書名:神様のパズル
著者:機本伸司
出版:ハルキ文庫(2006年)
分類:一般文藝/現代SF
“宇宙を作ることはできるのか?”それは、根源に至る問い。
その疑問に、落第寸前の男子学生と天才的頭脳の少女が挑む──。
今回は第三回小松左京賞受賞作『神様のパズル』の読書感想です。
分類としてはSFモノ。といってもちょっぴり先の現代の大学を舞台にしたお話。
いやいや、何よりも題材が「物理学」である訳で、学生時代から根っからの文系(特に社会
学関連)で通してきた自分にとっては紛うことなき畑違いな訳です。
実際、作中にはこれでもかというほどに専門用語でディスカッションするキャラクタ達の姿
が描かれていて、正直文言は読んでいても、意味はサッパリ意味不明で……。
なのに放り投げずに最後まで読んでいったのは何故なのでしょう。
仮にも自分で買った“小説”なのだから──というものあるけれど、それだけじゃない。
やはり表紙裏面に綴ってあった“宇宙を作ることはできるのか?”という文言に、一介の思
索人として惹かれたから、というのが大きいのだと思うのです。
さてざっと大まかな粗筋を書き記すとこんな感じです。
主人公は某大学の物理学科に所属し、卒業と就職活動を控えた学生・綿貫君。
彼は友人知人らと共に素粒子物理のゼミに所属することになり、そこで彼はひょんな事から
曰く「女の勘」──物理学者なのに──で以って、そのゼミ担任の片割れである鳩村先生か
ら、同じくゼミに所属しているという不登校の少女・穂瑞を引っ張り出して来て欲しいとの
依頼を受けてしまいます。
何でもこの穂瑞。所謂「精子バンク」で生まれた天才少女として有名で、齢十六にして飛び
級でこの大学に在籍しているとか。
綿貫君は渋るものの、結局単位採りにアドバンテージを付けられるのでは?という目論みも
あって引き受け、この少女──見た目は確かに歳相応の女の子。しかし口調はいかにもつっ
けんどんな男口調との対面を果たすことになります。
とりあえず説得のポーズさえ取っておけばいいや。当初綿貫君はそう考えていました。
しかし二度目の訪問の際、外部受講生?の老人・橋詰とのやり取りで彼に答えあぐねた彼の
者からの問い『宇宙は作れるのか』を彼女に訊いてしまったのが運の尽きというべきか。
何とその訪問から明けてゼミの日、彼女は出席してきたのである。
しかもゼミのテーマをその疑問に掲げてきて……。
期せずして、彼女と共にその根源的問いを探求するチームに加えられてしまった綿貫君。
「綿さん」と変な気に入られ方をしてしまった彼は、彼女のハイレベルな頭脳にあくせくし
つつも、彼女が作った「創世宇宙」でシミュレーションを重ねていき──というお話。
結局この難問はどうなったのか。彼らがその試行錯誤の先に見たものとは?
綿さんの苦節の道はどうなるのか? そして天才少女・穂瑞の抱える心の闇に光は……?
その他諸々は読んでみてのお楽しみということで(いつもの打ち切り文句ですみません)。
先述したように、この作品は全体として物理学の目白押しです(筆者自体が理工学部卒とい
うこともあるようですが)。なので、文系畑の僕にはさっぱりその理論自体は訳が分からぬ
まま読んでいました。
それでも、僕を頁から離さなかったもの。
それは間違いなくこの物語で扱われた問い──宇宙は作れるのか?を綿貫君に意識させる事
になった橋詰老人の吐露だったのだと思っています。
“宇宙は無から生まれた”という。そしてその宇宙こそが、根本的に遡れば自分達人間を生
んだと言ってもいい。では何故彼の者は自分を生み出したのか? そもそも果たして無から
宇宙──創生ができるものなのか。それは即ち『自分とは何か?』をとことん問い詰めよう
とするある種哲学的な知的希求でもある訳です。
だからこそ、僕自身も惹かれたのかもしれません。
橋詰老人と同じ……という程でもありませんが、僕もまたあまり丈夫とはいえぬ病身です。
また多くの柵で苦しむ肉親や、世間の人々の醜態を多かれ少なかれ見聞きしてきたつもりで
います。
だからこそ、僕もまたずっと考えていました。
自分が、僕らが此処──この世界に在る意味とは何なのだろう?と。橋詰老人の強い飢餓感
を持った疑問は、それをもっと大きなスケールで捉えているだけで本質は似ているのではな
いかと、そう僕は読んでいて感じたものです。
“だってそういう決まりだから”とか“そんな事考えても仕方ない”という反応、冷笑は当
然あるのだと思います。
でも作中でも何度か触れられたことであるように、僕らはそんな『当たり前の根拠』を証明
できないままこの文明を進め続けている。何とも矛盾に満ちた世界であることか。
……思えば学生の頃、僕も○○の定理といった数学の公式に「何故?」を突きつけ続けて、
先生を困らせていたっけ。結局その時間が惜しいと、意味もあまり分からぬままに「だって
そういう決まりだから」で押し切った・押し切られた記憶があります。
でも、本来知的向上とは単に“知識だけ”ではない筈です。
何故だろう? その問いかけに向き合ってゆくことこそ、智の世界を開拓する原動力ではな
いのか。そう考えていくと、どうにも僕らは先人の作ってきた枠に嵌り過ぎているのかしら
んとも思える訳です。
作中の殆どは、綿貫君の一人称──ゼミ選定数日からの日記という形を取っています。
だからこそ、そこに描かれているのはあくまで彼の推測や伝聞による部分が大きい筈なので
すが、それでも物語の終局で語っている部分が印象的なので引用したいと思います。
『物理は間違えない。どこまでいっても正しい──。ただしそれは“一側面”なのである』
『すべきだったのは、保障の内容を考えることではなかった。問題はその保障を受けてどう
生きるかということだったのである』
物理に限らず、知識とは(例外もあるが)定理とは遍く事象を下支えする“裏打ち”だと
いう見方。それを知ることを興味深いと感じる人間もいるだろう。詮無いと興味を持たずに
ただ日々の生計にあくせくする事に全神経を投入する人間もいるだろう。
でも──どちらが“正しい”訳でもないのだと、僕はこの作品を通した思ったのです。
知っていようが知っていまいが、定理とは僕らのすぐそこに佇んでいる。
知識を修めること以上に大事なことは、実践。
つまり自分が如何在るべきか?
その存在の軸を見出し、その方針にできうる限り忠実であろうとすること──。
相変わらず理系の知識はサッパリ分からんですが、それでもやはり知ることは僕という人間
には面白いもののようです。
さあ。そろそろ片輪──実践に、この知識という名の油を差すことと致しましょう。
<長月的評価>
文章:★★★☆☆(分量自体は並。形態もあって読み易さも上々。ただ理系の知識が……)
技巧:★★★☆☆(一人称日記視点が故に綿さんの疑心・見聞が鍵になるのかなと)
物語:★★★☆☆(テーマは興味深かったですが、もっと論説を子細にして欲しかった気も)
Author:長岡壱月
(ながおか いつき)
創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)
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