日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)アンティーク・ノート〔1〕

 見上げる空は深い黒に染め上げられていた。
 黒地の上に点々と静かに瞬く星、それらから心持ち離れるように浮かぶ朧月。この日も、
住宅街は夜の静けさの中にいる。
 家々の所々に点る灯りと、何処からか聞こえる犬の遠吠え。
 それらをアクセントに、今日もやや冷たい夜風が閑静な夜の住宅街を静かなものにする。
「……よし」
 ただ一つ、
「皆。準備はいいわね?」
 そんな中、一軒の家の前に四人の男女が集まっている事を除いては。
「おう。準備オッケーだぜ」
「……あぁ」
「う、うん……」
 何処か嬉しそうに、ワクワクとした表情でミドルショートの髪をした眼鏡の少女が一同に
振り返る。それに答えるのはカメラを携えた中背の少年と長身の少年の、さっぱりとした、
寡黙なそれぞれ対照的な返事。更に彼らの傍らで不安そうに弱々しく頷く、ふわっとした長
髪の少女のか細い声。計四人の少年少女。それぞれに私服姿だが、背格好からもどうやら彼
らが学生である事が判断できる。
 彼女は昼とは全く違って見える周囲の風景にちらちらと目を遣りつつ、
「……ね、ねぇ、ヨシちゃん」
「うん?」
「ほ、本当に行くの……?」
「当たり前じゃない。何、大丈夫よシロちゃん。アタシらがついてるからさ」
「……う、うぅ。そ、そうじゃなくて」
 力の弱い抵抗の声が、目の前の幼馴染にすっぱりと受け流されてしまう様子に消沈する。
 ぎゅっと、小さく震える手が無意識に長身の少年の上着の裾を握り締めていた。
「……。芳子、別にわざわざ夜に来なくてもよかったんじゃないのか」
 幸彦はその様を横目に移しつつ、そう目の前の彼女に告げていた。しかし既に諦念がある
のだろう。その声色はさほど説得力を込めたものともいえないものだ。
「え? だって、夜じゃなきゃ心霊写真は撮れないでしょ?」
『…………』
 芳子の返答に、一同が押し黙った。
 苦笑という感情に近い。お互いに顔を見合わせてやれやれと言わんばかりの反応。それは
彼らが互いに相応に長い付き合いであるからこその反応でもあった。
「……お前、目的が真逆になっているじゃないか」
 皺を寄せた眉間に指先を当て、嘆息。
 幸彦は「何?」と小首を傾げる彼女を見遣ってやれやれと既に気疲れを感じ始めていた。
 まぁ、こうなりそうな事は予想していたのだが……。
(…………)
 ふいと、視線を持ち上げる。
 四人の目の前に建っているのは一軒の家。周りの家よりも一回りほど大きな外観。夜とは
いえ、部屋の灯りなどは一切ついておらず、不気味なほど静まり返っている。
 それも無理はなかった。
 何故なら、この家は以前より空き家になっているから。
 ──幽霊屋敷。
 そう、此処は噂されているらしい。
 何でも夜な夜な幼子のすすり声が聞こえてくるのだとか。しかし、ここは既に空き家だ。
住人はとっくにいなくなっている。だから……幽霊の仕業、という噂話がついたのだろう。
 だが、幸彦個人はそんな安易な結論の持っていき方には賛同していない。大方何かを聞き
間違った、そんな所だろうと踏んでいる。
 そもそも、この噂も日が経てばすぐに忘れる一過性のものになる筈だったのである。
「……?」
 視線をついと芳子に。
 事の始まりは、彼女にあった。
 不動産業を営む彼女の父が、現在この幽霊屋敷の管理をしている同業者とこの噂について
ぼやき、つまり風評被害について話していたのである。それ自体は話題の一つに過ぎない筈
だったのだろうが……。
『その話、本当ですか!?』
 この、このオカルト大好き娘が耳聡く聞きつけてしまったのが、自分達が今こうしている
事の切欠だったりする。彼女に振り回されるのには慣れているが、面倒なのは変わらない。
「だいたい、お前が引き受けたのは『幽霊なんて此処にはいない』事を証明する為だろう。
その本人が心霊写真を期待してどうする」
「え~、だって幽霊だよ? 怪奇現象だよ? ワクワクしない?」
「…………それはお前の場合だけだろ」
 そう脱力しつつ突っ込み、無駄だろうとは分かってはいるが冷ややかな視線を投げかけて
おく。首から提げた愛用の一眼レフをそっと撫でた。
 幽霊などいない=勿論、心霊写真が撮れる筈がない=撮れなかった=やっぱりいない。
 そうして噂を払拭したいという作戦、依頼なのだ(とはいえこの前提自体が結構に矛盾を
孕んでいるという事には、話がややこしくなるので黙っておく事にした)。
 再び、嘆息。
 確かに自分達は写真部だ。撮影となればお家芸だが……何が悲しくて心霊写真というごく
限られた嗜好のジャンルに手を出さねばならないのか。
「まぁまぁ、部長。幽霊がいるかはともかく、さっさと済ませてしまいましょうよ」
「ぬぅ。ともかくとは何さ、健(たける)君。いるよ、いるともさ!」
「へいへい。まぁ、そういう事にしとくよ」
「むぅ……」
 そもそも、彼女にこんな事を頼む方も大概である。
 いや、それは自分もそうだろうか。いくら先輩達が卒業し、部員がごそっといなくなって
廃部になりそうになったからといって、彼女らに声を掛けた自分も。思い起こせば彼女を加
えた事で余計に振り回され、まともに部としての活動ができているのかすらも怪しくなって
きているような……。
(……僕は、人選を間違ったのだろうか)
 からかい気味にやりとりされる面々を横目に、幸彦はずんと悩ましい思考がループし始め
ていくのを感じていた。三度目の、嘆息。
「お~い。ユッキー、シロちゃん。行くよ~?」
 と、若干遠くなった声に幸彦は顔を上げた。
 見ると既に芳子と健は空き家の玄関の前にまで移動していた。
「うぅ……。お、お兄ちゃん」
 噂ながら幽霊屋敷に乗り込む事に不安なのだろう。まだ握られた裾をくいと引っ張って、
困惑の表情が幸彦を見上げている。
「……。僕達も行くぞ、真白」
「え? う、うん……」
幸彦はゆっくりと歩き出した。逡巡の後、トテトテと真白もその後を追う。
(そうさ。松戸の言う通り、さっさと済ませて帰ろう……)
 そう、自分に言い聞かせながら。

 芳子が鍵の束(件の業者から事前に預かってきたものだ)を試して三本目。カチリという
金属音と共に玄関の鍵が開いた。
 そっと扉に手を掛けて半開きにして、家の中を覗き込む。
 灯りが全くなく時刻も夜だけあって中は気味悪いぐらいに闇一色だった。
「ほい。皆、これ」
「ん? あぁ」
 中に入る前に、芳子が肩に提げていた鞄から人数分の懐中電灯を取り出して配る。
 決して十二分な灯りとは言い切れないが、全くの無灯よりはマシだろう。兎も角、足元の
玄関口を照らしながら靴を脱ぎ、慎重に室内へと足を踏み入れた。
 最後尾の真白が扉を閉めた。パタン、と音がする。
 同時に一瞬、幸彦は寒気のようなものを感じた気がした。
 まだ春先だというのに。人間のいない家とはそんなに冷たく感じるものなのかと内々に思
考が過ぎった。
 一先ず廊下を突っ切っていく。芳子を先頭に、健、そして幸彦と真白と続いた。円形の灯
がゆらゆらと手元を返す度に移動し、暗い室内の様子を断片的に映す。廊下を軸に、扉で仕
切られた幾つかの部屋が連絡されている、ごくありふれた構造のようだった。
「へぇ、結構広いな」
 玄関から正面切った扉の向こう側に、リビングが広がっていた。
 前の住人がここを去る時に持ち切れなかったのだろうか、見渡してみる限り家具や調度品
の類がぽつぽつと残されたままになっている。元々、備え付けであったのかもしれない。
 暫く、周囲を照らしながら観察の間があった。
「さぁ。それじゃあ早速始めましょう」
 そう言って鞄から使い捨てカメラを取り出す芳子。
(ヨシちゃん、笑ってるよ……)
(あ、あぁ……)
 場所が場所なのに、楽しそうだった。
「適当にバラけましょうか」
「……そうだな。撮る場所を分担するとしよう」
 その場で適当に班分けを行った。芳子は二階を、健はリビングから玄関にかけて、そして
幸彦と真白はリビングから家の奥の方を担当する事になり、
「よし、じゃあ一旦解散」
『了解~』
 それぞれ懐中電灯の光と共に別行動を開始した。

 撮影、といっても特にこれといった被写体が用意されているわけでもない。
 ただ担当する範囲をぶらつきつつ、適当にカメラに収めるという単調な作業だった。
 幽霊の不存在を証明する、心霊写真(が撮れないという為)の撮影。
(なんだかなぁ……)
 カメラを構えてレンズ越しに室内を窺いつつ、幸彦はしっくり来ない感じにまたため息を
つきたくなる衝動を覚えていた。
「……お兄ちゃん」
 ふと、代わりに辺りを照らしてくれていた真白がか細く声を掛けてくる。ファインダーか
ら目を離し、ちらとやはり不安げな妹の表情に視線を移す。
「と、撮れるのかな。心霊写真」
「……いや、撮れない事が目的なんだって」
 ややこしい話である。
「まぁ、どうなっているかは持ち帰って現像してみない事には分からないけどな」
 そう言いつつも、幸彦自身はそう易々と撮れるものではないだろうと思っていた。
 そもそも心霊写真と銘打つものの中にもしっかりと現実的な説明ができる場合も多い、と
いう事を幸彦も(芳子にこうした類の事に振り回されてきた結果)知識として持っている。
「……うん」
 それに対して、真白はやはり不安な様子を隠せていない。
 生来の内気な部分があるにせよ、彼女は自分よりも幽霊などの怪異の類に対する「信心」
のようなものを持っているかのように思えた。
(そんな気の持ち様も、幽霊なんてものを見せる原因なんだろうな……)
 幽霊の正体見たり枯れ尾花、という言葉もあるくらいだ。
 そう思いながら、何度目かになるか分からない撮影。カシャっとフラッシュを焚きながら
カメラに暗い室内の様子をまた一枚と収める。
 フィルムの残数を確認して、幸彦は顔を上げた。
「まぁ、こんなものかな」
 そう、呟いたその時だった。
『……コ、チャ……?』
 耳に届いた、小さな声。
 普段なら聞き逃していたかもしれない。しかし夜中の空き家という静か過ぎる空間が、彼
に空耳だと思わせる道を足早に塞いでくる。
 無意識に、幸彦は眉間に皺を寄せていた。ゆっくりと視線を真白に移す。
「…………」
 彼女は、目を真ん丸にしてその場に立ち竦んでいた。
「お、お兄ちゃん……さっきの」
「……。お前も聞こえたのか?」
 幻聴、空耳。その可能性を彼女の声が消してくれてしまう。
(何だ……?)
 耳を済ませてみるが、闇に溶けた空間からは先程の声は聞こえてこない。
 この空き家の噂が記憶に蘇る。
 いや、だがそんな事は……。幸彦は中腰になっていた姿勢を正して背後を振り返った。
 すすり声。本当に人がいる? そんな馬鹿な。
「真白。戻るぞ」
「あ、う、うん……」
 彼女が慌ててついてくるのを確認しつつ、気持ちだけ足早にリビングへ。
「お? 部長、真白ちゃん」
 リビングには何事もないように平然とした健がいた。
「こっちは一通り終わりましたよ」
「そうか。こっちも……まぁ、済んだかな」
「……う、うん」
 しかし、二人(というよりも真白の挙動)を見て何かを悟ったのだろう、ややあって彼は
目を細めてじっと二人を見比べている。
「どうかしたんですか? まさか、撮れちゃったとかいうんじゃないでしょうね」
「いや、そうではないんだが……」
 その声は、興味と言うよりは苛立ちを若干含んでいたようにも感じられた。部長まで感化
されたんじゃないんでしょうね? という意味合いを。だが幸彦は小さく首を横に振った。
彼自身も撮れて堪るか、という気持ちがこの時もあった。
「さっき、妙な声が聞こえなかったか?」
「……声? いえ。特には」
「そう、か」
 やはり聞き間違いだったのだろうか。幸彦は自然と真白と顔を見合わせつつ、内心で小首
を傾げる。自分も松戸の含蓄のように、感化されてきているとでもいうのか。
「二階じゃないんですか。桜木が何かぶつくさと言ってたのを聞いたとかじゃ」
「……あぁ」
 なるほど、と思いつつ健がそうしているように幸彦と真白もついと天井を見上げた。
 彼女の事だ。「幽霊さん、出ておいで~」などと言いながら撮影しているかもしれない。
 ふっと気持ちが軽くなる。幸彦は意識せずに見上げた格好のまま口元を緩ませていた。
「……行ってみるか。そろそろあいつにも歯止めを掛けておかないとな」

 三人して二階の階段を上った。
 二階も一階と同じく、暗闇と静かさが支配している。幸彦達は順繰りに部屋を開けて中を
照らしてみては芳子がいないかを確認していく。
「うぉ、眩しっ」
 廊下の中頃の一室に彼女は居た。
 健が懐中電灯を向けた瞬間、そう言って手で庇を作って片目を瞑る。
「ここに居たか」
 幸彦達はそのまま部屋の中へと脚を踏み入れる。
 辺りを照らしてみて、どうやらここが子供部屋だったらしい事が分かった。一階と同様、
去る際に持ち出し切れなかったのか、子供用と見られる学習机やベッド、ぬいぐるみなどが
残されたままになっている。
 些か、残され過ぎているような気もした。
「下は一通り終わったぜ。そっちは?」
 幸彦と真白が見渡す中で、健が芳子にそう訊ねた返答だった。
「そうそう、そうなのよ! ねぇ、聞いて聞いて!」
「……。何だよ」
 健が露骨に面倒臭そうな表情をした。
 対照的に、芳子が何処か興奮した様子を見せている。幸彦は妙に健に同情したくなった。
それにどうにも嫌な予感も……。
「さっきさ、聞こえたの」
「……何、が?」
 恐る恐る聞き返している真白。その反応に芳子は、
「すすり声だよ! いや~噂は本当だったんだね。確かにこの耳で聞いたよ。ここを写して
いる最中にさ『……マコ、チャン……?』って」
 まるで好きな芸能人を間近で見たかのように興奮して答える。
 幸彦達は、お互いに顔を見合わせていた。
「……本当、なのか」
 それが本当なら、健の説が揺らぐ。幸彦は足元がぬかるむような錯覚を覚えながらため息
を吐き出すようにして短く確認する。
「本当だってば。この耳でしかと聞いたんだから!」
 ぷくっと小さく頬を膨らませる芳子。だが幸彦達はそれぞれに事が不穏な方向に向かって
いるのではないかという疑念を抱かずにはいられない。
「何かの聞き間違いだろ。ほら、空調機の音とかさ……」
「……ま、松戸先輩。こ、ここは空き家だから、そもそも動いてないと思いますけど」
「…………」
 成る丈何ともないように、健が現実を持ち込んで来ようとする。だが、真白がその試みを
やんわりと冷静に否定してしまう。彼女を見遣って固まってしまう健。幸彦は眉間の皺に指
先を当てて黙り込んだ。一番怖がっているお前が状況を悪化させてどうする……。
「だ、だったら別の家の空調──」
「だとしたら今も聞こえてきてもいいじゃない?」
「…………」
 二度目の理屈付けは芳子が妨害した。再び健が気まずそうに押し黙る。
 沈黙が辺りを支配した。唯一、芳子だけは嬉しそうである。お前、やっぱり目的が真逆に
なっているじゃないか……。幸彦は静かにため息をつく。
『……マコ、チャン?』
 その声は、突然にやって来た。
 芳子が証言したものと同じフレーズ。幸彦達の身体がビクンと硬直する。視線が互いに交
差して互いの表情の引き攣りが懐中電灯の光で部分的に見え隠れする。
 少なくとも機械音ではない。たどたどしい、確かに噂通り幼子の声のようにも聞こえる。
 声は一瞬だったが、四人が動けるようになるにはまだ少しの時間を要した。ぎこちなく幸
彦達は辺りを見渡し、見たくはないけれど声の主を探した。
「……どうなっているんだ」
 けれど誰もいない。自分達四人以外は。
 本当に噂の幽霊なのか。そんな、馬鹿な。
 再び静まり返った部屋を四人は見渡す。内三人は不安と苛立ちを、残り一人は興奮の色を
滲ませながら。夜の暗さに慣れてきた目が残されたままの部屋を見渡す。
「うぅ……どうしよう。本当にこんな事になるなんて……」
「……いいや、何かの悪戯とか聞き間違いに決まってる。いるわけないだろ、そんなもん」
 涙目になる真白を見、健の表情に苛立ちが濃くなった。
 恐怖感というよりも理不尽さが気に入らないという表情。幸彦はその点落ち着いてはいた
が、彼の気持ちが分かるような気がした。
 だがそれも、
「くそっ」
 彼がつい手近にあった箪笥をゴツと蹴ってしまうまでは。
『……チガ、ウ』
「!」
 三度、あの声。
 だが何だ。先程とは声色が違う。これは……。
『……マコチャント、チガウ!』
 刹那、ズドンッと部屋全体に走る衝撃。
 それが足元からの大きな揺れである事を理解するのにさほど多くの時間は要らなかった。
「ぐっ、何だ? 何なんだよ?」
「ひ、ひぁぁぁぁぁぁっ!?」
「おぉっ! これはもしや……もしや、ポルターガイストって奴ですかぁ!?」
「ぬぅ……っ!」
 幸彦達は咄嗟に近くの家具などに捕まり、その揺れに耐える。
 その間に思わず漏れ出す怒声、悲鳴、嬉々の声。グラグラと足元から突き上げ、左右に引
っ張り出す見えない威力。幸彦はふと、地震体験車のようだなと自分でも可笑しいくらいの
思考の冷静さに密かに嘲る。それだけ、世界が遠くに感じられる錯覚だった。
「…………」
 時間にしてさほど長くはなかっただろう。
 だが、幸彦達にはそれがとても長い時間の揺れに感じられた。暫くして突然の揺れが収ま
った後、揺れで物が散乱した後の部屋の中を四人は幾分かふらつきながら見渡した。
「……何だよ、ありゃあ。地震か?」
「ポルターガイストだよ。ポルターガイスト! 間違いないわ!」
「ひぅっ……ぽ、ポル──」
「……芳子、お前は少し黙ってろ」
 まだ興奮しているオカルト馬鹿を制止し、幸彦は注意深く周りを見渡した。
 先程の突然の揺れが嘘のように、室内は再び暗闇と静寂が戻ってきている。ただ足元に散
乱する小物などが先程の揺れが嘘ではなかった事を物語っていた。
 信じたくはないが……。此処は、おかしい。
 眉間に皺を寄せ、幸彦は三人に向き直った。仮にも部長としてここで言わなければと。
「帰るぞ。ここに残り続けるのは……よくない」
 それは自分がそれを認めるようなものだったが、これは安全を確保する、部長としての真
っ当な判断だと言い聞かせる。健が「えぇ」と先程から不機嫌に、真白もこくこくと必死に
なって首肯。「え? もう?」と唯一人の例外の反応はさくっと無視する。
 四人は散乱した部屋の片付けもそこそこに足早に階下へと向かった。
 こんな所からは一刻も早く離れたい。それが幸彦達(三人)の、それぞれに思うベクトル
こそ違えど一致した内心であっただろう。

 だが、彼らはこの時まだ気付いていなかった。
 立ち去る彼らの中、芳子の鞄の中にいつの間にか古びた人形が紛れ込んでいる事に。


 Note1.ヒトカタ

「起立、礼。着席」
 放課後のホームルームを終え、担任の教師が持ち物を手早くまとめて教室を出て行く。
 途端に教室内はどっと解放感に満たされ、そこかしこからクラスメート達のざわめきが聞
こえ出す。部活へと出向く者。居残り雑談する者。それぞれの放課後が今日も始まる。
 冬柴真白は、そんないつもの光景に目を遣りながら帰り支度をしていた。
 昼下がりと夕暮れの間に挟まれた時間帯。春先にしては強めだった日差しも、この時間に
なってみれば季節相応の柔らかなそれへと変わってきているのが分かる。
「やほ、真白」
「帰ろ~」
 支度が済んだ所で友人達が声を掛けてきた。
「あ、ごめんね。今日はちょっと用事があって……」
「用事?」
「部活か何か?」
「う、うん……。一応、そうなるのかな」
 少し歯切れの悪さと共に真白は苦笑いで答えた。しかしそれを特に気に掛ける事もなく、
彼女達はにこにこと笑っている。身を翻すと、
「そっか、じゃあ私達はこれで」
「また明日ね~」
「うん。ばいばい」
 こちらに軽く手を振りながら二人して教室を出て行った。
 再び教室内にふいっと視線を向ける。半数ほどは既に教室を後にしたようだ。真白はまだ
居残り他愛もなく雑談に興じるクラスメート達を横目に立ち上がる。
(……よし。行こう)
 制服の上から脇腹──厳密には裏地のポケットをそっと撫でながら。

 それは、写真部の皆と例の幽霊屋敷から戻ってきて三日後の事だった。
「お、来たな」
 部室に来てくれ。そう放課後に呼び出された真白が部室の扉を開けると、そこには既に健
と幸彦がパイプ椅子に座って待っていた。
 ついと顔を向けてくる健。声こそいつもの少し粗野な感じではあったが、表情は心なしか
硬いようにも見える。
「まぁ、座れ」
 そう促す幸彦も、いつも以上に神妙な面持ちをしていた。
「うん……」
 そうした様子を見て、真白はあの事だろうかと思い、ズンと気が重くなるのを感じた。
 この場にいない写真部の四人目、桜木芳子。自分達兄妹の幼馴染。
 彼女があの夜の後からおかしくなってしまった事を、真白は再び記憶に呼び起こす。
 その報を聞きつけ、一度彼女の家に見舞いに行った時には驚いた。ベッドの上にいたのは
あの陽気でトラブルメーカーな彼女とは似ても似つかない陰鬱に佇む姿だったのだから。
「……ヨシちゃんの事?」
 真白は抑え気味の声色でそう幸彦に訊ねていた。
 この時期で、この雰囲気で……。彼女絡みである事は彼女にも予想がついていた。
「そうだ、とも言えるかな。松戸」
「えぇ。真白ちゃん……これ、見てみなよ」
「?」
 幸彦に促されて、健がごそごそと何かを取り出してテーブルの上に広げた。真白はパイプ
椅子を引き寄せてそれ──幾枚もの写真を覗き込んだ。
「! こ、これって……」
 そして、はっと目を丸くする。
 不安げに二人を見遣った。苦虫を噛み潰したような表情で内からの不満を滲ませている健
と、じっと広げられた写真達を見つめている幸彦。
「この前行った、空き家で撮った写真だよ。現像が済んだんでな」
 それだけを言うと、どうだと言った感じで視線を向けてくる。真白は口ごもった。動揺し
ている。それは兄もそうなのだろうが、彼は平静になろうと努めているようにも見える。
「…………」
 真白はもう一度、テーブルの上の写真達に視線を落とした。
 空き家の中のあちこちを移した写真。夜に撮られたものだがフラッシュはきちんと効いて
いるようだ。ただ、
「この色の帯みたいなのは……」
 写真の半数近くに、赤や橙色の光の帯のようなものが映り込んでいるのが否応にも眼に止
まってしまう。言いよどむ。あの夜の出来事の不可解さ、例の噂話。もしかして……。
「……もしかして。これって、心霊写真?」
 浮かんだ単語を恐る恐る口にした。
 幸彦も健も、すぐには答えてくれない。お前もそう思うのか。そんな無言の返答が返って
きたように真白は思えて、無意識に心臓の鼓動がドクドクと早くなる。
「そう見れるかもしれないな」
 認めたくはない。そう暗に含ませて幸彦が重く口を開いた。
 片手を頭にやり、くしゃっと髪を掴む。件の依頼──幽霊がいない事を証明するつもりが
本当に撮れてしまったのでは効果が真逆になってしまう。否、それ以上に彼自身がそういう
存在を容易に認めたくないと考えているというべきなのだろうか。
「……どっかの光が混ざったとか、そういうのだと思うんだけどな」
 健もまた、彼と同様に写真の中のそれを認めたくないように呟いている。
「だけど……」
 気持ちは分からなくもないが。真白は口ごもりながらも、
「じゃあ、ヨシちゃんのあれは何なんですか。普通じゃないです」
 これらの事柄がただの気のせいではない、現在進行中の異変を引き合いに出す。
「……知らねぇよ。体調不良とかじゃねぇのか」
「そうには、思えませんけど……」
 健はぶつぶつと答えるが、彼も内心では納得できない部分はあるのだろう。だが、それを
認めるわけにもいかずといった感じである。真白はそんな彼の吐き出し所の掴めない苛立ち
に心持ち怯えながら、上目遣いで窓の外に目を逸らした彼を見遣った。
『…………』 
 沈黙が、部室内に降りてきた。
 気まずい。かといってこの場の雰囲気に対して誰かに非があるわけでもない。強いて言う
なら先日の自分達の行動が引き起こした結果なのだろう。だが、それをすぐさま認められる
姿勢は、少なくとも幸彦と健にはないように見えた。
「……幽霊さんの呪い、とかでしょうか」
 真白がそう呟く。二人がちらと視線を寄越してくる。
「呪い、なんてそんなもの……」
「だったら、あの時の揺れは何なんです? きっと私達が勝手に上がり込んだから幽霊さん
が怒ったからじゃあ……」
 再び否定しようとする健に、真白の言葉が覆い被さる形になった。期せずして、苛立ちと
不安の二人の視線がぶつかる。
「一応、許可を取って入った筈なんだがな……」
 二人の緊張を解すように、幸彦が表情は真面目なままそう呟いてみせる。
 嘆息を一つ。気苦労の多さをしのばせる一齣。頭を掻いていた手を伸ばし、写真の一枚を
手元に引き寄せる。例の子供部屋を写した一枚。全体に渡って淡く赤い光の帯が広がってい
るのが見て取れる。
「それよりも、芳子の方が問題だろう? これが何なのかは分からない。もし詳しい人間が
いるなら、何か分かるかもしれないが」
「詳しい人間、ねえ……」
 手詰まり感が否めなかった。自分達は写真部、写真を撮る事はできてもこんな怪異などは
専門の外である。やや平静を取り戻した雰囲気の中で再び沈黙が降りかけた。
「……あ」
 その時だった。
「そういえば、前に桜木から聞いた事があるんだけど」
 ぼうっと部室内に視線を向けていた健が、思い出したように口を開き始めた。
「なんか、うちの学校の生徒に怪奇現象に詳しい奴がいるって言ってたような……」
「! ほ、本当ですか?」
 その言葉に、真白は殆ど反射的に身を乗り出していた。
 健はその反応に少し驚きつつも、
「あ、あぁ……。俺も桜木から聞いただけで、実際いるかは知らねぇんだが」
 顎をぽりぽりと掻きながら記憶を辿り寄せるようにして話し始める。
「名前は確か……コウヤマモミジ、だったかな。怪奇現象っていうの? そういうのの調査
とかを請け負っているとか何とか……」
「コウヤマ、モミジさんですね?」
 真白はその情報をしっかりと頭に叩き込むようにして復唱していた。
 ヨシちゃんを、助けられるかもしれない。

 鞄を片手に、真白は逸る気持ちを抑えながら放課後の廊下を歩いていた。
 あの時の先輩の情報の裏を取るべく、職員室に赴いて生徒名簿を見せて貰い確認した所、
確かに「神山紅葉」という名の女生徒がいる事が分かった。しかも自分と同学年の一年生。
 更に彼女について聞き込みもしてみた所、どうやら彼女は神社の娘であるという話を聞く
事もできた。真白の中で話の信憑性が高まる。
(……えっと。ここだ)
 一年C組と書かれた札の下がった教室の前に、真白は立った。
 情報が正しければ彼女はこのクラスに在籍している。まだ帰っていなければいいのだが。
 数拍間を置いて深呼吸、意を決して扉に手を掛け開け放った。
「あの……」
 教室の中は自分のクラスと同様、雑談に興じる生徒などが居残っていた。つい臆して声が
小さくなりながらも、教室の片隅で雑談する女生徒の集団に気付いて貰えた。こちらを見て
誰だろうと互いに視線を交わしてもいる。
「あの、神山紅葉さんはいらっしゃいますか?」
「うん? 私だけど?」
 目的の人物は思いの外さっくりと見つかった。
 女生徒の集団から一人、首筋程までに伸ばした髪を後ろに括った、溌剌とした感じの少女
が歩み寄ってくる。真白よりも頭一つ分ほど背があった。自然と見下ろされる格好になる。
「え~っと……。記憶が間違ってなければ多分初対面だと思うんだけど」
「あ、はい。私、A組の冬柴真白といいます」
 真白の顔を覗き込むようにして言われ、思わず名乗って頭を下げた。
「あはは。そんな畏まらなくていいって」
「あ、はい……」
 それでも紅葉は気さくな感じで笑ってみせる。
 真白は内心ほっとした。もしかしたら気難しい人かもしれないと思っていたからだ。だが
その心配は彼女の言動や雰囲気を見るに問題なさそうである。
「それで、私に何の用かな?」
 だが、彼女のその当然といえば当然の言葉に、真白はハッとなった。
 事前に確かめては来たものの、果たして言っていいものなのかどうか。今更ながらに逡巡
してしまう。紅葉の背後で、先程の女生徒達がこちらを見ている。
「…………あの。神山さんが、怪奇現象に詳しいって話を聞いて……」
 真白は、周りに聞こえないように控えめなトーンでおずおずと訳を話す。
「そっか」
 だが、そんな心配は彼女の優しい笑みが吹き飛ばしてくれた。
 真白の言っている事を理解している、そんな含み。反応を見上げる(格好になっている)
彼女に紅葉は「ああ、そっちね」という感じで頷く。ちらっと僅かに首を回して教室の中の
クラスメート達を一瞥すると、
「……場所、移そっか?」
 そう、ひそひそ声で笑い掛けた。

 真白は紅葉に連れられて中庭へとやって来ていた。
 校舎同士に挟まれる格好で、人通りは殆どないと言っていい。植えられた木々が微風を受
けてさわさわと梢を鳴らし、遠くの方からは運動部だろう、息の合った掛け合いの声が耳に
届いてくる。
「ふ~む……」
 紅葉は真白から受け取った写真を片手に、木の幹にもたれ掛かって目を凝らしていた。
 人当たりの良さそうな笑みに見えるのは変わらないが、写真を見つめる瞳の奥には神妙さ
が宿っているようにも見える。真白は彼女の斜め右の位置に突っ立ったまま、固唾を呑んで
その様子を見守っていた。
「ど、どうですか……?」
 恐る恐る訊いてみる。
「うん。十中八九、心霊写真(ホンモノ)だね」
「えっ……。や、やっぱり……」
「そだよ。分かり易いほど霊気が広がってるしね」
「……霊気」
 そう、呆気らかんと言われても。真白は安堵したようなまた不安をかき混ぜられたような
ぐちゃぐちゃした思いを抱き始めていた。
「この写真に写ってる赤い光ね。力自体はそんな強くないけど……結構、広い範囲に及んで
いるんじゃないかな」
 写真を真白に返し、紅葉が顔を上げた。
 頼んでおいて何だが、気軽な感じなものの、決してふざけているようには見えない。
「これ、何処で撮ったの?」
「えっと、扇町の幽霊屋敷です。聞いた事ありますか?」
「幽霊屋敷……。あ~……うんうん、あそこね」
 そっかと何度か小さく頷く紅葉を見て、真白は改めて例の噂が結構広まっているのだなと
知る。するとポケットに写真をしまう真白に、紅葉は、
「それで? 私に用ってのはこの写真、ってだけじゃないでしょ?」
 すぅっと目を細めて訊ねてきた。いや確認してきた。
「……はい」
 見通されている。
 真白はぐっと唇を噛み、悪戯で叱られる子供のように心持ち身を縮込ませながら、
「あの、私、写真部に入っているんですけど……」
 これまでの事の次第を打ち明け始める。
 芳子が持ち込んできた依頼で夜、幽霊屋敷に入って写真を撮影した事。そこで聞いた謎の
すすり声と突然の振動の事。そして何より、その後芳子が、まるで人が変わったようにおか
しくなり今も自宅で寝込んでいる事を彼女に話して聞かせた。
「私達じゃどうにもできなくって……それで、神山さんがこういう事に詳しいって聞いて、
それで……。私、私……」
 最後の方は、真白はもう涙目になっていた。
 自分達の行動への後悔や、芳子に何もしてやれない悔しさ。そういった感情が話す内に込
み上げて来て涙腺をぼろぼろと突き揺らしていた。
「…………なるほどね」
 そんな真白の話を、紅葉はじっと黙って聞いてくれていた。大方を話し、えぐえぐと言葉
にならなくなった彼女に歩み寄り、肩をポンと叩く。真白がゆっくりと顔を上げた。
「分かったわ。その依頼、受けましょう。私達に任せておいて」
 救いの笑みだった。
 紅葉はにっこりと微笑みながら、涙で濡れた真白の頬を指で撫でる。とん、と自分の胸を
叩いて見せて受諾の意を伝える。真白はこくこくと頷き、その厚意に感謝して……。
「……私、達?」
 ふと、引っ掛かったその言葉を疑問系で反復する。
 と、言う事は。
「うん。ぶっちゃけちゃうとね、私一人じゃないのよ」
 紅葉が、少し決まりが悪そうに笑った。
「相棒がいるの。本来は、私よりもずっと頼りになる奴がね」
 自分で言っちゃ詮無いけどと陽気に笑いつつ、彼女は身体を木の幹から起こして校舎の方
へと歩き始めた。真白がその姿を目で追いながら、
「あの、何処へ」
 傍を通っていく彼女に付いて行こうとする。
 紅葉はあぁ、と少し歩を緩めて振り返った。
「言ったでしょ? 相棒を捕まえに行くの。ここには来てないみたいだしね」

 その相棒さんは、よくあの中庭の木陰にいるのだそうだ。
 だから、場所を移した時にも依頼を見越して移動したのだと紅葉は説明してくれた。
 校舎に戻った真白は、紅葉に連れられて教室のざわつきの中に再び足を踏み入れる。彼女
について自分のクラスを、彼女のクラスを通り過ぎ、
「ここよ」
 一年D組と書かれた札の下がる教室の前で立ち止まる。
 同じ学年に二人もいたんだ……。
 真白が「灯台下暗し」という言葉を脳裏に過ぎらせる中で、紅葉は遠慮なく扉を開け、
「智秋(ちあき)、いる~?」
 そう名を呼んでクラス内を見渡した。
「ん? あぁ、神山さん」
 その声に黒板を掃除していた痩身の男子生徒が振り返る。
「こんにちは。あのさ、智秋知らない?」
「宝生? もう帰ったよ。出て行く所も見たから」
「帰ったの? むぅ……タイミング悪いなぁ」
 宝生智秋。それが彼女の相棒の名前らしい。
 扉の前でおずおずとしている真白を振り返る事はせずに、紅葉はポケットから携帯電話を
取り出すと素早く番号を呼び出して通話に入った。先程の男子生徒に手で挨拶をして教室を
出てくる。真白は後ろ手で扉を閉めるその後をついていき、廊下の窓際に共に並んだ。
「あ、もしもし? 私、私」
 ややあって電話が繋がったらしい。親しげな感じで話している。
「帰ったって聞いたんだけどさ、今何処辺り?」
 真白は少しそわそわとしながら彼女の声を聞いていた。
「え? もう古守口なの? そっか……」
 どうやら既に帰宅してしまっているらしい。紅葉共々に、真白は内心少し気落ちしたが、
元よりこちらの都合で頼んでいるのだ。無理もないだろう。
「うん。怪異の調査依頼。だからあんたを探……って、何が面倒臭いよ。これもあんたの為
なんだから。分かってる?」
 少し声色が説教臭くなった。
 相棒と彼女は言っていたが、相手の方がそう思ってはいないのか。何だか申し訳ない。
「うん。依頼人と一緒。そう、だから……」
 そこでふと、紅葉が携帯電話を耳元から離して、
「真白ちゃん。これから用事あったりはする?」
「え? い、いえ。特に無いですけど……」
 強いて言えば、彼女に相談を持ちかけている今これ自体が用事である。
「オッケー。……うん、じゃあ今から家の方に行くから。うん、うん。じゃあね」
 真白がそう答えると、紅葉は確認したように頷き再び電話を耳共に当てて少し話を続けた
後、通話を切った。ポケットに携帯電話をしまいながら真白に向き直る。
「あいつ、どうも家に帰ってるみたいだからさ……これから家に行くけど、いいよね?」
「あ、はい……大丈夫です」
 やり取りを聞いていて予想はついたが、どうやらそうらしい。
 真白はこくこくと頷くと、「ちょっと待っててね」と自分の教室に一旦戻っていく紅葉を
見送る。帰り支度を済ませてきたのだろう、
「それじゃあ行こっか」
「は、はい」
 ややあって鞄を片手にして出て来た紅葉と共に、真白は校舎を後にしたのだった。


『次は古守口、古守口~』
 真白達の暮らすここ物守市(ものもりし)は、古くは多種多様な手工業で栄えた職人の町
であったと言われている。
 現在は他の地方と連絡する幹線道路や鉄道が整備され、彼女達の通っている物守学園や新
興の住宅街、駅前の繁華街などを中心に開発が進んでいるが、その一方で旧来の、昔ながら
の家々が立ち並ぶ「旧市街」と呼ばれている地域は、今現在も景観保存などを御旗としてで
きうる限りそのままの形で残されている。
 学園を出て電車に乗り継ぎ、真白は紅葉に連れられこの旧市街へと足を踏み入れていた。
(まるで別の時代に来たみたい……)
 最寄り駅を降り、真白が目の前を光景を見て最初に思ったのはそんな感慨だった。
 決して大きいとも言えない、駅前の広場の向こう側に背の低めな古い家屋が延々と建ち並
んでいる。一昔の頃にタイムスリップしたかのような妙な懐かしさ。普段暮らしている新地
のビル群の光景に慣れた彼女にとっては新鮮な光景だ。
「こっちよ」
 紅葉が、複数に分かれた路地の一つへと入っていく。真白も小さく頷きその後を追う。
 人気はまばら。漂う雰囲気も何処かゆったりとしているように思える。新地のような何処
となく忙しなさを押し付けられるような感触はあまりしない。
「……物守にこんな所があるなんて、ちょっとびっくりです」
「そう? 私は慣れててこれが普通なんだけど……真白ちゃん、もしかして新地の出身?」
「はい。正直言うとこっちに来るのは今日が初めてで……」
 知識として旧市街の事は知っていたが、こうして実際に訪れた事はなかった。こなれたよ
うにあちこちに折れ曲がりながら入り組んだ路地を進みながら、紅葉が顔を向けて話題を振
ってくれている。
「まぁそうだよね。新地(あっち)の方に住んでれば店も多くて衣食住には事欠かないし」
「そう、ですね」
 と言われても、真白自身はそれほどあちこちへ出向く方ではない。
 選択肢が多いと、人間は却って慣れた場所に頼りがちになるものだ。
 数拍の沈黙。目線をキョロキョロと動かす度に、雑貨店、金物屋、衣料品店、八百屋等々
個人経営らしい中小の店舗が昔ながらな佇まいの下で軒を寄せ合っているのが見える。
 こんな風景がかつては普通だったのだろうかと思う。
 職人の町、と呼ばれはするものの、それでも一方で閑散とも見えるのは、この町でも時代
の流れには易々と逆らえないという事なのだろう。
 紅葉のすぐ斜め後ろで、真白は初めて訪れる旧市街の空気を味わっていた。
「……あの」
「うん?」
 それでも黙り込んだままでは気まずかろうと、今度は自分から話題を振ってみる。
「その、相棒さん……宝生君って、どんな人ですか?」
「智秋? そうねぇ……」
 これから会いに行く相手なのだ。事前に知っておきたいと思った。
 紅葉は、歩みはそのままにう~んと視線を宙に遣ってから、
「一言で言うと、変人だね。捻くれ者っていうか」
 あはっ、と呆気らかんに言い切った。
「変人……ですか」
 そう答えられて、真白は思わず表情を曇らせる。
 怪奇現象に詳しいという時点で結構変わっているとも言えなくもないが、相棒である彼女
自身がそう言う程というのは相当アレな性格という事か。
 紅葉の気さくさで忘れかけていたが、覚悟を決めて対面しないといけないかもしれない。
「ま、性格はちょっとばかし捻くれてるけどさ。根は悪い奴じゃないから」
 それは予め言っておくから、と紅葉が真白を見る。
 少し真面目な表情になっていた。それは彼への信頼なのか、はたまた自分への気遣いか。
「……信頼、してるんですね」
「はは……。まぁ、そうなのかなぁ」
 苦笑の中に小さな微笑ましさを見つけて、真白がぽつりと呟いた。
 紅葉はその声に軽く笑う。
「実際、霊能者……っていうのかな、それでみればあいつの方がずっと優秀よ」
 彼女は少しだけ頬が赤くなっていた、ように見えた。
「今回みたいな時も、実質的に動くのはあいつだしね」
「……え?」
 そして後半のその言葉に、真白が小さな驚きで食いつく。
「神山さんが解決するんじゃないんですか?」
「あ~、私はどっちかって言うとサポート役なのよ。依頼を聞いたり、アフターケアに回っ
たりとかね。さっきも言ったけど私よりもあいつの方が能力的に優秀だし」
「そうなんですか……」
 そう呟くが、写真をホンモノと話し説明してくれる辺り、彼女も怪奇に詳しい事には間違
いはなさそうではある。憤りなどは起こる事もなく、淡とその事実を受け止める。
「それに、何処の人間とも知らない相手に相談するよりも『神社の娘』って看板がある方が
依頼する側もちょっとは頼み易いじゃない?」
 自分を指差し、茶目っ気を滲ませて笑う紅葉。
「え~っと、知ってた? 私の家が神社をやってるって」
「あ、はい……。事前に聞きました」
「そっか。うんうん、看板効果は健在みたいね~」
 真白はぼそっと答え、なるほどなと思った。
 そして、改めて彼女達二人は「相棒」なんだなと思った。

「さて、着いたわよ」
 それから旧市街の路地を進む事暫く。
 紅葉はそう言って一軒の家の前で足を止めた。
 真白も彼女の傍らに立って目的地であるその家屋を見上げる。
 そこは一軒の店だった。周囲の昔ながらの家屋の雰囲気と違和感なく溶け込んでいる。
 軒先に下げられた看板には達筆な墨字で『宝来堂』と書かれている。別の立て掛けられて
いる板切れには「骨董品販売・器機修理請負います」とあった。
「骨董屋さん、ですか」
 真白は店の外観を見渡しながらぽつと呟いた。
 確かに軒先にも幾つか古びた調度品などが置かれていたりする。
「そうよ。表が店で裏手が住居になっているの」
 それに紅葉はそう答えると、木枠にすり硝子の引き戸に手を掛け、
「こんちは~。智秋、来たよ~」
「お、お邪魔します……」
 そのままガラガラと開けて気安く中へと入っていく。真白もその後ろをおずおずと遠慮が
ちにしながらついていく。
 店の中は、骨董品らしき年代物が所狭しと陳列されていた。店内は思ったよりも広いよう
だったが、その面積の大半は陳列された骨董品や収納棚で占められている。
 それでも内装は以前にリフォームでも行われたらしく、古臭さよりも洗練された空間とい
った感じにまとまっていた。骨董品屋というよりアンティーク・ショップと言うべき感じで
あろうか(どちらも同じ意味だが)。
「…………」
 真白はざっと店内を見渡し、そんな思考と、妙な感触を抱いていた。
「いらっしゃい」
 と、落ち着いた柔らかな声色に、はたと視線が移る。
 見てみると店の奥のレジ台に肘をついて、女性が一人こちらを見ていた。
「待っていたわ、紅葉。それと……後ろにいるのが依頼人さんね?」
 こちらの視線に気付くと彼女はすっと立ち上がってこちらに近寄ってくる。
(……うわぁ、綺麗な人)
 腰まで伸びた長くさらりとした黒髪と、シックに紺系で固めたスーツが良く似合う美人だ
った。真白は同じ女性ながら、つい彼女のスカートから伸びる脚線美に目が行ってしまう。
 数秒。ぼんやりと見つめる真白をちらと見て、
「ええ、依頼人の冬柴真白ちゃん。あ、真白ちゃん、紹介するね。ここの店長……をやって
いる時音さん」
「初めまして、真白さん。この店の店長をしています、時音です」
「あ、は、はい。こちらこそ……」
 紅葉がこの女性、時音を紹介してくれる。
 艶めいた笑みで見つめられて、真白はとぎまぎしながらも小さく頭を下げた。
 その様子を見て時音はにこにこと笑っている。多分この店内の空間の感じは彼女のセンス
が働いているのだろうかと、真白は予想を巡らせていた。
 それにしても……彼女の前で依頼云々を話されている。という事は、彼女もこの骨董品店
も、怪異に詳しいという宝生君と少なからず関わりがあるのであろうか?
「やぁ、紅葉」
「お? やっと来たか」
 と、店の奥──おそらく在庫を置いておくような所だろうか──の別室の扉が開き、時音
とは別の声が聞こえてきた。
「こんにちは。菊乃さん、灯馬さん」
 ポニーテールの長髪。ズボンのスーツを着、凛とした、時音とはまた一味違うカッコイイ
といった印象の女性と、ラフにスーツのボタンを外して着崩した茶髪の青年。女性の方は手
にハタキを持っている。在庫の整理や掃除をしていたのだろう。彼らもまた店員らしい。
 二人の姿を認めて、紅葉が彼らの名を呼んだ。
「ああ。すまないな、客人が来ると分かっていたのに雑務にかまけていて」
「あ、いえ。気にしないで下さいよ。今更の仲でしょう?」
「ははっ、そうだよなぁ。ま、基本的に何かやってないと暇だしよ、此処は」
 つまり客足はそれほど多くないという事なのか。
 ふと時音に目をやると、笑顔で灯馬を威圧しているように見えた。それに気付いたらしく
彼はわざとらしくコホンと咳払いをして、苦笑しながらやり過ごしている。
「おや……?」
 今度の声は背後から聞こえてきた。
 ガラガラと入口の引き戸を開く音。それに気付いて振り返って真白は思わず声をあげそう
になり慌てて喉の奥に飲み込んだ。
 引き戸の前に立っていたのは、一言で表現すると大男だった。
 短く刈りそろえた髪はゴツゴツとした顔、頭上に生える苔草のようにも見える。巨躯、と
表現する他ない身体を包む深い黒のスーツ姿も相まって、もし彼の表情が菩薩のような温和
そうな微笑でなかったらば、きっとその第一印象は頭にヤの字がつく協同組合の人となって
いた事だろう。
「よっ、お疲れ。慈門」
「うむ」
 こちらに歩いてくる彼に、灯馬が気安い感じで声を掛ける。彼もまた同僚という事か。
「紅葉君が依頼人を連れてくると聞いたので駅まで迎えに行ったのだが……どうやら入れ違
いになっていたようだ」
 そうだったのか。少し申し訳ないなと真白は心持ち苦笑した。
 そして、身長差があり過ぎて見上げる格好になった真白を見て、
「彼女が依頼人かな?」
「そう。真白ちゃんっていうの」
「あ、えと、冬柴真白です……。宜しくお願いします」
 訊ねる慈門。答える紅葉に真白が再び名乗って頭を下げた。
 やり取りを聞いている限り、やはり彼らは怪異の依頼について知っているようである。
 ふむ、と頷く慈門と菊乃。女性には眼がないのだろうかにやにやと笑っている灯馬。それ
らの様子を見ている時音。……何時の間にかこんなに人が増えている。
「ところで、智秋はどうしたんだ?」
 そうしている内に、店の奥の方に目を向けながら慈門が訊ねた。
「えぇ、少し前に帰ってきたわ。智秋、紅葉が来たわよ~」
 時音がそう答えると踵を返し、再び店の奥へと歩いていく。真白は彼らの後に続きながら
ちらちらと店の中を見渡していた。
「……どうかした? 骨董品店というのは珍しい?」
「あ、いえ。そうじゃなくって……」
 その様子に気付いた菊乃が声を掛けてくる。真白はハッとなって彼女を見ると、少々躊躇
いを見せる。……言っていいものだろうか。それは、ここに来てから何となしに感じている
こと。ややあって、ぽりぽりと頬を掻きながら、
「……何だか、あちこちから視線を感じるような気がするな~……って」
 恥ずかしそうにそう白状した。
『…………』
 その言葉には、返事がなかった。真白はやはり変な事を言ったからからなぁと思ったが、
すぐにその予想が違っている事に気付く。菊乃だけではない。自分以外の全員が、鳩が豆鉄
砲を喰らったかのように心なしか目を見開いて自分の事を凝視していたのだ。
「……?」
 小首を傾げる真白。一瞬、固まったようになった面々。
「まぁ、うちは色んな物が置いてあるからね」
 その空気を解すように時音が微笑む。だが、何処か硬さが見られるような気がした。
(何だろう……?)
 真白がその様子に違和感を覚えかけた、ちょうどその時だった。
「…………」
 ガラリと、不意に店の奥を仕切っていたガラスの引き戸が開いた。
 そこから半身を出してこちらを見ていたのは、一人の少年。学園の制服のワイシャツを着
ており、気だるそうな顔つきでこちらの様子を窺っている。
「やほ、智秋」
 それが誰なのか、紅葉のその言葉を聞いて遅ればせながらに真白は理解した。
「……ああ」
 彼が、彼女の言っていた相棒。
「ごめんね~。待たせた?」
「……いいからさっさと上がれよ」
「はいはい。言われなくてもそのつもりだよっと……」
 宝生智秋だった。

 どうやら店の奥の休憩スペースのようだった。
 さほど広くはない和室。真ん中に年季物の卓袱台が置かれ、その円形を囲んで真白達は座
っていた。依頼人の立場にある真白は智秋と向かい合わせに、その傍らに紅葉と時音が座っ
ている。向かい側は障子で仕切られていた。おそらくは裏手の住居スペースとも廊下などで
繋がっているのだと思われる。
「…………」
 卓袱台を囲み、菊乃が人数分の茶を淹れて持ってきてくれると、真白は促され早速今回の
件のあらましを智秋達に話して聞かせていた。
 黙って耳を傾けている彼の視線の先には、卓袱台の上に置かれた例の心霊写真。時音ら店
員達も時折茶を啜りながら真白の話を聞いている。やはり彼らも関わるのだろうか。
(……それにしても)
 と、話を進めつつ真白は思う。
 智秋はあまり大柄という訳ではないようだった。おそらく真白よりは背はあると見えるが
紅葉とは殆ど変わらない。男子にしては小柄な方だと考えていいだろう。線も細く顔立ちも
悪くない。少し、ドキドキする。
 ただ、気だるさを隠さない態度と手入れとは無縁そうなぼさついた髪が折角の容姿を幾分
か見劣らせてしまっているかのようだ。
「……で?」
「あ、はい。それで──」
 思わず間が空いてしまい、短く彼に続きを促されてしまう。
 そうだ。今はそんな事を考えている場合じゃないんだ。
 一度紅葉に話をした事もあって、今は悲しみや悔しさが滾々と込み上げてくるという程に
はなっていない部分があったのかもしれない。非情だろうか。しかし心配には変わりない。
「……なるほど」
 一通りの事情の説明と何とかして欲しい旨を伝え終わり、数拍の間、室内がしんとなる。
 智秋は視線を写真に落としたままそう呟くと、ゆっくりと真白に視線を移し、
「自業自得じゃないか」
 そう、いきなり毒気を吐いてきた。
「そ、それは……」
 真白は思わず言い淀む。そして思い出した。ここに来る道中、紅葉が彼の事を「変人」だ
の「捻くれ者」だのと言っていた事を。ちらりと紅葉に視線を寄越すと、彼女はごめんねと
眼でそう語っているように見えた。時音達四人も「またか」と言わんばかりに苦笑や嘆息の
色を表情の端に滲ませている。
「きょ、許可はちゃんと取ったんですよ」
「管理人のだろ。住人に知らせないでズカズカと上がり込めば、それは怒るのも当然だ」
「む……」
「自業自得だよ」
 ここで言う住人とは、幽霊屋敷の幽霊という事だろうか。
 刺々しい彼の言葉に流石の真白もムッとなってしまう。相談に来たというのにそんな言い
方はないんじゃないか。繰り返された四字熟語が苛立ちを誘う。
 それに、この言い方はまるで……。
「その言い方、まるで幽霊はいるって前提みたいな言い方じゃないですか」
 どうしようかと不安げに様子を見ている紅葉達の手前もあり直接的にはなれなかったが、
そう言い返した口調は間違いなく苛立ちを込めていた、と真白は思う。
「…………」
 智秋は、黙っていた。
 言い返せない、という訳ではなく何か言葉を選んでいるようにして。一度軽く目を閉じ、
再び開く。瞳は揺らいではいなかった。真白は内心で気圧された気になってしまう。
「いると思えばいるし、いないと思えばいない」
「……へ?」
 突然、そんな事を言われる。真白は少し拍子抜けしたような声色になった。ややあって、
その言葉が幽霊の存在云々の事を言っているのだなと理解する。
「それって、どういう」
「……怪異がいるかいないかという事より、いると思っているかいないか。事実よりも意識
が重要であるという事も少なくないってことだよ」
「? はぁ……」
 ますます分からない。真白は首を傾げていた。
 そうしている内に、苛立ちは解れてきたように思えた。代わりに頭に疑問符が乗っかって
しまいはしたが。紅葉達も心なし緊張を緩めたかに見える。
「……それで? この依頼受けるわよね、智秋」
 そして一段落をつけるように、紅葉が彼にそう訊ねた。
 真白もその質問の答えを待つ。道中、紅葉が言っていた通りであれば、実際に今回の芳子
に起こった異変を解決する実質的な役目は彼女ではなく、彼が担うのだから。
「…………」
 智秋は少し黙っていた。顔に面倒臭い、と書いているような気がした。
 ふーっと小さく息を吐き、
「報酬はどうなってる?」
 と、紅葉にそれだけを訊ね返す。
「え? まだ何も」
 彼女の答えに、智秋の「面倒臭い」顔色がまた一段階増したような気がした。
「……少しぐらい話つけとけよ」
 そう、呆れたように彼女を静かに非難する。
「あ、あの……。お金が要るんですか?」
 失念していたと、今度は真白が恐る恐る二人に訊ねた。
「……僕と君は初対面だと思うんだけど、間違いは?」
「え? はい……ないです。初対面です」
「だろう? そんな間柄の相手からいきなり幽霊に呪われた友達を助けくれ、と突拍子もな
い頼み事をされるんだ」
 言い口が、また気だるさと棘を持ってくる。
「そんな僕らを結ぶものに、金は有効な手段だと思うんだけどね」
「う……それは、そう、ですけど……」
 確かに、それは彼の言う通りかもしれないが……。
「智秋」
 だが、紅葉はそんな彼を非難するような声色と視線を向けている。しかし智秋はその非難
すらも慣れているかのように静かに受け流して、
「こいつはともかく、僕は慈善事業でやっているつもりはない。わざわざ火の粉を被るのだ
からそれなりの対価ぐらい要求してもいいんじゃないかと思うんだけどね」
「智秋っ」
 眉間に皺を寄せた紅葉を再びちらと見る。
 今度は真白が慌てた。というより、本当に彼はいちいち他人を苛立たせるものだなとも思
った。捻くれ者と相棒に言わしめたその根拠を今ここで目の当たりにしているように思う。
「報酬の事はいいから。後で私がつもりするんだから、今ここであれやこれやと言わなくて
いいってあれほど……」
 苦笑する真白にごめんね、と申し訳なさそうに眼を向けてくれてから彼女は智秋に説教め
いてそう説いている。時音達四人もその様子に穏やかではないものの、初めての事ではない
のだろうか、表面上は平静を装っているように見える。
 紅葉が身を乗り出して小言を放っている間、智秋は「あぁ」とか「おう」などと短い返事
で以って応答して……いや、聞き流していた。
「……さて」
 やがて彼女の小言に一段落をつけるように残りの茶を飲み干すと、智秋はすっくとその場
から立ち上がった。やはり小柄だった。
(あ……)
 そこで真白は背後の壁に掛かっているある物に目が止まる。
「着替えてくる」
 それは、ハンガーに掛けられている学園の制服の上着とネクタイ。
「え? 智秋?」
 そうだった。彼は……学園から帰ってきたままの格好で自分が来るのを待ってくれていた
のではないのか。たとえ面倒臭いと思っても。困っている人がいると知っていたから……。
「……支度だ。その桜木って人の所に行く」
 障子の戸に手を掛けながら、智秋が顔だけで振り返る。
「何にせよ、当人を診てみない事には始まらないだろ」


 古守口の駅から再び電車に乗って新地方面へ。
 真白の案内で、彼女と紅葉、智秋の三人は今回の被害者たる人物・桜木芳子の自宅の前へ
とやって来ていた。
「……大きい家だねぇ」
「それは……。ヨシちゃんのお父さん、不動産の会社をやっているから」
 住宅街の一角、少し高台気味の位置に建つ目の前の家を見上げて紅葉が呟く。真白が言う
ように会社社長の自宅というだけあって、他の家と比べれば大きく資力の存在を窺わせる。
三人が立つ敷地前の木製の門も結構にしっかりとした造りだ。
「へぇ。じゃあ桜木先輩は社長令嬢って事になるんだね」
「あ、はい。そう……なるのかな」
 そう真白は答えたものの、芳子に対してはそんな感覚はあまりない。幼馴染という事もあ
るのだろうが、それ以上に彼女が令嬢としてお高く止まっているような性質ではないからと
いう点が大きいのだろう。
 庶民感覚と言えば聞こえはいいかもしれないが、父親の仕事柄、しばしば「曰く付き」の
物件の事を聞き及んでいる内にオカルトに興味を持ち、今や自分達兄妹や写真部を巻き込ん
でしまうほどの物好きとなっている事は、正直言って歓迎できるものではない。
 今回、こうして押し迫る異変に晒されてしまったのだから尚更だ。
「……真白ちゃん?」
「え? あ、いえ、何でもないです……」
 だが、真白はそこまで話す事はしなかった。
 懸案は如何に彼女の異変を取り除き、助けるかにある。
「…………」
 苦笑を紅葉に返して、真白は傍らに立つ智秋に目を遣った。
 彼は私服に着替えていた。着慣らした草臥れ気味のワイシャツに、フード付きのパーカー
とジーンズという格好。右肩には小振りのリュックを引っ掛けている。
 どうやら彼は、お洒落よりも自分の気安さを優先するタイプの男の子らしい。
「……どう? 智秋?」
「……外からだから分かり難いが、確かに不穏な霊気があるな。素人一人をおかしくさせる
程度の事なら可能だと思う」
「……。そう、ね」
 紅葉にそう答える、桜木宅を見上げる智秋の横顔は『宝来堂』にいた時よりも幾分真剣な
ものに見えた。気に病むのではないかと気を遣ってくれたのだろう。紅葉はちらとこちらを
見てきたが、真白は微笑でこれに応えてみせた。
……だってヨシちゃんの異変はもう、一度見ているのだから。
「それじゃあ、行きましょうか」
 真白は二人を見てから数歩踏み出した。
 門の脇に備え付けられたインターホンのボタンを押す。今まで彼女を訪ねる際、そうして
きたように。
『……はい。あら、真白ちゃん』
 ややあって女性の声が聞こえてきた。ボタンのすぐ傍のレンズからこちらの顔や様子を確
認して、顔見知りの来訪を知る。真白はもう少しレンズに寄りつつ、
「こんにちは。その……ヨシちゃんのお見舞いに来ました」
 少し苦笑を浮かべてそう述べる。
『そう。ありがとうね……。ささ、入って入って』
 そしてインターホンの声が切れると、門の向こうでカチリと玄関のドアの鍵が開いた音が
聞こえた。それを確認し、真白を先頭に三人は家の中へと入っていく。
「いらっしゃい。真白ちゃん」
「こんにちは。おばさま」
 玄関に入るとエプロン姿の中年女性が出迎えてくれた。芳子の母だ。いかにも品の良さそ
うな物腰。真白もそれに合わせて少し背伸びするように挨拶を返す。
「あら? 後ろの二人は……真白ちゃんのお友達?」
「あ、はい……」
 名目はあくまで芳子への見舞いという体を採ったので、紅葉と智秋の詳しい事までは話さ
ずに相槌でしのぐ事にする。芳子の母は「そうなの」と微笑み後方の二人を見遣ってから、
「さ、上がって頂戴」
 と三人を促す。
靴を脱いで上がらせて貰い、彼女の案内で玄関から延びた廊下を進む。その先には、二階
へ繋がる階段があるのが見える。社長の自宅というだけあって屋内は随分と広そうだった。
あの幽霊屋敷よりも大きいかもしれないな、と真白は思い起こす。
「ありがとうね。今日は真白ちゃんまで来てくれて」
 上品に口元に手を当てながら、芳子の母が言う。
「いえ……。ヨシちゃんの事、心配ですから」
 そんな彼女に、正直に真白はそう答え、
「……? もしかして他にも誰か来てるんですか?」
 その横で紅葉が芳子の母の言葉に反応する。
「ええ。今日は皆が来てくれて、芳子も喜ぶと思うわ」
 だが、そう語る彼女の声色は少し暗さを帯びていた。娘の異変は母親である彼女が一番気
に病んでいるのだろう。その様子に三人が黙りそうになるのを見て、
「ゆっくりしていってね。私は奥にいるから、何かあったら呼んで頂戴」
 ふっと笑顔を努めるようにして浮かべると、彼女はそう言いながら目の前のドアのノブに
手を掛けて開け放った。
「お?」
「……ん?」
 そこは応接間のようだった。福家らしく、ソファーを始め室内の調度品は値段の高そうな
ものがあちこちに置かれている。その黒い弾力の中に身を沈めながら、真白達の出現に気付
いて向けられる視線が二つ。真白と彼らがお互いに短く声を漏らす。
「お兄ちゃん……。松戸先輩も」
 ソファーに座っていたのは、幸彦と健だった。
「あぁ……真白か。お前も芳子の見舞いに?」
「う、うん。そんな所、かな」
 横目で、笑みを浮かべつつ退出していく芳子の母の姿を確認しながら真白は注意深くそう
答えた。その僅かな硬さと、
「……で、その後ろの二人は誰だ?」
 先程から彼女の背後に立っている紅葉と智秋を見て、健が訊ねてくる。
 真白はもう一度芳子の母が行ってしまった事を確認してから、
「あ、はい……紹介しますね。こちらが神山紅葉さん、と……その相棒の宝生智秋君です」
 真白が二人を紹介する。
 はじめましてと軽く頭を下げる紅葉と、相棒というフレーズに何か思う所があったのか、
真白と紅葉へ順繰りに半眼の視線を向ける智秋。
「……誰だそれ?」
「えっ? 松戸先輩、覚えてないんですか」
「……いつぞやお前が言っていた、怪奇現象に詳しいっていううちの生徒だな」
「あ~……。言いましたっけ、そんな話」
 本当にこういう話は興味がないんですね、先輩……。
 幸彦にフォローを入れて貰って、真白は苦笑しながらホッとする。健はそうだったけ
と曖昧な記憶を辿りながら二人を見ている。
「しかし、本当にいたんだな。そういう専門家? みたいなのが」
「神山さんの話を振ったのは先輩なんですよ……?」
 確かに芳子から聞き及んだだけだったとはいえ、ちょいと投げっ放しに過ぎる気もしたが
真白は控えめに突っ込むだけで止めておいた。
「まぁ、そうだけども」
健がテーブルの上に置かれていた茶を啜り、煎餅を口に放り込んでポリポリと咀嚼する。
「まぁ、初めましてだな。僕は三年の冬柴幸彦。真白の兄だ。真白から聞いているかもしれ
ないが、写真部の部長をやっている」
「あ、俺はその部員ね。二年の松戸健」
「あ、はい。初めまして。神山紅葉です」
「……どうも」
 今度は幸彦と健が自己紹介する番となった。
 紅葉と智秋がそれぞれに二人に返答を返す。
 だが、それまでだった。お互いさて何から話そうか。暫し話題につまり場の空気に沈黙が
降りる。突然の初対面となれば致し方ないかもしれなかったが。
「……そうか。つまり、彼らに芳子の事を診て貰いに来たってわけか」
「う、うん。そういう事」
 と、次の言の葉の代わりに幸彦が事情を察知しそう確認するように訊ね、真白は頷いた。
「真白ちゃ~ん。お茶とお菓子、持ってきたのだけど」
 そんな時だった。再び背後のドアが開いたかと思うと、盆に三人分の茶と菓子の追加を乗
せて持ってきた芳子の母が顔を出してくる。一同は一旦話を止め、
「あ、はい。どうも……お構いなく」
「すみません~」
「…………」
 じゃあね、とテーブルの上に並べ終えて退出していく彼女を見送った。
「……聞かれちゃった、かな?」
「大丈夫だろ。多分」
 少し警戒した紅葉と、無愛想に楽観的な智秋の応答で再び続きに入る。
「お兄ちゃん達も、ヨシちゃんのお見舞いに来たん……だよね?」
「あぁ」
「その、どうだった? ヨシちゃんの様子」
 その問いに幸彦と健は一度互いに顔を見合わせた。
「……前に来た時と変わらないな。少なくとも見た目では」
「おばさんは、医者に見せてもおかしい所はなかったって言ってたけどさ、やっぱり変だと
思うな……。あ、その幽霊の呪いとかじゃなくってもな」
「それは……」
 まだ人外の何かが原因という考えには至りたくないのだろう。幸彦に続いて、健がそう後
付けを加えながらふぅっと息を吐く。
 真白はどうしたものか、と背後の二人を見遣った。
「……まぁ、視てみないとどうにも」
「そうね。早速だけど」
「はい。えと、こっちです」
 そう言って芳子の部屋に向かう三人。真白は応接間に残った幸彦と健に「待っててね」と
一言残してから紅葉と智秋を案内する。廊下の突き当たりのドア。その手前に二階へと続く
階段がある。
「ここを上がって、手前から二番目の部屋です」
「そう」
 真白の言葉にこくと頷いて、智秋がその脇を過ぎて上ろうとした時だった。
「ちょい待ち!」
 ぐいっと、紅葉が智秋の肩を掴んだ。
 ゆっくりとそして面倒臭そうに智秋が彼女に振り返る。
「何?」
「何、じゃないわよ。あんた、何ズケズケ女の子の部屋に上がり込もうとしてるわけ?」
 口を窄めて紅葉はそう智秋にデリカシーを説いていた。だが、当の彼自身は面倒臭そうに
何を言っているんだと言わんばかりに表情に呆れを宿している。
 少し彼女を、そして真白を見てから、
「はぁ、分かったよ……。お前らが先に上がれ」
 と、面倒臭そうに呟きながら二人の背後に回った。

 真白は紅葉が気を回してくれたのだと思った。真白、紅葉、智秋の順で階段を上る最中に
そう思っていたのだが、ふと別の事が頭に浮かぶ。
(……この位置だと見られちゃうんじゃ?)
 思わず咄嗟にスカートを片手で抑えている自分がいた。
 心無し頬が赤くなっていたかもしない。ちらりと僅かに振り返ってみたが、紅葉はそんな
事は気にしていないように見えた。
 智秋も、俯いて階段を上っていた。
「真白ちゃん?」
「ふへ? い、いえ、何でもないですっ」
 紅葉と目が合った。慌てて前を向いてやや早足になる。
(何を考え過ぎているんだろう、私……)
 内心、こっぱずかしくて堪らなくなった。
「こ、ここです」
 僅かな距離が長い感じられたが、その内なる煩悶を振り払うようにして真白は部屋の前に
立つと紅葉と智秋にそう告げる。
 ドアにはYoshikoとローマ字で書かれたプレートが下がっている。
「…………開けるね」
 神妙な面持ちで紅葉がドアノブに手を掛けた。真白がふと視線を向けてみると、後ろに立
っている智秋の横顔も、いつの間にか眉間に力を込めた真剣な面持ちに変わっている。
「……ヨシちゃん?」
 カチャリと音がしてドアが開く。真白は部屋を覗きこみながら、そっと足を踏み入れる。
紅葉と智秋も同じくその後をついて入ってくる。
 家具など調度品が中々に高そうなのは曲がりにも社長令嬢だからか。意外にも比較的整理
がされている室内。窓際のせり出したスペースには少女らしいというべきか、幾つもの人形
やぬいぐるみが鎮座している。
「…………」
 芳子は、そんな部屋のベッドの上にいた。
 眼鏡は外しており、服装は淡い緑のパジャマ姿。下半身を毛布に潜らせた格好でぼうっと
部屋の中空を見上げてじっと座っていた。目元にはそれと分かるほどに隈が出来つつあり、
見た目からしても何処かを病んだ人という印象が強く見て取れる。
真白が掛けた声も、三人が入ってきた物音にも気付いていないのか、それとも関心がない
のか、こちらへの反応を見せる素振りは見られない。
 初め三人は、言葉が出なかった。
「うぅ。やっぱり、前と同じ……。それに、何だか前よりも相が悪くなっているような」
「そう……。確かに、これは」
 やがて居た堪れなくなって声を漏らす真白に、紅葉が静かに頷いてみせる。
 それでも視線はじっとあらぬ方向を向いてぼうっとしている芳子の方へ。怪異に詳しいと
いうだけあって、彼女達には何かが見えているのだろうか。
「何か呟いているな」
 ぽつ、とそれまでやや後ろに立って黙っていた智秋が呟いた。
「え?」と小さく驚く真白と、そう言われて聞き耳を立て始める紅葉の間を抜けて、智秋は
芳子の座るベッドの正面まで歩いていく。
「…………」
 相変わらず芳子はぼうっと部屋の中空を見上げていた。智秋が近づいてきた事にさえも気
付いていないようだ。智秋は顔に手を当てて指の間から眼を覗かせるようにして、じっと彼
女の様子を観察し始める。静かな室内……いや、確かによく聞き耳を立ててみれば、何か小
さな雑音のようなものが、声が聞こえるような気もする。
「マコちゃん?」
 その沈黙の中、ふと紅葉が疑問系にそう口にする。
 最初は何かと思ったが、それが智秋の言う何かの呟きの内容だと分かり、真白も恐る恐る
芳子の方へと近づいていって耳をすませてみた。
 すると、
「マ……コチャ……ン。マコ……チャン」
 僅かながらに芳子の唇からそんな言葉が漏れているのが分かった。
 確かに彼女の発してる言葉の筈なのに、まるで別人のような声。背中に寒気が走る。
 マコちゃん? 人名には間違いないだろうが、何の事なのか。真白は心の中に益々不安が
塗り広げられていくような心地がして重苦しい気持ちになっていく。
「……紅葉」
 その時だった。
 ふいに智秋が紅葉の名を呼ぶ。同じくじっと芳子の様子を視ていた彼女が視線を向けてく
ると、彼はくいと肩に引っ掛けたリュックを軽く持ち上げるようにしてみせた。
 アイコンタクト。真白が二人を見比べる間に、紅葉は何かを心得たと見えて小さく頷く。
「真白ちゃん」
「え? あ、はい」
「先に下に戻ってて貰えるかな?」
 やんわりと、紅葉がそう退出を促してきた。
 何かがあったのか。真白はまた一層に不安になったが、
「大丈夫。もうちょっと調べてみるだけだから」
 と、紅葉は気さくな笑みを浮かべてみせる。
 それが、自分(=素人)がいてはまずい事なのかもしれない。言葉にこそ彼女は出さなか
ったが、真白はそう意図を受け取り「はい……」と頷いて部屋の入口の方へと歩いていく。
 途中で一度芳子を振り返ったが、やはり彼女は変わらずぼうっと中空を見上げたまま。
 大丈夫、なのだろうか……。
「私達が降りてくるまで来ないように言っておいてね」
「は、はい」
 退出の間際、紅葉がそう念を押すように言ってくる。
 やはり素人が立ち入れない領域の事柄なのだろうか。不安から声のトーンが落ちてしまっ
ていたが、頷く紅葉の笑みで幾許ながら和らいだような気もする。
「……じゃあ。お願いします」
 そして真白は部屋を出て行った。
パタンとドアが閉まり、トントンと階段を下りていく音が部屋の中からも聞こえる。紅葉
は遠のく真白の足音を確認するように、じっと耳をすませてから、
「オッケーだよ」
「……あぁ」
リュックを手前に抱え直した智秋に小さく頷きを送った。
ごそごそとリュックの中に智秋は手を突っ込み、何かを取り出そうとしている。
「……採らせて貰うぞ」
 そう呟きながら。
 静かに取り出して握り締める。
 それは、十字に帯が掛かった一冊の本だった。

「……?」
 幸彦はふと天井を見上げていた。何故かは分からないが、無意識に。
「どうしたんです?」
「ん? いや、何でもない……」
 だがそれも何事かと声を掛けてきた健によって思考は中断し、幸彦はふるふると首を横に
振るとソファーに座り直した。「そうっすか?」と呟きながら健が茶を軽く口に含む。
「なぁ、松戸」
「んぐ……。何です?」
「あの二人の事どう思う?」
「二人? あぁ、さっきの神山と宝生の事ですか」
 健は湯飲みを両手で握りながら、
「……どう、と言われても初対面ですしね。リボンの色を見る限り、真白ちゃんと同い年ら
しいなって事ぐらいしか。他には……あの宝生って方は何処となく気難しそうだなと」
「……そうか」
 釈然としないかのような幸彦の思案顔を覗きつつ、そう答える。
 幸彦は黙り込んでいた。健は少し怪訝にそれを見ていたが、すぐに気に留める事を止めて
バスケットの中に詰められた菓子に手を伸ばす。
 ちょうどその時、カチャとドアが開いた。
 二人が振り返ると中に入ってきたのは真白一人だった。二人の向けてくる視線に何処か苦
笑いを見せた後、彼女はL字型に置かれたソファーの開いていたスペースに腰掛ける。
「あの二人はどうしたんだ?」
「あ、うん……。何かもう少し調べてみるって言われて」
 訊ねる幸彦に、真白もはっきりしないといった感じで応じる。健が菓子の袋を破ってぽい
と口の中に放り込む。
「自分達が下りてくるまで下で待っててくれって」
「……そうか」
 まだ少し戸惑っているように見える。それもあって、幸彦はそれ以上その場で追及するの
は止める事にした。お茶を一口飲み、ならば待とうといった感じで佇む。
「……お兄ちゃん達は」
 だが、その間が心地悪かったのか真白は幸彦に向かって、
「もう、今日のヨシちゃんの様子は見たの?」
 そう声を掛けてくる。
「あぁ。見舞ったよ」
「相変わらず病気っぽかったよな。話し掛けてもぼ~っとしてるし」
 思い出し、困ったように苦笑する幸彦と健。
 こうして見舞いに来てはみたものの、それで彼女が元に戻る様子はなく、どうしたものか
と話している内にここで駄弁っていたのだという。幽霊屋敷での一件の事には触れなかった
が、真白にはあの時に何かがあったのだと思えてきてならない。だが、
「だからといって、何処の馬の骨とも知れない奴に頼るってのものなぁ……」
「……そうだな」
 幸彦達はそういう事を易々と受け入れはできないようだった。
「で、でも、神山さんは神社の娘さんだって聞きましたよ」
「神社? まぁ、探せばいないわけじゃないだろうさ」
 脳裏に過ぎる可能性を、怪異の存在を否定するかのように健は鼻で笑うようにして真白の
言葉を受け流す。……言いだしっぺは自分だという事はすっかり忘れて。
「信用していいのかは、僕も同意だな」
 更に幸彦までがじっと真白を見据えて言う。
「縋りたい気持ちは分からなくはない。僕達だって芳子の事は心配だ。だけど、そんな不安
に乗じて毟り取るだけ毟り取っていく輩だって世の中にはいるんだぞ」
「…………」
 それはきっと妹を案じた兄の真面目な言葉だったのだろう。
 分かっている。だが、真白はその言葉に居た堪れなさを覚えた。幽霊なのかどうかはとも
かくとしても、少なくとも紅葉のあの真摯な、気を回してくれる態度を斜に構えて見る事は
できればしたくなかった。
 信じたいと、思う自分がそこにはいたのだ。
『いると思えばいるし、いないと思えばいない』
 そこで、真白はふと智秋の言っていた言葉を思い出す。
 つまりあれは、信じているから幽霊はいるし、信じていないから幽霊はいないという事な
のだろうか。事実よりも意識の方が重要──それぞれ個人の意識の単位の上で。
 では、信じている者とそうでない者が膝を合わせた時は、どうしたらいいのだろう……。
「……ん?」
 ちょうどその時、トントンと階段を下りてくる足音が聞こえてきた。
 それはやがてこちらへと近づいていき、応接間のドアを開ける音と重なる。
「…………」
「お待たせしました~」
 智秋と紅葉が、戻ってきた。

 見舞いも済んだという事で、真白達五人は桜木家を辞し、門前に集まっていた。
「……それで」
 幾許かの解放感の中、真白は紅葉と智秋を見てもごもごと口を開きかける。
「ヨシちゃんはどうなんでしょうか? やっぱり幽霊の呪いなんですか?」
 呪いと聞いて健が面白くないと言わんばかりの渋面を作る。幸彦も積極的な友好はなく、
努めて傍観的な位置に自分を据えようとしているかのように見える。
 そう言ってから、そんな二人の様子を横目にし、真白は改めて信じる側と信じない側に分
かれている自分達を認識してしまい、ずんと気が重い心地になる。
 真白が、幸彦が、健が、それぞれの内心を抱いて智秋と紅葉を見た。
「そうね。少なくとも呪いじゃあないわ」
 場の空気を感じているのだろうか、紅葉はできるだけ朗らかな声色で以ってそう自分達の
見立てを話し始める。
「……彼女に呪(しゅ)が掛けられているのなら、もっと効力は強烈になる。そもそも話を
聞いた限りでは、呪が効力を発揮するにはまだ日が浅い」
「はあ……」
 少なくとも素人判断ではない事は分かったが、よく分からないような。
 これといった前触れもなく小難しい言い回しをされ、首を傾げる真白も、そして残りの胡
散臭そうにする残りの二人も、沈黙で難解さを表明しながら話の続きを促す。
「原因はそんな間接的なものじゃない。もっと直接的だよ」
「直接、的……?」
「ああ」
 短く問い返す真白に、智秋は何の気もなく答えた。
「彼女は憑かれている」
 途端、場に流れる沈黙。
 智秋の言葉に「え?」と真白達が目を開くが、彼の表情は真剣そのものだ。
「何だ、疲れてるだけか。じゃあ休めばいいじゃないか」
「…………」
 だが、健はまるで信じていないようにそう軽口を返す。智秋は眉根を寄せて黙り、紅葉は
真白に視線を向けて苦笑い。真白も未だ信用し切っていないと見える幸彦と共に表情の行方
に困って苦笑を返すしかなかった。
「あの、取り憑かれているって事はやっぱり幽霊の仕業なんですか?」
 だとすれば、あの幽霊屋敷の噂は本物という事になる。
「う~ん、厳密には幽霊じゃないんだけど……ねぇ、智秋」
「……素人に違いを説明しても信じて貰えないだろ。怪異の類、で充分だ」
 確かにそれはそうなんだけども。
 真白は少々突き放すような口調の智秋に対して、少し申し訳なさを覚えた。横目をやって
もやはり幸彦と健は胡散臭そうに、不機嫌そうに聞いている。
「少なくとも、あんた達の行動が彼女をこの事態に陥らせたわけだ」
「ちょっ、智秋!?」
 そして挑発的な言葉。
幸彦と健が信用していない事を雰囲気で悟っていたのだろう、紅葉はハッと慌てたように
して智秋を窘める。
しかし、遅かった。
「俺らの所為だってのか? お前……ふざけんなよ」
 ぐいと、健が剣呑な表情で智秋の胸倉を掴みに掛かった。
 慌てる紅葉と真白。だが、智秋は彼の睨みに動じるような様子は一切なく、
「……あなた達はその空き家に侵入したのでしょう? 勝手に家に上がり込まれたら誰だっ
て怒りますよ。他に、理由がありますか?」
 淡々と棘のある言葉を吐く。
「侵入なんかじゃねぇっつってんだろうが。管理人からも鍵も許可も貰ってたし、そもそも
今回の件は桜木が持ち込んで来たんだ。むしろ俺達は巻き込まれただけなんだよ!」
 思わず怒声へと変わった健の声。燻っていた不満が噴き出す様に。
「松戸」
 その瞬間に、黙っていた幸彦の静かだが威力のある声が重なる。
「……彼に言っても、芳子は元には戻らないぞ」
 健は、襟首を掴んだまま幸彦を見遣っていた。暫しの間。やがて小さく舌打ちを鳴らすと
粗雑気味に掴んだその手を離した。眉間に皺を寄せ、皆と離れた位置に立ち位置を変える。
(あ、危なかった……)
 ほっとする真白。紅葉も似た心境だったしく表情の端に安堵を浮かべつつ、智秋へ非難の
視線を送っている。だが、彼は一向に意に介していない様子だった。
「……それで? 憑かれていると分かったのだから、祓ってくれたりするのか?」
 少しの間を置いて、幸彦が訊ねる。脱線した話を仕切り直すように。
「いえ」
 だが、智秋は小さく首を横に振った。
「僕は視えたり聞こえたりするだけです。それ以外に僕自身ができる事はありません」
「えっ……?」
 真白は思わず声を漏らしていた。幸彦も、背を向けていた健も怪訝に彼らを見ている。
 それならどうやって彼女を元に戻すのだろう……。
 居心地が悪そうにしている紅葉を見る。御祓い、となると彼女、神社の出番という感じが
するが、彼女自身、自分はサポート役だと言っていた。
「野蛮だとは思いませんか?」
 唐突に、質問だけが最初に投げ掛けられる。幸彦と健が更に怪訝な目付きになる。
「……何がですか?」
 緩衝するように真白が言葉を挟んだ。智秋は一度目を瞑った後で、
「怪異だから、人間ではないからというただそれだけで排除しようとする。俗に言う念仏や
法力などは確かに効果があるのかもしれない。だけど、それは人間側の一方的な都合と力押
しでしかない。相手の事情を知ろうともしないそんな真似は……野蛮以外の何者でもないと
僕は思う」
 滔々と、そうはっきりと意見をぶつけてきたのだった。
「だから可能な限り彼らの事情を考慮した上解決するに越した事はない。相手を知れば、何
をすべきかも検討できる。分かり合えるかそうでないかも判断し易くなる。少なくとも一方
的な、押し付けがましい大義なんかに左右され難くなる」
『…………』
 真白達は押し黙っていた。
 面倒臭がりかと思っていたのに、彼は根っことしての意見を持っていた事に真白は驚き、
また同時に軽んじ掛けていた自分を情けなくも思った。同じ想いだったかは真白には分から
なかったが、幸彦も健も神妙な面持ちで智秋をまじまじと見つめている。
 紅葉が、満足そうに微笑んでいた。
「……任せて、いいのか?」
 ぼそっと、幸彦がそう訊ねた。
 お兄ちゃん……。真白は信じようかと試みる兄に少し感心する。
「……時間さえ貰えれば」
「ええ。任せておいて下さい」
 智秋と紅葉が各々にその変化を受け止めてくれるように、真白には見えた。
「まぁ、一度乗り掛かった船ですからね」
「……僕はこいつに巻き込まれただけなんだけども」
「しっ! 智秋は黙っててよぉ……」
 そんな二人の様子を見ながら、真白はじわっと安堵の念が染み込んで来るように思えた。
相好を崩し、小さく眉根を上げている幸彦を見上げる。その後ろで健が複雑な表情で視線を
逸らせて佇んでいる。
「僕達はこれで。……片がつくまで、彼女に無用な刺激は与えないように」
「何かあれば連絡するからね、真白ちゃん」
「は、はい……」
 そして、その後真白達はその場で解散となった。
 去っていく智秋と紅葉を見送りながら、真白は幸彦と健の三人でその場に立ち続けた。
各々に内心は違うだろうが、何も講ずる事がないよりもマシだとは思っているだろう。
「……帰るか」
「うん」
 二人の姿が見えなくなってから、真白達も帰路に就く。
 歩き出す兄と先輩と。真白は一度立ち止まり、桜木宅を見上げた。今も芳子があの二階の
部屋で異変に晒されている。だけど、これで……。
(大丈夫、だよね……?)
 不安は残るが、希望だって残されている。ほんのりと灯る火。
 ちょっと待っていてね。すぐに元気になれるから……。
そう心の中で芳子へ声を掛けてから、真白は先を行く二人に追いつくべく小走りに住宅街
を駆け始めたのだった。


 ボクノ前カラ、マコチャンガイナクナッタ。
 アンナニ一緒ニ遊ンデクレタノニ、ズット一緒ニ居ラレルト信ジテ疑ワナカッタノニ。
 ソノ日カラ、マコチャンハオ家ニ帰ッテ来ナクナッタ。マコチャンノオ父サンノ姿モ見エ
ナクナッテイタ。
 デモ、キット帰ッテクル。
ソシテマタ一緒ニ、遊ブンダ。
 ……ダケド、マダマコチャンハ帰ッテコナイ。
 
ソノ内ニ、オ家ノ中ガ重苦クルシクナッタ。
 マコチャンノオ母サンガ泣イテイル。沢山の人達ガ集マッテイル。
 白ト黒ノ帯。皆、揃エタミタイニ黒イ服。胸ガ苦シクナルヨウナ声……ガ、音ガ聞コエテ
クル。アレは、線香トイッタダロウカ。
 アレ? アレはマコチャン? ソレニオ父サン?
 良カッタ、帰ッテ来テクレタンダネ。
 エ? 待ッテ。ドウシテ皆、マコチャンヲ箱ニ閉ジ込メチャウノ? ソンナ事ヲシタラ、
マコチャン達ガ動ケナイジャナイカ。ドウシテ?
 ネエ。折角帰ッテ来タノニ、ドウシテマタ連レテ行ッテシマウノ?
 何処ニマコチャンヲ連レテ行クノ? ボクハ、連レテ行ッテクレナイノ……?

 ソレカラ、マコチャンハ出掛ケタママダッタ。
 ソウシテイル内ニ、オ母サンマデガオ家カラ出掛ケテイク。ボクノ知ラナイ人達ガ、何人
カオ母サンノ背中ヲ摩リナガラ、車トイウ乗リ物ニ乗セテイク。
 マコチャン達ト、同ジ……。オ母サン。オ母サンモイナクナルノ……?

 ソシテ、ボクハ独リニナッタ。
 オ家ノ中ハシント静カデ冷タクナッタ。
 ダケド、ダイジョウブ。キットマコチャンモ、オ父サンモ、オ母サンモ、帰ッテ来ルハズ
ナノダカラ。ソレマデボク、チャントオ留守番シテイルカラネ。
 ズット、待ッテイルカラ──。


 結論から言うと、灯った火もいずれは弱まり消えてしまうものである。
 智秋と紅葉に芳子を視て貰ってから、既に二週間弱が経過しようとしていた。
「…………」
 日差しは昼間と異なる様相となり、茜色に染まりかけた陽の光が辺りを静かに穏やかに照
らしている。そよそよと揺れる梢、かさかさと羽音のような音と共に首を揺らす草花。
 だが、真白の心中はそんな季節の穏やかさとは逆の方向へと向かい始めていた。
 校舎の渡り廊下からじっと草木がそよぐ中庭を見渡す。以前に紅葉が、よく智秋がここに
来ているのだと聞いた学園の中庭である。しかし、今日は、いや今日も彼の姿はそこには見
られなかった。
「……はぁ」
渡り廊下の柱に片手をついたまま、真白は小さくため息をつく。
 あれから、芳子に関しての進展がなかったからだった。
 帰り際、彼女を無闇に刺激しないようにと釘を刺された手前、無理に彼女を揺さ振るなど
の真似はしなかったが、真白は時間を見つけては彼女を見舞いに行っていた。
 その度に、少しずつではあったが、彼女の病み具合が酷くなっていっているように真白は
思えてならなかった。相変わらず中空を見上げたまま、ぶつぶつと独り言を呟いている姿。
母親の話では食事も満足に食べていないという。そもそも他人に視線を向ける事すら皆無な
のだとか。本当に、まるで自分の世界に入り浸っているようで心配でならなかった。
「真白、ちゃん?」
 ふいに聞こえてきた聞き覚えのある声に、真白は振り返る。
 書類らしきものを抱えた紅葉だった。
 先程までの自分を見ていたのだろうか、少し面を食らったような表情をしている。
「神山さん……」
 ごちゃ混ぜになった感情を内心で解きながら、真白は呟いていた。もしかしたら涙目にな
っていたかもしれない。紅葉は目を瞬かせつつ、歩み寄ってくる。
「真白ちゃん……大丈夫?」
「…………」
 やはり不安や苛立ちが顔に出ていたのか、紅葉が恐る恐るといった感じで訊ねてくる。
 だが、真白はすぐには答えられず彼女を見つめながら、渦巻く自分の中の気持ちの激しさ
に動揺を隠せずにいた。
「神山さんは、どうしてここに?」
 静かに息を整えて、とりあえず無難な切り出し方をした。
「ん? あぁ、日直の仕事でね。これを職員室に持って行く途中」
 と、抱えていた書類をくいと持ち上げてみせる紅葉。
 真白の神妙さを悟っていたのだろう、少し取り繕ったような笑み。
「ごめんね」
「え……」
 そう、僅かに眉根を寄せて彼女は短く言った。
 どきり。真白は心臓の鼓動が早くなるような心地になった。もやもやと燻る綯い交ぜの感
情がその言葉の含みを素早く捉えたかと思うと、ざわっとざわめき立つように。
「……あ、謝らないで下さい」
 必死に、自分の中のそれを抑えるようにして言う。話題は間違いなく芳子の事だろう。
「ううん。そうもいかないよ。時間が必要だ、とはあいつも言っていたけどさ。依頼人目線
で考えれば、早く桜木先輩を元に戻せる方がいいに決まってるものね」
 真白は黙っていた。
 不安や苛立ち。今、不用意に喋ってしまえばそれらを彼女にぶつけてしまいそうで怖かっ
たから。だって彼女達は傍から見れば突拍子もない頼み事を聞いてくれているのに……。
「……宝生君は」
「?」
 それでも、真白は聞きたくて仕方なかった。
「宝生君はどうしちゃったんですか?」
「智秋? あ~……それは」
「私、聞きました」
 それはここ数日、クラスの人達にそれとなく聞き及んでいた事。
「宝生君、あれから何度も学校を休んでいるって聞きました。今日だって休んでいるってい
うじゃないですか。それを聞いた時に、私どっと不安になっちゃって……。もしかしたら、
宝生君もヨシちゃんみたいな事になっちゃたんじゃないのかって」
「あ、いや。そういうわけじゃないんだけど……それに今日は」
「じゃあ、何なんですか?」
「え。そ、それは……」
 ついと見上げる真白の視線に、紅葉は思わず視線を逸らした。
 話せないという事なのか。真白の中で、ざわつく感情がより一層沸騰するように感じられ
ていた。自分に隠さないといけない事が起きているというのだろうか。
「私、あれから何度かヨシちゃんの所にお見舞いに行ったんですけど、ヨシちゃん、その度
に悪くなっているみたいで……。もしかして宝生君、苦戦しているとかじゃ……」
「あ~……えっと。し、心配はないよ。うん。時間が掛かっているだけだから」
「…………」
 紅葉の様子はどうにも煮え切らなかった。明らかに何かを隠そうとしているかのように見
えてならない。真白は喉元に苛立ちの念が雄叫びをあげそうになっているのを感じた。
「心配かけちゃってごめんね。あいつに、とっとと元に戻せって言っておこうか?」
「……それは」
 慰みか、好意で言ってくれているのか。少なくとも急かしているのではと思う。
 真白は言いかけてぐっと口を噤んだ。できる事なら、今すぐにでも芳子を元気な姿にして
欲しいと思う。だが、それと同時にあの日に彼が語った「人間の都合」「力押し」「野蛮」と
いったフレーズが脳裏に蘇り、その欲求と押し合い圧し合いを始める。
 気持ちが引き千切れそうだった。
 真白はぐっと口元を引き締め、ふるふると首を横に振ってから、
「……私、失礼します」
「え? 真白ちゃん……?」
 居た堪れず、殆ど発作のようにその場から駆け出していた。
 校舎の方へ走り去っていく真白。その後ろ姿をやや不意にとられて見つめていた紅葉は、
「……う~ん」
 渋面の中に辛うじて苦笑という形の明るさを潜り込ませて。
「こっちが予想していたよりも、憑依の進度が速いって事なのかな……?」
 神妙に、独りふぅと大きく息をついていた。
「……智秋。急がないといけないかもよ」

「あ、真白~」
 早足で校舎に戻ってきた真白は、ちょうど教室から出て来た友人達と出くわしていた。
「ん? どうかした? 何だか慌ててたような……」
「う、ううん。何でもないよ?」
 それまでの内心を悟られぬように、真白はできるだけ平静に見えるように努める。それが
功を奏したのか、友人達はそれ以上追及してくる事はなかった。
 だが。
「……ねぇ、真白」
「? 何?」
「あんた『お化け堂』に行ったって本当?」
 代わりに、彼女達は思い出したかのようにそんな質問を投げ掛けてきた。
「お化け堂?」
 聞いた事がない。真白は小首を傾げる。
「知らない? 旧市街にある骨董屋なんだけど。お化け堂っていうのは通称でね。確か」
「確か、宝来堂って名前だった筈よ」
「え……」
 真白は内心どきりとなった。
 まさか彼女達から宝来堂──智秋の家が出てくるとは思わなかった。二人はどうなの?と
真白の反応を待っていた。その表情には心配の感情が含まれている。
「う、うん……確かに行った事はあるけど」
 何故知っているのか。大方は旧市街の方の学園生に見られていたという所であろうが。
 真白はおずおずと、しかし正直に告白する。
 すると友人達は、神妙な面持ちで互いを見合わせた。
「な、何もなかった?」
「へ?」
 どういう意味だろう。確かに時音達や智秋がいたし、彼らが怪異に詳しい、知識のある人
々であるという点では何もなかったという表現ではないが、そんな事を彼女達に話すわけに
もいかない。ただ少々間抜けに聞き返すだけ。
「別に何も……。宝来堂が、どうかしたの?」
「……そっか。本当に知らないで行ったんだね」
 安心したのか呆れたのか、よく分からない様子で彼女達は語り出す。
「あそこってね……。出るんだって」
 そう、両手をだらんと顔の前で下げるポーズをしながら。
「出る?」
「……そう、お化けがね。旧市街でも結構有名な話らしいよ。何でも、沢山の魑魅魍魎が巣
食っていて、店員の人達もそいつらに呪われているんだとか」
「だから通称『お化け堂』ってわけ」
「……そう、なんだ」
 店員、つまり時音達の事か。だが素人眼とはいえ、そんな様子は微塵も感じなかった。
むしろ店内は結構センスのいいアンティーク・ショップだったが……。
 しかし、そんな事を言っても目の前の二人には信じて貰えそうにない気がして結局は曖昧
に相槌を打つだけで話す事はなかった。
「それじゃあ、私達は先に帰るけど……」
「くれぐれも気をつけなさいよ?」
「う、うん……」
 結局、噂話に感化された(だけだと思う)彼女達に何度も宝来堂には行かない方がいいと
妙にお節介を焼かれた後、二人と別れた。
 放課後の廊下は帰宅の路に就こうとする生徒や、部活に出て行く生徒などでそこそこに出
入りが多かった。真白は暫しその場でぼうっと立ち尽くした後、
「…………」
 自分のクラスの教室のドアを開けた。

 着信音が鳴った。軽やかな、単純なリズム。
 シートにもたれて目を瞑っていた智秋は、ジーンズのポケットを弄り、携帯電話を取り出
すと通話ボタンを押して耳にあてがった。
「もしもし」
 暫く相手からの会話に耳を傾ける。
 ややあって、その表情に変化が訪れた。瞑っていた目を開く。
「そうか……。分かった。こっちも済んでいるから、すぐに戻る。とりあえず──」
 気だるい空気がピシッと張り詰めたようになる。智秋は相手に二言三言の返答を返すと、
通話を切って再びポケットにしまい込む。
「何かあったの?」
 その時、ガチャとドアが開いた。
 智秋の視線の先に広がるは大きな駐車場。何処かのパーキングエリアのようだ。客足自体
はさほど多くなくまばらに駐車されているのが確認できてる程度。
 智秋は車の助手席に乗っていた。
「ええ。思ったより先方の進度が速いようで」
「そっか」
 聞こえてきたのは女性の声。片目で見上げればスーツ姿だ。彼女はそのまま運転席に乗り
込んでキーを差した。機器に電気が流れ、車体が駆動の準備に入る。
「じゃあ、すぐに出発する?」
「ええ。できる限り急いで下さい」
「オッケー。じゃあ、しっかり掴まってなさいよ」
 ブォンッとエンジンが唸りをあげ、車が動き出した。さっとギアをバックに変えて、閑散
としているのをいい事に後ろ向きに急発進。そのままキュキュッと方向転換し、ぐんと速度
を上げて合流口へと突き進む。
「私にかかれば、あっという間よ!」
 彼女は少し楽しそうだった。パーキングで休んでいた他のドライバー達が何事かと、遠く
から二人を見ているのがバックミラー越しに見えた。
「……まぁ、事故らない程度にお願いします」
 そう呟く智秋の声を弾き返すように、一台の紺の乗用車が猛スピードでパーキングエリア
を飛び出していった……。


 空に茜が差しかけている。
 真白は、住宅街の中を抜けて高台の区域にさし当たる坂を登っていた。舗装された、螺旋
状にくねり、外周にガードレールが覆う道をてくてくと歩いていた。
 通い慣れた道。特にここ数週間で何度も足を運んでいる道。
「ふぅ……」
 桜木宅はその勾配の途中にある。
 真白は門前でついと視線を持ち上げた。二階のやや西寄りの部屋。そこでは今も芳子が原
因不明の異常に晒され続けている。
 だが、真白は知っている。智秋の言葉を借りれば彼女は取り憑かれているのだ。
 しかし科学の時代とも称されるこのご時世。その言葉を信じる人間が、果たしてどれだけ
いる事だろうか。だからこそ芳子の母にもそういった話はしてない。それは信用されないと
いうよりは彼女に余計な心労を重ねて欲しくなかったという想いもあっただろう。
 では、自分は? 比較的そういったものをあっさり受け入れてしまっている自分は。
 芳子の影響なのかもしれない。それとも、兄が家で話していた言葉を借りれば、理性が足
りないといった意識の持ちようの違いなのだろうか……。
 真白はふるふると雑念を払うように首を振った。
 今は怪異の存在を論じている場合ではない。彼女を如何に助けるかだ。
 原因(らしきもの)は分かった。後は、智秋らの働きを待つ。そして自分はできるだけ、
彼女の傍で励ます事ぐらいしかできないのだ。
 悔しくもあるが、何も分からなかった数週間前に比べればまだマシである。
『真白ちゃん……』
 インターホンから帰ってきた芳子の母の声。
 しかし気のせいか、心無しか元気がないような気がする。
 ややあって玄関の鍵が開いた。この前とは違って彼女が自ら玄関先に出て来てくれる。
 真白は門をくぐって彼女の前まで歩み寄る。……外見も元気がないように見えた。何かあ
ったのだろうか。真白は嫌な予感を覚えつつ、
「あの……おばさま、大丈夫ですか? 疲れているみたいけど」
「……えぇ」
 上品なのは相変わらずだが、憔悴したような顔つきで彼女は短く答えて苦笑していた。
 何かがあった。真白の直感がそう告げている。だが、彼女は黙ったままで話そうとはして
くれなかった。家の中に通そうとする気配もない。
微妙な、沈黙。
「…………ヨシちゃんに、何かあったんですね?」
 沈黙を崩し、真白は意を決して訊ねた。とたん、耐え切れないといった様子で彼女の表情
がくしゃっと歪む。そして今にも泣き崩れそうになりながら、
「芳子が……いなくなっちゃたの。家から消えてしまったのよ」
「え……」
 金槌で頭を叩かれたように、真白に衝撃が走った。
「ちょっと買物から帰ってきたら、家の鍵が開いていて……部屋に行ってみたら、芳子が」
 そこまで言って芳子の母は両手で顔を覆ってしまう。
 何て事だ。激しく動揺する自分に、真白はぐいと必死に抑えを効かせた。ここで自分まで
慌ててしまってどうするんだ。まだ揺れる意識を何とか引き上げながら、
「ど、何処に行ったか分からないんですか? そ、そうだ。警察には?」
 ふるふると首を横に振る仕草。
 動転して気が回っていないのだ。もしかしたらインターホンで応答する、その直前まで突
然の事態に唖然としていたのかもしれない。だから自分が訊ねて来ても思うように振舞えな
かったのかもしれない。
(ど、どうすれば……)
 病み具合から、てっきりベッドから動けないと思っていた。智秋や紅葉に連絡するべきだ
ろうか……いや、そもそもしようにも番号も知らないし、片方は学園を休んですらいる。
 自分が、動くしかない。
「ともかくおばさまは警察に連絡して下さい。私、探してきますから!」
「え、えぇ……」
 そう、涙で顔を濡らした彼女に言い放って、真白は走り出した。
 あの状態で普通に外出したとはあまり考えられなかった。
 そうなれば。そうなれば一つだけ、心当たりのある所がある……。

「はぁっ、はぁっ……!」
 全力疾走で坂道を駆け下り、住宅街を走り抜ける。
 ようやく目的の場所の前まで辿り着いた真白は、大きく肩で息をしながら呼吸を整えた。
 尾を引く息苦しさで顔を歪めつつ、正面を見据える。
 そこは例の幽霊屋敷、もとい空き家だった。
 智秋の話したように芳子が取り憑かれている状態であるのならば、真っ先に関係してきそ
うば場所はここしかない。
(…………あ)
 そこで少し冷静になった頭で、ふと思ってしまう。
 家の鍵はあの夜に帰り際に閉めて来たのだ。
 だが、このまま帰るわけにもいかない。真白はざっと辺りを見回し、周囲に人がいない事
を確認してから敷地に踏み込んだ。相変わらず人気がなく夕暮れ時とはいえ、静かだった。
「……開いてる」
 正直驚いた。そしてざわ……と背筋に悪寒を感じた。
 ままよ、と思って玄関のドアノブに手を掛けてみると鍵は開いていた。ギィィと少々軋む
音を残しつつ、玄関口と廊下が視界に映る。背後から夕陽の光が差し込んでいた。
「ヨシちゃん……? いるの?」
 玄関には靴が脱がれた様子はない。
 それでも真白は恐る恐るそう呼びかけてみた。
「…………」
 しかし、返事はない。そもそも自宅へ見舞った時にも返事をしてくれなかったっけ。
 真白は少しの間、戸惑うようにその場に立っていたが、ごくりと唾を飲み込むとそろそろ
と靴を脱いで中へと入っていく。背後でゆっくりと玄関のドアが閉まった。
「……こりゃ、また面倒な事になったな」
『どうしたんだ?』
「招かざるお客さんだ。例の嬢ちゃんだよ」
『……何、だと』

「ヨシちゃん……?」
 恐る恐るドアを開けては、室内を確かめる。
 真白はとりあえず虱潰しに順繰りに家の中の各部屋を回っていく事にした。しかし、何処
を開けてみても返事はない。彼女の声だけがやけに反響しているようにも感じられる。
 それに、空気も何処か冷たいような気がする。
 以前に皆で訪れた時にも似た感覚を覚えていた記憶があるが、てっきりそれは夜の冷えか
と思っていた。しかし今は夕暮れだ。多少冷えるとしても、この背筋を撫でるような気味の
悪い冷えは一体……。
 無意識に真白の表情が険しくなる。もしかして、いやでも……。
 リビングに出て来た真白はふるふると首を横に振った。じわじわと湧いてくるような不安
や恐怖の感情を懸命に押し殺そうとする。
(一階にはいない、か……)
 そもそもここに来ているというのはあくまで仮定ではあったが。
 走ってきたのと、広い部屋中を歩き回った事もあり、その場で少しの間だけ息を整える。
自分でも意識しない内に心拍が上がっているのが分かった。それはきっと肉体的な疲れだけ
ではないのだろう。それを思い、静かにくっと口元を引き締める。
(やっぱり……)
 視線を天井へ。やはりあそこなのか?
 真白は、まるで抗うように重くなる足取りを引き摺って廊下に出ると、ゆっくりと階段を
上り始める。ギシギシと節々に軋む音が一歩一歩を殊更に重苦しくするような錯覚。
だが、真白には仮定から確信に近いものへと移り行く直感がそこにはあった。
「…………」
 階段から手前に二番目の部屋。あの異変に遭遇した部屋。
 その前に立つと、真白は数拍の間を置く。深く、深呼吸を一つ。
 小さく震える手をそっと動かし、ドアノブに手を掛けた。
 ギィィ……。
 金属の音と共にドアが開いた。そして、
「……ヨシ、ちゃん」
 真白は静かに声を漏らした。
 淡い緑色のパジャマ姿のまま、芳子は部屋の真ん中でこちら側に背を向けてじっと立って
いた。何処となくゆらゆらとしている。あの病み具合からすれば、今にも倒れてしまいかね
ないのではとすら思えた。
「…………大丈夫?」
 ゆっくりと、呼びかけながら真白は彼女に近づいていった。
 空気が冷たい。重い。それでも、見つけたからにはこのまま放って帰ってしまうわけにも
いかない。芳子はまだじっと背を向けたまま突っ立っている。
「ヨシちゃ……」
 その瞬間だった。
 前触れもなく、急に芳子が半身を返して振り返ってきたのである。
 思わずビクッと身体を強張らせて、伸ばしかけた手が止まる。
「…………」
 無理もなかった。
 芳子の様子が明らかに異様としかいいようがないものだったからだ。
 病人のような憔悴して落ち込んだ頬。視線はぼうっとしていて焦点が合っておらず、何よ
りも瞳はまるで腐った魚のそれのように灰色めいて濁ってすらいる。
(ヨシちゃんじゃ、ない……)
 名を呼び掛けかけて、真白は直感的にそれを悟った。
 同時に、
「……チガ、ウ」
 バタンッ!
 背後で、独りでに部屋のドアが大きな音を立てて閉まった。
 あの時と同じ。背筋に、いや全身にぞわわっと奔る寒気、悪寒。全身の全感覚が告げてよ
うとしていた。ここは危険だと。
「ぐっ!?」
 そして、ドアの音に一瞬気を取られた瞬間だった。
 ぬっと突き出た芳子の左手が、真白の首をがしりと掴んでいた。思わず声を漏らす真白。
だが、芳子の──いや、彼女に憑く何者かの握力は既に一人の少女のものではなかった。
 まるで万力で絞め上げられるような強烈な力。もがこうと左右へよろよろと動いてみるが
絞め付ける力はむしろ増していくかのようだ。
「チ、ガウ……。マコチャン、ジャ……マコチャンジャ、ナイ!」
 本来の芳子のものとはまるで違う、錆び付いた機械人形のような声色。
 その声に、真白は飛びそうになる意識の中で聞き覚えがあった。
(あの時の声だ……)
 皆でここにやってきたあの夜、耳に飛び込んできた謎の声。
 憑依しているというのは、その声の主という事なのか。
「ドコナノ、ドコニ、ツレテイッタノ……!」
 たどたどしいその声は怒りだった。何かを渇望するかのような怒声だった。
「マコチャンヲ、オ父サンヲ返セ!」
 何を言われているのか分からなかった。
 ただ、真白はいつの間にか恐怖感の上に、何故か申し訳なさを覚えている自分に気付いて
いた。ギリギリと絞められる首。遠のいていく意識。
 そのぼやけかけた視界に、芳子の右手に古びた人形を抱えられているのが見えて……。
「……チッ、閉じ込めてやがるか」
(う、んんっ……?)
 今度は背後から別の声が聞こえてきた。ドア越しなので少し聞こえ難かったが。
「間違いない。この中だ」
 この声、まさか。
「よし、ちょっと下がってろ」
 その瞬間だった。
「……爆ぜろ」
 クゥゥンと低く唸る音と共に背後で感じられる熱気。
 絞め付けられる首の中、視線だけを辛うじて動かしたその刹那、背後のドアが一瞬で真っ
 赤に染まったかと思うと、劈くような爆音と共にドアが木っ端微塵に吹き飛んだ。
 その衝撃は部屋の中にいた真白達にも直撃し、芳子もろ共抗う術もなく部屋の反対側へと
吹き飛ばされた。真白は箪笥に、芳子は壁にしたたかに身体を打ちつけられる。
 もくもくと埃やら煙やらが辺りに四散していた。
「げほっ、かほっ……。う、痛たた……背中ぁっ……」
 結果的に絞首の手から逃れる事はできたが、背中から全身にかけて鈍く痛みが走り、真白
は思わずその場で四つん這いになりながら咳き込む。
「……ふぅ、オッケー」
「何がだ。彼女達を思いっきり巻き込んでるじゃないか」
 埃や煙の向こうで声が聞こえた。コツコツと足音が近づいて来る。
 真白はその体勢のまま、ゆっくりとその方へと視線を向ける。
 間違いない。この声は……。
「ま、結果オーライって事で」
「……壊した事がバレたら色々面倒だってのに」
 灯馬、そして智秋の姿がそこにはあった。
「宝生君。灯馬さん……」
「やぁ、真白ちゃん。大丈夫かい?」
「……自分でやっといてよく言うよ」
 何故だか無性にほっとした。真白は半分くらい泣きそうになりながら目の前で屈んで覗き
込んでくる灯馬と、その傍らで相変わらずぶっきらぼうな智秋を見上げる。
「すまないな」
 ぽつと、智秋が真っ直ぐ部屋の奥を見据えたままでそう言った。
「僕の見立てが甘かった」
「え? そ、そんな」
 でも助けに来てくれました。真白は思わず弁護しようとしたが、
「よもや君が乱入してくるとはね」
 そう言われてぐぅ……と黙る。
 智秋がちらと真白を見下ろした。感情を押し殺したような一種の冷たい感じさえ受ける瞳
だった。それでも何故だろう、真白にはとても頼もしくも思えた。
 時間にして数秒の事だったが、真白には長い時間に感じられた。
「…………」
 彼が何を考えていたのかは分からない。やがて智秋はついと視線を逸らし、再び正面を見
据える。真剣な横顔。一歩また一歩と前へと歩み出た。
 真白もつられて視線を移し、ハッとした。
 ドアと反対側、壁際には芳子がぐったりと倒れていた。
 だは驚いたのはそれではない。
 彼女の頭上に浮かんでいたのだ。
「……ウ、チガウ……」
 古びた人形が、独りでに。
 真白はごくと息を飲んだ。見間違いではないのかと何度も目を擦ってみるが、目の前の光
景は変わらない。目を凝らすと宙に浮いている人形からは何かモヤのようなものが漏れ、周
囲に流れたり自身へと纏わり付いているのが見える。
「……あ、あの。あのモヤみたいなのは……?」
「霊気さ」
 おずおずと訊ねる真白に、壁にもたれ掛かって様子を見ていた灯馬が事も無げもなくそう
答えた。「え?」と見上げる彼女に、
「霊気だよ。やっぱ、真白ちゃんも結構そっちの素質はあるんだな」
 そんな事を呟きながら彼はハハッと笑っていた。
「灯馬」
「いいだろ? もうここまで首を突っ込んじまったんだ。今更退けても誤魔化し切れないと
思うんだがねぇ?」
 正面を向いたまま、窘めるような智秋の声。
 しかし当の灯馬は笑ってそれを受け流す。何の事かと小首を傾げる真白に「な?」と同意
まで求めてくる。真白は曖昧にこく……と一度だけ頷く。
「…………」
 その様を、智秋は視線だけを後ろに遣って見つめていた。そして小さく諦めたかのような
ため息をついてから正面に向き直ると、
「来い。エリー」
 誰かの名を呼んだ。
「!?」
 次の瞬間、真白は目の当たりにした。
 彼が口にしたその瞬間、中空に突然一人の少女が現れたのを。
(な、何……?)
 少女は長い金髪に、黒いゴシック風のドレスを着ていた。
 ふいとこちらを振り返ったその瞳は青色。どうやら外国人のようである。
 そして何よりも驚いたのは、彼女は半透明に近い姿で、中空に浮かんでいたのだ。
 これって、もしかして……幽霊?
「…………」
 彼女が、にこりと笑った。
灯馬が「よぅ」と気軽に片手を上げている。唖然としてその少女、エリーを見上げている
真白にも彼女は人懐っこい柔らかな笑みを返してくれる。
そして、
「マコ……チャン? チガ、ウ……?」
「……会わせてやるよ」
 上着の内ポケットから、一冊の結構な年代物と見える本を取り出した智秋の身体に吸い込
まれるようにして、彼女の姿が消えていったのである。
「お前の待ち人を」
 その刹那、智秋の握っていた古書を十文字型に括っていた帯が独りでにバラけた。何語と
も分からない文字で埋められた帯がゆらりと宙を舞う。
 背表紙を握られた古書の頁が風に撫でられるように次々に捲られていく。
それはただの風ではなかった。真白の眼には智秋の身体中から妙なモヤ──灯馬に言わせ
れば霊気──が迸っているのが確かに見えていた。
 手首を返し、古書をカクカクと身動ぎする人形の正面に構えて抱える。
 彼の瞳が一瞬、あの少女と同じ青色に輝いて見えた。
「灯馬さん、あれって……」
「まぁ、見とけって」
 そう思わず訊ねたのを、灯馬は笑みではぐらかす。
「…………」
 ピッと。智秋が何かを取り出した。
 それは何かを文字らしきものを書き込んである、白い栞のようだった。それを指と指の間
に挟んだ格好で、
「──待ち人よ、目覚めろ」
 その栞を中空の人形に向かって投げ付けた。
 カード手裏剣のように回転して飛んでいく。それも僅かな時間だった。
 白く淡い光が、部屋中に満ちた。
 思わず片目を瞑り、眩しそうに片手で庇を作る真白。灯馬も、目を細めて光の中を静かに
見つめている。人形もカクンと一瞬、身体(?)を強張らせていた。
「…………」
 ややあって、光が収まると共にそこから何某かの輪郭が顕わになる。真白は何だと目を凝
らした。ぼんやりと光る輪郭。それは、
「!? マコ、チャン……!」
 半透明の姿をした一人の女の子だった。先程、エリーと呼ばれていた幽霊(?)とは違う
また別の、ごく普通の格好をした小さな女の子。
 その姿を認めた瞬間、人形の様子に明らかな変化が訪れた。
 カクカクと震えながら、ゆらゆらと女の子の下に近寄っていく。
「マコチャン……」
 呼び掛けられて、女の子が目を開いた。
 ふわふわと浮かんでいる人形。思わず無言になって見つめている真白達。
 それでも、女の子は少しの間じっとその人形を見つめて、
「……クーちゃん?」
 人形の事をそう呼んでいた。
「マ……マコチャン!」
 バッと。人形が(表情は変わる訳ではないが)それまでにない程の感極まった声色で女の
子の胸元に飛び込んでいった。
「ヤット、会エタ……」
「うん。うん……。待たせちゃって、ごめんね……」
彼女もくしゃっと顔を感涙に歪めて「クーちゃん」をはしと抱きしめ返していた。
(これって……)
 真白は状況に中々ついていけなかった。
 あの凶暴さから一転、人形はまるで人形本来の愛らしさで女の子抱かれていた。
 マコちゃんと呼ばれた目の前の女の子。もしかして……。
「……ありがとう、おにいちゃん」
 人形を抱いたまま、女の子がふっと智秋を、真白達の方を振り向いた。
 満面の笑み。感涙が頬を伝い始めている。
「ああ」
 智秋は短く答えるだけだった。
 だけど、それで充分だったかのように女の子はぎゅっと人形を抱きしめる。愛おしい家族
にそうするように。再び静かに光に包まれ始めれる。
「ありがとう……」
「アリガ、トウ……」
 もう一度、そう礼を述べる女の子とその胸に抱かれた人形。
 智秋達が見つめる中、彼女の身体は半透明のまま無数の光の粒へと変わっていく。まるで
昇華していくように。人形からも同じ様に光の粒が気流のようになって昇っていく。
『本当に、ありがとう……』
 そして、再度女の子の声が部屋に静かに響いたのを最後に、彼女はスゥッ……と姿を消す
と、抱えられた人形だけがまるで力を失ったかのようにポトンと床に落ちた。
「…………」
 しんと、静寂が降りた部屋。
 真白が事態の推移に、唖然としていると、
「もういいよ。エリー」
 すぅっと、再びあのゴシックドレスの少女の幽霊(?)が智秋の身体から出てきた。
 独りでに、パタンと閉じた古書に先の十文字型の帯が架かる。
彼女がこちらを見てまたにこっと人懐っこい微笑みを浮かべた。灯馬が「お疲れさん」と
労いの声を掛けると、彼女はそのまま空気に馴染むかのようにして姿を消していった。
(何が、どうなってるの……?)
 彼女の消えた中空を、真白はまたぼうっと見上げている。
 智秋は古書を再び上着の内ポケットにしまい込むと、背を向けたまま歩き出す。
「……待っていたんだ」
「え?」
 唐突に語られ始めた智秋の言葉。真白は思わず聞き返す。
「こいつは、ずっと待っていた」
 そう言って、床に落ちた人形をそっと拾い上げる。
 まるで抜け殻のように、もう既に人形から剣呑さは見られない。ごく普通の、古ぼけただ
けのちょっと不恰好な人形そのものになっている。
「自分の主人と、家族を」
「それって……。マコちゃん、ですか?」
 何度か耳にした人名をおずおずと発してみる。智秋は振り返らず、人形をそっと胸元に抱
えながら、静かに首肯した。
「だけどそれは、本来叶う事はなかった」
「? でもさっき……」
 信じられなかったが、あれはまさに人形とマコちゃんの再会ではなかったのか。
「死んでいるんだよ」
 それを遮るように、智秋は静かに振り返りながら言った。
「彼女はずっと前に死んでいるんだ。父親と共に交通事故でね」
「…………死んだ?」
 ではあの少女はやはり……。
「そして一度に夫も娘も亡くした母は、悲しみのまま実家に戻ってしまった。思い出が残っ
ているこの家で独り暮らし続けるには辛過ぎたんだろう」
 真白は黙り込んだ。
 何故、そこまで彼が知っているのかは気になったが、確かに彼の言う通り一度に家族を失
ってしまったまま暮らし続ける苦しさは想像にして余りある。だとすれば、この家のやたら
に残されている家財道具の意味も理解できなくもない。
「……死んでいると分かった時は面倒な事になるなと思ったよ。その母親の行方を追わなけ
れば、この人形の待ち人の眠る場所も分からなかったんだから」
「……もしかして、宝生君はずっとそれを?」
 真白はそう訊ねたが、智秋は黙したままで明確には答えてはくれなかった。
 そうか。何度も学校を休んでいたのは、ここの空き家になった成り行きを調べる為……。
「だけど、僕らなら引き合わせてやる事ができる。未練さえ取り除けば、桜木先輩への憑依
もなくなるだろうし。現にそうなった」
「…………」
 僕ら。それは、やはりあの外国人風の幽霊(?)の事か。
 一体、何だったのだろう。頭が混乱して上手く事態について来てくれない。今もまだ心臓
がバクバクいって落ち着かない。疑問が次々に出てきては喉につっかえる。
 重い、沈黙。
 真白はじっと佇む智秋を見上げていた。一体、何から訊けばいい……?
「灯馬。先輩を」
「おぅ」
 その沈黙と無言の追求を振り切るようにして、智秋が灯馬に指示を飛ばした。それに応じ
て、彼はまだ床に突っ伏したままの芳子を抱え上げると部屋の外へと出て行く。智秋もその
後に続こうと歩き出した。
「あ、あのっ……。宝生君……」
「君も早くここを出た方がいい。その内、人も集まってきて厄介になる」
 すれ違いざまに慌てて掛けた真白の言葉を、智秋は淡々とした口調で制するように上書い
た。前を行く灯馬が「仕方ねぇだろ。あの場合」と苦笑を浮かべている。
 タイミングを逸したまま、真白は床に座り込んだままの格好で二人が過ぎ去っていくのを
見つめるしかなかった。まるで、訊くなと言わんばかりだった。困惑が湧き上がってくる。
「…………」
 去り際にもう一度、智秋は振り返って真白を見下ろした。
 早くしろとの催促か。それとも余計な事は訊くなという意思表示なのか。
 真白は消沈しそうな自分をぐっと支えて口元を引き締めた。
 智秋が正面に向き直って部屋を出て行く。
 
 彼に抱えられた人形が、何処となく微笑んでいるように真白には見えた。

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自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止します。

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