日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)Amethyst League〔5〕

 ──父さん、母さん、先立つ不幸をお許し下さい。
 貴方達がこれを読んでいる時は、既に僕はこの世にはいないでしょう。
 自殺なんて愚かだと、罵られるかもしれません。貴方達が謂われない周囲の誹謗中傷に苦
しむ可能性だってあるでしょう。ええ、分かっています。
 でも、僕にはもうこうするしなかった。こうするしか……なかった。
 全ては僕の弱さにあります。決して自分の思い通りにならない存在を、無理矢理にでも僕
の主張の通りに治めてしまおうとする高慢さ。それに気付き、歯止めを掛ける事を考えなか
った為に、僕は際限なく不可能を可能にする事を望み続けてしまった。
 お願いです。原因や理由を、貴方達自身に、ましてや他の誰かに求めないで下さい。全て
は僕が、自身の弱さの為に陥ってしまった、己の不徳の所為なのですから。
 決して誰かを、ましてや貴方達自身を責めないで欲しいのです。
 父さん。貴方はずっとたくさんの人々の為に頑張ってきた正義の人だと思います。報われ
なかった人達に代わって、悲しさや悔しさを遺された人々から肩代わりして、罪を償うべき
者を追いかける……。だけど、今だから言えるけど、僕はもっと自分の足元をじっくりと見
ても良かったんじゃないかなと思います。貴方は、本当は優しいから、よく厳しい人だと間
違われてしまうから。遠くに手を伸ばすよりも、大事な事が近くにある筈です。
 母さん。仕事で忙しい父さんとよく喧嘩をしていましたね。
 私だって、家庭を守ってきたのよ。そんな台詞をよく耳にしていた記憶があります。
 だけど、一言言っておきたい。苦労は誰もがしている事です。少しきつい言い方かもしれ
ないけれど、世界は貴方だけでできているのじゃない。もっと、自分の苦労を語る前に他人
の苦労を受け止めてあげられる広さを持って下さい。貴方は、僕をここまで育ててくれた。
自分以外の存在を受け止められない筈など、ないのですから。
 父さん、母さん、今までありがとうございました。旅立つ僕が言えた言葉ではないかもし
れないけれど……これからの貴方達が、どうか今よりも幸せでありますように。


 Chapter-5.鉄の迷路に

 二人の視線は暫くの間、交錯していた。
 背後の四人は様子見を決め込んでいるのか、それに介入しようという姿勢は見受けられな
いようだった。むしろこの傍観を、これから始まろうとする対峙を楽しもうとするかのよう
にすら見える。
 一種の陰湿な悪意の視線を感じながら、両者は黙していた。
「やっぱり、という事は」
 その再びの沈黙を破ったのは三枝だった。
「私が絡んでいると、君は既に『予知』していたわけか」
「……!」
 淡々と放たれた言葉だったが、胡太郎は静かに動揺していた。
 予知というフレーズから、仲間にも話せずにしまい込んでいた秘密を、既に彼が把握して
いる事を示していると悟ったからだ。
 胡太郎が二の句を継げず、代わりに目を開いて見上げてくるのを三枝は見下ろしながら、
「君の能力は『予知夢』……だね。君だけじゃない、君達の事についてはこちらでも調べさ
せて貰っている」
「………。そうですか」
 三枝は、言葉にせずとも、何てこったと項垂れそうな胡太郎を見下ろして言う。
「……厳密には『対象者の記憶を起点として、彼らの未来の可能性を閲覧する能力』です」
 そして、後方で控えてた女性が更に補足するように呟く。再び胡太郎はどうして? とで
も言わんばかりに振り向いて彼女を凝視していた。
「古手川の能力は、人格模写──触れた相手の姿形や声色、人格、そしてそれらを形成する
個人情報を含めた全てを読み取り、再現できる」
「……あなた方に触れた時間は比較的短かったので、今回は必要最低限の情報しか採取でき
ませんでしたが」
 三枝が口を開き、古手川と呼ばれたこの女性が再び補足のように呟く。口調は丁寧だが、
表情は相変わらず事務的というか、無愛想だった。
 やはり能力者だったのか。それも集まりの際に予想していたよりも厄介──個人情報まで
知られているとは。胡太郎は口に出さず、もう一度古手川の無表情を一瞥してから、三枝に
向き直っていた。
「硬質化能力、不知覚化能力、発炎能力……君の仲間にも能力者はいるが、手に入れた情報
を吟味した結果、一番君の能力が厄介だと判断した」
 だから、自分が最初に狙われたというわけか。
 やはり能力者を潰す事が目的なのだろうか。不安と決して少なくない恐怖感と共に胡太郎
の思考は頭の中をぐるぐると駆け巡る。
「他の能力はともかく、君の力は先回りされれば、私達の行動の障害となる可能性がある。
現に、君は私がこの場を用意したと既に予知していたようだしね」
「…………」
 胡太郎は彼が語るままに耳を傾け、同時に彼の目を見ていた。
 濁ってはいない。しかし深さを湛えたその瞳の奥には、決意……何だろう、もっと彼自身
が腹の底に突き立てた筋を、頑なまでの筋があるような気がしてくる。
「……何故、私が絡んでいると思った?」
 予知したから、ではない。彼が言わんとしているのはそもそも何故、彼を予知の対象者と
したのかという疑問だろう。胡太郎は少し、ほんの少しだけ抱いていた不安がほぐれるよう
な気がした。……彼はまだ、話を聞いてくれる姿勢を残している。
「……最初あなたに会った時、僕は記憶が妙に引っ掛かるなって思ったんです」
 慎重に、しかし偽る事までは考えず、胡太郎は返答を開始する。
「住宅街の小川で、あなたが死体を調べに来た時の事でした。だけどその時は僕自身、あま
り気に止める事はなくそのまま放ったらかしになっていたのですが。だけど」
 目線を上げて、三枝をくっと見据える。彼も何かが来ると察知したのだろう。その視線を
はぐらかす事なく黙って見返してきた。
「先日、ひょうたん池での一件であなたが駆けつけてきた時の声で、思い出したんです」
 三枝がほんの僅か、よほどよく見ていないと分からない程の僅かさで瞳に動揺を映した。
「──『君達、そこで何をしている』」
 静かに、胡太郎があの時に三枝が叫んだ言葉を再生してみせる。周りの四人はそれがどう
したといった感じで見ていたが、三枝は何かを悟ったように、ふぅと小さく息をついて上を
見上げる。ややあって視線を戻した彼に、
「同じ言葉でしたね、三枝刑事。七年前のあの夜と同じです」
「…………」
 胡太郎はですよね? と確認するように語り掛けていた。
「思い出したんです。小川で出会った時じゃない、僕は──否、僕達はあなたにずっと以前
に出会っていた。七年前のあの日の夜、流星群が降り注いだあの河川敷で佇んでいた僕らを
見つけて『君達、何をしている。危ないから早く家に帰りなさい』、そう言ってあの場から
僕らを帰しましたよね? あなたは、あの時のパトカーに乗っていた人だ」
 胡太郎はそう語りながら、口元を僅かに緩める三枝を見てその蘇った記憶を確信へと変え
ていった。間違いない。あの夜、青紫色が照らす河川敷で呆然としてしまっていた自分達を
現実に呼び戻し、日常へと引き渡したあの人だと。
「……そうか。君も、思い出していたんだな。確かに、あの時の警官は私だよ」
 その言葉を吐き出す三枝は、少し表情が柔らかなように見えた。少しの間、結ばれる両者
の視線。しかしその穏やかさに流れそうになった顔つきは再び厳しさのそれへと戻り、
「しかし、ただそれだけで私を『覗いた』というのか」
「……いえ。それはあくまで切欠です」
 同じく気を引き締め直した胡太郎と相対する。胡太郎は彼の背後で目を瞑ってもたれ掛か
ったままの氷の男を一瞥して、
「後々になって妙だなと思ったんです。ひょうたん池であなたが駆けつけて来たタイミング
がちょっと出来過ぎじゃないかって。それに、タマちゃんがいくらごまかしたとしても、池
を凍らせたあの光景を素通りに近い状態で通過して、彼らの後を追ったというのも不自然で
はないかとも思いました」
「…………そうか。やはり、少々無理があったかな」
 今度は三枝がじろっと氷の男を見遣った。
 非難の眼差し。しかし当の本人は一度軽く半目を開いただけで、悪びれた様子など微塵も
見せずに再び目を瞑る。三枝は小さくため息をつきながら向き直った。
「それで、僕はあなたを視てみる事にした。夢の中で歩いているあなたを見つけては触れ、
扉の向こうあなたを覗いてみました。何か、この不自然さを紐解く手掛かりはないかと」
 胡太郎は更に言葉を続けた。
 夢の中、三枝の扉の向こうで見たのは幾つかの光景。
「殆どはあなたが刑事として働いているらしい場面でしたけど……その中に、混じっていた
んです。何度か、あなたがそこの人達と会っている場面が」
 そこで胡太郎は確信を得た。両者は繋がっている。ぐるだと。
「だとすれば、辻褄が合います。あの時タイミング良く僕らの前に現れたのも、そこの氷の
人の様子を観察していたからなんじゃないですか? ……ただ、だとしてもちょっと妙だな
と思う所は残っているんですけども」
「……ほう。何処かな」
「何故、あなたがあの時止めに入ったかという点です。例えば、能力者を潰す……といった
目的ならばあそこであなたが介入する必要性はなかった筈です。でもあなたは、不審がられ
るリスクを負ってでもそれを止める方を選んだ。と、いう事はあなたの目的はもっと違う所
にあると考えないとおかしくなりますよね?」
「…………」
 三枝はその疑問には答えなかった。しかしその無言はこの推定があながち間違っていない
事を示していると言ってもいい。胡太郎は更に続ける。
「だから探しました。他人の未来を見るなんて、盗人みたいな感じですけど。でもやっぱり
知りたかったから……。相変わらず刑事としてのあなた、後ろの彼らと会っているあなたが
殆どでしたけど。でも、幾つかそれから気になる場面を見る事はできました……否、気にな
るというものじゃないですね。それまでの疑問以上に大きい懸念でした」
 胡太郎の表情が、その時の心情を呼び起こしたかのように苦々しくなった。三枝らを見上
げる視線にはいつの間にか警戒の色が強く宿り直り、同時にそこから脱出口を見つけようと
するように相手の様子の観察には事欠かないように。
「今こうして、あなたが縛られている僕の前に立っている場面です。という事は僕はいずれ
あなたと直接向き合うんだなって思いました。……それだけならまだいい。それだけなら。
でも、あなた達は……っ!」
 ぎりぎりっと食い縛った歯。胡太郎はそこからの言葉に一度詰まった。温厚さを掻き分け
るようにしてせり上がってくる激情。三枝は眉間に皺を寄せた。
「あなた達は、皆に……仲間達に危害を加えるつもりなんですか? 皆を傷つけるつもりで
いるんですか!?」
 疑問系での発露だったが、胡太郎が三枝達の未来に何を視たのかは明らかだった。今まで
比較的大人しかった彼の変化に用心したのだろう。陰気な長髪男と筋肉質の男が数歩、彼の
方へと歩み寄って押さえ込もうとする。しかし、三枝は片手で「待て」と二人を制止すると
じっと胡太郎を見下ろしていた。静と動の視線が交わる事暫し。胡太郎も徐々に落ち着きを
取り戻していく。
「結論から言うとイエスだ。だが、殺しまではしない。彼らがどれだけ抵抗するかに依る」
「…………」
 小さく肩で息をしながら、胡太郎は三枝を見上げいてた。安堵ではなく戸惑いに近い感慨
だろうか。意図を測りあぐねているようだった。
「……一つ、訊いていいか?」
「……何ですか」
三枝は厳しい表情のまま、ぽつと口を開いた。
「何故だ? 予知で自分が捕まると分かっていながら。連絡を受けた際にはあまり抵抗の意
志を見せなかったと聞いている。未来を知った故の諦めか?」
 そう問いながらも三枝は、それは違うなとすぐに自身の中で断定していた。もし諦めだと
すれば彼の見せたあの激情は何なのか。もっと彼は、別の意図を抱えている……。
「……僕の事はどうであろうと構いません」
 胡太郎の返事は、やはりその予想に近いものだったらしい。眉間に再び皺が寄る。
「だけど、僕の能力は未来の可能性を視る事、ですよね。だったら、皆があなた達に傷付け
られる未来じゃない未来を手繰り寄せる事だってできる筈です。……その為にはあなた達と
接触する必要がありました」
「…………。君は自分の仲間達には手を出すなと、説得しようと?」
 三枝の言葉に、胡太郎は黙ったままこくと頷いた。なるほど、やっと彼の腹に通った不穏
の正体が分かった気がする。三枝は納得しつつも、同時にやはり彼はやり難い相手だなとい
う感想を頭の中で上書き修正していた。
 どうしたものか。三枝は眉間に皺を寄せたままでじっと考え込む。彼は曝け出してきた。
引っ込みなどつけるつもりはないのだろう。
「……参ったな。君の言いたい事は分かった。だが、私も今の立場をそう易々と変えるわけ
にはいかないんだよ」
「…………」
 かといって、私は彼と同じく曝け出せるのか? ここまでに。
「先程も言ったように、君の仲間達とどこまでやり合う事になるかは彼らの反応次第だ」
 二度目の本音。だがそれでも目の前の捕らわれの少年は得心してはくれないだろう。自分
を等閑にしてでも仲間を助けたい。そう思っている彼に、この言葉では効果は弱い……。
 膠着だった。三枝はじっと、仲間の未来を救いたいと願うこの少年と静かに向き合い続け
た。頑固だな……しかし、それは私とて似たようなものか。静かに内心で自嘲が起こる。
 どうやらいい反応がすぐには返ってこないらしい。彼の言う立場とやらが何かは分からな
いが、それでも何としても皆をあの時見た可能性から外してみせる。胡太郎はじっと考え込
んでいるらしい三枝をじっと見上げていた。
 時間にして数分だっただろうか。無言のこう着状態に、背後の面々が少し怪訝になって何
か声を掛けようかとうずうずしてきたらしい、その時だった。
「…………はい。もしもし」
 携帯電話の着信音。
 古手川が上着のポケットから淡い赤色のボディを取り出し、パカと開けると淡々とした表
情で電話に出た。全員の視線が集まる。しかし様子がおかしかった。彼女が無表情に少しの
怪訝を漏らし、何度も電話の向こうの相手に応答を呼びかけている。
「…………?」
 彼女が、パッと耳に当てていた携帯電話を離した。

 そこは、辺り一体が鉄の森といってもいいような場所だ。
 市を南北に流れる玉殿大川、その河口、沖合いへと続く下流沿岸にそれらは在る。割合に
緑が残り、昔ながらの家屋と緩慢な開発の波がせめぎ合いながらも、一応に共存しているよ
うに見えるこの街も、その南方の特に開発が盛んなこの場所には新旧併せた工場や倉庫群が
広い敷地の中に敷き詰められたように並んでいた。
 しかし、その規模と活気は必ずも一致はしないものである。
 大都市圏ならばいざ知らず、一地方都市において偽りようのない玉殿市も不一致の例には
漏れず、規模の割りには実際に操業している工場も、使用頻度の高い倉庫も、良く見積もっ
たとしても全体の半分を超えるかどうかという状態だ。
 元より駐在するような類の場所ではない為、そうなれば自然とその一部は一種のゴースト
タウンに近くなる。つまりは、街のいわゆる不逞の輩がアジトなりに勝手に入り込んで利用
され、さらに治安的な意味でも危うくなるという悪循環。
 故に、夕暮れを迎え、操業時間を過ぎていくに従ってこの一帯で働く人間でさえも好んで
この場に残る事は皆無となってしまったのである。
「……はぁ。だりぃ」
 そしてこの日も、また黄昏に染まりながら怠惰に染まる、いかに不良といった風体の男達
が数人、この沿岸工場・倉庫群の一角にたむろしていた。所謂ヤンキー座りで何があるのか
イライラした表情を張り付けている者、くちゃくちゃとガムを噛みながら壁に寄り掛かって
いる者、派手に染めた髪を逆立てて煙草を吹かしている者。雰囲気そのものが剣呑である。
「しゃあねぇだろ。見張っとけって言われてんだし」
「分かってるよ。だけどさ……来ねぇだろ、わざわざこんなとこによ」
 不良達は辺りを一応な程度に見渡しながら、格上の者によって下された命令に従う格好を
取りつつも、怪訝は隠せなかった。彼ら自身も周辺一帯が今くらいの時間帯を境に、自分達
のような類の人間以外を寄せ付けない空間と成り果てている事は承知なのである。
「……っていうか、あいつらは何なんだってんだよ。妙なトリックが使えるからって威張り
散らしやがってよ」
「おぃ、あんまそんな事言うなって。聞かれてたらボコられっぞ。……お前も見てただろう
がよ、逆らった奴がその、変なトリックでぶっ倒れたろう。……やべぇよ、あいつらは」
 不良達が押し黙った。トラウマか何かを刺激されたような、苦い表情で。
「……しゃあねぇよ、言われた通りに見張りするしか……」
 壁際に寄り掛かっていた不良が、吸い終わった煙草を灰色の地面に落としてぐりぐりと踏
み潰しながら、ポケットから煙草の箱を出し、二本目を口に加える。
「えっと、ライターは……」
 そうして火をつけようと再びポケットを弄っていると、誰かが彼が加えた煙草の先に火を
点けた。
 男が「おぅ?」と視線を寄越して、
「何だよ? 火、欲しかったんだろ?」
「なっ……!?」
 壁の曲がり角から半身を出して、指先に炎を点している少年──晴市の勝気な顔を見つけ
て思考がパニックに陥る。他の不良達も慌ててその様子に目を見張っていた。
「な、何だ。お前っ!」
「何って……」
 完全に──指先から炎を出しているという、彼らに言わせれば妙なトリックで──上擦っ
た声で叫ぶ彼に、晴市はにやりと笑って、
「ただの通りすがりさ。仲間(ダチ)を取り返しに来た、な」
 その不良が、咥えていた煙草を吐き出すようにして顔面に左ストレートを浴びて倒れるの
を見遣る。白目をむいてずるずると崩れ落ちる彼を、拳を握った篤司の姿が見下ろす。
「な、何だ?」
「こいつ、何もない所から出て来た……よな?」
 ゆらっと方向を変え、残る不良達に対峙する篤司と晴市。
 不良達は、最初は何が起こったのか分からずに混乱していたが、ややあって攻撃対象と悟
ったのか、ぎろっと睨みを利かせて、ある者はナイフなどを取り出してみせる。
「……俺が前に出る」
「あいよ」
 短いやり取り。次の瞬間、篤司がだんっと灰色の地面を踏み込み、彼らが反応するよりも
早くその懐に飛び込んでいくと、鋭い拳を一撃一撃、確実に打ち込んだ。予想以上にできる
そう彼らが判断した時には既に遅く、あっという間にその殆どが気絶させられていた。
「畜生っ!」
 ナイフを握った不良が、半ばやけくそで篤司に突進してきた。
 しかし、篤司は軽くこれを半身で交わしてナイフを握った腕を取ると、そのまま彼の体勢
を足を払いながら崩す。そして、そのナイフの切っ先は、
「危ねぇもん、振り回してんじゃねぇよ」
 目の前で、ぱちんと指を鳴らした晴市が熾した炎の中にくべられるように包まれ、あっと
いう間にどろりと溶けて地面に落ちる。その不良は「ひっ!?」という短い悲鳴のすぐ後に
首筋に篤司の手刀を受けて、どうっと地面にと倒れてそのまま動かなくなった。
「も、もしもし? 大変です。侵入者ですっ! は、早く来て下さい!」
 少し離れた場所で、独り逃げ腰で距離を取った不良が、震える手で携帯電話の番号を呼び
出し、何者かに連絡を取ろうとしていた。声色は情けなく、痛々しい。しかしそれは無理も
なかっただろう。トリックだと言ってみても、目の当たりにしたのは事実なのだから。
「ま、マジでこいつらやば──いぎっ!?」
 しかし、その助けを請う声は途中で妙な短い悲鳴で切断された。掌からカシャンと携帯電
話が落ちる。眉間に皺を寄せて、だらっと脂汗が流れた。
 彼の股間に、一人の少女──環の蹴りが直撃していた。
 ふーっと深く息を一つ。男がずるずると力なく気絶していくのを確認して、環はそっと力
の限りに振り上げた脚を下ろした。見下ろされたこの不良は、少々見っともない格好で白目
を剥いている。
「……よしっ」
「よし、ではないだろう……」
 ふっと、何もなかった環の背後から突然のように沙夜が現れた。彼女の左腕には陽菜子が
少しビクついた表情で掴まっている。憐れにも急所を強打され気絶した男を見遣り、沙夜が
若干呆れ顔で環を見る。
「流石にやり過ぎな気もするが……。いきなり襲い掛かるのはやはり……う~む」
 後ろからは不良達を片付けた篤司と晴市が近づいて来る。
「何言ってんの。木刀を抱えた人がよく言うわ」
「む……。こ、これはいざという時のものであって……」
 にやにやしながら指摘する環に、沙夜は口篭った。環の言う通り彼女の小脇には布で包ま
れた長物があった。沙夜は少しきゅっと抱え直すと少し視線を逸らした。その様子を、環は
面白そうに見遣りながら、男が落とした携帯電話の前に屈み込む。
『──もしもし? どうしましたか?』
 少し遠めだが、こちらへ問い掛ける声が聞こえた。間違いない。あの時の変装女の声だ。
環はむんずと携帯電話を手に取って、
「コタロー、そこにいるの? 待ってて、すぐ私達が助けに行くからね!」
 大きな声で宣言するように一方的に携帯越しに告げると、電源を切った。
「……何をやっている?」
「ん? コタローへのメッセージ。多分こいつ、コタローを攫った奴らと連絡取ろうとして
たのよ。……相手は、例の変装女の声だったわ。間違いない」
 篤司の少し重い声色に、環は少し興奮気味に答えた。例の変装女──そのキーワードを出
され、彼も非難の色をさっと引っ込めたようだった。代わりに確信のような真剣な眼差しを
示した。後頭部で後ろ手を組んだ晴市が確認する。
「じゃあ、ここでビンゴって事か?」
「多分ね。アツシとサーヤの分析は間違ってなかったって訳よ」
「……コー君」
 
 事の始まりは、陽菜子が胡太郎の自室から持ち帰った一冊のメモ帳だった。
 血相を変えて帰ってきた彼女に「何処行っていたんだよ?」という問いを発する前に、晴
市は「とにかくコー君が大変なの!」という妹の差し出すメモ帳に目を通した。
 陽菜子の説明を受けながら、晴市は知った。
 胡太郎が予知の類の能力者である事、その事実を長い間隠してじっと独りでその力の内容
を検証するかのようにこのメモを取り続けていた事。
 そして何より最後の数頁を見て、
『……あの、馬鹿野郎っ。独りで何でも背負い込みやがって!』
 今現在、彼が何を意図しているのかを。
 晴市はすぐに他の皆に連絡を入れ、事の次第を説明した。胡太郎が例の連中に攫われたと
いう旨の情報を。陽菜子曰く、自宅にはまだ帰って来ていないという。念のためもう一度確
認してみたが、幸志郎の返事は同じだった。
 不自然だ。新條家・飛鳥部家から瀬尾家はさほど離れていない。寄り道をするにしてもど
だい無理がある。その途中でいなくなったという事実と、彼の残した、攫われ、監禁されて
いるという旨の予知のメモ。兎にも角にも、彼を探さなければならないと思った。
 晴市と陽菜子、環は彼の行きそうな場所を探して回る。
 その間に篤司と沙夜には別の調査を頼む事にした。
 もし予知の通り、胡太郎が現在攫われているのならば、彼は一体何処にいるのか。その見
当をつける為である。
 メモ帳の予知内容を信じるならば、
『五月三十日(土)
 三枝刑事 刑事さんらしき人が沢山いる場所。多分警察署だ。仕事の光景らしい。
 三枝刑事 人気のない公園で人と会っているようだ。知らない人が多いけど、あの氷の男
や変装の女の人もいる。何故彼があいつらと……?
 三枝刑事 何処かの部屋。独り、何かの本にじっと目を落としているようだ。
 三枝刑事 縛られた僕を見下ろしている。何処かの倉庫の中らしい。外にも工場みたいな
建物が沢山見えた。この前に三枝刑事が会っていた例の面々も一緒だ。やっぱり……』
 何処かの倉庫、工場群。
 不動産事情に詳しい望月家、沙夜にはそうした場所のピックアップを、喧嘩慣れし、人攫
いもしそうな、不良連中の溜まり場事情にも心当たりを持っている篤司にはピックアップさ
れた場所の中から、人を連れ込めそうな、イリーガルな属性のエリアを絞り出して貰った。
 その結果、一番可能性が高いと踏んだのが、この大川下流沿岸の一帯だったのである。

「この何処かに、コー君が……」
「見張りまでついていたしね、おそらくは」
 陽菜子が泣き出しそうな、心配そうな表情で聳え立つ工場や倉庫の林立する光景を見上げ
ていた。五人は改めてこれから突入する鉄の迷路を見遣る。
「で、どうする? 具体的に何処かまでは分かんねぇよな」
「うん……。み、見張りの人達も皆気絶しちゃって聞けないし……」
「聞けたとしても知っているかは微妙だな。こいつらが下っ端だとしたら知らされていない
可能性も高い。何せまごう事なき拉致・監禁だ。知られるのは少ない方がいいだろうしね」
「じゃあ、やっぱ虱潰しに探すしかないわけ? 参ったなぁ……」
「……いや、分かれて探そう。時間が惜しい。リスクはあるが」
「……よし分かった。どう分ける?」
「そうだな……」
 話し合いの結果、篤司、沙夜と環、新條兄妹の三手に分かれて胡太郎の居場所を調べる事
となった。攫った連中──おそらく能力者も含まれているだろう──と遭遇する可能性も考
えて、それぞれに一人は能力者がいるように振り分けた。そして何か手掛かりが、若しくは
胡太郎自身が見つかれば携帯電話で互いに連絡を取り合う事も確認しあった。
 ざっと見渡せる部分を中心に担当エリアを三等分。結局は虱潰しの捜索には違いないが、
多少効率は上がる事だろう。
 位置についた面々を見渡し、晴市が口を開いた。
「行くぜ、皆! コタローを助けるぞ!」
『応ッ!』
 三手に分かれ、五人は聳え立つ鉄の迷路に足を踏み入れていく。
「…………」
 陽菜子は兄や仲間達の後ろ姿についていきながら、胡太郎のメモ帳をそっと胸にかき擁い
ていた。湧き上がってくる不安の波を、何度も彼を助けたい、助けるんだという想いで蓋を
しようと試みる。
(コー君……。お願い、無事でいて……!)
 自然と、かき擁いた両手に震えながら力が込められていた。
『深森篤司 何処かのコンクリートの地面仰向けに倒れている。何処となくボロボロで辛そ
うに見える。喧嘩は、強い筈なのに……。
 飛鳥部環 大きな男の人に、壁際に追い遣られているみたいだ。タマちゃんの隣では、何
故かサーヤが蹲って倒れている。一体……。
 新條晴市 あちこちが燃えている、凍っている。間違いない。ハルが氷の男と戦っている
様子だ。駄目だ、まともにぶつかっちゃ駄目だ……』
 陽菜子の脳裏に、最後の頁に書かれた予知の内容が反芻される。しかし、一番陽菜子の心
を一際波立たせたのはそれら予知ではない。直後に走り書きされていた、彼の決意の片鱗。
『こんな未来、認めない。僕が皆の未来を変えてみせる。皆を、守るんだ』


 古手川の手の中の携帯電話から、少女の声が響いた。
 打ちっぱなしの灰色の空間に残響し、消える。彼女の宣言のような台詞の直後、通話は向
こう側から切られたようで、ツーツーと通話終了を報せる電子音が黙した一同の耳に遠くか
らの余韻のように聞こえていた。
「…………タマちゃん? 皆が? 何で? どう、して……?」
 三枝がちらと胡太郎の様子を見遣る。
 まるで訃報を知った親族の如く、彼はがっくりと項垂れて弱々しく呟いていた。前髪から
覗く瞳は大きく揺れ動いており、その動揺の大きさが窺い知れた。
 古手川はこちらも携帯電話の通話を切り、二つ折りに戻してポケットにしまう。
「……まさか向こうからやって来るとはな。予定にはないが、まぁいい」 
 三枝は沈み込む胡太郎から目を逸らし、背後で控えている三人に視線を移して命じた。
「熊沢、坂上、氷室。……迎えに行って来い」
「おう」
「ククク……迎え、ね」
「……ふふ。了解」
 それを聞き、三人はそれぞれ返事をしてゆったりと歩き出す。そこには陰湿な含みを持た
せた彼らの嬉々が読み取れるかのようで、
「あくまで、目的は抵抗力を削ぐ事と恐怖を刷り込ませる事だ。無意味にいたぶるのとは違
う事を忘れるな。特に氷室、次は……ないぞ」
 ぎろりと睨みを効かせた表情で、三枝が三人に言う。
 特にと釘を刺された氷の男、氷室は彼の言葉に軽く肩を竦ませて微笑んでみせるだけで、
彼の威圧の眼に怖れる様子すらない。
「……彼らの内、三人は能力者(カテゴリー3)です。油断なきように」
 半開きのシャッターを潜り、外へ出ていく氷室らの背中に古手川の声が届く。彼女のその
言葉に、熊沢は背を向けたまま片手を上げ、坂上はちらと彼女を見てからニタァと気味悪く
笑うだけだった。
 夕陽が三人分の長い人影を映し、遠ざかる足音と共に徐々に消えていく。
 三枝は、ゆっくりとその顔を上げた胡太郎と再び視線を交えた。
「……君のしようとしていた事は、水の泡になりそうだな」
「…………」
 胡太郎は応えなかった。その瞳は揺らぎを治め、再び強い決意の色へと戻ろうとしている
ように三枝には見えた。まだ諦めていないのか? 氷室らによって彼らは捕らえられるだろ
うというのに。開き直り……ではない。では何だ?
「……僕が、無理に変えようとしたからかもしれませんね」
「? 何がだ」
「……皆の可能性をです。僕が先回りしてその可能性を防ごうとした事が、却って結果的に
皆を危険な目に遭わせる未来へ手繰り寄せてしまったのかもしれない……」
 内省の念を込めたように、目の前の少年はそう呟いた。
 言われればそうかもしれない。三枝自身、運命のような類はあまり信用してはいない人間
ではあるが、人の未来を無数に枝分かれするようなイメージ──可能性の複雑な分岐として
捉えるのであれば、この少年の能力はそれらの分岐を部分的でありながら予め見てしまうと
いう事に他ならない。そうなのだ。だから……。
「……だから、私は能力者という存在を認めないんだ」
「……?」
 三枝は内心の自制が効くよりも前に、そう口にしていた。胡太郎が少し訝しい様子で見返
してくるのが分かる。多少の後悔の感情が出た。しかし何故だろう、それよりも話す事ので
きる、許されるような、そんな奇妙な安堵がそっと蓋をしてくれるような気がする。
「君も、身に染みて分かっただろう? 君達が持つその力は危険なんだ。あってはならない
ものだ。人の身には余りあるものなんだよ」
「……だったら、彼らはどうなんですか。多分、残りの二人も能力者……なんですよね? 
あなたの言うように能力者が危険だというのなら、何故彼らを使うような真似をしているん
ですか? あんな危ない奴らを。それに、何より皆を……」
 皆を危険な目に遭わせているのはあなたでしょう。その言葉を飲み込み、胡太郎は敢えて
疑問系で言葉を紡いでいた。まだ……まだだ。彼の目的や意図、それらを知る事で彼を、皆
を『迎え』に行ってしまったあの三人を今からでも止められる糸口を見つけるんだ……。
「……そうだな」 
 氷室の内面の剣呑さ等を言っているのだろう。三枝は尚も喰らい付いて反論してくる胡太
郎を見下ろして部分的な肯定を示していた。
「しかし残念ながら、私一人では目的は果たせない。何せ能力者──そこらの不良を相手に
するのとは勝手が違う。相応の協力者が要る。蛇の道は蛇という言葉もある」
 ふるふると、胡太郎は首を振った。
「分かりません……。何故そこまでして能力者を目の仇にするような事に? 仮にも刑事で
ある人が不良、の人達と手を組んでまで……」
 あくまで頑なに見える三枝の言葉に、胡太郎は思考を巡らせながら疑問を口にしていた。
 刑事もそうだが、綺麗事だけで世の中が動くわけではない。シニカルにもそういう事は頭
にはあるつもりだ。しかし、彼はそれだけで収まっているようには思えなかった。もっと別
の、刑事という彼の肩書きとは違う立場が彼をそうさせているように、胡太郎には思えた。
「……今ここにいる私は、刑事ではないよ」
「え?」
 思わず聞き返してしまう程に、彼の言葉はか細かった。
 しかし次の瞬間に三枝は大きく息をついた。まるで腹を決めたように今まで以上に強くて
厳しい瞳で見下ろしてくるようだった。それまで離れていた二人の距離を、一歩また一歩と
詰めながら。
「私の目的は、能力者という存在をこの世から消し去る事だ」
「……?」
 その言い方には妙な含みがあった。胡太郎は、それはつまり抹殺という事かと思ったが、
先刻の氷室達への言葉などを含めて考えると殺すつもりではないのかもしれない。尤も、仮
に抹殺というつもりであれば刑事の(間接的な)殺人という事にもなる。
「能力者は……いや、人外ともいえるその能力は危険なものだ。その力に魅入られてしまい
犯罪を起こすとなれば尚更だ。……鎌田のようにな」
「鎌田?」
「君もニュースは見ていただろう? 例の通り魔と言った方が分かり易いか。夜の緑地公園
で君達を襲った相手だよ」
「!? ……何故、それを」
 最後の一言に、胡太郎は驚いて目を見開いていた。三枝は「何、簡単な事さ」と、
「あの時の様子を、私達は見ていたのでね。現場を押さえようとしていたのに、君達がやっ
て来るものだからあの場では機を逃してしまったが……」
 それでも君達から逃げた後、氷室達と共に彼を捕らえたのだという。
 胡太郎は唾を飲み込みつつも何も応えなかったが、三枝はそれ見たことかと言わんばかり
に強気に出ているような気がした。若しくは何処か吹っ切れた後のように。
「鎌田を能力者として抹消する事はできた。だが、そこで一段落とはいかなくなった。君達
という存在を見つけてしまったのだから……。そしてその時に思い出したんだよ。七年前、
河川敷のクレーターの中に佇んでいたあの時の子供達が、君達だという事も」
 ゆっくりと歩んでいた三枝の足が止まった。
 胡太郎との距離はおよそ腕一本分。拳を振るえば間合いに入る距離だ。コートのポケット
に両手を突っ込んだまま、先程よりも急勾配になった胡太郎からの見上げる視線を、同じく
見下ろす視線で受け止める。
「君達も勘付いている事だろうが、能力者は皆あの流星群──否、この街を中心に降り注い
だ隕石、紫の水晶体に接触した者達だ。いわばその瞬間から君達は『感染』したんだよ」
「感染……?」
 引っ掛かる表現だった。まるであの水晶が病原菌のような言い草である。
 少し眉根をひそめた胡太郎を見下ろしたまま、三枝は続ける。
「あの場で少なくとも二人が既に能力者(カテゴリー3)の様相を見せていた。正直、焦っ
たよ。このままではまた能力者が増えてしまう。だから、少し強引ではあったが、君達六人
を誘い出し、身に染みさせる事を図った。……能力者とは危険な存在であるという事をね」
「……それは、ひょうたん池での事、ですね?」
 彼の言葉で半ば確信していた胡太郎の質問に、三枝は「ああ」と短く頷いた。
 それにしても何故? 能力者が危険だと身に染みさせる、つまりわざわざ……。
「だが、氷室の奴は加減を超えて君の友人を……確か、晴市君と言ったかな。彼を文字通り
に始末しようとした」
「……じゃあ、あの時あなたが飛び出してきたのは」
「氷室を止める為だ。目的は殺しではないのだからな」
 なるほどそれで……。と辻褄が合うと思った反面、胡太郎は奇妙さも感じていた。つまり
彼は敢えて能力者を見つけると、極端に言えば半殺しをして回っているとでもいうのか。
 疑問が不信に変わっていく。胡太郎はその心証を片方で御しながら、届きそうで届かない
彼の目的・胸中を何とか覗こうと試みていた。
「……分かりません。そんな事をしてどうなるというんです。本当に殺してしまうならまだ
しも、脅すだけで能力者が能力者でなくなるわけでもないでしょう?」
「ああ、そうだな」
 頷かれて、胡太郎は内心いらっととなった。
 じゃあ何故そんな回りくどい真似をする必要があるというのだろう。疑問は募る。
「能力者になる事を、マイナスに思うようになってくれればいいんだ」
「マイナスに……?」
「能力者となる源──あの紫の水晶体は、今もまだこの街の中に眠っている。全てが回収さ
れたわけじゃないだろう。たとえ能力者である事を破棄しても、またそれらに近づいてしま
えば同じ事を繰り返す事になる。そうしない為の予防線としてだ」
 理由は、三枝がそうして打ち明けてくれた。確かにまだこれから先、新たに彼の言うよう
な『感染』者が出てくる可能性はある。一度、能力者である事を自覚し、その力に溺れた者
であるならば更に力を求めてまだ残る水晶体を探すかもしれない。
 手段は強引ではあるが、彼の目的とは能力者達の力への奢りを戒めるという事なのか。
「だけど……」
 胡太郎は彼の言葉の中にまた別の引っ掛かりを覚えていた。
「それでも、能力となった人を『消し去る』というあなたの目的とやらには不十分です」
 能力者である事を破棄する──果たしてそんな事が可能なのだろうか。少なくとも、この
能力は自身の意志で身に付けたものではない。なのに彼の言い方はまるで……。
「あぁ、そうだな。……私が一般人であれば」
「え?」
 三枝が左手をポケットから出した。ゆっくりと、胡太郎の前に掌を翳す。
「しかし、私になら可能なんだよ」
 刹那、胡太郎は目を疑った。
 目の前に見せられた三枝の掌が、突然カッターで切り裂いたように横に線が走り、まるで
口のようにぱくりと開いたのである。それはただの傷ではない。血肉も骨も剥き出しになる
事はなく、まるで暗渠のような黒々とした闇が覗いていたのだから。
「!?」
 そこから、何かがにゅると飛び出してきた。思わず反射的に胡太郎は仰け反った。そこを
掠るように伸びた何か──三枝の左掌から開いた風穴から目のない蛇のようなものが蠢めき
ながら胡太郎に向き直る。
 まさか、そんな……。言葉が出ない胡太郎を、三枝はすうっと目を細めながら、自身の掌
から伸びる眼無し蛇の蠢きと共に見遣りながら、言った。
「……私も、能力者だからね」
 
 対峙と驚愕。
 それは何も、胡太郎だけに起こっていた訳ではなかった。
 三枝と胡太郎のやり取りより前後して、三手に分かれて捜索を続けていた晴市達五人にも
それらはやって来たのである。
 近づく足音に気付き立ち止まる者、進んだ先に待ち構えていた者、巡り合わせの悪い再会
を果たしてしまった者……。
「ククク……。おやおや、一人かい?」
「…………」
 篤司は、倉庫と倉庫が作る空き空間で佇んでいた陰気な長髪男・坂上と。
 陰気臭く笑っている坂上に、篤司はただ黙して静かに拳を握り締めると、十分な距離を取
って向かい合う。
「おう? なんでぇ、女二人か……。まぁいいや、ちょいっと遊んでやるよ」
「う……。ど、どうしよう? サーヤ」
「……タマは下がっていて。ここは私が」
 環と沙夜はそこかしこに廃材が積み上げられた搬入路上で、筋肉質の男・熊沢と。
 筋肉質のゴツさに心持ち退く環の前に出るようにして、沙夜は小脇に抱えていた長い包み
を解くと、そこから木刀を取り出して握り締め、正眼に構える。
「お、お兄ちゃん……」
「分かってるよ……。参ったな、こりゃ」
 そして、晴市と陽菜子の新條兄妹は、
「やぁ。ここでも遭うなんて、僕らはよほど引き合うらしいね」
「ぬかせ。気持ち悪い事言うなっての」
「ふふ……」
 氷の男こと氷室との、最も警戒していた再会を果たしてしまう。
 妹を背後に制して距離を保ちつつ、晴市はこの場をどう切り抜けるべきかを考える。直接
ぶつかるには危うい。だがこちらが逃げても、他の仲間に接触されればもっとまずい……。
(……悪ぃな、アツシ。お前の助言、聞けそうにねぇや)
 捕らえに来た者と助けに向かう者。三対の対峙の構図。
 リスクは、しかと眼前に現れた。


 風が吹いていた。夕暮れを迎えていた空気は昼間の穏やかさを隠しつつあり、肌に感じる
感覚は暖かいというよりも少々冷たいといってよかった。
「ククク……」
「…………」
 倉庫や工場の並ぶ中を歩いていた篤司は、それらが囲む少し広めの場所に出た所で一人の
男に遭遇していた。陰気そうな薄ら笑いを浮かべる、やや痩身の長髪の男。篤司の進路を塞
ぐようにして先に抜けるらしい道筋の途中に突っ立ってにたにたと笑っている。
 こいつは、敵だ。
 喧嘩慣れした直感が篤司にそう伝えてくる。
「……お前、胡太郎を連れ去った奴らの手の者か?」
「ククク……。だとしたら?」
「胡太郎の居場所を、吐いて貰おう」
 長髪男・坂上がまたククク……と笑った。どうにも不愉快な、鬱陶しい笑い方だな。篤司
は少しばかり眉根を寄せて彼を見つめる。どうやら犯人連中に間違いないようだが、さてど
う出てくるか。一戦交えるにしても、あまり時間を掛けてはいられない。
「まぁまぁ、そんなに焦るなって……ククク。ちゃんと、瀬尾だっけ、そいつの所には連れ
て行ってやるからよ」
 言葉だけを取れば、安堵。しかし篤司はそれに惑わされる事はなかった。
「……その前に、てめぇを動けなくしてやってからなぁ!」
 ぐっと身を屈めたかと思うと、坂上はポケットに手を忍ばせながら篤司の方へと駆け出し
て来た。やはり、こうなるか。篤司は小さく舌打ちをし、
「ひぃっやっはぁっ!」
 次の瞬間、距離を詰めて来た坂上の手から振られた一閃を最小限の動きで交わす。スロー
モーションのように見える動体視力の中で、坂上の手に幅広の折り畳み式ナイフが握られて
いるのが確認できた。
 続けざまに、銀閃が篤司を狙って舞う。
 篤司は目を逸らす事なく、冷静にその一撃一撃を交わすと、爬虫類が攻撃してくるかのよ
うな機敏で狂気混じりの坂上の動きを観察する。慣れている。だが、狂気任せに振られてい
る分、篤司の眼には無駄な動きも多く残されているように見えた。
 何度目かの突き。それを篤司は半身を移して交わしながら、左肘で坂上のナイフを握る腕
を払い、同時に足を掛けてその体勢を崩す。「お?」と一瞬、間の抜けた彼の顔面。その隙
を逃す事なく、次の瞬間には篤司の右ストレートが坂上の顔面にめり込んでいた。
 前のめりになった勢いも相まって、坂上の身体が強烈な反発のエネルギーのままに篤司を
離れて吹き飛ばされていこうとする。握られていたナイフが地面に落ちて金属音を立てる。
 スローモーション。僅かな時間での所作。
 放ってくる狂気にさえ惑わされなければ、後は一撃を打ち込むだけでいい。人間という同
じ基本構造を持ったものに変わりはないのだから。
 吹き飛ばされ、地面に倒れこもうとする坂上。篤司はこれで終わればと思っていた。
 だが、
(……?)
 笑った。殴られて仰け反った坂上の口元が確かに、にやっと笑うのを篤司は目にした。
 ざわっと湧きあがった疑問と共に再び引き締まろうとする緊張。
反撃が来る。直感的にそう悟った篤司は、顔面と身体を守るように両腕を翳して……。
 ──ズンッ!
 予想外の、全身を打つような衝撃が走るのを感じ、ずざっと思わず後退っていた。自分の
意志ではなく、それほどに衝撃が確実にヒットしていた為であった。同時にどさっと灰色の
地面に倒れる坂上。篤司は知らぬ間に大きく呼吸を整えている自分に気付きながら、ややあ
ってのそりと起き上がり、ニヤニヤと笑う坂上の表情を見た。
(……何だ? さっきのは)
 反撃、らしきものが見えなかった。そもそも、あんな体勢で反撃をしてきたというのか。
どう見ても、奴の動きにそんな様子は見受けられなかった。確かに拳を受けて吹っ飛び、そ
して地面に倒れていた筈なのに。
「ククク……これは効いたぜ。お前、慣れてるだろ。こういうの」
 そう言う坂上だったが、気のせいだろうか、思ったよりもダメージが無いようにすら見え
るのだが。篤司は言葉を返すことなく、内心に湧いた疑問の方に意識を集中させていた。
 見えない反撃。不可視……まさか。
「おらおら、どうした? ぼけっと突っ立ってよぉ」
「…………」
「動かないなら、こっちから行くぜっ」
 再びポケットに手をやった坂上が二本目のナイフを取り出す。先程よりも長く幅広のもの
だった。篤司は半信半疑の仮説を抱いたまま、再度坂上の攻撃の手に集中させられる。
「うらぁっ!」
 機敏さと狂気を帯びた、突撃。
 篤司はぐっと坂上を見据えていた。白刃が眼前に伸びる。
 瞬間、肉を刺すのとは明らかに違う異質の音、金属同士のぶつかる鋭い音。「ぬぅ?」と
一度その変化に坂上は目を細めた。突き出された幅広のナイフの切っ先が、篤司の突き出し
た掌──鋼鉄のように黒く変色した腕全体に防がれていた。
 硬質化能力(の腕部限定)だった。能力者(カテゴリー3)が混じっているとの古手川の
事前の情報を坂上が思い出すのと同時、ぎゅっと握り締めた篤司の手が、ナイフを切っ先か
ら粉々に砕いていた。僅かによろめき、坂上に隙ができる。
「──がっ!」
 それを見逃さず、彼の腹に篤司のしなるような蹴りがめり込んでいだ。
 しかし篤司はまだ坂上の様子を注視していた。あの衝撃、見えない反撃は何か。その正体
に篤司は薄々勘付き始めていたからだ。
(こいつも、能力者だ……)
 少なくとも目に見えない攻撃を放つらしい。それに、仲間の中にはステルス(不知覚化)
能力を持つ沙夜がいる。見えなくなるという何某かの力が他にも存在していたとしても、何
ら不思議ではない。だからこそ、敢えて篤司も自身の能力も使うとスイッチを切り替えた。
 そして、篤司は見た。
 蹴り飛ばされる坂上、その苦痛の表情の中にやはり反撃の意志を。やはり口元には僅かに
描かれた、してやったりの弧。スローモーションの中で、篤司は更に彼がこちらに向けてそ
っと手を翳しているのをはっきりと見たのである。
 刹那、二度目の衝撃が篤司の身体を走った。
 先程よりもより強力にさえ思えた。ぐぅっと篤司は一番強くその衝撃を感じた部分、脇腹
を押さえながら、再び地面に転がっていく坂上を見た。
 もくと上がる土埃。そこからまた、ゆたりと坂上が立ち上がった。篤司は脇腹に当ててい
た手を離し、彼の不快な半笑い顔に向けて、
「……やはり、能力者か」
「あぁ、お前と同じさ。早いな、もう気付いたのか」
 ククク……とまた気味悪い笑いを浮かべながら、坂上は少し得意気に篤司に答えていた。
先程自分で見せたのもあるだろうが、今回の件にあの変装女──そして恐らくあの氷の男
も絡んでいるとすれば、この仲間ないし手の者にも、自分達の情報がある程度伝わっている
と見ていいだろう。だとすれば……。
「…………」
 次の瞬間、今度は篤司が地面を蹴っていた。
 ……だとすれば、早々に決着をつけてしまうのが上策。少なくとも相手には自分の手の内
が既に知られている可能性が高いのだから。一気に、畳み掛けて終わらせる。
「お?」と突っ込んでくる篤司を坂上は見ていた。ポケットを探っていないという事は既
にナイフは品切れか。それでも相手の反撃は、許さない。坂上が応戦しようと構えたその時
にはもう、両腕を黒々と硬質化させた篤司の姿が眼前に迫っていた。
 顔面に左フック、右フック。どてっ腹にも突き上げるように三連発。
「うおぉぉっ!」
 そして、攻撃を受けた相手の反発力を利用しながら再びだんっと踏み込みを入れると、体
重を乗せた渾身の右ストレートを顔面に打ち込んだ。
 大きく口を開け、がはっと唾を吹きながら坂上の身体が中空を舞う。仰け反った顔面にめ
り込んだ拳が離れると、彼がぎぎと白目を剥きかけているのを確認する。
 硬質化させた両腕からの、全力での攻撃。生身の人間が受ければ無事では済まないだろう
が、相手は妙な反撃を放つ能力者だ。気絶でもさせなければ落とせないだろう。
 流石にこれで……篤司が仰け反って倒れようとする坂上を注視しながらも、少しそう思考
が過ぎった時だった。
「!?」
 ゆらっと、気絶しかけた坂上から向けられた掌。
 しまったと思った瞬間、ズドンッと合計三発の衝撃が篤司の全身を駆け巡っていた。腹と
顔面、威力は一度目・二度目とは比較にならないほどに強力だった。
「が……っ!」
 篤司は流石に瞼の裏に星が光るのを見、唸り、衝撃によって後退りさせられながら、膝を
ついて大きく息を荒げている自分を確認していた。
 土埃。静寂。荒げた自分の呼吸の音がやけに大きく聞こえる。
「…………うぅ。こいつは、相当に、効いたぜ……ククク」
 ゆっくりと、ふるふると頭を振りながら坂上が立ち上がった。殴られた顔面は痛々しいも
のだったが、気絶してもいい筈のダメージにも拘わらず多少息を荒げている程度でそれ以上
の痛手には見えなかった。疑念と、燻り出した焦燥と。篤司はやや持ち直した肩での呼吸を
しながら、幾分か狂気が増したようにも見える坂上の表情を見遣る。
「教えておいてやるよ。受けたダメージを相手に返す事ができる……それが、俺の能力だ。
つまりどういう事か分かるか? ククク……お前が俺をぶん殴れば殴るほど、お前は自分の
与えたダメージに苦しめられるって事さ! どれだけぶん殴ろうが、俺にダメージは殆ど残
りはしねぇ、全部お前に跳ね返っていくんだよ!」
「…………」
 要約すると「痛み返し」といった所か。
 厄介だなと篤司は正直に思った。そして合点がいった。あれだけダメージを受けても尚、
このようにお喋りできる元気があるのは、ダメージ自体が無いに近いから。とはいっても殴
られる瞬間のダメージはある。それで先程は気絶しかけたのだろうが、それでも相手が仕掛
けてくるのが分かっていれば、やられた瞬間に能力を発動させればダメージも自動的に清算
する事が可能である、という事なのだろう。
 もっと強烈な攻撃を叩き込めれば……そう思ったが、それはかなりリスキーな行動である
とすぐにその考え遮断した。同様に反射的に「痛み返し」が発動されてしまえば、先程より
も強烈なダメージが自分に返ってくる事になってしまう。
「ククク……どうした? 手が出せないか?」
 坂上が不快な笑い声で笑う。
 篤司は黙っていたが、彼の言う通りだった。この能力、むやみに攻撃を加え続ければ相手
に有利になっていく。坂上が殴り蹴りされればされる程に。
「…………。お前」
「あ? 何だよ」
「……もしかして、マゾか?」
「なっ!?」
 能力的に。はたと思いついてしまった思考を思わず口に出してしまい、篤司はいかん、何
をやってると自分を戒めたが、
「だ、誰が……。お、俺がマゾだって証拠が何処にあんだよ!」
 思った以上に坂上の反応が図星だったのか、面白かった。しかしそれを表情には出さず、
篤司は黙ってその様子を見ていた。すまないな……余計な事を言って。
「こんの、野郎ぉ……」
 だが、その僅かな緩みも坂上が翳してきた掌を見て一気に緊張へと駆け上った。まずいと
直感的に思ったその瞬間、篤司の身体にまたあの見えない衝撃──痛み返しが襲い掛かった
のである。ぐぐっと顎を上げ、大きく息をつき、押し倒されそうな衝撃から身体を支える。
 いきなりだと? 篤司は少々の疑問と共に坂上を見た。
「はぁ……まったく、撃つダメージを温存しておいて良かったぜ……妙な事言うんじゃねえ
よ、この野郎……」
 僅かながら、坂上の翳した掌から煙があがっているようにも見えた。そして彼の呟きに納
得もする。なるほど。痛み返しの材料=ダメージは自分である程度温存しながら使う事がで
きるという訳か。尚更安易に攻撃の手を加えられない。内心で、篤司は小さく舌打ちした。
(……どうする?)
 攻撃を加えるほどに、相手に反撃材料を与えてしまう坂上の能力。更によりにもよって彼
はまだ残弾を温存している。せめて、それを空にしてしまう事はできないか……。
(……まだ、身体は動く。やってみるか)
 再び降りかかっていた膠着を破ったのは、篤司だった。
 低姿勢のまま、地面を蹴って坂上との距離を詰める。両拳を握り、坂上が手を翳すのを払
い除ける。同時に、あらぬ方向で壁に衝撃を受けたような凹みとひび割れができる。
「くっ……」 
坂上が小さく舌打ちした。篤司はその隙を逃さず振り払うのに使った左拳をぐるっと脇下
に持ってくると、そのまま踏み込みの勢いと共に坂上の腹部へと左ストレートを打ち込む。
 その左腕は黒々と硬質化していた。
 がっと再び短く声をあげる坂上。篤司は間髪入れず、今度は同様に硬質化させた右の拳を
斜めから顔面にフック。メキッと拳がめり込んでいく感触がする。これで気絶してくれれば
篤司の勝ちが決まったかもしれなかったが、
「ぬぅ……っ!」
「…………」
 殴られながらも坂上はしっかりとこちらを睨んでいた。その掌がさっと篤司の方へと向け
られる。しかし篤司はそれをこれも予定の内、と言わんばかりに確認するとぐっと口元を引
き締めるように全身に力を込める。
 篤司の全身が一瞬の内に黒々と硬質化された。
 以前、鉤爪男からの攻撃を無効化した防御の構えだった。だが。
 ──ズトンッ!
 痛み返しは、そんな全身硬質化状態の篤司を貫いていた。ダメージが跳ね返ってきた事も
あるだろう。それよりも篤司はその瞬間、自分の読みが甘かった事を、文字通り身を以って
知ったのである。突き飛ばされるような衝撃で、篤司は吹き飛ばされてどうと灰色の地面に
倒れた。坂上も篤司に殴られた力のベクトルだけは残される為に、そのまま横身で倒れた。
 再びの土埃。静寂。倒れた二人。
 だがややあって、坂上はククク……と笑いながら、ゆっくりと立ち上がった。まだ地面に
仰向けになって息を荒げている、心持ちボロボロになった篤司を見下ろしながら、
「ククク……残念。この能力はダメージを返すって言っただろう? 物理的な攻撃とは違う
のさ。お前がいくら全身を固めても意味ないんだよ」
 勝ち誇ったようにそう声を張り上げた。
 篤司は黙っていた。ただ仰向けで倒れたままの格好で、ダメージからくる息の乱れを整え
ているようだった。篤司の呼吸と坂上の呼吸。二人分の音が周囲の遠い雑音に混じり、被さ
っている。
「まぁ、もう動けないだろ。もう数発入れて、お前もオトモダチの所に行って来な」
「…………」 
「何せ、相手が悪かったな。お前みたいな打撃中心の奴じゃあ、俺の能力の格好の餌食だ」
 ゆっくりと掌を翳しながら、近づいて来る坂上。その足音を、篤司はコンクリートの地面
越しに聞いていた。仰向けになったままの視界には、夕暮れを迎えた茜色がいっぱいに広が
っている。やけに、自分の心臓の脈動がはっきりと分かるような気がした。
 相手が悪かった……か。
「いや……。良かった」
 そんな中で、ぽつりと篤司がそう言葉を返した。
 坂上は立ち止まり、眉間に皺を寄せて彼を見下ろす。
「何言ってんだ? こんなにボロボロになってるっていうのに」
「……だからだ」
 坂上の、多少の苛立ちの混じった疑問に、篤司ははっきりとそう口走る。分からない奴だ
なと呟く坂上に、篤司は「あぁ、お前には分からんだろう」と応じて、
「痛みを受け入れずに、ただ全部を相手に擦り付けるだけのお前には……な」
「……ふん、減らず口を」
 先程よりもぶすっと不機嫌になった坂上が、再び掌を篤司に向けて翳す。
「これほど、俺にボコボコにやられて良かっただぁ? お前こそマゾじゃないか」
「……お前と、一緒にするな」
「だから違うって言ってるだろっ!」
 ムキになる坂上に、篤司は息を荒げたままでふっと笑った。そして、
「俺がお前と会えて……サシでやり合う状況で本当によかったって事だよ」
 目を瞑ったままでそう呟く。穏やかな、声色だった。
「……痛みを受けるのが、俺だけでよかった。少なくとも、皆を傷つけなくて済む」
「…………何、だと?」
 その言葉に坂上が驚いたのは何も、ボロボロになってまで仲間の安全を気遣う彼の心持ち
だけではなかった。彼がカッと目を開けて再び立ち上がったからである。
 風がまた吹いた。ボロボロになった見た目ではなく、それ以上に彼が宿す瞳の強さ、鋭さ
に気付いた坂上は思わず一歩、後退っていった。
「チッ……!」
 ざわっと湧き起こった不安、いや恐怖に近い感覚を打ち消そうとするかのように、坂上は
立ち上がった篤司に向けて痛み返しを放つ。
 ズドンッと空気を揺らして、篤司の身体に確かに衝撃が走った。
「…………」 
しかし、篤司は倒れない。僅かに揺れた身体を再び整えて、ゆっくりと坂上の方へ向けて
歩き始める。その歩みと共に、坂上はまだ一歩一歩、自然と後退りしている自分に気付かさ
れる。もっと強く、不安……よりはっきりとした恐怖が全身を走った。
「く……く、来るなぁっ!」
 叫びながら、坂上は続けざまに痛み返しを放っていた。
 だが、その度にガクンと篤司の身体は衝撃で揺らされこそすれど、決して倒れない。きっ
とこちらを再び見据えて、ゆっくりと一歩一歩距離を詰めてくる。
(な、なんでだ? 効いてないってのか? そんな筈は……) 
 坂上の手は何時の間にかガクガクと震えていた。
 力が篭もらない。喉の奥がヒッ、ヒッとひくついているのが否応なしに分かる。その間に
も篤司はゆっくりとした歩を止めない。
「…………」
 すぐ目の前に、篤司が立った。
 日が暮れる時間帯の冷たい風が二人の間を通り過ぎていく。眼を見開くように凝視するよ
うに見た篤司の眼は、恐ろしいまでに強く、鋭いものである事に気付かされる。
「ひぃっ……!」
 喉元に、ナイフが突き立てられるような切迫した恐怖感が坂上を襲った。
「……胡太郎は、何処にいる?」
「……に、二十二番だ! Nの二十二番の倉庫だ! 青い屋根の倉庫だ、こ、この先の搬入
路の誘導用の矢印に沿って歩いていけば倉庫群がある。そこにいるよ!」
「……本当だな?」
「ほ、本当だ。嘘じゃない……」
 胸倉を掴まれて引き寄せられている訳でもなく、ただ篤司の突然の威圧感が坂上の口から
居場所を吐かせていた。より鋭くなったような眼つきで坂上を睨みながらでそう確認を取る
と、篤司はゆっくりと彼の横を通ってその場を後にしようとする。坂上は、思わず身体がへ
たっと崩れ落ちるようにして座り込んでいだ。
 坂上に背を向けて、一歩また一歩と篤司は離れていく。
 ドクドクと、心臓の音が激しく鼓動するのが分かる。彼が自分から聞きだすべき情報は聞
き出したと見切りつけ、先に進もうとしているのが分かる。
 徐々に遠のき始めた緊迫と恐怖感を感じながら、坂上はにぃっと口元に弧を描いた。
 身体を捻り、同時に掌を、背を向けて歩く篤司に向けていた。
 全身に残るダメージの残弾を取り出し、一挙に集中させる。この能力はただダメージを返
すだけではない。ある程度その出力を増幅させる事もできるのだ。
「十倍返しだっ!」
 坂上の叫びと同時に、轟音と共に空気が震えた。
 背を向けた篤司の身体が、ガクンを逆くの字に折れ曲がる。彼を中心として、辺りの地面
にも衝撃の余波が加わったのだろう。大きなひび割れができた。
 ククク……。ざまぁみろ!
 先刻の恐怖感、緊張の糸は何処とやら。坂上はよりにたぁと薄気味悪い笑いを口元に浮か
べて、みすみす背を向けた男の倒れる姿を夢想した。
「……れ?」
 だが、それは決して現実にはならなかった。
 倒れかけたその身体を、折れかけた膝にだんっと両腕を立てて支え、篤司は坂上の反撃に
倒れる事なく、留まったのである。
「…………」
 ゆっくりと姿勢を立て直し、背後の坂上を見る篤司の眼。
 その形相は、まさに坂上には鬼神のそれに見えた。
「ひぃっ……!」
 次の瞬間、坂上はまだ震えが残った覚束ない足で逃げ出した。今度は彼が背を向ける番へ
と変わったのだ。違っていたのは、篤司が半身を返し、地面を蹴ってその後を追いかけてき
たという点。早い。坂上がそれに気付いて振り返ったと同時、
「──ぎゃはぁっ!」
 篤司の横殴りの蹴りは、彼の脇腹に深く深く食い込んでいた。
メキメキと身体を砕かれるかのような強烈な破壊力の伝導。その威力は間違いなく、彼の
脚が硬質化された状態である事を坂上に悟らせるに充分だった。
 時間にして一瞬、しかし伝わった破壊力は大きい。やがて硬質の蹴りの衝撃から弾き飛ば
された坂上の身体は灰色の地面擦れ擦れを舞い、遠く背後の、プラスチック製の箱が詰まれ
た山へと激突する。けたたましい音と土埃。振り抜いた勢いで再び背を向けるようにして、
硬質の蹴りを放った脚から着地した篤司は、ちらと背後を見遣った。
 突然の衝撃で崩れたプラスチック製の箱の山。
 その中に埋もれるようにして、坂上は倒れていた。蹴りを喰らった脇腹には痛々しい痕が
くっきりと浮かび上がり、苦悶を浮かべたままの表情は白目を剥いて彼が完全に気絶した事
を物語っている。
 彼の方へと向き直り、数歩進む。もう動かないと確認した篤司は、ふぅと大きな息をつい
てからどさっとその場に胡坐をかいて座り込んだ。肩は大きく荒げた息を整える事に集中し
ており、意識もまだ緊張が解け切るには少し時間を要するようだった。
 篤司はそれら自身の予想以上のダメージを内心だけで確認しながら、もう暫くは応えない
であろう相手に向かってぼそっと呟いていた。
「…………見え見えなんだよ、阿呆」


 顔のすぐ横を、ぶんっと拳が駆け抜けた。
 甲に鉄板を嵌め込んである、実戦志向の革グローブ。動体視力を発揮してそんな事を横目
で確認しつつ、沙夜は中姿勢から木刀を横凪いだ。
「はぁっ!」
「むん!」
 咄嗟に、対峙する筋肉質の男・熊沢のもう一方の腕がその一閃を受け止めた。
 幼い頃から、剣道を習ってきた沙夜の腕前は中々のものである。尤もこうして喧嘩の場で
持ち出すような真似は少なかったが。
 その鋭い一撃を、熊沢は腕一本で防御した。伊達に筋肉がついているわけではなさそうで
ある。ダメージらしき様子はあまりない。沙夜は内心でまたかと舌打ちしていた。
「サーヤ!」
 距離をおいた、後方からの環の声。
 その声に我に返って、沙夜は続けざまに放たれた隈技の膝蹴りを飛び退いて交わす。距離
を取る形になって、沙夜と熊沢、両者がぐぐっと構えながら相手を凝視した。
(うーん……参ったなぁ)
 そんな様子を、環は二人から離れた位置から見守っていた。
 突然出くわした筋肉質の男。その口ぶりからして、どうやら胡太郎を攫った連中の一人で
あるらしいと分かった。相手は始めからこちらとやり合う気満々だった。何とか胡太郎の居
場所を聞き出せないかと思ったが、相手がそんな調子だから話にそう簡単に応じてくれる訳
はないだろう。そうなれば力ずくで聞き出すしかないか……。
 隆々とした身体と拳で挑んでくる彼に、沙夜はいざという時の為に持参した木刀を片手に
先程からずっと彼と戦いを繰り広げている。剣道を収めている親友に対し、環自身は武術の
類などは知らず、素人同然。ラクロスをやってはいるが、棒切れ(木刀も似たようなものか
もしれないが)があっても、沙夜のように戦えるとは思えなかった。
『……タマは下がっていて。ここは私が』
 その為に、そう真剣な表情で木刀を取る彼女に、環は黙って従うしかなかった。
 だからと言って、沙夜の戦いをただ見ているだけというのは心苦しく、心配なのは偽りよ
うのない事実だった。一見すると互角に立ち振る舞っているように見えるが、相手は隆々と
した肉体を持つ大男である。もしかしてだが、少々の威力では彼女の木刀の攻撃は通用して
いないのではないか。そんな懸念がずっと先程から環の胸を掻き騒いでいる。
「サーヤ、無茶はしないで! やばくなったら逃げなきゃ!」
 これで何度目か。環はそれでも居ても立ってもいられずに前方で戦っている沙夜に呼びか
けていた。そう、彼女にはステルス能力がある。それを使って自分共々この男の目をかい潜
って逃げてしまえば胡太郎を探す事に集中できるのではないか。
「お前の相方、あんな事を言っているみたいだが?」
「……どうせ、私達を見逃すつもりなどないのだろう?」
「へっ、分かってるじゃねぇか」
 ちらと遠く離れた環を一瞥し、熊沢が間合いを取った沙夜にそう語りかける。
 しかし、沙夜は環に振り向く事もなくじっと対峙するこの相手を注視したまま、応える代
わりの質問をぶつけた。
「だったら、続けようぜ!」
 暫し間合いを置き、止んでいた拳と木刀の攻防戦。しかしその膠着は長くは続かず、再び
熊沢が体重を乗せて拳を振るう。それを沙夜は木刀を水平に構えながら半身を捻って交わす
と、びゅっと鋭い横薙ぎ。だが熊沢もその一撃が当たる寸前に繰り出した拳を軸にして、同
じく半身を捻って彼女の攻撃を交わす。二人が飛び退いて間合いを開け、再び互いに自身の
一撃を叩き込むべくぶつかっていく。
 能力を使って逃げる……。しかし、沙夜の頭の中でその選択肢は急速に色褪せていた。
 仮に今のこの場で能力を使い、相手の知覚から消えるとしよう。そうすれば、彼は間違い
なく環へと攻撃の矛先を変えるだろう。能力発動と同時に駆け出し、彼女を拾えばいいのだ
ろうが、先程も逃がすつもりはないといったこの男の事、その兆候があれば逸早く反応して
くるのは目に見えている。それで彼に環を狙われてしまえば、こうして環を巻き込まない距
離を保ちつつ戦っている今の状況が意味を成さなくなってしまいかねない。
 何より、この場で逃げおおせた後の事の方が沙夜にとっては懸案だった。
 仮に相手を撒けたとしたら、彼は何処にいくのか。自分達を襲いに来た刺客は何もこの男
だけとは思えない。他の仲間達も自分達と同じ状況に陥っている可能性もある。仮にこの男
が他の連中に加勢する動きを取ってしまえば、そこで対峙している仲間が更なる危険に陥っ
てしまう。それだけは何とか防ぎたかった。
「でやぁっ!」
「ふっ……せいっ!」
 攻防が何度も入れ替わる戦況に喰らいつきながら、沙夜はやはり環の言う通りにはできそ
うにないなと思った。何より、この男が胡太郎を攫った連中の手の者であれば、その居場所
を知っている可能性は高い。みすみす逃がしてしまうのも惜しいと思うのも事実だった。
(……しかし、どうやって倒して吐かせるか、だな)
 この筋肉男と戦い始めてどれくらい時間が経ったかは分からないが、これは長期戦になる
と沙夜は感じていた。一見、腕力任せに拳を振るってくるし、動きも全く追えないほどでは
なかったが、それは相手も多少は同条件らしく、こちらからの(木刀なので)打撃を一撃毎
確実に防御、回避し極力受けるダメージを殺してくる。見様によってはこの男、単純にこう
して戦っている状況そのものを楽しんでいるかにも見えたが、結局は長期戦に持ち込まれて
いる点では何も変わらない。
 自分が剣道をやっているように、彼も何かしらの格闘技をやっているのか。或いは篤司の
ように場慣れによって体で覚えたといった態なのか。どちらにせよ、そこいらのチンピラと
は純粋な戦闘能力が明らかに違っている。厄介だなと沙夜はつくづく思った。
 この攻防についていけなくなれば、間違いないなくやられる。
「むんっ!」
 熊沢の右ストレートが飛んできた。沙夜は咄嗟の判断で半身を捻り、彼の胸元ではなく右
側、背中側へと身体を潜らせた。左腕の追撃を封じた格好である。沙夜は相手が次の反撃を
繰り出すよりも先に一撃を浴びせようと木刀の切っ先を下にして、ぐぐっと膝を曲げると、
「……せいやぁっ!」
 下から上へ、流れるような上方向の突き上げを放った。
「くっ…!」
 背中を取られた姿勢が姿勢であった為、熊沢は満足に防御に移る事ができず、迫り来る軌
跡を瞳に映して反射的に顔を仰け反らせていた。ほぼ同時に沙夜の放った一閃が頬を掠め、
つうっと赤い筋が走る。
 熊沢は続く更なる剣撃を飛び退いて交わし、沙夜と再び距離を取って対峙した。
 沙夜と熊沢の、お互いに少々荒くなった呼吸の音が、攻防を止めて静まった周囲の夕暮れ
に溶けるかのように。その様子を環は離れた位置で固唾を呑んで見守る。
「ふぅ、危ねぇ危ねぇ……。中々やるじゃないか」
「……それはどうも」
「正直、俺も油断していたな。女だと思って甘く見ていた」
 くっと熊沢の眼が鋭くなった。
 何かが来る。沙夜は直感的にそれを察知し、木刀を握る手に力を込めていた。
「ここからは、マックスでいくぜ!」
 そう言うやいなや、突然熊沢は上着に手を掛けた。沙夜と環が怪訝にそれを見る中、彼は
そのままバッと上着を脱ぎ捨てた。見た目からも想像できていた隆々とした上半身の筋肉が
露わになる。「え?」と少し呆気に取られている彼女達を尻目に、熊沢は得意そうに口元に
弧を描いて笑った。
「ふふ……どうした。この俺の肉体美に見惚れたか?」
「……いや、それは違うが」
「な、なんでいきなり脱ぐわけ? もしかしてあんたって、そっちの気?」
「ば、馬鹿野郎! そんなんじゃねぇよ!」
「しかし、突然女性の前で脱ぐのはな……。いくらお前がその身体に自信があるとしても、
そういうゴツさを嫌う女性は少なくはないと思うぞ」
「だ~か~ら、違うって言ってんだろうがっ! ……くそ、この肉体美が分からんとは」
 が、次の瞬間に浴びせられる女性二人の露骨に嫌悪するリアクション。
 熊沢は、片手で眼を隠す(が指の隙間からしっかり見ている)環や目立って動揺を見せは
しないものの、冷静に何処か哀れみの眼差しで目を細める沙夜に一通り怒鳴ると、
「……まぁいい。すぐにその減らず口も利けなくしてやるさ」
 それまでの怒声から一転、にたりと不穏な笑みを浮かべた。
 それに気付き、沙夜もはっと我に返り木刀を握り締める。やはり何かが来る。そう直感し
た沙夜はぐっと腰を落として臨戦態勢に入った。何か仕出かす、その前に一撃を……。
「ふぉぉぉぉぉ……っ!」
 沙夜が地面を蹴ったのと、熊沢が両拳を握り締めて全身に力を込めるように唸り始めたの
は同時の事だった。
「え? ちょ、ちょっと……」
 そして次の瞬間に熊沢に起こった変化に、離れて様子を見ていた環も目を見開いた。
「おぉぉぉぉぉ……っ!」 
ボコボコと、熊沢の全身の筋肉が急激に巨大化していったからだ。両手足・胸板・背中。
あらゆる全身の筋肉が沸騰して膨らむかのようにその姿形を隆々というにはあまりにも巨大
過ぎる姿へと変えていく。それは、いわば怪力の鬼ように。
「なん……だと?」
 一撃を入れようと駆けた沙夜の驚きも、環に劣らぬものだった。
 思わず十分に間合いを詰めぬまま、その場に立って既に元の身長の数倍にまで膨れ上がっ
た熊沢の勝ち誇った面を唖然と見上げる。にやりと、熊沢が笑った。
「!?」
 ぶんっと、空気すら押し破るような勢いで熊沢が拳を振り下ろした。
殆ど直感的に、沙夜は身を返してその強烈な打撃を回避する。打ちつけられた灰色の地面
が、ひび割れて大きく凹んだ。沙夜が、環がその破壊力に圧倒されるようにその痕跡を見、
ゆっくりと既に別のように筋肉の塊のようになった、巨大化した熊沢を見遣った。
「ふははっ、どうだ? 俺の筋肉増強能力の威力は。……次は、外さないぞ」
 ぶんと振り被られる丸太のような太い腕。
 沙夜はまた反射的にその強烈な一撃を横っ飛びに避けると、歯を食い縛りながら木刀を握
り締めていた。地面を砕く轟音。もうもうと立ち上がる土埃。コンクリートの砕けた臭い。
そこに鎮座するように、打ちつけた拳をゆっくりと引き上げている熊沢。
(こんなの反則だろう……。そもそもあの巨体、木刀が効くのか……?)
 可能性として考慮に入れていた能力者の存在だったが、こんなまさに化け物そのものの様
に自身を変化させられる能力者までいるなんて……。沙夜は正直言ってガツンと殴られたよ
うな衝撃が絶望に変わりかけるのを感じた。
 おそらく、自分の膂力ではあの分厚い筋肉の鎧のようになった彼の身体に、先程までのよ
うな攻撃は効かないだろうという事は容易に予想がついた。即ち、自分では手に負えなくな
ってしまったという事実。均衡が破られたという証明。
 どうする? 沙夜がゆっくりとこちらを振り返ってくる熊沢の姿を──。
「え?」
 短く、一言。
 沙夜が熊沢と視線を合わせたその瞬間、彼の姿が消えた。消えたように見えた。
 あの巨体で? 驚く沙夜だったが、その感覚も直後に襲ってきた側方からの殺気に掻き消
されていた。振り返る。汗が伝うのが分かる。スローモーションのような世界。
 いつの間にか、熊沢が沙夜のすぐ傍らの至近距離にいた。
 環が沙夜の名を呼ぼうと声を出そうとしかけている。熊沢の瞳が、ぎろりと獲物を狙う野
獣のように怪しく光ったような気がした。
 そうか。筋力増強という事は、瞬発力も強化されるのか……。
「がぁ……っ!」
 そんな思考が過ぎった刹那、真正面から熊沢の拳が飛んできた。
 駄目だ、交わし切れない。咄嗟の判断で沙夜は防壁代わりに木刀を前に掲げた。ぐんと巨
大な拳が迫る。緩衝材を期待した木刀はその一撃であっさりと砕け、その殆ど殺せなかった
威力が沙夜に襲い掛かった。意識が飛びそうになる程の破壊力。沙夜はぐっと歯を食い縛り
ながら、自身が猛スピードで吹き飛ばされるのを感じた。
「さ、サーヤっ!」
 吹き飛ばされ、灰色の地面を跳ね、更にゴロゴロと壁際まで地面を転がってきた沙夜の下
へと環は思わず駆け寄っていた。
「……すまない。油断した」
「そんな事はいいからっ! 怪我は? 怪我ないの?」
「……身体の、自由が利かない。衝撃の大きさの所為かな」
「そ、そんな……と、とにかく逃げ──」
 そう言い掛けた所で、環ははっとなって顔を上げた。
 熊沢が、既に筋肉の化け物のような様相を呈してゆっくりとこちらへと歩いてきていた。
ひっと上擦った声をあげて、環は尻餅をついて後退っていた。
「まずは一人、だな。次はてめぇだ」
「い、いや……来ないでよっ!」
「そうはいかねぇんだな、これが。お前ら全員適当にボコって連れて来いって話だからよ。
まぁ心配は要らねぇさ。加減はする。殺しはしねぇからよ」
 そんな事を言われても、今目の前で殴り飛ばされてぐったりと倒れている沙夜がいるのだ
から説得力など無い。環はまた一歩一歩と後退る。熊沢も一歩一歩近づいて来る。
「……タマ。あなただけでも、逃げて」
「そ、そんなのできる訳ないでしょう!? サーヤを置いてきぼりになんてできないわよ」
「…………」
 それでも親友を、仲間を、見捨てる事はできなかった。
 殺さないとは言っているが、このまま連れ去られてしまえばもっと酷い目に遭わされるか
もしれないのに……。沙夜はこんな時だと言うのに、環の返答に穏やかな顔を向けていた。
「こ、来ないでってばぁ……」
 しかしそんな言葉には耳を貸さず、熊沢は近づく歩みを止めようとはしない。
 どうしよう……。このままじゃ、やられる。
 環の中に猛烈な恐怖と焦りが綯い交ぜになって駆け巡る。
 近づかないで、こっちに来ないで……。
 熊沢の足が止まった。見上げるすぐ目の前に、彼は立っていた。にやりと笑う熊沢の表情
にぞくと背筋に寒気が走る。振り上げられる拳。脳裏にフラッシュバックされるあの尋常で
ない破壊力。傍らで何とか自分を引きずり除けようとする沙夜の伸ばされた手……。
「これで、終わりだっ!」
 空気を裂いて、熊沢の拳が振り下ろされる。
 ああ、駄目だ……離れてくれない。
 環が顔面を庇うように両腕で視界を覆った、その時だった。
 ──ヴィィンッ!
 次の瞬間、来る筈だった巨大な拳とボロボロに倒れ込む自分の姿。
 しかし、それはいくら待っても起こらなかった。それに何だろう……身体から何かが、電
気のような妙な迸りが巡ってくるような、そんな奇妙な感覚。
「……?」
 恐る恐る、思わず覆っていた両腕の隙間から様子を覗いてみる。
 するとそこには、奇妙な光景が映っていた。
「な、なんだ……? これは……」
 拳を突き出したまま、環の寸前でぴたりと動きを止めた熊沢の姿だった。否、これは動き
を止めたというよりにも……何かに止められている、と表現した方が正しいように見える。
(何、これ……?)
 更に気付いたのは、環の両腕にバチバチッと時折電気らしき青白い小さなスパークが奔っ
ているという光景。よくよく見てみれば、腕全体も何処か蛍光灯のように淡く光っているで
はないか。環は、目を瞬かせた。
 何が起こったのだろう。まるで見えない力で押し返されているような熊沢の奇妙なポーズ
も然り、自身の身体に起こった変化も然り。
 環はふと、試しにと両腕をそっと動かしてみた。すると、
「ぬお? おぉぉ……っ?」
 心持ち前に突き出した腕、掌の動きに連動して熊沢がずるずると拳を突き出した格好のま
まに、まるで見えない力に押されているように後ろに押され始めたのである。
 今度は左右に振ってみる。するとどうだろう、今度は周囲に積まれていた中小様々な部品
など、鉄塊と表現できるものが一斉に動き出していった。まるで環から離されるように。
「…………。これって、もしかして」
 そこまでを確認して、環はそれらの不思議を説明するフレーズに辿り着いていた。
 ちらと沙夜を見る。彼女はまだ痛む身体を抑えながらその身を起こそうとしていた。環の
様子と至った考えに察しがついたのだろう、彼女はこくと環に頷いた。
「間違いない。タマも、能力に目覚めたんだ」
「……私も、能力に……」
 そう。ここ最近で知った能力者という存在。それでなくてはこの妙な現象を、今の環には
説明できなかった。まだずるずると押し返されている熊沢、離れるように一人でに動き出し
た鉄塊の数々。身体中に迸る電気のような感触……。
「…………そうか、磁力だ。この能力は磁力だよ!」
 そしてその能力の内容にも、そうだとすれば合点がいく。熊沢──拳のグローブに嵌め込
まれた鉄板も、周囲の鉄塊も強力な磁力で反発の力を受ければ近づけない。
「なるほど、そういう事だったのか……。まさか土壇場で新しく能力者(カテゴリー3)が
出やがるとはな……」
 妙な用語に環は頭に疑問符を浮かべたが、熊沢は環の能力を知ると、すぐさま距離を取ら
されたその場で両拳のグローブを投げ捨てた。
「だが関係ねぇ。俺の一撃が入れば終わりだっ!」
 次の瞬間、地面を蹴り、爆発的な瞬発力と共に熊沢が拳を振り上げて突進してきた。今度
は鉄板入りグローブは着けてはいない。磁力に押し返される事もない。
「タマっ!」
「ふぇ?」 
環のへたり込んでいた場所に巨大な拳が降り注ぐ、その僅か前に、沙夜が彼女の手を取っ
て思いっきり自分の方へと引き寄せた。ドガンッ! と轟音が響き、壁だった部分には大き
なひび割れと痛々しい凹みが作られる。巻き上がったコンクリートの土埃の中で、熊沢は二
人の姿を探した。
「…………いない」
 二人の姿は、忽然と消えていた。

「……ふぅ。間に合った」
「あ、危なかった……」
 環は沙夜に腕を取られて、間一髪で熊沢の一撃から逃れていた。少し彼とは距離と取った
位置取りで、二人はキョロキョロと辺りを見渡している熊沢を見遣る。
「……ってサーヤ、動いて大丈夫なの!?」
「あぁ、大丈夫。ダメージが無いわけじゃないが、まだ動けるよ」
 私の心配は後回しだ、と言わんばかりに沙夜は苦笑して答える。木刀で一応の防御はした
とはいえ、全く無事なわけなどないのに……。環は繕っている親友に気付いたが、彼女の気
遣いを慮ってそれは口には出さなかった。
「……あの筋肉ダルマ、さっきからキョロキョロしてるけど、もしかして……」
「ああ。今私が能力を使っている。あいつは今、私達二人には気付けない筈だよ」
 やはりそうか。環は納得して、沙夜と共にその場で辺りを何度も見渡している熊沢の姿を
見遣った。とりあえず、一息はつけそうである。
「しかし驚いたよ。タマも能力に目覚めるとはね」
「あはは……そうだね。私も何か夢中だったからよく分からないけど」
「……だが、これで活路が開けるかもしれない」
「へ? 活路?」
 沙夜はあぁと短く頷いてから環の顔をじっと見つめた。凛とした普段以上に、その表情は
真剣そのものだった。彼女は少し申し訳なさそうに、しかし偽りを込める事もなく、
「正直言って、私だけではあいつにはもう敵わない。私の能力はこんなだから戦闘向けじゃ
ないからね。でも、タマのその磁力の能力なら、あいつを倒せるかもしれない」
「た、倒す!? 私が?」
 正直、このまま逃げてしまえばいいのではと脳裏に語りかけられていた分、環は余分に驚
いて声が上擦っていたらしい、沙夜が少し苦笑を漏らす。
 そして彼女はこのまま退いたとしても、他の仲間達の危険を増させる結果になる可能性が
ある事などを説き、環を説得した。環はそんな事まで頭が回っていなかったようで、彼女の
冷静さに感心しつつも、ではこれからすべき事、反撃攻勢に出る事に緊張を示していた。
「大丈夫。私がついて私共々タマの姿を隠すから。その間に、タマは能力をコントロールで
きるようにしてくれ。そして、あいつを討つ」
「そ、そう言われてなぁ……。力の使い方とかよく分からないんだけど」
「それは……。いや、何とかしてみせるよ。勝手はそれぞれに違うだろうけど、能力を使う
時には、私の場合、最初に能力を使った時に感じた感覚をイメージしながらだと上手く使え
るんだ。タマもさっきそういう妙な感覚はなかった?」
 沙夜の能力指南。環は彼女の言葉に先程の感覚を手繰り寄せるように反芻してみる。
「妙な……あ、うん。あったよ。電気が奔るような」
「うん。じゃあそれをイメージして能力を使ってみるんだ。さっきみたいに、金属質の物を
反発させて遠ざける事ができる筈だよ」
「う、うん。……じゃあさ、サーヤ」
「うん?」
「近づけるには、どうするのかな。磁力って言ったらくっ付くのと離れるのでしょ?」
「……そうだな。あくまで推測だが、反発力の逆なんだから、先のイメージとは逆のものを
イメージしてみればいいんじゃないか?」
「な、なるほど……。逆のイメージ、か……」
「……ともかく、やってみないと始まらないけどね。タマ、準備は……いい?」
 沙夜が握っていた腕を襟の後ろに持ち替え、環の両腕を空かせる。まだ辺りを見渡してい
る熊沢を見遣りながら、彼女は環に問うた。
「……うん。いつでも」
 環はそっと両手を翳して答えていた。

(……消える。そうか、これが古手川の言っていた不知覚化っつう能力だな)
 土埃が消えかかった中で、熊沢は以前に受けた連中の情報を思い出していた。
 となれば、厄介だ。このままでは逃げられる。否、もう逃げてしまった後か。だとすれば
どうするか。追いかけるか、それとも坂上や氷室の方へ行ってみるか……?
「……む?」
 そんな思考をしていた最中だった。
 突然、周囲の中小の鉄塊がずずずと動き始めたのだ。やがてそれらは何処か危なっかしい
バランスで中空に浮かび、熊沢の周りを旋回し始める。
「……逃げてはいなかったようだな」
 熊沢はにぃっと口元に弧を描き、それらを見上げた。
 姿を消したまま、磁力の能力らしき鉄塊の一人でに動き出すという状況。これはどういう
ことか。熊沢はなるほどと顎を手で摩りながら小さく得心した。
(雲隠れしつつ、自分の能力をモノにしようって魂胆だな……。おもしれぇ)
 ひゅんと、鉄塊が熊沢に向けて飛んできた。
 しかし、そのスピードも精度も決して速く、高くはなかった。やはり予想通り慣れようと
しているらしい。熊沢はそれら、磁力による間接攻撃を交わしつつ、少しずつその数を増や
していく鉄塊を見上げながらそれらの動線を探った。
 確かに、この作戦ならそう簡単には攻撃されないと思っているのだろう。
(だが、こいつらの動きを辿れば……大よその位置は掴めるっ!)
 鉄塊を避けながら、熊沢は走った。
 いくら姿が見えなくても、磁力を吸引と反発で操る基点となるエリアがある筈。そして、
そこは即ち奴らがいる場所に他ならない。
 熊沢はここだ、と思った場所に強烈な拳を叩き込んでいた。もうもうとコンクリートの土
埃が上がり、地面に大きなひび割れと凹みができる。しかし、不知覚化が解けて倒れ込むと
いう結果はもたらされなかった。相手も移動くらいはしているだろう。そう簡単にはいかな
いという訳か。熊沢は小さく舌打ちをした。
 その間にも、少しずつ磁力による間接攻撃は速度・規模・精度を増し始めていた。
 最初はふらふらとバランスが危うそうに浮かんでいた鉄塊も、熊沢が見当をつけて殴り込
んでいく回数に比例するように、ぴたと空中で固定されて飛行し、その一度に磁力によって
操られる個数も増していく。更に襲い掛かる際のスピードも、こちらに狙いをつける精度も
徐々に増していくのが分かる。
 雲隠れさせている方の女の入れ知恵もあるのだろうが、こいつは長引く程に不利になる。
熊沢は次々と飛来してくる鉄塊を交わし、或いは叩き落しながら思った。何せここは工場・
倉庫群という場所。その品々の搬入路である。金属質の物品には事欠かない、まさに相手の
地の利であるのだ。
「どぉうっ!」
 十数度目の拳。しかしこれもまた外れだったようで。無残な巨躯による打撃痕が残される
だけの結果に終わる。背後から飛んできた鉄塊を裏拳で弾き飛ばし、熊沢はぐっと目を凝ら
して周囲を見遣った。既に中空は茜空に金属質の群れが飛び交うという、朱と黒や銀の色彩
模様を呈していた。それを熊沢は恨めしく見上げる。
(……チッ、まずいな。このままじゃあ埒があかねぇ……)
 そう、じりじりと熊沢が焦りを隠せなくなっていた、ちょうどその時だった。
「…………」
 ふっと、急に熊沢の背後に気配がした。
 顔を向けると、そこには両手を翳した環の姿。両腕には磁力の強力さを示すようにバチッ
と青白い電気が迸り、彼女の周囲に多数の鉄塊が集まっていく。
 にぃっと熊沢がほくそ笑むのと、彼女がその鉄塊達を飛ばしてくるのは同時だった。
 熊沢は一斉に飛び込んでくる鉄塊を避け、弾き落としながら、
「ははっ! もう慣れたと慢心したな? 姿さえ見えればこっちのものだっ!」
 そう歓喜にも似た叫びを上げながら灰色の地面を蹴った。中空からぐいと振り被った丸太
のように太い右腕に最大限の力を込める。
 馬鹿め、これで終わりだ──。
 そう、熊沢が今度こそ己の拳が彼女を捉えるものだと確信した。
「本当に、そう?」
「……?」
 だが、環は笑っていた。その突然の違和感に熊沢が眉間に皺を寄せる。
「サーヤ!」
 次の瞬間、熊沢は思わず目を見張っていた。環の掛け声を合図に、彼女の傍らに沙夜が姿
を見せたからだ。彼女もまた能力を解いたのだ。
 二人の間に割り込むようにして、一台の廃車を鎮座させた状態で。
(…………! しまった!)
 その瞬間、熊沢はその違和感の正体に気付き、身の毛がよだつのを感じた。
 これは……罠だ。先程までの鉄塊の雨霰は全てフェイク。全てはこのデカブツをあの女の
能力で隠すのを悟られぬよう注意を逸らす為。本命は、このデカブツによる一撃……。
 そのシナリオに気付いたが、もう遅かった。
 熊沢は既に跳躍し、拳を振り上げた格好。空中では自由に身動きなどできはしない。如何
に筋力を尋常ならざるほど強化する能力を以ってしても、蹴り返す地面がなければ避ける為
の瞬発力を発揮する事すら叶わないのだから。
 世界がスローモーションになっていた。唖然と見下ろす格好で、熊沢は廃車から距離を置
いて離れる沙夜と、廃車の最後部に手を翳して有りっ丈の力を込め始めた環を見た。
「吸引と……反発っ」
 バチバチバチッと環の両腕に青白い電気が迸る。人間よりも遙かに重量のある筈の廃車が
ゆっくりとしかし確実に磁力の網に絡まり、引き寄せられていくのが見える。
「や、やめ──」
「いっけぇぇぇぇーっ!」
 環の叫びと共に、熊沢に照準を合わせた廃車が強烈な反発力を受けてぐんと飛び出す。
 熊沢の悲鳴は猛烈な加速度と衝撃力でぶつかる廃車によって掻き消され、そのまま反発力
の勢いに任せて中空を真っ直ぐに飛んでいく。意識が飛びそうになる熊沢の瞳に、急速に遠
くなっていく二人の少女の姿が映る。
「ぎゃはぁっ!」
 次の瞬間。凄まじい衝撃音が辺りに響き渡った。
 反発力で廃車もろとも飛ばされた熊沢は、背後の壁に激突、背中に巨大なひび割れと陥没
を刻んで苦悶の形相を浮かべる。あたかも交通事故の衝突実験をその身で体験したような、
強烈な衝撃。磁力の反発力でめり込んだ廃車の前部が、やがて注がれた全運動エネルギーを
使い果たしてぐらっと揺れて地面に落下すると同時、熊沢の意識は完全に落ちていった。
 轟音の後の、暫くの沈黙。
「…………や、やった! やったよ、サーヤ!」
「あ、あぁ……」
 環と沙夜はそれが自分達の勝利を告げているものと分かり、やっと互いに口を開いた。
 飛ばされ、壁と廃車の重量級サンドウィッチにされた熊沢は白目を剥いてすっかり気絶し
てしまっており、その為か筋力増強の能力も解けて元の筋肉質の男に戻っていた。
「しかし、思った以上に派手だったな……タマの作戦は。彼、死んでないだろうな?」
「ん~……大丈夫。ちゃんと脈あるよ」
 気絶した熊沢の下へ駆け寄って気絶しただけだという事実を確認した事を環から聞き、沙
夜はほっと胸を撫で下ろした。正当防衛──かもしれないが、流石に殺人は御免である。
「ならいいんだけど……」
「大丈夫だってば、あんなにでっかい筋肉ダルマだもん、ぶつかっても怪我はするとしても
まぁ死にはしないだろうって思ってたし」
「……あの鎧のような筋肉は、エアバックか何かか」
 最初の戸惑っていた様子とは打って変わって気楽そうに「なはは~」と笑う友の姿に、沙
夜は少々呆れ顔に眉間を押さえつつも、同時に安堵の念がこみ上げてくるのを感じていた。
 とりあえず、一人危険を潰したか……。
「……ん?」
「? どしたの?」
「いや……。倒したはいいが、気絶させてしまってはコタロー君の居場所、聞き出せないん
じゃないのか?」
「……あ」
 互いに顔を見合わせて、しまったといった顔。
「ま、まぁいいじゃん。何処かにいるのは分かっているんだし、地道に探せば……」
「そ、そうだな。それじゃあ行こうか。時間が惜しい」
 それでも何て事はないよな、とお互いに確認しあって先に進もうとした、その時だった。
「ん?」
 沙夜の服のポケットから振動を感じる。携帯電話の着信だった。
「サーヤ、何だって?」
「あぁ……」
 暫しの間、ディスプレイに目を落としていた沙夜は心持ち柔和に微笑むと、携帯電話を彼
女に見せながら言った。
「アツシ君からのメールだ。コタロー君の居場所、分かったって」

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  1. 2011/04/28(木) 20:30:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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