日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(短編)本の蟲

 窓の外から差し込む陽の光が廊下を淡く茜色に染めている。
 時間帯は放課後。昼間は生徒達でごった返していた校舎内も、時間の経過と共に静けさを
増していっているように思う。
 僕はその日も、鞄を肩に引っ掛けて一人廊下を進んでいた。
 時々擦れ違っていた生徒達の人影もここまで来ると殆どなく、しんと静まり返っている。
耳に入ってくるのは遠く窓の外、眼下のグラウンドで部活に勤しむ運動部員達の声くらいな
ものである。
 一般教室のある普段学生生活の大半を送る場所とは距離を置き、渡り廊下で繋がれている
別棟。そうした立地条件からなのか、放課後という時間帯故なのか、或いはもっと別の理由
があるからなのか。
 あの時以来、この頃合に訪れる度に思う。
 随分と此処は何処か周りの空間とは違うような……そんな気がしなくもない。
(……あ)
 だがそんなぼうっとした意識も、視線の先、目的の場所のすぐ傍らに佇む人影を確認した
ことで掻き消える。
「……」
 図書室と書かれた札がぶら下がる部屋の前。
 そこに一人の女子生徒が軽く壁に背を預けて僕を待っていた。
 ドクン。もう全くの初対面ではないのに、ついつい胸が一際強く脈打つ音が聞こえるよう
な感覚が僕を包む。
 歩みをゆっくりと緩め、僕は適度な距離を取って視線を遣ってきた彼女を見つめた。
「……待ってたよ」
 すると彼女は、背を預けていた身体を起こして、サラッと髪を揺らしながら。
「どうぞ。入って」
 そう静かに僕に微笑みかけてくる。

 最初に彼女と出会ったのは、もう数ヶ月ほど前になるだろうか。
 ちょうどその頃は学期末の試験を控え、僕も周囲の皆も試験勉強へ突入する空気、面倒さ
を漏らす嘆息の雰囲気の中にあった。
 だから僕が放課後、図書室へ自習しに行こうと思ったのは何も不思議な事ではない筈だ。
「……」
 だけど、そこに彼女は立っていた。
 肩に引っ掛けた鞄が心持ちズレるのも余所に、僕は最初ポカンと彼女の姿を認めた位置で
立ち尽くしていた。
 一体誰だろう? 見覚えはない。
 だがうちの制服に包んでいるという事はうちの生徒なのだろう。
 落ち着いた感じの雰囲気を醸し出していることもあってか、その時僕はすぐに年上、先輩
なんだろうと結論付けていた。
 だがそれよりも僕がついつい見遣ってしまっていたのは、
(…………。綺麗な人だな)
 彼女が結構な美人さんだったからで。
 すらりとした体に、腰元まで伸びた長い黒髪。モデルだと言っても通用しそうな容姿。
 更に小脇には参考書らしき数冊の本が抱えられている。それが知的な印象を与え、彼女を
より魅力的に見せているような気がした。
「……君、もしかして試験勉強に来たの?」
 そんな僕に、彼女は不意に話しかけてきた。
 中断される思考と弾かれるようにして緊張する全身。
「え。あ、は、はい……。そうですけど」
 その様は自分でもちょっと情けなかったかもしれない。
 だけど彼女はそんな僕を特に笑い者にするでもなく、にこりと微笑みかけてくれていた。
「そっか……」
 数歩、その笑みのままこちらへと近づいて来る彼女。
 その一歩毎にカチコチに緊張する身体が更に強張るような感じがして……。
「じゃあ私が勉強、教えてあげよっか?」
「え?」
 だがそれも、次の瞬間、突然彼女の口から発せされた言葉で吹き飛んでいた。
 思わずポカンとしていた僕の顔は格好悪かったんじゃないかと思う。
 だけど、彼女──多分先輩はそんな事は特に気にしているような様子もなくて。
「……あ。いや、でも。試験があるのは先輩……も同じじゃないんですか?」
「私? ううん、大丈夫よ。私なら、ね……」
 言うや否や、先輩は図書室の入口の前に立つとガチャガチャと何やら施錠を弄り始める。
「そ、そうですか……」
 掌から覗くのは図書室の鍵だろうか。だとすれば先輩は図書委員なのだろうか。
 少しの間、僕はその場で立ち尽くしていた。
 そうしている内にやがて鍵が開き、ガラリと入口のドアが開く。
「……さぁ。どうぞ?」
 窺い見えるガランとした室内。その視界の傍らに立って招き入れてくる先輩の姿。
 見も知らぬ筈の自分に何故いきなりそんな事を言ってきたのか。
 そんな当然の疑問も脳裏を過ぎった筈なのだが、何故かその疑問にはあまり深く突っ込め
なかったような気がする。
「? どうしたの?」
「あ、いえ、何でも……」
 正直、僕自身そんなに勉強が得意ではないこともあり、教えてくれる人がいるのはありが
たかったというのもあったのだろう。それも相手が美人の女の子なら尚更だ。
「……じゃ、じゃあ」
 だがそれ以上に、
「お言葉に甘えて……。失礼、します……」
 他人の厚意は素直に受け取るべきだと思ったのが大きかったのではないかと思う。

 そうして試験勉強を助けて貰ってからというもの、何時しか僕らは週に数度、図書室で先
輩に教えて貰う形で一緒に勉強するようになっていた。
「──えぇ。だからここはこうなるから……」
 最初に会った時の印象に違わず、先輩はとても頭が良かった。
 加えてその教え方も丁寧で分かり易く、おかげで当初は正直危なかった試験も、いざ蓋を
開けてみればそれまでの自己ベストを大きく上回る結果となった。
「あ、はい……。じゃあ、えっと……」
「そうそう。正解よ」
 結果を出せた事は嬉しかったが、内心では先輩に褒められて教わったのが大きいのではな
いかとも思う。
 傍から見れば異性に乗せられているという見方もできるのかもしれない。
 だがこうして自分でも結果を出せる、知識が自分のものになっていくのが心地よく思える
ようになっているのは、今まで生きてきた中でも新鮮な感覚ではないかと僕は思っている。
 夕暮れ、放課後の図書室。
 僕達はその奥まった、本棚に囲まれたいつもの席で勉強に励んでいた。
 室内には他にも数名の生徒が自習をしたり、本を読んだりしている。
 静かだった。それは自分自身が集中しているのもあるのだろう。差し込んでくる茜色の光
や遠くから微かに聞こえるだけの外の物音。
「……」
 今僕は、いわば先輩と二人っきりの世界にいるのではないかとさえ思える事がある。
「? どうしたの?」
「え。あ、いえ、何でも……」
「そう? ふふ……」
 いけない。ついぼうっとしてしまっていた。
 でも先輩は慌てて机に向かい直すそんな僕をニコニコと笑って見つめていた。
 机上には先輩が、一部は僕が持ち込んだ参考書の類が積み上げられている。
 それらの頁の所々には挟まれた付箋。今まで解き進めてきた箇所の印だ。こうして視覚的
にはっきりした痕跡を確認できると、尚の事達成感が沸く。これも先輩の知恵なのだろう。
 ちょうど、そんな時だった。
「……?」
 ふと、室内に微かなノイズが混じったメロディが流れ始めた。
 校舎全体に染みこむかの様なポツポツとしたもの寂しい曲調。残っている生徒達に下校時
間を告げる放送音楽だった。
 その中でちらと顔を上げていたのは僕だけではなかったようだ。
 奥から窺ってみると、室内の他の生徒たちもメロディの下でいそいそと帰り支度を始める
べく動き始めていた。
「……。じゃあ今日はここまでにしておきましょうか」
「あ、はい……。ありがとうございました」
 コクと小さくいつものように頭を下げて荷物をまとめる。
 だが先輩は、手元に自分の持ってきた参考書を引き寄せただけですぐに動こうとしない。
「? 先輩?」
 他の生徒達が次々に図書室から出て行く。
 それらを背景にしながら僕は先輩のその様子に気付いてついそう呼びかける。
「あ、君は先に帰っていていいよ。私は、まだやる事が残っているから」
 それは図書委員の仕事のことだろう。整理整頓や施錠とか、雑務の類。
「そうですか。じゃあ、お先に失礼しますね」
「ええ」
 なので僕はそう微笑み返す先輩に一言掛けると、図書室を後にする事にした。
 ガラリという音が静かに響くように室内を抜けて行き、消えていく。
「…………」
 彼女は独り、室内に残される格好となった。
 それでも彼女は暫くの間、黙って席に着いたままだった。
 手元に引き寄せていた本を集めて積み上げる。沢山の付箋をその中に蓄えた参考書の山。
彼女は指先で、その付箋一つ一つに触れていく。パラリパラリと紙の擦れる音がする。
 その表情は変わらずに冷静。だが、何処となく妖しさを持つ微笑みを湛えている。
「……たいぶ溜まってきたわね」
 やがてそっとその手を本の山から離す。
 そしてそこから静かに片肘をつき、ちらりと入口の方へと視線を向けると、
「そろそろ、かな……」
 彼女は独り、誰にともなくそう呟いていた。

 そしてその日も、僕は先輩の待つ図書室へと足を運んでいた。
「あの、先輩。それ参考書……ではないですよね」
 いつもの本棚に囲まれた奥の方の席。
 そこへ鞄を降ろして席に着きつつ、僕は先輩と机の上に置かれていたその代物を見遣ると
一応そう確認してみる。
「えぇ、辞書よ。沢山の知識を溜め込んだ、ね……」
「辞書……?」
 先輩の言う通り、他の参考書に混じって机の上に置いてあったそれは確かに辞書のように
も見えた。深緑色のカバーで装丁されたいかにも分厚そうな大きな本。しかしその色合いは
見るからに古びた感じを受けた。
(随分とボロ……古そうな本だよなぁ)
 余程使い込んだのだろうか。いやそれにしてもこの古さは先輩個人という域ではないよう
な気がする。大方、親御さんや祖父母の代からの物といった所かもしれない。
「さぁ、始めましょうか」
「あ、はい……。お願いします」
 しかしそんな思考も束の間。
 先輩の声と向けられた微笑みと共に、僕らはいつものように勉強を開始する。
「…………」
 その日もいつものように、いやいつも以上に捗っていたように思う。
 今日だけではない。ここ暫く、この一時での勉強内容は随分とスムーズに頭に入ってくる
ような気がする。そしてそれは試験結果などでも証明されている。
 室内はしんとしていた。
 静かなのはありがたい、こちらとしても集中しやすい。
 だが……。
(……今日は、誰もいないのか)
 改めてちらりと視線を室内へと遣ってみると、どうやら他に利用している生徒の姿はない
ようだった。道理で静かな筈である。
(……待てよ)
 だがそこで僕はやっと気付く。
 という事は、今ここは自分と先輩の二人っきりの状況となる訳で……。
(うっ……!?)
 突然心臓の鼓動が激しくなった。
 顔面が、火照ってくるような感覚に襲われる。
 今まで全く意識していなかったというと嘘になるが、改めてその状況にあるのだと認識し
たと同時に、自分の理性とは関係なく身体が急に動揺し始めた。
 先輩の声が遠い。何度か目を瞬いてみるが、目の前のノートに書かれた内容すら頭に入ら
なくなってきている。
 だ、駄目だ。先輩は別にそんなやましい気持ちがあってここにいる訳じゃないのに……。
「──江口君」
「!?」
 先輩の声。それも、今までにないくらい至近距離から。
 僕は更に心臓の鼓動が跳ね上がるのを感じながら、反射的にその声の方に振り向いた。
「…………」
 近い。振り向いた僕の顔面ギリギリに、先輩の顔が迫っていた。
 その表情はいつもの微笑みを向けている。だが自分が現在進行形で意識している所為もあ
るのだろうが、妙に妖しい感じもする。
(……あれ?)
 だが、ふと一つおかしい事があるのに気付いた。
 だって先輩はさっきまで僕の“右側”にいたのに、今僕は左を向いている──。
(いつの間に……?)
 だがそんな疑問すら、先輩が至近距離まで詰めて来ているという事実が吹き飛ばす。
「ふふ……」
 そんなこちらの葛藤を知ってや知らずか、一方の先輩はいつも通り(?)笑っていた。
「せ、先輩……?」
 心臓がバクバクと鳴っている。
 今までにない至近距離で先輩の顔がある。
 こっちが動けばいいのは分かっている。だけど何故かその場から動けない。
 緊張のあまり身体の自由が効かない?
 それとも、僕はもしかしてを期待しているとでもいうのか……。
(……い、いや、駄目だろ。そ、そんなの……)
 理性とか本能とか。
 何だか色んな雑念が頭の中を駆け巡っていて、律する意識が定まらない。
 だから。
『…………』
 自分の背後で、あの古びた辞書がひとりでに動き出した事にも気付かなくて──。

 ──始め、大きな物音が響いた。
 ガタンと椅子が倒れる音、短く上がった半身を返した少年の悲鳴。
 そしてそれらを掻き消すように響いて消えた、何者かの激しく蠢く物音。
 次の瞬間には、少年の姿は消えていた。
 いや、消えていたという表現は正確ではないだろう。
 そう……“喰われた”というべきか。
「……どう? 美味しかった?」
 この学校の制服を纏った少女がそっと中腰の姿勢から立ち上がって言った。
 その視線の先には少年──ではなく、
『うむ。久々の美味といっていいだろう、良き知識欲の味だ』
 まるで生き物のように大きな口を開いた、あの古びた辞書に向けられながら。
『しかしそれだけではないな……。淫欲が混じっているぞ』
「ふふ……。あらまぁ」
 開かれた分厚い頁の中から見えるのは奥底も見えぬ暗がりが覗く大きな口。
 唇に当たるらしい本の上下の端からは何本もの鋭く尖った歯が生え、口の中から延び出て
いる無数の触手らしきものと共に「怪物」を形成している。
『お前が今回の少年(えもの)に余計な節介をし過ぎたのだ。だから彼も邪な念を抱き、味
にも影響を与えたのだぞ』
「細かい事言わないの。いいじゃない、ちょっとぐらい」
 そんな本の“蟲”を相手に、彼女は驚く事もなくむしろ旧知の友と話をするかのように気
さくで、そしてにこやかな微笑みすら見せていた。
 床に落ちていた上履きの片方。
 それを彼女は拾い上げるとそう言いながら、蟲の口の中へ放り込む。
『……全く。お前は少々悪戯が過ぎる。そんな気など微塵もない癖に』
 それを触手が伸びてきて掴み、鋭い牙が粉砕する。
 もしゃもしゃとごく普通の食事をするように、蟲は残った少年の残骸をもあっさりと飲み
込んでしまう。
「文句言わないで欲しいわね。折角貴方好みの“知識欲豊かな食事”を用意してあげている
っていうのに。私にだって少しぐらい楽しませて貰ったっていいじゃない?」
『…………やれやれ。まぁいい……』
 蟲はそれ以上非難をするのを諦めたようだった。
 仰々しくため息をついてみせると、もそもそと机の上を這い、彼女の傍に近づいていく。
「ふふ……。じゃ、次に行きましょうか」
『そうだな……』
 彼女はその蟲──古びた本を拾い上げ、残りの参考書なども小脇に抱えるとゆっくりと入
口の方へと歩き始めた。
「今度はもっと偏差値の高い場所に行きましょうか。その方が頭のいい獲物がいっぱいいる
んじゃない?」
『……いや、むしろ高過ぎるのは好かぬな。ああいう階級の連中は知識欲があってもその知
力を過信して奢っている者が少なくない。そんな者はもう脂がしつこ過ぎて喰い飽きた』
「そう? じゃあ、今度も似た所にしましょうか」
『あぁ、そうしてくれ』
 蟲と少女と。
 普通ではない組み合わせのその二人組は、そのまま何事も無かったかのように図書室を後
にしていく。
 静まり返った室内。
 そこには誰もおらず、その奥まった机上に少年の文房具が散らばっているだけだった。
「分かったわ。……次も、美味しい食事を用意してあげる」
 ガラリと、舞台となったその部屋のドアが閉じられる。
 隙間から覗く、彼女達の姿と声を遮りながら。
                                      (了)

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  1. 2011/04/28(木) 21:00:00|
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自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
します。

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