日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅱ〔20〕

 深夜のトナン王宮は、今まさに混乱の最中にあった。
 地下牢からの集団脱獄発生に加え、つい先刻、皇都を護るソサウ城砦の程近くにてレジス
タンスの小隊とみられる一団が発見されたのだ。
 内と外、双方向からのインパクトとでもいうべきか。
 城内で警備に当たっている兵士らは皆が皆、現在進行形で慌しく各所へと鎮圧・迎撃の為
に駆り出され始めている。
「このまま大人しく始末されてくれるとは思っていなかったけど。……無茶苦茶するわね」
 そんな城内の廊下を、アズサは執務室から出て歩んでいた。
 きびきびとした足取りで進み、引っ掛けた外套を揺らす彼女の周りでは、ひっきりなしに
臣下達が駆けて来てはその早足に合わせながら現在の状況を報告してくる。アズサはそれら
を聞き、即断即決に指示を飛ばす。
 王の間には、既に主だった臣下達が集合を完了していた。
 低頭する彼らに迎えられるようにして、アズサはその左右の中、絨毯の上を歩くと王座に
腰掛け、ついっとこの面々を見渡して言う。
「大体の話は途中で聞いたわ。詳しい現状報告をなさい」
「はっ。では先ず私めから。レジスタンスより投降をした冒険者ジーク・レノヴィンが地下
牢にて他の囚人達を伴い脱走。どうやら、魔導具を隠し持っていたようでして……」
「……そう。あくまで相手が剣士だからと油断した訳ね。事が済んだら身体検査を担当した
者を調べなさい。内規に基づいて──減給とでもしましょうか」
 王座の前に設えられた組立式デスク。そこに置かれていた報告書類をに目を通しながら、
アズサはそう最初に報告をしてきた臣下に命じた。
 この臣下は「畏まりました」と再び低頭の姿勢をみせる。
 ぬかったとは情けない。だが一方で無理もないかと思った。
 レノヴィンが六華を持っていたこと、何よりシノの息子であることはごくごく一部の臣下
にしか知らせていないのだ。末端の兵にそこまで気を回すことを強いるのは酷だろう。
(ジーヴァ達に、というのも……宜しくないわね。あまり彼らを表立って使う訳にはいかな
いわ。遠回しに小言を向けられるのがオチでしょうし……)
 だが冒険者なら魔導具が使えてもおかしくない。落ち度は落ち度だ。表向きの処罰は要る
だろう。
「現在、脱獄者達は西棟第三武器庫にいるようです」 
「西? 東では? 魔導攻撃と思われる破壊の跡も……」
「……。西棟にいるという情報は確かなのかしら?」
「間違いありません。先刻、キサラギ小隊との交戦が始まったとの報告が上がっています」
「キサラギ……。そう」
 王座の肘掛に片肘をついて、アズサは心持ち小首を傾げてみせた。
 口にこそ出さなかったが、何とも数奇なことか。
 自身、曖昧な運命論などまるで信用していないが、それでもその交戦、組み合わせは因縁
じみた性格を伴っていると俯瞰できる。
 かたやこの国を乱す敗残者──その血族。
 かたや乱された怨嗟を糧に剣を振るう者。
 ならば好都合だ。このまま彼女達には、存分に奮闘して貰うとしよう……。
「だとしたら、それは東方向へ私達の注意を向ける囮と考えるべきね。すぐに東棟の兵力を
現場へ振り分け直しなさい。但し東西双方に充分に兵力を温存しておくこと」
「はっ。すぐに手配致します」
 衛兵が二、三人ほどその臣下に促されて伝令に走ってゆく。
 アズサも含め、場の面々に「取り逃がすかもしれない」という想定は優先順位の中でもか
なり下位にあった。
 ここは自分達の本陣。たとえ少人数で暴れていても兵力の差はそう用意に埋められる筈も
ない。所詮は……悪足掻き。いずれは城内の兵によって鎮圧されるだろうと。
「それで? 城砦の方(そと)はどうなっているのかしら?」
 それよりも、面々にとって──対外的な今後を考えると厄介ではと思っていたのは、城砦
近郊で始まった小競り合いだった。
 王の間を小走りで出て行った伝令役の兵らの姿を王座から見送りつつアズサが訊ねると、
今度はまた別の臣下が答えた。
「現在、警備担当の部隊を五隊ほど出撃させ確保に当たらせています。ただどうやら相手の
兵力は少人数との報告があり、おそらく偵察目的で現れたと思われます」
「そう……。リオが出ているとも聞いているのだけど?」
「はい。最初に発見なさったのがリオ様だったそうで。既に先行しておられます」
「……珍しいわね」
 アズサはそっと口元に手を当てて眉根を寄せていた。
 普段から口数も少ない一匹狼だが、一応“仕事”をしてくれているのか。それとも……。
「まぁいいわ」
 口に当てていた手を除け、アズサは言う。
「小勢相手に深追いはしないよう兵たちに通達しなさい。兵力はこちらが圧倒的優位よ。私
達はどっしりと守りを固めていればいいわ。攻勢なら、第二陣の用意が出来次第、纏めて刈
り取ればいい。でしょう?」
 ソサウ城砦──この皇都が直接狙われていることに不安げな臣下達だったが、彼女のその
一言で、彼らは一様に低頭をして拝承の意を示した。
 再び伝令が現場へと飛んでゆく。臣下達が引き続き報告を上げてくる。
 アズサはそれらに耳を傾けながら、王座に片肘・頬杖をつき、口元に余裕と不敵な弧を漏
らしている。
 抵抗する者が出ることなど、とうに想定していたことだ。
 だが、私は排除する。この国の強さの為に……私はずっと尽力してきたのだ。
(恐れることなどないわ。私には最強の助っ人(リオ)だっているのだから……)
 静かに、より一層に。
 苛烈なる女皇(おう)はただ己が信じる道をゆく。


 Tale-20.今繋がる過去と現在(いま)

「キサラギ? まさかお前……」
 二刀を構えたまま、ジークはそう名乗りを上げて対峙している女性将校・ユイをじっと見
ると、静かに眉を顰めた。
 ゆらりと、剣の刃が動く音だけが正面から耳に届いている。
 相手はどうやら魔導で得物を不可視としているらしい。刀身こそ見えないものの、揺れる
手先の動きに合わせて僅かに、それがあるらしい空間が揺れているように見えた。
「……。全くのハズレでもない、か」
 すると、思わず呟いたジークの言葉に、ユイはそう静かな反応をみせていた。
 一見する限りは生真面目そうな軍人の表情(かお)。
 だがその瞬間、それらを“憎悪”が上塗っていったように思えたのは、気のせいなのか。
「答えなさい。サジ・キサラギは今何処にいるの?」
 そしてジークのそんな怪訝は、次に彼女が発した一言でより確信に近付いてゆく。
(やっぱりそうか……)
 眉根を寄せ黙ったまま、ジークはユイの威圧の眼を睨み返していた。
 何処となく見覚えのある雰囲気だと思えば。
 サジ(おっさん)の年格好と比べて考えれば──彼の娘か。或いは親戚関係か。
「俺が正直に答えるとでも思ってんのかよ?」
 別に彼を庇い立てする訳じゃない。
 単に王宮内(こっち)に来てからは向こうの動向を知る由もなく、何よりも現に目の前で
血縁者同士が対立する立場にある状態で、おいそれと話せるものかと思ったからだ。
「た、隊長」
「……。貴方達は負傷者の救護を。それと他の隊に此処を伝えて頂戴」
 そんなジークの沈黙にユイの出した応答は、剣だった。
 ようやくファヴニールからの一撃から立ち直った隊の部下達が近寄ってくるも、彼女は振
り返ることはせず、じっとジークに不可視の剣を構えたままで言う。
「間違いなく、脱獄の首謀者はこの男よ。私が仕留めるわ」
「……」
 ジークは小さく舌打ちをして、再度二刀を構えていた。
 ユイの背後では、躊躇いをみせたものの、彼女の小隊の面々が指示通り分散してゆく。
 だんと地面を蹴って彼女と不可視の剣が向かってきたのは、それとほぼ同時のタイミング
だった。
「兄(あん)ちゃん!」
「馬鹿野郎ッ! 来るんじゃねぇ!」
 静寂へ傾きかけた場を再びつんざく剣戟の音。
 背後で脱獄仲間らが叫び、加勢の為に踏み出そうとする。
 だがジークはユイの斬撃を受け止めつつも、ちらと肩越しに声を張り上げてそうした動き
を制止していた。
「ここでドンパチやるのが、俺達の目的じゃねぇだろうが……よッ!」
 言って、ぐぐっと押された威力を二刀で押し返し弾いて、途切れ気味に叫ぶ。
 数でこそ多少巻き返したが、それでも向こうは軍人でこっちは寄せ集めなのだ。一応レジ
スタンスのメンバーも──戦える面子も混じっているが、そうでない一般人も少なからず今
ここにいる。この女将校がサシでの勝負を選んでいるこの状況を、こちらから崩すのは拙い
とジークは思った。
 何よりも……いくら一時的に出会った面子とはいえ、此処で喪わせる訳にはいかない。
 そんな事になったら、自分が単身王宮(ここ)に身を投じた意味が──要らぬ犠牲を出さ
ずにこの内乱(いざこざ)を終わらせるという目的が──失われてしまうと思った。
「はぁッ!」
「……くっ!」
 一度は弾き返されるが、ぐぐっと踏ん張り地面を蹴り直すと、ユイは再び全身のバネを使
って横薙ぎを一発放ってくる。
 しかし目に見えるのは、ゆらりと空気が少し揺れたかどうか程度の微小な変化だけで。
 ジークは眉根を寄せつつも、斜めに交差させた二刀でその一撃を防ぐ他なかった。
 相手の得物が見えない──つまり間合いが測れない以上、不用意に突っ込めばこちらが気
付かぬ内に彼女の剣の間合いに入ってしまいかねない。それは即ち、殆ど不意打ちのような
一撃を受けることになる。
(くっ。こんな時こそ六華が──白菊があれば……)
 故にジークの身体と思考は、今までの実戦経験からの呼び声によって自然と防御に力点を
置く格好になっていたのである。
「……ッ。言っとくが、俺はレジスタンスなんかじゃねぇぞ」
「嘘をついたって無駄よ。なら何故捕まっていたの? 何故あいつを知っているの!?」
 守勢にさせられたままジークは言ったが、ユイにはその言葉は届いていないようだった。
 むしろサジの名を知っている素振りを見せながらも答えないジークに苛立つように、その
不可視の斬撃を何度ともなく放っては金属音を場に響かせる。
 彼女の叫び。それは間違いなく憎悪の眼、憎悪からの刃だった。
 ジークはぎりっと奥歯を噛み締める。
 押される我が身、背後には共に脱獄してきた面々がこの戦闘の一部始終を固唾を呑んで見
守っている姿がある。
「そんなに……っ、あのおっさんが憎いってのか」
「当たり前よッ!!」
 これ以上下がる訳にはいかない。そんな両脚を踏ん張った、防御から反撃への試行。
 癪に障ったが如く。より一層強烈に、爆発する想いと共に叩き込まれる剣撃。
 再び力の拮抗が、両者を押し合い圧し合いする。
 だが今度ばかりは様子が違っていた。
 ユイは先程よりも明らかに、怒りに火が点いたように振るう斬撃を激しくして。
 ジークはその一撃をただ真正面から受け止めるのではなく、少しずつ二刀の腹で受け流し
つつ、自身を斜め前方へと投げ出して。
「あいつは家族(わたしたち)を見捨てたのよ! 母さんを見殺しにしたの! だからあい
つだけは……あいつだけは、私がこの手で討たなきゃいけない……!」
「だから皇国軍(こっち)にってか? だが今の皇は」
「陛下は素晴らしい方よ。“私達のような”出自の者であっても、あの方は平等にその能力
を評価して下さる」
 二人の位置取りは、左右にキサラギ小隊と脱獄の面々とに挟まれる形になった。
 これで自分が押されても、彼らには害が及ばない筈……。
 ちらと不安げな彼らを見遣ってから、ジークは再度叫んだユイの見えざる斬撃を受け止め
ながら表情(かお)を歪める。
 頼るのは相手の得物ではなく、その手の動き。そこから太刀筋を推測するしかない。
 再び防戦一方にならぬよう、ジークは一撃を受け止めるごとに弾き返しながらの横薙ぎを
組み込み始めた。だがそれでも決定的なダメージを与えるまでにはならず、精々牽制程度。
「自分の妻子を見捨てておいて、何が忠義よ!」
 叫ぶごとにユイの不可視の剣が襲い掛かってくる。
 その一撃一撃を受け止めつつ、反撃を試みつつ、しかし同じく見えざる刀身で防がれ、互
いの剣は暫しの打ち合いを続けてゆく。
「平等に、ねえ……。要は態よく使われてるだけじゃねぇか」
「黙れッ! 陛下への侮辱はこの私が許さない!」
「……」
 思わず眉根を寄せる。とんだとばっちりだと、ジークは思った。
 彼の娘だと知らなかったとはいえ、うっかりサジを知っている事を漏らしてしまったのは
失敗だったのかもしれない。
 何度目とも知れぬ、見えない斬撃。それを防ぎつつも、押されるこの身。
 ただ目の前に襲い掛かってきているのは、自分をレジスタンス──憎き父の姿に重ねて剣
を振ってくる一人の女性将校。……いや、憎悪の徒だった。
 そして彼女は、大きく握る両手を後方に振り出した。
 ──渾身の一撃が来る。
 半ば本能的に察知したジークは、次の瞬間には跳んでいた。
 剣戟の打ち合いの中、またじりじりと押されていたその背後、通路の側壁。
 ジークは残り数歩に迫ったそこへと、半身を捻りつつ跳んだ足を踏み込むと一気にバック
転で空中を舞った。
 そのタイミング僅かにワンテンポ遅れ、ユイの渾身の横薙ぎが軌跡を描く。
 ザックリと壁を穿った斬撃の跡。左右で得物を構えつつも、先走れば事態を乱すとの思い
からただジークとユイ、二人の戦いを見守るしかないキサラギ小隊と、寄せ集めの武装で身
を固めた元・囚人の面々。
 そんな光景を視界に映しながら、ジークは二刀を手にしたまま着地する。
 ユイもまたすぐに、自分の頭上を跳びかわしていった彼に再び振り返って向き直ると、強
い敵意の眼のまま、不可視の剣をしっかりと握り締め正眼の構えを取った。
「…………」
 暫し二人は睨み合ったままだった。
 いや、違う。厳密にはジークがその場から動かずに殺気だけを漂わせていたからだ。
 ざわわと、心なしか空気が揺れている。
 俯き加減の前髪で隠れた彼の表情。
 そんな彼に、正面から左右から、怪訝や不安の眼差しが向けられている。
「やっぱ、お前らは父娘(おやこ)だよ」
「……何?」
 やがて、たっぷりと間を置いてからジークが呟いたのは、そんな一言だった。
 ピクリとユイの眉間に皺が寄る。明らかな不快感だ。
 すると、まるでその反応を待ち侘びていたかのように。
「同じだっつってんだよ。個人的な忠義やら恨みやらで誰かを斬る。別にそこにいいも悪い
も言わねぇよ。ただ、てめえら親子はそこに“正義”を持ち込んで正当化してやがる。それ
が俺には癪でしょうがねぇのさ……」 
 ジークは静かに顔を──沸々とした憤りを湛えた表情(かお)を、真っ直ぐに彼女に向け
て言ったのだった。
「俺からすりゃあそんなもん、自分勝手な言い訳でしかねえ。お前もサジのおっさんもそこ
から見りゃ何も違わねぇんだよ。……そもそも、そんな大義をごり押そうとするから争いが
なくならねえんじゃねぇのか? それが分かってねえんだよてめえらは。その身勝手な言い
訳のせいでどれだけの人間が苦しんでるのか、てめえらは分かってんのか?」
 互いの殺気がむくむくと立ち上るようだった。
 片や静かに──いやその実、内側からの激しい憤りを必死に押し殺しながら。
 片や真正面からの反発と敵意から、唇や剣握り締める手にぎりぎりと力を込めながら。
「……お前の“守りたいもの”ってのは、所詮そんなもんなのかよ!?」
「黙れッ!!」
 互いの感情が爆発した。言葉は、届かなかった。
「貴様に、私の一体何が分かるッ!!」
 先に地面を蹴ったのは、ユイだった。
 不可視の剣を振り被って空気を揺らしながら、最後の一言にようやく感情を込めて叫んだ
ジークへ向かって、猛然とその刃を振り抜こうとする。
 同じくジークもワンテンポ遅れて駆けていた。
 小さく舌打ちを。だがすぐに二刀を構えて真正面から彼女と激突し……。
『──!?』
 二人は、交差した。
 振り抜いた不可視の剣と仮武装の二刀。しんとして、両陣営の面々が固唾を呑む。
 鮮血が飛び散ったのは、ジークの方だった。
 ザックリと、その身体に弧を描くようにユイの斬撃が命中し、大きく赤を辺りに撒き散ら
して、壁や絨毯を汚した。
 脱獄の面々らが絶望に近い気色で絶句し、キサラギ小隊の者達は構えていた銃剣を心持ち
ほんの少しだけ緩める。
 ユイもまた、自身の剣の手応えにフッと小さくほくそ笑もうとしていた。……だが。
「ああ……。分かんねえよ。分かりたくもねぇ」
 ジークはまだ立っていた。
 ゆっくりと振り返った、射殺すような殺気の眼。しかし確かに身体は深々と斬撃を刻まれ
大量の血で汚れている。
「だったら、潰す。それがお前らの流儀ならな。……もうこれで、お前の小細工も俺には通
用しなくなったしな」
「? 何を──」
 言いかけてユイはハッとした。そして内心確かに戦慄した。
 殺気の眼が見る先、自身の手元には……返り血で“べったりと赤に塗れた剣”がある。
 たとえ魔導具で不可視の状態にしていても、実際には確かに得物は存在する。その示唆。
(まさか……。こいつ、この為にわざと……?)
 そして、その動揺が勝敗を決する隙となった。
 彼女が気付いた時には、ジークは既に地面を蹴り、自身の至近距離にまで詰めていて。
 防ぎようがなかった。頼みの得物も、彼の返り血でコーティングされたことで目測での間
合いを欺くには至らない。ただ錬氣を込め、全力で振り下ろされる二刀の一撃に我が身を蹂
躙されるしかなく。
「がぁッ!?」
 咄嗟に防御しようにも呆気なく押し切られ、今度はユイの身体に強烈な斬撃が叩き込まれ
ていた。
 全身の感覚が、意識が赤黒く染まる。
 肺から無理やり空気が押し出され、只々この青年渾身の一撃を浴びる他なかった。
 踏ん張ろうとした膝も折れ、床が大きく凹むほどの衝撃と共に叩き付けられる。口から血
が溢れてくる。
 完全に、彼女はそのまま“落ち”ていた。
「た……っ」「隊長ッ!」
 キサラギ小隊の面々が彼女の下へと駆け出していた。
 同時にジークは二刀を引くと、のそりとその場から離れてゆく。
 その後ろ姿を撃とうと銃剣を構えた者もいない訳ではなかったが、それよりも彼らの優先
順位はユイの救護へと移っていた。
「あ、兄ちゃん! 大丈夫か!?」
「無茶しやがって……。おい、誰か回復魔導を!」
「……」
 ジークもまた、脱獄仲間達に囲まれ出していた。
 ドタバタと彼らが慌てているのが聴覚とおぼろげになってゆく視覚の中で分かる。
(結局、こうなっちまうのかよ……)
 それでもこの時既に、ジークの頭の中には嘆きが殆どを占めていた。
 自分もまた直情に突き動かされた、一応自覚のある悪い癖が出たとも言える。
 だが何よりも……また一つ、この国の対立を見たようで気分が沈んだ。憤りが通り越えて
哀しくなった。
 ただアズサ皇を確保すれば終わる訳ではないのか。
 もっと、自分は“敵”に対し鬼の如き精神とならねばならないのか。
 こんな争いを止める。その為に。
「……はっ。何でぇ、俺も同じじゃねぇかよ……」
「お、おい!?」
「兄ちゃん、しっかりしろ!」
 所詮は自分も“大義”の為に戦っているに過ぎないのだろうか。
 だがもう、思考は続かなかった。
 やがてジークの意識は、彼らの必死の呼び掛けにも拘わらず暗転してゆき──。

「──……くぅッ!!」
 激しい剣戟が響き、リンファは地面を滑るように大きく飛び退いていた。
 辺り一面には深々と抉られた斬撃の跡。しかしそれは彼女のものではない。
「……」
 現在進行形で夜闇の中にて対峙している男──“剣聖”リオの放った攻撃の痕跡だった。
「リン! チッ、くそったれが……!」
 そんな彼女のピンチを視界に映していても、ダン達は中々手を貸せずにいた。
 先刻よりソサウ城砦から出撃してくる兵らに左右を囲まれてしまい、彼女とリオのいる地
点へのルートが寸断されてしまっていたからだ。
 ダンやミア、そして随行していたレジスタンスのメンバー数名。
 一向はその小勢で以ってこの追討者らに対応する他なかったのである。
「どうして七星の一人が、こんな所に……?」
「こっちが聞きてぇよ。前々から女傑族(アマゾネス)だって話は知ってたけどよ」
 マーフィ父娘が先頭となり、戦斧と徒手拳闘で兵らの銃剣を叩き落しては一人一人を確実
に倒してゆく。
 二人がそう奮戦しながら怪訝を口にすると、ふとレジスタンスの面々は何処か気まずいよ
うな、戸惑ったような様子で互いの顔を見合わせていた。
「そう、ですね。リオ様はあまり口数の多くない方ですから……」
「ん? 様って……。そういやさっきもリンが」
「……苗字がスメラギって、もしかして」
「え、えぇ」
「リオ様は、アズサ殿の実の弟君なんです」
「何ぃ!?」
 彼らが発した事実にダンは思わず叫び、ミアは静かに眉を顰めた。
 周りの迫ってくる兵らも、構えた銃剣のまま、何処となく険呑な雰囲気を強めたようにも
みえる。
「そんな話、聞いたことねぇぞ? そもそも知ってたなら何で……」
「じ、自分達も混乱してるんですよ!」
「全くです。そもそもリオ様は権力争いが嫌で随分昔に国を出てしまわれた筈ですし……」
「うむぅ……」
 ダンは繰り返し寄せてくる兵士らを戦斧を振るって薙ぎ倒しつつも、そう戸惑って口々に
語り出すレジスタンスの彼らを肩越しに一瞥した。
 まさか、かの“剣聖”がアズサ皇の弟だとは予想だにしていなかった。
 ということは、つまり彼は……ジークとアルスにとっては大叔父に当たる訳で。
(こりゃあ、益々ややこしい事になるんじゃないか……?)
 そうつい嘆息になりがちも、次の瞬間には、ダンはハッとして頭を切り替える。
「何とかしてこいつらを突破するぞ! このままじゃリンが殺られる!」
 問題は、その出奔していた筈の“世界最強の剣士”が間違いなく皇国(むこう)側の一人
として、今こうして自分達の前に立ちはだかっているという事実なのだ。
(どうして、リオ様が……?)
 そんな疑問は、リオ本人と刃を交えるリンファもまた同じだった。
 がくりと膝をつき、長太刀を片手に無残に抉られ続けた地面の上で荒く肩で息を整える。
「……」
 しかし一方で、対するリオの方は息切れ一つしていない。
 ぶらりと片手に下げた黒刃の長太刀。
 言葉など要らない、勝手に膝が震えさせられる程の覇気。
 同じトナン流の剣術使いだからこそ、辛うじてリンファは回避予測を立てることができ、
ぎりぎり戦闘不能にならずに済んでいたが、それでも彼はその「型」すら極限まで磨き上げ
昇華させている様が否が応にも分かった。
 加えてその「型」を変幻自在に発展させ、彼個人の流派としての完成型すら垣間見える。
(……正直、全く勝てる気がしない。元より争うつもりはないが……)
 世界最強の剣客が持つ力量は──圧倒的だった。
「退かないのか」
 そこで、ようやくリオは口を開いた。
 ゆっくりと、まだ消耗(ダメージ)を訴え掛ける身体を起こして自分を見上げてくる彼女
に、彼はじっと冷たく感情の見えない眼を向けてくる。
 リンファはすぐに答える言葉を持たなかった。
 ただ抱いたのは、フッとした違和感。
 それはまるで“本気で取るつもりはない”とでも言っているかのような……。
「……。何故、貴方はアズサ殿の側に? 一体いつ御帰還なされていたのですか?」
 ようやく搾り出した声で、問う。
 しかしリオは答えなかった。じっとやはり感情の見えない眼で陥落一歩手前のリンファの
姿を見下ろしている。もう数歩、こちらへ踏み込まれれば、今度こそ終わりだろう。
「今ならまだ何とか間に合う。この件から身を退け。……シノの側役、ホウ・リンファ」
「リオ、様……?」
 代わりに告げられたのは、温情のような、いや警告のような一言。
 違和感が数歩、確信に変わる。リンファは長太刀を地面に立てて杖代わりにしつつ、彼に
怪訝と戸惑いの眼差しを送っていた。
 自分の事を知っている? なら何故尚の事……。
「……いえ。逃げる訳にはいきません」
 だがややあってリンファはぎゅっと唇を結んだ。よろよろと、立てた長太刀にすがるよう
にして立ち上がると、何とか形ばかりの構えを取って言う。
「私は……私達は、殿下より託されているのです。あの城砦の向こう側にいるご子息のこと
も、この国で繰り返される争いのことも」
 弱っていた。だがその瞳の中の意思はまだ強く輝いている。
 暫くリオは黙って彼女を見つめていたが、やがて小さく息を吐き、また数歩進む。
「……。惜しいな」
 そして言った瞬間、その姿が霞む。
 響いたのは、つんざくような剣戟の音だった。
 殆ど条件反射のように構えたリンファの長太刀に、彼の黒刃が交わり激しい火花を散らし
て唸りを上げる。ガリガリと、二人の立つ足元が──リオの放つ力に耐えかねて──再三の
穿ちを受け始める。
 鍔迫り合い。
 だがその実はリオの一方的な攻勢に他ならず。
 只々リンファは、己が崩れ落ちないように必死に耐えるしかなく。
『──総員、帰還せよ!』
 はたと城砦からそんな軍人口調のアナウンスが響いてきたのは、ちょうどこの最中のこと
だった。
『繰り返す! 総員、皇都の守備に徹せよ!』
 最初リンファ達、そして皇国兵らが見せた表情(かお)は、怪訝のそれだった。
 だがやはり軍人というべきか、次の瞬間には、彼らの動きは帰還へと向かい始めていた。
「……。別な賊でも沸いたか。戻るぞ」
 リオの少し間を置いた一言の下、兵らは一斉に一行を囲っていた陣形を解き、駆け足で城
砦へと戻っていく。
 それは、今し方までリンファを圧倒していたリオ自身も同じで。
 ぐらりとふらつき呆気に取られているリンファを残して、彼はそのまま得物を水平に持ち
上げると一発、また件の質量を持った斬撃を一同の足元に飛ばすと、煙幕代わりにするかの
ように激しい土埃を辺り一帯に撒き散らしてくる。
『──ッ!?』
 リンファは、ダン達はその場で思わず片手で身を庇うようにし、動けなくなった。
 そうしている間にも、兵らが城砦内へと戻っていくのが気配で知れる。
 濛々と上がる土色。あっという間に寸断された視界。
「……命拾いしたな」
 そんな中で。
 ぽつりと。しかし確かに、踵を翻すリオの足音と自分達へ向けた呟きが聞こえていた。

 転移魔導に包まれたアルスとエトナが送られた先は、まさにセカイの楔の只中だった。
 仄暗くも、遥か天上へと底知れぬ深淵へと互いに何度となく曲線を描く、ゆっくりと虹色
の変遷を続ける魔流(ストリーム)の束。
 消えゆく魔導の光と引き換えに、やがて二人はストンと円形のガラス質な足場の上に落ち
着いていた。
「……ここが、世界樹(ユグドラシィル)の中」
 その圧倒的なスケールに、アルスは暫し果ての見えない辺り一帯をぐるりと見渡し、静か
な驚いている。
 厳密には世界樹(ユグドラシィル)の本流ではないのかもしれない。
 だが少なくとも、辿ってゆけばそこへと繋がってゆくストリームの中に今自分達は立って
いるのだ。
 一介の魔導師見習いとして、魔流(ストリーム)力学を専攻する学生として、その実物を
目の当たりにできることはアルスにとって非常に知的好奇心を刺激されるものであった。
「何だろう? すごく懐かしい感じがする。まるでお母さんに中にいる、みたいな」
「……あ~」
 その隣で、エトナはこの場に満ち満ちるマナを堪能するかのように、両手を広げて何度も
深呼吸をしていた。
 そうした相棒の横顔はほっこりと嬉しそうで、穏やかで。
 アルスは言いかけた言葉を引っ込め、小さく頷き返すだけに留める。
 精霊族は、マナに最も近しい存在と云われている。
 実際マナの影響を、良きにつけ悪しきにつけ受け易い性質もあるのがその一例か。
 アルス自身は、目の前の光景にただ静かに佇む“父”を連想したが、彼女の場合はもっと
違った感慨──“母”を連想する懐かしさ──を抱いているらしい。
「……で? トナンにはどう行けばいいの?」
「うん。それなんだけど……」
 そして一通り深呼吸を終えて目を開いたエトナが訊ねてきて、アルスはフッと苦笑を漏ら
して視線を前方へと向け直した。
 二人の、遥か向こう側まで広がっているのは──点在するガラス質な足場。
 それがある程度一本道ならよかった。
 しかしその足場達が結ぶルートが、無尽蔵に枝分かれしていたのである。
 更にその様に迷っている間にも、ポウッと次から次へと、アルスが視線を遣るのに合わせ
るかのように、新たな足場が現れてはその選択肢をやたらめったらに増やしている。
「……。どの方向(ルート)なんだろ?」
「それはこっちが聞きたいよ……」
 ジト目になってそんな状況を見ているエトナに、アルスは苦笑いをこぼしながらポリポリ
と頬を掻いていた。
 まさか、この現れている足場全てがトナンに続いてるとも思えないのだが……。
「とりあえず、進んでみよっか。少なくとも何処かには繋がっている筈だし」
「ん~。それしかない、か……」
 しかし物怖じしたままでもいられない。
 アルスは言うと、トンとストリームの中空に浮かぶ足場に一歩を踏み出した。
 そんな相棒の歩みに、エトナもゆらりふわりと浮かびつつ付き従う。
『……少年よ』
 ただ虹色の光の束が仄暗さを照らす、天地の果ても知れない静謐なる空間を。
 飛び石のように点在し、こうしている間にも静かに増殖と分岐を続ける道を。 
『その心のままに己を委ねよ。さすれば道は自ずと作られる』
 アルスは導きの塔にてガディア達に向けられた言葉を思い返しながら──それはまるで彼
らに導かれているように、はたとした直感が示す方向に身を任せ、進んでみることにする。

「──……ッ」
 辿り着いた先で、視界が開けると同時に強い眩しさが満ちた。
 思わずアルスは目を細め手で庇を作ると、路(オゥス)の出口へとその一歩を踏み出す。
「……? んぅ?」
 ばしゃっと、足元が冷たく濡れるのが分かった。
 それもただの水溜りにという訳ではない。回復してゆく視覚と視線をぐるりと回してみる
と、そこには──噴水。
 いや、むしろ自分がちょうどその噴水の中に立っていたのである。
「あちゃ~、ずぶ濡れじゃない」
「……う、うん。そうだね」
 深さは、ざっと膝くらいまで。
 アルスは背後から覗き込んでくるエトナに苦笑を横目に返しつつ、ぐっしょりと濡れてし
まったローブとズボンをくいと引っ張り、水気で重くなった衣類を検める。
 何となくぼんやりと、視線をエトナと共に自分達の背後へ。
 石造りの壁。そこに立つ石像が掲げる壷の注ぎ口から、絶え間なく水が流れ落ちているの
が見えた。
「ひっ……!?」
「な、何が起き──」
「て……、敵襲だーッ!!」
 だが、状況はそんなにのんびりとしていられる場合ではなかったのである。
 次の瞬間、突如何処からともなく現れた(ように見えた)二人の姿に、噴水の周りにいた
人々が一斉にパニックに陥ってしまったのだ。
 腰掛けていた縁から飛び退いたり、転げ落ちたり。
 或いは突然の光景に目を丸くし、何よりも誰からとも知れぬ悲鳴が引き金となって。
「ちょ!? ちょっと皆さ」
 アルスは慌てて彼らを落ち着かせようとしたが、誰も聞く耳を持っていなかった。
 てんでバラバラに、しかし緊急事態だとの叫びが方々に飛びながら、それまで噴水の周り
や往来にいた人々が大慌てで逃げ去ってゆく。
 引き止めようと伸ばしかけたアルスの手だけが、虚しく中空を掴んでいる。
 ぱちくりと目を瞬かせる彼の傍で、ふよっとエトナが浮かびつつごちた。
「……何で逃げる訳? アルスは悪者なんかじゃないのに」
「あはは。多分だけど、ビックリしたんじゃないかな? そりゃあ、いきなり何にもない所
から人が出てきたら驚くよ」
 ぶらんと手を下げ、アルスは苦笑いを漏らした。
 空間転移の魔導はある。
 だがその技術は、一般的に相応の設備がある場所同士であるからこそ可能だというのが、
魔導師の如何を問わない「常識」なのだ。
 ──実は導きの塔を使ったんです。
 そう説明できていれば違ったのかもしれないが、必ずしも全員に理解して貰えないのだろ
うなともアルスは思った。
 知識として導きの塔からの転移は一方通行である──出口が必ずしも設えられた“門”と
いう訳ではない──ことは知っていたが、まさか普通の市街地のど真ん中に出るとは、自身
も正直言って予想していなかったのだから。
「ここ、何処だろう?」
「うーん……。少なくともアウルベルツに戻っちゃったって訳ではなさそうだよね。空気も
全然違うし」
 とりあえず、ぐっしょり濡れたズボンを摘みがら噴水から出る。
 先程の悲鳴の所為で変に人気が抜け落ちてしまった周囲を見渡しながら、ぽつりとアルス
が問うと、エトナはまるで目に見えない何かを嗅ぎ取るように目を細めてから、そう答えて
うんうんと頷く。
(何が何なんだか……)
 濡れてしまった服の分も加えて、嘆息を一つ。
「とりあえず情報を集めよう? 先ずは今僕らが何処に出たのかを確かめないと」
「そうだねぇ。あと、アルスの服を乾かせる場所も探さなくっちゃ」
 しかし嘆いてばかりもいられない。
 気を取り直して、改めて本来の目的の為に一歩を踏み出そうとする。
「──いたぞ、あそこだ!」
 だがちょうどそんな時、ふと険しい声色と複数の足音が届いてきて。
 二人が何事かと振り向くと、通りの向こうから銃剣を携えた兵士らが数名、こちらに向か
って駆けて来るのが見えた。
 格好からして……この街の守備隊員だろうか。
 そんな思考が頭を過ぎる間に、彼らは二人の所までやって来るといきなりその銃口と剣先
をしっかりとこちらに向けて取り囲んでくると、言い放ったのである。
「お前達が通報のあった侵入者だな?」
「無駄な抵抗はするな? 我々と一緒に来て貰うぞ」


 夜通しの捜索にも拘わらず、アルス達の姿を街中(アウルベルツ)に見つけることはでき
なかった。
 時は、陽も昇った後のひんやりとした朝方。
 少なからず、団員や協力してくれた常連達から漏れているのは、焦りや疲れの色。
 そんな表情がちらほらと見受けられる中、イセルナとハロルドは一旦面々を、臨時休業中
なままの酒場『蒼染の鳥』に集合させていた。
「皆、お疲れさま。一旦集まった情報を整理しましょうか」
「二人の足取り、どれくらい分かったかな?」
「あ、はい……」
「どうやら財友館に寄っていたみたいです。職員から聞き込みをしたので間違いないかと。
ただその後、何処に向かったのかまでは……」
「財友館か……。旅費を下ろしに行ってたのかな?」
「かもな。それにあそこは一般開放されている端末があるから──」
 途中までの足取りは、何とか掴めていた。
 しかし彼らが出て行った時間帯が時間帯だけに目撃者はさほど多くなかったようで、確定
的な足取りは財友館に立ち寄った所まで。結局二人の姿を捉えることは叶わず、こうして朝
を迎えている。
(やっぱり、もう街の外に出て行ってしまったのかしらね……)
 あれやこれやと推測の中で話している団員らをそっと見遣りつつ、イセルナは思った。
 書き置きを見つけてから大分時間が経っている。
 出奔という態を考えても、アルスとエトナは足早に旅立っていった筈だ。
 間違いなく行き先はトナン。だが事件の直後に飛行艇を使おうとは思わないだろうし、実
際問題、まだ最寄の空港(ポート)はゴタゴタの中で全面運休が続いている(先日ハロルド
が献花と祈りを捧げに行ってくれた際に、それは確認済みだ)。
 だとすれば……導きの塔か。
 机上で組んだ両手に人知れず力が籠る。
 ジーク達の二の舞には、おそらくならないだろうが、あれを使われてしまっているなら尚
の事二人の居所が掴めなくなるのは間違いない。
「くそっ。俺達がもっとしっかりしてれば……こんな事には」
「まだ皇国(むこう)から、ダンさん達の近況も届いてないってのに……」
 自責の念もある。自分と同じく。
 少なからぬ団員らと、常連らの焦りの色。ガシガシと髪を掻き毟りつつ、行き詰った現状
に嘆息をついてしまうその様。
「イセルナ」
「……ええ。分かってる」
 そして皆と着いたテーブルの縁に留まっているブルートが静かに促すように口を開くと、
イセルナはこくりと頷いた。
 そっと解く、組んでいた両手。
 一同がざわついていた己を抑えながらこちらに視線を遣ってくる。
「この辺りで一度解散としましょう。手伝ってくれた皆さんもありがとうございました」
 おもむろに立ち上がり、イセルナは団員達と、協力してくれていた酒場の常連達へそう頭
を下げて謝意を述べた。
 手助けしてくれる厚意は嬉しい。
 だがこれは……やはり自分達クランの問題だと思うから。
『どうもありがとうございました。お気をつけて』
 一先ず常連の皆々が帰ってゆくのを、イセルナ達は暫し見送った。
 彼らは「困ったら言ってくれよ?」と協力を惜しまなかったが、おそらくもうこちらから
その手を煩わせる選択肢は取らないだろう。それがクランの面々の一致した思いだった。
 再び「CLOSED」のプレートが掛かったままの酒場に戻り、ひそかに一息。
 何となくこそばゆいような、後ろめたいような。
 するとそんな団員らの言葉の詰りを撫で癒すように、イセルナはフッと微笑んでみせると
彼らを見渡して言った。
「さあ、貴方達も一旦休んで? 夜通しで疲れたでしょう? ハロルド、朝食は」
「ああ大丈夫。用意は済ませてあるよ」
「え。で、でも……」「そ、そうですよ。こうしてる間にもアルス達は」
「そうね。だけど私達までダウンしちゃったら、誰があの子達を守れるの?」
 団員達は思わず黙り込んでしまっていた。
 イセルナの団長としての命令というよりは、その言葉自体が焦りに急かされている自分達
に直に届いたような気がして。
「……心配なのは私だって同じよ。だけど貴方達をボロボロにしてまで探し出したとして、
アルス君達が喜ぶと思う? 落ち着いて。ね……?」
 少しだけ強めた語気を再び静かなものに修正し、イセルナは振り向いてハロルドに合図す
ると彼を厨房の方へと向かわせた。
 ややあって、奥から調理機器の立ち上がる物音がする。開けられた鍋の中から美味しそう
な匂いが届いてくる。
 そして何気なく、そちらへと視線が集中してゆく団員らを見遣りながら、
「さあ。腹が減っては戦はできぬ、よ。しっかり食べて休憩を取っておきましょう? その
間に、学院へ顔を出しているシフォンも戻ってくるだろうから」
 イセルナは微笑を抱くようにして、ポンとその手を叩いた。

「──アルスが家出っ!?」
「しーっ! この馬鹿。ついさっき騒ぐなと言われただろう?」
 学院内の一角で、フィデロとルイスはそれぞれに驚きの反応をみせていた。
 場所はとある講義棟の裏手。そこに身を隠すように三人はいた。
 思わず叫びかけるフィデロをルイスは小突いて止め、その平素の微笑に険しさを帯びさせ
始めている。
「……すまないね。驚かせてしまって」
「いえ……」
「でも何でまた急に? あいつがグレるとは思えないんスけど」
「勿論。今日は、それを君達に話しておこうと思ってね」
 そんな二人に向かい合っていたのは、シフォンだった。
 一度ちらりと、キャンパス内の往来を確認するように目を遣ってから、彼は声量を抑えつ
つおおよその事情を話し聞かせ始める。
「この前、トナン行きの飛行艇が爆破テロがあったのは知っているよね? 実はその少し前
にジーク達が所用でトナンに向かったんだ。幸か不幸か、現地に着いたことは先方から導話
を受けて確認済みなんだけど、その時はアルス君は居合わせていなくてね」
「……それで、アルス君は飛び出して行ってしまったんですか?」
「つーか。それって完全に行き違いじゃんよ……」
 シフォンは苦笑を滲ませ、一度深く静かに頷いた。
 事情を聞かされ、互いに顔を見合わせて少なからぬ動揺をみせている二人。
「道理で今朝から姿を見かけてない筈だぜ。にしたって、無茶しやがる。あっちは危ないん
じゃねぇのかよ……?」
「……。教えて頂いてありがとうございます。ですが、何故こんな重大なことを僕らに? 
この話がいつ漏れるか、保障できないのではありませんか?」
 一方は悔しそうに唇を噛み、もう一方はそんな真意を探るあくまで冷静な眼が向く。
 伊達にアカデミーの学生ではない、か……。
 シフォンはフッと口元に僅かな弧を描くと、そう顎に手を当てて、何事かを思案しながら
問うてくるルイスに返答する。
「君ならもう気付いていると思うけどね。早い話が、君達にも協力して貰いたいんだよ」
「協力?」「……続けて下さい」 
「具体的には、口裏合わせと時間稼ぎさ。君達二人は普段からアルス君と仲が良いからね。
僕達がアルス君を見つけてくる──アルス君が帰って来るまでの間、彼の事を周りから訊か
れたら、それとなく誤魔化しておいて欲しいんだ」
 棟の壁に背を預けたまま、シフォンは心なし小首を傾げて二人を見る。
 これこそが、単身学院に足を運んだ目的だった。
 アルスの居所についての情報収集というよりは、そういった事を荒立てない為の根回し。
 故に皆よりも先に朝食を摂って出向いてきた訳だ。
 こういう仕事を確実なものにする為には、できるだけ早い段階で動くに越した事はない。
「なるほど……。そういう事なら」
「お安い御用ッスよ」
 あくまでソフトに、しかし事前に話してしまうことで“共犯”にしておいて。
 そんなこちらのやり口に気付いていたのかは定かではない。だが確かに、二人はシフォン
の──クラン側からの要請を快諾してくれていた。
「ありがとう。では宜しく頼むよ」
 小さく頭を下げてみせ、謝意を。
 シフォンはこの友の弟の、良き学友に、内心安堵していた。
 これで彼の居場所に心当たりでもあれば万々歳なのだが……話している間の反応からして
初耳だと分かっていた事もあり、余計に質問を重ねることはしなかった。
「それじゃ……僕はこれで。勉強、しっかりね」
 元気溌剌に手を振りながら。
 丁寧に深々とお辞儀を返して。
 対照的な彼らの反応を肩越しに見遣って小さく微笑みながら、足音を殺しつつシフォンは
その場を後にする。

「なるほどねぇ……。そういう事情(わけ)だったのか」
 次いでシフォンが足を運んだのは、レイハウンド研究室──ブレアの下。
 研究棟の角部屋でぼんやりとソファで眠り込んでいた彼は、シフォンの話を一通り聞き終
えると、そんな呟きを漏らしながら窓のブラインドを少し開き、朝の光に目を細めていた。
「まぁでもこれで合点がいった。ありがとよ」
「? それはどういう……?」
 だが直後のブレアの言葉に、シフォンは小さな怪訝の眼を返すことになった。
 以前の魔獣襲撃の一件で、彼も学院職員の一人として、フィデロ・ルイスらよりは詳細に
自分達の事情を知ってはいる。
 だがその言葉は、まるで既にアルスの出奔を知っていたかのようで……。
「昨夜、俺ん家に精霊が来たんだよ。アルスの伝言を持ってな。『トナンに向かった兄さん
達が危険に晒されています。僕も行って助けになって来ます』──とまぁ、掻い摘んで言う
ならそんな感じの精霊伝令さ」
「そう、でしたか……」
 申し訳程度ではあるが、無断欠席になるのを心配したのかもしれない。
 兄を仲間を思うが故に突っ走ってしまう情熱は兄弟だなと思う反面、こうして妙に律儀な
部分もあったりする。
 シフォンは少々予想外なこの情報を頭にインプットしつつ、内心苦笑を禁じえなかった。
「あの。ではアルス君は何処へ行くとは言ってきませんでしたか? 今もイセルナ達が探し
ているのですが、どうやらもうアウルベルツからは出てしまっているようで……」
「だろうなあ。だがまぁ、俺はそっちの力にはなれねぇよ。あいつは頭が切れるからな。俺
に精霊伝令を送ってくる時点で、そんなアシがつくような言葉は添えないさ」
「……ですね」
 やはりかと思いつつも、正直ため息をつきたくなった。
 ブレアはポリポリと髪を掻き、気だるげな表情(かお)をしてこそいるが、先程からずっ
とこちらの様子を窺っているのが分かる。
「一応、伝令が来た時点で俺も精霊に捜させたんだけどな。だが結局、もうその時にはそれ
らしい反応は辿れなかったよ」
 すると彼は。
「……で? わざわざご丁寧に教えてくれる為に来たんじゃねぇんだよな? あんた達は何
が目当てだい?」
 ややあってそう補足的に付け加えると、テーブルに片肘をついて言ってきた。
「勿論です。レイハウンド先生がアルス君の担当教官であるのも大きいのですが──」
 それでもシフォンはあくまで落ち着き払い、クラン代表役としての任を果たすことに集中
しようとする。
 今度は学院側、その教職員一同の中枢への根回し。
 それを、アルスに一番近しい教官であろうブレアを経由して行おうというのが目的だ。

「おっ……。いたいた」
 そうしてブルートバードの面々は目の前の困難に対峙し、もがく。
 しかし結ぶ付く糸は、彼らの思わぬ所から伸びてくるのだった。
「? 貴方達は確か、エイルフィード伯の……」
 ブレアから学院側への根回しをセッティングし、研究棟を後にしたシフォンを待っていた
のは、見覚えのある従者コンビ──ゲドとキースの二人だった。
 小さく怪訝に眉根を寄せ、シフォンは思わず辺りを見渡す。
「あ、いや大丈夫ッスよ。お嬢とカルヴィンは今現在進行中で講義受けてますから」
「それに……。今の私達は、一時的に屋敷の者が代行しているとはいえ、シンシア様のお目
付け役から外されおるのでな」
「そう、ですか」
 そんな反応に、キースはバツが悪そうに苦笑していたが、それよりもシフォンは彼の言葉
を継いだゲドの言い口が気になっていた。
 曰く、自分が来るのを待っていた。
 彼らが普段任されている筈の、シンシア嬢の護衛役を脇に置いてでも、こうして姿を見せ
た……その理由。
「これから『蒼染の鳥』に戻るんスよね?」
「私達も同行させて貰いたい。……宜しいかな?」
 サワサワと、風がキャンパス内の植木の枝葉を揺らしていた。
 静かにシフォンが何だろうと見遣ってくる中にあって、そう二人は半ば宣言に近い同意を
迫ってくる。

 アルス達が辿り着いた先は、輝凪の街(フォンテイム)というらしい。
 何が起こったのか分からないまま、二人は場に駆けつけてきた守備隊員らによって拘束、
取調べを受けていた。
「だーかーらー、私達は“結社”なんかじゃないってば!」
「そうすぐに信用できる訳がないだろう。何故あんな場所から、設備もない場所から突然現
れるなんて真似ができたんだ?」
 決して広くはない、フォンテイム守備隊の詰め所、その中の一室。
 金属のテーブルを挟んで、先程からエトナと隊員が目の前で言葉のドッジボールを繰り広
げている。室内には見渡す限り三人。内二人は腰に剣を下げて武装し、唯一の出入口を塞ぐ
ように立っており、詰め寄っているもう一人と同じく疑いの眼でアルス達を見ていた。
「えっと。エトナも落ち着いて、ね……?」
 最早取り調べというよりは口喧嘩に近くて。
 アルスはあらぬ疑いを掛けられてムキになっている相棒を窘めつつも、
(うーん。どうしたものだろう……)
 内心、この場をどう切り抜けるべきかに頭を悩ませていた。
 ──現在の状況を、守備隊員らとのやり取り(取調べ)の中から抽出して理解しようとす
ればこんな具合だ。
 一つ、ここフォンテイムは確かに東方の都市の一つだが、トナンとは全く別の場所に位置
しているらしいということ。
 二つ、先日の飛行艇爆破テロの影響で、この街を始め多くの東方諸国は“結社”への警戒
を強めており、隊員らがどうにもピリピリとしているのはその所為であるらしいこと。
 そして三つ目は、つい先日アズサ皇がその“結社”への報復として、彼らと結託している
という国内の反政府勢力(レジスタンス)に対し大規模な軍事攻撃を開始したという情報。
 とんだ誤解を受けていると、アルスは思った。
 だがしかし、逐一自分達の理由を話していいものなのかという躊躇いも付随してくる。
 事実としてタイミングが悪かったのだろう。
 聞き及んだこれらの情報──特に三つ目のアズサ皇の攻勢には驚き、兄達への心配が加速
してならないが──から考えても、実際に(一般人にとっては)普通ではない空間転移で街
中に現れた自分達に怪訝の眼が向けられるのは致し方ないのかもしれない。
「お騒がせした事はすみませんでした。でも僕らはただ導きの塔を使っただけで……」
「導きの……? 何でまたそんな古い設備を」
「それはおにーさん達だったら分かるんじゃない? 例のテロがあって間もないし、飛行艇
に乗って旅しようって気になれなかったんだよ」
 兄達や六華、何より“結社”と関わりがあることは伏せるようにして。
 アルスは席に着いたままペコリと頭を下げ、エトナも少しだけ言葉の棘を収めながらそう
掻い摘んだ事情を彼らに話す。
「本当に侵入者では、ないのか……?」
「うーむ……。知らなかったのなら仕方ないが、今後このような事はないようにな」
「気が立っているのは他の街でも同じだろうからね」
「……はい。肝に命じておきます」
 そうして、ようやくアルス達は嫌疑を拭うことができた。
 互いの顔を見合わせて、取り越し苦労だったことに安堵とため息を混じらせながら、隊員
達は表情(かお)の気色をそっと塗り替え始めている。
「どうだ、例の通報された者達は?」
 軽いノックの後、部屋の中にまた別の人物が顔を出したのは、ちょうどそんな時だった。
 ドアの前にいた二人がサッと退いて空間を作り、その兵士──いかにも老練といった印象
を受ける中年男性をこの隊員らは迎え入れる。
「はい。どうやら導きの塔を利用して偶然噴水広間の前に出て来てしまったようで……」
「少なくとも“結社”の手の者、という訳ではなさそうです」
「ふむ……。そうか」
 後ろ手にドアを閉めて、彼らの報告を受けるこの男性。
 向けられた反応や受ける印象、外見からして、おそらくこの街の守備隊長なのだろう。
 彼はその言葉を受け、一度ちらとまだ少々不安げなアルスとエトナを見遣ると、再びこの
部下達に質問を投げ掛ける。
「ご苦労だった。この少年達の身元は確認できているな?」
「はい。どうやらアカデミーの学生のようで」
 最初は連絡先把握の──もしかしたらこのまま送還するつもりだったのかもしれない。
 問うて部下の一人が差し出してきた、アルスから没収していた彼の学生証を受け取ると、
彼は「ふむ」と小さく頷きながら再度自身の目で検め始める。
「……レノヴィン?」
 だが。この時、糸は既に結ばれ始めていたのだ。
「? はい。僕はアルス・レノヴィンといいます」
 その微細な変化の兆しに気付く訳でもなく、アルスはスッと眉根を寄せたこの守備隊長へ
と、改めて肯定の名乗りを返して多少おずおずとなる。
「まさか……。君は……」
 しかしそれを咎める訳でもなく。
 この老練な隊長は、何故か学生証とアルスを何度も見比べながら目を丸くしていて……。


 半ば成り行きのままゲドとキースを伴いホームに戻ってみると、そこには既に思いの外な
先客達が待っていた。
「よう。やっと戻ってきたか。お疲れさん」
「お疲れさま。お久しぶりです、シフォンさん」
 一人は間違えようもない、レノヴィン兄弟の母・シノブ──トナン皇女シノで。
 もう一人は、執事風の壮年男性を連れた、やけに気安く接してくる軽礼装の男性。
 シノブに会釈を返しつつ、シフォンは思わず戸口で止めていた足を再び踏み出した。
 何故ここに彼女が? いやそれ以上に、この二人は何者なのか?
 装いだけを見れば貴族の類だろうと知れるが……。
「お待たせッス、伯爵」
「連れて来ましたぞ」
 そんな疑問は次の瞬間、路中引っ付いて来たこの二人が口にした言葉によって解消される
ことになる。
「おう。ご苦労さん」
 シフォンは思わずこの二人とその貴族風の男性とを見比べていた。
 この二人が“伯爵”と呼ぶということは、この人物はもしかしなくても……?
「さてっと……もう一回自己紹介しておこうか。俺はセオドア・エイルフィード。大抵の知
り合いにはセドって呼ばれてるからそう呼んで貰って構わない。シンシアの父親だと言えば
分かるよな?」
「同じく、セド様に御仕えしております。執事長アラドルンです。以後お見知りおきを」
 そしてこの男性──エイルフィード伯セドは、そんなシフォンにニッと笑い掛けると自身
をそう名乗った。彼の傍らにじっと控えていた側近・アラドルンも、そう短く名乗ると深々
と頭 を垂れて挨拶に代える。
 また既にイセルナら他の団員達は聞き及んでいたのか、彼らは目を丸くしたシフォンを温
かい、されど多少の苦笑いも混じった眼で見てくるのが分かる。
「ともかくシフォンもお二人もかけて? ……大事な、話だから」
 だがそんな、フッと緩んだ空気も束の間。
 イセルナは真剣な表情(かお)に戻ると、そう三人を、椅子を割増して押し込ませてあっ
たテーブル席へと促してくる。
「それじゃあ、早速本題に入ろうか。……いいな、シノブ?」
「ええ。……もう、私達家族が“市民”でいられないのなら」
 ざっと揃ったブルートバードの待機組とエイルフィード家当主一向。そして何故かこの場
に姿を見せているシノブ──トナン皇国皇女・シノ。
 セドは一度、改めて確認をするように、彼女の憂いを多分に含んだ首肯を目に焼き付ける
と、テーブルを囲む一同に向かって語り始めた。
「シフォン君。君が戻ってくるまでに一度皆にはざっとは話したんだが、今回俺がシノブと
一緒にこっちに出向いたのは他でもねぇ。──俺達と一緒にアズサ皇を止めて欲しいんだ」
 眉根を寄せてシフォンが、あくまで平静を装ったイセルナやハロルドがそれぞれに彼の真
剣な表情(かお)と眼差しを見た。
 次いで、一同はシノブへと視線を移す。
 ぎゅっと胸元を掻き抱き、湛えるのをとうに越え、不安に押し潰されそうになりながらも
じっとまた彼女も揺らぐ決意──内面の迷いと闘っているように見える。
「……先ずは、謝らせて欲しい。俺は昔、まだ一介の冒険者として好き放題にしていた頃、
コーダス──後のシノブの夫とコンビを組んでいた。その後の顛末、二十年前のクーデター
の件は既に本人から訊いているんだよな?」
 自ら、セドは先ずはと皆に頭を下げた。
 それは散らかっていた糸、それらを再び一本の太く長い時代(とき)の流れに繋ぎ直す過
程でもあって。
「じゃあ、伯爵殿はシノブさんの言っていた“かつての仲間”の……?」
「ああ。その一人って訳さ。それと俺の事はセドでいいぜ? 何たって君はダチの──ハル
トとサラの甥っ子なんだからよ?」
「……ッ!?」
 セドから返された言葉に、シフォンは明らかな動揺をみせていた。
 ぐらぐらと、その両の瞳が揺らめいている。
 そんなかつての仲間の縁者にフッと笑みを投げ掛けてやると、
「以前君が“結社”に捕まった時の事件はこっちも把握してる。その時にユーティリアって
苗字を見つけてもしやとは思ってたんだ。……それだけじゃない。此処には昔、シノブの為
に──いや、今も奔り続けてる連中ゆかりの人間が集まってるらしい。これも何かの因縁か
と思ったもんさ。……ハルトもサラも、消息を知って喜んでたよ。無事で良かった。何とか
自分達も族長として頑張る。里に戻れる環境を作ってみせる。そう言ってたよ」
 彼は少しだけ横道に入るかのように、そっとこのエルフの青年の心に寄り添う。
「……そう、ですか」
 シフォンは俯き加減に前髪で表情を隠していた。
 感涙か、或いは過去の古傷が痛むのか。
 少なくともセドから伝言されたその言の葉に、彼はかつて里を追い出されるそのギリギリ
まで庇ってくれたこの心優しき叔母と、後にそんな彼女の夫となる小父さんの記憶を脳裏に
思い起こすと、暫し静かに肩を震わせていた。
「……。俺達はずっと、シノブ達一家を見守ってきた」
 だがそれでも、セドは本題を語ることを止めない。
 たっぷりと、落ち着こうとするシフォンの横顔を眺めてから、彼はぽつりとそう何処か遠
い眼をして呟き始める。
「シノブはコーダスと──愛する人と結ばれた。ジークとアルスという子供にも恵まれた。
今までずっと俺達がアズサ皇に“復讐”をしなかったのは力が足りなかったからじゃない。
シノブ本人が一人の女性としての平穏を、自分の所為で争いを蒸し返して故郷の国民を苦し
めたくないと願ったからだ」
 シノブがきゅっと唇を結んだ。
 セドがギリギリと握っていた拳に一層の力を込めた。
 この場の面々には、もう察しが付いていた。
 それは、逆説的に言及していると言ってもいい、哀しい事態の悪化。
 そんな彼女のささやかな願いが、今まさに壊されようとしていることに他ならなくて。
「もうニュースで知ってる通り、アズサ皇が大規模な軍事行動に出た。表向きは自国行きの
飛行艇を“結社”にテロで落とされた、その報復行動ってことになってる」
「しかしそれは、アズサ皇が世界に向けて演じてみせた狂言なのです」
 だが彼らの語ったその情報に、流石のイセルナ達も驚きを隠せなかった。
 一様に驚愕──目を丸くし、動揺をみせ、場がはたと大いにざわめき出す。
「分かり易いように結論から言う。……アズサ皇と“結社”は裏で繋がってる。要はテロは
自作自演って訳だ。で、それを梃子にして国内の反対勢力(レジスタンス)を一気に潰して
しまおう──そんな魂胆なんだ」
「じゃあ“結社”とレジスタンスが手を組んでいるっていう話は……?」
「そっちもでっち上げさ。表向き倒そうとしてる連中が味方な訳だから、真の狙いのレジス
タンスをぶっ潰してからそれらしい証拠を捏造するくらい造作もねぇだろう」
「な、何て強引な……」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ! じゃああのテロの犠牲者はまるで……!」
「……ああ、無駄死にさせられたんだ。奴らの手前勝手な都合でな」
 クランの面々の気色に、憤りが急速に塗られ始めていた。
 あくまでセドは淡々と語っている。だが彼もまた、必死にそんな感情を堪えているらしい
のは、握り締めた拳の震えからも明らかだ。
 勿論、彼に向けられたものではない。
 だが面々の表情に溢れ始めているのは、動静入り混じった義憤──その類の怒りで。
「でもな。それだけじゃねぇんだ。そもそも、こっちが本題の本題なんだが」
 それでもセドはぐっと堪えていた。
 強い眼差し、決意の顔。
 その様子に追随するように、シノブも不安げな表情を持ち上げて皆を見る。
「──レジスタンスと本当に組んでいるのは、ジーク達だ」
 はっきりと、セドはそう言った。
 震わせていた肩から復帰していたシフォンが、大きく目を見開いている。
 そんな彼に、団員達が、イセルナとブルートが補足的に付け加える。
「本当、なんですか……?」
「間違いないわ。実はセドさんが来る少し前に、向こう──リュカさんからも同じ内容の導
話があったばかりなのよ」
「六華を取り戻す為にレジスタンスに接触しようとしていたら、皇国軍の襲撃に遭ってしま
った。加えてジークが皆を逃がす為に単身一人で投降してしまったとな。本当に、悔しそう
な声の連絡だった」
 思わずシフォンはその場から立ち上がり掛けていた。
 アルス君だけでなく、友(ジーク)まで……。
 自分だけの落ち度ではないのかもしれない。だが悔しさが間違いなく腹の奥底から沸いて
くるのが分かる。
「それこそがアズサ皇の目的なのさ。目の上のこぶ──レジスタンスとジーク達をまとめて
潰し、六華全てを手に入れる。名実共にトナンの皇になるつもりなんだろう。六華を手にし
て一番得をするのは、彼女をおいて他にいないからな」
 改めてクランの面々は沈痛な面持ちで押し黙っていた。
 立ち上がりかけていたシフォンもぐらりと席に着き直し、やがて一同の視線は、この事態
に間違いなく最も心を痛めているであろうシノブへと向いてゆく。
「……ッ。うぅ……ッ」
 握り締めた胸元をより強く、深く。
 シノブはもう不安と迷いで潰れてしまう間際まで追い遣られているかのように見えた。
 そんな彼女の背中を、隣に座っていたイセルナがそっと擦っている。きっと息子達や祖国
のことを憂いて気が気がでない筈だ。だけど……もう彼女に、理路整然とした言葉を紡ぐだ
けの余力は残されていなくて。
「……俺達からも、頼む。ジークもアルスも、トナンも俺達と一緒に救ってくれないか? 
事態はもう待ってくれないらしい。もうこれ以上、シノブを苦しませたくないんだ。こいつ
がずっと背負い続けてきたあの国との呪縛を、今度こそ解き放ってやりたい……」
 頼む。セドは恥も外聞もかなぐり捨てる勢いで、深々と面々にその頭を垂れていた。
 傍らのアラドルンも、心持ち離れ気味に居たゲドとキースも、やや遅れて彼に倣う。
「……。私達が断わるとでも思っていましたか?」
 しんとなった休業中の『蒼染の鳥』店内。
 そんな沈黙を破ったのは、真剣な表情のまま口を開いたイセルナだった。
「是非協力させて下さい。仲間(とも)を救う為なら……この身を惜しむつもりはない」
「だね。ここまで事情を知って知らぬ存ぜぬを貫こうものなら、それこそ天罰が下る」
「勿論です!」
「俺達でよければ、喜んで」
「アズサ皇も“結社”も……許せねぇ、ぶっ飛ばしてやる!」
 団長(イセルナ)の一言が合図だった。
 気付いた次の瞬間には、シフォンもハロルドも団員達も、次々にセド達の頼みに快諾と意
気込みを返していた。
「……皆、さん」
 にわかに空気がざわめき出す。シノブがじわっと両の瞳を濡れそぼらせる。
「ご迷惑を、お掛けします……っ」
「そこは“ありがとう”だろ? 気に病むな。俺達もブルートバードの皆も、お前を見捨て
たりしねぇよ。……あいつとの約束なんだ。絶対に、取り戻してやっから」
 とうとうシノブは、嗚咽で俯いてしまっていた。
 傍らのセドは一度フッと苦笑すると、そんな彼女の背中をポンポンと撫でてやってから、
そう静かに慰めて言う。
 その言葉の端に、過ぎ去った日々の中で誓い、磨き上げ続けてきた決意を込めて。
「ですが……具体的にどうするつもりなのです? 相手は一国の正規軍。加えて今は表向き
“結社”との対決を演出し世間体も保っています。そんな相手にまともにぶつかるのは得策
ではないと思うのですが……?」
「ああ。それなら心配ない」
 そんな中、眼鏡の奥で目を細めてハロルドが早速打ち合わせ的な質問を投げ掛けてきた。
 ジークやアルス、皇国(トナン)の民をこの戦火から救う為にも、あまり悠長にはしてい
られない。かといって無策で武力衝突をすれば、こちらが大きく対外的に大きな不利を被る
のは目に見えている。
「現在進行中で協力者達に手を回して貰ってる。大枠の作戦も練ってある」
 それでも、セドは悲観的ではなかった。
 むしろ、まるでこれまで抱えていたエネルギーを今こそ解き放つ時だと言わんばかりに、
その表情にはある種、迷いがない。
「……この日の為に、俺はずっと伯爵をやってきたんだからな」
 只々、仲間(とも)を深い嘆きの底から救い出す。
 ただその一点の為に、己全てを擲つ覚悟であるように。

「失礼致します。レノヴィン殿をお連れしました」
「ご苦労。通してくれ」
 何故か守備隊長が慌てて出て行ったかと思うと、暫くしてアルスとエトナはそれまでとは
正反対の──丁重な対応を受けていた。
 加えて今はその壮年の守備隊長に連れられ、この街を見下ろす屋敷の、とある一室のドア
の前にまで足を運んでいるという状況だ。
(とりあえず、変な疑いは晴れたみたいだけど……)
 まだ燻る不安のまま、アルス達はその部屋へと通された。
 ふわっと踏み締めた足には、如何にも高級そうな絨毯の感触が伝わってくる。
 どうやらここは、この屋敷の中でも位の高い人間の──或いはそんな人物を迎える為の部
屋であるらしい。
「彼らと三人で話したい。人払いを頼む」
「はっ。では……」
 そこにいたのは、貴族の礼装に身を包んだ一人の男性だった。
 金髪を几帳面に切り揃え、白を基調としたその服装と相まって清潔感や高貴さが印象付け
られる。彼はアルス達を案内してきた守備隊長にそう告げると、彼を場から立ち去らせた。
 カチャリと、緊張気味に立つアルスの後ろでドアが閉まる音が聞こえていた。
「さて……。すまなかったね、うちの守備隊員が粗相をしてしまって。改めて私からも謝ら
せてほしい」
「い、いいえ……」
「別にいいよ。何だかそっちで収まったみたいだしさ? それよりも貴方は誰なの? 見た
感じ、この部屋からしても──」
 振り返り、金髪の貴族男性は真面目にだが柔らかな物腰で開口一番、そう小さく二人に頭
を下げてきた。
 そんな彼の態度に思わずアルスは恐縮し、一方でエトナはまだ少々むくれたまま、目の前
のこの人物について誰何しようとする。
「申し遅れた。私はサウル・フォンテイン。この輝凪の街(フォンテイム)の領主をしてい
る者だ。初めまして、アルス君。その持ち霊エトゥルリーナ。……シノ殿下のご子息よ」
「ッ!?」
「……貴方。どうして」
 だが次の瞬間、恭しく胸元に手を当ててお辞儀──貴族風の挨拶をしながら言った彼の言
葉に、アルス達は思わず目を丸くして驚いていた。
 自分達の名を知っていることに、ではない。
 敢えて母を──その隠してきた筈の本名と血筋を知っているかのように付け加えてきたか
らである。
 アルスは只々純粋な驚きを、エトナはそんな相棒を護るように前に出ると、彼──フォン
テイム侯サウルは静かに微笑んでいた。
 少なくとも、敵意の類は感じられない。それはここに連れて来られるまでの経緯でも見受
けられるものだ。
 アルスは少々躊躇いこそみせたが、ややあって警戒心を表明しているこの相棒にやんわり
と言い聞かせて退かせると、改めて問い返す。
「どうして僕らを……? いえ、母の事を知っているのですか?」
「簡単なことだよ。私もエイルフィード伯らと同じく、彼女のかつての仲間だからね」
 そう。確かに、それでおおよその理解はできた。
 母のかつての仲間。それはつまり二十年前のクーデターの折、父と共にアズサ皇の追っ手
から母を守り抜いてくれた者達の一人ということで。
(エイルフィード伯……。シンシアさんのお父さんもその一人だったのか……)
 アルスは目を瞬き、心なし眉根を寄せて、猛スピードでこの状況と今までの情報の整理に
頭を働かせ始めていた。
 少なくとも、この人は悪い人じゃない。多分きっと。
 そんな彼の思考をそっと待っているかのように、サウルは暫しの間を置いてくれた。
「尤も、私の場合は当時、間接的な関わり方しかできなかったんだがね。むしろ彼女の仲間
と呼ぶべきは……妻の方だったと思う」
 言って、彼はふと部屋の一角のローチェストへと歩み寄っていた。
 そして静かに手に取ったのは、一枚の写真立て。
 そこには彼と、小さな赤ん坊を抱えた白い銀髪──眞法族(ウィザード)の女性が肩を寄
せ合って微笑んでいる姿が写っている。
「アイナ・ウィルハート。……コーダス君達の仲間の一人で、私が愛した女性(ひと)だ。
元々そう丈夫な方ではなかったのもあって、息子を産んでからは病に伏せがちで……逝って
しまったが」
「……。そう、でしたか」
 酷く哀しそうな眼だった。だがそれは、彼がそれだけこの女性を深く愛していたことの裏
返しでもあるのだろうと、アルスにはごくごく自然に思えた。それに……。
「ねぇアルス。ウィルハートってまさか」
「……うん。僕もちょうどそれを考えてた」
 二人は改めて、この領主を見た。
 写真立てをじっと愛おしげに見つめてから、そっと元の場所に戻している彼。
 そんな彼に、アルスが確認するように問い掛ける。
「もしかしなくても貴方は、サフレさんの……お父さん、なんですか?」
「……ああ。先程話したようにウィルハートは母方の姓でね。私は息子には酷く嫌われてし
まっているからね。……息子は、そっちで元気にやっているだろうか」
「ええ。ちょっとゴタゴタはしましたけど、今は僕らの──クラン・ブルートバードの一員
としてマルタさん共々力を振るってくれていますよ」
「何だかんだでジークの手綱も握ってくれてたりするしね。冷静というか、斜に構えてるっ
ていうかさ」
「……そうか。二人とも、元気そうでよかった」
 問いに答えて、またアルス達から返って来る返事に安堵して。
 サウルはフッと笑い、窓の外から眼下の街並みに目を遣っていた。……いや、街の景色と
いうよりはそんな遠い地にいる息子(とその従者)を思っていたのだろう。
 やっぱりそうなのか……。
 アルスは予想を確定に変え、内心で頷いていた。
 繋がっていく気がした。時代(とき)を越えて、仲間(とも)らが集うかのような。
「だけど何でまた、母方の苗字を? つまりサフレって領主の息子なんでしょ?」
「……簡単な、ことさ。あの子は私を憎んでいるんだよ」
 くしゃりと。サウルの表情が哀しみで歪んだように思えた。
 だが、それはあくまでこうして彼自身の吐露を目の当たりにしたからなのかもしれない。
 少なくともそんな話を聞いていない限り、その外見はあくまで“真面目な侯爵”の域を出
ていなかったからだ。
「生前、病床の妻は大層悔やんでいた。仲間(とも)を──シノ殿を救い切れなかったこと
をね。コーダス君と結ばれ、君たち兄弟という子供を授かっても……祖国から逃げたことを
ずっと負い目に感じているようだと話していた」
 自分達と、目を合わせたままでいるのが怖かったのかもしれない。
 無意識の、領主としての矜持だったのかもしれない。
 サウルは窓の方を向いたまま、静かに口を開いていた。
 アルスは言葉通り、その抱えていたであろう母の苦しみを思い、エトナは宙に浮かんだま
までじっとサウルの横顔を見遣っている。
「だから、私は妻と約束した。誓ったんだ。君の仲間(とも)らと一緒に、いつしか彼女を
救ってみせると。……妻はそれから程なくして、逝ってしまった」
 窓辺に映る自身の姿。
 それをじっと見つめながら、サウルは半ばの独白を続けていた。
「私は力を尽くしてきたつもりだ。エイルフィード伯──セド君とも連携して信頼の置ける
人脈を広め、ずっと君達一家と彼の国の情勢を見守ってきた。だが……そんな私を、息子は
“金儲けに明け暮れて母を死なせた男”と見ていたらしい」
「そんな……。でも」
「いや、一面では事実だよ。資金がなければこうしてずっと妻の遺志を継ぐこともできなか
ったのだからね。実際、その為に私は傘下の事業の拡大も図ってきたし、そこで他の諸侯や
有力商人らと何度となく競争を繰り返してきた。それが、息子には酷く醜いものに見えて仕
方なかったのだろう」
 サウルはあくまで冷静に話していたが、それは……。
 思わず口を挟みかけ制止されたアルスは、もやもやと胸中で頭をもたげ始めた切なさに眉
を顰めていた。
 父子(おやこ)の、齟齬。
 同じことを連想したのだろう。傍らのエトナもまた、不機嫌なような承服しかねるような
むくれ面で、視線を逸らし気味にして佇んでいる。
「……サフレさんには、この事は?」
「話していない。私達の代のことに巻き込みたくないからだったが……生憎、事態はそうも
予断を許さなくなっているがね」
 だがその話は、他ならぬサウル自身がここまでだと線引きをするかのように一旦遮断して
しまっていた。代わりにそこから別の──いや、本来の話の目的へと彼はアルス達を誘導し
ようとする。
「ジーク君達が、トナンという国が、今危機に陥っている。君達も知っているだろう? 先
日トナン行きの飛行艇が“結社”によって落とされた。だがあれは狂言なんだ。アズサ皇と
“結社”は、裏で繋がっている。今回の一連のレジスタンスへの軍事行動も、全ては彼らと
その彼らと手を組もうとしていたジーク君達を潰す為。何より護皇六華を我が物とするべく
取った彼女達の陰謀なんだ」
「え……っ? ちょ、ちょっと待って下さい」
「ジーク達は、テロに巻き込まれてないの……?」
 だがそこで齟齬が生まれた。
 サウルが真剣に話す、その一方でアルス達はたちまち混乱で話が分からなくなっている。
「……? 君達は、何か勘違いしているようだが──」
 そしてそこでようやく、アルスとエトナは自分達の一大決心の出奔が空振りだったことを
知ったのだった。
 サウルから聞かされた今までの一連の話。
 ジーク達が飛行艇ではなく、既に導きの塔でトナンに着いていたこと。
 その旅中で反皇勢力(レジスタンス)と手を取り、六華奪還の同盟を結んだこと。
 何よりも、その動きを封じ込めるように今まさにアズサ皇が軍勢を動かし、ジークが囚わ
れの身になってしまったこと。その全てを聞かされたのだった。
「……完全にすれ違い、だったんだ」
「うぅ……。で、でも、兄さん達がピンチだってことには変わりないよ。尚の事急がなくっ
ちゃ。このままじゃ、兄さんが処刑されちゃう……」
「その通り。だからこそ私達は今、急ピッチでトナンへの突入準備を進めている。表向きは
皇国軍への“友軍”として、国内へ立ち入ろうと働き掛けている。その最中なんだ」
「友軍……?」
「なるほど……。要は相手の演技に利用しよう(のっかろう)ということですね? 確かに
それなら、向こうもあまり無碍には断われませんし……」
 一度は気落ちしそうになった二人だが、それでもジーク達が危機に瀕していることには変
わりなかった。互いに顔を見合わせ、改めて力になろうと決意を固めようとする。
「そうだ。だから……君達はアウルベルツに戻りなさい」
 だが、そんな二人にサウルは水を差すような諌めを放っていた。
「ジーク君達も、皇国(トナン)の内乱も、私達が必ずや止めてみせる。だから君達は」
「私達が邪魔だって言うの!? アルスだって正真正銘の──」
「……分かっている。だが君達にまで何かあったら、私はどう皆に顔向けすればいい? 既
にセド君の側が、今回の作戦についてブルートバードの皆さん方へ説明に向かってくれてい
る頃だ。すぐに連絡を取って帰国の用意を整えさせよう。だから」
「──いえ。僕達はこのまま残ります」
 反発するエトナに、サウルは静かな懇願の言葉を返す。
 だがそれ以上に……アルスの意思は固かった。
 口論になりかけたその瞬間、ひらっと垂らした雫のように、彼の短い決意の言の葉は二人
を有無を言わさずに黙らせていた。
「イセルナさん達にはちゃんとここでの経緯も連絡して謝ります。ですから僕達も、ご一緒
させては下さりませんか? ……お願いします。僕らだって兄さん達の仲間なんです。もし
このまま何もできず終わったら……僕が今ここにいる意味なんか、無い」
 驚いてるサウルに、アルスは更に深々と頭を下げて懇願していた。
 そんな相棒の、皇子だという背景を微塵も使わない態度に、エトナもまた慌てて倣い頭を
垂れている。
「アルス、君……」
 サウルは激しく戸惑っていたようだった。
 仲間(とも)の子らを危険な目に遭わせたくはない。
 しかしこの意思は。いや……“鬼気”は。
「……分かった。だが先ずは、ちゃんと向こうと連絡を取ってやって欲しい。私の一存だけ
では、君達をどうこうはできないよ」
 結局、彼はそういう形で折れることとなった。
 ゆっくりと顔を上げて、アルスは「ありがとうございます」と静かな礼を述べていた。
 エトナはおずおずと、この怖いくらいに真剣な表情(かお)の相棒と、困惑の気色を濃く
残している侯爵との間で何度も視線を往復させている。
(これ以上、兄さんだけに……皆にだけに、背負わせるもんか)
 そして当のアルスは。
(ここで僕だけが、安穏としている訳になんて……いかない)
 一人、心の中でそう静かに闘志を燃やしていた。

「──相打ち?」
 トナン王宮内の廊下を往きながら、リオは駆け寄ってくる兵達からのその報告にちらと目
を遣っていた。
「はい。西棟第三武器庫にて駆けつけたキサラギ小隊と交戦、キサラギ少尉と相打ちになり
ながらもこれを撃破した模様です」
「先刻別の隊も到着したのですが既に肝心の脱獄者一同の姿はなく、キサラギ小隊の面々に
よって応急処置を受けている重症の少尉が発見されました」
 どうやら外の鼠を相手にしている間に、王宮内(こちら)では随分と大騒ぎになっていた
らしい。
 ざっくりと、現在起きている状況について兵達から説明を受けながら、リオは上着を揺ら
しつつその足を王の間へと急がせる。
 当事者たる小隊の面々からの情報なら、間違いはないだろう。
 だとすれば、今彼ら脱獄者一同は深手のジーク・レノヴィンを抱えてこの王宮内の何処か
に潜んでいることになる。
 寄せ集めの集団とはいえ、中にはレジスタンスのメンバーなども混じっていると聞く。
 今のこの状況がどれだけ彼らにとり不利か、分かっていないとも思えない。
「……報告ご苦労。お前達も捜索に加わってやれ。俺は一度、陛下に面会してくる」
「はっ!」
「了解致しました!」
 ビシリと敬礼をして、報告に来ていた兵達が小走りに走り去って行った。
 今この王宮内にいる警備兵の数からしても、ジーク・レノヴィン達が見つかるのは時間の
問題だと思われた。
「──やっと戻って来たわね。こっちは大変なことになっているのに」
 そして王座の前に足を運ぶと、座していたアズサは開口一番、そうリオに向かって棘のあ
る言葉を投げてきた。
 しかしリオは、何ともないと言った感じで彼女の真正面に突っ立っていた。
 ちらと周りの臣下らを見る。持ち込んできたデスクの上でデータを処理しつつも、やはり
自分へ向ける視線は逸らし気味だ。
「らしいな。大体の状況は兵達から聞いてきた。……キサラギ小隊が破られたらしいが?」
「ええ。使えないわ。何故、追跡する兵力を割かなかったのかしら……。職務怠慢よ」
「……」
 アズサがぽつと零すその言葉に、リオは黙っていた。
 司令官としてなら、当然の思考なのかもしれない。
 味方の救護よりも、優先すべきはこの王宮の治安回復ではないか? 採るべき優先順位が
違うだろう? 彼女はそう言っている。
 そして彼女はこういう姉(じんぶつ)なのだと、改めて確認できる。
「……まぁいいわ。それよりもリオ、貴方にも捜索に回って貰うわ。早くこの城内の騒ぎを
鎮めて来なさい。但し脱獄者達は生かして捕らえること。多少痛めつけておいても文句は言
わないけれど」
 予想していた内容だった。
 要はジーク・レノヴィン──予定していた“粛清”の素材を、この混乱の中で死なせてし
まうと後々都合が悪いのだろう。
 六華を手に入れ今度こそ真の皇となること。
 姉者(アカネ)の血脈を今度こそ断つこと。
 今目の前の姉は皇は、その執念と共にあるのだと、リオは改めて思った。
「ん……。分かった」
 愛想なく頷いて、リオはバサリと上着と踵を返して歩き出そうとした。
 本来、一国の王を前にこんな態度でいれば斬首されそうなものだが、リオ自身がアズサ皇
の実弟であることは臣下一同も周知の通りだ。
 たとえ彼女が彼を一介の“傭兵”として雇っている態を採っていても、その事実は変えよ
うがない。
 故に元々の寡黙さも相まって、リオは王宮内にあっても周囲の者達とは距離を取り、取ら
れて久しかったのである。
「リオ。一ついい?」
 しかしそんな彼の歩みを、ふと王座の上のアズサが呼び止めていた。
 立ち止まり、リオは肩越しにちらとこの姉を見上げて「何だ?」との眼を向ける。
「さっきは何故外の小勢に打って出たの? 普段の貴方は腰の重い傭兵だというのに」
「……偶々夜風に当たっていたら見かけただけだ。それで様子を見に行ってみたら、巡回の
兵達が騒ぎを大きくしてしまっていた。それだけの話だ」
「ふぅん……? ならいいけど」
 含んだ言葉と見下ろす眼。
 リオとアズサはじっと暫く互いを見遣っていたが、またフッと、どちらからともなく関心
を切るかのように交わらせていた視線を解く。
 そして今度こそリオは、無言のままヤクランを翻し、王の間を後にしていってしまう。
 離れていった物理的な距離感が暗示するように、この姉弟の間にも、また何かしらの溝が
確かにあるようにみえる。
「……。頼りにしているわよ?」
 それから、どれだけの沈黙を挟んだろうか。
 忙しない役人らの奔走ぶりを眼下にアズサはたっぷりと間を置くと、
「“剣聖”……。いえ、我が弟(リオ)」
 ふと誰にともなく、そんな小さな呟きを紡いでいて──。

「──着きました。此処です」
 ソサウ城砦前での交戦から一夜。
 辛くも危機を脱したダン達は一旦レジスタンスの仮アジトに戻り、パトロン達との交渉を
続けるサジらとの合流を果たしていた。
 そしてその場で、改めて話し合われて明らかにされたのは以下の三つに集約される。
 一つは、予想以上にパトロン達の萎縮が進み、兵力の再確保が一層難しくなったこと。
 二つは、ダン達の偵察した限りでは、ソサウ城砦を現状の兵力で攻めるのは難しいこと。
 そして何よりも、アズサ皇の側のかの“剣聖”がいるという悪い報せであった。
 正直、絶望的状況に近かった。
 城砦を皇都を、ひいてはアズサ皇を押さえられるだけの兵力が揃わないばかりか、このま
までは囚われたジークの身が益々危うくなってしまう。
 それだけは、何としても避けたい。
 少なくともそれは全員一致の意思だった。

『皆。実は、話しておかないといけないことがある』
 しかし報せは、何も一つだけではなかったのである。
 打開策を見出せぬまま押し黙っていた面々に、ふとリンファがある事実を告げたのだ。

 ──リカウへ向かえ。そこの者達に、俺が行動を開始しろと言っていたと伝えろ。
 
 それは、城砦前で“剣聖”と刃を交えていた真っ只中、彼女へと密かに告げられた彼から
の謎めいたメッセージだった。
 勿論、当初ダン達はその真意を量りかね、アズサ皇側の罠ではないかと懸念を示した。
 だがそれでも、リンファだけは最後までその可能性に頷くことはなかった。
『リオ様ほどの実力の持ち主であれば、あの場で私達を壊滅させることは容易だった筈だ。
なのに……あの方はそうしなかった。まるで、私達を試していたかのような……。だから私
には、あの時リオ様が姿を見せたのはただ迎え撃つ以外の、もっと別な意図があったからだ
と思えてならないんだ……』
 ダン達の怪訝は消えなかったが、それでも結局、一方でその“可能性”にも手を伸ばして
みようという決断が下された。
 打つ手が中々見つからない中での、足掻きでもあったのだろう。
 故に、引き続きダンやサジ達が皇都への侵入方法を模索する中、リンファやリュカ、ミア
と十数人程度のレジスタンスのメンバーという別働隊が結成されることになったのである。

「……。廃墟」
「そうですね。以前は自分達がアジトの一つに使っていたんですが、十年位前に皇国軍から
攻撃を受けて放棄した場所なんですよ」
「まぁ廃墟になったのは、それよりもずっと昔の事らしいんですけどね」
 レジスタンスのメンバー達に案内された小村・リカウは、文字通りの廃墟だった。
 時折吹く風に、カラカラと瓦礫や土煙が舞っている。
 ミアやリュカらが目を細め、それぞれに辺りの様子を眺めている。
「とりあえず一通り見て回ってみよう。場所はここで間違いないんだろう? きっと何かが
ある筈だ」
 ざっと見渡した限りは、何も無い。自分達以外の人気もない。
 それでも一行は暫しの間、レジスタンスの面々からそんな補足説明を受けつつ、注意深く
この廃墟の中を探索して回ってみることにする。
「……」
 それから、どれくらい時間が経った頃だろうか。
 皆が何人か毎に分かれて村内調べて回っている中にあって、リュカはただ一人、この廃墟
の中心に位置する場所でじっと何かに耳を傾けていた。
「……。リュカ先生?」
 そんな彼女の様子に、やがてミアや皆々も気付き始める。
 何だろうと近寄ってくる仲間達。
 するとリュカは、フッと微笑みを返すとこちらを見返してきた。
 その手には、仮アジトから借りてきた携行型の端末が一つ。
 中空にディスプレイが展開され、何やら小難しい数式の羅列が延々と流れている。
 加えてよくよく目を凝らしてみると、彼女の周りに確認できたのは……点々と瞬いては消
えてを繰り返す光──弱く顕現している精霊達の姿で。
「何をなさってるんですか?」
「というか、いつの間にうちの端末を……」
 気付けばリンファもミアも、面々全員が集まっていた。
 その中で、レジスタンスのメンバーが何人か、皆を代表するように訊ねている。
「勿論、調べていたのよ。魔導師は魔導師らしい方法でね」
 言って、リュカは再度端末を操作した。
 するとややあって、それまでディスプレイ上に流れていた羅列がはたと止み、一つの完結
した構築式を表示する。
「……見~つけた」
 リュカはぺろっと唇を舐めて呟いていた。
 暗算なのだろうか。彼女はその式を数秒見つめると、空いた方の指先で何やら空中にメモ
を取るような仕草をする。
 ふわふわと、決して強くはない光を纏う精霊達が彼女の周りを漂っていた。
(こんな寂れた場所にも……精霊はいるのだな)
 返答があったのは、ぼんやりとリンファがそんなことを頭の片隅で思考していた、そんな
時だった。
 ウインクを一つ。彼女は面々に向かって言う。
「一ヶ所だけ、ストリームの流れが不自然な場所を見つけたわ。微弱だけど、誰かが人為的
に弄った──魔導を利用していた痕跡が残ってる」
 感嘆と驚き。
 リンファ達は思わず大きく目を見開いていた。
 次いでリュカが、ちらとその場所──廃屋の一つへと視線を遣る。
「探すぞ!」
 次の瞬間、面々は一斉にその廃屋へと駆けて出していた。
 最早半分野晒しになっている、辛うじて家屋だったと知れる程度のあばら屋。
 そこに残された、殆どが朽ちかけている家財道具や床・柱を、一同は手分けをして隈なく
調べてゆく。
「……皆、来て」
 そしてさほど大きくない廃屋の中で、それは見つかった。
 床に屈み込んでミアがふと何かに目を凝らすように身を乗り出すと、そう淡々と皆を呼ん
で言う。
 そこにあったのは……窪みだった。
 大きさは盾の形をした掌サイズといった所だろうか。
 何だろう? そう面々が互いの顔を見合わせていると、ややあってリンファがハッと何か
に気付いたように自身の懐を探る。
 取り出したのは──これと全く同じ輪郭を持った、皇国近衛隊の紋章(エムブレム)。
「……なるほど。そういう事だったのか」
 エムブレムを握り締めたまま、リンファは皆の視線を浴びて呟いていた。
 顔見知りであったからこそ、リオ様は自分にあの言葉を投げ掛けてきたのだ。
 自分がかつて近衛隊の一員として、何より殿下の御側役として宮仕えをしていた、その過
去を知っておられたから。
 おそらく──いや、十中八九これは。
 場の面々は既に予想がついていた。
 リンファ自身もまた、この先に何かがあると確信を抱いていた。
 革のカバーの中からエムブレムの本体を取り出し、そっと窪みに嵌め込む。
 ……間違いない。ここだけ、全く埃が溜まっていない。
 すると次の瞬間、背後の戸棚がひとりでに音を立ててスライドした。
 そして姿を現すのは──薄暗い地下へと延びる階段。隠し通路の入口。
『…………』
 リンファ達は、誰ともからなくお互いの顔を見合わせていた。
「行こう」
 是非もなかった。
 ただリンファ達は、目の前の開けた道を進むだけで。

 地下は思っていた以上にしっかりとした造りのようだった。
 避難用だったのか。或いは何かしらの貯蔵庫の為だったのか。何れにしろ、人が身を隠す
には良好な物件といえるだろう。
 一同は戦闘にリンファとミアを、殿を得物を構えたレジスタンスのメンバー達を、そして
その両者で挟み守るように真ん中にリュカという並びで階段を降りて行った。
 不気味なまでに静かで、冷たい。
 暗がりはリュカが付近の精霊達を呼んで灯りとしてくれているとはいえ、足元が不安定で
あることに変わりはない。
「な、何があるんだろう?」
「さてな。確かめてみなきゃどうにも──」
「ッ……!」「下がれッ!」
 そんな時だった。
 不安げな言葉を漏らしかけていた面々に、突然最前列を行っていたリンファとミアが眉根
を寄せて叫んだのである。
 それでも、皆(リュカを除けば)は少なからぬ戦いを経験してきた者達だった。
 二人が叫んだ瞬間、後方の面子は反射的にリュカを囲むように各々の身体を前に出して剣
や短銃といった得物を暗闇に向ける。
 それと同時に響いたのは、リンファの長太刀とミアの両手甲にぶつかる多数の武器の音。
 ちょうど階段を降りきり、その先の小部屋に足を踏み入れようとした一行を、暗闇の中か
らの奇襲が迎えてきたのである。
「何だ何だ!? いきなり随分な歓迎じゃねぇかよ……!」
「畜生め……。やっぱり罠だったのか」
 元より半信半疑だったレジスタンスのメンバー達は、にわかに戦闘態勢へと雪崩れ込もう
としていた。リュカを守るようにして狭い通路で陣形を組み直し、この奇襲攻撃を受け止め
たリンファとミアも、今にも加勢しようとする。
「落ち着け! ……まだそう決め付けるには早い」
 だがリンファはそんな後方の同盟者達に釘を差していた。
 握り締めた長太刀、その刃で振り下ろされてきた攻撃をじっと防いだまま、同じく両腕を
挙げた格好で暗がりの中に目を凝らしているミアを一瞥する。
「……私達は戦いに来た訳ではない。先日、リオ様より受けた伝言を伝えに来たんだ」
 するとどうだろう。心なしか押し付けられていた得物の感触が和らいだような気がした。
 やはりなのか。
 リンファはそんな微細な反応を刀越しに感じながら、あの時彼が渡してきた伝言をこの場
で紡ぎ直す。
「“行動を開始しろ”──リオ様は確かに私にそう言った」
 するとまた一層、得物の感触が遠退いていった。
 リンファとミアはそっと防御の構えを緩め、部屋の奥の暗がりに目を凝らす。
『お前は、何者だ?』
 そして次に飛んできたのは、誰何。
 ミアや後方の面々がちらりと自分を見遣ってくる。
 リンファは一度、気を取り直すように軽く咳払いをすると、
「私はホウ・リンファ。先代の頃の皇国軍で近衛隊士の一人だった者だ」
 先刻回収しておいた近衛隊のエムブレムを掲げながら、そう名乗りを上げた。
『……』
 するとどうだろう。その返答を投げ返した次の瞬間、視界が急に明るくなった。どうやら
部屋の照明──松明を焚いたらしい。
 そこに在ったのは石を積んでこしらえたとみえる小振りな地下室のエントランス。
 そして何よりも、刀や槍で武装した、ざっと五十人はいるであろう老若を問わぬ男達の姿
であったのだ。
「貴方達は……」
 これは、一応の警戒を解いてくれたと考えていいのだろうか?
 リンファは、ミアは、構えていた得物をだらりと下げると、言葉少なげにこの集団と対峙
する格好となった。
 後方のリュカとレジスタンスの面々も、少なからず驚きながらも向けていた得物を収めて
いた。そんな中、彼ら集団の老年格の面子がリンファを見、何やらコクと頷いていみると、
まるでそれを合図とするように彼らは一斉に構えていた武装を引っ込めたのである。
「失礼致した。リオ様の寄越された使いの方でありましたか」
「儂は覚えておりますぞ? シノ殿下の御側役を務めていた隊士殿でしたな」
 フッと向けられていた殺気は消え失せていた。
 代わりに見ることができたのは、非礼を詫びる言葉と深く下げられた頭。
 どうやら……もう大丈夫らしい。
 リンファが後ろの皆に肩越しに振り返り頷いてやると、ようやく一同全員がこの地下階の
エントランスに収まる格好となる。
 改めて、リンファ達とこの一見すると兵士でもなさそうな集団が相対していた。
「リオ様のお言葉、ありがとうございます」
「これで、我々も長年の願いを叶えられる……」
「いえ……礼には及びません。それよりも」
 だからこそ。
「一体、貴方達は何者なのです?」
 リンファはようやく──いや、改めて問うていて。
「そうですね……。先ずはこちらも名乗らなければ」
 そしてそんな誰何に、彼らは。
「言うなれば、我々は“皇弟派”とでも言いましょうか」
「この国の長い内乱(たたかい)に、終わりを望む者です」
 申し合わせるように互いの顔を見合わせると、そう確かに答えたのだった。

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  1. 2012/03/26(月) 22:00:00|
  2. ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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