日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(短編)四番線の彼女

 人混みという名の波は、都市という巨大な生き物を動かす血液のようなものだ。
 そう、何かの本に書いてあった記憶がある気がする。
「…………」
 その日も、哲郎はいつも通りの時間、いつも通りのルートで駅の構内をやや早足で進んで
いた。
 自分と同じくスーツに身を包んだサラリーマン達、思い思いにお洒落をし、何事か会話を
交わしながら何処かへ赴くらしい若者達。そうした多様な人々は一つの大きな群れを成して
構内にうねる波を作り上げている。
 初めてこの光景を目にした時はその人の密度と忙しなさに驚いたものだが、いざこうして
そんな人混みの一員として日々を暮らす内にそんな新鮮さは随分と色褪せてしまったように
思える。
 そしてそうした感覚は何も気分的なものだけではない。
 今こうして身に纏っているスーツも、社会人になって間もない頃は何処かガチガチして身
体(じぶん)と別物である事をアピールしていたような気がする。
 だがそれも数年経ち今は昔、このスーツも今や着慣れたという名の草臥れに移行しつつあ
るのではないかと思う。
(……はぁ。気だるいな)
 襟元を軽く掴んで動かし、パタパタと服の中に空気を送ってみる。
 まだ季節は暦の上では春先になるのだろうが、昨今の気候変動と人とコンクリートばかり
の街のこと、体感的な気温などは実際よりもずっと高く、蒸し暑い印象が付きまとう。
 哲郎はそれでも、次々と迫ってくる背後・左右からの人の波に押されるようにして気だる
い身体を引き摺って進む他なかった。
 疲れる。といっても自分はまだ世の中では若手と呼ばれる部類だ。
 なのにこうも気持ちが萎えてくるのは何故なのだろうと思う。
 一応社会人として、平凡なサラリーマン生活を送ってきたこの数年の慣れが倦怠を生んで
いるのだろうか。それとも今の世の中を覆う漠然とした閉塞感故か。
「む?」
「…………」
 するとまるでそんな野暮な思考を嘲笑うように、左肩にドンとぶつかる感触。
 反射的にちらと目を遣ると、自分と同じくスーツ姿の大柄な中年男性が自分の横をギリギ
リで、足早に通り過ぎる姿が確認できた。
 そんな彼と一瞬だけ、視線が合う。
 気のせいかもしれないが、男性は睨むようにこちらを見返してきていた。
 ぶつかった事に謝る姿勢など微塵も見せず「邪魔だ」とでも言いたげに、次の瞬間にはつ
いっと視線を前方に戻してスタスタと通り過ぎ、再び人混みの一要素へと戻っていく。
 ──そんなに急いで一体何になる?
 ふと脳裏に、そんなフレーズが過ぎった。
 だがそれでも自分とて都市の血液、その一抹でしかない。社会人となっている以上、元よ
り自分達に“自由”など望むべくもないのが哀しいかな現実なのだ。
 今日もまた、いつも通り出勤してせいぜい社会のいち歯車としてあくせくする他ない。
「…………ふぅ」
 まぁ、下手に考えたって詮無いことなんだけど……。
 そして思わずそう小さな嘆息を漏らしながら、哲郎は相変わらずうごめく人の波にもまれ
つつ、いつものように目的のホームへと続く階段を上り始める。

 だが、この日ばかりはその「いつもの」が通じない日であったらしい。
 哲郎はホームに上がった所で周りの様子がおかしい事に気付いた。
 ホームにはいつも通り多くの出勤前の人々がごった返している。だがその面々の多くがた
だ単に列車を待つだけの様子ではなかったのである。
(……何だ?)
 苛立ちや不安。諸々のあまり宜しくない雰囲気がそこはかとなく漂う人々の間を通り過ぎ
ながら、哲郎は状況を確認する為に見渡していた視線をふっと持ち上げてみる。
『四番線 事故の為遅延 現在約90分』
 天井からぶら下がった電光掲示板にはそうした旨の表示があった。
 なるほどと思い、哲郎は再び視線をホーム上の人々に向けてみた。
 遅延。見てみるとそれだけで何処と無くそわそわと落ち着かない人々が案外いる事に気付
かされた。電車が遅れる事自体は特段珍しいケースではない筈だが、それでも時間通り、予
定通りに事が運ばないことで調子を崩されると感じる人々の何と多いことか。
(……どうしよう。乗り換えた方がいいかな……)
 そんな人々を一通り観察した後、哲郎はちらりと腕時計で時刻を確認していた。
 時間にはまだ余裕があるが、他にも影響が出ている可能性はあるだろう。さっさと別の便
に乗って職場に向かうか、それとももう少し様子を見てみるか……。
 そう頭の中で思案を始めていた、そんな時だった。
「──え? 人身事故? マジかよ……」
 何処からとも無く耳に入ってきたその言葉。
 声のした方向を見遣ってみる。そこには少し気の強そうな男性が二人、何やら話をしてい
る姿があった。見た目は自分と同じサラリーマンだが、年格好は少し下かもしれない。
 だがそんな意識よりも、哲郎は不意に胸の内がざわつく思いに気を取られていた、
「あぁ、間違いねぇだろ。さっき駅員に聞いてきたんだから」
「チッ……。ついてねぇなぁ」
 人身事故。それはつまり誰かが電車に接触した──或いは身を投げたという事で。
 なのに、この二人はそんな事実に対して。
「だよなぁ……。人様に迷惑かけるなっつーの」
「そうそう。死にたいなら独りで死んどけって話だろ? ったく、うぜぇよな」
 そんな、突き放すような態度で。
「……」
 哲郎はすぐにそのざわつきの正体に合点がいった。
 これは怒りだ。視界の先に立つあの二人に対する憤りだった。
 途端にホーム上の人混みが意識に上らなくなる。ただ焦点を合わせるように、視線の先の
二人の姿がより強く感覚に焼きついてくるような錯覚を覚える。
 確かに事実として電車が遅れてしまい、多くの人々の足に影響を与えはするだろう。
 だがそれでも。
「……人一人の命が、関わっているんだぞ」
 胸中に湧いた不快感は消えなかった。
 どれだけ自分が面倒に巻き込まれたって、他人の命まで貶めていい筈なんてない。
 そう思いたいし、そこまで鈍感になってしまっては自分は色々なものを失ってしまうので
はないのか。
 思わずグッと強く唇を噛み締める。
 そうもやもやとした感覚と共に誰とも無く呟いた、そんな時だった。
「────本当に、そう思う?」
「……ッ!?」
 突然、背後から声が掛けられた。
 独り言などではなく、タイミングからしても明らかに自分に向けられた言葉。
 哲郎は怪訝な表情でその声の主へ振り返った。
「……」
 そこに立っていたのは、一人の女性。
 年格好は自分より少し年下か或いは同い年くらい。服装こそ地味な感じだが、一般的な基
準から言っても可愛い容姿と表現して差し支えないだろう。
 彼女は小さな鞄を一つ両手に持って、ちょこんと哲郎の少し背後からこちらを見ていた。
「えっと……?」
 向けられたままの眼差し。
 哲郎は正直戸惑いを隠せなかった。
 多分、さっきのぼやきを聞かれてしまったのだろう。そう思うと恥ずかしさが込み上げて
来たが笑われる訳でもなく、共感を得られたのだからその意味では痛手ではない。
「……良かった」
「え?」
 ポツリと。戸惑って二の句が継げない哲郎の代わりに、彼女がおずおずと口を開いた。
 何処かほっとした様な静かな微笑み。だけど、何故か一瞬だけ見える憂いのような色。
「貴方みたいな人も、ちゃんといるんですね……」
 しかしそんな思考は、次の瞬間には彼女のそんな言葉と笑みで掻き消されていた。
 褒められた、のだろうか……?
 気恥ずかしい。
「……。うん」
 ありがとうとでも言うべきだったか。だが恥ずかしさが先に走って上手く言えない。
 ホーム上のざわつきが遠く感じられる。つい先まで苛立ちを感じていたあの二人への注意
すらもこの時既に掻き消えつつあった。
 そして少なくとも表面上、そうした羞恥心は同じだったのかもしれない。
「…………良かったです」
 二人はお互いに静かにはにかむと、どちらかともなく微笑み合っていた。

 そしてその日を境に、哲郎には日課が一つ増える事となった。
 いつもの時間、いつものルートで辿り着く駅の四番ホーム。
 そこで電車が着くまでの僅かな時間を、彼女と話して過ごすようになったのである。
 彼女は決まってホームの白線ギリギリに独り立っていた。
 だが哲郎がやって来て挨拶を交わすと、静かに微笑んで会釈をしてくれる。それは毎日の
単調な生活の中での一服の清涼剤のように哲郎には思えた。
『へぇ……じゃあ、今は専門学校に?』
『はい。やり直せればいいなと思って……』
 そんな中で哲郎は幾つか彼女自身についての話も聞くことができた。
 見立て通り彼女は自分より少しだけ年下だった。そして短大を卒業後、一度は一般の企業
に就職したものの、周りと上手くやっていけずに辞めざるをなかったのだという。
 そして今は、そんな自分を見つめ直し、再出発する為に改めて学校に通っているという事
も話してくれた。
 そんな話を聞いて更に穏やかな気分になる自分に気付かされる。
 苦労しているのは、何も自分だけじゃない。今の世の中、誰だって苦しみ悩みながら生き
ている。生きていくしかない。
 辛さを転嫁するというと言い方は悪いが、それでも一人じゃないのだと分かるだけで心持
ちが楽になるように思える。それはある意味で当たり前な事ながらも、哲郎にとっては久方
ぶりな、新鮮味のある感覚でもあった。
 何よりも……彼女とこうして言葉を交わす時間が、自分の中で純粋に楽しく、待ち遠しい
ものとなっていたのである。
『……大丈夫だよ。君なら、きっとやり直せるさ』
 もしかしたら自惚れであったのかもしれない。
 だがそれでも、哲郎はついつい、自分達が中々いい感じではないかと思い始めていた。

「──ハァ、ハァ……ッ」
 そんな日がどれだけ続いたのだろう。
 その日も哲郎は駅の構内を進んでいた。
(しまったな……。寝過ごした……)
 しかしこの日は運悪く、哲郎はいつもよりも遅い時間に家を出る結果となっていた。
 ざわつきうごめく人々の波。その中を縫うようにして、哲郎は駆け足で目的地へと向かっ
てゆく。
 とはいっても時間的にはまだ余裕はあった。
 それでも彼を急かせていたのは、この時既に彼自身にとって一服の清涼剤となっていた一
時を逃してしまうという焦り。
(もう、行っちゃったかな……?)
 色ボケと言ってしまっていいのかもしれない。
 だけどそんな胸元を過ぎっていく気恥ずかしさよりも脚は自然と駆け、いつものホームへ
の階段を駆け上がっていく。
「……?」
 だが、そんな焦りは階段を上りきってすぐに立ち消えさせられる事となった。
 何だか様子が……おかしい。ホームの人々がやけにざわついている。いや騒々しいと表現
する方が正確だろうか。
 いつも以上にホーム上の人々が深刻な表情を浮かべていた。
 不安、恐怖、或いは苛立ち。
(…………ん? これって何処かで……)
 そして、胸の中に過ぎる嫌な予感。
 哲郎は怪訝に顔を歪めながらおずおずと人混みの方へと歩いていった。いつも以上に大勢
なようにも思える人の波を何とか掻き分けて、何事があったのかと確かめる為に進む。
 先ず視界に飛び込んで来たのは、停車した列車だった。
 見慣れた筈の車両。だがその様子がおかしいことにややあって気が付く。
 そもそも停まっているなら何故誰も乗ろうとしないのか? それに何だがいつもより停ま
っている位置がズレているような……。
「……あの。何があったんですか?」
 暫くその様を見つめてから、哲郎は人込みの中の一人にそう訊ねてみた。
「あぁ……」
 だが相手の男性の表情は堅い。
 それによく見渡してみると周りの人々も個人差はあるが、辛気臭い、暗い表情ばかりなよ
うな気がする。
「俺は直接見たわけじゃないんだが……飛び込んだらしい」
 返事を待つ事たっぷり十数秒。
 再び視線を彼に戻した哲郎に男性は話し辛そうに口を開き始める。
「飛び込んだ……?」
「あぁ。女が一人、入って来た電車にいきなり飛び込んだそうだ」
 その言葉に、瞬間背筋がぞっと寒くなるのを感じた。
 人身事故。いや──投身自殺。
 いつか起きた遅延の原因。それが今度はこのホームで起きたというのか。
(──ッ! そうだ、彼女は……?)
 そしてそこからフッと連想するように彼女の顔が浮かぶ。
 人身事故が起きたあの日、自分の呟いた言葉に共感してくれた彼女の顔。
 哲郎は人込みの中から飛び出すようにその場から駆け出していた。
 何故だ。分からない。
 でも……何故か嫌な予感がしてならなかった。不思議と全身を恐怖にも似た寒気が走って
止まなかった。
「そこ邪魔だよっ! どいて、どいてっ!」
 すると進行方向、停まっている車両の最前線の方から数名の隊員らしき人々が担架を運び
ながら近づいて来るのが見えた。ざわざわと、さながら忌避の表情で避け、道を開けていく
ホームの上の人々。
 そしてその集団が、哲郎の横を通り過ぎようとした、その時だった。
「────ッ!?」
 哲郎は、見てしまった。
 駆けて行く揺れによって微かに見えた担架の上の遺体。
 その上に被せられたシートの下から覗いたのは……間違いなく彼女の、血みどろの姿。
(嘘、だろ…………?)
 去っていく担架の後ろ姿を唖然と見送りながら、哲郎は全身をぶつけたような強烈な衝撃
を受けたように感じた。
 認めたくない。だけど……間違いない。
 彼女が、電車に飛び込んだのだ。
(どうして……? 何で彼女が……?)
 世界がグゥンと遠のくような錯覚がした。
 周囲の気配が自分から距離を置き、代わりに自身の思考だけが台頭してくる。
『……人一人の命が、関わっているんだぞ』
『────本当に、そう思う?』
 最初に再生されたのは、彼女と始めて交わした言葉達。
『……良かった』
『貴方みたいな人も、ちゃんといるんですね……』
 何度も何度も、咀嚼するように繰り返して。
(……。まさか)
 今の事実、過去の言動。
 そこで哲郎は気付いてしまった。その可能性を。
(…………前々から、死ぬ気だったのか?)
 だとすれば、あの時の質問と、自分の返答に対する安堵は単なる感心ではなかった事にな
るのではないか。
 彼女はあの日、電車に飛び込むつもりであそこにいた。
 でも既にそこには「先客」がいて、更に自分という「共感者」がいた事で彼女を思い留ま
らせていたのだとしたら。
「……そん、な」
 哲郎は引き攣った顔で、ガクリと力なく地面に膝をついていた。
 誰か、予想に過ぎないと言ってくれ。
 だけど、だけど。だとしたら……。
「俺は……俺は」
 知らない内に自分は、彼女の生死の境に立っていたとでもいうのだろうか。
 なのに何も分かってあげられず、挙句……。
 バシンと。哲郎は痛みも他所に思い切り地面を殴りつけていた。
 もしかしたら、今日寝過ごさなければ防げたかもしれない。
 引き攣った顔は更にしかめたものに変わり、全身から溢れるのは後悔の念。
「…………馬鹿、野郎……ッ!」
 それは自ら命を絶つ事を変えなかった彼女に対しての。
 そして何よりも、自惚れと、彼女を止められなかった自分自身に対しての言葉。
「馬鹿野郎……」
 動揺とざわめきの響くホームの上で。
 哲郎は涙目のままそんな堪えきれない感情を漏らすと、その場に泣き崩れたのだった。
                                                      (了)

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  1. 2011/04/28(木) 21:00:00|
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自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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