日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)裁くな捌けその情動(ココロ)

\硬い/\長い/\臭い/ It's my quality.<(^o^)>
どうもこんにちは。堅苦しい文章に定評(?)のある物書きもどきこと、長月です。

先日、連載(ユー録)の二十六章をUPしました。
そして今回より第Ⅲ部『鋼の希求心(ストロング・シーカー)』編が開始となります。
物語は皇国から世界へ。兄弟とその仲間達、そして彼らを取り囲む一層多くの人々が抱える
想いや思惑は、否応なく大きく翻弄されてゆくことになります。
変わりゆくセカイで兄弟達は何をみるのか……? まったり手に取って下さればとm(_ _)m

しかしまぁ、何というべきか。
どうにもはたと気が付けば、以前に比べて書き上げUPした際の達成感(の深さや持続性)が
浅くみ短くなっているようなんですよね……φ(・_・;)
これも文章を書くことに“慣れた”が故の感触なのかもしれません。でも、創作する愉しみ
という点で言えば寂しいような虚しいような気持ちは拭えません。
「創らなければ」より「創りたい」を大切にしたい──とはいっても、やはり自分という名
の個人は“義務感”の類で戒め律する方が、性に合っているのかもしれませんね(´・ω・)

ただ実際、その義務感で何処まで続くのか、個人の現在の感触でいえば怪訝も濃くて……。
つい昨日今日、電撃文庫の公募(一次選考)の結果が出たりもしていますが、ではいざ自分
もそんな応募者達の中に交じる──職業的物書きを目指そうか? と問うてみると「否」と
いう返事があるというか(単に踏ん切りが付かないだけというか)。
少なくとも“エンターティナー性=「楽しませる事が第一」の精神”を我が魂が頷いてくれ
ない限り、躊躇する向きは続きそうで……φ(=_=;)


というのも、ここ暫く僕は己の創作・思索活動に関し(またもや)悶々としているのです。
不安が尽きないだけだと言えばそれまでなのでしょうが、現在の心境を一言で纏めてみるの
なら『他人の辛苦を、自分のこうした営みに拝借して善いものなのか』という自問で……。

既にご存知の方も多いかと思いますが、先日大津中でのいじめ自殺の報道があり、学校側の
隠蔽・不履行な体質に批判の声が続々と上がっている件があります。
そのネットを始めとした批判は“炎上(ヒートアップ)”を続け、遂には加害者側や当時の
(事件を受けて転校・配置転換などがされているようです)担任などの責任者らの実名まで
がネット上に「晒し上げ」られるまでに至っています。
──いじめた(そして自殺に追いやった)人間に人権も糞もあるか!
そういった義憤?に加わる人々の中はしばしばそういった旨の発言が散見されます。
──そうやって加害側を晒し上げて喚いてるお前らも“いじめ”てるじゃんよ。
その一方で、冷静(というか冷ややか)な眼も混在しており、少なくともこの一件はそう簡
単には鎮まらないだろうなぁと僕はみているのですが……。

論議に加わるとすれば、僕は後者だと思います。そう在りたい。
苛めて自殺にまで追い込んだ(と多分お上は認めたがらないのでしょうが)者達が無罪放免
であるとは僕も思いません。ましてや「苛められる方が(弱さだから)悪い」「何でせめて
一発ブチかまさなかったんだ」といった意見にも与できません(前者はそれこそ苛めの追認
ですし、人間社会ではなく“サバンナの論理”です。後者に至ってはそれをしたら報復され
るし、下手すれば逆に傷害罪として罪人にされかねないという現代司法の気難しさをまるで
分かっていない“けしからん”だけの精神論ですから)。
ただそこで──事件の当事者はともかくとしても──僕達“外野”が感情的になる合理性は
何処にあるのか? 苛めた・放任した人間達を「けしからん」「咎人である」と人格も全て
ひっくるめて“叩き潰していい”としてしまえば、それは結局の所はやはり苛めの連鎖──
『落ち度ある者は叩き潰して構わない』価値観の蔓延に拍車を掛けるだけだと思うのです。
そもそも、大半の僕らは“部外者”な訳で。
色々言いたいことはあっても(最早それ自体、今日ネットなど環境が故に大きなインパクト
を与えるのですが)“実力行使な干渉”はしてはならず、基本的に部外者は、いわんや当事
者同士は法の裁きを待ち、それに則って以後の処置を取ってゆくべきな筈です。
それが、近代社会の市民という存在な筈です──。
(だからこそ僕は今日、たとえ不完全でも司法制度が在って安堵する節があります。もしも
こんな“私刑”が跋扈する世の中であれば、この世の中はこれよりもずっと殺伐としたもの
に成り果てているのではと、恐ろしい悪寒と共に想起するからです……)

さて……。実はここからが、今回の雑記の本番です。
上記のようにこうして、僕はこうつらつらと「理性」を説いてみせました。
実際ツイッタでも「制度や人材の欠乏」「叩き潰す価値観の蔓延」を憂慮する旨のツイート
を一件その日に残しています。
ですが、考えてみて下さい。これは……酷く虚しく、高慢なレスポンスではありませんか?
一つにはどれだけ理性的見地を述べても、人の感情(ココロ)を僕が御することなどどだい
できやしない。元々“理屈は感情の理由付け装置”という側面もある以上、感情の生き物達
の激昂するさまを止められない──。その無力感、虚無感がどうしても襲ってくること。

そして何よりも……こうして理性を標榜し長々と“説教”してみせる──自信の思索の種と
する為に他人(今回の場合は自殺した少年を始めとした人々)の辛苦を平気で“利用”して
いるというこの僕という人間の高慢さ。それに気が付いた時の罪悪感と自己嫌悪なのです。

自分の創作セカイの中でも、保身や私欲の為に動き、それを恥とも思わない人々は少なから
ず登場します。ですがそれは……あくまで“現実世界の映し鏡”であって、そうした現実を
肯定的に広める心算で描いているのではありません(むしろ逆説的な批判というべきか)。
そんな“気付かせる”物語でいい、そう僕は思っていました。
愉しさもだけど、それと共に“考えてしまう”世界を著したかった。
だけど……今回の一件を垣間見、時にそれに関して思考を練っている自分自身を見つめ直し
た時、僕はその高慢さに哂いが止まりませんでした。
“人を描く物書き”──そう自称しても、結局やっていることは彼らの“蛮勇なる熱情”と
本質は変わらぬのではないか? むしろ理性の仮面を被って高みの見物を決め込み、加えて
そこから詮無い「喧伝」を吐いている偽善者ではないのか?と。
前置きでも言及しました。僕は「娯楽型」ではなく「思索型」の物書きだと。
物語で他人を愉しませるよりも、物語で以って思考を著す──そして手に取った誰かがその
中身、意図を知って顔を歪めたその時、僕は「ドヤ顔」をして彼の者をせせら笑っているの
ではないか? やはり“他人に資する”物語を書けていない、書こうとしていないのではな
いか……? そんな疑念(自己嫌悪)が強く強く、今僕の内面を抉っています。

『考え過ぎだよ』『そんなことは論文でやってろ』とはしばしば言われることで、実際こう
して理屈上の組み立ての中で認識もし、やはりかと僕もまた顔を歪める始末。
これこそ“後付け”の最たるもの──言い訳でしかないのでしょうが、僕が職業的作家の道
を夢見ても実行に移せない理由の大きな柱がきっとこれなのだと思うのです。

エンターティナー精神を持ち得ていない高慢な自我──嗜好の段階から閉じたセカイ。

それでも尚、心の隅で「ただ漫然と愉しんでいる“だけ”の人間は許せない」という狭量さ
が僕の中にある。それらをはっきりと、醜さを伴って見つけることができる。
これまで散々、僕は「寛容」なるセカイを説いてきた。
これまで散々、僕は「理性」を標榜して批評家気取りを続けてきた。
小田嶋隆氏(コラムニスト)の言葉を借りれば『批評は小物の仕事』なのだそうです。
(尤も、彼自身の肩書きが故にこの弁は“自嘲”な意図なのかもしれませんが)
そうさ。一介の凡夫が偉ぶるな。もっと真摯に謙虚に、僕は言葉を紡がねばならない筈だ。
感情を一切否定・排除することはできない。人はココロがあるからこその人なのだから。
理性を心より常に優位とみるのは間違っている。“話せば分かる”はやはり理想論だから。
ゆめゆめ気を付けないといけない。自戒し続けなければならない。
その言葉は──本当に誠を尽くしているか?
誰かの哀しみ・苦しみの上に胡坐をかいて、己が悦に浸るための手段と化していないか?
間違いなく僕は世のそんな言の葉の姿に落胆し幻滅し、それでも言葉のチカラを信じて奇麗
な言葉を少しでも残そうとして来た筈だ。
そこに“我欲”を──思索の末の「ドヤ顔」を我先にと押し込めては、本末転倒の筈だ。

エンターティナーという性質を突き詰めれば、もしかしたら、そうした「我」も御し、筆を
取る際には己を擲って他人の為に“奉仕”する存在になるということのかもしれない。
だとすれば……やはり僕は我欲(善なるセカイを渇望する欲望)の固まりだなと思う。
思索することが“悪”かは、疑問だけど。
少なくとも僕から唱えた言葉が他人にどれだけ届くのだろう? どれだけその言葉が“善”
になり得、或いは彼らの血肉になるのだろう?
嗚呼、何と業深い営みであることか。
物語というセカイ。その愉悦を共有することがこんなにも深く難しいことだなんて……。

自殺した彼の冥福を、心からお祈りします──……なんて月並みかな。
だからせめて、この雑記のエンドマークはこれで結ぼう。
彼ら世の人々以上に、自身の傲慢を罰し戒める為にも。

──他人を裁くな。己の情動を捌け。

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  1. 2012/07/10(火) 22:15:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止します。

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