日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(短編)二十年後の遺言

 妻が──死んだ。癌だった。
 僕がそれに気付いたのは妻が家の中で昏倒していたのを見つけた時だった。
 急いで救急車を呼び、その時に関しては一命を取り留めた。だが、搬送先の医師から告げ
られた話は僕を絶望させるのに充分過ぎた。
『申し訳ありませんが……。奥さんの病状はかなり進んでいます。一年持てばいい方だと思
われます』
 実質の余命宣告だった。
 更に医師は、僕に躊躇しながらももう一つの事実を話して聞かせてくれた。
 それは……妻が長い間、癌と独りで闘っていたというものだった。
 彼女曰く「夫に心配を掛けたくない」からだったらしい。それを聞いて僕は渦巻く感情と
と共に自分を殴り殺したい衝動に駆られたものだ。
 何故、頼ってくれなかったのだ? 確かに僕はお世辞にも売れない画家で、この事実を知
れば間違いなく創作活動に集中できなかったとは思う。だが僕も妻子を養う責任感は持ち合
わせているつもりだ。もしもっと早く妻の一大事を知りえていれば……全てを擲ってでも共
に闘病生活を送ってもいいと、きっと腹を括っていたに違いない。
『──私はね、サトちゃんが嬉しそうに絵を描いている姿が好きなの』
 でも……そんな決意を伝えても、妻はきっとやんわりと断わっていただろうと思う。
 学生時代に付き合うようになって以来、自分の画力を自問し、自分達の生計に悩むその度
に彼女が口癖のように僕に投げ掛けてくれていた言葉だ。
 まるで自分の事のように嬉しそうに。あの優しい微笑みに、僕はどれだけ救われてきたの
だろう……。
 だからこそ、こうして君を喪ってしまうとその穴は表現し切れない程に大きくて──。

「パパ~?」
 あどけない幼子の声に、僕は我に返った。
 気付いて振り向いてみれば、ちょこんと一人娘の愛子が僕の袖をくいくいと引っ張ってい
た。すっかり遠くなってしまった追憶の世界から、意識が認め切れない現実に引き戻されて
しまったかのようだった。
「? どうしたんだい、愛子?」
「リンリンが鳴ってるよ?」
「リン……? ああ、電話か」
 確かに愛美の指差す電話台の上で、子機が電気的な点滅と共に鳴っていた。
 電話の着信にすら気付かず僕はぼんやりとしてしまっていたらしい。
 僕は重い気分を引き摺ったまま立ち上がると、そっと急かしてくる子機を取る。
『おう。やっと出たな。俺だよ俺』
「……ヨータか」
 電話の相手は、古くからの付き合いの友人達の一人・ヨータだった。
 相変わらずの人好きのする明るい声色。だがそれもここ暫くは気を遣ってくれているらし
く、多少のトーンが落とされているかのように思われる。
『とりあえず、改めてお悔やみ申し上げますだ。……少しは落ち着いたか?』
「……あぁ」
 僕はか細く頷いたが、十中八九彼には嘘だとバレていただろう。
 先日、四十五日の法要を済ませたばかりだった。ヨータ達も同じかつての仲間として葬儀
を含めて出席してくれている。
『そっか。そりゃ良かった。……まぁ、慣れろなんては言わねぇけどさ。あんまり沈んでば
かりいちゃあ、マナミの奴も落ち着いて眠れねぇぜ? ただでさえ、お前には昔っから甘々
だったしな』
 僕は小さく曖昧な首肯を返すしかできなかった。
 少し突っ込み過ぎと周りには映るのかもしれない。だがヨータも僕らの事を心配してこう
して連絡を取ってくれているのだろう。そう思うと怒りなど起きようもない。静かに沸いて
くるのは、彼らへの申し訳なさと今も続く稀有な友情への感謝だった。
『……まぁ、それでだ。お前、今度の同窓会どうする?』
「同窓会……?」
 だが今日の本題は単に慰めてくれただけではなかったらしい。
 少し慣れの薄いぎこちなさを残しながら、ヨータが口にしたそのフレーズを反復していた
自分。そういえば、そんな通知の封筒が来ていたような……無いような。
 僕がそう記憶を辿っていると、電話の向こうのヨータは苦笑を見せたように言う。
「やっぱり忘れてたか。まぁ無理もねーよな……。あんまり無理すんな? 今回俺、幹事の
一人だから一応確認だけはしとかねぇといけねぇからさ……」
「あぁ……。ありがとう」
 まだあの時も、僕は妻の病気に気付いてさえいなかった。
「いいっての。そんな改まって。でも……できれば、個人的にもお前には来て欲しいな。ボ
ス達も全員出席の予定になってるしさ。マナミは、何時だって──きっと今だってお前の傍
で笑ってるんじゃねぇかってと思うんだよ」
「……。そうかも、しれないな……」
 彼女自身も僕の事を思って敢えて表に出ないように努めていたのだと、今になればやっと
想像する事はできるのだが。
 ────同窓会かぁ。ねぇサトちゃん、一緒に行こうね? 絶対だよ……?
(ッ……!?)
 フッと、脳裏に映像(ビジョン)が過ぎった。
 そうだった。あの日、彼女は封筒をポストから持って来て僕に笑い掛けて……。
『サトシ?』
「……パパぁ、どうしたのぉ?」
 電撃を受けたように電話台の前で硬直した僕。
 そんな様を、電話の向こうのヨータと先程からずっと傍でテクテクしていた愛子が怪訝と
心配の声で解きほぐしてくれた。
「ああ……大丈夫。何でもないよ。うん、ヨータ。分かったよ……僕も出席する」
「お。そうか。分かった。……楽しみにしてるよ」
「こっちこそ。皆に宜しく」
 だから僕は彼の掛けてくれたその言葉に思わずフッと小さな笑みを零すと、出席の意向を
伝えていた。
 あくまで飾り過ぎぬ、何時もの仲間としてのやり取りの後。
「パパ、どーそーかいってなーに?」
「うん? そうだね。昔のお友達がいっぱい集まる所……かな」
 電話を切り、僕は自分をきょとんと見上げてくる一人娘の前にそっと屈み込むと、そう答
えながらその妻譲りの髪を撫でててやりながら呟く。
(そうだな……。愛美も、きっと皆に会いたいだろうし……)
 気付けば、心の中の荒波が少しだけ穏やかになっているような気がした。

「──じゃあ、お利口さんにしてるんだぞ?」
 そして、同窓会当日。
 一緒に軽い昼食を済ませてから、僕は何時もの保育所に愛子を預けていた。
 思えばこれも、以前は愛美のやっていた事だったのだ。喪失感がまたチクリと胸を刺す。
「うんっ。いってらっしゃ~い」
「……それはどっちかというと僕の台詞だと思うんだけどな」
「ふふっ……。愛子ちゃん、何時も元気でいい子ですから」
 お気に入りの保育士の女性に手を取って貰ってご機嫌な愛子の言葉、苦笑する僕と微笑ん
で褒めてくれている(と思う)彼女と。
 僕は何処かで安堵している自分がいるのに気付いていた。
 もう少しこの子が大きかったら──母親が死んだという事を理解できる年齢であったのな
ら、一体僕達はどうなっていたかと。
 無邪気は無知なのかもしれない。でもこの子の場合、それはただ「父親が哀しそうだから
励まさないと」という半ば反射的な強がりから来ているのではないかと時折勘繰ってしまう
という方が正確ではないだろうか。何せ性分も外見も、この子は母親譲りなのだから……。
「では……宜しくお願いします」
「はい。お気をつけて」
 僕は保育士らに会釈を残すと、その場を後にする。
 
 その足で電車を乗り継いで駅前繁華街へ。
 会場に指定された居酒屋チェーン店の中は休日の夕暮れという時間帯もあって中々の賑わ
いを見せていた。以前届いた封筒を懐から取り出して改めて書面を確認すると、貸切になっ
ている大部屋へと向かう。
「お? 来た来た、おーいサトシ~」
 畳敷きの室内には既に多くの同窓生らがいた。
 僕が靴を備え付けの下駄箱にしまいながらその光景を眺めていると、聞き覚えのある複数
の声が耳に届いてくる。
「……やあ。皆、揃ってるか」
 向けた視線の先、複数置かれたテーブルの一つを仲間達が囲っていた。
 のんびり屋の巨漢・タンバ。
 内気だが頭脳は随一・トモ。
 皆のムードメーカーたるヨータに、愛美とは親友の間柄でもあったジュジュ。
 そして……僕達を何時も引っ張ってくれていた頼れる兄貴分・ボス。
「おうよ。悪ぃな。先に頂いているぜ」
「それは構わないよ。じゃあ、僕も混ざろうかな」
 食事というよりも晩酌をという方が正確な卓上の模様。
 僕はできるだけ愛美の事を顔に出さないように、再びそのかつての──いや葬式にだって
きちんと顔を出してくれた、今でも大切な仲間達の輪の中に混ざっていく。
「じゃあ、改めて。乾杯~♪」
『乾杯~!』
 カツンと互いにグラスを合わせて。酒が進む。肴が進む。
 あの頃はただ馬鹿騒ぎをしてはしゃぎ回るだけの子供だった僕らも、今では酒を肴を片手
に語らう事のできる歳になった。
 時の流れは、僕らの都合などお構いなしに流れていく。
「よう、伏見。久しぶり」
「ああ……。久しぶり」
「ねぇねぇ、まなみんは来ていないの? 久しぶりに会えると思ったんだけどなぁ……」
「そうだぜ~。何せ俺達のマドンナ・愛美ちゃんを娶った旦那様だからよ~」
「…………」
 お構いなしに、流れていく。
 皆に祝福され──半分はやっかみもあったと思うが──幸せだった日々も、その中心にい
た彼女を喪っていったこの一年近い日々も、時はただ無情に淡々と刻んでいく。
「はいはい。やっかみはその辺りにしときなさいな」
「マナミは都合が合わなかったんだ。だから代わりって言っても何だけど、こうしてサトシ
が来てるんだよ。……だよね、サトシ?」
「あ、ああ……そうだよ。すまないな」
 愛美の事は、ボス達ごく数名にしかまだ報せていない。
 皆に伝えるのが辛かった。いや、多分僕は怖かったのだろう。
 ──何で、何でこんなに早く……。あんたが傍に居たんじゃないの!?
 チクリと胸を刺すあの時の記憶。
 葬儀の折、期せずして二人きりになったジュジュが感極まって漏らしたあの涙の声。
「……ふぅ。とりあえず撒いたわね」
「うん。大丈夫、サトシ? やっぱり……呼んだのはしんどかったかな?」
「いや……。そんな事はないよ。ありがとう……」
 ジュジュとトモが、何も知らない他の同級生をそれとなく言い包めて遠ざけ、フォローし
てくれていた。二人とも僕に振り向いて心底気を遣ってくれているように声を掛けて来てく
れている。だが僕は、あの日の彼女の涙の訴えやら何やらが記憶から呼び起こされ、きっと
返礼も曖昧になってしまっていたに違いない。
 その後も暫く、僕ら六人は──いや愛美を含めて七人は互いに酒を酌み交わし、語らいを
続けた。見かけ通りにもりもりと食べるタンバ。面子の中ではあまり酒に強くないトモは若
干酔いに負けそうになって顔を赤くして。ジュジュとヨータはケタケタと笑い合いながら半
分変な高揚の中で飲み比べを続け、そんな面々を僕とボスは静かにちびちびとやりながら見
遣っている。
「……今日はありがとうね、ボス」
「ふん。礼を言われる事は何もしていないぞ?」
 仲間達の力なのか、それとも酒の勢いがあってなのか、僕の心は嬉々としていた。愛美の
事を忘れた訳じゃない。でももし、先日ヨータが言っていたようにあいつも僕と一緒にこの
場を頼んでくれているのなら……僕は来て良かったと思う。
「……むしろ、これからなんだがな」
「ぇ──?」
 その時ボスが何か言ったようだったが、周りの賑やかさに呑まれて僕にはよく聞こえなか
った。それでも彼はフッと僅かに口元に笑みを残し、ちらと改めて皆を見遣る。
 すると、それまで他の同級生らと同じように飲み食いを楽しんでいた仲間達が何か申し合
わせたかのように立ち上がった。
「悪い。俺達先に帰るわ」
「え? もうかよ。二次会とかもあるんだぜ?」
「まぁそうなんだろうけどよ。ちょいと野暮用があってな……後は任せた」
 少し怪訝を見せた同級生達だったが、かといってそれ以上突っ込んでくる事は無かった。
 ヨータは他の幹事役の面々に後を託すと、タンバやトモ、ジュジュと共にこちらに並び立
つ。ボスも、頭に疑問符を浮かべている僕をひょいと脇を抱えて立ち上がらせると、飲み干
したグラスをテーブルの上に置いた。
「よし。じゃあ、行こうか」
「……? 行くって? 二次会でもないのに何処へ?」
 どうやら分かっていないのは僕だけだったようだ。ボス達は確認するように互いに顔を見
合わせる。何が嬉しいのか、ジュジュが皆を代表して周りに聞こえないようなひそひそ声で
僕の耳元に顔を近づけると言った。
「あたし達の小学校。覚えてない? 今年でちょうど二十年目なんだよ?」

 そう言われて、その懐かしい場所にやって来て、やっと思い出した。
 そうだった……。僕らはあの日、卒業間近の頃この小学校(ぼこう)の中庭にタイムカプ
セルを埋めたのだった。
 二十年後、皆が大人になったら一緒に開けようねと──。
「ふっせ、ほいせっ」
「ふんふんふふん~♪」
 同窓会の会場を後にした僕達は、一路懐かしの母校へと足を運んでいた。
 流石に建て替えなどで当時とはすっかり見た目は変わってしまっていたが、一度はかつて
何年も通い詰めた場所。実際にこうしてその地面を踏みしめると昔を思い出す。
 ジュジュと僕、トモが見守る中、ヨータ達三人が中庭の一角──確かにあの日埋めたタイ
ムカプセルの場所を掘っている。
 傍の外灯もちゃんと灯っているし、用具も来た時には準備されていた。おそらくは事前に
皆で学校側に許可を取り、今日という日に備えていたのだろう。
(……ちゃんと皆は覚えていたのに、僕は……)
 薄情だなと思い、思わず苦笑してしまう。
 ずっと、仲間達は僕の思っていた以上に交わりを鈍らせていなかったのか。
 愛美の事もそうだ。僕は、大切な人の事すら──。
「む? 堅い……。此処だな。タンバ」
「オッケー。ほ~りゃぁっ!!」
 そうしていると、どうやら埋めた場所にヒットしたらしい。ボスの合図でタンバの膂力が
スコップ越しに炸裂する。
 ごっそりと削られ持ち上げられた盛り土。そこには確かに……古びた金属の大きな缶が、
僕達のタイムカプセルが姿を見せていた。
「お~。それだよそれ、懐かしいなぁ」
「大分劣化が進んでいるようだね。中身は大丈夫だろうとは思うけど……」
 ジュジュとトモと一緒に盛り土の前へ。
 かつての七人──悔しいが一人抜けた六人がぐるりと輪になって古びたタイプカプセルを
囲んでいる。
「……じゃあ、開けるぞ?」
 ボスが皆に確認するように言った。
 こくりと頷く僕達。ギチギチと。やや錆びの音を纏い、僕らのタイプカプセルはあの日の
約束通り二十年ぶりに解封される。
 蓋が開いた瞬間、六人の歓声が重なった。
 中から出てきたのは幾分ボロくなってしまった手紙や、当時のそれぞれの“宝物”の数々
など。大人になった今では実際は何の価値も無いのかもしれない。だけど、ただ役に立つか
どうかが全ての意味を決めるのではないと、僕は思う。……そこに込められた思い入れは、
きっとそれらを輝かせる。
「ほら、これ。マナミの分」
「サトシが検めてくれ。お前じゃなきゃ、駄目なんだ」」
 すると、ヨータとボスが中に残っていた便箋入りのビニール袋を僕に差し出してきた。
「……うん」 
 受け取って、そっと封を解く。
 そうか。皆が今日此処に連れてきたのも、ヨータが同窓会の出席を直接訊ねて来たのも、
全部この為だったんだ。
 辛くないと言えば嘘になる。だけど……確かにこれを他の見知らぬ誰かに蹂躙されるのは
もっと嫌だと思った。
「……」
 時の流れで劣化こそしていたが、愛美の書いた手紙は確かにこの手の中にあった。
 あの頃から品行方正ないい娘だった彼女。その性格は二十年前の便箋に『未来の私へ』と
書かれた文字にも現れている。
『こんにちは。お久しぶりです。二十年後の私は、今どうしていますか? ……サトちゃん
とは上手くいってるのかな? ちゃんとこの気持ちを、伝えられたのかな?──』
 その文面を読む内に、僕はハッとした。
(これって……遠回しにラブレター、じゃないか)
 サトちゃんという呼ばれ方は今も昔も変わらない。仮に僕以外にその呼び方をする誰かが
その後できていない限り──少なくとも僕の記憶には無い──これは間違いなく、僕の事を
言っているのだと分かる。
(…………愛美は、あの頃からずっと……?)
 突き上げてくるものがあった。
 自惚れだと哂われてもいい。確かに此処には、少なくともあの頃の愛美には秘めた想いが
あったのだ。……正直写生ばかりしてあまり友人のいなかった僕を、そんな僕を仲間に引き
入れてくれたボス達の輪の中で、彼女はずっと慕ってくれていたというのか。
 恥ずかしさで身体中が火照る。いやそれ以上に強い後悔が僕を襲うようにも思えた。
 もっと、もっと早く気付いてやれていたら。もっと早く受け入れてやれていれば。学生時
代に「離れ離れは嫌だ」と泣きついて来たあの時よりも早く、彼女の思いに気付いてやれて
いれば……僕は、もっと長く彼女との日々を過ごせていたのではないか。
 もしかしたら、病でこんなにも早く逝ってしまう事もなかったのではないか──。
「……サトシ」
 ぐっとトーンの落ちたジュジュの声色。
 その呟きにハッと我に返って、僕はようやく気が付いたのだった。
 自分が、ボロボロと涙を零している事に。
「……ありがとね。マナミの為に、泣いてくれてるんだよね?」
 フッと笑ってそう言うジュジュ。だがそんな彼女も今にも泣きそうだった。
 僕は、何も言葉を返せなかった。涙でぼやけた視界をゴシゴシと上着の袖で拭い、彼女の
瞳の奥に溜めた涙を見て、ようやく僕は赦されたのかもしれないと思えた。
「これで、マナミも安心かな」
「……そうだね」「へへっ。だな」
「うん。マナミ、きっと天国で俺たちを見守ってくれてる。いや……ずっと今もサトシの傍
に居るのかも」
 他の仲間達も満足したかのように笑う。
 それがまるで愛美からの贈り物であるかのように思えて、
「…………ありがとう。本当にありがとう、皆」
 僕はくしゃくしゃになっていたであろう顔で、皆に深々と頭を下げる。
 ──ちょうど、そんな時だった。
(ん……?)
 パサリと便箋を握っていた手に何か別の感触がする。再び微笑ましく語り合う皆の視線を
ちらと確認してから、僕は改めて便箋の中を覗き込んでみる。
(……もう一枚、手紙?)
 そこには、先程とは別の手紙が収められていた。

「あ。パパ~♪」
「ふふ……お待たせ。帰ろっか、愛子」
 日もすっかり落ちて、僕は皆と別れて保育所に愛子を迎えに行っていた。
 室内で黙々と積み木を積んで遊んでいた愛子が、僕の姿を認めて嬉々として駆けて胸に飛
び込んでくる。僕はそんな一人娘の姿をたっぷりと愛でてやると、居残ってくれていた保育
士さん達に愛子と共に別れを告げて改めて帰宅の路に就く。
「きょうはおともだちいっぱいだった~?」
「うん。一杯いたね」
「ママも?」
「……そうだね。居てくれたかも、しれない」
 無邪気な質問に思わず苦笑していた。
 だが、そうした事で内心に暗雲を立ち込ませるのは……もうよそうと思う。
『──サトちゃん、そして愛子へ。貴方達がこの手紙を読んでいる頃、多分私はもうお星様
になっていると思います』
 二枚目の手紙は、明らかに一枚目よりも新しかった。
 そして文面に目を通して僕は確信をする。愛美は……何時の時期にこれを仕込んだかは分
からないが、少なくとも自身の病の重さを知った時にこっそりタイムカプセルの中にこの二
枚目の手紙を入れ直したのだと。
『サトちゃん……ずっと黙っていてごめんなさい。でも貴方にはずっと笑っていて欲しかっ
たから。私は貴方の描く絵が好きだったから。その絵を曇らせる原因を、自分で作ってしま
う事が怖かった……。身勝手かもしれないけど、許して下さい』
 許すも何も、謝らなければいけなければ僕の方だ。
 君の気持ちにも、病にもずっと気付いてやれずに残された時間をただ魂を削るように過ご
すしかなかったというのに……。
『私は、そう遠くない先に逝きます。だけど私は幸せでした。貴方と出会えて、想いを受け
止めて貰えて……。生まれ変わってもまた貴方達と出会いたい。家族になりたい。だから私
がいなくなっても落ち込まないで? 私をそうしてくれたように、サトちゃん……貴方の絵
には人を温かい気持ちにしてくれる力があるから。だから、その手から描く絵でもっと沢山
の人達を幸せにしてあげて下さい』
 買い被り過ぎだよ。今だってしがない絵描きだ。
 でも……嬉しかった。君は居なくなってしまったのに、まるでそっと背中に寄り添ってく
れているかのような──。
『サトちゃん、愛子。私は……貴方達を、ずっと愛しています──』
 きっと、愛美は自分が逝ってしまった後の僕らを案じていたのだろう。
 だからこんな手の込んだ事をしてみせた。という事は、今回のタイムカプセルの解封も彼
女がボス達にこっそり頼んでいた事なのかもしれない。
 直接言ってくれればいいのにな。
 だけど……これで良かったんだと、僕には思えた。
 それは声にした言葉は目に見えず消えてしまうけれど、文字に込めた想いはもっと長く残
しておけるからなのかもしれない。
 遺言なんて言い方はちょっと湿っぽいけれど、事実僕の中の哀しみの荒地は随分と綺麗に
して貰えた気がする。……他ならぬ、愛美自身によって。
「愛子」
「? なぁに、パパ?」
 手を繋いだ愛娘の体温を感じる。
 それは夜風の冷たさとの対比だけではないのだろう。ここに命の温もりが在る。
 失くさせるものか。彼女が残してくれた全てを、僕は守り抜く。
「……今度、絵を描こうか。ママと愛子の、二人の」
「ほんとう!?」
 妻が死んでから止まっていた絵筆。
 だけどもうそろそろ取り直してもいいんじゃないかな。愛子が自分と母というフレーズに
か、それとも僕が絵描き(しごと)を再開する事にか、嬉々として目を輝かせたのを横目に
見て、僕はクスッと苦笑いを零す。
「ああ……本当だよ。僕の、最高の絵にするよ。してみせる」
 愛子の握る手の温もりが強くなった。キャッキャッと喜ぶ無邪気な声が心地よい。
(そうさ。僕だって、残さなくっちゃね……)
 愛美……。君の姿をキャンバスに残すよ。
 君達への愛しさの記憶が、僕の中から風化してしまわない内に。
                                      (了)

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  1. 2011/07/17(日) 01:00:00|
  2. 二十年後の遺言
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  4. | コメント:0

自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
します。

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