日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅲ〔28〕

 ヒトは、魂で出来ている。
 それは彼の者の生命──存在の根幹を成す、いわば核のようなものだ。
 ヒトは、肉体で出来ている。
 それは彼の者の魂が収まり現世の物質への干渉を可能にする、いわば器のようなものだ。
 ヒトは、精神で出来ている。
 それは彼の者の魂と器双方を結び、繋ぎ止め、表層の自我を成す溶液のようなものだ。
 そしてこれら三つの根源要素が一つになって初めて、ヒトは「生まれる」ことができる。
 セカイ中に張り巡らされた魔流(ストリーム)。無限なる生命の大流とも言えるそれらに
乗り、魂は精神を纏いながら成長し……やがて母となる者の奥底へと流れ着くのである。
 古くより人々はストリームと共に在った。
 ストリームがヒトを生み、またヒトはストリームを護ることでセカイは維持されてきた。

 ──だが、それでは“ヒトの生まれる意味”とは何なのだろう?
 結論からすれば万人に通ずる意味はない。強いて言えばセカイの歯車になること、そして
時が来ればその身を朽ちさせることであろう。
 しかし、それではヒトという生き物は納得できない。いや……怖いのだ。
 ヒトにおける最大の不幸とは「知ることができる」点にあると、私は思っている。
 我々は知っている。自分達はセカイにとって単なる部品に過ぎないことを。
 我々は知っている。どれだけ自分達がセカイに貢献しようともかの者は無関心であると。
 ゆえに宗教の誕生とは、そんなヒトの持つに至った宿命からすれば必然のことであったの
かもしれない。
 彼らは求めたのだ。意味を──自分達が存在していいのか、その承認を。
 実際、我々が抱える根本的問いを背負い切れない者にとって、信仰とは少なからず彼らの
慰みとなってきたと言える。
 考える必要が軽減されるのだ。予め「解答」を教義の側が用意してくれているのだから。
 だが……それらは、結局は慰め以上の本質を持ちえないのだ。
 これも「知ることができる」が故の不幸、なのかもしれない。
 信仰に関わる者、或いは魔導や世界の成り立ちを学び修めた者であれば「知っている」者
はそう少なくはない筈だ。
 
 “生命は──巡り回る(りんねする)”。
 
 一般的に死と云われる現象は、あくまで肉体から魂(と精神)が剥離して戻らなくなって
しまった結果を表現するに過ぎない。それは器の喪失であり、生命自体の死とは違うのだ。
 一般的に死した後の、肉体(うつわ)を失った魂は「霊」などと呼ばれる。
 そして、それら核と衣だけになった生命は──途中で瘴気に中てられる、導き手からこぼ
れてしまうなどのアクシデントがない限り──速やかにストリームが捕捉する。
 導かれる(ながれつく)先は、冥界(アビス)。死を司る深淵のセカイである。
 此処で魂と為った彼らは“執行者(しにがみ)”や“審判者(えんま)”達によって連行
され、裁きを受け、次の生へ向けての準備を始めることになる。
 ……輪廻するのだ。死とは、繰り返される生の一部分に過ぎないのだ。
 即ち“死ねばもう何も考えることもない”という俗説は当然ながら、誤りなのである。
 実際は──セカイの摂理(しくみ)が「一度限りの生」を許さない。
 確かに精神は、肉体(うつわ)を失うと水が蒸発するように徐々に喪われていく。それは
転生の過程においても避けては通れないものであり、殆どは来世の自分が前世の記憶をそっ
くり受け継ぐことはない。
 それでも……魂が覚えている。
 たとえおぼろげに為ってしまっても、繰り返される生の中で積み重ねてきた無数の記憶、
犯してきた罪業、それらは“魂跡(ログ)”として我々の核には遺っているのである。
 閻魔達も、何も個別の存在について一々吟味はしない。
 ただ彼の者のログを検め、規定に応じてその魂を次の生へ“出荷”させる──それだけの
いち役人でしかない。

 我々は、囚われているのだ。このセカイ──ストリームという名の檻の中に。
 今世が苦しい。だから来世に“救い”を求める。それが古来多くの宗教の教えだった。
 しかし……救いは無い。
 ただ私達はセカイの部品として、魂が使い物にならなくなるまで繰り返し生かされる。
 そして傷だらけになった自分という存在が消滅してしまっても、セカイは同時併行的に無
数の他の魂を始源の地──霊界(エデン)から生み出し続けている。
 救いは、無い。存在しない。許されない。
 そんなセカイの絶対的事実に気付いてしまった時、私はどれだけ咽び泣いたことか。
 安寧と永遠を願った来世は、同じ繰り返されるものでしかなく。
 その虚しい願いを託した筈の「神」達も、実はただ“己の信仰(そんざいのかて)”を守
ることばかりに拘泥している。失うことを恐れて閉じ篭っている。
 神とて、万能ではないのだ。
 あくまで創世の時代より在った存在。ただそれだけでしかないのだ。
 故に彼らとて“救い”はない。ましてや全ての者──妥協して「信者」達に限っても──
にその力は届かない。しばしば振るわれるのは、ただ彼の神が己の信仰を失わぬように策を
打った結果であり、或いはそんな理由すらない単なる暴力でしかないのである。
 
 救いは、無い。
 一人の信仰者として、敬虔に修練を積んできたこれまでの生とは、何だったのか。
 いやそれ以前、前世の自分達とは、何だったのだろうか。
 加えて今は、不死の咎人と成り果てて。私は……何の為に生まれてきたのだろう?
 救いは無い。
 セカイという檻がそれを拒んでいる。
 だから……そうであるのなら、私は──。


 Tale-28.天には嘆きを、地には種火を

「ど、どうぞ」
「ん……。ありがとよ」
 小振りのテーブルの上に、コトンと二人分の紅茶が置かれた。
 お盆を胸元に当ておずおずとしているレナに、今宵突然の来訪者・リカルドはフッと気安
くも何処か荒削りな笑みを返す。
 ハロルド達は一先ず、彼ら一団をクラン宿舎の端にある応接間へと通していた。
 樹液のような艶がコーディングされた木製のテーブル。
 それを挟んでハロルドと後ろの団員達数名、リカルドと彼の背後で微動だにせず待機して
いる同じく黒法衣を纏った神官らしき面々が互いに向き合う形。
 妙な緊張感が、場に鎮座していた。
 レナにも名乗った通り、彼はハロルドの弟──義理の叔父でもある。親戚との再会は多く
の場合、和やかであると連想するかもしれない。
 だが……この兄弟はそうではなかった。
 部屋に通されてから暫し、二人(実質はリカルドの方がよく口を開いていたが)は思い出
話に花を咲かせていた。レナも含め、それは懐かしい記憶でもあった筈だ。
「……」
 それでも、ハロルドは眼鏡の奥の眼に静かな険しさを宿したままだ。
 リカルドも時折レナに話を振ったりしているものの、何処か胡散臭い──先ずは話術で相
手を解そうとする魂胆があるようにも思える。
(……ふーむ? ハロルドの弟、かあ)
(そうみたいだね。でも確かハロルドさん達って、随分と前に教団を抜けてるんでしょ? 
今になってその弟さんが一体、何の用なんだろう……?)
(さぁ? さっきからずっと昔話ばっかりみたいだしねえ……)
 その会談の様子に、アルスとエトナはこっそりと扉の外から聞き耳を立てていた。
 極力小さなひそひそ声で言葉を交わす二人の背後左右には、同じくリカルドの来訪を聞き
つけ様子を見に来た団員達が数名、一緒になって耳をそばだてている。
「随分と馴れ馴れしいじゃないか。私は教団(かれら)からみれば“裏切り者”の筈なんだ
けどね」
 それまで言葉少なげだったハロルドが口を開いたのは、ちょうどそんな最中だった。
 ビリッと、場の空気が軋むような心地さえした。レナが思わず目を見開き、怯えたように
お盆を掻き抱いたまま数歩後退る。
「一体、何のつもりで会いに来た? まさか上が今更私達を咎めようとしているのか?」
「違ぇよ。ま、警戒するのは分からなくはないんだけどさ」
 そんな兄の身構えた心の様子に、リカルドは大きくため息をついていた。
 ちらりと、怯えて立ち竦んでいるレナに「大丈夫」と微笑みを寄越し、ハロルドもまた彼
女をこのまま居させるべきではないと判断したのか「もう戻っていなさい」と告げる。
 コクコクと頷き、レナは気持ち駆け足で応接間を出て行った。
 流石に“本気”の父(ハロルドさん)は、娘でも怖いんだな──。
 場に同席していた団員達も、そう呟き合うように互いの顔を苦笑と共に見合わせている。
「……単刀直入に訊く。護皇六華は──ジーク・レノヴィンは今、何処にいる?」
 彼女が出て行ったのを確認して、再び兄弟の間に静かな火花が散ったように見えた。
 リカルドは眼に力を込めてそう目的(しつもん)を吐き出したが、対するハロルドはすぐ
には答えず黙していた。
『…………』
 同席の団員達も、ごくりと息を呑んで黙り込むしかなかった。
 たとえ彼がハロルドの弟であったとしても、そう安易に口を割るべきことではなかったか
らだ。言わずもがな、トナン皇子ジークの消息──南回りで西方へ行く情報は今やかの国の
重要機密でもあるのだから。
「素直に答えると思ったか? 身内を刺客に放って来たとしても、私はそう簡単に“落ち”
はしないぞ。お前ならそれぐらい分かっていたろうに」
 今度はハロルドが眼に力を込める番だった。
 眼鏡の奥の瞳を細め、心持ち身を乗り出して。
「……だろう? “史(ふみ)の騎士団”一行君?」
 ピクッと、リカルドの片眉が上がっていた。
 暫しじっと見つめ──もとい睨み合っていた視線がはたと逸れ、彼は自身の黒法衣と胸元
の三柱円架な装飾を無言のまま一瞥する。
「……なぁ、史の騎士団って」
「ああ。確かクリシェンヌ教の……」
「はい……。教団傘下の神兵団の一つです」
 聞き耳を立てていたアルス達は、ひそひそ声のやり取りの途中で咄嗟に身を引いていた。
 カチャリと開いた扉。その中から出てきたレナは、彼らが養父(ちち)らの会話を聴いて
いたのだと分かった上でそう補足を加えてくれる。
「古代遺物(アーティファクト)の保護とか歴史の研究とか。そういった仕事を専門にして
いる神兵さん達の部署……だったと思います」
 後ろ手にそっと扉が閉められ、二人のやり取りが再び遠くになる。
 語るレナの表情(かお)は、間違いなく不安そうだった。
 教団から脱退した過去を思い出しているからのか、実の兄弟だというのに不穏な空気が居
た堪れなかったのか、アルス達には知る由もなかった。しかしかといってずけずけと訊くの
も躊躇われ、面々はただ「なるほど」の代わりに小さく頷くに留まる。
「──基本的に自衛組織である各種神兵団の中でも、その任務の為なら積極的な攻撃行動も
厭わない特異点……よね?」
 すると今度はレナとは反対方向から声がし、アルス達は振り向いていた。
 廊下の向こうから近付いて来たのは、そう確認するかのように言葉を向けてきたイセルナ
と団長である彼女を呼びに行っていたリンファの姿。
 無言のまま、レナは小さく頷いていた。
 聖職者でありながら、戦闘能力も重視される教団傘下の“異質”者たち。
 その一員に──血が繋がっている訳ではないものの──叔父が為っていたことに、彼女は
強い戸惑いの感情を、少なからぬショックを抱いているらしい。
「イセルナさん……」
「レナちゃん。ハロルド達はジークの事、まだ話してないわよね?」
「はい。機密……ですもんね」
「そうなるわね」
 そんな白い翼の彼女に、イセルナは優しく微笑みながらそっと頭を撫でてあげていた。
 質問は、それだけ。
 突然の叔父の来訪と変貌に不安であることは、既に聞き及んで想像できていたのだろう。
「大丈夫。後は私達が上手くかわしておくから」
 ややあってから上着を翻し、彼女はレナ達に小さくウインクを遣ると、扉の前に立つ。
「……やっと来たね」
 軽くノックの音がしたすぐ後、イセルナが入ってくるのを見てハロルドは若干眼鏡の奥の
眼光を緩めたようにも見えた。
「お待たせしました。ブルートバード代表、イセルナ・カートンです。話は軽く団員達から
聞きました。ハロルドの弟さんのようで」
「ええ。弟のリカルドです。……ほほう、こいつあ映像器で観たよりもべっぴんさんだ」
「リカルド」
「はは、分かってるって。いい加減兄貴もそう硬くなるなっての」
 入室しながら挨拶し、ハロルドの横の空席に着くイセルナに、リカルドはそうごく自然な
素振りで口を開いていた。
 ハロルドは変わらず実の弟に厳しく──警戒・用心の眼で当たっていたが、当の彼は神官
らしからぬ飄々さで受け流し、むしろ生真面目な兄に苦笑とため息をついてみせる。
 直立不動なままの黒法衣(どうりょう)達を背後に、リカルドと彼に向き合うイセルナ・
ハロルド達は、再びプツッと糸を切るように黙り込んだ。イセルナもまた、このリカルドと
いう男──クリシェンヌ教団及び史の騎士団が、今宵彼らを送り込んで来た意図を探ってい
るかのようだった。
「……参ったね。団長さんも一緒にだんまり、か……」
 一方で、当のリカルド本人はそんな警戒心にげんなりしつつあった。
「まぁ予想はしてたけどさ。弟(おれ)だから口を滑らせてくれるほど、兄貴も団長さんも
脇は甘くねぇだろうからなあ……」
 たっぷりとそんな沈黙の中に沈んでから。
 ふぅと場の空気を切り替えるように息をつき、彼はぐぐっと座るソファに背を預けて伸び
をし始める。
「──時司の領(クロノスフィールド)」
 異変が起きたのは、次の瞬間だった。
 ぼそっとリカルドがソファに背を預けたまま呟いた刹那、突如として周囲の色彩が失われ
モノクロの世界が広がったのである。
「!? これは……」
「刻魔導──異相結界か」
 イセルナは足元に立て掛けていた剣の鞘を取り、ハロルドも再び眼鏡の奥の眼光を静かに
鋭くする。この事態にそれまで顕現を解いていたブルートも姿を現し、目の前の黒服神官が
一瞬にして結界を──周囲の時間を遮断する結界を張ったさまを認めていた。
「……そう怖い顔をするなって。真面目な話をしようにも、何処に聞き耳があるか分かった
もんじゃないからな」
 そんな力場の中で、モノクロに染められず自らの“時”を保てていたのはほんの数人。
 術者本人であるリカルドと会談の相手であるイセルナ・ハロルドの二人、そして彼と共に
今宵訪れた黒法衣の神兵達である。
「長く持たないから手短に話すぜ。……今回俺達は、教皇エイテル・フォン・ティアナ三世
の命でアーティファクト・護皇六華の情報収集に来た」
 団員達、そして扉の外のレナやアルス達の時間が停められたまま、リカルドは語った。
 その表情は至って真剣。飄々としていた──レナやハロルドの記憶にある風来坊な部分は
なりを潜め、彼は居住まいを正して心持ちずいっと、二人を説き伏せるような口調になる。
「ただまぁ……俺の予想通りそちらさんはだんまりと来た。ただそれは別に構わない。個人
的にはな。それに護皇六華の──ジーク皇子の消息は皇国(トナン)の機密情報でもある筈
だ。そう簡単に口を滑らせられないってのは百も承知さ」
 しかしそうは言ったが、彼の表情は険しい気色だった。
 収穫の得られぬ苛立ちか? 違う。
 心配しているのだと、イセルナは思った。
 史の騎士団はアーティファクト保護の為の組織。その目的故に“盗掘者との交戦”を想定
した戦闘能力を重視されている。
 このまま教団を、彼ら騎士団を敵に回せば……厄介な事になるぞ? そう暗に言われてい
る気がしたのだ。
「……でもな。忠告しておくぜ、兄貴、団長さん。レノヴィン一家の動向を嗅ぎ回ってるの
は何も教団(うち)だけじゃない」
 だが少なくとも、彼からはそういった敵意はあまり感じられなかった。
 そこはハロルドの弟であるという点が有利に働いたのかもしれない。だがそうした安堵を
あっさりと覆すかのように、彼は警句を紡ぐ。
「連邦朝(アトス)、王国(ヴァルドー)、共和国(サムトリア)、都市連合(レスズ)。
大国は勿論、他の国も今現在進行形で間諜を向けて来ている筈だ。どいつもこいつも自分達
が得をできるように必死なんだよ」
 それは、イセルナ達も重々承知の事だ。
 ハウゼン王や諸侯らの協力があるとはいえ、先日からマスコミと同様にそういった影の者
らがクランやこの街の周囲をうろついている事は把握済みなのだ。遊撃隊長のシフォンを中
心に最低限そういった差し迫る脅威は密かに排除しているが、それでも彼の言うように迫り
来る各地の権力の狗らが絶える気配はない。
(間者の命を受けたのは建前で、本当はハロルドを心配して来てくれたのかしら……?)
 ちらりと、感情の読めぬ──自ら押し殺した当の本人を一瞥し、イセルナは思った。
「外野が今更言うことでもないんだろうが……あんた達に向けられる眼にはくれぐれも注意
した方がいい。今このクランは、間違いなく世界で最も注目されてる集団の一つだ」
「……そうみたいね。だけど、後悔はないわ。ただ私達は仲間(かぞく)の嘆きに手を差し
伸べた。それだけだから」
「ご苦労な事だな。私達よりも年下だが、切れ者だぞ? 我々の団長(イセルナ)は」
「らしいな。なるほど……。兄貴がついて行こうと決めた仲間、ねぇ……」
 それでも悔やむつもりはなかった。後戻りなどできようもない。
 そうした思いはハロルドもまた同じらしく、皮肉っぽい言葉選びではあったが彼は弟にそ
う自分のことを持ち上げたような発言をしている。
 リカルドは、フッと笑っていた。
 だが嘲笑ではない。腑に落ちたかのような、前向きな安堵のように思える。
 ──彼がパチンと指を鳴らし異相結界を解いたのは、その次の瞬間のことだった。
 最初の時と同様に、一瞬にしてモノクロの世界が本来の色彩と姿を取り戻す。
 二人の左右に控えていた団員達や扉の向こうのアルス達が、時間を止められていた──厳
密には時間の進む速度を局所的に変えているのだが──ことに気付く事なく、そのまま直前
の行動・体勢の続きを取ろうとする。
「……ま、精々踏ん張ってくれよ? 俺達も世間の連中も、まだまだあんた達から眼を離す
気配はなさそうだからな」
 大きく深呼吸。リカルドはそう言うと、黒法衣を翻しておもむろに立ち上がった。
 その動きに合わせ、至極自然に追随するのは、他の神兵──もとい彼が率いる隊士達。
 彼はそのまま部下らを引き連れ、扉の方へと歩き始めていた。
 だがはたと、その途中で足を止めると、彼は最後に肩越しに振り返って告げる。
「暫くはこの街に留まるつもりだ。……そん時には、いい返事を期待してるぜ?」
 ハロルドは黙って眼鏡のブリッジを押さえただけだったが、イセルナは「お手柔らかに」
と小さく答えて苦笑を返していた。

 緊迫感は……薄れたような気がする。
 もう一度、リカルドはフッと口元に弧を描くと、そのまま部下達と共に宿舎を後にし、夜
の街へと消えて行ったのだった。


 学院側(むこう)も、長引かせるのは拙いと考えていたのかもしれない。
 アルスの学院への復学──留学という表向きのアウルベルツへの帰還目的は、リカルドが
訪ねてきた夜から三日ほど経ったのちに果たされることとなった。
 復学初日。アルスとエトナは護衛役のリンファ、そして一時彼女の代わりに自分達の学院
生活を見守ってくれていたシフォン、二人の仲間を伴ってその入口正門をくぐっていた。
「来ました! アルス皇子です!」
「皇子様~ぁ!」「レノヴィン君~っ!」「こっち向いて~!」
 予想通りというべきか、最初に待ち構えていたのは……人だかり。
 既に正門すぐの広場内はマスコミや野次馬よろしく集まる学院生らでごった返していた。
 一挙に焚かれる写姿器のストロボの光。主に女生徒達からの黄色い声。そうした面々を含
めた諸々の、少なからぬ好奇の視線。
 やはりかとアルスは驚き、そして内心げんなりしていたが、それでもここで立ち止まって
いては本当の“帰還”は果たせないと思った。
 相棒(エトナ)は勿論、リンファやシフォン、この混乱を御する為に遣られたとみえる学
院側の警備員に守備隊の兵士達。彼らに囲まれ守られるようにして、アルスは再びその一歩
を踏み出してゆく。
「皇子、復学おめでとうございます。今の心境は如何ですか?」
「あ、はい……。正直を言うとホッとしてます。またこの街で魔導を学んだり、友達と一緒
にご飯食べたり……。そういうことができなくなるのかなって思ってましたから」
「それが叶った訳ですね。それはやはり、シノ皇の力添えが──」
「あ~、ちょっとすみませんね」
「申し訳ない。急いでいるので。ただ、復学という言葉を貴方がたにもしっかりと咀嚼して
貰えればこちらとしても幸いです。……取材等のアポなら先ず我々侍従衆が受け取ります。
宜しいですね?」
 その間にもマスコミはわぁっと駆け寄り、アルスも拙いながらもできる限りその声に応え
ようとしていた。だが記者の政治色を帯びた質問が飛ぼうとした瞬間、アルスを護るように
遮るように、シフォンやリンファがその身を捻じ込ませる。
 にこやかに。だが目が全く笑っていない妖精族(エルフ)の弓使い。
 生真面目に。言葉こそ丁寧でも、静かな迫力で相手に否を言わせぬ女傑族(アマゾネス)
の女剣士。
 抜け駆けのように情報を引き出そうとした薄毛の記者は、そんな二人に加え、背後で揉み
くちゃになっている同業者らからも睨まれ、降参したようにすごすごと身を引いていった。
その隙を縫うようにして、アルスはようやく彼女達に促されて最初の人ごみを抜けることに
成功する。
「……分かってはいたけど、飽きもせず随分な歓迎ぶりだよねぇ」
「そうだね……。これで本当に学院生活に戻れるのかなぁ……? 僕はともかく、学院の皆
さんに迷惑を掛けてばかりになっちゃうのはなあ……」
「……。気に病む必要はないよ。時間が経てば彼らも飽きるさ」
 まだ好奇の視線が方々より飛んで来てはいたが、マスコミの群れはもう追っては来ないよ
うだった。
 振り向く余裕がなかったが、背後から警備係の者達の奮闘ぶりが聞こえていたので、おそ
らくは彼らが存分に働きをしてくれたのだろうと思う。
「確かにいつかはほとぼりも冷めるでしょうけど。……いつになる事やら」
「そもそも学院に着くまでにもじろじろ見られてたしねぇ。まぁ、ジークも含めて街の人達
には顔が割れてるからってのもあるんだろうけど」
「いっそ、馬車を用意するべきだったかな? 警備の関係からしても、毎度ああいう人ごみ
の中にアルス君を入れ込むのはリスクを伴うからね」
「ん~……。だけど馬車で送り迎えなんて、それこそ目立っちゃわない? 連中からすれば
絶好の目印になりそうだけど……?」
「ふむ……。それも一理あるか」
「まぁ、その辺りは必要となれば侍従衆(こちら)で用意しよう。ただ私個人はあまりそう
いう大掛かりな手は使いたくないな。私達が陛下より託されたのは、アルス様に安心して学
院生活を送って貰える環境を整えること、だからね」
「リンファさん……」
 この先が思いやられる。故にアルス自身も含め、面々は思案顔をしていた。
 それでも、そんな中にあってもリンファはアルスの意向を大事にしてくれる。
 身分が公になった以上、全く以前の通りというのは無理があるにせよ、できる限りあくま
でいち学生として平等に──気兼ねなく学友らと共に再び学びたいという自分の意思を彼女
はちゃんと汲み取ってくれていたのだ。
 アルスは微笑み「ありがとうございます」と小さく頭を下げていた。
 リンファもお安い御用ですと言わんばかりに微笑みを返し、凛とした横顔でシフォンと共
に彼の傍に仕えて歩く。
「──お待たせしました、レノヴィン君。護衛の皆さん」
 そうしてややあって現れたのは、数名の職員らを伴った一人の秘書風な女性魔導師。
「お迎えに上がりました。学院長室まで案内いたします」
 アルス達はちらりと軽く顔を見合わせてから、頷く。
 エマ・ユーディ。学院長ミレーユの補佐役も兼務する、学院きっての才媛だ。

「お待たせしました。これが当学院の通行許可証となります。警備の者に提示して頂ければ
すぐに通してくれますよ」
「……確かに。御配慮の程、感謝致します」
 エマらに案内され、アルス達は早速学院長室でミレーユとの面会に臨んだ。
 何度かの挨拶と謙遜のラリーの後、リンファは彼女から金属プレートに細かいコード番号
の凸凹を彫った、一枚のカードを受け取る。
「いいえ。こちらこそ、受け入れ態勢が遅れて申し訳ありません。お詫びといっては何です
が、一つ手心を加えさせて頂きました」
「それは……この紙の方の?」
「ええ。押印を受けた当日限りになりますが、簡易の通行許可証です。必要に応じて侍従衆
やクランの方々にも分けて下さればと」
「なるほど、了解しました。ありがとうございます」
 加えて他に差し出されたのは、十枚綴りの紙の許可証が五束。
 おそらくは先の人ごみのような事態を想定し、こちらが人員を増やす際の助けとして別途
発行してくれたのだろう。リンファは改めて一礼し、これらを懐にしまう。
 学院長室に来たのは、何も復学の挨拶だけが目的ではなかった。
 シフォンからリンファへ、それまで続いていたアルスの護衛役の引継ぎと強化。それに伴
う学院側との情報交換の為でもあったのである。
(……。やっぱり平穏な学院生活って、難しいのかな……)
(う~ん……残念ながらね~。まぁ皇国(トナン)の件以前も何かと色んな事があったじゃ
ない? あんまり気負わずに今までの延長だと思っておけばいいんじゃないかな?)
(そ、そんなのでいいのかなぁ……?)
 その間、アルスは傍ら中空で漂うエトナとそんなひそひそ話を挟んでいた。
 以前と全く同じというのは無理なのだろう。それは流石に分かっている。
 だが、正直を言うと……怖かった。
 自分自身、その力を乱用するつもりがなくても、周りの大人達は自分をあくまでトナンの
皇子として扱ってくる。彼ら個々人が利を得る為に、くわっとその目を見開いてくる……。
「……付かぬ事をお聞きしますが、その受け入れ態勢の遅れとはどのような理由があったの
ですか? もしかして……アルス君の復学に対する抵抗があったのでしょうか?」
 はたとシフォンがそんな質問をミレーユ達に投げ掛けたのは、ちょうどそうした疑心暗鬼
がアルスの中で頭をもたげようとしていた最中だった。
 ミレーユが、エマが黙したまま顔を上げてシフォンを見返していた。対する彼も、彼女達
も、その瞬間に関しては互いに感情(ほんね)を表に出さない微笑を浮かべていた。
 アルスは内心焦った。
 折角復学を認めてくれたのに、何故わざわざ学院長の機嫌を損ねるような真似を……?
 だが結局そんなパッと沸いた言葉は口に紡げず、代わりにリンファが彼を一瞥した後、同
じく思う所があったのか、彼らは追従するようにミレーユ達に視線で返答を促し始める。
「……結論から言えば、その通りです」
 ミレーユは、たっぷりと間を置いた後、学院長席の着いたまま両手をテーブルの上に組ん
だ格好でそう静かに答えた。
 傍らのエマが何か制止するような小声を出したようだったが、彼女は構わず続ける。
「復学──留学の打診は早い段階からトナン本国より受けていました。なので私どもは皇子
が戻って来られることを前提に、学院内の態勢構築を始めていたのです」
「……反対意見は、その頃から?」
「ええ。理事数名が、復学要請に応じることに難色を示していましてね。なので……残念で
すが、彼らにはその職から降りて貰いました」
『えっ?』
「降り──く、クビになされたんですか!?」
「有体に言うと、そうなりますね」
 アルスを含めた、四人全員が驚いていた。
 特に自身の復学を巡ってそんな処分が出た事にアルスは思わず動揺し、若干声を張り上げ
てしまう。
「でも、これで良かったと思っています。覚えていませんか? この街が“結社”からの襲
撃を受けた際、貴方達兄弟を学院から追い出そうとした理事らがいました。全員ではありま
せんが、今回反対意見を最後まで曲げなかったメンバーは皆、その時にも貴方達を邪険に扱
おうとした──生徒の事よりも、自分の保身を第一に考えた者達だったのです」
 しかし、ミレーユの言葉には確かな信念があるようにアルス達には思えた。
 何よりも彼女はずっと覚えていてくれたのだ。あの時『学びたいと思う志を、私達は摘み
はしない』と語った言葉は、ホンモノだったのである。
「魔導学司校(アカデミー)は後進を育てる為の場所です。そこに自身の保身を持ち込み、
生徒を泣かせるような者は指導者にふさわしいとは考えません。少なくとも、私が当学院の
責任者である限り、そうした人材は必要としません。それに今回の人事は既に本部へ上申も
し、許諾を受けています。そちらが心配頂くことは……もう無いのですよ」
 ミレーユはそこまでを語ると、ようやく表情を柔らかく解いていた。
 責任は自分が取る。貴方は望むまま、魔導の学徒としての日々を続けなさいと──。
「アルス皇子。いえ……レノヴィン君」
 だからこそアルスは「……。はい」と、そんな彼女にフッと微笑みを返していた。
「長旅お疲れさま。そして、お帰りなさい」
 自分達の為にその誠を貫いてくれた、この学び舎の長に。

「──ぁ」
 アルスがその待ち人達に気付いたのは、用心の為に学務棟の裏口からの退出を計ろうとし
ていた最中のことだった。
 人気の多い構内──整地された石畳とは違い、土の地面が広がる棟裏の空き地空間。
 そこでアルス達を待ち構えるように立っていたのはフィデロとルイス、シンシアとその従
者コンビ、そしてスキンヘッドの偉丈夫・学院教員の一人バウロであった。
 リンファとシフォンをすぐ後ろに、アルスは思わず短い声を漏らして、思わず裏口を出た
すぐその位置のままで立ち止まっていた。
 つぅっと、背中に冷や汗が伝う感触。まさかこんなに早く……向こうからだなんて。
「アルス?」
「……」
 学院への復帰が長引くと、自分は尚の事学院に居辛くなると思っていた。
 それは何もブランクが邪魔をするからではない。……正直、怖かったのだ。
 フィデロ・フィスター、ルイス・ヴェルホーク。
 この学院に入学してからようやく出来た大切な学友(ともだち)。
 怖かった。今の自分はもう一介の学生ではない。トナン皇国第二皇子という貴族身分を持
った人物であり、そう扱われる事が多くなった。
 そうした情報は、間違いなく彼らの耳にも届いていることだろう。
 不安だった。彼らはあの頃のように友達のままでいてくれるのか? それとも……。
「よう。久しぶり!」
 だが──結果から言えば、アルスのそんな心配は杞憂だった。
 エトナの怪訝にも第一声が出なかったアルスに、最初にそう気さくな声を掛けて駆け寄っ
て来たのはフィデロだった。そんな彼に場にいた残りの面々も続く。
「あ、うん……。えっと」
 始め、アルスはもごもごとしていた。
 友らと生で再会し、奥底にあった不安が一気に暗い水面から浮上してくる。
「その……ごめんなさい。今まで黙っていて」
 だから、挨拶というよりは殆ど謝罪。アルスはぶんっと勢いをつけるようにしてフィデロ
達に頭を下げるとそう謝っていた。
「え? 何で謝るんだよ。別に怒ってなんか」
「フィデロ」
 しかし対するフィデロは、まるでそんなアルスの不安など分かっていないようにみえた。
そしてそこでようやく、隣のルイスが彼の言葉を遮り、バウロやシンシアらともちらと顔を
見合わせて言う。
「……とりあえず顔を上げてくれないか? 最初に言っておくけど、僕達は君が誰であろう
とも掌を返すつもりはないから」
 頭に疑問符を浮かべながら、アルスはゆっくりと顔を上げていた。
 皇子だとは分かっている筈だ。だけども、彼らの接し方は……変わっていない。
「おう。そーゆー事。つーか何でお前の方が畏まってんだよ。何だか俺が悪いみたいな感じ
になっちゃうじゃねぇか」
 フィデロは笑っていた。バシバシとアルスの肩を叩きながら、この少年は“友”へのそれ
であるようにぶれぬ振る舞いをみせる。
 流石に「君は少し遠慮を持った方がいいと思うけどね」とルイスが静かに諌めていたが、
もうアルスの意識にその声は随分と遠くなり始めていた。
「僕の事、許してくれるの……?」
「あったりまえじゃん。つかお前、俺達に何か悪いことしたか? そりゃあ確かに皇子だっ
て知った時は俺もルイスもびっくりしたけどさぁ……」
 フィデロがニカッと笑う。ルイスもそんな幼馴染(くされえん)の言葉に首肯する。
「でも皇子がダチなんて中々できない経験だろ? 俺、今すげーワクワクしてるんだぜ?」
「……まぁ、そういう事だよ。本当、君といると飽きないよ」
「ははっ、だよなぁ。だからさ、これからも宜しく。そんでもってお帰りなさいだ」
「フィデロ君……ルイス君……」
 差し出された二人の手。静と動、二種類の笑顔。アルスの瞳にじわりと浮かぶ涙。
 アルスはごしっと袖で涙を拭っていた。そしてコクッと頷き、その二人の手をしっかりと
握り返す。
「うんっ、ただいま。これからも……宜しく」
 心配など要らなかったのだ。
 自分が思っていた以上に、彼らもまた変わらず自分を思ってくれていたのだから。
 ジェラシーのように、だけどそれを顔の出すまいとむすっとして腕を組んでいるシンシア
と、そんな彼女をにやにやと横目にしている従者コンビ。
 強面はそのままに、だが満足したように同じく静かに小さく頷いているバウロ。
 エトナら三人──アルス側の従者と相棒達も安堵の様子で互いの顔を見合わせていた。
 ……大丈夫。此処にはちゃんと理解者(とも)だっている。
 復学に、大きな前進の一歩を踏み出せた。
 そんな感触の中、バウロはアルス達三人が再会を果たしているさまの頃合を見て言う。
「この後は、やはりレイハウンドの研究室(ラボ)に行くのか?」
「あ、はい……そのつもりです。今日は殆ど挨拶回りになりそうですし……」
「そうか。なら、ここを東に──あそこの門を抜けて壁伝いに行けば、研究棟の裏口に出ら
れる。正面入口はもうマスコミが入り込んでいるようだからな」
「分かりました。ありがとうございます。では……。またね、フィデロ君、ルイス君」
「おうっ」「ああ。また後で」
 最初の不安げな表情は消えうせていた。胸の奥の暗い水面も、水が抜け始めている。
 アルスはバウロから裏ルートを教えて貰うと、ぺこりと頭を下げて礼を述べ、学友らに手
を振りながら早速歩き出していた。
 再会を一段落させ、また復学の挨拶回りへ。
 アルス達が立ち去り、やがて裏口の空き地にはバウロ達が残される格好となる。
「……マグダレン先生。どうして護皇六華のことを訊かなかったんですの? その為にわざ
わざヴェルホーク達に此処を教えて、一緒について来までなさったのでしょう?」
「ああ……。そうなのだがな」
 ぽつねんと、シンシアがバウロに訊ねていた。
 わざわざ待ち伏せた目的。だがそこに突っ込まなかった彼への疑問符。
 しかし当のバウロは、強面な容貌に慣れぬ苦笑を浮かべて答える。
「訊けないさ。あんなに学生であることを嬉しそうにしている彼に、皇子としての質問をぶ
つけるのなど水を差す真似以外の何物でもないだろう?」

 バウロの手助けはしっかりと功を奏してくれた。
 担当教官達の研究室(ラボ)が集まる研究棟の前には、既に警備の合間を縫って学院内に
入り込んだらしいマスコミ記者と、彼らを見咎め追い出そうとする警備係らとの押し問答が
繰り広げられていた。
「バウロに聞いててよかったね」
「うん……。もし真正面から入ろうとしていたら、警備員さん達もっと大変だったろうね」
 こっそりと裏口に辿り着いたアルス達は、ひそひそとそういったやり取りを交わしながら
物陰に隠れて彼らの様子を確認していた。
 確か正門で警備の者達がマスコミの要らぬ進入を食い止めていた筈だが、彼らも情報を抜
き取るのが仕事だ。全員が全員、真正面から乗り込んでくる訳もないのだろう。
「行きましょう。アルス様」
「だね。長いして勘付かれたら、それこそ彼らに申し訳ない」
「はい」「分かってると思うけど、ブレアのラボは一階の一番奥だよ」
 警備に奮闘してくれる彼らに密かな礼を送り、アルス達は裏口から研究棟に入った。
 扉の前には二人組の警備員がいたが、先刻ミレーユから受け取った許可証──何よりアル
スの顔を見て、彼らは畏まりすぐに通してくれた。
 棟内に入ってすぐ手前にあったのは階段。
 階段はエントランス奥にもあるし、無骨な金属剥き出しである事からも、こちらは非常用
のものであるらしいと分かる。
「じゃあ、僕は扉の前(こっち)に残るよ。念の為に外に誰かいた方がいいだろうから」
「あ、はい」「うむ。任せた」
 ブレアの研究室(ラボ)は、その直線廊下を折れたすぐ右手側にあった。
 ドア横に下がっているプレートには『在室中』の文字。
 アルスはエトナとリンファ、二人と顔を見合わせて頷き、見張り役を買って出てくれたシ
フォンに後ろを任せてドアをノックする。
『また記者か? 取材ならお断りだぜ?』
「あ、あの。僕です、アルスです。ブレア先生、今大丈夫ですか?」
『おお。何だお前か。ちょっと待ってろ、すぐに開ける』
 どうやら既に、彼の下にも──アルスの指導教官という事で──マスコミ攻勢が始まって
いるらしい。
 カチャリと、控えめに空いたドアの隙間からブレアの顔が覗いた。
 そして挨拶もそこそこに、そのまま小さく手招きが向けられる。
 アルス達の後ろ、壁に背を預けているシフォンの姿を視認こそしていたが、それでも用心
を重ねているようだ。アルスは頷き、二人と一緒にドアの隙間へと身体を捻じ込んでいく。
「……あのエルフの兄ちゃんは、見張りか?」
「あ、はい。念の為、ですけど」
「そっか。まぁ用心するに越したこたぁねぇさ。適当に座っててくれ。こっちももうちょっ
とで終わるからよ」
 アルス達が入室したのを見て、ブレアはしっかりと鍵を掛けて振り向くとそう言った。
 頷き、相変わらず書物で埋もれた室内を跨ぎながらソファに腰を下ろす。
 その一方でブレアは、ガタリと小さい脚立に乗り、室内の壁四方に何やら文様(ルーン)
を書き込んだ長布をピンで留めて回っていた。
「教官殿。それは……?」
「ああ、これ? マスコミ対策だよ。アルス、エトナ。お前らなら分かるだろ」
「え? ええっと……」
「この構築式は……。もしかして遮音魔導(サイレス)、ですか?」
「正解だ。一応警備員が近くを回ってるが、いつまたマスコミ連中がやって来て聞き耳を立
ててくるかも分かんねぇしな。お前だってそんな状態でゼミは嫌だろ?」
「そ、そうですね……」
 アルスの苦笑に、ブレアはふっと口角を吊り上げていた。
 そして脚立に座ったまま、彼は長布に掌を当てて数秒呪文を唱える。
 するとどうだろう。それまでは何の変哲もなかった布地が淡い銀色の光を帯びた。
 ブレアが触れていた部分を発端に、魔力を注がれた術式が発動、室内の四方を遮音の魔導
が瞬く間に包んでゆく。
「……ん。こんなもんかね」
 閉じていた目を開き、ブレアはそのままストンと脚立から飛び降りた。
 着地したその片足を引っ掛け、手馴れた様子で脚立を折り畳むと、彼はそのままそれを書
棚と壁の間の空きスペースへと収納する。
「わざわざ、お手数を掛けます」
「気にしなさんなって。皇子だろうが誰だろうが、一度受け持った以上は俺の生徒だ。やれ
る事があれば何でもするさ。学院長からも宜しく頼むって言われるしな」
 チカラに屈することないさまは、教え子が皇子であると公になっても同じだった。
 リンファが座ったまま小さく頭を下げる中、彼はニカッと笑いながら自身もまたソファの
対面にどかりと腰を下ろす。
「こっちこそ悪ぃと思ってるよ。こう連中が集ってくるのは分かってたんだ。ラボの場所も
本当ならもっと上の階に移したかったんだけどな……。学院長にも打診はしたんだが、肝心
の変わってくれる相手の調整がつかずじまいでさ」
 そう“有名税”の悪癖に苦笑しつつも、語るブレアの顔色はむしろ喜色に思えた。
 お気遣いなく。アルスもまた苦笑を返すが、内心は嬉しかった。
 ルイスやフィデロも、そしてこの第二の師匠も、変わらずに自分と接してくれる。皇子と
いう身分に臆することない強さと優しさを惜しむことなく向けてくれる。
 暫くの間、師弟は語り合った。
 時折エトナやリンファも会話に加わったが、彼女達は見守る場面の方が多かった。
 既にホームに帰って来て一夜の頃、アルスはブレアに通信により連絡を取っている。それ
でも中々話は尽きなかった。
 皇国(トナン)内乱の顛末と、公にされた自分達兄弟の正体。
 ブレアも映像器で観ていたという、兄ジークの突然の出奔。
 そして学院で学んだ中和結界(オペレーション)が、まだまだ“結社”の魔人(メア)達
を捉え切るには足りなかったこと。
 その悔しさ。もっと強くならなければというアルスの決意。
「……ったく、無茶しやがって」
 流石に“結社”と交戦したという事実を聞いた時、ブレアは思わず目を見開き、そして嘆
息を漏らしていた。
「でもまぁ、よく帰って来た。それでこそ俺の生徒だ」
 髪をガシガシ。だけども安堵の念はそれよりもずっと大きくて。
「だが今日からはまた、修行の再開だ。皇国(むこう)にいた間のブランク、俺がみっちり
としごいて埋めてやるからよ」
「あっ。そうでした。その事なんですけど……」
「?」
 再びの不敵な笑み。相手が皇子であるとしても、あくまでブレアは教官として振舞う。
 するとその言葉で思い出したように、アルスはふと傍らに置いていた鞄を弄り始めた。
 ドスンと。ややあってテーブルの上に置かれたのは──付箋だらけな分厚い魔導書の山。
 エトナを除く二人が、ぱちくりと目を瞬いていた。
 まるで我が事であるかのように胸を張ってみせるエトナを背後に、アルスは苦笑する。
「いきなりですみませんが、先ずはこれを添削して頂けませんか? 実は皇国(むこう)に
いた間、王宮の司書さん達に頼んでこっちで使っていたテキストを取り寄せて貰っていたん
です。万全とは言えないですけど、勉強を休んではいられませんから」
 暫し二人は唖然とした様子で固まっていた。どうやら侍従であるリンファも与り知らぬ事
であったらしい。
 それでもアルスの表情(かお)は、穏やかさから真剣神妙なそれに為っていた。
 学び、練り上げて来た自分の魔導が“結社”に通用しなかった。まだまだ……足りない。
 そんな実戦での悔しさの記憶が、彼を弛まぬ努力の継続へと突き動かしていたのだろう。
「…………は。ハハハッ!」
 はたと、ブレアは大声で笑っていた。
 片掌で己の顔を覆い、仰け反るように大きくソファに背を預けながら。
「こいつあ……参ったな。ホント、それでこそ俺の生徒ってもんだよ」
 やがて反動をつけて、再びずいっと身を乗り出す。ブレアは笑っていた。
 賛辞。その意図だったと気付くのに、アルスは目を瞬いたまま数秒の時間を要した。
 ペン立てから赤色を一本。ブレアはそれを指の間でくるりと回す。リンファはそんな師弟
のさまを微笑ましく見守っている。
「その心意気、嫌いじゃねぇぜ? これも縁って奴だ。心配すんな。これからもとことん付
き合ってやっからよ」
「……はいっ」「お~っ!」
 破顔と突き上げられた腕と。
 アルスとエトナはそれぞれに頷き、この恩師に満面の笑みを返していた。


 断続的に重なり合う金槌や鋸の音が耳に届いてくる。
 ここは皇都トナン。つい半月ほど前まで、二十年近くに及ぶ内戦の戦禍(なげき)を抱え
続けてきたこの国の首都だ。
 だがその長きに渡った争乱も、此度遂に(一応の)終結をみることなった。
 他ならぬ、先皇の遺された血脈とその仲間達によって。
「…………」
 今、この国は復興に向けて動き始めている。
 都の外れに位置している此処スラム街からでも、断続的に金槌や鋸の音が聞こえてくる。
 彼らは建て直している。戦火に巻き込まれた街並みを再び。
 そして、何もそれは家屋という物理的なものばかりではない。
 手を取り合うこと。
 以前より付き合いのあった者同士は勿論、かつて先皇派や現皇派という派閥に分かれて諍
いを繰り返していた領民らも、少しずつだが共に手を取り合い、皇都──皇国の復興を目指
しているように思える。
 だが──。
 御婆(ナダ)は一人、自宅のあばら家の軒先に腰掛けながら目を細める。
 それはあくまで“当面の共通項”である筈だ。
 何時になるかは分からない。
 しかしこの国がかつての活気を取り戻した時、再び人々は争いを繰り返してしまうのでは
ないか? そんな懸念──確信に近い嘆息が己の胸の奥から頭をもたげ、こちらをじっと見
つめている気がする。
(まぁ野暮、なのだろうけどね……)
 それでも彼女は、そんな自身の未来への不安を誰かに漏らすことはしなかった。
 束の間の平和であっても。これが単に“争いの目立たない時節”でしかないとしても。
 今、この国の人々には希望がある。アズサ皇の苛烈な為政から解き放たれ、今この時を手
を取り合って進めばきっと新しい国が作れる──。
 そんな希望の火に水を差すのは、何のプラスにもなりはしないのだから。
 でも……それでも。
 滅びや衰退の瞬間(とき)を想起し、密かに怯えてしまうのは、やはり……。
「お、御婆!」
「御婆、居ますか!?」
 見知った顔のスラムの住人が数人、はたと彼女の家に駆け込んできたのは、ちょうどそん
な時だった。
 若い者を数人引き連れた中年の男。時折自分が医師として仕事をする際、力仕事を手伝っ
て貰っている面子の一人だ。
「……居るよ。そんなに慌ててどうしたんだい?」
 彼らは大層狼狽した様子だった。
 軒先の椅子に座っていた彼女を認めると、彼らは息を荒げて駆けつけ、ぜぇぜぇと肝心の
語る事もできずに激しく肩で息をするばかりになっている。
「ととと、とにかくた、大変なんだよ!」
「お、おおぉ……おっ」
「落ち着きな。そんなんじゃ何を言ってるか──」
「御婆さま」
 だが、その理由を彼女もすぐに知ることになる。
 彼らの背後から飛んできた声に、彼女はハッとした表情(かお)になっていた。
 それは驚愕の類。見開いた瞳が揺らぎ、一足先に伝えようとやって来た彼らと共に彼女は
ゆっくりとその声の主に視線を向ける。
「お久しぶりです。……此処におられたのですね」
 そこに立っていたのは。
 護衛の兵士や従者らを引き連れた、新女皇・シノその人で。

「陛、下……?」
「なんで。何で陛下がこんな所に……」
 次の瞬間、場にどよめいたのは動揺。
 彼女へ伝えに走ってきた先の彼らは勿論、異変に気付いて方々から顔を出してきたスラム
の住人達は皆口々に呟き、驚きを隠せないでいる。
「……何の用だい? ここはお姫様が来るような場所じゃあないよ」
 だが唯一、当の御婆当人だけは変わらず冷静を保っているように見えた。
 いや……違う。拒絶だった。
 彼女はちらとシノ一行を一瞥しただけですぐにその視線を逸らし、再び遠くの復興の音に
身を預けて始めている。
「随分と自虐的じゃないですか。御婆──いや、ナダ・カシワギ元王宮医務長殿」
 しかし想定の範囲内だったのか、一行はそんな彼女のつっけんどんな態度にも動じない。
 代わりに、先程よりも一層大きくどよめいたのは、他ならぬスラム街の人々だった。
「な、なんで御婆の名前を」
「いや、それよりあんた。さっき王宮医務長って……」
「そうだ。この方は、カシワギ医務長。先々代より王宮に仕えてくれていた医務官だ」
 詰め寄ってくる声と姿に、同行者の一人でもあったサジが再び伝えるように答えた。
 ぐらぐらと、瞳が揺れ動く。
 住人達が酷く戸惑ったように、シノ一行と御婆──ナダを何度も交互も見比べている。
「御婆……」
「本当、なのか? 宮仕えしてたのか?」
「……ああ。もう何十年も前の話だけどね。今はこの通り、落ちぶれた藪医者さ」
 そして今度は此方へおずおずと問いを投げ掛けてくる彼らに、当のナダは深く息をついて
から答えていた。
 だが、その様子は明らかに渋面。
 小さな丸テーブルの上に肩肘を置き、まるで「余計な事を喋りおって」とでも言わんばか
りにサジへと白眼視を遣る。
「それで? 今更この老いぼれに何の用だい? シノ様もあんた達も、今はこんな所で油を
売っている時じゃないだろう」
「大丈夫です。皆さんの事を、信じていますから」
 今度はシノ自身が口を開く番だった。
 実質上の新しい皇。その当人がこんな場所まで足を運んできた事実に、彼女がざりっと土
の地面を一歩踏み出しただけで、住人達はすっかり畏まり萎縮してしまっている。
「今日訪ねたのは他でもありません。……御婆さま。王宮に戻って来て下さいませんか?」
 お願いします。
 すると次の瞬間、シノは何の躊躇もなく深く頭を下げていた。
 益々驚いたのは住人達の方だ。
 既に政務の場で腰の低い彼女を見てきたこともあってか、随行していたサジら面々はさほ
ど狼狽の色を見せなかったが、王がいち元臣下に頭を下げて頼み事をするなど、庶民からす
れば常識をひっくり返すような行動だったのである。
「……。嫌だね」
「ちょっ!?」「御婆!?」
 しかしナダは、たっぷりと間を置いてから拒んだ。
 王直々の懇願を断るなんて。
 住人達は焦ったように彼女を窘めようとしたが、彼女はシノ達から視線を逸らしてそっぽ
を向いた体勢のまま、ぼんやりと中空を眺めていた。
「大方、アズサ殿が死んで旗色が悪くなった連中が逃げていってるって所か。それであたし
達昔の官吏を呼び戻して人材不足を補おうとしている。……違うかい?」
「……流石ですね。その通りです」
「はん。それぐらい、今の状況を見渡してみれば猿でも分かるよ」
 見破られていた。
 官吏の何人かが不利になるとみてか、シノに今日は引き下がろうとの耳打ちをしたようだ
ったが、彼女はその申し出を退けた。
 幼い頃を知っているからか。或いは元々の歯に衣着せぬ物言いであるからか。
 相手がこの国を治める皇であっても、ナダの返す言葉は少なからず挑発的に思えた。
「勿論、新しく登用する準備も始めています。ですが彼らだけでは政務を満足に──国の皆
さんの暮らしを支えるには不十分です。すぐには間に合いません。だからこそ、私はかつて
両親や祖父母と共にこの国を支えてくれた御婆さま達の行方を調べて貰い、こうしてお願い
をして回っているんです」
 それでもシノは気分を害する様子はなかった。
 傍目から見れば、王に喧嘩腰で話している不届き者の老婆と映るのかもしれない。
「……正直、凄くホッとしているんですよ?」
 しかし当の女皇は──かつての皇女は、そんな風には思っていないらしい。
「あの日以来、行方知れずになってしまった王宮の方も少なくないのですけど、貴女は生き
ていた。生き延びていてくれた。それが、嬉しくて……」
 矍鑠(かくしゃく)とした老練の分析眼も、誰であろうとも歯に衣着せぬ強い意思も。
 全てが、懐かしかった。
 皇女として、一人の少女として、かつて同じ屋根の下で暮らした“家族”の無事を直に確
認することができて嬉しくて。
 微笑みを零しながらも、この新米女皇は潤んでくる両の瞳をそっと指で拭っている。
「…………。何でさね」
 変化は、そんな最中のことだった。
 それまで無愛想にそっぽを向いていたままのナダが、突如ギリッと歯を食い縛る様子が見
て取れたからだ。
「てっきりあたしは、貴女に恨まれていたとばかり思っとったのに」
「? 御婆、さま……?」
「……戻る訳にはいかないんだよ。あたしは、逃げたんだ。あの日、ご夫妻──アカネ様と
シュウエイ様がアズサ様の軍勢に殺されると分かっていながら、わたしは逃げたんだよ?」
 シノが驚きで目を見開いている。
 ゆっくりと、ナダが肩越しに彼らを見遣る。
「あの方達は分かっていた。あの方達は自分達が殺されると分かっていたんだ……。あたし
だって、アズサ様の不穏に気付いてなかった訳じゃない。なのに、なのにお二人はその事を
打ち明けられるとあたしを逃がそうとしたんだよ。『御婆は逃げて下さい』『皆を連れて、
できるだけ僕達以外に犠牲者が出ないように』ってね……」
 それは告白だった。
 住人達も、サジ達も、そしてシノも少なからぬ驚きで言葉を失う。
「勿論、最初は拒否したよ。医者として、一人の人間として、死ぬと分かっている主君達を
みすみす見殺しになんてできないってね」
「……」
「でも、お二人は譲らなかった。生きてくれとあたしに言って……結局、あたしは逃げた。
命令に従ったんじゃない。逃げたんだよ……。自分の、我が身の可愛さでね……!」
 バンッと、彼女はテーブルを力いっぱい叩いていた。
 老年でやせ細った顔や歯がぶるぶると震えている。最後の言葉辺りは、思わずほぼ叫び声
なっていた。
「王宮(あそこ)に戻る資格なんて無い! あたしは、陛下達を見捨てたんだっ!」
 辺りの空気がビリビリと震えるようだった。
 皆が大きく目を見開いたまま、言葉が出なかった。
 罪の告白だった。それは長年彼女が閉じ込めてきた、苛烈なまでの後悔だった。
 住人達は互いの顔を見合わせていた。
 戸惑い。だが同時に急速に彼らの中に広がっていくのは、ある種の納得でもあった。
 普段──此処の住人の多くがそうとはいえ──彼女が厭世的であったなのは、そんな過去
を隠していた為だったのだと。
「……、ですが、貴女は辞めなかった。医師という仕事を」
「──ッ!?」
 しかし沈黙を破ったのは、サジのそんな言葉だった。
 隣で我が事のように胸を痛め、今にも泣き出しそうに顔を顰めていた主君(シノ)に一度
視線を遣って頷き、再び目を逸らそうとしていたナダに彼は語りかける。
「それ、は……ヒトの健康に関わる仕事なら食いっぱぐれやしないから──」
「いいえ、違う。ナダ殿……貴女は贖罪のつもりだったのではありませんか? 逃げ延びた
先がスラム街(ここ)だったことも、此処で自称藪医者を続けたのも。あのクーデターの日
に助けられなかった、先代御夫妻への償いであったのではありませんか?」
「……違」
「貴女だけではないのですよ。悔やんだのは、私達近衛隊一同も同様です。故に私は一時、
レジタンスまで組織してアズサ皇に“弔い合戦”を挑んでいた」
 シノが、何処か申し訳なさそうな表情をしていた。
 それでもサジは語ることを止めなかった。ギュッと、握り締めた拳に無意識に力が入る。
「……ですが、違ったのですよ。我々が陛下達より託されていたのは、杓子定規な忠義じゃ
ない。自分達がいなくなった後でも、領民達が安心して暮らせる──そんな世の中だったの
だと今では思っています。だから私は、内乱の片棒を担いだ者として後ろ指を差されようと
も此処に残る決意をしています。……きっと、生きている限りはまたやり直すことはできる
と思うのです」
「……。キサラ──」
 ぼふっと、はたとナダを包み込む感触が全身を伝わったのは、ちょうどそんな時だった。
 今度はナダが目を見開いている。突然自分を抱き寄せてきたのは──シノだった。
「隊長さんの仰る通りです。御婆さま」
 ふわっと心地よい匂いがする。シノは何回りも年上の老婆をしっかりと抱擁して呟く。
「私は、恨んでいません。御婆さまを恨むなんて筋違いじゃないですか。……もう、あの争
いは終わったんです。だからもう貴女も、あの日々に囚われないで」
「……ですが、私、は……」
「いいんです。貴女はあの頃から変わっていない。厳しくも優しい、私たち皆のお医者さん
のままです。……ご存知ですか? 私が亡命先(サンフェルノ)で魔導医をしていたのも、
全部御婆さまがいたからなんですよ? 身分に関わりなく、生命を守る──。その強くて気
高い姿に、私は幼い頃からずっと憧れていたんです。だから逃亡生活の途中で取った最初の
専門免許(スキルドライセンス)も『医薬師(ドクター)』でした」
 ハッと、ナダが彼女の腕の中で目を見開き、頬に涙を伝わらせているのが分かった。
「……ずっと、御婆さまは此処の皆さんの生命を守ってきたんじゃないんですか? それも
私は凄く素晴らしいことだと思います。……資格がないなんて、言わないで下さい」
 きゅっと、抱き締められたシノの背中に触れ返す。もう涙を堪えることはできなかった。
 暫く、ナダはボロボロと泣いていた。
 長年の罪悪感から解放されたからなのだろう。親子以上の歳の差がある二人は、抱き合っ
た体勢のまま、ゆっくりと互いのココロの距離を埋め直しているかのようだった。
「──御婆」
 やがて、そんな二人に──いやナダに向かって一人のスラム住人の男性が進み出た。
 もう一度、確認するように了承を取るように他の皆の首肯を見遣った後で、彼はそっと彼
女達の屈む位置まで自身も片膝をつき、目線を合わせてから言う。
「王宮に戻りなよ。もう、突っ撥ねる理由なんてねぇだろ?」
「……。だけど、あんた達は……」
「大丈夫。俺達なら心配ないって」
「今までも手を取り合ってやって来たんです。これからも皆で乗り越えてみせますから」
「つーか、陛下直々の頼みを断っちまったら女傑族(アマゾネス)の名に傷が付かぁ」
「……だからさ、御婆は王宮で存分に陛下を支えてあげてくれよ。それがひいては俺達や国
の皆の安心安全になるんなら、こりゃあもう送り出すしかねぇじゃん。なあ?」
 おうよ! 青年住人の声に皆の快諾が重なっていた。
 ポカンと、ナダはシノを抱き締めたままそんなスラム街の仲間達を見遣り……そして彼ら
の激励の意図を悟ったらしい。
「……分かったよ。戻るさ、戻りゃあいいんだろう?」
 ナダは苦笑していた。何時もの憎まれ口な口調が戻り始めていた。
 だが、そこに自らを閉じ込めた悔恨は、もう殆ど見られない。今は九分九厘の照れ隠しだ
けがそこにはあった。
「御婆さま」「御婆殿……」
「負けたよ、シノ様──いや、陛下。それにキサラギも。こんな老いぼれの藪医者でいいん
なら、もう一度だけ御奉公をしてみようかねぇ」
 シノはサジ達一行と顔を見合わせ、満面の笑みを咲かせた。
 ナダもフッと口角を吊り上げて静かに、そんな美しく成長した姫君に微笑みを返す。

 もう一度。此処からやり直す為に。


「──日程が決まった?」
 その報告が上がって来たのは、アルスが学院への復学を果たし数日が経ったある日の夕食
時のことだった。
 何時ものように──かつてのように団員達(みんな)とホームの酒場で食卓を囲んでいる
最中、はたとイヨの携行端末に通信が入り、暫しの退席の後戻ってきた彼女によってもたら
されたものだった。
 もきゅっとハムを挟んだパンを急いで咀嚼して飲み込み、アルスは問い返す。
「はい。先程アウルベ伯サイドより連絡が入りまして。会場のセッティングや出席予定者へ
の通知準備などが整ったとの事です。後はアルス様のスケジュールを中心にタイムテーブル
を組むつもりだと」
 少々あたふたとしつつ、イヨは眼鏡のブリッジを押さえながら言った。
 席に戻ってきた同僚(とも)の手にするその端末を、リンファも酒を一口飲んでから受け
取り、交わされた内容を確認している。
「僕の、ですか……? 伯爵はいつ頃を予定しているんでしょう?」
「は、はい。えぇと……今度の聖女の休日。週末ですね」
「何だ。それなら大丈夫じゃん。学院も継日(=導者の継日:第十二曜日)と休日はいつも
休みの日だし、ちょうどいいんじゃない?」
「うん……」
 喉を潤し直すよう、コクンコクンと牛乳を飲み干し、アルスは頷いていた。
 エトナは偶然と思っているようだが、おそらくは伯爵側が自分が学院生であることを考慮
した上で組んでくれたのだろうと思った。
 気を遣わせちゃってるのかな……。一々気にし過ぎかもしれないが、アルスは内心どうし
ても相手への遠慮ばかりが胸の奥を駆けてゆく。
「……大丈夫です。僕達ならその日でオッケーだと伝えておいてくれますか?」
「畏まりました。では早速返信致します」
 揉み消しては沸き、揉み消しては沸くそんな不安を再びそっと押し込め、アルスはそう半
ば無意識に笑顔を取り繕って告げていた。イヨもしっかりと首肯してその意思を受け取り、
早速端末の画面をタッチして返事の文面をタイプし始める。
「……決まっちゃったね。アルスの社交デビュー」
「うん……。でも避けては通れない道だし、いい加減慣れていかないといけないしさ……」
 団員達(まわり)も、少なからずざわめいていた。
 そんな中で、アルスは相棒(エトナ)からの改めての声に苦笑を返すに留まる。
 以前リンファも言っていた事だが、アウルベ伯側としては一国の皇子の留学に自分の領地
を選んでくれた、その歓待をしないことは内外に対しても礼を欠く事になるという。
 個人的な本音を言えば、もう“歓迎”なら今日までこれでもかという程受けてきているの
で今更感はあった。だがここでそんな感慨を口にする必要性もないだろう。
 何よりも、自分は決めたのだ。
 父さんを連れ戻しに飛び出して行った兄の、新政権の確立に試行錯誤している母の、その
力に助けに少しでもなるのだと。
 それは、共同軍と一緒に皇国(トナン)の内戦の中へ飛び込む際に何度も自分に言い聞か
せたことではないか。
「う~ん……。そうなると、私達もアルス君の警護に出る必要があるわねぇ」
 そんな考えを巡らせ、不安な自分を宥めていると、アルスの耳にフッとイセルナの声と唇
に指先を当てる仕草を見聞きすることができた。
 ダンやハロルド、シフォン──クランの残りの中核メンバー達も、それぞれの席に着いた
まま深く頷いてみせ、早速当日の人員の割振りを話し合い始める。
「つっても、全員が全員で押しかける訳にもいかねぇんだよな?」
「だね。社交会っていう性質上、僕らみたいな“荒くれ者”はあまり場に上げたくないだろ
うし……最低限の護衛プラスクランとしての挨拶、くらいでいいんじゃないかな」
「ふーむ。まぁ別に警備は俺達だけでやるもんじゃないだろうしな。そうなると……誰が付
いて行くよ?」
「順当に考えれば、先ずイセルナとリンファだね。イセルナは私達の代表だし、リンファは
アルス君の側役として付いて行く……と」
「そうね」「ああ。そのつもりだよ」
「…………」
 そうしたやり取りを、アルスはぼうっと眺めていた。
 話題は他ならぬ自分の事だ。なのに、何処か他人事のように思えてしまうのはまだ自分に
皇子としての自覚が足りないからか。それとも……仲間達の中で、自分達兄弟だけが変わっ
てしまったと感じているからか。
(……いやいや、何を考えてるんだ。僕も兄さんも知らなかっただけで、皇子だっていう血
筋自体は元々からあったことじゃないか)
 アルスはふるふると首を振った。嫌な思考だ。自分でもそう思った。
 その理屈ならリンファさんも元近衛隊士という過去を隠していたのだし、イセルナさんも
彼女から凡その事情を聞いてたのに、ギリギリまで“普通”を維持してくれたではないか。
 なのにそんな思考自体、自分から皆との間に「壁」を作ってしまうもののようで……。
「──それじゃあ、決まりね」
「ああ。俺とシフォンは留守番。イセルナとリン、あとハロルドも情報収集要員として同行
する。必要なら団員(みんな)を何人か引っ張っていってもいい」
「そうだな。まぁ、人数によっては一度伯爵側(むこう)に打診しておいた方がよさそうで
はあるが……」
 やがて、酒場の席を囲んだままの話し合いは結論を見たようだった。
 団長としての挨拶周りをイセルナが、アルスの警護関係をリンファが、そして今後に備え
て出席者達──近隣諸侯らの同行を探る役割をハロルドがそれぞれ担当することになった。
「ああ。そっち方面は侍従衆(おまえら)に任せるよ。俺達はただアルスを護る、それだけ
に専念すりゃあいい」
 イセルナ達を含め、団員達はピンと張った緊張を緩めたような気がした。
 話はまとまった。後は備えをしながら当日を待つだけ。そんなある意味上手なオンオフの
切り替えが面々の間で伝播したかのようだった。
「……待って」
 そんな時だった。それまで状況を見守っていたミアが、ふと小さく挙手をしたのは。
「ボクも、出席する」
「あん? 何だよミア。お前、社交会に興味があるのか?」
「そうじゃ……ないけど」
 真っ先に怪訝の表情(かお)をしたのは、父でもあるダンだった。
 色気づいたか? そんなニュアンスの軽い問いを投げ寄越すものの、どうにも彼女の様子
がおかしい。
「……歓迎会には、シンシア・エイルフィードも出るんでしょ?」
「ん? ああ。セドさんの娘っこさんか?」
「そうですね……。打金の街(エイルヴァロ)は此処からは離れていますし、ちょうど同じ
く街に留学しているとなれば、セオドア伯の名代として出席する可能性は高いと思います」
 脈絡もなく出てきた名前のように思えた。
 しかし返信を終えていたイヨが、少し思案顔をしつつもそう肯定する事で、団員達は所々
で「あぁ……」と納得をしたような、苦笑いのような表情をし始める。
「? ミアさん、シンシアさんと何か──」
「だ、だったら私も行きたいな~。ねぇいいでしょ、お父さん?」
「……やれやれ。大人しくしているのなら構わないよ。尤も、アルス君がオッケーすればの
話だけど」
 今度はレナが、何故か慌てたように自分もと割り込んで来た。
 アルスは益々その変化に対し頭に疑問符を浮かべるばかりだったが、次の瞬間ミアとレナ
からじぃっと注がれる懇願の眼差しに、
「う……。い、いいですよ? 少しでも知っている人がいれば僕も心強いです、し……」
「! やった」「……ありがと」
「い、いいえ……。とんでもない」
 思わずコクコクと承諾の首肯を返してしまう。
 二人は嬉しそうに見えた。
 彼女達も年頃の女の子なのだ。多分、煌びやかな社交界というものに対し憧れがあるのだ
ろう。アルスは何となくハッキリとしないもやもやを抱えつつも、そう結論付けておくこと
にする。
(……私は、流石に無理かな。魔人(メア)だってバレたら大騒ぎになるだろうし……)
(そう、かな……。ごめんね? いっぱいお土産持って帰るから)
(それはそんなに気にしなくてもいいんだけど……。それより、やっぱりさっきのってミア
へのフォローで声を上げたんだ?)
(うん。ミアちゃんも気が気がでないんだよ。あのシンシアさんって人、間違いなくアルス
君に気がある感じだったもん。ね?)
(……二人には、隠せないな)
(おお。図星かー)
(そりゃあ分かるよ~。何年友達だと思ってるの? 恋する乙女は無敵なんだもん。ね?)
(こ、恋する、乙女……)
 そんな一方で、レナ・ミア・ステラの三人娘は申し合わせたようにテーブルに顔を寄せる
と、そうひそひそと話し始めていた。
 本音は、心配だったのだ。
 ミアの想い人(アルス)が、シンシアという本物の貴族の女の子によって取られはしまい
かと。そう恋する当人とその友人達が一瞬にして気持ちを一つにしたのである。
「……。ホント、罪な優男(オトコ)だよねぇ。アルスはさ」
「??」
 唯一、精霊の高い五感で以ってそんな女子ズのやり取りを把握していたエトナが呟く。
 勿論、心根こそ優しいが学問以外の知識には疎いアルスにそんな機微が分かる筈もなく。
 ただ……この時の“選択”が後に大きく影響するなど、誰一人知る由もなく。

「──話だと、この辺りの筈なんだが……」
 時を前後して。ジーク達四人は、人里から離れた獣道の中を往っていた。
 伸び放題な茂みを掻き分け、ガサガサと足音を立てながら深い緑の中を進んでゆく。
「いきなり“落ちる”ことがないようにね? 場所が場所だから」
「分かってるよ」
 声色は、明らかに強張っている。
 後ろをついて来るそんなリュカらの声に背中で応えつつ、ジークは布包みに包んだままの
六華を転ばずの杖よろしく使いながら時折草むらを突き、歩を進めてゆく。

 事の発端は、灯継の町(ヴルクス)を経った後に立ち寄った小村の茶屋だった。
『え? また出たのか……』
『ああ……。今月だけでもう二十人越えだってよ』
 少し休憩しよう。そういう事になり何となく立ち寄っただけだったが、ふとその休憩中に
居合わせた他の二人連れが何やらひそひそと話しているのを耳にしたのである。
『なんだかなぁ。反対を押し切って慰霊碑まで建てたってのにさ……』
『仕方ねぇよ。地元が“自殺スポット”扱いされちゃあ、気分よくいろって方が無理な注文
だろうし』
『……』
 羊羹をもきゅと口の中で咀嚼しながら、ジークは肩越しにその地元の人間らしき若者二人
のやり取りに眼を遣り始めていた。その間も彼らは、ジークやその視線に倣った仲間達の挙
動に気付くことはなく陰気な様子でひそひそ話を続ける。
『嘆きの端(はし)、か……』
 二人組の、話を降られた側の若者がそうごちる。
 ジーク達は、それぞれに眉間に皺を寄せて黙り込んでいた。
 ──セカイは、マナの雲海「霊海」に覆われている。
 自分達がこうして暮らしている各大陸群も、そんな霊海の中に浮かべられた陸地という名
の破片に過ぎないと言ってもいい。
 故に、大陸には必ず“端”がある。即ちそこは大陸と霊海の境目だ。
 故に、その境目はしばしば人々が身を投げる場所となりうる。即ち自殺スポットである。
 ある者は、様々な理由からこのセカイに絶望して。
 ある者は、瘴気に中てられた身──迫害される自身の存在理由を見出せずに。
 彼らは身を投げる。霊海という恐ろしく濃いマナの中に身を投げれば、それは即ち自分と
いう存在が生命そのものに還る──形の上では死と同義となるからだ。
 瘴気に中てられた者であってもそうでなくても、其処は等しい消滅を可能にしてくれる。
 故に人々は名付けた。誰が言い出したかは、もう誰も知る術はない。
 “嘆きの端”。セカイ各地に点在する、霊海へと身を投げる自殺スポットの総称。
 だが彼ら二人組の言うように、死者の魂を慰めようとする動きもない訳ではないのだが、
一方ではその地元住民には“風評被害”と取られる場合も少なくなく、往々にしてセカイは
そうして身を投げる絶望者達を止める事ができないでいるのが現状だった。
『…………』
 ジークがおもむろに立ち上がったのは、ちょうどそんな時分だった。
 何を? 怪訝をみせた仲間達が止め始めるよりも前に、彼はこの二人組の席へと近付いて
いくと言ったのだ。
『あんたら。その話、よければ詳しく聞かせてくれないか?』

 不意に四方八方からの緑が途切れ、視界が開けた。
 同時に肌に伝うのは少し寒いくらいの風。
 視界の先には、今自分達のいる大地の“端”が見えていた。当然、その更に向こう側には
延々と霊海──マナの雲海が粛々と広がっている。
「着いたみたいですね。嘆きの端」
「……ああ」
 ジーク達は自分達が通って来た獣道を一瞥して顧み、再びゆっくりと歩き出した。
 先刻までほどではないが、辺りは人の手は殆どと言っていいほど入っていない。地面は石
畳などの舗装も一切無い土だし、周りにあるのは草木──自然物ばかりだ。

『寄り道をしている場合か?』
 最初、ジークが例の二人組から話を聞いてこの嘆きの端へ行ってみようと言った時、先ず
慎重な意見を述べたのはサフレだった。
『まぁ手を合わせるくらい、あってもいいとは思うけど……』
『あまり僕は勧めないな。誰にも会わなければいいが、地元の住民などと顔を合わせてしま
えば余計なトラブルにもなりかねない。……避けられている場所だということは、いくら君
でも知らない訳ではないだろう?』
 確かに何時までに何処に行かなければならない、というスケジュールのある旅ではない。
 だがこの戦友にして一国の皇子である彼の提案の意味に、仲間達はすぐには気付けなかっ
たのである。
『……。ずっと考えてたんだよ』
 ジークは茶屋を出た後、渋る仲間達にそうごちていた。
 視線は遣らず、ただ空を──遠く霊海の中に点在する大陸を見上げながら背中で語る。
『結社(れんちゅう)は、オートマタ兵や下っ端連中を除けば魔人(メア)だ。……分かん
ねぇんだよ。一体、あいつらと他のメアと、何処で掛け違いがあったのか』
『? 何を……?』
『それって、ステラちゃんの事……ですか?』
『……ああ』
 マルタがおずと問い返し、ジークが肯定した事で、ようやくサフレ達は彼の意図する所を
把握できていた。ジークは皆に背を預けたまま、訥々と続ける。
『俺達は知ってる。ステラみたいに、望まないままメアに為っちまって二進も三進もいかな
くなった奴だって沢山いる筈だ。あいつの場合は、たまたま俺達が見つけたからこそ居場所
もできて、シフォンの一件があってからは随分と明るくなってる。……だからこそ、余計に
分かんなくなるんだよ。少なくとも“魔人(メア)だから悪人”じゃねぇ』
『……』
『そうだな。だが──』
『分かってる。“結社”が数え切れないくらいの犠牲者を出してるテロ集団だって事実は、
どうやったって変わらねぇよ。今更許しはしねぇさ。でも、だからって……』
 仲間達は眉間に皺を寄せて、不安そうに眉根を伏せて押し黙っていた。互いに顔を見合わ
せて、どう彼に応えたらいいか思案をする。
 やがて代表して答えたのは、サフレだった。
『……分かった。君の希望通り、その嘆きの端に行ってみよう。ある意味メアにとっても関
係の深い場所だからな。もしかたら“結社”のエージェント達の“理由”について、何か取
っ掛かりが見えるかもしれない』
『ああ』
『だが、混同するなよ? 魔人(ヒト)は皆一様じゃない。良いメアもいれば、悪いメアも
いるというだけだ。……“敵”に情を掛けていたら、死ぬぞ』
『……。分かってる』

(……あら? 先客がいるみたいね)
 最初に気付いたのは、リュカだった。
 その言葉に、ジーク達思わず視線の向こうへと目を凝らす。
「……」
 そこに居たのは、一人の男性だった。
 刈り上げた短い髪に浅黒い肌。無駄なく引き締まった筋肉質の身体。
 ボロボロに着古した僧服らしき上着と首に下げている黒い数珠からして、どうやら修験者
の類であるらしい。
(あれは……鉱人族(ミネル・レイス)か)
(ミネル? それって確か──)
(鉱物系の亜人ね。彼らの主な住処は山岳地帯の筈だけど……)
(何か、やっているみたいですね)
 改めて、ジーク達は遠巻きにこの僧侶風な鉱人族(ミネル・レイス)の男性を見遣る。
 彼は独り、嘆きの端の一角に片膝をついてじっと手をかざしていた。
 そこにあったのは……小振りな石の塊。加えてそれには磨かれたような光沢があり、遠目
から見ても人工的に切り出した石材である事が分かる。おそらく、あれが茶屋で若者達が話
していた慰霊碑なのだろう。
 しかし、その石碑は──割られていた。
 明らかに力ずくで叩き割られた痕跡だった。
 そのヒビは深く、石碑の上から三分の二ほどの深さにまで達している。
 おそらく、自殺スポットと化した事を快く思わない誰かによる意趣返し──鬱憤晴らしの
類なのだろう。
 そんな傷付いた石碑を、僧侶風の男はそっと撫でていた。
 その横顔は眉間に皺を寄せた神妙なものであり、そして何よりも沈痛の色だった。
「──」
 異変が起きたのは、ちょうどその時。
 はたと彼がそのかざす腕に力を込めた次の瞬間、その手が一瞬にして岩のように硬質化し
たのである。
 加えてその影響なのか、向かい合う石碑のヒビもまた、身体の傷を塞ぐが如く程なくして
繋ぎ合い直され、その元々の姿を取り戻していた。
(何だ……? 石碑が勝手に……)
(鉱人族(ミネル・レイス)の硬質化能力だな。応用すれば、ああやって他の鉱物にも影響
を与えられるのか……)
 だが、そう長く傍観していられるほど相手も鈍感ではなかったらしい。
「……?」
 その修復作業──らしき行為を終えて一度深呼吸をした後、彼はゆっくりとこちらに顔を
向けてきたのである。
 ジーク達は思わず表情を強張らせていた。
 何処か憂いを帯びた彼の表情。その気色は自分達を射抜く視線・体勢になっていても変わ
らずに宿されている。
「……何の用かな。冷やかしなら、すぐに引き返す事を勧める。いくら彼らが“死んだ”と
しても、魂までは消えていない。彼らは我々の行いも全て見ているのだからな」
「あ、いや……冷やかしじゃねぇよ。近くの村でここの話を聞いてさ、手を合わせにと思っ
たんだ。今は別の場所に住んでるけど、俺達、メアの知り合いがいるからさ……」
「……そうか」
 少し言葉に詰まりながらもジークが語ると、男性は承知したと言わんばかりにそっと先程
まで立っていた場所から後退ってきた。では済ませろ、という意図らしい。
 ジーク達はおずおずとしながらもこのまま帰る訳にはいかず、四人揃ってこの修復を済ま
せたばかりの石碑の前に屈んで暫し手を合わせていた。
『……』
 茶屋で、あの二人組は『今月だけで二十人』と言っていた。
 少なくともそれだけの人数が──いや、過去にはきっともっと沢山の人間がここから身を
投げたに違いない。そう考えると、手を合わせる腕にも瞑る目頭にも、自然と要らぬ力が篭
もってしまう。
(……これじゃあまるで、生きてること事自体が罰ゲームじゃねぇか。生きてても辛いから
身を投げたのに、それをネチネチ詰られたんじゃ“救い”なんて何処にもねぇよ……)
 ジークが静かに奥歯を噛み締めつつ目を開けた時、既に仲間達は祈りを終えていた。
 その間、自分の内心を垣間見たのだろうか。彼らは皆、何処となく心配そうにこちらを見
遣っては声を掛けあぐねている。
「……君達は」
 そんな時だった。
「君達は、何故このセカイに生まれたと思っている?」
 それまで背後に佇んでいた僧侶風の男性が、ふと静かにそんな事を訊いてきたのは。
「あ?」
「……珍しいですね。その手の問答は宗教家(あなたたち)が説いて回る専売特許じゃない
ですか」
 ジークは思わずキョトンとし、サフレはそんな応答をしながらむしろ彼が何故そんな質問
をしてきたか、その真意を探ろうとしていた。
 男性は小さく──ほんの僅かにだが笑った。片方の口角を微かに吊り上げ、自嘲気味に。
「君達は、七十三号論文事件を知っているか?」
「ええ……。ライルフェルド博士の論文を発端とする──あの“真理の敗北”ですね」
「そうだ。あれは、ヒトの本質を露呈させた一件ではないかと私は考えている」
 次の問い掛けに応えたのは、魔導師であるリュカだった。
 彼はうむと頷き、深く静かに嘆息をつきながら語る。
「ヒトはきっと過去にも未来にも認めようとはしないのだろう。本質的にヒトは勿論、この
世の生けとし生ける者は全てこのセカイを回す為のパーツに過ぎないという事実には」
 ジーク達はちらと互いの顔を見合わせ、そして遠く霊海のマナの雲を眺める彼の横顔を少
なからぬ怪訝で見つめた。
「私個人は、もう信仰に“意味”はないのではないかと思い始めているんだ。……人々は既
に答えを持っている。魔獣や魔人(いむべきもの)らを排除し続け、自分達のテリトリーを
只管に死守する──それが生きるということなのだろう」
「そ、そんなこと」
「ん~……? よく分かんねぇよ。俺は今で精一杯だし。大体、意味って元からあるもんな
のか? 色々やってる内に作るもんじゃねぇのかよ? まぁそれだとバラバラなものになっ
て、坊さんみたいな人間には“答え”にはならないのかもしれねぇけど……」
 ガシガシと、ジークは小難しい話に思わず髪を掻き毟っていた。
 だがそんな彼の、彼自身何の気ない言葉に、当の僧侶風の男性は「ほう?」と小さく関心
を示すかのように心持ち目を開いているようだった。
「……そうだな。要らぬ話だった。すまなかった。では、この辺りで失礼する。人を待たせ
ているのでな」
「ん? ああ……分かった。またな」
 しかし彼はそれ以上何かを返すこともなく、早々に話を切り上げた。
 古びた僧服を翻し、彼はそのままジーク達の下から、慰霊碑の傍から立ち去ってゆく。
(……? あれ? 何で俺、さっき“また”なんて……)

「──ふむ。来たな」
「三小刻(スィクロ)の遅刻だね。まぁ許容圏内かな?」
「クロムっち~、何処行ってたの?」
 待ち人は、ジーク達の佇む嘆きの端、その目と鼻の先にある森の中にいた。
 人数は三人。鎧に身を包んだ竜族(ドラグネス)の男性と、携行端末を弄りながら意地悪
く笑っている少年。そして身体のあちこちに包帯を巻いた、一見病弱そうな女性だった。
「……。野暮用だ」
 そんな待ち合わせの相手らに対し、クロム──先の僧侶風の男性はそう短く答えた。
 一見すると全く接点の見えない四人。
 だが、彼らはある共通点を以ってこの場に集まっていたのである。
「ふぅん? まぁいいや。それよりも見つかったよ。例の反逆者クン達」
「……レノヴィン兄弟か」
「そそ。どうやら南方方面にルートを取っているみたい。任務に向かう途中だけど、前の勅
命もあるから、挨拶代わりにサクッと殺ろうかなって」
 トントンと端末を叩きながら、少年は言った。
 他人を殺める。そう発言しながら、彼の表情は全くと言っていいほど曇っていない。
 それ故か、それとも別の理由か。クロムはそんな彼にあまり良い表情を見せずに言う。
「……導信網(マギネット)で調べたのか。あまり感心はしないな。私達の目的と手段とが
混同されてしまっているではないか」
「相変わらず頭固いなぁ……。過程なんてどうでもいいんだって。世の中、結果が全てなん
だからさ。取れる手を自分でセーブして何も為せないなら……居場所、失うよ?」
 少年とクロムは、互いに静かな火花を散らし始めようとしていた。
「まぁまぁ、二人とも。そうやって仲良く喧嘩してたら見失っちゃうよ~? さっさと片付
けるんじゃなかったの~?」
 だがその険悪な雰囲気が降りようとしても、包帯だらけの女性は至極マイペースな声色で
以ってあははと笑う。
「……」「ふん……」
 クロムと少年はそれぞれに黙り込んでいた。少年は明らかに不機嫌そうに、クロムはそう
した感情すら微塵も見せずに。
「然様。我々には果たすべき大命があるのだからな」
 すると鎧姿の男が言い、バサリと彼は纏ったマントを翻して残りの三人を促していた。
「討つべき名は、トナン皇国第一皇子ジーク・レノヴィン。摂理に仇なす反逆者なり!」
 その四人──クロムを含めた四人全員の瞳が、血の色のような紅に染まって。

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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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