日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(短編)轍の先

 気付いた時には私はそこにいた。
 先ず目についたのは足元からずっと遥か前方へと延びているらしい二本の溝跡──轍だ。
 いや、よく見てみると私はただこの轍の上に乗っかった状態で立っているらしかった。背
中越しに後ろを見遣ってみも、同じく轍が延びているらしいのが見える。
 らしい──という表現をしているが、現状これが精一杯だった。
 何故なら、周囲は何か靄の掛かったような鈍い白色の光に包まれていたから。
 私は此処が何処なのか目を凝らしてみるが、やはり結局今視界に映っている周囲以外はこ
の鈍い白が覆い隠してしまっているかのようだ。
(……ここは、何処だ……?)
 焦りがあっていい筈なのに、何故か思考力は目の前同様靄が掛かっているかのようにぼん
やりとしていた。そしてややあって気付く。身体が……妙に重苦しく感じるのだ。
(何故、こんな所に……?)
 そもそも私は何をしていたのだったか。
 記憶を辿ろうとするが、やはり鈍い靄の掛かった感覚がそれを阻害する。
 参ったな……。私は心持ち空──と表現すべきなのかさえも判然としないが──を見上げ
つつ、深く静かにため息をついた。
「おじさん」
 そんな時だった。
 ふと傍らから聞こえた声。ハッとなって視線を落とすと、そこには一人の幼い少年が私を
見上げるようにして立っている。
 何時の間に? 脳裏に当然の疑問が過ぎったが、それを覆い隠すように少年は言う。
「どうして立ち止まってるの?」
「どうしてって……」
 ごくそれが当たり前かのような口振り。クスッと微笑み小首を傾げている。
 だが前髪が長いからなのか、それとももっと別の“何か”があるのか、その表情は何故か
直接目にする事はできなかった。
「ほら、行こうよ。皆が待ってるよ」
「……? あぁ……」
 くいと私の袖を引いて。少々急かすように少年は小走りになる。
 確かに、このまま立ち尽くしていても仕方はないが……。
 突然の事態が次々とやって来て混乱はそう簡単に収まってくれそうにはなかったが、半ば
彼に催促されるようにして、結局私はのろのろとその後を追う事にしたのだった。

 相変わらず轍は延々と続いていた。
 いや、厳密に言えば黙々と歩いている中でその溝が時折まるで枝分かれのように横道に逸
れて延びているようだった。
 しかしその先はやはり鈍い白が掛かって見通せず、私はそれらへ足を進めようという気に
はなれなかった。
「こっちだよ。おじさん」
 それに、全くもって誰なのかすら分からないが、この状況下で案内人のような存在がいる
のならその後をついて行く方が無難ではないかと考えたからだ。……たとえ、それが年端の
いかない子供のようであっても。
(……ん?)
 そうして暫く二人で歩いていると、遠くから複数の声が聞こえた。
 他に誰かいるのか? 目を凝らしてみると、轍の分かれ目の一つの上に立つように数名の
少年少女達がワイワイと話し込んでいた。
 身振り手振りで何やら談笑を。その子を囲むようにして他の子供たちも笑い、喋り、或い
は傍らの仲間達と会話に華を咲かせている。
 だが──それよりも気になったのは、その輪の外側でぽつねんとしている一人の少年。
 一応周りと歩調を合わせて受け答えをしているようだったが、遠くから傍目で観察してみ
る限り、彼は何処か他の子供達と距離を取っているように……いや、溝ができているかのよ
うに思えた。
(何なんだ……?)
 疑問、というよりは妙に懐かしいような。だけど伝染するような寂寥感。
 ここは何処なのか、やはり分かりはしない。だがそれでも意識は視線の先の彼らに、その
少年の方へと向いている自分がいるのにはたと気付かされる。
 ゆっくりと進めていく私達の歩。
 その歩はやがてこの子供達の輪の横を通り過ぎる形になる。
 私は通り過ぎながらも、彼ら──いやこの外側の少年から中々視線が外れない。ザッザッ
と砂地気味の地面を踏みしめる音が妙に新鮮に、意識の遠巻きに聞こえるような気がする。
「……」
「気になるの、おじさん?」
「ん? まぁそりゃあな。此処が何処かも分からないし、あの子達が誰なのかも分からない
し……。何より君こそ誰なのか分からない」
 何となくだが、ちゃんと答えてくれる事はないだろう。私の勘はそう告げいている。
 だが私の数歩前を歩くこの少年は──くすりと笑っていた。
「分からないって……。おじさん、自分の意思でここに来たんじゃない」
「……え?」
 私の遠回しな当て付けに対して、さも可笑しいと言わんばかりに。

 次に他人(ひと)の姿を見かけたのは、それからまたどれだけ歩いてからだったろうか。
 少年は笑ってああ言ったが、結局再び特に何かを答えてくれる事もなく歩き出していた。
私は仕方なく背後で遠退いていく子供達の輪を時折振り返りつつも、とぼとぼと延々続く轍
の上を歩いていたのだが……。
「~~♪」
 今度は、子供ではなかった。
 視線の先の人ごみを形成するのは──学生辺りの年齢かと思われる──青少年。同じくそ
の輪の中心に居たのはフォークギターを片手に歌を披露している数名の若者だった。
(……。懐かしいな)
 何故こんな所に? 疑問は後をついて回っているままだったが、私は思わず昔を思い出し
て微笑ましい気持ちになった。
 自分も、学生時代は友人らとバンドを組んで路上パフォーマンスをしていたっけ。
 あの頃は楽しかった。夢や希望を抱いて、その先にある光を信じて疑わなかった“若さ”
があったように思う。……そう。今の私には、最早持ち合わせていない眩しさが。
「──ッ!?」
 そんな追憶と現在(いま)。
 二つの映像が脳裏を過ぎった瞬間、私の全身に突如として形容しがたい悪寒が奔った。
(何、だ……??)
 膝が急に戦慄いていた。
 私は思わず立ち止まり、震える両膝を押さえて顔を引き攣らせた。
 何かが……おかしい。
 いや、そもそもこんな場所にいるという事自体が異常なのだ。
 ぼんやりと、周囲を覆い隠す鈍色のように霞んでいた意識が少しずつ解けてゆけるような
気がする。
 大きく息をつく。幾重にも枝分かれした轍道。遠巻きに聞こえる演奏の音と歌声。
 私は暫く肩で息をしながら、何とか呼吸を整えた。
 やはりおかしい。此処は、何処なんだ──?
 バッと顔を上げる。状況に流されてしまっていたが、私を案内するかのようなあの子なら
きっと何か知っている筈だ。
 そう思い、数歩先を行っている彼を見遣った……のだが。
「…………」
「……ぇっ?」
 何故か、彼はもう“少年”ではなくなっていた。
 確かに顔立ちはあの少年だろう。だがその背格好は何時の間にか“青年”のそれへと変貌
を遂げていたのだ。
 驚きで、思わず目が丸くなる。
 そんな私を、深い紺のジャケットに身を包んだこの少年──もとい青年は何処か冷たい眼
でじっと見つめている。
「……思い出してきたみたいだね。でも、あんたに引き返す選択肢は……無いんだよ?」
 背中越しに、力を込めた眼差しを投げ掛けて。
 先を行く彼は、再びゆっくりと歩き出し始める。

 もう、疑問を一先ず置く事などできなかった。
 かといって視界の晴れない鈍色の枝分かれへと一人向かう気概までは持てなかった。だか
ら結局はこの青年の後についていく形になってしまっている。
「おい。一体君は何者なんだ? ここは何処なんだ?」
 歩きながら問い掛ける。焦りもあったのだろう。少々口調も荒くなっていた。
「……そんなに焦るなって。俺は案内人。ここはあんたの辿った道だ」
 ふぅと青年は前を向いたまま、面倒臭そうに応じた。
 だが私のそれは、きっと彼にとっては“不都合な焦り”だったのだと思う。あくまで彼は
冷静さを装っていたが、私も含めお互いがピリピリとしているらしい事は、流石に私であっ
ても勘付ける。
「私の通った……道? 何だ、それは」
「ああもう。焦るなってのに……。本当は分かってるんじゃないのか? ほら、そろそろ次
の“道”が見えてくるぜ」
「……?」
 問い詰め、はぐらかされ。
 私はこの場から逃げ出そうかと思い始めていた。
 だがその決断を阻害するかのように、青年はふと背中越しに私を見遣ると、ついと顎で行
く先に見えてきた人影を示してくる。
「────ッ!?」
 今度は追憶などではなかった。
 既に当初よりもずっと多岐に枝分かれをした轍の「幹」に当たる、私達が進んでいた先に
確かにその光景はあった。
 見慣れたオフィス。見慣れたスーツ姿の同僚達。そして……上司に日課のように怒鳴りつ
けられている、他ならぬ私自身の姿。
(これは……)
 呆然と立ち止まる。そしてやっと私は理解した。
 青年が言っていた“私の辿った道”。それはつまりは私の人生の縮図とでも言うべきなの
だろうか。だとすれば、もしかして此処は……。
「気付いたみたいだね」
 ハッとして振り返る。
 先ほどよりではないものの、驚いた。
 青年は、今度は真っ黒なスーツに身を包んでいた男性に姿を変えていた。
 最初に私を導こうとしたにこやかな子供の姿は、もう何処にも無い。彼はスッと眼を細め
てから片手を広げてみせ、言った。
「到着だ。君の……君の望んだ終着駅がこの先にある」
 示された視線の先。そこだけは鈍い白の靄が薄れ、代わりに幅広の川らしき流れが横断し
ているのが見える。その畔には小船が一層。私を乗せるつもりなのか、既にそこには船頭ら
しき男が乗り込んでこちらをじっと見つめているのが確認できる。
「私の、望んだ……」
 そうだ。私は、望んでここに来た。
 もうあんな虐げられ、搾り取られるだけの日々は嫌だと──会社の屋上から身を投げた。
 間違いない。此処は……現実ではない。死に向かう道程だったのだと。
「……さぁ。逝こう(ゆこう)」
 黒スーツの彼は、そっと私に手を差し伸べてきた。
 至近距離。真っ黒な私を取り込むかのような両の瞳。
 そうだ……。何を迷う事がある。やっと、解放されるんだ。
「……ああ」
 私は、言われるがままにその手を伸ばして──。
『お父さんっ!』
「!?」
 ちょうど、その時だった。
 不意に脳天に響くような声がした。
 聞き覚えがある。これは……娘の?
『あなたっ、行っちゃ駄目っ!』
 続いて重なるのは、またも聞き覚えのある……妻の声。
「…………」
 彼に伸ばしかけた手が止まっていた。
 何故だろう? 私は何故こんな……。
「チッ」
 だが混線する思考を揺り戻したのは、他ならぬ黒スーツの彼の舌打ちだった。
「……邪魔が入ってきたな。スマートじゃないのは俺の流儀に反するのだが……仕方ない」
 続いてパチンと鳴らされる指。
 するとまるで彼の影から這い出るように、全身真っ黒な“人影”達が姿を現す。
 私は、直感として理解した。
 彼らは、力づくで私を連れて行こうとしている。あの川の──おそらく所謂「三途の川」
の向こう側へ。
「くぅ……っ!!」
 次の瞬間、私は彼らに背を向けて走り出していた。
 此処にいちゃ、いけない。そんな衝動が妻と娘の声で呼び起こされたかのように。
「逃がすな! 追え!」
 黒スーツの男の叫びで影達が一斉に迫ってくる。
 先程まで彼と二人で歩いていた轍を──おそらく所謂「走馬灯」の中を逆走する。
 だがおかしかった。逃げようとしている筈なのに、まわりの靄は益々濃くなっているよう
な気がした。
 いや……気がするのではない。間違いなく濃くなっている。それも鈍い白から全てを閉ざ
す深い黒へと徐々に変化しながら。
(拙い……。このままじゃ……)
 包囲網だった。私を襲うのは焦りと恐怖と、後悔の念だった。
 どうしてこんな事を。私は一体何て事を……。
『あなた……!』
 だが、一抹の光が見える。
 白が侵食されてゆく靄の一角から、自分に向かって手が伸びていたのだ。
 響いてきたその声。見慣れた懐かしさ。そして薬指に嵌められた小さな指輪。
 間違いない。妻が伸ばした手。
 私は殆ど反射的に、本能的にその手を取って──。

(────むぅ……?)
 光が、差し込んできた。
 それはあの場所のような鈍色の照明ではなく、間違いない太陽の光で。
「あ、あなたっ!」「お父さんっ!」
 ぼんやりと目を開いて、次の瞬間視界に飛び込んでくる二人の──妻と娘の姿。
 此処が病院のベッドの上であると気付くのに、私はたっぷり十数秒の時間を要した。
(……そうか。私は、戻って来れたのか)
 じわじわと実感が込み上げてくる、帰還した自分という事実。
 それに従って身体中に漂う重さ──身を投げた故に負った全身の負傷も、ようやく私の意
識に訴え掛けてくるようだった。
「うぅ……。やっと目を覚ましてくれたよぉ……」
「良かった。本当に、良かった……」
 ベッドに齧り付くように、妻と娘が泣き腫らしている。
 生還の喜び半分、そして思い余って身を投げた私への憤りや説教がもう半分。
 傍に控えていた医師らが若干引いているのもお構い無しに、二人は矢継ぎ早に私を責めた
り、泣いたり、かと思えばまた責めたり。
「……。すまなかった」
 多くを語って言い訳にしたくもなかった。
 だから私はただそれだけを口にして頭を下げる。
 何とか、戻って来れたのだな……。
 私はその安堵や安堵、そして心配を掛けてしまった家族への申し訳なさで、暫し頭の中が
混乱したままの状態が続いていた。
 でもこれだけは……今なら確かに言えると思えた。
「…………。ただいま」
 もう私は──『道』を間違ってはならないのだと。
                                      (了)

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  1. 2011/07/17(日) 01:00:00|
  2. 轍の先
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自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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