日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(短編)炬燵の神様

 コンビニを出てふっと空を見上げても、やはり広がっているのは曇天の夜空だった。
 陽はとっくに沈み、時刻は深夜帯。
 小腹が空いた僕は近くにあるコンビニで温まれる夜食を買い求めた所だった。
 手には店のロゴ入りの紙袋が一つ。中にはほかほかの肉まんが入っている。
(やっぱり今日も雪かなぁ……?)
 鈍色の空からしんしんと落ちてくる雪。僕は首元に巻いたマフラーに顔を埋めながらぼん
やりと思った。
 じわじわと身体を蝕むような寒さ。
 確かにこの辺りは街とはいっても山間部寄りだ。しかし今年のこの寒波は明らかに異常で
あると言わざるを得ない。
 何故なら──もう季節はあと三週間ほどで四月になるからだ。
 いくらなんでも居座り過ぎている。別段北国でもないのに、この時期にもなって未だ人々
が厚着をしなければ寒くてやっていられないという状況は異様と言う他無い。
 一般には謎の大寒波。数十年に一度の寒気の張り出しが云々だという。
 実際、この奇妙な冬が「やけに長いな?」と思い始めた頃のメディアや僕の周囲も最初の
内はあれやこれやと仮説を立てては互いに不安を煽り合っていたが、人間の慣れというもの
は色んな意味で厄介なもので、今ではすっかり皆この寒波を「仕方ない」「当然のもの」と
して受け取って暮らす方向にシフトしてしまっている。
 とはいっても、こうして今でも冬シーズンの長期化で温かな肉まんを堪能できるのは恩恵
ではあるのかもしれないが……。それでも、こうして折に触れて意識しなければ今が異常な
寒波の中にあることすら失念してしまいそうではあった。
「……うぅ、寒い」
 だけど一人懸念した所で自分に何かできる訳でもない。
(早く帰ろう……)
 自然と吐き出る白い息を見つめてから、僕は改めて人ごみの中に分け入り家路を急ぐ。
 そこから程なくしてカツンカツンと金属質の足音。忙しなさげな街の通りから少し裏手に
入ったアパートへと僕は戻ってきていた。
 三階建ての簡素な見てくれ。如何にも安アパートといった風情だ(だからこそ僕のような
貧乏浪人生でも暮らしていける訳だが)。
 さぁ早く部屋に戻って暖房と肉まんで暖まろう……。
 そう若干内心楽しみにしながら、僕は部屋の鍵を開け、ドアノブを引いて──。
「おぅ。おかえり」
「……」
 先客が、いた。部屋の中の炬燵に下半身を潜らせて茶を啜っているご老人が一人。
 ぼとりと。思わず手にしていた紙袋が落ちる。
 あれ……部屋を間違ったかな?
 やけに親しげに顔を向けてきた彼を言葉なく見遣って数秒。僕はゆっくりと開けようとし
ていたドアをゆっくりと閉め直す。
(え? 何で? 何で知らないお爺さんがいるの……?)
 顔を上げでドア横の部屋番号を確認してみる。うん間違いない、僕の部屋だ。
 これは夢か幻か。ゴシゴシと目を擦って紙袋を拾い直してからもう一度ドアをそろ~っと
開けてみるが、
「? 何しとる。そんな所で突っ立っておると風邪ひくぞい?」
 やはり部屋の中には、変わらず炬燵でぬくぬくとしている見知らぬご老人が座っていて。
「…………」
 僕はぱちくりと暫く目を瞬かせていた。
 だが確かにこのまま玄関先に突っ立っていても埒が明かない。
 何だか丸め込まれそうな納得のいかなさを覚えながらも、僕は後ろ手でドアを閉めて鍵を
掛けてから、少々おっかなびっくりで部屋の中へ──このご老人の正面に陣取るように炬燵
を共にして座った。
「……あの、何なんですか? 駄目ですよ。勝手に人の部屋に入っ」
「おお? これは肉まんというものじゃな。一つ貰うぞい」
「……人の話聞いてます? というか不法侵入ですよ。分かってます?」
「むぐむぐ……。うん、中々旨いの。ほれ、お前さんも食べるとええ」
「……いや、元々そのつもりで買って来たんですけど」
 本来ならさっさと追い出すべきだったのだろうが、この時の僕は何故かそれができなかっ
た。彼に特に悪意があるようには見えなかった(図々しさと胡散臭さは満載だったが)し、
何よりもいきなりこの寒空の中に老人を放り出すのも気が引けたからだと思う。
 何となくこの奇妙な侵入者と一緒に肉まんを頬張るという変な構図。
 色々聞かなければならない事はあるだろうが、先ずはこの質問を投げ掛ける事にした。
「それで。お爺さん、貴方一体誰なんですか? いきなり人の部屋に上がり込んで」
「むぐん? そうじゃな……」
 大方近所のボケ老人か何かか。
 だが口の中の肉まんを咀嚼し終わった彼の返答は、
「自己紹介くらいはしておこうかの。儂はハナサカ。お主ら人間が云う所の“神様”じゃ」
 僕の予想の遥か斜め上を行っていた。

 結局、買ってきた肉まんの大半はこのご老人──自称『花咲きの神』よって平らげられて
しまっていた。
 色んなショックが綯い交ぜになってテーブルに突っ伏す僕の向かいで、ハナサカ翁はのん
びりと茶を啜っている。何で滅茶苦茶な事を言ってる本人じゃなくて、言われた僕の方がダ
メージを受けなきゃいけないのか……釈然としないが。
(……神様だぁ? やっぱボケてるのかな、この人……)
 突っ伏しながら考える。
 ボケ老人の徘徊が家に来た。現実的に考えればそんな所だと思いたい。さっきざっと部屋
の中を調べて回ってみても盗られた物が見当たらなかった事もあり、物取りの類──或いは
居直り強盗(にしては落ち着きすぎだが)でもないだろう。 
「儂はボケとらんわい。失礼な」
「ッ!?」
 だが次の瞬間、ハナサカ翁はわざとらしくむくれて見せながら突然そう言ってきた。
 まさか思考を……本当に神様だっていうのか? 僕は一瞬そんな事を思って驚き、思わず
顔を起こしたのだが、よくよく考えればなんて事はない。この状況で彼を“何処かオカシイ
ボケた老人”と捉えるであろう事くらい容易に想像できるのだから。
 一瞬でも騙されかけた自分が妙に恥ずかしくて、僕はきっと複雑な表情(かお)をしてい
たのだろうなぁと思う。
「……そう、みたいですね」
 だがそういう思考をできるという事は、少なくとも彼はボケているとは言えないのではな
いだろうか? それにそもそも確かに施錠してあった僕の部屋にどうやって……?
 僕は徐々に状況を整理しながらも、若干強くなった警戒心と共にこの謎の老人を見遣る。
「まぁ、儂もそうすぐに信じて貰えるとは思っておらんよ。何分今の時代、人間の信心は随
分と薄れてしまっておるしのぅ……」
 だが当のハナサカ翁はそう嘆くように呟いていた。
 どうやらあくまで自分が“神様”であるという自称は貫くつもりらしい。
「……信じる信じないも、突然部屋に上がり込まれた相手の言葉を真に受ける程僕はうっか
りしてませんよ」
「むぅ。固いのぅ……。儂ももっと“春が来れば”本領を発揮できるのじゃが……」
「はいはい。で、貴方のお住まいは何処です? 特に盗まれた物もないみたいですし、今回
は特別に見逃してあげますから……」
 だがこのまま彼の話を聞いていても埒が明かない。
 色々疑問は残るしやり逃げされた感はあったが、僕はとりあえず然るべき場所に引き渡そ
うと思い訊ねつつ、炬燵の中から立ち上がろうとする。
「──お主、今年の寒波をどう思う?」
 しかしその動作の途中で、僕は不意にそう放たれた言葉にピクリと反応するように身動き
を止めてしまっていた。
 中腰の起き上がりかけた姿勢からゆっくりと。この自称・神様を名乗る老人(しんにゅう
しゃ)を僕は怪訝半分興味半分で見遣る。
 彼はそれまでの飄々とした表情から一転、間違いなく真剣な気色を滲ませていた。
 起こしかけた身体を伸ばして見下ろし、僕は数伯間を置いてから答える。
「どうって……。そりゃあ普通じゃないですよね。今の時期も真冬みたいな天気が続くなん
てそう無いですし」
「そうじゃ。普通ではないんじゃよ。……どうも儂らの同胞が一枚噛んでおるようでの」
「同胞……?」
 その言葉に僕は引っ掛かった。
 自称・神様の同胞という事は、他の神様がこの所の異常寒波の原因だとでもいうのか?
 だがそれ以上に、意識に覆い被さってくるのはただの妄言──演技には見えないこの老人
ことハナサカ翁の悩ましげな表情だった。
「儂は花を咲かせる神──春を皆に運ぶ存在じゃ。儂個人だけでなく、このまま春が来ぬ事
態となれば世の中は大いに混乱するじゃろう」
「……ええ。それは、そうでしょうけど」
 いくら例年にない寒波といってもいずれは勝手に止んでくれるだろう。
 そう楽観的に構えていたのに、まるで彼はそれを否定するかのような言葉を紡ぐ。
 天気という人間の手が及ばない事象を何とか正そうとする。その原因が自分には分かって
いると語る。それはまるで本当に彼が“神様”であるかのような──。
(いやいや……。まさか、そんな訳ないじゃないか)
 引き込まれそうになって、そんな自分を哂ってみる。
 とりあえずこの老人の連絡先を聞いて、保護して貰わないと……。
「……ところで」
「うん?」
 だが僕はその前に一つ気になっていた事を訊いて見ることにした。
 理由なんてないのかもしれないけど、それでも妙に知りたくなったから。
「どうしてこの部屋……僕なんですか? 百万歩譲って貴方がこの寒波について何か知って
いるのだとしても、僕はそういった事には素人ですよ」
「ほっほっほっ。なぁに、それほど深い理由でもないわい」
 ハナサカ翁は白い顎鬚を数度手で扱くと、
「お主の名は“ハルキ”じゃろう? “春”の“喜”び……良い名ではないか」
 驚きで目を見開く僕を見つめながら、そう笑って答えたのだった。

「──むむぅ……」
 それから数日が経った。
 浪人生である僕はこの日も日課のように机に向かっていた。
 来週にはこの一年の成果を試すべき日が近付いている。本来ならもっと集中して最後の追
い込みをかけるべき時期、なのだが……。
「お~い、ハルキや。菓子が切れた。買って来ておくれ~」
「だぁぁっ! だからあれほど食べ過ぎないで下さいって言ったでしょう!?」
 ハナサカ翁は未だ僕の部屋に居ついていた。
「そう言われてものう……。こう寒いと何もできんしのぅ……」
「……色々と酷い神様だ」
 忘れもしない。
 あの最初の出会いの後、中々住所を吐いてくれなかった為、僕は翁をやむなく近くの交番
まで連行する事にした。
 だが……。そこで予想外の事態が僕を襲った。
『見知らぬお爺ちゃん? 何処にいるんです? え、目の前? 誰もいないじゃないか』
『君、警察官を相手に暇潰しとはいい度胸しているじゃないか。うん?』
 交番のお巡りさん(当時三名)の言葉。
 それはまるで翁が彼らには見えないかのような反応だった。
 暫し僕は懸命に事情を説明したのだが、翁の姿が見えていないのは変わらず、お巡りさん
達からの心証は益々悪くなるばかり。
 仕方なく、僕は翁をそのまま連れて引き返すしかなかったのだ──。
「大体神様を名乗ってるのなら食べ物の一つや二つ、出せないんですか?」
 自在に姿を消してしまえるという、常人でない特技。
 信じたくは無かったが、本当にこの老人は神様なのかもしれないと思った。
 実際当人も『これくらい朝飯前じゃて』と得意気に言っていたものだ。
「無理を言うな。神通力の内容は者によって異なるんじゃよ。儂は豊穣神ではないからの」
 ただ、神様だと言っても必ずしも万能とは言えないらしい。
 曰く「寒くて力が出ない」という事情もあるそうだが……。
「……はぁ、分かりましたよ。とりあえずまた適当にコンビニで見繕って来ます。今度はも
っと大事に食べてて下さいよ? 何度も言いますけど、僕だって勉強があるんですから」
「おう。宜しうな~」
 そうして妙な共同生活が続いていた、昼下がりの事だった。
「──春喜~、居る?」
 半ば急かされるように外出しようとしていた僕の耳に、呼鈴と聞き慣れた声が聞こえてき
た。ちょうど靴を引っ掛けていた僕はつい、条件反射的に「あぁ。居るよ」と応えて、
「やっほ。勉強捗ってる?」
「……はは。まぁちょうど気分転換に、ね」
 一足先に現役で希望の大学に通っている幼馴染を出迎えてしまう。
「もうっ……。大丈夫なの? 試験まであまり日がないのに」
「まぁどうにかなるだろう。一応努力はしてきたけど、世の中どう転ぶかなんて──」
 そして、その自分の言葉でようやく気が付いた。
(マズイ! 今は翁が……!)
 慌てて僕はその場で振り向いていた。
 お巡りさん達に見えなかったからといって、美由紀にも見えないとは限らない。
「……? どうかした?」
「えっ。あ、あぁ。何でも……はは」
 だがその心配はなかったらしい。明らかに室内でちょこんと座っている翁に、美由樹は気
付いている様子は見られなかった。翁自身もしたり顔でこちらに微笑み、若ぶってグッと親
指を立ててみせてすらいる。
「差し入れ持って来たよ。勉強もあるし、今の時期は外に出るのも億劫だからね~」
「そっか。ありがと。何時も悪いな」
「ううん……気にしないでよ」
 一先ずは安堵。そして内心手間が省けた。
 僕は差し入れの食料品やらをビニール袋に詰めて持ってきてくれた美由樹を何時ものよう
に部屋に通すと、二人(厳密には翁を含めて三人)で炬燵のテーブルを囲む。
「……? あ、外寒かったろ。暖房入れるよ」
「う、うん。ありがと」
 テーブルの上に投げ出されていたリモコンを手に取り、沈黙中の暖房を呼び起こした。
 次いで美由樹からの差し入れに早速手を出そうとしてた翁の機先を制し、僕はそのビニー
ル袋をサッと自分の手元に引き寄せると、軽く中身を検めてみる。
「これはまた、随分と買い込んだなぁ」
 袋の中にはどっさりと大量の食料品。特に保存の効くレトルト類が多く揃えてあるように
見える。そんな僕の呟きに、美由樹はちらちらと部屋の中を見渡してから言った。
「まぁね。こう寒いと春喜だって買い出しに出るのは億劫でしょ? ……それに今年の寒波
は異常だもの。何時終わるかも分からないし。実際、さっきまで行ってたスーパーでも私と
同じように買い溜めしようとしてる人もいっぱい見かけたしね」
「……そっか」
 気付けば何だかんだといってこの長続きしている冬に慣れている身だったが、こうして第
三者から周囲の状況を知らされると、改めて今年の寒波の異常さを思い知らされる。
「あ、そうだ」
 そうして僕が暫く無意識に眉間に皺を寄せて考え込んでいると、美由樹は続けてふっと何
かを思い出したように口を開いてきた。
「その寒波のことなんだけど、聞いた話じゃその寒波って北の山の方から流れてきてるらし
いのよね。でも地理的に不自然だとか何とかってテレビで言ってたんだけど……」
「ふぅん……。でもそれが原因になってるならそうなんじゃない? これだけ“異常”な天
気なんだし、その大元だって──」
 彼女からその話を聞いた時は、僕自身はあまり深くは考えていなかった。
 異常な寒波といってもそこにはやはり理由はある筈だろう。たとえそれも“異常”な要因
だとしても。だが……。
「うむ、間違いない。其処じゃ! 往くぞ、ハルキ!」
「えっ?」「……?」
 次の瞬間意気込んだ声で叫んだのは、すっくと立ち上がったハナサカ翁だった。
 そしてその言葉に思わず短い問い返しをしてしまう僕と、そんな僕の(傍から見れば一人
芝居に見える)反応に小さな怪訝を示す美由樹。
「──ッ!?」
 しかしそんな驚きは更に上書きされてしまう事になる。
 不意にその場で跳躍した翁の姿がスッと薄くなったかと思うと、彼の身体が僕の中へ吸い
込まれるように消えたのだ。同時に選手交替かのように、身体の支配権が奪われ意識の僕だ
けが何処か少し離れた位置で自分の身体を見つめている感覚に陥る。
『え? ちょ、翁? 一体何を……』
 幽体離脱? だが混乱よりも先ず僕は突然の翁のアクティブさに驚いていた。
 いきなりの事ではあったが、これが何なのか、僕には不思議と分かるような気がした。
 翁が──僕に取り憑いたのだ。
「……ミユキとやら」
「え? 春、喜……?」
 その間も翁の行動は止まらない。
 僕の身体の主導権を奪った(見た目は僕の)翁は立ち上がると真剣な面持ちで、驚きで目
を瞬かせている美由樹を見下ろして命令……いや、懇願する。
「その北の山とやらまで案内(あない)してくれい。この長い冬を、終わらせねばならん」

『……寒、過ぎるだろ?』
 そうして僕らは急遽雪の降りしきる中、街の郊外にある山へと分け入っていた。
 街の中では人や外灯がある分暖かかったのか、いざこうして山の中に身を委ねてみると改
めてその寒さが異常なものであると痛感させられる。
『というか、もう吹雪に近くないかこれ……?』
 降りしきる雪は大粒になり、風も強く吹き始めている。
 まだ若干足りない冬支度の重装備を身を包み、それでも僕(に取り憑いた翁)と美由樹は
白く覆われつつある山道を進んでいた。……いや、もう一人で戻るには危険が伴って引き返
せなくなっていると言った方が厳密なのだろう。
「春喜……一体どうしちゃったの? 急に山に登ろうだなんて」
「あ、いや、それは僕じゃなく──あ。戻った」
 僕は申し訳なく一応言葉にしようとしていたが、ちょうどその時、翁の憑依が解けたらし
い。フッと意識が身体にフィットし直す感覚と共に僕の眼には一人先へ歩き出す翁の後ろ姿
が見えていた。
「……?? 春喜、さっきから何を……」
「あ、ははは。何でもないんだ。その……さっき部屋で聞いた話が気になってさ。うん、気
になってね」
 やはり美由樹には翁の姿が見えていないらしい。
 怪訝な様子(それでも何だかんだ言って同行してくれた)で見つめ返してくる彼女に、僕
は曖昧な返事で言葉を濁すことしかできない。
 それに……翁という自称・神様と今回のこの異常寒波。
 傍目からは信じ難いかもしれないけれど、仮に一連の元凶がこの山にあるのならそれを確
かめてみたい。気付けば僕自身もそう思っていることに気付かされる。
「気配を感じる。近いぞい」
 そうして美由樹に作り笑いの苦笑を返していると、数歩先に進んでいた翁が呟いた。
 その声が聞こえる僕一人が振り向き、じっと風雪が強くなっている山の奥まった方向へと
視線を移している彼の後ろ姿を見る。
 翁は後ろ姿のまま、暫しその場で視線の先の何かを睨むようにすると、また一人白い道を
歩き出していってしまう。
「……と、とりあえずここまで来たんだし。行ってみようよ?」
「う、うん……」
 一応神様を名乗っているし凍死はしないだろうとは思いつつも。
 僕は、まだ戸惑いを残す美由樹の手をはぐれさせないように取ると、その後を追う。
「────うぅ、ううぅぅぅ……っ」
 変化は、ややあってやって来た。
 風雪の中から耳に届いてきたのは、すすり泣くような女性の声だった。
 ぎゅっと握り返す美由樹の手の力が強くなっていた。という事は、彼女にもこの声は聞こ
えている。僕の幻聴などではなかった。
(あれは……?)
 翁の後をついて歩いていくと、その先に人影が見えた。
 それは、全体的に青白い色彩の和服に身を包んだ──こんな雪山と化した場所には不釣合
いな一人の女性だった。年格好だけで見れば美由樹とさほど変わらないだろう。
 何故こんな所に? そんな疑問すらもすぐに立ち消える。僕の直感が告げていた。
 間違いない。彼女──厳密には彼女を中心として吹き荒れるこの冷たい風雪の渦こそが一
連の異常寒波の元凶であると。
「やはりお主か。深雪命(ミユキノミコト)」
 フッと身体の周りに揺らぐ波紋を伴いながら、翁が言った。
 飄々としたボケ老人ではない、それは“神”らしい威厳。
 その呼び掛けに、風雪を撒き散らせていた和服の女性・深雪命は涙を零した瞳で振り返る
と、渦巻く冷気と共に僕達の正面に立ちはだかる。
「何? 何なの、あの女性(ひと)? それにいきなり目の前にお爺さんが……」
 そして当然といえば当然の事ながら、美由樹は一人混乱していた。
 僕も全くの冷静だという訳でもなかったが、彼女ほどではない。大方いざ対峙するとなっ
て翁も自ら姿を見せたのだろう。とはいえ、それをこの場で彼女に説明している暇は無さそ
うでもあった。
「……貴方は確か、花咲命。何をしに来たというのです」
「愚問じゃな。分かっておるじゃろうて。お主を……止めに来た」
 既に二柱の神は対決の如く向き合っていた。
 神道(でいいのだろうか?)などには素人な僕にもこのピリピリした空気位は分かる。
 実際、周囲で吹き乱れる風雪はミユキ神の感情──苛立ちのような、悲しみのような起伏
に呼応するように流れを刻一刻と変えているように思える。
(……もしかしなくても、僕らってとんでもない場面に出くわしちゃったんじゃ……?)
「は、春喜……?」
 いざという時は美由樹を連れて逃げる準備をしないと。
 僕は半ば無意識に彼女を心持ち自分に引き寄せつつ、事の経過を見守ることにする。
「貴方には、関係ないわ……。帰って……」
「そうもいかんのぅ。儂は春を咲かせる者。春を待っておる人間達をこのまま困らせておく
訳にはいかんのじゃよ。その迷惑な暴風、止めてもら──」
「分かったような口を利かないでっ!!」
 だが次の瞬間、ミユキ神が涙目になって叫んだ。
 同時にドウッと衝撃を伴うほどの風雪が僕達を襲った。
 咄嗟に僕は美由樹を庇うようにして踏ん張る。しかしその傍らで突風に吹き飛ばされた翁
が雪の地面を転がっていくのが見えた。
「翁っ!?」
「……大丈夫じゃ。しかしやはり不利じゃのう。こう寒さが強い場所では満足に力も出ぬ」
 思わず僕は叫んだが、翁はのそっと立ち上がるとあくまで冷静に呟いていた。
 しかしその表情はやはり厳しいものがある。
 本当に……彼が春の神様だとすれば、これほどアウェーな状況もないだろう。
 僕と、そして呆気に取られている美由樹の見守る中、翁はまた風雪を纏うミユキ神の方へ
と歩もうとする。
「何よ……。皆寄って集って、私を邪魔者扱いして……」
 対するミユキは身体を震わせて涙を零していた。
 違和感。吹き付ける風雪を手の庇でしのぎながら、僕はどうにもちぐはぐな翁と彼女、両
者の“温度差”に内心首を傾げてしまう。
「どうせ、どうせ、私なんて男にモテないのよ~!!」
『は……っ?』
 だが、次の瞬間一層強い風雪を吹雪かせる彼女の言葉で、ようやく僕らは理解した。同時
にそれまでの厳粛な緊張感が音を立てて崩れるのが分かった。
 まさかこの女神(ひと)、失恋のショックで暴れてるのか──!?
 驚きというか呆れというか。
 僕も美由樹も、そして翁も僕ら三人はおんおんと泣く彼女を白い眼で見てしまっていた。
 冗談じゃないよ……。そんな私情でこんな異常寒波を呼び出されていたなんて……。
 ガクンと力が抜けたようになり、苦笑する僕。
 美由樹も何となく事情を察し始めていたようで、そんな僕と顔を見合わせて同じく複雑な
表情を浮かべている。
「……またそれかい。相変わらず気の多い女子じゃのう」
「うぅ……っ。貴方には分からないわよぉ……」
 しかもやり取りからして、こうした経験と発散行為は以前にもあったようで。
 困ったといった様子の翁の横顔を、僕らもただ打つ手なく眺めて苦笑するしかない。
「それに! 何? 人間のカップルまで連れてきて! 私に見せつけようってわけ?」
「えっ」「……ッ」
 だが今度は思いも寄らぬとばっちりが来た。
 ミユキ神は涙目になりながらビシリと人差し指で僕らを指し、もう威厳も何もない鬱憤を
ぶつけてくる。
「あ、いや。別に美由樹は幼馴染で。そういう訳じゃ……」
 とはいえ流石に神様(多分)に睨まれるのは嫌なので、僕はそう正直な所を説明する。
「……」「怪しい……」
「な、何でそうなるんですか!?」
 しかし何故だろう。却って睨まれる人数が増えている気がするのだが……。
「そ、それに……」
 だから僕は、この時もう既に自分でも自制できていないような言葉の羅列の中にいたのだ
と思う。神様だって失恋する。その例が目の前にいる。だったら人間と同じような感覚を、
彼女も持っていてもおかしくは無い筈だと思った。
「一度や二度振られたからって、そんなに悲観する事なんてないんじゃないですか? 確か
にショックはショックなんでしょうけど、大事なのは納得できる結果でしょう? 僕達人間
よりも貴方はずっと長い時間を生きられるんですから。もっと素敵な人だって見つけられま
すよ。きっと。世の中は広いんですから」
「……そう、かしら?」
 はらりと。儚げなミユキ神の表情が、澄んだ両の瞳が、僕を見ていた。
 そんな不意に見せた彼女の艶に、
「え、えぇ……そりゃあもう。綺麗な女神様なら」
 思わず僕は内心とぎまぎしながらも、そう慰めるつもりで返答を返す。
『…………』
 だが、何だか妙だった。
「ほっほっほっ。やるのぅ、ハルキよ」
「むぅ。春喜の、馬鹿……」
「ハルキ……。そっか。ハルキっていうのね、貴方……」
 気付けば生温かいほくそ笑んだ翁の視線。
 傍らからじっと睨んでくるかのように、ぶすっと不機嫌そうな美由樹の視線。
 そして何より、何だか妙に熱っぽく僕を見つめ返してくるミユキ神──。
「……??」
 三者三様の違和感のような視線が僕に浴びせられている。
 何時の間にか、吹き荒れていた筈の風雪は……ピタリと止んでいた。

 ──結論から言うと、一連の異常寒波はその日を境にピタリと終息を迎えた。
 雪に塗れていた街も徐々に差し込んできた春の陽気に溶かされ、今ではすっかり季節相応
の姿を取り戻しつつある。
「……あ、あった!!」
 そんな遅咲きになった桜並木の下で、僕は掲示板に張り出されていた自分の受験番号を見
つけることができた。
「本当? うん、本当だ。良かった、良かったよぉ~……」
 合格発表の人ごみ。
 その中で、僕と付き添ってくれた美由樹は互いに合格した喜びを分かち合う。
「当然ね。私の加護があれば合格の一つや二つ……」
 いや──正確にはもう一人。青白い和服から洋服に身を包んだ深雪さんも加わって。
「何言ってるんですか、春喜の努力の賜物ですっ。第一ユキさんにそういう御利益があるん
ですか? 冬は春(ごうかく)とは逆だと思いますけど」
「愚問を……。愛は全てを可能にするのよ。ね~、ハ・ル・キ?」
「ッ!? ちょっと、ユキさん。勝手に腕組まないでよ~!」
「……いや。どっちも離れてくれないかな? ただでさえ人ごみの中なのに……」
 もう一度結論を付け加えると、何故かあの日以来、ミユキ神こと深雪さんが僕の部屋に居
座るようになった。
 神様の居候は翁である程度慣れていたとはいえ、どうにも事あるごとに美由樹と喧嘩状態
になる為、頭痛の種もまた一つ増えたと言えるかもしれない。
 ざわつく人ごみの中で美由樹と深雪さんが僕の腕を引っ張り合っている。そんな僕らを周
りの他の受験生らが見遣っているのが分かる。
「勘弁してよ……」
 どうにも恥ずかしいやら、周りに迷惑をかけしまって申し訳ないやら。
 春は新しいものを連れてくる。合格の喜びも、厄介な頭痛の種も一緒くたに。

「…………」
 そんな遠く離れた春喜らの姿を、彼の部屋に一人残っていた翁はぼんやり浮かぶ球体の中
の映像から見守っていた。
 あの日初めて彼と出会った際に暖を取っていた炬燵も、暖かくなった今は押入れの奥に片
付けられてさっぱりとしたテーブルだけになっている。翁はその四角の席に着いて静かに茶
を啜りながら穏やかに注ぐ春の気配を感じていた。
 長い冬は終わった。もう、大丈夫だろう。
 季節は移ろう。その連綿たる時の流れが人々を育む。
 変わらねばらない。変わるべきなのだ。人間も我々も。
 そして神が人に敬われて当然という時代も、もう過去のものなのかもしれない。
(……じゃが、最後に良いものを見せてもろうた)
 フッと翁は一人静かに笑う。
 自分を何だかんだといいながら受け入れ、そして長き冬を終わらせてくれたあの者の心意
気。当人は無自覚であろうが、あの者には特に良き春を咲かせてやらねばと思えた。
 そっと空いた手を開いてじっと見遣る。
 寒さの中で閉じ込められていた力が漲っているのが分かる。
 春が来た。自分の本来の力も、今なら出せるだろう。……もしかしたらもう、彼には要ら
ぬ節介なのかもしれないが。
「ふっ──」
 サッと手を振ると、翁の周りにふわりと無数の花弁が舞った。
 桜。春を告げるこの国の象徴。
 飲み干した湯飲みをそっと卓上に置き、彼は心底穏やかな老人の微笑みを浮かべる。
「……良かったのう、ハルキ。お主にもちゃんと『春』はやって来たぞい」
 僅かに部屋に反響して消える、花咲命の声。
 次の瞬間、その姿ははらりと舞い散る桜の花弁の中で掻き消えていたのだった。
                                     (了)

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  2. 炬燵の神様
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自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
します。

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