日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)サハラ・セレクタブルⅣ〔49〕

 中央署の一件の後、その姿は瞬く間に拡散されることとなった。巷の人々に、その存在が
広く知れ渡ることになった。
 守護騎士(ヴァンガード)である。白亜から黒鉄色のパワードスーツへ。一見して主なき
等身大のコンシェル達と共に、電脳生命体こと越境種(アウター)らの頭目が一人・プライ
ド一派と対峙している。署内から飛び出し、手前の広場にて繰り広げられた先の戦いだ。
『……』
 そんなネット上の映像の一つを、彼は観ていた。暗がりの室内、デスクトップPCの画面
からの明かりだけを、少年はじっと見つめている。
 ただ、その眼差しは──驚愕と呼ぶにはどうにも噛み合わない。
(……なん、で?)
 姿形こそ人間ではなかったものの、声で分かる。多少記憶にあるそれよりもくぐもって聞
こえはしたが、確かに引っ掛かる。何より見覚えのある個体達が、この非日常を現実に引っ
張って来たような面子の中に交っていたからだ。
 やっぱり間違いない──あいつらだ。
(何でだよ……?)
 あの時俺達を叩きのめした、変てこでデタラメな奴だ。確か守護騎士(ヴァンガード)と
いったか。詳しい情報はこっちに来てから知ったが……自分にはもう憎い気持ちしか湧いて
来ない。少なくとも己にとっては“理不尽”の象徴だったから。
 いや、何より疑問なのはあいつらだった。怒りが込み上げてくる理由は、そこに奴らが居
たからに他ならない。
 ……大江の野郎、いつの間にか連中の仲間になってたのか。こっちはそいつらにボコボコ
にされたっていうのに。元は同じ、電脳研のメンバーだっていうのに。
 ふざけるな。ふざけるな! 何でお前らが?
 てめぇら、何をしれっと「海沙さん」と仲良くなってやがる……??
(許せねえ……)
 かくして少年は、恨みを募らせる。思いは日々深くなる。
 画面の向こうでは、プライドらを追い払って勝利を収め、まさに“英雄”となった睦月こ
と守護騎士(ヴァンガード)と対策チームの仲間達が映っていた。あの日あの場所で巻き起
こった人々の歓声が、映像の中で轟いていた。
(許せねえ……!!)
 俺をダシにしてお近付きになりやがって。俺一人を除け者にしやがって。
 ギリッと、彼は強く強く歯を噛み締めていた。独り暗がりの部屋の中、再生される映像を
睨みつつ、やがてその瞳に赤く暗い炎を宿して。


 Episode-49.Madness/その男、再演

『七波君はこちらで保護した。俺が責任をもって親元に送り届ける』
 ウィッチの撃破及び、勇による誘拐事件から数刻後。焦りを隠せないまま、一旦捜索を終
えて戻って来た睦月達の下へ寄越されたのは、思いもよらぬ相手──筧からの電話だった。
司令室(コンソール)に集まっていた面々が緊張し、目を見開いて、この先方よりのコンタ
クトを聞いている。
『……大よその話は聞いた。お前らがいながら、一体何をやってた?』
 曰く、彼は偶然市内で彼女と再会したのだそうだ。かねてよりアウター絡みのニュースに
はなるべく目を通していたが、あまりにも憔悴した様子に放ってはおけなかったという。当
人から一連の“報復”攻撃について聞き及び、皆人以下対策チームの面々に怒りを露わにし
つつ言う。
 睦月や仁、海沙などは、ぐうの音も出ず押し黙ってしまっていた。結果として彼女を追い
詰めてしまったのは事実だ。精神的にもボロボロになり、遂には再び保護しようとした本人
からも拒絶された。彼女の母親も守れなかった……。
「……今貴方達は、何処に?」
『答える義理がねえのは、お前も分かってる筈だぜ? まぁどうせ、今までみたくコソコソ
俺の後を尾け回るんだろうがよ……』
 辛うじてたっぷりと間を置き、問いを返した皆人。
 だが対する筧は、それに答えることはない。自身も暗にまた、睦月達への信用を落とした
と言わんばかりに不満を表明していた。加えて尚も、奇妙なしがらみが断ち切れないことを
理解した上で毒を吐く。司令室(コンソール)側の面々は総じて、これを沈痛の面持ちで受
け止める他なかった。
『俺もやらかしたモンだな。以前はお前達に、相棒もろとも騙された筈なのによ……』

 通話はほぼ平行線に近い形で終わった。筧からの発信が途絶え、司令室(コンソール)内
は暫くしんと静まり返る。
『──』
 何と声を掛ければ良いだろうか? 迷うように互いの顔を見遣る睦月らとは対照的に、司
令官たる皆人だけはじっと中央の椅子に腰掛けたまま、暗転した正面頭上のディスプレイ群
を眺めている。
「その……ごめん。僕達はもっと早く着いていれば、七波さんのお母さんだけでも救えてい
たのかもしれないのに」
「ああ。自分の母親が殺された、そのショックに打ちひしがれていた時点で、彼女が僕達を
拒絶する可能性も考慮しておくべきだったね」
「……結果論で語っても仕方ないだろう。魔女型(ウィッチ)をぶつけるよう指示したのは
俺だ。彼女ら母子(おやこ)を守れなかった現実に変わりはない」
 にも拘らず、ようやく絞り出した睦月や冴島の謝罪を、当の皆人は振り向きもせずに否定
する。それは一見すれば酷く冷淡な反応だったが、誰よりも責任を感じ、負うことになるの
は他ならぬ彼自身なのだと睦月達は知っている。
 事実として、自分達は彼女を守り切れなかった。度重なる“報復”の果てに母親を死なせ
てしまったことを切欠とし、当人から突きつけられた拒絶の意思。これまでの作戦が、こと
ごとく裏目に出た格好だった。
「三条。やっぱお前は、効率ってモンに拘り過ぎてる。相手は人間だぞ? どれだけ理屈の
上で正しくっても、そいつの心が救われなきゃ意味がねえ」
「……そうかも、しれないな」
 仁が、これまでの蓄積を踏まえて、痺れを切らしたように言葉を漏らす。なるべく叱責と
ならないよう、努めてその怒声を抑え込もうとしていたようにも見える。
 対する皆人もその点は認めていた。振る舞いは相変わらず、司令官の椅子にどっかりと腰
を下ろして寡黙だったが、聞こえる嘆息は内心の悔恨であったかのように思う。
「そうだよ。確かに身体は無事だったかもしれないけどさ? 心はすっかりボロボロになっ
たんじゃない!」
 心は定量として捉えられない──不確定なものを、重要な要素として優先しようとするか
否かは、面々の中でも正直な所意見が分かれていた。仁や宙、一部の仲間達は皆人の一連の
“策”に否定的だったが、一方でそんな批判が感情論に過ぎないと考える者も少なくはなか
った。既に終わってしまったこと、もう覆せない現実だと割り切った上で。
「……かと言って僕には、あれ以上の最善は無かったと思うよ。或いは彼女が告発者だとバ
レた時点で、平穏な日々は無理筋だったのかもしれない」
「っ! そんな──!」
「冴島隊長……」
「だったら俺達の戦いは、何だったって言うんですか!?」
 怒号と沸騰。互いにぶつかる感情と分析。
 いつしか場は、今までになくピリピリとした空気に包まれていた。チーム内に亀裂が走り
始めたかのように思えた。「ま、待って、皆!」『内輪揉めしてる場合じゃあ……!』睦月
とデバイス内のパンドラは、そんな仲間達の不和を慌てて収めようとする。居た堪れなくな
り、責任を感じ、睨み合う両者の間に割って入ろうとする。
 どちらも大元は、彼女が心配だからこそ何とかしよう、立ち向かおうと誓った筈だ。
 なのにこんな事になるなんて。目の前の人達でさえ“豹変”するなんて──。
「止さないか。一先ず事件は終わった。次に備えるのが俺達の役目だろう?」
 しかしそんな面々を、次の瞬間ピシャリと制したのは他でもない皆人だった。ようやく椅
子の背からこちらを覗き込み、静かな怒りの眼でもって睦月達を叱る。たっぷり数拍それぞ
れが言葉を呑み込み、押し留まった。或いは火の点きかけた自身の激情を、誰かに止めて欲
しかったのかもしれない。
「七波由香は筧刑事に保護され、七波沙也香の遺体は当局に渡った。一連の出来事も耳目を
集めることになるだろう。俺達対策チームとしては、ここが引き時だ」
『……』
 正論だった。睦月以下仲間達は、改めて自らを落ち着かせるようにして黙り込んだ。若干
不承不承といった風に頷きながらも、それが現状の“最善”手であることは否応なく理解出
来た。自分達対策チームが、未だ密かに活動しようとしている方針だけではない。これ以上
挽回を求めて深追いをしても、哀しみに沈む彼女の傷を抉るばかりだ。
 事件は終わった。
 正直強引で消化不良感の否めない幕引きではあったものの、仁や宙、海沙や國子、冴島と
いった他の面々が一人また一人と場を後にしてゆく。その中で睦月は最後まで取り残されて
いた。後ろ暗くて、足が貼り付いたように、じっと椅子に背を預けたままな親友(とも)の
姿をギリギリまで見つめている。
「……」
 静かになった司令室(コンソール)の只中で、皆人は誰に語るでもなく考え込んでいた。
一見していつもの仏頂面ではあったが、内心はぐるぐると一連の事件──今回の拉致につい
て違和感を拭えないでいたのだ。良くも悪くも冷淡に、物事を分析しよう分析しようと試み
る彼の中に芽生えた、とある疑問符だった。
 瀬古勇が七波沙也香を攫ったのは、十中八九娘である由香及び筧刑事を誘い出す為だ。か
ねてよりの標的である二人を、確実に仕留める為の作戦だったと思われる。
 しかし……実際に彼は来なかった。おそらくは彼女が一人で背負い込み、彼を巻き込むま
いと単身例の廃ビル群へ向かったのだろう。
 だが瀬古勇とて、そんなパターンは想定出来た筈だ。多少なりとも彼女の人となりや二人
の関係性を知っていれば、作戦通りにゆくとは限らないことぐらい認識出来た筈だ。他人に
知らせる、ないし来なければ母親の命は無いと脅されていたにしても、当の本人は独りでや
って来た──要するに作戦として、詰めが甘いと言わざるを得ないのだ。
 彼と彼女を一網打尽にしようするなら、もっと条件・状況を絞った上で臨むべきだった。
実際こちらがウィッチを仕掛けた事で、奴はそのどちらも殺り損ねている。
(一体これは、どういうことだ?)
 それとも奴は、そもそも“二人を始末する事”が目的ではなかった……??


 七波母子(おやこ)を巡る拉致監禁事件は、一先ずフェードアウトの局面に入った。ただ
巷では沙也香を死なせたことを梃子に、政府や当局を批判する向きも出始めている。一方加
えてその副作用からか、娘である由香の近況もまた人々の関心を集めようとしていた。
 事件当時、彼女が現場に居たことを大半の人間は知らない。
 報道では今学期から、彼女が玄武台(ブダイ)から学園(コクガク)に転入したとも言わ
れているが……。

「──母さん、居る?」
「? あら。どうしたの、睦月?」
 筧との通信から数日。その日の放課後、睦月は一人司令室(コンソール)へと足を運んで
いた。束の間の幕間とでも言うべきか、室内に詰めている面々、制御卓に着いている職員は
少ない。一時の満員状態ではなく、次の事件・動きを待っているといった具合なのだろう。
 そんな対策チーム中枢の一角、研究部門のデスクで作業をしていた母・香月の下へ、睦月
は顔を出した。ふいっと呼び掛けられた息子の声に、彼女は思わずぱちくりと目を瞬いてこ
れを見上げる。
「……あれから、アウターは出た?」
「ううん。今の所は。それにもし反応があれば、貴方達にもすぐ連絡が飛ぶでしょう?」
 故に香月は、彼が何か言い辛い話題──相談の為に顔を見せたのだとすぐ解った。
 自他共に認めるワーカーホリックではあるが、他ならぬ我が子なのである。もじもじと、
視線が時折あさってな方向に逸れるのを彼女は見逃さなかった。「そ、そうだね……」ぎこ
ちなく苦笑する彼に向かい、敢えてこちらから話(ほんだい)を振ってみる。
「……何か、困った事でもあったの? 学校での七波さん? それとも皆人君?」
「う、うん……」
 案の定、睦月は最初困った表情(かお)を見せた。こちらの意図がとうに見透かされてい
るにも拘らず、尚もすぐに口を開こうとはしなかった。
 躊躇い。そこまで言い淀むという事は、わざわざ召集外に足を運んで来たという事は、自
身が持ち掛けようとする“相談”が、彼女にとって心理的にマイナスだと理解している証拠
でもある。
「……もっと強くなりたいんだ。守護騎士(ヴァンガード)に、他に力はないのかな?」
 曰くそれは、更なる懇願。先の七波母子(おやこ)喪失を受けて彼が導き出した、次に取
れうる一手の模索だった。ギュッとぶら下げていた拳を握り締め、睦月は言う。
「隊士さん達から聞いたよ。冴島さんが、母さんにパワーアップ用のアイテムを作って貰っ
てたって。ウィッチと戦う前、車の中に籠ってたから、何かあったとは思ってたけど……。
悔しいんだ。結局僕は、七波さんを守り切れなかった。冴島さんもきっと、僕や皆を守ろう
として、全部一人で背負い込もうとしたんでしょ? あんなリスクのあるアイテムを使って
まで戦おうとしたんでしょ? だったら僕も……リスクを取るよ。冴島さんだけに背負わせ
るなんて出来ない。皆の、これからの為にも」
『──』
 握った拳はやがて胸に。
 きっと自身も未知なる恐怖で震えているだろうに、睦月はそう香月を見据えて訊ねた。懇
願するように言い切った。『マスター……』胸元のポケットに入っていたデバイス、その中
でパンドラが眉尻を下げて呟いたが、それ以上に酷く哀しい表情(かお)をしていたのは他
ならぬ母・香月だった。息子と同様随分と逡巡し、しかし此処で拒んでもこの子は納得しな
いのだろうと悟っている。
 母として、チームの仲間として、正直気は進まないが──話さない訳にはいかない。
 たっぷりと十数拍、嘆息にも似た深呼吸をしてから、彼女はようやく彼の求めに応じて話
し始めた。
「……力が欲しいというのは、強化換装の事でいいのよね? これまで散々身をもって体験
してきている通り、基本的にこれらは大きな消耗を伴うものよ。貴方がこれまで使ったこと
のある強化換装は九つ。でも守護騎士(ヴァンガード)は設計上、あと三つの形態が残され
ているわ」
「うん」
「一つは紫の強化換装、ドラグーンフォーム。爬虫類系のサポートコンシェル達を纏う形態
よ。主に戦いの質──制圧能力に特化しているわ。ただ現状、このカテゴリの中核を担うク
ロコダイル・コンシェルがこちらの調整に馴染んでいないのよ。だからこれまでロックを掛
けてきたの。貴方の適合値をもってしても、今のまま換装すれば暴走する可能性が高いわ」
『暴走……』
「そっか。じゃあ、他の二つは?」
「金の強化換装、クルセイドフォームと、最終形態・虹の強化換装よ。仮にパンドラフォー
ムとでも呼びましょうか。……でもこの二つも、実用には耐えないわ。クルセイドフォーム
の方は、主に戦いの数──殲滅能力に特化しているけれど、幻獣をモチーフにしたコンシェ
ル達で構成した所為か、今も大部分が調整不足でお蔵入り。パンドラフォームに至っては、
そもそも実現不可能っていう結論が出てる。本来は全てのサポートコンシェルを纏う形態な
のだけど、実際には当初、ベースフォームですら換装することもままならなかった。完全に
机上の空論ね。あの時はまさか、貴方が変身出来ちゃうなんて思いもしなかったけど……」
『……』
 誰からともなく──いや、どちらかと言うとポケットの中のパンドラの方から、二人は互
いの顔を見合わせて眉根を寄せた。眉尻を下げた。
 なるほど、ようやく理解した。別に彼女が意地悪をして教えなかったんじゃない。技術的
に不安が大きかったからこそ、使用させないようにしてきたのだった。その使用者が他でも
ない、実の息子であれば尚更だ。
「だからもう、これ以上新しい強化換装は無いの……」
 睦月はじっと、そんな母の表情(かお)を見つめていた。美しくも悲しい微笑みだった。
 本人が言うように、元々守護騎士(ヴァンガード)の装着予定者は冴島だったのだ。その
彼が基本の形態にさえなれなかった──大よその人間がその適合値さえ届かなかった現実を
前に、一時は計画自体が頓挫しかけていたが、何の因果か今となっては自分がその後釜に座
っている。ついつい失念する事が多いが、自分はそもそも母・香月にとってさえ“イレギュ
ラー”な存在だということ。本来ならば、誰も換装による負荷には耐えられない……。
「可能な限り、調整は続けているわ。でも実戦投入する為には、相応のデータを積み重ねな
きゃいけないの。最大限の安全性を確保しなきゃいけないの。アウター達に対抗出来る手段
が必要だったからとはいえ、こんな力を生み出してしまった以上、私にも万全を期す義務が
ある──」
 だから、ね?
 香月(はは)はそうそっと諭すように、努めて睦月に繰り返し繰り返し説明していたが、
実際本人は話半分思考半分といった所だった。彼女が必死になればなるほど、その背後に在
る切迫した事態を想ってしまって。
 ならば現状、変身出来る自分が立ち向かわなければ、悲しむ誰か(ひと)はもっと増えて
しまうんじゃないか? 戦うしかないんじゃないか……?
「無茶はしないで。今ある強化換装でも、戦うこと自体は十分出来る筈よ。無茶だけはしな
いで。貴方が倒れたら、皆も私も、たくさんの人が悲しむのよ?」
『……』
 自分も含めて、母として。
 気付けばずいっと間近まで寄って、香月はこの息子の両肩を抱いていた。泣きそうになり
ながらも、必死に説得しようするその姿に、睦月は「うん……」と一言小さく呟くと黙り込
んでしまったが、他ならぬ彼女自身は寧ろ逆の結末になるだろうと予感していた。解っては
くれても、頷きはしないだろうと。この子は昔からそうだった。
(睦月……)
 やはり優柔不断に流されるのは、自分の悪い癖だ。迫られても、話すべきではなかったの
かもしれない。

「──ああああぁぁぁぁッ!?!?」
 飛鳥崎市内某所、とある霊安室。
 変わり果てた妻の亡骸を前に、誠明は文字通り激しく泣き崩れていた。北大場の拉致事件
を知り、職場から駆け付けて来ていたのだ。
「お父さん……」
 そこへ足を踏み入れたのは、他でもない七波。同じく母の遺体が運ばれたというこの場所
を聞き及び、先ず合流しようとしたのだ。
 元々の環境という面もあってか、他には誰一人、辺りに人影は無かった。案内してくれた
係員もあくまで事務的で、早々に席を外してしまっている。或いは遺族同士の時間、限られ
た故人との別離(わかれ)に割って入るべきではないと、教え込まれているからなのか。
「あ……ぁぁ? 由香、なのか……??」
 コクリ。ようやくこちらに気付き、泣き腫らした顔で振り向いてくる父に、七波は言葉も
なく応えた。先に父の方が散々泣いていたものだから、余計に逆張りになっていたのかもし
れない。キュッと結んだ唇が堰き止めるように、彼女は涙を流せなかった。
「ごめん……なさい。私がいたのに、お母さんを助けられなくて……」
 尤もそれは、泣けないこととは全く別の話だ。自分の内側で一枚また一枚と壁が破れそう
になる度、目元と眉間に寄せた力を強めて、七波はこれまでの経緯をざっと話して聞かせ始
めた。再会一番、誠明はこの娘をはしっと抱き締め、暫くじっと耳を傾ける。お互いに顔が
見えない体勢であったことが、触れ合っていたことが、感情を吐き出すにはちょうど都合が
良かったのかもしれない。
「……そうか。辛かったな。ごめんな? 肝心な時に父さんがついててやれなくて……」
 娘から懺悔されたのは、脅迫された際にたった一人で現場に向かったこと。何より母を勇
から救い出せなかったこと。
 だが誠明は、声を荒げて責め立てるようなことはしなかった。寧ろ彼女を抱き締める手を
強めて何度が動かし、その髪を撫でてやる。自分の綯い交ぜな感情をぶつけるのではなく、
先ず娘の心をとかく案じようとする。実際事件があった時、現場でその死を目の当たりにし
たのはこの子なのだから。
「でも、お前だけでも生き残ってくれて良かった。母さんだけじゃなく、お前まで失ってし
まったら、父さんは……」
「うん……」
 だからこそ七波は、暫くそうやって父に抱き締められるがままにされていた。自分だって
泣きたいという感情は沸々と湧いてきていたし、何より血の繋がった家族とこうしてまた会
えたことが、途轍もなく安堵だった。
 お母さんは死んだ──瀬古先輩に殺されてしまったけれど、まだお父さんがいてくれる。
 後悔が無い訳じゃあない。でもこんなに愛してくれる人がいるのなら、やっぱり堪えなく
ちゃと思う。まだこの人は、捨てちゃいけないんだと思う。
「……正直を言うとね。父さんは生き残ったのがお前でホッとしてるんだ」
「えっ?」
 しかし異変は、次の瞬間正体を現した。珍しくぎゅっと抱き締められたまま、七波はそう
誠明に言われたのだ。
 思わずハッと我に返り、気持ち密着していた顔を起こして相手の表情を観る。彼も彼で、
申し訳なさそうに語り出すその姿には不気味な照れ臭さがあった。少なくとも言葉尻以上に
意図された悪意は、実の娘をしても読み取れない。
「ほら、例の化け物──電脳生命体だったか。あれに家が滅茶苦茶されて以来、母さんがす
っかり神経質になってしまっただろう? 正直な話、この先上手くやってゆけるか不安だっ
たんだ。でも母さんは死んだ。お前じゃなく、変わってしまった母さんの方が」
「──」
 愛してくれている? いや、違う。
 七波はここに来て、ようやくその違和感に気付いたのだった。少しずつ心が震える。戦慄
する。なのに当の父は、ヘラヘラと苦笑(わら)っている。
 おかしい。いくら何でもおかしい。
 それじゃあまるで、母が死んで清々した(よかった)とでも言っているかのような……。
「あと父さんな、この前会社をクビになった。俺を雇っている事自体が、もうリスクだって
言いたいんだろう」
「えっ……? えっ……!?」
 加えてさらっと打ち明けられたのは、父が職を失っていたという事実。
 七波は続けざまの衝撃に、正直どう反応を返していいのかさえ判断し損ねていた。只々こ
の父の腕の中で、ぐるぐると回り続けるセカイに戸惑い、動悸に苛まれる。
「でもお前だけは守るよ。だってお前は、正しいことをしたんだから。なのに何もかもを失
うだなんて……あんまりじゃないか」
「──」
 抱き締められたまま、七波はようやく気付く。改めて事の深刻さを理解していた。
 父もとうに“壊れて”いたのだ。母とはまた別の形で、だけどもより一層歪と化して。
 元々気の優しい人ではあった。ただ諸々の「正しさ」を盾に、大丈夫だと平気だと、自ら
を誤魔化し続けていただけで……。

 ウィッチの撃破と筧の電話から数日。その夜七波家では、妻・沙也香の告別式が営まれて
いた。尤も家屋自体は先のミサイル襲撃によって損壊しており、今も仮の修理と数張りのテ
ントで補われていたが。
『……』
 告別式には、喪主を務める夫の誠明と、同じく一人娘の由香が臨んでいる。黒服に身を包
んだ二人は、終始暗く沈んだ面持ちをしていた。
 にも拘らず、マスコミ各社は大々的にニュースになったことも手伝い、ここぞとばかりに
顔出しをしたこの父子(おやこ)を激写している。実際本来の親戚・縁者よりも、彼らや詫
びの意図らしい当局関係者達の名代、ないし野次馬の類の方が明らかに多い。
 式の場はそうした人々でごった返し、カメラの光も眩しく煩かった。仕方のない部分もあ
るのだろうが、およそ人を弔おうとするシーンとは思えない。
「……やれやれ。相変わらずえげつねえな。目の前の二人が見えてないのかよ」
「そういうモンでしょー、マスコミは? 別に今に始まった事でもなし」
「良い気は……しないけどね」
「うん。七波さん、可哀想だよ。あんまりだよ……」
 そんな人だかりの中に、睦月達はこっそりと混ざっていた。睦月や仁、海沙や宙、國子と
いった対策チームの面々も、喪服姿で偵察に来ていたのだった。人ごみの中心、彼らに囲ま
れている七波父子(おやこ)を遠巻きに見遣りながら、睦月達は渋い表情を隠せずにいる。
『うーん、これ以上近付けそうにはないですねえ。予想していた以上の人です』
「そうだね。まぁ報道が報道だから、無理もないんだろうけど……」
 コソコソと懐の中から呟いているパンドラ。睦月も努めて苦笑いだけに留め、一向に奥へ
と進めない現状を仰ぐ。
 物理的に人の数に阻まれているというのもあるが、あの一件以来、自分達は彼女から完全
に距離を置かれてしまった。結末が結末だけに、致し方ないが。
 相変わらず保健室登校だし、話しかけようとしても全く口を利いてくれない。改めて筧刑
事を追っている冴島隊も、似たような状況だ。あちらもあちらで連絡があって以降、より頑
なな態度でこちらを撒こうとしているらしい。
 一応、対策チームの工作員──彼女のケアを担当しているメンバーから定期的に報告は上
がっているらしいが……自分達は直接聞いている訳ではない。動静を握っているのはあくま
で司令官たる親友(みなと)と、チーム上層部のみだ。正直もどかしいが……仕方ないのだ
ろう。恨まれて当然だものなと睦月は思っていた。

『──無理だな。そもそも今は、俺達が接触することすらNGだろう。だから間接的に報告
を上げて貰っている。少なくとも彼女の心の整理がつくまで、下手に近付かない方がいい』

 何とか出来ないか? 一度はそう司令室(コンソール)に居る際に相談はしてみたが、当
の彼は数拍じっと瞑想した後に言い切った。ぐうの音も出ない。それこそその工作員の正体
がバレてしまえば、彼女との関係修復は今度こそ不可能になる。
「……それにしても」
 当事者達の内心はともかく、外見上は粛々と進んでゆく告別式。
 そんな全体として沈痛なままの空気、演出された“哀しみ”の中で、宙がポツリと誰にと
もなく呟いた。隣の海沙も、この親友の感慨に頷くようにして同調している。
「何だか七波ちゃん、様子が変じゃない? どうにも“怯えてる”ような……」
「? 怯えてる?」
「う、うん。そうだよね。お父さんの方がげっそりしているのはまだ分かるんだけど、七波
さんの方は何ていうか……周りを気にしている感じ」
「……? そりゃあ、これだけ世間の目を集めちゃってる訳だし……。間違いなく悪い意味
でだろうけど……」
 頭に疑問符を浮かべる仁と睦月。國子も、先ほどからじっと七波達に注いでいた視線を、
ちらっとこちらに寄越す。海沙が訥々と補足するその言いようを、面々は人だかりの向こう
にいる当人と見比べながらぱちくりと瞬いていた。
「──ッ!?」
 ちょうど、その時である。ふと仲間内から生まれたこの“違和感”が、やはりはっきりと
形にはならずに霧散しようとしていた最中、仁が突如として周囲の暗がりの一角に目を奪わ
れて硬直。疑問符から驚愕へと、その表情を変えたのだった。
「? 大江君……?」
 睦月達が気付いた時にはもう遅かった。次の瞬間にはもう、彼は一人地面を蹴って駆け出
していたのだから。「ちょ、ちょっと!?」「ま、待っ──」慌てて止めようとするも間に
合わない。何より人ごみだらけのこの場において、人一人が席を外した所で周りの参列者達
は気にも留めない。

「はあっ、はあっ、はあ……ッ!!」
 小太りな身体に鞭を打ち、仁は走る。仲間達の呼び止めようとした声も、本人には殆どと
言っていいほど聞こえてはおらず、その知覚には只々一点の焦りのみがあった。驚愕に衝き
動かされ、頭の隅では解っていても、その後ろ姿を追わずにはいられない。
『──』
 見知った顔がいた。あの瞬間、告別式の明かりにあぶれた暗がりの中から、ニヤァ……と
こちらを見つめている人影に気付いたからだ。
(まさか……そんな……!!)
 故に次の瞬間には駆け出していた。こちらの反応を見て、サッと暗がりの奥へと逃げて行
った彼を追う為に、確かめる為に。仁は一人、その闇の中へと消えてゆく。


 否応なく記憶に残る人影を追い、仁は七波家のある住宅街から少し離れた、とある雑木林
の中へと足を踏み入れていた。多少月明かりはあれど、時間帯もあって辺りは暗く見通しが
悪い。必然的に慎重にならざるを得ないながらも、彼は枯れ草や枝を鳴らしつつ叫ぶ。
「おい、何処だ!?」
「いるんだろう……? 八代!」
 すると相手は、思いの外あっさりと自ら姿を現した。仁と同じ年頃、ひょろ長で陰湿な雰
囲気を纏った少年だ。
「──」
 ニヤリと哂い、一本の樹の物陰から。
 仁がかつて代表を務めていた旧電脳研のメンバー、八代直也。同研究会こと海沙のファン
クラブの中でも熱心な会員だったが、ある時改造リアナイザに手を出して彼女を襲い、自ら
の欲望を満たそうとした人物である。当時アウターや対策チームの存在を知らなかったもの
の、仁は睦月らと共に彼の召喚したカメレオンを撃破。本人も警察の厄介になった果てに、
学園(コクガク)を去って行った筈なのだが……。
「よう、久しぶりだな。随分と楽しくやってるみたいじゃねえか」
 あの頃よりも若干やつれたような。しかしこちらに向けてきた第一声は、記憶に残ってい
た以上に気安いもの。
 ただ……当の仁は警戒を解く事はない。その声色の中に満ちる剣呑さや憎しみ、油断なら
ぬ悪意を全身で嗅ぎ取っていたからだ。そんな煽ってくるかつての同胞に、彼は数拍黙り込
んでから問い返す。
「……誰かのお陰さんで、色々あってな」
「へへっ、そうかい。その割には随分と気が立ってるじゃねーの。つれないねえ……。お互
い久しぶりの再会だっていうのに」
「そりゃあ警戒もするさ。暫くぶりに会った昔のダチが、“ガワだけ同じの化け物”になっ
てるんだからよ」
 故に、その言葉を聞いた瞬間、八代の貼り付けたような笑みが消えた。対する仁はじっと
これを睨み付けたまま、そっと自身の懐に手を伸ばす。
「正体を現せ。俺達にその手の騙しは通用しねえよ」
 調律リアナイザだ。相対した時点で、仁は彼が本来の八代ではないと見破っていたのだ。
自身のコンシェル・グレートデュークが先ほどから、目の前の相手を敵(アウター)だと感
知。繰り返し繰り返し警戒の旨を報せてくれている。
「……そっか。もうちっと、お前の驚く顔を見たかったんだがな……」
 するとどうだろう。八代こと彼の人間態を模したアウターは、次の瞬間デジタル記号の光
に包まれながら本来の姿に変身した。全身を覆う硬い甲羅と両腕の大鋏──蟹型のアウター
だった。但しその色合いは一般にイメージされる鮮やかな赤ではなく、毒々しい青黒に染め
上げられている。
「奴を……八代を一体、何処にやった!?」
「俺が一人で此処にいる……それが何よりの証拠だと思うがな?」
 てめぇッ!! はたして開戦の合図は、そんな最後の問答と怒れる叫びで。
 八代こと蟹型(キャンサー)のアウターが両手の鋏を持ち上げると同時、仁は自身の調律
リアナイザからデュークを召喚した。白い甲冑に身を包んだ騎士が、大盾と槍を引っ下げて
突撃──先制の一発を叩き込もうとする。
「ほいっと」
「なっ……?!」
 しかし対するキャンサーは、これを想定済みと言わんばかりに回避してみせたのだった。
デューク渾身の一突きは虚しく空間を掠め、勢い余って数歩鎧を鳴らす。
 そして肝心の相手の身体は──“地面へと溶けるように潜った”姿になって。
「な、何だ……?」
「はははっ、驚いただろう? これが俺の能力さ! 地面だろうが壁だろうが、どんな場所
でも自在に“泳ぐ”事が出来る! その辺の雑魚と一緒にするなよ? 俺は選ばれた個体な
んだ。より強力で優れた姿に生まれ変わったんだ!」
 ヒャッハーッ!! 言って、キャンサーもといD(ダイブ)・キャンサーは、再び勢いを
つけて跳躍。着水する弾丸のように仁とデュークの背後へと潜り直し、右に左にと波紋を描
きながら高速移動を始めた。調律リアナイザを握った仁も、この相棒と共にその動きを必死
に目で追いながら、ぐるぐると思考を巡らせる。
「生まれ変わる……“合成”アウターか!」
「おう。やっぱ知ってるんだな。以前これの、スロースの研究所(ラボ)を一つお前らが潰
したって話は本当らしいな」
 そうして地面に映る波紋さえ消えるほど深く潜り、直後飛び出しながら襲ってくる。仁は
ぶっ掛けられる泥は勿論、すんでの所で迫る大鋏を辛うじて避けながら大きくよろめいた。
先刻までの余裕はすっかり失せ、その表情は引き攣る。調律リアナイザを片手に、デューク
を急ぎ自分の傍へと戻し始めた。
「──っ!」
 拙い……。完全に相手の力を甘く見ていた。奴は八代本人じゃないのに。ただでさえ厄介
な“合成”済みの個体だっていうのに。
 何が何でも相性が悪過ぎる。地面を泳げる能力だ? 間合いも何もあったモンじゃねえ。
ベースが水棲生物だからか、とんでもなく動きが速い。俺のデュークじゃあ、とてもじゃな
いが反応し切れねえ……。
 仁のコンシェル、グレートデュークは防御力に優れている分、機動力に劣る。硬いという
のはそれだけで重いのだ。このキャンサーのように、高い機動力で翻弄してくるタイプを相
手にするには不向きと言わざるを得なかった。
 周囲の地面に潜っては飛び出し、襲う。ヒットアンドアウェイ。敵の仕掛けてくる攻撃は
まさに彼とデュークの苦手とする所だった。
 もしかして、こちらの特性を把握した上でこんな能力を……? 思考の一端にそんな可能
性が過ぎったが、今は構っている暇はない。確かめようにも術を持っていない。
 と、とにかく、本体(おれ)の身を……! 仁は瞬く間に苦戦を強いられていた。生身の
自分がやられぬよう、すぐにデュークを傍らに戻して防御を固めたが、それも足元から突撃
されればひとたまりもない。二人は防戦一方に追い遣れられていた。辛うじて出現を見越し
て反撃しようにも、相手も相手で硬い甲羅に弾かれる。鋏での斬撃や殴打、加えて水流射出
による牽制まで放たれ、為す術が無い。
「この時を……ずっとこの時を待ってたんだ! お前達だけは、絶対に許さねえ!」
「抜け駆けしやがって……! 俺をダシにして、海沙さんと仲良くなりやがって……!!」
『大江君!!』
 ちょうど、そんな時だったのだ。交戦していた両者の下へと、睦月達が遅れて駆け付けて
来るのが見えた。道中、パンドラがアウターの反応を捉えていたのだ。すぐさま場の状況を
理解した仲間達が、それぞれにリアナイザを取り出して加勢しようとする。
「よ、止せ! こっちに来るな!」
 そんな皆に向かって、仁は叫ぶ。こいつの能力は数で囲めばどうにかなる類じゃない。何
より奴の狙いが自分達への復讐だと判った以上、睦月達の登場は火に油を注ぐだけだ。
「佐原……守護騎士(ヴァンガード)……!! 見つけたぞ。お前達もかぁぁぁーッ!!」
 案の定、キャンサーの猛攻は直後睦月達にも及ぶ。変身・召喚しようとした面々を、それ
よりも速く、地中に潜ってからの奇襲でもって妨げる。國子が咄嗟に皆を引っ張ってかわし
たものの、常人の反応ではそれも長くは続くまい。通信越し、司令室(コンソール)の皆人
達も、ようやく相手の能力を理解したようだった。
『國子、睦月、退け! 密集していては逆に不利だ!』
「ははっ! 今更逃すかよ! このまま全員まとめて切り刻み──ギャハッ?!」
 だがそれを止めたは、他でもない仁。鉄白馬形態(チャリオットモード)のデュークを突
進させ、キャンサーを吹き飛ばしたのだ。その隙を突いて睦月ら仲間達の下へ駆け寄り、地
面に転がる身体を抱き起こす。
「大丈夫か!? 佐原、天ヶ洲、陰山。海沙さんも」
「う、うん……」
「私達は、大丈夫です」「わ、私だけ、何だか全然狙われていないような……??」
「地面に潜るとか卑怯でしょ!? こんなのずっと向こうのターンじゃない!?」
「……嗚呼、そうだったな。お前にはそんな形態(もの)もあったんだったか……」
 盛大に大木を圧し折って、キャンサーこと八代はのそりと立ち上がった。くいっと口元を
鋏の手で拭い、仁とデュークの姿に若干の懐かしさを零す。
「……てめぇのその記憶は、八代のモンだろうがよ。勝手に本人気取りすんな」
「八代? えっと、それって……前の電脳研の……?」
 流石にチャリオット状態の突進は効いたのか、甲羅にも少しヒビが入っている。だがそれ
だけだ。肝心のキャンサー本人には、致命的なダメージとは言えない。睦月らが拾った両者
のやり取り、戸惑いの声に、インカム越しの皆人の声が響く。
『おい、聞こえるか? 一旦ここは退け! 奴の能力は厄介だ。無闇にぶつかっても勝ち目
はないぞ!』
 曰く、地形を無視して“潜る”圧倒的な地の利。このまま戦い続けても、仁と同様ジリ貧
になるだけだ。加えて視界も足場も悪い。
 間違いなく相手は、自身の能力を理解した上で彼を此処へ誘った筈だという。何より数こ
そ一対五だが、こちらには「生身」の人間が揃っている。先ずは此処から皆を逃がし、体勢
を整え直すのが先決だと皆人は主張した。守護騎士(ヴァンガード)姿と、本人を安全圏に
置いた完全同期の召喚。万全を期して挑まなければ、いつぞやの冴島隊の轍を踏むことにも
なりかねない。
「……了解」
「仕方ない、かな」
 正直悔しかったが、異論はなかった。國子の朧丸、ステルス能力を駆使して先ずは仁や海
沙、宙を逃し、この場から離脱する事に専念せねば。期せずして距離の空いた今こそ絶好の
チャンスである。
「させるかよッ!!」
 しかし対するキャンサーは、それさえも安易には許さなかった。睦月達が踵を返して逃げ
ようとするのを見て、開いた鋏の口から水流を発射。面々を分断・転倒させて、再度地中か
らの突撃に移る。
「きゃっ……!?」
「海沙!」「海沙さん!」
『拙いな。奴の機動力が高過ぎる。陽動が要るか。一度に全員は厳しいかもしれない』
「……」
 するとどうだろう。インカム越しの皆人の声を何処か遠くで聞きながら、睦月はゆらりと
その場に立ち止まったように見えた。『マスター?』手にしたEXリアナイザの中で、パン
ドラが逸早くそんな主の異変に気付く。そして心配そうなその声色は、程なくして現実のも
のとなってしまった。
「パンドラ」
『は、はいっ』
「サポートコンシェルの封印(ロック)って、解除出来る?」
『え、ええ。制御(それ)も私の役目ですから……って、マスター、まさか!?』
「そのまさかだよ」
 殿(しんがり)が要る。或いはこの場で、奴を倒せる何かが。
 睦月はそうパンドラに問いながらも、頭の中では既に実行に移っていた。躊躇えばキャン
サーによって、皆の命が危ない。大江君はあいつを八代って呼んでたけど、その名前が僕達
の思い浮かべるそれと違っていないのなら、奴は……。
『睦月?』
『ま、待ちなさい! 睦月、貴方、私の話を聞いてなかったの!?』
 インカム越し、司令室(コンソール)の皆人や香月、萬波達が小さな疑問符や焦りでもっ
て叫んでいるのが聞こえる。ただもう睦月にとっては、些末な事だった。今はとにかく、海
沙に宙、大江君や陰山さんを守らなくては……。
『マ、マスター。でも──』
「躊躇ったら皆やられる! 急いで解除するんだ!」
 それに……。並みの人間よりもよっぽど人間らしく迷うパンドラに、睦月は叫んだ。後半
は当のキャンサーには届かず、ぼそっと彼女や皆人達にのみ聞こえる声量である。
「母さんの話してくれた通りなら、これであいつの能力を封じ込められるだろう?」
『……ううっ』
『UNLOCKED』
 半ば押し切られる形で、パンドラがシステム内部を操作し、変身に必要なコンシェル達の
機能を解放した。キャンサーが地面を泳いで迫る。にわかにスローモーションとなりかける
セカイで、睦月はEXリアナイザのホログラム画面を操作した。七つの個体、戦力となり得
るコンシェル達のアイコンをタップし、指で纏めてなぞるように選択する。
『LIZARD』『CROCODILE』『TURTLE』
『SNAKE』『BAT』『FROG』『CHAMELEON』
『TRACE』
「……っ!」
『ACTIVATED』
『DRAGOON』
 正面に掲げた銃口から撃ち出された、紫の光球。はたしてそれらは七つに分裂し、三次元
に円運動を描きながら睦月の周りを駆け巡った。場の仲間達も、また彼らに迫ろうとしてい
たキャンサー自身も、ハッと我に返って睦月を見遣る。すんでの所で泳ぎを止め、半ば直感
的に大きく後ろへ跳び退こうとする。
「ぐぅっ!?」
『や……』
『止めてぇぇぇーッ!!』
 刹那、巻き起こったのは突風。
 装着が完了した次の瞬間、辺りには今までになく強烈な衝撃が舞い上がった。キャンサー
が吹っ飛んでボチャッと盛大に地面へ落ち、司令室(コンソール)の香月達も悲鳴のような
声を重ねる。
「──」
 紫を基調としたパワードスーツ、重鎧姿。手にした大剣が特徴的ないでたちだった。
 爬虫類系、紫の強化換装・ドラグーンフォーム。開発者である母・香月が、未だ調整段階
だと言っていた筈の形態だった。
「ぬおッ!?」
「きゃっ……!?」
 黙したまま、ブンッとその大剣を一振り。
 巻き起こった風圧は当たりを激しく掻き回し、仁以下仲間達も、慌てて手で庇を作っては
踏み止まる。
『……』
 その足元に入る、大きな陥没と亀裂。
 直後、他ならぬ睦月自身の双眸が、怪しく明滅したように見えた。

 時は一旦、ウィッチが撃破されて間もない頃まで遡る。
 自分を“保護”しに来たリアナイザ隊士の股間を、咄嗟に思いっ切り蹴り上げ、七波は激
情のままに逃走していた。普段来ることもない街の最北部を、彼女は当てもなく彷徨い、頭
上の陽は少しずつ下がってゆく。
(筧さん……。今、何処に居るんですか? 私は一体、どうしたら……??)
 もう佐原君達、対策チームの言うことは信じられない。もうホイホイと指示に従う訳には
いかなかった。あれこれと策を用意し、自分を助けると言ってくれていた彼らも、結局はお
母さんを救うことは出来なかった。瀬古先輩に……殺されてしまった。
(これから、どうしよう……?)
 段々と足が疲れてきた。全身も心も、駆け出した勢いより大きく磨り減ってきて、彼女の
歩みは止まり始める。
 かと言って、例の廃ビル群に戻るという選択肢は無かった。彼らに見つかってしまうのも
そうだが、おそらく警察も現場に突入している頃だろう。こちらもこちらで、鉢合わせにな
ってしまえば面倒だ。他に頼れる人の下へ向かった方が良いようにも思う。
(何処に居るんだろう? 筧さん。この前の電話だと、もう郊外から戻って来ていると思う
んだけど……)
 頭に先ず浮かんだ、残り数少ない寄る辺。ぼうっとする全身の感覚と意識の中、七波は暫
くの間、土地鑑の無い一帯を歩き続けた。
 ちょうど、そんな最中である。ふと市内北西部の外れ、とある古びたアパートの道向かい
を期せずして通りがかったその時、彼女は見覚えのある一団の姿を見つけたのだった。
(……あれは)
 緩めなスーツ姿で纏まっているが、間違いない。例の対策チームの一員、リアナイザ隊の
面々である。何気なく目を凝らして観察してみるに、どうやら彼らはコソコソとあのアパー
トの前に隠れているようだった。遠巻きの物陰に潜み、何やら上階の一室をちらちらと窺っ
ている。
 筧監視の為に残っていた、冴島隊B班の面々だった。尤も七波自身は、彼らがそんな二手
に分れて行動していることなど知らない。他でもない筧を尾けているグループだとは、この
時頭の中には浮かんでさえいなかったのだ。
(何なんだろう……?)
 しかし彼女にとって、厳密な理由などどうでも良かった。何故ならそうして頭に疑問符を
浮かべていた最中、彼ら自身がぽつりとその目的を口にしてくれたのだから。
「それにしても参ったなあ……。どうする? 俺達も突入した方がいいんだろうか?」
「余所様の家だしなあ。俺達の独断では何とも……。隊長か司令に、一度許可を取ってから
でないと……」
「全く、筧さんも少しぐらいじっとしてくれればいいのに」
「──っ」
 筧さん? 筧さんがあそこに居るの!?
 少なくとも七波にとっては、ただその情報だけで充分だった。細かい理由などどうでも良
かった。心の中に巣食っていた失意と寂しさ。それらを埋めてくれるかもしれない人が、あ
の部屋の中に居る。今行けば会えるかもしれない……。
「俺達を撒いて動き出したと思えば……。まーたああやって勝手な捜査を……」
「割と慣れちまったけどな。どうやら“彼”のことも、何時の間にか把握してたらしい」
「今は隊長もいないしな。やっぱり一度、司令室(コンソール)に連絡した方が……」
 場合によっては強硬策──確保と妨害に動く必要がありそうだ。それぞれに懐の調律リア
ナイザに手を伸ばし、隊士らは対応を取ろうとする。
「っ……!!」
「!? えっ? あっ、ちょっと、おい!」
「ちょっと君、待ちなさい!」
「うん? あれって……七波ちゃん? 何でまたこんな所に居るんだ??」
 顔を見合わせ、一瞬アパートの方から視線を逸らした隙を突き、七波は駆け出す。隊士達
も、彼女が道を突っ切って上階へ登ってゆくさまにすぐ気付いたが、如何せんこちらからで
は距離がある。加えて何より、彼女自身は自分達対策チームの“保護”対象だ。いきなり手
荒な真似もやり辛い。
 しかしそんな僅かな彼らの逡巡も、この時の彼女にとっては好都合だった。連絡する? 
追う? その間にも七波は、エントランスへと潜り込むようにして進入。階段を駆け上がっ
て先程の部屋へと急いだ。
 ……間違いない。筧さんの声だ。
 だけど妙な点がある。扉に手を掛けながら七波は思った。彼の声は明らかに怒り──怒鳴
っている最中のものであったし、中からは部屋の住人らしき別な人物の声もする。
「──お前、自分が何をしようとしてるのか解ってんのか!?」
 七波にとっては珍しく、酷く激昂した様子で叫んでいた筧。その視線の先には、部屋の奥
へと追い詰められ、彼の声に怯えて腰を抜かしている一人の少年がいる。
「はっ、離してくださいよぉ!? ぼ、僕はただ……もう一度“カガミン”に会いたかった
だけなんだ!」
 部屋の主の名は、額賀二見という。かつて改造リアナイザに手を出し、ミラージュという
変身能力を持つアウターを召喚した人物だ。
 そんな彼が、ちょうど筧と取っ組み合いを演じている。覆い被さりと腰抜かし、体勢は間
違いなく筧の優勢であったが──その手には紛れもなく、新たなリアナイザが握られていた
のである。
「それが駄目だって、言ってるんだろうがッ……!!」
 ぐぐぐっと力押しをし、これを取り上げようとする筧。当初は元アウター被害者の一人で
ある彼を訪ね、当時の話を聞くだけの心算だったのだが……部屋の中に転がっていたこれを
見つけてしまった以上、見逃す訳にはいかない。
「えっ? えっ……??」
 だからこそ、七波は最初何が起こっているのかよく解らなかった。ただ筧に会いたいと、
勢いのまま扉を開けてみたはいいものの、目の前では二人が取っ組み合いをしてリアナイザ
を奪い・奪われまいとしている。彼らの叫んでいる内容からして、それが正規のものではな
く、例の改造品らしいとは判ったが……どうしたら良いのかは正直迷っていた。
「……えいっ!」
 されど筧がそこにいる、止めようとしている。
 彼女は次の瞬間、その一点でもって彼に加勢していた。未だ状況が完全には飲み込めてい
ないながらも、改造リアナイザの危険性は自身もよくよく知っていた。身をもって味わわさ
れてきた。この人には悪いけれど、手を出すべきじゃないことだけは分かる。きっと筧さん
は同じように、止めようとしている。
「七波君!?」
「ちょっ……!? だ、誰だよ、あんた!?」
「よく分からないですけど……手伝います! 筧さんも頑張って!」
 うんこらしょ、よっこいしょ! 一対一だったそれまでから二対一に。突如として乱入し
て来た、少なくとも二見にとってはそう見える加勢によって、状況はより混沌の方向へと転
がり始める。筧も最初は飛び込んできた七波に驚いたが、今はそれ所ではない。彼女の助け
も借りて二見から改造リアナイザを引っ張り、新たな悲劇を生み出すまいと必死になる。
「は、離せーッ!! 離してくれぇぇぇーッ!!」
 それでも尚、当の二見は諦めない。銃身が二人に掴まれ、持っていかれそうになっても、
その指先で絡めた引き金部分だけは縋るように離さない。
「くっ! こんのッ!!」
「離して……くださ~い!!」
 お互いに揉みくちゃになりながらの、一個の改造リアナイザを巡る奪い合い。
 するとその時事件は起きた。離すまいとする彼女達が勢い余って、直後“三人同時”に引
き金をひいてしまい──。

「……何だあ、ありゃあ?」
 風圧が一しきり捌け切った後、キャンサーは慌てて地中から顔を出し、睦月を見つめた。
変身しようとする瞬間こそ目にはしたが、その姿形は聞き及んでいたものとは随分違う。
「紫色の、守護騎士(ヴァンガード)?」
「もしかしてあれって……」
『ええ。紫の強化換装・ドラグーンフォーム──制圧力に特化した形態よ』
 海沙や宙、場に居合わせた仲間達も、自身のインカム越しにそう確認する。送られてくる
映像を見つめながら、司令室(コンソール)の香月は言った。ただその横顔には不安そうに
我が子を案じる、哀しみの気色が宿っている。
「おいおいおい……。見たことねぇぞ、あんなの。……潮時か。大江以外にも戦力が増えち
まえば、こちらも色々とやり難くなる……」
 一方でキャンサーはと言えば、地面から上半身だけを抜き、そうぶつぶつと呟いていた。
それまで仁を散々に打ちのめしていた優勢が崩れかけたと見るや否や、一旦逃走を図ろうと
したのだ。ざぷっと泥を跳ねて半身を返し、地表を泳いで加速し始める。
「あっ!? あんにゃろッ……!!」
「──」
 しかしドラグーンフォームに身を包んだ睦月は、この動きを見逃さなかった。仁達が敵の
遁走に気付いて声を上げるのとほぼ同時、彼は気持ち俯き加減のままサッと掌をかざす。
「んぎゃッ?!」
 するとどうだろう。滑るように地面を掻いていたキャンサーが、突如としてその場で動か
なくなった。クロールの体勢のまま、まるで張り付けられたかのように短く汚い悲鳴を上げ
て、ミシミシッと次第にその硬直具合が激しくなってゆく。
「な……何?」
「急に動かなく、なったけど……」
「いえ。よく見てください。奴の辺り一面が──歪んでいます」
 突如起こった出来事に、海沙や宙、仲間達が困惑する。そんな中でも國子は逸早く、この
正体に気付いていた。静かに目を凝らして睦月の後ろ姿を指差し、彼の掌から先の空間が、
いつの間にか黒い歪みをもって軋んでいるさまを示す。
『……香月博士』
『ええ。これがドラグーンフォームの特殊能力、重力操作よ。クロコダイル・コンシェルの
持つ力を最大限に引き出し、敵を一網打尽にするの』
 司令室(コンソール)の皆人達も、睦月の新たな力の正体に気付いたようだ。相変わらず
じっと画面の向こうを見つめたまま、当の香月は尚も複雑な表情を浮かべていたが。
「ガッ……アアア……ッ!?!? か、身体が、動かな──」
 必死にもがくものの、キャンサーはその場から微動だに出来ない。
 すると次の瞬間、今度は彼の身体が急に地面から飛び出した。睦月が掌をくるりと上に向
け、重力の強度が反転したのだ。
 押し潰して自由を奪うだけではなく、宙に浮かせて狙い易い位置に持ってゆく──大剣を
引っ下げた睦月が、獣のような叫び声を放ちながら、自身もその操作能力を利用して一気に
距離を詰め跳躍。キャンサーに怒涛の連撃を叩き込む。
「ヴォオオオオオオオッ、オオオオオオオオッ!!」
「アギャッ、ハギャッ!? グギャアアアアアアーッ!!」
(……ね、ねえ、ソラちゃん。何だかむー君の様子、おかしくない?)
(う、うん。あたしもそれは思ってた。いつもの睦月じゃないみたい。普段あいつが戦って
る時って、あそこまで乱暴なやり方じゃないもんね……?)
 だがそうした、一転して睦月の一方的な攻勢に、彼の幼馴染である二人は不穏な気配を感
じ取っていた。どうにもいつもの彼ではないと、恐れすら感じて戸惑っている。
 確かにあの形態、紫の強化換装の力を駆使すれば、キャンサーの機動力を封鎖する事も可
能だろうが……。
「オオオオッ!!」
「グギャハァッ?!」
 はたしてその間も睦月の、ドラグーンフォームの攻撃は続いていた。遂には大剣の殴打が
キャンサーを大きく後方へと吹き飛ばし、その全身を覆っていた硬い甲羅も、激しくひび割
れて砕け散る。
 そんな様子に終始圧倒されながら、それでも仁は小さなガッツポーズを取っていた。
「よしっ! いいぞ、佐原! これで十分に時間は稼げた。後は海沙さん達を、安全な所ま
で離脱させて──」
 正直を言うと悔しいが、自分だけでは奴には敵わない。
 でもあいつなら、あの力があれば、今この状況から逃れる事が出来る。
 しかし緊急事態は、ちょうどそんな直後に起こったのだ。「ささ、海沙さん。天ヶ洲も」
仁や同じく國子が彼女らを、現状足手まといにしかならない自分達生身の人間を退場させよ
うとした次の瞬間、紫のパワードスーツ姿の睦月がスッとこちらを見遣ったのである。
 最初はキャンサーの隙を作ったぞ、とでも言わんばかりの一瞥かと思ったが……直後彼は
掌をかざすと、今度は仁以下仲間達を、その重力圧の下に叩き伏せたのだ。
「がっ……?!」
「む、睦月(むつ)──ぐべっ!」
「どっ、どうして? むー君……」
「わ、私達は味方……ですよ? 一体何の、心算で……??」
 司令室(コンソール)側の面々も、この突然の事態に慌てふためき始めた。思わず通信用
のヘッドフォンを外し、或いは唖然として目の前のディスプレイ群を見上げる。言葉を失う
ように目を見開き、皆人がすっくと立ち上がっていた。確かめるように視線を向けた先の香
月は、蒼褪めたように歯を震わせて呟いている。
『香月君……』
『……香月博士。これは……』
『ええ、間違いないわ。やはり起こってしまった……。伝えるべきじゃなかったのよ』
『ドラグーンフォームの暴走。今あの強化換装は、睦月自身にも制御し切れていない──』
 オォォォォッ!! 今度は重力圧で動けない仲間達の下へと、パワードスーツ姿の睦月は
走り出す。先ほどタコ殴りにしていたキャンサーを差し置き、大剣を引っ下げて迫るそのさ
まは、およそ正気とは思えなかった。『マスター! しっかりしてください、マスター!』
EXリアナイザの中から、パンドラも必死に呼び掛けているが、双眸部分に光を失った今の
睦月には届いていないようだった。
 ぐらりと、仲間達の身体が中空に浮かび始める。生身で重力波を受けたダメージから、皆
すぐには反応出来ないらしかった。ことデュークや朧丸、自身のコンシェルも動かしていた
仁と國子は、特にその傾向が強い。
『馬鹿野郎! 目を覚ませ! 睦月、止まれッ!!』
『睦月、止まって! お願い、止まってぇ!!』
『守護騎士(ヴァンガード)のシステムを停止させろ! 今すぐにだ!』
 皆人や萬波、香月に職員達。司令室(コンソール)の仲間らも必死になって叫び、これを
止めようとする。弾かれたように職員達が制御卓へと齧り付き、操作を始めるも……間に合
わない。外部・遠隔操作からの制御では、どうしてもパンドラのそれには劣るのだ。
『マスター、マスター! 駄目ですっ! お願いですから止まって!!』
「ぐぅっ」「あっ……」
『やっ──』
『止めろぉぉぉぉぉぉーッ!!』
 我を失い、暴走を始めた睦月の強化換装(ドラグーンフォーム)。
 彼の振り上げた大剣が、次の瞬間、身動きの取れない仁達へと吸い込まれ──。

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自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止します。

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