日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)語るべきではないこと

束の間の安堵と達成感……φ_(:3 」∠)_

(それでも何のかんの言って止められないままである)お久しぶりです。今週に入ってから
というもの、更新回数自体は結構立て続けではありますが、雑記カテゴリとしての書き物は
すっかり間が空いてしまいました。前回からざっと二週間──それでも相対的にはまめな方
に分類されるのでしょうが。

ではさて、例の如く。
先日、ユー録の百五章をUPしました。現行第Ⅷ部も、今回で前編が終了。全体の1/3が消化
された計算です。次回からは同中編──「煉獄編」に突入します。相変わらず長々と書いて
ばかりではありますが、気長にお付き合いくだされば幸いですm(_ _)m
本編全体の総分量としても、遂に280万字を突破しました。
流石に八年・九年も掛けていれば、それぐらいに嵩みはするのかも(否、ペース自体は遅い
のやも)しれませんが……ここまで長丁場になるならば、もっと物語そのものをブツ切りに
して、作品の数の方を重ねていった方が良かったのだろうか? とも思いますね。仮に追っ
てくださるとしても、他人にそれだけの時間を割かせてしまっている=読者に優しくない訳
ですから。尤も今更な感が凄いですし、自分としてもせめて“完結”だけはさせたい所存。

……思いの外、ストックを消費してゆく体感期間が早い。
一応、少しずつ骨組みを建てようとはしているものの、サハラ~の方もなる早で急かしてい
かないとまたすぐ追い付かれてしまいそうだなあ。気付けば今年だって、もう半分を過ぎよ
うとしているのですし……。嘘やろ?

かねてよりぼやいている事ですが、日中のお仕事一単位(シフト)の密度ってものが、また
徐々に上がっている気がするんですよねえ。まぁそれ自体は、基本的に歓迎すべきこと──
それだけ(職人)仕事を任されている証拠ですし、何より自らの心身が、そんな日々に耐え
られるぐらい鍛えられて(或いは慣れて)久しいという事実でもあります。如何せん外向け
でなく内々のベクトルではありますが、嬉しいモンで……。数年前までの療養ニート時代に
は考えられなかった。
即ちそれだけ自分も丸くなった──しばしば此処では“黒歴史だった”と表現してきました
が、安易に「無かったこと」扱いにするのも如何なものなのか? 過去のひん曲がった自分
から逆襲されるぞ、などと嘯いた所で現実的ではないにせよ、今日までの道のりを軽んじる
べきではないな……と、先日ふとした切欠で自戒させられた次第。過ぎ去った日々それ自体
はどうしようもない。半ば諦観がイコール受け入れることであっても、それらに「肯定」や
「否定」を差し込んじゃあ、いずれ何処かで拗れ出すんだろうなあと。……認知バイアス。

色々な事に、なるべくフラットで居たい。
ただそれは現実的に、限りなく不可能に近いのでしょうね。

人間どうしたって、常日頃“生息域”などで何かしらのバイアスを帯びていますし……こと
自分のような創作人にとっては、その偏りこそが(良くも悪くも)思想、物語の切欠を生ん
だりする訳で( ˘ω˘ )


リアルタイムでの情報は観ていましたが──己の中の複数のもやもやが、中々自分なりの形
にまで落ち着いてくれず、時事としてはすっかり言葉に起こすタイミングを逸したような気
がします。

他でもない、先月末に起こった川崎の通り魔事件についてです。加えて報道各社がこの事件
をセンセーショナルに取り上げていた最中、元事務次官の男性が長年引き籠っていた息子を
刺し殺すという、連鎖的な反応まで起きてしまいました。『死にたいのなら、他人に迷惑を
掛けずに一人で死ね』『川崎の事件と同じようにならないに考えた』──これら一連の報道
に思わず暗澹とした気持ちになったのは、何も僕だけに限った話ではないでしょう。

大雑把にですが、これらの事件に対する人々の反応は、大きく二つ(+α)に括ることがで
きると思われます。即ち、
『死にたいのなら一人で死ね』『いや、そういう言い方をするから通り魔が生まれる』
『良かったじゃん。他人様に被害が出る前に始末できたんだし(親としての責任を全う)』
『子供を殺めるのが良い訳ない。ここまで拗れる前に、福祉行政などに相談すべきだった』
そんな感じの──往々にして起こりがちな二項対立。いわゆる自己責任論か、否か。

……報道があった当初から僕が悶々としていたのは、未だ事件の背景が詳しく明らかになっ
てもいない段階から、こうした(前者に与する)弱者切り捨て論・冷笑主義に託けた言葉が
盛んに飛び交っていた点に他なりません。
それだけ日頃から、世のめいめいの人達に余裕が無くなってしまって久しいんだろうなあと
は思えど、かくもあっさり「一線」を越えてしまうとは……。いや、寧ろこうした口に出す
のも憚られるような念自体は、もっと前から人々の間に鬱積し続けてはいたのだろうけど。
恐ろしいというか、酷く苦々しかったというか。最早人々が宿すのは単純な義憤(いかり)
だけに留まらず、もっとこう……凝縮され尽くした、社会(漠然とした他者群)に対する憎
しみなのだと思い知らされたというか……。

確かに、心情として分からない訳じゃない。
だけども一方で僕個人は、こうした(現実の延長としての)ネットを中心とした他人びとの
“声”に賛同し切れないでいます。そこまで激しく、事件とその身勝手さに対して怒れない
でいました。もやもやと、事実そうしている間に、メディア側はこれら事件の“旬”が過ぎ
たとでも言わんばかりに取り上げなくなってゆきました。尤も水面下、中小様々な媒体では
今も語られてはいるのでしょうが、結局僕も「思考」を纏めるタイムリーさを失って……。

ただ、少なくとも大前提として固めておきたいことは幾つかあります。それはこと今回の事
件の場合、往々にして安易な二項対立──極端な論に引っ張られない為の錨(アンカー)に
もなると考えます。
一つ。たとえ犯人がどんな理由を掲げようとも、未来の社会そのものである子供達の生命を
奪うことに「正義」など無いこと。
二つ。犯人が通り魔と化すほどに窮していた背景と、他人を殺めた犯罪行為そのものは徹底
して区別しなければならないこと(先述の正義云々と絡む。混同すべきじゃない。罪は罪)
三つ。現実として……いわゆる「クズ」と評される人間は、一定数社会に存在すること。

(何につけても先ず、僕自身の整理も兼ねて)順繰りに整理してゆきましょうか。

川崎の件は、犯人がその場で自害してしまったことで、その心の内とやらは永久に明らかに
はなりませんが……少なくとも『一人で死ぬ』ぐらいなら他人を巻き込んで社会=自分では
ない“敵”にダメージを与えようとした、と考えるのが妥当です。ですからそんな彼の行為
に対して「一人で」というのは、そもそも動機段階で無理ゲーですし、狙ったのが子供達だ
ったのもほぼ確実に巻き込むことが出来るからです。何より“敵”たる社会にとって最大級
の損害になる。寧ろある程度成人して、その果てに自身の人生に「先」が無いと悟った人間
にしてみれば、これから未来の在る──加えて被害に遭った子供達の通う学校は有名私学だ
った=大よそ裕福な家庭と言って間違いない。幼い命を次々と奪った行為は卑劣で、許され
るものではなくとも、彼個人の理屈からすれば「正しかった」のでしょう(だからこそ背景
と行為は峻別して論じなくてはいけない)とにかく他人が義憤でもって、或いはその背景ば
かりに寄って事件そのものを観ていなければ、根っことして語る向きがズレてゆく。

元事務次官の件も、殺された息子がネトゲ上でも知る人ぞ知る(悪い方面での)有名人──
いわゆる「クズ」だった背景と、AがBを殺害したという行為自体とは分けて理解しなけれ
ばなりません(そもそも尊属殺への重罰規定は1973年に最初の違憲判決、後95年の刑法改正
で名実共に廃止されたため、今回のような背景をもって厳罰ないし情状酌量しなければなら
ないという理由にはならない……筈。尤も親が子を、なので、正確には卑俗殺と呼ぶ)報道
がされた当初から、次官の行いを『よくやった』『芽を摘んだだけ』と賞賛・肯定する声が
ネットを始めとして多くありましたが、その点だけでも個々の主観をぶち込んだ混同に他な
りません。何より……実際に手を掛けた父=元次官の心中はどれだけ辛かったことか。心身
に危険が及んでいたとはいえ、自らの職歴からもおそらく“真面目”だったのでしょうし、
外野が無遠慮に快哉を叫んでいいような事例じゃないでしょうが。
加えて、仮にそういった声(理屈)を社会が「正しい」としてしまったら……いわゆるクズ
と評される人達はおろか、死人に鞭打って悦ぶ自分達さえも、より社会的に格上な誰かから
一旦「要らない」と評価を下されて“処分”されてしまっても──文句は言えないという事
になりますよ? その辺の『明日は我が身』を、あんた達は理解しているのか……?

他人の義憤(いかり)に巻き込まれたくない。頼んでもいないのに、感情を押し付けて来な
いで欲しい。一人で死ねとは言う癖に、一人で咀嚼しようとは考えないのだな? 一過性の
衝動と、往々にして後付けな「正義」でもって引っ掻き回して、結局残るのはグチャグチャ
に壊された当事者の周りなんだろう……?

こう言うといよいよ僕も“老害”の域に入って来たのかなあと思うけれど、やっぱり良くも
悪くも「自由主義」やら「個人主義」やらを、皆が奉り過ぎた結果が今なのか? と自分は
考えてしまいます。在ること自体はいいんですよ? 実際無くては困るし、こういう概念が
生まれ、浸透していったというのは、逆説的に社会(国家権力)がそれらを抑圧してきた歴
史があるからです。
ただ極端な揺り戻しというか……それ一辺倒になってしまっても、同じく不都合、歪みと総
称される現象はどうしても現れてくる。長年言われている少子高齢化が止まらない云々だっ
て、大元を辿れば子を産み増やす、ヒトという生き物が続けてきた大前提を「私の勝手」で
一抜け二抜けとしてきた経緯がある訳じゃないですか(勿論、産みたくても産めなかった・
授かろうと思っても授かれなかった的なケースは別として)加えてそれだけに留まらず、政治
経済も自分達の「当座の都合」ばかりで釘を刺さず、人々から如何に搾り取るか? だけを
考えやってきた結果、意思云々以前に経済的な理由がこれらに大きな拍車を掛けた──寧ろ
最大にして全ての元凶にさえなっている。遠因達に弄られ続け過ぎたせいで、実際最早産め
よ増やせよ的な意見それ自体が、即炎上必至のタブーと化してしまって久しいですし……。

義憤(いか)るにしても、そもそもの矛先が違うんだと思うのですよ。改めるべき、拗れを
解いてゆくべきは制度の方であって、今回のように(手段は100%間違っていても)それら
から零れ落ちるように凶行に及んだ個人ではない筈です。少なくとも、順序としては次点か
それ以降でしょう。『一人で死ね』『クズが始末されて良かった』──そういった言い分は
自由にものを言っているつもりでも、思想としては寧ろ(自身がその粛清される勘定に含ま
れていないという、ご都合主義な)全体主義的です。即ちコミュニティ全体、制度を守る為
ならば、自分以外の誰かを犠牲にしたって構わないという考えがどす黒く根を張っている。
違うでしょう?
“人を援ける為に制度があるのであって、制度の為に人があるのではない”。
まぁ反面、制度が無ければ真っ先に困るのが人だというのも、事実ではありますが。

……僕自身、ここ何年か福祉の業界に居るものだから、なまじ思う所がもやもやとして一旦
クールダウンしたかったのかもしれません。尤もこの本文のように、結局途中から「感情」
を出して「義憤」っている、同じ穴の狢っぽい訳ですけども。一体何が引っ掛かっていたか
って、今回のような言説の盛り上がり──酷く雑に要約すると『クズは孤独に死んで当然』
とでも言うような人々の憎しみが、さも現実として皆の内々にコンセンサスとして潜んでい
るんじゃないか? そう思えて苦しかったからです。……多分僕自身、学生時代に臥せり、
十年近くも療養ニートを経験していなければ、こうした世間の声の一部になっていたやもし
れないのです。そんな可能性、別の自分という世界線を想像すると恐ろしくなる。
口にしてはいけない。思うこと自体は(内心の自由の為にも)そこまで踏み込んで善悪のラ
ベルを貼ってゆく義務を必ずしも負うものではないけれど、少なくともそんな「要る・要ら
ない」の判断をするのは法だ。こと実際に罪を犯した個人に限るものだ。
決めるのは貴方じゃない。僕でもない。資格も、権限だって持ちはしないのだから。

確かに“全員”は助けられないのだろう。なるべく多くを守る為に、こと重症な「問題児」
を、その場からやんわりパージせざるを得ない時だってある。決して珍しくはない。

だけど……実際はその場「だけ」が全てじゃないのです。全てではない筈です。援けを必要
としている人の、今寄って立つ段階(ステージ)や向き不向きに応じてセーフティは複数・
多層に用意されているのが福祉という業界であり、担い手だと僕は考えています。理想とし
ては、当人が自覚し変わってゆこうと踏み出してくれればいいのですが……まぁそれがすん
なり出来れば、そもそも他人びとに放り出されはしなかったんでしょうけどね。
だけども、捨てる神あれば拾う神あり。
繋がりさえすれば、何とか糸口が見えてくるかもしれない。見えないかもしれない。
未だ自覚が足りない? いや、一足飛びに登ってゆくのがそもそも無理ゲー。散々拘ってき
たことを(激しく否定も肯定もせず)諦めて、今自分に可能な経験値を積んでゆく。
確かに今の世の中ってのはクソッタレで、自由と個人主義を履き違えたクレーマーで溢れる
ようになってしまった。それでも社会というコミュニティが無ければ、大抵の人間は死ぬ。
物理的にも、精神的にも。だから維持する為の、大前提達だ。
『知らねえよ! あれもこれも押し付けて来やがって……! 勝手に滅んどけよ! 俺は俺
で好きにやるからな──!』そんな哀し過ぎる数多の叫びが、本当に誰かを殺してしまわな
いように。己を律せる強さと、他人に手を差し伸べられる強さ。その手を握り返せる強さ。

とかく大上段(政的)で、僕自身もきっと、倦厭する類の話ではあります。基本燃やされか
ねない、リスキーな話題はなるべく「黙って」おくのが吉なのでしょうし……。

それでも今この時、この瞬間に覚えた自分の感覚までは──殺したくない。

スポンサーサイト



  1. 2019/06/13(木) 21:00:00|
  2. 【雑記帳】
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<(企画)週刊三題「善意」 | ホーム | (書棚)感想:三上延『ビブリア古書堂の事件手帖』>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://higurasisouann.blog27.fc2.com/tb.php/1121-938ee575
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止します。

訪問者累計

最新記事

最新発言

検索窓

月別履歴

11 | 2019/12 | 01
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

分類/索引

【案内板】 (2)
【小説:短編】 (20)
本の蟲 (1)
硝子野不動産店 (1)
夏の日の幻影 (1)
四番線の彼女 (1)
夢視の宿 (1)
線を曳く町 (1)
炬燵の神様 (1)
三者三盗噺 (1)
色眼鏡 (1)
奴らは攻城戦師 (1)
詰め替える (1)
同じ籠の狢 (1)
二十年後の遺言 (1)
轍の先 (1)
水に流せば (1)
真夜中の御二柱 (1)
いつか見た夢 (1)
神様達の初詣 (1)
白い花束 (1)
丸の代償 (1)
【小説:長編】 (194)
Amethyst League (6)
アンティーク・ノート (3)
ユウキのヒカリ (5)
NIGHT GUNNERS (5)
レディ・ルーン-Bonds of RU'MEL- (6)
ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- (111)
死に損いのデッドレス (5)
Dear SORCERY (4)
サハラ・セレクタブル (49)
【企画処】 (472)
週刊三題 (462)
その他参加物 (10)
【資料庫】 (2)
【落書帳】 (2)
【詩歌帳】 (8)
【雑記帳】 (403)
【読書棚】 (32)
【遊戯倉】 (25)
path. (4)
decide: (3)
ユー録FW(凍結中) (17)

記事録

交友関係

このブログをリンクに追加する

(RSSリンク)

(QRコード)

QR

Tweets by long_month