日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅶ〔99〕

 刹那、巨大な翼で自らを包んだセイオンは、竜族(ドラグネス)本来の姿を解放した。
 冷え冷えと蒼い全身の鱗──氷竜である。その姿になってちらっとこちらを見下ろしてき
た彼の背中に、ジーク達北回りチームの面々は乗り込んだ。直後、ぐんと上昇し、空高くへ
と舞い上がる。周囲ではセイオンの部下達が竜人態となって飛び、ずっと遠く高くに見えて
いた竜王峰の上層が、次第に大きく近付いてくる。
「──切欠は、君達が大爺様と出会ったことだ」
 そうして何度、ゆっくりと大きな翼をはばたかせた頃だったろう。重ねて謝罪をしてきた
後だったろう。
 竜の姿のセイオンは、その整った横顔に憂いを宿したまま、されど視線は真っ直ぐに山の
頂を見つめ続けて言った。
「尤も君達からすれば、そもそも先に接触してきたのはこちらなのだがな……。最初、大爺
様がそこの彼女──レナ君について調べて来て欲しい、会いたいと頼んできた時、私は何と
なく嫌な予感がしていた。大爺様も、タイミングは違っただろうが、おそらく仔細を聞く内
に懸念を抱くようになったのだと思う」
 曰く、ヨーハンも“結社”との対決に有効だとは解っていても、本音としてはジーク達に
聖浄器を渡したくはなかった──絶晶剣(ボルフ)と絶晶楯(マレフ)を再び使わせたくは
なかったのだという。
「大爺様は、英雄になりたかった訳じゃない」
 曰く、若さ故の過ち。良かれと思って突き進んだ道が、偶々良い結果に転がっただけ。
 気付けば十二聖として祀り上げられ、他人びとに囲まれて身動きが取れなくなっていた。
それでも全くこちらに落ち度がなかったと言えば、嘘になるが……。
 だが、そうして増えていった一族と、子孫らの成長を見ることができたのは確かに幸せで
はあったものの、一方でそれまでに犠牲にしてきたものを忘れられた訳ではない。かの大戦
で失われた命と戦友・ユヴァンの死。それらを想う度に、自身の歩んできたこの道は本当に
正しかったのだろうか? と……。
 ジーク達をリュノーの大書庫へ誘った理由は、そこだ。
 生前かの親友(とも)は、早々に隠居こそせど、何やら熱心に資料を集めていた。あの頃
から既に“結社”の不穏な動きに気付いていた可能性が高い。ジーク達に聖浄器の真実を知
って考え直して欲しかったのと同時に、彼の残した資料からもっと詳しいことが判るかもし
れないと考えたのだ。
 だが……そんなヨーハンの心積もりも、アルスがその隠しメッセージを解読したことで大
きく崩れることになる。他でもない“結社”の黒幕が、かつての戦友(とも)だと知ってし
まったからだ。
 セイオン曰く、解読結果を読み終えた後、ヨーハンは今まで見たことがないほどに酷く泣
いていたという。その上で、彼は自分達に足止め工作を頼んできたのだと。
「大爺様は……死ぬつもりだ」
『──っ!?』
 だからこそ、次の瞬間セイオンがぽつりと絞り出すように紡いだ言葉に、ジーク達は思わ
ず言葉を失った。
 戦友(とも)を止めること。それが己に残された責任だと、ヨーハンは考えたらしい。
 たとえ命を賭してでも、彼と戦うつもりなのだと。事実“結社”の側も、既に残る聖浄器
である絶晶剣(ボルフ)と絶晶楯(マレフ)を狙っている。
「そこまで知ってて……!」
「ああ。止められなかった。私達では、大爺様を……」
 竜の姿のまま眼を、そっと気持ち細める。
 ジークの掠れそうになる荒げた声に、セイオンは抵抗することもなく認めた。イセルナや
レナ、クレアといった面々が「セイオンさん……」と哀しげな表情を浮かべている。
 なまじ近しい親族だから。現当主として本人の苦悩を知っていたから。
 しかし一時は自らに言い聞かせていたその釈明も、ジーク達と剣を交えた──交えて改め
て、結局は諸々の責任を彼一人に押し付けていただけなのだと痛感した。寒空の音。数拍の
間セイオンは、部下達は黙っていたが、程なくして再び前を見据えて言う。
「……だが大爺様は、もう独りじゃない──させちゃいけない」
「ああ。そうだな……。急ごう、爺さんを助けるんだ」
 静かに目を瞬いてこの跨る巨体を見下ろし、ジークが呟く。仲間達もコクリと、一様に神
妙な面持ちで首肯する。
 風雪の増してゆく空を昇り続け、やがて上層の宝物殿が見えてきた。
 やはり此処までくると地面はかなり白く降り積もっている。山頂に届く岩肌の一角を掘り
込むように造られたそれは、確かに来る者を拒む自然の砦のようだ。
「!? あれは──」
 ちょうど、その時だった。
 ジーク達は眼下に、開いた宝物殿の入り口に立っているヨーハンとその従者らしき数名の
人影を見た。そんな彼らと相対するように、目深にフードを被った人物と胴着羽織の男──
ティラウドと、数名の見覚えある使徒達の姿を見たのだった。


 Tale-99.白き峰の頂にて(後編)

 竜王峰上層に造られた宝物殿。かつて自身が使った聖浄器、絶晶剣カレドボルフと絶晶楯
カレドマルフの封印を解いたヨーハンは、これらを持ち出したその入り口前で、遂に彼らと
相対していた。
『──』
 芥子色と緑を合わせたフードを目深に被った魔導師風の男と、こんな寒い中で胴着羽織と
いう恰好をした背の高い竜族(どうほう)。加えてこの二人に率いられている者達からは、
内包された禍々しい気配──瘴気が視て取れる。
 魔人(メア)か。従者達がザッと自らを守ろうと前に出て警戒する中、ヨーハンは静かに
眉間に皺を寄せて思った。哀しい表情(かお)だった。
 やはりお前は“結社”に下ったのか。
 いや、下ったというよりも、組織そのものを──。
「久しぶりだね。ヨーハン」
 先に声を掛けてきたのは、フードの男の方だった。
 あくまで静かに、何処か穏やかさまで感じられるような声色。
 だが当のヨーハンは、そんなかつての戦友(とも)の呼びかけに気安く応じてやることは
できなかった。寧ろ眉間に寄せた皺は深くなり、込み上げる様々な感情の中から一体どれを
先ずぶつければいいのかという問いにばかり意識が向いてしまう。
「ユヴァン……」
 “精霊王”ユヴァン・オースティン。ヨーハンと同じ志士十二聖と呼ばれた人物の一人で
あり、解放戦争を共に戦った仲間だ。
 実に千年ぶりの再会。しかし今や自分達は敵対関係だ。それは向こうも解っているのか、
最初の柔和な雰囲気は程なくしてなりを潜めることになる。ズッと雪の積もった地面を踏み
締め、ヨーハンは数歩前に進み出て言う。
「そろそろ動く頃だと思っていたよ。絶晶剣(ボルフ)と絶晶楯(マレフ)の封印を解いて
くれたんだね」
「……そんな訳なかろう。お前に渡す為ではない。お前達に渡さぬ為だ」
 突き放す。そんな早々の敵意表明に、使徒達の一部──ヴァハロやクライヴ、サロメとい
った面子が動き出そうとした。それを他ならぬユヴァンが軽く手で制する。真っ直ぐにこの
戦友(とも)を見て、まだ話は終わっていないというかのように。
「無駄な問答は止そう。お互い、大よその事情は知っている筈じゃ。……なぁユヴァン、お
前が“結社”に接触したのは──手中に収めた理由は、やはりマーテルなのか?」
 だからこそ、ヨーハンがそう自らの疑問の本質に切り込んだ瞬間、彼のフードの下の表情
が静かに強張るさまが見えた。気持ち俯いたまま数拍黙り、そっと片手でこのフードを掴も
うとする。
「お前も把握していたんじゃろう? 生前、リュノーはお前達のことを探っていた。オディ
ウスとの戦いの後、お前が生きていたことも、お前達が一体何の為にこれほどの暗躍を続け
ていたのかも」
 ヨーハンは自分が知り得た情報の全てを話した。いや、打ち明けたと言うべきか。
 確かめたかったのかもしれない。まだ何処かで戦いを回避できるという、希望的観測が残
っていたのかもしれない。
 解放戦争後の、長引いた混乱と現在。あの戦いの大義。
 太古の“大盟約(コード)”と、その歪みが引き起こしうる“閉界(エンドロォル)”。
 何よりかつて彼が契約を結んでいた精霊族の女性、マーテルの所在。
「……」
 だが結局、ユヴァンは多くを答えることはなかった。
 手にかけたフードをそっと取り、その素顔を露にする。首元まで伸び散らかった若干ぼさ
ぼさの髪が、その静かに湛え“死守”せんとする感情の頑なさを際立たせている。
「……彼女とは、あの戦いを終わらせる為に契約したまでだ」
「そうだな。しかしお前達が懇意にしていたことは、儂も皆も覚えている」
 それに……。そこまで言って、ヨーハンは改めて目を細めた。
 最初の警戒とは違い、こちらは純粋な疑問符だ。されど一目その全容を視た瞬間、彼の中
ではもう大よその答えは出ている。
「その身体は何だ? 何故、被造人(オートマタ)の入れ物に入っている? それが今日ま
で、お前が生き長らえてきたカラクリなのか? いや──」
 ぶつぶつ。語り掛けながら、しかし同時に自らの理解も急ごしらえで整理する。
 そんなかつての戦友(とも)を、ユヴァンは見ていた。寒空と風雪。痺れを切らしそうな
部下達を一度横目に捉えつつ、今度はこちらから問い返す。
「彼が、リュノーが色々と嗅ぎ回っていたのは知っていたよ。ただ本人が公表するつもりが
ないらしいと判ったから、放置していたまでだ」
 何……? すらすらとユヴァンはそう言ったが、当のヨーハンはスッと怪訝に目を細めて
いた。それは即ち、ある種の小さな違和感だった。
 かつての戦友(とも)を、手に掛けずに済むなら?
 しかしそれでは“結社”のこれまでの行動と矛盾する。自分達の、その目的の障害となる
ならば、彼らはもっと早々にリュノーやその大書庫を始末していた筈……。
「彼のメッセージを読んだんだろう? だったら君も、僕達の正しさを理解できる筈だ」
 だがそんな脳裏を掠めた疑問も、次の瞬間ユヴァンの一言に拭い飛ばされた。
 ヨーハンはギリッと歯を食い縛り、大きく頭を振る。最初の不安よりも義憤(いかり)が
勝ろうとしていた。相手が同じあの時代を生き、共に戦った仲間であるからこそ……。
「違う! それはあの時犠牲になった彼らを、侮辱する行為だ! 閉界(エンドロォル)を
防ぐ為に、あの戦いすらも否定するつもりか!?」
 はたしてそれは、彼自身の過去への拘りでもあったのだろう。自分だけがかくも長生きし
てしまったという、後ろめたさも多分に含んでいたのかもしれない。
「どうしてだ、ユヴァン? 何故儂らに相談してくれなかった!? 儂らが勝手に、お前を
戦死扱いしたからなのか……?」
 それにしたって、あまりにやり方が極端じゃないか。
 ヨーハンは必死に訴えた。何とかこの戦友(とも)の暴走を止めようとした。
 まだ災いを、回避する手立てはきっとある……。
「……。何故ヒト“だけ”を、救わなければいけないんだ?」
 だから次の瞬間、ユヴァンから返ってきたその言葉に、ヨーハンは思わず絶句する。瞳を
大きく見開いて揺るがせ、信じられないといった様子でこのかつての戦友(とも)を見る。
 理解せざるを得なかった。互いの隔絶を、千年の時の流れというものを痛感せざるを得な
かった。あくまで真顔で、努めて自らの内に閉じ込めたその激情を想い、ヨーハンは強く強
く唇を結んで後悔する。
「そうか……。やはりお前は……」
 結局、最も合って欲しくなかった答えが現実のものとなってしまった。
 改めて納得すると共に、悔いる。心の中で懺悔する。
 ユヴァン。やはりお前は、彼女の為に世界を──。
「いた、爺さんだ!」
「それに、あのフードの男にティラウド。まさか……」
 ちょうど、そんな時だった。風雪舞う遥か上空から、聞き覚えのある声が矢継ぎ早に届い
てきたのだった。
 ジーク達である。竜の姿になったセイオンの背に乗り、周りを竜人態になって飛ぶその部
下達が固めている。
「セイオン!? 何故だ? 何故……」
『……」
 驚き思わず空を見上げたヨーハンとは対照的に、ユヴァンら“結社”の面々は随分と落ち
着いているようにみえた。予め邪魔が入るであろうことは織り込み済みであるかのように、
彼はフゥッと静かにオーラを練りながらティラウドに声を掛ける。
「ティラウド殿。彼らをお願いします。ヨーハンは僕が──僕が倒さねばならない相手だ」
「ああ、解っている。元より、その為に布陣だろう?」
 急いで白い地面に着地し、変身を解くセイオンから降り立つジーク達。
 そんな一行を、ティラウド及び残る五人の使徒達が迎え撃とうとしていた。寡黙な白髪の
剣士ジーヴァと、竜族(ドラグネス)出身の豪傑ヴァハロ、同じくクライヴとサロメ、フェ
ルトの、先の“守人”の里でやり合った三人組。
「っ、お前ら、あん時の……!」
「はははは! 久しぶりだな、少年!」
「……レノヴィンは私がやる。お前は“蒼鳥”達を止めろ」
「よくもアゼルハイデンを……!」
「はっ、それはこっちの台詞だ。今度こそぶっ潰してやる!」
「気を付けろ! 奴らは間違いなく“結社”の上級幹部……。まともにぶつかるな、今は何
よりも大爺様の保護を最優先にしろ!」
 彼らとジーク達、そしてセイオンらディノグラード竜騎士団が、それぞれに雪上遠くに離
れたヨーハンの下に駆け出し、或いはこれを阻もうとする。
「……そちらから一対一か。それは儂としても都合が良い」
 するとヨーハンは、険しい表情を浮かべつつガシリと自身の着物を掴んだ。ユヴァンがじ
っとこれを見つめる中、一気に脱ぎ捨てたその下には、老体に似合わぬ部分鎧が既に纏わさ
れている。
「──」
 そして次に懐から取り出したのは、一つの魔導具。
 砂時計を思わせる、一対の硝子球が直に溶接されたようなデザインだ。
「っ!? あれは……!」
 しかしヨーハンが握るそれを見た瞬間、リカルドが血相を変えたように青褪めた。何事か
とジーク達が横目を遣ってくるのもそこそこに、彼はその感情を驚愕から動揺、怒りに切り
替えて叫んでいる。
「? あれが何か、知ってるんですか?」
「知ってるも何も……。禁制の魔導具だよ。“刻の操球(クロノ・グラス)”──自身の時
間を操ることができる魔導具だ」
 レナのきょとんとした問いかけに、焦るリカルド。その名を聞いて、ハロルドやイセルナ
といった博識な仲間の何人かが、思い出したように同じく緊迫した面持ちになってゆく。
「禁制? 何で……」
「よく考えればすぐ解るだろ。あの魔導具は自分の時間を操る──つまり未来の自分だった
り、若い頃の自分だったり、要するに“全盛期”の姿を無理やり持ってくる為の術式が組み
込まれてるんだ。ただでさえ空門は扱いが難しいってのに、そんな無茶をやるんだ……無事
で済む訳がねえ。やってることは“寿命の前借り”だからな。それを爺さんが、もうとっく
に竜族(ドラグネス)の平均寿命を超えてる奴が使ったらどうなるか……。使ったら最後、
それこそ命を使い切っちまう」
 苛立ちの理由(わけ)。市場への流通を禁止された、違法魔導具に指定されている理由。
 元史の騎士団──希少価値の高い遺構・物品に詳しいリカルドだからこそ、すぐさま理解
できたのだった。ジーク達もそんな早口の説明に絶句し、とりわけセイオン達は殆ど悲鳴に
近い形相になる。
 目の前にはティラウドやジーヴァ以下、使徒達。
 走れば間に合うかもしれない距離を、他でもない怨敵達が、こんな時に限って阻もうと立
ち塞がっている。襲い掛かってくる。
「大爺様。まさか、本当に自らの命を……?」
「くそっ……! どけえ、どけぇッ!!」
 ジーク達北回りチームと、セイオン以下ディノグラード竜騎士団がティラウド達とぶつか
った。二刀を抜き放ったジークはジーヴァと、イセルナ達はヴァハロと、セイオンはぐんと
オーラを練り込んだティラウド、残る部下達はクライヴらとそれぞれ交戦を開始する。
「……そこまでに、か」
「ああ。お前を止める。それが……儂が、最期に果たすべき責任だ」
 掌の中の刻の操球(クロノ・グラス)に、ぎゅっと力を込める。爺さんっ!! ジークや
セイオン達の叫びが、風雪の中に掻き消されていった。ヨーハンもそれが聞こえなかった訳
ではない。だが、わざわざ禁制の魔導具に手を出してまでこの場に臨んだ彼に、最早撤退の
二文字は無かった。決意を緩める訳にはいかなかった。
「止めてくれぇぇぇッ!!」
 ジークが叫んでいた。何とか包囲網を抜けようともがいていた。
 だがそれも、ジーヴァの鋭い剣撃の前に阻まれる。イセルナらやセイオン、場に居合わせ
た仲間達の必死の呼び止めも空しく、はたしてヨーハンはぐしゃりとその禁断の砂時計を握
り潰す。
 次の瞬間、堰を切ったように中身が溢れ出した。濃く白い大量の靄だ。風圧と彼自身が込
めたオーラの強さも相まって、勢い良く広がるそれを、ユヴァンは避けるようにふわりと宙
に浮かび上がった。風にローブが煽られつつ、じっと煙幕のようになったこれを見下ろす。
『──』
 そしてこの白い靄が、一気に静かに晴れた時、そこに彼は在ったのだ。
 左右の従者達から絶晶剣(ボルフ)と絶晶楯(マレフ)を受け取ると装備し、精悍な眼差
しで敵となったこの戦友(かれ)を見上げる、若かりし頃の“勇者”ヨーハンの姿が。


 轟雷鎚(ミョーニル)の雷撃が、秘葬典(ムスペル)の黒狼状のオーラが、乱戦続く地上
に向かって放たれた。
 尤も振るったグノーシュもステラも、本気で彼らを攻撃しようとしていた訳ではない。戦
いを止めようとして要らぬ犠牲を出してしまえば、それこそ本末転倒だ。何より遥か上空か
らという距離を置きつつ、大きく力を溜めて振りかぶろうとすれば、彼らの中にも少なから
ずこちらの存在に気付く者はいるだろう。
 事実、自分達に向かって攻撃が降ってくると気付いた旧ワーテル島の面々は、大慌てでそ
の場から退避した。直後雷と闇、金と黒が渦を巻いた一撃が落下地点を激しく吹き飛ばし、
大量の土埃を巻き散らす。
「けほっ、けほっ……!」
「な、何だあ?」
「敵の新手か!?」
「それはこっちの台詞ですよ。何なんですか、一体」
「……」
 思わぬ形で戦いを中断させられて、あちこちから不満や不安──或いは大きく声にこそ出
さないが、安堵の吐息が漏れる。どうやらヒュウガ・ウル率いる討伐軍側と、オディウス率
いる“結社”側に上手く分断できたようだ。
『──』
 その隙にダンやグノーシュ、ステラにリュカの四人は、風紡の靴(ウィンドウォーカー)
の効果を解くとそっと地面に足をつけた。ゆっくりと四散してゆく土埃の向こうに目を凝ら
していた両陣営の面々、及び映像越しにこの一部始終を見ていた王や議員達が、ややあって
一行の姿を認めて驚きに目を見開いている。
「……」
 ギロリ。ダンは自分達を取り囲む格好となった彼らをざっと睥睨すると、その混戦の輪の
外に倒れている人影を見た。ヘイトとアヴリルだった。状況は通信越しでざっくりとしか聞
き及んではいないが、共に全身ボロボロになり、じわじわと浄化の力に侵されて既に粒子化
の消滅が始まっている。これを、仲間の首を守ろうと、バトナスとフェイアン、エクリレー
ヌが、正義の剣(カリバー)の兵達と尚も取っ組み合っていた。
 ただ妙に思ったのは……前者が苦悶に満ちた表情のまま絶命していたのに対し、後者は何
故か穏やかで、何処か充ち足りたようなそれをしていたこと。
 答えを求めるように、今度はオディウスに視線を遣ったが、勿論彼が答える訳もなく。
 身構え、しかし誰一人自ら三度火蓋を切るほどのを勇気を持てず、その間にダン達はずい
っと一歩二歩前に進み出て言った。
「もう止めろ! これ以上戦っても被害が増えるだけだ! ヘイト討伐(もくてき)ならも
う果たしただろうが!」
 あの二人を捨て置いて、戦い続けることに一体何の意味がある?
 しかし両陣営は少なからずムスッとした反応をみせた。これだけ互いに消耗しているとい
うのに、ギラついた眼は未だ戦い足りぬらしい。
「誰かと思えばお前達か……。それはそっちの理屈だろう? こっちは使徒級を一人失った
んだ。たかが小賢しい造反者一人の為にな。せめて代価を──自在鑓(ブリュンナク)を持
ち帰らなければ割に合わん」
「その点についてだけは、同感だね。こっちはヘイトの首(たいぎ)を取られたんだ。せめ
て他の幹部の一人や二人、取って帰らないと世論の批判は目に見えてる」
 加勢に来てくれたならありがたかったんだけどねえ……。ちらっとこちらを一瞥して拒否
するオディウスに、そうヒュウガが相変わらず飄々とした様子で被せた。辺りには《雨》の
血飛沫が散乱しており、度重なる彼らとの衝突で地形も大きく陥没している。
「今回の戦いは、統務院本体の意思によるものだよ。君達回収チームには迷惑は掛けない」
「迷惑、ねえ……。それは何も俺達に向ける言葉じゃねえだろうが」
 だからこそ、ダンは皆を代表して苛立つ。ギリッと、その鋭い犬歯を剥き出しにしながら
吐き捨てると言った。
「そんなのはとっくに、器界(こっち)の人達を巻き込んでる時点で破綻してんだろ。そも
そも今回の討伐作戦自体、地上にもあちこち被害が出てる。知らず存ぜずで済むような規模
じゃねえだろうがよ」
 睨みを利かせる冒険者(あらくれ)と、特に表情を変えない“正義”の剣。
 だがそんな中でちらほらと、兵の中に思わず視線を逸らす者達がいたのを、ダン達は見逃
さなかった。通信の向こうでこのやり取りを見ている王や議員達──ハウゼンら四盟主も、
それぞれに苦虫を噛み潰したような表情をしている。
「少なくとも、これはもう“守る為”の戦いじゃねえ。人々にとっちゃあ、理不尽な暴力や
テロみたいなモンだ」
「……テロ、か。随分と酷い言われようだね」
「偉そうに。そういうてめぇらも特務軍っていう括りの中じゃねえか」
 流石に腹が立つと踏み出そうとしたグレンとライナを、そう努めて苦笑(わら)うヒュウ
ガが手で制した。オディウスやシゼル、他の使徒達も戦いを中断して、ややもすれば仲間割
れになりうるこの状況を一先ず静観しているようだった。
「お前らもだ。ここは退け。さもなきゃ、このままここで四つの──いや、五つの聖浄器と
戦う羽目になるぜ?」
 加えてダンがそう、自身の鎧戦斧(ヴァシリコフ)を展開、肩に担いで言うものだから、
ルギスやセシル、フェニリアといった魔人(メア)たる使徒達の表情が険しくなった。
 ダンの鎧戦斧(ヴァシリコフ)と、リュカが持つ天瞳珠(ゼクスフィア)、ステラが胸元
に抱く秘葬典(ムスペル)に、グノーシュの轟雷鎚(ミョーニル)。
 加えてヘイトが手に入れていた自在鑓(ブリュンナク)を含めれば、今此処にある聖浄器
は五つだ。それも今はアヴリルが倒された隙を突かれ、ウルに握られてしまっている。
 暫くの間、オディウス達は押し黙っていた。ここで本当にダン達を含めた聖浄器持ちと改
めてやり合うとなれば、使徒級達で固めたこちらの布陣は益々不利になる……。
「違うか? 決着をつけるのは此処じゃあ──今じゃない」
『ま、待て、ダン・マーフィ!』
 しかしそこで物言いをつけたのは、通信越しの王や議員達だった。
 理屈は分かる。だがそれならば、聖浄器が揃った今こそ奴らを叩く好機なのではないか?
そう何とか、この言うことを聞かない──“政治”を知らない横槍者を引っ込めようとした
のだが、直後それはグノーシュからの援護射撃で手痛い反撃を受けることになる。
「何が待てだ。あんたらは、目の前でボロボロになってる部下達が見えないのか? こんな
ことを続けたって、ハーケン王子は帰って来ないんだぞ!」
 腹を立てていたのは、ダン達の側もまた同じで。それでもダンは、この感情的になる相棒
を「その辺にしとけ」と宥めつつ、自らのそれを何とか抑えようと試みた。その間に、代わ
りにリュカが真っ直ぐに通信が撮られているであろう方を向いて言う。
「私も、グノーシュさんの言う通りだと思います。大義の為にその下の大を犠牲することを
厭わないというのなら……彼らと私達の間に差など無いのではありませんか?」
『──』
 故に、絶句していたのは他ならぬハウゼンだった。会議に同席していたロゼ以下何人かの
王や議員達が、その物静かな中での表情の変化に、思わずそっと目を見開いている。
 ハウゼンは暫くの間、押し黙っていた。完全に自らの、個人的な仇討ちの側面を詰られた
格好に思えた。他の王達が──唯一違うとすればファルケンだけはふんぞり返った風に成り
行きを眺めながら、その判断を待っている。
『……撤退しろ。サーディス』
「宜しいのですか?」
『ああ。彼女らの言い分も間違ってはおらん。援軍が来た今こそ、好機だ』
「了解しました。ご命令とあらば」
 はたして彼の下した指示は、この混戦に終止符を打つ結果となった。あくまで淡々と、上
の指示通りに動いて部下達を退かせるヒュウガ。一方でグレンやライナは言われっ放しで不
服そうだったが、兄や統務院に背いてまで動くほど愚かではない。通信越しにハウゼンが、
ウルら万魔連合(グリモワール)側に詫びていた。「……やれやれ。まぁこちらも得たもの
はあったがな。今回はこれで手打ちとしよう」同じく順繰りに、撤退を始める。
「……俺達も退くぞ。アヴリルの遺体を」
 そんな相手陣営の様子をやや距離を置いて見ながら、やがてオディウスもシゼルや使徒達
に命じて踵を返し始めた。はっ! 事切れたアヴリルの身体を、バトナスやフェイアンがそ
っと前後から持ち上げつつ運んでゆく。面々が唇を結んでいる。
「後悔するぞ? 漁夫の利を得るチャンスだったろうに」
「……お前らに言われてホイホイ乗るかよ。ここじゃあ、人を巻き込み過ぎる」
 決着なら、いずれつけるさ。
 去り際、肩越しにオディウスはそうこちらに投げ掛けてきたが、ダンはその場に立ったま
ま動こうとはしなかった。代わりにじっと睨み付けるように言い返し、相手も「ふっ……」
と不敵に哂うことしかしない。そっと一度、何処ともなく空を見上げる。
「まぁいい。時間なら──十分に稼げた」
『えっ?』
 故に、不意にそんな言葉が漏れ聞こえてきて、思わずダン達は振り向き直す。
 だがもう、そこに彼らの姿はなかった。ただ薄く黒い、転移の光の残滓が、音もなく場に
残って消えかかりそうになっていただけで……。

「──やれやれ、何とか収まったみたいだな」
 時を前後して、上空のルフグラン号。
 地上に降り立って行ったダン達の様子を映像器越しに確認し、レジーナやマルタ、留守を
預かる団員達はホッと安堵の息をついていた。一方でエリウッドは、既に操縦桿を握る技師
達に指示して、機体を少しずつ旋回──地上のダン達を回収する態勢に入っている。
「まぁ、半分脅しみたいなモンだけどなあ」
「それは連中も分かってたろうさ。何にせよ、これ以上泥沼にならずに済んでよかった」
 ヘイトも討たれ、当初の目的が果たされても尚続く戦いに、遣り所のない憤りを感じてい
たのは何もダンだけではなかったのだ。逆説的かもしれないが、普段から冒険者として戦い
の日々に身を置いている者からすれば、何より重要なのは“如何に戦わないで済む”かを見
極めることだ。見誤らないことだ。ヒトは勿論、モノも無限ではない。そこを踏まえずただ
行き当たりばったりで突き進むことの危うさを──結果、もっと大事な仲間(もの)を失う
ことの恐ろしさを、皆多かれ少なかれ知っている。
 ……尤も、“結社”との戦いそれ自体は、とっくにこの域ではあるのだが。
 画面の向こうで討伐軍連合が、そしてオディウス達が捌けて姿を消してゆくのを見守りな
がら、団員達はそうにわかに笑みを零していた。互いに肩を抱き合っていた。
「しっかしよくもまあ、向こうもあっさり退いてくれたよなあ」
 そんな時である。ふと団員の一人が、ぽつりと疑問の声を漏らしたのは。
「ん? ああ……確かにな。連中からすりゃあ、仲間が一人やられるわ、聖浄器を取られる
わで散々だった訳だし」
「だから、引っ込みが付かなくなってたんだろ? 言ってた通り、自在鑓(ブリュンナク)
の一つでも持ち帰らなきゃ割に合わないって」
「でもダンさん達が飛び込んできて、こっちの聖浄器で脅した途端、矛を収めたんだぜ? 
そりゃあこれ以上使徒がやられると都合が悪いっつー勘定だったんだろうが、それにしたっ
て極端過ぎるってこったろ?」
 なあ? 他の団員達がめいめいに目を瞬いたり、或いはこの言い出しっぺの仲間の意見に
一理ありと援護してみたり。
 映像器の向こうでは、地上のダン達が、撤退準備を進めるヒュウガやウルらと何やら話し
込んでいる。改めての説教か、それともこちらの回収任務──自在鑓(ブリュンナク)の受
け渡しについてでも相談しているのか。
「……確かにな。僕もそこは前々から疑問に思っていた。どうして結社(やつら)は今回も
これまでも、ああもすごすごと退散してきたのだろう? 少なくとも奴らにとって聖浄器と
は、その目的を果たす為には必要不可欠の代物である筈……」
「“大盟約(コード)”、か」
「ああ。順当に考えて、奴らがそれを無くす為に必要としているならば、もっと食らい付い
てきてもおかしくはない筈なのに……」
 そこへ思案顔で、強く同意を示してきたのは、サフレだ。うーむ、と口元に軽く握った拳
を当て、不可解といった様子で唸っている。それまで一件落着と気が緩んでいた船内の、場
の仲間達にざわわと、波紋が広がるように緊迫が走る。
「それこそ、今回ぐらいのが繰り返されてちょうどバランスが取れてるってことか」
「うーん。つっても、連中の訳の分からなさは、何も今に始まった事じゃねえしなあ」
「……ジークが前に言ってた。アルスが、もしかしたら結社(やつら)は“わざと悪役を演
じている”んじゃないか? って……」
 だからこそ、そんな中でふと思い出したように呟いたミアに、皆の視線が集中した。
 アルスが? 彼らの多くは大きな疑問符──アルスの言葉の真意と、事実この妙に辻褄が
合わない“結社”の行動に戸惑いをみせていたが、一方そんな若き仲間の頭脳それ自体に対
しては、皆疑おうという気配すらない。全幅の信頼を寄せている。
「……どういうこったよ、それ」
「例の、閉界(エンドロォル)を防ぐ云々の話かなあ?」
「そもそも何のメリットがあんだよ? 要するに確信犯かもしれないってことだろ?」
 団員達は怪訝な表情を、反応を隠せなかった。一方でアスレイやテンシン、ガラドルフと
いった隊長格は、じっと眉間に皺を寄せたり微動だにしなかったりと、努めて沈黙を保とう
としていたが。
 本当に訳が分からない。これでもかと、中々話の筋が一つに繋がらない。
 ただでさえここ暫くは「正しさ」が揺らぎっ放しだというのに……。
「……もっと別の、更に上の企みがあると考えた方が自然だろうな」
 そんな中、それまで部屋(ブリッジ)の隅で薄目を瞑っていたクロムが、ぽつりと呟いた
一言が、この疑問に被され続ける疑問に一応の終止符を打つこととなった。ともかく……。
皆のやり取りがはたと止んだのを見て、エリウッドがパンパンと手を叩きながら言った。少
なくともこれで、今回の騒動が全て収まりはしない──寧ろ対外的には、これからが一悶着
の始まりになるのであろうが……。
「さあ、ダンさん達を迎えに行こうか。そろそろイセルナさんやジーク君達とも、合流しな
いといけないしね?」

 被造人(オートマタ)の身体を借りたユヴァンと、全盛期の姿を取り戻したヨーハン。か
つて同じ敵と未来を見据えていた筈の十二聖同士が、今まさにぶつかろうとしていた。
 遠巻き、細かな風雪が阻むように舞う。
 ジーク達は何とか止めに、助けに入ろうとしたが、襲い掛かってくるティラウドや使徒達
に応じるので精一杯だった。練り込んだオーラを片手に集中し、文字通り《龍》として従え
るティラウド。セイオンはゆったりと、他の面々より遅れて近付いてくる彼に剣を構えて目
を離さず、しかし彼の名を聞いたその瞬間から驚きを隠せないでいる。
「ティラウド……。まさか、貴方は」
「ああ。ティラウド・T(ティリス)・ハザワール。それが私の名さ」
 そう一見何とでもないように答え、次の瞬間《龍》のオーラが牙を剥いて襲い掛かる。
「相手は使徒、魔人(メア)だ! 気を抜くなよ!」
「数はこちらが有利だ、囲め! 攻撃の隙を与えるな!」
「ふん……。てめぇらなんざ、お呼びじゃねえんだよッ!」
 一方でセイオン隊は、クライヴやフェルト、サロメの三人組を押さえようとしている。相
手が相手だけに、出し惜しみはしない。だがそれよりも、クライヴの《膨》で巨大化した大
矛の方が先だった。『がっ──?!』半ば不意を突かれたようなその力任せの一撃に、彼ら
は周囲の雪もろとも激しく吹き飛ばされる。
「よりによってお前、なんてな。今はどれ所じゃ、ねぇってのにっ!」
「……」
 そしてジークは、他でもない使徒最強の男・ジーヴァとの一騎打ちに追い込まれていた。
淡々と距離を詰めてくる彼と、その霞むような剣撃に必死に抗うが、当の相手は何を思って
いるのか、まるで感情を表にせずこちらを見つめ続けている。
「ふぅむ。あの少年とまた戦えぬのは残念だが……まぁよい。かのブルートバード団長とな
れば、申し分なかろう」
 更にそのすぐ横で、ヴァハロの手斧がぐぐっとイセルナの剣を押し返そうとしている。
 くっ……! 体格差は勿論、それ以上に圧倒的なオーラと技量の差が如実に彼女を苦戦さ
せていた。咄嗟にブルートが精霊融合して出力を上げたにも拘わらず、それでも実際には押
し負けている。「イセルナ!」「イセルナさん!」既にハロルドやシフォン、リカルドとレ
ナ、クレアにオズといった他の仲間達が、急ブレーキを掛けて駆け出している。魔導具や武
装を抜き放ってスローモーションの世界に居る。
「──」
 前後、ユヴァンが動いた。中空に浮かんだままサッと片手を薙ぎ、同時幾つもの数と色の
魔法陣が眼下のヨーハンを狙うように展開される。
 認識したのと、実際にこの魔導の群れが射出された時間には、そう間隔はなかった。
 風雪を、白い地面を吹き飛ばし、ヨーハンが立っていた場所が爆ぜる。
 第一撃。ジーク達やティラウドらが視界に、肩越しにこれを目を見開いたり一瞥したりし
て固唾を呑んで、見遣ったのだが。
「──」
 黒煙の中、ヨーハンは何事も無かったかのように立っていた。じっとユヴァンを見上げた
まま、ただそっと、大きく結晶質の防御壁に覆われた絶晶楯(マルフ)をずらす。
「やはりそうきたか……。お互い、手の内は知り尽くしているだろうに」
 はたしてそれは単なる呟きというよりは、ジークやセイオン達にも聞こえるように、とい
う配慮が含まれているように思えた。互いに初手で睨み合ったまま、彼は続ける。
「強化型《罰》の色装──自らに“誓約”を立てることで、その威力や性質を様々に底上げ
することができる。お前が最強の魔導師と呼ばれた所以じゃの」
 しかし……。ヨーハンはそこで一旦言葉を切った。自らの推理にミスがないか、改めて当
の本人、今の姿を確認するように見つめると、言う。
「じゃがその能力は、反面誓約通りの結果を得られなかった場合、自身にそのダメージの全
てが跳ね返ってくるというリスクも併せ持つ。直接ではなく、被造人(オートマタ)の器に
意識を移して儂らの前に現れたのも、大方“保険”じゃろう。お前本来の力は制限されてし
まうが、その器に留まっている限り、自身に《罰》のダメージが及ぶことはないからの」
 まるで教えるように、朗々と。
 空中でやや顔を顰めているユヴァンと彼の様子を、ジーク達は数拍じっとその瞳の中に焼
き付けていた。尤もすぐにこの隙を突き、ジーヴァが斬撃を打ち込んでくるが、彼の意図は
十分に受け取れた。
(しかし……)
 だが一方で、ヨーハンは内心不安と不可解、警戒の念でいっぱいだった。確かにかつての
戦友として、互いの手の内は知り尽くしているつもりだったが、今の奴はどうか。
 有り体に言えば焦りである。長年の隠居で、こちらの勘が鈍っているのもあろうが、奴の
力はあの頃よりもずっと強くなっている。事実今の魔導は、ただ“放っただけ”だ。
 そもそもあれほどの数の魔導を、どうやって同時に発動させているというのだ? 複数の
詠唱を同時に行うなど、持ち霊などの協力がなければ基本不可能な筈だが……。
(一体、何人の力を借りている……?)
 魔人(メア)でもなく、かと言って彼女(マーテル)を連れている訳でもない。
 ヨーハンはギリッと唇を強く噛み締めた。出し惜しみする必要はない。最初から全力で、
あの戦友(おとこ)を止める──。
「ぬんっ!!」
 次の瞬間だった。ヨーハンは大きく息を吸い込むと、一気に自身のオーラを練り込み、能
力を発動した。轟と、周囲の風雪さえも戦慄かせ、吹き飛ばすほどの波紋。ジーク達も思わ
ず驚愕するほどの練度だった。全身を大きく覆うそのオーラが、次第にバチバチッと紅い奔
流に変わりながら収束してゆく。
「……《転》の色装か」
「ああ。お前と同じ、強化型。一度発動すれば、時間経過と共にオーラ量が増大し続ける。
絶晶剣(ボルフ)と絶晶楯(マルフ)の──オーラを込めるほど堅さを増す特性を活かすに
は、これほど相性の良い能力はあるまい?」
 あくまで、ヨーハンは表面上不敵を装う。逆を言えば、自身のこの能力を百二十パーセン
ト活かせる聖浄器こそが、この剣と楯だったのだ。
「それまでは、我々にお任せを」
 ユヴァンからの初撃を避ける為に背後に隠れていた従者達が、キッと意を決するように前
に出てきた。《転》のギアが十二分に段階を踏むまで、サポートをしようというのだ。
 すまんな……。ヨーハンは小さく呟いた。本来ならあんな化け物めいた相手を、自分以外
にさせたくはない。おそらく無事では済まないだろう。しかし今回の出陣の旨を聞いた時、
彼らは珍しく頑なに協力させてくれと言って聞かなかった。何も出来ず、自分が力尽きるの
を見るなど許せなかったのだろう。有難い忠誠心だが……こんな時だからこそ、内心生きて
戻って欲しかった。セイオン達に加勢しろと、今からでも命じ直すべきだったか。
「さあ行くぞ、ユヴァン。先ずはそこから……引き摺り下ろさなければな」

「──ぐうっ?!」
 そんな向かい遠巻きの戦いの中、セイオンは苦戦を強いられていた。まるで生き物のよう
うに、しかしその実巨大で濃密なオーラの塊──無生物であるティラウドの《龍》を、中々
突破できずにいる。
 彼の《天》の眼は、直接攻撃系の能力ではない。あくまで相手の動きを少し先読みする事
ができるという性質のものだ。だがそれも、相手自身があまり動かず、代わりに攻撃力自体
が襲ってくるとなると、いつものように回避することは難しい。ではティラウドの方を、そ
の操る手元を視て判断すればと切り替えるが、相手もそれは想定済みなのか、そんな隙を与
える暇もなく《龍》を襲わせてくる。
 なまじ巨大な力の塊である分、軽く掠っただけでも無視できないダメージだ。ヨーハンを
助けに向かいたくても、ことごとく邪魔をされた。失敗する度に、無駄にこちらの消耗だけ
が増してゆく。
「──っ、しまっ……!」
『ぎゃああああッ!!』
 加えて部下達も、クライヴら使徒三人組のコンビネーションに劣勢の一途だ。大振りな矛
の一閃を避けようと集中した隙に、フェルトの《粘》のオーラが彼らの足をごっそり捉えて
その動きを止められてしまったのだ。そこへ改めて巨大化した大矛が叩き付けられ、更に混
乱する面々へと、サロメの炎の魔導が次々に降り注ぐ。何も《呪》の能力に頼りっきりとい
う訳ではないのだ。
「ひゃははは! 死ね、死ねぃ!」
「おい、サロメ。魔力は温存しとけよ。こいつらを潰したら、レノヴィン達をやるんだ」
「そうね……。隠れ里での“お礼”も、しっかりしてあげなくちゃいけないしね」
 牙を剥く《龍》を、これでもう何度正面から受け止めただろうか。
 セイオンは襲い掛かるこのオーラの塊を、剣と全身に練ったオーラで何とか食い止めよう
とした。ガリガリガリッと大きく踏ん張った足元が削れ、後退してゆく。限界だと直感した
瞬間に大きく半身を返して跳び、なるべく最小限の被害で避けようとする。
「くうっ……!」
 しかしそんな防戦一方が続く展開では、こちらのダメージは積み重なるばかりだ。
 肩で大きく息をつき、セイオンは片膝立ちからゆっくりと立ち上がった。だんっと地面を
蹴って反撃を試みるが、二撃三撃と徒手拳闘でいなされ、次の瞬間には再びくいっと引き戻
された《龍》に邪魔をされて距離を取り直す。
「……何故だ? 何故貴方が? ハザワール一族──王朝に連なる者が!?」
 そうして息を荒げながら問う鎧も半壊したセイオンに、ティラウドは少し構える両拳を下
げた。フッと、その表情は相変わらず悠々とはしているが、瞬間何となく陰が差したかのよ
うにも見える。
「そうだな……。強いて言えば弔い、なのだろうか」
「……弔い?」
「ああ。最後まで王をやり続けた、弟への、な」
 君も知っているだろう? 同じ竜族(ドラグネス)として、ティラウドは問うた。そう呼
び掛けるようにして、断片的にながら話し始めた。
「あれは──神竜王朝は、私達にとってはトラウマなんだ。乱世を鎮める為、求められて玉
座に就いたというのに、結局彼らは私達の力を恐れて離れていった。そもそも魔導開放は、
彼らが彼らの都合で掻き回した闘争(ゲーム)……。その果ての世界が今さ。だから私達と
同じように、世界から否定されれば、彼らも少しは反省するんじゃないかと思ってね」
「……」
 セイオンは静かに目を見開きこそせど、一見そこまで反発するようではなかった。いち同
胞としての記憶を重ねたのか、目立って義憤(いかり)を返すことはなかった。
 それでも、ティラウドは「まぁ」と自嘲(わら)っている。その強力な《龍》のオーラを
一つ、また一つともう片方の手に増やしながら、再びゆっくりと近付きつつ言う。
「そんなことをしても、弟が戻ってくる訳じゃないんだが」

「──ぐっ! っ……!」
 使徒最強の片割れを前に、イセルナ以下ブルートバードの面々は全滅寸前だった。まるで
疲れを感じさせないまま、ヴァハロが手斧と手槍を巧みに駆使した猛攻で押し立て、イセル
ナはこれを防ぎ止めるので精一杯だった。自身の《冬》では遅過ぎる……。連撃の合間に蒼
鎧態に精霊融合を替え、そのパワーで何とかもっている状態だ。それでも相手の攻撃を受け
る度に軋む衝撃、歪むイセルナの表情に、ブルートが叫ぶ。
『イセルナ、もういい! 一旦退け! このままではお前が持たん!』
「でも……今こいつを手放しにすれば、皆が……」
 既にオズは大破して埋もれ、クレアも倒れている。仲間達のサポートもほろろだった。頼
みの綱である氷霊剣(ハクア)も、ヴァハロの速攻の前に発動する暇さえない。
「イセルナ!」
「くっ……」
「離れ、やがれッ!!」
 それでも尚、シフォンが《虹》の幻影と共に深緑弓(エバーグリス)の矢を掃射し、リカ
ルドが限界まで加速して強襲を掛ける。ボロボロになり、息を荒げて膝をつくレナを庇うよ
うに、ハロルドが渾身の聖魔導を撃ち放つ。
「──しつこいのう」
 だが当のヴァハロはそれを軽く一瞥するだけで、ぐんっと自身の力場を周囲に広げた。
 するとどうだろう。シフォンの矢も幻影も、高速で攻め寄るリカルドも、ハロルドの放っ
た巨大な光の刃も、全てが一斉にぐしゃりと叩き潰されたのだ。
 付与型《重》の色装──自身のオーラを介して重力を自在に操ることのできるヴァハロの
能力だ。この間合いも関係なく、威力も桁違いな反撃に、イセルナ達は一斉に沈む。黒く酷
いノイズの掛かったようなその力場の中で「あがっ?!」と、ろくに身動きが取れない。
「うっ……あぁっ……!」
 レナも、皆に守られながら地面に叩き付けられていた。イセルナがヴァハロとぶつかる寸
前に投げて寄越してきた、「皆に救援を!」と託された手の中の携行端末も、既にこの過重
力の奔流の中で完全にへしゃげてしまっている。
(ジーク、さん……)
 これではヨーハンどころか、一人分断されてしまったジークすら助けに行けない。

「──ぬ、おおおおおおおおーッ!!」
 双璧のもう一人の片割れ、使徒ジーヴァ。
 その彼と一対一の構図に持ち込まれていたジークは、必死にこの淡々とした剣鬼を前に抵
抗を続けていた。接続(コネクト)でオーラ量を底上げし、更に紅梅を開放して臨んでいる
というのに、一向にこの男の妨害網から抜けられる気がしない。
 改めて痛感していた。こいつは、強過ぎる……。
 剣技もそうだが、いわゆる経験値というものが圧倒的に上なのだ。こちらがどれだけ自身
を強化する術を取っても、すぐにそのパワーに、スピードに対応してくる。恐ろしく冷静で
且つ、ブレるということを知らない。的確に滑らす刃が、こちらの攻撃を吸い寄せる。
「くそっ! どけ、どけってんだよ!」
「どかぬな。あの方のご意思は我々の意思。その大命の障害となるのならば、ここでお前を
斬るのもやむを得ん」
 勝手な……! 立て続けの強化で軋む感覚を根性で押し留め、ジークは再び霞む速さで地
面を蹴った。紅いオーラと幅広の斬撃が、何度もフェイントを挟みながらジーヴァの死角を
突いて叩き込まれようとする。
 だがそれを、彼はやはりいとも容易く反応して最小限の剣捌きで受け流してみせると、半
身を返しつつ鋭い一閃で反撃を加える。逆にジークの方が、上着の胸元を軽く切られてしま
った格好だ。チッ……! それでも小さな舌打ちさえ惜しみながら、ジークは再び大きく飛
び退いて距離を開け直さざるを得なかった。忌々しげにこの男を睨みながら、湧き立つ感情
を何とか選りすぐりながら叫ぶ。
「……何でだよ? 何でこんな強さを持ってる癖して、“結社”になんか……」
「……疑うことすらしない“当たり前”に、この世界そのものから根本的に否定された時、
ヒトがどんな顔をするのか見てみたい」
 故に、そんな問いへやや間を置いて答えたジーヴァの言葉に、ジークは思わず耳を疑うよ
うに彼を見ていた。握りしめた二刀が、一瞬その呆気によって緩みそうになる。
「は? それだけ? たった、それだけの為に……?」
「……他に何が要る。私は私の為だけに、この剣を振るうと決めている」
 それははたして怒りなのか不可解なのか。少なくとも目の前のこの白髪の剣士は、そう至
極真面目に答えているように見えた。……いや、或いは、もうとっくに真っ当な感情すらも
失っているのかもしれない。いわば“真っ直ぐ過ぎる邪悪”とでも言うのか……。
「ざけんな!」
 今度は明確な舌打ちを。
 ジークはギリッと二刀を握り締めて、改めてオーラを込め直した。
 やはりちんたらやってても駄目か。如何せん身体はしんどいが、こうなったら持てる力の
全てを──六華と接続(コネクト)と《爆》を、全て使ってぶつかるしかない。

 展開してくる魔法陣の数が、明らかに際限なく増え続けている。
 ヨーハンは、空中のユヴァンが射出してくる無数の魔導を、次から次へと叩き落とし続け
ていた。赤、黄色、銀。正面からの炎や雷、鉄塊を撃ち落としたかと思えば、今度は左右か
ら周り込んでくる白や紫、青色。風刃や闇の弾丸、氷槍を半身を返しながら弾き飛ばす。
 辺りは繰り返される両者の攻防により、無数の大穴が空いていた。
 《転》のギアが十二分に回るまで時間稼ぎをすると共に戦っていた従者達も、既に殆どが
脱落してしまった。黒焦げになって倒れ、或いはボロボロになりながらも膝をついて息を荒
げている。元々従者──多くが魔導の使い手ではあるが、生粋の戦士ではないのだ。
 それでも動ける者には、セイオン達のフォローに回るよう指示を飛ばしたが……分断され
たままの現状をみるに、どうやら上手くはいかなかったらしい。事実、最初こそこちらの戦
いを垣間見て「凄い……」と呟いていたジーク達も、気付けばそんな余裕がないくらいに足
止めを食らってしまっているようだ。彼らにユヴァンの矛先が向かなかったのは幸いだった
かもしれないが、状況は極めて厳しい。
「ぬううッ!!」
 正面から叩き落し、或いは射出されるその軌道に合わせて跳びながら、回転を加えて回避
する。弾き飛ばす。
 再三地面が爆ぜた。攻撃が届く前に、そのことごとくが彼によって迎撃される。
 ヨーハンの装備する絶晶剣(カレドボルフ)と絶晶楯(カレドマルフ)は、その本体を中
心に結晶質の防御壁を広げながら、同時にヨーハン自身をもその半透明な硬質で覆い始めて
いた。両聖浄器の完全開放である。ただ武具を強化するだけでなく、その使い手であるヨー
ハン自身にもその恩恵を与えている。
 堅固な楯は、文字通り鉄壁の守りになる。
 一方でその堅さが刃にも同様であれば、振るう切れ味もまた無双の剛剣となろう。
(避けながらなら、或いは……? いや、儂の方もそう時間は掛けてはおられん)
 心の内で、視界の端の倒れた従者達に詫びながら。ユヴァンから放たれる夥しい数の魔導
とその閃光に目を細めながら。
 ヨーハンは内心、焦っていた。何とか奴の攻撃を打ち落としてはきたが、こうも無尽蔵に
弾数が増えてゆくと、流石に自分でも対処し切れない。さりとて回避に徹しようとすれば、
向こうにいるセイオンやジーク達に流れ弾が飛んで行ってしまう恐れがある。
「……流石に、今の君を攻略するには骨が折れるな」
 考えながらも、対するユヴァンが空中でそう呟いている。しかしヨーハンは、これも互い
にとってある種の心理戦であることぐらいは容易に想像がついていた。
 元より自分達は、相手の手の内を知り尽くしている。それでも計算外だったのは、こちら
が刻の操球(クロノ・グラス)で全盛期の頃の肉体に戻ったことと、奴が既に人間さえ辞め
てしまったらしいということ。
 確かにこちらの《転》のギアはどんどん上がってきている。奴の方もこちらが攻撃を凌ぎ
続けていることで、自身に《罰》が跳ね返り、その被造人(オートマタ)の身体に少しずつ
ながら確実にヒビ割れをきたしている。
 ……だが刻の操球(クロノ・グラス)の効力が、いつまでもつかどうか。奴が自滅するま
でに、こちらの身体がもつかどうか。
(突っ込むしか、ない)
 故にヨーハンは次の瞬間、カッと目を見開いた。痺れを切らせば相手にとっても思う壺で
あることは頭の片隅で理解しつつも、それでは間に合わないという直感と衝動が彼を大きく
動かしたのだ。
「おおおおおおおお──ッ!!」
 咆哮。絶晶剣(ボルフ)と絶晶楯(マルフ)の結晶壁が多少欠けるのも構わず、ヨーハン
は射出される魔導の雨霰の中を突き進んだ。
 ボロボロになった従者達が、ジーク達が、セイオンやティラウド達、使徒達がそれぞれこ
の雄叫びに一瞬注意を持っていかれる。向けられた視線が、一斉にスローモーションの世界
に放り込まれたように、鈍重に感じられる。
 空中のユヴァンが、一瞬引き攣った表情を見せた。自身の周りに展開していた、無数の色
とりどりの魔法陣達が、そうはさせまいと一斉にその魔導を射出する。
「ガッ──?!」
 されど間一髪、さもスローモーションが解けた瞬間加速したかのように、着弾した爆風に
乗ると、ヨーハンは大きく跳躍していた。そしてその勢いのまま、一気に絶晶剣(ボルフ)
の切っ先をユヴァンに振り下ろし、自身もろともこれを激しく地面に叩き付ける。
『やった!』
 短く押し潰されたような息と血を吐き、ユヴァンの被造人(オートマタ)の身体がボロリ
と大きく崩れた。それまで決死の戦いを繰り広げていたジーク達が、セイオンら竜騎士団の
面々が、そう思わずガッツポーズをみせる。相対するティラウド以下使徒達が、じっと目を
見開いてこれに振り向いている。
「はあっ、はあっ……! これで、止(とど)め──」
 だが、その直後だったのである。ユヴァンに馬乗りになったヨーハンが、改めてその切っ
先を突き刺そうと、一度引き抜いて振り上げた瞬間、他でもない彼自身が突如として背後か
ら何者かに一突きされてしまったのだ。
「──」
 ユヴァンだった。今し方倒した筈の、目の前で組み伏せた筈の彼と全く同じ姿をしたもう
一人の彼が、炎槍の魔導を掌にかざしたまま、ヨーハンの身体を刺し貫いていたのだった。
「!? じ……」
「大爺様!!」
 ジーク達が、いやそれ以上に真っ先に悲痛な叫びを、セイオンが上げていた。
 目を大きく大きく見開き、されど口元から大量の血が溢れて言葉にならないヨーハン。
 握っていた絶晶剣(ボルフ)が、ぐらりとその手から零れ落ち、この二人目のユヴァンが
炎槍を引き抜くと同時に、彼はどうっと力なく崩れ落ちてゆく……。


 人々が、苦しむ姿を見ていられなかった。きっと“正義”とは、そんな彼らの幸せを少し
でも多く守ることなのだと考えた。
 時はゴルガニア帝政末期。暗黒乱世を統一し、世界を席巻したかの帝国も、長い歳月の中
で次第にその綻びが目立ち始めた。代々の皇帝達はその建国の基盤となった機巧技術の発展
に心血を注いだが、結果としての圧政──軍事優先の強権政治が長らく続いている。
 ……僕は思う。国が民を統べるのではなく、民があってこその国なのだと。王や貴族達は
あくまで、その土地に住む人々の安寧と安全を守る為に権限を託されてきたのであって、自
らの私腹を肥やす為なんかじゃない。皆が丹精込めて育てた作物は、等しくお腹を空かせた
子ども達にこそ分け与えられるべきものだと僕は思う。
 そんな頃だ。時の現役帝国将校・バベルナ卿が、この祖国に反旗を翻し、それまで水面下
で散在していた反帝国諸勢力を瞬く間に纏め上げていったのである。
 現在の人々からすれば“英雄”ハルヴェートと呼べば分かり易いだろうか。直前まで帝国
の側にいた人間、しかも上層部の一人が抵抗側についたことで、時代は大きく動き出した。
それまでは帝国軍による激しい締め付けから逃れるので精一杯だった各勢力が、彼という旗
印を得て巨大な一個へと成長していったのだ。
 ……だから僕は、いち魔導師として、そんな集結しつつある力に加わろうとした。
 帝国の圧政に苦しむ人々を救いたい。だが僕の思いとは裏腹に、当時の魔導界は座学に縋
り、権力ともなるべく対立を避けようとする空気があった。故に周囲の同胞達からは、一様
に白眼視されたものだが、僕は貪欲に力を求めた。どれだけ知識があっても、その所持を誇
ろうとも、実際に世に役立てないなら何の意味もない……。

 破門覚悟で魔導学司(アカデミア)を出て、彼ら──後の解放軍の門戸を叩く。将軍以下
その後出会った多くの仲間達の協力を得て、僕は遂にそれまで前人未到と云われ続けてきた
精霊族の始祖・マーテルとの契約を結ぶことに成功する。
 魔導学司(アカデミア)から持ち出した聖浄器・執理典(スコアラム)と併せ、いつしか
僕は、解放軍の中でも一・二を争う魔導師になっていた。全てはこれまでの出会いと、この
志に賛同してくれた仲間達のお陰だ。
 そしてのちに“賢者”と呼ばれた軍師、リュノーの策を以って、僕らは次々に帝国軍の要
衝を攻略。遂にその戦いは、帝都における最終決戦にまでこぎつけた。
『──皆、逃げろ! この王宮はもうもたない!』
 現、そして帝国史上最後の皇帝となった男・オディウス。
 その玉座、すぐ目の前まで辿り着いた僕達は、王宮が崩壊しかかるほどの激しい戦いをこ
の男と繰り広げた。
 王としても、武人としても強力な《覇》の力でもって立ち塞がった皇帝オディウス。
 各地に眠っていた聖浄器を携え、僕達はこれと対峙したが、勝敗は最後まで双方ギリギリ
の消耗戦となった。ボロボロになった仲間達を肩越しの眼に映し、次いで尚も戦意を失って
いない奴を睨み返し、僕は叫ぶ。
『だ、だが……!』
『ユヴァン、貴方はどうするの!?』
『……どうやら僕は、ここまでみたいだ。君達を巻き込む訳にはいかない。他の兵達も退か
せて、此処を出るんだ』
 それがいわゆる英雄的行為──自己陶酔だと意識していたのか。少なくともあの時の僕に
は、そんな思考の余裕はなかったように思う。
 ただ目の前の、この“諸悪の根源”を倒しさえすれば、皆が幸せになる。ずっと願ってい
た未来が手に入ると、ただその一点だけに望みを託し、残る力を振り絞っていた。
 ユヴァン! 仲間が止めに入ろうとする。だがそれを、他の仲間達が咄嗟に押さえ込んで
退避しようとしていた。
『……』
 そうだ、それでいい。執理典(スコアラム)とマーテルの魔力、その両方を最大出力で放
てば、今度こそこの辺り一帯は消し飛ぶだろう。だがそれであの男に、皇帝オディウスに勝
てるのなら、構いやしなかった。
 大剣を引っ下げて、オディウスが吼えながら突っ込んでくる。執理典(スコアラム)に込
めた光が、背後でマーテルが唱える呪文が、辺りの全てを塗り潰す。ユヴァン! 後方で仲
間達の去り際の叫び声が、転移の光と共に消える気配がつぶさに感じ取れた。
『オディウースッ!!』
『ユヴァァァーンッ!!」
 刹那、僕らは文字通り最後の一発を互いに放ち──。

 目覚めた時、嗚呼ここが冥界(アビス)なのかと思った。
 死者の世界。文献や神官達から聞いていた話に比べると、随分違うな。何というか、凄く
濃密で、キラキラしている。ゆっくりと無数の魔流(ストリーム)が虹色のグラデーション
を描きながら流れ、何処か果ての知れない底へと、天上へと消えてゆく……。
『おい、起きろ。いつまで馬鹿みたいな顔をして寝てやがる』
『──ッ?!』
 なのに最初に視界に映ったのは、他ならぬゴルガニア皇帝オディウスの顔で。
 僕は殆ど弾かれるようにして飛び起きた。飛び起きて、自分達がただ二人だけでこの見知
らぬ空間──点々と浮かぶ半透明の足場と、無数に入り乱れる魔流(ストリーム)の只中に
居るのだと知る。
『こ、此処は一体……?』
『さてな。俺が聞きてぇよ。何でよりによって、お前となんか……』
 最初こそ、まだ宿敵が生きていると身構えたものだが、もうお互いにボロボロになって力
を出し尽くしていたし、結局その場にへたり込むしかなかった。執理典(スコアラム)は何
とか近場に転がっていたが、マーテルの姿が一向に見えない。あの最後の一撃を放った衝撃
で、はぐれてしまったのだろうか? 契約の回路(パス)を辿って呼び掛けてみても、反応
がない。やはり此処は普通の場所ではないようだった。
『……皮肉なモンだな。結局俺とお前だけが、生き残っちまった』
 暫くの間の、気まずい沈黙。
 だが、かと言ってだんまりを続けている訳にもいかず、僕達は休憩がてらぽつぽつとお互
いのことについて話し始めていた。そこで僕は、オディウスの、歴代の皇帝達が目指してい
たものを知ることになる。
『──魔導だけに……頼らない世界?』
『ああ。そもそも俺達の王朝の前、暗黒乱世は、かつての魔導開放に伴う社会の混乱が切欠
と云われている。だからご先祖様達は、その時の教訓から、世の中を回すもっと別で安定的
な技術はないものかとずっと考えていたのさ』
『……それが、機巧技術』
 コクリと静かに頷くオディウス。それは僕達が知らない、帝国のもう一つの歴史だった。
 確かに帝国が生み出した機巧技術は、機械の兵士達という全く新しい軍事力となって乱世
統一の立役者となり、その後の繁栄にも寄与した。だが一方で、そんな技術がこの世に生ま
れ落ちることになった経緯は、意外にもこの世界の行く末を憂いたものであったのだ。
『ま、結局この技術を盛り立てよう、完成させようと熱心になり過ぎたせいで、俺達は民を
蔑ろにしちまった。実際途中からは、軍事力としてのそれに取り憑かれたご先祖様も少なく
なかったんだろうぜ』
 魔導師だけに、大きな顔をさせない世界。
 だからこそ、当初から帝国は、機巧技術は異端の学問として疎まれ続けた。加えて実際の
運用上の問題として、機械達の維持・管理には大量の鉱石や精錬設備が要る。そんな事情も
同国の拡大路線に拍車を掛けていったのだろう。
『……俺達は、焦り過ぎちまったのかもしれないな。まぁ何でそこまでして、代々のご先祖
様が焦ってたのかは分かんねえが』
『……』
 今更何を。正直、そう再び怒りが込み上げなかった訳ではない。
 だがあの時お互いの全てをぶつけ合って、気が付けば見知らぬ場所に放り出されて、実際
もう真っ白になっていたのかもしれない。僕達はまた暫く、黙りこくるしかなかった。

 それでもこんな場所に、ずっと居る訳にはいかない。このままでは飢え死にしてしまう。
 僕達は多少動けるほどに休んだ後、脱出の為に動き出した。おそらくは落ちたら二度と助
からない、上も下も果ての見えない異空間の中を、慎重に半透明の浮島を伝いながらこっち
でもないあっちでもないと渡ってゆく。
 そんな中で、僕達は此処が、巨大な魔流(ストリーム)の渦の中なのだと知った。もしや
と思って精霊達に呼び掛けてみると、反応があったのだ。マーテルともそのお陰で何とか合
流することができ、彼女らの導きで複雑無限のこの迷路の中を抜けてゆく。
 ……巨大な渦。
 そう、この世界は膨大な魔力(マナ)──魂達に満たされている。僕らはずっと、そんな
名も知らぬ「誰か」に見られながら暮らしてきたのだ。
 募る暗澹とした気持ち。更にそうして僕らがこの迷路、世界樹(ユグドラシィル)と四大
支樹(ストリーム)から脱出した時、外界の時間は既に何年も経った後だった。
 僕とオディウスとの戦いは伝説となり、帝国は滅亡。生還した将軍達を中心として新たな
政権作りが模索されていたが、現実は中々遅々として前には進んでいなかった。
『……そうか。僕はやはり、戦死したことになっているのか』
『まさかっつーか、やっぱりっつーか。滅んじまったんだなあ。ゴルガニアは……』
 かつての仲間達は“英雄”と持て囃され、世界は束の間の平和を謳歌している。
 この姿だった筈だ。かつて僕が願い、彼らに託した未来だった筈だ。
 なのに何故だろう? 実際僕の中に芽生えていたのは、言いようのない疲労感だった。そ
れはひとえに、僕自身が知らぬ間に“用済み”になっていたからなのか? だからこそ余計
に再びあの光の中に出ることはできなかった。今更出て行っても、皆を混乱させる。オディ
ウスもオディウスで、文字通り祖国を、居場所を失ってしまったのだから。
 ……いや、そんなことはどうでもいい。
 何より僕らの胸を引き裂いたのは、その後の顛末だった。打倒帝国の旗を先頭に立って掲
げていた将軍が、志半ばで病に倒れてこの世を去ると、それまで“共通の敵”の為に纏まっ
ていた者達が一斉に仲違いを始めたのだ。
 僕は泣き崩れた。嗚咽が止まらなかった。あんまりじゃないか。あんな急に逝ってしまっ
たのは、おそらく願望剣(ディムスカリバー)の副作用だろうとはいえ。
 裏切られた気分だった。傍らのオディウスも、帝国なき後も何とか焼け野原の中で生きて
いる人々を見てごちた。王として、その代々の遺志を受け継いできた者として、自らの存在
意義を見失っていた。「……何だったんだよ、俺達は」と。

 そうして僕達は、再び何年魔流(ストリーム)の中に閉じ籠っていただろう?
 心配そうに寄り添い続けてくれたマーテルも、今やすっかり僕らの姿に疲弊し、打つべき
手を見失っていた。思えば、いつ離れていってしまってもおかしくなかった筈だ。
 失意の中、僕とオディウスは皮肉にも同じ後悔を抱いていた。
 あの戦いは間違いだった。ただそれだけを繰り返し、繰り返し紡ぎながら。
『──その通りさ。君達は何も、本質的なものに気付いてはいなかったのだから』
 そんな時である。ふと辺り一帯に反響するように、僕達を呼ぶ声が聞こえた。
 何だ? 此処は魔流(ストリーム)だぞ? 常人が気軽に立ち入れる場所じゃない。そも
そも僕達がまだ生きているなどと、知っている筈もない。
『迎えに参りました。稀代の魔導師と、運命に抗い続けた王よ』
 はたして現れたのは、四つの巨大な光球だった。
 いや……人か? 紫に金、黒と緑。それぞれに、こちらを見下ろしてゆっくり降りて来る
人影がある。
 一人は古仰族(ドゥルイド)らしき老魔導師だった。一人は端正な顔立ちをした金髪の青
年で、一人は漆黒の装束に身を包んだ寡黙な男。もう一人は胴着羽織姿の、一見しただけで
相当な手練れと分かる竜族(ドラグネス)だった。
『……何だ? お前達は?』
 僕達は警戒する。だがそれ以上に、その意識の上にはあり得ないほどの圧力が在った。
 膨大な、魂。僕らはそれを以前にも視たことがある。魔流(ストリーム)の渦の中を彷徨
っていた時、気付いたもの。ずっとずっと昔から、僕達を見つめ続けていたもの。
『“摂理”さ』
『摂……理?』
『そう。この世界に、いや全ての世界それぞれを構成する無数の魂、意思。彼らは現世に住
まう誰よりも膨大で偉大だ。無数でありながら一つで、一つでありながら無数でもある』
 じっと魔流(ストリーム)中──いや、世界中の魂が僕らを見ていた。そんな彼らを引き
連れた四人の男達は、僕らにこの世界の全てを話し始める。
『──“大盟約(コード)”が、装置?』
『──魔流(ストリーム)が、軋む?』
『──“閉界(エンドロォル)”? それが起これば、全てが消えるというのか……?』
 それは突然告げられるには、あまりにも唐突で壮大過ぎる事実だった。
 かつて古の魔導師達が造り出した“大盟約(コード)”が生む構造的な弊害と、拡大する
ヒトの営みが生み続ける絶望。それらが地上で、地底で、天上で繰り返され続けることによ
って、世界はその絶望自身によって滅びうる。終焉さえ望む無数の魂達の叫びが、このいち
箱庭(フラスコ)を内から砕きかねないという事実……。
(世界が、消える? そうしたら皆は? マーテルは?)
 だから僕が最初に考えたのは、そんな傍らの彼女のことだった。最も生命そのものに近し
いという精霊族にあって、尚且つその始祖的存在でもある彼女は──。
『なあ、良ければ一緒に来ないか? このままじゃあ“閉界(エンドロォル)”はいずれ確
実に起こる』
『我々は選ばれたのだ。彼ら“摂理”に。その加護を受け、真に世界を救済する為に』
 そう手を伸ばしてくる金髪の青年。残り三人──老魔導師と竜族と、黒装束の男。
 曰く彼らは、選ばれし者なのだという。そして僕達もまた、この“摂理”と相対すること
を許された時点で、その新たな一員としての資格を得たのだとも。
『……』
 少し迷った。だけど、僕は意を決してその手を取った。
 組織の名は結社“楽園(エデン)の眼”。この時より僕の、彼らへの接触が始まった。
 一向に変わることのない世界。終わらぬ無数の争い。そんな人々の姿に義憤(いか)りつ
つも、僕は彼らと共に“大盟約(コード)”の監視と修正を繰り返した。解放後に生まれた
魔導師として、いつしか僕はその中心的な存在となっていった。

 二百年ほど前には、シゼルを加えて七人に。
 “結社”を実動隊として力を蓄え、分析し。結局この古代の巨大装置を隅から隅まで明ら
かにするのに、千年もかかってしまった。
『──僕らが、この“世界を救う”んだ』
 かくして“結社(そしき)”は走り続ける。
 きっとかつての僕は……間違っていたんだ……。

 大きくヒビ割れて崩れ去る被造人(オートマタ)のユヴァンと、背後から一刺しされ、口
や胸元を口で酷く汚しながら、その場に倒れ込むヨーハン。
 だが実際に敗れたのは、後者のみだった。どうっと崩れ落ちる、全盛期の姿をしたかつて
の戦友(とも)を、今目の前で消滅してゆく自身と全く同じ姿をしたユヴァンが冷酷に見下
ろしている。
「な……何? 一体、どうなってるの?」
「もう一人の、ユヴァン? いきなり、ヨーハン様の背後から……」
 即ち二体目の被造人(オートマタ)だった。彼は一体目の器が倒されると悟った瞬間、自
らの意識を即座に離脱。別のそれに乗り換えると、ヨーハンの背後に転移したと同時に炎槍
の魔導で貫いたのだ。
「爺さん!」
『大爺様ぁ!!』
 ジークが、セイオン達が引き攣ったように絶叫している。
 ことディノグラード家の関係者であるセイオンの衝撃は凄まじいものだったろう。その場
に倒れ込んだヨーハンを中心に、積雪の地面がゆっくりと赤く染まってゆく。二人が駆け出
そうとした。しかしそんな行く手を、ジーヴァやティラウドが遮る。
「……やれやれ。思いの外、手を掛けさせられたな」
 フードを被ったままの、二体目のユヴァンが言った。
 もう応えない、地面に突っ伏したまま微動だにしないヨーハンを、一瞥してからゆっくり
と雪を踏み締めて近付き、そっと屈む。
「それは貰って行くよ。黒星続きもこれまでだ」
 手を伸ばしたのは、絶晶剣(カレドボルフ)と絶晶楯(カレドマルフ)。ジーク達も求め
ていた、最後の十二聖ゆかりの聖浄器だ。
 主が倒れ、二振りは静かに雪の上に埋もれている。
 ユヴァンはそんなかつての戦友(とも)に、それ以上言葉を向けるでもなく──。
「っ!?」
 だが、その時である。突如ガシリと、ユヴァンの伸ばそうとした手を、倒れ伏していた筈
のヨーハンが掴んだ。当のユヴァンは勿論、ボロボロになって碌に動けなくなっていたイセ
ルナ達やセイオン隊、周囲の面々が驚愕に目を見開く。
「……やはり、な。他にも、予備の身体があったか」
 もう虫の息の筈だ。
 なのにヨーハンはにやりと嗤っていた。何時からか──いや、或いはそもそも戦いが始ま
る前からこうなることを予想して、この瞬間を待っていたかのように。
「お前ほどの力の持ち主だ。いくら《罰》のリスクを避ける為とはいえ、それだけの魔力を
受け止められるほどの器など、そう易々とは作れまい。多くても三つか四つ……予備の身体
にも限りはあるのだろう?」
「っ! ヨーハン、まさか……!?」
 慌てて振り解こうとするが、信じられないくらいに彼はガシリとこちらの手首を掴んでい
て離さない。執念──言葉にこそ出さなかったが、ユヴァンは刹那戦慄していた。既にまと
もな眼をしていないヨーハンの、最期の抵抗が始まる。
「そのまさかじゃよ。端っからお前に、勝てるなどとは思っておらん」

「くそっ! くそぉッ!!」
 一部始終は見えていた。少し駆ければ追いつける筈だった。
 しかしジークは阻まれる。再び斬り掛かってきたジーヴァに、足止めを食らって剣を交え
ざるを得なかったのだ。圧倒的経験の差、衰えることを知らない鋭い刃の連続に、ジークは
少しずつ押し返されてゆく。
「──っ!」
 出し惜しみなんてしてられない。
 故にジークは、一旦大きく飛び退くと距離を取った。ジーヴァがふいっと持ち上げた剣を
止め、じっとこちらの様子を窺う。上等だ。ぶんっと剣先に魔流(ストリーム)を引っ掛け
て自身の身体に挿し込み、すかさず右手の紅梅に強く強くオーラを込める。刹那紅い炎のよ
うな輝きが彼を包み、その姿を紅いメッシュの入った髪と上衣を纏った、完全開放のそれへ
と変貌させる。更にそこへ《爆》の能力を。段階を踏んで積みに積んだオーラの総量を、文
字通り爆発的に増幅させて身に纏う。
「だ、駄目だ、ジーク君!」
 しかしそんな彼の取ろうとしている行動を見て、ハロルドが叫んだ。そのへしゃげて最早
機能を成していない眼鏡の奥の瞳には、ゆっくりと薄黒いオーラを剣に纏わせ始める、ジー
ヴァの姿が映っている。
 五月蠅いのう。だがハロルドや仲間達のそうした叫びを、直後傍に立っていたヴァハロが
サッと手をかざし、その《重》の力場でもって押し潰し、黙らせた。ぐっ……!? そこで
一旦言葉は途切れた。ジークは彼らの言葉も耳に入らずに、次の瞬間地面を蹴ってジーヴァ
を、その向こうで今まさに殺されようとしているヨーハンを助けに向かう。
「ぐっ……、あ……ッ!!」
 そしてセイオンもまた、足元に倒れ伏した部下達と同様、遂にティラウドの《龍》に捕ら
えられてしまった。首を絞めるようにギチギチと持ち上げる。その蠢く巨大なオーラの塊を
操りながら、ティラウドは横目にちらっとこのユヴァンとヨーハンの姿に目を遣っている。
一丁上がりっと、クライヴやサロメ、フェルトの使徒三人組も、粗方片付けたこの竜騎士団
の面々の有り様を見て、多少なりとも溜飲が下がったようだ。

「お前の器、取らせて貰うぞ! ユヴァン!」
 喉にせり上がった血でくぐもりながらも、ヨーハンは次の瞬間叫んだ。
 気付いた時にはもう遅かった。握った手の甲に嵌めた絶晶楯(マルフ)と、いつの間にか
もう片方の手で触れていた地面の絶晶剣(ボルフ)から、猛烈な勢いで結晶質の膜が生じて
迫ってくる。完全に逃れるタイミングを逸した。二体目の器に移ったユヴァンの身体は、み
るみる内にこの一対の聖浄器が生み出す結晶壁に覆われ、閉じ込められてゆく。
「おのれぇ! ヨーハン……ッ!!」
 おそらくは最初に相対した瞬間から、ヨーハンの戦略はこの被造人(オートマタ)の身体
を可能な限り奪うことに切り替わったのだろう。《罰》の色装の性質上、自分自身が直接出
張って戦えば、誓約違反による反転ダメージのリスクは避けられない。文字通り彼は自らを
犠牲にしてでも、この先の戦いで自分を確実に倒す為の布石を採ったのだ。
『──』
 故にユヴァンは、自他もろともが結晶壁で覆われ切ってしまう前に、この二体目の器を手
放すしかなかった。
 寸前で脱出し、この自らを模した被造人(オートマタ)の目から光を──自身の意識を抜
け出させて、消える。
 そしてまるで、半透明で堅い繭のように。
 ヨーハンが最期の力を振り絞って展開した結晶壁は、はたして自身と聖浄器、ユヴァンの
仮初の身体を文字通り封じ込めることに成功した。その覆い尽くされる直前、彼はこちらを
横目にしながらシュウウ……と白煙を上げて静かに微笑み、刻の操球(クロノ・グラス)の
効果も同時に切れて文字通り、枯れ果てた老人の姿となって事切れていった。
「どっ、けぇぇぇぇーッ!!」
 更にジークがその渾身の一撃を放とうとしたのも、同時。
 紅梅の完全開放による、紅く眩い巨大なオーラの突進に、ジーヴァは真正面から向かい合
っていた。薄黒いオーラを宿した剣を静かに持ち上げ、刹那霞むように動く。
『──』
 まさに目にも留まらぬ早業だった。一瞬で切り結んだその一閃が、自身を突破しようとし
たジークの表情に驚愕の相を作る。残心。ぐらりと、中空でスローモーションになる。
「ガッ……?!」
 直後、爆ぜて。
 それまで纏っていた巨大なオーラが、一閃の下に真っ二つにされていた。……いや、真っ
二つというよりは、別の力を受けて鋭く霧散したと言っていい。
「……だから、駄目だと……」
 絞り出すように呟いて、力尽きるハロルド。彼には視えていたのだ。
 操作型《黒》の色装──即ち“何者にも染まらない”色。この能力に触れた能力は、その
一切を無効化される。ジーヴァの、使徒最強たる所以だ。
 故にジークがどれだけ《爆》や六華、接続(コネクト)で自己を強化しようとも意味など
なく、結果纏うオーラの塊を削ぎ落された彼の防御力は、寧ろ皆無に等しい。
『……』
「ジーク、さん……?」
 仲間達が、セイオンらがその瞬間信じられないものを見たかのように、言葉を失う。風雪
の一陣二陣向こうで倒れる彼の、その身体からじわじわと広がってゆく大量の鮮血だけが、
否応にもスローモーションの世界に落ちてゆく感覚の外側に在る。

「──うーん、おかしいわねえ。全然繋がらない……」
 時を前後して、旧ワーテル島に停泊していたルフグラン号内では、ダン達南回りチームと
留守組の団員達、レジーナやエリウッド以下技師組の面々が怪訝な面持ちを浮かべていた。
リュカがイセルナ達に連絡を取ろうと携行端末でコールしたのに、突然応答がある前に切れ
てしまったのである。
「どうしたんだろう? 最初は繋がりかけてたのに、急にバリバリッていって……」
「少なくとも普通じゃなかった。イセルナさん達、何かに巻き込まれたのかも」
「うん。それにレナちゃんの叫び声、してなかった? ジークの名前とか、悲鳴みたいな」
「……拙いな。また“結社”が出たのかもしれねえ」
 先の戦いのごたごたで未だ繋がっていた通信の向こうで、ハウゼンやファルケンら、王や
議員達も緊迫した面持ちでこれを聞いていた。レノヴィン達が? 下手なざわめきさえも、
今は漏らせるような雰囲気ではない。
「船長、エリウッド、至急古界(パンゲア)に飛んでくれ! 俺達も竜王峰に向かうぞ!」

「──ジークの身に、また……?」
 故にこのやり取りの一部始終を観ていた玉座のシノが、傍らのコーダスが思わず目を見開
き、立ち上がる。ごくりと大きく息を呑む。
 直後ふらりと、シノが思い詰めた余り倒れそうになった。
 それを慌てて夫たるコーダスが、この場に控えていたサジ達側近が支えて駆け寄る。
「陛下」
「うむ。一旦お主に任せよう。こちらの事後処理がまだ済んでおらんのでな」
 同じくその盟友であるセドや、サウルもまた動き出していた。ハウゼン王とウォルター議
長。それぞれが属する陣営の長に了解を得つつ、逸る気持ちを抑えて部下に指示を飛ばそう
とする。
「……今度は竜王峰に?」
 そして他の四盟主に動きが見れられたことを、サムトリア大統領府のロゼもまた気付かな
かった訳ではない。大都消失事件での恩、以降の聖浄器回収の任における縁。彼らほど直接
的ではないが、こちらも警戒するに越したことはない。
「ロミリア、貴女にはどう視える? ……ロミリア?」
 だがそう何時ものように、自分付きの傭兵兼占い師である“七星”の一人に意見を求めた
その時、ロゼは彼女の様子がおかしいことに気付いた。既にサイドテーブルにタロットを広
げていた彼女が、一枚のカードを手に取ったまま固まっている。
「“死神”の、正位置……」

 アルスはその日、ちょうど定期試験の真っ只中だった。指定された講義室に他の生徒達と
共に入り、緊迫した空気の中、一心不乱にペンを走らせている。
「──っ!」
 だが次の瞬間、彼の握っていたペンが軸の途中からバキリと折れてしまったのだ。思わず
くぐもった声を漏らしてしまい、他の生徒や監督役の教官の視線に遭うが、咄嗟に苦笑いを
浮かべてこれを誤魔化し、筆箱の中から別のペンを取り出そうとする。
「大丈夫? アルス」
「うん。平気、だけど……」
 すぐ頭上に浮かんだまま、そう小声で話し掛けてくるエトナに、同じくひそひそ声で答え
て苦笑(わら)うアルス。
 だが何故かこの時だけは、アルスはそう額面通りの感情のままではいられなかったのだ。
改めて予備のペンを握りこそせど、どうにもそわそわとし始めて落ち着かない。
(……兄さん?)

「嫌ぁぁぁ、嫌ぁぁぁーッ!! ジークさん、ジークさんッ!!」
 竜王峰の上層、宝物殿を抱く山腹に、仲間達の悲痛な叫びが響き渡っていた。ことレナの
それは尋常ではない。最愛の人を失った、どん底の涙だ。しかし当のジークは血だまりの中
で、目を見開き倒れたまま、微動だにしていない。
「……呆気ないものだな。シキはこれよりも、遥かに強かったぞ」
 なのに彼を斬ったジーヴァ本人は、そう寧ろ幻滅したようにごちるだけで、ヒュッと剣先
の血を払うと、そのままゆっくりと白雪を踏み締める。
「う、嘘だろ? おい、ジーク……」
「ジーク、起きて! お願い、目を覚まして!!」
 一方でヴァハロは、そんなイセルナ以下仲間達を《重》で押さえつつ「ふむ?」とこの独
り歩き出してゆくジーヴァの方を見ていた。
「ヴァハロ。ジーヴァと共にあの邪魔な塊を壊せ。彼は一旦退いてしまったが、まだ中には
絶晶剣(カレドボルフ)と絶晶楯(カレドマルフ)が残っている」
 承知。ザッと同じく白雪を踏み締めて、ヴァハロもまたティラウドの指示を受けて歩き出
した。当のティラウド自身はまだ《龍》でセイオンを捕えているため、すぐには動けない。
それでも不測の事態が二度も起きないよう、警戒の眼差しを怠りはしなかった。
「……そんな。何で……」
 泣き叫んでいたレナが、プツンと糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。イセルナ以下仲
間達、或いはヨーハンを失って愕然としているセイオンらも、目の前で進む最悪の事態に手
も足も出ない。ジーヴァとヴァハロが向かう後ろ姿の斜線を遮るように、クライヴら三人が
得物を肩に担ぎ、或いは握り締めて、こちらを不敵に見下ろしている。

 来たるべき“結社”との決戦に備え、英雄──十二聖ゆかりの聖浄器を求めて世界中を巡
った、彼ら特務軍ことクラン・ブルートバードの旅。だがその旅路の果てに在ったのは、は
たして希望だったのだろうか?

 季節は初冬。所は天上層・古界(パンゲア)、竜王峰。
 この日、ジーク・レノヴィンは……命を落とした。

               《古記なる旅路(リプレイ・ザ・レコード)(後)編:了》

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  2. ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止します。

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