日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)感じる所と実際の所

反動が襲ってくる前にしたためておかなければ……φ(=_=;)

お久しぶりです。雑記カテとしては今月二回目、結構がっつりと間が空いてしまいました。
ついこの前まで暦が替わったなあと思っていたら、もう折り返し。何度同じことをぼやいた
かも分からなくなって久しいですが、とんと時の流れは早く過ぎ……。自宅や作業場近隣で
満開だった桜も、とうとう先週末くらいから散り始めました。まとまって雨が降り続き、散
るさまさえ落ち着いて目に出来なかった去年に比べれば、まだゆっくりとしたペースだった
のかなあとは思いますが。歳のせいなのか、春風の中の桜吹雪ってのは良いモンですね。

さて例の如く、近況報告をば。先日ユー録の百三章をUPしました。現行第Ⅷ部、四回目の更
新となりますか。今回も長丁場というか、無駄に長いというか、分量としては28000字強──
執筆モード初日の朝には出だしから鈍かったのに、結局かなり多めと相成った形。エンジン
が掛かるのに手間暇が要っているというのは、今に始まった事ではありませんが、どうやら
自分は朝型よりも夕~夜型っぽいですね。単純に家人などの雑音なく、部屋に籠れる時間帯
という理由も大きそうではありますが。

サハラ~のプロット作成は、現在五十三章──27エピソード前編まで終了。上記執筆モード
で一旦横に置いてある続きは、これから改めて。なろうさんの方でも粗筋欄に追記してあり
ます通り、残り三章分の予定です。今月いっぱいで何とか次編(シーズン4)の〆まで組み
終えられればいいんですが……。というかいい加減終わらせないと、他に手が回らない(´・ω・`)
他の現行連載(ユー録と三題)の他にも、色々書けるものなら書きたいですしね。小説だけ
に限らず、tktkやら何やらだって。今更ではありますが、とかくテキストだらけという
のもねえ? 妙に体力と意欲が付いて来てくれているこの時期を、逃がすのは惜しい……。

──リアルのお仕事も、当初に比べて大分軌道に乗ってきました。

ポジティブ教かと哂う人達もいるのだろうけど、少なくとも人(環境)に恵まれた部分が大
きいなあと思います。元より旧い方というか、職人気質的な所がある分、どだい「普通」の
サラリーマン的な働き方は無理があったのだろうと今は思うようにしています(折角のノウ
ハウを無駄にしたくないという打算も、否定はできなませんが)
ちょっとずつ、何だかんだで気付けば変わっているものなんだなあ……。しばしば亀足でも
そうあってくれた自分と、今も振れ幅に苦しんでいる同僚達や忙しなくしている大人達を眺
めていると、フウッと“調子に乗って申し訳ない”と感じてしまう──他人の機嫌に引っ張
られてしまう癖は未だに抜けないのだけれど。

実際にそうなのか、それとも個人的な考え過ぎなのかに拘るのはあまり「重要」なことでは
なくて。結局は今自分が何をコツコツ積み上げているか? に尽きる。勿論人によって性分
はあるにせよ、それでも自分という個人はそれをやってゆくしかない筈で。保守的──まる
で毎日の儀式のように、一日の中に取り入れた行動ルーティンを繰り返し繰り返し遂行して
ゆく。そこにフォーマルとプライベートといった垣根はあまり高くないように思いますね。
自身が「好き」を「求道」に傾け過ぎるきらいがあるにせよ、力の入れ具合に極端なON/
OFFを設ける意義をあまり感じていないからなのか。自分で自分を観ていて、おい、また
酷くガス欠になっても知らねーぞ? と冷や冷やもして……。

地道に、黙々。
この身よ──驕るなかれ。高ぶるなかれ。


あまり主語を大きくして語ることは好くないのですが……改めて。
“実際に正しいのかどうかという拘りは、大半の人間にとってあまり重要ではない”

確かに証拠として様々な事実を積み上げ、突き合わせてゆく中で、いわゆる「真実」とやら
はその全容を固めることが出来るのかもしれません。どちらが正しかったのかを突き止める
ことが出来るのかもしれません。
ただ、大抵の他人──その事象に対して今まで知らなかったり、或いは傍観者的な立ち位置
で覗いてみた人にしてみれば、双方の解釈や主張(及びしばしば私怨を含むバックボーン)
というものは、基本的にすごく“面倒臭い”ものです。一々その事象における経緯なり前提
知識を掘り下げて知って掛かろうとする他人とは寧ろ珍しい物好きであり、ただパッとその
何かが正しい!否、正しくない!と「炎上している」さまを見ると「関わらないでおこう」
と個別早々に内々で結論付けてしまうのは人の常だと考えます。

……とはいえ、僕自身はそんな昨今の向きを特段否定したい訳ではないのですよね。個人的
な諍いを厭う考え方(の偏り)もあるにせよ、それは無理からぬことだよなあと、寧ろ同情
する部分が今は少なくない。なまじ一昔はそんな“面倒臭い”人間──○○は正しいのか?
美しいのか?(そうではないなら改めるべきだ)といった自問(とい)に拘るような人間で
あった分、また今揺り戻しのようにシニカルに構えようとしているのかもしれません。

……何だろう。心が老いたというか、良くも悪くも「諦め」を知ったというか。
以前はその“面倒臭い”問い達を哂って過ぎ去ってゆく人々に対し──彼らとどうにも思い
が噛み合わない自分というの人間の不器用さを呪って、結構その都度義憤(いか)っていた
ものなのですが……気付けばその辺を“こちらに合わせよう”と試みるあれこれに疲れてし
まったとでも言うべきなのか。
尤も、当然っちゃあ当然の話なのですけどね。他人を変えることはできない、のです。
仮に相手が変わったように見えたとしても、それは大抵の場合、彼・彼女を見ている自分の
認識や精神状態に変化があったから。或いは自分ですらない第三者を見て(触れて)その相
手自身が影響を受けて変わろうと思ったから。費用対効果という捉え方をしても、己の寄っ
て立つ価値観や行動様式を、それと全く違う他人一人にさせようとするエネルギーよりも、
さっさと自分がその“厄介”な相手に対応するべく(粛々と)態勢を再構築してしまった方
が早い訳で。黒を白にひっくり返すよりも、他の白い駒を持ってきた方が楽な訳で……。

だから今の僕が正しくて、昔の僕が間違っている──(黒歴史的な意味合いで)馬鹿だった
とは確かに一方では言えるのかもしれない。少なくとも向けるべきエネルギーの総量がその
ままではどん詰まりだった訳だから。
でも……それはあくまで一面的な話だとも思うのです。即ちAかBか、過去か現在かで事の
正邪を括ろうとする行為それ自体は、どうしたって極論になるし“正しく”はない。最初に
敢えて主語を大きくしてフレーズに起こしたように、事実の積み重ねもそれを採用してゆく
解釈も、結局は「今」を補完する為の手段に過ぎないことが多いから。いや……もっと厳密
に言うと「今まで」を、ですか。
何が“正しい”と考えるのか、思うのか? その手の問いに属するもの達は、詰まる所それ
らを引き合いに出す人間一人一人の「こう認識したい」に行き着くのだろうと僕は考えてい
ます。いわゆる“論理的思考”でもって行われる(と標榜される)“議論”でさえ、そんな
めいめいのバックボーン──何かしらの私怨が混ざりかねない現実がある以上は。いわんや
個々の経験測でもって語られる「論」ならば。

……あまり僕は、自分の過去を一切合切、顔を真っ赤にして否定したくはないなあと思って
います。現状のぼんやりとした意向、程度の大雑把なものですが。
過去、自分の考えが偏っていた。過ちだった。そのせいで随分と人生を浪費した──そうや
ってどんどん「現在」の自分から「過去」を能動的に追い出そうとすれば、それこそ黒を白
にひっくり返しまくるが如く、再び極端に流れかねない。Aが駄目だったからBへ、反Aへ
というのは、その実“考えている”ようで何も“考えていない”のだと。要はそっくり肯定
するか否定するかすればいい訳だから──元はとある弁士さんの理屈ですが、個人的に嗚呼
なるほどな、と。
(まだ少し当稿現在、思考がぐるぐるしたままです。ご容赦ください)つまりは相手や相手
の主張する所を“否定する為の言葉”を紡ぐのではなく、彼らと“相対する”自分の言葉を
紡ぐべきなのだと。時に大事になってくるのは客観的事実や論理的な整合性以上に、相手が
その事象に対して──突き詰めれば自己及び、他者というもの全般に対して──どのように
感じているのか? そのバックボーンを「拒まない」ことだと思うのです。
但しここで注意しておきたいのは、それが「知ろうとすること」とイコールではない、とい
う点です。相手にも事情がある。だから妥協しよう──優しさは美徳ですが、そこに自覚・
無自覚を問わずに付け入ってくるような人間(あいて)も、現実として存在するということ
は留意しておくべきでしょうね。こと善意であればあるほどに、僕らは己が心を彼らへの全
否定へと反転させかねないのですから(何事も、これ以上は無理だという線引きはちゃんと
やっておくべきです。……潰されますよ?)

『迷惑を掛けてくる奴の事情なんざ、知ったことか』
『俺は傷付いた』『私は苦しんできた』『僕を大切にしろ(認めろ)』──。

どちらが正しくて、どちらが正しくないかじゃない。
こっちが善であるならば、あっちは悪である、ではない。
(正義Aの反対は正義Bとは、手垢の付いた表現だけどもよく云ったもので)

なまじ自分も過去から現在へと、沸々と抱いてきた思いの変遷がある。これしかないんだと
拘り続けてきたもの(価値観ないし目標?)があって、しばしばそれが叶わない・足りない
という現実に耐えられなかった。それも何年も掛かって療養生活から抜け出し、今のように
仮にながらもお仕事が出来るようになって、段々と──気が付いた頃には丸くなっていた。
確かに過去の自分(価値観の偏りだったり視界の狭さだったり、厨二病的なサムシング)が
必ずしも最良最善であったとは言えないけれど、だからと言って必死にそれを否定しなけれ
ば、自分が自分でいられないということも……めっきり少なくなりました。
これが僕なりの治癒という奴なのかな? 今この状態、丸さに収まってゆく為に、随分他の
人や物に当たってきたように思うけれど。削れてゆくまでに代わりに傷だからの役目を背負
い込ませた他人が少なからずいる筈なのだけれど。

だから……僕は正直心苦しい。各々にバックボーンは違っているものの、現在も「過去」の
自分に引き摺られて軋んでいる、そんな中で苦しみ(間違った)発露をしてしまう誰かの、
いわゆる「不適応」の根っこになる「度し難さ」が。一方で僕自身、なまじ福祉の業界に片
足を突っ込んでいる──僕個人の病それ自体が、相対的に他の人達のそれほど重くはなかっ
た分、そういった発揮されてしまう彼らの言動で苛立つ人間の心情も解るつもりだ。という
よりも、十中八九「面倒臭い」とかひいては「関わらないでおこう」と積極的に遠退こうと
する人達の方が、現実この社会全体から見れば圧倒的に多数な訳で……。そうやって密かに
じわじわと引き裂かれてゆく(引き裂いてゆく)両者、この世界の静かな軋みってものに、
僕はしばしば暗澹とした気持ちになります。バッサリと切り分け、自分だけ前に進んでゆく
ことの踏ん切りが未だ付かない……。

安い同情、でしょうか? 所詮は自分が現在大方治癒したモンだから、他の人達の苦しみな
り何なりを解った気になっている。或いは一周廻って彼・彼女らに残存する「度し難さ」を
疎み、その実同族嫌悪よろしく説教したい欲にでも駆られているのか。所詮は上から目線、
個人的な優越感から起こっている感情と思考の捏ね回しなのでしょうか?

臥せっていた頃の自分ならば、こんな諸々の──ミクロでもマクロでも分断が進み(可視化
され)軋んでゆく危うい世界を、いつかどうしようもなく壊れてしまうんじゃないか? と
予感する状況を、寧ろ嗤っていたのかもしれません。美しくない、やはり奴らは醜いんだと
嘯きながら、ならばいっそ一度壊れてしまえばいいじゃないかと考えていそうな……。

でも、そこを踏み止まって(たとえ目の前のミクロの数人であっても)何とかしようと試行
錯誤してゆくというのが今のお仕事なのでしょう。不適応という事実をただ真正面から突き
付けるよりも、先ずはそれとなく促してみる。そういう環境を作る──実際、突き付けた所
で当人の中の“時間”なり“自覚”が追い付かないと、ほぼ絶対に前進はしない──。必要
があれば、一緒に考える。少なくとも独りや身内ばかりで抱え込むよりは、ずっと変化して
いる。同時にそういったウチとソトを越えた先で相手に刺さり、痛み分けという格好になっ
てしまうケースもあるけれど。
迷惑を掛けてくる奴の事情なんざ(略)と、彼・彼女らを見捨ててゆく人ばかりに世の中が
なってしまえば、本当に今以上に、ある種の「度し難さ」を持ってしまった・残してしまっ
た人達の居場所は、一体この先どうなってしまうのだろう?
だからこその福祉という概念と業界なのでしょうが、ややもすればその担い手達に他大勢の
他人びとが“丸投げ”してゆく懸念も、未だもって続いているような気がします(既に老人
介護などがそんな状態ですし、色んな意味で「外注」されてゆく流れ自体は止められないの
でしょうね……)

他人を援けること、その難しさや自らの中の“偽善”との戦いには、これからも四苦八苦さ
せられる未来が視えてなりません。

僕という個人(元療養人=レールから一度は外れた人間)を含め、切り捨てて前に進もうと
する──めいめいの日常・生計で精一杯な人々から如何に引き離されないか? 自身の過去
から背負ってきた痛み(拘り)を、ひいては今に至って発現している「度し難さ」を、どう
納得・克服して貰うか?
……油断していたら、こっちが引き裂かれそうです。難しい。だけどもそこでまた、極論に
振れちゃあいかんのですよね。制度的なアシスト云々はまさしく行政──論理整合性や統計
といった手段でもって作られますが、個々が抱く思いを解くのは、同じく個々の担い手に懸
かってくる筈です。懸かってしまうのが哀しいかな現実です。

淡々と、願わくば熱くてクールに。中道、フラットに努めて。

何も「正しく」あるべきだとは、必ずしも限らないと思うのですよ。
ことそんな論理的、正論としての理想──今世に漂う「正統」に馴染めず、追い詰められて
しまった人々においては。

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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止します。

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