日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユウキのヒカリ〔5〕

 争いは……嫌いだ。
 それは理屈じゃなくって多分心の、もっと生理的な反応なのだろうと僕は思っている。
 できる事なら誰かと争いたくなんてない。もっと平穏に毎日が送れればささやかでも幸せ
ではないだろうかと思う。
 だけど、現実はそんな簡単にはいかない事も僕達は知っている。
 今日もまた世界中で、国同士やら民族・宗教間、ひいてはもっと小さな範囲での紛争が起
きているという事実は今更僕が語ることではないかもしれないけど、実際には広狭を問わず
争いというものは日夜尽きる事はない。
 世界規模の平和祈願……というのも、現実的には凄く無責任な理想論なのかもしれない。
 だって、僕達にできることは小さいから。結局は自分の身の回りにあるものを守ることで
精一杯な場合が多いと思うから。
 だからせめてそれぞれが自分の周りにあるものを守り、満ち足りる事が限界だし、本来僕
達が弁える程度……領分ってやつなのかもしれない。
 それでも、やっぱり現実は厳しい。
 自分自身。自分の周りのもの。それを守るために、より得ようとするために、自分だけが
満ち足りようとするばかりに、他の誰かを踏みつけて、傷つけて、弾き出してしまう僕ら。
 それがあらゆる諍いの、紛争の火種になってしまう事に気付いている筈なのに、それでも
気付かぬ振りをして邁進してしまう。
 何処かで分かっていても止められないは人の性なのか。それとも、もっと淡々としたシス
テマティックな部分にあるのか。多分両方なのだろう。多分お互いが、色んなところで絡み
合っているのだろう。
 僕達は、一度もつれ始めた糸を解けずにもがくだけなのだろうか。

 ──僕には、二人の幼馴染の女の子がいる。
 姉の方は笑顔が明るくちょっと悪戯っ子っぽくて、それでいて決して憎めないお姉さん。
 妹の方は大人しくて控えめだけど、内に持っているものは決して冷淡ではない良い子。
 そして……二人とも物凄く強い武術の家系に生まれた少女武術家であったりする。
 小さい頃はちょっと皆より腕っ節があるなくらいの認識だったけど、成長に従い、その家
名と実力の特異さを認めざるを得なかった。
 二人とも、悪い子じゃない。それは曲がりなりにも長い付き合いだから断言できる。
 それでも……やっぱり僕は未だにあまり武術家としての二人を喜べないでいる。
 ただの暴力と武術は違う。そう理屈では、頭では分かっているつもりでも、戦う彼女達の
姿を見る度にその届かない決定的な距離が見えるようで居た堪れなかった。どうであれ、彼
女達に無用に争っては欲しくなかった。
 それは昔、僕自身が彼女達と同じ土俵に立とうとして結局は逃げた事にもあるだろう。
 僕に笑いかけてくれる、微笑みかけてくれるけれど、戦う時の二人の横顔は何処かそうし
た普段のものとは違う気がする。素人の僕には決して向けられないであろう表情(かお)。
 住む世界が違うのだろうか。何度もそう思った。
 何度、いっそこのまま距離を取ってしまえば楽になるだろうと思ったことか。
 それでも……僕はできなかった。失くしてしまう事が怖かった。
 だって、たとえ「普通」とは違う部分を持っているとしても、もう二人は僕の「普通」の
一部……いや、なくてはならない存在になっていたから……。
 数え切れないくらいこの身が引き裂かれそうになる心地を経験しながらも、僕は二人の傍
に居続けた。何とかその後姿に追いつこうとしてきた。
 それは、執着なのだろう。僕もまた自分の身近な世界を必死に守ることにしか心を向けら
れない、それぐらいしかできない人間なのだろう。
 
 ちっぽけな願いだろうと思う。
 でも、小さいからこそ僕らでも手が届くのだとも思うんだ。
 お互いに小さなその願いを大切にして胸に抱いていれば……きっと、もっとたくさんの人
が幸せになれるのではないだろうか。
 それは決して、誰かを傷つけることで、奪い取ることで得る幸せじゃなく。
 小さくたって、大切な人達が笑顔でいてくれれば……いつか、きっと。
 だから。
 願わくば、あなたが穏やかな光の下で笑っていられますように……。

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  1. 2011/04/28(木) 20:30:00|
  2. ユウキのヒカリ
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(長編)ユウキのヒカリ〔4〕

 商店街や繁華街に繋がっていく二車線の大通り。
 その通りの一角に、自転車&バイク店『鳴神サイクル』は在る。
 大吉はその日、店内に所狭しと並ぶ二輪車の中に混じりながら、調子が悪いと持ってこら
れたバイクの修理作業を手伝っていた。
「大吉、十三号のスパナ」
「あいよ」
 持ってきた客が見守る中、作業着姿の大吉の父が慣れた手つきで金属の塊の不具合を直そ
うと診断、分解、調整を繰り返した。いつものようにパッと出る指示に従って、大吉は工具
の詰まった金属箱から目的の物を取り出しては父に手渡していく。
 金属独特の平べったい微香、油臭い機械でなければそれはさながらオペのようだった。
 決して子の父親としては立派とは言い難い、少し気難しい父。だが、こうして黙々と仕事
をしている姿を見るのは大吉は嫌いではなかった。
 暫く、先と同じように父が弄っては大吉が工具を手渡すといった光景が続く。
「…………さて。どうかね」
 すっくと父が立ち上がり、試しにと一度元に組み直したバイクのエンジンをかける。
 ブゥゥ、グォォォォンッ!
 それまで沈黙していたバイクが息を吹き返すようにエンジン音を響かせた。
「うん、これでよし。直ったぜ」
「あ、はい。ありがとうございます!」
 そして安堵の声を漏らした客の青年と数度やり取り。工具や部品に侵食されたかのような
壁際のテーブルの上から領収書の束の一枚をもぎ取ると、走り書きで即席の請求書を作る。
 厳密な会計というのは妻任せ。長年の仕事の情報を詰め込んだ頭の中から、今回の仕事で
の料金の数字だけを淡々告げて、
「じゃあ、これで」
「あいよ」
 青年から渡された代金を受け取る。
「ありがとうございました」
「ああ。愛車、大事にしろよ」
「毎度あり~」
 復活したエンジン音を響かせて、ヘルメットをつけた青年が走り去っていく。
 父と大吉は二人して店先でその姿を見送った。
「……大吉。一旦休憩入れていいぞ」
「ああ。そうするよ」
 振り返り店の中に戻って行こうとする父の声に、大吉はこくと頷いた。着けていた、所々
油汚れのついたままの店名ロゴ入りの紺色エプロンを脱いで片手でぶら下げつつ、その後に
続こうとした。
(……ん?)
 その時だった。
 視界の端に何か映った。見覚えのある人影を。
(お。優紀じゃねえか)
 大通りの向こう側、斜め向かい。少し離れた位置のビルに収まっている本屋の入り口から
出てきたのは間違いなく親友の姿だった。
「お~い、優──」
 そして、そう自然に手を振って呼び掛けようとした、次の瞬間、
「紀……」
 大吉は、大通りの向こうで、彼が突然そこかしこから現れた少年達に囲まれる一部始終を
目撃したのだった。
(何だ……?)
 距離があってはっきりとは分からないが、どう見ても何かの待ち合わせのようには見えな
かった。そもそもあんな知り合い、あいつにいた記憶などない。
 怪訝が大吉の頭を駆け巡る事数秒。そうしていると、集団が優紀を囲い込んだままで動き
始めているのが見える。
(……嫌な予感がする)
 そう直感が告げていた。大吉が顔をしかめて立ち去っていく少年達を見遣る。奴らの様子
はちょっと普通じゃない。優紀があんな連中と知り合いとは思えないし……。
「親父、ちょっと出掛けてくる!」
「ん? ああ、おう……」
 そう思った次の瞬間には、大吉はエプロンを店のテーブルの上に放り投げながら奥の方で
小休止をとっていた父親に叫ぶとそのまま店を飛び出し、彼らの姿を追って駆け出していた
のだった。

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  1. 2011/04/28(木) 20:30:00|
  2. ユウキのヒカリ
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(長編)ユウキのヒカリ〔3〕

 彼らはその日も静かに、そして確実に準備を整えていた。
 街の往来の中に紛れて今日もターゲットの行動を観察していた。
 大丈夫だとは思うが、目立って気付かれないように数人ごとに分かれて、且つ互いのやり
取りに支障を来たさない程度の距離を保つ。これも、整えてきた準備の一つだ。
「……来たぞ」
 張っていた内の一人が呟く。
 標的はその日、独りだった。商店街や繁華街へと結ぶ大通り。そこへと出る路地の一角か
ら何も知らずに歩いている。当然、標的も往来の一人に過ぎない。特に目立つというわけで
もない。むしろ、車や人ごみの波にやや飲み込まれているような感すらある。
「どうだ?」
 そう短く、仲間の一人に確認を取る。
「……範囲内だな。こっちに来る頻度といい、独りな場合の時といい、これまでと大きく変
わらないと思うぜ」
 その仲間は、暫し手帳らしきメモに目を落とした後で、そう答えてほくそ笑んでいた。
 よし。そう小さく、順調な事を確認し合い小さくガッツポーズをする面々。
「……やっとここまで来たな」
 頷く面々。向けられた顔には一様にぎらついた眼。
 あれからかなり日数が経っていた。
 それでもすぐに向かって行かなかったのは、何よりも先ず標的の傍にいる奴らの存在の為
である。人数ではこちらが上だ。だが、こっちとは持っているものの格が違いすぎるのだ。
あの時も……そうだった。
 だが、こうして相手の行動パターンを叩き込めば、何処かに付け入る隙はきっとある。
 そして自分達はやっとその空白のポイントを見つけたのだ。
 奴に気付かれないように。
 ちらと様子を確認してみるが、当の本人は何も知らずに通りの歩道を進んでいるだけだ。
「長かった」
 リーダー格らしき一人が感慨深げに、そしてほくそ笑みながら皆を見て呟いた。
「そろそろ、実行に移そうと思う」
 あぁ……。皆が待ってましたといった表情でその言葉を受け取る。中にはそれだけで行動
に移した時の情景を思い浮かべているのか、口角を吊り上げて拳を握り締めている。
「手筈は今までに打ち合わせた通りだ。分かってるな?」
「おぅ」
「任せとけって」
 俺達をこんな状況にさせざるを得なくした、恥辱を味わされた発端、あのお節介野郎。
 奴にやっと目に物見せてやる事ができる。
 一同の表情には言葉にこそしないが、統一された高揚感が浮かび上がっていた。
「……決行は、ここでの次のサイクルの時にしよう。……抜かるなよ」
『応ッ』
 リーダー格が宣言する。
 完遂するまではあくまで気付かれないように。これまでの、正直言って性に合わないとい
っていい慎重な準備を無駄にしないためにも、あくまで控えめに決意を声にして。
(……待ってやがれ。そのいい子ぶった面を引き剥がしてやるぜ……!)
 往来の中に紛れたまま、彼らは動き出そうとしていた。

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  1. 2011/04/28(木) 20:30:00|
  2. ユウキのヒカリ
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(長編)ユウキのヒカリ〔2〕

 例えるならば、遠足前夜の子供のように。
 その日、彼女は夜を迎えても尚、中々寝付けずにいた。
 もぞもぞとベッドの中で体位を変えながら、睡魔がやって来るのを待つ。
 だが、その大きく空いた隙間に収まるようにして、彼女の頭の中には眠気とは全く逆の感
情が現れては小躍りし続けている。
 それは、一言で言うなら期待。
 長かったようで短かった今日までの日々。時間は大分経ってしまったけど、あの人は自分
の事を覚えていてくれているだろうか……? それとも、もう忘れている?
 その反語が頭を過ぎる度にきゅうっと胸を締め付けられる心地。
 いやいや、大丈夫。私が話せばきっと思い出してくれる筈。
 今日まで何度となく繰り返してきた言葉を、再度自分に言い聞かせる。 
 明日。明日になったらあの人に会える。
 期待に胸が膨らむ度に、彼女の表情には期待の他に薄闇の中赤く染められる頬があった。
とくとくと、記憶と想像が頭の中をフライングスタートして疾走していく。
「やあ……そんなの無いヨォ……」
 にへら~と笑いながらベッドの中を転がっては往復。
 両頬に当てた掌が夜半の空気の冷たさを、そして同時に自分の上気した頬の温さを感じ取
ってくる。暫し息継ぎ。いけない。またトリップし掛けた。
 次に過ぎったのは──あの子だった。
 あの時、あの人の傍らにいたあの子。口数は多くなかったように思うが、自分から見ても
多分他の人から見ても可愛いと思う。
 彼女さん、かな? でもあの時確かにあの人はあの子の事を……。
 また、不安がもやもやと胸の内を撫でてくる。
 何度と無く繰り返されてきた事だろう。記憶が確かならその心配はない筈だが、やはり可
能性は捨てきれない。
 あんな優しい眼をした人に……彼女がいたって不思議じゃない。
 何より、私の目からはあの人の傍らであの子は……嬉しそうに、幸せそうに見えた。
「…………」
 確かめないといけないよね?
 ごろんと転がって仰向けになり、天井を見つめつつ自分自身に確認を取る。
 明日。そう明日からだ。
 ちらと、視線を横に向ける。
 壁には種々の小物が飾られている他に、もう一つあるものがあった。
 それは、真新しい制服。明日から袖を通す事になる制服だ。
 部屋の薄闇の中で、白地の上着とチェック柄のスカートが静かにその出番を待ち眠ってい
るかのようだ。
 数度、瞬き。少しずつだが落ち着いてきた。繰り返してきた期待と不安が一通り出て消え
てしたからだろうか。再び視線を仰向けに戻し、そっと眼を閉じる。もそもそとシーツの端
を持ち上げて口元を覆う。
 静かだ。夜の静謐。この中であの人も何かを想っているのだろうか。
 私の事を思い出してくれていたら、いいな。多分違うとは思うけど……。
 少しずつ眠りの波が彼女を包み始めていた。
 明日から新天地。あの人の下へ。そして、きっと伝えよう。
(待っていて下さい……きっと)
 雲間から除いた月明かりが一瞬、部屋に差し込む。 
 ──照らされた彼女の髪は、淡い金色をしていた。

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  1. 2011/04/28(木) 20:30:00|
  2. ユウキのヒカリ
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(長編)ユウキのヒカリ〔1〕

 切欠は……一体何だったか。
 今となってはそれもはっきりしない。
 あの時の事を、夢やふとした事で思い起こす度に僕は薄情だなとも思う。
 まだ僕らは幼かった。だから力加減も分からない。きっとこれからお互いに揉まれていく
中で覚えていく筈のものだったのだ、と言い訳する事はできるのかもしれない。
 だけど、こうして今も記憶に残っているということは、きっと意味がある。
 そう僕は思う。

 一番印象に残っているのは、赤色。公園の土色にじわりと染まる赤色だ。
 僕らの前に男の子が一人仰向けに倒れている。年格好は当時の僕らと変わらないだろうと
思う。その男の子が、頭から血を流して倒れているのだ。
 呆然としている。僕も、男の子の取り巻きの子達も。
 何より……一番驚いているのは僕の傍に立っている女の子達だった。
 一人は手から木の棒(子供からすれば太めの)を落としたまま、揺らぐ瞳で男の子を見つ
めたまま立ち尽くし、もう一人は顔を青白くして同じく立ち竦んでいる。もう事情は覚えて
いないけど、この記憶が蘇る度にこの娘はかなり怯えているように見える。
 そうしていると、記憶の向こうの僕がゆっくりと男の子の前に跪く。
 何か声が方々から聞こえてくる。
 非難? 悲鳴? よく分からない。何かを言っているのは確かなのだけど、もうこの記憶
からはその内容は削ぎ落ちてしまっているらしい。
 その内、少し落ち着いた子が二、三人走り出す。誰か、助けを呼びに行くのだろう。
 先ほど怯えていた女の子もおずおずと手を上げてそれに加わった。逃げると思われたくな
いからなのか、彼女はまだぼうっと立ち尽くしている先の女の子を一瞥して、遅れがちにそ
の場を駆け出していく。
 時間が、ゆっくり流れていた。
 だけど、目の前の男の子は一刻を争っていた。
 感覚と認識。双方が全く違う方向に僕らを引っ張り合っている。
 声が遠い。僕が僕が見ているというのは奇妙な感覚だ。
 その僕の表情は、今にも泣きそうだった。
 あぁ……そうだ。
 あの頃の僕はきっと今よりもずっと弱くって。何もできなくて。いつも二人が傍にいて僕
を護ってくれていたっけ……。
 だけど。
 力が全てじゃない。それが、この日子供心に分かったような気がする。
 何とかしなくっちゃ。助けなくちゃ。
 記憶の向こうの僕が、僕を見ている僕が、思う。願う。
 そっと、無意識に血の流れている男の子の頭へと掌をかざしていた。

 ──溢れて来る。
 何かが湧き上がって来る感覚が、ある。
 おかしいな。僕は記憶を観ているだけじゃなかったっけ? じゃあ、これはあの時の追体
験なのだろうか。離れているのに、繋がっているのだろうか。
 それに……初めてじゃない。
 妙に、懐かしいような。妙に、しっくりと収まるような。
 そっと胸に手を当ててみる。
 嗚呼、そうだこの時だ。この感覚だ。
 僕の胸元に、向こうの僕の掌に、光が溢れる。
 温かい。最初に感じるのはその感触ばかり。堰を切って溢れた黄金色は掌から零れるよう
に広がって、やがて徐々に掌と同じ大きさに収まっていく。まるであるべき姿へと落ち着い
ていくような……。
 周りの皆が、女の子が目を見開いて僕を見ていた。
 だけど、向こうの僕はその視線にすら気付いていないかのように見える。目を凝らしてみ
ればどうも先程に比べて瞳が遠くに、そう、虚ろな眼になっているような……。
『大丈夫かっ!?』
 怒号に近い叫び声と、足音。
 皆の視線がゆっくりとその声の方向へと向く。ある者は安堵した顔、ある者は未だに動揺
を貼り付けたままで。
 大人の男の人だった。さっき駆け出していった彼女達も一緒についてやって来る。
 向こうの僕の横で呆然としていた女の子が、くしゃっと顔を歪めた。
 今まで出ずに待ち構えていたかのように、女の子の眼から涙がこぼれ出した。言葉になら
ない泣き声と共に彼女はそのまま彼の胸元に飛び込んで行く。
 泣いていた。ぐしゃぐしゃになるほどに泣いていた。
 言葉は相変わらず観ているだけの僕には曖昧にしか分からなかったけど、気持ちは何とな
く伝わってくるような気がした。後悔、謝罪、罪悪感……色んなものが彼女を取り巻いては
押し潰そうとしていたであろう。
 そんな彼女を、彼は優しく強く抱きしめて……前を見ていた。
 僕も、ハッとなって視線を移す。
 もう一人の僕が、まだ跪いていた。
 掌はまだ黄金色に淡く光を放ち、倒れたままの男の子の頭にかざされている。
『…………まさか』
 おじさんが目を見開いて呟いていた。
 胸元で泣きじゃくる娘よりも、その光景に驚いている。
 ちょうど、その時だった。
 グラリと世界が揺らぐ。遠くなっていく。
 いや違う。これは……この記憶が終わる?
 駄目だ。またここで終わるのか? 思わず、僕は向こう側の僕に手を伸ばしていた。
 だけど、世界は、記憶の映像はぐんと遠くへと小さくなっていく。
 どうして。何度もこうして僕を引き合わせておいて。結末は教えてくれないというのか。
(くっ……駄目だ! 行かないでくれっ!)
 抵抗しても、無駄だった。
 記憶の世界はどんどん、手の届かない所へと行ってしまう。
 またしても。
 僕が最後に遠のく世界で見たものは、ゆっくりと目を覚ます男の子と、彼の下へと駆け寄
っていくおじさん達の姿。
 そして、それと同時に男の子の胸元へとまるで力尽きたように倒れ込んでいく、あの日の
僕の姿だけで──。


「ま、待っ──てゃぶっ!?」
 まどろみが、突然の衝撃によって吹き飛ぶ。
 天粕優紀は後頭部に走った痛みに思わず間抜けな声をあげながら、
「……よく眠れたか? 天粕(あまかす)」
「…………。あ、はい……おはよう、ございます……」
 教本を片手に半眼で見下ろす教師の眼光を見上げて、ようやく自分が授業中に居眠りをし
ていたのだと分かった。
 同時、寝ぼけたままに答えていた自分の言葉にクラス中からどっと笑い声が沸く。
「……では、そのまま起きてしっかり聞くように」
 だが、生真面目なこの数学教師はそのまま眼鏡の奥の眼光でクラスの面々を黙らせると、
そう淡々と告げてさっと踵を返して教壇の方へと戻っていく。
 余興はこれまでといった雰囲気を感じてさっと授業に集中する者、まだ弛緩した気分のま
ま何処かにやけている者。
「……うぅ。痛い」
「そりゃ、お前。あれだけ無防備に寝てりゃあなぁ」
 優紀の右隣の席に座る、友人・鳴神大吉もその内の後者の一人であったようだ。
 自分よりは一回りは確実に大きい体格と所々ツンツンな髪型。
 しかし見た目のゴツさを緩和するかのように、その表情に浮かんでいるのは悪戯小僧のよ
うな、快活でいて親しみ易いものである。そう優紀は漠然と思う。
 大吉は黒板に向かい、カツカツとチョークの音を立てつつ板書しながら淡々と授業を進め
る先の教師を確認するように一瞥してから、
「だけどよ、何も竹内の時に寝なくてもなぁ?」
「……まぁそれは、うん。でも、気付いてたら起こして欲しかったなぁ」
「悪ぃ悪ぃ。こっちも気付いた時には。な?」
 ひそひそと、バツが悪そうに呟く優紀に片手でごめんとポーズを取ってみせる。
 こくと頷く優紀。何も本気で怒ってはいないのだから。
「それに、さ」
「?」
 すると、大吉は不意に真剣な、いや怪訝な様子を表情に滲ませた。
「……いや。やっぱいいや」
「そう言われると余計に気になるよ。何なの、大ちゃん?」
 何だろう? 基本的におちゃらけている彼がこんな顔をするなんて……。
「もしかして、寝ている間に変な寝言を言ってたとか?」
「ん~……まぁ、外れてなくはないが」
 片目を閉じて思案顔。
 数秒の逡巡を見せた彼だったが、
「いや、な……。途中から魘されてたみたいだったからよ……」
「え?」
 そう答えが返ってきた事に優紀は虚を衝かれたような気がした。
 いや、虚というのは嘘かもしれない。竹内に叩かれた(多分)ショックですっかり寝てい
たらしい間の記憶がぼやけてしまっていたが、何とか手繰り寄せようとしてみれば確かにあ
の夢(?)の最後は、もがいていたように思う。
「で、つい起こし損なってな……。竹内がこっちに気付いたのもちょうどそん時だ」
「……そっか」
 ぽりぽりと、髪を掻きながら大吉は少し大人しくなったように付け加えた。
 優紀もゆがんでぼけやた先刻までの記憶と綱引きをしながらあまり多くの言葉を返す事が
できず、同じようにぼそっとした小声になる。
 カツン。板書が途切れる音が聞こえる。
 竹内の淡々とした講釈が聞こえてくるが、元々の味気なさも加わって随分遠い国の言葉の
ように聞こえるようであまり頭の中で意味を成してくれない。
(……夢の中の事は、黙っておこう)
 優紀は、何となくそう判断せざるを得なかった。
 心配する様子の友を気遣ってなのか、それとも繰り返す何時ぞやかの記憶といい加減ケリ
をつけたかったのか。この時も判然とはしなかったのだが。
「…………」
 ふいと視線を心持持ち上げてみると、竹内の厳しい眼とぶつかった。
 隣の大吉も同じだったようで「やべっ」と小さな声で慌てて教科書に目を移して真面目に
聞いてますよのポーズ。優紀もやや遅れて机の上のノートに視線を移した。
 再び、竹内の講釈の声が聞こえ始める。
 優紀もようやく授業に集中しようと転がっていたシャーペンを手に取った。
(……。後で誰かに見せてもらわなきゃ)
 もやもやは、晴れない。
 だが、ついさっきまで居眠りをしていた自身のノートは清々しいほどに真っ白だった。

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  1. 2011/04/28(木) 20:30:00|
  2. ユウキのヒカリ
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自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
します。

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