子だった。
 早苗はそんな彼女の表情を見遣り、またそっと父の背中に視線を向ける。
 確かにあり得ない話ではない。父ははっきり言って世渡りが上手い方ではないし、どちら
かと言えば昔ながらの清浜人であるといっていい人物ではある。
 だがしかし……と早苗は思った。
 つまりそれは上司と大揉めになるほどに彼が何かを主張したか、何かをしようとしたか、
或いはしようとしなかったのかという事になる。現場での父を早苗は知らなかったが、何よ
りも刑事としての自分に誇りを持っている筈の父がそこまでした理由とは一体何だったのだ
ろう……?
 ふとそんな疑問が早苗の脳裏を掠めていた。
「……だから、暫くはあまり刺激しないであげてね。お父さん、黙っているけどきっと色々
思っている所があるだろうから」
「うん……。分かった」
 早苗は母の言葉に素直に頷いておいた。
 自分があれこれ考えた所で、確かにどうしようもない。訊き出せば何か分かるかもしれな
いが、決裂し、処分を受けた直後にそういった事を訊ねるのも酷な気がする。
 気にはなるけど、お母さんの言うように暫くそっとしておいてあげよう……。
 そう思い直して早苗はそっと廊下を通り過ぎ、二階の自室に上がろうとした。
「……早苗」
 だが、その呼びかけは他ならぬ隼人の方から投げ掛けられたのだった。
「な、何……?」
 思わずビクッと身体を硬直させ、早苗は立ち止まっていた。
 何だろう……? 
 恐る恐ると言った感じで早苗は父に振り向いた。彼はソファ越しに顔を向け、妙に緊張し
た様子の娘を見遣っている。
「お前、大学で物理をやってるんだったな?」
「う、うん。そう、だけど……」
 思わぬ質問だった。仕事人間な父が、こんな時に呼び止めてまで娘の学生生活について聞
いてくるなんて。
「……訊きたい事があるんだ。短時間に人間を衰弱させることのできるような現象なんても
のが、物理的に可能なものなのか?」
「…………。え?」
 だがそんな驚きは、すぐに彼の次の言葉で大きく塗り替えられてしまう事となった。
 たっぷりと数秒。虚を衝かれたように空白になった頭からようやく回復し、早苗は搾り出
すような驚きを小さな呟きに変えていた。
 ちょっと待ってお父さん。人間を、衰弱? それって……。
「どうなんだ?」
「あ。え、えっと、その……」
 早苗は混乱していた。驚きの後に遅れて、無尽蔵の大波がやって来たかのようだった。
 父の性格からして単なる話題提供には思えなかった。
 脳裏を過ぎったのは、あの件の都市伝説。
 清浜を跋扈する怪人、怪人に襲われる人々、そして襲われて生気を吸われる──。
 まさか本当にそんな事が? 流石に怪人などという表現は脚色だとしても、現に人間が衰
弱するという事態が起きている──警察が、父という刑事が懸念する程の事態になっている
とでもいうのだろうか。
「……ど、どうなのかな。え、栄養失調とか病気とか……人が衰弱するって事自体は在り得
ない事ではないと思うけど……」
「そうだな。でも俺が聞きたいのはそういう事じゃなくってだな……」
 隼人はそこまで言って、フッと数秒言い淀んだ。
 何か言葉を選び直すように、早苗を見遣ったままやがて再び言葉を続ける。
「こう、もっと物理的に……外傷も無く衰弱させる方法ってやつなんだが」
「……う~ん。ちょっと思いつかないかな……。もしかしたら私の勉強が足りないだけなの
かもしれないけれど」
「……そうか」
 一見務めて隠そうとしていたが、早苗にはその瞬間、父が心なしか一段と落胆したかのよ
うに思えた。
 ゆっくりと、早苗に向けられていた視線が外される。数秒の沈黙。ドキドキと胸の奥を打
つ鼓動だけがより一層自身に響いてくるような気がした。
「……じゃ、じゃあ私、部屋に戻るね」
「あぁ……」
 その質問だけで用件は終わったのだろう。隼人はそのまま、静かに縁側から漏れてくる陽
の光に照らされながら佇んでいた。早苗はおぞおずと途切れた会話から逃げるようにそう告
げると、足早にその場から立ち去ろうとする。
 ぽつりと返ってくる父の声。キッチンから苦笑いを見せている母の顔。
「早苗」
 再び、間を置いて隼人が短く呼び掛けてきた。
 もう死角になってその姿は見えない。声だけが聞こえてくるだけだった。それでも早苗は
その場で立ち止まり、振り返る。
「……何?」
 隼人は少し黙っていた。早苗はそれでも彼の言葉をじっと待つ。
「……外に出る時は、気をつけろ。物騒だからな」
「……。うん」
 それはどういう意味だろう。やはりそれは……。
 だが早苗には、父の表情を確かめられる位置にはいない。
 再び室内に沈黙が降りる。窓越しに陽の光が静かに注いでいる。早苗はそっと目を閉じ、
開いた。
 そうだ。気に病んでも始まらない。今は父の為にも自分達家族が平静を保たねば。
(……しっかりね。お父さん)
 もう一度父のいるリビングの方を振り返って。
 早苗はトンッと一歩を踏み出していく。

 繁華街の一角にあるファッションショップ・ensemble。
 そこで店長を務めている仁科彩は、その日も朝早くから出勤していた。
 店のあちこちでディスプレイされた服が無言で競い合っている。センスとしては全体的に
若年層を中心に。彩自身の気持ちから先ず若くいなければ、いたいという想いともそれらは
重なり合う。
(……今日もそこそこって所ね)
 彩はゆっくりと店内を歩きながら、店員や商品の様子、そして訪れる客達を密かに観察し
て回る。ヘルプを求められれば応じるが、普段は常にアンテナを張ってトレンドの変化に対
して敏感でなければならない仕事なのだから。
 今はまだ昼前だが、もう数時間もすれば客の多くは学生中心に変わっていくだろう。
 学校帰りの彼女達の人の波。それはこの店だけではなく、この繁華街一体をにわかに活気
づかせるその日その日の刺激剤でもあった。
「店長」
 そうしていると、店員の一人が呼び掛けながら歩み寄ってきた。
 彩は周囲を観察していた視線を彼女に向け、無意識の内に微笑を見せる。
「うん? どうかした?」
「あ、はい。あの、店長にお客さんみたいなんですけど」
「……私に?」
 言われて、彩は彼女に指差された方──店の入口の辺りに目を遣った。
 そこにいたのは一人の男性。
 ファッションの専門職から言わせて貰えば、正直あまりきっちりとした身だしなみと言う
べきかは迷う所である。スーツ姿だが、全体的にラフな雰囲気で緊張感を与えない為の風体
とでも表現すればいいのだろうか。
「あら? いらっしゃい」
 その顔に彩は見覚えがあった。というよりも、よくよく見知った顔だった。
 入口のドア際に背を預け、気安い表情(かお)を自分に向けてきている。
「よっ、アヤ」
 軽く手を上げて、男性は簡単な挨拶をしてきた。
 それに対し彩も颯爽と歩み寄りながら、
「やっほ~、イッセー」
 彼──かつての同級生であり友人・黒田一聖へと、そう気さくな言葉を返したのだった。


「──まぁそんなわけで、サブもタケも皆、元気にやってるみたいだぜ」
「そっか……」
 彩はいつものように一聖を店のスタッフルームへと通した。
 普段は店員達が利用しているさほど広くはない休憩室。近くの店員らに一言告げておいて
中に入った後、彩は備品のコーヒーメーカーで二人分のコーヒーを淹れながら、テーブルに
着いてかつての友人や仲間達の近況を話して聞かせてくれる一聖に耳を傾けていた。
「それにしても……」
 コーヒーカップからほんのりと湯気が立つ。
 彩は自分の席と一聖の前にカップを置き、自身も座りながら言った。
「ホント、イッセーはよく皆の事把握しているわよね。清浜(ここ)を出て行っちゃった子
だっているのにさ」
「まぁ、それも色々伝手を作ってきたからだな。人脈ってのは大きいもんだぜ。一応これで
も記者って仕事をやってる身だしな」
 時折こうして顔を見せてくるかつての仲間達が嬉しい。そう彩は素直に思う。
 “今”の暮らしと交流に特に不満があるわけではないが、それでも楽しかった、皆で一緒
になって騒いだあの頃の思い出は、今も多少の美化と共に胸の中にある。
「……それで? その記者さんが今日は何の用なのかな?」
 たとえこうした来訪が彼にとっては態のいい情報収集の一環であると分かっていても。
「あぁ。そうだな……」
 耳のピアスと髪を揺らして問い掛ける彩に、そろそろ前置きは終わりかと思ったらしい。
 一聖は心持ち一瞬、真剣な表情を作ると、くいとコーヒーを口に運んでから窺うように彼
女を見据えると、
「清浜に出るっていう怪人の都市伝説、知ってるよな?」
 そう本題を切り出した。
「ええ。仕事柄若い子とも話するからね。噂の類なんてのは大概そういう子達から出てると
言ってもいいくらいだし。……でも、その話って前にも聞いてきたよね? 何で?」
「うん? いやまぁ、こっちも色々とあんだよ。で、どうだ? 何か耳にした事ないか?」
「う~ん……」
 訊かれながら、彩はコーヒーを啜りつつ自身の記憶を辿った。
 清浜の怪人伝説。人の生気を吸う正体不明の怪人。確か、噂の元になっている事件がある
とかないとか彼は漏らしていたような気もするが……。
「そう言われてもねぇ。多分、私の知ってる事ならもうイッセーが調べちゃってると思うん
だけどなぁ。そっちは実際に調べてるんだしさ」
「……そっか。時間が経てば何か変わるものがあるかなって思ったんだけどな」
 多少は予想していたのだろう。一聖は落胆もほんの一瞬、再びコーヒーを口に運び自然と
間を置いて黙る形となった。それを見遣りながら彩はぼうっと自分の記憶を弄り続ける。
 時間が経てば、変わるもの……。
「あっ!」
 ちょうどそんな時、彩の脳裏に何かが引っ掛かった。
 思わず心持ち目を開いて声を上げてしまう。
「ん……? どうした?」
「お、思い出したのよ。その、怪人絡みの事で」
 その言葉に驚いたらしく一聖は口の中のコーヒーを一気に嚥下してしまっていた。
「ほ、本当か!?」
「うん……。多分ね」
 胸元を擦りながら、彼はずいっと身を乗り出してくる。
 彩はコクリと頷いて話し始めた。
「うちの常連さんで秋奈ちゃんっていう娘がいるんだけど、その子が少し前に妙な事を話し
てたのよ。えっと確か……『友達が化け物に襲われたって』っていう」
「…………」
 その瞬間、一聖は静かになって目を細めていた。
 だが彩は記憶を辿っていてそれに気付く事はなく、顎をそっと触りながらその時の事を思
い出そうとしている。
「最初は何かの冗談かなって思ってたんだけど、その友達──小春ちゃんが同じ時期に入院
したって知ってね。少なくとも何かあったのは間違いないわ。秋奈ちゃんったら『絶対、あ
いつに復讐するんだ!』って随分興奮してたわね。二人とも仲のいい親友同士だから、気持
ちは分からなくはないけど……でも危ないからって私は止めたんだけどね……」
 そしてその時の少女と自分の対応を思い出し、思わず苦笑が漏れる。
「秋奈ちゃんが見たっていう化け物とか怪人とか……どう? これって関係あるかしら?」
 最初は半信半疑だったが、こうしてみると何もないと考えるのが変にも思えてくる。
 彩はテーブルを挟んだ一聖を見返して、そう問い返していた。
「そうだな……」
 一聖は乗り出していた身を引いて深く椅子に座り直した。
 じっと口元に手を当て、彼女からの証言を反芻するかのように暫し黙り込む。そしてやや
あって、一聖は決めたといった感じで顔を上げた。
「……なぁ、その子と連絡取れるか?」
「え? うん。仲のいい常連さんとはアドレスも交換してるしね」
「そっか。じゃあ取り次いでくれるないか?」
「ええ……。今から?」
「あぁ。頼むよ」
 言われて彩は携帯電話を取り出した。手馴れた指捌きで電話帳ページを開いて秋奈の名を
検索しながら一聖にちらと目を向ける。
「もしかしてだけど……イッセー、秋奈ちゃんにアポを取るつもりなの?」
 訊かれて、一聖は勿論といった感じで二カッと笑うと答えた。
「あぁ、そうだよ。その子は“生き証人”だぜ? 話を聞かないなんて手はねぇだろ?」

「あいよ。頼まれてた品だ」
「……どうも」
 大良は彼から何冊もの本を受け取っていた。
 物理、工学、生命科学。それらは全て専門書の類だった。大良は手に提げた厚手の紙袋の
中にそれらを詰めると、予め申し合わせていた額の代金を手渡す。
「はいはい確かに……まいどありっと」
 相手は初老過ぎの男性だった。
 場所は店の中。所狭しと並んだ本棚に雑多な書籍が詰め込まれ、周囲の空気を圧迫してい
るような印象を受ける。クボ書店──清浜の一角にある小さな個人経営の書店だ。
 その店主・野久保翁は慣れた手つきで金額を検めると古びたレジの中にしまい込む。
 年季を感じさせるカウンター、レジ台。大良はそれを挟んで彼と向き合っていた。
「……すみません。注文が多くて」
「なぁに、気にすんな。伝手だけなら大勢いる。白坊のリクエストにだって応えられらぁ」
 礼儀としての一言。
 だが野久保翁は一向に気にしていない様子で、むしろニカッと笑っていた。
「それにうちみたいな小さな店にとっちゃ、お前さんみたいな客は歓迎なんだ。まぁ、ただ
売り上げを伸ばしたいなら人気の本を扱えばいいんだろうが……それでも俺はもっと人それ
ぞれに好きな本を存分に読んで貰いたいからよ……」
「……。そうですか」
 大良は寡黙にその言葉に耳を傾けていた。
 そう語る彼の視線は自分の後ろ、店の外の風景に向けられている。
 古くから──少なくとも自分が幼い頃にはこの店はこの場所にあった。だが、今ではその
周りは開発され、まるでこの店を圧迫するかのように多数のビルが建ち並んでいる。
 それでも彼は店をたたむ事はしなかった。今もこうして小さな本屋を営み続けている。
 敢えて笑顔でいようと努めているのか。少なくともあの頃の開発の波に揉まれたのは間違
いない筈だ。
 あの頃から随分と白くなった彼の髪は、何も歳月の変化の所為だけだとは思えなかった。
「……」
 ちらりと。大良の視線が外の風景と野久保翁の間とを往復する。
「……まったく、分からんもんだよなぁ。覚えてるか? お前さん昔、建つ前のビルの鉄骨
に潰されそうになったろ?」
 しかし大良は次の瞬間、心持ち少し鋭い眼つきになっていた。
 だがその変化に気付いているのかいないのか、野久保翁はしみじみと思い出すようにして
言葉を続ける。
「あの時、黒坊が飛び込んでなきゃ間違いなく死んじまってたのによ……。今やうちのお得
意さんでもあり、清大の院生さん──未来の学者先生ときたもんだ」
「…………」
 大良は後ろを振り返らなかった。ただ静かに僅かに眉間に皺を寄せて黙している。
 野久保翁はそこでフッと苦笑交じりに破顔した。
「本当に良かったよ。生きたからこそ、こうしてお前さんも立派になれたんだ。嬉しいもん
だね。実際には他人事でもさ。あぁ勿論、お得意さんだからってもあるんだがね」
 大良はじっと沈黙を保っていた。
 何かを言い返す事は、できなかった。もし何かを言い返せば自分の中身を知られてしまう
かのような。そんな気がしてならなかった。
「……では、僕はこれで」 
 そして沈黙の後、変わらず人好きのする笑みを残す彼に、大良は軽く頭を下げてからその
場を立ち去ろうとする。
 ちょうど、そんな時だった。
「──ん?」
 ポケットの中から携帯電話のバイブレーションが伝わってきた。
 すぐに指先を伸ばし、表示された着信相手を確認する。あいつか。大良は野久保翁に背を
向けた格好のまま応じた。
「……もしもし」
「もしもし、俺だ。今大丈夫か? 何処にいる?」
 電話は一聖からだった。
 街中にいるのだろう。声の背後に人々の放つ雑音が混ざっている。
「今日の講義は午前中だけだったから問題ない。今はクボ書店だ」
「あぁ、野久保のおっちゃんの所か……」
「……それで? 何の用件だ?」
 何かしら必要があるからこそ、直接連絡をしてきたのだろう。
 大良は短く彼に先を促して言った。
「それなんだがな。今アヤの店の前にいるんだけど、実はさっき取材のアポを取ったんだ。
例の……衰弱事件の目撃者だっていう子がいるみたいなんだ。話を聞こうと思ってよ、アヤ
に頼んで会えるようにして貰ったんだ。だからお前も、もし何かその子に聞ききたい事があ
るなら前もって教えて欲しいと思ってさ」
 その言葉に、大良は数秒黙り込んでいた。
 目撃者。つまりはドールに遭遇した人間という事か。だが、多くの当人達は周りからの眼
を気にして──特にイッセーのような記者という人種には、証言を躊躇っているらしいと聞
いていた筈だが……。では今回はそんな例に漏れる人物を捕捉したという事なのか。
「……何故だ?」
「何故って……そりゃあ調べてるからに決まってるだろ? 俺自身の関心もあるけど、元々
はお前が調べてくれって頼んだからだぞ。お前だって、おっちゃんの所って事は大方資料を
調達に来てるんだろ?」
「そうだが……。僕が聞いているのはそっちじゃない」
 電話の向こうで一聖が首を傾げている光景が頭に浮かんだ。
 大良はそこで初めて背後の野久保翁をちらと振り返り、少々声量を落としながらそう補足
を加える。
「何故、仁科の所なのかと聞いているんだ。事件の情報なら師崎さんから仕入れた方が確実
じゃないのか?」
「あぁそっちね……。ま、色々とあってな……」
「……?」
 電話の向こう、店の軒先の傍らで一聖は言葉を濁しながら天を仰いでいた。
 日差しは今日も初夏に相応しい強さだった。たが幾分か雲が流れて心持ち涼しさもある。
 さて、これは話してしまっていいものか……?
 一聖は暫し迷ったが、結局は社での経緯を話すことにした。
 彼なら別に話しても悪いように使いはしないだろう。それに同じ秘密と目的を共有してい
る相棒同士、分かち合う情報は多い方がいい。何よりも、彼の優れた頭脳により多くの判断
材料を与えられるならそれは歓迎すべき事だろう。そう思って。
「…………。情報統制だな」
 そして一聖から事情を説明され、大良が最初に発したのはそんな言葉だった。
「かもな。でも向こうさんだって人間だ。喋りたくない時とか都合ってのはあるさ。何かの
切欠で口が堅くなるなんてのはそんなに珍しい事じゃねぇよ。……それに、そういう時分の
間合いやら頃合いを計ってこっちの欲しい情報を引き抜くってのも俺らの仕事の内だしさ」
「ふむ……」
 だが一聖の何処か気楽な調子とは対照的に、大良はまた深く沈黙の中に沈んでいくかのよ
うだった。携帯電話を耳元に当てたまま、暫く何か思考を巡らすように黙り込む。
 しかしそんな彼の癖は一聖もよく分かっているので、むしろ何かあるのかもしれないと期
待もしつつ、じっと次の言葉を待つことにする。
「……その目撃者と会うのはいつだ?」
 沈黙からたっぷり十数秒。大良が次に返してきたのはそんな質問だった。
「今日の五時に本町のモストでだけど。それがどうかしたか?」
 反射的に近い感じで一聖は答える。
 何を聞いてくるかと思えば。正直少し意表を突かれた感じだった。だが、
「…………分かった。僕もその場に出向こう」
 コクリと頷いてそう言ってくる大良に、そんな揺らぎは掻き消されてしまう。
「え? いいのか?」
「問題ない。講義も済んでいる。一度部屋に戻ってからでも充分間に合うだろう」
「そっか……。まぁいいけど。じゃあ待ってるよ」
「あぁ」
「それじゃあな」
 そうして通話は終わった。
 大良は無言になった携帯電話を再びポケットにしまい込む。
「……もしかして、黒坊からか?」
 レジカウンターに肘をついて、野久保翁がそう聞いてきた。
 微笑ましく見守るような表情。大良はちらと彼に視線を寄越してみる。
 大丈夫……か。余計な事は知られてはいないと見える。
「えぇ、まぁ」
 大良は心持ち半身を返した体勢のまま短く答えていた。
 すると野久保翁はうんうんと頷き、その微笑を更に深いものにする。
「そうかそうか。……良かったなぁ。お前さんもいい友達を持ったもんだよな?」
 だが大良はその言葉には何も答えなかった。
 ただ形ばかりの会釈を返して、今度こそ踵を返して店の外へと歩き出す。
「……いい出会いってのは財産だ。大事にしなよ」
「…………」
 背後から、付け加えるようにそんな言葉が飛んでくる。
 それでも大良は黙ったまま店の軒先をくぐっていた。
 分かっている。だけどそれを全てに認めているわけでもない……。
 そんな、複雑な感情の渦が自分の中でざわめくのを密かに感じながら。

 目撃者の名は、穂波秋奈といった。
「~~♪ おいひぃ~♪」
 外見は今時の女子高生と表現すべきだろうか。淡く染めた茶髪のミドルショートに、所々
に彼女ら独自の着こなしを加えた学校の制服姿をしている。鞄や携帯電話には、邪魔になる
んじゃないかと思うぐらいに雑多なアクセサリー類がぶら下がって自己主張をしている。
 一聖はそんな彼女と共に、大通りの一角にあるファミレスへとやって来ていた。
 これから聞き出す話が話だけに、席は周囲の客が視界に映りにくい場所を選んだ。例の衰
弱事件──ドール達の暗躍について証言してくれるとあって、一聖はもっと神妙な顔つきで
相手は臨んでくるものかと思っていたが、その予想は呆気なく崩されていた。
「……そ、そっか。美味いか」
「うんっ。やっぱ腹が減ってはお話もできないってね。あ、黒田さんも食べる?」
「いや、いいよ……。というか大丈夫か? 結構ボリュームあるぞ」
「ダイジョブダイジョブ。私、食べ盛りだもん」
「……さいで」
 何よりもサバサバ、というよりフランクな印象の娘だった。
 自分とは初対面の筈なのに、軽くお互い自己紹介をしただけですっかり友達と会話するか
のようなノリで接してくる。別に嫌だとまではいないが内心気を引き締めていた分、どうに
も調子が狂うような。
 だがそんな一聖の心の内とは裏腹に、その当人である秋奈は早速と頼んだ大盛のイチゴパ
フェに舌鼓を打っていた。もきゅもきゅとその山を口に運んでは、時折ドリンクバーで注い
できたオレンジジュースを流し込む。
(これ経費で落ちるかな……。いや、やっぱ自腹か。一応今は自粛させられてるんだし)
 甘い物は別腹というかなんというか。女ってのは分からんなぁ……。
 財布の中身やそんなこの若者の雰囲気を思いつつ、一聖も自分の分の烏龍茶を口に運ぶ。
「……ところで、他にも来る人がいるって言ってたけど誰なの?」
 そうぼんやりとしていると、ふと秋奈が顔を上げて訊いて来た。
 一聖は「あぁ……」と呟きのような返事をしながら、グラスをテーブルに置き直す。
「俺のダチで白沢大良っていうんだ。清大の学者の卵でね。急遽一緒に協力してくれる事に
なったんだ。だから頭の良さは保障するよ。君の見たって言う化け物とやらについても、何
かいい説明をしてくれるかもしれない」
 一聖はそうは言ったが、正直大良が来る事になったのはラッキーだったと内心思い始めて
いた。まだ本題には入っていないが、正直言ってこの娘の言葉は果たして証言としてまとめ
られるかどうか見込みをつけあぐねていたのである。この数分間で見せているノリで話され
ても、その中身が要領を得ないものになりはしないだろうかと。
 それに事件に巻き込まれた彼女をどう言い包めるかも問題だった。彼女はどちらかと言え
ば積極的に打って出るタイプだ……そう一聖の勘が告げている。もしそうだとすれば、大良
がいてくれればより効果的にこちらの秘密に気付かれずに、肝心の証言だけを聞き取り易く
もなるだろう。
「ふぅん……?」
 そう思考を巡らしながら見遣ると、彼女は何処か僅かに眼を細めているようだった。
「清大の、白沢さん……」
 ぶつぶつと。何かを呟いては口元についたクリームを舌先で舐めている。
 一聖はその仕草にふと何か引っ掛かるものを感じたのだが、
「……待たせたな」
 そう静かに席に近づいて来た大良の声に、それも立ち消えになった。
「おぅ。すまねぇな、急に来て貰って」
「……気にするな」
 眼鏡のブリッジを押さえながら、大良は呟いてそっと席についた。
 窓際の、店内を見渡せる位置に一聖が、その斜めに秋奈が、更にその斜めに一聖とテーブ
ルを挟んで向かい合う形で大良が座る。
(ねぇねぇ、黒田さん。この人がそうなの? 凄いじゃん、イケメンじゃん)
(……ま、顔はいいかもな。確かに)
 すると大良を見た秋奈がずいっと身を寄せてひそひそと話し掛けてくる。
 嬉しそうだった。一聖はそれが何処か鬱陶しくて苦笑のような嘆息と共に呟き返す。
 その二人を、大良は感情の乏しい顔で見遣っていた。ややあってやって来たウェイトレス
から注文を聞かれ、アイスコーヒーを頼んで彼女が立ち去っていくのを認めると、
「……それで? 話は何処まで進んでいる?」
「まだお互いの自己紹介だけだ。本題はこれからだよ」
「そうか……。僕は白沢大良という。イッセー……黒田からは聞いているか?」
「あ、はい、聞いてます。学者さんの卵だって。あ、あの私、穂波秋奈って言いますっ」
「…………そうか。それでは穂波君、早速君の目撃した事を話して貰いたいのだが」
 彼は前置きもそこそこに本題へと切り込んで来る。
「あ、は、はい……っ」
 そこでやっと彼の性格の一端に勘付いたのだろう。
 秋奈は思わず少し引け腰になってしまっていた。
 だがそれでも彼女はすぐにもぞもぞっと居住まいを正すと、
「……あれは、今から一ヶ月くらい前の事です」
 フッとにわかに真剣な表情になり、ぽつぽつと当時の記憶を語り始めたのだった。

 その日は、友達──小春と遊びに出掛けてて。その帰り道だったんです。
「ふ~、遊んだ遊んだ~」
「そうだね。ちょっと遅くなっちゃったかなぁ……?」
 ちょっと羽目を外し過ぎちゃって、時間は陽が沈んだ後だったと思います。
「ま、大丈夫でしょ? なんなら晩御飯も食べてこっか?」
「う~ん。そうだねぇ、どうしよっか……」
 それでも街中は灯りもあちこちに点いているし、他にいっぱい人はいたし……遅くなった
事自体はそんなに気にしてはいなかったんですけど。
「……?」
 今思えば、そこに隙があったのかも。
 私達だって、怪人の都市伝説の事は耳にしてたから……。
「? どうしたの、小春?」
「あ、うん……。その、今妙な視線が……」
「視線……?」
 歩道を歩いてた途中で、急に小春が何か視線を感じて立ち止まったんです。
 私もそれに気付いて一緒になって視線を感じたっていう方──ビルの合間の路地裏を覗い
てみたんですけど。
「……う~ん。そうなの? 別に誰もいないよ? っていうか暗くてよく見えないし」
「そう、だね……」
 灯りが上手く届いてないのか暗くて、誰かがいるようにも見えなくて。
「気のせいじゃない? ほら、行こ?」
「……うん」
 そのまま立ち去ろうとした次の瞬間だったんです。
「──ッ!?」
 先に一歩踏み出した私のすぐ横で、小春の姿が消えたんです。
 一瞬の事でよく分からなかったけど、反射的に振り返った時に目に映ったのは……多分、
黒い触手みたいな。それがいっぱい小春にまとわりついていたんです。
「小春っ!?」
 もう……気付いた時には、小春はその黒いのに引っ張られるようにして路地裏の中へ引き
ずり込まれてた……。私は慌ててその後を追ったよ。
 今でも覚えてる。夜だったからかもしれないけど、何だか妙に冷たいというか寒気がする
ような不気味な感じだった……。でも勇気を振り絞って壁伝いに薄暗い中を進んでいたら、
「──うぐっ!」
「ッ! 小春!?」
 奥からドゴッって感じの、何かがぶつかる鈍い音と小春の唸り声がして。
 それで血が上っちゃったんだと思う。私はその場へ駆けつけながら、
「小春を放せっ! この野郎ッ!!」
 勢いに任せて相手も確かめずに叫んでたんだ……。
「…………」
 でも、そこにいたのはヒトじゃなかった。
「……ぇ」
 薄暗い中だったけど、表からの灯りも漏れてたし間違いないよ。
 何ていうか……形は人型だったけど、全身は塗り潰したみたいに真っ黒で、足元から黒い
触手がいっぱいうねうねしてて。小春を壁に押し付けて縛り付けてたんだ。
 あれは、人なんかじゃない。化け物だった……。
 私の叫び声に気付いて顔を向けてきたんだけど、その顔には鼻も口もなかった。あったの
はでっかい眼だった……。それがギロッと目ん玉を一回転させて、私を睨んできたんだ。
「ひぃ……っ!?」
 も、もうパニックだった。
 思わず腰が抜けてその場にへたり込んじゃって。
 小春から触手を解かれて地面に落ちてたのに、親友がこんな訳の分からない奴に襲われた
のに、私の頭の中は……怖いって気持ちでいっぱいになってた……。
「こ、こ、来ないでぇっ!」
 多分、あの時の自分の顔は相当ひどい事になってたのかな……。
 わたわたしながら、ゆっくり近づいてくる化け物から逃げるように尻餅をついたまま後退
りしてて。もうあの馬鹿みたいに大きな気持ち悪い眼に、顔に釘付けになって。
「──ッ!!」
 もう駄目だって、思ったんだけど。
「…………」
 でも、ちょっと間があって。
(……?)
 それで恐る恐る眼を開けてみたら、何でか分からないけど、数メートル前くらいで化け物
が止まってたんだ。あいつの足元からうぬうねしてた黒い触手も、全部が全部ピタリと同じ
所で止まってて……。
(に、逃げ……)
 殆ど直感的にチャンスだと思った。
 だから私は、まだガクガク震えていた身体を引っ張り出して、
(逃げなきゃ……!)
 もう転がるみたいに慌ててその場から逃げ出してたんだ──。

「……だけど、あのまま小春を放ってはおけなくって」
 話がそこまで進んだ段階で、気丈な少女の眼にはじわりと涙が溢れていた。
 最初の快活な面影は最早見るべくも無いほどに。
「その後すぐに、その路地裏に戻ったんだ。そしたらもうあの化け物はいなくなってたんだ
けど……小春が、小春がその場にぐったりと倒れてて。いくら呼び掛けても揺すっても応え
てくれなくて……」
「そ、それで? その子はどうなったんだ?」
「……うん。慌てて救急車を呼んで、少しして病院に担ぎ込まれたけど、それから三日位は
目を覚まさなかったんだ」
「……。では今は無事、というわけか」
 確認するように訊ねた大良に、秋奈はコクリとか弱く頷いた。
「うん。今は……元気だよ。最初は何だか弱ってたみたいだけどね。それと左腕を骨折して
たし──きっと、あの時の鈍いぶつかってた音がそれなんだと思うけど、それもあって今も
念の為に入院中。ただ話を聞く限りはもう少しで退院できるみたいなんだけど……」
 フッと渇いた笑いを漏らしながら、彼女は言う。
「……だけど」
 そうして話す内により鮮明に思い出されてきたのだろう。
 彼女の話の通りならば、その日彼女は突然得体の知れない化け物に恐怖し、
「だけど、私はあの時逃げたんだ。小春を助けるべきだったのに……私は小春を見捨てて逃
げたんだ……!」
 同時に、大切な友を助けられなかったという悔しさを背負ったのである。
 急につまみを引き上げるようにその声量が増す。
 それはきっと、自責の念。一時とはいえ友人を見捨ててしまった後悔だった。
 一聖は彼女の変化と、周囲からちらほらと寄越される視線に言葉少なげに戸惑い、大良は
感情を吐き出すその姿から尚、冷静に事実だけを抜き取ろうとするかのように、静かに目を
細めるだけで変わらず彼女の証言にじっと耳を傾けている。
 テーブルの上で握り締めた秋奈の拳が、ギリギリと音を立てているかのようだった。
 吐き出された彼女の心が、静かに辺りに四散していくかのようだった。
「……とりあえず落ち着けよ、な? 君の気持ちは……よ~く分かったから」
 取り繕うように。
 一聖はその沈黙の間を縫い、静かに息を吐き出すと、できる限り優しくそう彼女に語り掛
けていた。じっとこちらを見上げてくる潤んだ秋奈の眼。一聖はその視線に、不器用ながら
も精一杯の──多分、苦笑も混じった──微笑みを返してやる。
「……うん」
 そしてその表情(かお)に、やがて彼女は掠れるような小さな声を搾り出しながら、
「ありがとう……」 
 ごしごしと涙を拭っていた。
「……」
 その様子を見て内心安堵しながら、一聖はちらりと大良の方を見遣った。
 眼鏡の奥の怜悧な瞳。その双眸は一見すると、いつものように冷静沈着──穿って見れば
少々冷淡に目の前の証言者を見据えているようにも見える。
「……なるほどな」
 すると、話の途中で届いていたアイスコーヒーを口に運んでから、大良が誰にともなく呟
いた。視線の先は秋奈。心なし泣き腫らした顔で、少し緊張した様子で彼を見返している。
「以前よりイッセーから聞いていた話と酷似している」
 その台詞に、一聖は思わず制止の声を掛けそうになった。
 おい? その辺りまで話しちまっていいのかよ……?
「え? じゃあ黒田さんって他にもその……こういう都市伝説の話を聞いてるんですか?」
「そうだ。取材の一環でな。だろう、イッセー?」
「……あ、あぁ。まぁそうだな」
 なのに大良はこちらに振ってくる事までしてくる。
 これはどういう事だろう? 一聖は言葉を濁した返事をしながら考えてみる。
(……この子の信用を得ておいてもっと情報を引き出そうって魂胆か?)
 大体そんな所だろうか。それにいざとなればメモリー(記憶)のユニテルがある。
 ただ個人的には、あまり多用して欲しくはない手段だが。
「そうなんですか……。という事は怪人伝説って本当だったんだ……」
「あ、いや……。むしろその本当の所はどうなんだっていうものなんだけどな……」
「……だが実際に、君のように何者かに襲われたという人々がいるというのは事実だ。ただ
その犯人──君の言う化け物とやらをすぐに認める訳にはいかないが。これでも科学者の端
くれをやっている身としてはな」
「いいえ、あれは化け物ですっ、間違いありません!」
 感嘆と苦笑と平静と。
 互いの言葉が混じった後、秋奈は不満気にずいっと大良の方に身を乗り出していた。
 店内の数名の客がちらりとその声に反応してこちらを見てくる。一聖は愛想笑いを浮かべ
ながらその視線を掃っていた。
「……」
 大良は再びアイスコーヒーを口に運んでいた。
 秋奈に詰め寄られても動じる様子は微塵もない。むしろ想定内の反応だといった感じさえ
垣間見せているかのようだった。
「……僕が問題としているのは君のその認識と事実として何があったのか、その差がどういうも
のなのかという点だ。別に、君の話が全て嘘だとは思っていないさ」
「うぅ……」
 飲み干したグラスをテーブルに置き、大良は秋奈をついと見遣る。
 あくまで冷静に。そんな姿勢を貫く彼に、彼女は無意識の内に口を尖らせていた。
「……でも結局、白沢さんもそうやってはぐらかすんですね。そりゃあ私の話は学者さんの
眼から見て変かもしれませんけど」
「……。この場で断定する事が適切ではないだけだ。もっと材料が揃えば何かしら僕なりの
見解を出す事もできるかもしれないが」
 秋奈はぎゅっと唇を噛み締めて黙っていた。
 じわじわと、まるで底に溜まっていくかのような沈黙が三人を覆っていく。
「……やっぱり、証拠がないと駄目なのかな。警察にもそう言われて突っ撥ねられたし」
 だがややあって彼女がぽつり呟いたその言葉に、大良が、一聖がハッとなって反応した。
「警察に? 取り合ってくれなかったのか」
 箝口令とは時期的にズレているかもしれないが、警察の対応を知る事ができるのはいいと
一聖は思った。思わず心持ち身を乗り出して訊ねる。
「うん……。化け物に襲われたんだって言っても信用してくれなくて。小春が入院しても全
然犯人を捕まえてくれないし……。それで思い切って直接警察署に行ってみたんだけど」
「い、行ったって……。まさか直談判でもしたのか?」
 思わず驚きが顔に出る一聖に、秋奈はコクンと頷いていた。
「うん。まぁ、でも結局ろくに聞いて貰えなくて摘み出されちゃったんだけどね……」
「そ、そっか……」
 そこでようやくは一聖は彼女が何故、話をしてくれる気になったのか分かったような気が
した。きっと原動力は後悔、そして憤り。友を助けられなかった、被害を信じて貰えなかっ
た自分自身の感情の行き場を彼女は求めていたのかもしれない。直談判もそんなものの一環
だとしたら……。
「……それは、何時ぐらいの事なんだ?」
 ちらと、一聖がそう彼女に静かに問い掛ける大良に目を遣った。
 眼鏡の奥で細めた眼。口元を覆う掌。その様子から一聖は、彼がまた何かを考え込んでい
るのを感じ取る。
「えっと……。それってどっちの?」
「へっ?」
「……。もしかして複数回行ったのか?」
 言われて、秋奈は思わず苦笑していた。
 悪戯を咎められて子供のような、少し茶目っ気を加えた明るさを付け加えようと試みてい
るかのようだった。
「えへへ……。実は二回ほど。一回目は小春が入院して少ししてから、二回目は少し前に」
「……少し前とは? 具体的にはいつだ?」
「えっと、三日ぐらい前……かな?」
 大良の声色に何処となく威圧感が加わっていた。
 無意識にそれを感じ取っていたのか、答える秋奈も少しその様子に気圧され気味になる。
「そう、か……」
 訊くだけ訊いて、大良はまた言葉少なげに考え込み始めた。
 マズかっただろうか。そうとでも言いたげに、秋奈が不安げに一聖の方に視線を寄越して
くる。だが一聖は苦笑いと共に少し首を傾げてみせるだけだった。
(……タイラの奴、また何か組み立ててるな?)
 こういう時はそっとしておく方がいい。今までの付き合いから一聖はそう判断する。
 彼の頭の中までは分からないが、呼んでおいて正解だったのかもしれない。
「…………なるほど。分かった」
 その沈黙を伴った思考がどれだけ続いただろうか。
 暫くして、大良は薄らと瞑っていた眼を開くと、おもむろにテーブルの端に置かれていた
伝票を手に取り立ち上がった。
「では次に行くとしよう。穂波君、案内を頼む」
「……? は、はい」
「ん? 次っつーことは……」
「あぁ」
 少し遅れて秋奈と一聖もその後に続く。
 掛けられた声に、大良は足元に置いていた鞄を引き上げながら淡々と言った。
「……勿論、もう一人の被害者の所だ」

 秋奈の親友・小春が入院している市民病院には電車で十分ほどで着いた。
 街の中核病院の一つとして、この日も院内は多くの人々と適度な静けさを抱えていた。
 清潔さを連想させる白を基調とした内装が、視界の隅々にまで広がっている。途中で患者
や看護士などとすれ違いつつ、三人は目的の病室へ向かっていく。
「さ、着いたよ」
 暫くして秋奈が言って、一聖と大良の前に出て立ち止まり、振り返った。
 入口傍のプレートには他数名に混じって「桜井小春」の名が下がっているのが見える。
「ちょっと待っててね。話つけてくるから」
「あぁ。頼むよ」
「……動いてもいいのなら連れて出て来てくれ。お互い、周りに聞かれない場所で話した方
がいいだろう?」
「あ、はい。分かりました。大丈夫だとは思いますけど」
 そして秋奈が一人先に病室の中へ消えていった。
 一聖と大良は通行の邪魔にならないよう、反対側の壁際に移動してもたれ掛かった。彼女
が戻ってくるまでの時間をのんびりと待つ事にする。
「……なぁ、タイラ」
 白い内装に外からの茜色の光が差して薄い金色を帯びていた。
 時折する物音を遠くに聞きながら、一聖は隣で黙する相棒の顔を見ずに口を開く。
「今回の件、どう思う?」
 大良の反応は速かった。同じく視線はぼうっと正面に向いたままで言う。
「十中八九、ドールの仕業だろう」
「……やっぱ、そうだよなぁ」
 一聖はふぅと大きく息をついてみせた。茜色の光は院内を屈折して二人の足元にも延びて
きている。ポリポリと頬を掻きながら僅かに視線を上げる。
「後はそいつの特徴を掴んで、出てきた所を討つってとこなんだろうが……でも、ちょっと
引っ掛かってる事があってさ」
「……。言ってみろ」
「穂波ちゃんの事だよ。何でまたそのドールは彼女を取り逃がすような真似をしたのかなっ
てさ。既にサンプリングが終わってたからとか、カードが一枚しかなかったからとか、俺も
考えたんだけど、本人の話じゃあ攻撃の意思は見せてたわけだろ? だとしたらそれも違う
のかなって思ってさ。それに、そもそも下手に目撃者を作っちまうのはあいつらにしたって
都合が悪い筈だし……」
「…………」
 大良は黙っていた。
 ポケットに手を突っ込んだまま、じっと廊下の一点を見つめたまま目を細めている。
 ちらりと一聖が少し遅れて彼を見遣る。辺りに人影はない。大良が僅かに顔を上げた。
「……僕が思うに」
「お待たせ~」
 だがちょうどその時、秋奈が病室から出てきた。
 大良が静かに言いかけた言葉を飲み込む。一聖も視線を彼女に向け直していた。
「小春、連れて来たよ」
「初めまして~……桜井小春です」
 秋奈の傍らにいたのは、左腕を包帯で吊ったパジャマ姿の少女だった。
「あぁ、こんにちは。俺は清浜ジャーナルの黒田一聖という者なんだが……」
「はい~。アキちゃんからお話は伺ってます」
 どうも喋るテンポがゆっくりだった。立ち振る舞いも何処かのんびりとしており、表情も
ぽわぽわとした微笑みを絶やさずにいる。もしかして、これが彼女の地なのだろうか。
「そ、そっか。どうも……」
 そんな第一印象を覚えつつ、一聖はコクリと頭を下げてきた彼女に思わず頭を垂れ返す。
「……あら?」
 だが次の瞬間、そんな彼女の表情に一抹の怪訝が混ざった。
 見返してみるが一聖ではない。向けられているのは──その隣の大良。
「白沢、先生……?」
 そして確認するかのように呟かれたその言葉に、
「え?」
「……先生?」
「……?」
 秋奈が、一聖が、そして当の大良が一層の怪訝を示す。
「何だ? お前この子と知り合いなのか?」
「……どうだろう。記憶にはないんだが」
「う~ん、ですよねぇ……。やっぱり覚えられてはないですか~……」
 しかし小春はのんびりとした口調のまま、その反応に不快を示すような事はなく、
「では改めてこんにちは、白沢先生。明陽塾ではいつもお世話になっています」
 その名前に相応しい柔らかい微笑みをこぼすと、再度、軽く頭を下げた。

「──そっかぁ。タイラが教えてる塾の生徒さんだったのか」
「はい~」
 四人は場所を屋上へと移した。
 その道すがら彼女の大良との関係も分かり、一聖はその偶然と一抹の世の中の狭さとやら
を感じつつ、このパジャマ姿の少女の微笑を見返す。
「小春の塾の先生だったんだね。通りで最初白沢さんに会った時、どっかで聞いた名前だな
あって思ったわけだよ~」
 屋上から見上げる空は大分が夕焼けに染まっていた。その茜色をバックに秋奈が笑う。
「そういや、お前って塾のバイトもやってるんだったなぁ。何を教えてるんだ?」
「……理系全般だ。実質、数学がメインになっているが」
「ふぅん……お前が教師の真似事をねぇ。あんまり想像し難いんだが。実際どうなんだ? 
こいつの授業って分りやすいのか?」
「はい。口調はちょっと取っ付き難いですけど、授業自体は凄く丁寧ですから~」
「……だってよ?」
「……」
 にっこりと微笑んだ小春。その返答を受け、にやにやとして一聖が大良に顔を向けた。
 だが当の大良は静かに眉根を寄せて黙っていた。ついっと彼から視線を逸らす。
 そんな様子に一聖は更に微笑ましくにやついていたが、
「しかしまぁ、タイラも知り合いなら言っておいてくれりゃ良かったのに。お前の知り合い
だって分かってりゃ見舞いの品の一つぐらいは準備したのにさ?」
 ここまでかと、そう話の舵を別方向に取る事にした。
「僕は単に講師としてバイトに入っているだけだ。塾生一人一人とそこまで交流があるわけ
じゃない。講義で相手にする人数も多いし、全員の顔までは覚えてはいないな」
 呟く大良はポケットに手を突っ込んだまま、柵にもたれ掛かっていた。
「……それにもし覚えていれば、ここに来る前にそういう品の一つや二つは調達している」
 そして顔を向けてくる一聖に淡々とそんな応えを返す。
 そのやりとりを見遣りながら、小春はにこにこと静かに笑っていた。
「……余談はここまでだ。本題に入ろう」
 ややあってちらりと小春を一瞥すると、大良は身を起こした。同時に全員を視界に映す。
「桜井君。穂波君から既に聞いているかと思うが、君が襲われた時の事を話して貰いたい」
「あ、はい~」
 夕陽の光が大良の眼鏡を照らし、その眼差しを見えなくする。
 だが小春はそんな彼の口調自体は塾の講義の中でもう見慣れているらしく、微笑んだまま
口元にそっと指先を当てている。
「……でも、アキちゃんから話を聞いているのなら多分その通りなんだと思いますよ?」
「思いますよって……。何だか他人事みたいな言い方だな。君は実際に襲われたんだろ?」
 一聖のその言葉に、彼女の表情に一抹の苦笑が混じった。
「えぇ、みたいですねぇ……。でも実は私、あの時の事はよく覚えてないんですよ~……」
「えっ? そうなの?」
「うん……。誰か──何だか黒い人に捕まったのは覚えてるんだけど、その後は殆ど何も。
気が付いたらもう病院だったし……」
 それは秋奈もはっきりとは聞いていなかった事らしい。
 目を瞬かせつつ小さく驚き、次いで一聖と大良を見遣る。そして二人はどちらからともな
く互いの顔を見合わせ、微かに頷き合った。
「……それよりも白沢先生、黒田さん。アキちゃん、お話している時にお二人に何か物騒な
事言ってませんでしたか?」
「え?」
 だが一番の被害者である小春は、自分よりも友の事が気になっていたようだった。
 その質問と同時に、彼女のにこやかな顔が若干不安げな色彩を帯びる。一聖は思わず短く
声を上げていた。
(物騒な事、ねぇ……)
 言われれば無いという訳ではなかっただろう。
 実際、二度も警察に直談判に行くほどの行動力と犯人への敵意を滲ませていたのだから。
だがそれは裏を返せばそれだけ親友──小春の事を思い、自身の無力さを悔いたが故の結果
でもある。
「……いや。別にそんな事はなかったが?」
 だからこそ、一聖は敢えてその件は伏せる事にした。
「本当ですか……?」
「あぁ。別に、普通に何があったかを訊いただけだしな……」
 意識的に微笑みかけ、差し障りのない言葉を選ぶ。嘘は……言っていない。
「そうですか……良かったぁ。アキちゃん、一度思い込むと周りが見えなくなっちゃから。
私がこんな目に遭って、何処かで無茶しているんじゃないかなぁって思って……」
「ハハ……。そ、そうなんだ……」
 その言葉を聞いて小春はほっとしたように微笑んでいた。
 一聖が思わず苦笑しながらそっと視線を向けてみると、当の秋奈も複雑な表情を浮かべて
いるのが見える。内心でちくりと罪悪感が胸を刺すようだった。 
「……話を戻すぞ?」
 そうしていると、眉間に皺を寄せて大良が小さく咳払いをしてみせた。その声に三人はそ
れぞれにハッと我に返ると改めて彼の方を見遣る。
「桜井君。さっき君は被害を受けた時の事をよく覚えていないと言ったが?」
「はい。どうやら意識が吹き飛んじゃってたみたいで……」
「……それは気絶に近い状態、という事か?」
「うーん……そうですね~。今でも実際の所はよく分からないんですけど。何があったのか
は目が覚めた後でアキちゃんや病院の人から聞いたぐらいなので……」
「ふむ……。では気を失う前で何か覚えている事はないだろうか? 何でもいい」
「気を失う前……ですか?」
 日が経っている所為もあるのだろう。小春は記憶を辿る事に難儀しているようだった。
 その様子を大良は目を細めて見つめ、
(ふーむ……。やっぱ肝心の記憶はユニテルを採られる時にすっぱ抜かれてるのかな……)
 一聖も自分なりに思考を巡らせてみる。
「あれ、かなぁ……?」
 すると、ふと小春は傾げたままそうぽつりと呟き始めた。
「……あれとは?」
「えっと、気を失う直前ですよね? それなら多分ですけど、黒い人が私を掴んだまま何か
を取り出しているのを見たような気がするんです」
 大良と一聖は一瞬、お互いの顔を見合わせた。大良が続けて訊ねる。
「それはどんなものだったか分かるか?」
「えっと……そこまでは。暗かったですしよく見えなかったですね……。でもその後すぐに
スーッと気が遠くなっていったので……」
「……そうか」
 間違いない。ユニテル・カードだ。
 二人は口にこそしなかったがそう確信していた。
 という事は彼女達は他の被害者達と同様、ドールによって何かをサンプリングされていた
事になる。
「そ、それってまさかあれ? 怪人が生気を吸うっていう……」
「……さて、どうだろうな。そもそも生気という概念自体、曖昧なものだ」
「むぅ。またそーやってはぐらかす……」
 秋奈はふっと勢いづいた調子を崩され口を尖らせていたが、大良は気にも留めなかった。
一聖の方を一度ちらと見遣り、小さく頷き返されるのを確認するとポケットから両手を出し
て携帯電話を片手に彼女達へと振り返る。
「……君達の話は大体整理がついた。後は犯人の正体についてだが」
「あれは化け物だよぉ。間違いないって!」
「……だがそれでは君達が浮かばれないのではないか? 警察が“化け物”を認め、更に犯
人として捕まえてくれるとは、僕には思えないが」
「うっ。そ、それはぁ……」
 淡々とした返しに思わずたじろぐ秋奈。その隣では小春が静かに苦笑している。
 そんな様子には見向きもせず、大良は操作する携帯の画面に視線を落としながら言った。
「…………確かな証拠が必要だ。僕なりの結論を出す為にも、警察(けんりょく)を動かす
為にもな。少なくとも今ある情報だけではきちんとした結論を出す事はできないだろう」
 僅かに顔を上げた眼鏡の奥で静かに光る、恐ろしく真剣な眼。
 秋奈と小春は思わず互いに顔を見合わせていた。その斜めの立ち位置では一聖が小さく眉
根を上げている。
 大良はそっと携帯を持ち上げると、改めて三人の顔を見遣った。
「今後の為にも、君達の連絡先を教えておいて貰えると助かる。……それに在野の協力者が
いればイッセーにとっても新たな取材経路になるだろうしな」
 その言葉に、一聖は一瞬目を見開いていたが、
「う~ん……まぁそうだな。いないよりはずっといいけど」
 特にそこで怪訝を示す事もなく、大良に合わせてそう頷きながら言う。
「は、はい。分かりました……。あ、アキちゃん。私今、携帯持ってないから私の分もお願
いね?」
「え? あぁそっか、入院中だもんね。じゃあ黒田さん、白沢さん」
「おう。それじゃ早速……」
 こうして大良に促されるように、四人はそれぞれの連絡先を交換する事となった。一聖は
それに加えて清浜ジャーナルのデザインが入った自身の名刺も彼女達に手渡す。
「……」
 空はグラデーションな茜色。次第に夕陽の色が濃くなってゆく病院の屋上で。
 新たな協力者を得た相棒の横顔を、大良はじっと眼鏡越しに見つめていたのだった。


 秋奈の下に連絡が来たのは、それから数日が経った週末の事だった。
 開いた携帯のディスプレイには、大良の名。
『は~い、もしもし?』
『……穂波君か? 白沢だ』
 電話の向こうの声は最初に会った時と同じく淡々としたものだった。秋奈は自室のベッド
に寝そべった格好で応対する。
『どうかしたんですか? あ、まさか小春を襲った犯人が分かったんですか?』
『いや。だがその為に必要な事だ。……今夜、時間を取れるだろうか?』
『? はい。バイトがあるんでその後なら。なので、多少遅くなりますけど』
『それなら君さえよければ構わない。君達が襲われたという現場を案内して欲しいんだ。時
間帯も、被害当時と合わせられるならばこちらとしても好都合だしな』
 その台詞に、秋奈は思わず携帯を耳に当てたまま暫し固まっていた。
 あの時と同じ状況で、あの場所にもう一度出向く……犯人は、現場に戻る……。
『……分かりました。是非協力させて下さい』
『あぁ……。宜しく頼む』
 秋奈はごくりと息を呑んでから頷いて承諾を伝える。
 そして大良と、バイト終わりの後、現場に近い駅前で落ち合う約束を交わしたのだった。
「……」
 それが、数時間前の事。
 バイトを終えた秋奈は夜の駅前に立ち、大良が姿を見せるのを待っていた。
 天気は晴れ。静かに空に漂う月を、時折薄雲が過ぎっていく。その遥か眼下、秋奈の目の
前の街並みは夜という属性を纏う人々の波でざわついていた。
(……白沢さん、まだかなぁ?)
 ちらりと取り出した携帯の画面で時間を確認する。
 ゆさっと、肩に引っ掛けた鞄を掛け直して周りを見渡す。
 約束の時間が近づいていたが、大良らしき姿は見えなかった。ただ、そもそも一度会った
だけなので見てすぐに分かるかも怪しい所ではあったが。
「…………」
 顔形がぼやけたように錯覚する、自分の周りを通り過ぎてゆく多数の人の波。
 揺らぐ。決意した心が揺らぎ出す。時間を経て冷静になったからなのか、それともまだ見
ぬ犯人──あの化け物の姿を思い出して怖く、一人が心細くなってきたからなのか。
(だ、駄目だ……! 私は絶対……)
 そんな事を思って、思わず秋奈は口元を引き締めながら大きく首を横に振った。
 大丈夫。もう逃げない。だから絶対に……。
「ん……?」
 ちょうど、そんな時だった。
 不意にポケットの中で携帯が震え出す。
 取り出して相手を確認すると、大良からだった。
「はい、もしもし?」
「……もしもし。白沢だ。すまない、少々遅れそうだ」
「そうなんですか? 分かりました。あ、もしかして研究が忙しかったり……?」
「……そこは心配無用だ。それで、すまないが先に君だけでも現場まで向かっておいて貰え
ないだろうか? 今回の検証はできるだけ当時と同じ状況で行いたい。道順なら着いてから
か、途中で適宜連絡してくれればいい。……すぐに追いつく」
「そうですか、分かりました……。じゃあ先に行ってますね」
「……。あぁ」
 短い彼の返事を聞いてから、秋奈は通話を終えた。
 携帯をしまい、雑音が飛び交う人ごみの中でふぅと一度深く呼吸を整える。そして、
(……よしっ!)
 心が揺るがぬように、顔色に真剣味を灯してずいっとその一歩を踏み出していく。
「────さて……」
 ツーツーと漏れる断続的な電子音。
 そんな途切れた通話を切り、大良は誰にともなく呟いていた。
「……なぁ、タイラ」
 そんな彼の背後に、一聖の声が掛けられた。
 何処か不機嫌な声色。大良は数拍の間をおいてから、ゆっくりと振り返る。
「……この姿の時は違う名前で呼び合うようにと決めただろう?」
「あ~……。そうだったな」
 一聖は後ろ髪を解いて立っていた。
 髪は金色、瞳は紅、纏うのは黒のコート──ナイトガンナーの姿だった。時折吹いてくる
夜風に髪とコートの裾がはためき揺れる。
 言われて一瞬、一聖は苦笑するが、すぐに先程の若干不機嫌な声色に戻って言う。
「なぁ、ヴァイス。お前、一体どういうつもりだよ?」
「……彼女達を襲ったドールを誘き寄せるんだ」
「それはさっき聞いたっての。俺が聞きたいのはそうじゃなくって、何であの子を巻き込も
うとしてるかって事だよ。これじゃあまるで……あの子を囮にしてるみたいじゃねぇか」
 大良はその不満の声にすぐには答えなかった。携帯をしまいながら、じっと彼にその怜悧
な眼を向け返す。
 銀色の髪、蒼の瞳、白のコート。大良もまた同じくナイトガンナーの姿だった。
「……まるでも何もその通りだが?」
「チッ、やっぱりそうかよ……。でも、できる限り関わる人間を少なくしたいって言ってた
のは他でもないお前じゃねぇか」
「ああ……。それは今も変わっていないつもりだ」
 腰に片手を当てて眉根を上げる一聖に、大良は再び背を向けた。
 眼鏡も要らぬ常人以上の視力。
 視界には夜の清浜の街並み、ビル群が映る。ちらりと視線を眼下に移せば無数の行き交う
人々が、その細部までが強化されたナイトガンナーの身体能力でつぶさに観察できる。
『…………』
 そして、現場となった場所に独り赴こうとしている秋奈の姿も。
「……君は、疑問には思わないか?」
「? 何がだよ?」
 夜風を受けて、髪を、コートを、はためかせるままに任せて大良はふっと口を開く。
 一聖はその後ろ姿を見遣りながら小首を傾げていた。
「一連のドールの暗躍についてだ。君の調べでこれらは謎の衰弱事件として、そして清浜の
怪人の都市伝説として巷を巡っている事が分かった。だがこれは……不自然ではないか?」
「そうか……? 都市伝説ってのは街になら何処にでもあるもんだぞ?」
「……そうじゃない。僕が言っているのは、何故この一連の事件が公になっていないのかと
いう点だ。確かに都市伝説としては人々の耳には入っているのかもしれない。だがしかし、
実際の被害──いや、この場合発生数と表現した方がいいか。その件数が決して些末ではな
い域に達している筈であるにも拘わらず、何故これほどまでに人々が事件の存在を知らない
のだろう? 普通に考えれば、少なくとも僕らが把握している件数だけでも、これだけの数
の類似事件が起きればそれ相応の騒ぎになっていてもおかしくない筈だ」
「…………それは」
 長々と、しかし淡々と吐き出された大良の言葉。
 だがそれらが意味する事に一聖は反論すらできなかった。ドール達の暗躍の仔細。それは
他でもない、一聖自身がこれまで調べてきた事だったからだ。
 一聖が返す言葉を見失い、眉間に皺を寄せる。
 大良はちらりと肩越しにその様子を一瞥すると、再び口を開いて続けた。
「なのに、ある意味で街は静かだ。何故だろう? 可能性は……一つしかないと思う」
「それは……何だよ?」
「……情報統制さ」
 再びピクリと一聖が反応した。不意に、二人の立つビルの屋上に強い一陣の風が吹く。
「発信されている情報自体に統制が行われていると考えるべきだろう。そしてその可能性は
先日、君が話した取材規制の件と穂波君の話で高まった」
「……おい。それってまさか」
「あぁ、そのまさかだ。穂波君が警察へ直談判へ出向いた時期と君達マスコミに通達された
という秘密裏の規制強化のタイミング。お互い無関係ではないと思っている」
「う~ん……」
 すると一聖は薄らと目を細めながら、低く呻きつつボリボリと髪を掻き始めた。
「そりゃあ確かに二度目の方はこっちのと前後してるけどさ……。でも、それだけで警察が
口を閉ざすものなのか? 本人には悪いが、所詮は一介の女子高生に過ぎないわけだし」
「……確かに厳密な部分までは僕にも分からないがな。だが、期を同じくして規制が強化さ
れたというのは事実だ。それに……」
「それに?」
「……」
 促したが、一聖には何処か、大良がその時一瞬言い淀んだかのように見えた。
 一聖はそれを、殆ど直感的なもので感じ、
「…………。これはまだ僕の推測という域を抜け切ってはいないのだが」
 言葉なく再び目を細めて、ややあってぽつりと言の葉を再開する彼の後ろ姿を見返す。
「ドール──いや、奴らを操っている敵にとって、穂波君はイレギュラーな存在になってし
まったのではないかと僕は考えているんだ」
「? イレギュラー……?」
 思わず眉根を上げる一聖。
 大良はそこでようやく調子を取り戻したのか、淡々とした口調に戻りながら言った。
「……彼女は、本来ならば他の被害者と同じくユニテル・カードによりサンプリングされる
対象であったのだろう」
「だな。本人の話からして、実際、襲われ掛けたみたいだし」
「……だが彼女は逃げた。逃れる事に成功したんだ」
「あぁ。でもそれって何でなんだろうな……? 結局まだ分かんねぇままだが」
「……」
 その問いに大良は答えなかった。必要がなかったのか。或いは……。
「初めは小さな誤算でしかなかったのではないかと思う」
「誤算?」
「そうだ。何にせよ内容が『化け物に襲われた』だ。仮に被害に遭っても、その体験談を話
した所で殆どの者は信用してくれはしないだろう。それだけじゃない。場合によっては周り
から変人扱いされるだろうしな。だとすれば下手に口にせずにいた方が賢明な筈だ」
 それはまさに、今までの取材の中でも決して少なくなかったケースである。
 一聖はその言葉にコクコクと頷いていた。
「それに情報統制もある。だからこそ、敵は仮に一人や二人ぐらい逃がしたとしてもそう簡
単にはドールの情報が真実として受け取られる可能性は低いと、いわば優先順位を低く考え
ていたのではないだろうか。だが……その誤算はやがて大きくなってしまった」
「……それが彼女の直談判って事か?」
「あぁ。それもあるだろう」
 ちらりと一聖を大良が見る。やや斜めに立ち直した彼は、煌々とした夜景を眼に映すよう
にしながら「ふぅ……」と一度深呼吸をした。
「そもそも情報統制と言っても、現実的にこの時代、全てから情報を封鎖するという事自体
が不可能なものではあるんだがな……。ともかく、穂波君は警察組織の末端に乗り込むとい
う行動に打って出た。これは君も勘付いている所ではないかと思うが、おそらく彼女は警察
以外にも自分の経験を話している可能性が高い。あの、事件に対する積極さを鑑みればな」
「……。だよなぁ、確かに」
「いつの段階で察知したかは分からないが、敵は少なからず焦っている筈だ。自分達の暗躍
の障害となりうる者がいるというのは歓迎しないだろうからな」
 言って、大良は腰のホルスターから銃身になったシルヴィを抜き取った。
「……そして、これらの状況から推測するに」
 今の大良と同じ銀と蒼のカラーリング。今までの話も聞いている筈で、目を瞬くように両
眼のランプを点滅させながら静かに夜風に晒されている。
「敵は……権力にパイプを持っている可能性が高いと、僕は考えている」
 風が、にわかにざわつくように感じた。
 一聖は言葉なく目を大きく開いて瞳を揺るがしていた。
 それは確かな動揺だった。もし彼の言葉通りなら、自分達があの日から密かに相手にして
いる“敵”とは、自分の漠然としたイメージよりも遥かに大きなインパクトを、圧迫するよ
うな現実味を持つ存在という事になるのだから。
「少なくとも、この街の権力組織にある程度の──情報統制を促せるほどの影響力を行使で
きる存在である事は間違いないだろう」
「ま、待てよ……。それはいくら何でも考え過ぎじゃ……?」
 思わず一聖は、にわかに引きつった顔に無理矢理な笑みを浮かべて口を挟んでいた。
 だが対する大良はくすりとも笑わなかった。
 一度ちらとこちらに視線を寄越してから、小さく首を横に振る。
「……君は偶然で片付けるつもりなのか? 結果には必ず原因があるものだ。警察──権力
の一端が謀ったんだ。それもドールによる被害を訴える声の直後に。何も意味がないとは、
僕にはとても思えないな」
「…………ぬぅ」
 一聖はぐうの音も出なかった。眉間に皺を寄せて黙り込む。
 清浜の権力に干渉できる? 敵はそんなに強大だと言うのか。驚きもあったがそれ以上に
一聖は、生まれ育ったこの街にそんな不穏な連中がいるかもしれないという事自体にある種
気味悪さのような不快感を覚える。
 考え過ぎであればいいのだが……。
 だが大良は、何もそこらのゴシップ精神で以ってこのような仮説を述べている訳ではない
事も、一聖には重々分かっていた。
(本当なんだな、タイラ……?)
 それだけ気を引き締めろとでも言いたいのかもしれない。
 内心の動揺を治め、一聖はぎゅっと唇を結ぶ。
 分かったよ。俺も……もっと腹を括るさ。
 そんな表情を見て納得したと察したのだろう。大良は再びぽつりと口を開き始めた。
「……単に切欠としただけかもしれないが。それでも奴らは僕らの目に見える形で手を打っ
てきた。相手もできれば表沙汰になるようなリスクは取りたくない筈。だが奴らはそれを取
る事を選んだ。それだけ、穂波君が面倒な邪魔者だと判断したのだろうな」
 彼女自身は正当な憤りな筈なのにか……。
 一聖はそんな彼の言い回しを聞きながら、改めて全容の知れぬ敵への不快感を募らせる。
 そんな一聖を一瞥し、大良は数拍、息を整えてから言った。
「……だからきっと奴らは、今も彼女を狙っている筈だ」
「おいおい……。だったらやばいんじゃないのか? あの子は今、その時の現場に向かって
るわけだろ? まぁ、犯人は現場に戻るとかそんな古典的な事があるとは限らないけど」
「……現れなければそれでもいい。だがこれでも、今までのドールの出現傾向や時期的頻度
といったデータを分析して今夜を選んだんだ。より奴らが積極的になっているであろう今、
その尻尾を掴める可能性は多少なりとも高くなっている筈だがな」
 その言葉に一聖は口元を歪め、眉間に皺を寄せていた。同じくホルスターからゴルダを抜
き取ると、ゆっくりと屋上の縁近くに立っている大良の方に近づいていく。
 呆れのような、感心のような。
 一聖は大きな一際大きな息を吐いた。
「……まったく。ホント、お前の思考回路はすげぇよ。まぁ、お前がそこまで言うならいっ
ちょ待ち伏せてみるか……? でもやっぱ、あの子を囮にするのは気が引けるけど……」
「だからこそ僕らがいるんだ。彼女を守る為にな。……違うか?」
「……。そうだな」
 一瞬目を見開いたが、すぐに一聖はフッと小さく笑っていた。片手にぶらんとゴルダを下
げたまま、そっと大良の傍らに立つ。
 大良はそんな相棒を一瞥すると、再び眼下──道をゆく秋奈の姿に視線を落とした。
 数秒の、間。
「……シュヴァルツ。一つ約束してくれ」
「? 何だよ」
 すると大良はまるで呼吸するかのようにサラリと言ったのだった。
「……僕が合図をするまで、君は動かないでくれ」
「あ? どういう事だよ、それ……?」
「……」
 思わず訝しさを隠さずに疑問を紡いだ一聖に、大良は答えなかった。
 代わりに腰のホルダから一枚、カードを取り出す。色は濃い銀色。ロゴ文字は「S」。
『Snipe(狙撃)』
 シルヴィにそのカードをセットした瞬間、無機質な音声が響いた。
 同時に銃身にも変化が起きる。突然、自然発生したかのように周囲に出現した無数のパー
ツが瞬く間に銃身を覆っていったのである。
 そして出来上がったのは、狙撃用ライフルのフォルムに姿を変えたシルヴィだった。
 大良はそれを両手で抱え直すと、静かに視界に広がる夜景を眺めながら呟く。
「……確かめたい事が、あるんだ」

 それから暫く、二人はビルの屋上から秋奈の動きを見守り続けた。
 夜の街を行き交う人の波。秋奈はそれらとは徐々に遠ざかりながら、独り以前被害に遭っ
た現場へと向かって歩いていく。一聖と大良も彼女に気付かれぬように注意を払いながら、
ある程度移動していく度にビルからビルへと飛び移り、いつドールが現れても対処できるよ
う場所を変え、距離を詰めていった。
「……」
 やがてそうしている内に、秋奈がはたと立ち止まる。
 街のネオンが照らし切れぬ谷間のように、そこは喧騒の中にあって薄暗さを湛えていた。
 歩道の途中。その一角のビルに挟まれた隙間、暗い路地裏へ境界を前にして彼女はじっと
佇み始めたのである。
「どうやら、あの先が現場らしいな」
「……そのようだな」
 その様子を、二人は最寄りのビルの屋上から眺めていた。
 そっと身を乗り出しながら一聖は呟き、大良は静かに目を細めて注視する。
「……これからどうする? やっぱドールが出てくるまで待つのか? でも一応、こっちか
ら連絡を入れてみた方がいいんじゃ……?」
 ドールを誘き寄せるという本当の目的。
 だが、一聖は後ろめたさが拭えずについそう口を開いていた。
「いや……。やめておけ」
 だが対する大良は彼に視線を向ける事もなく、短くそう応えるだけ。
「このタイミングで介入するのは早い。それに……」
「それに?」
「……彼女は、携帯の電源を切っているらしい」
 そしていつの間にか手にしていた自身の携帯を、彼は一聖に掲げて見せてくる。
 表示されていたのはコール中の画面。眼下の雑踏に紛れているが、そこからは確かに女性
の音声案内で電話が繋がらない旨のメッセージが再生されているのが聞こえてくる。
「お、おい、ちょっと待て。何で切ってんだよ? それじゃあ連絡できねぇじゃんか」
「……」 
 通話を切り、携帯をしまいながらも大良は黙っていた。
 静かに細めた眼つきのままで、じっと路地裏を見据えている秋奈を見つめると、一度だけ
軽く目を瞑ってから呟く。
「……間違いないだろうな。おそらく、穂波君は仇討ちを考えている」
「は? 仇、討ち……?」
 一瞬何の事か分からなかったが、一聖はすぐにハッとなった。瞬間的に顔を引きつらせ、
ゆっくりと表情を引き締めて顔を上げた秋奈を見下ろす。
「あ、あの馬鹿……っ! 何考えて──」
「待て。シュヴァルツ」
 だが思わず彼女の下へ阻止しに踏み出そうとする一聖を、大良は遮っていた。
 その声にピクリと踏み止まった一聖が沸き始めた感情を隠さずに彼に視線を向ける。
「待てじゃねぇだろっ。これでもしドールが出たら……」
「……あぁ。おそらく彼女は立ち向かうだろうな。友の仇を取る為に」
「あぁそうだろ? 見逃せるかよ、そんなの……! 囮にするのだって正直気が引けるって
のに、その本人が無茶する気だって分かってて放っておける訳ねぇだろっ」
 しかし大良はそれでも落ち着き払っていた。
 離れた眼下で、秋奈が一歩また一歩と独り路地裏に入っていくのが見える。
 その姿を見送りながら、
「……君には分からないかもしれないな」
「? 何がだよ」
 彼は何処か感傷的な声色と共にそう小さく呟く。
「……僕には分かる気がする。大切な者を傷つけられた彼女の気持ちが。ただ彼女と僕が違
うのは、喪失を経験しても尚、這いつくばろうとする気概の有無なのだろうが……」
「……?? タイ、ラ……?」
 それは何処か弱気な言葉だった。
 苛立ちを表していた一聖も、不意に見せた大良のそんな横顔に思わず大人しくなる。
 その間にも、秋奈は独り路地裏の暗がりの奥へと歩を進めていた。暫し押し黙る大良の横
顔を見ていた一聖だったが、ややあって我に返ると彼と共に再度彼女の姿を探し直す。
「くっ、マジで独りで乗り込むつもりか……。ドール、出てこなきゃいいんだが……」
「……誘き寄せるという目的を忘れるなよ」
 そわそわとしながら身を乗り出す一聖に、大良は静かに釘を刺すように投げ掛けていた。
 そんな相棒を横目に、大良は抱えていたライフル状の銃身を秋奈のいる方に向けて構え直
してスコープに片目を付ける。
 一歩、また一歩。秋奈が暗がりの奥へと足を踏み入れていく。
「……! マスター!」
「出たぞ! 北北東に約九百メートル!」
 ちょうど、そんな時だった。
 突然シルヴィとゴルダが何かを察知したように声を上げる。
「……チッ!」
「……やはり、来たか」
 それはまごう事なきドール出現の合図。
 二人は互いに身体中の感覚を研ぎ澄ませると、視線の先の暗がりを凝視する。
(──気配は、しないかな……?)
 秋奈は意を決し、独りで現場となった路地裏を進んでいた。
 無意識に肩の鞄を握る手に力が入る。怖さがないと言えば嘘になるが、それよりもやられ
たまま泣き寝入りする、しかも親友を傷つけた相手を野放しにする事の方が秋奈にとっては
許せなかった。
 鞄にぶら下がったストラップ達が歩くたびにカチャカチャと音を鳴らす。
 決して広くはない一本道。自分の他に誰かがいれば、ほぼ間違いなくこちらに気付く筈。
(…………。ごめんね、白沢さん)
 携帯電話の電源は途中で切っておいた。
 適宜、道順を教えてくれと言われたがそれでは自分の邪魔をされてしまうのではないかと
思ったからだ。
 犯人は、現場に戻るという言葉もある。
 それに自分は逃げた……身だ。犯人──あの化け物だって顔を見られた相手をそのままに
しておくとは考え難い。だからきっと奴は今も私のことを探している筈(そういう思考ので
きる知能があればの話だが)……。
(私、やっぱりこのままやられっ放しじゃいられないよ……)
 小春の為にも、私自身の為にも。
 何としてでも一矢報いてやるんだ。直接あいつを捕まえてやるんだ。
 五感を研ぎ澄ませて暗がりの中に立つ。街のざわめきが随分と遠くに聞こえるような気が
する。一歩入れば清浜にもこんな場所があるんだ。化け物だって……いてもおかしくない。
「……!」
 ガサリと、音がした。
 正面。何かが来る。足音がする。身を強張らせて目を凝らす、意識を集中させる。
「…………」
 来た。
 全身真っ黒な人型。でも明らかに人間じゃない雰囲気。目が合う。顔面に埋め込んだよう
な大きな一つ目。ぎょろりとした眼がぐるんと一周して私を見てくる。
「……見つ、けた」
 間違いない。あの時の化け物だ。
 全身が、ざわめくのが分かった。恐怖はある。だけどそれ以上に悔しさがあった。本当の
事を話しても信じて貰えない事への辛さや憤りがあった。それらが全部、私から怖いという
感覚を根こそぎ払いのけて私を奮い立たせてくれるような気がした。
「あんたが……」
 化け物がコキコキと指先や肩をうねらせている。
 私は鞄の中に手を突っ込んで、この時の為に用意してきた武器を取り出す。
「あんたが、小春を……っ!」
 繁華街の電器屋で買った警棒型のスタンガン。化け物に効くかなんて分からないけど、見
た目が人間っぽいなら何とかなる、筈。
 私はもう奴を倒す事しか頭になかった。
 恐怖なんか吹き飛んでいた。ぎゅっとスタンガンを握り締めて、
「うあぁぁぁぁぁぁ──っ!!」
 電力を全開にして突っ込んでいた。
「……ギ? ギギッ」
 だけど、一瞬遅れて化け物がそっと片手をかざすと。
「!?」
 次の瞬間、足元から黒い何かが飛び出して来た。
 まるで水面から飛び出てくる魚みたいに。だけどそれは、
(…………ぇ?)
 鋭い棘みたいにうなって、私の掌からはみ出すスタンガンを貫き、粉々に砕いていた。
 頭が真っ白になる。視界の中に粉微塵になって宙を漂うスタンガンの破片が見える。
「ぁがっ!?」
 そして私は、一気に間近に迫ってきた化け物に、がしりと首を掴まれたのだ……。
「──や、やべぇぞ!?」
 それは時間にして数十秒。
 秋奈が返り討ちにされた様を、二人はビルの屋上からしかと目撃していた。
「このままじゃドールに……!」
「……待て。シュヴァルツ」
 慌てて彼女の前に飛び降りようとする一聖。
 だが大良はライフルを構え、スコープを覗き込んだまま彼の動きを制止する。
「僕が合図するまで動くなと言っただろう?」
「そんな悠長な事言ってられるかよっ!? 早く、早く助けないと……!」
「……いいから待て。まだ、奴は……」
 何とか踏み止まりつつも焦りを隠せない一聖を余所に、大良はスコープ越しに秋奈とその
喉元を掴み、彼女を持ち上げるドールの姿を凝視していた。
「……ぐ、ぁ……っ!」
 じたばたと。秋奈は必死に抵抗を試みようとしていた。
 だがドールの力には到底敵わず、ただ無駄に足をばたつかせてもがくだけになる。ギリギ
リと締め付けられる。すると、
「……ギギ」
 ドールはふと、空いた方の手でもぞもぞと何かを取り出したのだった。
(……。やはりか)
 黒い手に握られていたのは、空のユニテル・カード。
 スコープ越しにその存在を確認した大良は、独り内心で呟きながら引き金の指に少しずつ
力を込める。
「ギ、ギギ……」
 そしてドールは、カードを開封すると秋奈の脇腹近くにそっと押し当て始めた。
 逃げられないように掴む力は決して緩めない。だが秋奈は、そんな物理的な力以外のもの
によって突然変化し始めたのである。
「……ぅ。ぁ……?」
 激しかった抵抗が、急激に収まっていく。
 それはあたかも生気を抜き取られていく過程のように、彼女の眼がどんどんと虚ろになっ
ていくのが見て取れる。
「ヴァイスっ!」
「……まだだ」
 堪らず一聖が叫ぶ。大良がじっとスコープを覗き込んだまま構える。
 すると、カードに炙り出されるように色とロゴ文字が浮かび始めた。秋奈の眼がより一層
虚ろなものに変わっていった。そこにはもう残された余力はなく、
「こは、る……」
 遂に力尽きたように、手から半壊したスタンガンが零れ落ちる。
 ドールが眼をギロリと蠢かせ、自動的に上蓋が閉じるカードをそっと彼女から引き離す。
「……今だ!」
 その様を確認した瞬間、大良は叫んでいた。その声に弾かれるように、一聖は殆ど反射的
に傍らから飛び出していく。そして同時に大良はドールの手元へとピタリと合わせた照準の
まま、一気にその引き金を引く。
「──ガッ!?」
 次の瞬間、狙い済ましたエネルギー弾が互いの距離を突き抜けてドールの手元をピンポイ
ントに撃ち抜いていた。
 突然の攻撃とダメージ。ドールは思わず短い声を上げ、手の中のカードを弾き飛ばされな
がらよろめいた。そして掴む力が緩んだ事で、その場に秋奈がどさりと転げ落ちる。
「おぉぉぉぉっ!!」
『Slash(斬撃)』
 するとそれとほぼ同時に、上空から一聖がドールに向かって降下した。
 殆ど雄叫びのような声を上げながら、一聖は加速力のついた勢いのまま、刀剣状に変形し
た銃身の刃を全力でドールに叩きつける。
「グギャッ!?」
 暗がりの路地裏に一瞬、火花が散った。
「ふっ──!」
 だが一聖の攻撃はそれだけでは終わらない。着地したのも束の間、相手に反撃する隙を与
える事なく、二撃目、三撃目と次々と刃を振るいドールに斬撃を叩き込んでいく。何もでき
ずによろめくドール。そして七撃目の斬り払いで宙に浮いたその身を、
「ギギャギャッ!?」
 今度は瞬時にL字状の銃型に戻しながら引き金を引き、多段に撃ち抜いたのだった。
「……」
 ぶすぶすと煙を身体から上げながら、地面を転がるドール。
 突然の累積したダメージに痙攣したかのように、よろよろと這いつくばるその姿に、
「…………さぁ。てめぇの在るべき姿に、還って眠れっ!」
 一聖は銃口を向けながらそう言い放つと、再び銃身を刀剣状に戻し斬り掛かっていく。
「……」
 そんな一瞬の出来事を、秋奈はぼうっと虚ろになった眼と意識で眺めていた。
 ぼんやりとした視界。意識もまとまらない。だがどうやら誰かが助けてくれたらしい。
 あの化け物を相手にぐいぐいと押していく剣戟と銃声。揺らめいて通り過ぎていった金色
の髪に、暗がりの中でも映えていた紅い瞳をした銃使い……。
(……あ、れ? でもそれって、何処かで……聞いたような……?)
 秋奈はぼんやりとした意識の中で、ふとその情報に引っ掛かりを感じた。
 金色の髪、紅い眼をした、清浜の化け物と戦う銃士……。
(!? まさか。あ、あれが噂のナイトガン──)
 だが、秋奈の思考はそこで半ば強制的に途絶える事となった。
 突然頭を撃ち抜くように走った衝撃。有無を言わさぬ、意識の一瞬のフェードアウト。
 ガクリと。秋奈はそのまま壁にもたれた格好で力なく頭を垂れる。
 その周りに、瞬き漂うシアンの光を残して。
「……。あんにゃろう、また記憶を……」
 そんな背後で起きた変化に、一聖は思わず渋面を漏らしつつ肩越しに振り向いていた。
 振りぬいた刀剣の切っ先。一聖を挟む形で、頭を垂れた秋奈とダメージを受けてよろめく
ドールの姿とが直線状に位置する。
「シュヴァルツ、前っ前っ!」
「!?」
 だがその隙を劣勢のドールは逃さなかった。
 よろめいた身体に力を込め、両手を広げるようにして一聖に向けてかざす。
 すると足元の暗がりに紛れながら何かが一斉に蠢き出す。塵のような飛沫を散らしながら
せり上がるどす黒い何か。
 それらが、一聖に向かって一斉に鞭のようにしなって襲い掛かってくる。
「……チッ!」
 下手に下がれば、後ろには秋奈がいる。
 一聖は飛び退くのではなく、受け流す事を選んだ。鋭く尖りながら襲い掛かってくる黒い
触手のような多数の攻撃を次々と刀剣の刃でガリガリと音を立てながらいなし、力ずく
で飛
び掛ってくるその矛先を、出来る限り秋奈のいる方向からズラそうとする。
 だが、防御に集中し過ぎていたのがいけなかった。
 襲い掛かってくる触手の一本が、ひらりと狙いを直前で変えて一聖の足首に絡みついたの
である。
「!? しまっ──」
 それに気付いた時にはもう遅かった。
 次の瞬間には一聖の身体はびゅんと宙を舞い、しなる触手の動きに合わせて路地裏の壁に
大きなヒビを残して叩きつけられる。
「ぐう……っ!」
 全身に走る鈍く思い衝撃。一聖は思わず顔をしかめた。
「だ、大丈夫か、シュヴァルツ?」
「……あぁ。大丈夫、だ」
「気をつけろ。あいつは黒影(シャドウ)──影を操る能力を持つドールだ」
「……。そういう事はもっと早く言ってくれよ……」
 触手に吊るされる格好で、一聖はゴルダの言葉にぽつりとそんな憎まれ口を呟いていた。
 だがドールは、この一発では飽き足らないと言わんばかりに、黒い触手を動かして更に二
発、三発と一聖を壁に叩きつけてくる。
「ぐっ、ぬぐっ……! こ、のぉ……っ」
 ダメージが身体を迸る中、一聖とドールの眼が合った。
 ザワッと足元の黒が一層蠢き、更に多数の触手が一聖に襲い掛かろうと力を込めるように
一斉に弛緩するのが見える。
 まだだ……。まだ、両手は開いている。
 一聖は身体ごと高速で振り回される中、ゴルダを素早く銃型に戻すと、その狙いをドール
の顔面へと合わせようとした。
 ちょうど、その時だった。
 それとほぼ同時のタイミングで、再び間髪入れぬ複数の狙撃の銃声が響いた。同時に聞こ
えたのはガラスが割れるような甲高い音。
 僅かに路地裏を照らしていた明かりがフッと消える。するとどうだろう。まるで力を失っ
たかのように、ドールから伸びていた黒い触手が全て消え失せたのである。
 大きな、不気味な眼を見開くドール。それは突然の事態に戸惑う様。
 それは、捕らわれていた一聖も同じで。
(……あぁ。そうか)
 操る影がなきゃ、そもそも満足に攻撃できないのか……。
「──ぶぎゅっ!」
 そう頭が理解した時には、一聖は触手の枷から解放され、そのまま顔面から地面に落下し
ていたのだった。
「痛、つぅ……」
 地味な痛みに思わず涙がこぼれそうになる。だがそんな暇はなく、すぐに起き上がる。
『Thrust(刺突)』
 すると今度は、大良がビルの上から降って来た。
 槍型に換装したシルヴィの切っ先を突き出し、
「ギャガッ!?」 
 そのまま遅れて見上げてきたドールの胴を力一杯突き刺し、先ずは一発、弾き飛ばす。
 よろめくドール。だが着地した大良はその流れのまま、ぶんと槍を半周振り回すと左右に
切っ先を振りながら追撃の連続攻撃を加えた。
 火花とドールの叫び声がこだまする。じりじりとその立ち位置を後退させていく。
「──はぁっ!」
 そして大良は最後に一発、軽く跳躍しながらの突きを放ち、ドールを思い切り吹き飛ばし
てみせた。何度目かの短い悲鳴。勢いのまま、ドールはゴロゴロと地面を転がっていく。
「……悪ぃな。助かった」
「……」
 まだ痛む顔をさすりながら、一聖はそう言いつつ相棒の下へと歩み寄っていった。
 だが当の大良は、槍先をドールの方に向けたまま、一聖に背を向けて押し黙っている。
「……。やはりそうか」
「あん?」
「……穂波君が逃げる事のできた理由だ」
 小さく眉根を上げる一聖。そこで大良は、ちらりと肩越しに彼を見遣ると呟きを続ける。
「同じ現場とはいえ推測だが……おそらく彼女が最初にドールに遭遇した時、後退った際に
偶然明かりの届かない場所に移動していたのだろう。奴は黒影(シャドウ)のドール。影が
できない場所へは能力が行使できず、結果、彼女に逃げる隙を与えてしまった」
「ん~、なるほどなぁ……。って事は、あの子は単に運が良かったって話なのか?」
「……隙を衝けた要因はそうなのだろうな。だが、何故その時狙われたのが穂波君ではなく
桜井君だったのかは別の理由だろう」
「……ぇ?」
 思わず小さく聞き返した一聖に、今度はシルヴィの声が答えてくれる。
「実は穂波さんと桜井さんの生体データを測定したのですが……。その結果、桜井さんの方
が質・量共に生体に保有するユニテルが高いと分かったんです。私や兄さんがユニテルを感
知できるように、ドールの方もどちらがより有用なサンプルになるのか、襲う前に予め判断
していたのではないかと」
「……そうだったのか。ん……? ってことはヴァイス。じゃあもしかして、お前がこの前
二人に話を聞くのについて来たのって……?」
「あぁ。シルヴィに二人の生体データを採って貰う為だ。勿論、直接本人達から話を聞いて
みようといった動機もあるにはあったがな」
「そ、そうかよ……」
 しれっと言い切った大良のその言葉に、一聖は何となく沈んだ気分に襲われていた。
(向こうは必死に被害やら何やらを訴えていたってのに、こいつは淡々と自分の理屈の材料
を集める事ばっかり考えてたんだな……)
 思わずそっと片掌で顔を覆いながら、一聖は彼に変わって独り申し訳なくそう思う。
「ギギ……」
 そうしていると、視線の先でドールが体勢を立て直そうとしているのが見えた。
 一聖と大良、二人からの相次ぐ攻撃でダメージは着実に負っているらしい。時折ふらつく
様子を見せながらも、顔に埋め込まれたような大きな一つ目がギョロリとこちらを向いた。
 刀剣と槍。一聖と大良はその動きに、互いに話はそこまでと得物を構えて対峙する。
「──ギッ!」
「あっ」
「む……?」
 だが、ドールはこちらに向かってくる……という事はしなかった。
 ぐっと身体に力を込めたかと思うと跳躍し、周りを挟むビルの壁を蹴って上空へと逃げ出
したのである。
「チッ……逃がすかよっ!」
「……! 待て、シュヴァルツ!」
 すぐさま一聖は小さく舌打ちをして叫び、同じく壁を蹴ってドールを追おうとする。
 大良は一瞬だけ遅れてそんな彼を呼び止めようとしたが、既に一聖は大きく跳び上がって
壁の最上部、ビルの屋上へとその身を移そうとしていた。
 屋上の縁に着地する直前。
 空中で一聖はゴルダを手早く銃型に戻し、構える。狙いは屋上に立ちこちらを見つめてい
るドールの顔面。引き金に掛かる指がまさに引かれようとした、その時だった。
 ギョロリとドールの眼が回り、何処かほくそ笑んだように見えたのだ。
 同時にその足元からは再び黒い無数の触手が蠢き出す。
(……! しまった!)
 そこでやっと一聖はこれが相手の反撃だったのだと気付いた。
 屋上。遮蔽物なき高所。そして……背後の空で静かに光を放つ月。
 だがその瞬間にはドールから無数の黒い触手──操る影が一聖に襲い掛かっていた。思わ
ず顔が引きつる。だがギリギリ身体は空中で……。
『Accel(加速)』
 すると背後で無機質なユニテル・カードの音声が響いた。
 同時に一聖の身体が何かの力によって力一杯引っ張られた。そのタイミングに僅かに遅れ
てドールの放った影の触手達の切っ先が虚しく、鋭く一聖のいた位置で空を切る。
 その一瞬の出来事に、ドールがぐわっと目を見開いていた。視線を、斜めに移す。
「……全く。もっと相手の特性を考えてから動け」
「あぁ……悪ぃ、助かったよ……」
 霞むような速さで、横の縁に移動してきた大良が呟いていた。淡々とした相棒に襟首を掴
まれた格好で一聖は苦笑する。パッと手を離され、二人はこちらを向き直したドールと改め
て対峙した。伸びきっていた触手が引き戻され、再びドールの周りで蠢き、ひしめき合う。
 その様を見つめながら大良が言った。
「……相手の手が速いな。止まっていれば格好の的だ。こちらも速さで勝負するぞ」
「あぁ……。分かった」
『Muscle(筋力)』
 言われて、一聖は赤紫のカードを手に取り開封した。無機質な音声が夜空に響く。
 ゴルダにセットし、銃口をぎゅっと握り締めてから引き金を引く。鈍い音と共に一聖の肌
が若干熱を帯びたように赤く上気し始める。ゴルダをホルスターに押し込み、ポキポキと拳
を重ねて音を鳴らす。全身に力を込めて今にも襲い掛かりそうなドール。その姿を一瞥し、
二人はちらりと互いを見ると小さく頷き合った。
「──行くぜっ!」
 叫んだ瞬間、無数の影の触手が一斉に二人に向かって襲い掛かってきた。
 だが身体能力を強化した二人はそれをあっさりとかわすと、二手に分かれて地面を蹴って
駆け出す。触手達が二人の立っていたコンクリートの縁を砕きながら、方向転換しようと蠢
き、ゆらめく。
 二人が採った作戦は、ヒット&アウェイだった。
 速さを活かして相手に狙いを定めさせずに撹乱しつつ、隙を見て攻撃を叩き込む。そして
それに反応して反撃してくるのを見極め、再び速さと共に迂回しながら距離を取るのだ。
 霞むような速さで立ち回る二人の軌跡を追いかけるように、影の触手がうねりながら時間
差で灰色の床に突き刺さり、破砕する。だがそのモーションの合間を縫って、ドール本体に
はあちこちから攻撃が飛んでくる。
 遠距離では銃撃を。隙を見て接近すれば斬撃や刺突を。
 一聖と大良は入れ替わり立ち代わりを繰り返しながらドールに次から次へと攻撃を浴びせ
ていった。その度に声を漏らしてよろめき、眼をぎらつかせて視線を移し、無数の影の触手
を放ってくるドールの反撃をかわしながら。
「ギッ……! ガァァッ!」
 大良の何度目かの銃撃がドールの背中を襲った。
 流石に苛立ちを隠せないらしく、ドールはその大きな眼を血走らせながら触手達を放って
くる。だが「加速」の力を纏う大良にはその反撃はかすりもしなかった。霞むように消える
残像に向かって、触手が虚しく空を切る。
「こっちだぜ、化けもん!」
 その隙を突き、一聖が懐に飛び込んでいた。
 叫ぶその声に慌てて振り返ろうとするドール。だがそれよりも早く、地面をしっかりと踏
みしめながら放たれた一聖渾身の斬撃がその胴へと叩き込まれた。黒影(シャドウ)のドー
ルは一層大きな悲鳴を上げながら大きく吹き飛ばされ、ゴロゴロと地面を転がっていく。
「よっし!」
「……」
 肉体強化と高速移動。二つの力を互いに宿し、肩を並べた二人は、地面に転がるドールと
距離を取ったまま向かい合った。
「ギギ……ッ」
 刻まれたダメージで震える身体を奮い起こすように。
 警戒を解かずに向き合う二人に、ドールは目を血走らせながらフラフラになりながら立ち
上がった。肩で大きく整える息遣い。二人はゴルダとシルヴィから排出されたカードを回収
しながらも、銃型に戻った得物の狙いをその怪物へ向け続ける事を怠らない。
「ガ、アァァァッ!!」
 すると突然、弱々しくなっていたドールが雄叫びを上げて夜空を仰ぎ出した。
 まるで沸き立つように激しく盛り上がってくる足元の影。それらは先程までとは比較でき
ないほどの数の触手にに増殖し、空を覆いつくさんばかりにうねり出す。
 背後には夜闇の中で静かに光る月。
 文字通りそこから生まれる影を力にして、ドールはここに来てあらん限りの力を以って二
人に叩き潰そうと、反撃を試みようとしているらしかった。
「……シュヴァルツ。あの影を閃光で消せるか」
「多分な。出力の高さ(パワー)なら俺達のお家芸だし。だろ、ゴルダ?」
「あぁ、勿論さ」
 だが二人はむしろ迎え撃つ気で満ちていた。
 一瞬考え込んでから訊ねる大良に、一聖が、手の中のゴルダが景気よく答える。
「……ならいい。決めるぞ」
『FULL BURST』
「おう。全力、全開だ!」
『FULL BURST』
 そして二人はほぼ同時にグリップの底蓋を引っ張った。重なり合う無機質な音声と共に、
手にする銃のボディにそれぞれ紅と蒼の放電のような奔流が奔る。
 次いで二人は腰のホルダからカードを取り出した。
 手の中の複数のユニテル・カード。
『Thrust(刺突)』『Freeze(氷結)』『Accel(加速)』
 二人はそれらを、
『Bazooka(砲撃)』『Fire(火炎)』『Bullet(剛弾)』
 相棒のデバイス達の中に手早くセットする。
 次の瞬間、大良には早くも刃先に冷気を纏い始める槍状に換装したシルヴィが。
 一聖には両腕でぶら下げる巨大な砲身に換装したゴルダが、それぞれ二人に握られてがっ
しりと身構えた。
「ギギ……」
 その動きに対抗するように、力を溜め込んでいたドールが急に両手をサッと交差させた。
すると、それまで天高く蠢いていた影の触手達が一斉に合わさり始め、瞬く間に巨大な黒い
角錐状に変貌を遂げる。
 影と砲身と槍。三者の力がギリギリまで互いを威嚇し合った。
「ギ、オァァァァッ!」
 その数秒の沈黙を破ったのは、ぶんと両手を振り払ったドールの方だった。
 主の命令に忠実に従うかのように巨大な角錐状の影が大挙して二人に襲い掛かる。
 だが、二人は逃げなかった。すぐには動かずギリギリまで引きつけようとするように。
「吹っ飛べぇぇぇっ!!」
 ガコンと砲身の頭をやや上げて。
 一聖は叫びながらゴルダの引き金を引いていた。
 それと共に発射されたのは、超特大の炎弾。撃ち出されたそれは煙の尾を引きながら角錐
の先端へと一気に飛び掛っていく。
 そして両者がぶつかった刹那、辺りに爆発音と炎が爆ぜた。
 その破壊力は凄まじく、一見堅固なものに見えていた影の巨大角錐をあっという間に粉砕
してしまう。
「……!?」
 だが、砲撃の効果はそれだけではなかった。
 突如として爆ぜた炎弾と共に飛散した炎熱。それに伴う閃光がドールから伸びていた影を
尽く消し去っていたのである。
 それはいわば、闇を掻き消す閃光弾だった。
 そしてドールは眩しさと驚きでその場から動けず、
「おぉぉぉ……っ!」
「ギャッ!? グギャッ! ガギャァッ!?」
 更に間隔を経ながらも連射される特大炎弾をもろに受けて、大きく大きく吹き飛ばされ後
退していく。
 もう反撃する余力などなかった。全身を砕かれるような強烈極まりないダメージ。ドール
は成すがまま吹き飛び、黒い身体を更に爆炎によって焦がされる。そして。
「……ッ!」
 霞むように吹き飛ぶその身に追随して現れた、大良。
 スローモーションの世界で、その細められた怜悧な瞳と目が合う。彼は目に見えるほどの
冷気渦巻く槍を中空に跳んで構えながら、
「はっ!!」
 またも霞むような速さでその刃先を身体に叩き込んだ。
 一刹那にして貫かれた身体からドールの全身が凍り付く。体積を増した圧力に身体がミシ
ミシと引き裂かれていく。
「グ、ギィアァァァァァ──!!」
 スローモーションの世界が終わる。そして響いたのは、ドールの断末魔だった。
 爆ぜて粉微塵になるドールの身体。叩き付けた勢いのままで、ストッと着地する大良。
『…………』
 辺りが急にしんとなった。
 シルヴィの槍型の換装が消え失せ、その口から空になったカードが排出される。それらを
ホルダの中にしまいながら、
「ふぅ……。やれやれ。終わったな……」
 同じく換装を解き、排出するカードを手にして近付いてくる一聖に、
「…………あぁ」 
 大良は深い間の後で静かに頷いたのだった。
「──さて、っと……」
 そして何とかドールを対峙した二人は、その足で路地裏に舞い戻った。
 大良が近くの照明を射抜いた事もあって尚更薄暗くなった路地裏の壁際。そこにぐったり
としたままの秋奈の前の屈み込み、一聖はゴルダに訊ねていた。
「ゴルダ。容態は?」
「……大丈夫だ。多少バイタルは下がってるが、命に別状はねぇみたいだな」
「そっか……。よかった……」
 暫しチカチカと眼のランプを光らせてからのゴルダの返答。
 その結果を受け、一聖はそこでやっと深い安堵の表情を見せた。
「……」
 一方、そんな二人から少し離れた位置で、大良は暗がりの中を背を向けて屈んでいた。
「よっし。じゃあ後は早いとこ救急車を呼んで、とんずらだな」
「……待て」
 立ち上がりながら、小さく息を吐きながら呟く一聖。
 だがその動きを、そっと立ち上がり振り返った大良が制止する。
「あん……? 何でだよ? この子の記憶ならもう消しただろ?」
「あぁ。だがまだだ」
 眉根を上げる一聖。大良はゆっくりと近寄って来ながら小さく頷き、そして首を振った。
「……考えてもみろ。彼女はそもそも自分達の仇としてドールに立ち向かおうとしたんだ。
そんな彼女を、もしこのまま普通に病院に送っただけでは、その後どうなると思う?」
「……?」
 一聖はちらりと秋奈を見遣った。そして再び大良を見返した後、
「…………。まさか。また今回みたいな仇討ちを考えるって、事か……?」
 数秒ほどじっと考え込んでから、僅かに眉間に皺を寄せつつおずおずと呟く。
「……そういう事だ。まさか君はその度に彼女を守るとでも言うつもりなのか?」
 大良はゆっくりと頷いた。そして若干の面倒臭さと皮肉を込めてそう付け加える。
「う~ん……。そ、そうなったら仕方ないだろ……? あ。でも、本物の仇っつーかドール
はさっき俺達で倒しちまってるんだよな……」
「あぁ。そうだな」
「あ~……でも、だからってそれを直接伝えちゃマズイよなぁ。正体とか色々……」
 一聖はそんな事を呟きながら、小難しい顔で秋奈と大良を見返していた。
 そんな相棒の様子を、大良は暫く眺めてから、そっとホルダに手を掛ける。
「……穂波君の記憶を改変すればいい。流石に彼女自身が倒したというのは無理があるが、
ナイトガンナーが代わりに仇を討ってくれた──そんなシナリオを彼女の記憶に埋め込む。
それで多少なりとも彼女に区切りと納得感を与え、今後、今回のような動きを抑え込む事が
できるだろう。勿論、僕らの正体などは分からないよう、諸々の微調整は加えるがな」
 取り出したのはシアン色、「M」のロゴ文字のユニテル・カード。 
 一聖はそれを目に映しながら、少し戸惑い気味に訊ねた。
「記憶を、埋める……? それって、そんな事もできるのか?」
「はい。メモリー(記憶)のユニテルと、私や兄さんの今回の作戦における情報のアーカイ
ヴを利用すれば可能な筈です」
 変わりに答えたのはシルヴィだった。
 答えながら、彼女は大良にホルスターから引き抜かれる。銀色のボディに備わる、蒼い眼
のランプがチカチカと光っていた。
「そっか……」
 一聖はその返答に複雑な表情をしていた。
 自分達やドールなどの秘密保持と秋奈自身への後ろめたさ。双方がシーソー状態になって
いるのだろう。そんな心境を察しているのかいないのか、大良は彼の傍を通り過ぎて秋奈の
正面に立つと言う。
「躊躇う事はない。彼女の事を考えれば当然の選択だ。僕らがいるとしても、守れるものに
は自ずと限界がある。……可能な限り、こちら側に近寄る者はいない方がいいんだ」
 一聖は黙っていた。渋面を作り肩越しにこちらを振り向いている大良と、未だ頭を垂れて
座り込んでいる秋奈を見遣る。
「…………。分かったよ。お前に任せる。それに、お前の事だからこのことも、前もって考
えてたんだろ?」
 その言葉に、大良はコクと小さく頷くだけだった。数歩、一聖が道を開けるように後ろに
下がる。大良はそれを横目で確認してゆっくりと銃口を秋奈の額に向けると、
『Memory(記憶)』
 開封したカードをシルヴィにセットしたのだった。

「…………アキちゃん?」
 秋奈の視界に、至近距離の小春の顔が映る。
 彼女はいつも通り微笑んでいたが、表情(かお)は全然笑っていなかった。
「うぅ……っ」
 醸し出す妙な威圧感。
 ベッドの上で座るパジャマ姿の秋奈は、思わず顔を引きつらせつつ心持ち身を後退させて
しまっていた。
「……ご、ごめん、なさい」
 そこは市民病院の一室だった。
 気付いた時にはもう自分は病院に搬送された、入院患者の身となっていた。そして今は、
その報を聞きつけて来た小春によってお説教モードの真っ最中なのだ。
 途切れ途切れになりながらも、秋奈はそう謝罪を口にしていた。
 すると小春が、それまでの笑顔の威圧感をスッと緩めて言う。
「……。本当、無茶するんだから……」
 それは間違いなく、親友(とも)を心から心配する少女の顔だった。
 涙目こそ混じっていたが、そこにはある種の母性のような穏やかさも垣間見える。秋奈は
その表情に思わず言葉を失い、気恥ずかしそうにちらと彼女から視線を逸らして苦笑する。
 後からやって来た罪悪感と何処かストンと落ち着く安堵感。
 妙な組合せの感情がチリチリと秋奈の胸を過ぎった。
「私の事はもういいから。だから……もう、無茶なことは考えないでね? 今回はすぐに白
沢先生と黒田さんが駆けつけてくれたからアキちゃんもそんなに大事に至らずに済んだよう
なものの……」
「う、うん……。わ、分かったからそ、そんな泣きそうな顔しないでよ。ね……?」
 小春はコクと小さく頷いてそっと袖口で涙を拭った。
 その様子を見つめながら、秋奈は少し意識的に声色を明るくして言う。
「……もう大丈夫。私の力じゃ私達の仇を取れなかったけど、代わりにあいつをやっつけて
くれたんだ」
「? 誰が?」
「ナイトガンナーだよ」
 小首を傾げる小春。ふふんと。秋奈は若干興奮した様子で答えていた。
「正直、記憶が曖昧ではあるんだけどさ。でも、確かに私を助けてあの化け物を倒してくれ
たんだよ。金と銀の髪をした銃士二人……小春も聞いた事はあるでしょ?」
「う、うん。アキちゃんも前に話していたけど……。本当、なの?」
「本当だってば。ちゃーんと記憶に残ってるんだから」
 ポンポンと指先でこめかみを叩き、秋奈が得意げに言う。
 それを小春は半信半疑な様子で見つめていた。だが、実際自分もわけの分からない者に襲
われた手前、面と向かって否定はできない。それに、嬉々として“自分の経験”を語ってみ
せる秋奈を見ていると疑う気持ちすらどうでもよくなってくる。
「そっか……。じゃあ私達は、きっと運が良かったんだね……」
 だから小春は、そう穏やかに微笑みながらそんな事を呟く。
「……そうなのかもな。だから、もう無茶はすんじゃねぇぞ?」
 すると、突然背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
 二人がその方向──病室のドアを振り向くと、もたれ掛かるようにして一聖が立ってこち
らを見ていた。
 どうやら見舞いに来てくれたらしい。手には籠に詰めた果物の盛り合わせ(Sサイズ)が
提げられている。彼は「よっ」と軽く片手を上げて笑い掛けると、ゆたりと二人の下へと歩
み寄ってくる。
「黒田さん……。どうも、その節はお世話になりました。ほら、アキちゃんも」
「あ、うん。ど、どうも迷惑かけちゃって……ごめんなさい」
「何。気にすんなって。そもそも俺もタイラも、遅れずにちゃんと時間通りに合流してりゃ
こんな事にはならなかったんだしさ」
 改めて頭を下げる二人。だが一聖は特に気に病んでいる様子は見せなかった。代わりに気
さくな微笑を返しながら、見舞いの品のフルーツの籠をベッドの脇の棚の上に置くと、改め
てベッドの上の秋奈を見返す。
「それで……どうだ? 具合の方は?」
「あ、はい。おかげさまで何とか」
「医者の話だとそんなに酷くはないみたいなんで、一週間もすれば退院できるみたいです」
「……そっか」
 二人の言葉に一聖は静かに微笑んでいた。親身な、心底安堵した表情だった。
「あぁそうそう。タイラは忙しくって来れないって言ってたけど、また俺が引っ張り出して
来るからさ。言い出しっぺが見舞いに来ないなんてのも……な?」
「そんな……。お忙しいなら構いませんのに」
「そうそう。気にする事ないって~」
「……アキちゃんは黙ってて」
「……あぅ。す、すんません……」
 礼儀正しく苦笑する小春に秋奈が追随する。すかさず小春が先刻の妙な威圧感と共に振り
返りながらピシッと凍り付く秋奈を見る。
「ははは……」
 一聖は笑っていた。少々力関係がアレだが、微笑ましい少女二人のやり取りを見ていた。
 この分なら、もう大丈夫だな。
 心の中で一聖は思う。何だかんだとあったが、元凶となったドールも倒した。この二人を
守る事もできた。多少の捏造や嘘は伴ったが、結果は何とか丸く収まったように思える。
(……これでとりあえず、一件落着……かな?)
 内心やれやれと一息をつきながら。
 一聖は、やいのやいのとやり取りを続ける二人を微笑ましく眺めつつ、そんな事を思う。

「……」
 一方、時を前後して。
 大良はアパートの自室にいた。
 部屋中を埋め尽くす本棚、書籍やメモの山。その中に鎮座しているデスクトップとノート
型の二台のPC。大良は時折机の上の広げた複数のメモに視線を移しながら、黙々と作業に
取り掛かっていた。
(マスター……)
 完全なスタンドアローンに組み直したノートPCとそこに接続されたハブ。そしてそこか
ら延びた複数の配線が、机の上に鎮座するシルヴィに繋がれている。
 それは今までにもあった、解析作業の準備。
 シルヴィは配線に繋がれたまま、黙々として室内を動き回る大良の姿を目で追っていた。
 静かで怜悧な、恐ろしく真剣な眼差し。
 だがそんな主の姿に、シルヴィは何故か何となく胸騒ぎを覚えてならなかった。
「……これで、よし」
 そうしていると、最後の配線をチェックし終え、大良が小さく呟いた。屈んでいた姿勢か
ら立ち上がり、シルヴィの正面に戻ってくる。
 部屋は電気こそ点いていたが、何処か陰気だった。
「……では始めるぞ、シルヴィ」
「……はい」
 そっと眼鏡のブリッジを押さえてから、大良は静かに口を開いた。チカチカと眼のランプ
を光らせ、シルヴィも息を呑んで頷いてみせる。
「…………」
 そっと、大良がポケットに手をやる。
 そして取り出されたのは、一枚のユニテル・カードだった。
 濃淡・白黒のグラデーションのついた肌色。ロゴ文字は「H」。そのカードをもう一度、
ちらと見遣ってから大良は言う。
「……これから、このカードを君にセットしてみる。このユニテルの効能を調べて欲しい」
「は、はい。分かりました……」
 そう言う大良は何処か緊張しているように、シルヴィには見えた。
 一瞬、躊躇するような間。だが大良は薄らと閉じた目を開き、そっと上蓋に指を掛ける。
『Human(人間)』
 カチリと。開封されたと同時に漏れるユニテルの名。
 次の瞬間、アパートの一室に無機質な音声が響き渡った。

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  1. 2011/04/28(木) 20:30:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

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