日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)皆、自分を見ている

月十本オーバーの新記事(更新)ってのは厳しいですねえ。なまじ毎週、何某かの執筆スケ
ジュールを挟んで、物理的にも結構カツカツですし……φ(=_=;)

先日、うちの田舎もようやく梅雨入り発表があったようです。例年より二十日ほど──歴代
最も遅い梅雨入り。そりゃあ中々来ないなあ来ないなあと、無駄に蒸し暑さに悶えさせられ
ていた筈ですわ……orz

加えてサハラ~も、四十四章をUPしました。22エピソード目後編です。先月にシーズン4に
突入してから最初のお話がこれでお終い。まぁ以前からではありますが、各話の区切りは付
けていても、本編全体の流れは同じく繋がっております(筈です)分量は前回より少し多い
程度の21300字弱。ドンパチ系のシーンは結構膨らんでいたものの、何のかんのやり取り系
シーンと視点変更が多用される影響もあり、思っていたほど増加はなかった感じ。……今に
始まった事ではありませんが、もっさり書ける時と書けない時の振れ幅がまことしんどい。

──しっかし、六月もあっという間にお終いですか。今年もあと半分? 嘘やろ……?
元よりカレンダー的に日数が少ない月とはいえ、とんと時の流ればかりがが。執筆環境的に
も、梅雨~夏季ってのは暑さで気力体力が持ってゆかれがちだし、ただでさえ自身の文章が
粗くなっているな? と疑ってくるタームに差し掛かっているのも手伝って、今後も迷走が
続きそうな予感がしています。それでも何糞、俺は書くぞ! と頻度を詰めて書き物なり何
なり(創作メモを走らせる等)を入れ込んで抗おうとはするものの……。

先の更新時になろうさんの活報でもちらっと書きましたが、自分の文章(描写度)それ自体
が、年々雑になってきている気がするんですよねえ。やはり目減りする感覚はあっても、取
り戻すことは(年齢もあって)もう出来ないんだなっていう……。かれこれ累計では二桁年
以上、小説を書き続けてきた計算にはなるものの、結局近年のそれは過去数年のノウハウ=
自分なりの経験知を“復唱・複製するだけ”の繰り返しなんだろうなあと……。半分考えて
いるようでいないのなら、どれだけ歳月や分量を費やしても無駄(或いは非効率)ではない
のか? と。所詮アマチュア──趣味だからという方便に逃げて、随分とまぁ遠回りどころ
かあさってな部分にばかり拘っているのかなあ? と。

少なくとも、新しい物語を生み出すという点において、自分は間違いなく一昔よりもその頻
度が開いているように思うのです。空き続けているように思えてなりません。
当時はまだ療養ニート──時間だけは無駄にあった(なる表現は本来間違いではあるのです
けどね。ただもっと有意義・高効率に使えた歳月を自分から捨てていたに過ぎない)という
面も大きいのでしょうが、何よりそこから脱して、ここ数年お仕事に日々の大半を費やして
ゆく中、ぼやっと「哲学する暇」を反面で捨ててきたのが特に影響しているのだろうと考え
ます。小説ないし創作──人生とは? 人間とは? といった厨二病思惟に身を任せて費や
すこと、それ自体に元来現世での“生産性”は皆無と言って差し支えないため、忙殺の中で
はどうしても忘れ去りがちです。そもそも大多数の人間、社会人達にとり、働くことはほぼ
生きることとイコール。体を動かすでもなく生計に寄与するでもなく、浸り過ぎればあまつ
さえ心だって病みかねぬ“余分”だとの知識がある分、本来生きる=食うことに不必要では
あるのでしょう。『下手に思い悩むよりは、もっと割り切って即物的になれ。諦めろ。忙し
なくしている内に人の一生なんざ終わるんだ』──実際次善であり、基本合理的ではあるの
でしょうけれど。

今回も例の如く、自分の中に溜まったモヤモヤを必死こいて整理しながら、文字に起こして
吐き出すという一連の駄文になっているかと思います。
おそらくは、もっと書く為のエネルギー(?)が溜まって自浄されてきてようやく、良い言
の葉に変じ得るのでしょうが……。


さてはて、前回もそうでしたが雑記といっても一週間も間が空いていないため、強烈にこれ
を書きたい言いたいという話題は少ない──在ってもあまり「語る」べきではないのだろう
とは、かねてより漠然とは思うのですが。
……何というかねえ。結局これも、客観的事実から出発する帰納法ではなく、主観から都合
の良い出来事を集めて来る演繹法になっちゃうのでしょうが、少なくとも僕自身の観測範囲
内で起こる・見聞きする諸々に対し、ふと「共通解」なるものを見出している所で……。

当たり前っちゃあ当たり前ですが、本当人間ってのは“自分のことしか考えていない”のだ
なあと。現実(リアル)とネット空間、ミクロとマクロ──個人的日常と政的で何処か遠く
で繰り広げられているダイナミズム。ぼやっと僕が観ているどのシーン、分野においても、
そこで主張する・主役となりうる誰かの行動原理ってのはまこと自己(じぶん)を措いて他
に無いのだなと。

何かしらの言論を必死こいて捏ね、開帳している人は、およそターゲットとされた他者群の
為というよりは、そこに関わることで跳ね返ってくる反動=金銭・名声的レスポンスを目的
としてこれを駆使している。良く言えば商売道具であり、悪く言えば縋り付いている。事実
本当に何とかしたいという「善意」が含まれているにしても、少なくとも言論(出版)上で
の営み時には、畢竟そのターゲット層な他者群は“分析対象”であって、広く“救済対象”
とまでは言い切れない──ざっくり括るなら、世の新書をしたためるような御仁達。

何かしらの政策を五月蠅いほどに叫び、当選させて欲しいと訴える人は、はたしてどれだけ
の数が本当にその「守る」「援ける」対象に寄り添っているのか。勿論志高く、高潔に抱い
ている先生もいるのでしょうが……僕にはそんな人材は、限りなく絶滅危惧種だと思える。
なまじっか捻くれ者なモンだから、どうせ国民が票に見えているんだろう? ぐらいに基本
捉えて遠目に観ている。どうせどれだけ“約束”したって、ろくすっぽ法律なり何なりにな
って果たされやしないんだから。議論よりも打ち負かすことばかり考えている連中は言わず
もがな、自分にもたらされる利益しか考えていない。選挙に落ちればただの人──ざっくり
括るなら、政治家というよりも政治屋な昨今のセンセイ方。

加えて何かしらの疾病を抱え、されどその原因に自らの性分さえも含んだ“厄介な人達”。
物理的な事故や先天性の異常など、せめてバックボーンさえ知っていれば多少なりともまぁ
仕方ないかとこちらも堪えはするけれど……正直一番厄介で面倒なのは、そこから「自覚」
も「成長」も出来るレベルの筈なのに出来ない、しようとしないような他人達。自らの抱え
る病(生き辛さ)で苦々しい経験を幾つも積んではいるが、なまじっかその過去と目の前に
立ち塞がる今への“被害者感情”ばかりが強くって、その性分諸々で同時“加害”側にもな
っている──他人の感情(特に一時的に余裕がない&引かれている状態)を汲み取れず、裏
に表にトラブルを起こしていることに気付かない。知ってもその非が自身にあることを理解
しない・出来ない──ざっくり括るなら、常に自分は“与えられるべき側”だと思い込んで
いるような人間。障害の有無を問わずとも世に多く潜む、対人関係における地雷マン。

……身近だろうと何処か遠くの出来事だろうと、こんな随分鈍ったアンテナしかなくなって
きた人間でも、観ようとしていれば今でもやんやと出て来るわ出て来るわ。
(勿論、僕という個人も含め)やっぱ人間ってのは利己主義の生き物なんだなあと思わされ
るのです。古来より群れを、社会を形成して暮らす生き物だというのは、別に綺麗な理想論
で仲良しこよしで集まったという訳ではなく、只々「バラバラに居たら危ないし、安心も何
もあったモンじゃねえ」からです。大よそ制度なり何なり“正しい”概念とは、それを声高
に叫ばざるを得ないほど、現実がその真逆を地で往き荒れ放題になりがちだからに他ならな
い訳で……。

あちらを立てればこちらが立たず、ならばと十の為に一を、百の為に一を。やがて国の為に
民をといった方便で、どんどんより迷惑を掛ける利己主義者を事実上放逐する。そうする事
とで確かに、僕達のご先祖様は何とか“全体”を保ってきた。
だけども長い月日の中、残す者と切り捨てる者を選び、分け続けてきた現在、結局過去から
の総数としてその後者らも“多数”に上るようになった。故にまた、切り捨てられつつある
者達が大きく声を上げ始めている。ことSNSなどの普及で、それらはより可視化されてい
るし、だからこそ「正義の声」としても「諍いばかりの雑音」としても半ば否応なく耳目に
届いてくる。本質的には表裏一体であって、殊更後者ばかりに聞いて厭だ厭だと顔を顰めて
いる僕は、やはり“正しく”はないのだろうか……??

僕だってそうです。導入部でもごちていたように、自分の創作・文章力について日々ないし
折につけ、これではいけないんじゃないか? と思い悩む。技術論的なものも然り、何より
「読まれようとする努力」の類から、なるべくなるべく離れようとしてきた。

それって要するに──利己主義の一つなんですよ。小説、創作というものを利他=エンター
テイメント精神の営みとしてではなく、利己=自身の満足や思索ツールとしてばかり使って
いる。見做している。ある程度両者のバランスを取ることも、やりようによっては可能では
あるのでしょうが、少なくとも僕の場合はぐいぐい後者の側に駆けて行きたがるのです。そ
の癖、ふとした時に「自分の文章が読まれない! 反応がない!」と不満を抱く。……阿呆
が。これもあれもと欲しがり過ぎだっての。欲しがるんならせめて、ベクトルの入れ方自体
を相応のものに変えなきゃ“無理”です。馬鹿の一つ覚えに“自分の文章”を押し付けよう
としたって、伝わる訳ないんだから。てめえはそんな天才か? 己惚れるんじゃねえぞ? 
普段お上や言論人、病める人々のトラブルに眉を顰めちゃいるが、悪しき利己的って点では
創作人な時の自分と大して変わらんのだぞ? 諦めるか、修正しろ? まぁこう言っておい
ても結局、己という人間が持つ拘り──日常的な煩悶から創作活動の方へそれを移してきた
が故の、今や“最後の拠り所”と化してしまった面は否定出来ないにしても。

……もっと昔、SNSも未だあまり出て来ていなかったネット黎明期(と言っても、僕自身
は厳密にその辺りがリアタイだった訳ではないのだけど。PCを弄り始めたのは割と学校に
進んでからだったからなあ)には、ネットは人をより良く繋いでくれるという言説が多かっ
た気がする。でも実際、十年二十年と経った現在では、寧ろその悪しき部分ばかりが強化も
とい狂化されるばかりなような……? いやまぁインターネッツだって、その実回線を通し
た現実(リアル)であるには変わらなかったのだろうけど。

元々すんなり「繋がれる」人間達には、より小綺麗でクローズドで快適で。
一方そうではなかった人間達は、より互いに狂化し合っては拗らせて。

正直、ここまで現実(リアル)の延長線上にぴたっと沿うようになるとはなあ。技術の進歩
というのは、コミュ障にとっては色んな意味で恐ろしい……。

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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

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