日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅱ〔21〕

 人は、三人も集まれば対立するものだと云う。
 話し合いの場というものは、本来そういった事態への“調整”を期待して設けられるもの
だが、往々にしてこうした試みは、彼らの利害対立の二次会と化すだけの末路となる場合が
多いと言ってしまっていいと思われる。
 そしてそれは、サウルも出席するこの場──レスズ都市連合評議会でも変わらなかった。
 “結社”による飛行艇爆破テロから、既に数日が経っている。
 だが出席している諸侯達は今も尚、都市連合全体としての態度を決めあぐねていた。
「一刻も早く、我々もこの戦いに加わるべきです!」
「しかし……相手はあの“結社”なのだぞ? 下手に関わって皇国(あちら)以上の損害を
出してしまえばどうする気なのだ? 領民の理解が得られるのか?」
「さりとて、このまま沈黙を続けていれば東の盟主としての沽券にも関わるぞ? 既にレギ
オンは“七星”らを召集し、待機させているそうではないか」
「で、ですが、正規の手続きやトナン側からの了承なしでは内政干渉に──」
 要するに、及び腰だったのである。
 アズサ皇が記者会見で公にしているように、相手にするとなればそれは即ち“結社”との
対決──文字通りの軍事攻防を意味する。
 たとえ自分達が一国を、いち領土を治める存在であっても、彼らの悪名高さは長年の行い
から周知徹底されている節がある。
 少なくとも、敵対することで得られるメリットよりも受けるデメリットの方が多い筈。
 しかしこのまま沈黙していれば、たとえ皇国(トナン)が都市連合の一員ではないにして
も、消極的な屈服を内外に示すことにもなる……。
 だからこそ、諸侯らはどっちつかずな心境と算段のまま、只々結論の出ない会議を連日繰
り返しているのであった。
「……」
 しかし、それはあくまで“表向き”の方便だとサウルは知っていた。
 喧々諤々──というよりも今や烏合の衆に近いのかもしれないこの眼前の集団を眺めなが
ら、サウルはそっと顎を撫でながら目を細める。
 自分だけではない筈だ。
 他の諸侯達とではその内容・動機は違うのだが、皇国(トナン)への秘密裏なアプローチ
はここにいる者達は多かれ少なかれ行っているのだ。自分達の為にも、そういった動きの裏
は密かに取ってある。
 ある者は勢いを増すトナンに結ぶ付いて利益を得ようと(或いは既に得ているか)。
 またある者は力をつけるトナンを警戒し、裏でその抑止の為に暗躍して──例えばトナン
国内の反皇勢力(レジスタンス)の支援者となって──いるのだろう。
 皆、自分達の利益の為に動いていた。
 とりわけこの東方は都市国家が林立しており、他の地域に比べて独立独歩の気風が強い。
 少しでも自分が有利に立てるように。
 少しでも自分が他より抜きん出るように。
 諸侯らを取り仕切るこの評議会でさえ、結局はそうした利害をテーブルの下で蹴り合って
いるだけなのだ。……机上では、あくまで互いに「友好」を装いながら。
(相も変わらずというべきなのだろうが……。もどかしいな)
 サウルは人知れず、口の中で嘆息を噛み殺していた。
 こうして長々と譲らない議論を──折り合いを知らず、只々自分が有利な状況を作ろうと
するだけの空間にいた所で、一体何が「良く」なるというのだろう?
 それでも時間は確実に過ぎてゆく。
 かつて……いや、今も尚苦しみに身を振るわせる仲間(とも)が、その血を引く子らが、
今この瞬間も運命の荒波にもがいているというのに。
「議長」
 そしてサウルは意を決したように、この停滞を断ち切るように挙手をした。
 自然と、議場の方々で議論を交わしていた諸侯らがこちらを見遣ってくる。
 だがそれでも構わない。彼はついと視線を壇上の最奥──現評議会議長・ウォルターへと
向けた。
「何かね、フォンテイン候?」
 ウォルター議長はそんな彼の真面目な眼差しを、何処か舐め回すように見下ろしていた。
 恰幅のよい──もとい贅肉をたっぷりとまとった、都市連合きっての大富豪の姿。
 発言を許されたサウルは、改めてこちらを見ている諸侯らに振り返ると語り始める。
「皆々方、立場やご意見もありましょう。ですが私としては今回の戦闘に加わるべきだと考
えております」
「おおっ! 貴公も同じ意見であるか!」
「し、しかしだな。相手はあの“結社”だぞ……?」
「ええ。分かっています」
 分かり易いほどに諸侯らの意見は割れていた。
 自分達や組織の体面を優先し、決して正義感ではなく私利的動機で以って好戦的な者。
 いざ“結社”と敵対関係になった場合のデメリットを頭の中で弾き出して及び腰な者。
「アズサ皇の会見もあります。何より“結社”自身からの犯行声明もあります。我々なりの
裏付け調査でも件のテロが彼らの犯行であることは間違いありません」
 それは、会議が始まる前から分かり切っていたことだ。
 サウルは方々から飛んできた諸侯らの声に一度は深く頷いてみせ、それでも言うべきこと
は届けようとする。
「……皆さん。今我々がここで交わすべき議論は“彼らと戦うか否か”なのでしょうか? 
確かに各々の立場もあります。存じております。ですが、此処はレスズ都市連合という我々
全体としての態度を決めるべき場なのではありませんか?」
 正論。だが所詮は──理想論。
 諸侯らは一様に手痛い所を突かれたように黙っているようにも見えたが、おそらくは少な
からぬ面々が内心では「何を今更甘い事を」等と哂っていることだろう。
 だからこそ、サウルはじっとそんな独立独歩の徒らを見渡すと、言った。
「仮に、このままあくまで今回の件を“トナンの内戦”として手を出さない。そんな方針を
採るとしましょう。確かにその場合“結社”の矛先はこちらに向きません。ですが……今回
の件で介入を模索しているのは、何も我々都市連合だけではありません」
『……』
「我々に加盟していない諸侯達も然り、実際に飛行艇を落とされた北のアトスも然り。或い
は“結社”との戦いとして西のヴァルドー、政権の実績作りの為に南のサムトリアも動きを
見せ始めています。……既に、調査で明らかになっている所ですね?」
 会議の場の、諸侯らがざわめいていた。
 確かに、表立ってトナンの軍事作戦に共同歩調を採る表明は未だどの国も出していない。
 しかしそれは、すぐさまイコール他の国々・諸勢力が動かない理由ともならない。
 そんな、お互いを思案顔で見遣る諸侯らを見て、サウルは手応えを掴みつつあった。
「確かに皇国(かのくに)は都市連合に与する勢力ではない。むしろ、昨今アズサ皇に代を
変えてからは我々に並ぶ強国へと成長を遂げています。……もしそんな国が、先んじた我々
以外の大国(せいりょく)の影響下に落ちれば」
「……次なる食指は我々に、か」
「ご明察」
 そして、老練の諸侯の一人が両手を組んでぽつりと継いだ言葉に、サウルは頷き、議場の
面々はより一層迷いの色を濃くしていた。
 何も彼らだけの話ではない。
 往々にして、政で義を語るだけでは「口説け」ない。
 ──義ではなく、利で釣る。
 それは交易で生業を立てている者が大半を占めるこの地では、特に有効に働いているよう
に思えた。
 何よりもこの場所──水都フォンレーテ自体が、長らく周辺各国に狙われ続けてきた苦い
歴史を持った都市でもあるのだ。
 現在はレギオンが後ろ盾となっているとはいえ、サウルが口にした、大国勢のトナンへの
協力(かいにゅう)を足掛かりに自分たち都市国家群へと食指を伸ばされるというシナリオ
は、場の諸侯らの脳裏に粘つくような重さと切迫感を与えるには充分だった。
「確か、既にアトスが打診を始めているという話だったな?」
「そうです。先日、閣僚同士が導話会談を設けたと……」
「……まさかとは思うが、警戒するに越したことはないな」
 諸侯らがざわついている。
 既に自分達が集めてきた各国の動静情報も相まって、サウルの口にした“自分達に不利な
シナリオ”は否が応にも意識されてしまう。
 流れが、傾こうとしていた。
「……しかしフォンテイン候よ。果たしてアズサ皇がアトスや我々の共同戦線を認めると思
うかね? 彼女とてそう容易く他国の軍を迎えるとも思わないが……」
 それでも、ウォルター議長ら重鎮組はあくまで慎重だった。
 利で多くの者は釣れる。
 だが、かといって──せめて表向きは──それだけでは駄目なのだ。
 オブラートに、自分達の行いを包む隠すことのできる義。それもまた必要なのである。
「ええ。抜かりはありません。……むしろ、これからが本題です」
『……?』
 サウルは生真面目な表情(かお)を、改めてウォルターに向けた。
 しかしその内心は“真っ直ぐ”ではないのだろう。
 自分を哂いたかった。しかし、こうでもしなければ救えない仲間(とも)がいる──。
「議長。こちらから提出したいものがあります。許可を願えますでしょうか」
「……いいだろう。その提出、許可する」
 彼から許可を取り付け、サウルは「ありがとうございます」と貴族の礼を示した。
 そしてすぐに、議場に控えていた使いの者にその代物を運んでくるように指示を飛ばす。
 使いの者はきゅっと唇を結び、最大限の敬礼と共に議場を駆け出して行った。
 信頼のおける部下の一人だ。想いは同じ。今の自分の心境も、きっと分かってくれている
からこその真摯さなのだと思う。
「……」
 彼が、大きなドアを開けて議場を出てゆく。
(さぁ……。正念場だ)
 その後ろ姿をじっと見送りながら、サウルは一人静かに、己の魂により一層の強い炎を灯
していたのだった。


 Tale-21.其の剣は何がために

「──どうだ、見つかったか?」
「いや……こっちには見当たらないな」
「まだ城内にいる筈だ。捜すぞ!」
 遠巻きに警備の兵らのやり取りと足音が聞こえてくる。
 もう何度目か分からないそのニアミスに、脱獄囚一同は物陰に身を潜めつつ、じっと息を
殺していた。
「……行ったか?」
「ああ。そうみたい、だな」
 やがて遠退いてゆく足音。
 その物音がしっかりと聞こえなくなり、追っ手の気配が消えるのを待ってから、彼らは互
いの顔を見合わせると、ようやくホッと一先ずの安堵の息をつく。
 地下牢を脱することには成功した。
 武器庫で当面の武装や物資は充分に確保できた。
 しかし……。今、警備兵らと真正面からぶつかる訳にはいかなかった。
「盟約の下、我に示せ──水脈の癒(ヒールライト)」
 心配そうに彼らが囲んでいるその最中に、ジークはいた。
 バッサリと胸元から腹にかけて刻まれた斬撃の跡。
 脱がされた肌着の上からも色濃く滲んでいる血色の赤。
 ユイとの戦闘こそ痛み分けに終わったが、かといってそのダメージが少なからぬことは傍
目から見ても明らかだった。
 彼女との戦いのすぐ後、意識を失ってしまった彼のその傷口に、もう何度目とも知れない
治癒の魔導が掛けられている。
 術者からかざされた手。
 豊かな海を思わせる青い光がその傷を包み、先程から何度も治癒が促される。
 しかし傷は深いようで、中々彼の身体に刻まれたその痛々しい跡までは消えてくれない。
「お、おい。まだ治らないのか?」
「無茶を言わないでくれ。私の扱える術式ではこれが──止血と消毒が限界だよ」
 ジークの、文字通り身体を張った一手により、キサラギ小隊の包囲網からは抜け出せた。
 しかし彼らは、誰一人としてそのままこの青年を置いて逃げるという選択肢を採ることは
なかった。
 地下牢から自分達を解き放ってくれた恩義もある。
 だがそれ以上に──あの戦いの中、彼が叫んでいた嘆きと憤りの声が面々の心を強く打っ
ていたのだ。
 自分達に都合の良いだけの“正義”を理由にするのではない。
 何を救うべきなのか。一体誰の為の、何の為の力なのか。
「私が聖魔導を扱えればもっと処置ができるのかもしれないが……。だがこれは、普通なら
病院に運ばないといけないレベルの大怪我だぞ?」
「……。兄(あん)ちゃん……」
「無茶しやがって……」
 レジスタンスのメンバーであろうとも、そうでなくとも。
 あの叫びは間違いなく、今この国の全ての人間に問われるべき言葉だったのだと思う。
 だからこそ面々は、手負いのジークを担ぐと武器庫前の危機を脱した後、こうして夜長の
中庭へと身を潜めていたのである。
 夜風は冷たいが、少なくとも王宮の室内に居るままでは身を隠す場所に事欠いてしまう。
そんな判断からだった。
 ──この青年を、ここで失くす訳にはいかない。
 誰かから言われたという訳ではなかった。
 だが不思議と、面々の間にはそんな一致が出来ていて……。
「…………うぅ」
「ッ!?」
「あ、兄ちゃん!」
 そんな時だった。ふと、薄らとだがジークが目を覚ましたのである。
 面々は息を呑んで身を乗り出していた。
 そんな彼らが自分を囲んでいる姿を、ジークは未だぼんやりとした視界の中で瞳に映し、
たっぷりと数拍の間を開ける。
「……。何だよ、お前ら逃げてなかったのか?」
 そして霞の掛かったような意識の中、最初に口について出た言葉はそんな憎まれ口。
「ばっか。逃げる訳ねぇだろーよ」
「このまま兄ちゃんを捨て駒になんてしたら──女傑族(しゅぞく)の誇りに関わるさ」
「……ま、でも。それだけ減らず口が叩けるなら、意識があるなら良かった。さっきから全
然目を覚まさなかったから心配したんだぜ?」
 それでも面々は怒りはしなかった。
 むしろ先ず彼が目を覚ましたことに安堵し、中には互いの顔を見合わせてホッと胸を撫で
下ろしている者さえいた。
「……はん。とんだ馬鹿者だよ、お前らは」
 ジークは暫く黙し、そんな彼らの表情(かお)を眺めていたが、ふと再び悪態をついてみ
せるとそのまま立ち上がろうとする。
「お、おい……」
「何処に行くつもりだよ?」
「……決まってんだろうが。アズサ皇を取りに行くんだよ」
「ば、馬鹿野郎! 馬鹿はそっちだ!」
「そんな傷でまた城の兵士達とぶつかる気か? 無茶だって!」
「お前らにゃ、関係……ねぇだろ。こっちだってやらないと、いけないこと、が──」
 だが強がってみても、身体に刻まれたダメージは癒された訳ではない。
 数歩、立ち上がって再び城内へと戻ろうとしたジークだったが、身体がいう事を聞かずに
ガクリとまたその場に倒れ込んでしまう。
「ほら言わんこっちゃない!」
「無茶だっての。今度こそ本当に死んじまうぞ?」
 面々は咄嗟に、そんな彼をキャッチしていた。
 力の入らないその身体を皆が協力して支えると、改めて植木の根本に寝かせてやる。
「……。分かったよ」
 まさか自分の出自も、六華のことも知っている筈もないから……か。
 ジークもようやく無理が効かない状態だと悟ったのか、むくれっ面をしながらも仕方なく
といった様子で、そのまま幹に背を預けると押し黙り始める。
「──……」
 “彼”が姿を現したのは、ちょうどそうした最中のことだった。
 それまで夜の中庭には自分達以外の誰もいなかった筈だ。ずっと兵の気配にも警戒しつつ
のやり取りでもあった筈だ。
 なのにこの男──“剣聖”リオは、そんな面々の五感の隙間をあっさりと突破していて。
「……ッ!? こいつ、いつの間に……!」
「まっ、待て! こ、この方は──」
 面々は、幹に背を預けたまま動けないでいるジークを庇うように、リオに向かい合う格好
を取っていた。
 一方では追っ手かと得物を構え、もう一方ではそれを制止して目を凝らして。
 面子の中にはレジスタンスのメンバーも、旧来のトナン王宮を知る人間も混じっている。
 だからこそ、ジークはすぐに知ることとなった。
「もしかして……。リオ様、なのですか……?」
「リオ? それって“剣聖”のことか?」
 面々の一人がそう確認するように呟くのを聞いて、ジークは思わず怪訝に眉を顰めてこの
剣士風の男──リオを見遣り直した。
 その眼は、紛れもなく驚きや戸惑いの色。
 何故、七星の一角がこんな場所にいるのかという疑問。
 そしてそんな反応は、何もジーク一人だけのことに留まらない。
「……」
 だが当のリオは、肯定も否定もせず、ただ夜風に吹かれながら立っていた。
 中庭の木々が、羽織った上着がざわざわと揺れている。
 それでも、じっと彼が視線を向けていたのは──面々の奥で動けぬままのジークの姿で。
「お前が、ジーク・レノヴィンだな?」
「あ、ああ……。そうだが」
 ややあって、リオはそうポツリと一言だけを訊ねてきた。
 ジークはますます眉間に皺が寄るも、夜月を背景に立つ彼の静かな迫力には勝てず、少な
からず気圧されながらも首肯する他ない。
 するとどうだろう。そんなジークの反応を確認すると、リオは小さく、ほんの僅かに頷い
たかと思うと、懐からはたと何かを取り出しこちらに投げ寄越してきたのである。
 面々の隙間を縫うように、中空を舞って飛んでくるそれ。
 思わずジークは反射的にキャッチしていた。
 おずと、自身の手中に落ち着いたその感触を確かめるように軽く握った掌を開いてみる。
「……これは」
 それは間違える筈もない、ジークのレギオンカードだった。
 どうして、アズサ皇側(あっち)に取られていた筈の代物を……?
 近くに立っていた面子らが覗き込んでくる中、ジークは落とした視線をついと上げると、
再び自分達と相対するように、何処となく距離を置くように立ったままのリオをじっと頭に
疑問符を浮かべた状態で見遣る。
「すまんな。俺でも、こちらだけしか掠め取れなかった」
「えっ……?」
 すると、小声だが確かに、リオは見つめ返すままにそう呟いていた。
 ジークは思わず静かに目を見開き、短い驚きを漏らす。
 かの“剣聖”がまるで自分に味方するかのような行動を取ってきたことに、ではない。
 確かに彼は言った。こちら“だけ”しか、と。
 つまり知っているのではないか?
 自分が単身此処に囚われた理由も、六華奪還とアズサ皇を止めるという動機のことも。
「あんた、一体──」
「静かにしろ」
 戸惑いが強くなっていた。疑問が震えながら口を突いて出ていた。
 しかし次の瞬間、リオはフッと表情を心なし強張らせると、ぴしゃりとその一言で以って
ジーク達を黙らせていた。
 そして遠くから聞こえてきたのは、今尚自分達を捜している警備兵らの声、足音。
 暫くの間、リオを含めた場の面々は、それらの気配がしっかりと遠退き消えるまでじっと
息を殺すことを強いられることとなった。
 そんな妙に重い沈黙が、どれだけ続いた後だったろうか。
「……。急いだ方がいいな」
 リオはやはり小さく呟くと、ふと植木が点々と並びゆく中庭の奥まった方へと静かに視線
を移しながら言う。
「あの先、奥から三番目の石像の首を回せ。城外への脱出路に繋がる」
『──!?』
 それは紛れもなく“逃げろ”の合図だった。
 その言葉に、最初ジークを含めた面々はピンと糸を張ったように驚きで身体を硬くしてい
たが、ややあってその反応は怪訝と希望で半々になる。
「罠じゃ、ないんですね……?」
「な、何を言ってるんだ、相手はリオ様だぞ?」
「だからこそ、だよ。リオ様は権力争いを嫌って随分昔に国を出て行った筈じゃないか。な
のに何で今こんな所にいるんだ? 怪しいと思う方が自然だろうが」
「だからって……。本人の前で言うことじゃ──」
 ざわざわと、面々の中でも意見が割れているようだった。
 だがそれよりも、ジークは不思議な思いが強かった。
(何でさっきからこいつらは“剣聖”のことを様付けしてんだ? そりゃあ確かに同族出身
の七星ってのは誇り……なのかもしれねぇけど)
 しかしそんな怪訝は後だ。
 実際問題として、今は自分はろくに動けない。このまま皆でじっとしていてもいずれは見
つかってしまうのは目に見えている。ならば……。
「……分かったよ」
「え?」「兄、ちゃん?」
 次の瞬間、ジークはふぅと腹を括るように大きく息をつき、
「俺はあんたを、その言葉を信じることにする」
 そう、態度を決めかねる面々を代表してみせた。
「本当にいい……のか?」
「まぁ、兄ちゃんがそう言うなら……」
 そんなジークの判断に面々は少なからず驚いていたが、程なくして彼らはその意思に従う
旨を示し出した。
 まだ深手で動けないジークを体格の良い数人が騎馬戦の要領で担ぎ上げ、その周りを残り
の面子がぐるりと囲む。カチャリと、彼らの携行する武装の金属音が夜長の中庭に残響して
は草木に吸収されるが如く消えてゆく。
「よし、行くぞ」
「リオ様、ありがとうございます」
 そして一行はリオが指し示した方向へと駆け出し始めた。
 ある者は半信半疑なまま、またある者はかの同胞出身の英雄に敬意を示し。
「……剣聖、リオ」
 そして彼らに担がれたジークは、深手の身体でこの混沌の場から脱しようとしながらも、
肩越しにこの突如として現れた“剣聖”へと最後まで怪訝を燻らせた眼を送って。
「…………」
 ややあって、彼らの姿は見えなくなった。夜闇の中に掻き消えていった。
 その姿が失せてからも暫くの間、リオは時折夜風が吹く王宮の中庭に一人立ちぼうけるよ
うにして居残っていた。
「……。さて」
 だがそれは、何の意味もない所作ではなかったのである。
 リオはまるで、ジーク達が感知の外に出ていったのを確認したかのようにふとその身を翻
すと、人気のなかった筈の中庭の夜闇に向けてザッと形なき覇気で辺りを睨み付ける。
『──ッ、ァ!?』
 するとどうだろう。
 まるでその威圧に炙り出されたかのように、次の瞬間、周囲の物陰からふらりと倒れ込む
人影達が続出したのだ。
 いや、人ではない。
 全身を黒衣で包んだ、被造人(オートマタ)の兵士達。かの“結社”が放つ量産の雑兵ら
だった。
 それでも、全てが倒れた訳ではなかったらしい。
 あたかも欠けた兵力を補うように、物陰から十体二十体とまた新たな傀儡兵らが次々に姿
を見せると、じわりじわりとリオを取り囲んできたのである。
「……被造人(にんぎょう)如きで俺を止められると思ったか? ……精々牽制程度、か」
 それでもリオは、全くといっていい程に動じていない。
 むしろ両手甲から迫り出した鍵爪を構え出す彼らを値踏みするように、ゆたりと夜闇の黒
に自身の服装を、気配を紛らせながらそんな呟きを漏らしている。
 最終的に、傀儡兵らはざっと五十体程に膨らんでいた。
 二重三重に、包囲を敷く彼ら傀儡兵達の円陣。
「悪いが、ここで朽ちて貰う」
 しかし尚も、彼の者に一切の焦りの色は無く。
「彼を──死なせる訳にはいかないのでな」
 この当代最強の剣客は、腰に下がった太刀の柄を撫でると、そう静かに持ち上げる。

 魔導と機巧技術。
 今日のセカイを支えるこの二大技術は、互いに補い合い、実に様々な場面で私達に恩恵を
与えてくれる。
 時は前後して、ソサウ城砦内の医務室。
 その一角に設置された治癒液房(ヒーリングカプセル)の回復液の中に裸の全身を預け、
ユイはじっと、ジークとの交戦で深手を負った身体の治療を受けていた。
 目元口元を覆うマスクとシュノーケル状の器具、カプセル内の四方八方で輝いている金色
の魔法陣。回復魔導の力と光をいっぱいに受けた回復液は静かに装置内部で循環を繰り返し
ながら、傷付いた身体をゆっくりと、温かな熱を帯びつつ再生させてゆく。
「…………」
 そうして回復液の中に浮かんだまま、ユイはぼうっと先の交戦を振り返っていた。
 間違いなくあの青年は、父(あいつ)を知っている。
 なのに居場所を吐かなかった。吐かせようとしたが結局それは果たせず、今に至る。
 レジスタンス側からの投降者だと、自分は聞いていた。
 にも拘わらず、彼当人はそれを否定して──加えてあいつに否定的な素振りまでみせてい
たように、自分には思えた。
『そんなに……っ、あのおっさんが憎いってのか』
 それなのに。それなのに、ふと気付けばまるで彼はあいつを庇うように……いや、まるで
自分を含めた私達を“説教”しようとしていた。それが、何より癪に障った。
『平等に、ねえ……。要は態よく使われてるだけじゃねぇか』
 ぎりっと、シュノーケルを含んだ口の中、悔しさや怒りを思い出して歯を食いしばる。
 目の前をボコボコと気泡が上がっていった。ぼうっとしていた思考が徐々にはっきりとし
始めるのが分かる。
(……貴様に、一体私達の何が分かる?)
 身体を覆う浮遊感とはある意味真逆の、ズシリと内面を覆う重み。苦痛の思い出達。
 ユイは、あの場で叫んだ言葉をもう一度、心の中で繰り返す。
 ──アズサ皇の政権が誕生したあの日、自分はまだ幼い子供でしかなかった。
 母も、軍人の妻という肩書き以外はごく普通の女性であったと記憶している。
 あいつも分かっていた筈だ。いや分からない理由などない。
 “負けた”時点で、もう私達は「官軍」ではないのだ。
 なのにあいつは家族を見捨ててまで『先代への忠義を貫く』と言い、文字通り「朝敵」へ
と堕ちていった。
 その妻子である自分達がその後、自身の選択によりどんな辱めに遭うのか?
 そんなことぐらい、予想できていた筈なのに、だ。
 結局、程なくして母は失意のままにこの世を去った。残された自分は“敗残者の子”とし
て長らく陽の目を浴びることはなかった。
『キサラギ……? 関係ないわ。貴女は試験に通った。それだけの実力があると私達に示す
ことができた。私が貴女を拒む理由が何処にあるというの?』
 一時はあいつ同じく、政権を引っくり返したアズサ皇を恨んだこともあった。
 あいつをこの手で討つ。そして母さんの無念を晴らす──。
 だけど、その為に皇国軍への仕官に臨んだあの日、そのアズサ皇は自分があいつの娘だと
書類に目を通して知っても尚、そう平然と言い放ったのだ。
 不幸中の幸い。
 あの時ほどこの言い回しを痛感したことはない。
 皇は自分と同じだったのだ。
 陰湿な柵を嫌い、ひたすらに実直に強い国となることを、人が育ってゆくことを願ってい
る人だったのだ。
 だからこそ、私は今まで頑張ることができた。
 血筋など関係ない。肝心なのは、私が何を成すのか。その一点だと信じることができた。
『──やっぱ、お前らは父娘(おやこ)だよ』
 なのに……。なのに、あの青年は決め付けるように言った。
 自分があいつと同じ? 馬鹿を言うなと思った。
 だから聞く耳など持たず、この脱走者を捕らえる──そして知っているであろう、あいつ
の居場所も聞き出すつもり……だったのに。
「……」
 何故、自分はあの時、彼の言葉を真に受けてしまったのだろう。
 部外者の戯言。人の悪意を知らぬ奇麗事。
 そう断じようとしたのに、あの時私は怒りに火を灯してしまっていた。結果、あいつの思
わぬ気迫に隙をみせてしまった。
『……お前の“守りたいもの”ってのは、所詮そんなもんなのかよ!?』
 ゴポッと気泡が上っていく。また思い起こされて眉間に皺が寄る。
(守りたい、もの……)
 あの時はただ怒りに──そう、私怨に任せて奴を仕留めようとしていた。
 元より彼はレジスタンスの関係者。あの場で逃がす訳にはいかないと結論付けてもいた。
 だけど……この胸の中の揺らぎは一体何なのだろう?
 敵を敵を思うことがそんなにいけない事だと、貴様は主張するつもりだとでもいうのか。
 私が、守りたかったもの。取り戻したかったもの。
 ならこの剣は。私は、一体──。

「はい。終了で~す!」
 そんな時だった。はたと聴覚にビーッと鳴り響くアラーム音と、それまでカプセルの傍で
装置を操作していた医務室の係員が声を掛けてくるのが聞こえてきた。
 ハッと、ユイはそれまでの思考を寸断されるように我に返った。
 じわじわと見えなかったものが形を成そうする、その直前でそれらは再び霧散してゆく。
そんな感覚が、あたかも目の前で映し出されるような錯覚がした。
「それでは、回復液を抜きますね。アームに背を預けて下さ~い」
 それまでカプセル内を照らしていた金色の魔法陣──聖魔導の術式が消え、回復液も本来
の無色透明な色となりつつ、ゆっくりと配管を通って外へと流れてゆく。
 背後のアームに支えられながら、ユイはそっと、浮力を失ったカプセル内に立っていた。
「お疲れさまです~。具合は如何ですか?」
「……随分楽になったわ。ありがとう」
 係員の操作でカプセルが開き、ユイはその足でマットの敷かれた外に出た。
 白衣に身を包んだ、おっとりしたこの女性係員の声掛けに(正直余裕がなく)素っ気無い
態度で答えると、そのまま近くの棚に置いてあった着替えとバスタオルに手を伸ばす。
 返答自体は間違ってはいない。
 あれだけ彼に斬り伏せられた筈の傷は、跡こそまだ残っているもののしっかりと塞がれて
おり、まだ強いて身体が感じているのは急ピッチで治療したが故の反動──妙な疲労感くら
いなものなのだから。……魔導と機巧技術の融合、さまさまである。
「皆は?」
「外でお待ちです。皆さん少尉のこと、大層心配しておられましたよ?」
「……。そう」
 そんな状況把握を二、三挟みながらユイは手早く濡れた身体を拭い、替えの軍服に袖を通
していた。直前までの思考もある。彼女からの報告もある。表情は自然と引き締まった。
「──隊長!」
 医務室のドアを開け、待合スペースの廊下に出ると、不意にざわっと隊の面々が顔を上げ
てきた。一様に見られるのは安堵の色。彼女の言っていた通り、確かに心配してくれていた
らしいことが否が応にも分かる態度。
「ご、ご無事ですか?」
「傷の程は……?」
「もう大丈夫よ。それより」
 近付いてゆくと隊士らは立ち上がり、一斉に負傷の如何を訊ねてくる。
 しかしそれでもあくまでユイは“冷静”だった。
 少々面倒臭いといった素振りを見せつつ、彼らの一人から預かって貰っていた得物を受け
取ると言い放つ。
「……どうして脱獄者達を追いかけなかったの?」
「えっ」「それ、は……」
「確かに、医務室(ここ)に運ばれなかったらどうなっていたか分からないわね。それに関
しては礼を言っておくわ。でも、それは全員でやるべきことだった? せめて半分は逃げる
彼らの追撃に割くべきだったんじゃない?」
 隊士らは黙り込んでしまっていた。
 隊長の無事を知った安堵から一転して、その彼女自身から受ける叱責に小さくなる。
「いい? 私達は結果を出さないといけないの。他のどの隊よりも確実に。……それは貴方
達だってよく分かっている筈だけれど」
「……はい」
「す、すみません……」
 気持ちは分からないでもない。
 自分達は国の同胞より敗残者として除け者にされてきた“同士”ではある。
 だがしかし……今自分達の属する此処は、その傷を舐め合う為の場所ではないのだ。
「……。ともかく、すぐに私達も他の隊と合流するわよ。まだ奴らは城内にいるわよね?」
「は、はいっ!」
「出入り口は既に封鎖が完了していますので、現在警備兵総員で手分けをして捜索網を狭め
ている段階です」
「分かったわ。……行きましょう」
 次の瞬間、隊士らの返事が綺麗に重なった。
 そんな面々を引き連れ、腰に差し直した得物──その柄に巻きつけたネックレス型の魔導
具をナチュラルに発動させると、その全形を不可視にする。
 正直を言えば、まだ身体は疲れが残っていた。
 だけどそんな甘い事は言っていられない。取り逃がしたその分を、埋め合わせなければ。
(次はないわよ。……反分子(レジスタンス))
 それは宣言でもあり、自分自身への鼓舞でもあった。
 自分達“反分子の血”たる者に許された居場所など……そう多くはないのだから。

「んっ、しょっ……と」
 リオの言葉に偽りはなかった。
 指示された通りに中庭の奥に並ぶ石像の首を回してみると、ゴゴッと音を立て、すぐ傍に
地下へと続く隠し通路が口を開けたのである。
 互いに顔を見合わせてから、面々はえいやと一歩を踏み出し、暫くの間、足元が水気でぬ
めりと湿った薄暗い通路を往く。
 やがて行き着いた先は、鉄格子の付いた巨大な排水溝の出口らしかった。
 だが古びていた為か、水で錆びていた為か、格子自体はぐぐっと力を込めてやると思いの
外簡単に外すことができた。
「……外に出られた、のか?」
「ああ。多分な」
 先に何人かが出口から軽い段差を飛び降り、周囲を見渡してみる。
 只々視界に映るのはあばら屋の立ち並ぶ、高い石壁で遮られた軒の低い町並みだ。
 どうやら、脱出口となっていることに間違いはないらしい。
 それを確認すると、彼らはジークを担いでいる者らを含めた背後の仲間達にオーケーのサ
インを出し、後に倣わせる。
「……何処なんだ、此処は?」
「う~ん。多分王宮の外、城下の何処かだとは思うんだけど」
「……。スラムだよ」
 浅く浅く濁った水の流れる排水路を通り、近場の梯子から町並みの中へと。
 彼らに担がれたまま、そうジークがそんな周囲の景色を見渡しながら呟いていると、ふと
面々の内の一人が何処か顔を顰めた。
「スラム? 皇都にそんな場所があるのかよ」
「現に此処がそれだ。それに……むしろ都だからこそ、こういった場所が出来てくるとも言
えるんだよ」
「まぁな。とりあえず都に出てくれば……ってのはあるし」
 なるほど。確かにこれなら脱出先の隠れ蓑にもなる。
 そうジークは小さく頷き納得しつつも、一方で内心、胸糞悪さも感じていた。
 以前道中で、街に出て行ったままの息子を亡くしたあの老夫婦のことを思い出す。
 加えて今こうして目の当たりにする、物理的な──そして多分、精神的な──“壁”が酷
く人を分断しているかのようにも思えて。
(結局、都だろうが他の街だろうが、こういうのは変わらねぇってことなのか……)
 ジークは思わずギュッと悔しさに唇を噛む。
「……ッ。皆、構えろ」
 ちょうど、そんな時だった。
 ふと全身を刺しだした気配──いや、殺気や憎悪に近い感触。
 面々が得物に手を掛け始めたのとほぼタイミングを同じくして、ざっと三十人近くいるで
あろう、如何にもアウトローという風体な男達があちこちの物陰から姿をみせたのだ。
『……』
 相手側の得物は木や金属の棍棒、ボロボロの古びた剣といった粗末なもの。
 武装だけでみれば劣りはしなかったが、何分此処は間違いなく相手のテリトリー。何より
どう見ても民間人の彼らにいきなり武力を振るうのは抵抗がある。
 暫くの間、取り囲む側と囲まれた側、双方は言葉少なく睨み合っていた。
 それでも相手の方はやる気満々らしく、じりじりっと、少しずつ得物を揺らして距離を詰
めようとしている。
 どうする? いや駄目だ。
 面々は互いに目配せをしていたが、やはり積極的な防衛に先んじるのを躊躇っていて。
「──止めんか。お前ら」
 だが、救いの手は思わぬ方向からやって来たのだった。
 ピシャリと、しゃがれながらも矍鑠(かくしゃく)とした老年の声。
 一同がその声のした方を見遣ると、そこには杖を突いた、如何にも気の強そうな老婆と彼
女をフォローするように男女が数人立っていた。
「御婆(おばば)……何で?」
「こ、こいつらはッ」
「落ち着かんか。いきなり襲い掛かってどうするね」
 どうやらこの老婆は彼らのリーダー格でもあるらしい。
 アウトロー風の男達は沸々っと戸惑い気味に叫びかけるが、彼女は再び制するように言い
放つと、サッとこの事態に目を瞬かせている面々──服を出血の赤で汚したままのジークへ
と視線を向けて数拍、目を細めていた。
「……さてと。話なら家でゆっくり訊くとしようか。どうやらそっちには中々の怪我人も交
じっているようだしねぇ?」
 そして彼女は供の者達を伴いゆっくり背を向けて歩き出すと、肩越しにジーク達を見遣り
ながら、そう有無を言わさぬ促しを向けてくる。

 試しに百体の傀儡兵を差し向けたのだが、その内半数以上が戦闘開始前に、残りはものの
一瞬の一太刀の下に倒され、滅していた。
「……こいつあ、予想してた以上だな」
 暗がりの中に浮かぶ魔導の光球。その中に“剣聖”がこちらからの刺客をあっという間に
殲滅する様が映し出されていた。
 ジーヴァら“結社”の面々がその一部始終を監視している中、ひゅうと小さく口笛を吹い
て、それでもバトナスは荒々しく笑いながら呟いている。
「伊達に現役の七星というだけはあるねェ。これは中々の支障になりそうだよォ?」
「うーん……。大丈夫かなぁ?」
「……はぁ。面倒臭ぇな」
「何。別に彼を倒すことが目的じゃないんだ。ちょっと遠ざけておければそれでいいさ」
 面々はそれぞれに懸念や嘆息、楽観を口にしていたが、それもすぐにはたと止まる。
 映像(ビジョン)の向こう──夜闇の中庭で、一太刀の下に傀儡兵らを滅ぼしたリオがふ
いっと、間違いなくこちらへとその細めた覇気の眼を向けてきたのである。
 思わず、バトナスとフェイアンが眉根を寄せた。
 その横で、先刻から光球を出していたフェニリアがふぅと息をつくと、手早くその遠隔視
の魔導を中断する。フッと光球が消え失せると同時に、辺りの暗闇が静かに濃くなる。
「……勘付いていたみたいね」
「元より牽制のつもりだ。特に問題はない」
 彼女はやれやれと呟いていたが、一同の中心であるジーヴァは全くといっていい程に動じ
ていなかった。
「まぁそうだろうけどよ……。いいのか、トナン皇に伝えなくて? これであいつは俺達に
とって邪魔者だと確定した訳だが」
「その必要はない。もうあの女の役目は残り僅かだ」
 代わりに彼はバサリと着込んだ黒コートを翻すと、言ったのである。
「……贄と六振りは揃った(じゅんびはととのった)。始めるとしよう」


 アトス連邦朝王都・クリスヴェイル。
 かの志士十二聖の一人“忠騎士レイア”生誕の地であり、尚且つ彼女が大戦の後、同郷の
伴霊族(どうほう)らと共に同国の建国にも貢献したことから、時の国王が彼女にあやかり
この地の名をその姓に改めたのだという。
 元々はいち地方都市に過ぎなかったこの同国北中部の街も、古の英雄ゆかりの地という謳
い文句も相まって、今日は北方──いや、顕界(ミドガルド)随一の大国の都として繁栄の
只中にある。
「──お願いします。どうか力を、貸して下さい……!」
 だがその日、この北の都は人知れず静かな衝撃を受けていた。
 場所は都の中枢、国王ハウゼンの座する王の間。
 王は勿論の事、有力諸侯らが一堂に会するその場で、彼らに向かって深々と頭を下げてい
たのは、礼装用ヤクランに身を包んだ他ならぬシノブだったのである。
「陛下。私からもお願い致します。彼女達(ともら)を……救いたいのです」
『…………』
 その傍らで同じく頭を垂れているのは、礼装姿のセド──エイルフィード伯。
 だが、場に居合わせた面々は皆すぐに返す言葉を見つけられず、只々目を見開いて唖然と
するばかりだった。
 無理もない。
 先日、セドらから『件の飛行艇爆破テロに関して重大な報告がある』との連絡を受け、何
事かと王都に直参してみれば……神妙な面持ちで彼が彼女──シノブ・レノヴィンもとい前
トナン皇の実娘、シノ・スメラギ皇女を連れて来たのだから。
 出席した諸侯ら(そしてハウゼン王もおそらく)は大いに戸惑い、動揺していた。
 二十年前、トナン皇国で発生したクーデター。
 その際に先代夫妻と共に殺害されたとばかり思っていた東国の皇女が、長い時を経てこう
して今、自分達の目の前に姿を見せている。
 最初は、作り話ではないかと疑った。
 しかし彼女が見せてきた──皇族であることを隠す為に普段は人目に触れないようにして
きたというトナン王家の紋章(エムブレム)や、彼女から語られるクーデター当時の詳細な
記憶は当事者、その本人であったからこそ語れるものばかりで……。
「……エイルフィードよ。話してくれるな?」
「はい」「も、勿論です」
 何故? どうして今になって?
 彼らは勿論というべきか、此度の謁見の場を設けたセドと力添えをした側の諸侯らに慌て
て詰め寄っていた。
 都の主、名君と称されるこの壮年の国王も玉座に着いたまま、じっと今回の事態を冷静に
見守ろうとする眼差しで、セドにシノブに、詳しい事情を話すよう促す。
 そしてシノブが、時折政治的な部分を補足すように交替してセドが語る、二十年前から現
在に至るまでの彼女達の受難の真実。
 あの日、命辛々皇国(そこく)を脱出してこの北方の地へと逃げ延びたこと。
 そこで出逢った、当時若き冒険者だったコーダス・レノヴィンやセド達仲間(とも)らと
絆を深め、必死に運命に抗おうとした日々。
 その奮闘の後、コーダスという愛する人と結ばれ──降嫁し、長らく一人の女性として、
二児の母として、セドらに見守られつつこの国の片隅で暮らしてきたこと。
 そして何よりも……今回の“結社”による件の爆破テロ──実の大叔母・アズサ皇の全世
界を相手にした策略の中で、再び自分達が、あまつさえ息子達があの日々の残滓によって危
機に瀕していること。
 それらこの二十年間ずっと抱えていた全てを、彼女は辛酸の記憶と共に告白していて。
「……にわかには信じられぬ話、だが」
「謀られていたというのか? 我々は……」
 諸侯らは深々と眉間に皺を寄せつつ、セドらシノブ擁護派の面々が配ってきた膨大な資料
の山──彼女の語る記憶を裏付ける証拠の数々と睨めっこをしていた。
 まさか“結社”への報復、対決を表明していた他ならぬアズサ皇自身が彼らと繋がってい
るとは、想像していなかった。
 そして同時に恐ろしくも思えた。
 自国の……いや、我が国の領民を犠牲にしてまでそんな謀を巡らせるとは。
 よほどアズサ皇は自身が打ち倒した筈の彼女達──レノヴィン一家を目の仇にしているら
しい。少なくともそれだけは、はっきりと認識できる。
「しかし如何するつもりだ? アズサ皇が“結社”と手を結んでいると把握できても、それ
を世界に認めさせねば“大義”はあちら側にあることに変わらぬぞ」
「それは重々承知の上です。ですので陛下には、皆々方には、表向き“結社討伐の戦いに加
勢する”という名目を取って頂きたく思います」
「ふむ……。相手の策を逆手に取る、か。ならば、お主らには既に相応の用意ができている
のであろうな?」
「はい。この時の為に、私達は今まで“力”を蓄えて来ました故……」
 白い顎鬚を擦りながら、ハウゼン王がセドらを見下ろして呟いていた。
 やはり賢明な方だ。セドはこのやり取りの中で、自分の意図を汲み取ってくれているこの
王を素直に尊敬できると思った。
 シノブが、今まで彼女の為に共に力を尽くしてくれた諸侯(めいゆう)達が、緊張した面
持ちで事の成り行きを見守って──王からの助力の許可が下りるのを待っている。ハウゼン
王も「宜しい」と小さく頷き、じっと自身の中で思考を詰める様子が窺える。
「お待ち下さい。陛下」
 だが、そんなセド達を遮る声があった。
 セドらが、ハウゼン王が振り向くと、そこにはブロンドの髪をオールバックに撫で付けた
礼装の壮年貴族が用意された座席に着いていた。
 サヴィアン侯爵。王都に程近い領地を治めている、古参の有力貴族の一人だ。
 その周りには、まるで引き連れられたように新旧を問わぬ諸侯らがずらりと肩を並べてい
るのが見える。
 王にはあくまで恭しく一礼を。だがセドらにはニタリと密かに口元に弧を描いて。
 彼は再度ハウゼン王に向き直り立ち上がると、朗々と反論を語り始めた。
「陛下、どうか冷静な英断を。今、我々は騙されたと判明したのです。いえ……騙されてい
るのです。当人が先程打ち明けた通り、エイルフィード伯は全てを知っていたのです。二十
年も前に我が国に皇女シノ様が亡命された、その事実を秘匿してきた。あまつさえ今回、彼
の国の内乱に付け入る口実としようとしている。……いや、それより我々を、何よりも陛下
をも欺いてきた彼らの行為は陛下への不敬でありましょう! 彼の者の罪、万死に値するの
ではありませぬか?」
 言い放つサヴィアン候。
 すると、まるでその“演説”を合図とするかのように、周りの諸侯らが「然り!」と次々
にセドらに非難の大合唱を始めたのである。
(なるほどねぇ。やっぱそう来やがったか……)
 ハウゼン王は黙っていた。シノブや、味方してくれている諸侯らは戸惑っていた。
 大きく王の間に響くサヴィアン候らの声。確かに人数では向こうの圧倒的にアドバンテー
ジを有している。──数の暴力を備えている。
 心の中で、セドは小さく舌打ちをしていた。
「惑わされてはなりませぬ。我々はこの国を治める者。俗世に塗れた私情で以って国軍を動
かす事などあってはならない筈です!」
 だがこの反論は、かの有力貴族の性格からして予想の範囲内だった。
「──……うるせぇんだよ。この狸ジジイが」
 フッと一瞬。ほんの一瞬だけセドは口元に弧を描いて、サヴィアン候が得意気に“演説”
を語る中を遮り返していた。
 しかしその口調は、まさに豹変していた。
 サヴィアン候当人を始め、思わず周りの諸侯らがぎょっと目を見開き、驚いている。
「エ、エイルフィード伯!?」
「な……何という汚い言葉を! お、王の御前だぞ!?」
「汚いだ? てめぇらが言えたクチかよ。……それに、元々俺はこんな喋り方だっての」
 しかしセドは敢えてその“素の自分”を引っ込めようとはしなかった。
 驚いているシノブと、味方の諸侯達。
 そんな彼女達にセドはニッと肩越しに笑ってやると、再び真面目な、しかし威圧感のある
表情(かお)に戻ってサヴィアン候らを睨み付けて言う。
「てめぇらこそ、恥を知れ。二十年前のあの時、その小せぇ手前勝手な保身と我欲でどれだ
けのトナン人が──いや、俺達すら把握できていない数の人間が人生を狂わされたか。その
引き金に関わったのは何処のどいつだ?」
『…………』
 サヴィアン候らはより一層、目を見開いて黙っていた。
 視線こそは彼らに向けられている。
 だがその言葉はきっとシノブに、いやきっとセド自身に向けられていた筈で……。
「国を守るってのは、何も“見捨てる”だけじゃなかった筈だろうが。国を治めるってこと
はそうやって人間を“数字”にすることじゃねぇだろうが。……少しでも多くの、出来うる
限り全ての人間を、幸福にする。その為に俺達王侯貴族は存在を許されているんじゃねぇの
かよ?」
「セド、君……」
 その時、シノブは確かに見た。
 窺えたセドの横顔。
 その噛み締める唇に、血走った両の眼に、確かな悔しさと憤りが映っていたことに。
 ──それは、強く燻り続ける後悔だった。
 かつて親友(あいぼう)達と共に守ろうとしたもの。
 だがその者達、その全てを自分達は救うことができなかった。
 シノブという何よりの仲間(とも)にも、長らく辛酸を舐めさせてしまった。
 ひっそりと、隠れるように生きることしかさせてあげられなかった。
「あの時のてめぇらはその為にある“力”を使わなかった。……使わないで逃げたんだ」
 だから、せめて俺達は──。
 シノブは思わず唇を噛み締め、零れそうになった声を、咄嗟に手で口元を覆うことで何と
か防いでいた。
 だけども、その代わりに強く揺らめき出したのは……瞳の奥の涙腺で。
「奇麗事を……! 貴公は彼女(たったひとり)の為に自分を捨てる気か!?」 
「当たり前だ! 奇麗事がそんなに悪いのかよ!? 人っ子一人も助けられないような人間
が領主なんぞ務められるか!」
『……ッ』
 無論、擲つ。
 それは迷いの無い意思だった。
 だがかつての悔恨をその理由としていても、あまりにも違い過ぎたのかもしれない。
 この目の前の、顕界(ミドガルド)随一の大国を動かしていると自負する“貴族”の群れ
とは。
 だからこそ、双方共に驚いていた。
 サヴィアン候らも、涙目寸前のシノブと彼女を囲む味方な諸侯らも、一見する限りは。
 両陣営は、たっぷりと暫くの間睨み合っていた。
 片や国を治めるという実利にどっぷりと浸かった──セド曰く手前勝手に纏まっただけの
現実主義者。
 片や大切な仲間(とも)の為に闘うと豪語し、実際にその為に貴族としての力を蓄積して
きた──サヴィアン候曰く奇麗事に浮かされた理想主義者。
 果たしてどちらが“正しい”のか。
「くっ……!」
 或いは、どちらも……。
「狂っておる。狂っておるぞ! そもそも貴様は、以前から──」
「口を慎め。サヴィアン」
 だがその火花は、一先ずそれまで黙していたハウゼン王の一声によって鎮火させられた。
 大きく頭を振ってサヴィアン候が叫ぼうとしたちょうどその時、王がピシャリとその一言
で以って彼を押し留めたのである。
「へ、陛下……? な、何故です!? 彼はッ!」
「聞こえなかったか? 慎めと言っておる。確かにお主の言うことも一理あろう。守る為に
捨てるという選択も……時には迫られるかもしれん。……だがな。私は目の前の姫君を尻目
に皇国(かのくに)を語るほど、愚かなつもりはないぞ?」
 目を見開いて、サヴィアン候とその取り巻き的な諸侯らは、暫し唖然とハウゼン王を、向
かい合うセド──その背後で唇を結んでいるシノブ達を見つめていた。
 一方のセド当人も王の一言で頭が冷えたのか、いや「計画通り」と僅かにほくそ笑んだの
か、若干の俯き加減で怒気を収めたように見える。
 しんと、しかし戸惑いが燻っている王の間。
「……良かろう。エイルフィード……いえ、シノ殿下。此度の祖国とご子息の危機、我が国
として一肌脱ぐと約束致しましょう」
 その中で、ハウゼン王は臣下らのやり取りを経て、国主としての決断を下していた。
「ぁ……。ありがとう、ございます……!」
「……御英断、恐悦至極に存じます」
 シノブが、セドを始め擁護派の諸侯らが一斉に深々と頭を垂れる。
 サヴィアン候らはその判断に不服そうなのは明らかだったもの、既に流れは完全にセドの
側に傾いていた。
 無言でぎりぎりっと悔しさを滲ませた視線が彼らから送られる中、平静を取り戻したセド
はそれらを柳に風と受け流している。
「しかしエイルフィードよ。そう今すぐにとは行かぬぞ? 表向きの事もある。正規の手順
を踏まねばな。先ずは評議会を召集して決議を経なければならん」
「はい、存じております。ですが陛下、その前に」
「うん?」
 話は、次の段階に進もうとしていた。
 肘掛けに置いた片手を持ち上げ、ハウゼン王が思案顔で口元を擦り始める。
「……その前に。もう一つ、陛下に提出するべきものがございます」
 するとセドは再び王に恭しく頭を垂れ敬礼すると、ふとそんな言葉を口にしたのだった。


 ジーク達の脱獄騒ぎから一夜が明けていた。
 しかし当の本人らは結局行方を眩ましたままで、未だに見つかっていない。
 城内の出入口は確かに封鎖した筈。なのに……一体どうやって?
「…………」
 故に、玉座に着くアズサの機嫌はすこぶる悪かった。
 理知的を自称するがため、彼女はあからさまな怒りを臣下に当り散らせることこそはしな
かったが、既にその全身から漂う威圧感はいつにも増して強くなっており、王の間に参じて
は適宜の報告を上げる彼ら臣下の内心はきっと怯えを多分に含んでいたと言える。
(全く……。これだけ兵力(かず)が居るのに見つけられないなんて)
 肘掛けに突いた片腕、その軽く握った拳を額に押し当てながら、アズサは報告を聞きつつ
密かに思考する。
 キサラギ少尉によって、今レノヴィンは重症を負っている。
 そう遠くには行けないだろうし、無茶な真似もできない筈だ。
 なのに、実際は忽然と行方を眩ましてしまっている。こちらが警備兵らを動員して城内を
隈なく探させたにも拘わらず、だ。
(こんな時に限ってジーヴァ達の姿もないし……。使えない奴ら)
 彼らを暗躍させて捜索をとも考えたが、肝心のその姿をここ何日か自分は見ていない。
 元より神出鬼没、大っぴらに使うことのできない相手ではある。
 根っこから(お互い)信用していない同士ではあったが、いざ利用すべき時に呼び掛けに
も応じてこないのは正直癪に障るし、何とも……不気味だった。
「──そういう訳でして。一夜明けて未だに姿を確認できていないとなると、既に城外へと
出てしまっている可能性も考慮するべきではないかと思われます」
「そうね……。捜索範囲を城下にも拡げましょうか。但しあくまで脱獄犯という情報は伏せ
ておくこと。王宮(わたしたち)への信用にも関わることだし、何より潜んでいるかもしれ
ない彼らを刺激しかねないわ」
「はっ……。畏まりました」「すぐに取り掛からせます」
 結局、実際的な選択肢はそうして捜索の範囲を拡げるということぐらいだった。
 正直な所を言えばプライドを穢された気分だったが、このままあの“不穏分子”を野放し
にしておくのはもっと拙い。
 アズサが決断を下すと、臣下達から兵士らへとその意思決定が伝えられ、すぐさま捜索網
の拡張へと各種実務が執行され始める。
「……分からないわね。城下に逃げたとしても、一体どうやってこの警備網から抜け出した
のかしら」
「実際に捕まえればいい。詮索は後、だろう?」
 そんな臣下らの忙しない右往左往を玉座から眺めつつふと呟くと、思わぬ方向から反応が
あった。
 ちらっと、その声の方向──柱の一つに背を預けてそれまでじっと黙り込んでいたリオの
顔を見る。黒い上着用のヤクランと太刀。寡黙だが油断ならない猛者の眼が自分を見つめ返
してくるのが分かる。
「囚人の中にはレジスタンスのメンバーもいるのだったな? 城内に詳しい者が混じってい
ても不思議ではないと思うが」
「……。そうね」
 厄介な。もう何度目かすら数えるのも億劫なほどに、アズサは苦々しい感触を抱いた。
 旧臣の輩もあの連中には少なからず加わっている。可能性は十分にあるだろう。
「いつまで……彼らは私達を愚弄するつもりなのかしらね」
「……」
 どうにも、胸の奥がざわつく気がした。
 アズサは次の瞬間には弟(リオ)からフッと視線を逸らすと、中空を見遣って誰にともな
くそんな呟きを漏らす。

 ──あれは、何時の頃だったか。
「リオが……帰って来た?」
 そう。五年ほどが経っていた。
 自分達がこの国をより強く豊かにする為に立ち上がり、ようやくその政権運営も軌道に乗
るようになって、構想・実務共に次の段階(ステージ)へ進もうとしていた頃だった。
「は、はい……。今、城砦南正門の方に」
 弟が、帰って来たのだ。
 随分と前に皇国(くに)を出て行ってしまい──そして今や、当代屈指の剣豪の一人とし
て、冒険者達や庶民の間で語られるようになったリオが。
 私は、慌てていた。戸惑っていた。
 執務室のデスクに着いていた身を起こし、書類の山がその際に崩れるのも気に留めること
もできず、私は大慌てで報告に来た臣下達に訊ね返す。
「どうしてあいつが……」
「わ、分かりません。ただ“姉者──陛下に会いに来た”と仰っているようで」
「如何、致しましょうか?」
 やはりというべきか、狼狽していたのは彼らも同じであったらしい。
 私は数拍、躊躇いを多分に含んで言葉が出なかった。
「……通しなさい。但し城下ではなく城砦内を経由させて。今騒ぎになったら拙いわ」
 だが、それでも何とか浮遊を始めようとした冷静さを引き寄せ直し、私はそう指示を飛ば
していた。
 真意は会ってみないと分からない。
 畏れ? 後ろめたさ? ……馬鹿馬鹿しい。そんな臆病風に吹かれて皇が務まるものか。
「お、お連れしましたっ」
「……入りなさい」
 暫くして、執務室のドアを叩く上ずった声。
 案内してきた警備兵らを下がらせ、私は秘密裏に弟と十数年ぶりの再会を果たしていた。
「……」
 歳月はたっぷりと経っていた筈だ。
 それでも一目見て間違いなく弟(リオ)だと確信できたのは、お互いの血の繋がり故だっ
たのだろうか。
 それでも……かつての記憶にあった昔と目の前の現在の姿とは、彼は随分と違ってしまっ
ているように私には思えて、私は暫くまじまじと視線を上げて観察してしまう。
 ボサボサに伸び散らかしたままの無造作な黒髪。
 贅肉一つなく、一見すると痩せ過ぎにも見えかねない、コンパクトに引き締まった身体。
 着古したヤクランの上着と、腰に下げた長太刀の黒。
 そして何よりも──その表情(かお)からは“輝き”が失せていたように思う。
 まだ私もあの頃は決して大人だとは言えなかった。
 それでも、この弟が皇族である事を、皇位継承権すらも捨ててドロップアウトし、国を出
て行ってしまった時は、私も少なからずショックだった。
 それから、こうして十数年。
 幼い頃、女傑族(アマゾネス)として己の武芸に磨きを掛けることを人一倍愉しみ、誇り
を持っていたあの頃の輝く貌(かお)が……今はすっかり見られなくなっていて。
「久しぶりだな」
「ええ。……久しぶりね」
 ぎこちなく。再会して最初のやり取りは、そんな無難ものだったと記憶している。
 何故かチクリと、細かい棘が無数に付いた針を胸に刺されるような、そんな感触がした。
 もしかしてと脳裏に過ぎった。だけど“それ”だけは絶対に認める訳にはいかなかった。
だからすぐに、この一瞬のやり取りの中で、内心で大きく頭を振って拭い払っていた。
 しかし対するリオは、感情が殆ど窺えなかった。
 不精になった風貌も影響してたのかもしれない。だがそれ以上に、彼自身が感情を削いで
しまったかのような、分厚い壁で覆い隠してしまったかのような印象が強かった。
「驚いたじゃない。一体どうしたというの? 急に戻ってくるなんて」
「……実家(ふるさと)に戻ってくることが、そんなに珍しいか?」
 だからこそ、私は。
「どうしたもない。姉者──いやトナン皇。貴女に力を貸しに来た」
 次の瞬間、弟が告げたその理由に思わず驚いてしまっていて。
「力を? いきなり……どうして」
「勘違いするなよ。今の俺は一介の傭兵だ」
「……。つまり、貴方は自分を直接、売り込みに来たと?」
 ごくりと息を呑んでから、私は何とかその真意を探ろうとした。
 だが、やはりどうにも読めない。相変わらず、すっかり無愛想になった静かな貌だけだ。
 まだ慣れず、ぎこちないままに意思を量ろうとする。
 リオは言った。私が確認するように訊ねると、静かに確かに頷いた。
「新しく皇になったんだろう? 俺を、用心棒にどうかと思ってな」
「……」
 眉間に思わず皺が寄る。ただそれは彼に対する不快ではなかった筈だ。
 まただった。また胸に刺さるあの感触。もう一度、今度こそと私は追い払う。
「貴族の身分は捨てた。だが、皇国(そこく)安泰を願う気持ちは今も昔も同じだからな」
 だから。そう呟きつつ、リオは腰の刀にちらと視線を落としていた。
 ハッとして。そこでようやく、私は彼の感情を久しぶりに見た気がする。
 何かの為に全身全霊を賭す。一所懸命になる。
 それはあの日の記憶──ひたむきに剣の稽古に勤しんでいたあの頃の姿に重なっていて。
「……分かったわ。雇ってあげる。貴方の武名は既に聞き及んでいることだしね」
 今思えば肉親の情に流された。そう自分を哂うこともできる。
 だが一方で、当時から、リオの剣士としての実力にはかなりの定評があったのも事実だ。
 ──決して群れない孤高を保つ、一騎当千の剣豪。
 世間から受けていた評価は、彼の愛想の悪さへの揶揄も含めてそんな感じだった。
 確かに彼は腕利きの冒険者の一人でありながら自分のクラン、部下を持つという拡張策を
採ることはしなかった(七星に何度も推挙され、渋々と受けた現在もそれは変わらない)。
 しかしそんな“変り種”ぶりは、正直私にはあまり重大な事ではなかった。
 実際の成果としてリオは“剣聖”の二つ名に相応しい実力者であり、無数の実績を重ね、
この再会以来、私の政権を武力という面で大きく支えてくれた。
 尤もしばしば外部の依頼を受けてふらっと出掛けていたこともあった──そしてその度に
武装勢力や魔獣の大群を一つ二つ、軽く壊滅させて帰って来た──が、それも“あくまで自
分は一人の傭兵である”ことを世間に認識させる為でもあり、私はゆったりと構えていた。
 ……元より、この強過ぎる弟(さいきょうのみかた)は長らく浮き草のような生き方を選
んできたのだから。

「──へ、陛下!」
 はたと“今”遠くにあった声が肉薄し、“昔”遠くにあった景色が霞んで消える。
 アズサは密かにハッと我に変えると、中空に向けていた視線を戻し、自分を呼ぶ臣下の者
からの呼び掛けに応じていた。
「し、至急、陛下にお目通し願いたいものが……」
 王の間に参じた彼は驚き慌てていたらしく、大きく肩で息をしながら玉座の下段でアズサ
に頭を垂れて礼を取るとそう言ってきた。
 よほどの緊急事態でも起きたか? レノヴィンを捕まえたという報告ではなさそうだが。
 アズサはこの者に頭を上げさせると、彼が持ってきた書簡──外交用の公式の代物だ──
を受け取り、早速目を通す。
「……。これは……」
 そこに書かれていたのは、要約すると以下のような内容。
 宛先はトナン皇国王アズサ──自分。
 差出人はアトス連邦朝国王とレスズ都市連合評議会の連名。
 曰く『今回の爆破テロに追悼と遺憾の意』を表明し、加えて『同国における“結社”掃討
の為の軍事作戦に我々も協力したい』という申し出だった。
「北(アトス)と東(レスズ)からの親書であります。加えて先程外交ルートからも同様の
旨の連絡が届きまして」
「そう……」
 この書簡、両国からの親書を片手に、アズサは眉根を寄せてじっと考え込んだ。
 額面通りに受け取れば“此度の正義の戦いに我々も加わりたく存じます”。
 だが、そんな奇麗事が本心でないことは容易に想像がつく。
 今回のジーヴァらのテロ行為への報復、国内の領民感情への迎合。或いは今回の件を機に
我が国への影響力を示そう。……大方そんな所なのだろう。
 どうする? アズサは冷静になろうと努め、頭の中のシナリオの再計算に取り掛かった。
 レジスタンス連中とレノヴィン一行を潰す為の“結社”への武力介入が裏目に出た。そう
考えられなくもない。奴らの名を出せば各国も怖気づくだろう──実際に充分な効果が出て
いることは確認できている──と踏んだが、それでも踏み出してくる選択をされた訳だ。
 あくまで「国内の事案」だとして断わっておくか?
 いや……。ここで下手に拒否をすれば怪しまれる可能性がある。強がりだと解釈され、余
計に隙を突こうとする彼らの野心の火に油を注ぎかねない。
 ならば、いっそ……。
「……。では両国に伝えなさい。我々にはその申し出を受け入れる用意がある、と」
 アズサはふむと頷いてから、そう彼に、場の面々に答えてみせた。
 賛否はあろう。臣下達はざわわと互いの顔を見合わせていた。
 実際、すぐに臣下の何人かは協力を語った影響力行使──受け入れることへの憂慮を奏上
してきた。同じように、逆に相手があの“結社”なのだから戦力が加わることに越した事は
ない。共に大国であるなら尚更ですと賛成意見を述べる臣下達もいた。
 すぐに議論を始め、面々との意思疎通を詰める。勿論、本当のことは話す筈もなく。
「では返答の用意をしなさい。私も親書を書くことにするわ」
「はっ!」「畏まりました」
 意見を集約して、ある程度の実務ベースの会議を設けることも決めた。そして同時併行的
に命じて両国への返答準備にも掛からせる。
 臣下達から部下の役人達へ。意思決定は伝わってゆき、彼らが再び忙しくなく動き回り始
めていく、その去り際の姿をしげしげと眺める。
 ──下手に断わるよりも、むしろ状況を利用してきた彼らを利用する。
 皇国軍(わたしたち)だけでなく他国の軍隊も加われば、レジスタンスも表立って自分達
に銃口を向けることを躊躇うだろう。
 仔細までは流石に知る所ではないが、北方と東方、顕界(ミドガルド)の大勢力を二つも
敵に回すなど彼らの支援者(パトロン)達も望まない筈。結果的にレジスタンスの抵抗力を
一層削ぐことにも繋がると考えられる。
 そして何よりも……彼ら両国の軍が関わることで今回の案件を“共犯”とすることも可能
になる。二重三重に用意をしてはいるが、いざという時には彼らを巧く利用させて貰うこと
としよう。
(……早く終わらせるわ。いい加減、過去(いぶつ)に振り回されるなんてご免なのよ)
 今度こそ、けりをつける。世の者達(かれら)に認めさせてみせる。
 王器・護皇六華の下、私は名実共に真の皇になるのだ──。

(──……んっ)
 朝陽が瞼の裏を刺激するのを感じて、ジークはぼやっと眠りから覚めた。
 深手を負った筈の身体は、粗末だがシーツの類は頑張って清潔を維持しているらしいと見
えるベッドの上。見渡してみる目に映るのは、質素以前の貧しさを隠せないあばら屋の室内
と、窓の外から覗くそれに似たり寄ったりな軒低い家々の密集しているさま。
「目が覚めたみたいだね。どうだい、具合は?」
「……ああ。見ての通り、何とか生きてるよ」
 もぞっとベッドの中で身をよじった物音を聞き、薄い吊るしカーテンを引いてそう一人の
老婆が顔を出してくる。王宮から脱出した先──スラム街で取り囲まれたジーク達を助けて
くれたあの老婆だ。
 まだ身体は満足に言う事を聞いてくれない。
 それでも、日数の経過と治癒の進行は少しずつだが確かにある。
 ジークは申し訳程度に身を起こして彼女に振り返ると、そう自嘲めいて返事をした。
 ──この老婆は、元は医者であったらしい。
 それ故に、このスラムに身を置くようになった今でも、彼女は周囲の人々から「御婆」と
呼ばれてある種の信用を集めているようだった。
『余所者でも、怪我人を見捨てちゃあ医者の名折れさ。たとえ落ちぶれたってねぇ』
 そう、ふんと何処か自身を哂いつつ言って。
 あの後、彼女は自分達をこの自宅謙診療所に案内し、ジークに治療を施してくれている。
「それだけ軽口が叩ければもう峠は越えてるさね。おい」
「へいよ~。ほれ兄ちゃん、朝飯だ。食えるか?」
「おう。大丈夫……だよ。毎回悪ぃな」
 カーテンの向こうへ御婆が呼び掛けると、助手なのか、如何にも荒くれといった風貌の青
年が顔を出し、既に用意してあったらしい朝食をベッド脇に佇むする木製のサイドテーブル
に置いた。
 元よりスラム街。決して充分な量も質もない。
 だが無いよりはマシだし、何よりも栄養をつけなければならない。
「……んむっ」
 パサパサした歪な丸のパンを齧り、ミルクで流し込みながら、ジークは暫し食事という名
の治療に専念する。
 あれから、何日が経っただろうか?
 運び込まれたのが侠者の日(第八曜日)だったそうで、この前は聖女の休日(第一曜日)
を告げるクリシェンヌ教徒らのミサがあったと道行く人々の会話から耳にしていた。
 という事は……少なくとも、脱出当日を含めて六日は経っている計算になる。
(正直、もう時間稼ぎの意味はなくなったよな……)
 野菜をすり潰した小さな蒸し団子を頬張り、ジークは内心焦りばかりが募っていた。
 すっかり足止めを喰らってしまった格好。
 心はすぐにでも六華を取り戻し、この争いを何とかしたいと願うのに、身体はまだまだ完
治には遠いまま。それに一旦あの大立ち回りをした後で警備も強化されているだろう。普通
に考えて、再度王宮に潜入するには一層難しくなっている筈だ。
「……他の連中はどうしてるんだ? 俺と一緒にここに来た時の」
「バラバラに散らばってるみたいだぜ。俺達も御婆から大体の話は聞いてる。王宮から脱獄
してきたんだってな?」
「ああ。……兵隊に喋ったりしてねぇよな?」
「してねぇって。御婆にも全員が一通り釘刺されてるし」
「それにしてもすげぇよな。王宮(あそこ)からだろ? ははっ、どーかしてるぜ」
「今頃、お上連中は必死にあんたらを探し回ってるだろうよ」
 気付けば、ふらふらと勝手に部屋に入ってきたり窓越しから顔を出してきたり、話し掛け
てくる相手が増えていた。
 スラムという呼び名に反する人の良さなのか、或いは単に好奇心であるだけなのか。
 ジークが「まぁな……」と曖昧に相槌を打つ中、彼らスラムの住人は粗末な身なりを別段
恥じることもなく、ジークを囲んで半ば井戸端会議のような状態になってゆく。
「でも、実際こっちに逃げてきて正解だったんじゃね?」
「だよなぁ。兵隊連中も『捜す』って言ってもここまでは嫌がって中々来ないしさ」
「……」
 彼らは笑ってこそいたが、ジークはあまり笑えなかった。
 それは、彼らが自ら自分達を貶めているように思えてならなくて。
「でも、だからってこのまま都を抜け出せるって訳でもないんだよなあ……。例の軍事行動
って奴からずっと都の出入口は警備が凄いらしいから」
「……そっか」
 だからといって、ジークはその彼らの錆び付いた陰気を蒸し返す気にはなれなかった。
 そしてその間にも続く彼らの雑談。老婆も部屋の片隅のテーブルで茶を啜りながら、こっ
そりと聞き耳を立てている。
 脱出してきた面々も、きっと今頃スラム街──城下のあちこちに潜んでいるのだろう。
 少なくとも「脱出」の手伝いはしてやれた筈だ。……そう思っておくことにする。
 だからこそ、彼らが安心して都も脱出できるようにという意味でも、早くこのくだらない
内乱を終わらせねばと思う。焦ってしまう。
「……。なぁ」
 そうしたもやもやが胸の奥で燻り始めていたからだったのか。
「あんたらは、アズサ皇が憎いか?」
 ふと、ジークは次の瞬間、彼らに思わず訊ねてしまっていたのだった。
 最初はきょとんと。しかしややあって、彼はそれまでジークが感じていた陰気への塞ぐ想
いを察したのか、敢えて彼らは弱々しく苦笑してみせる。
「憎いって感じじゃ、もうないなあ」
「先皇派とか現皇派とか、自分達にはあまり意味のない話だしな」
 お互いに顔を見合わせて、ぽつりと確認するように漏らすその言の葉。
 それはおそらく──いやほぼ間違いなく、諦観だった。貧民として追い遣られた先に自身
を位置づける、その過程で落ち着からせたのであろう、虚しさの距離感だった。
「まぁでも、昔の……先代の時の方が良かったのかもなあ。今みたいに競争競争って言うお
方じゃなかったし」
「それは思うな。そういう不満ですら今は『お前が頑張らなかったからだろう?』で済まさ
れちまうご時世な訳で」
「……そうさね。乗っかれた連中はともかく“強制された前進”はしんどいもんだよ」
 彼らは在りし日を思い出していた。
 しかし老婆がそっと言葉を挟むように呟いた通り、今この国ではそれすらも否とされてい
る節があるのだろう。
 外育ちのジークでも知っている。今のトナンは新興の“開拓派”国の一つだ。
 追いつけ追い越せ。より強く豊かになる。その欲望に忠実に。
 そうした行動力が人々を高めるのだという一種の「信仰」がそこにはある。
「結局の所さ……。儲かるのは貴族とか元々の金持ちばっかりなんだよ」
「だよなあ。連中は庶民のことなんて考えてねぇんだもんよ」
「……」
 ベッドの中に潜ませた手を、拳をぎゅっと握り、ジークは密かに自分でも何だと言えない
悔しさを噛み殺していた。
(……これが、王って奴なのかよ?)
 きっと二種類あるのだろう。
 一つは、民の苦しみを顧みずに突き進むアズサ皇(とうちしゃ)に対して。
 もう一つは、そんな治世に絶望──諦めを抱いてしまった彼ら国に生きる人々に対して。
 悔しさやもどかしさ。
 自分が“説得”した所で変わらないのかもしれない。
(王ってのは皆を幸せにする為にいるもんだろ? その為の“力”じゃねぇのかよ……?)
 だけど……この両者の距離も、諦めて陰気と自嘲の中に閉じ篭る彼らも、ジークには不快
で悔しくてならなかったのである。
「──た、大変だ! 大変だよ御婆!」
 変化が訪れたのは、ちょうどそんな時だった。
 ふと景色の向こう側から走ってきた男らが数人、大慌てでこの老婆のあばら屋へと駆け込
んでくる。
「どうしたね。ぎゃあぎゃあと騒がしい……」
「そりゃあ騒ぎたくもなるさ!」
 老婆は、ジーク達場の面々は、思わず眉根を寄せていた。
 だがそれでも、彼らは慌てふためいた気色を変えることはなかった。
 大きく肩で息をつきながら、彼らは伝えてくる。
「攻めて来たんだ! レジスタンスの生き残りが今ソサウ城砦に向かって来てるんだよ! 
国軍の方も動き始めてる!」
『なっ……!?』
「何、だって……?」
 それとほぼ同時なタイミングで、皇都全域にけたたましい警報が鳴り響いた。
 ノイズ混じりのアナウンスから繰り返されるのは、緊急事態発生──皇都への襲撃者有り
の報と市民への退避命令。
 しかし──スラム街の住民に、逃げ場など残されてはいなくて。

「……随分と思い切った、いえ無謀な手に打ってきたじゃない」
 緊急の軍議が開かれる王の間で、玉座の上のアズサ皇は呟いた。
 周囲では、迎撃態勢を整える国軍の上位将校らを中心としたメンバーが。忙しなく部下ら
から報告を受けては叫び気味に指示を飛ばしている。
 その席の中央に映し出されているのは、魔導による遠隔映像(ビジョン)。
 光球の中に見えるのは、完全武装に身を固めて此処ソサウ城砦──皇都を目指して猛進し
てくるサジらレジスタンス、そしてダン達レノヴィン一行の軍勢の姿で。
「一体、どういうつもりなのでしょうか?」
「兵力差は明らかだ。まさか、ここに来て自棄にでもなったのか」
「……いいえ。そんな筈はないわ」
 将校らの戸惑い。しかしアズサはそれでも冷静に事態の推理にエネルギーを割いていた。
 単なる自棄とは到底思えない。
 レジスタンスの指導者サジ・キサラギは、この十数年の間、自分の追撃から逃げ続けては
各地で反乱の戦を繰り返してきた男だ。そんな無策を実行するとは考え難い。
(アトスとレスズの援軍が到着するまでに、今の状況を変えようという魂胆……かしら?)
 警戒に値することは間違いない。だが、このまま攻められるがままでいる筈もない。
 アズサはすっと立ち上がると、一斉に視線を向けてきた将校らに力強く命じた。
「迎え撃ちなさい。何かを企んでいるとしても、その前に叩き潰すだけよ。……今日こそ、
あの忌まわしい反乱分子どもを根絶やしにするわよ!」
『──はっ!』
 バサリと肩に引っ掛けていたヤクランが翻り、将校らの野太い返事が重なる。
 何を企んでいるか、警戒は解かない。
 だがそんな企みも全て……今度こそ纏めて滅ぼしてやるまで。

 最も種族と繁栄に溢れる地・顕界(ミドガルド)。
 そのとある東の国で、今まさに戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。
 一方はかつての皇と緩やかな在りし日々を取り戻そうとする者達。
 一方はそんな日々を怠慢とし、強く豊かな国を希求してきた者達。
 そんな両者の中に在って、大切なものを奪われた者達は有無を言わさずに巻き込まれ、戸
惑う。或いは翻弄される荒波と知っても、大切なそれらの為に抗おうとする。

 ──災厄(いくさ)が、始まろうとしていた。

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  1. 2012/04/08(日) 18:00:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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