日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(企画)週刊三題「聖伴侶」

──これから毎週、小説を書こうぜ?

毎週一回、ツイッタの「診断メーカー」で出たお題で小説を書いてみるという
自己鍛錬、 それがこの『週刊三題』であります。
さてさて。紡がれる文章は良分か悪文か、或いは怪文か?
とある物書きの拙文晒し、此処に在り。

【今週のお題:悪魔、天使、ヒロイン】


 とある王国の片田舎に、小さな教会がありました。森の中にちょこんと佇む聖職者達の家
です。加えて此処はその性質上、近隣の村々や余所から流れてきた身寄りのない人々──孤
児達を預かる救済院としての側面も持っています。
「それでは皆さん。今日も主の恵みに感謝し、いただきましょう。アーメン」
『アーメン!』
 教会の責任者であり、養父でもあるボガード神父の合図で、食卓に着いた皆が一様に祈り
を捧げます。皿の上には硬めの丸パンと簡素な野菜のスープ──お世辞にも暮らしは豊かだ
とは言えませんでしたが、子供達はそんな日々を疑うことすらありませんでした。
「今日もありがとうございます。我らが父よ」
「……」
 ひそひそと、その中で誰よりも、熱心に胸元に手を当てて祈っている少女が一人。
 彼女の名はアリアといいます。この教会に引き取られた孤児達の中でも年長組であり、皆
のお姉さんでした。そんな彼女の楚々とした横顔を、一人の同年代の少年がじっと横目で窺
っています。
(はあ。今日も可愛いなあ……)
 彼の名はイアソン。彼女と同じく年長組ではありますが、ひょろりと背丈が高めなこと以
外はいまいちぱっとせず、教会の仕事中もばしばドジをやらかすような少年です。
 皆が、孤児仲間の大半であるちびっ子達が目を輝かせて食事を口に運ぶ中、彼は未だぼん
やりと彼女に見惚れています。そう、彼はアリアのことがずっと好きだったのでした。
「イアソン? どうしました?」
「えっ。あ、いえ……」
「あ~? まーたお前、アリアに見惚れてたのか~?」
「イアソン兄ちゃん、顔真っ赤~!」
「──ばっ!? そそそ、そんなこと……!」
「いいっていいって。隠さなくても丸分かりだし。なあ?」
「そうそう。つーか俺達だけじゃなく、村のアイドルだしなあ」
「アリアお姉ちゃんは可愛い!」
「美人さん!」
「……。ふふ、ありがとう」
「ほら見ろ。余裕の表情だしさ? イアソンは顔に出過ぎなんだよ」
「うぐっ……」
 だけどボガード神父を含めた仲間達は、彼のそんな恋心はとうにお見通しで、折につけて
からかってきます。その度に、彼は顔を真っ赤にして反論しようとするのですが……当の本
人はというと、あくまで何時もの優しく慈しみに溢れた表情。だからこそ、彼はいつだって
妙に気恥しいというか、ばつの悪い立ち位置に追い遣られてしまいます。
「まぁまぁ。皆さん、今は食事に集中しなさい。折角のスープが冷めてしまいますよ?」
『はーい!』
 仲が良いのは好い事なのですがね……。そして程々の所でボガード神父がやんわりと仲裁
に入るのも、いつもの流れで。
 顔が真っ赤になるイアソンと、間接的ながら繰り返し好意を知らされる当のアリアは、そ
れでも仲間達のやり取りに乗せられてしまいます。自分の承諾もない内から巻き込まれると
いうパターンを幾度となく経験してきました。
「……」
 ちゅるっと、スープを掬うアリア。そう静かに喉を潤す姿も何処かミステリアスです。
 ぼうっとまた見惚れ始めて……ハッと我に返ってパンを齧り出すイアソン。
 ただ彼のそれも、ある意味仕方ないことなのでしょう。お互い年頃だからとか、そういっ
た理由ではなく。
 何故なら彼女は──事実“特別な存在”だったからです。

「どうでしょう? 先ほどと何か変化はありますか?」
 それは即ち、彼女が生まれつき癒しの力を持っていたから。孤児の一人として教会に保護
されて物心つくようになった頃から、彼女は触れた相手の怪我や病を立ち所に治してしまう
という奇蹟を起こすようになったのです。まるで何か不思議な加護を受け、淡く優しい光を
その掌から放ちながら。
「お、おお……! 凄い、凄いぞ! あれだけしつこかった痛みが嘘みたいに!」
 その力は、転んで擦りむいた子供達の傷の手当から、長年の病に苦しんでいた村の老人を
回復させるまで幅広く。分け隔てなく。
 それ故、彼女はいつしか近隣の村人達から“聖女様”などと呼ばれるほど、頼られる存在
となっていました。最近ではその噂を聞きつけ、遠い集落からも治療を頼みにやって来る者
が後を絶たないほどです。
「それはよかった……。これも、我らが主の思し召しです。今度は貴方が、誰かに与える側
になったくださいね?」
「ああ……! そうさせて貰うよ!」
 この日もそうしてまた一人、彼女の起こす奇蹟に救われる旅人が帰って行きました。間際
まで何度も何度も礼を言って頭を下げ、興奮気味に礼拝堂を後にします。彼女はその後ろ姿
が見えなくなるまでにこやかに手を振り、微笑(わら)っていました。つい先刻まで掌から
溢れていた光と同じように、まるで一切の邪念も無いような清らかな心……。
「──」
 イアソンは、そんな彼女の施しを、礼拝堂の奥でこっそりと見ていました。神父に任され
た堂内の掃除を進めつつ、今日も今日とて救いを求めて訪れる旅人達をチェックしていてく
れと頼まれていたのです。
(これで七人目か……随分色んな所に噂は広まってるんだなあ……)
 箒を小脇に挟んだまま、粗い紙束にそうササッと走り書きを。
 孤児達の中で読み書きが出来るのは、彼を含めた一部の子供達のみです。一応ボガード牧
師や村のお手伝いさんが教えてくれてはいますが、何につけ教材も筆記道具も不足している
のです。ここ何年かは、アリアの奇蹟を目当てにお布施も増えつつはありますが。
(アリアも多分、その辺は自覚してるんだろうなあ。だからこそ、ああやって毎日みたいに
礼拝の人達の相手をしてる。負担だって少なくない筈なのに……)
 きゅっと唇を結び、イアソンは物陰から忸怩たる思いに駆られていました。尤もそれは今
に始まった事ではなく、思い煩ったことで何かが変わるものでもありませんでしたが──想
わずにはいられませんでした。
 ……同じ教会住まいではあるけれど、実際の所その勝手をよく知っている訳じゃない。
 しかし彼女の起こす奇蹟──癒しの力も、何かしらの限界はある筈だ。少なくとも常人の
操るそれではないし、本人も力があると判ってからこれを密かに自らの意思で制御しようと
努力していた──人一倍祈りを捧げ、努力してきたことを自分は知っている。皆の中で一番
学のあるヤコブも言っていた。もしあれが魔法の類ならば、彼女は日常的に魔力を消費して
いる筈だと。王都のどんな宮廷魔術師でも、力を連発していればすぐにエネルギーが空っぽ
になってしまうのだと。
 ……正直心配ではあった。もしあいつの仮説通りならば、彼女は自分達に隠れてその魔力
切れの苦しさと戦っている筈だ。なのに皆には文句一つ漏らさないで、じっと耐えている。
回復速度と押し寄せる礼拝者達との間で日々揺さぶられている筈なのだ。
 しかし、自分には何も出来ない。「大丈夫か?」と声を掛けてやるどころか、今も神父様
に指示されて客の方ばかり数えている──本当に神父様は、アリアのことを解ってくれてい
るのだろうか? いや、そんな筈ない。
 自分達にとって神父様は、身寄りのない皆を引き取ってくれた恩人で、父親で……。
「イアソン?」
「──っ」
 だから次の瞬間、当の彼女から名前を呼ばれた時、彼は思わずビクッと身を縮こまらせて
いました。隠れて見ていたことがバレたのかと思ったのです。
 恐る恐ると、数拍彼は迷いましたが……結局紙束を尻ポケットに押し込み、小脇の箒を手
に持ち直し、本人の前に出て行きます。
「や、やあ……。ご、ごめん。神父様に掃除を頼まれてて……」
「何で謝るの? 礼拝の方が来たから、手を止めててくれてたんでしょ? ありがとう」
「……」
 にも拘らず、当の彼女はそうフッと微笑(わら)って。
 綺麗だな。昼下がりの日差しが入り込む礼拝堂のステンドグラスを背景に、イアソンには
彼女の姿がとても神々しく見えました。本当に“聖女様”──天使のよう。でもそんな考え
はすぐに、他でもない彼自身が必死になって揉み消そうとしていました。ぶんぶんと、心の
中で激しく首を横に振り、その“雑念”に抗います。
 だって──邪(よこしま)だから。彼女を、そんな欲望の目で見てしまう自分が許せなか
ったから。まだお互い見習い身分とはいえ、これでも養父・ボガード神父の背中を追って聖
職者の道を選ぼうとしている最中。仲間達にはとうにバレているとはいえ……煩悩に惑わさ
れてはいけないからです。克服すべきものだと捉えていたからです。
「……イアソンは」
 しかし対するアリアの方は、そんな彼の葛藤に何処か寂しそうでした。直接恋心などの内
心を打ち明け、伝えた記憶は彼にはありませんでしたが、何年も一緒に過ごしてきた仲間と
してぼんやりとは理解しているようです。少なくとも、茶化される形でバレてはいるのです
から。
 うん? ふと神妙な表情になった彼女を見て、イアソンは内心思わず身構えを一層固くし
ました。拙い、何か余計なこと言ったっけ? 流石に怪しまれるよなあ。ただでさえこっち
は下心があるって判ってるのに、コソコソ覗かれてたら……。
「イアソンは、私に怪我とか病気を治して欲しいって言わないよね? 小さい子達みたいに
無茶するタイプじゃないってのあるけど」
「あ、ああ。例の力のことか? そりゃあそうだろ。俺なんかよりも、もっと使うべき人間
はたくさんいるだろうし……」
「……。優しいん、だね」
「えっ?」
「だってそうだよ。他の人達は皆、お金を積んでも治したいって私の所に来る。神父様もそ
れを分かってて、来る者は拒まずって形にしてる。……私は魔術師でもないのに、こんな力
が使えるのにだよ?」
 イアソンはようやく、彼女のその表情の意味を知りました。
 哀しかったのです。自分は不思議な癒しの力を使える。だけども何故自分がこのような力
に目覚めたのかも分からないし、ボガード神父も周囲の人々も、そのような点にはあまり関
心を持っていない。只々この奇蹟をありがたがり、縋ろうとする……。
「アリア……」
「私に誰かを助けられるなら、惜しむつもりはないけれど……正直怖い。昔は皆で静かに仲
良く暮らせていたのに、気付けばどんどんこの力も周りも、大事(おおごと)になっちゃっ
たから……」
 だからこそ、欲目を持たずに接してくれるイアソンが嬉しいのだというのです。羨ましい
のだというのです。
 違う。イアソンは思わず口にし掛けましたが、半ば反射的にぎゅっと呑み込みました。皆
だって君のことは大事な家族だって──慰めようとも、自身他の仲間達が本当に、彼女を昔
のようなただ“優しいお姉ちゃん”と思い続けているのか疑問に思ってしまったからです。
「今度、神父様に診てくれる魔術師を紹介して貰ったらどうだろう? どれだけ伝手がある
かは分からないけど、俺達よりは街のことを知ってる筈だし……」
「……うん」
 窓から差し込む光が妙に眩しくて。
 二人はそうお互いに、気まずくなった礼拝堂の中で佇みます。

『──結婚!?』
 ですが現実は、結局二人の危惧する方向ばかりへ進みました。結論から言えば、自分達の
育ての親であるボガード神父は“クロ”だったのです。
「ああ。輔祭になる前ならば、夫婦になって子も作れるだろう? アリアの持つ奇蹟はこの
村にとっても、教会全体にとっても宝だ。お前一人に全て背負わせるよりも、同じ力を持ち
うる者が複数いた方が負担だって減るだろう?」
 礼拝堂での告白から数年後、青年となったイアソンはアリアと共にボガード神父に呼び出
され、そう内々に縁談の計画を伝えられたのでした。しかしその実態は、あくまで“聖女”
の血を安定的に確保したいと願う神父達の──周囲の大人達の極めて打算的な計画によるも
のでした。
「神父、様……? それってどういう……?」
「わ、私がイアソンと? わわ、私は構わないですけど……」
 アリア!? びっくりしましたが、イアソンはその場で問い詰めます。かねてよりの疑惑
が確信に変わった瞬間。それでも恩人であり養父である彼の真意を直接聞き出さなければ気
が済みません。
「どういうも何も、言葉の通りじゃないか。お前達も知っての通り、この教会はずっと貧し
かった。近隣の村人達からの寄付で維持していたとはいえ、若者が街に出て行く一方である
以上、いずれその当ても尽きる……。そんな時に、アリアが癒しの奇蹟を発現させてくれた
んだ! これが神の思し召しでなくて何だと言うのだ!? お前達だって、その恩恵を受け
て今日まで暮らせてきただろう? 親孝行だ。一緒にこの教会を守り立てていこう。いや、
アリアの力があれば、本山と繋がりを持つことだって……!」
『……』
 絶望と、それ以上に失望が勝っていました。それらしい理屈を語っていても、最早ボガー
ド神父の瞳に映っているアリアは“我が子”の一人ではなく、自らが“成り上がってゆく為
の道具”でしかなかったのです。
 流石に当のアリアも我に返った中で絶句し、イアソンの──あの日以来、じわじわと距離
が縮まっていた想い人の傍らにぎゅっと縋り付いていました。
 自分達が結婚していい。神に仕える身分であっても、許可してくれる。それは嬉しい。
 だけど、それと貴方を変えてしまった欲望達とは、別問題だ──。

「こっちだ!」
「イアソン、アリア。この船を使え。このまま川を下ってゆけば、国境を越えられる」
「中に置いてあるモンは餞別だ。今後の生活に使ってくれ。あんまし、十分だとは言えねえ
かもしれんが……」
 ボガード神父達の魔手が及ぶ前に。二人は駆け落ちを決意しました。このままこの村に、
教会に残っていれば、自分達は間違いなく彼らのいいように利用され続ける。「呑めないと
言うのなら、種馬などお前以外にも沢山いるんだぞ──?」逃げるように場から去る前、彼
の放った脅しもまた充分過ぎる理由の一つでした。
 お前ら……!? 夜闇に乗じ、森中を巡回し始めたボガード一派の目を掻い潜りつつ、二
人が再会したのはかつての孤児仲間達でした。同じく教会に残っていた者もいるにはいまし
たが、その殆どは成人した後に街へ出てしまっていた筈です。なのに彼らはまるで、示し合
わせたようにこちらの逃走先に現れ、下流へと続く川の一角に船を一艘用意してくれていた
のでした。
「一体、どうして……?」
「水臭ぇなあ。俺達は、同じ釜の飯を食って育った“家族”だろうに」
「“聖女様”の噂は街でも聞いてたぜ? アリア。あの神父様が、欲に目を眩んでおかしく
なっちまったこともな」
『……』
「そっちに残ってた仲間が、定期的に報せてくれてたんだよ。神父側のふりをしてな」
「ん? ああ、大丈夫だ。そいつらはバレてねえ。未だ……な。同じように近々、別の町に
移るとか言ってたよ。それよりもお前らはお前らの心配だけしてろ」
 もう時の流れからは逃れられないとばかり思っていました。なのに彼らは、自身が危険に
晒されるかもしれないのに、密かに助けになるべく動いていてくれたのです。それは即ち、
二人が歳月を経るにつれて両想いになっていったという秘密も、筒抜けであった訳で……。
「ほら、急げ! 奴らが気付いてない内に早く!」
「しっかしドジのイアソンがなあ……。分かんねえモンだ」
「イアソン兄ちゃん、アリア姉ちゃんを絶対幸せにしてやりなよ?」
「お姉ちゃんを泣かせたら……承知しないからね?」
 あはは……。イアソンは思わず苦笑(わら)っていました。彼に手を取られ、船に乗り込
んでゆくアリアも、顔を真っ赤にして。かつて子供だった頃のように、純朴で大人しい少女
のそれに似て。

 二人はそれから、決死の逃避行を続けました。
 夜の闇に紛れたことと、仲間達の立ててくれた経路が実に有効でした。勝手知りたる古巣
の森──ボガード一派がその入り組んだ緑の迷路を熟知していない、村の外から加わった者
達で多くを占められていた点も、二人に十分な時間を稼いでくれました。息を殺しながら船
の中で夜明けを待ち、遂に自分達を縛る軛(くびき)から解放されたのです。
 隣国に亡命した二人は、その更に辺境に移住した後、正式に夫婦となりました。もうこれ
以上ボガード達に追われないよう、二度と同じ危険に晒されないように……。
「ただいま~」
「おかえりなさい。あなた」
「う~?」
 小さな山間の村の、小さな家。イアソンとアリアはそこで慎ましいながらも穏やかな日々
を送り、結婚後一人の女の子を授かります。名前はケリー。髪色は母親、顔立ちは父親似の
好奇心旺盛な愛娘です。
「お~、よしよし。出迎えありがとな」
「あらあら? 私は?」
「も、勿論だよ。……ただいま。アリア」
「ん……。おかえりなさい。イアソン」
 何時ものように仕事から帰って来て、迎えてくれる妻と娘。彼女の胸に抱かれた自分達夫
婦の愛の結晶は、日ごとにすくすくと成長しています。それは父としても嬉しい限りではあ
りますが、一方で不安もあります。
 この娘は──同じような奇蹟(ちから)を持っているのだろうか?
 数年前の駆け落ちから、現在の家庭を築くまで。その間に妻(かのじょ)は癒しの力を失
っていました。少なくとも普段の生活ではもう、使うことはありません。たとえ我が子や村
の人達が困っていても、その力を見せびらかすような真似は控えるようになりました。当然
の自衛と言えば自衛ではありましたが、彼は正直本当に失ったのか? と疑問に思い続けて
はいたのです。
 喪失か、封印か。
 無理からぬこととはいえ、あの古巣での経験から、神への祈りすら彼女は捨ててしまった
のだろうか? と……。
「しかし、ケリーも随分大きくなったなあ。ついこの前までハイハイも出来なかった筈なの
になあ」
「ふふ……それいつの事よお。この子ももうじき一歳よ? その内家中を動き回るわよ」
「そっかあ。もうそんなになるんだなあ……。早いな。あの日から、五年になろうとしてる
のか」
「……」
 愛娘を二人で抱っこし、或いは優しく撫でてやりながら、二人は目を細めます。最初は一
体どうなるやらと不安ばかりだったものの、今はこうして何とか家族三人で暮らせている。
お世辞にも豊かとは言えないが、幸せな日々を満喫している。本当なら神父様や他の仲間達
と、ずっとあの場所で暮らせしていた筈なのに……。
「過ぎたことは、過ぎたことよ。私も色々失ったけど、得たものもいっぱいあるから」
「……そうだな」
 ごめん。思わず衝いて出そうになって、イアソンは密かに呑み込みました。その言葉を口
にしてしまえば、おそらく彼女を──自らの力で周りを狂わせたという過去(こうかい)ば
かりが蘇ってしまうからです。察してくれ、今も心の何処かに残っている記憶だからこそ、
お互い話すべきものではなくなってしまったのでした。
 得たもの。夫と娘と、平穏な暮らし。
 そう言ってくれるのは嬉しい。同時に申し訳ない。ただそれを口にすべきではなくて、だ
から只々感謝するしかない。本当、良い妻を娶れたなあと、彼はしみじみと思います。

 ***

 その後の彼らについては、何も確かな記録は残っていません。当初願ったように平凡でも
平穏な人生を送れたのか、それとも再び不思議な力を巡る争いに巻き込まれてしまったのか
は定かではありません。彼と彼女、その愛娘が辿る道程は、少なくとも一つに繋がるとは限
らないのです。
 “物語”は──此処で終わって(とぎれて)いるのですから。
                                      (了)

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  1. 2019/07/07(日) 00:00:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止します。

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