日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(短編)硝子野不動産店

 一軒目は、とあるカップルの暮らす部屋だった。
 所謂今時の若者というのに相応しいのだろう。一歩踏み入れてみた部屋の趣も、私のよう
な世代の人間とは違ってある種の明るさのようなものを感じさせる。
「あぁ、物件見学の方ですか」
「ようこそ、私達の愛の巣へ♪」
「はぁ。どうも……」
 住人は、まだ若い青年とその恋人らしき同年代の女性の二人。
 彼らは客人である私の前でも仲睦まじい──砕けた言い方をすればイチャイチャするのを
止めようとはしなかった。
 共に寄り添い、のほほんと幸せそうな惚けた微笑みで私を迎えてくれる。
 見てみれば来ている服までお揃いだった。二人が互いにくっつくとその模様が合わさって
ハートマークに見える趣向であるようだ。
(……所謂、バカップルという奴か)
 そう判断しながらも、私はできるだけそうした思考を顔に出さないように努めた。
 そうだ、別にここには他人の趣味を値踏みする為に来ているのではない。彼らが言うよう
に、私は今物件見学の最中なのだから。
「まぁ立ち話もなんですから。とりあえず上がって下さい」
「お茶、お出ししますね~」
「……はい。では、お邪魔します……」
 玄関先から促されて部屋の中へと通される。
 彼女がとてとてとキッチンに向かっていくのを横目に、私は彼とややファンシーに飾られ
たリビングに相対して座った。
 私達は少し雑談を交わしつつ、話し始めた。
 まだ若い彼らと話が合うのかと内心心配だったがそれは杞憂だったようだ。元々人好きの
する人間なのだろう。テンポよく話題を振ってくれたおかげであまり会話が苦になるような
事はなかったように思う。
 尤も、その半分以上は彼と彼女の惚気話だったような気もするが。
「それで……貴方達はこの物件についてどう思いますか?」
 途中から人数分の茶を持って参加してきた彼女を傍らにする彼に向かって、私はそろそろ
と本題を訊ねる事にした。
「う~ん。そうですねぇ」
 一杯、茶を飲む彼。私も半ば無意識の内に乾いた喉を潤して返答を待つ。
 彼はちらと彼女と顔を見合わせ目配せをすると、言った。
「ここはいい所ですよ。部屋も綺麗だし、機能的だし。何よりも……僕達の事を誰も邪魔さ
れない“絶対の保障”があるというのが魅力的ですね」
「ふふ……そうね。ここにいる限りは、私達はず~っと一緒にいられるもの、ね?」
「ああ。そうだね……」
 言うや否や、二人はまた互いを見つめ合ってほんわかと微笑み合っていた。
 桃色の雰囲気という奴だろうか。
 事前にどういう人の住む物件かは聞いているが、流石に目の前に他人がいる時くらいは遠
慮して欲しいと思う。正直言って……眼の遣り所に困る。
(……差し詰め、自分達だけの空間か)
 それが彼らにとっての最大の魅力だったのだろう。だからこの物件を選んだ。
 だが、それでもと私は内心思う。
 今はまだいいかもしれない。だが若い時というのは永遠ではあり得ない。
 私はのそっと立ち上がりつつ、
「……どうもありがとうございました。この辺りでお暇させて貰います」
 彼らを見下ろす格好でこう訊ねていた。
「最後に一つ……聞いてもいいですか?」
「えぇ。何でしょう?」
「……貴方達の仲は、これからも続くと思いますか?」
 そんな私の質問に、彼らは一瞬だけ小首を傾げていたが、
「えぇ……。勿論です」
「当たり前じゃないですか。ね? ダーリン?」
「ああ、当然さ……ハニー」
 すぐに自信満々にそう答えると再び桃色の自分達の世界に突入していってしまう。
「…………。お幸せに」
 見ていて恥ずかしい気持ちと、同時に静かに湧いてくる哀れみの念。
 私はそうした感情を内に留めて曖昧な笑みを返すと、そっとその場を後にする。

 次に訪れた先は、更にファンシーさに拍車が掛かった物件だった。
「貴方が見学の人ね? 話は聞いてるわ。上がってく?」
「……ええ」
 部屋から顔を出してきたのはまたもや若者、それも所謂ギャルの類の女性だった。
 見るからに自己主張の強い印象。表情こそ笑顔を見せてくれているが、私にはそれが所詮
営業用の笑顔のものに思えてならなかった。
 聞かれて答え、お邪魔しますと上がらせて貰う。
 やはりというべきか、その部屋の中は前の物件の比では無かった。
 最近の若者には詳しくないのだが、今の若い女性というのはこんなに……キャピキャピと
した意匠を好むのだろうかと思った。部屋の中はこれでもかという程に「可愛い」グッズで
埋め尽くされており、さながら着飾った玩具売り場とも言えなくもない。何よりも壁やカー
テンが桃色系というのはこの齢の人間にとっては刺激が強い気がしてならなかった。
「……」
 そわそわと、落ち着かない。
 私は差し出された──これまたファンシーなデザインの座布団に腰を降ろし、この部屋の
主たる彼女と向かい合う。
 もしかしたら先のカップルよりも若いかもしれない。
 私とは違い、眩しいような活気に満ち満ちているように見える。それは単純な若さの差の
為なのか、それとも彼女自身の持つ気質なのか……。おそらく両方だろう。
「……何というか。随分と派手、ですね。ここは」
 やはり私には落ち着かない部屋だ。
 ちらちらと視線を移しつつ、私はとりあえず用件だけを済ませようと思った。
「そうかなぁ? 普通だと思うけど」
 髪先に指を絡め、くるくると弄くりながら彼女は言う。
 駄目だ。感性が……違い過ぎる。
 私はそうですかと苦笑いを漏らしながら、コホンと咳払いを一つ。
「貴方は、どうしてこの物件を選んだんですか?」
「うん? だってぇ、ここなら私はアイドルになれるんだもの」
 すると答えは即座に返ってきた。
 当然でしょ? と言わんばかりの彼女。だが当の私にはすぐにはピンと来なかった。
「私ね、アイドルをやってるの。ほら、これ見て? 今までの仕事の写真だよ」
 そうしていると、私の空白を知ってから知らずか、彼女は戸棚から大きなアルバムを取り
出すとテーブルの上に広げて見せてくる。
 アイドル。確かにそういう感じの衣装を身に纏い、大勢の観客らしき人々の前でマイク片
手に歌っている様子が何枚にも渡って収められている。
 暫く、彼女の口からは自身のアイドル活動(しごと)についての自慢話が続いた。
 私のような人間にとってはとんと縁の無い世界の事でしかなかったが、少なくとも彼女が
心底この仕事を望んで楽しんでいるらしいことは分かったような気がした。
「……」
 だが、これらはおそらくこの“中”での事なのだろう。
 だとすれば彼女の理由はアイドルをする──他人に注目され、愛されたいという欲求に起
因していると考えられる。
「……でも大変じゃないですか。素人考えですが、こういう仕事というのは」
「確かにね~。でもそれ以上に充実してるって感じの方が強いかな~。それもこれも、全部
この物件を選べたからだから。私は満足してるよ?」
 注目されたい。他人から寄り添われたい。
 正直意外だった。この物件を選ぶ人間というのはその“中”に自分だけの理想を欲しがる
者達──特にある意味で後ろ向きな者達だとばかり思っていたから。
 だが……よくよく考えてみれば、それは不思議な事ではないのかもしれない。
 単に方向性の違いなだけなのだろう。自分の“中”と“外”──そのどちらに求めるもの
があるのかというだけの事なのかもしれない。
「……なるほど。望んだ暮らしが、できているんですね」
「はい。もっちろんです」
「……そうか」
 ここは、もうこの辺でいいだろう。
 彼女の自信満々の返事に苦笑しつつ、私は立ち上がった。
「それじゃあ、私はこの辺で。……仕事、頑張ってね」
「うん。ありがとね、オジさん♪」
 私は苦笑と共に、何処か物悲しさを覚えつつも彼女の部屋を後にした。

「──用件は手短に済ませてくれ。私も暇じゃない。スケジュールが詰まっているのでね」
 三軒目は、それまでとは打って変わって重苦しい雰囲気に包まれた物件だった。
 先ず玄関からして先の二物件と比較にならないほど広く、そして高級感が漂っている。
 出迎えてくれた秘書風の男性に案内され、部屋に中で私を見返したのは妙な威圧感を放つ
中年の男性だった。
「は、はい……」
 促され、これまた高級そうなソファに腰を降ろし、この部屋の主たる彼と向き合い座る。
 まるで物理的に息苦しさを感じる。元々下々な部類の私にとっては、先ずこんなハイラン
クの人種とは接点を持つ事はないのだから無理もない。
(……文言通り、手短に済ませて帰ろう)
 向かい合って座る男性の威圧感。私の背後でそっと佇む、秘書の気配の消し方の高度さ。
 私は恐る恐る、早速本題を投げ掛けていた。
「えっと。その、貴方は何故この物件を選んだんでしょう? この物件には、満足ですか」
「完全に満足、と言うと嘘にはなるかもしれんな。だがここは良い部屋だ。私の要望を確実
に取り入れて作られているからな……。何よりもここなら決して話がマスコミ連中などに漏
れないというのが魅力だろう」
 ワイルドに葉巻を片手に、男性は大仰に野太い声で答えた。
 それだけなのに妙に圧迫感を感じる。
 “政治家”というのは生で会うとこんなに凄いものなのか。それとも本人の放つ個人的な
強い自信と意志が成せる業なのか。
 見た所、歳は私よりも一回り以上も上になるのだろう。
 私も、これぐらいの齢になればこれほどの貫禄がつくのだろうか?
 いやおそらく……それは、無い。
「……あの。もしかして“外”でも同じなさっていたんですか?」
「うむ。そうだな、長い事この世界でやっておる」
「そ、そうですか……」
 なるほど。ならばこれ程の貫禄──深められた経験の大きさも納得がいく。しかし……。
「ですが、では何故わざわざこの物件に……?」
「…………」
 そう、ふと疑問に思って口にした私の一言。
 すると彼が静かに眉間に皺を寄せる様がはっきりと窺えた。 
 拙い……。琴線に触れてしまったのだろうか?
 私は思わず身体中が緊張で固まる感触を味わう。
「……この世界は、皆が昇り詰めたいと願うものだ」
 だが、男性はそれ以上特に怒りを表す事もなく、葉巻を吸って一服するとそっとテーブル
の上の灰皿にその火を押し付けて消しながら言った。
「だが、権力の座というのは限られている。そして純粋な手腕だけでは、そこに辿り着く事
はできないのだよ……」
 そういう彼の眼は何となく先ほどに比べて遠くを見ているように思えた。
 何を指して言っているのか、私にはよく分からなかった。
 だが多分、彼は“外”で望むほどに「昇る」事ができなかったのだろう。
 だとすれば、もしかして彼がここを選んだ理由とは──。
「理由は明白だ。私は新しく昇り詰める為にここに来た」
「……ですが」
 やはり。だがと、同時に私は思う。
 ここならば『望む部屋』を宛がわれる。
 しかしだとすれば、この“中”での権力闘争とは所詮──。
「ふん……。勘違いしないで欲しいな? 私は何も“出来レース”を設えてまで達しようと
は思っていない。あくまで私の望んだ物件は、やり直す事のできる機会……それだけさ」
「…………」
 私は言葉を失っていた。
 そこまで、欲しいというのだろうか。
 おそらく“外”で彼なりに“敗けた”現実をやり直す。
 それも後悔などではなく、きっともっと前向きな、いや貪欲なまでの野心に近い意志の下
に選んだ道。そこにはある種の荒々しいながらも「強さ」があるのではないか。
「……ありがとう、ごさいました。これで、失礼します」
 私は立ち上がっていた。逃げるように、その場かた立ち去ろうとしていた。
 男性は二本目の葉巻を吹かせながら「うむ」と鷹揚とソファに踏ん反り返っている。
 小さく頭を下げる秘書に軽く会釈をし、よろよろとその傍を通り過ぎようとする。
「……。あの」
 私は、それでも最後に一つ、言葉にせずにはいられなかった。
「……どうして。何故、貴方はそこまでして欲しがるのですか?」
 だがその返事は、躊躇する様子など微塵も見せず返ってくる。
「常に更なる高みを目指し続ける事……。それに理由など要るのかね?」

 続いて訪れた四軒目も、やはり豪華な物件だった。
「おぉ、あんが見学者さんかいな。ほら、入り入り」
「あ、はい……」
 だが今度の部屋の主は先の男性のような威圧感とは対極にある人柄らしかった。
 それでも彼の着ている服装は高級そうなブランド物の私服であるらしい。私はやや強引な
相手のペースに呑まれつつ、またもややたらにだだっ広い室内に通される。
 中は高級調度品ばかりという訳ではなかったが、広々としたスッキリとしたオフィスにも
似た部屋だった。
 その一角に陣取るデスクの上には数台のパソコンが忙しなく何かを表示している。
 何だろうと思ったが、それを確かめるよりも早く男性がその椅子に「よいせっと」と腰掛
けてくるりとこちらに向き直ってきた。
「まぁ、立ったままも何やし座りぃな」
「え、えぇ……」
 言われて別の空いた椅子に座る。
 向かい合ったこの部屋の主たる男性は、私を見てニコニコと嬉しそうな笑みを浮かべてこ
ちらを見遣っていた。
 少なくとも先の住人のような攻撃的な感じはしない分、一安心といった所だろうか。
「……広い、ですね」
 ぼんやりと部屋を見渡してからぽつりと言う。
 まるで余白のように白地の空間が床や天井を構成し、むしろ住人たる彼のいる場所だけが
ポツンと佇む点のようにすら思える。
「そやな。最初はもっと色々取り揃えるつもりでデカイ部屋を注文したんやけど……結局、
止めてもうてなぁ。無駄に広いだけになってもてん」
 言いながら陽気に笑うこの男性。
 それにしても……と私は思う。
 そうは言っても、これだけの広さの部屋を買えるのだ。つまりは彼もまた、相応の財力を
持った人物である事に間違いはない筈である。
「そうですか……。こんな広い部屋という事は、貴方も中々裕福な方なんですね」
「はは、まぁな。貴方も……って事はおっさんもそうなんか?」
「あ、いえ。私はそうではないんですが。一つ前に見学に行った所の方も裕福そうでして」
「ふ~ん? まぁ色んな奴さんがおるみたいやしなぁ、ここは」
 だが彼は裕福である事を鼻に掛けている様子はなさそうだった。
 私の話を軽く聞き流すようにして、ちらと半身を返し、片手でキーボードを操作しながら
モニターを見遣る。
「……俺はな、昔、デイトレーダーやっとってん」
「デイ、トレーダー……」
 すると背中を向けた格好で、彼は突然ぽつりとそう口を開いた。
 その言葉に思わず小さく復唱する。日毎の売り買いで儲けを狙う投資家、という奴か。
 私は頭の中で横文字を再確認して、そっと彼の背中を見遣る。
「この仕事は儲けが出る時と出ぇへん時があるんやけど……それでも俺は運が良かったんや
ろうな。始めて暫くして食うに困らんくらいの金が転がり込んで来てな」
「……」
 しかし、羨ましいとは何故か思えなかった。
 それはそう語る彼自身の背中が何処か寂しく映ったからだ。言葉こそ軽快だったが、そこ
に込められた色彩は明るい色というよりは鈍色の雲空ように思えたのである。
「……では、どうしてここに?」
「……。簡単なこっちゃ」
 苦笑い。彼はくるりと椅子を回して私の顔を見返しながら言った。
「金が集まって、俺の所には色んな奴がやって来た。でもそいつらは別に俺が目的やったん
やない。俺が持っとった金が欲しかっただけなんや」
 それだけで何となく彼が言わんとしている事には見当がついたような気がした。
 ポリポリと彼は頭を掻く。ふぅと頬に溜めた息を吐き出して数秒、真っ白な天井を見る。
「……俺は嫌になって逃げたんや。どうせ“外”におっても碌な事はあらへんしな。何処か
ええ場所は無いやろかと思ってたんや」
「……だからここを選んだんですね」
「そうや。ここなら基本的に誰も邪魔は入らんしな。入居するんに必要な金かて幸か不幸か
充分余っとる訳やし」
 彼は小さく、随分と力が弱まったように頷いてくれた。
 分かるような気がする。
 金持ちの気持ちが、ではなく人が、世の中が嫌になる過程のようなもの。
 その匂いが、もしかしたら自分と同じかもしれないと思ったのだ。
『…………』
 暫く、私達は互いに黙って見遣り合っていた。
 話題が話題なので仕方なかったのかもしれない。私も気の効いた言葉一つ返せず、ただば
つの悪い苦笑を漏らしている彼を見遣るしかなかったのだから。
「そやけどな……」
 そんな沈黙を破ったのは、彼の方だった。
「こうやって篭ったって、何か変わるもんやないと思うねん」
「……?」
 僅かに眉根を上げる。そんな私に彼はまたも苦笑いを向けてくる。
「まぁ、アレや。その……今度は人恋しぅなってもうてなぁ」
 その表情は恥ずかしさも含んでいるようだった。
 それでも私は同じ様に苦笑する事はできなかった。口調自体は軽くても、それを単純に笑
ってしまえるほど私は鈍感ではないと思う。思いたかった。
「そやから、おっさんみたいにこうやって見学に来る奴さんがおったらできるだけ迎え入れ
るようにしとるんや。……何か年寄りみたいな事言うと思われるかもしれへんけど」
「……そんな事はないですよ」
 今度は正直に応えていた。それに、少なくとも自分の方がずっと年寄りに近いのである。
 それから暫く、私達は取り止めも無く雑談を交わす事となった。
 途中で彼が淹れてくれたコーヒーを片手に、お互い初対面の筈の私達は存分に語らったの
ではないかと思う。
「外に出て行く気は、無いんですか?」
 その中で、念の為に私はそうした質問も投げ掛けてみた。だが、
「う~ん……無い、やろうなぁ。人恋しいって言っといても、やっぱ“外”の人間に嫌気が
差してるのも事実やし……。ま、何だかんだ言って勝手なんやろな……」
 彼はそう、何処か揺れ動くようにして答えるに留まるだけだった。
「──では、私はこれで」
「そっかぁ……。色々とすまへんな、長々と付き合わせてもうたりして」
「いいえ。いいんですよ……」
 やがて立ち上がる私に、彼はあくまで最後まで気さくに応じてくれていた。
 別の誰かは彼を貶めるかもしれない。だが、私はそんな気にはなれなかった。やはり何処
か同じな匂いを(勝手に私が)感じていたからなのだろうか。
 真っ白な、だだっ広い部屋を通り過ぎて、
「……機会があったら、また会おうな。おっさん」
「…………。ええ、きっと」
 彼は玄関口まで私を見送ってくれたのだった。

 そして最後に訪れたのは、ある意味一番自分に近い存在だったのかもしれない。
「……見学の人?」
 ゆっくりと開かれた扉から顔を覗かせたのは、一人のひょろっとした青年だった。
 その顔色は暗く、悪い。
 所謂“世間一般”の眼からすれば彼は異様に映っただろう。
 だが私は、彼に不思議と嫌悪感を感じる事はなかった。
 理由は……簡単だった。
「まぁ、どうぞ……」
 生活感の薄い室内。部屋自体も薄暗く、唯一の光源は静かに灯っているパソコンの光くら
いであるらしい。ある意味男の独り身所帯らしい、散らかったままの「自分の城」の姿。
「──えぇ……。リストラ、みたいなものですね」
 派遣切り。
 それがこの青年の抱える負の様相の一因であった。
 散らかった部屋の物を適当にあちこちに除けて作られたスペースに座って、私は訥々と語
られてる彼の身の上について耳を傾けていた。
 家も、頼る相手もいない。
 そこで見つけたのがこの物件だった。
 できるだけ安く、そして彼自身の望み──もう世の中で生きていかなくていい環境を実現
する部屋がこの物件なのだそうだ。
 嫌悪感? 感じる必要性が何処にあるのだろう。
 彼はそうした眼が向けられるのを承知でここを選んだ。ここにいる事で“外”と関わらな
くて済むのである。
「……おじさん。何で僕みたいな所に来たのさ」
 だが当の彼は予め告げられていたとはいえ、私という見学者(ものずき)に対して怪訝の
眼を少なからず向けているようだった。
 しかしながらその眼に非難などといった攻撃的な威力は殆ど感じられない。むしろ何かを
読み取れるほどの力すら、彼は厭っているのかもしれなかった。
「……。きっと、君にと似ているからかもしれないね。私も、同じ願望なんだと思う」
 少し押し黙ってから、私は答えていた。
 もう無用に着飾るような発言はもう要らないだろう。既にここを訪れようと決めた時から
むしろこうした姿がある事を確かめたかったという側面すらあったのだから。
「……そう」
 だから、私はむしろほっとしていた。
 最後に私を引き止めていたのは、多分自分だけが悲劇ではないかという思いだったのかも
しれない。でも、ここに来た事でそれはもっと遍く広がっている現実なのだと知る。
「……おじさんも、ここに住む気なんだ?」
「あぁ。一応、そのつもりではいる」
「…………そっか」
 そこでようやく、この青年が少しだけ顔を綻ばせてくれたような気がした。
 仲間。きっとそんなフレーズが頭を過ぎったのだろう。
 そうさ、きっと間違っていない……。
「……」
 静かに部屋を見渡す。散らばった独りの生活の痕跡。
 そこでふと、私はあの部屋の彼の事を思い出して訊ねていた。
「……君は、ここに来て寂しいと思った事はないかい?」
 青年は最初、まるで意味が分からないといったような表情を浮かべていた。そして次に滲
ませたのは怪訝の気色。
 だけど彼も、色々と考えてくれたのだろう。
「……ない訳じゃないけど。もう出て行きたいとは思わないから……」
 虚ろ気味な瞳の中で何かを処理していったその後で、
「独りの方が……落ち着く」
 そう、ぽつりと言葉を返してくれる。
 そしてその言葉が、最後の一押しとなってくれたのだと思う。
「…………そうか」
 私はようやく──決意を固めた。


「──如何でしたでしょうか、当店の物件は?」
 そこは街角の中にひっそりと佇む小さな店だった。
 カウンターテーブルの中からそう営業スマイルを浮かべるのは、一人のスーツ姿の妖艶な
女性。そしてそんな彼女に相対して座っているのは、
「……えぇ。どれも個性的でした」
 一人のやつれた感じの中年男性だった。
 スーツを着てこそはいるが、長い間外にいたままなのかその風体はボロボロと表現するの
に充分に見える。その顔に貼り付けている表情も、痩せこけて活気とは程遠く、女性のそれ
とは対照的だった。
 男性は出されたお茶を静かに啜ってから、そう苦笑いを浮かべて答えた。
 しかしその表情は一方で何処かで吹っ切れたようにも見えなくもない。
「……本当に、希望の部屋に入居できるんですよね?」
「勿論ですわ。お客様の要望に最大限お応えできる、それが当店の最大の持ち味ですので」
 言って、女性は書類の山の中から一枚の見積書を男性に差し出してきた。
 男性も心持ち覗き込むように、その文言を一字一句確かめるように目を落としていく。
「……あれ? あの、この値段間違っていませんか? 安過ぎるんじゃ……」
「いいえ。これが正規の価格となっております。ただお客様のご希望がまだ大まかなものだ
けしか指定されておりませんので、細かい指定があればその分嵩む事にはなるでしょうが」
「そうですか……」
「ですがご安心下さい。当店はお手軽に“お客様の望むままのお部屋”を提供させて頂く事
をモットーとしております。条件を詰めていっても相場の三分の一、いえ四分の一程で提供
できるかと」
 女性は明るく微笑んだままそう言葉を続けると、サラサラとメモを走らせ、手馴れた手つ
きで電卓のボタンを叩いていく。
 そして、それが終わった後で示された額を覗き込んで男性はまた目を丸くした。
「……え? 安い……。本当にこんな額で……」
「はい。勿論です」
「……あ、あの。安過ぎませんか? 私から言うのも何ですが、これじゃあ利益どころでは
ないのでは……?」
「大丈夫です。そこの所はご心配なく♪」
 それでも女性の表情は変わらない。
 男性は暫くの間目を力なく瞬かせていたが、やがて再びカウンターテーブル上の明細に目
を通しながら意を決するように呟く。
「……では、これでお願いできますか? 支払いは、金策が出来た後になると思いますが」
「はい。ありがとうございます~」

 それから間もなく、男性は明細のコピーを片手に店を後にしていった。
 店内には差し込み始めた夕陽の光が静かに漏れ、カウンターテーブルには女性だけが残さ
れる形となった。肩肘をついて暫くのんびりと時間の流れに身を任せる女性。
「…………安過ぎる、か……」
 すると、誰にともでもない呟きと共に、ふっと彼女の口元に描かれる弧。
 一度自分以外誰もいない店内を一瞥すると、彼女はおもむろに立ち上がると店の奥へと消
えていく。
「……ふふ」
 そしてややあって出てきた彼女の手には、大きな木組みの枠とそこに被せられた白い布。
 それらをそっと注意深くテーブルの上に置くと、彼女は布を取り払う。
 そこには、大粒の硝子球のような無数のオブジェが木組みの枠で仕切られた中に丁寧に収
められていたのである。
 だが、それはただのオブジェではない。
 硝子玉の一つ一つ。その中には無数の人間の営みが封入されている。
 愛し合い、邪魔者を嫌った若きカップル。
 皆に愛されたいと願ったアイドル志望の女性。
 権力の座をもう一度狙い、新しい舞台を望んだ野心家。
 金に翻弄され、人に翻弄され、世の中を疎んだ者達。
 それらの一つをそっと手に取ると、彼女は静かに妖艶な笑みを口元に浮かべた。
「これだけ一度に大勢の人間を観察できるんだもの……。それに加えて無意味に利益を得よ
うなんて……贅沢過ぎると思わない?」
                                                      (了)

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  1. 2011/04/28(木) 21:00:00|
  2. 硝子野不動産店
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自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
します。

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