日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)One Answer, One World

(雑記としては)またしても久しぶりになった気がします。
でも日数の上ではギリギリ二週間を越えなかった程度で、そう考えるとそこまで時間が経っ
てはいないのかなあと思ったり。だけどこうして振り返った瞬間にはもうそんなにと、一転
して早いようにも感じる。……それだけ、日々の生活に目新しい刺激を感じられなくなって
久しいという証なのでしょうねえ。如何足掻いても歳は取る──“子供”の頃のままの感性
を維持するのは難しいとはいえ、引き出しを補充することを怠れば、即ち創作人としての死
が待っている。どん詰まりに行き当たるという訳なのか……(´・ω・`)

さて、予定通りこの原稿を書き切れていれば、これがUPされている時には暦も八月になって
いる筈です。一旦は列島を横断(縦断ではない)した台風がごそっと熱を持ち去ってくれた
かなと思いましたが、そうは問屋お天道様が卸さない。一過後の二日・三日となれば早くも
気温はむくむくと上り調子を回復し、茹だる暑さに。
……それでも、先日の40℃を超えた時のことを思えば、まだ現状マシな部類なのかなあ?
まだお盆前後及び残暑シーズンが控えているので、楽観視はできませんが。
(そもそも先の酷暑が“異常”なのであって、それを比較対象にするってのが本来おかしい
んですけどもねえ。本当、人間慣れってのは恐ろしいとよく云ったもので……)

かねてよりのスケジュール通りに身体が動けば、この週末に次の執筆モード(ユー録次章)
を迎える予定です。例の如くこの時期は暑さでどうにも思考が纏まらないのですが、まぁ何
とか時間やらをやり繰りして書き切りたいなと思います。大体もって、じゃあ程よい気候で
あれば“良文”が書けるのか? って話でね……? いわゆる精神論は正直好きませんが、
うだうだ言ってる暇があったら手を動かすよう自分に鞭を打たなきゃ。少なくとも毎回、書
いている内に段々ノってくるパターンだし。ただでさえ自分は、所詮努力の方向音痴っての
をばかり続けてきた訳ですし……。

……。

例の如く愚痴ばかりです。お目汚しお許しください。ツイッタ(小日記)での進捗覚え書き
でも少し呟いているのですが、目下自分の創作云々に対して迷走中です。いつもの事では?
どうも自分は当初から「思考実験」=自分の為の小説ばかりを書いてきて、いわゆる「娯楽
小説」=他人の為の小説というものを後回しにしてきた感が否めない。我ばかり突っ張り、
蔑ろにしてきたという認識がある。
それがここ暫く、改めて脳味噌の真ん中というか、意識の俎上にずずいと登ってきた。それ
では誰かの為の物語じゃないぞ? 他人受けしないぞ?と。読んで貰えないぞ?と。

努力の方向音痴──というより、何のかんのと理由をつけてそっちへの努力自体を疎んでき
たきらいさえあるのです。今居る、或いは往こうとするフォーマットにおけるニーズを分析
する=既存の作品を読み込むことを怠って、自分の我(思想)ばかりを突き通そうとする。
そんなのは自分本位というか、我が儘ではないか。寧ろ尚もプロに未練があるのなら、そう
いった我を殺してでも読者という「お客さん」のニーズに応えなければ……φ(=_=;)

理屈でいけばそれがお仕事、なんだけどなあ。普段作業場でやっていること──中の人的に
せっせかヒーコラいっていても、先方からの要望に(可能な限り)応えてゆくのが、長い目
で見ても肝の一つであろうに。なのに感情の部分では、未だにそういった心構えに、創作と
いう土俵ではどうしても頷けない。求められるやり方に従えない。まぁこうしたアプローチ
云々はウェブ小説系で特に強いのであって、いわゆる文壇サイドの小説書きさんは、逆に既
存のニーズに応えるというよりも新たに自分が生み出すんだ! っていう考えが強いように
見受けられますが。
(あくまで職業・商業としての小説に徹するか、文藝という求道の営みに重きを置くか、と
いう態度の違いではあるんでしょうけどねえ。どちらが良い悪いとは一概に言えない。ただ
前者の方が、理屈の上では“近道”であるには違いない訳です。中世みたいにパトロン的な
人々がいる訳でもなし、そもそも自分自身としても、がっつり純文に転向しようとしたって
これまでのラノベ的題材選びを捨てなきゃならないわ何だわで……)

創作はあくまで趣味だ。そう言い切れればいいんでしょうけど、なまじ病気をして周回遅れ
の人生だった分、何とかして挽回を──夢を見ているんでしょうねえ。ぶっちゃけ小説家や
その周辺の業界を舐めてるとしか言えませんが。自分だけが楽しむ分には別にこのままでも
よいとしても、如何せん職人気質なんですわなあ。求道しちゃうし、長く続けている内に欲
も出てきて、気が付けば捨てられなくなっちってるし……。

っと、いけない(長文すみません)

私事の濃い話は、なるたけ折り畳みの中でやらないと。


普段より導入部が長くなってしまいましたが、改めて。

創作云々だけの話に限らず、本来唯一の『正解』なんてのものは無い筈なんですよね。小説
を書くにしろ漫画を描くにしろ、詩や音楽、その他色んな表現媒体で活動してゆくにせよ、
趣味という位置付けで充分という人もいれば、いやこの道で食っていくんだと(自ら退路を
断つほどに)強い決意で突き進む類の人もいる。イメージ的に言うなら、決して「一本道」
ではない筈なのです。確かに多数派が往くメインストリートなるルートは在るのかもしれま
せんが、道自体はそこから或いは以前以後から、無数に枝分かれしている。そこへひょいっ
と入って進んで行ったって──いや「進む」という表現すら時には押し付けで、ある地点で
留まってもいい。そこが道全体としては途中でも、或いは行き止まりの一つでも、個々人が
これでいいと『回答』できるのなら、それがその人にとっての正解だと言ってしまって差し
支えない筈なのです。歩いて来た道を振り返って、意味ならばその時にようやく言語化すれ
ばいい。意味や価値とは始めから在るのはではなく、自分なりに彷徨する中でようやく発生
するかもしれない程度のもの。

ですが……どうも人の世というのは、唯一絶対のそれを求めたがる。規定して、自分以外の
その他大勢を従えたがる。
尤も心理を考えれば、無理もなかろうものではあるのですが。自分のそれまでを振り返って
自分の力で意味や価値を確定できない時、僕らはどうしても不安になる。これでよかったの
かと「確か」なものに縋りたくなる。……そんな時、おそらく一定数(以上)の人々はそこ
で義憤(いかる)んでしょうね。もっとこの道は素晴らしい筈だ、他の道を進んでいる連中
はどうかしてる。そうやって、他者を巻き込んで顕示しないと、自らの不安や正当性を維持
できない。往々にして、そんな外部に求める行為は悪性であるのだけど──自覚せずに突き
進んでいる人は案外多い気がする(というか、自覚しているなら尚の事性質が悪い)

どうも昨今、そんな気色と言いますか勢力といったものが、どんどん力をつけてきているよ
うに思えてなりません。敢えて悪意(敵意)を以って形容するのならば……増長している。
インターネッツを始め各種報道に目を配っている方なら、既に国内外でそうした動きの露骨
な部類が散見されていることには気付いているかと思われます。

具体的に言うと、いわゆるポリコレ棒ですよねえ。或いはそのカウンターとしての反知性・
いわゆるヘイト的な思想表明。
尤も個人的には、前者の方を危惧しています。何故ならこの手の人々は彼ら的な『正解』を
口にし、行動しない人間をまさしく魔女狩りよろしく吊るし上げて回っているからです。

「看護婦さん」を「看護士」←男の従事者だっている。女の仕事みたいに言うな
「保母さん」を「保育士」←(同上)
「スチュワーデス」を「キャビンアテンダント」←(同上)
「メリークリスマス」ではなく「ハッピーホリデー」←キリスト教徒以外への配慮不足だ
「障害者」を「障がい者」←害、はネガティブな言葉。当人らのイメージが悪くなる……。

確かに元々ポリコレ=ポリティカル・コレクトネス(政治的に正しい表現)とは、性差など
を前提にした表現をなるべく中立的なものに置き換えてゆくことで、人々の意識を少しずつ
改革。ひいては差別の無い世の中になるという考え方の下で広まった運動の筈……でした。
ですが、近年はそうした概念を過剰に振り回す自称“正義”の人々が多数──悪目立ち的に
現れ、社会のあちこちで活動し、その実「言葉狩り」と呼んで差し支えない状態が横行して
います。ですがもしオープンドな空間で反論でもしようものなら、彼らの“正しさ”に反抗
する者となり、即ち差別主義者のレッテルを貼られるのです。袋叩きに遭うのです。
(まぁ中にはマジモンのそれもいますけど。ただどちらにせよ“偏っている”には違いない
と、個人的には思いますが)
そういった過剰な運用──差別をなくす為の概念が、いつしか“強者”を攻撃する為の道具
となってしまったことに、仮に“強者”ではなくとも、そうした過激派達からのとばっちり
に遭いかねない状況に疲れてしまった人々が、いつしか「まるで棍棒だ」と揶揄する意味で
使われだしたのがポリコレ棒という言葉です。元々の運動理念自体は綺麗なものだと思うん
ですけどね。なまじ“正論になって逃げられない”分、悪用され始めたらその影響は半端な
ものじゃなかった訳です。いわゆる活動家達の格好の武器(大義名分)になってしまった。
                        正直、人類には早過ぎたのかもしれない……。

ともあれ(某なろう小説発禁や漫画打ち切り騒動などを経て)昨今のこれら“正しい”概念
は僕達に言葉狩りの様相を強くみせつけています。
即ちそれは──『特定の答え方しか許さない』社会が出来つつあるということ。
げんなりというか、頭大丈夫か? というのが正直な感想。そもそも旧態な価値観(特定の
カテゴリーに追い遣られた人々を差別するという特定の態度)の中では生き辛くて、もっと
“多様”な在り方を認めろ──許し、保証してゆくべきだという旨の運動だった筈なのに、
いざ勝ち取ったと思ったら今度は自分達のそれに遅れてくる者達を許さず、ばっさばっさと
切り殺す……。尤も実際には運動している勢力と、件のマイノリティや実害の当事者らとが
必ずしも一致していないからそんな現象になっているのでしょうが、少なくとも支配被支配
が入れ替わっただけ──血を流し、首を取る“革命”として消費することしか考えていない
のなら、そりゃあ反発の百や二百も出るでしょうよ。全員が全員ではないにせよ、力ずくで
型に押し込まれた人間の精神は、往々にして逆張りの道を辿る。寧ろそうしてきた者達に対
して意固地、憎悪の感情さえ抱くようになる……。

ここ暫く左右両派においては、某自民議員の「生産性」発言でやいのやいのと言っているよ
うですが、これらは根本を辿っていくと同じなんですよ。特定の回答(価値観)で他者を染
め上げたい、制圧したい──いや違う、それは偏見だ! だって私達こそが正しいんだ!と
何処かで反論があるかもしれませんが“駄目”です。僕はそういう風に観ますよ? 面と向
かって哂いに行くことこそ(美学に反するので)しませんが、僕は貴方達を「嗚呼またか」
程度に観ています。だってざっくり言うと結局右派は「国」に、左派は「個人」に依って立
つのに都合のよい回答を広めたい。それだけのことじゃないですか。まぁ僕自身の立ち位置
はどちらかと言うと後者に近い(田舎育ち故、ムラ社会大嫌いマン)のでしょうけど、かと
いって国=政府やら社会のインフラが僕らの暮らしを陰日向に支えていることくらいは認識
しているつもりで。だからとかく左派的に政府を叩けばいい、みたいな熱量にはやっぱり賛
同できない。実際問題、人がただそれだけで価値がある──生まれながらにして人権を持っ
ている。そんな現代社会の概念を担保している(する役目を担う)のは各国だし、その国を
担保するのは人口の再生産に他ならない。今後生殖医療の発達などで子供を産む・育てるの
技術や世の中の仕組みがガラッと変わる可能性はあるんだろうけど、少なくともそれまでは
やっぱり子供を産める、育てられる人を優先して支援するのが長期的に見て国の大事な仕事
の筈だと僕は思うのです。
(だから、一方的に上から『産めよ増やせよ』ってのは態度として誠実じゃない、という話
である。それだけのことなんじゃないですかね? 先ずは環境を整えてから言うのが筋で、
それと同時に支援を受ける側も、悪い意味で『お客様は神様だ』とふんぞり返って要求する
から話が余計に拗れるんだろっていうか、お互い感情的にならざるを得ないというか……。
まぁ現実そうした大仕事をずっとサボってきたツケが、少子高齢化という形で回って来てる
訳なのですが。……喧嘩してる場合じゃないだろ)

いわゆるメインストリート的な道は在る。それはヒトが社会性の動物──群体である以上、
どうしても出来上がってゆくものなのだろうと僕は思います。

でも、だからといってそれ以外の道が無い訳じゃない。それ以外の選択肢が、重きを置く価
値が無い訳じゃない。メインストリートに関わる・関われる人間ばかりじゃない。なのにそ
ういった事実に、自分以外が歩いてきた道に想像力を注がないから……征服したがるのでは
なかろうか? ゼロサムばかりで物事を捉え、向こうを立てれば“自分”が死ぬ!なんて思
うから、そんな極端な──自分の意味や価値を「外注」する羽目になるんじゃなかろうか?

勿論、そういったプロセスが必要な時もある。個人は(一人の方が気楽だという性質の人も
いるから)ともかく、集団というものはやはり密閉されていると腐るものだから。ストレス
が溜まって、そこにいる他人を食い殺してしまう──生物の本能だから。でも、そこで理性
を動員できるのが、また人間であると僕は思う。人類種というコミュニティは、元々多彩を
内包することで全体の一括滅亡を防ぐというシステムだった筈だ。そんな利点をみすみす、
個人的な感情と間違った発散の方法(※こっちの方が性悪で厄介)でグチャグチャにしてし
まうなど、ナンセンスではないか。もし貴方がたの感情が、そうやって発露されるべきだと
いうのなら、何故他者大勢のそれが同様の“権利”を持たないと言い切れるのか。

……随分話が飛んでるというか、長くなってしまいましたが。

それぞれが歩いた道にちゃんと、価値が認められて欲しいなと思う今日この頃。確かに評価
する人によって、その人が属する集団(の目的)によってそれら(=優先順位)は変わって
くるのだろうけど、ならばせめてと。別の何処かでそっと生きていられるように。無遠慮に
征服する気なら来なくていいから。せめて放っておいて。僕はそっちの道にそぐうのにまだ
まだ時間が掛かりそうだし、このまま不適合で終わるかもしれない。だけど彼ら他人びとの
それも、僕一人のこの正否も、詰まる所自己責任であるのなら。

Your Answer, My Answer.
His Answer, Her Answer.

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  1. 2018/08/02(木) 00:00:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

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