日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅱ〔25〕

 空が、澱んだ紫色を帯びながら低く鳴いている。
 明らかに普通の気象ではなかった。しかもこの異変は、遠くの皇都──その中枢である王
宮上空を中心として拡がっているらしい。
 アズサ皇と共同軍が対峙する前後、七星傘下の傭兵達が中心となり、皇都トナンとその周
辺住人達の避難はほぼ完了しつつあった。
 ある者らは自ら逃れた、レギオン勢が落とした各守備隊の砦に身を寄せて。
 またある者らは点在と、皇都近郊の丘の上から。
 人々は皆一様に強い不安の下で、固唾を呑みながらこの異様な曇天を見上げている。
「ご覧になられるでしょうか? 空が……空が禍々しく澱んでいます!」
「は、はい。周辺の人々の避難はご覧の通りほぼ完了しています。ですがアトス・レスズ共
同軍からの厳命によって我々もまた、これ以上の進入は不可能で──」
「皇国(トナン)は、今まさに大きな分岐点に立っています。以上、現場から中継でした」
 それは、この場においても世界中に映像を届け続けているマスコミ各社も同様だった。
 ある若手の女性レポーターは目の前の光景に畏れ、震えながらも、何とか自身の職責を全
うすべくマイクを片手に中継を続ける。
 また別の、怜悧冷静な派遣局員の男性は、極力内面の動揺や私情をひた隠しにしようとす
るかのように淡々と、生の報告を導話回線の向こうへ返している。
『……』
 そんな中、彼らは避難してきた人々の中に──しかし心持ちぽつねんと距離を置いたよう
に半端に交じって立ち尽くし、或いはぐったりと座り込んでいた。
 粗末な最低限の着の身着のまま、中には申し訳程度の家財を小脇に抱えて。
 そう。彼らはスラム街でジークが出会った住民達だった。
 両軍の戦闘が始まりジークが出て行ってしまった後、やはり誰からともなく都と命運を共
に──消極的な閉じこもりを続けようとしていた彼らだったが、暫くして突如飛来してきた
竜族(ドラグネス)の一団によって避難するよう粘り強い説得を受け、ようやくその重い腰
を上げていたのだ。
『俺達は、ジーク殿下より直々の依頼を受けてやって来たんだ。あんたらは何よりも死なせ
ちゃいけない人間だ──そう言われてな』
『頼む。急いで避難してくれないか? 私達のこの翼で君達を運び出そう。さあ、早く』
 彼ら飛竜部隊がかの七星“青龍公”傘下であることにも驚いたが、それ以上にあの手負い
の青年がシノ皇女の息子だと知った時には皆激しく驚き、動揺したものだった。
 そこまで言ってくれるのなら……。
 皇子直々の頼み(おそらく当人はそういう立場を利用して頼んだとは、自分達には思えな
かったものの)となれば断れまい。そうして、スラム街の面々は今此処にいる。
「……兄(あん)ちゃん、大丈夫かなぁ?」
「兄ちゃんじゃなくて殿下だろ。ジーク殿下」
「水臭いよなぁ。ちゃんと言ってくれれば、俺達だって……」
「何言ってんだよ……。仮について行ってた所で足手まといじゃねぇか」
「だよなぁ……。よ、様子を見てくるって言われてたけど、今じゃ王宮の方もあんな気味悪
いことになってるし……」
 避難してきた人々がそれぞれに身を寄せ合って、同じ紫の曇天に不安の眼を注いでいる。
 だがそんな状況でも、スラムの住人達はそうした「一般人」とすら壁を感じ、壁を作って
しまい、大勢の集まる場所からは距離を置いて同じような不安と嘆きを重ね合っていた。
 面々の脳裏に過ぎるのは、あの時己の傷を押してでも皆の身を案じていた皇子(ジーク)
の真剣な姿。
 あの後、彼は──いや、あの方はどうなったのだろう?
 共同軍にはシノ皇女、彼の母も同行しているようだから、遅かれ早かれ合流を果たしたと
は思うのだが……。
『……』
 粗末な衣服の裾を握り締め、彼らは何とも言えない悔恨を抱えた。
 この国自体、もう自分達には関係ないとばかり思っていた。
 なのに……この胸の奥のもやもやは何なのだろう? どうせ自分達とは身分が違う。そう
判明したあの青年を──たとえ一時の保護と共同生活があったにせよ──どうして今になっ
て心配し、何もできない・何もしない自分達を申し訳なく思っているのだろう?
 もしかして。もしかして自分達の中にも、まだ──。
「何をウジウジ縮こまってるんだい? 男だろうが。情けない」
 そんな時だった。
 杖を突いた気の強い老婆が、ふと横向かいから歩いてくるとそう静かに眉を顰めていた。
 一時深手を負ったジークの治療もした、彼らのリーダー格たる老医師である。
「お、御婆……」
「あれ? 一体何処に行ってたんです?」
 そんな彼女に随伴していたのは、スラムの女性達が何人か。
 加えて老婆自身、避難の際に持ち出していた医術道具入りの鞄を手にぶら下げている。
「一応あたしも医者の端くれだからねぇ。怪我人の面倒を頼まれていたのさ。そんな所で不
貞腐れてる暇があるんなら、ちったあ手伝いに来たらどうだい? 男手があるに越したこと
はないしねぇ。女子(おなご)連中に丸投げしてもいいってなら……話は別だけどね」
 言われて、このスラム街の男達は互いに顔を見合わせた。
 そしてぽつりぽつりと、彼らは誰からともなく立ち上がってゆく。
 そうだ。別に一緒に戦ってくれとは言われていない。
 ただ皇子(かれ)に願われたことは、“生きてくれ”というメッセージだったと思う。
 そんな面々の内心を見透かしたのか、或いは別な推論があったのか、老婆はフッと言葉な
く口角を吊り上げていた。
 杖と共に踵を返して「さて……。行こうか」と一言を残し、再びこの戦の混乱の中で負傷
した人々の救護活動を再開しようとする。男達も、わたわたと遅れがちにその後を追った。
「……」
 歩いてゆく中でも、避難してきた人々は一様に曇天に不安の眼を注いでいる。
 そこには既に敵味方もなくなっていた。
 皇国兵も共同軍も、レジスタンスもレギオンも。
 沸いてきた傀儡兵らを撃退し、避難の人々の中に交じり入ったまま、彼らもまたあの皇都
で起こっている筈の狂気(たたかい)を想う。
 今目の前にある不安。或いはこの戦いが終わった後の自らの生計や祖国の政治への不安。
 今この場には間違いなく、そうした人々の嘆きが満ちている。
「一体、この国はどうなっちまうんだ……」
 そして、そんな皆々の思いを代弁するかのように。
 老婆らが一瞥を寄越して通り過ぎる中、そう誰からともなく、深く哀しい嘆声が漏れた。


 Tale-25.凶宴(うたげ)の先に在るもの

 咆哮、二つ。
 次の瞬間、真っ先に飛び出していたのは二人分の影だった。
 一方は“結社”の使徒が一人・戦鬼(ヴェルセーク)──その試作体(プロトタイプ)。
 一方は妖刀“告紫斬華”の力に呑まれ、正気を失ったアズサ皇。
 先ず、その両者の衝突があった。
 ヴェルセークは漆黒の装甲、その鋭く波打つ突起がマナの滾りと共に変質して巨大な鉈状
を形成した腕を突き出し、アズサ(いや斬華)はこの黒騎士を“獲物”だと認識したのか、
ニマリと狂気を宿した口元の弧と共に、マナの推進力な爆風を纏って突撃する。
「──チッ」
 次いで僅かな舌打ちをし、ジーヴァが地面を蹴った。
 激突し、互いの力で弾かれあった両者の中へと抉るように飛び込むと、彼は鈍色の剣撃を
斬華へと放つ。
 今度は彼と斬華の間で激しい火花が散り、鍔迫り合い。
 三人を囲んでいた、祭壇に続く通路を形作る壁は、彼らの放つ威力で徐々に圧迫され砕か
れメキメキッと押し広げられ始めていた。
 加えて、数拍だけよろめいたヴェルセークがすぐさま体勢を整え、再び咆哮と共に大鉈の
腕を振り下ろすと、三者は轟音と共に瓦礫や土埃の中に隠れてしまう。
「ッ!?」「……」
 ジークが、リオが中空を見上げ、目を細めた。
 ややあって最初に濛々とした土埃から弾き飛ばされていたのは、斬華(アズサ)。
 次いで横倒しに剣を握ったジーヴァ、もう片方の腕も大鉈状に変えたヴェルセークがそれ
ぞれ飛び出し、跳び掛かり、ぐるんと中空で体勢を整え着地した斬華と再度激突。二対一の
構図で王の間の破壊に拍車を掛けつつ、ジーク達の横向かいを繰り返す剣戟と共に駆け抜け
てゆく。
「ど、どうなってんだ? 奴らが斬華と戦って、る……?」
「戦うというよりは鎮圧、だな。お前にも分かるだろう? 今姉者は斬華の力に呑まれてし
まっている。……暴走してしまっている状態だ」
 思わず目を瞬いてその場に立ち尽くすジークに、リオは唇を静かに結んで応えていた。
 一瞥を寄越してきたその眼を、すぐに段上にいる残りの使徒──フェニリアとルギスに向
けて彼は警戒を維持しながら続ける。
「奴らの目的が斬華でも、あんな状態では手にすることも叶うまい。先ずは力ずくでも斬華
を押さえ込み“宿主が消耗する”のを待っているのだろう」
「消、耗……」
 一言目の時点でジークは、ならこのまま連中が潰されればと思考を過ぎらせた。
 だが続いた彼の二言目によって、その考えが意味を成さないとすぐに悟る。
 生贄。奴らは悪びれもなく白状したように、アズサ皇(おば)を斬華入手の為の踏み台に
する気なのだ。
 同じく聖浄器──六華を使ってきた自分なら分かる。
 自分でもいざ解放・発動する際の消耗度合いは相当なものなのだ。それを、おそらく六華
よりも強力──いや凶悪な代物を、彼女という武芸の素人が使っている。その力に呑まれて
使われてしまっている。
「……くっ!」
 理屈を飛び越えてやってくる、直感。
 このまま彼女を放置してしまえば……その生命(いのち)が危ない。
 だが、叔母を引っ張り出そうと思わず駆け出そうするジークの行く手を遮ったのは、再び
のフェニリアの炎だった。
 ゴウッと、襲い掛かってくる火の使い魔達。
 咄嗟に割って入ったリオによる太刀の一閃で初撃は免れたものの、ジークとリオは改めて
彼女の妖火の包囲網の中に抑え込まれる格好となる。
「──行っていいなんて、誰が言ったかしら?」
 小首を傾げてみせ、フェニリアが“あくまで上”であることを誇示して哂う。
 火の壁の向こう、柱の一つにもたれ掛かっていたリュウゼンも、掌に光球を浮かべながら
気だるく欠伸をしつつ、ちらと肩越しから二人に一瞥を遣っている。
「ア──……ア、ァァァァァーッ!!」
「……」
 その間も、アズサを乗っ取った告紫斬華の暴走は止まらない。
 何度目かの咆哮。血を求める叫び。だが宿主(アズサ)当人の身体は、既に重症の域だ。
 停戦を拒絶した直後ジーヴァに斬られ、胸元からざっくりと抉られた傷。
 その後、祭壇の下で六華を用いて磔にされていた間の四肢と両肩の傷。
 加えて今こうして斬華の力に呑まれ──無理やりにマナを、生命力を消耗させられている
が故に、時折口や傷口から漏れているのは吐血・流血。
 傍目からも、常人ならばとっくに事切れていてもおかしくなかった。
 それでも、斬華はまだ足りぬと叫んでいた。
 血塗れの宿主という贄を以ってもまだ、封印(ねむら)されていた間の渇きが満たせぬと
咆えていた。
 鍔迫り合いで一旦弾き合い、後退って彼の者と向き合い直すジーヴァ。
 改めて正眼に剣を構え直すその表情には、淡々としながらも何故か“慶び”らしき気色が
入り混じっている。
 片手首を引いて刀身を傾け、ぐっと地面を踏み込み、もう一度斬華と切り結ぼうと──。
「オォォォォォッ!!」
 だがジーヴァが剣を薙ごうとしたその寸前、ヴェルセークが割って入るように横から飛び
込んで来ると床もろとも斬華を叩いた。
 咄嗟に急ブレーキ。目の前で立ち上る土埃と、そこから飛び出したかと思えばスマートさ
の欠片もない撃ち合いを始める両者。
 流石に、ジーヴァは眉根を寄せて不快感を示していた。
 この両者を割くようにもう一度地面を蹴り、鋭い一閃を振り下ろすと、叫ぶ。
「ルギス、この暴れ馬をもっと御せるようにしておけ! 戦闘力は申し分ない……が、これ
では肝心の任務遂行には向かんぞ!」
「ふぅむ……そのようだねェ。今回はいくら相手が“仇”だとはいえ、どうやら想定以上に
“狂化霊装(ヴェルセーク)”が効いてしまっているようだァよ。これは一度制御式を組み
直す必要がありそうだねェ……」
 段上にいるままのルギスは、そう彼の言葉にやれやれとため息をついてみせていた。
 だがそれは、思い通りにならぬ苛立ちというより、造り出した者(さくひん)の挙動を興
味深く見遣っている研究者──いや、狂った親(マッドサイエンティスト)の反応に近い。
 彼は腕の手甲型端末を操作し、改めて忙しなく無数の数式を走らせながら、遠巻きに彼ら
三者の剣戟模様を「観察」し続けている。
「ぬぅ……っ! こん、のぉっ!!」
 そんな様を、ジークとリオは炎の壁の向こう側から何度となく一瞥を寄越し、だが次の瞬
間には断続的に襲い掛かってくる火の使い魔らへの対応に追われていた。
 ジークはやはり、この魔導の輩に有効な剣撃を与えられず。
 一方でリオが、そんな甥をフォローしながら次々に湧いてくる使い魔らを捌き続ける。
 しかし今度はフェニリアも油断をみせなくなっていた。
 天井崩し(おなじて)はもう通用しないだろう。
 何より彼女とその使い魔らが、この剣聖が放つ業を警戒し、その準備動作を許さぬ連撃を
絶やそうとしなかったのだ。
「ジーク」
「だ、大丈夫だよっ。それよりも……」
 それでも、リオはこの使い魔らを次々に滅しながら、自身の背後で防御一辺倒になってい
るジークを気に留めてくれていた。
 ──申し訳ない。
 だからせめて、口だけはそう強気を装いつつ。
 焦りや悔しさで胸の中が綯い交ぜになる中、ジークはもう一度ジーヴァ達の方を見遣る。
「オ……アァァァァァーッ!!」
 いや、厳密に言えばジーヴァではない。斬華でもない。
 戦鬼(ヴェルセーク)。そう奴らが呼んでいたあの黒騎士だ。
 今も彼(で、いいのだろうか)は、何度も雄叫びを上げながら執拗に斬華を破ろうとして
いるかのように見える。
 振り下ろされるその大鉈の両腕が、斬華を握らされたままのアズサ皇を打ち倒そうと何度
となく鈍い轟音を上げている。
「くっ……」
 このままでは、彼女をみすみす見殺しにしてしまう。
 母が古傷と向き合う覚悟の下、必死に和解を望んだその相手を、失わせてしまう。
「……面倒臭ぇ。何でまだそうまでして抵抗しやがるかねぇ?」
 すると、そんなジークとリオを横目にしながらふと呟いてきたのは、リュウゼンだった。
「さっき剣聖も認めてたろうが。あのババアはもう長くもたねぇよ」
 だがその声は、あくまで気だるくて。
 ジーク達の心情などまるで理解していない、しようとしない姿を見せ付けるかのようで。
「斬華にマナを搾り取られて干乾びるか、ジーヴァやヴェルセークに殺られるか……。そも
そもてめぇにとっちゃ、あのババアは母親の仇だろうがよ。放っとけばあいつらが始末して
くれるんだぜ? 何を今更ジタバタする必要があんだよ……」
「うるせぇ! 大体てめぇらの所為で──」
 当然、ジークは怒り露わに声を荒げていた。
 加えてリオもまた、言葉こそ口に出さなかったものの、視線を向けてきたその瞳の奥に確
かな怒りの火を燃やしているのがみえる。
「都合が悪けりゃ全部結社(わるもの)の所為、ねぇ……。まぁもう慣れたからいいけど」
 しかしリュウゼンはまるで意に介する様子はなく、再びの欠伸と共に視線を掌の光球へと
戻してしまっていた。
「……そうやって“俺達は何も悪くない”って信じ込むのが一番の悪だと思うんだがなぁ」
 散々人々(みんな)を虐殺してきた奴らが何を……。
 火の使い魔らに耐えつ返しつ、リオにフォローして貰いつつ。ジークは強い不快感を露わ
にして、そんな呟きを吐いてくる彼を肩越しに睨み付ける。
 だが──その一方で、彼の言葉でより引っ掛かるものは強くなった。
 それは違和感、とでも言うべきか。
 あの白髪剣士(確かジーヴァといったか)が白状していたように、奴らの狙いは斬華だ。
アズサ皇はあくまでその為の生贄(ツール)でしかない。そう語っていた筈だ。
 では何故、あの黒騎士はああまで執拗に彼女を殺そうとしているのだろう?
 聖浄器の消耗の大きさは自分も知る所だ。実際、このままでは彼女は消耗の末に帰らぬ人
となってしまう。凌いでおけば、自滅するのだ。
 なのに……何故?
 それが、先刻から戦鬼(ヴェルセーク)を見て抱く違和感だった。
 まるで奴らの策謀以上に、彼という個人は強烈な“憎悪”が故に彼女を攻撃している。
 そのように、ジークには思えてならなくて──。
「──オ、アァ……ッ」
 異変があったのは、ちょうどそんな時だった。
 何度目とも知れなくなった、互いを弾き返しての後退り。そこから再び刃を構えて地を蹴
るジーヴァとヴェルセーク。
 だがこの時、対する斬華はスッと腰を落とし、刀身を引き寄せたのだ。
 そして起こったのは、どす黒いという域に達する紫のオーラ。
 それらが滾るように彼女(やどぬし)を巻き込んで溢れ、構えた斬華の刃に纏わり渦巻い
てゆく。
「……!」
 そして放たれたのは、間違いなく必殺を意図した一撃だった。
 その動作に危険を感じたジーヴァは、逸早く突撃を休止。ブレーキを掛けた両脚のバネを
そのまま横っ飛びに繋げ、次の瞬間飛んできた紫紺の斬撃を大きく回避する。
 だが、一方のヴェルセークにそんな冷静な判断能力はなかった。
 斬撃は彼の寸前まで襲い掛かり、ようやく本能的に身を捩った時には、遅かった。
 フルフェイスの左頬と肩、そして鉈状の先端三分の一程が紫色の衝撃と共に激しく砕け、
その巨体と姿勢を大きく崩させる。
 土煙の塊が上がり、そして四散していった。
 先程よりは大人しくなったものの、斬華が纏う紫のオーラは依然其処にあり、側方からの
ジーヴァの凝視を受けている。
「ガッ、アァ……」
 だがしかし、ヴェルセークの狂気は止まってはいなかった。
 破損した左半身。そこから見える「人間」。
 ジークがリオが、炎の向こう側からそれぞれに驚いたように目を見開いていた。
 戦鬼(ヴェルセーク)には──生身(ほんたい)がある。
「見たか、ジーク。あれが告紫斬華の特性だ。破滅の斬撃──癒える事のない傷を与える、
一種の呪いのようなものだ。治癒の魔導も薬も効かない。回復するには、傷を与えた当代の
使用者を殺すしかない」
「……」
 まさに魔性を屠ることに特化し、その目的の為に狂ったリスクすら背負う一振り。
 ジークは大きく目を見開いたまま、その瞳をぐらぐらと動揺で揺るがし、じっと押し黙っ
てしまっている。
「……ほう? 知っていたか」
「流石は散々嗅ぎ回っていただけのことはあるわねぇ」
「だけどもォ。どうやら我が“狂化霊装(ヴェルセーク)”の方が上手のようだねェ……」
 しかしジーヴァやフェニリアは、リオの事前調査に皮肉を紡ぐだけだった。
 加えて段上のルギスが、それまで傍観していた中でふとそんな事を口にする。
「? まさか……」
 次の瞬間、今度はリオが目を見開いて驚いていた。
 読み解いてきた文献の中では、確かに斬華は「癒えない斬撃」を放つ聖浄器だった筈だ。
 なのに、今まさにあの黒騎士は──その装甲が修復されようとしているではないか。
「ひっひっひっ。知っているのは君だけかと思っていたのかねェ? 斬華の能力ならこちら
も把握済みだァよ。それを織り込んでの、この自動修復機能(オートリバース)さァ!!」
 砕け破損した部位を補修するように、淡いマナを纏った漆黒の装甲がヴェルセークの受け
たダメージを復旧させていた。
 ややあって露出していた装甲は完全に塞がり直り、ヴェルセークは再び咆哮を上げる。
 切断された腕先の大鉈も、先程よりも一層巨大で禍々しい刃へと再構築され、ギラリと鈍
い煌きを返している。
「フェニリア、もう暫しそこの二人と遊んでやっていろ。……俺が、終わらせる」
 改めて、ジーヴァが剣を構えて地面を蹴った。ヴェルセークも両脚にぐぐっと力を込めて
跳び上がり、斬華──を握ったアズサ皇だった者へと襲い掛かろうとする。
「……ッ。姉者、ジーク!」
 そして再びジークとリオに向かって来るのは、火の使い魔らの雨霰。
 尚も立ち尽くしたままのジークへとリオは叫び、また剣を迎撃に振るわざるを得ない。
「……嘘、だろ?」
 だがしかし。そんな中、ジークはリオの呼び掛けにも応じられなかった。
「何でだよ? 何で、こんな所に」
 火が降って来る。その熱も爆音も分かっていた。 
 だけどあの黒騎士の素顔を目にした瞬間、そんな眼前の脅威すらも、彼にはサァッと意識
の遠くに往ってしまったかのようで。
「──父さん」
 今は亡き筈の、それも“憎悪”に染まり上がった鬼気たる父の顔を、ジークは確かにかの
鎧の下より目撃していて……。


「こちら北区画十七班。区内住民の救出行動、完了致しました」
「ん……。では隊伍を既定に戻して点呼を。突入に備えて待機しておけ」
 時間の経過と共に、救出活動(いらいないよう)は順調に完遂へと向かっていた。
 城下内を分担させていた部下達が報告を上げてくる度、再び集まってくる彼らと一時沸い
ては襲い掛かって来た傀儡兵らの数が大きく反比例するのが分かる。
(……此方は、落ち着いたようだな)
 本隊に収まってゆく部下達を一瞥しつつ、セイオンはすっかり制圧の済んだ辺り一帯を静
かに見渡していた。
 一先ず、自分達の“仕事”は終わった。
 だが結末を見るに、必ずしも今在るこの光景は事前に共同軍が描いた「極力穏当な終結」
というシナリオとは言えない──むしろ程遠くなっているであろうと思う。
 犠牲は、避けられなかった。アズサ皇と“結社”達がそれを拒んだ。
 今目の前に在るのは、皆によって破壊された黒衣のオートマタらの残骸だけではない。
 皇国兵も共同軍も、そしてレジスタンスも。当初はあそこまで敵味方に分かれ、剣戟を交
わらせていた筈の両者も、今や強い脱力感と哀しさの中に立ち尽くし、或いは場に座り込ん
で文字通りに項垂れてしまっている。
 女皇の拒絶さえ……いや“結社”の脅迫さえなければ、これほどまでに無為な血は流れず
に済んだのだろうか。それとも、どだい戦とはこういうものだと割り切るべきなのか。
「──…………」
 そんな中に、彼はいた。
 サジ・キサラギ。反皇勢力(レジスタンス)のリーダーとして、この国の内乱に終止符を
打つべく共同軍と手を結んだ人物。
 しかし今の彼からは、そんな戦に明け暮れる将という面影は随分と色褪せてしまっている
ようにみえた。
 自身もあちこちに傷を負い、槍(えもの)を投げ出してまで、彼はただじっと意識を失い
ぐったりとしている一人の女性をその胸の中に抱きかかえて蹲っていた。
 ユイ・キサラギ。サジの実の娘であり、皇国軍のいち将校でもある人物。
 だが今は父(かたき)との一騎打ちの末に破れ、受けたダメージの大きさが故に戦闘不能
となって“落ち”ていた。
 印導の槍(スティグマランス)に貫かれた右脇腹を中心に、消毒・治癒魔導に包帯と既に
手当ては施されていたが、それでも痛々しい印象は拭いようがない。
 そんな手負いのままで眠る娘に、父(サジ)はじっと寄り添い、跪いていたのだった。
『結局てめぇらは……母さんを、自分達の“言い訳”に使ってきただけじゃねぇか!!』
『伯母様、皆さん、お願いです。もう戦わないで下さい。この争いを……止めて下さい!』
『……救いたいんです。僕や兄さんには始めての土地でも、母さんにとってはずっと忘れる
ことのできなかった故郷なんです。ずっと自分を責めて、ずっと心配し続けてきた故郷なん
です。もう……知らなかったからと言って済ませたくない。だから……せめて僕は、母さん
もトナンの人達も、皆がこの苦しみから救い出せるよう、持てる全てを注ぎたい──』
 サジの脳裏に次々と、繰り返すように過ぎるのは、己が忠節を捧げた筈の者達の姿。
 主君の長子は二度目の再会の折、憤って自分に剣を向けてきた。
 曰く母の名を語って争い続けることが許せないと。自分達が掲げる忠節も、結局は争いの
一つに過ぎないのだと。
 主君もまた、願っていた。
 皇が誰であるかよりも、その国に暮らす人々が幸せでいられるなら、私は一人の母のまま
でも良かったと。玉座の主や取り巻きよりも、その下で生きる多くの領民達の幸せを……我
が主は願っていたのだ。
 加えて共同軍との作戦会議の折、弟君は導話越しに語られていた。
 どの御方も……同じだった。
 皇族という自分(おのれのみぶん)よりも、只々かの地に生きる人々の為に──。
 なのに自分達は、忠節を語って内乱の片割れとなって……加えて実の娘までをも敵に回す
選択を突き進んで……。いざ当人から剣を向けられるその時まで、己に“正義”があると、
正しいのだと信じ、疑うことを忘れてしまっていた。
 もう遅いのかもしれない。
 だが今なら……強く思うことができる。
 今こうして、手負いの眠りに就いているこの娘を腕の中に抱いていること。
 それ自体がまさに、これまでの聖戦(せいぎ)に自惚れていた日々に下された罰なのでは
ないのかと──。
「……私は」
 サジは弱々しく、途切れ気味に口を開いていた。
「私達は、間違っていたのでしょうか……」
 悔恨。或いは自罰的な感情。
 誰にともなく漏らされた言葉のようだったが、それでもそこに込められた嘆きを汲み取る
と、ちょうどすぐ傍にいたセイオンは部下達と共にそっと彼に振り向く。バークス、シャル
ロット、グラムベルの他の七星らも、この共闘者の嘆声を聞きつけ、そっと近付いて来るの
が見える。
「私は……こんな、つもりは……」
 四人の強き者らに囲まれ、見上げたサジの表情(かお)。
 だがそこに、以前の反政府指導者としての断固たる気色はすっかり色を失っていた。
 在るのは色褪せて衰えようとする心の色。
 信じた正義・忠節が詮無いことだと突き付けられ、ただ一人の娘に憎まれながら槍を放た
なければならかった末路。それら全てが、今まさに彼を灰色に燃え尽かそうとしている。
「……“違う”も何もあるかよ」
 最初に応じたのはグラムベルだった。
 ガチャリと重鎧を纏った身体を揺らし、鎖鉄球を垂らした手斧の柄の中程をトントンと肩
に乗せながら、彼は嘆息を突き返すようにして言う。
「守りたいだの救いたいだの、それは守らない救わないことと裏表だろ? どっちの側に立
つのか。その時点で俺達は取捨選択をしてる。……そこでウジウジ悩んでるようじゃ、戦士
失格だぞ? 迷いっ放しじゃあ、守りたいものもろくに守れやしねぇよ」
「だけど……私はキサラギさんのように、悩んでくれるリーダーの方が好感が持てるわね。
己を信じて突き進むのも一つの姿ではあるけど、一緒にに悩んで闘ってくれるリーダーの方
がずっとヒトらしいじゃない?」
 グラムベルはあくまで傭兵──戦士としての覚悟を理由に眉を顰めていたが、その一方で
シャルロットは頬に片手を当てながら微笑み、慰める。
「……確かに“力”は争いの火種になるだろう。だがそれを鎮めるのも、また“力”である
ことに変わりはない。力なき者らのできぬことを、力ある者が臆してはならない筈だ」
 そんなやり取りをじっと眺めていたセイオンは淡々と。
 向けていた視線を僅かにサジ本人から仰向けのユイに落とし、彼は私情をぐっと押し込め
るように“持つ者の義務”を語る。
「ふふふ……。なぁに、大いに悩めば良いではないかキサラギ殿。……確かに、答えはすぐ
には出ぬかもしれん。しかし儂らのこの歩みが、未来の子らが為の礎と成るのであれば本望
であろうよ」
 更にバークスは、静かに笑い掛けながら──“仏”の異名に相応しい穏やかさでごちた。
 大矛を肩に担いで、サワサワと鳴る風の下に空を見上げる。セイオン達も、サジもつられ
てその視線を同じくした。
 吹き往く風は、血生臭さを少しずつ溶かそうとしているかのようだ。
 だがしかし、見上げた空の向こう──王宮上空には先刻から澱んだ紫の曇天が広がってお
り、否応なくあの場で何か不吉なことが起こっているのだと見る者に想像させる。
「……ふむ。随分ときな臭くなっとるのう」
「だな。親近感があるような……でもそれ以上に、不気味で嫌な予感がするぜ」
「あちらには“剣聖”がいる。そう易々とやられるとは考え難いが……」
「心配ね。シノ殿下や御子息達も一緒なのでしょう?」
 互いに口にせずとも、事前の作戦会議で知りえていたこと。
 もしかしなくとも、この異変は告紫斬華が解き放たれたが故のものではないのか。
 だとすれば、玉の間では今まさに最後の攻防が繰り広げられている筈……。
「儂らも加勢に往こう。此方もようやく片付いたことだしな」
 故に、場の面々の次なる行動は決まっていて。
 バークスが大矛を地面に立てて振り返ると、傘下の軍勢らは「応ッ!」と快諾と鬨の声を
上げる。
 ぼうっと娘(ユイ)を抱いたまま、この強き者らを見上げているサジ。
 そんな彼に、セイオンとシャルロットは振り向き、それぞれにそっと手を差し伸べた。
「さぁ、キサラギさん」
「行きましょう。……貴方自身の答えを、出す為にも」


 紫を帯びた大刀の唸りと狂気する奇声が響き渡る。
 癒えぬ斬撃も、当たらなければどうという事はない……。
 そんな風に思考した──そうした理性がそもそも在るのか怪しいが──のか、斬華はその
刃をジーヴァとヴェルセークに叩き込もうと、繰り返し繰り返し襲い掛かってくる。
「何をぼさっとしている、ジーク!?」
 一方で、その光景の遠近法のように炎の壁を隔てた内側では、再三に渡り襲い掛かってく
る火の使い魔らをリオが次々に斬り伏せていた。
 思わず、声を荒げて発した警句。
 だがジークは、何処か強制的な上の空に陥っているように見えて……。
「あ、ああ。悪ぃ……。そ、そうだよな。今は──」
「……? 分かっているならいい」
 ややあってようやく我に返ったのか、この青年はハッと肩を震わせおずっと振り返ると、
何やらそんな事を呟きながら改めて二刀を構え始める。
 ジーヴァ達は斬華に、ジーク達はフェニリアに、それぞれが少なからず苦戦しているよう
に見えた。
『ふむ……? ジーヴァ、そっちに加勢しようか? 僕らの方はもうすぐで片付くよ』
「……余計な真似は要らん。慢心してそこまで抵抗された者がのたまう台詞か?」
 故に、中空の映像(ビジョン)──空間結界の中からフェイアンはそう呼び掛けてくる。
 しかしジーヴァは斬華と鍔迫り合いを続け、ヴェルセークがそこに突っ込んできて引き離
すという武闘の中、そうきっぱりと助力を拒否した。
 加えて振り向きもせず、表情も変えずに嫌味を一つ。
 それでも当のフェイアンは、映像(ビジョン)の向こうでやれやれと肩を竦ませている。
(邪魔を、するな)
 鈍色と紫色、時折漆黒の刃が交わり、火花を散らす。
 ジーヴァは胸の内で、強くそう思っていた。
 何もこの戦いは“結社”の一員として、任務としてのものだけではない。
 斬華(シキ)との対面。
 それは一人の剣客として、自身が長く待ち望んできた瞬間(とき)でもあったから──。

『──……ッう!?』
 時は、今から約千年前に遡る。
 かつては史上空前の大乱期を収めたゴルガニア帝国も、勃興以来の強固な開拓路線の歪み
は鬱積した人々の憎しみを一手に引き受け、そのうねりは「解放軍」という名の物理的暴力
となって今や帝都を落とさんとする勢いまでに膨らんでいる。
『ははっ……。勝負、あったな』 
 あの日、私は帝国軍の将として最後の防衛戦に加わっていた。
 そしてそんな私達の前に現れた男。それが、シキだった。
 後世“剣帝”の二つ名で語れることとなる当時のトナン皇。彼は自ら、解放軍より与えら
れた聖浄器・告紫斬華を片手に帝国軍本隊の猛者達を次々に倒していった。
 その中には、当然ながら私自身も含まれていて。
 激しい剣戟の打ち合い、最後の切り結びの末、私は遂に彼の刃の前に敗れたのである。
『しょ、将軍ッ!!』
『な、なんてこった……。あの“剣将”が、負けた……?』
 強い。恐ろしく強かった。
 当時から女傑族(アマゾネス)は卓越した武芸の民として知られていたが、その皇たる者
はここまでの域なのかと。
 私はざっくりと斬られた脇腹を押さえ溢れる血を手の感触に、その赤を目に映しながら、
ぐわんと揺らぎ出す意識に引っ張られるようにその場へと倒れ込んでいた。  
 これで、私も遂に武人として最期を迎えるのか……。
 それは即ち紛れもない死を意味する筈だったが、実際は不思議と酷くホッとする気持ちが
強かったのを覚えている。
 自分達の一騎打ちを見守っていた部下達が、悲壮な声で叫んでいるのが聞こえる。
 だが……斬華を片手に肩で息を整えながら近付いて来たシキは、言ったのだ。
『おい雑兵(ザコ)ども、お前らの大将は倒したぞ。さっさと戦場(ここ)から離れろ』
 私も、言われた当の部下達も驚き、困惑していた。
 今更情をかけようというのか? 散々錦の御旗を掲げて戦乱の火を点けて回ってきた者ど
もの将が何を……。
『行けよ。別に俺はお前らを“皆殺しにしろ”とは頼まれてねぇ。あくまで“帝都制圧”を
依頼された傭兵だ。必要以外の戦いをする気はねぇんだ。……それでも俺の刀の錆になりた
いってんなら、話は別だがな?』
 狂気の妖刀をギラつかせ、ぺろりと舌を舐めずる。
 それでも暫く部下達は躊躇って顔を見合わせていたが、他でもない私の、倒れたままの姿
勢からの頷きを切欠に動き出した。おたおたと、蜘蛛の子を散らすように彼らは城下の奥へ
と紛れ、その姿を消してゆく。
 己が大将を見捨てるような逃走は武人の恥──。
 そんな帝国軍人としての矜持が、ギリギリまで皆の後ろ髪を引いたのだろう。
 しかしシキが手に下げる斬華の刃とその言葉、何よりも自身に叩き込まれた決め手の一閃
を密かに検めてみる限り、もしかしたらと……私は思ったのだ。
『──トナン皇! 其方の首尾は如何でありますかっ?』
『おう、ちょうど片付いた所だ。お前らは先に行ってろ。すぐに追いつく!』
 不意に通りの向こうから解放軍の一団が顔を覗かせたが、シキは肩越しに振り返りそう返
事をすると、すぐに彼らを立ち去らせていた。
 遠退く足音と気配。交戦の音は今も帝都城下のあちこちで断続的に聞こえてくるが、少な
くとも自分達のいるこの付近では、敵味方とも人は捌けた後であるらしい。
『……一体、何のつもりだ?』
『ん? なんだよ、お前人の話を聞いてなかったのか? 俺は別にお前らを皆殺しにする為
に此処に来たんじゃねぇんだっつーの』
 私は地面に倒れたままの格好で問うていたが、シキはさも当然とばかりに言葉を繰り返す
だけだった。
 やはり……そうなのか。本当にこの男は、敵軍の将を見逃すつもりなのだ。
 その言葉と、事実。他ならぬ私の身に叩き込まれた斬撃がそれを証明している。
 斬華の“癒えない斬撃”であれば、既に私はこうして会話することもままならぬ負傷者で
あっただろう。しかし実際は違う。手負いという点では同じだが、奴は斬華の持つ能力を私
に使わなかったのだ。試しに身体のマナを込めて止血をしてみたのだが、拙いながらも効果
は確かにこの身に発揮されている。
『それによ? お前はこの俺をここまで手こずらせたんだ。そんな実力の持ち主を、こんな
戦でみすみす消しちまうのは勿体無ぇだろ』
 私は思わず眉を顰め、少々無理に身を捩り、自分を打ち負かしたこの男を見遣っていた。
 先刻からの不思議な気分の正体は、この意思が故だったのかもしれないと思った。
 間違いない。この男は……愉しんでいる。戦いという名のぶつかり合いを、心の底から。
『なぁお前。ええっと……』
『……ジーヴァ・エルバウト。帝国軍本部二番隊隊長だ』
『おう。俺はシキ・スメラギ──って、それはもう知ってるか』
 呵々と笑い、彼は斬華を肩に担いでふと空を見上げていた。
 いや、厳密に言うと天をではない。遠くに映っている帝都の中枢・ゴルガニア王宮を眺め
始めていたのだ。
 だが今やその巨大権力の象徴も、解放軍によって火を放たれ落ちるのだろう。
 暫く彼は血生臭い微風に吹かれていたが、ふと真剣な声色になって私にごちる。
『……馬鹿馬鹿しいとは思わねぇか? 玉座に誰が座るか、自分達に何をしてくれるかって
だけで、こうもヒトっつーのは戦を飽きもせずに繰り返しやがる』
『……とても一国の皇が言う台詞とは思えんな』
『ははっ、そーだな。だがまぁ、俺の場合“繋ぎ”の王位だからよ。こちとら妹が存外早く
逝っちまったもんでな。で、その娘っ子がデカくなるまでの仮の皇って訳よ』
『……』
 問い掛けてきたのは、虚しさ。
 だがシキ個人は、己の置かれた権力の座の本質を嘆くというつもりではなさそうだった。
 曰く「ただ俺は死力を決した戦いが好きなんだ」と。そう言って笑った。敵軍である私に
向かって、ニカッと満面の笑みで。
『そりゃあ戦場が在るなら、俺達は食いっぱぐれねぇさ。でもよ、俺は食ってゆく為にとか
権力の云々とか、そういうもんを背負い込んで戦っても愉しくねぇと思うのさ』
 そうは思わねぇか? シキは敢えてそう付け加えて言ってみせた。
 分かっていた筈だ。私は帝国軍の将校──紛れもなく国の剣となり盾となることを是とし
て、王に忠節を誓うことで以って、武人としての矜持を維持している存在であると。
『……成る程。そんな思想が故に“最狂”の剣豪皇と呼ばれている訳か……』
 だから私は最初、そう皮肉って受け流す程度だった。
 しかし、彼は変わらず呵々と笑っていた。
 癒えぬ斬撃という、ある意味最凶の剣を繰る者であるにも拘わらず、その姿は以前より噂
に聞いていたような「気違い」とはどうにも思えず……。
『俺は、こういう戦は大っ嫌いなんだよ。騙し合って弱らせ合って、自分の有利になるまで
色んなものを滅茶苦茶にしてまで“勝ち”に拘ってさ……。無粋なんだよ。お互い磨き上げ
た技を全力で出し切れる、そんな万全の状態でぶつかり合ってこその武芸者じゃねぇのか。
勝った負けたはその後の事だろ? やたらめったら殺してたら、磨き合う好敵手(ダチ)も
できやしねぇってのに』
『トナン皇……』
 その嘆息だった。確かにあの時の言葉だった。
 はたと私の胸を打つもの。熱い滾り。目を見開いた私には、彼がとても輝いて見えた。
 主への忠節、人々を守るという正義。それは美しいものだと、ずっと信じてきた。
 なのに……彼はそんなものには、そう“他人を利用しなければ得られない誇り”には、全
くといっていい程に無関心だったのだ。
 だが、そんな姿こそが純粋ではなかったか?
 武人とは、商売人ではない。その己が技に力に頼り、誇りを持つ者ではなかったか……。
『だから俺は、此処でお前を殺さない。さっさとこの戦を終わらせようぜ? チカラを溜め
た後、再会するんだ。そん時こそ、本来の“死合”ができるってもんよ。……どうだ?』
『…………。ああ』
 もうこの帝国(くに)が長く持たないという打算もあったのだろう。
 やがて、私は彼の再戦の申し出を受けていた。そしてニカッと、また嬉しそうな笑み。
『よーしっ、決まりだな。これで好敵手(たのしみ)が増えた』
『……もし嫌だと言ったら、斬っていたのか? 帝国軍人の誇りを穢すのかと、私が拒絶し
ていた可能性もあったというのに』
『くどいなぁお前。別に俺はそんなの気にしねぇって。お前が断っても生かすさ。それに、
反撃しようにも動けないくらいの傷は、与えた筈だろ?』
『……。それこそ弱らせ合い云々ではないのか』
『んぅ……? ははっ、かもしれねぇなあ。そこまで考えてなかったぜ』
 あくまで戦いは愉しむもの。武芸を使うべき場は争奪戦(デスゲーム)ではなく、鍛錬の
形であると彼は言う。
 笑っていた。敵同士だというのに、笑っていた。
 確かに世の民草が抱く“戦”観とは一線を画すのだろう。
『約束だ。また会って死合をしよう(やりあおう)』
『ああ……必ず。今度こそ、真に全身全霊を尽くそう』
『約束だぜ? お前はその剣に、俺は女傑族(しゅぞく)の誇りに誓って──』
 だが私にとっての彼は、とても清々しい偉丈夫に映っていたのだ。 

 しかしその約束は……遂に果たされることはなかった。
 大戦の後、新たな世界権力が成立するその過渡期にあって、シキは他ならぬ同胞らによっ
て討たれたのだ。謂われのない罪を詰られ、送り込まれた国内外よりの大軍に。
 聖浄器・告紫斬華と破天荒なる剣豪皇。その強大なる力を、彼らは酷く恐れたらしい。
 結局私との再会を果たせぬまま、彼は逝った。
 それでも彼は、謀略に落とされたことを怨嗟に乗せなかったという。只々最期の瞬間まで
一人の武芸者として存分に戦い、斬華をべっとりと血に濡らし、対峙した大軍を壊滅寸前ま
で追い込みながら果てたのだという。
 そんな風の噂が、私にとってせめてもの救いだったのかもしれない。
 何故なら私も時を前後して、解放軍の放った残党狩り──使い魔らからの執拗な追跡の中
で瘴気に中てられ、魔人(このみ)と為っていたからだ。
 約束は……果たせなかった。
「ァ、オォォォォォ……ッ!!」
「──……」
 ヒトよ。お前達は只一つ、私を自害させずに留まらせた約束すらも引き裂くのか。
 とはいえ、今更その業を断じるつもりはない。所詮変わらぬ。詮無いことだ。
 ただ私も、お前達と同じように“我”の下にこの魔性を生きてやろう。そう思う。
(……待っていろ、斬華(シキ)。すぐに其処から、解き放ってやる……)
 だがせめて。
 かつての好敵手(とも)の形見くらいは、取り戻させて貰う。

「──やれやれ。強情とはスマートじゃないねえ」
 映像(ビジョン)の向こうでこちらかの申し出を突っ撥ねたジーヴァ達から視線を戻し、
フェイアンはフッと笑いながらも目を細めた。
 その隣には魔性を纏う、魔性を駆る、バトナスとエクリレーヌの姿がある。
『……ッ』
 彼らと対峙するアルス達──共同軍の面々はじりじりと追い詰められていた。
 それでもシノを護ろうとする意思だけは挫けることなく、たとえ仲間達が倒れてゆき小さ
くなってしまっても、その円陣だけはびっちりと解かずに組んで。
「昔からあいつは無愛想(ああ)だろ? それよりさっさとこいつらを──」
 言って、バトナスは一気に飛び掛かろうとした。
 だがその寸前になって、再度飛んできたのは魔導や銃撃。セドの“灼雷”やダンの手斧、
シフォンの弓撃など。
 手斧や弓撃はバトナスの魔獣人(キメラ)な豪腕に軽々と弾かれ、掃射された銃撃はエク
リレーヌを庇うように、複数の巨腕を盾にした合成魔獣(キマイラ)が何事もなかったかの
ように防ぐ。
「……。まだ抵抗する気かい? 君達も、とことんスマートじゃないね」
 フェイアンもまた、灼雷を受けながらも、その爆熱は氷の大蛇らの頭を吹き飛ばすだけに
終わり、すぐにそれらは首下から再度凍て付くように再生する。
 再びくわっと牙を剥いて威嚇する氷結の蛇らを従え纏い、彼は余裕綽々に哂って言った。
「当たり……前だっ」
 その嘲笑う声に、セドが息を荒げながら噛み付いていた。
 いや──彼だけではない。
 シノを護り囲む場の共同軍、全ての者達が、彼と同様にダメージを負った身体を引き摺り
ながらも尚、この魔性の徒らに立ち向かおうとしていたのだ。
「どれだけ今まで、シノが戦友(ダチ)が苦しんできたと思ってやがる……。救うんだよ!
 今度こそ、今度こそあいつらを泣かせるものから全部、俺達がッ!!」
「……そうとも。妻と約束したんだ。『皆がもっと笑顔でいられますように』と。その遺志
の為にならば、私は悪鬼と罵られようが構わない……!」
「お前達は、酷く大きな罪を犯したんだ。殿下とアズサ殿が分かり合う──その可能性を、
長く殿下が苦しみながらも棄て切れなかった願いを、お前達は……ッ!!」
 セドが、サウルが、リンファが。
 かつてシノという女性と、コーダスというその後の夫と、苦楽を共にした仲間(とも)ら
が先ずよろよろと立ち上がり、絞り出すような声で叫んでいた。
『……ッ』
 そんな眼前の彼らに、リュカは傍で肩を寄せ合っていたシノ当人と共に目を見開き、声を
出せずに静かな衝撃(おどろき)に打たれる。
「そうだな。まぁ、元からてめぇらを許す気なんざ更々ねぇがよ」
「抗うのがヒトというものだよ。……我が友(ジーク)達は保守閉鎖的な(エルフという)
種族である僕に、そんなことを教えてくれた。とても、大切で篤いものを」
「……もう一度力を貸して、ブルート。私達の仲間(かぞく)を、守るの」
「ああ。言うべくもない」
 そして、立ち上がらんとする仲間達は瞬く間に拡がって。
 ダンやシフォン、イセルナにブルート。
 レナとミアは激しい動揺(ショック)が続いていたステラを両脇からそっと支え、その後
ろではハロルドが静かに眼鏡のブリッジを触っている。
 団員達も、共同軍やレジスタンスの兵らと交じって気合の声を上げ、銃を剣を、それぞれ
の得物を構えて「負けてなるものか」と、己自身に言い聞かせている。

 ──心強かった。自棄とも取れなくもないけれど。
 リュカは思う。シノさんは、ジークやアルスは、こんなにも沢山の人達に支えられて生き
てきたのだと。実際、彼女当人はまた目を潤ませて──或いはそこまで無茶を厭わない皆に
申し訳なく思って──ゴシゴシと瞼を擦っている。その儚く優しい横顔が確かにあった。
 なのに……自分はどうなのだろう?
 いや、これはきっと自分だけの話だけではない。自分達竜族(ドラグネス)という種族そ
のものについて、はたと思わされようとしていることなのだ。
 神竜王朝。かつて、自分達の先祖らが中心となって成立した古代の王権だ。
 時系列から言えば今よりおよそ七千年前。
 魔導開放運動、その末の大盟約(コード)成立後、混乱を極めたセカイを収拾すべく先祖
の竜の民らは人々により祀り上げられた。
 今でも人は、私達を“最強の古種族”と称することがある。
 実際、それは間違ってはいないのだろう。
 マナの雲海を単身で飛行できる強靭な翼と生命力、あらゆる攻撃をものともしない鱗、仇
成す者らをその一息で以って薙ぎ払う波動息(ブレス)。
 確かに私達竜の民は、強き種だった。
 だからこそ当初、人々は私達のその威厳を以って世の混乱が収まることを期待した。
 事実、代々の王(竜王という)の治世はその成果を如何なく発揮したらしい。こう言うと
自慢に聞こえるだろうが、身体も知性も、私達は日々鍛錬を怠ってこなかったから。
 そして代々の竜王は、人々の安寧の為に力を尽くした。
 開放された魔導を制度として整備し、種族の壁に関わらぬ共通言語(コモン・センテス)
を創設したり。中でも一番有名なのは各地に建立させた「導きの塔」だろう。
 彼らは信じた。誠を尽くせば、人々の豊かさを支えられれば、皆は幸せになれると。
 だが……違ったのだ。竜の民と他の種族は、あまりにも……違い過ぎた。
 続く治世の中で、徐々に綻んでいったのは「畏れ」。
 かつて“最強の古種族”と呼び称えた彼らも、豊かさを享受できるようになるにつれ、そ
の心の中に尊敬以上の疑心が過ぎった。
『この強過ぎる者らが、一度権力と共に暴走してしまえば……恐ろしいことになる』
 言い口はそんなもの。実際は王らの利権をもぎ取りたかっただけなのかもしれない。
 とにかく、やがて竜王と民草の間の溝は深まっていった。
 いや、彼ら当人としてみれば実に奇怪な現象だったであろう。人を信じ、その幸福の為に
力を尽くそうとすればするほど、その人々がこちらから離れてゆくのだから。
『お前達。ヒトと無闇に深くなってはならないよ。私達は、彼らに畏れられる存在。彼らと
は一線を画すさだめにある存在なのだから──』
 親から子へ、子から孫へ。私達竜族(ドラグネス)に伝わる戒めの言の葉。
 幼い頃はあまりその意味が分からなかった。古代の当時はともかく、今日はセカイ中で多
くの種族の人々が交わり、文明という大きな歯車を動かしている。
 でも魔導を学び、その成立史も修めてゆく中で、私は知った。
 哀し過ぎる痛みだったのだ。
 祀り上げられ、かと思えば蹴落とされて。
 何も先祖らだけではない、世の常だと言えばそうなのかもしれない。だけど当時の代々の
竜王は勿論、同胞らの受けた痛みを想う時、私はとても他人事には思えなかった。
 ──そして結局、神竜王朝は“竜王の王朝解散宣言”という歴史上異例中の異例という形
でその消滅の時を迎えた。
 これを「逃げ」だと人は言うこともある。
 だが実際の文献を紐解くに、実務上ですら既に互いに刻まれた溝(へだたり)はその遂行
を困難にさせるほど、大きく深かったと記されている。
 政治とはいえ、そこに介在するのはヒトなのだ。
 人心が(一方的にとはいえ)離れてしまった王に、もうその資格や正当性は無いのだ。
 だから……どれだけ先祖らは怨嗟を内に込めたのものなのか。
 しかし彼らはそれを子孫に伝えることはしなかった。憎悪や猜疑の連鎖、それがもたらす
災禍が如何に空しいかを、彼ら自身、痛過ぎる程に身を以って知っていたから。
 故に伝えられる言の葉は、厭世的となった。
 力は、争いの元になる。だから生まれながらにそれらを持つ種として、自分達は謙虚な心
を忘れずにセカイに関わるべきだと。
 為政者としてセカイの表舞台に立つよりも、観察者としてその変遷を見守ってゆく者に為
るべしと……。

「エトナ、もう一回……もう一回結界を!」
「えっ? わ、私はいいけど……大丈夫なの? さっきあいつらに効いてなかったじゃん」
「ダメージはね。でも、力を削ぎ取ることはちゃんと出来てた」
 傍らで、アルスとエトナがそんなやり取りをしていた。
 さぁトドメだと、ゆっくりとこちらに近付いて来る“結社”の三人に向かって、もう一度
群成す意糸(ファル・ウィンヴル)を。アルスの五指から無数のマナの糸が延びてゆく。
「僕らは何の為に力をつけてきたの? 守るためでしょ? 大事な人達もその想いも、壊さ
れないように一緒に守って、一緒に寄り添える為じゃない。……笑っていて欲しいんだよ。
誰か一人を傷付けることで残り九人がじゃなくって、十人が十人全員が一緒に手を取って笑
い合えるように。それを哂うあいつらを……僕は許さない」
「アルス、貴方……」
 私は胸の奥が熱くなる感覚に駆られた。
 進もうとしている。これだけ謀られ、憎しみをぶつけられ、引き裂かれても、それでも尚
未来(まえ)に進もうとしている。
 確かに、その動機は“悔恨”かもしれない。
 戦友(とも)を守り切れなかった。妻を喪ってしまった。自分のかつての過ちを悔い、せ
めて未来では同じことを繰り返さぬようにと。ある意味で「過去に脚を置いたまま」かもし
れない動機で。
 でも、それでいいのではないかと思えた。
 記憶はどうしても風化するけれど、世代を越えて語り継ぐことはできる。たとえそれらを
受けた全員がそうなるとは言えなくとも、少なくとも紡いだ想いは、生き残ってゆく。
 ジークは、かつて剣の修行をしている最中ごちていた。
『力が足りなかった所為で誰かを失うのは、もう厭だ』と。
 リオさんも、導話越しに語っていた。
『今度こそ俺は姉者と向き合おうと思う。俺はずっと、独り善がりにこの国から逃げ続けて
きた。その過ちを……少しでも償えたらと思っている』と。
(……ご先祖様、ごめんなさい。でもやっぱり、私は、皆の温もりが好きです……)
 だから私も。そう思考の群れが通り過ぎた後には意を決していた。
 シノさんが私の隣でハッと目を丸くしている。私がこれから何をしようとしているのか、
逸早く気付いてくれたらしい。だから私は微笑み返して、心持ち離れて彼女を巻き込まない
ように細心の注意を払う。
 うなじに在るのは私の竜石。そこにそっと指先を当てて力を込める。
 そうなのだ。私達は長い時間の中で自分達からも「溝」を掘ってしまっていたのだ。
 力。皆の為にある力。
 一体今出し惜しんでしまって、いつ使うというの──? 

 刹那、王の間の空気全体が大きく揺らいだ。
 そんな異変にジーヴァ・ヴェルセークと斬華、ジーク・リオとフェニリア、そして空間結
界の中にいた面々がハッと思わず戦いの手を止める。
「……ッ!? やば──」
 逸早く反応を示したのはリュウゼンだった。
 見れば光球──空間結界の様子を見る為の補助術を浮かべた掌、左腕全体が、この場の震
えに共鳴するかのように彼の感覚全体に悲鳴を届けてくる。
 だが彼がそう顔を顰め、腕に伝わる強烈な反動を避けようと空間結界を解こうとした時に
は、既に遅かった。
 次の瞬間、中空の映像(ビジョン)が光子の泡沫となって爆ぜていたのである。
 それはまるで“空間が砕け散る”かのようで。
 その膨張と破裂に弾き出されるように、アルス達共同軍の面々は王の間に放り出され──
期せずして帰還を果たしていた。
 フェイアンら使徒の三人もそれは同じで、受身やズザッと勢いを殺す着地で以ってすぐさ
ま状況を把握しようとする。
『──……』
「ほう? まさかこんな人前(ばめん)で解放態とは……」
「あれって……竜さん?」
「チッ。何なんだよ、次から次へと……っ!」
 そして突如として存在感を現していたのは、一体の巨大な白亜のトカゲ──竜だった。
 舞う土埃を突き抜け、王の間の天井すら現出と同時にぶち抜いて。
「リュカ、姉……?」
「……。リュカ先生……」
 全身の鱗、強靭な翼と尾。まさにそれは竜族(ドラグネス)本来の姿だった。
 その双眸は深い蒼色。その巨体が故にこの白竜・リュカは、ジークやリオ、共同軍の仲間
達や使徒らといった場の面々を暫しじっと見下ろす格好となる。
 共同軍らは一様に色気立ちと驚きを綯い交ぜに。
 レノヴィン母子(おやこ)ら、彼女をドラグネスという者の辛酸をよく知っている者達は
心強く思いながらも戸惑いがちに。
「この、野郎ォ……。俺の結界(セカイ)を、ぶち破りやがった……」
 そんな中で一番ダメージを負っていたのは、他ならぬ空間結界を張り維持していたリュウ
ゼンだった。結界を解くタイミングが数拍ながらも遅れたことで、彼はその破砕される反動
を少なからずもろに受けてしまっていたのである。
 故に左腕はその反動(いりょく)を物語るように、あちこちから鋭い裂傷と鮮血が走って
ボロボロになっており、魔人の高い不死性──治癒能力を以ってもすぐには塞がり切らない
ようだった。
 弾き倒され、むくっと起こした身体。余計にぼさぼさになった髪。
 苛立ちに似た悔しさを漏らす彼のその額には、角──鬼族(オーグ)の証が垣間見える。
『──……ォォ』
 そして、白竜(リュカ)が大きく息を吸い込み始めたことで、皆は慌てた。
 彼女が狙いを定める先は、使徒達。
 特に先程まで戦っていたフェイアン、バトナス、エクリレーヌの三名の方であって……。
「エクッ!」「ふぇっ?」
 咄嗟にバトナスが、ぼうっとこの最強の古種族を見上げていたエクリレーヌへと跳び、彼
女の首根っこを掴んでいた。
 合成魔獣(キマイラ)の掌の上から離脱する格好になるエクリレーヌ。同じく大きく回避
行動を取る残りの使徒達。
 リュカが吐き出した白銀色の、極太なブレスが場を薙いだのは、その直後のことだった。
 まるで溶鉱炉に放り込まれる金属よろしく、ジュワッと一瞬にしてキマイラがブレスの中
に呑まれて蒸発していった。そのさまに、バトナスに引っこ抜かれたエクリレーヌが声にな
らない涙目と共に手を伸ばそうとする。
「チッ、魔獣も一撃かよ……。一体どっちが化けモ──」
 だが二人が振り返る隙も、リュカは見逃さなかった。
 中空から着地しようとする彼らに、今度はブンッと勢いをつけて振り抜かれた竜の尾が襲
い掛かる。魔獣人(キメラ)化の豪腕で、そして寸前でフェイアンとフェニリアが氷と炎の
壁で咄嗟にフォローに入ったが、それでも竜の一撃は止められない。
 ブレスと尾の打撃。
 連続なる逆襲が、轟音の後、彼らごと王の間の壁に風穴を開けていた。
 外の暗雲がはっきりと映る程の巨大な横穴。
 その左右に吹き飛ばされ、強かに壁に打ち付けられ、バトナスらは少なからぬダメージを
負った身体を何とか起こしつつも、大きく息を荒げてながらこちらを睨み付けている。
「──ジーク!」
 濛々と舞い上がる土埃の中でリオがそう叫んだのは、そんな最中のことだった。
 呼ばれてジークが振り向いてみると、土埃の合間からはたと覗いたのは、この混乱の乗じ
て祭壇の方へと駆けていたらしいリオの姿。
「受け取れッ! 六華は、お前の剣だ!」
 そして彼は足元の血の魔法陣に刺さり落ちていた六華の一本を抜き取り、祭壇上に安置さ
れていた鞘に収めると、それをジークに向けて投げ寄越してくる。
 ジーヴァらが眉を顰めていた。だがそれよりも早く、ジークは仮初の二刀をその場に突き
刺して手放すと、だんっと地面を蹴って跳躍。託された六華を確かに受け取って着地し、半
円を描くように身を捻って使徒らに向き直った。
「……こいつは。そうか」
 一瞬だけ視線を落とし、どの六華かを確かめる。
 六振りの内で、漆のような黒塗りの鞘と分厚い飾り布を巻いた柄。何よりも慣れ親しんで
きた最もずっしりとした感触……。
 ジークは取り戻した得物(あいぼう)をサッと腰に差すと、深く深呼吸しながらその柄に
手を掛け、一気に抜き放つ。
「討ち伏せろ──黒藤(くろふじ)ッ!」
 それは黒刃の太刀だった。所有者(ジーク)の呼び声に応えるように、その刃は同じ美麗
な黒いマナを帯びて静かに唸る。
『──ォォォォォオ……!』
 何より皆の視線を独占したのは、次の瞬間ジークと六華を包むマナが膨れ上がって現出し
たその巨体にあった。
 黒漆の鎧武者。そう表現するに適切な巨大な鎧の武人が、ジークの動きにピタリと応じた
同じ所作で場に佇んでいたからである。
「あれは……」
「使い魔、か?」
「そうだ。護皇六華・黒藤の特性は“守護者の斬撃”──召喚系の魔導具だ」
 アルスやサフレが目を見開き言葉を漏らす中、リオは言った。
 残り五本の六華を同じく抜き取り、鞘に収めた末に彼はこれらの継承者に告げる。
「ジーク、撃て! 斬華を姉者から引き剥がすんだ!」
 その言葉に、ジークはぎりっと歯を食い縛って全身に力を込めて黒藤を握り締めた。
 手に下げた状態から大上段へ。彼の背後にそびえ立つ鎧武者もまた、そんな主と全く同じ
モーションを取り、巨大な太刀を大きく振り上げる。
「皇国(ここ)から──」
 そしてジーク達はその刃を全力で、
「出て行けェェェーッ!!」
 斬華と使徒達に向けて振り下ろしていた。
 三度目の正直だった。
 今度は鎧武者との一体化した一撃が場を揺るがし、使徒らや何よりも斬華を握ったアズサ
皇に襲い掛かる。響き渡る轟音と爆風に仲間達は思わず手で庇を作り、必死に吹き飛ばされ
ないように踏ん張っていた。
 濛々と、また大きく土埃が上がった。
 ジークから続く巨大な斬撃の爪跡が床をざっくりと斬り裂き、階下へ風穴を開けている。
「……うッ。やっぱり、消耗……が……っ」
 ややあってジークが一気に解放した力の反動に膝を付いたのと、弾き飛ばされた斬華が宙
を舞って床に突き刺さったのは、ほぼ同時のことだった。
 土埃の向こう。確かに斬華はアズサ皇の手から離れたらしい。
 急激にやってくる、だが六華の力を解放する度に味わってきたこの消耗感に大きく肩で息
をするジークは、そんなギィンッ! と突き刺さる剥離の音に幾分安堵の顔を浮かべる。
「──……」
 だが、奴らはまだやられてなどいなかったのだ。
 次の瞬間、土埃の中から出てきたのはジーヴァだった。
 ジークが皆が、あっと声を漏らした時にはもう遅かった。
 彼は使い手を失った斬華の柄にそっと手を掛けると、その刀身を引き抜き、
「もう大丈夫だ。シキ……これでもうお前は、自由の身だ」
 フッと何処か酷く穏やかに微笑んで、まるでその呟きに応えるように纏ったオーラを収め
てゆくこの妖刀を見遣っていたのである。
「──ふむ。ちと遅かったかのう?」
「オラオラァ“結社”どもぉ! ……って、何じゃこりゃ!?」
「……あらあら。随分と暴れたようじゃない? リオ」
 加えてそんな折、城下にいた七星らも、サジらレジスタンスと共に合流を果たしてきた。
 半開きになっていた王の間の扉を蹴破ってグラムベルが威勢を削がれたように眉を顰める
と、目を細めたシャルロットやバークスがこの場の破壊の限りを見て、そう呟いている。
「……。さて、任務は完了した。撤収を開始する」
 だがそれも束の間。ジーヴァは再び冷淡な表情(かお)に戻ると、他の使徒らに振り返っ
て口を開いていた。
 ダメージを負った者、魔獣(とも)を二度三度と喪った者、急に大人しくなった斬華を興
味深げに見ている者(ルギス)。彼らはそれぞれに近付いて来ては、ジーヴァを中心として
一つの集団となって場に立ってゆく。
 そしてそこには、当然“戦鬼(ヴェルセーク)”の姿もあって……。
「ま、待て……! そいつは、その、鎧野郎は──!」
 ジークは、誰よりも早く彼らの退却を食い止めようとしていた。
 だが黒藤の発動で消耗した身体は、すぐには言うことを聞いてくれない。それまで背後に
立っていた鎧武者型の使い魔も、今は効力を発揮し終わったと言わんばかりに姿を消してし
まっている。
「……。撤収する」
 しかしジーヴァは肩越しにこちらを一瞥するだけで、特に何も反応を返してくることはな
かった。黒コートを翻し、利き手には鈍色の剣を、逆手には斬華を、それぞれ握ったまま他
の使徒らに目配せをして再度言う。
「やれやれ……。随分とスマートさを欠いた祭りだったねぇ」
「命拾いしたな? だが次会った時にゃあ……てめぇら全員ぶっ殺す!!」
「ひっひっひっ……。中々実践的なデータが採れたのだよォ。感謝するよ、諸君」
 嘆息や怒気。様々な台詞を残し、使徒らは一斉にどす黒い靄に包まれていた。
 空間転移──現在の技術では、その身単体だけでは非常に行使が困難とされている筈の術
式を易々と。そしてジーク達が追い縋るよりも早く、彼らはフッと、次の瞬間には四散する
靄と共に忽然と消え去ってしまっていたのである。

『…………』
 暫く、場の面々は唖然としていた。
 共同軍にとっては散々に虐げられた挙句逃げられた格好。七星やサジ達にとっては意を決
して加勢の為に飛び込んで来たのに、既に終わっていたという結果。
「遅くなってすまなかった。……辛い思いをさせてしまったようだな、同胞よ」
「……いいえ。私なら大丈夫です。お気遣いありがとうございます、ディノグラード公」
 消化不良というか不完全燃焼というか。
 そんな皆の中にあって、セイオンは一際目立って立ち尽くしていた白竜──リュカにそう
そっと近寄ると静かに慰みの言葉を掛けていた。
 それでもリュカは一度大きく翼を広げて竜の全身を包むと、ギュンと身を捻ってその身を
封じ込むと元のヒトの姿に戻っていた。
 白亜の翼がスッと透明なるように現出は解かれ、彼女は敢えて静かに、これでいいんだと
言わんばかりに彼に微笑を返している。
「──伯母様ッ!!」
 突如シノが気付いたように叫び、飛び出していったのは、ちょうどそんな時だった。
 ハッと皆が我に返って、彼女の駆けてゆく方向を見遣る。
 そこには、アズサ皇が倒れていた。ぐったりと、全身を血塗れにしたまま倒れていた。
「伯母様、伯母様。聞こえますか? 御気を確かに」
 周りの血だまりを気にする余裕もなく、シノは慌てて彼女の傍に跪いていた。
 セドら共同軍、ジークやアルス、イセルナらクランの仲間達、何より実弟のリオも、やや
あって彼女に同じくこの瀕死の女皇の下へと駆け寄ってゆく。
「…………。嗚呼、シノか」
 虚ろな眼で、アズサは最初ただそれだけを口にした。
 それでも息は明らかに絶え絶えで、今も口元から断続的に血を吐き出している。
 どだい無茶だったのだ。武人ならともかく、全くの素人に聖浄器を繰らせようなど。
「酷い傷……。待ってて下さい、すぐに手当てとマナの補給を──ッ!?」
 だが急いで脈を測り、何とか彼女を救おうと治療を始めようとするシノの手を払い除けた
のは、他ならぬアズサ自身だった。
 パシンと取られた手を払い、ぐらりと離れて床を転ぶ。
「施しは、受けない……ッ!!」
 それは拒絶だった。二度目の、いや、絶対的に埋まらないと告げる溝の存在だった。
 血反吐を吐きながらも、それでもギンッと実の姪を睨み付けるアズサの姿。
 そこまでの強い拒絶の意思に、シノは絶句していた。セドやサウル、リンファにジーク、
アルスといった近しい仲間や子らも、この目の前に隔たる対立に思わず眉根を寄せる。
「……姉者。いや、姉様」
 すると今度は血だまりの中に、リオが跪いていた。
 孤高の剣聖。兵らはかねがねの噂と目の前の差に少なからず驚いているようだったが、彼
は構うことなく実姉の最期に際し、深く深く頭を垂れて謝罪する。
「すまなかった。ずっと俺は、姉様やこの国から逃げていたんだ。俺にも責任がある。姉様
に全てを背負い込ませていなければ……こんなことには……」
「今更、ね……。謝ったって、私が赦すと……本気で、思ってるの?」
「…………。すまなかった」
 だがやはりアズサは、変わらず強気で苛烈で。
 しかし一方でリオも分かっていたのかもしれない。もし自分が身分を棄て、国を出奔して
いなかったとしても、この姉は自分の理想を現実に引き寄せる為に足掻き続けたのではない
かと。……ただその手腕に、皆がついてゆけなかっただけなのではないかと。
 暫くの間、姉弟(きょうだい)と叔母・姪の三者は血だまりの中で黙っていた。
 ジーク達もまた、そこに余計な冷や水を入れるべきではないと、誰からともなくこの無言
の語り合いを見守ることにしていた。
「……。これで、満足?」
 やがて、口を開いたのはアズサだった。
 哂い。口元から血を漏らしながら、それでも彼女はあくまでシノをリオを、共同軍らを虚
ろな眼で見上げながら語ろうとしている。
「私は、ここで死ぬんでしょう? そうなれば次は……シノ、あんたが皇になる。よかった
じゃない? これで長年の恨みが晴らせたでしょう?」
「ち、違います! 私は……」
「ふんっ。そうやっていい子ぶって……、妹(あいつ)と同──グホォッ!!」
 言い掛けて一際大きな吐血が漏れた。
 シノ達は慌てたが、アズサ当人はもう自身の最期を悟っているのか、相変わらず試すよう
な眼で彼女達を哂ってみせている。
「精々その奇麗事で足掻いてみなさいな。このセカイは、そんなに甘っちょろいものなんか
じゃないって、すぐに分かる。その時あんたは……どうするのかしらねぇ? また逃げたり
するのかしら? フフッ……フハハ──グゥッ!!」
 再び血反吐をゴホッゴホッと。
 シノや面々が哀しそうに、不愉快そうに眉根を寄せるのをまるで嘲笑うかのように、彼女
は哂っていた。そして身体を血を引き摺るようにして、自ら這いずって移動を始めて言う。
「冥界(アビス)で観ててあげるわ……。そして同じ末路になってこっちに来たなら、思う
存分哂い続けてやる……」
 怨嗟か。しかし一方でこれは次なる皇・シノへの毒舌なる激励だったのかもしれない。
 だが確かめる術は、もうなかった。
 ただ彼女は、ボロボロになった身体で王の間を這いずり、玉座への段差を乗り越えようと
している。
「……」
 そして彼女が手を伸ばした先に、幻影(すがた)が在った。
 双子の妹・アカネとその夫シュウエイ。更に奥には先々代の皇。彼女の実の両親。
 彼らは皆微笑んでいた。柔らかな日差しがそっと場に注いでいる。
 『姉さん』『義姉上』『アズサ』四人の声が重なり、彼らがそっとこちらに手を差し伸べ
てくるのが見える。
「……何なのよ。私は……何処で、間違っ──」
 殆ど消え入るような言の葉。
 彼女が力尽きたのは、玉座には届かないその段の途中だった。
 どうっと顔を横にして倒れ、また血だまりが彼女を中心にして広がり始める。
 シノの、我が伯母の名を泣き叫ぶ声がこだましていた。
 ジークとアルスの二人の息子とその持ち霊が、セド達やイセルナにリンファ、かつて或い
は現在の仲間達が、リオが、レジスタンスが七星が、それぞれ言葉にできない想いをぐっと
噛み締めた口元と顰めた眉に込めている。

 犠牲は免れなかった。和解は叶わず、やはり多くの傷(かなしみ)ばかりが残った。
 それでも、只一つだけ、はっきりと言えることがある。
 ──災厄(たたかい)は、終わったのだ。


 久しぶりに、夢を見た。酷く懐かしい光景だ。
 私は生家の中にいた。
 だが既に現実のそれはクーデターの後、サジ・キサラギの自宅として革命軍(当時の陛下
が率いていた一派の通称だ)に焼き討ちに遭って全焼してしまっている。
 それだけでも、今私が見ているこの景色が過去の幻影であるとすぐに分かった。
 届きそうで届かない、そんな眼前の風景の中に私がいた。まだ幼くか弱い、剣すら触って
いなかった頃の私だ。
 その私の傍らで、母が椅子に座って編み物をしている。とても優しい笑みだった。
 そんな母子の触れ合うさまを、まだ幾分若かりし頃の父が新聞を広げながら眺めていた。
母と同じく……穏やかな表情(かお)だった。
 嗚呼、そうだ。まだ私達がささやかながらも幸せだった日々だ。
 しかしそんな過去の景色も、はたと暗転する。
 次に私の目に映ったのは、母と共に怯え、部屋の片隅で震えている私だった。
 轟音が聞こえる。炎の赤が窓の外から差し込んでくるのが分かる。
 あの日だ。クーデターが起こったあの日。当時幼子だった私は、母と共にじっと外で繰り
広げられる剣戟の音に銃声に、只々怯え震えていたのだ。
 そう、確か母はあの時私にこう言ったっけ。
『大丈夫よ。お父さんが、すぐに助けに来てくれるからね──』
 だが、結局父が家に戻ってくることはなかった。物理的に、燃やされてしまったから。
 再度景色が暗転する。そして次に映ったのは、焼け出された私と母が身を寄せた避難所。
 そこにひょっこりと現れた父は、私達の無事だけを確認すると、言ったのだ。
『これから先、私は亡き陛下らの為に闘う。きっとお前達にも迷惑を掛けるだろう。私の方
もできる限りお前達のことは漏らさぬようにする。だから──』
 既にあの時、父(サジ)は私達ではなく国家という巨像を見ていたのだ。
 なのに……何故だろう?
 私の記憶が正しければ、いくら昔の記憶で風化している節があるにしても、妙だった。
 確かあの時、父は酷く淡々としていた筈だ。今思えば、私達に周りに悟られないよう、必
死に感情を殺して冷徹を装っていたのではなかったか。
 なのに……どうして。
 どうして、今私の見ているこの父は“涙をボロボロと流している”のだろう──。

「──ッ!?」
 その疑問が引き金となるように、次の瞬間ユイの意識は一気に覚醒をみていた。
 思わず目を見開き、最初に視界に映ったのは、天井の木目。少なくともあの頃の日々の続
きではない。
 妙な汗を掻いてしまった。
 ユイは心持ち荒くなった息を整えながら、ゆっくりと自身と周囲の状況を把握しようと視
線を移してみる。
 独特の白壁と清潔感。どうやら、此処は病室であるらしい。
 そうだ……自分はサジと戦い、そして──。
「……ぁ、うッ!?」
 驚愕のあまり、変な声が出そうになった。
 しかし何とか喉より出掛かったそれらを抑え込みつつ、急に動いて痛みを叫んだ身体を宥
めつつ、ユイは目を瞬いて息を呑んだ。
 父(サジ)がいたのだ。それも、しっかりと自分の手を握ったまま眠り込んだ格好で。
(何が、どうなってるの……?)
 流石にユイは混乱していた。
 自分は敗れた筈だ。事実、今も包帯を巻かれて手当てを施されているにせよ、敗軍の将で
ある自分を何故生かしているのか。
 まさか……この男の情けがあったからだというのか?
 冗談じゃない。武人として、とんだ屈辱だ。
 でも何故……こうも私は怒りより戸惑っているのだろう。
 この男の頬には、私の手には、明らかに繰り返された涙の跡が、感触が残っている……。
「……んぅ? ああ、目が覚めていたのか……。ユイ」
 すると、半ば無意識に腕を引いて重ねられた手を振り解いた刺激の所為か、ふとサジが目
を覚ましてきたのだった。
 酷く優しい声。穏やかな表情(かお)。……あの幻影と、そっくりなくらいに同じ。
 すぐに返事をすることができずに、ユイは只々戸惑いの表情で、引いた手を胸に押し当て
て黙り込んでしまう。
「……。戦は、陛下は一体どうなったんだ?」
「ああ……。そうだな」
 だから、これも状況把握の為だと己に言い聞かせ、ややあってそう口を開いていた。
 サジもまた、スッと真剣な表情になり今回の顛末を我が娘に語り始める。
 そこでユイはようやく大まかながら全貌を知ることができた。
 陛下──いや、今は亡きアズサ皇が“結社”と裏で手を組み、先皇女シノと共に行方知れ
ずとなっていた王器を捜し求めていたというあの喧伝は本当だったこと。
 そんな彼女の“正統なる皇への欲望”を連中は利用し、あの時の青年──ジーク皇子らの
健闘も及ばず、告紫斬華という「裏の王器」を奪うとまんまと逃げ去ってしまったこと。
 そして何よりも、アズサ様はその犠牲(いけにえ)にされ、命を落とされたこと。
「戦は、終わったんだ。……もう私もお前も、敵として武器を交える必要はないんだ」
 シーツをぎゅっと握り、ユイは心なし俯いていた。
 一度は仕えた主君の死だ。同じ皇国の戦士として、その胸中は察せられるものがあったの
だろう。サジはそれだけを口にしただけで、暫くじっと、娘がその事実を受け止めてくれる
のを待っているかのようだった。
「……すまなかった」
 だからこそ、ユイは思わず驚き、身を引いてしまっていたのだ。
 やがてゆっくりと顔を上げて自分を見てきた娘に、サジは開口一番そう確かに謝罪の言葉
を吐き出すと、深々と頭を下げてきたのである。
「私が間違っていた。守るべきものはずっと近くにあったのに……。私は、お前達を……」
 それは強い悔恨だったのだろう。故に精一杯の謝罪だったのだろう。
 ユイは暫く目を瞬いた後、引いた身を元に戻した。
 自分でも不思議なくらい……心が、フワッと軽くなったような気がした。
「……もういいよ。父さん」
 だから、そう言った。ビクッと父がその呼ばれ方に身体を震わせたのが分かった。
「こっちこそ、意地を張って……ごめん」
「……。ユイ……」
 そうだった。何も彼を本当に殺したかった訳では、一番の目的ではなかったのだ。
 ただ謝って欲しかった。それだけ、ほんのそれだけの事だったのに……。
 暫しの間、そうして父娘(おやこ)は見つめ合っていた。
 どちらともなく、手持ち無沙汰だった互いの手が重なって握り合われる。
 主君は、確かに失くしてしまったかもしれない。だがあの戦いは終わったのだ。もっと別
なよりベストな結末があったかもしれないが、それでも、もう満足(こたえ)は──。
「……でも」
 だが次の瞬間、ユイは反動のように自分の中の暗雲に気付いてしまった。
 たとえ父娘(おやこ)の和解を得られても、自分は敗軍の将であることに変わりはない。
「私は、いつ処刑されるの? それとも流罪か何か?」
「……? ああ、そうか。そのことなら大丈夫。心配要らないさ」
 しかしそんな彼女の心配は、すぐに溶け消えることになった。
 対する父がフッとまた穏やかな笑みを取り戻すと、彼はそう言っておもむろに顔を上げ、
視線を奥──間取り的には病室の入り口へと向けたのだ。
「……えっと」
「た、隊長」
「ご無事ですか?」
 そこに、物陰に隠れコソコソとこちらを窺っていたのは、よく見知った顔ぶれだった。
 サジがいるからなのかおっかなびっくりな様子だが、間違いようもない。ユイが率いてい
た小隊の部下達だった。各々に包帯を巻いていたり松葉杖を突いていたりしていたが、ざっ
と見る限り、全員命に別状はないようだ。
「貴方達……どうして」
「どうしてって。そりゃあ心配だったからに決まってるじゃないですか」
「それにシノ殿──いや、女皇代行から赦されたんです。俺達、処刑されないんですよ!」
「俺達だけじゃないんです。アズサ様の側にいた皆、全員が恩赦だって……」
 思わずユイは目を丸くして言葉を詰まらせていた。
 断片的な彼らの報告を纏めると、どうやらシノ皇女──もとい新女皇は自分達敗軍の者ら
全てに大赦を執り行なったのだという。
『敵も味方もありません。これからは皆さんと一緒に、この国を作ってゆきたいのです』
 故に、彼女は先の内戦における所属に関わらず、意欲と意思のある者を今後の官吏として
採用していきたい。そんな方針だったのだ。
「そういう訳だ。殿下は、何よりも皆が手を取り合うことを望まれていたのだからな」
「……そう、なんだ」
 常識からすれば甘言極まりないとは思ったが、ユイの胸の奥にはそれ以上にそんな刺々し
さを解すような温かさを感じていた。
 勿論、これで全くの“罪人扱い”がなくなる訳ではないだろうが、きっと自分も部下達も
救われるだろう。少なくとも敗けたが故に自害する必要は、無くなったらしい。
「あ、いたいた。サジさ~ん」
「おいこら。今はキサラギ隊長だろ? 新・近衛隊長」
「新って……元から隊長だったじゃんよ」
 すると、また病室に来客があった。
 ユイ達が視線を向け直してみるとそこには、めいめいに軽防具を引っ掛けた男達の姿。
「まぁ、そう細かいことはまだいい。正式な着任式も経ていないからな」
 反皇勢力(レジスタンス)──であった者達だった。
 サジがそうフッと苦笑して応えてやると、彼らは同じように苦笑いで明るく返してくる。
その最中でユイの部下達と視線が合っていたが、もうお互い争う必要がないと分かっている
が故だったのだろう、既に以前のような険悪な空気は感じられなくなっていた。
「それで、何だって?」
「あ、はい……」
「そろそろ時間だそうです。会場に急いで下さい、と」
「む……。もうそんな時間か」
 そして気を取り直して問い、返ってきた返事にサジは傍目からも名残惜しそうに見えた。
 懐から時計を取り出し時刻を確認。やれやれと小さく息をつきつつ、彼はすっくとその場
から立ち上がる。
「会場? 何があるの?」
「……アズサ殿の国葬だよ。同時に殿下──シノ・スメラギ女皇代行の御披露目でもある」
 ベッドの上でユイが問うと、サジはその足元を通り過ぎながら言った。
 国葬。その言葉に、正直ユイは驚いた様子で目を開いていた。
 どうやら自分が意識を失っている間に、周囲の時間(とき)は随分と足早に走り去ってし
まっているらしい。
「……あの方達ならきっと大丈夫さ。私達が支える。支えてみせる。だからお前は、今は怪
我の治療に専念してくれ」
 虚しいような、寂しいような。だが身体はまだまだ怪我のダメージで動けそうにない。
 そんな娘の表情を見遣って、サジは静かに優しく微笑んでくれた。
 ユイは、少し間を置いてから頷いていた。
 そしてその首肯にサジは満足げに頷き返し、出入口の皆を伴いながら立ち去ってゆく。
「じゃあ、行ってくるよ」
「うん……。行ってらっしゃい」
 たったそれだけ。きっとそれは平凡なやり取りだけど。
 確かに彼らは、取り戻しつつある。

「うぅん……」
 あの玉座での攻防から、数日が経過していた。
 正直まだ人々が戦いの傷から立ち直ったとは言い難い。王宮も城下も、あの時の傷跡を大
きく残したままになっている。
 だがヒトは進む。否応なしに、或いは自らの意思で以って。
「……やっぱり違和感があるなあ。すぐには慣れないというか……」
「だねぇ。アルスが着てるってより、アルスが着られてるもん」
 突貫工事で建てられた執務用の仮初舎(プレハブ)。その中の一室にアルス達はいた。
 王宮の侍従らに手伝って貰い、身に着けたのはヤクラン──女傑族(アマゾネス)の民族
衣装だ。加えて裾や袖口、肩に引っ掛けた布地を中心に美麗な刺繍がふんだんに施されてお
り、衣装全体に強い「ハレの日」を印象付けさせている。
 これが礼装用のヤクラン──正式にはハガル・ヤクランと云うらしい。
 とはいえ今回は国葬。葬儀の場だ。刺繍とはいえ、色合いは喪に服す白黒中心だったが。
「ひ、否定はしないけど。だ、大丈夫。まだ背は伸びる……よ? きっと。多分」
「本当かなぁ? もう小柄ってのがアルスのアイデンティティの一つになってるじゃん?」
 村(サンフェルノ)でも、母が祝い事の折などに着ていた為、初めて見るものではない。
 それでも、いざ自分が着付けて貰うとなるとまた話は別だった。
 傍らで淡い緑の光を纏って漂い、クスクスと笑っている相棒(エトナ)に少なからずむく
れっ面をしてみせながら、アルスはこの第二の故郷の民族衣装を、時折軽く翻しては試すが
めつ。改めて自分が皇子なのだなと実感させられていた。
「──……」
「あ、兄さん」
「もうっジーク、何処行ってたの? 早くしないと式始まっちゃうよ?」
 すると、背後でトンと足音が聞こえ、アルス達は振り向く。
 そこには未だいつもの着古した上着と、腰に差した六華をという普段着姿の兄・ジークが
立っていた。
「……。ああ」
 一斉にこの控え室の皆から向けられる視線に、彼は静かに眉根を寄せたものの、特に文句
を言う訳でもなく、そのままのそりと中に入って鏡台の一つの前に立った。
「ジーク様」「お召し物を」
「……いいって。自分で着替える」
 無愛想に、寄ってくる侍従らを制止して一人でもそもそと。六華を腰から抜き、鏡台の縁
にそっと立て掛ける。
 一見すれば、普段のぶっきらぼうな兄に見えた。
 だがその実の弟(アルス)には、少なからずその様子がいつもと違う、妙な違和感を覚え
るものであったと言えた。
(どうしたんだろ、兄さん。やっぱり、疲れてるのかな……?)
 母だって、自分だって少なからずなのだ。
 この戦いに身を投じる前から覚悟していたこととはいえ、いざ自分が貴族──の中にあっ
て更に皇族で──あると公になるというのは中々に気苦労が多いと、この数日間たんまりと
味わらされているのだから。
 愚痴を零しこそしていないが、おそらく兄も同じように“疲れ”を感じているのだろう。
 さっさと着替えを済ませる兄を見遣りながら、アルスぼんやりとそんなことを思った。
「──ジーク様、アルス様。そろそろ会場へとお願い致します。殿下も既に支度を整えてお
られます」
「あ、はーい」
「ん……。分かった」

 当初アズサ皇に“国葬”を宛がうことには、反対・慎重意見が相次いだ。
 それは当然の反応だったのだろう。何せ彼女は──実質には“結社”の悪魔的教唆があっ
たからこそなのだが──この国で長く続いた内乱の片方、そして今では「賊軍」の総大将で
あったのだから。
 それでも、珍しく国葬──皇国が責任を持って彼女弔うと粘り強く説得に奔走したのは、
他ならぬ新女皇シノその人であった。
『伯母様は私の手できちんと弔いたいのです。せめてもの贖い……とでも言いましょうか。
何よりそれ以前に、私は一人の魔導医として人間として、生命(いのち)そのものにまで敵
だ味方だと言って差別をつけたくない……。どうか、お願いします』
 曰く、そう生命(いのち)に貴賎・敵味方は無いのだと。
 長らく亡命先(サンフェルノ)で一介の村医として命を見つめてきた者の、清らかだが重
い言の葉だった。
 何より形式上はまだ「女皇代行」でこそあったが、実質はこの国の最高権力者となった身
にも拘わらず皆に深々と頭を下げて懇願した、その愚直なまでの真摯さが彼らの心を打った
のだろう。
『……』
 故に話し合いの結果、アズサ皇の国葬は彼女の希望通り執り行い、且つその場で新女皇と
その息子達の御披露目が実施される運びとなった。
 場所は、皇都トナン郊外にある、国営の大規模墓苑。
 時は、アズサ皇が実際に息を引き取った昼下がり。
 華美な式典になってしまうことにシノは難色を示していたが、既にセカイの注目は彼女の
ささやかな願いを超えて今強く集まっている。
 会場となった墓苑にはシノやジーク、アルスら母子に暫定の家臣団。加えて急遽都合をつ
けて参列に来た各国の代表に、遠巻きながらマスコミ各社と多くの者が一堂に会していた。
 しめやかに執り行なわれる葬儀。じっと埋葬されてゆく叔母(アズサ)に手を合わせ、せ
めてもの冥福をと真剣に祈っているシノやアルス達。
 そんな面々の様子を、マスコミの写姿器や映像機のレンズが遠巻きに遠慮しつつ、しかし
我先にと群がって捉えている。
(ったく……マスコミどもが。てんでシノさんの心情を分かってやがらねぇ)
 これが世間様というもの。仕方ないこと、ではある。
 だがそうした周囲の者達の野次馬的な毛色を見ているようで、ダンは正直いい気持ちでは
なかった。
 ダン達ブルートバードの面々、或いは七星らや傘下の傭兵・冒険者らは、そこから更に後
方の一般席に陣取っていた。
 実際には戦を集結させた功労者達であろうものだが、あくまで自分達はシノに、共同軍に
雇われて戦った──表向きにはそういう態に過ぎず、概してそう見られてしまうものだ。
 不満ではないというと嘘になるだろう。
 だが、これが自分達“荒くれ者”が世間から受ける平素の扱いなのだと、静かに己に言い
聞かせる。そんな割り切り方は何もダンだけではない。周りの同業者らとて同様の筈だ。
(にしても……さっきからイセルナの姿が見えねぇな。先生さんも……あとサフレ達もか)
 いやいや、今はそんな事を気に病んでいる場合じゃない。
 ダンはふるふると小さく首を振り、そう別な思考──先刻からの小さな怪訝に思考をシフ
トさせていた。
 娘(ミア)やその友人達──レナやステラは傍におり、ハロルドやシフォンと共に歴代皇
の墓石の前で祈りを捧げるシノらを眺めている。だが、その中で我らが団長の姿がざっと見
渡してみるに確認できないでいたのだ。更にリュカやサフレ、ステラも同じく。
(……ま、いっか)
 だがそれでもこの時、ダンはあまり深く考えることはしなかった。
 どうせこの人ごみなのだ。何処かで同じようにシノさんやジーク達を見守っていることだ
ろうと、自分の思案に勘付いたらしく静かに見上げてくるミアに苦笑を返しながら、とりあ
えずのそんな結論を付けておくことにする。
「──それでは、シノ・スメラギ女皇代行よりご挨拶を頂きます」
 そうしている間にも、国葬という名のイベントは粛々と進められていった。
 因みに「代行」という呼称は、シノ自身の、アズサのせめて喪が解けるまではやれ次の皇
だと騒がせたくないという想いと、まだ新政権の立ち上げも途上な段階であるという暫定家
臣団の思惑とが合致したが故のものである。
 スピーチ、という名の御披露目の始まりだった。 
 進行役の女性官吏がそうマイク越しに言うと、シノは彼女を一瞥して頷き、別の官吏が差
し出してきたマイクを受け取ってゆっくりと語り始める。
「……本日はお忙しい中、伯母アズサの葬列に加わって頂きありがとうございます。紹介に
預かりましたシノブ・レノヴィン──改め、シノ・スメラギです」
 その第一声。神妙に語る彼女の表情に、ストロボが何度も焚かれ、照らし出される。
 不安そうに下がった眉。そんな新たな皇を、サジやリンファ、彼女をよく知り信頼も深い
側近達が左右の傍らで支えるように見守っている。
「先ずは皆さんに今一度謝罪をしたく思います。……此度は我が国の内乱が多くの皆様にご
迷惑を掛け、何よりこの国の人々を苦しめてきたことを、ここに深くお詫び申し上げます」
 それが合図だったのだろう。
 シノが言い、先頭に立って深々頭を下げたのを機に、以下ジークやアルス、何より臣下達
一同がそれに倣ってみせたのだ。
 出席者の面々には、予想の内ではあったとはいえ、正直面を食らった様子であった。
 共同軍が参戦してくる以前ならばいざ知らず、今や彼女達はれっきとした「官軍」であろ
うものなのに。
「内乱(たたかい)は、何とか終わらせることができました。しかし今日この日に至るまで
に、どれだけの犠牲を伴ったことか……。もしかしたら、私達はもっと彼らを失わずに済む
結末を引き寄せられたのではないかと、今も考えてしまいます」
 それでも、あくまでシノは“痛み”に寄り添おうとした。寄り添っていた。
「だから私達は、アズサ皇を含めた全ての犠牲者を等しく弔い、前に進もうと思うのです」
 それは彼女が単に皇位(けんりょく)を欲しさではなく、誠心誠意に故郷の人々を憂い続
けていたことを示すもので。
「……生命(いのち)に、敵味方などありません。それは私が魔導医だったからという経歴
もありますが、何より一人の人間としての当然の倫理だと思っています」
 彼女は、言の葉に含めたのだ。
 批判はされるだろう。だがそれでも、アズサ皇ら「敵軍」だった者らもこうして自分達が
弔うと決めた。これだけは──譲れないと。
「私は、伯母様の為政を全て否定してしまおうとは思いません。でも私は“強い国”である
以上に皆さんが“幸せである国”であって欲しい、したいと願っています。皇とは人々の幸
福を支え、その哀しみに寄り添う楯であるべきだと思うのです。……正直言って、私は政治
に関しては殆ど素人です。それでも私は、皆さんの笑顔の為に力を尽くしたい……」
 そして彼女は、再び深く頭を下げた。今度は謝罪ではなく、懇願として。
「この国は、きっとこれからが大変です。それでも……私のような者でよければ、伯母様亡
きの後を継ぐことを、どうかお許し下さい──」
『…………』
 宣言ではなく、懇願。こんな皇がいるなんて。
 場の面々は一様に驚き、しんと静まり返りつつもこの新女皇を見つめていた。それでも尚
彼女はまだ、じっと深く頭を下げたままの格好で墓石の前に立っている。
 ──そんな沈黙が、どれだけ続いた頃だったのか。
 やがて水面に波紋をもたらすように、何処からともなくパチパチと拍手の音が出席者の耳
に届き始めた。
 だが少なくとも、それは女皇代行や共同軍の面々からではない。出席していた他国の関係
者や機材を放り出した記者であったのだ。
 つられた。そう言えば身も蓋も無いのだろう。
 だが、そこには確かに賛同と激励の拍手の群れが重なり合っていた。
 どんどん大きくなる拍手、時折交じる「陛下!」の声。そこでようやくシノは──少なか
らず面食らったように目を丸くして──頭を上げ、会場の人々をぼうっと見渡し出す。
「……。ありがとう、ございます……っ」
 ぶわっと彼女の涙腺が大きく緩んだ。ボロボロと涙が頬を伝い、口元に添えた手が昂る胸
中を反映するように震えている。
 息子達が、臣下達が静かに頷き、微笑んでいた。
 そして暫くの間、皆は彼女の涙が一通り治まるのをじっと待ってくれる。
「陛下。宜しい……でしょうか?」
「……ええ。もう大丈夫よ、ありがとう」
 官吏から差し出されたハンカチを受け取って涙を拭い、感涙から微笑みへ。
 それはとても優しく穏やかな表情(かお)──かつてのアカネ皇を思わせる笑顔であった
と、後に昔を知る者らは語ったという。
「……。では次に、私の息子達を紹介致します。さぁジーク、アルス。皆さんにご挨拶を」
 そして今度は、彼女がマイクを手渡す番となった。
 穏やかな笑みで白黒調のハガル・ヤクランを纏った二人の息子に向けるそれ。
 アルスとエトナ、そしてジークは互いの顔を見遣った。
「……アルス。お前先にやれ」
「え? う、うん。分かった……」
 先にそのマイクを受け取ったのは、兄に先を促されたアルスの方だった。再びマスコミら
の写姿器や映像機のストロボやレンズが一斉に向けられてくる。
 エトナに「ほらほら。落ち着いて」と励まされながら、ごくりと息を呑んで深呼吸。
 やがてアルスは大勢の参列者を前に、自己紹介を始めた。
「ご、ご紹介に預かりました。アルス・レノヴィンです。……あ、スメラギか」
 えいやと口走ってハッとなる。そんな姿に少なくない人々が微笑ましく笑ってしまう。
「えと……。アルス・スメラギです。兄さんの弟です。こちらは持ち霊のエトゥルリーナ。
普段はエトナと呼ばれています。僕はこの一件があって自分の正体を知るまで、とある街の
魔導学司校(アカデミー)で学生をしていま……あ、しています」
 引き続いて、アルスはそう相棒を紹介する。当のエトナも何処か誇らしげにちょいっと衣
装の裾を摘まんでみせると、淑やかめいて皆にコクリと一礼を。
 持ち霊にアカデミー。即ち魔導師の卵。人々はにわかにざわめいた。これは大事な新情報
だと、慌ててメモを走らせる記者達の姿も少なくない。
「僕らからも、お詫びとお礼を申し上げます。この度はこの国の争いに終止符を打って下さ
り本当にありがとうございました。僕ら兄弟は国外(そと)育ちですが、間違いなくこの国
が第二の故郷だと思っています」
 言って、着ているというよりは着られている白黒のヤクランを一瞥。
 アルスはじわじわと自分の中で湧き起こってくる、トナンの民である自覚にはにかんでい
るように見える。
「母も僕達兄弟も、ずっと今までは一般人として暮らしてきました。だから皇族としての務
めに至らない点も出てくるかもしれません。ですが、頑張ってそういったものもこれから少
しずつ学んで、身に付けてゆこうと思っています。……皆さん、どうか母を皇国(トナン)
を、宜しくお願いします」
 そして結びにそんな言葉を、母と同じように懇願を。
 ペコリとアルスが相棒と共に頭を下げると、今度こそは躊躇いなく人々から惜しみない拍
手が響いた。
 こんな感じで、大丈夫かな?
 そう言わんばかりにややあってアルス達は顔を上げ、ほっこりと苦笑した。
 次いでアルスは「はい。兄さん」と、その手にしたマイクをそっと兄に差し出す。
「……」
 数拍の間を置いて、ジークは無言のままそれを受け取っていた。
 そして振り向いたのは、参列者の人の波。
 ジークはじっと目を細めたまま、やがて口を開いて語り出す。
「……ジーク・レノヴィンだ。さっき言ってたようにアルスの兄になる。まぁ俺の方はこの
みてくれの通り、成人の儀を済ませた後はずっと冒険者をやってた。だからこいつみたいに
学はねぇし、できることと言えば剣を振り回すことくらいだ」
 先のアルス程ではなかったが、再びストロボが焚かれ、レンズが向けられていた。
 それはおそらく、こんな場・身分が明らかになっても尚、相変わらずのぶっきらぼうを通
す彼に対し、一抹の様子見の判断が人々に過ぎったからだろう。
 母や弟、それとリンファはもう慣れっこの光景だったが、流石に同席していた臣下らは渋
い顔をしていた。
「……俺からも礼を言わせてくれ。ありがとよ。このゴタゴタは、俺一人じゃどうにもなら
なかった。元々の理由だった六華(こいつ)も、取り戻すことができなかったろうしな」
 しかし彼がチャキッと、腰に下げていた刀に指先を走らせて言うと、そんな皆の反応が明
らかに変わっていた。
 護皇六華。トナン皇国の王器……。
 実物を初めて見る者が殆どであったこともあり、向けられた視線は一斉に、彼自身からこ
の三太刀・三差しへと移っている。だがジークは別段そんな人々の移り気には特に咎めるつ
もりもないらしく、数拍ぼうっと目の前に集まったその彼らを眺めている。
「でも……まだ取り戻せてないものが、ある」
 すると次の瞬間、ジークはそう確かに言ったのだ。
 参列者は勿論、シノ達傍らの面々も何の事だと首を傾げていた。
 変わらず柔和とは決して言えない、真剣な面持ちで眉を顰めている彼に、皆は無言の催促
をしてくる。
「……俺はあの時、確かに見た。王の間で暴れる“結社”の中に、父さんがいた」
「えっ?」「と、父──」
 一番驚きざわついたのは、他ならぬシノやアルス、エトナ。実の家族。そしてリンファや
セド、サウルといったかつての戦友(なかま)達であった。
「狂化霊装(ヴェルセーク)って、奴らは言ってたっけ……。それに包まれた鎧野郎の中身
は、間違いなく父さんだった。砕けた面の隙間から、俺は確かに見たんだ」
 ジークは淡々と、しかしどっしりと固い意思で以って語っていた。
 その突然告げられた話にシノは目を丸くして口元を押さえ、アルス達は戸惑いの表情でお
互いを見合わせている。
「だから俺は……取り戻しに行く。ずっと昔に、魔獣に喰われて死んだとばかり思っていた
父さんが生きているんだって分かったんだ。……きっとあれは、結社(やつら)が父さんを
操った姿だ。俺の知ってる父さんは、もっと馬鹿馬鹿しいくらい笑顔の人だったから……」
 白黒のハガル・ヤクランが風に靡いて揺れていた。
 今度こそしっかりと腰に差した六華を携え、ジークは一度そっと目を瞑って深呼吸をし、
カッと目を見開き、マイクを離して、叫ぶ。
「──リュカ姉ッ!!」
 次の瞬間だった。
 はたと辺り一帯の空が翳ったかと思い皆が視線を持ち上げると、そこに巨体があった。
 竜。大きく翼を白亜の竜──竜化態のリュカが中空へと飛来してきたのだ。
「あれは……。リュカさん?」
「それに、背中に乗っているのは……サフレ君とマルタちゃんか」
「おぃおぃおぃっ、こんなの聞いてねぇぞ!? 一体どうなってやがる!?」
 その背中には、サフレとマルタが。皆がワァッと混乱に陥る中、彼らを乗せたリュカは皆
を踏み潰さないように注意深く墓石の前──ジークのすぐ傍らに降り立つと、フゥ~と深く
息をつきながらその蒼い眼で面々を見渡しているようだった。
「ジーク、貴方……」
「どういうつもりだ? コーダスが生きているというのは、本当なのか!?」
 ブルートバードの仲間達も、母や弟やその臣下たる者らも突然の事に慌てていた。
 人々の悲鳴や忙しない駆け足、或いはこの場でもストロボを焚こうとする光や一部始終を
収めようとするレンズの視線がが五感に飛び込んでくる。
 だが……そんな中にあっても、ジークは淡々としていた。ちらと慌てふためく参列者達を
一瞥すると、彼は不意に手にしていたマイクをひょいと隣のアルスに投げて寄越す。
「わわっ! に、兄さん……?」
「……アルス。リンさん、王宮の皆も」
 そしてそのまま踵を返しつつ、肩越しに。
「──母さんのこと、宜しく頼む」
 ジークはそんな言葉を残して白竜(リュカ)の背中に飛び乗り、そのまま一気に上空へと
飛翔して行ってしまう。
 あっという間に、ジーク達の姿は遠くなった。
 辛うじて最後までその詳細を捉えることができたのは、彼らに向けられた映像機のレンズ
だけだった。
 するとジークはサフレとマルタをそれぞれに一瞥を寄越した後、竜の背の上に立ち六華の
一本を抜き放つと、ビシリと剣先をこちら側に突き付けて叫んでみせたのである。
「見てるか“楽園(エデン)の眼”? 俺は……お前達を許さねぇ。この手で父さんを取り
戻して、てめぇらも全員ぶっ潰す! 首を洗って待ってやがれッ!」
 それでも映像機の射程にも限界が来ていた。
 時間の経過、飛翔の高さと共にジーク達の姿は遠く小さくなり、翻された竜の翼が一瞬視
界を隠すと、次の瞬間にはその姿は遠く遠く点のように空の中へと消えてしまう。
 シノがアルスが、仲間達が、場にいた全ての人々が只々空を仰ぎ立ち尽くす。
 そしてこれらの映像や写真を後に見ることとなる世界中の人々は大いに驚き、ただ唖然と
佇むしかなかった。

 皇国を戦火に包んだ災いは去った。
 だがこれで、全てが安寧とする訳では決して無いだろう。
 セカイは、消して消しても立ち込める暗雲の中に揉まれている。
 それはヒトという存在が故のものなのか、はたまた別な原因であるのかは判じ切れない。
 しかし、人々に悪意と呼ばれるものどもは、確かに存在しているのだ。

 ──空に昇ってゆく届かぬ者らのように。善も悪も、求めればそれは等しく遥かに遠い。
 それでもまた一つ、希求する者達は旅立ったのだった。
 思いがけず残され、信頼と共に託された仲間達。
 そんな彼らの唖然とした驚愕を、遠くセカイの一角に映して。

                           《皇国(トナン)再燃 編:了》

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  1. 2012/06/14(木) 18:00:00|
  2. ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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