日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅲ〔26〕

 知識の上での空と、実際に目の当たりにする空とではこうも違うものなのか。
 窓の外から覗く果てしないマナの雲海──霊海の白濁色の拡がりを眺めながら、アルスは
心底そうしみじみと思った。
 アルスは今、仲間達と共に飛行艇に乗り込み、梟響の街(アウルベルツ)への帰路の只中
にある。
 セカイは……広い。
 こんな大空をぼうっと眺めていると、つい先日までトナン皇国(だいにのこきょう)で巻
き起こっていたあの一連の内乱がまるで嘘であったかのように、酷く矮小なものであったか
のようにさえ感じられてしまう。
 勿論、そんな事を口に出す訳にはいかなかった。
 自分たち兄弟の為、何より母の為に力を尽くしてくれた皆に対しそんな言葉を吐くのは紛
れもない背信行為の筈だと改めて思い、アルスはきゅっと密かに唇を結んでいた。
「どうした? やっぱ初めての飛行艇は緊張するか?」
「大丈夫だよ~。今は共同軍の船団の中なんだし、結社(やつら)も逃げちゃった後だし。
撃ち落されやしないって」
 するとそんな自分の様子を別な風に捉えたのか、傍らの仲間達がそれとなくこちらに声を
掛けてくれる。
 隣席にはダンとミアのマーフィ父娘(おやこ)と、頭上には少々窮屈そうに中空に浮かん
でいる相棒(エトナ)。加えてすぐ前の席にはイセルナとリンファが座っており、彼女達も
ちらりと椅子の背もたれ越しにこちらに見遣ってくるのが分かる。
「ううん、そうじゃないんだけど……。大丈夫……だよ?」
 だからこそアルスはそう苦笑を向けて言葉を濁し、彼らの気遣いをありがたく思いつつも
申し訳なく思う。
 ──皇国(トナン)の内乱は、一先ずの終息を迎えた。
 しかしこれで全てが解決するとは、自分を含めたこの場の皆の誰一人として本気で思って
はいないだろう。
 大変なのは間違いなくこれからなのだ。自分達も、母さん達も。
 本来なら、公にされた己の身分──トナン皇国第二皇子という責務を優先し、何より医者
ではあっても政治は素人同然な母の傍に残るべきだったのではないか? もうアカデミーの
いち学生として学問の日々を送るのは難しいのではないか? そう自分は実際に、こうして
出立するギリギリまでずっと悩んでいた。
『──私の事は大丈夫だから。アルス、貴方は向こうで勉強を頑張ってらっしゃい。皆を守
れる魔導師になる……。昔からの夢なんでしょう? 私も応援してあげるから。ねっ?』
 だが、そんな自分の背中を押してくれたのは、他ならぬ母だった。
 戸惑う自分に母はそう微笑み掛けてくれ、臣下達を通じて必要な手続きもしてくれた。
 皇子であることは、もう既に世の人々が知る所ではある。
 しかし形式上、これからの自分は「留学」という形で引き続きアウルベルツに戻り、従来
の学院生活を送れる──何より(自分の下宿先兼護衛役という態だが)ブルートバードの皆
ともまた、一緒に居てもいいことになったのだ。
(ありがとう、母さん……)
 改めて心の中で、今や遠くの地に収まってしまった母──次代のトナン皇に礼を重ねる。
 傍には居られなくなるけど、それでもいざという時には協力は惜しまないつもりだ。
 どのみち自分の身分が知れ渡った以上、全くの以前通りにも……いかないだろうから。
「──あ、はい。そうです。こ、今後ともよ、宜しくお願いいたしまっ……ま、ます」
 その一番の例は、自分に“侍従”達がついたことだろう。
 要は皇子としての自分をサポートしてくれるスタッフ、或いは目付け役といった所。
 そしてそんなスタッフの一人が今、艦内の共同軍の面々へあくせくと挨拶回りをしている
のが聞こえてくる。
「……初っ端から飛ばしてるなあ、ミフネ女史は。大丈夫かねぇ?」
「ど、どうでしょう……。意気込んでくれているんだとは、思うんですけど……」
 隣席のダンと共に、アルスはついっと椅子の陰からその方向を覗き込んでいた。
 視線を向けた先にいたのは、一人の黒髪・黒瞳──女傑族(アマゾネス)の女性。
 癖っ毛気味の後ろ髪をアップにしてピンで留め、しきりにずれ落ちそうな四角い縁の眼鏡
のブリッジを支えながら、傍目からもガチガチに緊張しつつも面々への挨拶回り──という
よりは頭を下げてばかりに見えるが──を続けている。
 彼女の名は、イヨ・ミフネ。
 この度アルスの侍従衆のツートップ、その片割れに抜擢された人物である。
 元々はリンファと同期に宮仕えを始めた文官で、シノが幼い頃よく通い詰めていた王宮の
図書資料室に所属する司書だった女性だ。
 一度はアズサ皇のクーデターにより遠く実家に避難していたが、今回シノの実質上の女皇
就任に伴い再度出仕。そして久々に友人であるリンファと話し込んでいる際にはたと彼女と
出くわし、リンファ共々侍従衆に抜擢されてしまい──そして現在に至る。
「イヨ、あまり初めから気を張らなくていいぞ。大体の挨拶回りならこの前の壮行会で済ま
せたじゃないか」
「それはそうだけど……。で、でも皆さん全員にはまだでしょう? こ、ここは侍従衆の責
任者として改めて──」
「それが気を張り過ぎだと言っているんだよ。そう畏まらなくても大丈夫だ。焦る気持ちは
分からないでもないが、少しずつ慣れてゆけばいい」
「そ、そうですよ。折角今はゆっくりできる時なんですから。イヨさんもリラックスして空
の旅を楽しんでいて下さい」
「は、はい……。アルス様がそう仰るのなら……」
 そんな友の姿に苦笑するリンファ、そして何よりアルス自身の声によって、ようやくイヨ
もその忙しない動きを収めたようだった。
 もう一度傍を通りがかる面々に会釈をし、イヨは中央通路を挟んでリンファと向かい合う
自分の座席に戻り、ようやくホッと息をついて眼鏡のブリッジを触っていた。
 ヤクランではないが、その服装は白い簡易の礼装姿。
 席上の棚には、旅鞄の一つに詰め込まれた本や書類が、沢山の付箋を噛んだままで覗いて
いるのを見ることができる。中にはこれからの侍従任務(しごと)に関するものも少なから
ず含まれているのかもしれない。
「ふふっ、これからはもっと賑やかになるわねぇ……」
 そうして視線を遣っていると、ふとそうイセルナが誰にともなく呟き微笑んでいた。
 アルスはすぐ前の相手ということもあり、穏やかな苦笑いを返すだけであっても応えてお
くことにする。
 何よりも──彼女は“頭に包帯を巻いていた”のだ。
 そしてそれは、内戦の折の怪我ではない。兄達が突然飛び出していってしまったあの日、
彼女が己の身を挺して彼らを「試した」痕跡だった。
(兄さん……。今、何処にいるの……?)
 家族(なかま)達と一緒にまた居られる、居てもいい。その心遣いは嬉しかった。
 だけどそれと同時に、新たな出会いと別離もまたこの身辺に──これからの受難を連想さ
せて止まぬが如く混在している。
「……」
 それでも、優しさと不安を綯い交ぜにしたかの皇子(アルス)の心を載せたまま。
 船団は一路戻るべき場所──梟響の街(アウルベルツ)への航路を取ってゆく。


▼第Ⅲ部『鋼の希求心(ストロング・シーカー)』編 開始

 
Tale-26.変わるセカイで僕らは

 それは、アズサ皇の国葬(兼レノヴィン母子披露の場)の時分に遡る。
 突然巻き起こったのは、第一皇子ジークの告白と彼の合図を待っていたかのように飛来し
た白亜の竜・リュカ達だった。
 当然、参列者達は我先にと逃げ惑い、そして“結社”への宣戦布告を叫んで空の彼方へと
飛び去っていくジーク達を唖然と見送る格好になった。
 国葬の場は、主役の一人が欠けてしまったことにより予定を繰り上げてそのままお開き。
マスコミが押し寄せ質問の嵐をぶつけてきたが、何分事前の話など一切なかった以上、シノ
達は彼らに答える言葉を持たなかった。
「くそっ……何処に行ったんだよ?」
 そう。ジークは皆にあの出奔の心算を告げることはしなかった。
 だが予兆はあった筈だ。何かを残していった筈だ。逸早くその痕跡を探し出すべく動いた
のは、ダンたち冒険者クランブルートバードの面々だった。
 妙だとは、少なからず思っていた。
 あの兄弟──団員(かぞく)の晴れ舞台に、自分達の内の誰よりも“親心”を以って臨ん
でいたであろう、団長イセルナの姿を見つけられなかったことが。
 皆と手分けをし、ダンは会場内の敷地や関係者控え室を虱潰しに当たっていた。
 リュカに乗って飛び去る間際、ジークは確かにアルス達に「母さんを頼む」と言った。
 つまりあの無鉄砲小僧も、あれが突拍子もない出奔だとの自覚はあった訳だ。
 ならばその前段階の時点で、相応の言伝を自分達(こっち)にも寄越していた可能性は十
二分にある。そして、その相手はきっと──。
「ダンさーん! いましたっ、団長がいました!!」
「おうっ。分かった、すぐ行く!」
 やがて目的の人物は敷地内の一角、人々が行き来していた通用口からは死角になる物陰に
見つけることができた。団員の一人がその姿を発見し、ダン達一同に叫んで報せてくる。
「……。あら? 思ったより早かったわね」
「あら? じゃねぇよ。何やってんだよ……おめぇは」
 イセルナは、仮舎同士が作る路地裏に独り背を預けてぐったりと座り込んでいた。
 見渡してみれば、辺りには無数の凍りついた残骸が転がっている。
 何より彼女自身がざっくりと胸元を袈裟斬りにされるの怪我を負っている姿からも、ここ
で一戦が交わされたらしいことは容易に理解できた。
 ダンは思わず顔を顰め、彼女の前に片膝をついていた。
 シフォンやハロルド、団員達もぞろぞろと心配げに二人を囲むようにして覗き込む。
 ダンがそっと、彼女の傷口に手を伸ばしかけ──はたと手を止めた。
 塞がっていたのだ。服こそ血で汚れ、裂けたままだったが、肝心の出血は既に治まった後
であるらしい。
「……ふむ? 治癒魔導の痕跡があるね。ただかなり大雑把な印象だけども」
「うん。それに、此処だけストリームの様子が他と違う。やたらに“綺麗”というか……」
 ダンや団員達が誰からともなく振り返り、ハロルドとシフォンが目を凝らしてこの場で繰
り広げられたであろう残滓に言及する。
「……どういう事だよ? イセルナ、一体何があった?」
 少なくとも彼女に大事はない──ものの、ダメージは抜け切っていない──ようだった。
 ダン達はもう一度向き直った。そんな皆に疑問符や怪訝で見つめられ、当のイセルナ本人
はふっと静かに微笑んでいる。
 すると彼女は、一旦深呼吸をしてから視線を心なし遠くに向け、
「ちょっと団員(かぞく)の通過儀礼を、ね……。ジーク達が来たの」
 そう、妙に落ち着いた様子で話し始める。

『──クランを抜けたい?』
 大事な話がある。
 そうジークに呼び出されて一人やって来たイセルナを待っていたのは、サフレにマルタ、
リュカを加えた彼ら四人からのそんな申し出だった。
『ああ。俺達は“結社”を追おうと思ってる』
 式典前にも拘わらずいつもの服装に身を包み──そして腰に六華を差した姿で、ジークは
そう酷く真剣な面持ちで口を開いていた。
『……俺は見たんだ。奴らの中にいた黒い鎧騎士、ヴェルセークって呼ばれてた奴の顔を。
すっかり正気を失ってたけど、あれは間違いなく父さんだった』
『お父さんって……コーダスさん? でも彼は確か──』
『はい。確かに昔、魔獣の襲撃を食い止めるのと引き換えに命を落としたのだとばかり思っ
ていました。でもそれは、どうやら私達村人の思い込みだったようなんです』
『俺もずっと、てっきり魔獣に喰われたって思ってた。でも“死体は見つかってなかった”
からさ……。それに実際ああやって姿を見た以上、俺は連れ帰りたい。たとえ奴らに操られ
ちまってるらしくても、それでも……ッ』
 語られたのは、王の間で目撃したというコーダス生存の報。そして彼が“結社”の手によ
り操られているのではないかという彼らの見立て。
 ジークが必死に己を激情を噛み殺そうとしているのが、イセルナには痛いほど分かった。
 本当なら式典への出席など放り出し、すぐにでも助けに行きたいのだろう。
 亡くしたとばかり思っていた父を連れ去り、あまつさえ自分達に都合の良い操り人形とし
ている。そんな“結社”への憤りは──“家族”を奪われた哀しみは、イセルナも強く共感
できる節があった。
『このこと、ダン達には? アルス君やシノさんには?』
『……言ってない。ギリギリまで黙ってようと思う。余計に心配掛けるだろうし、きっと止
めさせようとするだろうし』
 薄々勘付いていたことだったが、イセルナは問うていた。
 そして返って来た答えは、やはり予想した通り。密かに呼び出されたのが団長(じぶん)
というのも、これでピタリと辻褄が合う。
『……。団長、俺の籍を外しておいてくれないか? 確か団長権限なら除籍できた筈だ』
『僕もお願いします。奴らにはマルタを攫われた因縁がありますし、コーダスさんの救出に
も力を貸したいんです。迎え入れて下さった時同様、勝手ばかり言ってしまいますが……』
 ジークとサフレ、二人がそれぞれにそう懇願の言葉を向けてきた。
 深々と先ずサフレとマルタが頭を垂れる。そして傍らに立っていたジークもやや遅れて、
ぶんっとそれに倣う。
『……そうやって、また一人で背負い込むつもりなのね』
 たっぷりと置かれた間。
 だが次に口を開いたイセルナの声色は、哀しげだった。
 気持ちは、分からなくはない。何も言わずに飛び出すのを堪えて、こうして一言伝えてく
れただけでも彼という人物像からすれば中々の堪忍ではないか、進歩ではないかとは思う。
『分かっているわよね? 相手は“結社”よ。貴方達は、あのテロ組織を身体一つで敵に回
そうと考えている。それがどんなに危険なことか……』
 それでも、イセルナはすんなりとは承諾できなかった。できる訳がなかった。
 自分にとって団員達は“家族”だと思ってきた。共に戦い、寝食を共にする大切な仲間。
 それはたとえジークという皇族(イレギュラー)であっても変わらない、変えないつもり
だった。出来の悪い(やんちゃな)子ほど可愛いとはいったもので、自分達創立メンバーは
特に彼ら兄弟を見守ってきたという自負もある。
『……分かってますよ。だからです。連中に“宣戦布告”すれば、この先奴らの矛先は俺に
向く筈だ。母さんやアルス達にはもう……あんな思いはさせたくない』
 今に始まったことではない。だが、酷く自己犠牲的だ(かたよっている)と思った。
 苦楽を共に分かち合うからこその私達クランなのに。なのにこの子は……優し過ぎる。
『……。ここで私が止めても、往くんでしょうね』
 殆ど確認するような言い方で以って、イセルナは改めて問うた。
 ジークがこくりと、無言のまま真剣な面持ちで頷き返す。……やはり、意思は固い。
 仮舎の向こう側で人々の声や足音、物音が聞こえていた。
 だけどそれらはスッと遠くなるかのようで。
 するとやれやれと言わんばかりに一度大きく深呼吸をつくと、イセルナはやや中空に持ち
上げていた視線をジーク達に戻し、
『だったら……私を倒してみせなさい。私一人越えられないようじゃ、貴方達は“結社”に
届くことすらできない』
 ザラリと、腰に下げていたサーベルを抜き放ち、そうじっと目を細める。
 驚いたのはジーク達の方だった。
 まさか物静かな団長(かのじょ)が、自分から剣を抜いてくるなんて……。
 ジークとサフレは互いの顔を見合わせていた。
 間違いなく、それは戸惑い。クランを抜けたいと申し出たのも、あくまでこれから自分達
が起こそうとする行動に彼女達を巻き込まぬようにする為。……彼女ほどの人物なら、理解
していないとは思えなかった。
『……。リュカ姉、空間結界を頼む』
 つまりこれは、彼女からの“試練”なのだろう。
 故にジークは視線を彼女に遣ったまま、再び驚くサフレ達を感じ取りつつも言った。
『いいのか? イセルナさんは君にとっても──』
『だからこそだろ。何より、団長の言ってることは間違っちゃいねぇよ』
『……それは、そうだが』
 一方で以前の恩義もあってか、サフレはまだ戸惑い気味だった。
 それでも傍らのジークが六華の二刀──紅梅と蒼桜を抜くのを見てようやく腹を括ったの
か、ややあって彼も魔導具から得物の槍を展開し、ぎゅっと柄を握り締める。
『リュカ姉、マルタ。分かってるとは思うが』
『ええ。こちらからは手出ししないわ』
『うぅ……な、何でこんなことに……。マ、マスタぁ~』
『……大丈夫だ。リュカさんと一緒に避難していろ』
 肩越しにちらりと。ジークは後ろに立つリュカとマルタを見遣って促していた。
 神妙な面持ちと、不安げな戸惑い。
 彼女達はそんな各々の反応を示しつつもそっと数歩後退し、リュカが紡ぎ始める呪文の音
を引き立たせる。
『盟約の下、我に示せ──夢想の領(イマジンフィールド)』
 彼女がバッと手を挙げ、詠唱を完成させたのは、それから程なくしてのことだった。
 次の瞬間、ジーク達三人は光に包まれ、はたと気付けば辺り一面味気のない白一色。
 雲などの自然物も一切見られず、代わりに広がっているのは呪文(ルーン)の羅列が延々
と中空に続いている、空間結界内の只々しんとした光景。
『…………』
 それでも、この場が設えられたのを合図にするかのように、三人は誰からともなく改めて
向き直っていた。サーベル、二刀と槍。互いに得物を逆刃に持ち替え、ぐぐっと全身のバネ
を押し縮めるかのように力を込める。
『──ッ!』
 先に動いたのは、ジークとサフレの方だった。
 二刀を握り締めて地面を蹴るジーク。そのすぐ傍らを、サフレの槍がイセルナに向かって
ぐんと勢いよく伸びてゆく。
 だがイセルナは、そんな二人の初手を冷静に注視していた。
 先ずはサフレからの槍先を刀身の腹でいなし、最低限の動きでこれを逸らす。次いでその
省いた動作の余力を、間髪入れずに飛び込んで来るジークに割り振る。
 一撃、二撃そして三撃。彼の錬氣を帯びた斬撃を、イセルナは同じく無駄のない所作で捌
いてみせた。最初の防御の手を返し、次の相手の打つ手──動線を自らの立ち位置とも併せ
て抑え、誘導する。
 そんな彼女を、サフレの伸びた槍先が再び狙おうとしたが、ちょうどジークが両者の間に
挟まるような位置取りに在ったが故にその目論見はさり気なく挫かれていた。
 中距離にいたままだったサフレはその場で小さく舌打ちをすると、内心彼女のその巧妙さ
に感心しつつ、手繰り寄せた槍を片手にジークへの加勢の為に地面を蹴る。
『ちぃ……ッ!』
 故に状況は、自然と二対一の打ち合いになった。
 しかしそれでもジークとサフレは中々イセルナに一撃を浴びせることができない。彼女は
両者に攻められても、巧みにその攻撃をいなし続けていたのだ。
 振り下ろされる剣を横から撫でて押さえ、二撃目の軌道をジークの身体ごとずらす。
 サフレが突き出してくる槍には常に左右どちらかに半身を捻り、返した刃をその刺突と水
平逆方向に──槍を引き上げ寄せる動作を封じながら──撫でて牽制の一閃を。
 それでも何とかと、二人は同時に、或いは全く別方向からの攻撃を何度も試みたが、彼女
はそうした一手すらも刀身と障壁の併用で以って凌いでみせる。
『……やっぱり、似ているわね』
 そしてもう何度目か分からなくなった、その打ち合いの中。
『凄く真っ直ぐ。火のように熱く滾るような情熱に、雷のように強く貫いた信念──』
 イセルナは必死に喰らい付き、一撃を与えようと奮戦する二人を注視しながら呟いた。
『貴方達は……やっぱり根っこは似た者同士なのよね』
『誰がっ!』
 すると彼らから返って来たのは、想いとは裏腹の息ぴったりな同じ台詞。
 同時に放たれ、突き出された剣と槍。
 だがイセルナはその動きを予見していたかのようにひらりと跳び上がったか思うと、次の
瞬間には二人の得物を踏み台に大きく中空でバック転、そのままマントを揺らして彼らから
大きめに距離を取り、スマートに着地していた。
『……ふふっ』
 それは愛しい者らを見るような眼差し。
 イセルナは妙な指摘をされて眉間に皺を寄せる二人に、フッと穏やかに微笑んでいた。
 だがそれも束の間。すぐにその表情は真剣な戦士のそれに戻り、
『さて……。打ち合いばかりじゃ埒が明かないわね。そろそろ準備運動(ウォームアップ)
は終わりにしましょうか? ブルート』
 そうサーベルを揺らしながら言った次の瞬間には、それまで傍観を決め込んで姿を消して
いたブルートが顕現してくる。
『やれやれ……汝も物好きだな。まぁ我もその眼差し、嫌いではないが』
 そして二言三言、ブルートがぼやきながらその翼を広げると、次の瞬間、彼女達はマナの
奔流を撒き散らす風圧を放った。
 思わずジークとサフレは手で庇を作り、両脚を踏ん張る。
 ややあって二人が見たのは、イセルナとブルートの融合だった。蒼い光を帯びる翼と衣が
彼女を包み、その様はさながら翼人のようで。
『……。飛翔態(だんちょうのほんき)』
 ジークもサフレも、それまで以上に得物を握る手に力を込めていた。
 空を飛び、巻き込むもの全てを凍り付かせる彼女達の高起動の戦闘形態。
 これまでその力には何度となく助けられてきたが、いざそれらが自分達に向けられる状況
になったとなると、流石に(物理的にも精神的に)寒気がする。
『さぁ──。本番よ!』
 刹那、くわっとイセルナからの覇気が伝わってきたような気がした。
 大きく開かれた蒼い翼。それらに纏う魔力ある冷気が轟と渦を巻いて二人に襲い掛かろう
とする。
『……ッ! 弾けし(スパイラル)──』
 その予備動作を見て、最初に動いたのはサフレだった。
 携行する焔系の魔導具。それを彼女に向けて発動させようとしたのだが……。
『ぐぅ!?』
『サフレっ!』
 威力は、イセルナ達の圧勝だった。
 ぶつかり合う冷気の渦と連射される火炎弾。だがその衝突は一瞬のことで、すぐにサフレ
側の魔導は彼女達の冷風に押されて吹き消されていってしまう。
 咄嗟にジークを庇うように前に出ていたサフレ、その背中を見ることになったジーク。
 二人を、せり合いに勝った冷気の渦が通り過ぎてゆく。
『……ッ!? サフレ!』
『あ、はは……。僕の導力じゃあ、イセルナさん達には叶わなかった、か……』
 出来上がっていたのは、片腕を突き出したまま身体の半分以上が凍り付いたサフレの姿。
ジークも少なからず冷気に蹂躙されていたが、幸か不幸か彼が盾になる位置にあったために
こちらは行動不能なまでには至っていない。
 それでも、ジークはギリッと悔しさに歯を食い縛らざるを得なかった。
 ──私一人越えられないようじゃ、貴方達は“結社”に届くことすらできない。
 団長(イセルナ)が口にした言葉が蘇る。
 今までずっと、彼女達クランの幹部メンバーに守られてきた事実が、胸の奥を鋭く抉る。
 ぶわっと、地面を蹴る音と冷気のうねりが五感を刺激した。
 はたと見上げてみれば、飛翔態のイセルナが中空へ飛び上がっていた。行動不能になって
しまったサフレと自分を見下ろし、そっとサーベルにマナを込め始めている。
『──ッ!』
 振られた斬撃が魔力ある冷気を伝い、ジーク達に襲い掛かったのは次の瞬間だった。
 無味とした白地と羅列ルーンの景色に、濛々と蒼い冷気の残滓が広く舞い上がる。
 イセルナは暫し、目を凝らして効果の程を傍観していた。
 これで終わっただろうか? それとも──。
『……?』
 だがピクリと、彼女は眉間を顰めた。
 徐々に晴れてくる蒼い靄。そこから姿をみせたのは……透き通った翠色の結界に包まれた
ジーク達の姿で。
『貴方、それは……』
『緑柳(りょくやなぎ)──防御用の六華ッスよ。脇差の方(こっち)はまだ、団長達には
見せてませんでしたよね』
 ジークが右手の紅梅を地面に刺し、代わりに抜いていたのは一本の脇差だった。
 護皇六華の一つ、緑柳。発動者を守る結界をその特性とする、六角形の柄を持つ短刀。
『……そう。そうね。そう簡単にやられてしまうなら、私達も甲斐がないってものよ!』
 イセルナはうんうんと、何処か嬉しそうに頷いていた。
 しかしてすぐに戻った表情(かお)はやはり戦士のそれ。次の瞬間には冷気の翼から今度
は無数の氷弾を放ってくる。
 ジークはサフレのこともあり、暫く緑柳を展開したままそれに耐えた。
 だがこのままでは消耗戦。どだいピーキーな代物である聖浄器を用いている自分では分が
悪過ぎる。
 ややあってジークはタイミングを見計らって結界を解いて短刀をしまい、紅梅を地面から
抜き放つと、一気にその場から駆け出していた。
 勿論その動きをイセルナも見逃す筈はない。再三の氷弾がジークの後を追って次々と撃ち
込まれては蒼い靄を白地の風景に残していった。ジークもまた、サフレを巻き込まないよう
大きく弧を描くように動線を形作っていくように見える。
『ぬぅ……、らぁッ!!』
 それでも追撃の氷弾の雨霰は堪らなかったのか、やがてジークは振り向きざまに紅梅の力
を解放、その増幅する斬撃で以って自分を襲ってくる一連の攻撃を紅い軌跡と共に叩き落し
てみせた。
 また濛と、蒼い靄がジークを包んだ。
 イセルナは一旦射撃を止め、様子を見る。
 これはおそらく煙幕のつもりなのだろう。ただでさえ消耗の激しい六華を使ったのだ。
 何か、あの子は仕掛けてくる……。
『──……』
 少なくとも、イセルナのそんな読みは当たっていた。
 ややあって彼女が中空から目にしたもの。それは靄に隠れ、ジークが今度は蒼く光る刀身
を振ろうとしている姿だった。
 蒼い六華──蒼桜、飛ぶ斬撃。
 飛んでいる相手には飛び道具という発想か。イセルナは心なし身体を縮めて回避の体勢を
取ろうとした。
 確かに撃ち落されれれば、飛ぶ者にとって痛手にはなる。
 だがその射撃さえかわしてしまえば、むしろ隙は彼の方にできる。次で、決まるか。
 しかし当たっていたのは──それだけだったのだ。
 イセルナが身を屈めたそのタイミングとほぼ同時、ジークが取った行動は同じ飛ぶ斬撃で
も“こちらに飛ばす”のではなく、こちらに“背を向けた”状態であったのである。
 ジークが放ったのは、自身の足元に向けて放った全力全開の飛ぶ斬撃。
 そうなると穿ったのは地面だけで、肝心のジーク自身はその反動で大きく“跳ぶ”ことに
なる。イセルナが「えっ?」と目を見開いた時には既に遅かった。ジークの身体は、ものの
一瞬にして彼女のすぐ頭上にまで飛んできていたのである。
『ぬぅっ? こんな使い方を……』
『でも、抜かったわね。空中じゃあ身動きなんて──』
 それでもイセルナ達は対応しようとした。むしろこちらには翼があり、ジークにはない。
 このまま魔導で撃ち落せば、勝てる。
 そう思って、頭上を取った彼に手をかざそうとした。
『──言ったッスよね? “脇差の方(こっち)はまだ、団長達には見せてないって』
 だが、ジークはむしろにんまりと笑っていた。思わず怪訝で、イセルナの動きが止まる。
 その間もこの青年は重力に従って落ちようとしていた。
 見ればあの時手にしていた紅梅が、今は鞘に納まっている。左手にはつい先程文字通りの
飛ぶ斬撃を放った蒼桜が。……つまり、右手は空いていたのだ。
『拒み消せ、白菊ッ!』
 重力に落ちる、それに任せたまま、ジークは素早く新たに短刀を抜き放っていた。
 文様を刀身に刻んだだけのシンプルな意匠。そして、反魔導(アンチスペル)という癖の
強いその特性。
『……ぐッ!?』
『なっ! 融合が──解けた!?』
 故に、白く輝いたその刃が冷気の衣に触れた次の瞬間、彼女達を結び付けていた飛翔態は
強制的に引き剥がされていた。
 マナの融合を解かれ、弾かれたように仰け反るブルート。そして翼を失ったイセルナ。
『う……、おぉぉぉぉぉーッ!!』
 そしてジークは、そんな彼女の隙を逃さず決定打たる一撃を叩き込む。
 中空で逆手に持ち替えた左手の蒼桜。その刃を絶叫の下、彼女の胸元へと袈裟懸けに放っ
たのである。
『が──……ッ!?』
 ぐらっと意識が強烈に遠くなるのを、イセルナは感じた。
 ブルートが遠くで叫んでいるらしかったが、最早応答する余力はなかった。
 只々、自分の身体はもうこの団員(むすこ)の殆ど捨て身に近い一撃の下に沈むばかりに
なったのだと。そう、悟り始めていて……。
『──絡めろ! 一繋ぎの槍(パイルドランス)!』
 だが結界内とはいえ地面に激突──という惨状には至らなかった。
 寸前の所で、ようやく凍り付けから解放されつつあったサフレの機転──彼の伸縮自在の
槍が二人を中空で縛り捉え、そんなエンドマークを回避させてくれたのだった。
 ゆっくりと槍を操って、サフレがジーク達を降ろしてくれる。
 ブルートが、そして結界を解いたリュカやマルタが駆け寄って来て、イセルナとジーク、
勝敗こそついたものの互いにぐったりと疲弊した両者を面々が心配そうに取り囲んでいた。
『だ、大丈夫ですかっ!? お怪我の程は……』
『……。一応死にはしてないから大丈夫よ。ありがと』
『つーか、最初っから逆刃で遣り合ってたろーよ。少なくとも致命傷にはなんねーよ』
『だからって……ねぇ?』
『ええ。全く、君は毎度毎度無茶をし過ぎだ』
『同感だ。寿命が縮まる思いだったぞ』
『……精霊に寿命ってあんのかよ』
 イセルナをそっと壁際にもたれさせてあげて、ジークはそんな減らず口を呟きながらのそ
りと立ち上がった。
『本当、強くなったわね……』
『……そんなことはないッスよ。全部、六華(こいつら)の力です』
『そうかしら? 少なくとも貴方はその六振りの主なんでしょう? だったら──』
 イセルナのように目に見えた負傷こそしてないが、それでも立て続けに六華を使ったこと
による消耗は間違いなく身体に悲鳴を上げさせている。
『……。団長、ちょっとじっとしてて下さい』
『?』
 だがそれでも、ジークはもう一度力を使う以外の選択肢を持っていなかった。
 よろりと彼女に歩み寄り、その言葉を遮りつつ腰から抜いたのは、柄先に白糸の房が下が
った脇差。
 ジークはその短刀の切っ先をはたと彼女に向けると、
『──拭い取れ、金菫(きんずみれ)』
 突然、その刃を一気に発動と共に突き刺してくる。
『ジーク! お前っ──』
『待ってブルート。これは、まさか……』
 だがそれは“攻撃”ではなかった。ブルートが一瞬慌てた様子を見せたが、当のイセルナ
が自分の身に起こり始めたその変化に気付き、サッと制止する。
 輝く刃の色は、豊かな金色。
 その光は柄先の白糸らにまで伝播し、マナの揺らめきに同調してそよぐその様はまるで金
色の稲穂であるかのようだ。チリチリと、そんな房からは赤黒い靄が噴いては霧散する。
『ええ。こいつは金菫──治癒用の六華です。普段はレナやハロルドさんもいるし、あまり
使う機会はなかったんですけど』
 ジークはイセルナの前に屈んだまま、この短刀・金菫を握り締めて彼女に叩き込んだ傷の
程に目を凝らしていた。
 治癒の聖浄器。彼の言葉の通り、確かにイセルナの傷は急速に塞がり始めていた。
 周囲のマナが金色の光──聖の魔力と為って刀身を伝い、護るべき者を癒す。
 それがこの「攻撃しない六華」の特性だった。
『どう、ですかね? 傷……治りましたか?』
『……うん、大丈夫みたい。塞がってる。まぁダメージはそのままみたいだから、暫く動け
そうにはないけど』
『す、すみません……』
 ぎこちない治療は、ややあって終了した。
 一先ずの手当てといった所。ジークは大きく肩で息を整えると金菫の力を再び眠らせ、腰
へと差し直す。その様子にイセルナも、他の仲間達も彼が消耗している──そして何より当
人がそれを悟られないように必死に我慢していることに気付き始めていた。
 彼に気付かれないように、そっと互いに目配せを。
 リュカが頷く。サフレとマルタが安堵の苦笑を静かに返す。
 団長イセルナからの“試練”は、終わったのだ。
『……。約束通り、貴方達の名義はうちから外しておくわ。コーダスさんの救出、頑張って
らっしゃい』
 そしてイセルナは静かに言った。
 もう戦士のそれではない、団員(かぞく)の無事を願う愛しげの眼差しで。
 しかし対するジークは、表情を前髪に隠し「はい」と小さく頷くだけだった。サフレ達同
行する予定の三人も各々に立ち上がる。
 反応は薄い。それでも、
『だけどこれだけは覚えておいて? これは除名であって追放じゃない。……いつでも帰っ
てらっしゃい。貴方達は、これからもクランの団員(わたしたちのかぞく)なんだから』
 のそり歩き出そうと背を向け始めるジークに、イセルナはそっと言葉を残していた。
『……』
 ジークは、無言のまま立ち止まっていた。
 サフレやマルタ、リュカもこそばゆさや申し訳なさで静かに彼女に苦笑を返し、背中を見
せたまま佇んでいるジークの横顔を窺おうとする。
『……言葉は、受け取っときます』
 それは、殆ど搾り出すような声色だった。
 震えたような返事。背中こそ向けていたものの、確かに団長と団員(なかまどうし)の間
で繋がるもの。
『……行って来ます。お世話に、なりました』
 だけど、最後までジークはこの団長(おんじん)に合わせる顔を持てず。
 そのまま、サフレ達を伴って場を後にしていく。

「──あんの、馬鹿野郎……」
 イセルナから一通りの経緯を聞いて、ダンは先ず開口一番にそうごちた。
 ガシガシと髪を掻き毟りながら、大きく嘆息をついて表情を歪める。
 だがそれは、単に「不快感」という表現では適切ではない。
 もっと別の──そう、彼女と同様“親心”のようなもの。それを分かっているであろうに
も拘わらず、振り払って旅立っていった彼らへの歯痒さの類。
 話の途中からはアルスやシノ、リンファなど王宮関係者も事を聞きつけ駆けつけていた。
 ミアはジーク達の出奔にショックを隠せない友人達(レナやステラ)をそっと慰め、ハロ
ルド以下幹部メンバー達もまた、ダン同様に「何故知らせてくれなかったんだ」との思いに
暫し悶々としているかのようにみえた。
「……あの子達は、行ったんでしょう? 向こうが騒がしかったから」
「ああ、行っちまったよ。まさかお前をぶっ倒してたなんて思いもしなかったからな」
 それでも、当のイセルナ自身は酷く落ち着いた様子で。
 それがまた、ダン達面々の内心の動揺を撫で回すような格好となる。
『…………』
 暫くの間、一同は誰も口を利けなかった。
 喪失感。そしてじわりと理解できてくる、ジークの自分達への気遣い。
 馬鹿野郎。ダンが思わず呟いた言葉に、団員達は似た思いと賛同を内心で重ねていた。
 だけどもう、自分達にはどうしようもできない。既にあいつらは空の向こうへと旅立って
しまった。今自分達にできることといえば、精々この事実を何とか呑み込む、それぐらいの
だったのだから。
(兄さん、リュカ先生……。サフレさん、マルタさん……)
 そしてアルスもまた、そんな皆の中にあって綯い交ぜの内心に呆然としていた。
 もがきながらも、兄は決断し決行してみせた。
 だとすれば自分も、もしかして誰かに何かに皇子としての(あたらしい)自分というもの
を迫られているのかもしれない──。
(僕も、決断し(きめ)なくっちゃ……) 
 この時アルスは、そんなことを思っていたのだった。


 仮設の執務舎に響き渡るのは、臣下や官吏達の忙しないやり取りや駆け回る足音。
 先皇アズサの国葬から一週間弱。シノは「女皇代行」の肩書きを抱いたまま、今日も今日
とて彼らと共に、実質上の女皇としてこの皇国(くに)の政務にあくせくとしていた。
「陛下、ここに署名(サイン)をお願いします」
「こちらにも御目通し下さいませ」
「は、はい。ええっと……」
 室内の上座に着いているのはシノ、そして下座に向かって臣下達のデスクが二列にずらり
と配置されている。
 彼女は勿論のこと、面々はそれぞれに同時多数の庶務を抱えて奮闘していた。
 その中をぱたぱたと官吏達は駆け回り、サインを要する書類や各種引継ぎに関する説明を
彼女達に廻していってくれる。
(今は人手が足りないからというもあるけど……。伯母様はこんな沢山の仕事を、何十年も
ずっとこなし続けていたのね……)
 実質上は女皇だが、政治家として見ればシノは素人も同然だった。
 強いて経験があると言い張るのならば、精々村(サンフェルノ)に居た頃の自治会に参加
していた類しかない。
 故に、シノ達は先ず確りと把握する必要があった。そこから始めなければならなかった。
 先の皇アズサ。彼女がかつてこの国で何を成そうとしていたのか、そしてこれからそれら
を如何に選別してゆくのか。
 ──単に倣うだけではなく、必要な改革を。受け継ぐものと、そうでないものを。
 しかし口では易くとも、一介の村医者が皇と為りその言葉を実行に移すには、予想以上に
多くの困難が立ちはだかっている。
 先ず何より、人手が根本的に足りなかった。
 内戦の後、シノは「敵味方を隔てず協力し合おう」と呼び掛け、実際にアズサ皇の側につ
いていた臣下や官吏、末端の兵士に至るまでを大赦、引き続き皇国の運営を手伝って欲しい
と要請した。
 しかし……彼女の想いは、必ずしも届かなかったと言わざるを得ない。
 何せ旧臣たる彼らは世間から見て“賊軍”や“敗残者”。その事実は揺るがないのだ。
 そうした内外の誹りを甘受してまで慰留に応じてくれた者は、最終的に全体の半分にも満
たなかった。
 加えてシノ新女皇が、従来の“強い皇国”に遠回しながら否定的であること──これまで
の利権が脅かされかねないと取られたことも大きかったらしい。
 個別に事業等を展開していた元家臣の多くは、既に王都から撤退を始めている。
 彼らは新政権とは一定の距離を置いた上で、それぞれの再出発を選んだのである。
「陛下。招聘用のリスト、更新分が上がりました」
 それ故に、シノ達は慰留以外にも人材の当てを求めることになった。
 一つは新規の募集。もう一つは先々代の臣下・官吏らの再招聘である。
 アズサ皇よりも以前、即ち内戦時における“先皇派”とされた者達を再び登用すること。
 当初シノは敵味方といった区分けの心理──領民の陣営対立を利用するような手は使いた
がらなかったのだが、それでも人材不足という事実は変えられない。むしろかつての為政の
姿を知る彼らが戻って来てくれれば、政務は今よりもずっと捗ることが予想された。
 渋々、だがこれも“現実”なのだと割り切って。
 あわよくば、新旧の者達がこれを機に手を取り合ってくれたらとの淡い期待も兼ねて。
 結局シノは動向調査が済んだ彼らのリストが上がり次第、順次(彼女自身の希望もあり)
直筆の招聘状──助力願をしたため続けていたのである。
「ありがとう。じゃあざっと読み上げてくれる? 手元(こっち)の分と比較するわ」
「りょ、了解致しました。では──」
 執務室に入ってきたまだ歳若い官吏と、デスクに着いたままの女皇シノ。
 それぞれが分厚く綴じられた書類の束を手にし、二人は互いに確認作業を始めていた。
 皇の前ということもあり──臣下達の視線も受けての──緊張した様子の彼の読み上げ。
 それに合わせて一人一人赤ペンでリスト上の名前をなぞりながら、シノは丁寧に自身の記
憶も一緒に掘り起こしつつ、かつての出仕者達を照らし合わせる。
「……」
 そしてそんな彼女達の執務のさま(ふんとうぶり)を、ユイは室内の入口横に直立不動の
体勢のままじっと見つめていた。
 皇ら重臣一同を護る任務──彼女は怪我も癒えた後、父サジと共に新生近衛隊の正・副隊
長に任じられていたのだ。
 反対側の入口横には、同じようにじっと警戒の眼を時折周囲に遣りながら立っている父の
姿がある。他にも室内の壁際や隅、或いは表に数名ずつ隊士達──かつての父の同志や自分
の部下達の一部が配置に就いている。
 政権成立早々……というのはあまり考えたくないが、この時期に侵入者など許せば、それ
こそ新女皇(シノ)の沽券に直結することだろう。気を緩める訳には……いかない。

『──何故です? 陛下』
 最初、この任命を受けた時は、正直言って戸惑いが強かった。
 確かに彼女は“敵も味方もない”ことを願っていた。それは自分は勿論、率いていた小隊
の部下達に至るまでの“賊軍”全員に大赦が下されたことからも明らかだった。
『……? 何がかしら、ユイさん? 来てなり早々藪から棒に……』
『勿論、私の今回の処遇についてです』
 しかしそれはあくまで理想での話だ。自分が“賊軍”側にいた事実は、変えられない。
 私は辞令書を受け取ったあの日、その足で皇の執務室へと赴き、直接その真意を問い質そ
うとしていた。
『陛下の想いは我々への大赦で存じております。しかし、それと領民達や各国の向ける眼差
しまた別だとは思いませぬか? よりにもよって、私を御身の警護役に迎えるなど……これ
では皇の危機意識が疑われてしまいます』
 思えば、内心の動揺で冷静さを欠いていた、そう詰られても仕方なかっただろう。これが
シノ様でなければ、あの場で不敬として斬られていてもおかしくなかった筈だ。
 実際、乗り込んできた私の詰問に、場に居合わせていた官吏達は青ざめていた気がする。
 しかし……シノ様当人は違っていた。
 あの方は、私の焦りを──拭えない負い目をすぐに見抜かれたように、酷く優しい微笑み
を寄越されたのだった。
『……皆さん、ちょっと席を外して貰えますか? すぐに終わりますので』
 言われて、一旦場にいた官吏達が戸惑いつつもそそくさと退出してゆく。
 そんな彼らの後ろ姿を、シノ様は暫し見守っているようだった。
 いや、その僅かな時間を利用して、私に落ち着くよう仕向けていたのかもしれない。
『……ユイさん。いえ、キサラギ副隊長』
 そしてデスクの上のシノ様は、フッと私に向き直ると口を開いた。
『最初にこれは、家臣団の皆さんにもまだ話していないことです。ですので、これから話す
ことはくれぐれも貴女の頭の片隅に置いておいて下さい』
『……。はい』
 穏やかな佇まいはそのままだったが、纏う雰囲気は真剣そのものだった。
 机上で両手を組み、私をじっと見据えた状態で、シノ様は言った。
『知っての通り、私は王──為政者としては素人です。精々村の自治会に参加していた程度
だから、伯母様に比べればその手腕は天地ほどの差があると思います』
 そうはっきりと。皆が表立って言えない、その突き所を。
『だから……今は“官軍”である私も、何かの切欠で王の道を踏み外すかもしれない』
『そっ、そんなことは』
『どうかしらね。貴女も苦しいほどに味わったでしょう? 誰が正しいかなんて実際は割と
曖昧で流動的だと思うの。私は、今回たまたま“大義”を得た側だっただけ』
『……』
 私は、虚を衝かれたように黙り込んでいた。
 本音を言えば、この新しい皇は世俗に長く染まった理想論者ではないか? そう思ってい
た節があったからだ。だが……そんな私の推測は、巷説レベルの邪推は、この方の内なる苦
悩を一掬いも捉えていなかったことに気付かされる。
『何も私は、ただ仲良くして欲しいからというだけで貴女達親子を隊長・副隊長に宛がった
訳じゃないの。仮にサジさんが「盾」なら、貴女は「剣」だと言うべきなのかしら』
 私は、半ば無意識に片眉を吊り上げていた。
 槍と剣ではなく、盾と槍? それはどういう──。
『これは村でお世話になっていた人からの受け売りだけどね。“剣は所詮、誰かを殺す道具
でしかない”って。……だから、もし私が皇として“間違った”道を進んでいこうとした時
には、剣という貴女が諌めて欲しいの。場合によっては……刃を突き立てても、構わない』
『──ッ!?』
 むしろ私の方が、鋭い刃で突き刺されたかのような心地だったと記憶している。
 最初に内密にと言ったのはこの為だったのだ。
 この方は……私を文字通り「剣」として据えたのだ。自身を含めた“民の敵”となりうる
全ての者を斬り伏せる刃に為れと。
 私はすぐに言葉が出なかった。出せる筈もなかった。
 “場合によっては、私を殺してでも政を正してくれ”。
 それはつまり、私という人間に密かに凶器を握らせることに等しくて……。
『貴女達、伯母様についていた人達の苦しみは想像するに余りあるもの。どれだけ奇麗事を
並べたって、私達があの内乱でやったのは“相手を倒した”ことに変わりはない。長年の溝
がこれですぐに消えるなんて、そんな都合の良い考えは流石に持っていないわ』
 嗚呼、私は何という吐き違いをしていたのだろう。
 ただの“甘ちゃん”などでは、決してなかったのだ。そうだ、何も二十年前の戦火で辛酸
を舐めたのは私達だけではない。この方も、皇族の当事者として長らく苦悩してきたのだ。
 私“だけ”が被害者だと視界を閉じて喚くのは……酷い自惚れなのだ。
『だから、これは伯母様達や貴女達への償いでもある。そのつもりよ。この素人王に、ビシ
バシ意見を頂戴? それぐらいの罵声も辛い現実も、私は受け入れなきゃいけない……』
 償い、ひいてはアズサ皇との和解を果たせず逝かせてしまった負い目か。
 だが私には……この方の言葉は“覚悟”だと思えた。
 何より突然押しかけてきた私に、胸襟を開いて本心を打ち明けてくれた誠がある。
 確かに皇としての実績は未だゼロだ。だがこの方には……間違いなく“器”がある。
『……御見逸れ致しました。陛下』
 だから私は。
『その“剣”たる任、私(わたくし)で良ければ、謹んで引き受けさせて頂きます』
 あの瞬間(とき)から、この御方に心からの臣下の礼を尽くそうと決めたのだ──。

「──ソラウ・ファイロン、ソラト・タツシマ、ナダ・カシワギ……」
「ッ……!? ストップ、ちょっと待って!」
 はたとシノが読み上げの声を止めさせたのは、ちょうどユイがそんな当初を思い出してい
た最中のことだった。
 止められた官吏は勿論、ユイやサジ、場の面々が一斉に何事かと顔を上げている。
 しかし当のシノは、何故か興奮気味でデスクから身を乗り出し掛けていた。そんな様子に
流石の彼も目を点にして心持ち仰け反っている。
「ねぇ、さっきナダ・カシワギって……。更新分の中にあるの?」
「は……はい。ええっと、最終経歴は医務官。現在は……スラム街にいるようですね」
「そうなの……。そう、あの方が……」
 思わず、ユイは怪訝に眉を寄せていた。
 シノは青年官吏から詳しい情報を聞いて、何故か安堵。はたとよくよく見渡してみれば、
そうした反応は何も彼女だけではないことが分かる。
 どうやら父を含めて、それは所謂“古参”の面々で占められているようだった。
「父さ──隊長。一体何なのですか?」
「ん? ああ、そうか……。お前はアズサ殿の頃に出仕を始めたから知らないんだな」
 思わず父と呼びそうになり、気恥ずかしくて修正。ユイはついと顔を上げて訊いてみる。
 するとサジはようやくそこで、娘達頭に疑問符を浮かべている側に思い至ったらしい。
 厳粛な戦士の顔がふっと綻んでいた。ややってその視線は古参の臣下らを経由し、上座の
シノ新女皇へと向く。
「ナダ・カシワギ──通称“御婆(おばば)さま”。私が生まれるよりも前からずっと王宮
に仕えてくれていた、王宮医務長だった方よ」

 一方、彼の者達は、王都より遠く離れた地で最後の集まりを迎えていた。
 廃村リカウ。以前リンファ達が彼ら“皇弟派”との出逢いを果たし、内乱集結への転機を
みた場所である。
「本当に、行かれてしまうのですね」
「ああ……」
 その場所──廃村の地下室跡で、先皇アズサの弟“剣聖”リオは長年の同志達と別れの時
を過ごしていた。
「内戦(たたかい)は終わった。もう俺達がこそこそと謀を続ける必要はない」
 そこで彼が皆に告げていたのは、解散。
 “皇弟派”と同志達が名乗ったこの集まりも、今やその本懐を遂げた。故にもう今回の集
まりを以って最後にしよう。そう告げたのだ。
「分かっております。ですが……」
「リオ様は、王宮に戻られないのですか?」
 それでも彼らはリオとの別れを惜しんでいた。
 そのさまだけでも、彼ら地下勢力が単に私欲の集まりではないことを示すものだろう。
 只々彼らは、在りし日々のこの国を──穏やかな皇家の姿を望んでいただけなのだ。
「……俺のことは気にするな。これからは皆“普通”の営みに戻るといい」
 だが、当のリオ本人はその問いには答えようとしなかった。
「もう“敵”はいない。作る必要もないだろう。これからは手を取り合って生きて欲しい」
「リオ様……」
「つ、謹んで……」
 代わりに口にしたのは、最後の命令……いや、願い。
 抵抗者の集まりではなく、一介の領民として余生を過ごして──この国の行く先を見守っ
ていて欲しいという、彼からの願いだった。
 同志、いや元皇弟派の面々はそれぞれに名残惜しそうにしていた。
 中にはきゅっと唇を結んで感情を堪え、中には感極まって涙を拭う者まで出てしまう。
「……。あまり長居はするなよ? 頃合からして、そろそろ此処も王宮連中(シノたち)に
嗅ぎ付けられ──」
 言いかけ、リオがハッと眉根を顰めて背後を振り向いたのは、ちょうどそんな時だった。
 誰かが来る。元皇弟派の面々も、やや遅れて彼と同様近付いてくる気配と足音を察知する
と少なからぬ警戒の眼で身を硬くする。
「……シノ皇だと思った? 残念、私でした」
 だが姿をみせたのはシノら新政権の者ではなかった。
 鯱(シャチ)系魚人の女性、七星の一人“海皇”シャルロット、その人だった。
 彼らの警戒を解すような、茶目っ気のあるウインクを一つ。
 彼女は数名の部下を伴ってゆっくりとこの地下の集会場へと近付いてくる。
「……なんだ。お前か」
「つれないわねぇ。折角来てあげたっていうのに。……シノちゃんの方がよかった?」
「……。何故そういう発想になる」
 それでもリオは至極落ち着いた様子だった。
 元皇弟派たちも彼の顔見知りだと重々承知だからなのか、彼女の姿を認めるとサッと警戒
を収めていた。
「もう戦は終わったんだぞ。何故まだ皇国(ここ)にいる? “仏”達はもう──」
「ええ。筆頭達なら自分達の拠点(ホーム)に帰ったわ。こんな大事だったんだもの、色々
と雑事もあるのよ。クラン持ちじゃないリオには、ピンと来ないかもしれないけど」
「……」
 強き者──現役の“七星”同士というよりは、旧来の友であるかのような語り口。
 部下達は数歩退いた位置に残ったまま、暫しシャルロットにゆっくりと向き直るリオの姿
をじっと眺めているかのようにみえる。
「……やっぱり、行っちゃうのね」
 そして、彼女は敢えて確認するように言った。今度は酷く哀しく笑った表情(かお)で。
「元に戻るだけだ。行くも何も、俺はとうの昔にこの国を出て行った身だ」
「……これから、どうするつもり?」
「さてな。暫くはセカイを見て回ろうとは思っているが。今回の戦を経てヒトは如何変わっ
てゆくのか……それを自分なりに見ておきたい」
「気持ちは変わらないのね。……貴方が──剣聖が傍にいてあげれば、シノ皇もきっと安心
するでしょうに」
 シャルロットはそうは言ったが、それが叶わぬことだとも理解しているつもりだった。
 元より彼はこの国の権力争いに辟易──王族の身分をも捨ててしまった人なのだ。今更に
なって王宮に腰を落ち着けるなど、彼の選択肢の中にはとうに失せているであろうと。
 実際、リオは何も応えることはしなかった。
 ただ少しだけ目を細めて自分を一瞥し、また気が付けば感情を殺した顔に戻っていて。
「……ねぇ。また風来坊をするなら、私の所に来ない? 昔みたいにまた──」
「止せ」
 だからこそシャルロットは、上辺の言葉はすぐに捨てた。代わりに今も抱く胸の奥の想い
を投げかけようとする。
「……。俺はもう貴族じゃない、ただの傭兵だ。お前のような種族の名士ではないんだ」
 しかしリオは静かに、だが明確にその言葉を遮り、拒んでいた。
 向けていた目はいつの間にか逸れ、彼は薄闇の何処か遠くを向いている。じわりと、彼女
の表情がくしゃりと歪むのを知ってか知らずか、彼は静かに羽織ったヤクランを揺らめかせ
て押し止めていた。己に言い聞かせるように言及し直していた。
「……ちらつく結社(かげ)を捉える為だったとはいえ、俺は短くない時間を姉者の剣とし
て振舞って──“賊軍”の側にいた。その事実はどうあっても変わらない。王宮にも、お前
の側にも、俺はマイナス要素にしかならん」
「で、でもっ……!」
「止さないか。ロッテ、お前ならもっと良い男が釣れるさ。いつまでも……俺に拘るな」
 シャルロットは思わず手をかざしかける。それでもリオはそんな彼女の手に触れることも
なくゆっくりと歩き始めて──傍らを通り過ぎ始めていた。
 元皇弟派の者達は、ちらりと肩越しに振り返った彼から無言の別れを。
 彼の往く先に立っていた、シャルロットに随行していた魚人達は思わず道を開けて。
 かの“剣聖”は、ヤクランの袖を裾を、バサリと翻しながら立ち去っていく。
『…………』
 地下室に残された面々は、暫しの間押し黙っていた。
 それはリオの、とかく己をセカイの表舞台から引き離そうとする意思──哀しい卑下に居
た堪れなかったからだけではない。加えてその彼に、共に在った過去も一緒に置き去られて
しまったシャルロットの後ろ姿に対しても、同様の心境にさせられたからだといえる。
「……こうなるんだろうなって、分かってたんだけどなぁ」
 部下達も、元皇弟派たちも掛けるべき言葉を見つけられずにいた中、彼女はやがてぽつり
と誰にともなく呟いていた。
「フラれちゃった、かな……」
 七星(つよきもの)の一人ではなく、かつての恋人として。


 兆しは路中前々よりあったし、何も予想していない訳ではなかった。
 それでも陸路から空路──飛行艇から鉄道に乗り換え、長旅の末にアウルベルツの駅に降
り立ったアルス達ブルートバードの一行が目の当たりにしたのは、その想像を大きく超える
反応(レスポンス)だった。
 人・人・人。駅構内一面を覆うのは喧しく蠢く人の波。
 アルス達を待っていたのは、トナン皇国第二皇子──今噂のアルス・レノヴィンを一目見
ようと集まったマスコミや野次馬、或いは偶然通りがかった駅の利用者達だった。
「来ました、アルス皇子です! 護衛の冒険者達や共同軍関係者らと共にたった今、構内に
現れました!」
 途端に向けられてくる、無数の映像機のレンズ。
 そして同時に焚かれるストロボの光にアルスが思わず眩しそうに手で庇を作り、リンファ
達や共同軍から派遣された護送要員らがサッと彼の四方を囲み出す。
 ワァッと聞き取れないくらい、人々の声が重なり合って響いていた。
 その原因である筈のアルス自身も、この騒ぎぶりには思わず驚きや戸惑いを隠せず、只々
仲間達に護られるがままになってしまう。
「アルス様~!」
「おかえりなさ~い!」
 そんな中で、人ごみから複数の黄色い声が聞こえてくる。
 おかえりなさい──。
 気恥ずかしくもその言葉がほっこりと嬉しくて、ついアルスはにこりと半ば反射的に微笑
みを向け、その女性達の声に軽く手を振って応えてしまう。
 次の瞬間、また黄色い声が響いた。先程よりも尚一層強く甲高く。
 この行為はサービスが過ぎたかもしれない。そう思った時にはもう遅かった。
 方々から聞こえてくるのは、彼への賛辞や煽り気味なアンコール。
 或いはお姉様方からの「きゃ~ッ!!」だの「やっぱり可愛い~♪」だのといった声。
(かわ!? うぅっ……。やっぱり僕には、兄さんみたいに“カッコイイ漢”になるのは無
理なのかなあ……?)
 実はそういう見られ方──華奢な容姿を愛でられることにコンプレックスがあるアルスな
のだが、よもや群衆がそれを知る由もない。
 仲間達に護られながら密かにしょんぼりとする相棒を、傍らのエトナが必死に笑いを堪え
ながらにやにやと見守っている。
 そんな当の皇子を抱えつつ、一行はアウルベ伯──ひいてはアトス連邦朝本国──からの
送迎もとい護送を受けることになった。
 駅を出たすぐ前の広場には、既に複数台の大型鋼車が乗りつけてあり、アルス達は案内さ
れるがまま各々に分乗してそのまま街中を行く。
「……。皆さん、凄い反応ですよね」
 暫くの間、道の両翼に長々と続く見物人らの姿を車内より見渡してから、アルスは不慣れ
さも相まって圧倒されたように呟いていた。
「ふふっ、そうね。私も実はちょっと驚いてる。出発する前はもっと皆、冷めた眼を向けて
くるんじゃないかと思っていたのだけど……」
「まぁいない訳ではないだろう。だがそれ以上に、アルス様が以前からこの街で暮らしてい
たことが大きいのだろうな。気持ち半分とはいえ、自分達の街から王子が出た──そんな祝
賀ムードが今は幅を利かせているのだと思う」
 アルスが乗った鋼車、その座席の両側を固めていたのはイセルナとリンファだった。
 護衛役クランのリーダーと、侍従衆の武官長。
 信頼の置ける二人の女性はそれぞれ静かに苦笑を浮かべたり、外で先払い役に奮闘してい
る官吏らの姿を眺めつつそんな推測を述べたりしている。
「だ、だだ、大丈夫……でしょうか? この先……」
 その一方で、助手席に乗っていたイヨはガチガチに緊張していた。
 くすりと、リンファ達はそんな気弱な侍従長に思わず苦笑を漏らしてしまう。
 しかしアルスもまた表面上の反応は同じだったが、この不慣れな環境に置かれたという共
通点において、彼女には強い共感を覚えてならなかった。
 激励と親近感と。
 外野が忙しないながらも、アルスは少しだけ妙に安堵するような、何処かほっこりとした
気分になる。
 とはいえ……それはあくまでアルス個人の感慨。
 やはりというべきか、いざクランの拠点(ホーム)──の玄関口・酒場『蒼染の鳥』の前
には、駅にいた時以上の人だかりが形成され、ごった返していた。
「落ち着いてー! 規制線より前に出ないこと!」
「あ、こらッ! そこっ、そんなに身を乗り出すんじゃない!」
 二度目三度目の唖然。
 しかしこのまま車内に留まる訳にもいかず、アルス達は警備に派遣されていた守備隊士ら
に礼の会釈をしつつ、何とか軒下まで移動する。
「──やっと戻って来たか。随分と有名になってお帰りなことだな」
 するとそっと扉を開けて姿を見せたのは、強面な蛇尾族(ラミアス)の男性率いる一団。
「ぬ? “毒蛇”の……。おいイセルナ、まさか留守を任せたのって」
「ええ、彼よ。私達が皇国(トナン)に出払っている間、ホームの警備をお願いしてたの」
 ダンが眉根を顰めてイセルナに向き、彼女は至極落ち着いた様子で答える。
 アウツベルツに拠点を置く冒険クランの一つ、“毒蛇”のバラク率いるサンドゴディマ。
 時に共闘することもあった彼らに、団長イセルナは自分達の留守を任せたのだが……対し
て副団長であるダンはあまりいい顔をしていないようにみえた。
 それは別に、バラクを嫌っている故ではない。
 ただ自分達の拠点に“競合他者”が相応の期間、腰を降ろしていたことに内心いい気がし
なかったからなのだろう。
「……まぁいいや。ここまでデカイ騒ぎにもなっちまったし、お前らもお前らでいい点数稼
ぎにはなったろうさ」
「まぁな……。尤も、同じくらいこちらも色々面倒はあったが」
 バラクの話を聞く限りでは、やはりアルス達の内乱への関与が明るみになった頃から此方
にもマスコミの類がしばしばやって来ていたらしい。
 だが彼らは、その度に“あくまで留守番という依頼(しごと)”というスタンスを崩す事
なく、そうした者達を上手く捌き、シャットアウトしてくれたようだった。
「そういう訳だ。イセルナ、お前からの依頼はこれで完了ということでいいんだな?」
「ええ。助かったわ、ありがとう」
「礼なら報酬(ブツ)で示してくれ。……今回は、高くつくぞ?」
 イセルナのあくまでスマートな対応に、部下達を率いたバラクは犬歯を覗かせながら小さ
く鼻で笑っていた。そしてそんな(いつも通りの)憎まれ口を叩きながら、彼はひょいっと
懐に収めていた鍵の束を彼女に投げ寄越してくる。
 カチャリと、確かに信託は果たされた。
「さて……。外はああだし立ち話もなんだし、早速中に入りましょうか」
 そしてイセルナはその束の中から玄関口の鍵を抜き出すと、
「──久しぶりの、我が家(ホーム)に」
 そう団員ら皆(かぞくたち)に微笑みを向ける。

 これにてお役御免と言わんばかりに──実際は自分達“部外者”がずるずるとのさばる事
を良しとしない、あくまで依頼をこなしただけだというけじめの類と思われるが──引き上
げていったバラク達サンドゴディマの面々を見送って、アルス達はようやく人心地つくこと
ができた。
 外では相変わらず、マスコミや野次馬がかしかましくしているのが聞こえる。
 再び閉じた扉を隔壁に、団員一同はようやくといった感じで暫し各々テーブルに突っ伏し
ていた。不慣れな注目であることは、何もアルスだけの話ではないのである。
「……とりあえず、皆お疲れさま。また暫くはゴタゴタするだろうけど、とりあえず今日は
ゆっくり休んで頂戴」
『うい~ッス』
 そして団長(イセルナ)の一言で、団員達はようやく一息に区切りをつけた。
 まだぐったりとしている者も多かったが、それでもぽつぽつと彼らは立ち上がり、荷物を
宿舎へ運びに行ったり、厨房を検め始めていたハロルドから水を貰って喉を潤していたりと
思い思いの行動を取り始める。
「……お疲れさま。大丈夫?」
「あ、はい。何とか……。ミアさん達こそ?」
「平気。煩くたって、殆どは野次馬だから」
 そんな皆の気遣いと反動的披露の片鱗。
 アルスは内心申し訳ないと思い、こっそりと自分の至らなさを嘆いていたが、すぐに席に
やって来たミア達三人娘らとのやり取りでその思考も中断する。
「その野次馬が厄介なんだよ……。陰で何を言ってるのか、分かったもんじゃないよ?」
「ス、ステラちゃん。アルス君の前でそれは……」
 レナがやんわり嗜めていたが、アルスは静かに苦笑するだけで特に責めるつもりなどはな
かった。
 ステラ個人が、魔人(メア)として周囲の眼──偏見に怯えてきた過去はちゃんと知って
いるつもりだ。だからこそ、そんな己の記憶と今の自分の境遇を重ねているのだろうとは容
易に推測できる。
 何よりこれから先、用心するに越したことはないだろうから。
「ま、これも有名税って奴だよ。一々気にしてたら身が持たないって。アルスはいつも通り
のアルスでいいの、無理して繕わなくたってさ。皆だっておんなじ」
「……。うん」
 そんなアルス達の傍らで、中空のエトナはそう笑い掛けていた。
 静かに撒き散る淡い緑の輝き。アルスは相棒のその言葉に微笑み返して頷く。
 いつも通りの自分──ありのままの自分。
 初っ端から肩に力を入れてしまっては、確かに身が持たない。何より彼女の言うように、
皇子云々を誇示する必要などないのだ。そういった装いは、実際に求められるような公の場
に出向く時くらいで構わないのではないか……。
「その意見には俺らも賛成だな」
「だね。ずっと張っていれば、その糸はちょっとしたことで切れてしまうから」
 そうしていると、ダンやシフォンがカウンター席から振り向いて賛同の意を示していた。
 ハロルドが淹れてくれたハーブティーで一休みをしつつ。
 彼らは自らに言い聞かせることも兼ね、これから先押し寄せるであろう煩雑さを語る。
「その辺りのマスコミ対策は侍従衆(わたしたち)が何とかするさ。その為にシノ様からの
命を受けたとも言えるからね」
「そ、そうね……。頑張らないと……うん」
 リンファもまた、テーブル席の一角に腰掛けていた友(イヨ)の分を合わせて二人分の茶
を手にしつつ席に着こうとしていた。
 それでもイヨは、ずり落ちかける眼鏡のブリッジを押さえながら緊張したさま。
 友(リンファ)が「そう肩肘を張るな。疲れるぞ?」と苦笑していたが、この新人侍従長
はやはり良くも悪くも真面目な性格であるとみえる。
「ところで……。アルス様のお部屋は何処になるのでしょう? あと、イセルナさん達幹部
メンバーの部屋割りも。これからは何かと打ち合わせ等でお邪魔するでしょうから……」
「ああ……。そうですね……」
 故に彼女は、一人あくせくとしたままながら、鞄より手帳を取り出しつつ訊ねていた。
 先ず話を詰めておかないといけないのは──事務的な部分も含めて──確かにそうした実
生活の面なのだろう。イセルナは小さく頷き、ダン達中核メンバーらに眼を遣る。
「そっか。今まではジークもいたし、いち下宿生って扱いだったからなあ」
「ふむ。流石に今のアルス君(おうじさま)を平団員扱いする訳にはいかない……かな?」
「……」
 皆が誰からともなく集まり始め、意見を交わし始めようとしていた。
 気遣いは分かる。ましてや否定などできない。
 しかし当のアルスは……気持ち俯き加減になって静かに唇を結んでいる。
「あ、あの」
 そしてアルスは、至極遠慮がちに語ろうとした。
 一斉に向けられてくる皆の視線。心持ち身を退きつつも、それでもアルスは何とか己の意
思を伝えようともごもごと口を開く。
「我が侭な頼みだとは承知です。でも……“僕たち”の部屋はそのままにしておいてくれま
せんか? 兄さんが帰って来る場所を、僕は守りたい……」
 数拍だけ。数拍だけ、一同は目を開いて驚いた表情をしていた。
 だがそれも束の間、彼らは一様にフッと笑った。
 しかしそれは決してアルスの言う“我が侭”を哂うものではない。むしろ自身が置かれよ
うとしている大変さを知っても尚、兄のそれを守ろうとする想いに打たれたのである。
「ああ、いいぜ。お前ら兄弟の部屋はそのままにしておいてやる。でもその代わり」
「周りの部屋割りは変えさせて貰うわね? そうね……貴方達の部屋の両隣くらいはダミー
の空室にして、その隣くらいに二・三部屋、交替警備用の詰め所を設けておきましょうか。
あとリン、貴女もアルス君の近くに移って貰っていいかしら? 何だったらミフネさんを同
室にしてくれても構わないし……」
「うむ。私は異存ない。イヨ、君は」
「あ、うん。リンが一緒なら構わないよ。侍従長室……みたいな感じかな」
 アルスの願いは快く受け入れられた。同時にイセルナ達は、すぐさま新しい部屋割りにつ
いての骨子を詰め始める。
「じゃあそういう方向で調整しましょうか。それと誰か、宿舎に行ってる子達を呼び戻して
来てくれる? 伝えておかないと荷降ろしが二度手間になっちゃうし」
「あ、はい」「了解ッス」
 彼女に言われて、場にいた団員が数名、宿舎の方へと小走りに向かっていった。
 帰宅早々に忙しないとはいえ、どのみちこの手の話し合いは必要になる。きっとこの先も
折につけて開くことになるのだろう。
(……。これからが、大変なんだよね……)
 束の間の安堵も、じわりじわりと四散していくような心地。
 アルスは改めてこれから先の大変さを想い、内心静かな嘆息をついてしまう。
 そんな中で、時折そっと口をつけるハーブティーの仄かな甘さと香りが、辛うじてそうい
った不安を和らげてくれているらしかった。


『──このように、現在アルス皇子は下宿先であるクラン・ブルートバードにて帰宅後最初
の夜を迎えています。今後は新しい動静が入り次第、追ってお知らせします。以上、現地か
らの報告でした』
 天井から下がっているディスプレイに、そう語る女性レポーターの姿が映っている。
 画面の向こうに捉えられていたのはアウツベルツの街並み。そして夜闇の中でぽつぽつと
照明を点している、遠巻きからのホームの様子だった。
 それまで何となくこの設けられた映像器を眺めていた人々は、彼女のレポートが一区切り
ついたのを見計らって誰からともなく視線を落とし──食事を再開し始める。
「……。アルス達、無事に着いたみたいだな」
 地理は東方西域某所。処はとある小さな宿場町の中にある大衆食堂。
 湯匙(れんげ)で掬った炒飯をもきゅもきゅと頬張りながら、ジークは気持ち控えめな声
量でそう静かに安堵の言葉を漏らしていた。
「そうみたいね。これからが大変でしょうけど」
「凄い数の人ですよねぇ。皆さん大丈夫かなぁ……?」
「これも有名税という奴だろう。僕達も他人事じゃないさ。……気を付けろよ?」
「だからさりげなく俺に──いやまぁ、そうなんだけどよ……」
 まさか噂の皇子、その片割れがこんな庶民臭さ全開な場所で夕食を摂っているとは誰も念
頭に置いていなかったのだろう。店内はそこそこの客入りだったが、誰一人としてジーク達
の存在に気付いている者はいなかった。
 先皇アズサの国葬の場より出奔してから一週間弱。
 ジーク達は時に人気のない、時にむしろ逆にこうして人ごみに紛れつつを繰り返し、ゆっ
くりとした旅を続けていた。
 それはひとえに、アルスら仲間達がまた“結社”に牙を向けられはしないかとジーク達が
内心気が気でなかったから。
 だからこそ、いざという時にはまだ駆けつけられるよう、急く気持ちを抑えつつも敢えて
鈍足な旅としていたのである。
「これで……当面は大丈夫だろ。良くも悪くもあいつの周りには人が大勢いる」
 各々に頼んだ東方風の定食メニューを口に運びながら、四人はようやく一先ずの安堵を交
わしていた。
 炒飯の残りを掻き込み、茶をぐいっと一気飲み。
 ジークはもう一度映像器に一瞥を寄越してからそう呟き、ふぅと深く呼吸を整える。
「じゃあ、いよいよ?」
「ああ。……っと、その前に会計済ませちて出ようぜ? 話すには人が多過ぎんだろ」
 食事を摂り終えてから、ジーク達は四人分の会計を済ませて気持ち足早に店を後にした。
 小さな地方の宿場町。その深まり始めた夜。
 ぽつぽつと魔導による照明柱は建っているが、それでもサァッと疎らになった人気も相ま
って周囲は何処となく物寂しい。
 だがそれが今は好都合でもあった。今宵の宿とした簡易宿(食事などのサービスはなく、
ただ寝床が提供されているだけの、しかし安上がりな宿)へ戻る道すがら、ジークはぽつり
と今後の動きについて語り出す。
「とりあえず……西に行こうと思う」
「西──ということは、ヴァルドーか?」
「ああ。西方(あそこ)は特に開拓が盛んだし、保守派連中との喧嘩も多いって聞いてる。
だから、もしかしたら……」
「その中に“結社”に繋がる情報があるかもしれない、ってことね?」
 リュカの言葉にジークは肩越しに頷いていた。
 その片方の肩には、長い布包みと化した──安易に人目につかぬよう隠した──六華。
「実際に連中と当たれればもっといい。……ぶっ倒して、父さんの居所を聞き出す」
 仲間達に背を向けたままだったが、ジークの声色は酷く真剣だった。
 戦鬼(ヴェルセーク)と呼ばれていた、奴らの一人である鎧騎士。その中身が亡くなった
とばかり思っていた父だと垣間見えた時の衝撃。
 何よりも……温厚そのものだと記憶していたその横顔が、一面の憎悪に支配されてしまっ
ていたさまは心苦しかった。尤もそれ故に、素人なジークでも父が彼らに“操られている”
のだと判断できた訳なのだが。
「だったら、これからは一層“情報”が武器になるわね。持って来て正解だったわ」
 暫くの間があって、今度はリュカが場を取り成すように少し明るめの声色で言った。
 その手には、携行端末が一つ。
 ただでさえ庶民にはまだまだ高級な品の一つであり、精々財友館や役所などの設置タイプ
を間借りする程度。
 そんな端末の最新モデルを、リュカは手にしていた。
 実はトナンを経つ前、元レジスタンス達から一つ、払い下げて貰っていたのである。
 ジークが“結社”追討に出奔する、その心積もりを打ち明けられた時から、この旅が長く
決して平坦なものにはならないとの確信がリュカにはあったからだ。
「ですね。端末が手元にあればイセルナさん達ともすぐ連絡が取れますし、肝心の“結社”
の情報も導信網(マギネット)で検索が掛けられますから……」
 魔流(ストリーム)を利用して互いの声をやり取りする、導話。
 更にその技術を応用し、離れた土地同士でも大量の情報をやり取りできるのが、この近年
整備の進められている広域通信網──“導信網(マギネット)”である。
 そんな彼女の意図を汲み取ってか、サフレやマルタが相槌を打っていた。
 実際、端末越しとはいえ仲間達と繋がっていられるのは、この先孤立無援になりがちな旅
において何かと励みになるだろうと思える。
「……だからって、あんまり向こうに関わり過ぎるなよ? “無関係”じゃなくなったら、
俺やサフレが何の為にクランから離れたのか分からなくなっちまう」
 だがジーク一人だけは、あまりその活用に積極的ではないようだった。
 情報が武器であることは、分からない訳ではない。だが繋がっていることは即ち、手繰り
寄せられるリスクも負っているということだと、彼は諌めているかのようだった。
『…………』
 夜風に、彼の髪や上着が靡いている。
 リュカ達三人は、互いに顔を見合わせて少なからず哀しげな表情を漏らしていた。
 そこまで自分を独りにしなくたって、いいのに……。そんな共通した思い。アナクロで不
器用で、だけど歪なほど優しい彼への憂慮。
「別にジークにも使えとは言っていないわ。あくまで貴方をサポートする為のものよ」
「……。そっか」
 一体彼は、何を思っていたのだろう?
 とりあえずは多くの人々に──それが如何善悪な影響を及ぼすのかはともかく──囲まれ
ている弟に安堵したのか、それとも尽きぬ不安を、じっと己の中で押し殺していたのか。
 暫くリュカ達は、多くを語り掛けなかった。きっと彼自身、頼まずとも既に己の深い所で
悶々と考え込んでいるだろうと思えた。
 四人はゆっくりと、宿への復路を行く。
 両手を上着のポケットに突っ込んだままのジークの後ろ姿を、リュカ達は半歩遅らせて見
守りながら、そしてそっとついてゆく。
「ジーク。もう一つ訊くけど、ヴァルドーには如何ルートを取る気? 最短距離なら直通の
飛行艇の便を調べるけど……?」
「……いや、別に急がねぇよ。先ずはぐるりと南方に回る。ちょっとでもアルス達から離れ
るんだ。ヴァルドーにはまたそこから大回りしていきゃあいい。何も連中の手がかりは西方
だけに限った話じゃねぇだろ」
「それは、そうだけど……」
 再びリュカ達は互いに顔を見合わせていた。
 やはり彼は、当人なりにプランを考えてはいたようだ。だがそれも、やはり己を──。
「アルスは、母さん達は、これからが大変なんだ」
 はたとゆっくりとした足取りが更に鈍足になり、止まりかけて。
「巻き込めるかよ……。父さん救出や連中とのドンパチは──俺の我が侭なんだからさ」
 ジークは気持ち肩越しに眼を向けながら、まるで自分に言い聞かせるかのように呟く。

 一振りの太刀を取り囲むように、複数の魔法陣が中空で文様を描いていた。
 その走査を受けていたのは、濃紫の刀身を揺らめかせる大刀・告紫斬華。
 護皇六華という“表”の王器により長らく封じられていた、トナン皇国の“裏”の王器。
そしてかの“剣帝シキ”が愛用した聖浄器──そんな曰くつきの代物である。 
『──……』
 刻一刻と色彩を変えるストリームの束が縦横無尽に交差する、仄暗い天地の底すらも窺え
ない静謐なる空間。
 ジーヴァら“結社”の幹部級エージェントたる使徒達は、自分達が皇国より回収してきた
この斬華(アーティファクト)を早速ある者に献上していた。
 “教主”──彼らにそう呼ばれ、結社の頂点に君臨する人物。
 彼らの眼前、ストリーム内部に浮かぶのは、その顕現である巨大な淡い紫色の光球。
 これまでと同じく、しかし今回ばかりは非常に神経を使っているような慎重さで以って、
暫し“教主”は自ら魔導を行使して斬華が燻らせる力と向き合っているようだった。
『……確かに。シキの聖浄器・告紫斬華、しかと受け取った』
 やがて聞こえてきたのは、そんな厳粛な声色。
 消える魔法陣と共に、彼は斬華を何処かへと転送したようだった。
『これでまた一歩、我々は大命成就に近付いた。大儀であった』
「……勿体無きお言葉です」
 マナの残滓がふわりと立ち上る。
 その中でジーヴァ達は恭しく頭を垂れ、片膝をついて彼の者に応えていた。
 レノヴィン達という邪魔者こそ入ったが、こうして自分達はまた大いなる目的の為に突き
進んでいく。
『流石に疲労したであろう。次なる任まで、暫し心身を休めておくがいい。……我々の闘い
は順調だが、必ずしも平坦な道ではないのだからな』
「はっ」「お気遣い有難う御座います」
 その言葉で、場の使徒達はようやく片膝から立ち上がり、静かに一息をついていた。
 周囲で控えていた黒衣のオートマタ兵らもサッと薄闇の中に消えてゆき、ただでさえ静か
な空間は一層不気味にすら変化してゆく。
「やれやれ……。ほんじゃ、そーいうことで」
「休むの。私、疲れちゃった……」
「……」
 早々に空間転移し、場を去ったのはリュウゼンとエクリレーヌ、ジーヴァの三人だった。
 何となく場に残ったのは、バトナスとフェニリア・フェイアン姉弟、そしてルギス。
 彼らは暫しその場に立ち尽くしたまま、教主が黙してストリームの中空に浮かんでいる姿
を背景に、思い思いの思惟を巡らせていたようにもみえる。
「……リュウゼンやジーヴァの愛想の悪さは慣れてるけどよ。やっぱ、エクは」
「同じ魔獣(オトモダチ)のよしみかい? 確かにある意味、僕も今回一番痛手を受けたの
はあの子だとは思うけれど」
「まったく、連中も酷なことをしやがる……。いくら魔人(メア)だっつっても、あいつは
まだまだガキんちょだってのによ」
 最初に口を開いたのはバトナスだった。
 言及したのは、しょんぼりとした背中を残して退出していったエクリレーヌへの憂慮。
 強面の外見に似合わないのに? そうフェイアンが遠回しに茶化してくる言葉には敢えて
返すことはせず、彼はガシガシと頭を掻きつつぼやいていた。
 魔獣・魔人はヒトの敵。討伐(ころ)されて当然──それがヒトが持つ“常識”。
「つーかよぉ。あのレノヴィンの兄の方、まだ俺達を追ってくるつもりらしいじゃねぇか。
ルギス、お前の所為だぞ? もうあの鎧──ヴェルセークくらいパッパと渡しちまえよ」
「無茶を言わないでくれたまェ……。“狂化霊装(ヴェルセーク)”はまだまだ開発途中な
のだァよ。そもそもあれは、強力な分その狂気(ちから)に耐えられるだけの素体が中々見
つからないからねェ……。今の素体ほどの、あれほどの強い魂の持ち主に出会えたことは幸
運だと言って差し支えないのサァ。まぁそれもこれも制御式同様、今後の課題だがネェ」
「中身がもたねぇのかよ? んなモン造ってどーすんだ……」
「まぁ、それが“博士”たる所以だろう? それにしたって……因果なものだね」
 バトナスは更に懸念──後の面倒を語った。
 ジーク達が先日世界に向けて発した、自分達への「宣戦布告」。
 何もその一部始終を見聞きしていたのは、世の人間達ばかりではない。
「面倒臭ぇ……。所詮は雑魚だろ? ヴェルセークで治まるって訳でもねぇんなら、いっそ
今すぐにでも兵力を集めて──」
「あら? これまで散々抵抗されて、邪魔された当人の言えた台詞? そんな慢心があの事
態を生んだんじゃない?」
 苛立ちを多分に含んで漏れた彼の言葉。
 だが次の瞬間、それを制していたのはそれまで傍観を続けていたフェニリアだった。
「そうだねェ。あの少年の力量はともかく、厄介な邪魔者には違いないだろうガ……」
 バトナスの表情が深く顰めっ面になり、彼女を遠慮なく睨む。
 その向かい側のルギスは、やや俯き加減になり眼鏡の奥の瞳を光らせていた。一方でフェ
イアンは、このやり取り自体を「スマートじゃないね」と言わんばかりに肩を竦め、静かに
笑ってみせている。
『……レノヴィンの件に関しては、私も使徒フェニリアに賛成する。大命への障害となるの
なら、我らは彼の者を刈り取る以外に選択肢はない。だがあくまで慎重に、確実にだ。討伐
自体は手段であって、目的ではないのだからな』
 するとそれまで様子を見るように黙っていた教主が、厳粛な声色のままで言った。
 態はいち意見。だがその言葉は絶対だった。
 賛成されたフェニリアやルギスは勿論、傍観しかけていたフェイアンや勇み足だったバト
ナスさえもが一斉に「御意」と再び片膝をつき、この光球なる彼の意思に従順とする。
『ふむ……』
 そしてまた暫く、教主は何やら考え込んでいるようだった。
 ゆらゆらと、光球が放つ淡い紫色が奥底から見上げる水面のように揺らめき、世に異端者
と詰られる者らの長はややあって決断する。
 次の瞬間だった。はたと彼の光が強くなったと思ったその刹那、彼から無数の糸のような
光が空間の四方八方へと伸びていったのだ。
 それはストリームへの接続。この広大無辺なるセカイとの共鳴。
『──“楽園(エデン)の眼”に属する全ての同志よ、聞こえるだろうか? 我は“教主”
ハザンである』
 その声は、まるで彼の者を信奉する者達にとっての天啓が如く。
 各地の薄闇の中で身を隠し、佇んでいたセカイ中の“結社”達がはたとその名と、目の前
に現れた小さな淡い紫の光球に気付いて顔を上げていた。
『既に知ってのことであろうが、先日ジーク・レノヴィンが我々への宣戦布告を明言した。
これは即ち、我らが大命への反抗──摂理への反逆そのものである』
 “教主”こと結社の長・ハザンは告げた。
 厳粛を貫き、神秘性をも獲得したその一言で。
 セカイの歪を知り“在るべきセカイ”を取り戻すと誓い合った同志に向けて。
『摂理の名の下、教主が命じる。今この時を以って、レノヴィン抹殺及び聖浄器・護皇六華
の回収を第三種事案へと指定する。各々大命及び任務に支障を来たさぬ限り、可及的速やか
に彼の者らを始末せよ。全ては、在るべき世界の姿を取り戻すために──』
 光と声は、彼の者の勅命と共に気配を消していった。
 再び“結社”達の周りには薄闇が戻る。だが彼らは、一様に静かな闘志を滾らせていた。
 新たな信仰の敵を示され、戦いに勇み立つ者。
 或いはまた一人、掻き乱す者が現れたかと嘆息をつく者。
 しかしその反応に違いこそあれど、彼らの想いは一つだった。やがて各地で、彼らは静か
に蠢き始める。
 ──レノヴィンは、セカイの仇(てき)と為った。
 摂理(あるべきすがた)。
 彼らが信ずる、その名の下に。

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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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