日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅲ〔27〕

 この旅が始まってからというもの、あまり深く眠れていない気がする。
 それはきっと、自分達があの日“結社”に向けて宣戦布告したからなのだろう。
 今の所奴らからのリアクションはみられないが、それでも十中八九、近い内に何かしらの
反応(ほうふく)があるのではないかと思っている。
 相手が相手なのだ。用心に越したことは、ない。
「──……?」
 アルス達の帰還を知ったその翌日、サフレは妙な物音で目を覚ました。
 ギシッギシッと、すぐ近くで繰り返される床の軋む音。時折落ちるごくごく僅かな水音。
 まさか、敵襲か?
 眠気の水面から浮き上がったサフレは、身体の感触が自分の物に戻ったと同時に飛び起き
ていた。出奔以来、寝ている間も着けたままにしている“一繋ぎの槍(パイルドランス)”
の指輪の裏面に親指を添え、いつでも発動できるように構えながら。
「ん? ああ、起きたか」
「……君は、何をしている」
「何って。見て分からねぇのか? 筋トレだよ」
 だが結果は拍子抜けだった。
 バッと起き上がったサフレの視界に映ったのは、部屋の壁際で自主トレに励むジークの姿
だったからだ。
 その格好は短パンに袖なしシャツといったラフなもの。加えてその体勢は片腕で倒立した
自身の身体を支え、半眼のサフレに応える間も腕と両脚の曲げ伸ばしを繰り返している。
「せめて始める前に一言声を掛けておいてくれ……。敵襲かと思ったじゃないか」
「あ~……そっか。でもお前、中々寝つけてねぇだろ。もうちっとは休めよ? 身体が満足
に動かないようじゃ何やってるか分かんねぇぞ」
「……。君に心配されることじゃないさ」
 サフレはそう嘆息をつきながら視線を逸らし、乱れた髪を手櫛で触っていたが、内心は彼
のその何気ない気遣いに困惑していた。
 確かにここ暫く、眠りが浅くなっているのは事実だ。
 だがそれを当の彼に見抜かれているとは、我ながら情けないような、そんな感情で。
 とはいえ、それは単にこの旅が始まってから自分達が同室で寝泊りしているからというだ
けとも考えられた。昨日今日のこの宿も、自分とジーク、リュカさんとマルタという男女別
で二部屋を取っている。因みに──自分やジークでは冒険者としての身分がある分、足が付
いてしまうことを考え──当面の宿泊名義はリュカさんだ。
 以前までのマルタとの二人旅なら(あいつ自身が同室でいいと言うものだから)一部屋で
済ませてきたが、流石にリュカさんという女性にまでそういったものを適用させるのは如何
なものかとも思う。
 尤も、ジークにとって彼女は同郷の馴染みではあるが──。
『貴方達は……やっぱり根っこは似た者同士なのよね』
 旅立つ前、事の全てを話した折に団長(イセルナ)が口にした言葉を、はたとサフレは思
い返していた。
 曰く真っ直ぐだと。正直、こんな突撃バカと一緒にされたくはないのだが。
「…………」
 しかし、改めてこの場で思う。
 一番大変な身の上なのは言わずもがなジークなのだ。なのに彼は、同行者である自分への
気遣いを(そう意識してではないのだろうが)忘れていない。誰よりも、弟(アルスくん)
共々、自分を犠牲にし過ぎるように自分には感じられる。
 あの日、空から“宣戦布告”した時もそうだ。
 あれは──打ち合わせになかった。全くの彼のアドリブだったのだ。
 だが始めから、彼はそのつもりでいたのだろう。
 ──ちょっとでもアルス達から離れるんだ。昨夜彼は確かにそう語っていた。
 自分が彼の気負いに少しでも肩を貸そうと──勿論、一度マルタに手を掛けられた落とし
前という理由もあるが──している。
 彼はそんな自分達(どうこうしゃ)にさえも、何処か負い目のようなものを感じているの
かもしれないと思った。
 嗚呼、似ているのかもしれない。僕も彼も、仲間のことを……。
「サフレ。お前、強いか?」
 だがそんなぼうっとしていたサフレに、ふとジークが声を掛けてきた。
「? 多少腕に覚えはあるが……。上には上がいるだろう」
 思わず我に返り、サフレが彼を見遣り直す。するとジークはひゅいっと空中で支えていた
手を換えると、再び腕立て倒立を続ける。
「そうさ。俺達は、まだまだ弱い。もっともっと強くならなきゃいけねぇんだ」
 腕立てするジークの眉間に皺が寄っていた。しかしそれは、身体が苦しいからではない。
「お前も嫌ってほどに身に沁みただろ? 村の時もトナンの時も、結社(れんちゅう)に俺
達はまるで歯が立たなかった。ついこの前は、団長にすら勝てなかった」
「勝ったじゃないか。イセルナさんとブルートの融合形態も解いただろう?」
「あんなの、騙まし討ちみたいなもんだ。最初トナンに行く時、団長が居残り組だったから
こそ使えた手だ。それに団長は……始めから手を抜いてた。初めの打ち合いで俺達が二人掛
りでも一撃を与えられなかったんだぜ? 実戦(ホンモノ)だったら、あの時点で既に殺ら
れててもおかしくねぇだろ」
「……それ、は」
 ベッドの上で、サフレは思わず顔を顰め、密かに拳を握り締めていた。
 反論できなかった。何だ。熱くなっていたかと思えば、君は酷く冷静じゃないか……。
 途中で自分は戦闘不能になったが、実際に最後まで刃を交えた彼がそう言うのなら、多分
その感触に間違いはないのだろう。……少なくとも、自分達が“結社”に勝てていないこと
は事実なのだ。
「だから、ちょっとでも鍛えるんだよ。じっとして奴らを待ってるだけじゃあ前と同じ結果
しか引き出せねえ。それに何もしないで待ってるなんて、俺の柄じゃねぇしな」
 言いながら、ジークはサフレの目の前で自主トレに励んでいた。
 百回、二百回、三百回。じわりと滲む汗と共に、彼の呼吸に熱が篭もる。
 サフレはつぅっと一度深く目を閉じ、そして開いた。
 向けた視線、ジークの手元には長く大きめの布包みが置かれている。言わずもがな、六華
を収めたものだ。
 なまじ皇子であること、王器を抱えたままであることは世の人々にも知れ渡っている。
 無闇に抜いていれば、それこそ足がついてしまう。余計な騒ぎを招くだけだ。
(……理不尽、だな)
 漠然と、最初にサフレは思った。
 自分達は密かに身を隠しながら移動──南方回りの西方への旅を始めようとしている。
 にも拘わらず、おそらく今後も“結社”の方は各地で堂々と身勝手なテロ行為を繰り返す
のだろう。
 敵がやりたい放題で、こちらが窮屈を強いられる。何とも皮肉なことか。
 いやそれ以上に、そんな奴らの為に己の全てを擲ってしまったこの仲間(とも)の内なる
焦燥が何よりも心苦しく思える。不憫と思うのは……要らぬ憐憫だと分かってはいるが。
「──二人とも起きてる?」
「マスター、ジークさん、おはようございま~す」
 ふと部屋をノックする音と残り二人の仲間達の声が聞こえてきたのは、そんな時だった。
 サフレは手早く上着に袖を通し、ジークも筋トレを切り上げ、ひゅんと腕で跳んでから床
に着地する。サフレが「はい。起きてます」と言ってドアの鍵を開けると、既に身支度を終
えたらしいリュカとマルタが顔をみせた。
「よっ。なんだ、随分早いな。もっと寝てても良かったんだぜ?」
「そっくりその言葉返すわ。貴方こそ朝から汗だくでトレーニングしてたみたいだし。それ
よりも──」
 何の用だろう? 朝食にはまだ気が早いと思うのだが……。
 そう、ジークとサフレが小さく頭に疑問符を浮かべ片眉を上げる中で、
「いきなりで悪いけど、貴方達も身支度してくれる? 昨夜のこともあるし、一度連絡して
おきたいと思うのだけど」
 リュカは懐から取り出した携行端末を片手に、言ったのだった。


 Tale-27.新たな日々は出会いを連れて

 自分は留学という態でアウルベルツに戻って来たのだから、すぐにでも復学した方がいい
のではないかと思っていた。
 しかしアルス個人のそんな思いとは裏腹に、周囲の人々は“皇子の帰還”にてんてこ舞い
であるらしい。
 皇国(トナン)への長旅から戻って来て、最初の夜。
 相変わらずホームの前には野次馬やマスコミが入れ替わり立ち替わりしていたが、それで
も魔導学司校(アカデミー)の学院生活に戻れると思うと、嬉しさ半分不安半分で内心は妙
な高揚感の中にあったと言える。
『──すっ、すみません、アルス様』
『えっ?』
 だが昨夜、鞄にテキストを詰めていると、イヨが部屋のドアをノックして入って来てそう
ぺこぺこと藪から棒に謝ってきたのだ。
『申し訳ありませんが、復学までもう数日待って頂けませんでしょうか? 学院側も急ピッ
チで態勢を整えている所であるそうなので──』
 とりあえず彼女を落ち着かせて話を聞くに、どうやらまだ学院側の受け入れ態勢が整い終
えていないのだそうだ。母──皇国政府から正式な要請は既に受けていたが、急に一国の皇
子をいち学院生として処遇するには色々と大人の事情が絡んでくるそうで……。
『分かりました。じゃあそれまでもう少しゆっくりしておくことにします。オーケーが出た
らまた知らせてくれますか?』
『は、はいっ。勿論ですっ』
 ならば仕方ないか。アルスは特に憤慨する訳でもなく了承を伝えていた。
 正直を言うと、復学が長引くほどに学院に居辛くなるのではという懸念があったが、あく
までそれは邪推というものだ。何より自分の我が侭の為に色々手を回してくれている彼女達
への悪態でしかないだろう。
 黒縁眼鏡のブリッジを触りながら、やはりあたふた。
 皇子(アルス)がフッと微笑みかけた応答に、イヨもようやく慌てたさまを治め始めてい
るように見えた。
『おそらくは警備上の問題、だろうな。極秘ならともかく、これだけ公になっている以上は
より積極的な策を打っておかなければと……そんな所か』
『? でも学院には、リンファさんやシフォンさんが来てくれるって話じゃ……?』
『勿論です。ですが私やシフォンだけに任せては、向こうの面子にも関わりますからね』
 途中で、イヨの足音や声を聞いてリンファも顔を出してきていた。
 壁に背を預け、組んだ腕をトントンと指先で叩きながら。トナンを経つ前に留学の旨は既
に伝えてあり、書類上の雑務は済んでいるからこその見立てだった。
『……と、とにかく。アルス様には学院生活に集中できるように万全を尽くしてあげて欲し
いと陛下より受け賜っております。私達もそのつもりですので、ご心配なく』
『あ、はい……。ありがとうございます。宜しくお願いします』
 こほんと咳払いをして言い、場を繕おうとするイヨ。
 だが、その言葉にアルスがごくごくナチュラルにぺこりと頭を下げてしまった所為か、再
びイヨが「そ、そんな……恐縮でございますっ」と深々と頭を下げ返し、お辞儀のし合いに
なってしまう。
 やれやれとリンファが苦笑しながら、そんな二人を見守っていた。アルスもまたガチガチ
になり始めるイヨをやんわりと宥めながら、同じく苦笑いを返す。
(……やっぱりまだ、皇子って感じがしない(じかくがもてない)なぁ)

「──お待たせしました。準備が整いましたよ」
 侍従の一人がそう言って、アルスははたと我に返っていた。
 昨夜のやり取りから一夜が明けて、アルスを含めたブルートバードの面々は今、臨時休業
中な『蒼染の鳥』の奥間にぞろぞろと集まっている。
 目の前には設えられた通信設備諸々。機巧技師の免許を持つ侍従らによって今朝からセッ
ティングが続けられていたものだ。
 中央には大画面の端末と、左右に広がる制御卓(コンソール)。それらが太い多数の配線
で互いに結ばれ、ストリームのエネルギーに接続を始めて蠢いている。
 クランの仲間達が、眼でアルスに促してくれていた。頷き、そっと画面の前に座る。
「じゃあ、早速お願いします」
「畏まりました」
 アルスの合図で、導信網(マギネット)が人々を結んだ。
 ストリームを通じて、繋がれる。人も物も、離れていてもこのセカイの下に在る限り。
『──……え? もう映ってるのか?』
『そうだろ? ほら、此処のレンズ』
『もしも~し。聞こえてるかい? 見えてるかい?』
 次の瞬間、ディスプレイに映されたのはわらわらと集まった人々だった。
 見間違う筈もない。アルス達兄弟が育った、サンフェルノの村人達の姿だったのだから。
 やはりというべきか、マギネットのような最先端技術に触れる機会が本来皆無に等しい彼
らは、最初は如何使うのかすら分からず視線をキョロキョロさせていた。それでも比較的若
い層はややあって順応し、ようやくこちらに声を掛けてくれる。
「はい。バッチリです」
「皆、久しぶり~!」
 フッと破顔し、アルスと傍らのエトナは応えていた。
 予定よりも暇──復学までの時間が出来た事もあり、代わりとでも言うべきか、アルスは
イヨ達にある頼みをしていたのである。
 それは、故郷(むら)の皆にこれまでのことをちゃんと話す機会が欲しいという希望。
 母がトナンに戻ると決意した際、既に大よその話は伝えられたそうだが、アルスは改めて
自分の言葉で彼らに報告したかった。
 自分たち母子(おやこ)が今後、トナン皇国の皇家としての立場に順ずるであろうこと。
 そして何よりも……途中で正体を知りながらも、自分達を同じ村人として受け入れ、今ま
で母と一緒になって育んでくれた、彼らへの語り尽くせぬ感謝の意を。
『大体の話は、シノブさ──いやシノ陛下と言えばいいのか、当人から聞いてるよ。そうで
なくとも、内乱の一件からずっと映像器にニュースやら特集が組まれてるしさ』
『実は今日も、皆で集会場に集まって観てたのよ。本当、立派になったものよねぇ……』
『だな。あ、一応訊いとくけど、話し方はこんな調子でいいのかね? いくら小さい頃から
知ってるといっても今は名実共に皇子さまだからなあ……』
「その事なら問題ありませんよ。少なくともこの通信は私的なものですし、今まで通りで構
いません。……実は僕も、自分が皇子だと言われてもいまいちそんな気がしなくって」
 先ずは解すように再会の挨拶を。
 アルスが気を回してくれる村人達に苦笑気味に本音を漏らすと、画面の向こうの皆はどっ
と笑っていた。
 口々に「ああ、やっぱり」と。
 その声を聞くだけで、アルスは懐かしさで胸の奥が温かくなる。
 だが同時に、自分が随分と遠い場所まで来てしまったんだなとも思い、寂しさも感じた。
「改めて言わせて下さい。今回は、色々身勝手と迷惑ばかりかけてごめんなさい。何よりも
今までずっと見守ってくれてありがとうございます。……これから僕達は、皇族としてあち
こちに顔を出すことになると思います。だから、多分、もう──」
『分かっとるよ。そのつもりで儂らもシノブを送り出したんだ。今更泣き言は言わんさ』
 村人達を代表して、老成した、しかし厳粛と親愛の狭間で揺らぐ村長の声が被さった。
 アルスがゆっくりと顔を上げる。画面の向こうでは、村長と同じ思いだと言わんばかりに
面々が各々にコクと頷き、そしてこちらを見遣ってくる。
『まぁ、もう実際、少し前から村にも色々人が来てるんだよな』
『マスコミやら旅人さんやらがな。何でも俺達の村が“スメラギ一家亡命の地”になるんだ
とよ。言われてみりゃあ、確かにそうなるんだっけ』
「えっ……」
『あ~、でも大丈夫。それよりも先に国(おかみ)から兵隊さんが来てくれてるから、余計
なトラブルは今の所無いわ。セド君も折につけて連絡や人を寄越してくれるしね』
『なぁに。これもユーメー税? そういう奴なんだろ? むしろ光栄さ。俺達の村が皇子や
女皇さまを出したようなもんだしな』
「……そう、ですか」
 何とか動揺を顔を出さないように務めたが、それでも彼らには伝わっていたのだろう。
 アルスの短い驚きの声に、村人達は繕うようにそう口々に捕捉してくれた。
 画面の向こうの村人らに頼みを受けたのだろう。言った後、少しばかり映像は彼らの居る
場所──村の集会場の外を映していた。
 そこには確かに、軍服姿の兵士や官吏らしき者達がいるさまが窺える。
 外の音も拾ったのか、ざわっと村のすぐ近くまでやって来ているマスコミなどの人々とそ
れを捌いている人員らとのやり取りらしき声の重なりも聞こえてくる。
(頭になかった訳じゃ、なかったけど……)
 内心、アルスは申し訳なさで胸が塞がる思いを新たにしていた。
 自分達の身分が公になれば、マスコミはその育った故郷であるサンフェルノをいずれ突き
止めてしまうだろう。そうなれば、村の皆にも間違いなく迷惑を掛けてしまう。
 マスコミ(の手の早さ)を憎むつもりはない。
 ただせめて、村の皆には平穏の日々を生きて貰いたかった。
 自分達兄弟、そして母が心安らぐことのできた、あのゆったりとした田園風景を他ならぬ
自分の所為で失わせてしまうのは、正直後ろめたかった。
『そんな表情(かお)してんなって。笑っててくれよ、な?』
『村長も言ったけど、俺達は分かってて送り出したんだ。お前が自分を責めるのはお門違い
ってもんだぜ?』
 そんな自分の感情を見透かされていたのは、やはり幼い頃からを知るが故か。
 彼らの話やイヨ達の話を纏めると、どうやらアトス連邦朝政府から専任の監視団が村に派
遣されているらしい。当の監視団の代表も、画面越しに自分に礼を取って説明してくれた。
 領内に抱えている自分達(アドバンテージ)をみすみす損なう気はないという王宮の意向
と、村をフォローするように手を回してくれたセドら母の仲間達。そんな双方の思惑が合致
した結果──。アルスは思考の片隅でそう結論付ける。
「はい……」
 だからこそ、アルスはそれら全てを呑み込んで、深く頷くだけだった。
『おうよ。そっちも頑張れよ、応援してるからな!』
『でも無茶はしないでね? シノブさんやジークと一緒で、貴方達は自分を放ったらかしに
しちゃうきらいがあるんだから……』
『俺達なら心配ない。お前はお前の夢をしっかり追えばいい。未来の大魔導師だものな』
『もし……もし辛かったら、いつでも戻って来てもいいからね? 血筋は皇国(トナン)で
も、貴方達の“生まれ育った故郷”はこの村なんだから……』
「──ッ」
 多分、そんな心理すらも村人達(かれら)は分かっていたのかもしれない。
 返って来たのは、アルスや一家を気遣う口々の言の葉。
 そこに他意など見出せようもなかった。見出す気も起きなかった。
 皆は一人の村人(なかま)として、アルスらの行く末を案じ、励まし、そして許してくれ
ていた。もう、アルスは涙が零れるのを堪えることができなかった。
「……あり、がとう……っ」
 震える声で、何とか言葉を搾り出し、再び感謝を。
 画面の向こうで村人達(みんな)は笑っている。皇子であっても、やはり自分達の知って
いるアルスなのだと、安堵と共に信じてくれているのが分かる。
 そうだ──。僕は一人じゃない。
 エトナやクランの皆、リンファさんやイヨさんたち侍従衆の皆さんだけじゃない。
 かつて共に暮らした彼らもまた、自分のことを見守ってくれている。
 そうなのだ。変わらないものだって、きっと──。

「……お。お邪魔だった、かしらね……」
 背後からそんな気まずそうな声が聞こえてきたのは、ちょうどそんな時だった。
 アルス達が振り返ると、酒場の入口に三人の人影が立っていた。
 一人はエイルフィード伯爵令嬢・シンシア。そして彼女の左右をフォローするようにゲド
とキースの目付け役コンビが控えている。
 入って来て早々に通信中の面々を見つけ、その視線を一斉に向けられたからか。
 いや……それ以上に、振り返ったアルスが両目にボロボロと涙を零しながら振り返ってき
たことに思わず面食らっていたからであるらしい。
「シンシア、さん……?」
 ゴシゴシと涙を袖を拭って、アルスはそんな疑問符のイントネーションで口を開いた。
 そんな彼の様子にシンシアがどうにもバツが悪くしている中で、従者二人組は「どうも」
とクランや侍従衆の面々に会釈をしてくる。
「突然に邪魔をしてすみませんな。どうやら故郷の方々とお話されていたようで」
「あ、いいえ……。それよりも」
「表の人達はどうしたんです? 入口はアウルベ伯からの兵隊さん達が警備してくれている
筈ですけど」
「ああ、それなら。お父様の名前を出しましたので、すぐに通してくれましたわ」
「……そっか。そうだよなぁ」
 どうやらセドの娘という立場で以って、すんなり警備係は道を開けたらしい。
 仕方ないかと思いつつも、ダンは「ザルだな」と呟きながらポリポリと髪を掻いていた。
『ん? 誰だ、そのお嬢ちゃん達は?』
『知り合い、みたいだけど……?』
「あ。そうですね」
 そうしていると、画面の向こうで村人達が頭に疑問符を浮かべていた。
 アルスはその声に応え、頷くと、そろそろと自分達の方へ近付いて来たシンシア達を彼ら
に紹介することにする。
「皆さんにも紹介しますね。こちらはシンシア・エイルフィードさん。学院の入学式で知り
合った、僕と同じ新入生さんです。で、こっちのお二人がそのお付きをしているゲドさんと
キースさん」
『ほう。アルスの同級生──ん?』
『ちょっと待て。エイルフィードって』
『まさか、セド君の……?』
 村人達は紹介を受け、更に彼女のその姓にすぐピンと来たようだった。
 対するシンシアも、同時に団員らから彼らがサンフェルノ──レノヴィン一家の暮らして
いた村の人々だと聞かされ、
「その通りですわ。改めまして、サンフェルノ村の皆さん。エイルフィード伯爵セオドア・
エイルフィードの娘、シンシアですわ。お父様よりお話はかねてより聞き及んでいます」
 ついっと改造ドレス──じゃじゃ馬な彼女の活動に合わせて作り直された衣装である──
の左右の裾を摘んでみせ、そう貴族然とした一礼を。
(うわぁ。ホンモノの貴族っぽい……って、いやいや。元から本物なんだっけ……)
 そんな彼女のスムーズで優雅な所作に、アルスは思わず見とれていた。
 内心は結構に失礼な感慨が脳裏に過ぎりながら。だがそれ以上に、貴族という存在は本来
こうしたものなのだろうなと、感嘆と不安が入り混じる思いで。
「アルス・レノヴィン──いえ、ここではアルス皇子と呼ぶべきでしょうね」
 だがそんな彼女の神妙な佇まいは、ややあって当のアルスに向けられていた。
 ビクッと肩を震わせ、アルスが「は、はい……」と身を硬くする。
「全てを父に問い質し吐かせました。知らなかったとはいえ……これまでの数々の無礼、心
よりお詫び申し上げます」
 深々と。シンシアがアルスに向けたのは、貴族としての最上級の礼──床に片膝をつき、
片手を胸に当てて頭を垂れるポーズ。彼女は、アルスを爵位の最上位・皇爵に列する者とし
てそう謝罪の弁を述べ始めたのである。
「えっ? えっ……?」
 とはいえ、アルスはそんな貴族社会の礼節にはまだまだ疎くて。
 返したのは厳粛な返事でもなんでもない、戸惑い。クランの面々も──そしてアルス自身
も、今までの“負けん気の強いお嬢さん”という印象からかけ離れたこの姿に只々応じる言
葉が出ずにいた。
(アルス様)
 すると、イヨがそっと戸惑ってどもるアルスに耳打ちをしてくる。
(この方はセオドア伯のご令嬢のようですが、以前にアルス様に何か粗相を?)
(粗相? う~ん、入学式の日にライバル扱いされたぐらい、ですよ? 僕とシンシアさん
はちょうど入学試験で主席と次席でしたので、多分その所為かなと……)
 あながち間違っていもいなく、それでも温厚な性格故のアルス当人の言葉は甘く。
 しかしこの時ばかりは、アルスのそんな寛大さに救われたのかもしれない。
 イヨは暫し目を瞬かせながらも「なるほど。承知しました」と応え、
(どうやらアルス様が公に皇子となり、シンシア様なりにけじめをつけようと思われたので
しょう。アルス様も、どうかご返答を)
(は、はあ……。分かりました……)
 そう最後に耳打ちして、再びそっと離れて控える姿勢に戻ってゆく。
「えっと……」
 アルスは苦笑いを浮かべたままだった。
 確かに“私闘”もあったが、それを逆恨みして今更彼女をどうこうするようなつもりは自
分にはない。何よりも彼女はセドさんの──両親の仲間(とも)の娘なのだ。敵意を向ける
理由など何処にあるのだろう。
「と、とりあえず、顔を上げてください。もう済んだ事ですし、僕はそんなことは気にして
ませんんよ? ただ……これまで通り、同じ学院の生徒として接してくれると嬉しいです」
 だから、アルスはそう逆に宥めるように返答していた。
 侍従衆の何人かが、少し驚いたように目を開いているのが気配で分かった。でもこれが嘘
偽りのない自分の本心だと、アルスは必要ならば加えて言葉を割くつもりだった。
「……」
 驚いて顔を上げたのは、何よりもシンシアだった。
 片眉を上げて、だけどまだ信じられないといった様子で。
 考えみればむしろアルスの方が“異例”なのだ。それはアルス自身も知識の上では知って
いる。貴族(有爵位者)の逆鱗に触れ、そのまま処罰されるというケースは、このセカイで
はそう珍しいことでもない。
「……ね? 言ったでしょ? 皇子(かれ)の性格からしてそう気になさっていないって」
「ですがこれで一件落着、ですな。うむ、良きかな良きかな」
 それでも、従者達はそんな反応を想定しての同行であったらしい。
 のそっと立ち上がる彼女を引っ張り上げてあげながら、二人はそれぞれににやにやと呵々
と笑っている。
 アルスも、そんな理解ある従者がいるさまを見て、微笑ましく思っていた。
 大丈夫ですよ。これからも宜しくお願いします──。そんな意思をそっと添えながら。
「そ、それではお言葉に甘えて……そうさせて、頂きますわ……」
 そのシンシア当人は頬を紅く染めて、視線を逸らし気味でもごもごと。
 だがアルスは、まさかその赤面が“微笑ましい視線への恥じらい”ではなく“思慕を抱く
が故の照れ隠し”であることには気付くことなく。
(……ぬぅ)
(……。む?)
 まさか、不機嫌面になっていたミアと視線をはたと交わらせ、瞬間“女の勘”で以って彼
女達が静かに火花を散らせ始めるさまにも気付く筈もなく。
「ふふっ」
『……なぁ。さっきから思ってたんだが』
『何だよ? アルスが折角丸く収めてくれたってのに』
『いや……セドさんの領地って打金の街(エイルヴァロ)だろ? 何でその令嬢がアウルベ
ルツにいるんだ? あっちにもアカデミー在ったよな、確か』
『そうだっけ? ん~……そういや、アルスが受験する時──』
「そそそっ、それよりもっ!!」
 だが画面の向こうでこそこそと話している村人のそんなやり取りを耳に届け、話題を少々
強引に変えようとしたは、他ならぬ(その理由を知られたくない)シンシアだった。
 村人達も含めた、場の面々の注意を向けることに成功した彼女は、多少大仰になりながら
もアルスに向かって問うてくる。
「ア、アルスは当然参加してくれますのよね? 歓迎会に?」
「えっ?」
 だが当のアルスは突然の内容にきょとんとするしかなかった。
 いや、聞いたことがなかったのだ。歓迎会? それは一体……?
「……お嬢。それって、まだ話を詰めてる段階じゃなかったッスか?」
「え? そうだったかしら?」
 すると、キースがポリポリと髪を掻きながら主(シンシア)に告げていた。どうやら彼女
の勇み足な発言であるようだ。
「あの。イヨさん、歓迎会って……?」
「あ、はい。勿論アルス様のご帰還に対する歓迎会です。アウルベ伯主催とは聞いているの
ですが、如何せんまだ日程も中身も詳しく決まっていない状態なので、ご報告はもう少しし
てから差し上げようかと思っていた次第で……」
「一国の皇子が留学してきた訳ですからね。歓待も何もしないのは礼を欠くでしょうし」
「あぁ……。そうだったんですか」
 アルスの方も、傍らのイヨやリンファにその歓迎会とやらについて訊ねていた。そして彼
女達の返事に、他意なく納得して頷く。
 計画段階という事もあるが、帰って来てすぐの時に次々と予定を入れるのは心身に障るの
ではないか? 推測だがそんな配慮をしてくれているようにアルスには思えたからだ。
「初耳ですけど……。そう催しがあるなら出席しないと、ですよね?」
「そうですね。何せアルス様の歓迎が目的ですので」
「だよねぇ……。ってことはさ、それってもしかしなくてもアルスの社交デビューになるん
じゃない?」
 だが周りの皆の、ふよふよと浮かんでいたエトナの言葉に、アルスはハッとなっていた。
「社交、デビュー……」
 それは即ち、自分がいよいよ皇族としての振る舞いを要求される訳で……。
「そう、なりますね。皇国での共同軍の皆さんとの食事会は、まだ正式にアルス様達の御披
露目がされる前の事ですから。今回が形式上は最初の公務になるかと」
「……」
 緊張する。それはイヨも少なからず同じ思いだったのだろう。
 然りと答えてくれながらも、アルスの方を心配そうに見遣っているのは明らかだった。
 突然──いや、冷静に考えれば必然なのだが──の初公務の報せ。
 手にはじわりと冷や汗が滲み、アルスは再び面食らうシンシア達の姿形が曖昧に映るよう
な気さえした。
『──……もし?』
 そんな最中だった。不意に通信の中に、それまで無かった声が漏れてきたのは。
 アルスは勿論、場の面々は「何だ?」と頭に疑問符を浮かべ、その視線が一斉にコンソー
ルを弄っていた技師侍従らに向く。
「侍従長。どうやら第三者から通信が入っているようなのですが」
「第三者? おかしいですね。用心の為に本国の回線IDを使っている筈でしょう?」
「そうなのですが……。どうやら携行端末からのアクセスのようです」
「??」「あ、あの! さっきの音声、大きく出来ませんか?」
「は、はい……。畏まりました」
 その怪訝はイヨ達も同じだった。だが対照的に、アルスはハッと何かに勘付いたかのよう
にずいと身を乗り出し、技師達にそう操作を頼んでくる。
『もし──もし? もしもし、聞こえる?』
 そして次の瞬間、コンソールの音量ツマミを大きくし聞こえてきたのは、アルス達クラン
の面々や村人達にとっては、何度も耳にしてきている聞き慣れた女性の声で。
「もしもし。聞こえます! 僕です、アルスです!」
『ああ……良かった。ちゃんと繋がったみたいね。サジさんから聞いたIDはまだ生きてた
みたい』
 アルスが、皆がにわかにざわつく。
 それは間違いなく、仲間の一人、竜族(ドラグネス)の女性・リュカの声だった。
『久しぶり。何だか立て込んでたみたいだけど……?』
 即ちそれは、あの日以来出奔したままのジーク達からのコンタクトと同義でもあって。


『リュ、リュカ先生ってことは──』
『……ジークかっ!?』
 最初に、そして激しく驚いていたのは、画面の向こうの村人達だった。
 だがそれは仕方のないことでもあったのだろう。ジーク達はアズサ皇の国葬の場から突然
飛び出して行ってして以来、未だ公に姿を現したことはないのだから。
『お、おい! 誰かクラウスさん呼んで来い! リュカ先生達が連絡して来たぞって!』
『わわっ、わ、分かった!』
『で、でも来るのか……? マスコミが集って来てからは一層家に篭もってるぞ?』
『実の娘だぞ? 飛び出して来ない親があるかよ。ほら、早く!』
 勿論、興奮気味なアルスとエトナ、ブルートバードの面々やイヨら侍従衆達も驚愕に打た
れたことには変わらなかった。
 映像の向こうでドタバタと何人かの村の若者が慌てて駆け出していくのを横目に、アルス
は仲間達の視線を集めながら、侍従からコンソールに繋がる受話筒を受け取る。
 ちらと彼らを見て、頷く合図に首肯を返す。音声の拾得も準備ができたらしい。
「えっと……。今ちょうど、村の皆に通信を繋いで貰っていた所なんです。だから一通りの
面子は皆この場に揃ってますよ」
『あら。そうなの?』
「そうですよぉ! 心配……したんですよ? 一体今、何処にいるんですか? 父さんの事
は分かりますけど“結社”にあんな挑発をしたら先生達がどんな目に遭うか……」
 アルスは受話筒越しに叫んでいた。今度は、心配の念が感極まって涙が滲んでくる。
『……心配させてごめんなさいね。こっちは大丈夫だから。ちょっと待ってて? 今こっち
も映像モードに切り替えるわ』
 数拍言葉を詰まらせてからの、リュカの返答。
 その声色は彼女自身、それまで平静の中に閉じ込めていた生の感情が僅かに漏れかけたも
のであるかのようにも思えた。
 だがそれも束の間。彼女の物音は遠くなり、代わりに数度、端末画面を操作する指先の音
だけがアルス達側の映像機に拾われる。
『──……』
 映っていた。確かに、ジーク達四人の姿がこちらの映像器に映し出されていた。
 再び、一同の重なったざわめき。
 一方でリンファは驚きから神妙へ、すぐさま表情を引き締めると、侍従衆の部下達に映像
のメインを村人達から彼らへ切り替えるように指示を出す。
『これで、全員映ってるかしら?』
「は、はい。バッチリです」
 最初に映ったのは、アングルを調整しているリュカのアップ。それからスッと身を退いて
映る、仏頂面なジークに神妙な面持ちのサフレ、そして不安そうな様子のマルタと残り三人
の姿も含めた向こうの一行全員の姿。
 アルスは勿論、面々は半ば無意識に画面の向こうに映り込む風景に目を凝らしていた。
 だが、一見すると彼らのいる場所は何の変哲もない部屋の中であるらしかった。質素な造
りではあるが、おそらくは何処かの宿の中なのだろう。
「先生さん、ジーク。お前さん達は今何処に……?」
 誰もが気になって仕方なかった問いを、代表してダンがぶつけていた。
 しかし、用心かこちらを巻き込むまいとする気遣いか、四人はすぐに返事をしなかった。
 最初こそリュカが映像の向こうで中央に立っていたが、ややあって互いに視線を交わし合
った末に発言者を変える。
 リュカと立ち位置を入れ替えるように、おずっと眉間に皺を寄せたままのジークが画面の
中央に映り込んでいた。
『……今は、灯継の町(ヴルクス)って町にいる。まぁ飯食ったら此処も発つつもりだが』
 その一言に、すぐに端末の使い手らが検索を始めているのが分かった。
 あまり機械に強くないとはいえ、これで足がつくとは分かっていたのだろう。ジークの声
は心持ち早めに紡がれているように思えた。
『その、なんだ。アルス、そっちは大丈夫か? マスコミどもに嫌な目に遭わされてないだ
ろうな?』
「大丈夫だよ。兄さんこそ何ともなかった? 結社(やつら)から仕返し受けてない?」
『平気だよ。今の所は、だが……。それと、団長の怪我は大丈夫か? あの時金菫を使った
し、大事にはなってないとは思うんだが……』
「ええ、おかげさまでね。この包帯も念の為にって巻かれた程度のものだし」
 とんとんと、頭の包帯を指先で軽く叩いてイセルナは微笑んでいた。
 だが、ジークは相変わらず口元を真横に結んだ表情を崩さないままだった。
 それは単に彼女と戦う羽目になった、負傷させた申し訳なさだけではないのだろう。画面
越しからも、その複雑に胸中で渦巻く感情は──長く苦楽を共にしてきた仲間が故に──想
像に難くない。
 そんなやり取りの中で、サンフェルノ側の映像に動きがあった。
 映像機をセットした村の集会場に、クラウスが姿を見せたのである。
 村の若者達に連れてこられる道中で大まかな話は聞いていたのだろう。この寡黙なドラグ
ネスの壮年男性は普段着の着流しを揺らし、じっと『お父さん……』と思わず小さく呟いて
いた、画面の向こうのリュカ達を暫しの間見つめていた。
「……役者が、ようやく揃ったようだね」
 そんな沈黙を、眼鏡の奥から傍観していたハロルドが破る。
 話したいことは、間違いなく山ほどあった。
 だが、だからこそ、誰もがどう彼に語りかければいいのか纏めあぐねていたと言える。
 それ故か、自然と皆の視線や首肯のポーズは実の弟であるアルスに集まっていた。
 一番心配していたのは、きっと君だから──。
 大よそは、そんな想いで仲間達は一致したのだろう。アルス自身もまた、コクリと彼らに
頷いてみせると、何処となく視線を逸らしがちな画面の向こうの兄に向き直る。
「……兄さん」
 弟(アルス)がそっと呼び掛け、兄(ジーク)はびくっと微かに身を震わせてこちらに再
び視線を向ける。
 数拍の間。だがそれだけでも、この兄弟は語り合っているかのように仲間達には思えた。
『……悪ぃ。お前にばっかり皇子(ふたん)を背負わせちまって』
「ううん……。どのみち僕らには避けられないことだもの。僕も父さんが生きてるって知っ
たら、兄さんみたいに戦える力があったなら、きっと同じ事をしたと思う」
 静かな謝罪と許容のやり取りだった。
 一言二言。先ず二人はそんな言葉を交わし、また少しばかり黙る。
『……俺達は、これから西方に向かおうと思ってる』
 そして次にジークが発した言葉に──今後の動静の手がかりになる発言に、場の面々は思
わず目を見開いていた。
「それって、つまりヴァルドー王国に行くつもりってこと?」
『ああ。まぁ、厳密にはぐるりと南から遠回りするつもりなんだがな。……西方(あっち)
は開拓が盛んで保守派連中とのいざこざも特に多い。だからその中に結社(やつら)の情報
が混ざっているんじゃねぇかと踏んでるんだ』
『それで。イセルナさん、皆さん。分かっているかとは思いますが……』
「ええ。可能な限り内密にしておくわ。安心して」
 サフレの言葉にそうイセルナは頷いていたが、正直な所それは何処まで守られるのだろう
とは思っていた。
 勿論、不用意に外部に漏らすつもりは──最悪“結社”の耳に届き、彼らを危うくするの
ならば尚の事──ない。だが今こうして通信をしている、掛かってきているという事実を、
各国(の間者)が無知でいるとも思えない。
(……こっちも、あっちも、いよいよ動き始めるわね……)
 半分は彼らからの信頼に応えたくて。半分はこれから渦巻くであろう権謀の群れに。
 イセルナは、そして似たような思考であるらしいダン達は、眉間に皺を寄せて神妙な表情
で以って佇むしかなくて。
『……気持ちは分からんでもない』
 そして、クラウスが口を開いたのは、ちょうどそんな時だった。
『分かっていて、敢えて闘おうというのだな? お前達は“結社”に──セカイの保守派の
少なからぬ者らにとって仇(てき)になった。もう引き返せぬ所まで来ている』
 誰も、そのことはできれば口にしたくなかった。
 しかし彼は敢えて言う。
 それは娘や弟子の行く末を案じてか、或いは彼の──竜族全体の厭世的な気質に因るもの
なのか。……おそらくは、彼の中でも両者が入り混じっているのだろう。
『師匠(せんせい)……』
『ごめんなさい、お父さん。でも私──』
『分かっている。お前はお前の信じる道を往けばいい。ジークの力になってやれ。……それ
に、新聞で読んだ。お前はトナン王宮で封身を解いたんだろう? その覚悟は……俺も受け
取る。村のことは任せておけ』
『うん……』
 封身の解除──竜族本来の姿を晒したこと。
 知っていたのか。そう言わんばかりに、画面越しにリュカはきゅっと唇を結んでいた。
 言葉は少なかったが、父娘(おやこ)の意思はそれで通じ合っていた。
 若き娘の竜はヒトと共に歩むことを選んだ。共に闘うことを選んだ。
 老いた父の竜はそれを隠居の庵から見守り、静かに祈ることを選んだ。
 ──違った選択であっても、そこに誰が責め立る資格を持てようか。
『まぁ、その……。あれだ……』
 どうにも間が持たない。再びジークは気まずく思ったのだろう。
『これからは、まめに連絡するようにするからよ』
「本当にっ!?」
『おっ!? お、おう……』
 だからこそ、妙な沈黙を破るべく口にしたその一言だったが、それに他ならぬアルスが普
段の大人しさが何処に行ったのかと言わんばかりの勢いで食い付いてきた。
「本当だねっ? 約束だよ?」
『あ、ああ……。や、約束する。つーか、端末を使えるのリュカ姉だし……』
 映像器に張り付きアップになる弟に、思わずたじろぐジーク。
 それでも兄は、これからは消息を知らせてくれる──。アルスは満面の笑みになった表情
にも内心にも、深く大きな安堵を滾らせていた。
 それは場の皆も同じで、少なからぬ者がホッと胸を撫で下ろしたようにし、互いの顔を見
合わせもしている。
「うん。うんっ……!」
 アルスは何度も嬉しそうに頷いていた。その傍らでエトナやイヨ達が微笑ましい視線を彼
に向けている。
「あ、あの……ジーク様。既に報道でご存知かと思いますが、陛下よりアルス様のお世話を
任されました、侍従長のイヨ・ミフネと申します」
『ああ、知ってる。ホームの前で取材に答えてたよな? アルスのこと、宜しく頼むよ』
「は、はいっ。勿論でございますっ」
 そして兄皇子が相手なら言わずにはいられないと、イヨが改めて画面越しに恭しく自己紹
介をしていた。ジークも彼女のことは既に把握しているようで、もう一度、画面の向こうに
映る侍従衆らの顔を一人一人確認するように眺めている。
 また緊張してガチガチになる彼女に苦笑いを返しながら、隣のリンファがそんな久々の彼
を見上げた。彼の肩には、長い布包み──間違いなく六華だろう。
「こちらは万全を期する覚悟です。ジーク様も、決して無茶はなさらぬよう。いざとなれば
私達も協力を惜しまぬつもりでいます。ゆめゆめお忘れなさらないで下さい」
『……ああ』
「そっ……それと、用心の為に、今後連絡の際には回線IDは通信毎に換えるように致しま
しょう。後でこちらから幾つか候補のデータを送信します。できるだけ偏らぬように使い分
けて下さい」
『分かりました。ご配慮、感謝致します』
 そこまで至って、ようやく面々はぎこちなかった久々の会話を弾ませることができるよう
になっていた。仲間同士、友人同士。それぞれが画面越しに思い思いの報告と談笑を重ね、
交わしてゆく光景が拡がってゆく。
『……アルス』
「? 何?」
 そんな中で、兄は弟に静かな声色で言った。わいわいと、仲間達の声が少しばかり意識の
遠くの方で聞こえるような気がする。
『絶対、父さんを助け出してくるからな』
「…………。うんっ」
 きっとそれは、決意の言葉。
 アルスは今度こそ、そんな兄達に激励の笑顔を返していた。


 レノヴィン兄弟──ジーク・アルス両皇子の帰還・出奔は、何もマスコミや巷の“燃料”
に資するだけのことではない。
 世界各国の諸勢力も、また彼らの動向に視線を強く遣り始めていた。
 巷で大きく騒がれているから? いや……為政者としての立場では、違う。
 かの兄弟が、切っても切れない関係性に為ったからだ。
 今や彼らを語ることは、コインの裏表のように“結社”について語ることに等しい。
 これまで世界各地で暗躍してきた、結社“楽園(エデン)の眼”。
 各国はその存在こそ把握していたが、これまでその神出鬼没さと無尽蔵にも思える戦力に
大なり小なり手を焼いてきた。そんな彼らが、此度のトナン皇国の一件で初めて大きく世に
姿を晒したのである。
 それはセカイにとって大きな不安要素ではあったが、同時に絶好の機会だとも言えた。
 長年──そもそも彼らが、いつ頃から暗躍を始めたかさえ定かではないのだが──自分達
を悩ませてきた存在。
 その尻尾を、間接的にはであるが、かの兄弟を追う事で掴みうる状態になったのだ。

『──以上が現在のサンフェルノ村の状況で御座います』
『うむ。ご苦労』
 場所はアトス連邦朝王都・クリスヴェイル。その王宮内(ちゅうすう)。
 国王アトモスファイ・ハウゼンの御前で、官吏の一人がそう報告を読み上げていた。
 その内容は、先日監視団を遣った同国内の小村・サンフェルノの状況報告。
 本来は小さないち地方の村に過ぎなかったかの地は、今やスメラギ一家亡命の地として世
の人々から注目を集める場所となっている。
「……陛下。配慮を下さり、改めて御礼申し上げます」
『構わぬ。私とて、此度の件は“贖罪”のつもりなのだ。確かにお主の吐露には驚かされた
が、それ以上に身に詰まされたからな』
 玉座に腰を下ろしているハウゼン王の御前、その眼下の左右には王都近隣の諸侯らが頭を
垂れて礼の姿勢を取ったまま控えている。地理的にスケジュール的に直参できない者らも、
通信──中空に多数展開されたディスプレイ越しに出席としている。
「……。あの折は、無礼を」
『構わぬと言っておろう? むしろお主の心根を見れて実は安堵もしたからの。それに……
かの国の皇子が我が国に“留学”しておるのだ。こちらから配慮の一つもなければシノ皇に
礼を欠くというものだ』
 エイルフィード伯セドも、そんな通信でも出席者の一人だった。
 王にサンフェルノへの心遣いを頼んだのは、他ならぬ彼だった。それでも実際に人員を動
かす命を出してくれた王には、重ね重ね心からの感謝ばかりが募る。
『ただ、分かっておるとは思うが……その分、お主の責任はより重くなるぞ? いいな?』
「はい。元よりその所存で御座います」
『……ならよい。今後も“対トナン特命大使”としての任、つつがなく果たすように』
「謹んで。然と承ります」
 その一方でハウゼン王は、セドにそんな言葉も紡いでいた。
 勿論、それは額面通りの要求に見合うだけの責任を果たせという旨もあったのだろうが、
何よりも他の諸侯とのパワーバランスを考慮してのことだったのだろう。
 相変わらず賢明なお方だ。そう思う一方で、セドはこんなパワーゲームに割くエネルギー
を領民に向けることができたら、どんなに今以上に人々を支えられるだろうかとも思った。
 暫くの各種報告が続いた後、この日の御前会議は終了した。
 退出していく王の間の諸侯らの姿をちらと見遣ってから回線を切り、セドは腰掛けていた
執務室の椅子にぐっと背を預けると、一度大きく伸びをする。
「お疲れ様でした。セド様」
「おう。ま、時期が時期だからな。ちゃんとアフターケアもしとかねぇと」
 その様子を見て、側近である執事長アラドルンが、事前に淹れたとみえる紅茶を差し出し
てきた。ソーサーごと持ち上げ、セドは「ん……」と息を漏らしながらごくりと一服。再び
深い安堵の息をつく。
「一先ず、サンフェルノへのフォローは整いましたな」
「ああ。まぁどのみち村の皆さんには騒々しい目に遭わせちまうんだがよ」
 アラドルンが二杯目を注いでくるのを見ながら、セドはそう呟いて苦笑していた。
 この対応も、元より予定に折込済みではあった。しかし──こうして徐々に“巻き込む”
対象が増えてゆくのは、歯痒い。
 それがたとえ親友(あいつ)の帰る場所を守ることでもあるとしても、だ。
「やっぱ、ジーク達は西(ヴァルドー)に行くんだろうなあ」
「そうですね。コーダス殿の生存を確認した当人がそう話しているくらいですので」
 今度はスプーンで掻き混ぜてやりながら嘆息を。アラドルンもまた、静かに首肯する。
 サンフェルノへ遣った当家の人員・間者らの報告によると、つい今朝方ブルートバードと
村の通信の最中に彼らが連絡を寄越してきたらしい。
 そこで語られたのは“南回りに西方へ向かう”という彼らの今後の行動指針で。
 出奔から一週間弱。ようやく訪れた消息の報にセドは安堵したが、同時に警戒の眼を一層
周囲に遣らざるをえなくなった──また面倒な事になりそうだとも思った。
「御前会議じゃまだ上がらなかったが、おそらくは他の諸侯(れんちゅう)も大なり小なり
知ってるんだろうな」
「はい。監視団は何も当家の者ばかりではありませんから」
「だよなぁ……。でもまぁ、一応報せておくか。後でサウルさんに導話を繋ぐ。あっちは実
の息子まで一緒だからな。心配もひとしおの筈だ」
「了解致しました」
 二杯目をごきゅと喉に通し、セドは心持ち中空を見上げていた。
 彼らも全く想定しない訳ではないだろうが、今頃世界の主だった勢力は出奔の皇子の肉声
とその行き先を傍受してあたふたとしていることだろう。
「……。あの通信が、彼らに不利に働かないことを祈るばかりですね」
「そうだな。ま、そうは問屋が卸さねぇってのが政治の駆け引き(くそったれゲーム)なん
だろうけどさ」
 歯痒い。親友(あいぼう)の子らはただ、父の姿を追っているだけなのに。
 もどかしい。ただそれだけなのに、世の貴族連中や或いは巷のゴシップはある事ない事を
書き立て騒ぐのだろう。……それが“有名税”だとしても、やはり理不尽だと自分は思う。
「……。しゃーないんだけどな。俺達はできることを、国内(ちかば)からあいつらの害に
なりそうな奴らを千切って投げてするしか」
「サヴィアン侯、ですか」
 セドは、目を瞬かせて逡巡しながらも言ったアラドルンに苦笑を漏らした。
 確かにあの狸ジジイのことだ。このまま“叱られて”引き下がったままのタマじゃない。
 今頃は虎視眈々と意趣返しの機会を窺っているのだろう。そういえば、先の会議でも自分
のことを仇敵のように睨んでいたような、いなかったような……。
「まだまだ終わりゃあしない、か……」
 全く、無駄なパワーゲームばっかりしやがって──。
 ぐびっと飲み干した紅茶のカップを置いて、セドは大きく嘆息をつきながら眉を顰める。

 そしてそんなセドの憂慮は、実際に“正解”であったと言える。
 時を前後し、東方の諸侯連合体・レスズ都市連合も密かに動きをみせていた。
「──やはりアトスは影響力を行使してきましたな」
「これで我ら以外にも、皇子アルスは自分の掌の上に在るとアピールされているだろう」
「口惜しいですな。皇国(トナン)は我ら都市連合の版図であるというのに……」
 動き、というと厳密には違うかもしれない。
 ただ少なくとも、邸宅の一室で諸侯らによる密談が交わされていたのは事実だった。
 面々は皆、各地の名士──爵位を有した者達だ。何も彼らに限らないが、この場に集まっ
た顔ぶれは概して“成金”と称される部類になるのだろう。
 彼らの武器は武力ではなく、財貨だった。
 そして何より、己が利権を確保すべく平然と立ち回ることのできる狡猾さだった。
 彼らは内心焦っていた。互いに腹の底を探り合っていた。
 目下の懸念は、皇国(トナン)擾乱における北方の盟主・アトス連邦朝の台頭。
 内乱それ自体はアズサ皇の死という形で終結をみたが、その後もかの国はアルス皇子を領
内に引き続き“留学”させている。
 ──つまり、これは彼らの眼には“人質”と映っていたのである。
 元々アトス領内にスメラギ一家が亡命していた経緯もある。だがその事実が把握・公表さ
れても尚、皇子の片割れを囲うことは間違いなく皇国──シノ皇に対するアドバンテージと
なる筈だ。
「しかしどうすればいい? 相手はあのアトスだ。顕界(ミドガルド)第二位の領有地を誇
る強国……。悔しいが、都市連合(われわれ)ではまともにぶつかっても敵わぬぞ?」
 彼ら権謀を巡らせんとする東方諸侯らにとって、強く不満だったのは“不公平”だった。
 皇国(トナン)は、我らが版図。
 しかし指揮官を務めたフォンテイン候がいながら、結果はこのざまである。
 気付けば自分達は、すっかり得られるパイを少なくさせられているのではないか……?
「それは勿論。皇子が抑えられている以上、我々はアトスよりも強力にトナンに影響を与え
るポジションに立つ必要がありまする」
 故に、密談。
 せっかく兵を出し、長年微妙な距離感が続いていた皇国(かのくに)に踏み込めたのだ。
 にも拘わらずその“対価”が自分達には不十分だと、彼らは感じていた。
 更にそれらは、何もアトス側のアドバンテージだけの話ではない。
 新たに皇と為ったシノ・スメラギだ。彼女は(遠回しながら)開拓路線に否定的であるよ
うに映る。これから暫くは国内の復興に手を取られるであろうが、さてはてその後の統治は
どんな方向に往くのか──言い換えれば、どれだけ自分達にとって利益になるのか。
『……』
 猜疑心。だが事実の断片を集める限り、自分達が“不利”の側にあることに疑いはない。
 このままでは、全て持っていかれてしまう。トナン皇国という北方とのボーダーの一つが
彼らの色に塗り替えられてしまう。……それだけは何としてでも阻止したかった。
「……皇子が駄目なら女皇、ですな」
 そして出席していた諸侯の一人が言った。お洒落を気取り生やした顎鬚をしごきながら、
彼はちらちらっと他の面子に目配せを遣っている。
「ええ。ですが、いきなりシノ皇にパイプを持つのは難しいでしょうな」
「全くもって。こうした心算は、間違いなく他の勢力とて同じでしょう」
 方向転換により逆転を図る。だがそれもまた、一朝一夕にはいかぬことは明白で。
 だが、諸侯らの思考回路はそこではたと一致したらしい。
 彼らは互いに頷き合うと、誰からともなく身を寄せて目を細め、
『──先ずはフォンティン候を押さえましょうぞ』
 そう確かめ合うように呟きを交わす。

「──陛下。傍受、成功しました」
「おう。繋げ」
 一方でもう片方の皇子・ジークに名指しされた国々もまた、それぞれに今後の対応に頭を
悩ませていた。
 一つは最終的な行き先とされた西方。その盟主たるヴァルドー王国。
 その中枢、グランヴァール城の玉座に着いていた男性は、ようやく返ってきた技師らの合
図にニッと口角を吊り上げていた。
 ファルケン・D(デュセムバッハ)・ヴァルドー。現在のヴァルドー国王である。
 歳は三十代半ばといった所か。刈り揃えるも彼方此方からつんと尖って伸びかけた茶髪と
額に巻いた紺色の鉢巻。眼は王の風格に相応しい鋭さであり、強い意思を感じさせる。
 自ら、肘掛け横のサイドテーブルに置かれたボトルを引ったくり、杯に並々と注ぎながら
彼はそう短く指示を出す。
『──今は、灯継の町(ヴルクス)って町にいる。まぁ飯食ったら此処も発つつもりだが』
『──俺達は、これから西方に向かおうと思ってる』
『──厳密にはぐるりと南から遠回りするつもりなんだがな。……西方(あっち)は開拓が
盛んで保守派連中とのいざこざも特に多い。だからその中に結社(やつら)の情報が混ざっ
ているじゃねぇかと踏んでるんだ』
 断続的に不快なノイズが交じっていた。
 それでもファルケン王ら、王の間に参じた面々は確かに、配下達に傍受させたジーク達の
通信からかの皇子がこれからどう動くつもりでいるのかを耳にする。
「……雑音が鬱陶しいな。もっとクリアにできねぇのか」
「こ、この辺りが限界なんです。こちらは外部から使われているストリームに干渉していま
すので。あまり精度を上げ過ぎると向こうに勘付かれる危険が──」
「んなこったぁ知ってんだよ。そうじゃなくて、勝手に諦めんなって言ってんだ。責任なら
俺が持つ、ギリギリまで上げろ。ちゃんと記録データに耐えうるくらいにはしとけ」
「は、はい……っ」
 ぐいっと杯の赤葡萄酒(ワイン)を空け、ファルケン王は静かに親指の先を唇に当てて思
案顔になっていた。
 先のトナンでの一件では、アトスとレスズに後れを取った。
 十中八九向こうも想定内として動いたのだろうが、こちらは既に領内の保守派──反開拓
勢力への対処で手一杯な状況にある。
 何よりそんな彼らを“結社”が秘密裏に支援しているとの情報もあった。
 懐側の種火を放っておいて「対岸の火事」を消しに行くなど、得策ではなかった。
『──まぁ、その……。あれだ……。これからは、まめに連絡するようにするからよ』
 先程よりも拾われる音声の精度がクリアになった状態で、そうジーク・レノヴィンが語る
声が聞こえた。よほど嬉しかったのか、弟たるアルス皇子は飛び掛らんほどの勢いでそんな
兄の言葉に食い付いている。
「……。ふむ」
 ぽつりと、ファルケン王は小さく呟いていた。
 同時、場の諸侯や官吏達が一斉に視線を向けてくるのがはっきりと分かる。
「面白ぇじゃねぇか」
 ファルケン王は言って、すっくと玉座から立ち上がった。
 浮かべる表情は、自信に満ちた不敵なる笑み。
 杯を持った手はそのままに、彼は再びボトルからワインを注ぐと一気に飲み干す。
「来るなら来いよ、ジーク・レノヴィン。お前はきっと……このクソったれな世界を変える
起爆剤(クスリ)になる」

 そしてもう一つは、このヴァルドーへと向かうルートとして言及された南方。その盟主で
あるサムトリア共和国だった。
「──うぅん……」
 所は、首都サムトリアン・クーフ。
 その大統領府内執務室にて、彼女は深く眉間に皺を寄せて頭を悩ませていた。
 ロゼッタ・ウィンストン。通称ロゼ大統領。
 このセカイでは珍しい、王侯貴族の特権を削いだ上での政治形態を持つ国、その代表格の
為政者──しかもまだ若き女性国主──である。
 元々は“統務院議員”をしていたが、数年前にこの故郷サムトリアの国政に進出。少々生
真面目でこそあるが、実直な人柄が人気を集め、遂には国のリーダーにまで上り詰めた。
 だがそれは……一方では政権の脆弱さと表裏一体でもある。
 議員時代もそう派閥を抱えていた訳でもない。むしろそんな腐敗の元凶すら嫌った。
 しかしだからこそ、圧倒的にそのチカラの基盤は不安定だと言わざるを得なかった。
 今回皇国(トナン)の内乱平定に加わらなかったのも、ひとえにそうした内政上の懸案が
重く圧し掛かっていたからだった。
 人々を守る為に兵を出し、他国の人々を傷付け、更にその出費を領民への税として上乗せ
するような真似は──彼女にとって、その信条が許さなかった。
「だ、大丈夫ですか? 大統領」
「……。え、えぇ、大丈夫。貴方達も仕事に戻って?」
 報告書を上げてきた官吏達も、流石にそんな自分達のリーダー見るに見かねたのか、そう
心配そうな声色で訊ねてくるほどだった。それでもロゼ大統領は苦笑いを返すだけでそう言
い包めると、彼らをそれぞれの持ち場へと返してしまう。
(……ジーク皇子が、南方(こっち)に来る)
 デスクの上に所狭しと積まれた書類に目を通し、もう片方の手で大統領のサインを走らせ
ながら、ロゼ大統領は内心不安と嘆息を禁じ得なかった。
 あくまで私的な感情ではあるが、今更トナンへ参戦しなかったことを悔やむ気はない。
 心配なのはむしろ、皇子(かれ)の方だ。
 流石に“疫病神”とまでは口が裂けても言葉にできないが、間違いなく彼の接近はこの国
は勿論、周辺各国・諸侯らにネガティブな影響をもたらすだろう。
 故アズサ皇の国葬の折には“結社”への宣戦布告も叫んでいたのも記憶している。
 その為のヴァルドー行きは、確かに効率的ではあるかもしれない。だが正直、その旅路の
中にこの国が含まれてしまうことは……御免被りたかった。
(保守同盟(リストン)を狙って? いえ……考え過ぎかしら)
 少なくとも自分が把握している限り、この国に“結社”の表立った暗躍はみられない。
 それでもやって来るのは、単に通りがかるだけなのか、それとも別筋から何かしら情報を
得ているのか。……考えれば考えるほど、頭の痛い話である。
 既に、他の国々も動き出している筈だ。
 名指しされた西のヴァルドーは勿論、先の内乱に深く干渉した北のアトス・東のレスズ、
同じ保守派という括りではリストンも何かしらアクションを取るかもしれない。
 更にまだ速報段階だが、手元にはクリシェンヌ教団も動き出しているとの報告もある。
「せめて皇子には、此方にいる間はトラブルを起こさないでいて欲しいのだけど……」
 大きくため息と共に出てしまった本音。彼女は思わずハッと口元を手で覆った。
 厄介な……。そういう気持ちがない訳ではない。
 だが、そう……領民だ。何より領民がこうした局面においては、彼らがいの一番に被害を
受けるのだ。私はそれを憂慮している。それも……憂慮している。
「──大丈夫ですわ。大統領」
 すると、そんな彼女に掛けられる妖艶な声色があった。
 ロゼ大統領がデスクから視線を向けると、そこには執務室の隣、硝子の間仕切りの向こう
で寛ぐ一人の女性が、のんびりと丸テーブルの上に手をかざしている。
「星々(ストリーム)の導きは……まだ、貴女に警句を発してはいませんもの」
 白系の長い銀髪を藍色のリボンで緩く巻いた、眞法族(ウィザード)の女性だった。
 年格好は大統領より五、六歳ほど上だろうか。
 しかし全身にフィットした黒ローブを纏う、そんな彼女の雰囲気は実年齢よりもずっと麗
しくも妖しげだ。彼女はテーブルの上に並べた占札(タロット)を一枚手に取り、ちらりと
ロゼ大統領の方を見遣ってくる。
「抗うのではなく、乗りこなすことが賢明ですわよ。政治も人生も、ね」
「……。悠長な」
 一瞬だけロゼ大統領は眉を顰めたが、すぐに元の生真面目な冷静さに戻っていた。
 そしてややあって止まっていた手は動き出し、国主の実務は再開される。
「ですが貴女の星詠みは信用することにしています。その魔導の力、これからも存分にこの
国の運営に活かさせて貰いますよ? ──“黒姫”ロミリア」
 ぼそりと、そう改めて言い聞かせるように、この黒ローブの女の名を呼びながら。


 南方中東部某所。辺り一帯は見渡す限りの瑞々しい緑の丘陵が広がっていた。
 こうした風景は南方(ここ)において、そう珍しくはない。
 盟主国サムトリアを始め、顕界(ミドガルド)南方は総じて肥沃な大地に恵まれている。
 それは南方が「地」の力を強く宿す“緑の支樹(テラ・ストリーム)”の影響を大きく受
けているからなのだが、そうした理屈を抜きしても、広大で豊かな土地は古くより安定した
食糧確保を可能にしてきた。
 魔導を始めとした学問が盛ん──それだけ思考面での余力があるのは、少なからずそうし
た生計的な背景も大きいが故と考えられる。
「おい、そこの肉焼けてるぞ」
「あ。ういッス」
「ちょっ!? お前肉ばっか食い過ぎだろ~」
 そんな緑の風景の中に、とある一団が交じっていた。
 小川の脇に集まっているのは、火を熾して食事を摂っているからであるらしい。
 獣人や人族(ヒューネス)を中心に、その身なりは概して荒っぽくも活動的。間違いなく
彼らは冒険者の一団だと思われる。
「ははっ、構わねぇよ。しっかり食って体力つけとけ。まだこの先は長ぇんだからよ」
 そんな面々の中にあって、そのリーダー格の男は呵々と笑いながら自身もむしゃりと肉塊
を頬張っていた。
 赤い髪に褐色の肌の、がっしりとした体躯の蛮牙族(ヴァリアー)の男性だった。
 首周りにもふもふした毛が付いた茶色のマントを肩から引っ掛け、腰には横向きに幅広の
長剣が鞘に収められている。
「ん……美味い」
 彼らは、この赤髪の男を団長とする冒険者クランの一行だった。
 このように、冒険者(ないし旅人の類)が野外でキャンプを張っているのは──魔獣や野
盗に狙われるリスクがあるとはいえ──そう珍しい光景という訳ではない。
「──あの~……」
 だが、少なくともこの時の彼らの選択は、期せずした出会いを呼び込むことになる。
『……??』
 ふとおずおずと呼び掛けてくるような声がして、赤髪の男たちはキョロキョロと周りを見
渡した。そして気付けば、小川の向こう──雑木林の方から一人の少女が顔を覗かせている
のが分かった。
 尖り耳に白い肌。間違いなく、妖精族(エルフ)の少女だった。
 (長寿種族なので実際は分からないが)年格好は十六、七歳といった所か。鮮やかな栗色
の髪を短めのサイドポニーにし、おっかなびっくり……いや、むしろ好奇心に打たれている
かのようなあどけなさを感じるようで印象的だった。
 赤髪の男は、仲間達と思わずちらりと視線を交わらせていた。
 敵として警戒している訳ではない。一般に閉鎖的排他的と言われるエルフが、何よりまだ
歳若い女の子が一人でこんな所でうろついている事に、彼らは怪訝を覚えたのである。
「……何だい、お嬢ちゃん? 妖精族(きみみたいなこ)がこんな所でウロウロしてるなん
ざ珍しい」
「ああ、はい。実は私、パパとママに“お遣い”を頼まれて旅をしている最中なんです」
「ほう……?」
 彼女にそう打ち明けられ、赤髪の男はつい小さく唸っていた。
 可愛い子には旅をさせろとは云うが……最近の親は何を考えているのやら。
 こちらに敵意がないと判断したのだろう。ややあってこのエルフ少女は、小川に点在する
岩をぴょんぴょんと飛び移りながら伝い、小走りで彼らの下へと近付いてくる。
「それで? 君は何処に用事があるってんだい?」
「はい。梟響の街(アウルベルツ)という街なんですけど……知ってますか?」
 しかし今度は、また別の意味で面々は目を丸くしていた。
 知らぬ筈はない。今やあの北方の街は巷で知らぬ者がいないほどの──皇子留学の地とし
て一躍有名になった場所なのだから。
 だが、この場においては、彼らの驚きはそんな世間一般からの感慨とは別の方向から来た
ものであったらしい。
 見合わせる顔は、苦笑。或いは困惑。
 ややあって、一団を代表して赤髪の男が少女に向かって──嘆息交じりに言った。
「……お嬢ちゃん。意気込んでる所に水を差すようで悪いが……“方向が真逆”だぞ?」
「ふえっ?」
 そうなのだ。
 ここは南方。件のアウルベルツがある北方とは、まるで方角が逆なのである。
 そんな彼の一言で、仲間達もそれまで控えめにしていた苦笑を濃くしたようだった。どう
したものか? そう互いに戸惑ったように顔を見合わせている。
「ぇ……えぇぇぇぇっ!? じゃあ何? 私、ずーっと道を間違ってたんですかぁ!?」
「そう、なるな……」
「うぅ……っ。どどど、どうしよう!? 用意してきたお金も残り少ないのに、しっかり向
こうでのスケジュールも組んでたのにぃ……」
 少女は大きく慌てていた。落胆していた。
 とはいえ、無理もないだろう。目指していた方向とはあさっての道を行っていたと今更に
なって気付いてしまったのだ。まさに徒労である。
「つーか、どうやったらそんな盛大な間違い方するんだよ……。あっちとこっちじゃあ気候
だって全然違うだろ」
「そう言われましてもぉ……。私、古界(パンゲア)から来ましたので……」
「ああ……」「なるほど。天上層(うえ)の子なのか」
 ため息をつきつつ、宥めつつ。
 そうしてようやく彼らにも彼女の経緯が分かってきた。
 第一に土地勘がないのだ。天上世界の者であるのなら仕方がない。
 ただそれでも、ここまで盛大に方角を間違うというのは、彼女自身の問題──間違いなく
おっちょこちょいな部分が影響したと思えるのだが……。
 彼らは、暫くどうしたものかと互いの顔を見合わせていた。
 そう話し込んで思案し合っていたものだから、焚き火で焼いていた肉も少なからず焼け過
ぎて黒くなり始めている。
「……ふぅむ。ま、問題ねぇさ」
 木串に刺していたそれらを除けながら、やがて赤髪の男がそう口にした。多少焦げても気
にしないと言わんばかりにむしゃりと肉塊に喰らい付き、豪快に咀嚼して飲み込む。
「お前さんも俺達と来ればいい。旅費もお互い折半できるぜ?」
「えっ? いいん、ですか……?」
「ああ。今更一人二人増えようが変わりゃあしねぇさ」
 それが団長としての、仲間達から向けられた視線を受けての結論だった。
 少女が短く、おずおずと尋ね返してくるのを、彼は呵々を笑って受け入れていた。
 バサリとマントを翻し、まだ不安そうな彼女に肩越しからその正面へと、視線と身体を向
け直してから言う。
「何たって、俺達の目的地も梟響の街(そこ)なんだからよ?」

 久々に兄らと言葉を交わした興奮も覚めやらぬまま、すっかり日は沈み、アウルベルツに
も夜の帳の中が降り始めている。
「──……と、そういった感じで昨夜こちらに帰って来ました。本当ならすぐに連絡を取る
べきだと思っていたんですが……」
『気にすんなって。もうお前は皇子様なんだぜ? 俺みたいな一介の教員にそうヘコヘコし
てちゃ、他の連中に舐められちまうぞ?』
 夕食と入浴を済ませた後、アルスはイセルナに頼んで彼女の部屋の端末を借りていた。
 目的は、報告。兄ではなくこの街の学院に──指導教官であるブレアにである。
 以前街を飛び出して行った際、精霊伝令によってブレアの住むアパートは分かっていた。
 そこから学院側に問い合わせて連絡先を教えて貰い、今こうして映像越しに彼にこれまで
の経緯を話し、そして何よりも身勝手に出奔したことを詫びていたのだった。
「そ、そう言われましても……。正直まだ慣れてないんですよね。自分が王族だなんて」
 さてどんな咎めが待っているかと、アルスはおっかなびっくりだったのだが、予想に反し
て彼からの叱責はそう多くは語られなかった。
 もう皇子であると公にされた故の遠慮──ではないだろう。それはこうして話している間
も従来通りのざっくばらんである彼の口調から判断できる。
『お前がそう思ってても、周りはもう一介の生徒とは見てくれねぇぜ? それはこっちに帰
って来た時の“歓迎”ぶりで嫌ってほど味わってると思うんだがな』
 ブレアの言葉に、アルスはただ苦笑していた。
 そうなのだ。もう自分は、平凡な日常から手を引かれて遠退きつつある……。
『有名税って言えばそれまでだが、面倒臭いもんだよな。お前が皇国(あっち)でどれだけ
苦労したのか、世間の連中は一割も理解しちゃいねぇだろうに」
「……そんなものですよ。むしろ皆が味わわなくて、いいことです。あんな……争いは」
 アルスが言葉を時折詰まらせながら言い、ブレアもまたその乾いた笑いに黙っていた。
 人々の“他人事”ぶりに嘆くのも、憤るのも、筋が違うとアルスは思っていた。
 まだ彼らは、平和なのだと思う。
 現実として今尚“結社”の影は各地でちらついているにしても、実際の火の粉を被ってい
ないのならそれに越した事はない筈だ。あの戦いを経験した自分が、そんな彼らに「私怨」
を理由にあのような危険へ一様に眼を向けろと強いるのは……違うと思う。
 やっぱりお前は“甘い”よ──。
 そう画面の向こうのブレアは、そっと視線を逸らしつつ呟いていた。
『……ま、お前がそう思ってるなら俺がどうこう言える立場じゃないな。だがその気負いで
修行に身が入らないってのは止めてくれよ?』
 だがそんな小声と視線も一瞬のこと。次の瞬間には再び彼はアルスに向き直り、何処とな
く茶化すような言葉を掛けてくる。
 アルスは「だ、大丈夫ですよ……」と苦笑い。
 ブレアは「はん。本当かねぇ……?」と口角を吊り上げニマリと笑う。
 そんな二人のやり取りを、アルスの頭上中空に浮かんでいたエトナが寝惚け眼のままぼう
っと眺めていた。
 外はしんとしている。宿舎(ここ)は通りから距離がある所為もあるのだろうが、四六時
中マスコミなどに騒がれれば自分も皆も参ってしまう。
 誰しも、時には親しい誰かとの一時が必要なのだ。安心できる、閉じたセカイが。
『まぁ改めて月並みになるが……。お疲れさん』
 そんな中で、ブレアは再度画面の向こうで居住まいを正して言葉を紡ぎ、
『また研究室(ラボ)で会おうや。皇子だからって手は抜かねぇぜ? 向こうに行ってた分
の空きを埋める為にも、またビシバシ鍛えてやっからよ』
「……はいっ、宜しくお願いします」
 あくまでいち生徒として、アルスはその激励に微笑み、応える。

 彼らがやって来たのは──そんな夜のことだった。
「はい。リンファさんも」
「お気遣いありがとうございます。頂きます」
 ブレアとの通信を終えた後、アルスは端末を借りていたイセルナに礼を言って部屋を後に
した。その折、彼女と同じく自分を待ってくれていたリンファも一緒に。
 最初はそのまま自室に戻って夜長を過ごそうかと思ったが、すぐに気が変わった。つい先
程まで話し込んでいた事もあり、ふっと喉の渇きを覚えたからだ。
 宿舎の廊下で踵を返し、一旦中庭内の渡り廊下に出て酒場(食堂)へ。
 居残り談笑していた団員らと会釈などを交わしながら、アルスは自分とリンファ、二人分
の茶を淹れて貰った。
 コップを手渡すと、彼女はふっと穏やかに微笑んでいた。
 アルスは彼女と二人、カウンターの前で暫しの一服を取ると、再び宿舎に戻ろうとする。
(……?)
 変化を察知したのは、ちょうどその折だったのである。
 酒場の裏口を出て、渡り廊下を行く途中。そこで何気なく中庭の向こうを見遣ったアルス
はそこ──クランの勝手口の門に灯りが点いているのを認めたのだ。
 リンファともちらと顔を見合わせ、静かに怪訝の表情。
 あそこは名の通り、ホームの正式な出入口ではない。路地裏から接続する勝手口は、団員
や関係者ではなければ普段そう利用されてはいない。
「誰だろう? こんな時間に」
「マスコミでしょうか。交替で団員(みな)で見張りをしている筈ですが……」
「うーん。じゃあ何でわざわざ灯りが? それに何か知らない人も来てるっぽいよ?」
「え?」
 夜闇の中では中々目が利かないが、精霊(エトナ)には遠目でも充分、向こうで起きてい
る変化を確認できるらしい。
 再びアルスとリンファは顔を見合わせた。
 まさか、侵入者か? ならばすぐにでも加勢を……。
 腰の太刀に手を掛け、ローブの裾を翻し、二人と一体はにわかに神妙な面持ちで足を踏み
出してゆく。
 ──勝手口に姿を見せたのは、一言で表現するなら「法衣の一団」だった。
 胸元には、クリシェンヌ教徒であることを示す三柱円架型の止め具。
 だが基本的に「純白」を基調とする同教の法衣とは対照的に、彼らは一様に漆黒の法衣を
身に纏っていた。
 ……いや法衣、という表現も似つかわしくない気がする。その佇まいは、あたかも教徒を
演出しつつもある種の攻撃性を秘めた、そんな厳しさにも似た印象を与えてくるからだ。
「よう。夜分に失礼するぜ」
 そんな対面の中、戸惑う団員らに向かって、彼らのリーダー格とみられる男性は言った。
 年格好は三十代半ばの金髪の人族(ヒューネス)。だがその雰囲気は“信仰者”にはあま
り見えない、明らかに冒険者(こちらがわ)に近いものだと面々は感じる。
「……久しぶりだな、兄貴。かれこれ十年近くになるか」
 だがそれ以上に団員達が驚いたのは、次に発されたその言葉だった。
 兄貴。彼にその呼び名を向けられた当人──アルス達よりも一足先に顔を出していたハロ
ルドに面々の視線が自然と集まる。
「……」
 しかし当の彼は、眼鏡の奥の瞳を静かに光らせながらもじっと黙していた。
 探り合っているらしかった。そんな二人の間に降りる沈黙に、何気なく一緒について来て
いたレナが、おろおろと不安そうに両者を見比べている。
「お、お父さんを兄貴って……。貴方は一体……?」
「ん? 何だ俺のこと覚えてないのか、レナちゃん? まぁ無理もないよなぁ……。兄貴に
連れられて出て行ったのは、まだ小さい頃だったし……」
 レナは最初この男性が誰か分からないでいたが、彼がそうごくごく自然に自分の名を呼ん
できたことで、ようやく引き出しの奥にあった記憶を探し出すことができた。
「……まさか。リカルド、叔父さん?」
 嗚呼、そうだ。まだ幼い頃、教団にいた頃、度々養父(ちち)の元を訪れては仲間達と飲
み食いをしていた風来坊さんなおじさんがいたっけ……。
 おっかなびっくり。
 そして、レナがやがて驚いたように声を漏らすと、
「ああ。久しぶり。暫く見ない内に随分とべっぴんさんになったじゃないか」
 この黒法衣の男性──もといリカルド・エルリッシュは、それまでの厳しい表情をふっと
緩めると、そう懐かしそうに応えたのだった。

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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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