日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅲ〔29〕

 休日の明朝にも拘わらず、屋敷の中は忙しなくも何処か清々しさで満ちている。
 時はアルス皇子の歓迎会当日。
 処は梟響の街(アウルベルツ)アウルベ伯爵邸の中庭。
 その館の主──この街の若き領主ルシアン・V(ヴェルドット)・アウルベルは普段より
も大幅に早起きをして朝食を済ませると、数名の従者と共に屋敷内のあちこちで進められて
いる準備作業の様子を見て回っていた。
「あ、伯爵。お早うございます」
「ああ、おはよう。どうだい? 準備のほどは」
「はい。見ての通り大きな設営は昨夜までに全部済んでます。今は細かい備品の最終点検を
通している所ですね」
「ご心配には及びません。開会予定までには間に合わせますんで」
「そうか。引き続き宜しく頼むよ」
 お任せを! そう快活に笑って作業に戻ってゆく使用人らを見送り、ルシアンは朝の微風
に暫し身を任せて我が家の庭を見渡す。
 こまめに手入れされた庭園。そこに設えられた演壇やテーブル席の群れ。
 いつもとは毛色を変えた屋敷の様子が、今日という日の特別さを静かに物語るようだ。
「……」
 今回のアルス皇子の歓迎会は、此処アウルベルツの執政館(現地の領主や派遣された大使
が詰める公邸の総称)がその会場となっている。
 皇子当人や皇国サイドは勿論の事、招待予定の近隣諸侯らとの調整を済ませた後、自分達
はすぐさま準備を進めてきた。
(随分と、遠回りをしてしまったな……)
 ルシアンは、目前に迫ったイベントを前にそんな思いを抱いていた。
 以前この街を襲った“結社”の魔手。その圧力に屈し、レノヴィン兄弟を放逐する事で街
を守ろうとしたあの時の自分の判断──いや、側近達の思惑の代弁。

『偉いってのは単に金や肩書きがあるからじゃねぇだろ! ……救えるからだろ? その権
力ってもので人やモノを動かしてたくさんの人間を救える、その“力”があるからじゃねぇ
のかよ!?』

 だがあの日、自分はそれまでの己の愚かさに、弱さに気付かされた。
 ジーク・レノヴィン。あの時我が身可愛さ故に追い出そうとした兄弟の片割れ。その当人
から叫ばれた“高貴たる者の義務”に連なる言葉、想い。
 長らく自分は──狭いセカイばかりを見ていた。
 まだ二十歳になったばかりの頃、当時の領主であった父が隠居を宣言した。
 曰く、自身の老齢と若い世代に対する変革の期待。
 だがそんな父の期待に、自分はお世辞にも応えられぬ日々を過ごしていたように思う。
 継ぎたくない訳ではなかった。次期領主として、必要な勉学にも真面目に取り組んできた
つもりだ。
 だが……知識と経験はまるで違うと思い知らされた。
 自身の耳にも届いていた。恥ずかしながら自覚はあった。
 実質、自分が家臣達の傀儡でしかないという領民らの評を。
 それでも自分は、彼らの言葉を中々無視できなかった。
 長く父を支えてきた者達。そんな彼らの経験値は、形だけの領主たる自分よりもずっと優
れていたのだから。無能な善人と有能な悪人──何もできないよりも何かを成せる力こそ、
実務家には求められる筈だと思って。
 しかしそれは、やはり所詮“逃げ”だったのだろう。
 責任ある立場にありながら、肝心な事は彼らの言葉を右へ左へ流し通す。その無責任さ。
 いつしか自分は領主であるその誇りよりも、父から受け継いだこの街を如何に“守る”か
に囚われてしまっていた。……実際は、それが家臣達の私利私欲を叶えるばかりになると何
処かで気付いていながらも。
 ……だからこそ、私はあの時あの言葉をぶつけられ、身に詰まされたのだと思う。
 護りたかったものは、父から受け継いだものは、何も彼らの利権ではない。
 生命(いのち)だったのだ。尊厳(たましい)だったのだ。
 この街に息づく六万三千人の心と体の安寧を守護すること。それが領主たる自分の責務で
あり、我が身に託された想い──自ら身を引いてまで父が願ったものである筈だと。
 故にあの一件の後、自分は街の被害補修を第一として動いた。
 入り込んだ魔獣に荒らされた家屋があれば補助金を出し、荒らされた田畑があれば人足も
出してその建て直しを後押しした(この人足もまた別の住人の雇用に繋がる)。
 当然、その際の支出は当初の予算に入っていない訳だが、その分は自分も含めた家臣達の
ポケットマネーによって賄った。ジーク皇子の言っていた『助ける為に力を持っているのが
貴族』という弁を現実のものにしたかった。
 そんな支出要請が続いたからだろう。徐々に家臣達の中には自分と距離を置き──中には
暇を請う者が出てきている。
 私財を擲つのを厭っている。そんな腹の底をもう私には隠せはしない。
 だから辞めたいと進み出てきた者には、出て行って貰った。……もう自分はお前達の操り
人形じゃない。そう自他に示す意味合いも含めて。
 それ故に手放してしまった人材も、少なくはない。
 だがこの心は、それほど後悔の色には染まっていない。むしろホッとした感すらある。
 襲撃事件の報告に隠居先を訪ねた時も、父は満足そうに微笑んでくれた。「やっとお前も
ホンモノの領主になれたらしいな」と言ってくれた。
 勿論、これで一人前じゃない。むしろスタートラインに立っただけだろう。力ある悪意に
頼らずどれだけの事が自分に出来るのか? これからこそが本番だと言っていい筈だ。
 御礼が言いたかった。あの兄弟──皇子達に感謝の思いを伝えたかった。
 あの時自分に投げられた説教は、きっと皇爵という最上級爵位者としての発言ではない。
それは彼から叱咤された自分自身が一番よく知っている。
 あれはきっと、ずっと彼らがこのセカイに生きる者の一人として抱いていた思いであり、
願いであったのだろう。
(私も、少しは彼らに恥じぬ領主に為れただろうか……?)
 血筋には逆らえず、しかしてその運命に抗った彼ら。今や彼らは時の人となった。
 故に自分達がこの街が、再びそんな彼らの帰る場所になるのであれば……自分はあの日々
の恩返しも込めて、全力でその力になろうと思う。

「──伯爵。こちらにおられましたか」
 そう暫く庭先から大詰めの作業状況を眺めていると、ふと後方から声と足音がした。
 振り返ったルシアン達に近付いて来たのは、執政館(やしき)の別なスタッフが数人。
 彼らはこの主人に胸に手を当てた一礼を寄越すと、告げる。
「ウィルマー卿より通信が来ています。今日の会に関して詰めたい話があるようでして」
「一度執務室にお戻り下さいますか?」
「ああ……多分あの事かな? 分かった。戻ろうか」
 報せを受けて、ルシアンは小さく頷くと室内へと歩き始めていた。
 かつては年配者の顔色を窺ってばかりだった若き領主も、今やその横顔は来たる日々への
意欲と志に満ちている。
 サッと翻した礼装の衣。随行の者も呼びに来た者も、屋敷のスタッフらはそんな彼の歩み
に従い、やがて場から姿を消してゆく。
『…………』
 しかしこの時、彼らは誰一人として気付いていなかった。
 屋敷を彩る中庭、各ゲスト用の控え室、メイン会場となる社交用の広間。それら屋敷内で
着々と最終点検を進めている作業員達。
 そんな、忙しなさの中に混じって。
「──全ては」
『摂理の名の下に』
 怪しく密かに、備品の中へと複数の小箱を隠して回る者達の存在に。


 Tale-29.輝くものらに陰在りて

 最後にこの衣装に袖を通したのは、確かまだ皇国(トナン)に留まっていた頃、共同軍の
面々との食事会──アウルベルツに戻る前の壮行会だったか。
 やって来た歓迎会当日。
 その朝、アルスは宿舎内の一室にて侍従らに囲まれながら礼装(ハガル・ヤクラン)を着
付けて貰っていた。
(やっぱり、この格好になると緊張しちゃうなぁ……)
 ゆったりとしたローブタイプの着物。両肩に引っ掛けられた美麗な刺繍の袖なし上衣。
 だが当のアルスの意識の中では、既にこのハレの衣装はイコール緊張という図式が出来上
がりつつあった。
 ヤクラン自体は母やリンファなどの近しい人間がよく着ているため、見慣れてはいる。
 だがいざ自分が着る時は、皇国(むこう)でも大抵が大人数の視線を浴びる場への出席と
セットだった。故に尚の事この装いに厳粛さを覚えてしまうのだろう。
 そして今日の歓迎会出席──形式上、皇子としての初公務はそんな感触を一層強くするも
のとなるに違いない。
「はい出来ました。もう動かれて大丈夫ですよ」
「あ、はい……。ありがとうございます」
 思わず堪えるように苦笑。
 アルスはそう背中をポンと撫でて声を掛けてくれた侍従に振り返ると、すっかり煌びやか
な装いに変わった自身の袖や裾をためすがめつ。おずっと触れては、寄せては返す緊張感を
じっと宥めているかのようにも見える。
「……? ねぇそのヤクラン、この前着てたのよりも小さくない?」
「え? ……ホントだ。言われてみると」
 そんな中、傍らでふよふよと浮かんでいたエトナがアルスの纏う衣装を見つめて言った。
 確かに今回は袖丈も自身の体格に合っているし、前回までに比べると着られている感じは
だいぶ抑えられている気がする。
「その事でしたら。今回は一回り小さいサイズを用意させて頂きましたので。前回の壮行会
の時点では、まだアルス様の正確な採寸が済んでいませんでしたからね」
「ただホウ副長から『アルス様は普段ローブの類を好んで着ている』とお聞きしています。
ですので、今回も引き続きローブタイプを用意させて頂きました」
「そうでしたか……。細々とした所までありがとうございます」
「いえいえ~。アルス様のお世話が私達の仕事ですから」
「それに、アルス様は線が細くいらっしゃいますからね。身体がはっきり出るよりも、こう
したゆったりと覆うタイプの装いの方が周りから見ても威光が出ましょう」
「あ、ははは……」
 そして今度は二重の意味で苦笑して。
 アルスは、にこやかに応えてくれる侍従(かのじょ)達に思わず恐縮となった。
 はたと気付けば、つい自身の思考の中(せまさ)に囚われてしまう自分。
 それでも──皇子というこの身分、それに仕える立場といった側面もあるのだろうが──
変わらず様々に配慮を向けてくれる周囲の仲間達。
 だがそんな存在を、気遣いを作ってしまうことに、アルスはホッとする心地良さと同時に
申し訳なさを覚えてならなかった。
 ──兄のように、強くて逞しい漢(おとこ)に為りたい。
 そう憧れていても自分という体は華奢で、心は打たれ弱くて。理想には程遠くて。
 恨み節……という訳ではない。ただ自分の非力さが胸を冷たく締め付け、情けなかった。
「アルス様。お召し物は済みましたでしょうか?」
 そうしていると、部屋の外からイヨの声が聞こえてきた。
 いけない……また悪い癖が出そうになっていた。
 自分は自分のできることに集中しなければ。それがきっと、皆へ報いることにもなる。
「はい。ちょうど今一通り……」
 彼女の声でハッとなって影の差した気持ちを振り払い、小さく頭を振ると、アルスはそう
応えて侍従の一人に目配せをした。こくりと、傍に控えていた彼女は身を返すとドアの鍵を
開けてくれる。
 顔を出してきたのは、白のヤクランに身を包み直したイヨだけではなかった。
 護衛役のリンファ──ちなみに彼女は普段からズボンタイプのヤクランを着ている──は
勿論、イセルナやハロルド、レナにミアと今回クラン側の代表として共に出席する面子も、
既に身支度──もとい思い思いのお洒落をして準備完了であるらしい。
「準備できた?」
「ふむ……その姿は向こうでの壮行会以来か。何度見ても異国情緒溢れるね」
「ふわ~。あれ? 何か前よりサイズ小さくなってません?」
「あ、うん。今回はアルスの体格に合ったのを用意してくれたんだってさ」
 部屋の入口付近で、イセルナ達はエトナや数名の侍従らと話し込み始める。
 ズボンのレディーススーツなイセルナに黒衣礼服のハロルド、フリルのドレス姿なレナ。
「……」
 そしてそんな面々からは心持ち距離を置き、紺のミリタリーコート姿なミアは何故か皆と
は視線を逸らすようにして立っていた。
 一体、どうしたんだろう? 
 そうアルスはふと疑問に思い、
「……ミアさん?」
「ッ!?」
 何気なく近寄って声を掛けてみる。
「どうかしたんですか? 何だか気難しそうな表情(かお)してますけど……」
「べ、別に……何も……」
「ふふっ。もう、ミアちゃんったら照れ屋さんなんだから。気にしてるんだよね? ちゃん
と似合ってるかどうか、何よりアルス君に顔見せできるかどうか」
 すると耳聡く横に立ってきたレナのそんな言葉に、ミアはぼんっと顔を赤くして俯いてし
まっていた。
「だって……ボクじゃあレナみたいな服は似合わないし、持って……ないし。こんな格好で
パーティーに出てもいいのかなって……」
「大丈夫だと思いますよ? 似合ってますし。何時もみたいにカッコイイミアさんじゃない
ですか。ホント羨ましいです。僕の体格だとミアさんや兄さんみたいな格好をしても“着ら
れちゃう”ので……」
 しかし対するアルスは、頭に疑問符。はてと小首を傾げて目をぱちくり。
 何故自分が引き合いに? そう無言の疑問符を浮かべながらも、ごくごく自然に答える。
「……アルスは、こういうのがいいの?」
「はい。兄さんみたいに、カッコイイ漢になりたいなぁって。ずっと」
「ま、果てしなく遠い理想だけどねぇ~」
「ぬぅ……。こ、これでも気にしてるんだからそこはスルーしててよ……」
 頬を赤くしたままのミアに、アルスは一度傍らでにやっと笑うエトナにツッコミを入れて
から、あははと苦笑いを含んだ微笑みを。
 以前から思っていた事でもあった。
 強くてカッコイイ。それは兄だけでなく、その戦友たる彼女にもまた同じ雰囲気があるの
ではないかと。
「それに顔見せ──気後れなんてしなくて大丈夫です。むしろ僕の方が緊張でガチガチです
から……。ミアさんみたいによく知った人がついて来てくれるだけでも僕は心安いですし、
嬉しいですよ?」
「……。そう……」
 だからアルスは嘘偽りなく語っていた。
 気後れする事なんてない。今までもずっと支え、助けて貰った貴女達に礼を言っても言い
足りないのは自分の方なのだから。
 ミアは少し驚いた様子だったが、やがてまた頬の朱を濃くして俯き加減になってしまう。
 そんな友人にレナは「ね? 大丈夫だったでしょ?」と優しく声を掛けている。
「えっと、アルス様? 宜しい……でしょうか」
「あ、はい。すみません。何ですか?」
 すると今度はそれまでの様子を傍観していたのか、ようやくタイミングを計れたといった
感じでイヨが進み出てきた。傍にはこの猫娘・鳥娘のやり取りを微笑ましく横目にしている
リンファの姿もある。
「これをお渡ししておこうと……。本来はもっと早い段階に編集してお渡しするすべきだっ
たのですが、如何せん想定されるケースが多く手間取ってしまいまして……」
「……? 想定? ケース?」
 彼女から差しだれたのは、一枚のレポート紙。
 その紙面にはみっちりと『○○の場合→△△』といった形式で箇条書きされたメモが記さ
れていた。
「これって……」
「想定問答集、のつもりです。あまり時間がありませんが、会場に着く前にできるだけ目を
通しておいて下さればと……」
「勿論アルス様のフォローは私達が行うつもりですが、今日を皮切りにこうした場は方々に
増えてゆきます。ですので、早い内にアルス様にも皇国(ほんごく)関係者としての指針を
頭の片隅に置いて貰いたいのですよ」
「……なるほど」
 要するに、マスコミ対策という訳か。
 リンファが言うように、確かに今までは周りの皆の制止(フォロー)によって彼らに言質
を取られるような状況にはなっていない。だがそれも何時まで続くか分かったものではない
だろう。
「えっと、でも、僕の言葉で喋るのは駄目なんでしょうか? その、嘘はあんまり……」
「お気持ちは承知しているつもりです。特に大事にならない、先程のメモにないような事で
あれば、アルス様ご自身の意思で語られて結構ではと存じます」
「ですが、そちらに書いてあるような政治的質問に対しては関係者に与える影響力がどうし
ても大きくなってしまいます。陛下や本国の皆々の為にも、ご理解のほどを」
 正直、あまり気は進まなかった。
 学院生(魔導師見習い)という肩書きも相まって、言葉のチカラというものにはアルス自
身、自分なりの──誠を込めたものであるべきという──拘りがある。上っ面だけでは、誰
かを本当の意味では動かせない。
「……分かりました。気を付けておきます」  
 だが、リンファに母やトナンの人々を遠回しに示され、アルスは諾と頷く他なかった。
 これが政治の駆け引きというもの。皇子たる重責──。
 アルスは手にしたメモにじっと目を落とし、再び胸の奥底からこちらを覗いてくる不安達
の影に静かに眉を顰める。
「──いよいよ、だな」
 そんな、アルス以下団員や侍従達の様子を微笑ましく眺めるイセルナに、はたと掛けられ
た声があった。
 ちらと彼女が視線を遣る。するとドアを挟んで部屋の外側の壁に、ダンがいつの間にかも
たれ掛かっていた。反対側にはシフォンも一緒だ。
「お前らの事だから大丈夫だとは思うが……。イセルナ、アルスのことこまめに支えてやれ
よ? あいつも兄貴(ジーク)と一緒で、自分を抑えて無理しちまうタイプだからな」
「……分かってる。だから放っておけないのよね?」
 ふふっとイセルナは笑い、ダンは静かに口角を吊り上げて半眼を。
 数拍の間を置いた後、ダンは再びシフォンと目配せを交わしながら言う。
「留守の間のホーム(こっち)は俺とシフォンで回しとく。守備隊もいるから手が足りねぇ
ってことはないだろう」
「存分にパーティーを楽しんでくるといいよ。……アルス君に擦り寄って来るであろう連中
のチェックをしながら、ね」
 途中ハロルドやリンファからの視線も合流し、彼女達クラン創立メンバーらは互いに密か
に頷き合っていた。
(……アルス君は変わる)
 雇われの護衛役達。
(私達も、変わらないといけないのかもしれないわね……)
 そんな形式だけじゃなく、大切な仲間(かぞく)。その為に力を尽くしたくて。

「──はい。これで出来上がりです」
「嗚呼、流石はお嬢様……。とってもお似合いです……」
「当然ね。この私に着こなせない服なんてありませんもの」
 一方その頃。エイルフィード家別邸では、シンシアが屋敷のメイド達によってドレスアッ
プを終えようとしていた。
 美麗な調度品に囲まれた室内。それらを背景にしても余りある淡翠のパーティードレス。
 メイド達が持ち上げていた遮蔽用の布囲いの中から姿を現し、フッと口元に弧を描いてそ
う得意げに言いながら、シンシアはサラリと自身の金髪を掻き上げてみせる。
「気合充分だな。やはり思慕の相手が主役のパーティーともなればめかし込まねばな」
 そんな彼女(あいぼう)を、人馬型の精霊・カルヴァーキス──カルヴィンは呵々と笑い
ながら見遣っていた。
 ちなみに普段は屈強な鎧姿の彼も、今日ばかりはヒト型な上半身を黒いスーツ姿へと変え
ている。元より精霊の纏う衣装はそれ自体もまた彼らの一部であるのだ。
「ち、違いますわよ!? こ、これはあくまで貴族のたしなみであって……」
 ボッと顔を赤くし、慌てて捲くし立てるシンシア。
 そんな様をやはり呵々と笑い、微笑ましく頷いてやっているカルヴィン。
「そ、そういえば。ゲドとキースはどうしたんですの?」
「ん? ああ。あの二人なら少し前に導話しているのを見かけたが……」
「確か旦那様からでしたね。私が取次ぎを致しましたので」
「お父様が? 何かしら……?」
 幼少時から貴族社会で生きてきたこともある。
 今回の主賓たるアルスとは対照的に、こちらの面々は至ってリラックスしていた。
『──そうか。じゃあ連中はそっちにまだ手は出してないんだな?』
 しかし、これに対し別邸へと導話を繋いできた父親の方(セド)は、そう安穏とはしてい
ないらしい。
「ええ。まだ……ですね。今は一番世間の注目も集まっている時期ですし、警備も強化され
ていますから」
「大方、今は機を窺っている段階と考える方が自然かと」
 シンシアが着替えをしている頃、キースとゲドは雇い主である彼からの導話に応じ、人払
いを済ませた部屋の中でそう静かに警戒心を纏わせた見解を述べていた。
 言わずもがな、その対象とは“結社(エデンのめ)”である。
 一度は皇国(トナン)にて退かせた相手とはいえ、そう簡単に引っ込んだまま終わるとは
セドもキース達も考えてはいなかった。
 事実、現在もセカイ開拓の最前線である西方を中心に“結社”が関与していると見られる
テロ事件は断続的に発生している。あの日ジークが宣戦布告したように、自分達の“敵”は
決して滅んだ訳ではないのだ。
「それよりも喫緊なのは、むしろ権力争いの類だと自分は思いますけどね。皇子はお優しい
──いい意味でも悪い意味でも人が良過ぎます。いくら侍従衆やブルートバードが付いてる
とはいえ、この先政治家連中相手にメンタルが持つかどうか……」
『確かにな。だがまぁ、そっちに関しては俺達が直接手を出さずとも先ずはあいつらが踏ん
張ってくれるさ。俺達は外側からのフォローに徹する。あんまり露骨に介入し過ぎりゃあ、
肝心の留学生活が窮屈になっちまうしな」
「……ええ」「承知」
 だがセドはそう言って、あくまでアルスらの支援者であることを貫こうとした。
 彼は口にこそ出さないが、理不尽な権力争い(パワーゲーム)の渦中にあるのは何も皇子
だけの話ではなかろう。
 セド──エイルフィード伯自身もまた、トナン争乱後の主導権争いに巻き込まれ、下手に
領地(エイルヴァロ)を留守に出来ない事情があるのだと思われる。今回シンシアを名代と
したのもそんな影響の一つである筈だ。
 静かな思案顔と不敵な破顔。
 対するキースとゲドも、それぞれに頷いて語る彼の方針に従う。
『ま、そういう訳だから、今後も定期報告をよろしく頼むぜ? お前らには負担になるが』
「それは構わないんですが……。いいんですかね? 元々自分達はお嬢の護衛ッスけど?」
『あ~……。まぁそこらの加減はお前らに任せる。あいつの相手は何かと骨が折れるだろ?
 母親(シルビア)に似て気が強いしじゃじゃ馬だか──っておい、よせ止め──』
「は、伯爵?」
『……な、何でもない……。とにかく、アルス達の周辺には充分気を付けておいてくれ』
 途中、導話の向こうで軽く夫婦の肉体言語(コミュニケーション)があったようだが、話
はそれでも一定の方向へと結ばれて一先ずのお開きとなった。
 ドタバタとした導話の向こうの物音。受話器を耳に当てたまま苦笑するキース。
 それらが収まった後もセドはこほんと咳払いをすると、そう改めて念を押す。
『もしかしたら、もう結社(やつら)は動き出しているかもしれないしな……』

 打ち合わせでは、今回の歓迎会は二部構成になっている。
 昼は主にメディア向けに開かれたパフォーマンスと開会の催し、夜はアウルベ伯主催の晩
餐会が開かれる予定だ。
 公の場という点ではどちらも同じだが、近隣(ないし遠方から足を運んで来る)諸侯らが
一堂に会する──出席者を貴族階級に絞った場である事を考えれば、アルスにとっての社交
デビューはこの夜の部であると考えていいだろう。
「あっ、来ました! アルス皇子です!」
「只今アルス皇子が到着したようです。一行が乗った馬車がこちらを通り過ぎて行きます」
 支度を済ませた後、アウルベ伯が寄越してくれた送迎の馬車に乗り、アルス達一行は会場
である執政館の正門を潜っていた。
 案の定、館の周囲にはごった返す既にマスコミや野次馬の姿、人だかり。
 アルス達の到着を認めると彼らは次々に映像機を向け、写姿器のストロボを焚いてくる。
「うぅ……。やっぱり凄い人……」
「大丈夫だって。私達もついてるんだから。ほら、笑顔笑顔」
「う、うん……」
 そんな外の様子を、アルスはこっそりと窓のカーテンの隙間から窺っていた。
 大勢の人々が一心に向けてくる好奇の眼。
 自分の意思とは無関係に、ガチガチガタガタと緊張し、震える心と体。
 それでも相棒(エトナ)や同乗する仲間達に励まされて、アルスはごくりと大きく息を呑
みつつも腰を浮かせる。
「道なりにお進み下さい。伯爵様がお待ちです」
 やがて黒い礼装に身を包んだ係員によって、馬車のドアが開けられた。
 右にはリンファ、左にはイセルナ。
 護衛のツートップを従える──実際の所は逆で、二人に言葉なく励まされ促されていたの
だが──形で、アルスはトンと足元に敷かれた赤絨毯の道の上に降り立つ。
 同時に一層強くなるのは、マスコミが放つストロボの光。
 沸き立つのは、見物人や既に会場入りしていた諸侯達からの歓声であり、礼を取る所作。
(……向こうでも思ってたことだけど、大袈裟だよなぁ)
 そんな皆の畏まりぶりにアルスは思わず立ち止まりかけ、内心苦笑を禁じ得なかった。
 チグハグ感なのだ。
 確かに血筋はトナンの皇子ではある。だが、かといって自分が何かをした訳でもない。
 強いていえば皇国(くに)の内乱終結に関わったことなのだろうが、アルス自身としては
仲間達の力添えがあったからこそ成し得たものだと思っていた。
 ……何よりも、本当にもっと望ましい──母とアズサ皇が和解できるような解決ができな
かったのか? そんな自責の念を伴った自問が少なからず今も胸の中には燻っていた。
「殿下、ようこそおいで下さいました。私がこの街の領主、ルシアン・ヴェルドット・アウ
ルベルで御座います。……そして、お久しぶりです」
 そして進んでいった赤絨毯の先、館の庭先に彼はいた。
 若き領主・アウルベ伯。この街を治めるアトスの諸侯の一人であり、かつて“結社”に街
を襲撃された際、当初自分や兄を追い出そうとしていた人物だ。
 しかし実際に顔を合わせたアルスの目は、彼はそんな“憎き相手”には映らなかった。
 片手を胸に当て、深々と頭を垂れる。貴族にとって謁見に次ぐ最上級の礼。
 何よりも今の彼には、あの時のように保身に汲々としていた様子が見られない。
 それはまるで毒素を抜かれた後のような……そんな、何処か清々しい印象すら受ける。
「何よりも先ずはお詫びを申し上げたい。この街が襲われたあの日、貴方がた兄弟は身を挺
して領民達を守って下さいました。何よりも、狭く凝り固まった臆病者(わたし)をあそこ
から引き摺り出してくれた……。改めて執政館一同を代表し、感謝を申し上げます」
「い、いいえ……。僕達こそごめんなさい。兄さ──兄が伯爵さまに暴言を吐いたあれは、
こちらも全くの想定外でしたから……」
 アウルベ伯ルシアンのそんな言葉に、アルスは思わず恐縮となった。
 既にあの一件の後、伯爵家から謝辞と侘びを伝える使者が訪ねて来ている。
 だが当時ルシアン本人が望んでいた直接の対面は、既にジーク達がトナンに向けて出発し
てしまっていた為に現在に至るまで実現をみていない。
 故に彼は、代わりにその弟である自分に侘びているのだろう。そうアルスは思った。
 暫くの間、二人の間で頭の下げ合いが続いていた。
 肩書きの上では皇爵と伯爵──身分は大きく差がある。
 だがそれでも、周囲の面々が眉根を上げる瞬間こそあれ、何処か微笑ましくその様を見つ
めていたのは、アルスという皇子が「謙虚」な人柄であることを多かれ少なかれ知りえてい
たからに他ならない。
「えぇと……とりあえず頭を上げて下さい。もう済んだ事ですから。兄もきっと気にしてい
ないと思います。きっと、今の伯爵さまを見たら微笑ってくれると思いますよ?」
 あくまで一人の人間として。
 ややあってアルスは、フッと微笑むとルシアンにその手を差し出した。
「だから、あの件はもうお相子です。これからは、この街に──皆と居させてくれる貴方に
僕が感謝する番です。……この先もどうか宜しくお願いします」
「……こちらこそ。そしてお帰りなさいませ。殿下のご留学は、我々が責任を持ってサポー
トさせて頂く所存です」
 向けられる微笑み。返される微笑み。
 次の瞬間、二人の掌は確かにがっちりと組み交わされた。
 また一層、焚かれるストロボの光が連続する。人々の歓声や拍手がわぁっと折り重なる。
 リンファやイヨ、イセルナ達が肩越しに向けた視線の先で満足気に頷いていた。そして屋
敷のスタッフによって、この場に姿を見せていた諸侯らが二人を中心として集まり出す。
 マスコミへのサービスだった。彼らにとっての良き「画」演出の為なのだろう。
 事実、記者達は待っていましたと言わんばかりに写姿器のスイッチを押し、更に少しでも
皇子の生の言葉を録ろう押し寄せてきた。
「アルス皇子。これはアウルベ伯との和解、ということで宜しいのでしょうか?」
「皇子。今後の留学生活に関して抱負はございますか?」
「兄君であるジーク皇子は未だに出奔したままですが、皇子は既に何か連絡手段を……?」
「あ、はい。え、ええっと……」
 向けられるマイクと質問が、怒涛の嵐となってアルスに吹き付けていた。
 予めこうなる事は予想はしていた。想定問答集まで作って貰って車中で頭に叩き込んで来
た筈だった。しかしまだまだ経験が足りないのか、いざ目前に取材攻勢が迫ってきて、つい
アルスは気圧されるようにして口篭ってしまう。
(アルス様)
 すると、ポンと自分を軽く叩くリンファやイセルナ、傍らに漂うエトナといった仲間達の
姿が左右の視界に映った。
「……」
 ただ呼び掛けてきただけ。だがそれだけで充分だった。
 ──大丈夫。落ち着いて? 私達がついているから。
 きっと、そんなメッセージ。
 そうした眼差しが、伝わってくる感触が、温かくってこそばゆくて……嬉しくて。
「……学院では、引き続き専攻分野の魔導を学びたいと思っています。困っている人達の助
けになれるような、そんな魔導師になりたいです。それと、兄のことですが──」 
 ちらりと仲間達を見遣り、自然と解れてくる緊張。
 アルスは一度静かに呼吸を整えると、記者達の質問にできる限り丁寧に答え始めていた。
 勿論イヨから渡されたメモ通り、政治的なファクターは遠回しに。
 特に兄達の件については具体的な情報を出すことはせず、あくまで実の弟としての言葉に
留めて。
「──ですので、皆さんには見守っていて欲しいんです。大丈夫……兄さんはきっと、また
この街に戻って来てくれると僕は信じています」
 かくして歓迎会──もといアルスの社交デビューは、その幕を開いたのだった。


 見渡す限り広がるのは、やたらに無味とした真っ白──いや、空白。
 其処は、ぼうっとしていれば自分の立つ位置さえも見失いそうになる空間だった。
 それでも何とかそんな事態を防げているのは、これまた現実味のない、ルーンが浮かび上
がっている空であり、
「──おぉぉぉッ!!」
 現在進行形で襲い掛かってくる、白い洋甲冑達の存在があってこそなのだろう。
 場所は、リュカが張ってくれた空間結界の中。
 次から次へと沸いてくるのは、中身を質量のある風で代用された彼女お手製の使い魔達。
 そんな鎧の軍勢を相手に、ジークはただ只管に剣を──六華を振るっていた。
『何よりも先ずは導力を高めること、それに尽きるわ。ジーク、貴方はもう一端の剣士じゃ
ない。サフレ君と同じように魔導具使いなのよ。だからこれから先、貴方がもっと強くなり
たいと望むならそれは即ちマナの扱いを磨いていくことに他ならないわ』
 もっと強くなりたい……いや、強くならなければならない。
 そんな決意を、胸の奥でのた打ち回る焦りをリュカに打ち明けた時、彼女から返ってきた
のはそうした──以前より予想していたのであろう──冷静な回答だった。
 彼女曰く、導力を鍛える唯一確実な方法は「とにかくマナを消費してみること」。
 要するに身体(たいりょく)も精神(まりょく)も同じなのだ。
 カラダに負荷を掛けていき、徐々にそこに投入できるエネルギーの器を大きくしてゆく。。
 それが一番堅実であり、ストイックな方法なのだそうだ。魔導師であろうが戦士であろう
が、地道な努力はきっと自身の糧になるのだと。
『まぁ、個々人の資質ってものはどうしてもあるんだけどねぇ……』
『えっ?』
『あ、ううん……気にしないで? 大事なのは数値の大きさじゃないわ。自分の持てる力を
如何自分色に仕上げてゆくのか、よ。マナを扱うってことは、単純に数値化さえすれば強弱
関係が決まるってほど単純なものじゃないしね』
 故に、ジークは修行の場を用意して貰っていた。
 南方経由から西方へ。父と“結社”を追うその旅の途中で、ジークは暇を見つけては彼女
に空間結界を張って貰い、こうして彼女の使い魔達を相手に“マナを使う”訓練を繰り返し
ていたのである。
「どっ……せいっ!」
 左右方々から向けられてくる使い魔達の円錐槍(ランス)を二刀で受け、火花を散らしな
がらいなす。
 彼らの刺突動作、その伸び切った前方へのベクトルを遡るようにだんっと地面を蹴ると、
ジークは右手に握った六華が一振り・紅梅にマナを込めた。
 刹那、紅く光る刀身。
 その増幅される斬撃のままに、ジークは彼らをすれ違いざまに薙ぎ払っていた。
 白鎧な身体達を、紅い軌跡が一瞬にして走ってゆく。
 そしてほんの数秒のラグの後、彼らはまるで破られた紙のようにその装甲を切り裂かれ、
声もなくぐらりと崩れ落ちようとする。
 だがそれでも、使い魔達の攻撃の手は休まらなかった。
 今度は先程とは逆に、ジークの背後から襲い掛かってくる他の鎧たち。
 しかしジークは紅梅を振り抜いた動作、その直後から肩越しにその動きを確認しており、
既に迎撃の体勢を取り始めている。
 左手に握られた蒼桜。その蒼く輝く飛ぶ斬撃が、この強襲者らを一撃に下に沈めてゆく。
 わらわらと、それでも次々と出現する魔法陣と共に沸いてくる使い魔達。
 紅と蒼、二本の解放された六華を握り締めたジーク。
 数の上ではジークの圧倒的不利の筈だったが、彼と六華(そのえもの)はまさしく千切っ
ては投げな様相で以って、この際限ない使い魔達を斬り伏せていた。
(流石に……二本同時に“起こす”のは、しんどいな……)
 だがその身体には、着実に疲労が溜まる。マナを多く消費するが故の息切れを起こす。
 この状態に自分を持っていくのが目的とはいえ、やはりまだこの感覚は慣れなかった。
 そういえば剣聖(リオ)も師匠(せんせい)も、自分に「ストリームを感じろ」といった
言葉を残していたっけ──。
「ジーク、後ろだ!」
「!?」
 そんな最中だった。
 はたと叫ばれた声にジークが半身を振り返ると、そこには今まさに死角を突いて飛び掛ろ
うとしていた白鎧が一体。
 すぐにジークは対応しようとしたが、既に互いの間合いは寸前まで迫っていた。
 しまった……! だが次の瞬間、側方から伸びてきた伸縮自在な槍がこの白鎧を貫いて吹
き飛ばす。
「流石に疲れてきたみたいだな?」
「……ああ。サンキュ」
 その槍、一繋ぎの槍(パイルドランス)を引き寄せて言ったのはサフレだった。
 ジークもまた声を掛けてきた彼のフォローに、少々バツが悪そうにしながらも軽く礼を口
にする。
 リュカの張った空間結界へと入ったのは、何もジークだけではない。
 彼女の使い魔は勿論、サフレもまた修行と彼のフォロー役として同席していたのである。
『ふむ……じゃあ今回はこの辺りにしておきましょうか。大分持った方ね。上出来上出来』
 中空から結界主のリュカの声が聞こえた。するとその言葉を合図にしたかのように、白鎧
の使い魔達の残党は次々と魔法陣と共に撤収を始めていく。
 ジークの二刀から光が消えた。サフレも主装の槍をスタンバイ状態のアクセに戻す。
「……中々、導力ってのは上がらないものなんだな」
「それはそうだろう。そう簡単に上がるのなら、今頃世の中は高導力の魔導師で溢れ返って
いるさ。今は、二振り同時に発動できるようになった成果を噛み締めておくといい」
「地味だなぁ……。それに二本同時って言っても長く持たないことには変わりねぇし……」
 慣れた所作で二刀を収め、両膝に両手を。
 ようやく緊張の糸を解くと、ジークは大きく肩で息を整えながらごちる。
「つーか、正直お前が羨ましいよ。そう手軽に魔導具が使えてるんだからさ」
「これでも一応習得には苦労したんだぞ? それに六華は魔導具の中でもレアケースな部類
なんだ。僕の魔導具と同列に考えるのはどうかと思うが……」
『確かにね。だけど魔導具はあくまでツール──術者の補助具だから。これは二人共に言え
る事なんだけど、貴方達はまだまだ“性能(じゅつしき)に使われている”印象があるのよ
ねぇ……。導力を高めるのも大事だけど、どうやって使いこなすか……。それも一緒に考え
ながらであれば尚良しかしら』
 そんなやり取りを交わしながら、サァッと砂が流れ落ちるように空間結界は静かに消えて
いった。
 次の瞬間、二人の目に映り込んだのは、人気のない林や小川といった自然の緑。
 ジークは一度大きく深呼吸をし、サフレはリュカの言葉に何か思う所でもあったのかじっ
と魔導具のアクセを付けた自身の手に目を落としている。
 その後暫く、ジーク達は訓練で流した汗を引かせるべく川辺でゆっくりと休憩を取った。
 二人の回復も兼ねて、マルタの竪琴(ハープ)と澄んだ歌声が周囲に沁み込んでいく。
 まだまだ、力が足りない……。
 そんなジークの内面の焦りとは対照的に、周りの景色は穏やかそのものだった。
 だからこそ、余計に心はざわざわと掻き回されるかのようで──。
「ねぇ。皆、ちょっと来てくれる?」
 ふとリュカがそう呼びかけてきたのは、ちょうどそんな折だった。
 演奏を止めるマルタ、じっと瞑っていた目を開くサフレ、汗を引かせようと半袖シャツ姿
で涼んでいたジーク。三人はおもむろに腰を上げると、先程から携行端末を弄っていた彼女
の下へと集まっていく。
「アルス達、頑張ってるみたいよ?」
 促されて画面へ目を遣ってみると、そこにはちょうど礼装に身を包んだアルスが、仲間達
や警備の兵に囲まれながらマスコミの質疑に応じている様子が映っていた。
『──ですので、皆さんには見守っていて欲しいんです。大丈夫……兄さんはきっと、また
この街に戻って来てくれると僕は信じています』
 訥々と、だが誠実に自分の言葉で語ろうとする弟。自分の帰りを、信じてくれている弟。
「そういえば、今日はアウルベ伯主催の歓迎会だったな」
「ふわ~……やっぱりあの服、綺麗ですよねぇ。改めて皇子さまなんだなって思います」
「それはジークだって同じだけどね。……ちょっとは安心した? あの子は貴方が思うより
もずっと強い子よ。手探りでも一生懸命に自分と向き合ってる。だから今は、貴方も貴方が
するべきこと・できることに集中しなさい」
「……ああ」
 故にジークは、恥ずかしいような気まずいような、妙な気持ちでちらっとあらぬ方向へと
視線を逸らすとリュカ達の言葉にも曖昧な反応になる。
(あいつには、色々と背負わせちまってるんだよな……)
 最初に心の奥底を過ぎったのは、申し訳なさの類だった。
 おそらくあいつの性格からして自分を──皇子という責務を丸投げした自分を憎んでいる
とは考え難い。昔から、トテトテと自分の後ろをついてきたたった一人の兄弟なのだ。
 そんな幼い頃からのイメージが先行したままであることは重々承知している。
 リュカ姉の言うように、あいつはきっと自分が認識している以上に悩み、考え、それでも
大切な誰かの幸せを願って無理をする──そんな奴だと思う。
 だから、尚更にジークは申し訳なく思った。
 奪われた父を“結社”から取り戻す。その目的は理解を得ていても、やはり自分はその弁
で以って皇子という重責を弟(かれ)に押し付けているのではないか? そう折につけては
自問してしまうばかりで。
(……すまねぇ。アルス)
 早く父を取り返したい。だが奴らに届く力も情報も、自分にはまだまだ足りない。
 ぎゅっと密かに拳を握り締め、ジークは改めて自分の至らなさを悔やむ。

 皇子アルスの執政館──伯爵主催の歓迎会への出席は、マスコミと導信網(マギネット)
によって速やかにセカイ中に発信された。
 そしてそれは、何もリュカの携行端末にだけではない。
 各地の財友館や酒場、或いは官庁舎。おおよそ公共の場とされる場の随所に備え付けられ
た映像器達が、訥々と語るこの話題の皇子の姿を人々に伝えていた。
「はいよ。おまちどうさま」
 昼下がりのとある酒場。そのテーブルの一つに注文の品が運ばれて来た。
 個人単位を想定した定食物ではなく、団体客向け盛り合わせ。
 軽く火で炙った肉束をメインに、水でしゃきりと冷やした初夏の野菜サラダが取り囲む。
「それじゃ、早速……」
『いただきま~す!』
 席に着いていたのは、蛮牙族(ヴァリアー)の男性を中心とする一行だった。
 一見する限り、冒険者の集団。
 だがその中に一人だけ、そんな彼らに比べると異質な──可憐な妖精族(エルフ)の少女
が交じっている。先日、道に迷っていた所を彼らに助けられた少女だ。
「あ、グノーシュさん。お肉ばっかり駄目ですよ~。ちゃんと皆と平等に分けないと」
「ぬ? ああ……すまんすまん」
 皆に小皿に取り分けてやりつつ。
 彼女は、つい肉ばかりにフォークが伸びるこのリーダー格の彼・グノーシュに随分と慣れ
親しんだ様子で「めっ」と立てる人差し指を一本。彼らの遅まきな昼食は至って和やかな様
子で進んでいく。
『只今アルス皇子が到着したようです。一行が乗った馬車がこちらを通り過ぎて行きます』
 そうして全員に取り分けた肉と野菜が行き渡り、直接口に運んだり切れ目を入れたパンに
挟んで食べようとする中で、ふと酒場内の一角に吊り下げられていた映像器から大きくどよ
めく声とレポーターの声がした。
 視線を遣ってみれば、映っていたのはアウルベルツの執政館に入る高級そうな馬車。
 そこからおずっと降りてきた、民族衣装の礼装に身を包んだ少年・アルス皇子。
 彼は敷地の石畳の上に敷かれた赤絨毯を渡り、何やらアウルベ伯からの深々とした低頭を
受けたあと、がしっと確かな握手を交わしている。
「そういや今日は、向こうで式典があるんだっけか」
「歓迎会……でしたっけ? アウルベ伯主催のパーティーとか何とか」
「画面の上に『九大刻(ディクロ)』ってありますから、今朝撮った映像ッスね。コレ」
 もきゅもきゅと。グノーシュ達は酒場の他の客らと一緒になり、繰り返し流されるその遠
き地の映像を眺めていた。
 画面には、今度は握手を交わした皇子と伯爵の周りに会場入りしていた諸侯らが集まって
いく様子が映し出され始めている。
 ここぞと言わんばかりに焚かれる写姿器のストロボ。ただでさえ街の雑踏の中で食事を摂
っているのに、人々の声で音が聞き取り難い。
 質問攻めに遭っているアルスは、最初とぎまぎしていた。
 しかしそれでも傍らの仲間達に励まされるようし、彼は訥々とながらも自分の言葉で彼ら
に応えようとしている。
「……ふぅん。あの子がアルス君──コーダスさん(おじさま)の息子さんかあ……」
 そんな、控えめだが誠実であろうとする姿に惹かれたのかもしれない。
「……。写真で見たのよりも、可愛いかも」
 面々と同様、それまで食べもちに映像を眺めていたエルフの少女はフッと微笑ましげな様
子で頬を緩ませると、そう静かに呟きながらぺロッと唇についたドレッシングを舐める。
「お? なんだ、クレアちゃん。君も噂の皇子様がお気に入りかい?」
「ふえっ? べっ……別に、そういう訳じゃないですけどぉ……」
「はは。恥ずかしがるなって。実際、線の細い“守ってあげたい系男子”だそうじゃん? 
たまに街の女達が噂してるのだって聞くしさ」
 もし当人が聞いたらなら全力で凹みそうな評である。
 ふとクレアと呼ばれたこの少女の呟きに、早速面々は冒険者(ならずもの)根性を発揮し
てからかい始めた。
 照れた様子ながら、ちらりちらりと画面を盗み見。
 少なくとも皇子アルスという人間は、彼女のお眼鏡──或いは世の女子らに愛でられ易い
星の下にあるらしい。
「まぁその辺にしとけ。向こうに着いたら俺達も“外野”じゃなくなるんだ。崇めるも可愛
がってやるも、その時になって存分にすりゃあいい」
 そんな部下と思わぬ旅の道連れ少女に、グノーシュは呵々と笑いながら肉を野菜に包んで
豪快に頬張って言った。赤髪と褐色の肌が炙られた肉の色と妙にマッチしている。
「……で、だ。これからの移動に関してなんだが」
「あ、はい」
「最初は、多少時間が掛かったとしても構わない気でいた。そもそも南から北っていう大移
動な訳だからな。それに慎重に進んで向こうの情報を集めながらの方がいざ着いた後の立ち
回りもし易いと踏んでたんだ」
「でもぶっちゃけ、もう一気に向こうまで行けますもんね」
「路銀ザックザクだもんな。クレアちゃんの大道芸のお陰で俺達の懐もかなり潤ったし」
「げ、芸じゃなくて“付与魔導(エンチャント)”なんですけどね……」
「はは、まぁまぁ。何にせよクレアちゃんっていう予想外の仲間のお陰で、俺達は旅に大分
余裕を持つことができた訳だ」
 心持ちテーブルを囲んだままでスクラムを組み、グノーシュはにかっと笑う。
 傍に置いてあったジョッキの酒を飲み干し、彼は一度大きく息を吐き出してから言った。
「つー訳で、この飯食って一服したら乗合馬車で最寄の空港(ポート)まで行く事にする。
飛行艇に乗れば、あとは一気に北方へまっしぐらだ」
「お~!?」
「いいッスね~。リッチな旅になりそうだ」
「本当、クレアちゃんさまさまだなぁ。あ、勿論この采配をしてくれたボスにも」
「……ついでだなオイ。まぁいいや。だから今の内にしっかり食っとけよ? 一旦飛行艇に
乗っちまえば流石に宿ほどは伸び伸び出来なくなるだろうしな」
『ういッス!』
「は~い。えへへ、そっかぁ……やっとかぁ……」
 グノーシュの出した方針に、クレアを含めた面々は嬉々として賛同の声を重ねる。
 今や有名となった皇子留学の遠き街。
 妖精の少女と赤髪の男が率いる冒険者達の一行は、まだ見ぬかの地に思いを馳せ、笑う。

 だが──皇子(レノヴィン)達に向けられる視線は、必ずしも好意的なものではない。
「……クク。ちょうど近くに居た時に勅令が下るとは。いよいよ我々にも運が巡ってきたと
いう訳か」
 薄暗く、ただ辺りを照らすのは遠視魔導(ビジョン)の光球が放つ淡い灯りだった。
 そこに映し出されているのは、歓迎会に臨むアルスとその仲間達の姿。
 社交界という華やかな場。救国の英雄の帰還を祝う、人々の歓声という熱気のさま。
「チャンス、なのかー? ん~……。ま、いっかー」
「暴れられるんなら別に何でもいいんだが……連中の警備はどうなってんだ? ぶっ込んで
みた瞬間、銃弾や剣の雨霰ってのは流石にご免だぞ?」
 それらを盗み見るように暗闇の中に居たのは、おそらく三人の人影だった。
 のんびりとヌけた声色と粗野な声色、そしてしゃがれた老人の声色。
 各々に感想を漏らし、投げ掛けてくるこの前者二人に、残りの老人らしきローブ姿は喉の
奥でヒヒッと笑うと口元に弧を描く。
「なぁに、案ずるでない。策なら……既に打ってある」
 “光が強くなれば、闇もまた濃いものになる”。
 まるでそんな言葉を、彼らが自ら体現するようにして。


 昼間の忙しなさが「騒々しさ」なら、これから迎えようとしているのは「煌びやかさ」に
なるのだろうか。
 アウルベ伯の屋敷に入ってから半日。終わる事を知らないかのようなマスコミの質問や集
まった人々の歓声の嵐を抜け、アルスはぼうっと宛がわれた控え室のソファに横になり一時
の休息を取っていた。
 紐を解いて背もたれに掛けたヤクランの上着。
 やたら弾力性を発揮してくるソファの高級な感触。
 何よりも、平素に自分にはどうにも不釣合いに思えてならない──慣れずに落ち着かない
このだだっ広いVIPルーム。
(まだ夜の部があるっていうのに、大丈夫かな……)
 もう一度……いや再三に渡る、半ば嘆息な深い吐息をついて。
 アルスは尚も忙しなく動いてくれている侍従衆や屋敷のスタッフ達の気配・息遣いを五感
に捉えながら、もぞっとソファの上でその小柄な身体を捩らせる。
「アルス」
 そうしていると、ふとミアの声が降ってきた。
 薄ら瞑っていた目を開けると、彼女はやや屈み気味な体勢でこちらの顔色を窺っており、
その差し出した手にはオレンジ色の液体が入ったグラスを持っている。
「……大丈夫? 起きれる?」
「はい、平気です。……これは?」
「栄養ドリンク。ハロルドさんに作って貰った。アルス、疲れてるみたいだから……」
「そうですか。ありがとうございます。じゃあ……頂きますね?」
 身体を起こし、彼女からグラスを受け取ってそっと口をつける。
 甘い匂いだった。フルーツを使ったのだろうか。喉を通る食感もサラリとしており、適度
に冷えた温度が気持ちいい。
 ちびちびと飲みながら、アルスは一度控え室内を見渡した。
 室内には自分以外にもリンファ(勿論、護衛の為だ)を始めとした侍従の面々が何人か。
そんな皆にも、訊ねて来たミアとレナによってこのドリンクが差し入れされている。
「ふむ……美味いな。流石はハロルドお手製だな」
「はい。でも、この差し入れを言い出したのってミアちゃんなんですよ? 初めての社交会
だからきっとアルスは疲れるだろうって」
「れ、レナ、それは……」
「そうだったんですか……。何から何までありがとうございます。とても美味しいですよ」
「……うん」
 リンファに給仕している途中だったレナが、ふっと肩越しに振り向いて言う。
 その事実を聞いてアルスは改めてにこりと微笑んだのだが、何故か当のミアは顔を真っ赤
にして視線をあらぬ方向へうろうろ。そんな友人の様子をレナが、ついでにそれまでアルス
の近くを手持ち無沙汰に浮かんでいたエトナまでもが、くすくすニヤニヤと笑いながら眺め
ている。
(僕が疲れるだろうから、か……)
 残るドリンクの甘いフルーツの味を喉にたっぷりと愉しませながら、アルスはぼんやりと
にわかに明るくなった室内の面々を見遣って思う。
 初めての社交界。確かにそうだ。
 だがそれは、何も自分だけの話ではない。侍従衆の皆はともかく、クランの仲間達は十中
八九同じように初めての経験である筈なのだ。
 それになのに……自分だけが、気を遣われている。優しくされている。
 自分が皇子だと公になり、配慮が成されるのは必要──仕方のない事なのかもしれない。
 でもそれは正直ちょっぴり寂しくて、何より申し訳ないという気持ちが胸奥を過ぎった。
(いつまでも皆と一緒にっていうのは……甘えなのかな?)
 そんな事を考え、ふるふると頭を横に振る。
 そうじゃない。お互い大事な仲間だからこそ、だ。
 大切な人だから、何かと気を遣おうとしてしまうし、時には自分自身を後回しにすらして
しまう。……それは自身の癖でもある。相棒(エトナ)にもしばしば言われることだ。
「アルス様、ホウ副長。おられますか?」
「晩餐会の時間が近付いています。そろそろ支度をお願いします」
 だから僕は──今の僕を頑張ろう。
 果たすべき責務を一つ一つ確実にこなすこと。それはきっと、仲間達(みんな)に対する
最大級の報いにも為るだろうから。
「ああ、分かった」
「すぐに支度しますね。イヨさんやイセルナさん達にも宜しく伝えておいて下さい」

 会場である催事用の大広間には、既に大勢の諸侯達が集まっていた。
 商才や武功、或いは学術など。セカイ──実務上は本国と統務院からだが──に“名士”
たる者と認められた、その称号を誇りとして気高く生きる者達。
 まさかその一員になるなど、一体どうやって予想できただろう?
 しかも自分はその中でも最高位である「皇爵」の血筋だというのだから、人生というもの
は実に予想外(アクシデント)だらけだ。
 アルスは再びハガル・ヤクランを身に纏い、仲間達や案内役の公邸スタッフらと共に会場
入りする。
「お待たせしました。トナン皇国第二皇子アルス・レノヴィン様のご到着です!」
 先ずは舞台(ステージ)の裾に通され、会場内で司会役がそう声を大にしてコールを。
 ワァッと場の空気が変わるのが分かった。
 表向きは華やかに。だが、彼らのその内面はきっと少なからぬ思惑で満ちている──。
 ごくりと息を呑んだアルスに、スタッフが「どうぞ、皇子」と慇懃な表情で促してきた。
 不安。戸惑い。……だけど仲間達(みんな)がついている。
 イヨやリンファ侍従衆、イセルナ達クランの面々に無言の励ましを受け、アルスはゆっく
りと足を踏み出していった。
 一斉に向けられたのは多数の眼。それと事前に許可と審査を経たのだろう、礼装姿ながら
写姿器を手にしたマスコミ関係者らしき人影もある。
(……やっぱり、違うな)
 漠然とだが、アルスはそう思った。
 もっと噛み砕いて言えば……“遠慮がない”のだ。
 大勢のマスコミや野次馬、領民らの眼があった昼間の部とは違い、この場は基本的に自分
達貴族階級の人間ばかりが集まっている。故にそれまで遠慮──抑えていた「こいつは我々
にとってプラスかマイナスか」といった値踏みの気色が漏れ出ているのだろう。
 アルスはエトナとリンファ、相棒と護衛役を伴ってステージの中央に立っていた。
 そこへ登ってきたのは、黒い礼装に身を包み直したアウルベ伯ルシアンの姿。
 アルスは事前の打ち合わせの通り彼としっかり握手を交わすと、一斉に焚かれるストロボ
の光と諸侯達の拍手に、思わず苦笑いを交えてはにかむ。
「それでは、お二人それぞれ晩餐会を前に一言お願いします」
 司会役が会場の小演壇でそう言った。
 ちらっと、アルスはルシアンの方を見遣る。二人の間には既にスタンドマイクが整えられ
ていた。互いに眼で合図をし、最初にアルスがマイクを取る。
「……えっと。皆さん、今日はわざわざ僕の為に御足労下さり誠にありがとうございます」
 第一声。少なからず点となる諸侯らの目。
 この皇子は貴族の常識では何処までも控えめ──異例だった。
 もっと偉ぶっても文句は言われないだろう。それは皇爵家の人間だからというより、今宵
の主役であるから。
「……ご存知の通り、僕達の故郷──皇国(トナン)は長らく哀しい争いに明け暮れていま
した。出自を知らなかったとはいえ、僕らは長い間そんな国の人々に手を差し伸べないまま
暮らしていたんです。だから……今更になって王族を名乗っても、いいのかなって」
 だがそれでも、この小さくも優しい貴族の卵は言う。
「本当は母さんの傍にいて、一緒に償いをすべきなんじゃないかと思いました。だけどその
母さん本人が、戻っていいよと言ってくれました。この街に戻って、魔導師の勉強を続けて
欲しいと言ってくれました。人を救える魔導師になる──。それは僕の幼い頃からの夢で、
きっとこれから先、皆さんへの恩返しにもなるんじゃないかなと……そう思っています」
 出席していた諸侯達は、一様に戸惑いの様子を色濃くしていた。
 舞台裾にいたイヨも彼が紡ぐ“自分の言葉”に驚いていたようで、他の侍従らにあれこれ
と何やら訊ねていたが、イセルナはそんな彼女に「大丈夫」と言わんばかりに微笑みながら
ポンと肩に触れる。
「だから、今夜この場で改めてお礼を申し上げます。皇国(トナン)の未来の為に力添えを
してくれる皆さんの真心に、僭越ですが本国代表として感謝の意を伝えたいと思います」
 つまりこれは、アルスなりの戦略だったのだ。
 始めから私利私欲で以って擦り寄ってくるであろう諸侯らに逐一“真面目に対立する”の
ではなく、先んじて“真面目に礼を尽くす”ことでそんな動きを牽制しようという強かさ。
 権謀術数に翻弄されたくない、したくない。だけど逃げてばかりはいられない……。
 学院生としての自分(りそう)と静かなる謀略の渦(げんじつ)。
 きっとこれが、そんな胸の内を彼なりに治めようとした結果なのだろう。
「今夜は皆さん、存分に楽しんで行って下さい。そしてこの場を設けてくれたアウルベ伯に
も最大級の賛辞を」
 ぺこりと深く頭を下げた後の、そんな柔らかな微笑み。
 一通り語り終えたアルスにマイクを手渡されるも、ステージ上のルシアンは他の諸侯らと
同様、唖然としたままだった。
「…………。し、失礼。お忙しい中出席頂けましたこと、私からも感謝申し上げます。これ
から皇子は内乱以前のように此処アウルベルツでの留学生活に戻られます。今後とも皆さん
にはご理解・ご協力のほどを願いたく……」
 それでもややって我に返り、同じく若き領主は言った。
 コホンと軽く咳払いをして取り繕い、妙な空気になっていた諸侯らを修正。既に傍らの小
円卓に用意されていたグラスに酒を注ぐと、彼は先んじてそれを掲げて宣言する。
「では、早速宴と参りましょう。皆さんグラスを。……皇子の帰還を祝し、乾杯!」
『乾杯~!』
 その掛け声が合図だった。
 伯爵(ホスト)からの所作に倣った諸侯ら出席者達は杯を高く掲げ、号令を以って互いに
その小気味良い音を会場のあちこちでかき鳴らせる。
 晩餐会が、始まった。
 ずらりと並んだ諸侯らの席に料理が運ばれ始め、アルスとルシアンも空いている上座の席
へと移動する。
 ここから先は、完全に貴族達の社交の場となった。
 エトナもそっと顕現を解いて気配だけを相棒の傍らに残し、リンファも他のスタッフに混
じって壁際へと退いていく。
「──び、びっくりしました……」
「まぁ用意してあったスピーチ原稿、全部ふっ飛ばしちゃいましたからね」
 一方でイヨやイセルナ達は見守っていた舞台裾から出て、ぐるりと広間の横扉へと回って
いた。まだ動揺の心拍が落ち着かないのか、イヨはしきりに眼鏡のブリッジを触りながら、
今は白いテーブルクロスが眩しい席に着いた皇子(アルス)の方を見遣っている。
「だけどNGワードは出してないよ? 個人的な感慨だけで、トナン本国の政治機密などに
は一切言及していない。……やはり頭のいい子だ」
「それは……そうですが。せめて事前に、ご自身の言葉で語られると仰ってくれれば……」
「多分あれはアドリブだよ。舞台に登った瞬間、アルス様は何やら考えを巡らせているよう
だったからな。諸侯達の眼を見て、上辺だけではいけない──そんなことを考えたんじゃな
いだろうか」
 途中、既に壁際で待機していたリンファとも合流し、そんなやり取りを。
 副長であり友の語る彼女の報告に、イヨは三度ため息をつきつつ呼吸を整える。
「アルス様、大丈夫かしら……」
「そう無闇に心配するな。晩餐自体は本国にいた頃も経験している。社交上の作法も侍従衆
で教授してある。物覚えは優れている方なのだから、私達は見守ろうじゃないか」
「うぅ……。リンみたいには、中々なれそうにないわね……」
 侍従長であり友であるイヨの弱音に、リンファは片眉を持ち上げつつ苦笑していた。
 イセルナ達クラン側の代表も同じく小さく笑いながら、遠巻きにアルスの緊張した様子を
窺っている。
「……あれ?」
「? レナ、どうしたの?」
 そんな折だった。
 ふとレナが何かに気付き、ミアもそんな友に小さく疑問符を浮かべる。
「うん……。あれって、リカルド叔父さん……だよね?」
 ゆっくりとレナが指差したのは、別な壁際──広間の隅で佇んでいる黒法衣の一団。
 周りで談笑し、或いは働き回っている他の出席者やスタッフ達。
 その中にそれとなく混じりこの一団を率いていたのは、間違いなく先日クランを訪ねてき
たハロルドの弟・リカルドその人で……。
「あら本当。ハロルド、貴方は」
「いや……何も聞いてないよ。向こうも招待されたのか、或いは……」
 眼鏡の奥の瞳を光らせ、心持ちハロルドは俯き加減に言葉を濁していた。
 教団(そしき)を抜けた兄と、異色部署の神官騎士たるその弟。
「……」
 気のせいかもしれない。
 それまでじっと上座上のアルスを観察していたその彼が、ふとほくそ笑むようにこちらに
視線を遣ってきたような気がした。

(ふぅ……)
 晩餐会はこれといって滞りなく優雅に進み、夜が更けてゆく。そして食事があらかた片付
いた頃には、大広間は舞踏晩餐会(ダンスパーティー)へと移行しつつあった。
 白布のテーブルの上に置かれた皿は大半が空っぽ。
 給仕らによって静々と片付けられていくそれらを眺めながら、アルスはそっとテーブルの
下で満腹になった腹を撫でていた。
 正直を言えば、自分はクランの皆と食べるアラカルトな料理の方が好みだ。元より彼らの
ような大食ではないが、それでも庶民の味は──長年同じくそうだった自分を再認識できて
ホッとする。
 勿論、今夜晩餐会に出されたメニューも申し分ない一品ばかりだった。
 皇国(トナン)──東方出の主賓という事もあって米料理も多く、伯爵サイドが今日の為
に色々と配慮してくれた片鱗を見た気がする(実際は米食でもパン食でもイケるのだが)。
 それに、思ったよりも量があった。
 貴族風(このての)料理というのは高級感と分量が反比例しがちなのだが、少なくとも今
回のそれらは違っていた。
 単に伯爵サイドが張り切っていたのか、それともこの満腹度にすらも彼らの配慮があった
のか……。流石にそこまでは邪推かもしれなかったが。
(大丈夫? アルスの小食じゃあ結構キツかったんじゃない?)
(正直ちょっと、ね……。だけど、主賓の僕が残す訳にはいかないじゃない)
 顕現を消したままのエトナが、そう気配だけで語り掛けてくる。
 そんな相棒に穏やかな苦笑いを浮かべると、アルスは広間に流れるクラシカルなBGMに
自身の小声を潜ませて言う。
「……」
 ぼんやりと、縦に長い大広間を見渡すように視線を移した。
 先ず正面の長テーブルにはずらりと出席の諸侯達。
 例の如く彼らは席を立つ余裕ができると次々に自分の下にやって来ては挨拶──という名
の胡麻すり・値踏みを繰り返したが、傍らに控えてくれているイヨや、数歩離れて油断なく
警戒の眼を遣ってくれているリンファのおかげで今は皆大人しく引き下がってくれている。
 時折めいめいの談笑の中からこちらに話を振って来る事もあったが、政治的・貴族的知識
な面での応答はイヨが代返してくれた。
 一方で仲間達は部屋の隅、壁際に設けられた談話スペースに陣取っている。
 点々と配置された丸いサイドテーブル、肘掛のついた椅子が少々。
 クランの皆だけではなく、他にも出席者らに随行した面々或いは諸侯の一部が社交的談話
に華を咲かせているようだった。メインの食事も済んだ事で、ゆったりとした時間が彼らを
後押ししているのだろう。
「……あれ? 今イセルナさんと話してるのって、もしかしてリカルドさん?」
(ホントだ。何であいつが来てんの?)
「はい。どうやら教団の名代として出席申請があったようでして……」
「ハロルドはやり難いなとぼやいていたな」
「あはは……」
 その人の輪の中には、以前ホームにやって来たあの黒法衣の一団の姿もある。
 イヨの補足とリンファの含みある呟き。アルスは表向きは苦笑しながらも、思う。
 そう……この華やかさは“飾り”でしかない。
 今まさに、この場は権力(ちから)有る者らが密かに火花を散らす場でもあるのだ。
 予めそういった認識と覚悟を以って臨んではいる。仲間達もそんな“悪意”から自分を守
るべく敢えてその渦の間近で留まり、防壁に為ろうとさえしてくれている。
(僕は、弱いな……)
 なのに、自分は全然皆に報いられていない──。
 笑顔の裏でまた再三と、アルスは粗い棘が刺さるかのような胸奥の痛みを覚える。
「随分と大人しいじゃありませんの。今夜は貴方の為の宴だというのに」
 はたと声が降ってきたのは、ちょうどそんな最中だった。
 振り向くアルス達に近付いて来たのは、淡翠のドレスに身を包んだシンシアの姿。
 更に彼女の背後、そこから少し離れた位置には、申し訳程度の礼装に身を包んだお馴染み
の護衛役コンビ(及びカルヴィン)の姿も確認できる。
「それはそうなんですけど……。中々慣れなくって……」
 自身の内心を知る由も無い彼女に、アルスはそう苦笑いで応えていた。
 するとシンシアは「ふむ……」と片手を腰に遣り、静かに片眉を上げると暫し黙る。
「……だ、だったら」
「? はい」
「わ、私と踊ってくれませんこと?」
「……。はい?」
 そしておずっと、何故か視線をあらぬ方向に逸らしながら差し出された手。
 だがアルスは最初の内、頭に大きな疑問符を浮かべていた。パチクリと目を瞬き、地味に
震えている彼女の腕を一瞥してからその横顔を見上げる。
「いいんですか? 僕、皆さんみたいに上手くないんですけど……」
「あ、当たり前ですわ。上手い下手じゃありませんの。す、少しでも貴方がこういう場に慣
れられるならと思って──」
「そうですか……。お気遣いありがとうございます」
 素直過ぎる微笑みで、彼女の頬に一層朱が差したように見えた。
 ふるふると全身を小刻みに振るわせながら、恥ずかしさで言葉にならない言葉を必死に噛
み殺しているかのように。
 だがアルスは、まるでそんな事には気付いていない。
 大丈夫ですよね? そう確認するように彼は傍らのイヨらに顔を向け、彼女達から首肯を
受け取っている。同じく上座でゆったりと飲んでいたルシアンも「これは良い余興になる」
と近場のスタッフらを呼び、何やら指示を飛ばし出す。
「どうやら、皇子が踊られるようですな」
「相手は……エイルフィード伯の御息女か」
「やはり“灼雷”と皇子は繋がっている、か……」
 それまで和やかに舞っていた者達、眺めていた者達が身を引き、にわかに広間がざわめき
始めていた。
 一斉に向けられるのは、諸侯やその他出席者達の視線。
 アルスは緊張で身体を強張らせるが、そんな彼の手をシンシアはついっと引くと大広間の
中央、ダンスホールな部分のど真ん中まで誘いドレスの裾を摘んで一礼をする。
 あくまで表向きは、名士たる者同士の礼節を。
 つい先刻まで紅く頬を染めていたとは思えぬそんな彼女の貴族然とした所作に、アルスは
思わず目を瞬いて棒立ちになる。
 アウルベ伯の合図で、それまで流れていたBGMが変わった。
 クラシカル、しかし曲調はより豪華さを伴うものへと。
 曲が始まるとシンシアはすぐにこなれた様子でステップを踏んでいた。一方でアルスは彼
女に片手を握られ、くいくいっと翻弄されているようにも見える。
 それでもこのままではいけないと思ったのだろう。アルスは徐々に彼女のステップ──歩
に同調させるように足を身体を運び始めていた。
 記憶を引き出すように、周囲へ五感を研ぎ澄ませるように。
 そして二人の踊りは、やがて社交の場に遜色ないそれへと変化を遂げてゆく。
「……中々動けますのね? さっきは上手くないと言っていたのに」
「そう、ですか? まぁ一応合間を縫って侍従さん達に教わってましたから……。ダンスも
ですけど、貴族の礼儀作法とか、色々……」
「そうですの……。ならもっと自信を持っていいと思いますわ。まだ硬さはありますけど、
これなら充分に及第点ですわよ?」
 右から左へ、右から左へ。時に相手と繋いだ手を持ち上げ、くるりと回って位置替えを。
 徐々にノって来る中、二人は小声気味にそんなやり取りを交わしていた。
 あの気の強い彼女(シンシア)が珍しく他人(じぶん)を褒めている……。
 いつの間にか沸き立っていた周囲の歓声の中で、アルスは正直そんな驚きを抱くと共に、
フッと頬を赤らめてはにかんでいた。
 もっと自信を持っていい──。その言葉が、ストンと胸に染み入った気がした。
 踏ん反り返るつもりは、毛頭ない。
 だがそれでも、この優し過ぎる皇子にとって“赦される”ことは、今も癒えぬ火傷に清水
を注がれるが如き感触であったのである。
「ぐぬぬ……」
「ミ、ミアちゃん落ち着いて? どーどー……」
 アウルベ伯や諸侯、そして仲間達(特に眉間に皺を寄せるミア)。会場にいる皆が二人を
それぞれの思いで見つめている。
 かくして晩餐会の夜長は穏やかだった。優雅に過ぎてゆくべきだった。
 ──その筈だった。
『ッ!?』
 しかし異変は次の瞬間、アルス達を巻き込み訪れた。
 突如として走ったのは……深い藍色の光。
 庭先や物置、或いは各種控え室。それまで屋敷中に紛れて隠されていた小箱達は一斉に爆
ぜて魔法陣を伴う光を放ち始めると、加速度的に地面を駆け抜け集結、大広間全体をぐるり
と丸く囲む更に巨大な魔法陣を描き出す。
「な、何ですの!?」
「これは……。皆さん、此処から離れて! 早くッ!!」
 その中央に居たのは期せずして──いや狙われていたかの如きアルス、そしてシンシア。
 戸惑いの声を上げる彼女の横で、アルスは眉根を寄せて会場の皆に叫んだ。
 藍色──界魔導の印と、四方八方に広がってゆく構築式。これは、間違いなく……。
 そして突然の魔導は完成した。
 床一面に魔法陣が届いた次の瞬間、はたと周囲の風景がスイッチを切り替えたように全く
別のものに変わったのだ。
 そこは淀んだ灰色の空間と、浮かんではゆっくりと消えてゆくルーンの羅列。
 アルスとシンシアは勿論、そこには逃げ遅れた出席者の一部が取り残されていた。
 彼らは一挙にパニックに陥って騒ぎ駆け回り、同じく取り残された屋敷のスタッフらが何
とかその収集を始めようとしている。
「アルス様!」「お嬢!」
 そして逆に逃げずに駆けつけて来たのは、リンファやイセルナ達、及び護衛コンビといっ
た近しい仲間達だった。加えて顕現を解いていたエトナやカルヴィンも慌てて姿を現し、互
いに自身の相棒の傍で警戒の眼を遣る。
「大丈夫ですかい? 二人とも」
「お怪我はありませんか?」
「ええ。私達なら心配要りませんわ」
 安否を訊ねられながら、二人は彼らにぐるりと囲まれ護られる。
 だがアルスの思考は、既にこの時その先へと駆け出していた。
「それよりも気を付けて下さい。この空間結界(これ)は、多分──」
『然様。全てはお主が故だ、レノヴィンの片割れよ』
 言い掛けた言葉。それを遮るのははたと聞こえてきた姿なき老人の声。
 瞬間、アルス達の正面、そこから距離を置いた位置に三人の人影が転移してきた。
 一人は黒い軽防具を纏い、如何にも粗野といった印象を与える斧戦士。
 一人はだぼついた衣を纏い、ダウナーな雰囲気を漂わせる剣士風の青年。
 一人はこの発言の主と思われる、全身を灰色のローブで覆い隠した老年の魔導師。
 仲間達は、一斉に得物を抜き放ち臨戦態勢を取っていた。
 そして同時に次々と空間転移されて現れるのは、黒衣と鉤爪の戦闘用オートマタ。
「……やはり、結社(きさまら)か」
 仕掛けてくる相手を想像して予測、いざ現れた者達を見て確信。
 面々の先頭に立つリンファがイセルナが、それぞれに得物を強く握り締め直していた。
 他の仲間達もそれに倣う。或いは先手を打てるように詠唱の準備をしようとする。
「トナン皇国第二皇子アルス・レノヴィン、及びその同調者達よ」
 ぽつっと、再びこの老魔導師は口を開いた。
 だがその小声も一拍のこと。彼ら“結社”の闖入者達はザラリと隊伍を組むと、不敵な笑
いと共にアルス達へと宣言する。
「教主様が大命の下、貴様らを処刑(まっさつ)する。摂理への反逆(なんじらがつみ)、
その命で以って贖って貰おう!」


「皇子達が……消えた?」
 一方で、ルシアンら空間結界の範囲外に逃れた者達は唖然としていた。
 彼らの目に映った光景は、広間に走った藍の魔法陣と逃げろと叫んだアルスの姿、そして
次の瞬間ごっそりと取り除かれたように姿を消してしまったその当人達。
「あ、アルス様……リン達も……。どど、どうしたら……っ!?」
 突然の事にざわめきながら立ち尽くす諸侯やその他出席者達。
 その中にはイヨら侍従衆達もいた。ルシアンが眉間に皺を寄せている傍で、彼女は仕える
べき主や友(どうりょう)らの消失模様に分かりやすいほど狼狽している。
「落ち着いて下さい、侍従長。今当家の魔導師達を召集しています。先程の現象は……おそ
らく空間結界でしょう」
 そんな彼女に、ルシアンは同時併行的に屋敷の者達に指示を飛ばし始めながら言った。
「空間……。ではアルス様達は」
「ええ。今頃、結界内に閉じ込められているのではと思われます。難しいですが、何とか外
から術式の解除を──」
「止めときな」
 だが、そんな彼の方針を止める者がいた。
 言い掛けた言葉を遮られ、ルシアンがイヨが、駆け出そうとしたスタッフ達が思わず振り
向き、足を止める。
「空門の魔導はデリケートだ。外から力ずくで壊そうとすれば、中にいる皇子や諸侯がその
まま二度と出て来れなく──文字通り消えて無くなる危険性がある」
 近付いてきたのは、黒法衣の集団・史の騎士団。その一部隊を率いるリカルドだった。
 それは駄目だ……! ルシアンはギリッと奥歯を噛み、苦渋の表情でアルス達が消えた空
間を見遣った。そんな視線をそっと追い、辺りを見渡すようにしてから彼は続ける。
「それよりもすぐに屋敷の中を隅から隅まで探す事です。この場に術者の姿は無い……とな
れば、結界を維持しているのは外部的なツールになる。魔導具がこの屋敷の中の何処かに仕
込まれている筈だ」
「仕込まれている……? そんな、警備には万全を──」
「だったらこんな事にはなってないと思いますがね? まぁ相手が“結社”ともなれば無理
もない話かもしれませんが」
「や、やはり彼らなのですか? 嗚呼、アルス様……リン……皆さん……」
「……さっきの発動の様子からして、一つや二つじゃない。もっと沢山ある筈だ。結界を外
から解くには、それらを片っ端から見つけて潰す他ない。術式へ供給されているマナが途絶
えれば、結界は自ずと維持できなくなる」
「わ、分かりました……すぐに探索を始めましょう。助言、感謝します。……おい!」
 三柱円架の法衣、教団からの来賓とすぐに認められたこともあり、ルシアンはすぐにリカ
ルドの言葉通りに指示を出し始めた。
 集まってきたのは、伯爵付きの魔導師達。
 彼らを中心に編成された人員は大急ぎで散開、屋敷中へと散らばってゆく。
「隊長」
 そんなににわかに慌しくなる周囲の中で、そっと黒法衣らがリカルドに声を掛けていた。
 サッと振り返ってくる神妙な表情(かお)。
 そんな彼の視線に、一糸乱れぬ整列で以って。
「……教義典(ドクトリン)『聖戦』九条二項を以ってリカルド・エルリッシュが命じる。
これより本隊は戦闘体勢に入る。総員は速やかに皇子らの救出、及び闖入者(けっしゃ)構
成員の捕獲を開始しろ」
『──了解!』
 次の瞬間、彼らはその放たれた言葉(めい)を拝承する。

 傀儡兵達が鉤爪を引っ下げて突撃してくる。
 アルスらを囲もうとするかのように左右に交差しながら駆け、両サイドからの強襲を。
 それらを、前面に出たリンファとイセルナの長太刀とサーベルが必死に防ぎ、何度となく
火花を散らす。
「アルス様、下がってください! ……イセルナ!」
「ええ。ブルート、お願い!」
「うむっ、出し惜しみは無しだ」
 後方のアルスを肩越しに一瞥し、リンファが叫んだ。
 イセルナも、顕現してきた持ち霊・ブルートと共に飛翔態と為り、冷気の鎧と翼で一まと
めに傀儡兵達を吹き飛ばす。
「カルヴィン、ゲド、キース! 私達も応戦しますわ! 礼節を弁えないゲストはお呼びで
なくってよ」
「べきにもあらず! あの時の再戦(リベンジ)と往こうではないか!」
「ガチ戦闘は専門じゃねぇんだがな……。ホーさん、フォロー頼む!」
「うむ。任せておけぃ!」
 次いでそんな二人にカルヴィンを伴ったシンシア、ゲトとキースも続く。
 鈍色の焔と散弾銃よろしくばら撒かれる銕魔導、鮮やかな短剣のいなしとその隙を突いた
大槌の衝撃が傀儡兵達を薙ぎ払う。
(拙いな……)
 仲間達と“結社”の刺客達、その前線がぶつかったのを見ながらアルスは思った。
 空間結界に閉じ込められたという状況。それ自体はトナン王宮での決戦と同じケースかも
しれない。
 だが今回は圧倒的にこちら側の兵力が足りないのだ。
 邪魔者を排除する以上に、こちらの戦力・加勢を分断する意図があるのは明らかだった。
故に尚の事この場に留まれば留まるほど、自分達は不利一辺倒になる。
「エトナ、術者の気配はする?」
「ううん……。ザッと見る限りそれらしい奴はいないよ。これはやっぱり」
「うん。外に別の術者、だね」
 相棒ともやり取りを交わし、アルスはそう小さく呟いた。
 魔導師らしき男なら、黒衣の兵士らの向こう側にいる。
 だが結界が張られた後、この内部に侵入してきた──少なくとも術式発動の瞬間、大広間
にいなかった時点で彼が術者である可能性は限りなくゼロに等しい。結界系術式は術者が外
に居て制御するのがセオリーだからだ。折角張った結界に、わざわざ緩め直してまで自身が
進入するなど、その運用上デメリットが多過ぎる。
「……いや。もしヒトなら、屋敷の警備網に掛かっている筈……」
 彼女が続けようとした言葉を、アルスは引継ぎ呟いてちらと空を仰ぐ。
 淀んだ灰色とルーンの羅列。きっとこの向こう側でも、今頃イヨ達やアウルベ伯、諸侯ら
はてんやわんやになっている筈だ。
「……。魔導具(がいぶツール)か」
 解を得たのとタイミングを同じくして、傀儡兵らの一部がアルスの方へと流れようとして
いた。迎撃する為、相棒と共に呪文の用意をする。
「アルス君に──」
「手出しは、させないッ!」
 だがその両隣から飛び出していったのは、必殺拳・三猫必殺のオーラを振りかぶったミア
とレナの魔導具・征天使(ジャスティス)だった。
 ぶわっとアルスの髪を服を撫でて、牙を剥いた猫型のマナの塊と巨大な鎧天使の使い魔が
襲い掛かろうとしていた傀儡兵らを吹き飛ばす。
「私もその見解に同意だね。道具を仕込むだけなら、間諜を放てば不可能じゃない」
「……ええ。外の誰かが気付いてくれればここを突破できるかもしれないんですけど……」
 更にハロルドも、障壁と掌に集めた光弾を交互に使い分けながら傀儡兵らを退けるとそう
アルスの呟きに同調した。
 結界系術式──空門の魔導は繊細だ。内からも外からも、無理に壊そうとすれば自分達が
が即ジエンドとなりかねない。
「……だろうね。とにかく、下がって」
 それでも何処かハロルドの横顔は、フッと小さく笑っていた気がした。
 一刹那の怪訝。ぐわんと少しだけ遠くゆっくりになった気がした衝突の音。
 だがそんなアルスの彼とのやり取りも、次の瞬間、地面を蹴った襲撃者の内の二人によっ
て遮られる格好となる。
「ヒャッハー!!」
「邪魔者は消す、のかー?」
 一人は大小二本の斧を振り回す、粗野な風貌の戦士だった。
 一人は何処か気だるげな、マイペースな印象の剣士だった。
 前者はイセルナに、後者はリンファに。
 それぞれ傀儡兵(てごま)が落とされていくのを見て頃合を悟ったのか、彼らはほぼ同時
に顔を見合わせ地面を蹴ると、猛然と彼女達に襲い掛かっていた。
 イセルナ達の冷気が成す氷の障害を、戦士風の男は豪快に叩き壊しながら突き進み、何度
も彼女と刃を交える。
 一見すると機敏さに欠ける佇まいだったが、剣士風の青年はリンファ以上に多くの手数を
以ってその剣を振るい、彼女と激しい剣戟を闘わせる。
(あの斧……私達の氷を溶かしてる……?)
(そうか。こいつには“殺気”が乏しいんだ。だから動きが予測し難い……)
 太い刃から、時折つぅっと滴る黒紫の液。
 ゆらりと、しなるような身体と剣の捌き。
 何度目かの打ち合いを経て、イセルナとリンファは一旦間合いを取り直していた。
 双斧と長剣。二人の刺客の得物がゆっくりと持ち上がり、両者は改めて互いの隙を窺う。
「ゲイス、キリヲ、何を遊んでおる? 標的はレノヴィンじゃぞ!」
 するとそんな交戦の様子を見て、残るもう一人の襲撃者──先刻の老魔導師が叫んだ。
 傀儡兵らに守られるようにして立ち、少なからず苛立つように張り上げる声。
「分かってるよ……。ならムドウ、てめぇも援護しやがれ」
「急いで始末するのかー?」
「……元よりそのつもりだ。構えろ」
 彼にそう急かすように窘められ、戦士風の男・ゲイスと剣士風の青年・キリヲはぐっと両
脚に力を込めていた。
 守備に回っていた傀儡兵らも動き出し、老魔導師・ムドウは彼らに向けて詠唱を始める。
「盟約の下、我に示せ──偽装の怪霧(イミテイション)」
 ややあって、ゲイス達の足元をカバーするように灰色の魔法陣が出現した。
 そこから吹き出す濃い霧。数秒、アルス達の視界から彼らの姿が見えなくなる。
『なっ──!?』
 そして霧が四散した次の瞬間、ゲイス達は“増えて”いた。
 同じ顔のゲイス、キリヲ、傀儡兵達。
 彼らは静かに目を見開いたイセルナ達に不敵な笑みを零すと、一斉に得物を振りかざして
襲い掛かってくる。
「つぅ……! これは……分身か!?」
「撹乱系の虚魔導です! 本人以外は全部フェイクの筈です、惑わされないで!」
「んな事言ったって……。見分けなんざつかねぇよ!」
 前衛のリンファ達が総出になって、大幅に数を増した彼らの一撃に耐えようとする。
 アルスが叫んだ。しかし理屈は分かっていても、発動の瞬間に本体の位置が見えない形で
ある以上、一見する限りの見分けは付かない。
 冷静に個々のマナの流れを見極めれば、或いは……。
 だがそんな集中を許すほど、仕掛けてきた相手も馬鹿ではない。
「リン、一度下がって! まとめて攻撃するわ!」
 しつこく襲い掛かってくる数の力を、イセルナは冷気の大剣で薙ぎ払いながら叫んだ。
 肩越しに目を遣り、頷いて飛び退くリンファ。その彼女の応答を確認してから、イセルナ
は冷気と力を刀身へと集中させる。同じくゲドやシンシア、カルヴィンもやや遅れてその行
動に倣う。
 地面に突き刺した剣を中心に地面が凍り付き、その上を鈍色の焔と鉱石の角錐が飛んだ。
 足元から襲い掛かってくる氷の刃、焔と銕の魔導。
 更にゲドが振り降ろし叩き付けた大槌の衝撃波が時間差を伴い、数で押してくるフェイク
の群れが掻き消されてゆく。だが、
「はんっ、掛かったな! キリヲ!」
「ん……。風撫の剣(シェイバーソード)ぉ!」
 ゲイスは待ってましたと言わんばかりに叫んでいた。彼の合図で、その隣へ飛び退いてい
た本物のキリヲが自身の長剣型魔導具を発動させる。
 白銀の刀身が、にわかに白く光り始めた。
 そして彼がその得物をイセルナ達に振り向けた瞬間、無数の風の刃が期せずして一まとま
りになっていた彼女達を取り囲むように襲う。
『ぐっ……!?』
「皆ッ!」
 イセルナとカルヴィンが、咄嗟に障壁を張っていた。
 だが急ごしらえの防御では完全には間に合わず、彼女達に走るのは無数の切り傷。アルスら後衛の
面々が思わず叫ぶ中、仲間達はぐらりと苦痛の表情で仰け反っていく。
「今じゃ! レノヴィン共々、一気に叩き潰せぃ!」
 ムドウの気勢を上げた叫びに、再びわぁっと突撃を始めるゲイス達。
 傀儡兵を率い、双斧を振りかぶって、好戦的な笑みを。
 再び風刃の剣にマナを込め、じりっと狙いを定めて。

 ──光が差したのは、まさにそんな瞬間(とき)だった。

『うおぉぉぉーーッ!!』
 突如起きた変化は二つ。
 一つはまるで鱗を剥がすように崩れ、消え去り始めた淀んだ灰色の空。
 もう一つはゲイス達の側方から押し寄せてきた、アウルベ守備隊と黒法衣の一団。
 完全に虚を衝かれた格好だった。今まさにイセルナ達に追撃を加えようとしていた傀儡兵
らは、横殴りに守備隊らの果敢な突撃によって陣形を崩される。
 ゲイスもキリヲも、そしてムドウも、思わず攻撃の手を止めて余所見になっていた。
「──調刻霊装(アクセリオ)・二重速(トワイスクロック)」
 その隙を誰よりも見逃さなかった者がいた。守備隊と共に突入してきた黒法衣達──史の
騎士団の部隊を率いるリカルドである。
 彼がその視界に先ず捉えたのは、ダメージによろめくイセルナ達とその背後で叫び、次に
驚きへと表情を変え始めていたアルスらだった。
 視線の一直線上。その間に、魔導具の剣を振り出そうとしたキリヲがいる。
 ぼそっと、彼がそう呟いた瞬間、異変が起きていた。
 セカイがモノクロに為り、あらゆる者の動きがスローモーションの如くコマ送りになって
いる。その中で、リカルドただ一人だけが紺色の残像を伴いながら駆け、その中空からの跳
び蹴りがキリヲの得物へと吸い込まれていく。
 先ずこの蹴りで、風刃の剣が弾き飛ばされていた。
 他の全ての物らと同じく、剣はコマ送りをしながら宙を舞い、ゆっくりと両者の頭上を越
えて大きな放物線を描く。
 次に、リカルドの手は腰──黒法衣の裾の中へと伸びていた。
 残像を描きながら半身を捻って着地、それと同時に取り出した回転拳銃(リボルバー)の
銃口がピタリとキリヲの眉間に密着する。
「──へ?」
 この間、現実にして僅か三秒。
 モノクロのセカイが色彩を取り戻した瞬間、キリヲが“何時の間にか銃口が突き付けられ
ている”と認識した瞬間、リカルドは容赦なく引き金を引いていた。
 響き渡る重い銃声。撃ち抜かれた脳天から噴き出す大量の血肉。
 即死だった。
 何が起きたかも分からないまま目を見開いた状態で床に倒れ込むと、キリヲは自らが成し
た赤い池の中で二度と起きない眠りに落ちる。
「キリヲ……ッ!?」
 ゲイスが、これまでにない程の絶叫を放っていた。
 掛け値なしの沸き立つ殺気。だがそんな彼の情動を双斧を、他の黒法衣や守備隊員らが死
に物狂いで押さえに掛かってくる。
「馬鹿な……。突破されるにしても早過ぎる……!」
「ほう? 一応予測はしてたんだな。だがまぁ、もうちっと綿密に動いた方がいいぜ?」
 ムドウが傀儡兵らを囮にしながら後退り、呟いていた。
「世の中“完全無欠”なんてものは存在しねぇんだからさ」
 そんな彼にリカルドは、硝煙を上げている銃(あいぼう)を向け直して言う。
 守備隊の兵達が、彼の部下達が、ムドウら“結社”を捉えようと躍起になっていた。
 アルス達も、ダメージを負ったイセルナらを介抱しながらこの加勢に感謝しつつ、そして
同時に驚きを隠せずに目を見開いている。
「くぅ……! 拙い……」
 数の利は既に覆っていた。
 相手の増援を遮断する為の空間結界も──屋敷中に仕掛けた発動コアを見つけられ、破壊
でもされ──止められてしまった以上、自分達は敵陣のど真ん中に放り出されたに等しい。
 ムドウは着実に討たれ減らされていく傀儡兵(こま)達を見ながら、焦った。
 キリヲが死に、ゲイスも守備隊らに取り囲まれて必死にもがいている。このままでは押し
切られる。
「ま、まだだ……。まだ負けではない!」
 それでも、彼の老練であるという自負心は速やかな退却を許さなかった。
 傍目から見れば半ばの自棄。だが彼は左腕に下げていたブレスレット型の魔導具をギュッ
と握り締めると、叫ぶ。
「来い、魔崇の偶像(バフォメット)!!」
 次の瞬間、彼の正面に紫色の魔法陣が拡がるとそこから巨大な使い魔が姿を現した。
 元より天井を高く作ってあるこの大広間。しかしその高さすら破って、見上げるほどの巨
躯を持つ山羊頭の悪魔が一同を見下ろしたのだ。
 牙だらけの口を開け、解体用包丁よろしくの幅広な大剣を片手に。
 この使い魔はムドウの狂った高笑いと共に咆哮する。
「さぁバフォメット! もう構わん、全員まとめて叩き潰──」
「領域選定(フィールド・セット)」
 だがその初撃は、眼下の面々に届くことはなかった。
 彼が命令を下したのとほぼ同時、この使い魔の周囲を分厚い結界が覆ったからである。
 ギィンと大剣が障壁に弾かれ、その巨体がよろめく。驚愕によってその表情が歪む。
『……』
 使い魔当人とムドウ、そして皆の視線が遣られた先。
 そこには橙色の魔法陣の上で、相棒(エトナ)と共に無数のマナの糸を操るアルスの姿が
あった。
「ヒトじゃなくて使い魔が相手なら……僕達だって戦える!」
「私達が押さえるよ。合図をしたら一気に畳み掛けて!」
 面々が頷くのと、アルス達がマナの糸を繰り始めたのはほぼ同時だった。
「準備、完了(スタンバイ・レディ)。施術開始(オペレーション・スタート)!」
 アルスの指先から伸びた無数のマナの糸。それらは複雑に緻密に織り込まれ、複数の巨大
なメスと鉗子の形成している。
 そんな魔導の施術道具を、アルスはまるで手足のように操ってみせた。
 使い魔に流れ込む力の流れ──ストリーム。それらを彼と彼女は互いに協力し、補完し合
いながら掴んでは切り離してゆく。
「これは……中和結界、だと? 馬鹿な。こんな形式、見たことが……」
 施術(オペ)は極めて迅速に執り行なわれていた。
 繋がっているストリームを捉え、断つ。その度に山羊頭の使い魔は徐々に弱り始め、つい
にはガクリと大きく膝を突いてしまうまでになる。
「くっ……! 何をしている、起きろ! 動け、バフォメット!!」
「……無駄だよ。使い魔だって魔導の一つなんだ。マナの供給が途絶えれば、力も姿も維持
できなくなる。これだけ巨大なら尚更ね」
 ムドウは大いに焦り、何とか魔導具を握り締めて使い魔を動かそうとする。
 だがもうそれは叶わなかった。アルスが施術を続けながら呟く通り、バフォメットは片膝
や剣を突くだけでなく、その身体自体をも少しずつ消滅させ始めていた。
 チリチリと燻る火が燃え続けるように、この巨躯の至る所から紫の光が蒸発していっては
静かにあるべき無へと還ってゆく。
「今です!」「やっちゃって!」
 その変化を見逃さず、アルスとエトナが叫んだ。
 最初に動いたのはハロルドとレナ、エルリッシュ父娘だった。彼らは聖魔導と鎧天使の使
い魔を駆り、頭上と正面からの一撃を叩き込もうとする。
「盟約の下、我に示せ──光条の雨(レイ)!」
「お願い、征天使(ジャスティス)!」
 ハロルドの詠唱でバフォメットの頭上に金色の魔法陣が現れた。
 それを見て、アルス達が彼の者包んでいた障壁を消す。
 魔法陣から無数の光線が降り注いだのは、その瞬間のことだった。
 バフォメットの全身を貫く、質量ある光の雨。身体中を射抜かれ激しく咆哮して一層地面
に倒れ込みかけるバフォメット。
「────ガァッ!?」
 そしてとどめは、征天使(ジャスティス)が翼を広げて駆け抜け、すれ違いざまに放った
横薙ぎの一閃だった。
 胴体ど真ん中。バックリと斬り裂かれた傷口から溢れ出す紫の炎。
 そしてこの山羊頭の使い魔は、次の瞬間断末魔の叫び声を上げながら、その膨大なエネル
ギーと共に爆散する。
「……」
 濛々と辺りに土埃が舞い、視界を遮っていた。
 アルスとエトナ、そして仲間達はその中にあって息を呑み、敵の様子をじっと窺う。
「こんの──」
 強襲は、そんなアルスの背後からだった。
「クソガキがぁぁぁ!!」
 土煙の中から飛び出してきたのは、血走った目のゲイス。
 彼は両手二本の斧を大上段に振りかざすとそのまま床を蹴って跳躍、完全に虚を突かれた
格好のアルスへと襲い掛かろうとする。
「──ッ」
 だが彼の二重な一撃は空振り、床をざっくりと抉るだけだった。
 同時にアルスが全身に感じたのは、温もり。押し倒されたのだという後追いの認識。
「邪魔すんじゃねぇよ……。このアマぁ!!」
「……」
 咄嗟に庇ってくれたのは、ミアだった。
 スレンダーで引き締まった、しかしちゃんと少女の身体。
 そんな彼女に抱き寄せられたままで、アルスは無言で睨み返している彼女と共に猛烈な敵
意の眼を向けてくるゲイスを見る。
「ゲ、ゲイス……!」
 すると今度は土煙の中、ようやく立ち上がったらしいムドウが心なしボロボロになって彼
に呼び掛けた。ローブの懐に手を伸ばしたその表情は、恥辱の苦痛に満ちている。
「ここは一旦退くぞ、体勢を立て直す!」
「ば、馬鹿いうな! このまま逃げたら……キリヲは……っ!」
 最初、対するゲイスは拒絶に近い難色を示していた。
 ザッと視線を向けた先は、血だまりの中で動かなくなったキリヲの亡骸。
「分かっとる! だがここで全滅しては元も子もないじゃろうが!」
 だがムドウは急げと言わんばかりに彼に怒鳴った。
 チッと、ゲイスが強く舌打ちをして歯を噛み締める。そして彼も含め、二人が懐から取り
出したのは──掌サイズの藍色の結晶だった。
「転移石……!」
「くそっ、逃がすか!」
 その消耗品(ユースアイテム)を目にし、面々が慌てて押さえ込もうとした。
 だが彼らが飛び掛るよりも一歩早く、二人はそれぞれに掌の中のそれにマナを込めると、
藍色の魔法陣と光に包まれ一瞬にして消失──空間転移してしまう。
 ぽつねんと。急に場が静かになった。
 沸いていた傀儡兵は全て皆で協力して全滅、襲撃者の内の一人もリカルドの一発によって
既に事切れている。
「終わった、のか……?」
「そうみたいだな。結局生け捕りは出来ず、か……」
 戦いは終わったかに見えた。
 排すべき敵が逃げ去ったと分かり、一同はとりあえずホッと胸を撫で下ろす。
 それでも、このまま奴らを見逃す訳ではない。
 すっかり怯え切った諸侯や出席者達を宥め誘導し、屋敷のスタッフらが動き出していた。
 イヨらと共に駆け寄って来たアウルベ伯もすぐに守備隊に先の二人の追跡を命じ、兵らは
拝命の意をみせてから大広間を走り去ってゆく。
「アルス様、皆さん、ご無事ですか!?」
「本当、無茶をなさる……。しかしありがとうございます。助かりました」
「……いいえ。僕達だって、皆の役に立ちたいから」
 ともかく、一旦奴らの追撃は守備隊に任せることにしよう。
 そんな中でアルス達クランの仲間らは改めて集合し、互いの安否確認とハロルド・レナの
治療に身を任せ始めていた。
「……。あの、ミアさん? さっきからずっと僕のこと抱き締めてますけど、もう──」
 だが災いは──まだ終わった訳ではなかったのだ。
「ミア……さん?」
 そこでようやく、アルスはハッと気付いた。
 ミアの様子がおかしい。先程からずっと自分に身体を預けたままじっと──いや、ぐった
りとしている事に。
「ミ、ミアさん!? ど、どうしたんですか!? しっかりして下さい!」
 その狼狽ぶりに、仲間達もやや遅れてこの異変を知る。
 彼が叫ぶのを中心に、面々は輪になってミアを囲むと皆で彼女を仰向けに抱き起こした。
 彼女は酷く脂汗をかき、静かに息を荒げていた。
 なのにずっと黙り込んでいたのは余裕がなかったからなのか、それともアルスを心配させ
たくなかったからなのか。
 仲間達が次々に彼女の名を呼び、揺さぶり出す。
 するとその様子をじっと見ていたハロルドが、不意に彼女の右肩を取って呟いた。
「……傷があるね。これは、あの斧戦士から庇った時に受けたものか」
「おいおい、こいつはヤバいぞ? この皮膚の反応……毒だ」
 更にキースが放ったその言葉によって、仲間達はにわかに騒然となる。
「毒って……。大変! すぐに解毒を──」
「まさか。あの斧には毒が塗ってあったというの? 道理で私達の氷も……」
「でしょうね。団長さんも見たでしょう? あの野郎の斧、液体が滴ってましたし」
 友(レナ)が必死になって涙目になって、寝かされたミアの傷口に聖魔導を掛けていた。
 だがそれでも彼女が目を覚ます様子は見られず、変わらず苦しそうに魘されている。
「伯爵、すぐに病院へ搬送をお願いします! ハロルドはすぐにダン達に連絡して!」
「あ、ああ……」
「……。了解した」
 イセルナが深刻な表情で叫んでいた。
 その気迫に思わずたじろぎつつも、ルシアンはすぐにスタッフに指示を飛ばす。
 ややあって担架が運び込まれミアが乗せられた。仲間達が付き添い声を掛ける中、緊急搬
送は慌しく始まろうとする。
「──の、……で……」
「?」
 皆深刻であり、心配なのは言うまでもなかった。
 だが、それ以上に。
「僕のせいで……ミアさんが……、大切な……仲間(ひと)が……」
「……アルス」
 一番打ちひしがれていたのは、彼女が身を挺して守った皇子アルス、その人で。

『──緊急速報です! アウルベ公邸内に襲撃者が現れました!』
『今夜はアウルベ伯主催の晩餐会が行われており、アルス皇子の留学を歓迎する催しとなっ
ていましたが……』
『襲撃者は、まだ不確定情報ですが“楽園(エデン)の眼”の一派と思われます。現在襲撃
犯は守備隊によって撃退され、その追跡が始まろうと──あっ、今出てきました!』
 この夜の出来事は、瞬く間に世界中に配信されていた。
 元より、世間の注目が集まるレノヴィン兄弟の公の場への出席だったのだ。
 入館を許可されずとも、マスコミ記者らは夜闇の中にあってじっとスクープは無いかと目
を耳を凝らしていたのである。
 濛々と、館の天井を突き破った土煙が夜闇に流れては消えてゆく。
 神妙な面持ちで出撃してゆく守備隊の列に、情報に飢えた記者達が纏わり付こうとする。
「……。大変なことになったわね」
「そうですね。よりにもよって、あんな目立つ場で結社(やつら)が攻めてくるなんて」
 そんな情報は、遠く南方入りを果たしたジーク達にも届いていた。
 リュカが操作する携行端末。そこに映し出された立体映像が届けるアウルベ公邸襲撃の速
報は、この夜小さな村に宿を取っていた一行に少なからぬ影を落とすものだった。
『……』
 言葉にできぬ不安の表情でマルタが、リュカがサフレが、ちらりと肩越しに後ろを振り返
っていた。
 そこにいたのは、ジーク。他ならぬレノヴィン兄弟の片割れであり、アルスの兄。
 彼はリュカ達の輪には加わらず、ただじっと壁に背を預けて漏れてくる事件のニュースに
耳を傾けている。
「……。何でだよ」
 すると、たっぷりと間を置いてからジークは呟いていた。
 ぶらんと下げた片手。その拳を壊れんばかりにギリッと握り締め、
「何であいつが狙われるんだよ……。てめぇらの敵は、俺だろうが……!」
 誰にともなく──もしかしたら自分自身に──、彼は嘆息めいた怒声を漏らす。
 
 夜は闇を連れてくる。夜は来たる朝を待つ一時となる。
 だが今夜ばかりはアルスらアウルベルツの住人達にとっても、ジークら“結社”追跡の旅
の面々にとっても、底知れぬ深淵を連想させるばかりだった。
「──ふふ。み~つけた」
 試練は……終わらない。
 ジーク達が宿を取る南方の小さな村。夜の眠りに従順な、何の変哲もない田舎町。
 その仄かな灯りを見下ろし、四人八つの血色の瞳が、密かに闇の中でほくそ笑んでいた。

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  1. 2012/09/04(火) 21:00:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

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