日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(短編)二十年後の遺言

 妻が──死んだ。癌だった。
 僕がそれに気付いたのは妻が家の中で昏倒していたのを見つけた時だった。
 急いで救急車を呼び、その時に関しては一命を取り留めた。だが、搬送先の医師から告げ
られた話は僕を絶望させるのに充分過ぎた。
『申し訳ありませんが……。奥さんの病状はかなり進んでいます。一年持てばいい方だと思
われます』
 実質の余命宣告だった。
 更に医師は、僕に躊躇しながらももう一つの事実を話して聞かせてくれた。
 それは……妻が長い間、癌と独りで闘っていたというものだった。
 彼女曰く「夫に心配を掛けたくない」からだったらしい。それを聞いて僕は渦巻く感情と
と共に自分を殴り殺したい衝動に駆られたものだ。
 何故、頼ってくれなかったのだ? 確かに僕はお世辞にも売れない画家で、この事実を知
れば間違いなく創作活動に集中できなかったとは思う。だが僕も妻子を養う責任感は持ち合
わせているつもりだ。もしもっと早く妻の一大事を知りえていれば……全てを擲ってでも共
に闘病生活を送ってもいいと、きっと腹を括っていたに違いない。
『──私はね、サトちゃんが嬉しそうに絵を描いている姿が好きなの』
 でも……そんな決意を伝えても、妻はきっとやんわりと断わっていただろうと思う。
 学生時代に付き合うようになって以来、自分の画力を自問し、自分達の生計に悩むその度
に彼女が口癖のように僕に投げ掛けてくれていた言葉だ。
 まるで自分の事のように嬉しそうに。あの優しい微笑みに、僕はどれだけ救われてきたの
だろう……。
 だからこそ、こうして君を喪ってしまうとその穴は表現し切れない程に大きくて──。

「パパ~?」
 あどけない幼子の声に、僕は我に返った。
 気付いて振り向いてみれば、ちょこんと一人娘の愛子が僕の袖をくいくいと引っ張ってい
た。すっかり遠くなってしまった追憶の世界から、意識が認め切れない現実に引き戻されて
しまったかのようだった。
「? どうしたんだい、愛子?」
「リンリンが鳴ってるよ?」
「リン……? ああ、電話か」
 確かに愛美の指差す電話台の上で、子機が電気的な点滅と共に鳴っていた。
 電話の着信にすら気付かず僕はぼんやりとしてしまっていたらしい。
 僕は重い気分を引き摺ったまま立ち上がると、そっと急かしてくる子機を取る。
『おう。やっと出たな。俺だよ俺』
「……ヨータか」
 電話の相手は、古くからの付き合いの友人達の一人・ヨータだった。
 相変わらずの人好きのする明るい声色。だがそれもここ暫くは気を遣ってくれているらし
く、多少のトーンが落とされているかのように思われる。
『とりあえず、改めてお悔やみ申し上げますだ。……少しは落ち着いたか?』
「……あぁ」
 僕はか細く頷いたが、十中八九彼には嘘だとバレていただろう。
 先日、四十五日の法要を済ませたばかりだった。ヨータ達も同じかつての仲間として葬儀
を含めて出席してくれている。
『そっか。そりゃ良かった。……まぁ、慣れろなんては言わねぇけどさ。あんまり沈んでば
かりいちゃあ、マナミの奴も落ち着いて眠れねぇぜ? ただでさえ、お前には昔っから甘々
だったしな』
 僕は小さく曖昧な首肯を返すしかできなかった。
 少し突っ込み過ぎと周りには映るのかもしれない。だがヨータも僕らの事を心配してこう
して連絡を取ってくれているのだろう。そう思うと怒りなど起きようもない。静かに沸いて
くるのは、彼らへの申し訳なさと今も続く稀有な友情への感謝だった。
『……まぁ、それでだ。お前、今度の同窓会どうする?』
「同窓会……?」
 だが今日の本題は単に慰めてくれただけではなかったらしい。
 少し慣れの薄いぎこちなさを残しながら、ヨータが口にしたそのフレーズを反復していた
自分。そういえば、そんな通知の封筒が来ていたような……無いような。
 僕がそう記憶を辿っていると、電話の向こうのヨータは苦笑を見せたように言う。
「やっぱり忘れてたか。まぁ無理もねーよな……。あんまり無理すんな? 今回俺、幹事の
一人だから一応確認だけはしとかねぇといけねぇからさ……」
「あぁ……。ありがとう」
 まだあの時も、僕は妻の病気に気付いてさえいなかった。
「いいっての。そんな改まって。でも……できれば、個人的にもお前には来て欲しいな。ボ
ス達も全員出席の予定になってるしさ。マナミは、何時だって──きっと今だってお前の傍
で笑ってるんじゃねぇかってと思うんだよ」
「……。そうかも、しれないな……」
 彼女自身も僕の事を思って敢えて表に出ないように努めていたのだと、今になればやっと
想像する事はできるのだが。
 ────同窓会かぁ。ねぇサトちゃん、一緒に行こうね? 絶対だよ……?
(ッ……!?)
 フッと、脳裏に映像(ビジョン)が過ぎった。
 そうだった。あの日、彼女は封筒をポストから持って来て僕に笑い掛けて……。
『サトシ?』
「……パパぁ、どうしたのぉ?」
 電撃を受けたように電話台の前で硬直した僕。
 そんな様を、電話の向こうのヨータと先程からずっと傍でテクテクしていた愛子が怪訝と
心配の声で解きほぐしてくれた。
「ああ……大丈夫。何でもないよ。うん、ヨータ。分かったよ……僕も出席する」
「お。そうか。分かった。……楽しみにしてるよ」
「こっちこそ。皆に宜しく」
 だから僕は彼の掛けてくれたその言葉に思わずフッと小さな笑みを零すと、出席の意向を
伝えていた。
 あくまで飾り過ぎぬ、何時もの仲間としてのやり取りの後。
「パパ、どーそーかいってなーに?」
「うん? そうだね。昔のお友達がいっぱい集まる所……かな」
 電話を切り、僕は自分をきょとんと見上げてくる一人娘の前にそっと屈み込むと、そう答
えながらその妻譲りの髪を撫でててやりながら呟く。
(そうだな……。愛美も、きっと皆に会いたいだろうし……)
 気付けば、心の中の荒波が少しだけ穏やかになっているような気がした。

「──じゃあ、お利口さんにしてるんだぞ?」
 そして、同窓会当日。
 一緒に軽い昼食を済ませてから、僕は何時もの保育所に愛子を預けていた。
 思えばこれも、以前は愛美のやっていた事だったのだ。喪失感がまたチクリと胸を刺す。
「うんっ。いってらっしゃ~い」
「……それはどっちかというと僕の台詞だと思うんだけどな」
「ふふっ……。愛子ちゃん、何時も元気でいい子ですから」
 お気に入りの保育士の女性に手を取って貰ってご機嫌な愛子の言葉、苦笑する僕と微笑ん
で褒めてくれている(と思う)彼女と。
 僕は何処かで安堵している自分がいるのに気付いていた。
 もう少しこの子が大きかったら──母親が死んだという事を理解できる年齢であったのな
ら、一体僕達はどうなっていたかと。
 無邪気は無知なのかもしれない。でもこの子の場合、それはただ「父親が哀しそうだから
励まさないと」という半ば反射的な強がりから来ているのではないかと時折勘繰ってしまう
という方が正確ではないだろうか。何せ性分も外見も、この子は母親譲りなのだから……。
「では……宜しくお願いします」
「はい。お気をつけて」
 僕は保育士らに会釈を残すと、その場を後にする。
 
 その足で電車を乗り継いで駅前繁華街へ。
 会場に指定された居酒屋チェーン店の中は休日の夕暮れという時間帯もあって中々の賑わ
いを見せていた。以前届いた封筒を懐から取り出して改めて書面を確認すると、貸切になっ
ている大部屋へと向かう。
「お? 来た来た、おーいサトシ~」
 畳敷きの室内には既に多くの同窓生らがいた。
 僕が靴を備え付けの下駄箱にしまいながらその光景を眺めていると、聞き覚えのある複数
の声が耳に届いてくる。
「……やあ。皆、揃ってるか」
 向けた視線の先、複数置かれたテーブルの一つを仲間達が囲っていた。
 のんびり屋の巨漢・タンバ。
 内気だが頭脳は随一・トモ。
 皆のムードメーカーたるヨータに、愛美とは親友の間柄でもあったジュジュ。
 そして……僕達を何時も引っ張ってくれていた頼れる兄貴分・ボス。
「おうよ。悪ぃな。先に頂いているぜ」
「それは構わないよ。じゃあ、僕も混ざろうかな」
 食事というよりも晩酌をという方が正確な卓上の模様。
 僕はできるだけ愛美の事を顔に出さないように、再びそのかつての──いや葬式にだって
きちんと顔を出してくれた、今でも大切な仲間達の輪の中に混ざっていく。
「じゃあ、改めて。乾杯~♪」
『乾杯~!』
 カツンと互いにグラスを合わせて。酒が進む。肴が進む。
 あの頃はただ馬鹿騒ぎをしてはしゃぎ回るだけの子供だった僕らも、今では酒を肴を片手
に語らう事のできる歳になった。
 時の流れは、僕らの都合などお構いなしに流れていく。
「よう、伏見。久しぶり」
「ああ……。久しぶり」
「ねぇねぇ、まなみんは来ていないの? 久しぶりに会えると思ったんだけどなぁ……」
「そうだぜ~。何せ俺達のマドンナ・愛美ちゃんを娶った旦那様だからよ~」
「…………」
 お構いなしに、流れていく。
 皆に祝福され──半分はやっかみもあったと思うが──幸せだった日々も、その中心にい
た彼女を喪っていったこの一年近い日々も、時はただ無情に淡々と刻んでいく。
「はいはい。やっかみはその辺りにしときなさいな」
「マナミは都合が合わなかったんだ。だから代わりって言っても何だけど、こうしてサトシ
が来てるんだよ。……だよね、サトシ?」
「あ、ああ……そうだよ。すまないな」
 愛美の事は、ボス達ごく数名にしかまだ報せていない。
 皆に伝えるのが辛かった。いや、多分僕は怖かったのだろう。
 ──何で、何でこんなに早く……。あんたが傍に居たんじゃないの!?
 チクリと胸を刺すあの時の記憶。
 葬儀の折、期せずして二人きりになったジュジュが感極まって漏らしたあの涙の声。
「……ふぅ。とりあえず撒いたわね」
「うん。大丈夫、サトシ? やっぱり……呼んだのはしんどかったかな?」
「いや……。そんな事はないよ。ありがとう……」
 ジュジュとトモが、何も知らない他の同級生をそれとなく言い包めて遠ざけ、フォローし
てくれていた。二人とも僕に振り向いて心底気を遣ってくれているように声を掛けて来てく
れている。だが僕は、あの日の彼女の涙の訴えやら何やらが記憶から呼び起こされ、きっと
返礼も曖昧になってしまっていたに違いない。
 その後も暫く、僕ら六人は──いや愛美を含めて七人は互いに酒を酌み交わし、語らいを
続けた。見かけ通りにもりもりと食べるタンバ。面子の中ではあまり酒に強くないトモは若
干酔いに負けそうになって顔を赤くして。ジュジュとヨータはケタケタと笑い合いながら半
分変な高揚の中で飲み比べを続け、そんな面々を僕とボスは静かにちびちびとやりながら見
遣っている。
「……今日はありがとうね、ボス」
「ふん。礼を言われる事は何もしていないぞ?」
 仲間達の力なのか、それとも酒の勢いがあってなのか、僕の心は嬉々としていた。愛美の
事を忘れた訳じゃない。でももし、先日ヨータが言っていたようにあいつも僕と一緒にこの
場を頼んでくれているのなら……僕は来て良かったと思う。
「……むしろ、これからなんだがな」
「ぇ──?」
 その時ボスが何か言ったようだったが、周りの賑やかさに呑まれて僕にはよく聞こえなか
った。それでも彼はフッと僅かに口元に笑みを残し、ちらと改めて皆を見遣る。
 すると、それまで他の同級生らと同じように飲み食いを楽しんでいた仲間達が何か申し合
わせたかのように立ち上がった。
「悪い。俺達先に帰るわ」
「え? もうかよ。二次会とかもあるんだぜ?」
「まぁそうなんだろうけどよ。ちょいと野暮用があってな……後は任せた」
 少し怪訝を見せた同級生達だったが、かといってそれ以上突っ込んでくる事は無かった。
 ヨータは他の幹事役の面々に後を託すと、タンバやトモ、ジュジュと共にこちらに並び立
つ。ボスも、頭に疑問符を浮かべている僕をひょいと脇を抱えて立ち上がらせると、飲み干
したグラスをテーブルの上に置いた。
「よし。じゃあ、行こうか」
「……? 行くって? 二次会でもないのに何処へ?」
 どうやら分かっていないのは僕だけだったようだ。ボス達は確認するように互いに顔を見
合わせる。何が嬉しいのか、ジュジュが皆を代表して周りに聞こえないようなひそひそ声で
僕の耳元に顔を近づけると言った。
「あたし達の小学校。覚えてない? 今年でちょうど二十年目なんだよ?」

 そう言われて、その懐かしい場所にやって来て、やっと思い出した。
 そうだった……。僕らはあの日、卒業間近の頃この小学校(ぼこう)の中庭にタイムカプ
セルを埋めたのだった。
 二十年後、皆が大人になったら一緒に開けようねと──。
「ふっせ、ほいせっ」
「ふんふんふふん~♪」
 同窓会の会場を後にした僕達は、一路懐かしの母校へと足を運んでいた。
 流石に建て替えなどで当時とはすっかり見た目は変わってしまっていたが、一度はかつて
何年も通い詰めた場所。実際にこうしてその地面を踏みしめると昔を思い出す。
 ジュジュと僕、トモが見守る中、ヨータ達三人が中庭の一角──確かにあの日埋めたタイ
ムカプセルの場所を掘っている。
 傍の外灯もちゃんと灯っているし、用具も来た時には準備されていた。おそらくは事前に
皆で学校側に許可を取り、今日という日に備えていたのだろう。
(……ちゃんと皆は覚えていたのに、僕は……)
 薄情だなと思い、思わず苦笑してしまう。
 ずっと、仲間達は僕の思っていた以上に交わりを鈍らせていなかったのか。
 愛美の事もそうだ。僕は、大切な人の事すら──。
「む? 堅い……。此処だな。タンバ」
「オッケー。ほ~りゃぁっ!!」
 そうしていると、どうやら埋めた場所にヒットしたらしい。ボスの合図でタンバの膂力が
スコップ越しに炸裂する。
 ごっそりと削られ持ち上げられた盛り土。そこには確かに……古びた金属の大きな缶が、
僕達のタイムカプセルが姿を見せていた。
「お~。それだよそれ、懐かしいなぁ」
「大分劣化が進んでいるようだね。中身は大丈夫だろうとは思うけど……」
 ジュジュとトモと一緒に盛り土の前へ。
 かつての七人──悔しいが一人抜けた六人がぐるりと輪になって古びたタイプカプセルを
囲んでいる。
「……じゃあ、開けるぞ?」
 ボスが皆に確認するように言った。
 こくりと頷く僕達。ギチギチと。やや錆びの音を纏い、僕らのタイプカプセルはあの日の
約束通り二十年ぶりに解封される。
 蓋が開いた瞬間、六人の歓声が重なった。
 中から出てきたのは幾分ボロくなってしまった手紙や、当時のそれぞれの“宝物”の数々
など。大人になった今では実際は何の価値も無いのかもしれない。だけど、ただ役に立つか
どうかが全ての意味を決めるのではないと、僕は思う。……そこに込められた思い入れは、
きっとそれらを輝かせる。
「ほら、これ。マナミの分」
「サトシが検めてくれ。お前じゃなきゃ、駄目なんだ」」
 すると、ヨータとボスが中に残っていた便箋入りのビニール袋を僕に差し出してきた。
「……うん」 
 受け取って、そっと封を解く。
 そうか。皆が今日此処に連れてきたのも、ヨータが同窓会の出席を直接訊ねて来たのも、
全部この為だったんだ。
 辛くないと言えば嘘になる。だけど……確かにこれを他の見知らぬ誰かに蹂躙されるのは
もっと嫌だと思った。
「……」
 時の流れで劣化こそしていたが、愛美の書いた手紙は確かにこの手の中にあった。
 あの頃から品行方正ないい娘だった彼女。その性格は二十年前の便箋に『未来の私へ』と
書かれた文字にも現れている。
『こんにちは。お久しぶりです。二十年後の私は、今どうしていますか? ……サトちゃん
とは上手くいってるのかな? ちゃんとこの気持ちを、伝えられたのかな?──』
 その文面を読む内に、僕はハッとした。
(これって……遠回しにラブレター、じゃないか)
 サトちゃんという呼ばれ方は今も昔も変わらない。仮に僕以外にその呼び方をする誰かが
その後できていない限り──少なくとも僕の記憶には無い──これは間違いなく、僕の事を
言っているのだと分かる。
(…………愛美は、あの頃からずっと……?)
 突き上げてくるものがあった。
 自惚れだと哂われてもいい。確かに此処には、少なくともあの頃の愛美には秘めた想いが
あったのだ。……正直写生ばかりしてあまり友人のいなかった僕を、そんな僕を仲間に引き
入れてくれたボス達の輪の中で、彼女はずっと慕ってくれていたというのか。
 恥ずかしさで身体中が火照る。いやそれ以上に強い後悔が僕を襲うようにも思えた。
 もっと、もっと早く気付いてやれていたら。もっと早く受け入れてやれていれば。学生時
代に「離れ離れは嫌だ」と泣きついて来たあの時よりも早く、彼女の思いに気付いてやれて
いれば……僕は、もっと長く彼女との日々を過ごせていたのではないか。
 もしかしたら、病でこんなにも早く逝ってしまう事もなかったのではないか──。
「……サトシ」
 ぐっとトーンの落ちたジュジュの声色。
 その呟きにハッと我に返って、僕はようやく気が付いたのだった。
 自分が、ボロボロと涙を零している事に。
「……ありがとね。マナミの為に、泣いてくれてるんだよね?」
 フッと笑ってそう言うジュジュ。だがそんな彼女も今にも泣きそうだった。
 僕は、何も言葉を返せなかった。涙でぼやけた視界をゴシゴシと上着の袖で拭い、彼女の
瞳の奥に溜めた涙を見て、ようやく僕は赦されたのかもしれないと思えた。
「これで、マナミも安心かな」
「……そうだね」「へへっ。だな」
「うん。マナミ、きっと天国で俺たちを見守ってくれてる。いや……ずっと今もサトシの傍
に居るのかも」
 他の仲間達も満足したかのように笑う。
 それがまるで愛美からの贈り物であるかのように思えて、
「…………ありがとう。本当にありがとう、皆」
 僕はくしゃくしゃになっていたであろう顔で、皆に深々と頭を下げる。
 ──ちょうど、そんな時だった。
(ん……?)
 パサリと便箋を握っていた手に何か別の感触がする。再び微笑ましく語り合う皆の視線を
ちらと確認してから、僕は改めて便箋の中を覗き込んでみる。
(……もう一枚、手紙?)
 そこには、先程とは別の手紙が収められていた。

「あ。パパ~♪」
「ふふ……お待たせ。帰ろっか、愛子」
 日もすっかり落ちて、僕は皆と別れて保育所に愛子を迎えに行っていた。
 室内で黙々と積み木を積んで遊んでいた愛子が、僕の姿を認めて嬉々として駆けて胸に飛
び込んでくる。僕はそんな一人娘の姿をたっぷりと愛でてやると、居残ってくれていた保育
士さん達に愛子と共に別れを告げて改めて帰宅の路に就く。
「きょうはおともだちいっぱいだった~?」
「うん。一杯いたね」
「ママも?」
「……そうだね。居てくれたかも、しれない」
 無邪気な質問に思わず苦笑していた。
 だが、そうした事で内心に暗雲を立ち込ませるのは……もうよそうと思う。
『──サトちゃん、そして愛子へ。貴方達がこの手紙を読んでいる頃、多分私はもうお星様
になっていると思います』
 二枚目の手紙は、明らかに一枚目よりも新しかった。
 そして文面に目を通して僕は確信をする。愛美は……何時の時期にこれを仕込んだかは分
からないが、少なくとも自身の病の重さを知った時にこっそりタイムカプセルの中にこの二
枚目の手紙を入れ直したのだと。
『サトちゃん……ずっと黙っていてごめんなさい。でも貴方にはずっと笑っていて欲しかっ
たから。私は貴方の描く絵が好きだったから。その絵を曇らせる原因を、自分で作ってしま
う事が怖かった……。身勝手かもしれないけど、許して下さい』
 許すも何も、謝らなければいけなければ僕の方だ。
 君の気持ちにも、病にもずっと気付いてやれずに残された時間をただ魂を削るように過ご
すしかなかったというのに……。
『私は、そう遠くない先に逝きます。だけど私は幸せでした。貴方と出会えて、想いを受け
止めて貰えて……。生まれ変わってもまた貴方達と出会いたい。家族になりたい。だから私
がいなくなっても落ち込まないで? 私をそうしてくれたように、サトちゃん……貴方の絵
には人を温かい気持ちにしてくれる力があるから。だから、その手から描く絵でもっと沢山
の人達を幸せにしてあげて下さい』
 買い被り過ぎだよ。今だってしがない絵描きだ。
 でも……嬉しかった。君は居なくなってしまったのに、まるでそっと背中に寄り添ってく
れているかのような──。
『サトちゃん、愛子。私は……貴方達を、ずっと愛しています──』
 きっと、愛美は自分が逝ってしまった後の僕らを案じていたのだろう。
 だからこんな手の込んだ事をしてみせた。という事は、今回のタイムカプセルの解封も彼
女がボス達にこっそり頼んでいた事なのかもしれない。
 直接言ってくれればいいのにな。
 だけど……これで良かったんだと、僕には思えた。
 それは声にした言葉は目に見えず消えてしまうけれど、文字に込めた想いはもっと長く残
しておけるからなのかもしれない。
 遺言なんて言い方はちょっと湿っぽいけれど、事実僕の中の哀しみの荒地は随分と綺麗に
して貰えた気がする。……他ならぬ、愛美自身によって。
「愛子」
「? なぁに、パパ?」
 手を繋いだ愛娘の体温を感じる。
 それは夜風の冷たさとの対比だけではないのだろう。ここに命の温もりが在る。
 失くさせるものか。彼女が残してくれた全てを、僕は守り抜く。
「……今度、絵を描こうか。ママと愛子の、二人の」
「ほんとう!?」
 妻が死んでから止まっていた絵筆。
 だけどもうそろそろ取り直してもいいんじゃないかな。愛子が自分と母というフレーズに
か、それとも僕が絵描き(しごと)を再開する事にか、嬉々として目を輝かせたのを横目に
見て、僕はクスッと苦笑いを零す。
「ああ……本当だよ。僕の、最高の絵にするよ。してみせる」
 愛子の握る手の温もりが強くなった。キャッキャッと喜ぶ無邪気な声が心地よい。
(そうさ。僕だって、残さなくっちゃね……)
 愛美……。君の姿をキャンバスに残すよ。
 君達への愛しさの記憶が、僕の中から風化してしまわない内に。
                                      (了)

  1. 2011/07/17(日) 01:00:00|
  2. 二十年後の遺言
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

(雑記)共歩幻想嘆

やっぱり雑記(こっち)の方が頻度増えてるよ……orz
こんにちは。夏の暑さに少々バテ気味、曇天大好き長月です。
ツイッタ上でも触れたのですが、先日当ページへのアクセス累計が100人に達しました。
こんなテキストばかりのページにこれだけ人が来てくれようとは……。
改めてこの場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございますm(_ _)m
今後ともより良い文章を、物語を、創作を手掛けられるよう、精進とコンテンツの強化等を
図っていきたいと思います。

続きを読む
  1. 2011/07/15(金) 22:00:00|
  2. 【雑記帳】
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

(雑記)人間のチカラ@7・11

個人的な事を言いますと、夏は冬より嫌いです。
寒ければ着込めばいいですが、暑くても脱げる服は限度がありますからね。
何よりも暑さというのは並のそれでも思考力を削ぐものです。厄介なのです。
梅雨明けらしいですね。だが昼間でも創作脳。こんにちは、長月です。
全く……誰だよこんなに暑い天気にしてる奴は(^ω^#)

続きを読む
  1. 2011/07/11(月) 22:00:00|
  2. 【雑記帳】
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

(短編)同じ籠の狢

 灰色の檻の中は『外』から見えれば冷たく隔絶されたように感じられる。
 だが──果たしてそれは他人事で済ませられるのだろうか。

「おう。お前が新入りか」
 その街の郊外に一つの刑務所があった。
 動物ではなく、罪を犯したと断じられた人間を閉じ込める為の閉じられた部屋。その一室
の隅に陣取るいかにもといった風体の大男は、ジロリと睨みを効かせて相対する歳若い囚人
を見下ろした。
「はい……。宜しくお願いします」
「宜しくだぁ? ははん、お前は素人(アマ)だな? 此処でそんな礼儀正しく良い子なん
てしてたら息が詰まって死んじまうぞ」
 囚人の青年の応答に、大男ら部屋の中の囚人達はどっと笑い出した。下品な笑いだ。
 対する彼当人はその意図をいまいち掴めず、俯き加減に曖昧に頷くだけだった。元からの
線の細い、なよっとした外見が周囲の囚人達とのアンバランスさを一層引き立ててしまって
いるかのように見える。
「ま、そんなだから色々不憫な思いをしたんだろ? で、俺らと同じ世界に来ちまったと」
「……はぁ」
「おいおい。そんな辛気臭い顔してんなよ。お前さんが何をやったか知らねぇけど、世間様
ってのは一度こっちに来た連中を受け入れはしないもんだぜ? 悪い事は言わねぇ。さっさ
と頭を切り替えてここの暮らしに馴染みな。それがお前さんの為でもある訳だしよ」
「そうですか……」
「だからその糞丁寧な喋りはよせっつーの」
 にたにたと、脂のようなしつこさを帯びた囚人達の哂い。
 その多数の視線を全身で感じながら、囚人の青年は内に秘めた嘆息が益々膨れ上がってい
くのを感じていた。
(……結局、ここも同じなんだろうか)
 この貧弱な気質の所為で色々と損をした。失敗をした。
 そしてあろう事か、ついには人を一人殺めてしまった。
 相手も日頃から中々の傍若無人ぶりを発揮する人物だった──だから何処かでざまぁみろ
と思った──とはいえ、その為に自分(と近しい人達の)の残りの人生を棒に振るような真
似はやはり間違っていたのだと後悔している。損得が合わな過ぎる。
 だが、犯した事実は変わらない。
 それだけでも沈痛な気持ちで一杯だったが、更にその暗い思いに追い討ちを掛けるように
目の前の彼らは「犯罪者の自分」を受け入れてしまっているかのように見えた。
 そう……この界隈にすら彼らは根を下ろし、コミュニティのようなものを作っているらし
いのだ。差し詰めこの大柄な男がボスなのだろう。
「ま、そういう所も含めてしっかりと教育してやるまでさ。せいぜい楽しみにしてな」
「……はい」
 何処に行っても、やはり人はしがらみという別名の“群れ”を作りたがるものらしい。
 青年は卑しい笑いの響く牢屋の隅で一人静かにため息をついた。

「──ったく、相変わらず下品な笑いなこったな」
 そんな遠くから聞こえる囚人達の声をぼんやりと聞きながら、彼らは呟いていた。
 此処は刑務所内の詰め所。合わせたデスクの上には事務関係の書類が所狭しと積まれてお
り、頭上の天井から下がっている複数のモニターからはリアルタイムで所内の囚人達の挙動
が映像として送られてきている。
「仕方ねぇだろ。此処は自然とそういう連中が集まってくる場所なんだからさ」
 統一されたポロシャツ姿に、腰には警棒と手錠、連絡用のトランシーバーを一式。
 監視対象らに映像越しで時折目を配りながら、複数の看守らは気だるげに昼下がりの休憩
と洒落込んでいた。
「まぁな。……っと、そっちはミルク要るっけか?」
「ああ。たっぷり頼むわ」
 内一人がポットから湯を注ぎ、人数分のコーヒーを淹れてゆく。
 弛緩した、独特の雰囲気。だがそこに“余所者”が入り込む余地は無い。
 仮に不用意に彼らの中に混ざろうとすれば、この職種の本質としての静かな緊迫にあっさ
りと押し潰されてしまう事だろう。
「んー。やっぱ安物は味が知れてるなぁ」
「でもそれがいいんだよ。変わらないっていうのがさ」
「……」「そう、だな……」
 彼らは罪人を監視するのが仕事。
 だがその多くは所謂ステレオタイプな正義感に染まったままこの場所には居られない。
 それが何時頃になるか、そこには個人差はあるだろうが、彼らの心持ちの行き着く先は決
まって“何事も起きない”事への期待なのである。
「……悪い。野暮な言い方しちまったな」
「いや……いいんだ。気にすんなよ」
 たたでさえ素行・心根の歪みを追った(場合が大半の)者達を相手にする仕事。
 加えて場合によっては──特に元々は善良な、しかし何処か世の歯車に嵌り切れなかった
静かに堕ちて来たタイプの人間が──収監され続ける苦痛の姿を目の当たりにする事も珍し
くはない。そのどちらにも、深入りし過ぎていればいずれは自分自身が駄目になるのだ。
 だからこそ、看守達は「何時も通り」である事を常に願っている。
 目を逸らせぬ最前線でありつつも、かといって深みに落ちないギリギリの妥協策。
 彼らもまた、囚人達と同じく『獄中』に居るという意味では同じなのだ。
「……そういえば」
 だが、奴らは何処からともなくやって来る。
「うん? 何だよ」
「俺の記憶が正しけりゃ、今日じゃなかったか。ほら、この前此処の取材に来たいって言っ
てきた旅人の兄ちゃんだよ」
「あー。そうだっけ? ……はぁ。厄介だよなぁ」
「ホント物好きだよなぁ。こんな豚箱の一体何がいいんだか……」
 何かを囲い込む、分断するという事は必然的に『外部』と『内部』を作り出すのである。

 そしてこの刑務所を抱える筈の街は、昼下がりになって商いの賑わいを見せていた。
 通りの左右に広がる露天の数々。人々が自由気ままに行き交い、時に商人達と語らって目
星をつけた商品を買ってゆく。
 或いは値切りで言い合い、或いは子供達が無邪気に駆けて行き、或いは頭上の建物の窓々
から洗濯物が棚引くように干されている。
 そこには刑務所のような閉じられた印象を窺う事は難しいように思われた。
 内側と外側。明るく、そして残酷なまでにその差異は明確に目に映る。
「おばさん。これ幾ら?」
 そんな賑わう露天の一つに、一人の青年が顔を出した。
 着古した上下の服の背に負ったパンパンの旅鞄(バックパック)。
 何やら雑多な書類やペンを突っ込んだ紙袋を手に提げつつ、彼は商品籠の中から瑞々しい
林檎を一つ、手に取って店主に呼び掛ける。
「一個で七十五だよ。お兄さん、旅人さんかい?」
「ご名答です。まぁこんな格好してますしね。で……六十じゃ駄目ですかね?」
「だろうね。もしかしてあれかい? この先の刑務所に取材に来たっていう……。七十二」
「ええ、そうですよ。朝からお邪魔して、色々お話を聞いて来たんです。六十五」
 断片的な世間話と先程までの滞在を告げる店主と青年。
 にこやかに雑踏の中で言葉を交わすが、その中に値引の駆け引きをするのは欠かさない。
「へぇ、物好きだねぇ……。あんな悪人の掃き溜めの何が面白いんだか。七十」
「……単純に一括りに見て満足してしまうのは幸せですし、不幸でもありますよね。だけど
僕はこうして旅をしている以上、もっと色んな人の姿を収めていきたいんですよ。六十八」
「……ふぅ。負けたよ。お兄さん中々やるもんだねぇ。ほれ、持ってきな」
「ありがとうございます。貴女もいい商売してますよ」
 やがて交渉成立とばかりに店主の方が息をついた。
 ズボンのポケットから財布を取り出し、その値引した額の代金を払う。青年はポンと渡さ
れた林檎を受け取ると、そのままシャクっと新鮮な音をさせて一口頬張り、そんな世辞を踵
を返した背中越しに投げて寄越す。
「はははっ。ありがとね。分かってるだろうけど、道中気をつけなよ」
 去り際に店主が豪快に笑ってその言葉に返答する。
 旅の青年はひょいっと片手を上げる事でそれに応じてから、人ごみの中に消えていった。

「──はい、オッケーです。これで出国手続きは完了しました」
 それから暫くして、彼はこの街の、いや国の出入り口にやって来ていた。
 厳重に守られた門の傍の詰め所に駐在する係員から手続きのチェックを受けると、彼らの
合図で重い鉄扉が内部より繋げられた図太い鎖に引っ張られる形で観音開きにされていく。
「ありがとうございました」
「いえいえ。こちらこそまたのお越しを……と言いたい所なのですが」
「……? はい」
 ガチンと開放された巨大な扉を見上げ、係員達に会釈をして踏み出そうとしていく青年。
 そんな彼を、リーダー格らしき壮年の係員がそれとなく呼び止めてくる。
「一つ、聞いてもいいですかな。この国は、貴方にとってどうでしたか?」
 若干の気鬱さを混じらせたようなその一言。
 青年は門の外から覗く外界の景色を一瞥した後、フッと笑ってみせる。
「中々に面白かったです。皆さん親切で、街も活気もありましたし。でも……ここもやっぱ
り罪人は閉じ込めて忘れてしまえという頭でいるんだなって思いました」
 今度はこの係員が苦笑いを零す番だった。
 淡々と事務に戻る者。こっそりと聞き耳を立てている者。部下らの様子を背中越しに一瞥
してから彼はそっと吐き出すように言う。
「いやね。私は気になるんですよ。外の世界というのものが。少なくともこの国の人間は生
まれも育ちも此処、一生をこの国で街で過ごしています。でもね……思うんですよ。それは
本当に幸せなんだろうかとね。こうしてぐるりと塀を囲んでその中に街を、国を作って……
街の連中は刑務所の囚人達を閉じ込めて哂ってますが、私にはどちらも実は大差ないんじゃ
ないかって思うんです」
 青年は静かな微笑でじっと耳を傾けていた。
 そしてやがて彼の言葉が止むと、少し思考を巡らすようにしてから応えたのだった。
「そうかもしれませんね。僕は他にも、城壁というか……周りを塀で囲んだ街や国を色々見
てきましたから。中にはここよりもずっと閉じている国もあったし、積極的に僕みたいな旅
人や他国の人間を迎え入れている国もありました。……別に一所に留まっている事が悪いと
は、僕は思いませんよ? 安住できる場所があるのは幸せだとも思います。それに何よりも
僕らは何処でだってコミュニティという枠の中でしか生きていけない生き物なんですから。
貴方は貴方の思うように、居たいと思う場所で日々を営めばいいんです」
「……そうですか」
 彼は暫し考え込むように黙っていた。
 ぽつりと頷いたような、だがまだ消化し切れていないような一先ず感。
「そう、ですね……。内側か外側かじゃなく、自分がどう生きるか……ですか。ありがとう
ございます。参考になりました」
「いえいえ……。こちらこそ」
 それでも安易な諦めではなく、己を受け入れる選択をしたらしい様子。
 丁寧に窓口越しに頭を下げる彼に青年は微笑み返し、
「では。僕はこれで。皆さんもお元気で」
 改めて、その足で一歩また一歩と門を潜りこの国を後にする。

「~……♪」
 旅人は『外側』の世界を闊歩する。
 その目には点々と存在する国が──塀に囲まれた無数の『内側』が映る。
 だがそれはあくまで人間自身が設けた枠組みに過ぎない。大事なのは、枠の是非ではなく
それらを踏まえて自分(と周り)が如何生きていくかにあるのではないか。
 其処が刑務所という文字通りの獄であっても。
 其処が獄を監視するより大きく覆う詰め所であっても。
 其処がしばしば自己完結した巨大な街という閉鎖地であっても。
 我々は、そんな枠組みの中で生きざるを得ないのだから。
 ──いや。
 もっと大きく見ればこの惑星(ほし)も、或いはこの宇宙すらも、同じ“籠の中”に過ぎ
ないのかもしれない。
                                      (了)

  1. 2011/07/11(月) 22:00:00|
  2. 同じ籠の狢
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

(短編)詰め替える

「準備できた?」
 玄関先で靴を履き終えると、彼は私に振り向いて言った。
 清涼感の漂うシャツと青いジーンズという出で立ち。私がまだトタトタと部屋の中を右往
左往しているというのに、その様子には苛立ちのような色合いは見られない。
「あ~……うん。オッケー。行こっか」
 だけど何となく彼を突っ立たせたままにしておくのも悪いと思い、私は廊下から顔を出し
ながら手短に髪を手櫛で整えると彼に小走りで駆け寄っていた。
 肩にはいつもの鞄。ブランドものではないが、使い勝手が良く長く愛用している一品だ。
 それに──私だけこんな外出程度で着飾ってもと思う節もある。
 別に面倒臭いからではない。ラフな格好でも違和感の無い彼にそんな豪奢さは不釣合いな
のではないかと思うからだ。
「え~と、メモメモ……」
 チェーンを外してドアを開けてくれる彼のすぐ後ろをついていきながら、私は手にした半
ピラ紙のメモに、確認するように目を通す。
 これがデートならいいんだけど、そうじゃない。
 外出の理由はごく単純。なくなったり足りなくなったりした日用品を買い足しに行く。た
だそれだけの事だ。だけど、そんな些細な理由であっても彼は文句を言う事なくこうして付
いて来てくれるのが実は内心嬉しかったりする。
 洗剤、歯磨き粉、トイレットペーパー、乾電池(目覚まし時計用)等々……。
 日用品というものは思う以上になくなってしまうと不便だけど、かといって補充する手間
が地味に面倒だったりもするから鬱陶しくもあるのだけど。
「ああ、そういえば」
 すると彼がフッと思い出したように振り返った。
 私もつられるようにメモから顔を上げる。その仕草の何か面白かったのか、彼はにこりと
微笑むと言う。
「ボディソープも切れてたけど……。そのメモには書いてる」
「ボディソープ? ううん、書いてないわね。ありがと」
「どういたしまして。でもあるかなぁ、同じ物?」
 彼はうーんと下唇を軽く指先で押さえながら呟いていたが、私は多分間違いなくぞんざい
な応答をしていたのだと思う。
「別に細かい違いはいいんじゃない? どうせ詰め替え用で適当に済ませるしね」

 アパートの部屋から徒歩で数分の所に、私達が普段よく利用しているスーパーはある。
 平日の昼下がりだったが、立地条件がいいのか今日も客入りは中々のようだった。私達は
早速店内をぐるりと回りながら、メモした日用品を見つけては彼が提げてくれている店のロ
ゴ入りの籠の中へと放り込んでいく。
「あ、ちょっと待って。こっちの方が安いよ」
「え? でも量が少ないよ」
「だけどほら……。こっちだと一パック辺り二十円安いよ」
「……。アア、ホントデスネ」
 そしてその間にも、彼は適度な按配で私にそんなアドバイスを送ってくれる。
 ニコニコした表情(かお)をしている割にこういう所は自分よりもしっかりしているとい
うのは何だか自分が情けなくなるが、それ以上に嬉しくてむず痒くなる。
「? どうかした?」
「……ううん。何でもない」
 彼が静かにそんな私を微笑んで見遣っている。
 私は何でもない風を装いながらも、一人内心少し悶々とする。
 やっぱり私には勿体無いなぁと思う。優しくて気配りもできる彼。実はガサツだと自認し
ている私について来てくれているのが不思議なくらいだ。
 いや──それは私が望んだから。
 実際の所、それが単純明快なくらいな理由なのだけど。
 それでも……と思う。ふと胸の奥に差す罪悪感と、同時に顔を出してくる『彼』無しでは
もう成り立たなくなっている今の生活という現実。だからこそ、ふとこうして折に触れて自
分は今のままでいいのだろうかと疑問に思ってしまう。
「あ、あったよ。ボディソープ」
「えっ……? あ、うん。ありがと」
 そうしている中でも彼は目的の品を見つけては声を掛けてくれた。
 ワンテンポもツーテンポも遅れてぼんやりとした思考から引き戻されて、私は曖昧に頷い
くと、手渡された詰め替え用のビニール質な袋を受け取り籠の中へと放り込む。何だか彼に
申し訳なくて、籠は途中から私が持っていた。
「お? 惣菜が値引になってるなぁ……」
 ややあってふといい匂いが鼻をくすぐってきた。
 彼がすんすんと鼻を鳴らしている横で視線を向けてみると、確かにパック詰めされた惣菜
が冷蔵スペースの一角に並べられ始めている。
 そうか……そろそろ夕方の買い時になるのか。少し気が早い気もするが。
「本当だね~。丁度いいや。今晩のおかずに買って行こうかな……」
「うん。あ、でもあまり買い込み過ぎないようにね?」
「ほ~い。分カッテマスヨ~」
 じわじわと寄せては引いていく、だけど彼本人には言い出せない私の中の漠然とした不安
のようなもの。
 だけど、あまり深く考えない方がいいのだろう。元より私の性分ではないのだから。
「ふふっ……」
 ゆっくりと歩を進めてついて来る彼を、タンッと小走りで離して。
 私は再びこの日常を存分に謳歌する事にする。

 買い物を済ませて店を出ると、辺りはすっかり茜色に染まっていた。
 ざわつく喧騒が生活感になって心地良い。多分それはさっき自分の中で言い聞かせた思い
も影響しているからなのだろうけど。
「大分人が増えてきたね」
「まぁ、夕飯の買い物とかもあるしね~」
 スーパーの袋に詰め直した日用品達を手に提げつつ、私は何の気なしに言う。
 実際、目の前で行き交う人の多くは夕飯の準備に備えたオバサンのように見える。
 自惚れかもしれないが、もしかしたらもしかしなくても私達は恋人同士に見られているの
だろうか? ──いや実際にそうなのだけど。
 でも改めてそんな事を意識すると嬉しく思える。
 自分は、一人じゃないんだって……。
「それで今夜は──」
 だが、まさにそんな時だった。
 ドサッと。突然何も前触れもなく彼が崩れ落ちるように倒れたのだ。
「……ッ!?」
 その変化に私は顔を引き攣らせていた。間もなくざわざわと周囲がざわめき始める。
「ねぇ起きて……。起きてよぉ!」
 私は徐々に形成されていく人の輪の中の中心に在って、ただ唖然と力なく倒れてしまった
彼を揺さぶって声をあげる事くらいしかできなかった。
 その瞬間から、全身を駆けてゆく驚きだったり、動揺だったり。
 いや、驚きというよりは恐怖に近い。彼がいなくなる……そんな喪失への恐怖だった。
「おい……。みゃ、脈ないぞ」
「こりゃあ大変だ……。誰か、誰か救急車を!」
 だがそんな状況にあっても的確な行動を取ってくれる人というのはいるようだ。
 心臓がバクバクと胸打っている私の左右で、少し年下らしき青年と小太りの中年男性がそ
れぞれに彼に駆け寄った後、半ば野次馬と化していた周囲に呼び掛けて叫んでいる。
 だけど──私にはもう分かっていた。
 彼は、もう息をしていない。事切れてしまったのだと。
「…………」
 わざめく周囲の声が意識の遠くに聞こえるような気がする。
 私は、横たわって動かなくなった彼の傍らにへたり込んだまま空を仰いでいた。

(──やっぱり私、一人じゃダメだよ……)
 それから数日。彼がいなくなってしまってから数日。
 一人きりになった部屋でぽつねんとしていた私は、一念発起して押入れの中の荷物の山と
格闘していた。
 彼はもう戻って来ない。だけどやっぱり自分は誰かに頼ってやっと一人前なんだって思え
るから。寂しいからというのは身勝手かもしれないけど……それを埋めてくれるのが『彼』
だというのは周りから何を言われようとも揺るぐ事は無いんだ。
「確か、この辺りに仕舞った筈だと思うんだけど……」
 いつもならこういう雑事も彼にやって貰っていた。その方がずっと的確だから。
 ……決して面倒臭いとか、そういう訳じゃないんだよ。ホントだよ?
 それに何よりも、これだけは決して彼にして貰う訳にはいかなかったから。
「あ、あった」
 そうして荷物の山と格闘する事十数分。
 私はようやく目当ての代物が納められた白い厚紙の箱を見つけた。
 早速抱えたまま身を捩って押入れから出て、その蓋を開ける。
「……良かった。まだちゃんと残ってる」
 そこに収められていたのは、金属質のような陶器のようなボトルが数本。
 一見すると何かの除草剤の容器のようにも見えるが、違う。私は逸る気持ちを抑えつつ、
それらの表面に貼り付けてある説明書きに目を通す。
 今度も優しい『彼』にしようか? そう思ったがもう同じものはストックが無かった。
 少し残念に思いながらも、私は残った『彼』候補を選ぶ作業に暫し没頭する。
「……待っててね。すぐに新しい貴方に詰め替えてあげるから……」
 少々散らかった部屋の中で、抜け殻のように──いや正真正銘の抜け殻としてぐったりと
仰向けになっているあの『彼』の横顔を、愛しさと共に見遣りながら。
                                             (了)

  1. 2011/07/11(月) 22:00:00|
  2. 詰め替える
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
前のページ 次のページ

自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止します。

訪問者累計

最新記事

最新発言

検索窓

月別履歴

06 | 2011/07 | 08
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

分類/索引

【案内板】 (2)
【小説:短編】 (20)
本の蟲 (1)
硝子野不動産店 (1)
夏の日の幻影 (1)
四番線の彼女 (1)
夢視の宿 (1)
線を曳く町 (1)
炬燵の神様 (1)
三者三盗噺 (1)
色眼鏡 (1)
奴らは攻城戦師 (1)
詰め替える (1)
同じ籠の狢 (1)
二十年後の遺言 (1)
轍の先 (1)
水に流せば (1)
真夜中の御二柱 (1)
いつか見た夢 (1)
神様達の初詣 (1)
白い花束 (1)
丸の代償 (1)
【小説:長編】 (194)
Amethyst League (6)
アンティーク・ノート (3)
ユウキのヒカリ (5)
NIGHT GUNNERS (5)
レディ・ルーン-Bonds of RU'MEL- (6)
ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- (111)
死に損いのデッドレス (5)
Dear SORCERY (4)
サハラ・セレクタブル (49)
【企画処】 (472)
週刊三題 (462)
その他参加物 (10)
【資料庫】 (2)
【落書帳】 (2)
【詩歌帳】 (8)
【雑記帳】 (403)
【読書棚】 (32)
【遊戯倉】 (25)
path. (4)
decide: (3)
ユー録FW(凍結中) (17)

記事録

交友関係

このブログをリンクに追加する

(RSSリンク)

(QRコード)

QR

Tweets by long_month