日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユウキのヒカリ〔2〕

 例えるならば、遠足前夜の子供のように。
 その日、彼女は夜を迎えても尚、中々寝付けずにいた。
 もぞもぞとベッドの中で体位を変えながら、睡魔がやって来るのを待つ。
 だが、その大きく空いた隙間に収まるようにして、彼女の頭の中には眠気とは全く逆の感
情が現れては小躍りし続けている。
 それは、一言で言うなら期待。
 長かったようで短かった今日までの日々。時間は大分経ってしまったけど、あの人は自分
の事を覚えていてくれているだろうか……? それとも、もう忘れている?
 その反語が頭を過ぎる度にきゅうっと胸を締め付けられる心地。
 いやいや、大丈夫。私が話せばきっと思い出してくれる筈。
 今日まで何度となく繰り返してきた言葉を、再度自分に言い聞かせる。 
 明日。明日になったらあの人に会える。
 期待に胸が膨らむ度に、彼女の表情には期待の他に薄闇の中赤く染められる頬があった。
とくとくと、記憶と想像が頭の中をフライングスタートして疾走していく。
「やあ……そんなの無いヨォ……」
 にへら~と笑いながらベッドの中を転がっては往復。
 両頬に当てた掌が夜半の空気の冷たさを、そして同時に自分の上気した頬の温さを感じ取
ってくる。暫し息継ぎ。いけない。またトリップし掛けた。
 次に過ぎったのは──あの子だった。
 あの時、あの人の傍らにいたあの子。口数は多くなかったように思うが、自分から見ても
多分他の人から見ても可愛いと思う。
 彼女さん、かな? でもあの時確かにあの人はあの子の事を……。
 また、不安がもやもやと胸の内を撫でてくる。
 何度と無く繰り返されてきた事だろう。記憶が確かならその心配はない筈だが、やはり可
能性は捨てきれない。
 あんな優しい眼をした人に……彼女がいたって不思議じゃない。
 何より、私の目からはあの人の傍らであの子は……嬉しそうに、幸せそうに見えた。
「…………」
 確かめないといけないよね?
 ごろんと転がって仰向けになり、天井を見つめつつ自分自身に確認を取る。
 明日。そう明日からだ。
 ちらと、視線を横に向ける。
 壁には種々の小物が飾られている他に、もう一つあるものがあった。
 それは、真新しい制服。明日から袖を通す事になる制服だ。
 部屋の薄闇の中で、白地の上着とチェック柄のスカートが静かにその出番を待ち眠ってい
るかのようだ。
 数度、瞬き。少しずつだが落ち着いてきた。繰り返してきた期待と不安が一通り出て消え
てしたからだろうか。再び視線を仰向けに戻し、そっと眼を閉じる。もそもそとシーツの端
を持ち上げて口元を覆う。
 静かだ。夜の静謐。この中であの人も何かを想っているのだろうか。
 私の事を思い出してくれていたら、いいな。多分違うとは思うけど……。
 少しずつ眠りの波が彼女を包み始めていた。
 明日から新天地。あの人の下へ。そして、きっと伝えよう。
(待っていて下さい……きっと)
 雲間から除いた月明かりが一瞬、部屋に差し込む。 
 ──照らされた彼女の髪は、淡い金色をしていた。


 第二話:青い眼の彼女

 その日は朝から雨模様だった。
 空は昨日の澄んだ青からどんよりとした灰色へ。学園の校舎へ入っていく生徒達の数だけ
空の色とは対照的な色取り取りの傘の角ばった円が点在している。
「う~ん……濡れたなぁ」
 玄関先に雨水をまとい濡れた傘を既に千客万来の傘立ての一つに突っ込み、優紀は所々が
湿り濡れた制服をポンポンと手で払う。鞄を庇い過ぎて服の全部までカバーし切れなかった
ようだ。
「ほんと、よく降るねぇ」
「……もうそろそろ梅雨だから」
 同じくしていつものように一緒に登校していた舞子と奏も、それぞれに濡れ具合を確認し
ながら自分の学年の靴箱の方へと向かう。
「かといって、梅雨が明けられても暑くなるしなぁ……」
「……兄さんは暑いの苦手?」
「う~ん……。どっちかというとまだ寒い方がいいかなって程度かな。寒かったら着込めば
いいけど、暑い場合は逆だから」
「脱ぐにしても全裸が限界だからねぇ」
「ぜ、全裸……」
 優紀は何気なく言ったつもりだったが、舞子の合いの手の直後、奏の手が止まる。
 何だか俯いているが……。
「奏?」
「! う、ううん。何でも、ないです」
 上履きに履き替えた優紀がひょいっと彼女のいる列を覗き見る。するとハッと我に返った
ように顔を上げると、彼女はふるふると頭を横に振っていた。
「ニシシ……」
 その様子を、舞子は後ろから見てにやにやと笑っている。
「きょ、今日は」
「ん?」
「今日は……こんな天気ですから、お昼は中でですね」
「ああ、そうだね。じゃあ、例の如くうちの教室?」
「はい。いいですか?」
「うん。大ちゃんにも言っておくね」
「はい……」
 奏も上履きに履き替え、三人はそんな事を話しながら昇降口に向かって歩いた。他の生徒
達もそれぞれの学年の教室へと歩を進めている。
「じゃ、また後で」
「はい。ではお昼に」
「じゃあね~」
 そして、三人はそれぞれの階で暫しの別れを告げる。

「よぅ。おはようさん」
「うん、おはよう」
 教室には既に大吉が登校してきていた。
 優紀は鞄を机の横に引っ掛けて中身を移しながら、彼の隣に腰掛ける。
「随分降って来たよな。濡れたろ?」
「うん、まぁ。でもその内乾くと思うし。大ちゃんは大丈夫だった?」
「ああ。俺が来た時はまだ本降りじゃなかったらしい」
 そう言いつつ、視線は窓の外。雨脚は結構強く、室内からでも雨粒が窓を打つ音が耳を澄
ませばしかと聞こえてくる。
「そうそう。お昼はここでだって」
「ん? おう。分かった。こんな天気だもんなぁ……中庭は無理か」
 そう、少し残念そうな大吉。
 おそらく、流石に教室内では舞子と食後の腹ごなし(組み手)は無理だろうと分かってい
るからであろう。加え、昨日優紀の家でトンファーの手入れをしていた経緯もある。
「……大ちゃんも、佐々岡道場に入ればいいんじゃない? 雨でも練習できるよ?」
 優紀としては、残念そうな友人への慰みを含めたつもりであったのだが、
「いや……いいんだ。正直、あそこのレベルについていけるか微妙だし。今の組み手だって
舞子さんも俺に合わせて加減してくれている筈だしさ。本気出されたら、俺、瞬殺だぜ?」
「……そ、それは否定できないけど」
 彼は苦笑いを浮かべながらやんわりとそう答えるに留まった。
 始業までは、まだ幾分時間がある。
 二人が談笑している間にも徐々にクラスメート達が登校してくる。優紀も大吉も、付き合
いのある相手にはいつものように互いに軽く挨拶を交わす。
 いつもの朝の風景。天気は生憎であったが、今日もまたいつものように単調でも穏やかな
一日が始まる。
 優紀はそう信じて疑わなかった。

「よ~し。お前ら席につけよ~」
 それは、始業のチャイムの少し前の事だった。
 ガラガラと教室の扉を開けて一橋が入ってきた。クラスメート達は彼の姿を認めると、
多少のざわつきを引きずりながらそれぞれの席に着き直す。
 その様子をざっと眺めながら、委員長がいつものように「起立」「礼」「着席」と号令を
掛けてホームルーム開始の合図とする。
 とはいえ、内容はそれほど重要なことがいつもあるわけではない。
 主に簡単な事務連絡が少々。加えこの担任教師の気質からしてあまりビシッと朝一番から
全身を研ぎ澄ませるような事態にはならない筈であった。
「さて……どーでもいい連絡事項はこれぐらい、だな」
 クスッと数名が小さく笑む。
 うん、いつも通りの先生だ。
 何処となく草臥れたワイシャツとネクタイを時折指先で弄る一橋を、優紀は教室の中ほど
の席の一角からのんびりと眺めていた。
「それじゃ、本題と行くか」
 え……?
 弛緩していた場の空気の中で、一橋がふとそんな言葉を口走る。
 一瞬、気付かない者も多くいたがその言葉にクラス一同が小さく驚いてみせる。
(本題?)
(ま~た、イっさんのサプライズかもな)
 優紀もまたその中の一人だった。隣席の大吉も多少は眉根を上げていたが、この担任の性
分は知っているつもりらしくむしろ楽しむ感覚で待ちの姿勢。
「いいぞ。入って来い」
 すると、一橋は閉じていた扉の方に向かってそう声を掛けた。
 誰かが……いる?
 クラスの面々の視線がそこへと集中する。
 ガラガラと。
 再び教室の扉が開く。
『……おぉっ』
 教室に入ってきた人影。その主を見てクラス(主に男連中)がざわついた。
 着ているのは間違いなく学園の制服。いや、それ以上に。
「……ほう。外人さんか?」
 ふんわりとした質感の淡い金色の髪と、青い瞳が何より印象的な少女であった。
 教室がざわついている。この状況が何を示しているかはもう察しがついているが、皆はそ
の当人の口からその言葉が出るのをとりあえず待っているようであった。
「と、いうわけで。うちのクラスに来る事になった転校生だ」
「せ、先生! 聞いてませんよ、そんな事」
 にこにこと。見た目からはそれほど緊張しておらず立っている彼女を横に、一橋がさらっ
と先ず一言。すると委員長が慌てて立ち上がる。
「そりゃそうだろ。言ってねぇもん」
「……。何で、ですか」
「そりゃあ、前もって言っちまったら素のお前らの反応が見れないじゃんか」
「…………」
 ああ。そうだ、この人はこういう人だった……。
 一橋の返答に委員長は何も言わずにそのまま黙り込んで座り直していた。
「じゃ、自己紹介頼むわ」
「ハイ」
 ふふん、と楽しそうに笑いながら一橋は携帯していた小箱からチョークを一本取り出すと
隣の彼女に手渡す。彼女はにこやかに頷くと、くるっと背を向けて黒板に向かった。
 カツカツと。滑らかに白の粉が字となって滑っていく。
 そして手早く書き終えると再びクラスの面々に向き直った。
「え~と……セ、セラー?」
「セーラ・レミントン、かな」
 目を細めて難儀そうにする大吉の代わりに、優紀はその書かれた名を読んであげた。
 崩し字のような筆記体だったが、字そのものは綺麗であった。
 黒板には英字で彼女の名、セーラ・レミントンの綴りと、名の下に括弧付きで少々不慣れ
な形の「清良」の漢字が記されている。おそらくは和名の場合での表記なのだろう。
 優紀はセーラを顔を見る。
 ほっこりとにこやかな、それでいて西洋人としての端正な顔立ち。体形はスレンダーで、
身長は優紀よりも少しだけ高い程度かと思われる。
 和名表記の名前がある事と何処となく日本人的な丸みのある笑みから、もしかしたら彼女
は何処ぞのハーフかもしれないなと優紀は思った。
「Hello,everyone. Nice to meet you. My name is Serra Remington. Father is British,
and mother is Japanese. We came to Japan so that father might work.
Please continue your favors toward you. ...thank you.」
 セーラの自己紹介。流れるようなネイティブの発音。終わりに、日本式の一礼。
 クラスの殆どが「え?」となる。聞き取れたのは委員長を含めた数名らしい。
 彼女はこれでも簡単に言ってみたつもりだったのか、一同の反応に少し目を瞬かせている
ように見える。だが、すぐにほんわかとした笑みを取り戻して、
「……セーラ・レミントンです。皆さん宜しくネ」
 今度は少し不慣れさが残る日本語でそう言った。
 沈黙。
『──うおぉぉっ!』
 その後の歓声。
「来たぁぁっ! 金髪美少女来たぁぁぁ!」
「セーラちゃーん!!」
「いやっほうぅぅ!」
「こらぁ、黙れ男ども!」
「黙れ変態どもがっ!」
 主に男子。それを委員長と気の強そうな女子が制しているが、その女子達ですらセーラを
見てほんわかうっとりとしている者も少なくない。
「ははは、いい反応だ」
 そんな自分の生徒達の様子を、一橋は少々無責任に笑いながら眺めていた。
「……な、何だか凄いね」
「……だな」
 優紀は苦笑しながら、大吉を見遣りつつ呟く。彼もまた腕組みをして座ったまま周囲の歓
声やら怒号の中にいた。
「で、大ちゃんは乗らないの? こういうノリ好きそうなのに」
「ふっ……俺をそんな軽い男だと思うなよ」
 正直意外だった。地元のお祭りでもよく神輿担いで楽しそうにしていた筈だけど……。
「だって俺は、舞子さん一筋だからな」
 サムズアップ。ぐっと立てられた親指。鬱陶しいくらい清々しい笑顔。
 あぁそうだった。大ちゃんは年上好きだっけ……。
 苦笑と嘆息。良かった、いつもの大ちゃんだ。
「……どうした?」
「ううん。何でもない」
 そう、優紀は静かに微笑む。
 それにしても。ひそひそ話していた大吉から目を離し、そっと壇上のセーラの方へと視線
を向けてみる。
 転校生。ハーフの女の子。
 こんな時期に転校生とはは珍しいのではないだろうか。でも、父親の仕事の都合と言って
いたし有り得ないわけではないのだろうが……。引っ掛かる。
(う~ん……)
 何よりも、優紀は彼女が出てきてから妙な感覚を覚えていたから。
 何だろう。何かが頭の片隅に引っ掛かっている。
「よ~し、騒ぐのはそろそろその辺にしとけ~」
 それが解決できないまま、一橋がようやく事態の収拾を始める。
 ざわついていた教室が少しずつ静かになっていく。それでもまだ熱っぽい眼でセーラを見
ている者は多くいるようだったが。
「じゃあ、彼女の席だが……誰か昇降口の倉庫から机と椅子持ってきてくれ~」
 それと並行して一橋がそう指示を出す。すると「はいはい!」と男連中が妙にアグレッシ
ブに挙手してきたが、彼は適当に二人ほどを指名すると(事前に持ってきていたのだろう)
倉庫の鍵を彼らに手渡してさっさと取りに行かせた。
「ちょっと待っててくれよな」
「ハイです」
 二人が戻ってくる暫しの間。
 また少し教室がざわつき出す。優紀もその音響の中で彼女の様子を見遣っている。
 やはり、何か引っ掛かる。何だっけ……?
「……!」
 その時だった。
 ふと、セーラの視線がこちらと合ったような気がした。
 いや、合ったという感じではない。彼女の方が教室を見渡していて「見つけた」と言わん
ばかりの様子である。にこやかな笑顔に、更に満面の花が咲いたかのように。
「?」
 優紀がそれに気付いた時にはもう遅かった。
「……見つけマシタ! ユウキ!」
 だんっと。次の瞬間には、セーラが駆け出していた。
 一橋が「あ?」と中途半端に手を伸ばしても叶わず、
「ふべっ!?」
「やっと……やっと会えマシタ!」
 彼女が一目散に駆け出してきて……突然、優紀に抱きついてきたのである。
「な……何ぃぃ!?」
「え、えぇぇぇぇっ!?」
「あ、天粕、お前ぇぇぇっ!?」
 唖然とする一同。そしてすかさず飛び交う怒号に似た各々の叫び。
「……ちょ、ちょっと待って。何? 何?」
「いや、俺に聞くなよ……」
 それ以上に優紀は混乱していた。大吉も何が何だかという表情で隣席の親友の動揺っぷり
に何もできないでいる。何で? 何でいきなり抱きつかれてるんだろう?
「あ、あの……レミントンさん。急に何を」
「……ぇ」
 とりあえず離れて貰おうと口走った一頃。
 するとどうだろう。セーラの顔色が百八十度変わったように、深い悲しみの色になる。
 え? ちょっと待ってくれ。そんな顔されたら……。
「あの、覚えていませんか、私の事? 以前、お二人に助けて貰いマシタ」
 するとセーラはぐっと泣きそうな表情を堪えるようにして、まさに懇願するかのような真
剣な眼差しでそう口を開く。
「……以前? 二人? 助けて…………ぁ」
 かちりと、妙な感覚──そうだ、既視感だ──の隙間埋めるピースが埋まる音が聞こえた
ような気がした。優紀は目を丸くしてセーラの顔を見つめる。
「何だ……? 優紀。お前、知り合いなのか?」
 皆を代表するように大吉が目を凝らすようにして優紀と、そしてセーラを見ている。
「うん……まぁ」
 優紀は頷くと、当時の記憶を手繰り寄せるようにして口を開き始めた──。

 それは、今からおよそ二ヶ月ほど前に遡る。
 その日優紀は、スーパーの安売りがあるといって出掛ける奏に同行していた。
「……ごめんなさい兄さん。そんなに持たせちゃって」
 商店街の人ごみの中を二人して歩く。時間は夕暮れ時。通りの店には優紀達以外にも買い
物をする者、済ませて家路を急ぐ者達の姿が散見された。優紀は小柄な彼女の歩幅に合わせ
て歩調を緩めながら、リーズナブルな値段で買い溜めた食料品などを詰めた大きなビニール
袋を両手に提げている。
「いや、これぐらいどうって事ないよ。むしろ奏一人じゃ持ちきれなかったんじゃない?」
「……それは大丈夫。鍛えてるから」
「ああ……」
 それもそうか。見た目は普通の、ちょっと大人しいかなと思うくらいの女の子だが、実は
大人顔負けの武術家──剣士だもんなぁ。優紀はちょっと苦笑いを漏らした。
「……」
 一方で、奏は言葉少なげに黙っていた。
 いつものように俯き加減。それでも優紀とは幼馴染の距離のままで並んで歩いている。
 優紀はちらりと彼女を見遣ってから、内心で小さく息を吐いていた。
(……やっぱりこんな調子かぁ)
 子供の頃はもっと懐いてくれていた記憶があるんだけど。
 しょうがないと思っていも、嫌われているわけではないらしい(そうでなければ買い物に
付き添う事だって二つ返事でオーケーしてくれなどしない筈だ)と分かっていても、やはり
こう会話が弾まないのは何とかしたいなとは思う。
 大人しい性格なのは重々分かっている。だからこそせめて自分くらいには、と。
 そう静かな、いつもの雰囲気と距離感で暫く歩いていた時だった。
(……ん?)
 優紀の眼にとある光景が映り込んで来た。
 通りから少し逸れた曲がり角の入り口。そこに如何にもといった感じの不良少年達が束に
なって誰かに話しかけている様子であった。
 そこにいたのは、一人の少女。
 年格好はおそらく自分とそう変わらないと思われる。だが、その淡い金色の髪と青い瞳、
何より印象的なにこやかな笑顔を侵そうとしているような困惑した表情。
「…………」
 優紀は気付いた時にはその場に立ち止まって、遠目にその様を見つめていた。
 両手に提げていたスーパーの袋を右手一本に持ち替える。
「……兄さん?」
 その変化に、奏も間もなく気付いて足を止めてくれる。そして彼の向ける視線の先の様子
を見ると、納得した様子で少しだけ口元に笑みを浮かべて彼を見上げ、すぐに今度は神妙な
面持ちで同じように視線を投げ掛けていた。
 通り過ぎて行く。本当に気付いていない人々も多かったが、その街角で起きていた光景を
見てしまった通行人の多くは、まるで忌避するかのようにわざとらしく視線をそらして足早
にその場を立ち去ろうとする。
「……奏。いざとなったら援護宜しくね」
「……うん」
 向けられる視線と逸れていく眼差しを背中で感じながらも、優紀は視線を逸らさぬままで
奏にそれだけを頼み、彼らに向かって歩を進めていた。
「──だからさぁ、ちょっとでいいんだよ」
「俺達と遊ぼうぜ? な?」
「あ、えと……」
 青い眼の少女は少年、というにはどうにも柄が悪い者達に囲まれて立ち往生していた。何
とかこの場を去ろうにも背後は壁だし、周りは彼らが取り囲んでいる。
「…………」
 コツと。そんな時、こちらに近づいてくる足音が一つ。
 少女と少年達は揃ってその主を──静かに佇む少年の姿に目を遣った。
 買い物帰りだろうか。右手には大きなスーパーのビニール袋が二つ提げられている。
「あ?」
「何だよ?」
 僅かな間。その後に向けられた、彼らの声、ガンが飛ぶ。
「……?」
 その様子を少女は心配そうに見ていた。
 何のつもりですか? 危ないですよ。そんな言葉が出てきそうな顔で。
「……はは、こんな所にいたんだ?」
 が、次の瞬間、ふっと笑ったこの少年に彼女達は思わず拍子抜けしていた。
 少年達の囲いも、その隙を縫うようにして潜り込むとあっさり少女の前に立つ。
 やけに親しげな声色。何よりも……優しい表情。
「どうもすみませんね、連れがご迷惑をかけたみたいで」
「──ぁ」
 ポムと、柔らかい感触が少女を包んでいた。彼が自分の手を取っていたのである。
 温かい……。少女は思わず顔を赤らめて彼の顔を見上げる。
(ほら、こっち)
 そう言っているかのように、少年は背後の彼らに気付かれないようにそっと小さく頷いて
みせた。彼女はそこでやっとその真意に気付いて同じく小さく頷き返した。
「じゃあ、失礼します」
 そして二人は、ポカンとする少年達の間を抜け、そのまま立ち去ろうとする。
「……って、待てよてめぇ!」
「邪魔するんじゃねぇよコラァ!」
 だが、それも数秒の事。ややあって少年達は我に返り、危うく見知らぬ少年に出し抜かれ
そうになったことに気付いて一挙に粗暴な苛立ちを露にした。
「……あちゃぁ。やっぱ駄目かぁ」
 ははは、と力なく笑う少年。
 失敗だったのに、彼女はそんな彼を見て同じく笑い出しそうになる。
「奏、よろしく」
「……うん」
 その時だった。
 少年が少し早足に彼女を引っ張ると入れ替えに、別の人物が少年達と二人の間に立ち塞が
ったのである。
 自分よりも年下と思われる、同性から見ても可愛らしい女の子。
 だがその瞳は深く強いように少女には見えた。
「何だ?」
「……邪魔するなら、伸すぞ」
「……」
 剣呑な眼でこの少女を見下ろす少年達。その威圧に全く負けていない当の少女。
 その様子の変化に往来の人々も気付き始めていたが、やはりその殆どは知らぬ存ぜぬの顔
で通り過ぎていくばかりだった。
「奏、これを!」
 そうしていると、少し迷いつつも少年がビニール袋の中を弄って何かを彼女に投げて寄越
した。二人に背を向けたまま彼女はそれを受け取って、
「……ゴボウ、ですか」
 思わず顔だけを向けて複雑な表情(かお)。
「だ、だって剣の代わりになりそうなものなんて……」
「…………まぁ、いいです」
 そして。
「一回二回ならもつでしょう」
 そのままゴボウを剣に見立てたようにして、ゆっくりと少年達に向けて構える。
「……てめぇ」
「そんなんでやろうなんざ、舐めてんのか……?」
 だが、その態度が彼らに余計に火をつけたらしい。
 ボキボキと握り拳を鳴らし、一人また一人と彼女を見下ろしながら距離を詰めてくる。
「うらぁっ!」
 ダンッと。アスファルトの地面を蹴り、少年の一人が握り拳を大きく振りかぶって少女に
迫った。危ない! 手を少年に握られたまま、思わず空いた方の手で顔を覆おうとする。
 だが、その心配は一切不要であった。
 次の瞬間、目に映っていた少女の姿が霞んで消えたように見える。
「──ぁぶぅっ!?」
 そして空振った少年の拳が虚空を切る、それよりも更に早く、姿勢を低くして懐に飛び込
んだ少女の凄まじい速度の一閃が少年の腹にめり込んだのだ。
 気合の声の末尾が情けない悲鳴となり、体格差で勝っている筈のその身体が地面から浮き
上がっていた。スローモーションの世界の如く。薙ぎ払った一閃、粉々になるゴボウ、白眼
を向いて意識が飛ぶ少年。
「うおっ!?」
「ぬわっ!?」
 世界の流れが元に戻り、吹き飛ばされた少年がどうっと仲間達の下へと倒れ込んだ。
 仲間の少年達は慌ててその突撃を交わし、気を失いピクリとも動かなくなった彼を唖然と
した様子で見つめている。
「……Unbelievable」
 思わず、そう驚きが漏れる。
 一方で少年は見慣れているのか、穏やかな微笑のまま少女の勇姿を見守っていた。
「な、何なんだよお前……」
「……」
 根元から折れたゴボウを片手に、少女はすっかり脅え腰になった少年達を見つめる。
 言うべきでしょうか……?
 すると、まるでそう訊いているかのように彼女は背後の二人、いやこの少
年を振り返ってきた。
 コクリと。
 その返事は無言の首肯。静かな苦笑を僅かに添えて。
「……私は、佐々岡奏といいます」
 それでもやや逡巡を含んでいたであろう沈黙。だがやがて彼女がそう間を置いて答えると
急に少年達の表情が一気に凍り付いた。
「さ、佐々岡って……」
「あ、あの、佐々岡道場の……?」
「ひっ! か、勝てるわけねぇよっ!?」
「に、逃げろぉぉっ!」
 完全なる撤退行動。少年達はその名を聞いた瞬間、口々に叫ぶと我先にその場から逃げ出
し始めた。それでも倒れたままの仲間を置いていかなかったのは、数少ない彼らの良心であ
ったのかもしれない。
「……お疲れ。奏」
「うん……」
 少年が、この少女・佐々岡奏に労いをかけて歩み寄っていた。
 心なし複雑な表情で佇んでいたのは、自分の名を喋っただけであれほど少年達に恐れられ
た事に少なからずショックだったからなのかもしれない。
 それを分かっていてか、少年も奏を慰めるように優しく微笑みかけている。
(……ぁ)
 いつの間にか、少年に握られていた手は解かれていた。
 金髪青眼の彼女は無意識の内に、そっと握られていた部分を撫でていた。
「大丈夫?」
「怪我は、ありませんか?」
 はたと我に返る。気付けば二人が自分の前に立って心配そうに顔色を窺っていた。
「だ、ダイジョブです」
「そっか。良かった」
 にこりと。優しい少年の笑顔。安堵を含んだ穏やかな声色。
 温かい。理由がはっきりとしないまま、彼女は胸が熱くなるのを感じていた。
「……あの、兄さん」
「うん?」
 そうしていると、不意に奏が少年の袖をくいと引っ張った。
 笑顔のまま少年が彼女に視線を落とすと、彼女は、
「……目立ってます」
 そうか細くなっていく声で、恥ずかしそうにもじもじしながら呟いた。
「……あ~、そうだね」
 周りを見渡してみると、先ほどの大立ち回りの所為でいつの間にか往来の人々からの視線
が自分達に注がれていた。
 中には何だか熱っぽい眼の子供達もいたりして……。
「……じゃあ、僕らは帰るね?」
「あ……。ハイ」
 少年も彼女の言わんとしていた事に気付いたらしく、苦笑を浮かべて少し急ぎ足になって
いた。それでも礼節を怠る事はなく、微笑んで。
「じゃあね」
「……それでは」
 軽く手を振ってみせる彼と、ぺこりとお辞儀をする彼女と。
 買い物袋を提げ、二人はゆったりと茜色の空の光を浴びつつ背を向けて立ち去っていく。
 先程までの騒動も徐々に収まり、往来も元の状態に戻っていく。
「…………」
 きゅっと。胸元で彼に握られた手を掻き抱くようにして。
 夕暮れの風に金色の髪を靡かせながら、彼女は暫くの間、その場で二人の立ち去った方向
を眺め続けていたのだった……。

「──という訳でシテ、私はユウキに助けて貰ったんですヨ。本当、アリガトござます」
「いや、まぁ勝手にした事だから……うん」
 満面の笑み。そして優紀に抱きついたまま。
 いつの間にか優紀の話にセーラが混じりながら、そう皆に事情を話して聞かせる。
「なるほどねぇ。それで……」
「ううっ…。何というイイ話なの……っ。グズッ」
「畜生……もうフラグがっ、よりにもよって天粕にっ」
「天粕、てめぇ……。舞子さんや奏ちゃんだけじゃ飽き足らず……」
 いつの間にか優紀(というよりセーラ)を中心にクラス全員が集まってきていた。彼女の
分の机と椅子を取りに行っていた男子二人も途中から戻って来て、他の者から補足を受けて
は他の男子連中に混じって泣いたり咽んでみたり。
「……っていうか、殆ど奏ちゃんの武勇伝じゃね、それ?」
「まぁ、うん。僕もそう思うんだけどなぁ……」
 そんな様子を片目に、大吉はほ~っと感心したかのように優紀を見遣りつつもそう指摘し
てくる。優紀本人もそれは自覚している所だ。はっきり言って、喧嘩なぞすれば負ける。
「まぁ、結果的に役得だ。にしても……大変だなぁ。はははっ」
「……はあ」
 クラスメート達の後ろから、一橋の笑い声。
 優紀は何言ってんだかと呆れ気味に声を漏らす。先生まで乗っかってどうするんです。
「……とりあえず、そろそろどいてくれると嬉しいんだけど。レミン──」
「セーラと呼んでクダサイ。はい、ドーゾ?」
「……どいてくれると嬉しいんだけど。……セーラ」
「名残惜しいですが……ハイですネ」
 ちょっとした羞恥刑に処せられつつも、やっとセーラが優紀から離れる。
 それでも満面の笑み──いや、何とも言えない純過ぎる視線が痛い。優紀は思わず嘆息を
つかざるを得ず、若干赤くなった頬をぽりぽりと掻いた。
「それにしても」
 突き刺さる視線多数。優紀はピンと来ない、ある意味積極的な棘がこもったクラスメート
達の視線に理不尽を感じつつも、何とか話題を変えてみようと試みる。
「よく僕がここの生徒だって分かったよね。確かあの時、名乗ったりしてない筈だけど」
「ハイ。それなら」
 にこっと笑うセーラ。
 彼女はこの笑顔で辛い事があっても乗り越えて来たんだろうか。そう漠然と優紀はその笑
顔を眺めて思った。
「ユウキと一緒だったSAMURAI Girlのおかげデス」
「サムライ……? あぁ」
 もしかして奏の事か。なるほど、あの時の状況からすればぴったりの表現だ。
 しかし、刀じゃなくてゴボウ装備の侍というのも……。
「メイミに調べて貰ったんです。佐々岡サンというSAMURAIのお家をです。そうしたらこの
街では有名なFamilyだそうで。たくさんのSAMURAIを育てているジムのお家だと」
「……まぁ。間違っては、いないよな?」
「うん……」
 大吉がひそひそと囁いてくる。優紀も小さく頷いた。
 外国人だからなのか、大分日本の武術家に対して知識が偏っている感が否めないが。
 あと、メイミって誰だろう。家族の誰かだろうか。
「そこから手掛かりにユウキの事を知りマシタ。奏サンの幼馴染だそうで」
 なるほど、そうやってか。しかしやはりというべきなのか、自分はどうにも佐々岡姉妹の
おまけ的な存在という認識で通っているらしい……。
「それでもう、私、イテモタッテモいられなくて。Dadにここに転入できるようにお願いし
たんです」
「……そ、そうだったんだ」
 凄い行動力だな。優紀は素直にそう思った。
 ほんの少しの恩義、それももう二ヶ月以上も前の事の為にそこまでするかな、普通?
 それでも。その真っ直ぐ(?)な行動力には正直、感心する。
 ちょっと変わってるけど、いい子だな。優紀は彼女に対する認識にそう付け加えていた。
「…………」
 ふと、視線を大吉に移す。
 すると彼がやけに神妙な面持ちで自分を見ているのに気付いた。
『…………』
 いや、彼だけじゃない。他のクラスメート達も似たような面持ちになっているような。
(まぁ驚くよなぁ。これだけアグレッシブな子を見たら)
 そう自分の中で結論付けておく。
 ちょうどその時、校舎内にチャイムが鳴り響いた。朝のホームルームの時間帯の終了を、
そして一時限目が始まる直前を告げる合図だ。
「さて、色々聞きたい事はあるだろうがとりあえずは授業には集中しろ? じゃあ、俺は
そろそろ行くからな。……皆、仲良くしてやれよ?」
「勿論っす!」
「任せといて下さい!」
「……はは。じゃ」
 パンパンと手を叩いてから、一橋が教卓の上の書類を拾い上げて教室を出て行く。
 それを切欠に集まっていたクラスメート達もそれぞれの席に戻っていく。中には名残惜し
くセーラに熱い眼差しを注ぎ続けたり、手を振ったりしている者もいる。
「じゃあ、ユウキ。また後でデス」
「あ。うん」
 そして当のセーラもギリギリまで優紀の傍にいたが、皆の様子を見てようやく用意された
自分の席へと向かう。荷物はどうしたのだろうとふと思ったが、教室前方の女子が教卓傍に
置かれていた、彼女のものらしい鞄を手渡しているのが見えた。
「……ふぅ」
 何だかどっと疲れた。
 まだ一時限目すら始まっていないのに。
 平穏が、遠のいてしまうんじゃないだろうか。
「……大変だったな」
 優紀のその様子に、机に肩肘をつきながら大吉が眺めて喋り掛けてきた。
「正直言うとね……。でも、悪い子じゃないみたいだし」
「……まぁな」
 ふっと笑い合い、一時限目の準備。だが、
「しかし……」
 窓の外、いや何処か遠くを見ているような眼でふと手を止めた大吉は。
「…………嵐が、来るぜ」
 そんな妙な事を呟いてくる。
「?」
「……ま、頑張れ」
「?? うん……」
 あまりに神妙で、抽象的で。
 優紀はその意味を問いただす事もできずにただ頷くしかない。
「よ~し、授業を始めるぞ~」
 そして一時限目の担当教師が教室に入ってきた事で、大吉のその言葉は優紀の頭の中から
完全に抜け落ちてしまう羽目になったのだった。


 嵐は、忘れた頃にやって来た。
 それは休み時間の度に一目散にやってくるセーラではなく、そんな彼女目当てに周りを囲
んでくるクラスメート達や(何処で聞きつけたのか)他のクラスの人達でもない。
「…………」
 答えは優紀のもっと身近な存在。幼馴染の片割れ、佐々岡奏その人だった。
 昼休み。朝の約束通り、優紀達のクラスに例の友人二人と共にやって来た瞬間からそれは
始まったのである。
 いつもの通り、机を合わせて各々が座っている。ちなみに舞子と朱璃はまだだ。
 そう、いつも通り。天候が悪くて中庭が使えない時はこうして教室で集まるのだが……。
「……えっと」
 なのに……重い。物凄く空気が重い。
「あの、奏? ど、どうしたの?」
 その発生源は見間違うことなく奏本人だった。優紀は奏手作りの弁当を見て空腹感を感じ
させられるよりも前に、彼女のえもいわれぬ無言の圧力に居た堪れなくなる。
「……恍けないで下さい」
 ぼそっと。表面上はいつもの丁寧な口調。
 思わずビシッと背筋が真っ直ぐになる。奏がじっとこちらを見ている。怖いぐらい、射抜
かれそうなくらい見ている。かしましい友人二人すら、緊張気味に固まったままだ。
「誰ですか、その女(ひと)は」
「え?」
 やや視線を優紀から逸らした奏が見つめる先には──いつの間にか優紀の隣に座っている
セーラの姿が。こちらの気持ちも知らずに、相変わらずいい笑顔をしている。
「うわっ!?」
「……いや。気付くの遅過ぎだろう」
 思わず優紀は声を上げていた。すかさず大吉がつっこむ。
「一体、誰ですか? クラスの方ではないと思いますが」
「あ、あぁ。うん……」
 そうだ、奏は知らないのだ。優紀達のクラスに来たこの転校生の事を。
 優紀はビクビクしている自分を宥めながらも、奏達にセーラのことを紹介した。転校生で
ある事。そして先の言葉から覚えていないらしいので、以前に自分と二人で助けた外国人の
女の子その人である事や、自分達について調べもされてある事も付け加えておく。
「……そう。あの時の方でしたか」
 一通り(必死に)事情を説明して、奏は一応納得してくれたようだ。
 だが、どうにも表情が怖い。元々からローテンションではあるが、今のこの様子は流石に
おかしい。優紀は薄れてきた恐怖感の隙間に不安が混ざってくるのを感じ始めていた。
「ハイ。あの時はどうもアリガトござました」
「いえ……」
 それに対し、セーラは実にのほほんとしたものだ。
 気付いても顔に出さないのか、或いは素で気付いていないのか。
「ま、まぁそういう事だから、今後とも宜しくねって事で……」
 笑顔と仏頂面。二人の表情を視線で往復させながら、優紀は緊張した苦笑いを浮かべつつ
何とか場の雰囲気を丸く収めようとしていたのだが。
「……ところで。奏サンはユウキのGirlfriendですか?」
「えっ……?」 
 満面の笑みでセーラがそう問い掛けてきた。
(え、ちょ!? いきなり直球!?)
(ま、ま、まずいんじゃない……!?)
 叫びそうな口元をハッと押さえて、奏の左右を固める里見と橘がもごもごと息を漏らしな
がら何事かを言っている。大吉すら目を見開いてまるで化け物を見たかのような反応。
 Girlfriend……女友達。いや、彼女。え──?
「そ、そ、それは……」
 虚を衝かれて脳内の字引が一瞬フリーズしかかった優紀の反応に覆い被せるように、突然
奏が声を引き攣らせていた。赤いリンゴの様という比喩では足りないほどに、顔全体が真っ
赤になって口をパクパクさせている。
「……」
 そしてプシュ~という蒸気が聞こえるかのように、がくんと奏が頭を垂れて俯いた。
 もしかして、テンパった? 速い展開に遅れ気味に、優紀がそんな彼女の姿を見遣る。
「How? どうなのでしょう?」
「あ~……えっと……」
 流石に優紀にもこの質問がいきなりなのは分かる。
 沈黙してしまった奏に代わり、暫し言葉を選んだ後で、
「多分、セーラの言うような間柄では……ないかな? 幼馴染の兄妹っていう言い方が一番
しっくり来ると思うけど」
 恥ずかしい気持ちを押し殺してそう答えていた。
 大吉と奏の友人達が何やらひそひそ言っていたようだが、内容までは聞こえない。
「そうデスか……」
 小首を傾げて呟くセーラ。ちらと視線を寄越したのは、俯いたまま「あぅあぅ」と息を漏
らしている奏と困惑顔の優紀の二人。すると、
「ホッとしました。付き合っている訳ではないのデスね」
 また笑顔で何故かそんな事を言う。
「え? それってどういう……」
「という訳ですノデ」
 だが、やっと頭が回ってきた優紀の言葉も、
「ユウキ。私がユウキのGirlfriendになってよいデスか?」
『──ッ!?』 
 その一言で更に事態は加速する。
「…………え?」
 告げられた当人はポカンと言葉少なげに。
「おいおい……。それはいくらなんでもアグレッシブ過ぎだろ……」
「あ、あわわっ……!」
「しゅ、修羅場だ……修羅場が、始まるッ!」
 友人達はそれぞれに呆れ、慌て。
「な、何ぃぃぃぃっ!?」
「ちょ、ちょっと待て! セ、セーラちゃん、ほ、本気かぁっ!?」
「持っていかれたーっ!?」
「うわぁ……だ、大胆」
「流石は外国人よね、せ、積極的……」
「うわぁぁぁん! セーラちゃんが、セーラちゃんがぁ……っ!」
 聞き耳を立て、ざわつき始めていたクラスメート達は色めき立つ。
 だが、そんなこの場の面々の誰よりも。
「──だ。駄目ですっ!」
 弾かれたように立ち上がり、机を叩きながら叫んだ奏が一番迫力があった。
 その一打で、教室中がシン……と静まり返っていた。
 大きく息をつき、ぐらぐらと揺らいだ瞳で一同を、いやセーラと優紀を見下ろす奏。
「……ぁぅ。その」
 興奮が頂点を越えてしまったのだろう。一挙に向けられた皆の視線を前に、奏は急に大人
しくなってストンと椅子に腰を下ろしてしまった。もごもごと何事かを呟きながら耳たぶま
で真っ赤になっている。
「か、奏……?」
 恐る恐る。爆弾処理班よろしく、優紀は静まり返った中で彼女に呼び掛けてみる。
「……駄目、です。セーラ……さん」
「……What?」
「経緯は分かり、ました。だけど、だからって……」
 むくっと顔を上げた奏。
 その表情には、瞳には、うっすらと涙が溜まっていた。
「早過ぎます……。そんなに早く、想いを伝えるなんて……」
『…………』
 今度は別の意味で皆が動揺する番だった。
 爆発した後は、半泣き?
 皆がお互いに顔を見合わせている。どうすればいいか。何と声を掛けてあげればいいか。
頻繁に自分達の教室に来てくれる後輩に、佐々天心流の猛者姉妹の片割れに、いつも静かに
優紀達を導き、見守っている彼女に。
(奏……)
 何故だろう。
 優紀はよく分からないが胸を締め付けられる思いだった。無意識に胸元を押さえながら、
ごしごしと気丈に涙を拭う彼女の姿がいつもよりずっと小さく見えた気がした。
「…………そう、デスね。スミマセン」
 控えめな、穏やかな声。
 ゆっくりと優紀が視線を遣ると、セーラがじっと奏を見ていた。
 その表情は先程までの満面の笑みばかりではない。いや、むしろ彼女と何かを通じ合えた
かのような、そんな変化を、その沈静となった端正な顔立ちに宿していた。
(ただ無邪気なだけじゃ、ないのかもしれないな)
 そして、優紀は気付かない内にそんな彼女をじっと眺める格好となっている。
「……では、こうシマショウ」
「? はい……?」
 どれだけの時間だったのか。長いように感じられたその沈黙は、セーラ自身によって破ら
れる事となった。
「少しずつ、決めるんデス」
「決める?」
「ええ」
 少しの間目を瞑り、何かを思案したようにして、彼女は口を開く。
「ニホンのSUMURAIは大事な事を決める時に、Duelをしていると聞きマス。これはKnightに
も通じるものだと思いマスよ」
「え……? いや、それ相当間違──」
「デスので」
 優紀が小さく突っ込もうとするが、既に遅し。
「奏サン。私と勝負しまセンか?」
 彼女の口から出たのは、挑戦状。
「……マジかよ」
「天粕と本人の話からして、知っている筈……だよな? 奏ちゃんが滅茶苦茶強いって」
「あぁ……。その筈だよな……?」
 ざわざわと大吉やクラスメート達が方々で困惑に近い声を口にしている。
「……貴方と、ですか」
 その声を耳にしながら、当の奏本人も困惑気味で呟いていた。
 いきなりそんな事を言われても。そう眼が語っているかのようだ。
「いや、いくら何でも戦う事はないんじゃないかな? 相手は奏だよ。分かってる?」
「ハイ。分かっていますよ」
「いや……僕から言うのもなんだけど、止めておいた方がいいよ? 危ないから」
「大丈夫です。私、こう見えてもfencingをやってマス。同じ剣士です」
「いや、でもね……」
「大丈夫ですよ~。自信はありますカラ」
「いや、だからって……。その、何を決めるか知らないけどさ。もっと穏便に……ね?」
 渋る彼女を見て追随するかのように、優紀も慌てて二人の間に立ってそう説得する。
 突然のセーラの言動を止めようという事もあったが、何よりも訳の分からない理由と勢い
のまま彼女達が危ない目に遭うことに優紀自身強い抵抗を感じたからでもあった。
「……兄さんの言う通りです。貴方とは……戦う理由がありません」
 気のせいか、途中少し言葉を詰まらせながらも奏が賛同してくれた。
 優紀は内心ホッとした。やっぱりそうだよね。お互いもっと冷静にならないと──
「……では、これならどうデショウ?」
 そう頭の中で事態の収拾が先行していた時だった。
 おもむろにセーラが優紀の後ろを通って奏の傍らに立つと、ひそひそと耳元で何か彼女に
告げたのである。
「──ッ!?」
 奏の、その表情に明らかな変化が見えた。
 にこりと笑い、耳元から顔を離すセーラ。彼女を見上げて複雑な、何か激しく迷っている
ような様子を見せる奏。その二人の様子に優紀は何だか嫌な予感を感じ……。
「…………分かりました。その勝負、受けます」
 間もなく、その予感は奏の挑戦受諾という形でもって現実となった。
 再びざわめきだした面々。
(い、いきなり何で……? セーラ、奏に何を言ったんだ……?)
 優紀も、一体何故という思いに駆られて奏の横顔を覗き込むようにして彼女を見遣る。
「……」
 ちらりと。奏は優紀の視線に応えていた。
 しかしそこに何か強い意志が、そしてそれらに隠された何か別のものがあるように優紀に
は見えた。
「決まりデスね。では──」
「ちょっと待ったぁぁぁっ!」
 だが、急展開はこれだけでは終わってくれなかった。
 セーラが続きを詰めようと口を開いたその瞬間、聞き覚えのある声が教室に響き渡る。
 バンッ!と力強く開け放たれた教室の扉。
 一同の視線がざっとそこへと集中する。
「……舞姉?」
「……会長も」
 そこに立っていたのは、やけに楽しそうに笑みを浮かべながら腕を組んで立つ舞子と、彼
女の後ろでやれやれとため息をつきながら苦笑を浮かべてこちらを見ている朱璃の姿。
 そういえば、二人が来ていない間に話が進んでいたんだった……。
「話は聞かせて貰ったわ」
 ポカンとする優紀達を尻目に、ビシッと舞子がセーラに向かって指を指す。
 さっきまでの話、聞いてたのか。何やってるんだよこの人は……。
 頭を抱えつつ、優紀は次に来る言葉が何となく予想がついて先んじて嘆息をつく。
「その勝負、この私が預かった!」
 グッとサムズアップ。清々しい笑顔。その後ろで朱璃が眼で「すまんな」の視線。
「……てなわけで。朱璃、根回し宜しくね」
「はぁ。分かったよ……。どうせ反対しても聞かないのだろう?」
 眼鏡のブリッジを持ち上げ、朱璃が数秒何かを考える。
「だが、学園側に根回しをするにしてもそれなりに時間は掛かるぞ」
「時間? どのぐらい?」
「そうだな……とりあえず四、五日ほど貰えるか?」
「オッケー。じゃあそういう事で。いいよね、カナ、セーラちゃん?」
「Yeah」
「……うん」
 舞子の笑みに同調しながら、勢いに押されながら、当事者二人が頷いてみせる。
(……嗚呼。大変な事になったぞ)
 その様子を眺めながら優紀は静かに天を仰ぐ。
 ここに、奏対セーラの戦いの場が用意される事が決定したのだった。


「……はぁ」
 放課後の、商店街のゲームセンター。
 優紀は通りの往来に目をやりながら、筐体に両肘をついて大きくため息をついていた。
「随分ブルーだな」
 傍らで大吉が両替してきた硬貨を片掌の中で弄んでいる。
「……そりゃあ、ね。あんな事になるなんてさ」
 目を瞑り、数日前の事を思い出す。奏とセーラの勝負、決闘イベントの決定。
 舞姉もどうしてわざわざ火に油を注ぐような真似をするのか。
(……やっぱり面白半分なのかなぁ)
 十分あり得る。そして今回は朱璃=生徒会長の支援付き。性質が悪過ぎる……。
「まぁ、気持ちは分からんでもないがな。でも、お前に思い入れのある女子の転校生って時
点で何かしら一騒動起こる予感はしてたよ。舞子さんの乱入はちと予想外だったけど」
「…………」
 舞子によって掻き回される一悶着。
 それは何も今に始まった事ではないにしろ。
 それよりも、優紀が心を痛めているのは他でもない。今回の当事者になってしまった二人
の事だ。結局あの時セーラが何を吹き込んだのかも分からず終い。もう一方の奏に訊こうに
もさっさと帰ってしまっており、どうやら当日に備えているらしく何だか近寄り難かった。
「……僕は」
「うん?」 
 パンチングマシーンに硬貨を入れている大吉を背に、優紀はぼうっとした眼で呟く。
「止められなかった……。あれは無用な戦いだよ。なのに……何も変えられなかった」
 彼になら。往来の雑音に掻き消されそうな弱々しい言の葉がふわふわと浮いている。
「まぁ──」
 ガスンッ!
 拳を握り締め、パンチングマシーンの標的に向かって大吉が一撃を叩き込む。
 陳腐な音楽が鳴り、高得点を知らせるファンファーレ。手首をコキコキと鳴らしながら彼
は優紀の方を振り返った。
「男にしてみりゃ、女ってのはよく分からん生き物だからなぁ」
「……?」
 優紀もまた、彼の言葉に頭に疑問符を乗せて振り返る。
「なぁに……」
 相手の不安を、無力感を和らげようとするように、大吉は二カッと笑っていた。
「今回はお前が原因だと言えなくもないが、そうでもないとも言えるって事だよ」
 そしてポンと肩を叩いて、独り悩む友にそっとそんな言葉を投げ掛ける。

「では、提出してきます」
「ああ。宜しく頼む」
 夕暮れの生徒会室。朱璃が精査した書類を、役員の一人が受け取り提出するべく部屋を後
にした。パタンとしまるドアの音。朱璃は小さく息をつくと会長席に座ったまま、肘をつい
て組んでいた両手をそっと組み直す。
「……結構色々あるんだねぇ」
 その様子を、応接用のソファに座りもたれていた舞子が眺めて呟く。
「事務手続きというのは元より煩雑なものさ」
「ま、そうだけどね~」
 朱璃は置かれていたペンをペン立てに戻し、椅子の背にぐっと身体を預けた。
 とりあえず根回しはこれで澄んだ事になる。取り敢えずの一息である。
「大丈夫? 理事会とかPTAとか」
「……それを訊いて来るなら始めからあんな事を言い出すな」
 ソファに背を預けたまま首を曲げて自分を見てくる友に、思わず苦笑しながら一言。
「まぁ、でも……どちらにしろ武術の試合(申請上の言い分である)をするには予め許可を
貰っておいた方が何かと都合がいいのは確かだ。万一の事があっても、ある程度は向こうが
被ってくれるからね」
「ふっふ~流石は朱璃。お主もワルよのぅ……」
「人聞きの悪い。舞子に頼まれたから手を打っただけだろう?」
「あ。いや、感謝してますよ? ホント」
「……。言葉通りに受け取っておくよ」
 暫しの沈黙。やがて朱璃が、控えの分の書類を集めた大きめのクリアファイルを戸棚から
取り出し始める。舞子が向かい側のソファに座り直し、遠目にその様子を見ていた。
「しかし、意外だな」
「ん?」
「奏さんの事だ。まさか勝負を受けるとは思わなかった」
 その言葉に、彼女の姉・舞子は黙って微笑んでいた。
 朱璃がパラパラと書類のページを捲っていく。舞子がぐぐっと座ったまま背伸びをする。
「売られた喧嘩は買い、引き千切っては投げる舞子とは違って、奏さんは大人しくて好戦的
というには程遠い印象があるからな」
「何それ。まるで私が殺戮兵器みたいな」
「……殺すまではせずとも、似たようなものだろう。その強さからして」
「ぶぅ……」
 むくれて見せる舞子。だが友人故に彼女の性格を熟知している為か、朱璃も一々そうした
反応にうろたえる素振りはない。
「勘付いているのだろう?」
「う~ん? 何が?」
「……隠すな。普段大人しい彼女が突拍子もない挑戦を受けた理由、心当たりがあるんじゃ
ないのかと言っているんだ」
 眼鏡の奥の眼が光るように、舞子の表情を見据える。
 朱璃のその視線に舞子は暫く黙っていたが、
「……カナだって、年頃の女の子だからね」
 ふっと含みを持たせたように笑うとそう口走る。
「……?」
 しかし朱璃は真意までは汲み取りきれなかったようで、冷静なままの表情に僅かながらの
疑問符を浮かべている。書類を捲る手が止まってる。
「ああ見えて、凄くナイーブだから」
 ぼそりと呟いた舞子の声。
 茜色の光が差し込む生徒会室で、二人は静かに佇む。

「──はぁぁっ!」
 霞むほどの強烈な威力と速さの一閃。
 その一撃を、長光は全身の力を以って受け止める。伝わってくる衝撃の大きさ。
「ふっ!」
 それでも、相手の攻撃の手は休まらない。
 受け止められた僅かな反動で、そのまま続けざまに様々な角度からの斬撃がやって来る。
「何、の……っ!」
「──ッ!」
 防戦。それでも降りしきる冷たい雨のような連撃の隙間を見抜き、放つ反撃。
 決して力を抜いているわけではないのだが。
 それでも、反撃に放った薙ぎ払いは紙一重のタイミングで相手に交わされてしまう。
『…………』
 互いが距離を取り、沈黙を保った。
 汗が流れるのが分かる。そして何より、下手に手加減などしたら間違いなく本気で一撃が
飛んでくるであろう事も。
「……ふぅ。ストップだ、奏」
「……」
 緊張の糸。それを慎重に解くようにして長光は剣を交えていた相手──奏に語り掛けた。
 木刀を握り身構えていた彼女だったが、父のその言葉に小さく頷き、ゆっくりと構えを解
いて向けていた気迫を静めていった。
「やれやれ……。稽古をつけて欲しいと言われたものの、これはキツイな。奏、今相当本気
だったろう?」
 荒くなった息を整えながら長光は苦笑いを浮かべざるを得なかった。
 ここまで本気でぶつかってきた娘は久しぶりな気がする。正直、この才能には恐れ入る。
それは自分の腕が鈍っているのか等といった以前の、いち武術家としての彼女の備える潜在
能力の高さへの敬服に違いなかった。
「……お父さんは、まだ本気に足りてない」
「はは……。バレてたか」
 少々不満げ。娘の言葉に、長光は自分も随分親馬鹿になったのだろうかと思う。
「でも、本当に凄いわね、奏ちゃんも相変わらず。正直、本気で殺されるかと思ったわ」
 そんな二人の様子を見ていたのは、壁際にもたれ掛かっていた美幸だった。
 彼女もまた稽古着姿で木刀を片手に、そして長光のように激しい運動の後の荒い呼吸の様子
を垣間見せている。
「美幸。そろそろ代わってくれないか? ちょっと、休みたいんだが」
「そ、そう言われても。私だってまだ完全に立ち直ってないわよ……」
 仮にも師範代二人。だが、本気になった奏の稽古相手とはそれほどにハードなものである
らしい。結局、二人とも大きく息をつきながら、そして将来の期待を内心に秘めて、木刀を
壁際の出っ張りに戻している奏の後姿を眺めていた。
「……しかし、急にどうしたんだろうなぁ。普段から稽古に真面目なのは同じだが、どうも
ここ数日の申し出にしろ、力の入れようにしろ、明らかに違うように思えるのだが」
「えぇ……」
 微笑ましく、それでいて困ったなと苦笑する長光。
「奏ちゃん、学校で挑戦者を迎えたそうじゃない?」
「あぁ……それは聞いているが?」
 一方の美幸は何処か含んだ笑みを漏らしていた。
 それは、彼女と剣を交えて感じた、同じ女性としての直感に近しいものである。
「今回、奏ちゃんは物凄く頑張ると思うわ。だって……きっと、あの子にとってとても大事
なものが懸かっている筈ですもの」
「……?」
 彼女の言葉に、長光は小さく眉根を寄せて疑問符を浮かべていた。
 二人はまた、奏の姿を、横顔を見遣る。
「…………」
 佐々天心流を修める小さな少女剣士の瞳は、見入るほどに強く何かを想っていた……。


 そして、試合の時はやって来た。
 天候は快晴。数日前に雨を降らせていた低気圧も武ヶ原近辺からは遠ざかり、夏の気配を
微かに潜ませる空気、充分に乾いた地面が今日の試合を迎え入れてくれているかのようだ。
 試合会場となった学園のグラウンドでは、既に長方形に大きな白線が引かれて即席の舞台
が整備されており、その周囲をぐるりと多くのギャラリーが囲んでいる。
(……とうとう来ちゃったな、この日が)
 優紀もまた、友人達とその一角で心配そうな顔を浮かべていた。
 グラウンドの中央には、既にこの日の主役──奏とセーラが距離を取り立っていた。
 奏は道場にいる時に見せる袴の稽古着姿。小柄な見た目ながらも、その腰帯に木刀を下げて
いる様はまさにサムライのようである。
 対するセーラはきめの細かいジャージ質のような、淡いグレーの服とズボン、その上から
胸元などを保護する為らしい革製の簡素な防具を身に着けている。
 彼女の本領はフェンシングとの事だが、学園にフェンシング部はなく、且つ公平を期す為
に今回は奏と同じ木刀を手にしていた。
 真面目な、真剣な表情と、緊張した様子よりも微笑みが印象的な表情。
 一見すると対照的な二人がそこにはある。
「おぉ……奏ちゃんの袴姿、いい……実にいい……」
「セーラちゃんっていうんだっけ? あの転校生の子」
「う~ん……どっちも可愛いなぁ。甲乙つけ難い」
「いや、そっちの勝負じゃないから……」
「一体どっちが勝つのかな?」
「そりゃあ、奏ちゃんじゃない? だってあの佐々岡姉妹の妹だよ?」
「いや、ここはむしろ挑戦者セーラちゃんという可能性も──」
 試合開始はまだかと言わんばかりに、方々でざわめきが聞こえる。
 生徒会及び学園が許可を出したイベントという事もあるのだろう、雰囲気はすっかり何か
のお祭りのようである。
「……心配か?」
「……うん」
 優紀の隣にいた大吉が、ちらと顔色を窺って訊ねてきた。
 できることなら止めてほしい戦いだが。だが優紀はできるだけそれを顔に出さないように
努めつつ頷く。
「ま、大丈夫だろう。セーラも奏ちゃんが強いってのを分かっててああ言ったんだ。自信も
警戒もないわけじゃないだろうよ。それに、奏ちゃんだって相手に合わせて加減するぐらい
の芸当はできる筈だしさ。優紀が心配するような流血の惨事……みたいな事にはならないと
思うぜ?」
「……だと、いいんだけど」
 戦いの場になる度に優紀は思う。
 自分は無力だ。止めたいと思っても、その力が自分にはない。
 いや……かつて自分はその「力」を得る道にすら脅えて逃げ出した身ではないか。
「大丈夫だって。ま、女の戦い……ではあるけどね~」
「……舞姉」
 そうしていると、ゆったりと舞子がこちらへ歩いてきた。傍らには朱璃ら生徒会の面々や
様子を見に来た教師陣数名。そして、
「ふむ。真剣そのものじゃな、奏は」
「あれ? 磐音のじーさん?」
「磐音……さん?」
 若者の武勇を微笑ましく眺めながら杖を片手に呟く、磐音の姿があった。
「磐音氏は、今回の試合の審判をやってくれる」
「ま、学生のスポーツならまだしも、佐々岡の関わる一戦だからな。俺らみたいな素人じゃ
見てても追い付けないだろうって事で」
「……なるほど」
「ま、それでもれっきとした試合じゃ。孫じゃからとて贔屓はせんがな?」
 そう補足してくれたのは生真面目な数学教師・竹内と、担任の一橋の二人。
 こくと頷く優紀達に、磐音はにまりと笑ってみせる。
「朱璃、おじいちゃん。じゃあ、皆も待っている事だし」
「うむ。そうじゃな」
「始めましょうか」
 そして、促されて舞子と朱璃、磐音の三人が演説台の上へと上る。
 最初に置かれていたスタンドマイクを手に取ったのは朱璃だった。
「──えぇ……お待たせしました。これより、佐々岡奏とセーラ・レミントンの練習試合を
始めたいと思います。では磐音さん、ルール説明を」
「うむ」
 続いてマイクを磐音に。彼はコホンと軽く咳払いを一つ。
 彼の姿を認め、既知である者達がわずかにざわめいていた。
「……ルールは簡単。無制限一本勝負、白線内での打ち合いじゃ。先に相手に有効な一撃を
与えた者を勝者とする。分かっているとは思うが、あくまで武士道精神に則り──」
 奏とセーラが承知と頷いていた。
 ギャラリーのわざめきもいつの間にか静まり、じっと彼の話に耳を傾けている。 
「……なぁ」
「うん?」
 その最中、グラウンドの方に目を遣っていた大吉がふと疑問を漏らした。
「ふと思ったんだが、何で今回外でやってるんだ? 学園(うち)にも武道場はあるのに」
「……言われてみれば」
 確かに普通、武術の試合といえば道場であろう。優紀は少し考えてから、
「収容人数の問題じゃない? 武道場じゃあ皆が見れないわけだし」
「あ~……そうかもなぁ」
 そう答えておいた。
「──では年寄りの長話もつまらんじゃろうし、説明云々はこれぐらいにしておこうかの。
二人とも……準備はよいな?」
 頷き、彼のその言葉を合図に木刀を構える奏とセーラ。
 奏は相手に一礼の後、両手に握り締めて正眼。
 対するセーラは片手で握り、地面と並行に切っ先を向ける。フェンシングの構えだ。
 緊張の空気が引き絞られるように辺りに広がっていく。
 ごくりと、ギャラリーも、優紀達も固唾を呑んでその様を見守る。
 磐音がゆっくりと片手をあげて、
「……始めっ!」
 振り下ろすと同時に試合開始の合図を叫ぶ。
『……ッ!』
 瞬間、二人が動き出そうとする。
 だが僅かに身体を動かしただけで、二人は何かを察知したかのようにその場を動かない。
「あ、あれ……?」
「止まった、な」
 ギャラリーも「え?」といった感じでその滑り出しを見遣っていた。中にはちらと互いに
顔を見合わせる者もいる。
「お互い、間合いを測ってるんだよ」
 トンッと演説台から舞子が降りて来ていた。優紀と大吉らの傍までくるとにこやかな表情
を僅かに真剣な眼つきに変えてグラウンド上の二人に目を向ける。
「間合い……」
「奏もそうだけど、あのセーラって子も、できるね。一瞬でお互いの有効範囲を悟ってる。
無闇に飛び込んでは相手の一撃が来ると分かってるんだ」
「なるほどねぇ……」
 感嘆を漏らす二人も、同じく渦中の彼女達を見遣る。あの無動作の中でそんな駆け引きが
起こっているのか。
「……まぁ、それでもいずれ動かないとどうにもならないけどさ」
 そして、再び舞子はふっと笑う。
「──ハッ!」
 沈黙の後、先に動いたのはセーラだった。
 水平に構えた切っ先のまま、両脚の瞬発力からくるスピードを活かして一気に奏の懐へと
突っ込んでくる。
 薙ぎ払い……斬撃よりもセーラのような刺突はカバーできる範囲こそ劣るが、一度速さを
乗せてしまえばピンポイントに相手を狙える長所を持つ。故に相手が動き出す前、より確実
に攻撃を叩き込む為に先んじて動いたのである。
「──ふっ!」
 だが、その動きを奏は既に読んでいたようだった。
 構えていた木刀を微かに斜めにずらし、迫るセーラとその切っ先をしっかりと待ち構えて
いたのだ。そして間合いに入ったその瞬間、流れるような動作でずらした刀身を反対側にず
らすようにして彼女の突きの勢いを殺したのである。
 刺突を崩す一手は、留意すべき先端以外の刀身部分にある。
 だが、それだけでは終わらない。
 奏はいなした攻撃の手を返し、セーラの木刀を自分の得物から弾き返すとそのまま斜め上
へと袈裟懸けに鋭い一閃を放った。
「ッ!」
 ぎりぎり紙一重。体勢を崩されかけたセーラだったが、その一閃を身を仰け反らせる事で
何とか回避していた。自然と再び距離が空く格好。だがそれでも奏は彼女を休ませるような
真似はしなかった。
 第三撃。今度は一旦素早く脇に引き寄せてからの刺突。距離を取り始めた相手に追い討ち
を掛ける確実な攻撃の選択。それを、セーラは辛くも慌てて手元に引き寄せた木刀の身で防
御する事に成功する。
「……速い」
 遠目に見ていた優紀が小さく呟く。
 その間にも奏の刺突を払い、突き返すセーラ、それを半身の半身で交わして縦の斬撃を打
ち込む奏、またそれを防御しながら体勢をずらし、反撃に横薙ぎを払うセーラと、凄まじい
速さでお互いの攻守を入れ替えていく。
 ガチンとぶつかる木刀の音。お互いの一撃一撃の衝撃を伝える空気の震え。
 二人の少女剣士を囲むギャラリーは息を呑んで圧倒されながらその様を凝視する。
 静から動へ。激動。最初の刺突以来、爆発的な速さで以ってぶつかっていく二人。
 磐音が台上で静かに目を凝らす中、互いの攻撃の数々は相手の防御、反撃によっていなさ
れていくという結果を繰り返していく。
「……ハァ、ハァ」
「…………」
 最早何度目か分からない激突の後。
 二人は一旦、互いに弾かれたように距離を取った。セーラは少し息が上がっていたが、奏
は相変わらず真剣な眼差しのままで呼吸が乱れている様子はない。だが、その顔には僅かに
だが相手に驚きを見ているようにも見えた。
「……す、すげぇ」
「あの奏ちゃん相手に、防いでる……?」
「もしかして接戦、じゃない……?」
 その小休止に、ギャラリーから感嘆の声が漏れ出す。
「……が、頑張れ~! 奏ちゃ~ん!」
「い、いいぞぉ、セーラちゃ~ん!」
 そして、次の瞬間には溜め込んだ感情を吐き出すようにどっと歓声が上がったのだった。
「……凄い」
「あぁ。あそこまでとはな」
「佐々岡奏。流石だな。うちの生徒にあんな者がいると思うと末恐ろしい……」
「はは、全くですね。どちらも見た目は結構可愛いのになぁ」
「……一橋先生」
「何です? やだなぁ、別にやましい眼じゃないですよ~」
「……そうですか」
 奏の強さを改めて。セーラの実力が皆の予想を上回るものだった事。
 二つの意味で優紀達は思わずそう言葉を漏らしていた。

「……」
 歓声の中、奏とセーラはそれぞれに木刀を構えて暫し互いの様子を見ていた。
 やや息の上がっているセーラ。じっと相手を見定めるような、深く強い瞳の奏。
(つ、強い……)
 セーラは、内心相当に焦っていた。強いとは聞いていたがこれほどとは。
 慢心というには少し大仰か。だが奏が予想を遥かに上回り斜め上を行くほどの猛者である
と認識を新たにしたのは間違いない。自分も武術──フェンシングを修める身である。それ
故に彼女に対して恐怖ではない、畏敬の念を抱かずにはいられなかった。
 それに対し、当の奏は何を考えているのだろう。
 セーラにはそこまで相手の腹を探ることはできなかった。いや、しなかった節もある。
 性格もあるのだろう。そんなことをしたくないという想い。だが、それよりも。
(奏サン……)
 彼女と知り合え、今こうして真剣に向き合ってくれている事が純粋に嬉しかった。
「……ふむ。これは中々面白いね」
「面白い、ですか……」
「うん。予想以上にセーラちゃんもできるね。筋がいい」
「へぇ、舞子さんの眼に適うとはねえ……」
「……」
 遠目にそんな二人の様子を眺めつつ、ふっと笑って舞子が呟く。
 優紀はつい陰気な声色でちらと彼女を見遣っていた。
 武術家としては好カードに見えているのかもしれない。だが、優紀個人としてみればこの
ような戦いもやめて貰いたいというのが本音であった。しかしそれを露骨に顔に出すわけに
もいかない。ただ、舞子らの横顔を見遣っているだけしかできない。
(奏……どうしてそこまでしてセーラと戦うことを選んだんだ……?)
 変化があったのは、ちょうどそんな時だった。
 二度目の硬直、沈黙が流れていた最中。不意に奏が木刀の構えを変えたのである。
 刀身を立て、相手の姿を視界に捉えるものではなく、木刀はまるで居合いの直前のように
腰の近くに巻きつけるように。そして視線はピントを絞ったようにセーラ一人に。
「……あれは」
「え?」
「ま、舞子さん?」
 ぼそっと、舞子が僅かに目を見開いて声を漏らした。優紀と大吉が反射的に彼女を向こう
としたが、何故かその瞬間、彼女は突然駆け出していた。ギャラリーの作る外枠の内側のラ
インに沿って、陸上選手顔負けのスピードの猛ダッシュ。
「……何だろう?」
「……さぁ?」
 その姿を二人がポカンと眺めていた、ちょうどその時だった。
「──佐々天心流……」
 ぼそりと。しかし確実に聞こえる強い声色。
 ハッとしてその方向──奏へと視線を向けると、彼女が構え直していた木刀にぐっと力を
込めている所だった。
 何か、する気だ。
 素人ながらに優紀がそう直感した、次の瞬間。
「飛蜂(ヒバチ)!」
 手元が霞むような速度で振りぬかれた一閃。残像のように一瞬だけ残る軌道が、辛うじて
その一瞬の間に手先の角度を微調整し、切っ先が曲線を描いていることを悟らせる。
 そんな思考。だが、それすらも吹き飛ばすほどにやって来たのは、衝撃の風。
 奏が得物を振り払った瞬間、螺旋のネジのような風の塊らしき何かが彼女からセーラへと
向けて射出される。
「──ッ!?」
 九割九分反射的、本能的。
 一瞬で目の前へ飛んできたその風の塊を、セーラは大きく横に跳ぶ事で何とか回避した。
「ちょっ!?」
「へ?」 
 だが、そうなると次に向かっていくのは……セーラの背後のギャラリーの面々。
 何か来る。それだけ。人間、いざ危険が迫るとすぐには動けないものらしい。
「あぁっ!」
 優紀が思わず叫んでいた。直感的に思う。
 駄目だ、このままじゃ皆が──。
「はぁっ!!」
 ギャラリーに直撃する、まさにその瞬間だった。
 飛んでくる風撃の真正面に、回り込んで来た一人の人影。その人物の気合の一声が響くと
同時、風撃が急に弾け飛ぶように四散していったのだ。
「ひ…………?」
 思わず仰け反り、顔を覆い隠そうとしていた面々がゆっくりと顔を上げる。
「ふ~……間に合った。皆、大丈夫?」
 そこに立っていたのは、舞子。
 そうか。あの一撃を防いで──おそらくは相殺してくれたのだろう。面々が頼もし過ぎる
彼女の勇姿にコクコクと頷いていた。それを見遣り、舞子はふっと微笑んでからグラウンド
の方へと、我が妹へと目を向ける。
(ふふ……。相当本気みたいね、カナ)
 ばさばさと、制服の上から引っ掛けた白地の上着が揺れていた。
「…………大ちゃん。あれって」
「ああ……」
 とりあえず、舞子のフォローのお陰で怪我人は出なかったようだ。
 安堵。しかし優紀達はその思いを抱えたまま一息つくことはできない。
「……佐々天心流の技、だよな」
「うん……」
 優紀は自分が受けたわけでもないのに、心臓の鼓動が激しく打っているのを感じていた。
 グラウンドでは、振り抜いた木刀を構え直す奏と彼女が放った技に唖然としているセーラ
の姿が見て取れる。
「これって、まずいんじゃないの? 佐々岡の技は普通、一般人には使わない筈だよね?
なのに奏は使ったよね? だ、大丈夫なのかな……?」
「……すまん。俺もちょっと不安になってきた」
 それまで比較的泰然としていた大吉も、流石に驚きを隠せないようだ。
「それだけ、カナがセーラちゃんを認めたってことでしょうね」
 すると、横から声が。
 いつの間にか舞子が戻ってきていた。あの距離を走って往復して笑っている……。
「あ、舞子さん」
「舞姉。それってどういう……」
「要するにカナがそれだけ本気を出してきたって事よ。まぁ、ちょっと熱が入り過ぎてるか
なって感じはあるけどね。あ、じゃあ私行くから。フォローに回らないと」
 パッパッと。自分だけ分かっている様子のまま、そう語ると舞子はまた駆け出して行って
しまう。またしても二人は彼女の後姿を見送るしかない。
「……セーラ、無事で済むかな」
「さぁな……。半殺しとかにされねぇといいけど」

(こ、これは……。奏サン、まさか、これがアナタの本気!?)
 風撃──多分、飛ぶ斬撃が通り、その余波で抉れた地面を見ながらセーラは頭が混乱状態
になっていた。さっきは反射的に避けられたけど、あんなの、防御する事だって……。
「!」
 そんなぐるぐると回っていた思考を無理やり断つように、奏が切っ先を引っ下げて突っ込
んで来ていた。思わずセーラは木刀を盾に、次の瞬間放たれた横薙ぎの斬撃を受け止める。
(お、重い……! さ、さっきまでとはまるで違う!?)
 この可愛らしい、華奢な身体の何処にこれほどの破壊力があるのだろう。
 限界ギリギリまで防ぎ、彼女から離れてくれるとそのまま衝撃の余波でズザザッと大きく
後退っていた。
 嬉しさは何処へやら。再び込み上げてくるのは純粋な相手の力への恐怖感。
(だけど……)
 セーラは食い縛るように、自分の心に鞭を打つように踏ん張った。
 そもそも何故、ここまでギアを上げてきたのか。それは多分、そうしないといけない何か
が彼女の中であったから。それは何か。自分の実力を認めて貰っている? そうなのか?
 はっきりとはしなった。
 だが少なくとも──彼女は今、真剣に自分と戦っている。
(流石はニホンのSUMURAIデス……こんなにも、真っ直ぐ)
 受け止めなくては。セーラは強くそう思った。たとえ自分の実力が彼女に及ばなくても、
この場で全力を出してぶつかっていく義務が私にはあると。
「ハァァッ!」
「──!」
 奮い立たせて、僅かな距離を詰めながら刺突。
 奏はその一撃を半身を返して交わしながら振り下ろしの斬撃。セーラも伸ばした切っ先を
翻してその一撃を受け止める。両者の立ち位置が入れ替わる。
 再びの激しい攻防。突き、薙ぎ、払い、受け流し、交わす。入れ替わる。
 傍目からは同じ展開かもしれなかったが、彼女から繰り出されるそれらは先程の飛ぶ斬撃
を切欠に格段にパワーアップしていた。
 セーラもまた、出せる力を振り絞ってそれに応える。
「……佐々天心流」
 数度目かの横薙ぎ。すると、何と奏はセーラの木刀を踏み台にして飛び上がっていた。
 驚いて思わず見上げるセーラ。中空ですっと身を返し、木刀をゆらっと振る。
「山荒(ヤマアラシ)!」
 再び霞むような速さで振りぬかれる、大降りの一閃。
 ボウッと、複数の衝撃がセーラの周りを押し潰していた。
 これは……中空から放つ、多段の斬撃?
「うぅぅぅっ……!」
 動けない。放たれた斬撃の衝撃がセーラの退路を奪っている。思わず頭上に木刀を掲げて
じっと耐えるしかなかった。数秒しかし、もっと長い体感時間。更にその威力に加え、最後
には着地しながらの奏の斬撃付き。咄嗟に刀身を動かして受け止める。
 もし、最初に掲げていなかったら反応し切れなかった……。
「ふっ!」
 麻痺するような衝撃に間髪入れず、今度は着地が終わると同時の横薙ぎ。
 これは……防御が間に合わない。身体に鞭打って仰け反り、紙一重で交わす。
(ウッ……)
 斬撃は、僅かに胸の防具を掠めていた。
「……佐々天心流」
 その言葉に、セーラはハッとなった。また、来る。
 剣を振りかぶった奏の瞳は、その様子をしっかりと視認している。
 その上で木刀を脇に引き寄せ、切っ先に添えるように空いた方の手をかざしている。
「狭紋(サモン)!」
 ぐぐっと踏ん張った両脚。その一方に全体重を乗せ、奏は爆発的な瞬発力でその切っ先を
先頭に突っ込んできたのだ。
 高速の刺突撃。
 セーラがそう認識した時には既に切っ先が彼女を捉えていた。
 反射的に身を庇うようにして差し出した自身の木刀。そこに、ピンポイントで突き刺さる
異様に重い威力。彼女の突進に押され、大きく大きく後退していく。
「……グッ!」
 思わず顔をしかめざるを得なかった。
 その攻撃力の高さだけではない。彼女の刺突撃を受けた、自身の木刀の身が悲鳴をあげて
いた。何とか貫通されるのは免れたようだが、これではもう……。
「……」
 すると、ふっと掛けられていた重みが消えた。
 よろめきつつも、セーラの目には飛び退き、数歩と距離を取り直す奏の姿。
(あ……)
 ちらと地面を見てみてやっと気付いた。
 自分は、舞台となっている白線の際まで追いやられていたのだ。
 セーラはどっと圧し掛かってきた諸々のダメージに息切れしながらも、こちらを見て木刀
を構え直して待っている様子の奏に向かって、自分も得物を構え直していた。
 ──もう、この剣ももたない。自分も、長くはもたないだろう。
 次の攻防で……決まる。
 ゴクリと唾を飲んだ。切っ先を水平に保つ事すら辛くなってきている。その木刀自身も次
にあのような衝撃をもろに受ければ砕けそうなほど、大きくひび割れていた。
『…………』
 自分も、彼女も、周りの皆も静まり返っている。
 奏も次に賭けてくる事を悟ったのだろうか、すうっと目を細めると、握っていた木刀を静
かにやや斜めに倒した。斬撃を、確実により鋭く叩き込める角度……。
「奏……。セーラ……」
 緊迫の中に混じる声の中に、あの人の声が聞こえたような気がした。
 酷く心配を込めた声色。でも……それはきっとあの時と同じ優しさの裏返しだから……。
(…………決めマショウ。奏サン)
 覚悟は、決まった。言い出したのは私。どうなっても後悔だけはしないように。
 ぐっと眼に力を込める。両脚にも両腕にも全身にも。意識は彼女の動きに集中を。
 そして、限界まで引き絞った身体を、
「────ハァァァッ!!」
 思いっ切り弾き飛ばす。

「……!?」
 優紀が、大吉が。舞子や朱璃、磐音が。
 周りを取り囲むギャラリー達が固唾を呑んでいた。
 ほぼ同時、いや一瞬だけ奏が遅れて、両者が飛び出し、切り結ぶように交差したのだ。
「──ぅ、ぁ……」
 セーラの瞳が強い衝撃の為に小さく縮こまっていた。
 腹には、奏が打ち込んできた木刀の身が食い込んでいる。
 一瞬の判断。奏は立った姿勢ではなく、低く身を屈めた姿勢でセーラの懐に潜り込んでい
たのであった。
 勝った。その光景が先ず目に焼きついた面々には、そう見えた。
「………」
 だが、奏本人は違っていた。
 確かに自分の一撃は打ち込んだ。有効である事に間違いはない。
 奏はセーラの胸元に目を向けたまま、瞳を細めている。
 もう感覚で分かっていた。
 ──同時に、最後、彼女が突き出した切っ先が自分の肩を捉えていた事を。
「この勝負……」
 台上でじっと成り行きを見守っていた磐音が、
「引き分けっ!」
 そう、高らかに勝敗を告げた。
 静寂。彼の声の残響が空に散っていく。
「ぉ……」
 面々に焼きついた視覚情報が正確に把握され直されるのには、数十秒近くの時間を要する
こととなった。
『うぉぉぉぉぉっ……!!』
 そしてやって来た大歓声。もはや言葉ではなく絶叫に近い。
 それは勝敗が決した故でも、予想外の結果だったからでもない。
 ただ純粋に全力を以ってぶつかり合った者達への正直な感銘そのものであった。
「……」
「──ブフッ! ゲホッ、ゲホッ!」
 音量のツマミを一気に最大にしたような騒々しさ。
 その中で奏はそっと得物を引く。するとセーラはそのままバタンと地面に倒れ込み、思わ
ず大きく咳き込んだ。
「……ハァ、ハァ。す、凄過ぎ、デス……奏サン」
 堰を切ったような強烈な疲労と荒くなった呼吸。セーラはそれを抱えつつも、自分を見下
ろして黙している奏にそう言葉を掛けていた。
「……いいえ」
 ふるふると。だが、彼女は小さく首を横に振っていた。
「結果は、引き分けですから」
 そっと、木刀を腰帯に納めて奏は淡々と述べる。それでも、瞳は苛烈ではない。深く強い
それは変わらないが、緊張から解放された安息感が微かに滲む。
 ぺこりと。セーラに向かい、深々とした一礼。
「ありがとう……ございました」
 頭を上げる。やや息を整えだしたセーラの姿が彼女の瞳に映っている。
 そしてそっと差し伸べられた奏の手。
「……」
 数拍の間。セーラの呼吸を整える音。
 やがてセーラはにこりと笑うと、静かにその手を取り、ゆっくりと立ち上がった。
「……こちらこそデス。奏サン」
 ワッと一段と沸く歓声。二人は握手を交わしたまま、周りを囲むギャラリーを見ていた。
(…………はぁ。お、終わった……。よ、良かった……)
 いや。正確には、たった一人の、静かに破顔している少年を。

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  1. 2011/04/28(木) 20:30:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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