日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)アンティーク・ノート〔2〕

 歳月は少しずつ、そして確実に流れ巡っていくものだ。
この歳になって、佐和子はとみにそんな感慨を覚えてならなくなる時があった。
過ぎ去った時間の記憶。思い出いう名の過去事象。「視える」事で少しずつ孤立していった
彼の事。それを同じ力の持ち主として支えようとした幼少の日々。
 そんな彼が出征した時には、毎日不安で仕方なかった。視え過ぎる彼が、戦場などという
特殊な環境に耐えられるものなのだろうか。自分達の生活が苦しいにも拘わらずそんな心配
が常日頃のように脳裏を漂っていたものだ。
 だから、彼が何食わぬ顔をして笑顔で戻って来てくれた時はとてもほっとし、嬉しかった
のを今でもはっきりと覚えている。そして、この時から自分でも気付き始めたのだろう。
 その後の彼は、言ってしまえば以前にも増して「変人」扱いされる事になった。
 窮々とする人々とは全く違って、あの「店」を構えた事。
『助けなきゃいけないのは、人間だけじゃないと思うんだ』
 そう何の後ろめたさもなく、笑って答えた彼の笑顔を見て、私は後ろめたくも思ったもの
だった。彼は、自分のように視える事と適度な距離を置いてはいなかった。
『……ううん。それで、いいんだよ』
 思い返せば、彼はもうずっと前から自分が人々と同じ道に立てないのだという事を悟って
いたのかもしれない。共生できる道を望んでも、自分の生涯の中ではそれが叶わぬ事が。
 だから、私が自分の気持ちに正直になった時も、
『僕とはこのまま距離を置いた方がいい。僕一人では不幸ではないけれど、君まで巻き込ん
でしまったら、きっと僕は、いや君も不幸にしてしまう。それは……できないよ』
彼は悲しげな顔の中でも、そう優しく拒んだのだ。

 じっと手を見る。この歳になってすっかり皺だらけになってしまった。
彼も、見合いで決めた夫も、もう先に逝ってしまった。そして私は、今もこうして余生を
のんびりと生きている。過去を戻ることはできないが、あの時の事を思い出す度に私の人生
は果たしてこの道で良かったのだろうかと自問している事に気付かされる。
(……それでも、まだ私は幸せ者だわね)
 歳をとっても静かに暮らせる環境を整えてくれる、家族や周囲がいるというだけでも幸せ
なのだろう。それを当然のようにして威張り散らすのは老輩のすべき所ではない、そういう
風に佐和子は思っていた。
 あの時、無理をしてでも彼についていってしまったら……私は今も尚、奇人・変人として
後ろ指を指され続ける余生を送っていたのかもしれない。
 だからこそと思う。彼の先見の眼は鋭かった。私をその苦しみから事前に救ったのだ。
 だからこそと思う。もっと、彼は人々と共に生きる生き方もできた筈ではないか。
 しかし、そんな彼はもういない……。
 ずっと、彼はそんな不幸(と本人が思っていたかは不確かだが)を背負ったまま一生を終
えていったのだろうか。今となってはどうしようもない疑念でしかなくなったが。
「…………」
 ぼうっと、座り込む縁側から庭を見遣る。手入れされた庭の木々が中春の静かで温かな日
差しを受けてゆらゆらと煌いているかのようだ。本当、家の者達は勤勉だなと思う。そんな
風に指導してきたのは、紛れもなくまだ幾分若き頃の自分なのではあるが。
「──よね? じゃあ……あれは──」
「そうだ──そう、だから──」
 耳にドタドタと家の奥の方で何やら騒がしくやっている。ずっとこの家で暮らしてきて、
大方の予想はつくようになっている。何かの儀式の準備でもしているのだろう。
「お。紅葉や」
 ちょうど、用具を胸元に抱えて通り掛かった孫を呼び止めてみた。
「ん? どうしたの、おばあちゃん」
 やはり儀式か。巫女服姿。自分の若い頃を思い出すようだ。内心で微笑ましい気分になり
ながらも、ふいとこちらを見遣ってくる孫に訊いてみる。
「……今日は何かあるのかい? 儀式の準備のようだけど」
「うん。御祓いの予約が一つあるの。ほら、ちょっと前に話したでしょ? 扇町の幽霊屋敷
の件でね。うちの学園の先輩達の」
「あぁ……あれかい」
 だとすると。
「また智秋君に色々吹っ掛けたね?」
「ふ、吹っ掛けるって言い方はしないでよ~……こ、これは、世の為人の為、何よりあいつ
自身の為なんだから」
「ふふっ。そうかいそうかい」
 苦笑いで言い訳する紅葉に、佐和子は思わず微笑んでしまうのを隠せなかった。
 似ている。あの頃の自分と彼に。昔を見ているかのようだと。僅かに頬を赤く染めて視線
を逸らしている紅葉。重なるあの頃の記憶と面影と。
(…………似ている、か)
 だからこそ。
「……紅葉や」
「うん?」
 真剣な顔になって、孫に伝えたかった。
「智秋君と、仲良くね。あんたの悔いのないようにしっかりやりなさいな」
「……うん。勿論!」
 どれだけ伝わったかは、まだ彼女が若い為に未知数かもしれない。
 それでも彼女はにかっと躊躇する事なく笑っていた。
「……さ、準備中なんだろ。行っといで」
「あ、うん。そうだった。じゃあね」
 縁側の廊下を渡って角を曲がって姿を消す孫の背中を見送り、佐和子は独り静かに息をつ
いていた。そして言った傍から些か押し付けがましいかもしれないと思った。
 重ねている自分。託そうとしている自分。これは、未練……なのか。
 女々しいなと思う。それはやはり彼亡き後も続いているからなのだろうか。
「よいしょ、っと……」
 随分とガタの来た身体を支えて、のそのそと立ち上がる。
 縁側に敷いた座布団から席を立ち、背後の和室へ。現在は自室として使っている部屋でも
ある。捨てられずに残してある当時の生活用品が部屋の所々に置かれたままになっている。
 そっと手を伸ばして、佐和子は箪笥の上に乗っかっていたものを手に取った。
「…………」
 それは一枚の写真。時代を物語る白黒写真。
 写真立てに収められた、数枚のその写真。佐和子は、これまで昔を思い出す度にそうして
きたように写真に写る面々の姿を見つめていた。
 彼が戦地から戻ってきてから数年。
 日々の食事すらままならないのに……と、人々の半ば怒りや呆れを多分に含んだ視線に動
じる事なく始めた一軒の骨董品店。その店先で撮った記念写真だった。
「喜一郎……」
 真ん中で笑う、彼の姿。
 佐和子は静かにその名を呼んでいた。
 もう声を聞くことはない。できない。でもこうして話し掛ければと今でも「何だい?」と
応えてくれるような気がして。何度もこうして眺めてしまう。未練……なのだろう。
 今は昔よりも彼の望む世の中になったのだろうか。
 あの日、彼が望んだ、彼が聞かせてくれた願いを思い出しながら佐和子は今の世の中の姿
をその片隅にいる自分の身で自問してみた。
 多分、変わらない。もしかしたらもっと逆の方向に進んでいるかもしれないと思う。
 それを聞いたら、まだ生きていたら彼はどう言ったのだろう。
『すぐでなくてもいいんだ。気長に待つさ。僕は、信じたいから』
 いつか聞いた言葉を思い出す。きっと、そんな感じの事を言うのだろうと思う。
 そうは言ってもさ。あんた、自分が死んじまったら……元も子もありゃしないじゃない。
 僅かに眉根を寄せ、そう心の中で受け答えする。
 確かに貴方はいなくなってしまった。それは変わらない。
 だけど、後に続く者ならいる筈だ。いや、いて欲しいと思うのだろう。
 老いてゆく自分にできるのは、せいぜい彼らを育て、見届ける事だけなのかもしれない。
「……喜一郎」
 孫の立ち去っていった廊下の方を眺めて、誰にともなくそう呟く。
 庭の草木がさわっと風に吹かれて静かに靡いていた。ゆっくりと日差しが降り注ぐ。その
様を見ているだけでほっこりと心が温かくなる。
「あんたの意志は、ちゃんと受け継がれているよ。安心しな……」
 その声に応えるかのように、もう一度、部屋に中春の風が舞い込んできた。


 Note2.ホウライ

『古守口、古守口~』
 駅のホームに電車が滑り込んでいく。二度目のその地名を耳にしながら、真白はホームに
降り立った。旧市街にある駅の一つ古守口駅。今日は休日という事もあって、人通りもそこ
そこにあるようであったが新地方面で生まれ育った真白にしてみれば、まだ疎らだと言って
も差し支えはないだろうと思った。
「へぇ……ここが、ねぇ」
 改札と構内を抜け、駅前の広場らしきスペースを見渡しながら健が声を漏らした。
 今日は真白だけではない。写真部の面々四人で訪れたのである。
「話には聞いてたけどなぁ……物守ってのは、やっぱ田舎って事なのかねえ」
 広場から少し離れた位置に昔ながらの家屋が林立し、それらが幾つかの路地を形成して口
を開けるように佇んでいる。多くはこの地元の人々なのだろう。時折行き交う人々とすれ違
っていく。見て分かるという訳ではないだろうが、その度に少しドキリとした。
「何、風情があっていいじゃないか。好い被写体になりそうだ」
 幸彦がそう言って、少し眩しそうに町並みを見上げる。肩にはカメラなどの撮影道具一式
を収めたケースを入れた鞄を担いでいる。
「えっと、お兄ちゃん。撮影はまた後だからね?」
「ん。ああ、分かってる」
 念の為に言ってみるが、幸彦は少々上の空のようでもあり、頭の中で既に被写体の目星や
構想を思案しているように見えた。
(……お兄ちゃんは、本当写真が好きなんだなぁ)
 今更ながらに真白はそう思う。廃部になりそうな部の為に奔走していた去年を思い出す。
「いやぁ本当、いい感じにレトロだね~。出そうだねぇ~」
 そして。幸彦以上に、興味津々といった感じで辺りを見渡している少女が一人。
「出るって……」
「勿論、妖怪とかお化けとかだよ。雰囲気にバッチリ合うじゃない?」
 つい先日まで古人形の念に憑かれていた写真部のトラブルメーカー・桜木芳子だった。
「……ほんと、懲りねぇ奴だよ。お前は」
「へ?」
「……何でもねぇよ」
 幽霊屋敷の一件の後、智秋の予見した通り、確かに芳子は正気を取り戻した。
 だが、当人は憑かれていた間の記憶は殆どなかったようで、今こうして何食わぬ顔で一緒
に旧市街までやって来ている。相変わらずのオカルト好きっぷりに健はぼそっと辟易を漏ら
したが、以前ほどあからさまに拒むようにならなくなったように見えなくもない。
(……まぁ、覚えていなくて好都合だったんだけど)
 もし彼女が、事の次第をはっきり覚えていたとしたらどうなっていた事か。
ますます彼女が調子付いてしまいはしないかと心配だった。それに、真白は仮に説明を求
められたとしても説明するわけにはいかなかった。
 目の前にしたとはいえ、あんな事をどう考えればいいのか……。未だに混乱している。
 その為、結局真白は芳子には勿論、幸彦や健など他の人にもあの時の事を話していない。
話せないでいる。幸彦も健も、今回の事が只事ではないというのは内心思ってはいるようで
同じく彼女に余計な刺激を与えまいとしてるかのようだった。
 その結果自然と今回の件は、既に依頼の方は済んだと何とか誤魔化し切り、芳子には内密
にしておこうという暗黙の了解ができつつあった。のだが、
「それでさ、何処にあるの? 話にあった神社は」
「ああ……。一応、地図では調べたが不案内だしなぁ」
「神山さんは、案内の人を寄越してくれるって言っていましたけど……」
 つい先日の事。紅葉から連絡があったのだ。
 ──今回の件で御祓いをするので、家まで来て下さい──と。
 しかし智秋のおかげで、芳子はもう元に戻ったのではないのか?
 そう、真白は二人きりの時に紅葉に聞いてみたのだが、
『確かにもう原因は取り除かれてるよ。でも、そんなの素人は分からないじゃない? そこ
で私の出番ってわけ。御祓いを受けました、これで大丈夫ですってなれば先輩達だって割合
すんなりと納得してくれるでしょ?』
『……なるほど』
『前に言ったじゃない? 私は基本的にアフターケアが役目だってね』
 にこにこと気さくに答えてくれた。
 その案外現実的な答えに、それまで非常識な光景を次々に見せられてきた身としては少々
ガクッとつんのめりそうになったものだが、言われてみれば理屈は通っていると思う。
(……だけど)
 だけど、そこでも訊く事はできなかった。
 智秋の見せたあの光景は何だったのか。彼は本当に何者なのか。終始、紅葉の気さくな態
度ではぐらかされていたのかもしれない。それは黙っていてくれ、忘れてくれという言葉に
出さない懇願であったのだろうか……。
「あ……」
 あの日から悶々と続くそんな思考が、再び頭の中をのた打ち回り始めていたその時、真白
は広場の一角にその姿を認めた。
「宝生、君……?」
 丸型の植え込み。それを囲む石材の縁に智秋がじっと座っていたのだった。
 彼は真白がぽつと呼んだ声に気付き、こちらを見遣った。少し目線を上げる。街頭の時計
を見て時間を確認したようだった。
「……七分前。まぁいいか」
 前と同じ着慣れた、もとい草臥れた服装に身を包む彼は視線を戻して小さく呟きながら、
こちらへと歩み寄ってきた。幸彦達三人もそれに気付いて彼を迎える。
「えっと、もしかして神山さんの言っていた案内役っていうのは」
「あぁ。僕だ」
 明らかに面倒臭そうにして、肯定。
「……あいつとは、昔馴染みだから」
「へえ。そうなんですか」
 だから彼女の家の事もよく知っているのだろう。
 身の上を話した自分が気に入らないとでもいうのだろうか。智秋は得心する真白の反応に
目を遣る事もなく、些か素っ気ないようにふいっと背を向けて歩き出した。真白達もつられ
て一歩を踏み出す。
 数歩。智秋は幸彦を先頭にした真白達に向かって、
「ちゃんとついて来て下さいよ」
 顔だけで振り向き、ぶっきらぼうにそう言った。

 広場から、以前とは違う路地へと入っていく。
 目の前に広がるのはあの時と同じ、かつての時代に戻ったような昔懐かしい趣の家屋達と
漂うのんびりとした雰囲気。
 四人の先頭を行きながらそんな周囲をちらほらと眺め、何処となくいつもよりも穏やかな
表情を浮かべている幸彦。そのすぐ後ろに真白。彼女の背後で「いい感じだなぁ。出そうだ
よねぇ」とキョロキョロ辺りを見渡しながら、傾倒する興味で少々興奮気味の芳子が、更に
その後を頭の後ろで両手を組んだ健が続く。
以前、智秋に掴みかかった事がまだ記憶にあるのだろう。意識して彼と距離を取っている
ようにも見える。
「…………」
 その智秋自身は、真白達四人とは少し距離を置くようにして歩いていた。こちらを気に掛
けて振り返ることもなく、黙々と慣れ切ったように旧市街の町並みの中を通っていく。
(……この前は、宝来堂に行ったわけだけど)
 真白は兄の背中に隠れないように、心持ち立ち位置を横にずらして先を歩く智秋の後ろ姿
を見ていた。ふと以前訪れた時の事が思い出される。
(あの話は、本当……だったのかな?)
 以前、友人達から聞かされた宝来堂──通称「お化け堂」の噂。最初に聞かされた時は驚
きはしたが、さほど気には留めてはいなかった。だが、今は違う。芳子が人形の怨念(?)
から解放されたらしいあの日、彼が見せた一連の行動。何よりそんな彼の傍らに現れたあの
ゴシックドレス姿の少女の姿。彼女こそ、まるで幽霊のようだった。
 そして、そんな彼女を憑かせていた……らしい智秋は、一体何者なのか。
 もしかして、お化け堂と呼ばれている由縁は彼女なのだろうか。
 もし幽霊なのであれば、自分は何故そんな彼女が見えたのだろう。
『霊気だよ。やっぱ、真白ちゃんも結構そっちの素質はあるんだな』
 あの時、灯馬が言っていた言葉が蘇る。
(私に、霊感……があるって事?)
 それは言葉の端を捉えての推測でしかないが。
 真白は、ますます疑問が募っていくのを感じていた。
「……真白」
 今度こそ、チャンスを見つけて色々と訊いてみよう。
 そう、問の渦でもやもやとする頭で静かに決意を固めようとしていたその時、不意に幸彦
が声を掛けてきた。
「? どうしたの?」
 声は小さめだった。後ろの二人に気付かれないようにしているのだろうか。
 ちらりと顔を僅かに向けてくる兄に、真白は意識を引き戻されるようにして思考の海から
帰ると、なるべく平静を装って彼を見返す。
 幸彦の表情は真剣で、注意深いといった種類のものだった。
 手繰り寄せようとするが、その手元は慎重そのもの。細心の注意を払うかのような。
 やはり気にしていたのだろう。芳子と健がこちらの様子に気付いていないのを確認して、
「芳子は」
 ぼそりと。
「これで、もう大丈夫……なんだよな?」
 おそらく今日の御祓いの事を言っているのだろう。
「……うん。もう大丈夫だよ」
 先日の幽霊屋敷での芳子や智秋との一件は、結局彼にも黙ったままだ。
 後々で連絡を受けて幸彦が駆けつけて来た時には、既に自分は芳子を家に送り届け、智秋
と灯馬も立ち去った後だったのである。
 桜木宅に集まった幸彦や、警官、芳子の母からはやはり何があったのかと説明を求められ
たのだが、自分でも把握しあぐねているのにまさか経緯を事細かに話すわけにもいかず、
『見つけた時にはぐったりしていて……』
 などと、何とか繕いながら誤魔化すので精一杯だったのを今でも覚えている。
 妹である自分の様子に、幸彦は何かがあった事は察していたのかもしれない。それでも追
求する事なく黙っていてくれ、遅れてやって来た健や目が覚めた後の芳子に上手くフォロー
を入れてくれたのは彼なりの配慮だったのだと思う。
「それに、現にヨシちゃんはすっかり元の調子に戻っているじゃない?」
「……そうだな」
 何より、幸彦は彼女が元に戻ってくれればそれで良かったのだろう。
 幸彦は、彼なりに不可解な事はあまり考えないようにして処理しているのかもしれない。
「すまない。妙な事を聞いた」
「う、ううん……」
 それだけを呟くと再び正面に向き直る。真白は苦笑いを漏らしながらそんな兄の後ろ姿を
見ていた。弱小部ではあるが、部長として幼馴染としての責任を感じていたのだろうか。
 実は一番、智秋の言葉の棘に大きく揺さぶられていたのは幸彦だったのかもしれない。
「…………」
 そう思うと、真白は何故か心が痛むような気がした。
 幸彦は芳子の容態を、智秋は芳子に憑いた人形の怨念(?)が抱えていた心の痛みを念頭
に置いていた。同じ、優しさという類の心配り。それなのに……こうして静かに溝を作って
しまっている事に。何より両者を知る事になった自分に何もできないのがもどかしかった。
 入り組んだ旧市街の町並み。
 その中を縫うように、智秋は歩く。真白達も意識的に空けられた彼との距離を何故か詰め
ることができずに、その後を追って進むしかなかった。
 始めは小さな段差。所々で下から上へ登っていく過程が多くなってきた。
「確か、地図では物守神社は少し丘になっている所にあったな」
「あ。そうなんだ」
 事前情報の記憶を思い出しながら、幸彦がそう呟いた。
 どうも、金持ちにしろ宗教者にしろ、地位のある者は高い所が好きらしい。
 芳子と自分達兄妹、紅葉と智秋。高所に通う幼馴染の図。ふと気付いた両者の相似点。
(…………うん?)
 だが、真白が気付いたのはそれだけではなかった。
 上り歩調になって視界が心持ち上向きに広がった所為もあるのだろうか。時々すれ違う、
地元の人達の様子に真白はふと違和感を覚えたのである。
 何処となく、余所余所しい。避けられている……?
 最初はさほど重大には捉えなかった。田舎というものは得てして地縁の結び付きが強く、
余所者には排他的になる所があるという断片的な知識だ。そういう意味では確かに自分達は
新地から来た余所者なのだろう。同じ市の市民ではあるが、人間の世間というのは実生活上
でいえばもっと狭くなるケースはままある。
 しかし、真白はそうした認識が違っている事に気付かされた。
 確かに避けられている感じがする。こちらを見て、慌てたように視線を合わせないように
新聞に顔を埋めて隠す老人、じっと見遣ろうとする子供を言葉少なげに制して足早にすれ違
おうとする母親と思しき中年女性。明らかな嫌悪感を隠さずに顔を歪めて、急に歩く進路を
変えてしまう男性……等々。
 だが、それらはよくよく見ると自分達に向けられているわけではないのだ。
「…………」
 ただ一人、自分達四人の先を歩く智秋に向けられていたのである。
(どういう事……?)
 気のせい、なのだろうか。何故彼が?
 真白は顔に出そうになる怪訝を必死に抑えながら、無意識に胸の鼓動が早くなっている自
分に気付かされた。視線をくいと兄に向ける。彼もぼんやりとだが、気になり始めているよ
うで、同じく真白の方を見遣ってくる。
『僕にもそう見えるが、分からないな……』
 そんな意図を込めたようにして。
 ゆっくりと背後の二人にも振り返ってみた。芳子は相変わらず、レトロな雰囲気を気に入
っているらしく辺りを興味津々に見渡しており気付いている様子はない。それとは対照的に
健の方は一番後ろで面々の様子が見えていたからなのか、肩眉を上げていた。
『妙な奴らだ……気に入らねぇな』
 と、少し生理的めいた不機嫌さが滲んでいるかのようだった。
 だが、当の智秋の顔色はこちらからは見えなかった。
 ずっと前を向いたまま一度も振り返っていない。
 真白はこの時になって、彼が黙々とこの不穏な態度の数々に耐えているのではないかと思
い始めていた。そして、自分達と距離を置いて歩いているのは……。だとしたら……。
『あそこってね……。出るんだって』
『出る?』
『……そう、お化けがね。旧市街でも結構有名な話らしいよ。何でも、沢山の魑魅魍魎が巣
食っていて、店員の人達もそいつらに呪われているんだとか』
『だから通称『お化け堂』ってわけ』
 再び呼び起こされる、友人達が話していた宝来堂の噂話。
 地元では有名だという。だとすれば、智秋はそんな「魑魅魍魎の巣窟」に住んでいる変人
や奇人の類と思われているかもしれない。そうなら、彼らの態度にも説明はつくが……。
(でも、そんな……)
 真白はその可能性を否定したかった。しなくてはならないと思った。
 確かに、彼は普通の人とは何処か違うらしいのは自分でも分かっている。だけど、それを
理由にあそこまで忌避するような心持ちにはなれなかった。それはきっと、芳子を、自分を
助けてくれたという事が大きいのであろうが……。
(……私、同情してる、のかな?)
 そうも思って、情けなくなった。それは忌避が形を変えたものともいえるのだから。
避ける気持ちを表沙汰にしない為の、上っ面を整えた卑怯さではないのか。
 また、疑問が増えたような気がする。量的も質的にも。
 真白は堪らなくなり静かに顔を顰め、独り内心で唸った。果たしてこんな状態で、智秋や
紅葉にいざこれらの疑問を訊ねる事ができるものだろうか……。
 不安げに、真白はそっと智秋の後ろ姿を見遣って、
「…………」
「──ッ!?」
 ふいっと振り向いた智秋に内心、激しく驚いてしまった。
 先程までの考えが色眼鏡になっていたのかもしれないが、智秋の表情は今まで以上に冷た
く、鋭い棘を生やしているかのようにも見えた。
 それでもこちらの思考までは流石に読んではいないらしい。目線が、自分達四人がちゃん
とついて来たかを確認するかのように一人、二人と人数を数えているようだった。
「……着きましたよ」
 一瞬跳ね上がった心拍を内心で抑えている中で、智秋は一同にそう静かに告げる。
 目の前には、見上げるほどに積み上がった石段が続いていた。

 長い石段を上り切ると、最初に紅い鳥居が出迎えてきた。
 真白達はその鳥居の下をくぐって敷地へと一歩を踏み出す。
「ふわぁ……」
 視界は思いの外、かなり開けていた。
 境内はぐるりと見渡せるほど広々としており、離れた場所に拝殿などの建物があるのが見
える。今立っている入口から土の地面の上に石畳が敷かれており、それらは各建物へと直線
的に延ばされているようだ。
 物守神社。
 旧市街を見下ろす小高い丘の上に立つ、地元では有名な神社だそうだ。
「思っていたよりずっと広い……」
「だね。もしかして私の家より広いんじゃない?」
「そうかもなぁ。まぁ、神社と住宅じゃあ土俵が違うけどよ」
「……いいな。中々に趣がある」
 その敷地の存外の広さに驚き、また特有の雰囲気に趣を感じつつ、真白達は物珍しそうに
数歩境内を進みながら辺りを見渡していた。
「おっ? 来たみたいだね」
 そうしていると、少し離れた建物の縁側から紅葉が顔を出してきた。
「あ、こんにちは。神山さん」
「今日はよろしくお願いする」
「ええ、はいはい。こちらこそ」
 縁側の方に歩み寄り、紅葉を見る。巫女服だった。改めて彼女がここの、神社の娘なのだ
なと実感する。真白と幸彦。兄妹二人が挨拶する後ろで、
「おぉっ……生の巫女さんだよ。で、誰?」
「……神山紅葉。今日の御祓いやってくれるここの娘さんだとよ」
 今度は巫女姿の紅葉に興味の眼を向ける芳子に、健が簡単な説明を加える。
 芳子は、今回自分に起きた一件の記憶が殆どない状態だ。それ故、単に神社の関係者とい
う事で話を通しておこうと思ったのだが。
「神山、紅葉……あ! もしかして、一年のオカルトに詳しい子だよね?」
「えっ? いや、それは」
「そうだよ~。だって前に私、健君に話したじゃない? そっか~、あの子がね~」
「……あぁ、そうだよ……そうですとも」
 興味のある事柄の記憶はしっかり覚えているようで。
 スルーさせようとしたが、健は実に面倒臭そうにして頷かざるを得なくなっていた。
「……面倒な人間に目をつけられたな、お前」
「え? 何が?」
 そんな芳子の興味津々な視線を半目で見遣りつつ、それまで黙っていた智秋が紅葉にぼそ
っと呟いた。紅葉は聞き返したものの、智秋は応える事もなく、
「先に上がってるぞ」
「うん」
 と、そのまま軒先の角を折れて歩き去ってしまう。
(あっ……)
 真白は思わず出そうになった声を抑えつつ、そんな彼の方を見遣っていた。
 だが、どちらにしろこの場面で疑問の数々を訊ねるわけにもいくまい。少なくとも幸彦達
がいない時を狙わなければならない。
「ところで、神山」
「はい。何ですか?」
 その横で幸彦が肩に担いだ鞄をくいと持ち上げてみせ、
「御祓いが済んだ後でいいんだが、ここの神社を撮らせて貰ってもいいだろうか。この神社
も、旧市街(この)辺りも趣があって被写体にもってこいだと思ってな」
「ええ、いいですよ。うちみたいな所でよければ。一応、お父さんに撮影できないような所
とかないか訊いておきますね」
「ああ。ありがとう」
 撮影の許可を取っていた。元々写真部なのだから、と言えそうだが、それでも幸彦の表情
はそこはかとなく嬉しそうだった。お気に入りを見つけたといった眼だ。
 境内でちょこちょこと歩く鳩が時折、地面に顔を差し出し啄んでいる。
「……まぁ、立ち話も何ですし。上がって下さい」
 紅葉が真白達をざっと眺めて、そう促した。

 紅葉に案内され、家の中に上がった真白達は畳敷きの一室に通された。
 途中、木々の茂る渡り廊下から見てみるにやはり、ここは結構に広い敷地であるらしい。
縁側沿いに障子で区切られた和室をメインに沢山の部屋があるようである。
 智秋はあの後から姿を見せないが、もっと別の部屋にいるのだろうか。
そもそも今自分達がいるこの部屋がある棟すら、もしかすると来客用として使われている
のではと思ってしまうくらいだ。
 そんな事を何となしに話していた真白達に、
『古いからね、うちは。昔は色んな人が来てたり間借りしていたりしたみたい。今となって
は私達家族だけだけど。それに、何度か増改築もあったらしいから、余計に広いんじゃない
かなぁ……。まぁ、大半はずっと空き部屋のままだし、無駄って言えば無駄だけどね~』
 と、紅葉はそう言って笑いながら人数分の茶を淹れてきてくれた。
 木製のテーブルを四人で囲み、茶を啜る。
『準備にちょっと手間取っちゃってて。出来次第呼びに来ますから暫く待ってて下さいね』
 そうも言われて、部屋に通されてからはこうしてまったりと待機していた。
「……御祓いかぁ」
 外からの鳥の囀りなど以外特に騒音のようなものもなく、清々しいほどに静かで穏やかな
時間。そのゆったりとした感触に浸っている中で、芳子が天井を見上げてぽつりと呟く。
「結局さ、私達に幽霊が悪さしようとしたって事なのかな?」
「……さぁ。どうだろうな」
 くいと視線を真白達に戻し、興味の中に真剣味を帯びて訊ねてくる彼女に、幸彦が静かに
受け流す。健は湯飲みに視線を落とし、真白も兄の挙動を横目で見ている。
 記憶がないのをいい事に、芳子には暫く身体を壊していただけだと話をごまかしてある。
 だが、あの夜に撮った写真に写り込んだ紅い光の帯──紅葉に言わせれば、拡散する途中
の霊気──までは誤魔化せなかった。結局、芳子経由で受けた依頼を成し遂げる事はできず
業者も困った様子だった。
「お前がこうして無事に元気になったんだ。もう、それでいいじゃないか」
「……うん。それは、そうだけどさ」
 幸彦は慎重に言葉を選んでいるように見えた。
 今回、皆で御祓いを受けて事を収めようとしているが、それは自分達の身に起こった異変
に力ずくで蓋をするようなものでもある。事の子細を知る真白はともかく、幸彦と健、そし
て芳子はそれぞれにスッキリしないものが残っていたと言わざるを得なかった。
「そもそも、幽霊ってのもな……」
 健はそれでも怪異を認めてしまう事はできないようだった。渋面を作って言葉を濁す。
 芳子はそれに食い付こうとした様に見えたが、結局言葉は口にせずに引っ込めた。何か、
神妙な意味合いを察知したのだろうか。真白は内心どきりとする。
「そんなものは素人には分からねぇさ。ともかく今日で一件落着、それでいいんだよ」
 素人という部分に少し棘を見せつつそう言って、健はぐいと茶を飲み干した。
「そう、だね」
 芳子が苦笑いし、真白と幸彦が黙して肯定する。
 ゆらと揺れる湯飲みの中の茶に映る自分の表情を見つめながら、真白は独り思った。
(本当に、これで幕引きになっちゃうのかな……)
 確かに芳子はあの病んだ──曰く、憑かれた状態から解放された。今は幸彦達の神妙さも
あって幾分大人しくなっているものの、本来の元気な姿を取り戻している。そういう意味で
はもうこの一件は終わっていると言っていい。紅葉が以前、自分にだけ話してくれたように
今回の御祓いは実を言うと形式的なもの、安堵感の担保としての側面が強い。
 それでも、と真白は思う。
 あの時に智秋の見せた光景は、それとは別次元なような気がするのだ。
 紅葉もその事については多くを語っていない。自分に見られた事は、彼から伝わっていて
も不思議ではない。その証拠に訊ねようと思ってもその気配を察知されているような気さえ
する。自分が……意識し過ぎなだけなのかもしれないが。
(訊かなくっちゃ……。終わらされてしまう前に)
 好奇心、というものかもしれない。気になる事には違いない。
 ただ、このまま一緒に終わらせてしまうのはいけないと、心が叫んでいるように思えてな
らなかった。智秋の見せたあの芸当、宝来堂に関する噂。道中の人々の彼への反応の様子。
もし自分の推測が当たってしまっているとしたら、自分は……このままでは、彼を何処か
見放してしまう事になるような気がする。それが悲しい事のように思えて……。
「…………」
 一口、また一口と茶を口に含んで飲み下す。
 疑念への思考と共に、自然と全身の意識が緊張していくのがひしひしと感じられてくる。
 今日の御祓いの後に機会を見つけるか、それとももっと直接乗り込んでいくか……。
「……? シロちゃん?」
 真白のそんな様子に気付いたのか、芳子が少し怪訝な様子で覗き込んでくる。
 だが、まだじっと考え込んでいた真白はその声に気付かない。健が、幸彦が遅れて様子に
気付いて視線を向けてくる。
「シロちゃん?」
「……え?」
 先程よりも少し大きめに。芳子の声が真白の意識に届いた。
 はっと我に返って顔を上げると、芳子だけではなく皆が自分をじっと見ている。
 気付かれた? いや、多少の怪訝だけか。
 緊張の糸がふるふると震えて捩れ回っていた。じわりと、その時迫ってくる気配に真白は
おもむろに立ち上がる。三人の視線も上向きになる。
「真白?」
「……あ、う。ちょっと……ト、トイレ!」
 居た堪れなくなって、真白は次の瞬間、ばっと部屋の外に飛び出していた。

「……はぁ」
 廊下に出ていった後、運よく廊下を歩いていた紅葉にトイレの場所を聞き、真白は用を足
してから暫く個室の中で悶々とした雑念を振り払うのに専念した。
 それを終えて、後ろ手でドアを閉めながら思わず真白は小さくため息をついた。
 動揺し過ぎた。兄達には知られてはいけない。知らせるべきではない。ただでさえ彼らも
混乱したまま、それでも何とか今回の一件と決着をつけようとしているのに。
 とすれば、自分は結構なオカルトを見ているのに(表向きは)落ち着いているとも言えな
くもないが……芳子の影響か。それとも実際に目の当たりにしたからか。
 いつの間にか、自分はだいぶ怪異を「前提」として捉えている節があるような。
 尤も、それらも混乱の中の推測でしかなく、今もこうして疑念を何とか抑えている状態で
あるのだが。
(……と、とにかく。今は目の前の事に集中しないと)
 ふるふると小さく首を横に振って、真白は歩き出そうとした。
 少なくとも幸彦達の前では同じ様にとりあえず収拾しようとする面でなければ……。
「あれ?」
 そこで、ようやく真白は気付いたのだった。
「……あの部屋、何処だろう」
 自分が迷子になってしまっている事に。
「…………」
 頭の中がざっと政権交代よろしく、この事態への思考に波打って切り替わっていく。
 廊下は四方に延び、別の棟や庭を囲み、突っ切る縁側などに続いている。しかし見渡して
確認する限り、先刻まで自分のいた部屋は和室──同じ様に障子の出入口だと思しき部屋は
幾つも確認できた。
『何度か増改築もあったらしいから、余計に広いんじゃないかなぁ……。まぁ、大半はずっ
と空き部屋のままだし、無駄って言えば無駄だけどね~』
 つっと小粒の冷汗が流れ、紅葉の言葉が記憶に蘇る。
(……虱潰しに開けてみるしかないかなぁ)
 がくりと妙に脱力しつつ、真白は再び嘆息をついた。

 紅葉の言っていた通り、開けてみた和室はことごとく長い間使われていないらしかった。
 もわっとした畳の臭い。陽に照らされて視認できる静かに舞うわずかな埃。家具などが置
かれている部屋も少なくなかったが、それでもつい今まで使われていたという様子は見受け
られなかった。
「……ここも違う、か」
 何度目か分からない開け閉め。再び空き部屋だと判断して、そっと障子を閉める。
 家の中はしんとしていた。休日の午前中、場所は旧市街の丘の上。騒音とは縁の少ない場
所であるのだろうが、今はそれが却って焦りを煽っているような気がする。
 かといってその場に突っ立ったまま誰かが通り掛かってくれるのも待つのも恥ずかしく、
結局こうして足を使う事を選んでいるわけなのだが。
 とんとんと、木の廊下を歩く度に音が聞こえる。俯き加減に視線を向けると、床板の木目
が自分を見て笑っているような気がして顔を持ち上げていた。
「あ……」
 縁側の方向へ、角を曲がった時だった。
「……おや?」
 草木が植えられた庭。その風景を眺められるように少し広めに取られた縁側。そこに一人
の老婆が座布団を敷いて座っていたのである。
 和服姿の彼女の視線がくいと、突っ立った格好の真白に向く。
 表情は柔らかいがぴんとした姿勢の良さと、細めた目の奥の瞳の強さから、真白は殆ど直
感に近い感覚で彼女がそれほど呆けていないなと思った。
「おやまぁ。どちらさんかね?」
「あ……えっと」
 あくまでのんびりと。老婆に訊かれ、真白は少ししどろもどろになりつつも、
「私は、冬柴真白といいます。今日はその、神山さ……紅葉さんのお世話になりに」
 何とか答えてぺこっと頭を下げる。紅葉の話からするにおそらくは……。
「あぁ、紅葉のお友達かい? そうかい……という事は今日の御祓いのお客さん、だね」
「は、はい。そうなんです」
 やはり彼女の家族のようだ。老婆はこくこくと頷いて微笑むと、
「……おっと、自己紹介が遅れたね。私は神山佐和子、紅葉の祖母です」
 ゆっくりと座ったまま少しこちらに向き直り、お辞儀をしてきた。
 それに真白は慌てて「いえ、こちらこそ……」と再び頭を垂れる。
「それで、そのお客さんがどうしてこっちに? 挨拶に来てくれたのかい?」
「え……えっと、それは……」
 と、そこで当然とも言える言葉を掛けられ、真白は言葉に詰まった。
 すぐに答えられず、間が開く。多少とはいえ人様の家で迷子になりかけているというのは
あまり大っぴらに言えたものではない。
「……あぁ、迷ったんだね」
「ふぇっ!?」
 思わず珍妙な奇声を漏らしてしまった。
 顔を真っ赤にして縮こまり小さく頷くしかなかった真白に、老婆はそれを咎めるつもりは
全くないようにフフッと柔らかく笑い、
「この家は無駄に広いからねぇ……なぁに、そんな気にする事はないさ」
 穏やかに慰めをくれた。
 とはいえ、真白自身は気まずかった。そのままその場で立ったままでいる。
「それで、まだ終わってはいないんだろう?」
「あ、はい……まだ準備中みたいで」
「そうかい。全く、手際が悪いのは中々直らないもんだねぇ」
 怒るわけではなく、再び柔らかく笑う佐和子。
「……まぁ、ちょいとのんびりしていくかい? 私もさ、年寄りっていう立場上、結構暇な
ものだからね。話し相手になってくれると嬉しいねぇ」
 よいせ、と立ち上がると、敷いていた座布団を片手に背後の和室に戻っていく。
 真白は「はぁ……」と曖昧な返事を返して付いていきあぐねていたのだが、
「あんたがどんな怪異と出くわしたのか、聞かせて貰いたいもんだねぇ」
「!?」
 その言葉にはっとなる。
 ごくと唾を飲み込んだ真白の様子を、佐和子はにこやかなままじっと振り返って見遣って
いた。無言の催促に押されるように、真白はしずしずと彼女に続いて部屋の中へ進む。
(……もしかして、このお婆ちゃんも神山さんみたいに怪奇現象の専門家とか?)
 あり得ない話ではない。むしろ彼女が紅葉に教授したという可能性だってある……。
 真白は、卓袱台を挟んで佐和子と向き合って座った。
 卓袱台の上には陶器の急須と、茶の入った湯飲みが二個。籠には煎餅などの茶請けも少々
入れられている。
「…………」
 緊張を帯びた自分を落ち着かせるように、目の前の茶を一口啜る。
 その間も、佐和子は意味深に静かな微笑みを浮かべている。
 さて。何処まで話せばいいものか。
 真白は佐和子の表情を見ながら中々口を開けないでいた。先の言葉から、少なくとも怪奇
現象についての理解はありそうではある。神社の家系だからか、個人的なものか。それは分
からないが全く話が通じないというわけではないだろう。
 しかし、あれは言うべきなのか言わざるべきなのか。
 紅葉の相棒、智秋に関する不可思議な諸々。
 いくら彼女の祖母だとはいえ、既知であると判断するのは早計だと思った。
「えっと……ですね」
 なので、真白は智秋の件は隠して話す事にした。
 幽霊屋敷と噂される空き家に行った事、そこでの謎の声(おそらく古人形の怨念)と突如
起きた地震のような揺れ、その後の芳子に起きた異変とその顛末。そして今日、締め括りと
して御祓いを受けに来た事を。
「……ふむ。結構、大変だったんだねぇ」
「はい……」
 それでも、一般には到底信じて貰えないような話にも拘わらず、彼女は特に反論をする事
もなくすんなりと聞いてくれていた。
 やはり紅葉や智秋と同様、怪異への知識と理解のようなものを持っているのだろうか。
「まぁ、それも今日で安心って所だね。うちの息子はちょいと盆暗だが、まぁ何もしないよ
りはずっと気が楽になるよ」
「……それで、いいんでしょうか?」
 ついそう言ってしまい、真白は慌てて口を塞ぎそうになった。余計な事を。まだ智秋の事
などを隠している事がバレてしまったらどうするのだと。
「いいんだよ。事実よりも意識が大事ってことも大いにあるもんさ」
「…………」
 彼女の言葉に、真白は少し面を食らったようになる。
 それは、まるで智秋の言っていた言葉ではないか……。
「人の煩いってのはね、気だけで起きている場合も多いのさ。何かで踏ん切りをつけて心を
変えればいずれ体もついてくる。うちの家業みたいなのはそういうものの手伝いをすること
だとも言えるからねぇ……」
 そう言う彼女の言葉は、年の功もあるのだろうが妙に説得力があるように思えた。
 紅葉が自分をアフターケア役と言っていた事の意味を、改めて噛み締める。
(……ん?)
 そうしてふと心持ち視線を持ち上げた真白の眼に、ある物が映り込んだ。
「……あれは」
 それは、古びた箪笥の上に置かれた写真立てだった。写真はずいぶん昔に撮ったものなの
だろうか、白黒写真のようである。
「……あぁ、これかい?」
 ふっと佐和子が笑った。
 その笑みに妙なニュアンスを感じているや否や、佐和子はよっとと立ち上がり振り返ると
その写真を卓袱台の上に持って来てくれる。
「……え?」
 写り込んだものを見て、真白は思わず声を漏らしていた。
 白黒写真に収められたのはおそらく集合写真だろうと思われる。時代を感じさせる衣装に
身を包んだ人々が六人、軒先に並んでいる。
 その軒先には『宝来堂』と達筆な墨字で書かれた看板が下げられていた。
「これって……」
「…………」
 思わず顔を上げて佐和子を見る真白。しかし、彼女は特に返答するでもなく、静かに微笑
んでいるだけだ。もう一度写真に目を落とす。……間違いない。これは宝来堂の昔の写真と
いう事になる。正面に写っている気の良さそうな青年が店長、なのだろうか。
「喜一郎が宝来堂を開いた時の写真さ。私も隣で写っているだろ?」
 それがこの青年の名前か。そしてその傍らに立っている着物姿の女性が……目の前の老婆
こと、佐和子の若かりし頃……という事なのか。
「……喜一郎さん、というのは?」
「私の幼馴染の馬鹿さね。智秋君の爺さんさ」
「え? 宝生君の……」
 そう語る彼女の口調は懐かしそうで、そして何処か悲しそうだった。悲しい? それの意
味する事は何だろう。もしかしてその喜一郎氏はもう……。
『……あいつとは、昔馴染みだから』
彼の祖父、そして彼女にとっては幼馴染で。断片的な情報が少しずつ形を成していく。
 思い出す智秋の言葉。という事は、少なくともこの時分には神山家と宝生家の付き合いが
出来上がっていたという事になるのだろうか。
(……だけど、だったら)
 だとしたら、おかしいのだ。
 この写真に写っている人物は佐和子が目の前で自ずと証明しているように、現在ではもう
何十年もの歳月を経ている筈である。若い女性から老婆へ、青年から老人へと。確実な齢の
変遷がそこにある筈なのである。
 なのに、写真の中には如何せんともしがたい矛盾があった。
 写っている人物の内、残り四人。
 服装こそ当時のファッションに則っているが、彼らは間違いなく『宝来堂』で出会った、
時音・菊乃・灯馬・慈門の四人だったのだ。
 それも……今と全くといってほどに変わらない外見のままで。
(どういう事なの……?)
 彼らが歳を取っていない? そんな馬鹿な。それこそ怪奇現象ではないか。
「…………」
 真白はぐっと唇を噛み締めていた。彼女は知っている。いや、知っていないとこれまでの
話の辻褄が合わなくなる筈なのだ。揺らぐ気持ちをしっかりと握り締めるように支えながら
真白は意を決したように顔を上げて──。
「あ、ここに居たんだ。真白ちゃん」
 瞬間、背後からの聞き覚えのある声に「え?」と振り向いた。
「……こ、神山さん」
「うん?」
 いつの間にか、背後の縁側に紅葉が立っていた。
 真白は全身からどっと力が流れていくように感じつつ、ぼそっと彼女に呟いていた。それ
までの事を知らない紅葉は小首を傾げてそれを眺めている。
「いやさ、トイレに行ったまま戻ってこないって先輩達が言ってきてね? ひょっとしたら
迷っちゃったのかな~って思って探してたのよ。でも良かった。おばあちゃんの話し相手に
なってくれてたのね」
「……は、はい。一応……」
 ふいと迷ったという事実を思い返し、再び恥ずかしくなって縮こまる。
 だが紅葉も佐和子と同様、気にも留めていない様子だった。もしかしてこの家は、広さ故
に迷う客人が多いのであろうか。
「御祓いだけど、準備ができたから一緒に来て。先輩達は先に行って貰っているから」
「あ、はい……」
 そう言って手を引いてくる紅葉に、真白はよろよろと立ち上がった。
 一度、振り向いて佐和子──と卓袱台の上の写真を見遣ったが、そのまま紅葉に連れられ
てその場を後にしていく。とんとんと、二人分の足音が遠ざかっていった。
「……余計な事、しないで下さいよ」
「おや? 何の事だい?」
 再び静かになった和室の奥で、襖が開いた。
 ゆっくりと姿を現したのは智秋だった。少し表情に不機嫌を盛り付けて、静かに座したま
まの佐和子に注意めいた言葉を投げ掛ける。
「とぼけないで下さい。無闇にバラすのは良くないでしょうに」
 だが、佐和子は涼しげな顔で自分の分の茶を啜っていた。智秋はちらりと卓袱台の上を見
遣ってから小さく嘆息をつく。
「守りたくないんですか。宝来堂を」
「……守りたいか、ねぇ」
 ふふっと笑う佐和子に、智秋は静かに眉根を寄せる。
「もうちょっと、あんたは人を見る眼を鍛えた方がいいよ」
 まるで自分の子供を諭すように。
「……私は人間、そんなに捨てたもんじゃないと思うんだがねぇ」
「…………」
 だが、智秋はその言葉には応えなかった。その代わりに無言の威圧をぶつけているかのよ
うにじっと佐和子の座した後ろ姿を見下ろしている。
 少しの間、沈黙が降りた。
 佐和子はずずっと、静けさに染み込むように茶を啜って間を縫う。
「……別に、隠れなくてもよかったんじゃないのかい」
 そう呟いた彼女に、
「……何となくですよ」
 智秋はそう答えてから、そっと静かに口元を拭っていた。

 真白達四人は、紅葉の案内で敷地内の拝殿に通されていた。
 背後には段差と階段、賽銭箱など。通常の参拝ではそこ以上踏み込む事はないのだが、今
回の場合は儀式を受けるという事でこうして拝殿の中に四人して座っている。
「緊張するな……流石に」
「うはぁ~……凄いなぁ。雰囲気あるなぁ~」
「少しは落ち着いてろ。みっともないぞ」
 横列に正座しつつ、ひそひそ声で内部を見渡す健や芳子に、幸彦は少し呆れ気味だ。
「…………」
 その中で、真白は独り静かに内心で唸っていた。
 先刻の白黒写真の事である。
『宝来堂』が智秋の祖父によって作られた事、佐和子の声色や表情からおそらくその彼は
亡くなっているのではないかという事、そして何より時音達『宝来堂』の店員達が何十年も
の間、外見が殆ど変わることなく現在に至っているという事。
『沢山の魑魅魍魎が巣食っていて、店員の人達もそいつらに呪われているんだとか』
 友人の話していた噂がまた蘇る。彼らが呪われている? まさか……。
 静かに首を横に振る。どうにも、関わる度に疑問が追加されていっているような。
「皆さん、お待たせしました」
 そんな中、巫女服姿の紅葉が姿を現した。真白達の視線が集まる。
「ほら、お父さん」
「あぁ」
 そして彼女に促されて入ってきたのは、神職の装束を着た男性。娘に引っ張られるように
して出て来た所為もあったのだろうが、少しなよっとした感じを受ける。
「どうも。当神社の神主を務めております、神山樹です」
 しかし、所作は本職だけあってしっかりとしている。
 真白達は軽く頭を下げた紅葉の父・樹に応じて同じく頭を下げて会釈を返す。
「それでは、さっそく始めさせて頂きますね」
 祭壇には、素人にはよく分からない器物が色々と配置されている。ただ真白に分かったの
は、その一角にあの古人形が置かれていたという事だけ。
 御祓いが、始まる。
 四人は初めての事に緊張しながらその場に座していた。後方の壁際には儀式を見守ってい
るのであろうか、紅葉が座っているのが見える。
 これで……この一件も片がつく。
 そう思っているのだろう。幸彦、健、芳子の三人は緊張しながらも何処か安堵の表情が漏
れ始めている。しかし、
「…………」
 真白だけは、独り抱え込んでいた。
 芳子の異変自身は終わった。だけどまだ全ては終わっていない。
(……絶対に、訊かなくっちゃ)
 好奇心。いや、それを上回る自分の中の何かが告げている。
 祝詞が響く中、真白は独り静かに決意を固めていた。


 御祓いは粛々と、順調に進んだ。
 暫くの緊張の時間を終えて、身も心も解放された真白達は家を辞去し、再びだだっ広い境
内へと出て来ていた。
「う~んっ……。終わったねぇ」
「緊張はしたが、まぁ、これで一件落着だな」
 来る前よりも高い位置に昇った陽の光を少し眩しそうに仰ぎながら、芳子はぐぐっと身体
を伸ばしながら言う。健も、独特の空気の中からようやく解放されて安堵しているようだ。
 鳥の囀りと適度に暖かい空気が耳に、肌に心地よい。
 街の喧騒。そこから縁遠くなっている旧市街地。更にその中の丘に建つこの神社は、とり
わけそんな何でもない自然の息遣いが新鮮に感じられるような気がする。
「皆さん、お疲れさまでした」
 一緒に出てきた紅葉も、何処かいつも以上に朗らかに微笑んでいる。彼女の言っていた、
アフターケアを終えた達成感や安堵のようなものであろうか。
 暫し、境内で胸一杯に清々しい空気を味わっている中で。
「神山」
 幸彦が肩に提げた鞄を撫でながら、
「最初に言っていた撮影の事だが」
 もう一つの(個人的な)用事を切り出していた。
「あぁ、はい。いいですよ。本殿の中以外は特に撮られて困るものはありませんから、思う
存分撮っちゃって下さい」
「本殿以外、だな。分かった」
 それを確認して幸彦は頷き、鞄を手に持ち替えながら振り返る。
「という訳で、僕は暫く残るが……お前らはどうする?」
「俺も残ります。一応、俺もデジカメなら持って来てますし。手伝いますよ」
「私も~。こんな雰囲気のある所滅多にないからね。たっぷり見物しておきたいしさ」
 健と芳子がそれぞれに居残る旨を表明する。
 幸彦はうんと頷き、そして少し怪訝とばかりに眉間に僅かな皺を寄せて、
「真白はどうする?」
「え? あ、えっと……」
 兄の言葉に、真白は我に返ったようにとぎまぎしていた。
(どうしよう……)
 幸彦達の話は正直言って殆ど聞いていなかった。紅葉か智秋に、今回彼らが黙ったままの
疑問の数々をぶつけようという意識がずっと脳内を先行していたからだ。
 しかし、紅葉はこの後片付けがあるらしいし、智秋はここに来て姿を消してから何処に行
ったのか分からない。もしかしたらさっさと帰ってしまったかもしれない。
 だとしたら、直接彼の下に向かって問い詰めるか……?
 そう、頭の中で思考が巡っていた時だった。
(……あ)
 視界の隅。そこに通り過ぎる智秋の横顔が映った。
 裏口からなのか。家の裏側から出てきて、そのまま鳥居の方へと歩いていく。石段を降り
ていく毎にその遠い後ろ姿が見えなくなっていく。
「……真白?」
 幸彦達の背後遠く、智秋の後ろ姿を目で追ってしまっていると、幸彦が静かに再び怪訝に
声を掛けてきた。真白は彼を見返しながら思った。
 チャンスは、今しかない。
「わ、私は用事があるから……さ、先に行っているね」
「……そうか。気をつけてな」
 もしかしたら、何かを察されたのかもしれない。
 幸彦は数拍の間の後、少し硬いままの表情でそう妹に言葉を投げ掛ける。
「うん、それじゃあ」
 真白はたっと、小走りで駆け出していた。
 境内からは智秋の姿はもう見えなくなっている。だが、今からならまだ追いつける。兄達
と別行動で彼に接触を図る事ができる。
(……ちょっと、強引だったかな?)
 一度だけ、背後をちらと振り返ってみた。
 幸彦達三人は早速、撮影について打ち合わせを始めているようだった。鞄からカメラなど
の用具の準備も始めている。
「…………」
 その三人から少し離れた立ち位置で紅葉が立っていた。
 こちらを、じっと見ていた。一瞬、心臓がどくんと高鳴る。
 遠くになって分かり難かったかもしれないが、表情は微笑んでいたように思う。
 だが、真白は奇妙な感覚を覚えた。何か彼女の瞳が語っているかのように思えたのだ。
 見た目通りの微笑ましさとは違う。悲しさ? 哀れみ? 何か気の毒そうなものを込めた
視線のように思えた。だが、その意図を察する暇はなかった。
(……何だろう?)
 時間にして数秒。真白はその湧いた小さな違和感もそこそこに前を向き直した。
 石段が目の前で下方に延びている。
 真白は転ばないように気をつけながらも、心持ち早足で石段を駆け下りていった。

 少し息を切らせつつ、石段を下りきったが智秋の姿は見えなかった。
 この石段前も神社の敷地の一部なのか、昔ながらの家屋が林立する旧市街の中にあっても
割合スペースがあり、左右に枝垂れた大きな樹が静かに佇んでいる。
「……もう、帰っちゃったのかな?」
 多少の徒労感を覚えつつ、真白は独りごちた。
 それなら直接『宝来堂』に赴いてみよう。そう思って足を踏み出した、その時だった。
「……そんなに慌てて何処に行くつもりだ?」
 背後からの声。
 瞬間、足をピタリと止め、真白は振り返る。
「ほ、宝生君……」
 智秋はいた。石段を下りてすぐ傍らの木の幹に、腕を組んでもたれ掛かってこちらを見て
いた。もしかしなくても見られた? 真白はほぅっと恥ずかしくなる。
「…………」
 智秋は木陰に埋もれるように、静かに真白の様子を眺めていた。
 あくまで注意深く、素っ気なく。一度彼から呼び掛けられなければ、おそらく彼に気付か
なかったかもしれない。それだけ風景に溶け込んでいた。
 いや……彼自身が、自分というものを殺しているのだろうか。
 その割には結構、彼の言葉に容赦がないという記憶が多いのだが。
(……って、そうじゃなかった)
 ごくりと唾を飲み込む。
(……今なら)
 今なら訊けるのではないか。真白はゆっくりと口を開こうとする。が、ままならない。
 口元が震えていた。言葉が出てこない。こんなに疑問に思って、気になって頭から離れな
くなった事なのに。何故出てこないのだろう。
「…………」
 そうか。怖いのか。自分が訊いてしまったら、きっと自分はもっと深みに嵌っていく事に
なるのではないかという意識。少なくとも、良い報せの類ではないのだろうから。
 真白はそのまま押し黙ってしまった。一抹の悔しさと共に。
 智秋はそんな彼女をじっと眺めていた。相変わらずその視線はひんやりとした素っ気なさ
を伴っている。もしかしたら、彼は静かに語っているのかもしれない。
 ──僕に、関わるな。
 そんな台詞が頭の中で再生される。
「……やれやれ」
 小さく息をつきながら、智秋が身を起こした。
 あぅあぅと言葉にならずに立ち竦んでいる真白の脇を通り過ぎ、ゆっくりと歩いていく。
 真白は内心焦った。このままでは機を逃してしまう。
 しかし、それは思いも掛けず投げかけられた。
「来なよ」
 背を向けたまま、はたと立ち止まって智秋が言う。
 他に周りには誰もいない。明らかに真白に向けられた言葉。
 面倒臭いように、眉根を小さく上げて顔だけを振り向く。
 二人の視線が交わった。
「訊きたいんだろ?」
「え……?」
 再び、前を向いて歩き出す。真白は少し呆気にとられつつも、その後を追うべく小走りで
駆け出していた。断片的ではあったが、彼は……耳を傾けてくれると言っている。
 安堵が半分、おっかなびっくりが半分。
「こそこそ嗅ぎ回られでもしたら面倒だからな」
「か、嗅ぎ回るなんて……」
 色々内心で煩悶はしたが、そこまでは……。
「…………」 
 いや、訊けなかったら自分で調べていた可能性はなくもない、のか……?
 智秋は変わらずぶっきらぼうだった。
 もう一度、後ろを歩いてくる真白を見遣って、
「責任は取れないから、そのつもりでな」
 少し声色を重くしてそう言った。

 二人して旧市街の路地をゆく。
 智秋は行きと同じく、真白とは距離を取って前を進んでいる。
(……やっぱり、そうなのかな)
 すれ違う地元の人々の様子は、やはり余所余所しく見えた。行きと同じだった。
 彼の住む『宝来堂』──通称「お化け堂」の噂。それを知っているが故の彼らの、智秋に
対する忌避の態度。だとすれば、こうして智秋が意識して自分と距離を取っているのは。
(気付かれない為? それとも……同じ気分を味わないようにする為?)
 一見してぶっきらぼうに見える智秋の、気配りだというのか。
 ふと紅葉の言葉を思い出す。
『ま、性格はちょっとばかし捻くれてるけどさ。根は悪い奴じゃないから』
(…………) 
 同情すれば済む問題ではないだろう。それでももどかしく思える。
 当の智秋はじっと黙ったまま歩いていた。二度目とはいえ、やはり不案内には違いないの
で、真白はそんな思考を片手間にとことこと彼についていく。
(間が、もたないなぁ……)
 行きも似たようなものだったとはいえ、今は二人きりで目的・状況も違う。何より、時折
すれ違う人々の態度に智秋が黙して通り過ぎていく後ろ姿を見ているだけというのがどうに
も心苦しく思えてならなかったのが大きかった。
「……?」
 どうしたものか。視線を少し落とした時、真白の眼にある物が映った。
 歩く度に揺れる智秋の上着。その裾に見え隠れしている、ジーンズの尻ポケットに突っ込
まれたもの。薄茶色の長方形。
(封筒?)
 記憶は曖昧だが、行きにはなかったと思う。
 真白が何だろうと静かに視線を向けているのに気付いたのか、
「……他人の尻をじろじろ見るなよ」
「えっ。いや、そ、そうじゃなくて……」
「冗談だ」 
 少しからかうようにして、ちらと視線を向けた。
 真顔でそんな事言わないでよ……。真白は無駄に焦った恥ずかしさで黙ってしまったが、
彼もそんな事を言うのだなと思った。
 ふと視線を巡らせてみれば、周りに人の姿はなくなっていた。
「今回の報酬だよ」
 前を向き直り、ぽんと後ろ手でポケットに突っ込んだ封筒を軽く叩く。
「報酬?」
 そう言えばそんな事を要求された記憶がある。
 だが、あの時は紅葉に止められていた筈だ。確か「私がつもりをする」とか何とか。
「祈祷料」
「え?」
「今日、払っただろう?」
「あ、はい……」
 正確には兄持ちだったのだが、確かに今回、御祓いを受けるという事でそういった名目の
お金を神社に納めていた。彼が一気に言ってくれないので少し頭を働かせる。
「えっと……もしかして」
「そう。そこからの分け前。僕の分の報酬だ」
 なるほど。表向きには要求しないが、神社の祈祷料となれば払わないという人はあまりい
ないであろう。とはいえ、祈祷料のようなものは報酬、というニュアンスとは少し縁が遠い
ような気もするが。
「こっちも怪異に首を突っ込むわけだから。報酬の一つでも貰わないと割に合わないんだ。
まぁ……紅葉はあくまで人助けのつもりみたいだけど」
 あくまでぶっきらぼうに呟く智秋だったが、真白はさほどその声色に剣呑を感じ取ること
はなかった。
 むしろ、彼の紅葉に対する一種の親愛を垣間見たような気がして、何処か嬉しく思えた。
「……そういえば」
 真白は少し会話ができたのをいい事に、祈祷料と聞いて思い出した事をぶつけてみる。
「あの人形の事なんですけど」
「人形? ああ……」
 儀式の時、祭壇に安置されていた古人形。
 持ち主を、その家族を、帰りを待ち続けた彼(?)はその後どうなるのか。
「あの人形はどうなるんですか?」
 真白は和室に通される途中に、紅葉が話していた話を思い出していた。
 物守神社は、以前から年代物の器物の供養もしているらしい。実際、供養をしたそれらは
敷地内の倉に眠っているものも少なくないという。
「……持ち主は分かっているから、近い内に返すつもりだ。母親側も仏壇の傍らにでも供え
て一緒にいさせてあげたいと言っていたからな」
「そう、なんだ……良かった」
 それを聞いて、真白は安堵の気持ちに包まれた。
 怪異を起こした元凶らしい。それを知ればもしかしたら打ち捨ててくれと言われはしない
かと思っていたからだ。だが、その心配はあまりなさそうである。
「…………」
 真白のそのふと零れた笑みを、智秋は黙って見遣っていた。
 何を思っていたのかは分からない。ただ、その視線に気付いて真白が見返すと、すっと再
び前を向いてしまっただけである。
 また暫く、沈黙が続いた。
 入り組んだ路地を何度が曲がって、真白の眼にも一度目に来た時に見た記憶のある家屋が
ちらほらを姿を見せ始める。やはり向かっている先はあそこなのか……。
「……本当に、いいんだな?」
 暫くして、智秋が立ち止まった。
 目の前には『宝来堂』の店舗。またの異名を「お化け堂」。
 静かで冷たい、距離を取るような遠さを与える眼差しが真白を捉えている。あくまで彼は
語っているように見えた。自分に関わるべきではない、と。
「……はい」
 だがこの機を逃しはしない。ここまで来て帰ってしまえば、きっと後悔すると思った。
 真白は静かに、首肯してみせた。

「今、帰った」
 智秋が入口の引き戸を開いた。
 ぶっきらぼうな口調。しかしそれもおそらくはいつもの調子なのではないかとも思う。彼
の後ろから、真白はそろそろと用心深く歩を進めようとする。
 店内はあの時と、見た目はさして変わっていないようにも見えた。
 ただ、直感的に違ったのは、
「お帰りなさい。智秋」
 レジ台に座ってこちらを見ている時音。
「おかえり」
「よっ、お疲れさん」
「…………」
 店内の方々で思い思いに散在していた菊乃、灯馬、慈門。
「……それに、真白さんも」
 彼らがそれぞれに瞳の奥に、以前に来た時とは別の気配を宿している事だった。
 様子見、或いは警戒。あからさまな剣呑さはなく、少なくとも表面上は前回と変わらない
柔らかな歓待を見せているようにも思わされる。だが、それでも内心で身構えてしまう気配
を感じ取っていたのは、何も自身が意識し過ぎていたからだけではないだろう。
 あの日、幽霊屋敷で見た智秋の姿。
 あれから数日が経っている。一度咎られかけはしたようだが、結局自分はその一部始終を
この眼で目撃したのだ。
怪異に彼がしばしば関わっている。それは時音らの店員達も既知であるらしい。
だとすれば、自分が智秋のその現場を目撃した事についてももう知っている可能性は十分
にあると考えていいだろう。
 そこに、今この場での彼らの気配の理由があるとしたら……。
「はい……。こんにちは」
 真白はきゅっと胸の前で手を握りながら、じっとそんな様子を見遣りつつ頷いた。
「……まぁ、上がりなよ」
 数拍の間を置き、顔だけを振り向いてじっと視線を寄越していた智秋がそうぼそっと呟く
と奥の休憩室代わりの和室の方へと入っていく。真白も後に続こうとした。
 ガラガラ……、パタン。
 すると、背後で入口の引き戸が閉まる音がした。
「…………」
 ちらりと振り向くと、慈門がまるで戸口を見張るようにして立っていた。彼自身の巨体も
相まって戸を封じる障害物のようにも見える。
(……これって)
 ふと、真白に不穏な考えが過ぎった。慌てて振り払おうとするが、膨れ始めた不安感はそ
う簡単には立ち去ってはくれないようだ。くっと唇を横一文字に結び、再び歩き出す。
(逃がさないぞって事なのかな……)
 アウェー。そんな単語が真白の脳裏を通過していく。
 小さな和室の中、卓袱台を囲んで座る。
 智秋の正面向かい側に真白。左右を時音と菊乃、灯馬が囲むようにして座し、壁にもたれ
て佇んでいる。真白の背後、間仕切りのガラス戸が開けられたままになっているのは、店の
戸口に立っている慈門にも様子が分かるようにする為か。
 正座したまま、彼を振り返って真白はそんな事を思う。些か不安げな視線を向けられても
変わらず、菩薩のような微笑のままそこに佇んでいる。線目なので最初は気付かなかったの
だが、時折視線を戸越しに外へと向けているらしい。
『…………』
 智秋達は黙していた。
 向き直った真白も、いざこうして場を得ても何と切り出すべきかと決めあぐねていた。
 じっと互いに様子を見るように、視線の穂先がカチカチと金属音を立てるかのような錯覚
が場の空気を染めている。
 ごくりと。真白は乾いた喉で唾を飲み込んだ。
「あ、あの……っ!」
「空き家での僕の事だろう?」
 意を決して放とうとした真白の言葉に、智秋が覆い被さった。
 その通りだが。心持ち目を見開き、こくと静かに頷く真白を智秋は上目で見遣っている。
「……最初に確認しておくが」
「? はい」
「君が見た事は、誰かに漏らしてはいないか?」
 その眼は、真剣だった。
 答え如何では何かされる。真白は直感的にそう思った。
「いいえ……。話してません、誰にも」
 真白は心持ち後退しながらも、そう正直に答える。
 そもそも話せる訳が無い。ほぼ確実に信じて貰えないだろう。芳子のようなオカルト好き
ならそれも違ってくるかもしれないが、彼女にも伝えるのは憚られた。
「そうか」
 短く、智秋は呟いた。
 ふっと一度間際に迫った切っ先が退けられるような心地がして、真白は心の中で一抹の安
堵を感じる。やはり、彼も見られた事は気にしていたというわけか。
「焦らなくても話すさ。その為にわざわざ呼んだんだ」
「……はい」
 そわそわしていた気配を感じたのだろうか。智秋は慰めとも脅しとも取れそうな言い方で
そう言いながら、
「……実際に見せた方が早いな」
 もぞもぞと上着の内ポケットに手を伸ばす。
「あ……」
 そこから出て来たのは、一冊の古書。思わず真白は小さく声を漏らす。
 間違いなかった。あの時、智秋が手にしていた本だ。妙な文字で埋められた帯が、まるで
古書を封印するかのように十文字型に架けられている。
 卓袱台の上にそれを置き、彼はそっと手を添えて、
「エリー」
 呼んだ。再びあの時と同じ名を。
『……本当にいいの?』
「!?」
 すると数拍の間を置き、彼の声に応えるように何処からか少女らしき声が聞こえてきた。
 真白は瞬間的に身を強張らせて中空を見るが、他に姿など……。
「いいんだ。彼女に見せる」
『うん……分かった』
 そう思った瞬間だった。
 フッと、まるで空気そのもののように、そこに彼女が姿を現した。
 宙に浮かんだ半透明に近い身体。靡く金色の髪。青い瞳。黒いゴシック風の服。
 それは間違いなく、あの時に真白の前に現れた幽霊(?)の少女・エリーの姿だった。
「…………」
 呆然と見つめる。
 ただ、恐怖は感じなかった。彼女が柔らかに苦笑いを浮かべていた所為もあるのだろう。
 そして、彼女は吸い込まれるように消えていった。智秋の背後に覆い被さり、彼の身体へ
と潜るようにして姿を消していく。
 風が吹いた。気流のように智秋の周囲に迸る──霊気。
 古書に架かっていた帯が独りでに外れて、その気流の勢いに靡く。
「…………」
 ついと、顔を見上げた智秋の瞳が一瞬、青く輝いた。
(同じだ……。あの時と同じ)
 ごくりと息を飲む真白。それを見遣りつつ、智秋はそっと古書に触れていた方とは別の手
で、卓袱台の上に置かれていた籠の中から一つ煎餅を取り出す。
「?」
 真白が何だろうと思った瞬間だった。
 煎餅を包むようにして瞬いたのは淡い燐光。それが智秋の翳した掌から出ているのだ。
 咄嗟に言葉を搾り出す事もできず、ただその様子を囚われたように凝視する。時折点滅す
るその燐光と光景を目に焼き付けながら、
(……何だか、印刷機みたい)
 と、そんなやけに俗物的なイメージがふと脳裏に過ぎった。
 だが、そんな真白の思考はすぐに遠のく事になった。
 燐光が止んだ後、智秋の掌に残ったのは、
(……栞?)
 少し丈夫めの紙切れ。一枚の白い栞だった。
 そういえば、あの時も智秋は栞を使っていた。そこから女の子の幽霊が出てきて……。
「見ておけよ」
 ピッと栞を指の間に挟み、智秋は視線を上げるとその栞を投げ上げた。
 投げ慣れているのかひゅんと空を切って回転する栞。真白はそれを同じくして見上げる。
 ポウッ……。
 するとどうだろう。投げられた栞は空中で再び光を放った。白い光。「あうっ……」と思
わず手で庇を作り、真白はその光の中にそれを見た。
 ぽとり、と中空から智秋の手に落ちてきた……煎餅。手元にあるものと全く同じもの。
「食ってみるか?」
 そう半分促されるようにして、智秋からその煎餅をおずおずと受け取る。
 特に何かが変わったようには見えない。包装の袋を開けて、一口。
「……ん。美味しい」
 味も特に変わったものではない。見た目通り、煎餅だった。
 丁度小腹が空いていたのもあって、もしゃもしゃと平らげた。だが、どういう事だろう。
煎餅は籠の中と、智秋の手元にある。だとすれば今食べたこれは……?
「複写だよ」
「え?」
 考えを読まれたかのように、智秋がそう口にする。
「エリーには『如何なるものでも複写する』能力がある」
 と、それで分かっただろうと言わんばかりの言い口。
 どんなものでも複写する?
 じゃあ、さっきのは煎餅を複写したというのだろうか。あんな僅かな時間で。いや、そも
そも物体をそっくり写し取るなんて真似がそう簡単に……。
「それが宝生君の霊能者……としての力、なんですか?」
 できるとしたら、それこそ異能の持ち主だといっていいだろう。
 驚きはしたが、形は違えど一度見たし、色んな事を目の当たりにし過ぎて妙に耐性がつい
てしまっているなぁと真白は一方でそんな冷静さに内心苦笑する。
「……ちょっと、違うな」
 少し考えるように黙ってから、智秋は小さく首を横に振った。
「これはあくまでエリーの持つ力だ。僕はその力を借りているだけに過ぎない。彼女を一時
的に僕に取り憑かせることでね」
「…………」
 そういえば、以前にも彼は自分で言っていた。
 自分は怪異が視えたり聞こえたりできるだけだ、と。
「それに、僕は厳密には霊能者って呼ばれるような連中ではないと思ってる。怪異をネタに
金儲けをしようとは思わないし……。単にそういう厄介事を持ち込まれているだけだ」
 そこは彼なりの謙遜なのか、それともある種の「持つ者」としての哲学のようなものか。
 こうした事例において、彼の「報酬」とは「迷惑料」に近いものであるらしい。
「じゃあ、宝生君は視えたり聞こえたりする、幽霊に憑かれている人って事ですか?」
「……幽霊?」
 彼の話を整理して反復した真白に、智秋は一瞬眉根を上げた。
「失礼な。私は幽霊なんかじゃないよ~!」
 すると真白のその言葉に反応するかのように、智秋の背中からエリーがぬっとせり上がっ
てきた。ふわりと宙に浮いたまま、むすっと頬を膨らませてみせる。
「え? 違うの……?」
 急に出て来た彼女を見上げながら、真白は少し焦った。
「違う違う。幽霊は死んだ後の思念だけど、私はご覧の通りちゃんと生きてます~。そもそ
も全然見た目だって違うでしょうに」
「はぁ……」
 そう言われても、と真白は思う。確かに外見は違うだろうが、素人には幽霊と形容する以
外にぱっと思いつくものはない。言われてみれば幽霊というには透明度はあまりなく、どち
らかというと輪郭がぼやけた感じと表現した方がいいのかもしれないが。
「……そこの所も説明が要りそうだな」
 エリーが身体から抜けた(憑依が解けた?)からか、いつの間にか古書には十文字型に帯
が架かり直っており、智秋から迸っていたモヤも止んでいる。
「幽霊は、僕があの時連れてきた女の子の方だよ」
「連れて……きた?」
 あの時、栞から出て来た女の子の事だろう。言われてみれば、彼女の方がずっとぼんやり
とした透明な外見だったように思う。それにしても彼の表現はどういう事か?
 智秋は少し間を置いた。言い淀んだとも見える。
「……あの子は、既に死んでいた。まぁ幽霊だから当然だけど。僕は、彼女の葬られている
墓前まで出向いて彼女の念を写し取ってきたんだ」
「え? それって……?」
「平たく言うと、彼女自身を複写したんだよ」
 真白は少々押し黙った。
 複写した。確かに如何なるものでも複写できるとは言っていたが、物体ではないものまで
それも幽霊の思念、存在を──俗に言う魂(?)すらもコピーしてしまえるというのか。
 彼らに依頼した後、学園をしばしば休んでいたのはその目的の為でもあったのだろうか。
「じゃあ、あの人形も……?」
「いや、あれは幽霊じゃない」
 智秋は静かに否定した。肘をついて両手を組み、真白をじっと見据える。
「エリーもね。あれと彼女は分類上同じ存在だ。力量には雲泥の差があったけれど」
 彼女とあの人形が同じ。だけど、力量が雲泥の差……。
 確かにそうかもしれないと真白は思った。あの古人形は「心」を持っている様子はあった
が、人間味というものは殆どなかった。人形そのものの外見という事もあったのだろうが、
今こうして目の前で浮いているエリーのように、外見が人間ではなかったのが大きい。
 何でもコピーできるといった能力の有無から見ても、彼の言う事は何となく理解できた。
「……じゃあ、一体何なんですか?」
 真白はそう訊ねる。
 智秋は一度目を瞑った。ふわふわと浮くエリーが陽気さを表情に取り戻している。ゆっく
りと、目を開いて、
「付喪神さ」
 静かにそう答えた。
「つくもがみ……?」
 真白が小首を傾げる。聞いたが事あるような無いような……。
「魂を宿した器物、といった存在だ。厳密にはそれが第三者から見えるよりも前から、彼ら
は自我や霊力を蓄えているのだけど……。まぁ、いわゆる一種の妖怪だと思っていい」
「妖怪……」
 そのフレーズを聞かされて、真白は改めて自分はとんでもない世界に足を突っ込んでいる
のだなと再認識させられる。松戸先輩などなら一笑に付すだろう。ヨシちゃんならば、その
言葉を聞いただけでさぞ胸を高鳴らせることだろう。
「付喪というのは当て字で、元々は九十九と書く。長い時間あるいは多種多様な万物という
意味がある。長い時間を経て神に至る者という事だ。一神教的な神ではなくて、アニミズム
(汎霊説)的な意味だから、森羅万象を司る存在という意味合いだろう。ただ化身するまで
の経緯には個体差もあるから一概には言えない部分はあるけど」
「…………」
 そう滔々と語る智秋に、真白は目を瞬かせていた。
 知識もそうだったが……妖怪に、怪異について語る彼は、
「民俗学的な見方をすれば、物を大事にし、感謝するという意味合いなどを含む民間信仰と
して考える事ができる。今の時代ではだいぶ薄れているようだけど、それでも──」
 楽しそうに見えた。
(……宝生君だって、こんな表情(かお)できるんじゃない)
 真白も、そんな彼を見て内心がほっこりと温かくなる気がした。
 見上げるとエリーが「分かったでしょ? 幽霊とは違うの」と笑っている。
 流石に話の展開に頭が混乱してきた感もあるが、目の前に見えているものは現実であるの
はもう否めなくなっていた。
「……エリーはこの本に宿る、本体とする付喪神なんだ」
 本体。だから彼は彼女を呼ぶ時にはいつもこの古書を携えていたわけか。
 それまでの饒舌加減に気付いたのだろう。智秋はふっと表情を硬めに整えるようにして、
少し間を取ってから最後にエリーもそんな付喪神である事を話してくれた。
「そうだったんですか……」 
これで、疑問の多くは解けた。
 彼の見せた不思議な力の理由は分かった。
 だが、まだ真白には聞きたい事があった。今までの話よりも、多分きっと訊き難いだろう
し、話し辛い事かもしれない。だけど、もっと根っこの事だと思うから。
「……あの。もう一つ、いいですか?」
 ごくっと息を飲み、おずおずと真白は切り出す。
「何だい?」
 智秋もぶっきらぼうで淡々とした声色に戻っている。
「その、人伝に聞いたんですけど。ここって『お化け堂』って呼ばれているんですよね?」
 慎重に言葉を選びながら切り出したその直後。
『…………』
 空気が、変わった。
 緩みかけた空気が再びぴんと張り詰める。ズビシと、四方八方から強い視線を感じる。
 智秋や時音達が、黙したまま、それでいて瞳の奥から強い気色を滲ませてくる。
 痛い。視線が痛い。
「あなたも、耳にしたのね」
 それまで黙っていた時音が、残念そうな悲しそうな声で言う。
 彼女が智秋達にさっと目配せをしていた。
 何だろう。真白はおずおずと上目で密かにその様子を見ていた。
沈黙。お互いにどうしたものかと躊躇しているようにも見える。真白の脳裏に過ぎる例の
噂の内容。魑魅魍魎の巣窟、呪われた店員達……。
「智秋」
 時音が短く、促すように彼の名を呼んだ。
「私達は、構わないわ」
「…………」
 しかし彼はまだ躊躇しているようで、彼女を見返して渋面を作っている。
「……いいんじゃない? 私を見てもあんまり騒いだりしていないし」
「だけど……」
 宙に浮いていたエリーが、そっと智秋の傍らに降りてきて促していた。それでも智秋は喉
にものを詰まらせたように煮え切らない。それほどに……話し辛い事なのか。
(訊かなきゃ、よかったのかな……)
 そして真白もその様子に自分の発言を後悔し始めた、その時。
「……分かった」
 ぐっと腹に力を込めるように神妙な面持ちになって、智秋は頷く。
「君は今のエリーが視えるみたいだし、多少なりとも『見鬼』の力があるだろうから……」
「? 見鬼……って何ですか?」
「う~んとね。分かり易く言うと怪異を知覚できる体質、かな」
 真白の問いにエリーが噛み砕いたつもりで答えてくれる。
「……え~と、それは霊感って事ですか?」
「うん。大雑把に言っちゃえばそういう事だよ」
 そうだったのか。自分が……?
 彼女の口調の所為もあったのだろうが、さっくりと断言されてしまうとあまり実感には乏
しくなってしまうような。真白は苦笑いを浮かべるしかない。
「…………」
 智秋がまだ少し躊躇を引き摺った様子で自分を見ている。
 真白はそれに応えるように、居住まいを正して彼を見返した。
「……後悔するなよ」
「? は、はい……」
 何の事か。だがどうやらこの疑問に答えてくれるのは確かなようである。
「……皆、出てきていいぞ」
 ついと上げられた視線。真白自身にではない、背後へと。
 後ろに何かがあるのだろうか。静かに向けられ、発せられた視線と声の行き先へと、真白
はおもむろに振り返ってみる。
 そこには。
「え? マジでいいのかよ。智秋」
「へへっ、こんにちは、お嬢さん。どーも」
「……お~、見られてる。見られてるっぽい」
「な、何か恥ずかしいなぁ」
「やっほ~い。こんちは~」
「おい、狭いよ。もうちょっと向こうに寄れって」
「そっちこそ。肩幅広いんだよお前は」
「……ど、どうも~」
 店内の天井一面に、壁際一面に。ワイワイガヤガヤと。
 エリーと同様、半透明に近い者達が犇めき合っていた。人間のような者から明らかにそれ
とは違う、異形・お化けのような姿まで千差万別のそれが。
「……」
 真白の眼にそんなトンデモな光景が映っていた。
 皆が皆、自分を見ている。興味津々といったものから、おっかなびっくりなものまで。
 十人十色に姿も形も声も、全てが今自分に注がれている。
「…………」
 真白は噂の意味を理解した。魑魅魍魎の巣窟。それは……。
「……真白さん?」 
 振り返って見上げていた真白の後ろ姿をじっと見つつ、時音が何かに気付いたように呼び
掛けていた。智秋もエリーも、やっと彼女の様子の変化に気付く。
 それとほぼ同時のタイミングで、
「~~~~~~ッ」
「……えっ?」
「ちょ、ちょっと、真白さん!?」 
真白は目を回してその場に倒れ込んだ……。

「す、すみません……」
 突然の事に気を失ってから暫く。真白は介抱してくれた時音と菊乃に挟まれるような位置
で座り直し、恥ずかしげに頬を染めて俯き加減のまま呟いていた。
「……気にしなくていい。僕達の方も、流石にいきなり過ぎた」
「は、はい……」
 智秋はそう言いながら、片手を頭に当てて卓袱台に肘をついている。自分があそこで気絶
させるような真似をしてしまったのを少々気に病んでいるように見えた。真白はその様子を
上目で認めながら、まだ少し引き攣り気味の表情に笑みを浮かべるように努めた。
「と、いうよりも。今までも怪異には遭ってるのにこうならなかった方が珍しいんだよな。
嬢ちゃんは肝が据わっているというか、それとも怪異自体に抵抗が少ないのか……」
「め、珍しいんですか……私」
 壁際に、胡坐を掻いて座っていた灯馬がへらへらと笑っている。
 どちらかと言うと後者……だろうかと真白は思った。
 自分でも少し驚くくらい、怪異を、あのお化け達を見ても怖いという感じはあまりしなか
ったのだから。姿形こそは異形に違いなかったが、彼らには人間っぽさがあったような。
気絶してしまったのは突然の事に頭がオーバーヒートした所為ではと思う。
「…………」
 真白は静かに深呼吸して、ゆっくりと後ろを振り向いてみた。
「あ、またこっち見た……」
「おいこら、怖い顔すんなよ。また倒れられたらどうすんだよ」
「やかましいわ。俺っちは元々こんな顔だっつーの」
「あの~、大丈夫ですか……?」
 背後の店内には、まだ先刻のお化け達(?)がいた。
 今度は少し控えめな様子で真白を見下ろしている。再び見ても信じられないが、やっぱり
これは現実だった。智秋が自分を「見鬼」の力があると言っていた事もあるのだろうか。
「あの、この人達って……」
 振り返りながら、真白が智秋に訊ねる。
「……人、か」
「え?」
 殆ど聞き取れない程の微かな声。
一瞬、真白には智秋が口元に僅かな笑みを浮かべたように見た。
「彼らは皆、付喪神だよ」
 その意味を確認する間もなく、彼は答える。
 真白はもう一度、視線だけを後ろに向けてみる。
「そうなんですか……」 
 付喪神。エリーと同じ存在。
 確かに言われてみれば、皆幽霊のような半透明というよりは彼女と同じく輪郭のぼやけた
感じの姿という表現が正しいように見える。それに、付喪神は器物が変化したものだと彼は
言っていた。その意味ではここは、彼らが生まれる(?)本体には事欠かない。
「でも、何でこんなにここには付喪神さん達がいるんですか?」
 そして、疑問に思った事を向き直りながら訊ねる。
 この店が『お化け堂』と噂される理由は、ほぼ間違いなく彼らの存在故だろう。もしかし
たら、自分と同じように「見鬼」の資質のある者が知らずの内に、彼らを目撃し、噂の大元
を築いたのかもしれない。
 だとしたら、そもそも何故この店に集まっているのか。
「巣窟だからだよ」
「え?」
 答えに思わず短く聞き返してしまう。
「……結果としては、噂は半分当たっている。実際ここは彼らの住処になっている。彼らを
魑魅魍魎と表現するなら、噂はあながち間違ってはいないんだろうね」
 その言い草は、少なからず自嘲を含んでいるようにも感じられた。
 智秋は両手を組んで、口元を隠すようにしている。何事か慰めを放とうかと躊躇する真白
の様子を、予想通りだと見抜いているかのように。
「どうして……そんな事に?」
「……それを話すには、少し昔話をしないといけない」
 視線をやや俯き加減に。智秋は暫く間を置いた。
 あまり気は進まないのだろう。真白はじっと彼の様子を見守った。
「宝生喜一郎、という人がいた」
 やがて、重く閉じていた口を開く。
「宝生君の、お祖父さん?」
「……あぁ」
 つい口にしてしまった真白はまずいと思ったが、智秋は少し間を置いて頷いた。過去形の
表現と同じ姓から推測したとでも考えたのだろう。
「じいちゃんは、僕と同じで見鬼の力の持ち主だった。まぁ、見鬼自体は自覚してない人間
も含めれば決して珍しい力とは言えない……むしろ基礎的な霊能力なんだ」
 ぽつぽつと話し始める智秋。
 耳を傾ける真白は、視界の隅で時音達がいつの間にか神妙な表情をしているのに気付く。
 神妙? いや、これはむしろ……。
「その力故に、じいちゃんは周りからは変人として見られていたみたいだ。僕自身も見鬼だ
から、自分の力についてちゃんと知るまでは視えるのが当然だと思っていたし」
「…………」
 引き込まれるように、真白はその何気なく言われた言葉に一抹の切なさを覚えた。
 見ている世界が周囲とは違う。それを知った時、喜一郎氏は、智秋は一体何を思ったのだ
ろう。少なくとも、周りと同じである事よりも、怪異というものを受け入れる姿勢を選んだ
事は間違いない。だが、それは……常に周りの奇異の視線を浴びるという選択でもある。
「でも、じいちゃんは自分に視える世界を信じ続けた。その大切さを知っていたんだ。それ
は戦争で兵隊に行ってからも変わらなかったらしい」
 語尾が曖昧なのは、直接当時を見たわけではなく、あくまで伝え聞いた話から感じ取った
ものなのだからだろう。
 ふぅっ……と智秋が一息をつく。
 その傍らでふわふわとエリーが浮かんでいる。少し俯き加減。まるで記憶を探る様に。
「じいちゃんが、エリーと出会ったのは丁度その頃なんだ」
「エリーちゃんと……?」
 そうか。彼女は見た目外国人風。もし兵役中に喜一郎氏が海外にいたのなら、それも説明
がつく。外国籍(?)の付喪神という事か。
「じいちゃんとエリーは、戦火で焼け出され、失われていく人間と同じ様に器物達が消滅に
晒される姿を何度も見たそうだ。なまじ視えたから、たとえ化身するほどでなくとも自我を
宿し始めた付喪神達が失われていく様を見るのは、人が死ぬ様を見るのと同じ事のように感
じられただろうと思う」
 真白は静かに、無意識に口元に手を当てていた。
 沢山の人間の死と、身近に感じていた妖怪達の死。彼は戦地でその感性で単純に考えても
二倍の……いや、戦争という一部の人間のくだらない都合で起きた背景を加えれば三倍の、
心の痛みに苦しんだのか。
 自分は戦争を知らない世代でしかなく想像の域を出ないが、それでも誰だって死を見るの
は決して心地よいものではない筈だ。
「……だから、じいちゃんは戦争が終わって帰ってきた後、彼らを守りたいと強く思うよう
になった。『宝来堂』はその為に開いた店なんだ。骨董屋なら無理なく付喪神達を本体ごと
預かる事ができる。守ることができる」
「……そうだったんですか」
 真白は溜まっていた何かを吐き出すようにして呟いていた。
 理由は、何もおどろおどろしいものではなかった。
 ただ感受性の強かった彼によって建てられた、妖怪達の安息の地として。
「……まぁ、相変わらず周囲からは変な目で見られていたみたいだけどね。自分達は生活が
苦しいってのにあいつは古道具に現を抜かしているとか」
 半分は困り顔で、半分は軽く笑い飛ばして。
 あくまで神妙な顔つきでそう言われるものだから、真白は苦笑いを浮かべる他ない。
「で……。元々変人扱いされていたじいちゃんが……という事もあって、いつしかこの店は
お化け堂なんて呼ばれるようになったんだろう」
「見鬼に気付いていないお客さんがいて、そこから噂の元になったとかじゃ……?」
「さぁ? 可能性はなくはないだろうけど……僕は、悪い噂なんかでじいちゃんを貶しそう
としていた中で噂になったんじゃないかと思うけどね。まぁ、本人が死んじゃってるから、
もう確かめる術はないんだけどさ……」
 そう、真白の説に智秋はオブラートに否定した。
 その言の葉に込められたのは……敵意?
「噂なんてものは、大概悪意が混じっているものだよ」
 真白は内心、ズキンとした鈍痛を受けたような錯覚を覚える。
 何か言い返さないといけないような気がした。諭す? 違うもっと別の……。
 だけど、言葉にしようにも何を言えばいいのか、すぐには出てこない。喉元に重石がかか
って言葉がへしゃげてしまうような。
「…………」
 真白は心持ち渋面の様相で智秋を見返していた。
 何を思っているのかは分からない。彼はじっとその様子を見ている。
「……さて」
 そして、ややあって智秋はゆっくりと立ち上がった。
 自然と真白は彼を見上げる格好となる。
「話はここまでいいだろう」
 ふっと、智秋の表情に陰が映えたような気がした。
 不穏。そう表現するに相応しい緊迫がじわじわと広がっていく気がする。
「君の記憶を、消させて貰う」
「えっ……?」
 真白は思わず目を見開いていた。
 記憶を消す? 確かに彼はそう言った。どうして? 話してくれたのではなかったのか。
「言っただろう? こそこそ嗅ぎ回られるのは面倒だって」
 そんな思考を見透かすように、智秋は続ける。
「だから、いっそ君の気にしている事を解決してしまおうとね」
 ちらりと目配せ。真白の両側に座っていた時音と菊乃が立ち上がる。
「君に忘れて貰うのは、それからの方がスッキリすると思ったんだ」
「……そ、そんな」
 智秋と同じく見下ろす格好になった時音と菊乃を見上げる。
「すまないな。だが、これも君の為だと思う」
「……ごめんなさいね」
 腰が引け掛けていた。思わず二人から逃れようとそのままの体勢でざざっと後退り、戸口
へ向かおうとしたのだが、
(あ……)
 店内には沢山の付喪神達。その表情は先程とは違って、真剣味を帯びている。逃がさない
ぞという意思表明なのか。割合気さくなような感じだった彼らが、決して霊能者ではない素
人である自分には、彼らを振り切れる気はしなかった。
「…………」
 それに、戸口にはバリケードよろしく慈門の巨体が立ち塞がっている。表情は相変わらず
菩薩のような微笑を崩していなかったが、今となっては不気味さを際立たせるものと見る事
もできようものだ。
「無理だって。そもそも、ここに来た時点で嬢ちゃんはアウェーなんだぜ?」
 壁にもたれ掛かった灯馬が、戸口を見つめて固まっている真白の背後から声を掛ける。
「時音」
 智秋が短く名を呼んで促した。
 振り返る真白。そっと近寄り、目線と同じ高さまで腰を下してくる時音。
 彼女が自分の記憶を消すというのか? 
 そんな疑問が頭を過ぎったが、智秋やエリー、付喪神達と共に空間・時間を共有している
彼らもまた、特殊な力の類を持っていてもおかしくはないかもしれない。
 呪われた店員達。その意味はもしかして……。
「ごめんなさいね。智秋がこう言っているから……」
 困り顔を作ってみせ、時音が苦笑気味に微笑んだ。
 こんな時でも美人だなと余計な思考が過ぎり、慌てて打ち消す。そっと、彼女が向けた掌
が自分の頭に覆い被されようとしている。
(どうして……宝生君? 話してくれたのに。私を、騙していたの……?)
 色んな思考が頭を駆け巡っては交差する。
 忘れてしまう? 今までの話全てを? 彼らの事を?
 彼らの抱えていた静かな苦悩を。本当は優しい、それ故に受けてきた奇異の視線を。怪異
という非日常だが、本当はすぐそこにあるのだという事実を。
 安易に忘れてはいけないと思い始めていた。それに、まだ聞きたい事だって……。
(こんなの……こんなのって……)
 ぎゅっと目を瞑る。終わってしまうと思った。
 全身に感じる彼らの視線。自分が忘却するその瞬間を見届けんとする眼。
 後悔と、一抹の悲しさと。何処か切ないような感覚。
 真白はそんな混ぜこぜになった気持ちが膨れ上がるのを感じていた。
 ……その時だった。
『!?』
 ぴたと止まる迫る気配。
 目を閉じていたので分からなかったが、時音の掌が寸前で止まったらしいのが分かった。
それに、自分に向けられていた視線が移ろっていくような。
「……?」
 恐る恐ると目を開けてみる。
 視界に映った時音が、菊乃が、智秋やエリーがそれぞれに少し顔を上げて何かを見ている
ようだった。自分ではない。後ろの方を。
 遠くから車のエンジン音が耳に届いたのは、それとほぼ同時の事だった。
 真白も、時音の手が止まっているのを横目で確認するとゆっくりと後ろを向いた。
 コツコツと靴音が聞こえてくる。こちらへ近づいて来るようだ。
「む……?」
 ややあって、店の戸口越しに人影が立つのが見えた。慈門が短く声を漏らしている。
 人影の手がすっと戸口へと伸びた。その意味を即断して、彼がそれを止めようと手を伸ば
そうとしたが、一瞬だけ遅かった。
「やっほ~、智秋君いる~?」
 バンッと勢いよく開けられた入口の戸。慈門は伸ばしていた片手を反射的に引っ込めた。
代わりに、くいと顔を上げてその少々乱暴な来訪者を見遣った。
 入ってきたのは、一人の女性だった。
 三十代ぐらいだろうか。ズボンのスーツを着こなし、一見できる女のようにも見えなくも
ないが、随分と気安い感じで片手を上げてにやついている表情もあって、彼女本来はもっと
ラフな性分であろう事が想像できる。
(……誰?)
 助かったと思ったが、真白はそうも疑問に思った。
 随分と気さく、いやこなれた感じで入ってきたが……。
「…………あれ?」
 そこで女性はやっと状況を察知したのだろう。
 真白を始め、智秋達の「何だよいきなり」的な視線が集中している現状に、心持ち表情を
気安さから一抹の驚きへと変えた。
 数度、目を瞬かせて、
「もしかして、タイミング悪かったり……?」
 あははと苦笑いしてそう半分くらい疑問系で口篭もる。
 場の雰囲気が「そうだよ」と答えていた。

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  1. 2011/04/28(木) 20:30:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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