日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(短編)丸の代償

 その日、とある二人の若い男女が夫婦になろうとしていた。
 場所は市内にあるメモリアルホール。
 その一間を借り切った分厚い出入口の扉には『羽角家・田丸家 御両家結婚披露宴会場』
と書かれたプレートが下がっており、中からは既に司会と思しき人物のマイク越しの声が聞
こえて来る。
『それでは早速登場して貰いましょう。新郎新婦、入場です!』
 シックな調度品と白いテーブルクロスで設えられたホール内で、扉が開いた瞬間、出席者
達からの大きな拍手が響いた。
 歩いて来るのは、軽く髪を撫でつけ白い礼装を纏った新郎の青年。その手を握った小柄だ
が可愛らしい純白のドレスの新婦の女性。そして彼女のもう片方の隣で、既に涙ぐみ始めて
いる父親らしき壮年の男性だ。
 バラード調のBGMが流れている。薄く照明が落とされた中、彼らにスポットライトと眼
差しが一心に向かう。
 それとないスタッフの先導もあり、三人は複数の円卓の中を通り抜け、奥の新郎新婦席へ
着いた。娘と無言の頷き合いを交わし、新婦の父は周囲の視線に緊張気味になりながらも妻
らの居るテーブルへと戻っていく。
『ありがとうございました。ではこれより、羽角・田丸御両家による結婚披露宴を開始した
いと思います。本日は皆さま、お忙しい中ご出席いただき有難うございます。高い所より僭
越ではありますが、先ずはご出席いただいた皆さまの軽いご紹介から始めさせていただこう
と存じます』
 ぺこり。折り目正しい司会役──式場のベテランスタッフの饒舌なトークが始まった。
 マイク越しに一人、また一人と彼は各テーブルの出席者を紹介していく。新郎及び新婦の
家族に始まり、それぞれの職場の上司・同僚、そして友人に至るまでのその詳細は的確且つ
時に軽いユーモアすら交える余裕すらある。
『……有難うございました。では次に、本日の主役である新郎新婦・羽角さんと田丸さんに
ついてのご紹介をしたいと思います』

 ──新郎・羽角慧と新婦・田丸美也は中高の同級生だった。
 とはいえ、元々二人の間にはそう多くの接点は無かったという。ただ学年が一緒、クラス
が同じになった。そんなありふれた、ややもすればそれ以上でもそれ以下でもない曖昧な記
憶のまま、時の流れと共に風化していくのが常であるような関係性でしかない。
 だが切欠は、高校に上がって程なくして起こった。
 入学間もなく右も左も分からない美也を、如何にもといった風貌の先輩男子らが取り囲ん
だのだ。
 もう駄目だと思った。もっといい所に頑張って進めばよかった。
 ……しかし、諦めかけてぎゅっと目を瞑った次の瞬間、脳裏に過ぎった結末は文字通り吹
き飛ばされてやって来なかったのである。
『おい。いつまで目ぇ瞑ってる』
『え……?』
 そこに立っていたのが、慧だった。頬や腕に擦り傷や打撲を負いながらも、彼はこの年上
の不良達をたった一人でノしたのだった。
 羽角君。彼女はそこでようやく彼についての記憶に突き当たる事となる。
 喧嘩っ早くて危ない人、荒っぽい、不良──。
 平々凡々。料理好きである事以外特に取り得もない女子学生たる彼女にとり、この出会い
はすぐにでも忘れてしまいたいものである筈だった。自分とは生きている世界が違う人だ。
そう思い、この時は半ば怯えて逃げるようにして場を去ってしまったのだが……。
『──聞いたか? 今年入った一年に、伴野(ばんの)達をボコった奴がいるんだってよ』
『は? マジかよ。馬っ鹿だなあ。学校一の狂犬にいきなり喧嘩売るとか……』
『あ~あ。相手が悪過ぎだろうに。そいつ、この先まともな学校生活送れねぇぞ……?』
 所詮は閉ざされた空間だ。噂はあっという間に広まっていった。
 学校一の暴れ者に手を出した奴がいる。
 事実、その伴野本人は敗北の二文字を刻まれて怒り心頭。平素以上に暴れ散らし、生徒達
は恐れをなしてこの余計者の噂をし、同時に厄介だと陰口を叩いた。
『……何だよ、お前みたいなのが来る所じゃねぇぞ』
『分かってるよ。あの、羽角君……だよね? 聞いてるよ? あの時の先輩、血眼になって
あなたを捜してるみたいだよ?』
 少なくとも、自分が黙っていればそうすぐには巻き込まれないと思った。巻き込まれたく
ないと我が身を可愛がっていた。
 だが美也は普通の子であった。だからこそ原因が自分にある自覚がある以上、じっと嵐が
過ぎ去るのを待つだけなど耐えられなかった。
 普段話さないような女子にも、ひいては男子にも、こっそり慧の事を聞いて回った。そこ
で彼がやはりいわゆる不良のレッテルを貼られている事も、昔から何を考えているか分から
ない一匹狼である事も美也は知ることとなる。
『らしいな。そん時はそん時だ。つーか、そこまで知ってるなら何で顔なんか出す? 奴ら
に見つかったらお前こそ詰みだぞ』
『……』
 だから、逃げたくなかった。実際こうして再び会いに来て、確認した事がある。
 この人は──優しいんだ。確かに見た感じは荒っぽいし、事実手を上げている訳だけど、
もしかしてあの時あの場所で先輩かもしれない彼らと拳を交えたのは、他でもなく自分の事
を助けようとしたからなんじゃないか……?
『クラスに戻れ。お前まで不良扱いされるぞ』
『……やだ』
『あ?』
『やだ。私は恩人に何もしないまま、見捨てるような人間になんてなりたくない』
 それからだ。二人の奇妙な関係が始まったのは。
 先ずは追いかけっこ。屋上から校舎裏、学校のあちこちでフける慧を探し出してはお説教
し、美也はこれを咎めるという日々が続いた。手当だってした。というより、あれだけ一対
多数で喧嘩をしたというのに、彼が手当の一つもしていなかった事に美也は驚きと呆れを隠
せなかった。止めろ、触るんじゃねぇ……。だが彼女はそんな彼のつっけんどんな態度にも
めげず、応急セット片手に彼を裏庭の上に寝転ばす。
 だからなのか、次第に慧も大人しくなっていった。最初こそ美也を突き放し、遠ざけよう
としていたが、妙に意固地になってしまった彼女をもう彼は止める事もできず諦めてしまっ
たようである。
『──ねぇ美也。あんた、羽角君と付き合ってるって本当?』
『止めときなよぉ。あいつ、中学の頃から不良で通ってたじゃん?』
『噂だけど、入学したての頃に伴野先輩を殴った本人だって話だし、関わらない方がいいと
思うのよ。ね? 美也の為なんだよ?』
 そして当然の流れというべきか、二人の様子に尾ひれはひれが付き始めた頃、美也は友人
達にそう窘められていた。口調は友を案ずるといった感じだが、おそらくその実は自分達が
巻き込まれないとした保身が働いていたのだろう。
『……ごめんね。でも私、慧君はそれほど悪い人じゃないと思ってるよ。……あの時、伴野
先輩達から私を助けてくれた。本当に自分さえよければいいなら、無視されてた筈だもん』
 色々な事があった。
 そうして彼を庇った事で去ってしまった(元)友人もいたし、教師から直接呼び出されて
詰問された事もある。平々凡々。確かにそう評していた自分が、少しずつ壊れていくのを感
じていた。
『──言わんこっちゃない』
 だから、嬉しかった。
 そうして自分と彼との情報が広まって三月。遂に伴野達に身元がバれ、再びあの時の意趣
返しとばかりに廃倉庫に連れ込まれた時、慧は駆けつけて来てくれたのだ。たった一人、お
そらく「田丸を巻き込むな」「疫病神なんだよ」などと別の格好で彼も周囲から迫害受けて
いたであろう筈なのに。
『はは……本当に来やがった! 馬鹿だなぁ。女一人、放っておきゃ助かったものを』
『馬鹿はてめぇらだろ。糞野郎』
『あ?』
『んだと、ゴラァ!?』
 ボキリ……。たった一人、数人掛かりの敵に慧は拳を鳴らして呟く。
『借りのある奴を見捨てるほど、俺は落ちぶれちゃいねぇよ』
 その時の乱闘は、今も美也の瞳に焼き付いている。
 散々に殴られた。蹴られた。なのに彼はまるで弱る気配もなく、終始強く強くブレない瞳
で伴野達を再び叩きのめしたのである。
 当然、この一件は学校でも大問題となった。喧嘩を起こした慧を──これぞ好機と伴野達
をもろとも退学処分にしようとした教頭達。美也の正義感は凡人のそれを突き抜けた。
『ふざけないでください! あの時も今回も、慧君はただ私を守ろうとしてくれただけなん
ですっ!』
 随分と迷惑を掛けてしまった。学校はともかく、親や友人達にも。
 結局、処分が取り消される事はなかった。実際暴力に訴えたという事実は消えないのだか
ら、無理からぬ事かもしれないが。
 それでも美也は晴れ晴れとしていた。慧が退学処分を受けたちょうどその日、自身も退学
届を教頭に叩き付けて学校を辞めてしまったのである。
 ……とはいえ、ただ感情だけで動いていた訳ではない。父とも相談し、慧についての真実
も包み隠さず話し、二人でまた新しい学校に通えないかとあちこち手を尽くしたのだ。
『──ああ、違う違う。ここの数式はこの公式じゃないと……』
『むぅ? そうか。やっぱ分かんねぇなあ……』
 それでもやはり喧嘩が元で退学という履歴は思いの外ダメージとして大きく、特に慧の方
は最終的に通信制の高校を出る事でようやく落ち着いたのだが。
 とにかく、以来二人はお互いに支えあいながら、二人三脚で歩んできた。
 ただのクラスメートから相棒に、恋人同士に、男女の仲に。
 勿論、この日こうして結婚を迎えた二人を説明するのにそう全て正直に語られる訳にはい
かず、式場スタッフの側も中々どうして苦心したそうだが。

『──と、こうして二人は強い絆で結ばれ今に至ったと聞いております。正直在学中はとん
だ教え子達だったなと思っておりましたが、こうして見事荒波を乗り越え、一つになろうと
しています。これほど、嬉しい事はない……』
 新婦側主賓・当時の担任教師の祝辞が終わりかけ、当の本人は思わず涙ぐんでしまう一幕
があった。出席者達が、美也が苦笑いする。その隣で、やはり今もクールな性格は変わらな
い慧は、静かにポリポリと頬を掻いて気持ち視線を逸らしている。
 新郎新婦、かくして双方主賓の祝辞が滞りなく終わった。
 確かに一癖も二癖もある出会い、愛のエピソードではあるが、それでもこの場に招待され
た親族・職場関係・友人達は二人の事をよく知っているため、寧ろかつての初々しい二人を
懐かしんでは気持ちからかう、心温まる一時となって久しい。
『それでは皆さん、お手を拝借。このめでたき良き日が続きますよう──乾杯』
『乾杯~!』
 されど、堅苦しい挨拶が一通り済めば、もうそんな気安い内心を隠す事もないだろう。
 司会者の音頭と共に皆々がグラスを合わせ、料理が運ばれていくにつれ、慧・美也を含め
た皆の談笑には大いに花が咲いていった。
 ちょっと奮発した、フレンチのフルコース。家族や友人、職場の同僚らがこれら美食に舌
鼓を打ち、ケーキ入刀する二人の周りには写真を撮るべく多くの者が集まり取り囲む。
「おめでとー、美也」
「しっかしあの危なっかしい交際がこうもゴールしちゃうとはねぇ……。妬けちゃうなあ」
「あはは……」
「ほらほら、羽角君もこっち向いて~? 愛しのハニーとツーショットツーショット」
「~~ッ」
 わいわい。暫くして雑談も大きな峠を越し、新郎新婦席には美也の学友達がからかい半分
でそんな事を言いながらカメラ片手に集まっていた。
 着慣れぬ白い礼服に身を包んだまま、慧の顔は真っ赤だ。それをまた、彼女達やかつて喧
嘩で遊び暮らした彼の旧友らがにやにやと見遣っては、互いに肩を組んで笑う。
「──」
 だが、そんな時だったのである。
 旧来の縁の下、再び集まり、束の間の宴に酔う彼らの下に一人また新たに青年が歩み寄っ
て来た。地味な黒い礼服に身を包み、髪は長めのばさつき。だからかその表情は妙に陰を作
ったようにして隠れている。
「あ、ああ。美也、こっち」
「う、うん……」
 慧が美也を、今日から妻となる女性(ひと)を抱き寄せる。キャー! と女性陣が黄色い
声を上げながら激しくシャッターを切っている。
「? 貴方は」
「……。お前、まさか」
 その瞬間だった。ダンッ! 残り一メートルもない距離を駆け、青年は振りかぶった袖口
から抜き身のナイフを取り出し、慧の胸に飛び込んだのである。
 会場が凍り付いた。美也が、慧本人が、見開いた目からその生気を失うが如く揺れる。
「い、いやぁぁぁぁぁーッ!!」
「とっ、取り押さえろ! 抜け、ナイフを抜け!」
「畜生! 馬鹿野郎! つーか誰だよ、てめぇはッ!?」
 どうっ。テーブル越しに叩きつけられ、机上の装飾をぶちまけながら青年と慧は倒れた。
 美也は突然の事に悲鳴を上げて取り乱し、女性陣も彼女を止めたり自身も狼狽したりと決
定的な行動が取れない。代わりに逸早く動いたのは、スタッフでもなくかつて彼と不良を演
じていた旧友(とも)達だけだった。
「……。四ツ谷、か」
 彼らに青年──四ツ谷が羽交い絞めにされる。その見下ろす、憎しみの眼を虚ろな目で見
返しながら、当の慧は白い礼服の腹にじわじわと赤い染みを静かに広げていた。
「四ツ谷? 中学ん時のひょろひょろ野郎か!?」
「つーか呼んでねぇだろ、こいつは。俺達の側は基本、高校以降も一緒だった連中に限って
る筈だし……」
「離せっ! 離せぇッ!! お前は、お前だけは許さない! 絶対に……許さないッ!!」
 三人・四人、数人掛かりで押さえ込む。
 四ツ谷はもがいていた。逃れられぬと何処かで理解していようともその殺気を留める事は
決して無かった。
 絨毯の上に慧の血で染まったナイフが転がっている。
 まるで獣のようだ。場にいる者達の何人がそう思っただろう。
 被害者だ。場にいる者達の一体何人が、彼がかつて慧ら不良達に“苛められていた”少年
だと思い出せていただろう。
「……お前らの所為で僕の人生は滅茶苦茶だ。もうまともには戻れない。なのに、何でお前
が先に結婚なんてしてるんだよ……? 何勝手に、幸せになろうとしてるんだよ……?」
 美也が青褪め、今にも気絶しそうな中で友人達に支えられている。
 慧はじっと赤が止まらぬ傷口を押さえ、虚ろに荒くなる息のままこの旧友を見ている。
「認めないぞ! 僕は認めないぞ! てめぇ、手前が丸くなる為に、一体どれだけの人間を
犠牲にしたと思ってるッ?!」
 烙印は消えない。
 どれだけ清算した(けした)心算でも。
                                      (了)

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  1. 2015/07/29(水) 00:00:00|
  2. 丸の代償
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(短編)白い花束

(ん……?)
 その日、伊達は自宅アパートの郵便受けにそれが差さっているのを見つけていた。
 休日、ふらっとパチンコから帰って来てアパートのエントランス。各部屋への郵便箱が並
ぶ壁際のそこに、間違いなく自室へのそれがある。
「……。またか」
 呟きながら、伊達は眉根を寄せた。カツカツと靴音を鳴らし、自身の部屋番に差さってい
るそれを抜き取る。
 小さな花束だった。根本を真っ白な紙で包まれた、真っ白な菊の花束だった。
 片手にしたまま、辺りを見渡す。路地を入った立地ということもあるが、休日だというの
に通り掛かる人影は酷く疎らだ。
 自転車に乗ったおじさんが通り過ぎながら、こちらを小さく怪訝そうに見遣ってくる。
 伊達はさっと目を逸らした。……あのおっさんでもないよな。手の中には花束が、差出人
不明の花束が握られている。

「おかえりなさい。もうそろそろお昼だけど、食べるわよね?」
「ああ」
 にわかに重くなった足取り。
 廊下を曲がってエレベーターを経由し、伊達は自宅に戻って来た。ただいま……。小さく
呟いただけだったが、キッチンにいたらしい妻は耳聡くひょいっと顔を見せてはそう自分に
訊ねてくる。
 隠そうかと思った。そっと、先の花束を背中の陰に隠そうとする。
「……あなた。それ……」
「あ、おう。さっき、郵便受けに突っ込んであった」
 だが彼女は目敏くも、そんな伊達(おっと)の挙動を見逃さない。
 明らかに嫌な表情(かお)をしていた。伊達はなるべく何でもないという感じでもって伊
達は打ち明ける。
 しかし笑ってやり過ごせるものではなかった。
 この白い花束は、何も今に始まった事ではないのだから。

 ──最初は、いつの頃だったか。
 そうだ。ちょうど息子が生まれた年だったと思う。
 初めて授かった待望の我が子。伊達は産後間もなく妻と話し合い、健太と名付けた。
 決して裕福という訳でもないが、幸せな時間だった。昔は自分も結構にやんちゃではあっ
たが就職もし、結婚も出来た。尤もそれは同時に昔──学生時代の記憶が徐々に風化してい
く事とニアリイコールではあったが、当初はあまり気にも留めなかった。
 実際、本格的に社会人となっていく中で、過去の思い出に浸っていられるような時間は限
りなくゼロになる。それが大人になる事なんだと思った。
 日々に埋没して、生計を立てて。
 今は自分だけじゃなく(共働きとはいえ)妻もいる。息子もいる。だんだんそれが当たり
前になっていった。毎日の中心になっていった。
 決して裕福という訳ではない。だがほっこりとした幸福であった……筈だ。
『菊の、花……?』
 だがそんな自分達の日常を誰かがみていると分かったのは、それから程なくしてからだ。
 あの日も、妻と当時赤ん坊だった息子が無事退院し、自宅に戻って来た日、同じように郵
便受に差してあったのだ。
 お祝いでもない。それらしいメッセージカードもなければ、差出人すら確認できない。
 何よりチョイスが非常識だった。真っ白な菊──小振りながら輪菊の花束だったからだ。
普通、この体裁の菊は「お供え用」の筈だ。死者に手向ける。はっきり言って、子が生まれ
たばかりの家庭に贈るにはあまりにもナンセンスな選択である筈だ。
『何なの? 一体誰が……』
 そうエントランスに長居したためだろう。息子が愚図り始めた。
 我が子を抱きかかえる妻が、それをゆっくり揺らしながら眺める。伊達はそんな妻子を横
目に見ながら、怪訝に手の中に収まった花束(それ)を見つめることしかできず──。

「またなの……? ねぇ、一体何なのよ」
「知らん。俺が聞きてぇよ。ったく、これで何回目だ……?」
 以来、この差出人不明の菊の花束は何度も伊達家に届けられることになる。
 気味悪くて焼き捨てた、忘れた頃に、また一束。忘れた頃に、また一束。
 何度か犯人を見つけようと思ったこともある。エントランスの郵便受けを張ってみたこと
もあったし、不動産屋やアパートの管理会社に苦情を入れ、監視カメラの一つや二つでも設
置して貰えないかと頼んだこともある。
 だがこちらが待ち伏せても犯人(あいて)は現れなかった。監視カメラの件も、他の住人
から不満が出る、経費は出してくれるのか、ひいては特に実害はないんでしょう? などと
言われて事実上の門前払い。
 結局、耐えるしかなかった。
 息子が生まれてから今年で十七年。何度も何度も、伊達と妻は、この正体不明の花束に惑
わされてきたのだ。
「……まぁ、今更か。捨てるぞ。新聞紙をくれ」
 だから妻の明らかな不安──不満げな表情と言葉にも、伊達はただぶっきらぼうに答える
しかなかった。
 確かに、実害はない。しかし現に気分は悪い。
 小さく舌打ちをし、されど惑わされては未だ顔も知れぬ犯人の思う壺だと思い、伊達はぐ
しゃっと手の中で花束を握り潰しながら妻にそう言った。彼女も彼女で「ええ」と一旦火を
掛けていた鍋の前から離れ、部屋の隅に袋詰めされ積まれていた古新聞を一部、こちらに手
渡してくれる。
「あ、帰ってたのか。親父」
 そんな時だった。ふと奥の廊下から足音がし、一人の少年が顔を覗かせた。
 あれから十七年の歳月が経った一人息子、健太当人である。
 すっかり背も伸び、かつての伊達に似てふてぶてしくなった顔立ち。見れば肩に小振りの
鞄を一つ引っ掛けている。
「ん? ああ、少し前にな。……出掛けるのか?」
「ああ。遊びに行って来る」
「お昼は? もう少ししたらできるけど」
「んー、いいや。向こうで適当に食う」
 行ってきま~す。伊達が、妻が問うてくるのをこれも何時ものようにいなし、彼はとてと
てと出て行ってしまった。玄関の扉が一度開け放たれ、やがて再び自動的に引き寄せられて
ガチャンと閉まる。
 伊達は妻と何となく顔を見合わせていた。
 その手には先の花束。何となく反射的に彼から隠すようにしてしまっていた。
 結局今も、あの子にはこの不審物の事は話していない。少なくとも自分が生まれてきてか
ら始まった事だと知れば、気を揉ませてしまうだろう。尤も成長した今、そこで陰鬱に心折
れるような性分の子ではないが……それはそれで、逆に知ったからこそ自分で犯人を捕まえ
ようだなんて動き出しそうで怖い、という心配も何処かではあったのだろう。
「……好都合だな。今の内に始末しとくよ」
「ええ。それがいいわ。……?」
 なのに、改めて捨てようとした矢先、ふと妻(かのじょ)は気付いてしまったのである。
 伊達はその気配に、頭に疑問符を浮かべて肩越しに振り向いた。
 片手にはコンパクトになるよう既にへし折った白菊の花束。もう片手には、包むように遣
り始めていた新聞紙。
「どうした?」
「えっ? ええ……ちょっと、気になって」
 思い過ごしかも、しれないけど。妻は言った。
「ねぇあなた。その花の数……前の時より減ってない?」


(うーん……)
 息子が抜けた夫婦二人で昼食を摂り、居間でぼうっと横になる。
 伊達は改めて難しい表情(かお)をしていた。フローリングに敷いたカーペットの上で何
度も転がり、往復する。
 菊の本数が、減っている?
 妻にそう言われた時、ざわっと胸奥が言いようの知れない不安に襲われるのを感じた。
 正直、自分では覚えていない。今までずっと、あの花束が届く度に自分は目の前の不気味
を捨て去ることばかり考えていたのだから。
「……八本」
 あんな事言われて、何となく捨てそびれた新聞紙上の花束を部屋の片隅に、呟く。
 言われてみればそうかもしれない。一番最初に届いた時は、もっと多かった……ような。
 だがそれが何だというのだ? 何か意味があるというのか?
 それなら直接メッセージでも何でも書いて寄越せばいいじゃないか。なのにそれをせずに
毎回毎回、名乗りもせずに贈りつけてくる。……いや、多分犯人自らがこっそりうちの郵便
受に差しに来ているのか。
(分からん……)
 ごろり。また寝返りを打った。すると視界には、壁掛けのカレンダーが映り込む。
「……ああ。そういえば今日は健太の誕生日だっけ」
「そうよー? だからお昼ぐらいはって思ったんだけどね。まぁ、夕飯はちゃんとお祝い用
のご馳走にするから、それまで帰って来てくれればいいんだけど……」
 呟く言葉に阿吽のタイミングで答え、妻がやって来た。どうやらお茶を淹れて来てくれた
らしい。トン……。テーブルの上に二人分の湯飲みが置かれる。
「誕生日に、か。犯人の野郎、健太に何の恨みがあるってんだ」
 ぶつぶつ。加えてそんな事をぼやきながら、伊達は起き上がり茶に口を付ける。
 内心の苛立ちを少しでも抑えよう。そうだよ。嫌がらせ程度なら、別に……。
「……。おい」
「? なぁに?」
「一応訊いてみるが、前に花束が来たのって、もしかして去年の今日じゃないだろうな?」
「えっ? そうなの? どうだったかしら。そこまでは覚えてないわ。でも、間隔って大体
一年(それ)くらいよね……」
 みるみる妻の顔色が悪くなるのが分かった。苦笑しながら湯飲みを手にしているが、僅か
ながらもその手元が震え始めているのが見て取れる。
 すまん。謝るべきだったのか。だが伊達は彼女のそんな返答に、疑心を深めていた。
 では本当に、犯人(やつ)は目的が? 今までは気味悪がって何もして来なかったが、始
めからあの花束には意味が?
(まさか……)
 狙い済ましたように白の輪菊。本来は、墓前に供える用途──。
「ッ!?」
 ちょうど、その時だった。はたと部屋に着信メロディが響き渡る。
 伊達が好きな洋楽の一節だった。だが今は曲を楽しむような呑気な心持ちではない。
 一瞬ビクついてから、上着のポケットを探った。その取り出したスマホのディスプレイに
は寺門和馬──今も交流がある学生時代の友人の名が表示されていた。
「……よ、よお。珍しいな。久しぶり。そっちの結婚式以来か」
『もしもし? 伊達か? 今何処にいる? いや……お前のせがれは今何処にいる!?』
 苦笑しつつ、何の気なしに出た通話。だが電話の向こうで、かつての友は何故か酷く焦っ
ているように聞こえた。
「俺は今日休みで家だぜ。健太なら一時間くらい前に遊びに行ったぞ」
『な……!? なら急げ! お前の子が危ない!』
「は?」
 だが気のせいではなかった。空耳ではなかった。次の瞬間、確かに寺門は言ったのだ。
 ──我が子が危ないと。
「お、おい。どういう事だ? いきなり電話してきたかと思えば」
『殺されたんだ。目黒が先週』
 更に衝撃はもたらされる。続いて寺門が語ったのは、もう一人の友の……死だった。
「ころ、され……?」
『俺もさっき警察から訊いたばっかりだ。射殺だそうだ。そんでもって一昨日……うちの娘
も撃たれた。友達に誕生日会を開いて貰った帰り道だ』
「ッ?! おま」
『いいから聞け! 俺だって今絶賛混乱中だよ! ……覚えてるか? お前何年か前、何度
も菊の花が届くって言ってたろ。あん時は俺も聞き流してたんだけどよ……実はうちにも届
くようになったんだ。ちょうど、娘が生まれた年だ』
「──」
 伊達の目が大きく大きく見開かれる。妻がその異変に気付き、ずずいと隣まで来て寺門か
らのメッセージを共に聞こうとする。
『ただの悪戯じゃなかったんだ。あれは俺達に向けられたメッセージだったんだよ。お前ら
は知らねぇけど、うちは一度警察に届けを出した事があってな。それで確認してみたら毎年
一本ずつ減ってたんだ。こっちもちょうど、娘が生まれた年から届き始めた。今年は十五本
だった。多分だが……あれは何かのカウントダウンじゃねぇか? 目黒は独り身だが、俺達
は妻子持ち。んでもって子供が年上なのはそっちだろ? 警察も言ってたよ。犯人が同一犯
なら、奴は間違いなく俺達に恨みがある人間だって。……心当たり、あるだろ』
「……」
 ごくり。伊達は心配そうな妻の横で只々息を呑むしかなかった。
 いる。すっかり現在(いま)の日常に埋没し、風化して久しい記憶だが、自分達三人には
心当たりがある。
 陰山。まだやんちゃだった自分達が、一時期毎日のように弄っていた同級生だ。
 いわゆる、苛め。結局彼は心身を病み、学校に来なくなってしまった。
 今あいつはどうしているのだろう? 当時はそのまま自分達から逃げるように、別の街へ
と引っ越したと聞いたが……。
「何、で。何で……今更?」
『俺が知るかよ。でも一つ可能性があるとすりゃあ、あいつが逃げちまったのって十七歳の
時だろ? で、確かお前ん所の息子がちょうど今年で十七歳……』
「……まさか」
『だから言ってんだろ。……くっ、長話しちまった。だから早く連れ戻せ! 目黒とうちの
娘と来りゃあ、次狙われるのはお前んとこだぞ!』
 バタンッ! 次の瞬間、伊達は駆け出していた。妻が「どうしたの、あなた!?」と縋っ
て来るさますら脇目を遣らずに、只々青褪め血相を変えて自宅アパートを飛び出していく。

 健太は今年十七歳。寺門の娘、愛依ちゃんは今年十歳。
 今年うちに届いた菊の花は八本。寺門側は十五本。
 17+8=25、10+15=25。陰山が俺達から逃げ去ったのが、十七歳。
 偶然なんかじゃ……ない。


「──ははは。だろ~? ……?」
 時を前後して、健太は友人らと合流し街の繁華街へと向かっていた。
 その途中の通り道、何の変哲もない住宅街のいち路地。
 他愛もない雑談に華を咲かせる一行の前に、ふと一組の男女が歩いて来るのが見えた。
 老夫婦のようだった。何処となくやつれ白髪が多い、しかしぴたりと寄り添い、共にサン
グラスを掛けた彼らはその手に大きな白い──輪菊の花束を抱えて歩いて来る。
 最初、健太は何とも思わなかった。
 墓参りにもで行くのだろう。そんなくらいの認識で、かといってこちらから関わる義理も
ないやと何時も通りにサクッと意識の隅でそう捌き、友人ら共々、二人の進行方向から逸れ
てすれ違おうとする。
『──』
 だが何故か、この老夫婦は敢えて健太達の方へとわざわざずれ直して立ちはだかった。
 健太が、他の友人らも少なからず、むっとする。
 何だよあんたら……。そう若気の勢いのまま睨みを利かせようとした、矢先だったのだ。
「私達の息子はね。十七の時、ある事が切欠で引きこもりになってしまったの」
「そしてその八年後、あの子は部屋の中で、自ら命を絶った……」
 老婆が、老人がそう続けて言う。ばさっ……。手にしていた花束の中に自ら手を差し込ん
で破り捨て──それぞれ、拳銃と猟銃を取り出し、構える。
 少年達に、短い悲鳴が漏れた。
 あまりの事に腰を抜かす者。慌てて逃げ出そうとする者。
 だがこの二人が狙ったのは、ただ一人の人物だったのである。
「ひっ──?!」
 ただ健太を。その額に、左胸に、猟銃と拳銃の銃口がぴたりと向けられている。
 刹那、銃声一発。直後連発。
 友らは誰一人として助けられなかった。むしろ恐怖で動けず、或いは我先に逃げ惑う者ば
かりであった。
 飛び散る白菊の中に、鮮血を撒き散らしてぐらりと倒れる健太の身体がある。
 ぐらり、ぐらり。一瞬のこと、程なくして。その身体は、灰色の路上に血だまりを広げな
がら強かに倒れ込んだ。
『……』
 躊躇なく引かれたその引き金。立ち上る硝煙。
 されど、この老夫婦はむしろ、サングラス越しに恍惚の表情さえ浮かべて呟く。
「命日おめでとう(ハッピーバースデイ)」
「貴様も苦しめ(ハッピーバースデイ)。伊達クン」
                                      (了)

  1. 2014/10/29(水) 18:00:00|
  2. 白い花束
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(短編)神様達の初詣

 初詣。それは知っての通り年が明けてから初めて神社ないし寺院に参拝する行事である。
 神前仏前で一年の感謝を捧げたり、或いは新年の平穏無事などを祈願したりする。
 この国では宗教の厳密さにそれほど頓着しないケースが多く、元々の起源や作法が時代と
共に多く変遷を遂げてしまっている。……だが、私はそれを一概に不信心だとは思わない。
 形こそ代わっていってしまってもその時代ごとに、人は願う。
 自分の、大切な誰かの何かの、或いはもっと大きな存在対象に対しての幸せを。
 時は流れても、人の変わらぬ営みは確かにある。
 だからこそ、私達も毎年懲りずにこうして彼らの願いに耳を傾けてるのだろう──。

「ふむ……今年も中々の参拝客が来ておるな」
「ですねぇ。やっぱり今の人達はこういう機会でないと中々来てくれませんし……」
「だのぅ。だからこそこの機にしっかり稼いでおかねばな」
 そこはぼやっとした靄の中に設えられた和室のような場所に見えた。
 大きめの卓袱台を囲み、六人の古風な和服に身を包んだ男女が語り合っている。
 その内のリーダー格は壮年の男性、その言葉に答えるのは小柄な女性と丸々とした恰幅の
よい男性だ。
「……流石は商売のだな。しかし我々ができることはあくまで因果を操作するだけ。実際に
どうなるのかは個人の縁に──他人に対する行動にも拠るというのに」
「ま、細かいことは気にすんなって。神(おれたち)を頼ろうとするなら応えるまでだ。そ
れが俺達の仕事だろうがよ」
 更に別の怜悧な男性が目を細めて静かに自嘲すれば、それに対し少々鬱陶しいくらいの快
活さで隆々とした体格の男性が呵々と笑う。
「確かにね。あ、ほらまた参拝客(おきゃくさん)が来たわよ?」
 そうして皆の注意を向けさせるのは、如何にも妖艶といった感じの女性で。
 六人の男女──文字通りの“神様”達は、中空に映し出された、自分達の社殿に参拝して
くる人間達の姿を映す映像画面(ディスプレイ)へと一斉に視線を遣る。
『よっしゃ。やっと番が回ってきたな』
『えっと、お賽銭……』
『五円でいいんじゃない? ご縁がありますようにって云うしね~』
『……まぁ、神社側の収入に五円玉というのもちゃちな気もするんだが』
 姿を見せたのは、男三人女三人の計六人の若者達の集団だった。
 ガッシリと体格の良い青年を筆頭に、和気藹々とした雰囲気。見た所どうやらそれなりの
付き合いの長さを持つ面子であるようだ。
 その内、いかにも現代っ子らしい緩さと寒空にも関わらずファッションだけはやたらに拘
ってキメてきている朗らかな女性の一言で、彼ら六人は財布から各々五円玉や十円玉といっ
た硬貨を賽銭箱へ投げると、鈴を鳴らしてゆく。
「結局小銭であるか。人の俗説とは面倒だのぅ」
「そう嘆くでない。賽銭自体は我らのものではないのだしな」
 丸々とした神が笑顔のままそうこっそり愚痴るのを、壮年の神は横目で一瞥して諫める。
 二礼二拍手一礼。
 この若者達が拍手(かしわで)を打つ中で願ったのは、このような内容だった。

(今年はもっと、この筋肉美に磨きが掛かりますように……。そして、モテモテになる!)
 一人目は、先程のがたいの良い青年だった。
 ぱしんと打つ拍手にも力が入り、両腕の隆々とした筋肉──いや鍛えられたその身体全体
についた多くの筋肉全てが彼の願いと共にぴくぴくと蠢く様子すらある。
「ほう。すなわち武勇だな。良きかな良きかな」
「……動機がお前とは違う気がするんだが」
 勿論とでもいうべきか、たとえ彼ら参拝者が頭の中で願い事をしても、ここで詰める神様
の面々にはしっかりと心の声が音声として届いている。
 気性が合うのか、隆々とした“武芸”の神は嬉しそうに笑っていた。そんな彼にじとっと
鬱陶しいといわんばかりの眼を遣るのは、怜悧な面持ちをした“学問”の神である。
「……どうかな? 彼の恋路は上手く行きそうか?」
「うーん。そうねぇ……」
 少し間を置いて、壮年の“健康”の神は妖艶な“恋愛”の女神に問うた。
 長い髪をサラリと手ぐしで梳き、彼女は暫し画面の向こうの青年の姿を見遣る。
 同時に彼女の周囲に現れたのは、無数の漢数字が並び並れる因果律の調整パネル。
「……。残念だけど、女子(あいて)のニーズと絶望的なまでに噛み合ってないみたいね。
ご愁傷様って所かしら」
 暫らくそのパネルを操作し、何かのシュミレーションを重ねてから、彼女はそう肩をすく
めてみせる。
 ああ、やっぱりか……。
 その回答に、残りの五柱の神々はこの画面の向こうの青年へ哀れみのような眼を投げた。
(今の職場で伸し上れますように~……いや、別に今の職場に拘る事はないかなぁ? じゃ
あいっぱい稼げますように~。それが叶ったら欲しいものがいっぱいあるのよねえ。今度出
た新作のコートにネックレスに──)
 二人目は、寒空なのにバッチリ流行のファッションをキメている朗らかな女性だった。
 彼女の拍手が無駄に多かったのは何も気のせいではない。
 名声、というよりもそれに伴う収入の向上。それを前提にあれこれと欲しいもの(その大
半はブランド物の服やアクセサリーの類だった)を列挙し始めたからである。
「ず、随分とこれは……」
「ふふっ、構わんよ。経済とはすなわち欲望無しには動かぬて。求め求められ、互いにその
身の力で以って補い合う。それこそが何よりの財であろうよ。……とはいえ、少々この女子
は欲に忠実過ぎるきらいがあるようだがのぅ」
 小柄な“豊穣”の女神の戸惑いの横で、丸々とした“商売”の神はうんうんと頷き微笑ん
でいた。一応貪欲さを指摘してはるが、基本的に欲望に進む人の子を愛でるらしい。先程と
同じようにパネルを呼び出すと、彼は鼻唄を軽く歌いながら因果を診る。
「良かろう。良い商機が巡ってくるよう、少し後押ししてやろうかの」
 直接金銭を与える訳ではなく、あくまでその切欠を。
 生かすも殺すも──全ては当人次第。
 商売を司る神からの、ささやかな新年の贈り物であった。
(えっと……)
 三人目は、清楚な感じの長髪の女性だった。
 印象はまるで違うが、その顔立ちは先程の女性とよく似ている。もしかしたら姉妹、或い
は血縁者なのかもしれない。
(……。こ、今年こそはタケシ君に告白できますようにっ)
 内心からですらの躊躇い。
 しかし二度目の拍手と共に込めた彼女の願いに、六柱の神達は思わずお互いを見合わせて
しまっていた。
 その胸の内の願い、祈りを自分達に捧げた後、こっそりと遣った彼女の視線は間違いなく
最初のあの筋肉質な青年に向けられていたのだから。
「おおぅ? 何だよ、既に思われ人がいるんじゃねぇか」
「ですけど、先程の祈願を聞く限り、彼本人は気付いていないようですね」
「……先刻はご愁傷様と言ってたよな?」
「ええ……。でもさっきは彼から辿って因果を計算してみただけだから」
 学問の神の白い眼からバツが悪そうに顔を背けると、恋愛の女神はもう一度パネルを操作
し始めた。今度は、この彼女から繋がる可能性の糸を分析してみることにする。
「ふむふむ、なるほどね。これは完全に空回りな片思いねぇ……お気の毒に」
 そして導かれたのは、面々が想像していた通りの因果の糸。
 噛み合わない想いだった。
 すぐ傍に想ってくれている相手(ひと)いるのに、空振りの恋を求める。
 すぐ傍に想う相手(ひと)がいるのに、いや傍らだからこそ、伝えられない戸惑い様。
 神々らは画面に映る彼女を暫し見つめていた。静かに、しかし真剣に祈るその姿に皆何と
か応援してあげたいと思った。
「……どうにかならないんでしょうか?」
「できなくはないけどね。でも、男(あいて)の方が明後日の方向ばかり向いてるしねぇ。
一応操作は加えてあげようと思うけど、最終的にはあの娘が実際に告白に打って出られるか
が肝になるわ」
 心配そうに顔を上げ、問い掛けてくる豊穣の女神に恋愛の女神はパネルを再度忙しげに操
作しながら答える。
「想いが消えなければ大丈夫。伝える事ができればぐっと糸も結ばれるわよ、きっと」
 妖艶な容貌にウィンクを一つ。
 微笑ましく見守る、お姉さんのような表情で以って。
(お願いしますっ。今年こそ、どうにかウチや皆の畑が生き返りますように……っ!)
 四人目は、そう強く切実に祈りを捧げてくる温和そうな青年だった。
 畑、という言葉からおそらく農業関係者なのだろう。最初の青年ほどではないが、背丈も
あり比較的丈夫そうな身体つきをしているように思える。
「ふむ……。これは」
「はい。人間達の起こした例の災いの事でしょうね」
 健康の神が口元に手を当てて呟きかけた言葉を、豊穣の女神が引き継いでいた。
 数年前、この国で“神の火”が暴発する事故が起きた。
 人の手に余ったその目に見えない災禍は広く各地に飛び火し、多くの人々を今も苦しめて
いる。その事情は神々であっても知らない訳ではない。
「とはいえ、人間が己の力を過信し、奢った結果だと見れば何も珍しいことではない」
「んー。しかし実際その影響は何も商売だけではなかろうて。むしろこの者のような農夫ら
の方が深刻であろうよ?」
 学問の神の淡々とした批評眼と現実的な人間らの現状を観る商売の神の眼。
 この願いに関しては言わずもがな、担当は決まっている。
「は、はい。これは私達としても捨て置く訳にはいかない懸案に違いありません」
 一同が豊穣の女神に視線を遣った。
 その眼差しに、少し内気な故に思わず緊張気味に息を呑むも、
「勿論、彼の言葉は聞き入れます。近い内に他の豊穣神達(みなさん)とも会合があります
から。必然的に対応を話し合うことかと思います」
 きゅっと胸元を掻き抱き、彼女は一柱の豊穣神としての責務を自認していた。
(……願い事、か。とりあえず世の中の平穏とでもしておくか。こんな時だけ神頼みという
のも無責任な気がするんだが……)
 五人目は、他の面々とは少々違っているらしかった。
 眼鏡の奥に忍ばせた知性。そして簡易な西洋礼装(スーツ)とも取れる薄黒の上下に身を
包んだこの青年は、そんな自他に向けた冷笑と共にそんな内心を神々らに届けていた。
「そうだがよぉ……それを言っちゃあお終いだろ」
「いや、まだこうして参拝に来てくれるだけマシだと考えるべきだろう。形式的であっても
我々に信仰の姿を届けてくれるのであれば、な」
 斜に構えた、と反発できたかもしれない。
 しかしそれは自分達神々にとって痩せ我慢でしかないことは、何よりも自分達自身が一番
よく分かっていた。
 時が移ろうにつれ、人が科学という力を己の拠り所としていくにつれ、自分達神々や創世
の眷属の居場所は失われてきた。
 ……正直、思い出してみるのも辛い。これまでどれだけの神々(どうほう)が信仰を失っ
た結果、その存在そのものを滅されてきたか。
『…………』
 六柱らは暫く押し黙った。だが、思いを巡らせている内容は似通っているだろう。
 古はまだ人と自分達が間近にいた。
 だが、時の流れの中で人は変わっていった。それは彼らの幸福を願い、実現する存在であ
る(ことが大半である)自分達にとっても望むことであった筈だ。
 しかしその実現は、果たして真の意味で叶ったのだろうか?
 このまま、ただ自分達は時の流れと共に忘れ去られ、静かに消えゆくだけなのだろうか?
「……皆、頭を上げよう。まだまだ参拝者は残っている」
 しかしそんな面々の沈んだ気持ちを励ますように、健康の神は次だと皆を導いて言う。
(願い、事……)
 六人目は、これまた特徴的といえば特徴的だった。
 前髪で隠れた表情、独特の白黒を基調とした服装──人間達のいうゴスロリファッション
といういでたち。
 それだけで周囲からは浮いてるのだが、加えて何処かおどおどとした暗い印象が彼女を余
計に、その意思とは関係なく目立たせているように思える。だが──。
(一緒が、いいな。これからもずっと、皆と一緒に仲良くしていたい……)
 多数派を名乗るの人間達が個性的と哂うであろうその姿であっても、そんな彼女が願った
思いははたと神々の胸すらも打つ素朴さと、優しさで。
「……ほほう?」
 武芸の神がにかっと笑っていた。
 商売の神も、学問の神も、豊穣の女神も、恋愛の女神も、哄笑や微笑といった違いこそあ
ったが、皆間違いなくこの人の子に抱いた好感は等しく同じであったことだろう。
「ふむ。どうやら皆、異存はないようだな」
 健康の神が殆ど形式的に面々の首肯を取り付け、六柱全員が因果律のパネルを展開する。
無数に延びてゆく縁の糸、可能性の枝葉。それら神々の領域である調律作業を、彼らは嬉々
としてこなし始める。
 
 時として人は業深く醜くある。だがしかし同時に、こうして時を経ても変わることのない
優しい想いもまた、確かに散在しているのだ。
 因果のパネルが手元で無限の可能をシュミレートし、繋がり離れるを繰り返す。
 神々は静かに、穏やかに笑う。
 ──これだから、良しも悪しきも、人の子を愛することは止められない。
                                      (了)

  1. 2012/01/03(火) 15:00:00|
  2. 神様達の初詣
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(短編)いつか見た夢

 僕は夢をみているらしい。寝ている時にみる方の夢だ。とはいえ、今意識の下で起きてい
る内容を思えば願望としての夢と言ってもあながり間違っていないような気はするが。
 神経生理学的にこの夢は何かといえば、レム睡眠という状態の時に脳内でそれまでの記憶
映像が再生され、整理されている途中であるものなのだそうだ。
 だから、夢だから荒唐無稽なものだと哂って済ませるつもりは、僕はなれない。
 だって過去の記憶は、確かに僕の頭の中に埋まっていて。
 普段は思い出したくても中々引き出せないあの頃を、呼び出してくれるから──。

「せんせー」「あそぼ~?」
 僕は普段、地元の保育園で保育士として働いている。
 その為か時期に関わらず、僕の見る夢の大半はその職場での──子供達との触れ合いの記
憶が蘇っているらしいことが多い。
「うん。ちょっと待っててね。今ちょっと手が離せなくて……」
 一昔前は“保母さん”なんて呼ばれていた職業。
 男女の平等が謳われている今日においては、そういう性別分業的なニュアンスはちょっと
過激なくらいに嫌われている。とはいえ、だからこそ僕という男性がこうした職種に就く事
も可能になっている部分があるので一概にそれが悪いとも言えない。
 ざっくり言ってしまえば、僕自身の曖昧さなり優柔不断さでもあるのだけど。
 だからなのか、それとも幼さ故の無邪気さがそうさせるのか、園の子供達は結構僕には容
赦なく絡んでくる。
 僕が雑事にあくせくしていても、何処からともなくトテトテと近寄って来ては、こちらの
都合などお構いなしに袖を引っ張ってきたり、くっ付いてきたり、乗っ掛かってきたり。
 要は彼らに遊ばれているのが茶飯事なっている我が身。
 それは哀しいかな、現実でも夢の中でも毎度毎度同じことで……。
「ふふっ。相変わらず人気ですね、里見先生」
 だけどそんな僕を温かく見守ってくれる人もいる。
「……単に遊ばれているだけな気もしますけどね」
 雪村先生。ふんわりと穏やかな印象の同僚の女性だ。
 年齢が近く、且つ僕よりもこの業界での経験が豊富であるようで、気付けば僕は何かと彼
女に助けてばかりいるように思う。
 僕は子供達におもちゃにされながら苦笑していた。
 それでも彼女は、ふふっと口元に手を当て上品に微笑んでくれる。
「それだけ子供達が先生に心を許しているという証拠じゃないですか。もっと自信を持って
もいいと私は思いますよ?」
「……。ありがとうございます」
 当人に何も他意はないお世辞なのだろう。
 だけど、そんな言葉を掛けてくれる度に僕は恥ずかしくて……嬉しくて堪らなかった。
 子供が好きで、女手一つで僕を育ててくれた母の後ろ姿に憧れて就いたこの職業。
 でもそれも平坦な一本道であった訳では決してない。
 たとえ男女平等を謳っても、この業界はまだまだ“女の世界”という各々の自負が強いよ
うに僕は思う。だからこそ雪村先生のような理解者(と僕が勝手に思っているだけかもしれ
ないのだが)がいてくれるだけで、どれだけ救われている事か。
 子供達自身はいい意味悪い意味でも無邪気だ。守りたいと思う。育てたいと思う。
 でも……そんな一方で、僕ら大人はそんな性質とはどうにも縁が薄くなっていくらしい。

「聞いていますよ。随分と雪村先生と仲良くやっているそうじゃないですか」
 それが苦言、説教であると気付くのに、僕はたっぷり十数秒の時間を要していた。
 ある日呼び出されたのは、園長室。
 撫で付けた白髪交じりの髪と厚めのレンズの奥で静かに目を開かせている眼鏡の壮年男性
の──園長の言葉に、僕はすぐに返す言葉を見つけられない。
「は、はい。お恥ずかしながら、確かに彼女には色々と助けて貰っていますが……」
「そういう意味ではありません」
 ようやく喉から出た僕の言葉を、園長はピシャリと突っ撥ねていた。
 外見は普段通りの沈着冷静な壮年紳士。
 だけど、その声色はやはり苛立ちや不機嫌のそれであって。
「……単刀直入にお聞きします。里見先生は、雪村先生と交際をしていますか?」
 そして眼鏡のブリッジを押さえて少しだけ俯き加減になると、彼はそんなことを訊いてき
たのだった。
「交っ!? い、いえ。彼女とはそんな関係ではない……です」
 ものの見事に奇襲を受けたような格好だった。
 僕はまるで背後から金槌で打たれたような衝撃で頭の中が混乱で大きく揺らぐのを感じつ
つも、何とかその誤解を解こうと思った。
 雪村先生と、僕が? 確かに彼女は魅力的だとは思うけど、現実は別にそうでは……。
 しかし園長はそれでも訝しさを収めてはくれていないように見えた。
 彼は眼鏡の奥の瞳を一層静かに細めて睨みを利かせると、ハァと一つあからさまなため息
をついてみせ、僕により直球な苦言をぶつけてくる。
「困るんですよ。職場恋愛をされるのは。別段内規で禁止している訳ではないですが、なに
ぶん、女性職員の比率が圧倒的な職種ですからね。里見先生にはその辺りの事をしっかりと
認識しておいて貰いたい」
「……は、はい」
 誤解だと言ったつもりなのに、結局僕が悪者であるような言い方だった。
 しかしこれ以上食い下がった所で、かえって園長の心証を益々悪くするだけだろう。
 何よりも、こんな話が出ているということはその相手方と名指しされた雪村先生にも迷惑
を掛けてしまっている推測を強くするものでもあって。
 そんな打算もあって、僕は実際には──そして自身の弱気から──その場で頭を下げるし
かなかったのだ。

 だけど、結論から言えば既に事態はもう遅かったと言ってよかった。
 もしかしなくても、以前よりそう見られていたのかもしれない。それを園長に指摘された
ことで、ようやく僕自身が気付けたという鈍い側面もあったのかもしれない。
 その翌日から頻繁に感じるようになったのは、じりじりと焦がし壊す同僚達(園の男性保
育士は僕だけなので、必然女性の先輩後輩ばかりになる)からの視線だった。
 一言で表現することを許されるのならば、嫉妬だった。
 ただ表面上では皆、子供達に囲まれて笑顔を作っている。
 しかし、時折自分に向けられる彼女達の眼は間違いなく“敵意”のそれだと思った。
「里見、先生?」
「ッ!?」
 だが、僕はまだ生温い方だったのではないか。
 何故なら本来嫉妬とは、同列に思っていた者が抜き出ることへの憎しみもその中の一つに
含んでいるであろうから。
「あの……大丈夫ですか? 何だか最近元気がないみたいですけど……」
「い、いえ。そんな事ないですよ? ちょっと疲れてるだけでしょう。いつもの事です。雪
村先生こそ無理はしないで下さいね?」
 なのに、きっとその嫉妬の眼を僕よりも一層強く受けている、いやそれ以上に実際的な嫌
がらせも受けているかもしれない彼女はあくまで僕の事を気遣ってくれて。
「そう……ですか? ならいいんですけど」
「ええ。そ、それじゃあ僕はこれで……」
 辛かった。いや……そう思って自分を慰めることすら卑怯なのだと思う。
 これは後々で耳に挟んだ話なのだが、やはり彼女は実際に同僚の皆に遠回しに嫌がらせを
受けていたらしい。
 彼女も分かっていた筈だ。その元凶が僕がいたからだという事くらい。
 なのに……彼女は今まで通りの接し方を変えようとはしなくて。それが自分を一層苦しめ
る結果を招くと分かっている筈なのに僕を庇い立てしようとしてくれているようで。
 だから、だからこそ。
 僕はもう……。

(──んぅ?)
 ぼんやりとしたセピア色の世界がフッと立ち消え、身体中に寒さという現実が圧し掛かっ
てきた。
 もそりと被せていた布団を除けて起き上がる。まだ眠気はこびり付いていた。
 殺風景な見慣れた我が部屋だった。使い古して薄くなったカーテンから静かに陽の光が室
内に差し込んできている。
「……十一時半、か」
 手を伸ばし、ヘッドボードの棚の上から沈黙している目覚まし時計を引き寄せる。
 デジタル式に表示されたその液晶には一月一日の日付が鎮座している。
 やはり、あれは夢だったようだ。そもそもゴタゴタし始めたのは最近という訳ではない。
(新年早々、あまりいい夢じゃなかったな……)
 髪をポリポリと掻きながら、ゆっくりとベッドから立ち上がる。
 初夢ですら職場での日々が蘇ってくるという事は、よほど自分の中でこの懸案が心身を参
らせている証拠であるのかもしれない。
 だとすれば、これが初夢となるのなら。
「……」
 のそりとテーブルへと足を運び、鞄の中を弄る。
 取り出したのは──辞職願の白封筒。辞表。
 この案件に一応の解決策はある。ある意味簡単な事だ。僕があそこから出てゆけばいい。
 なのにとうとう年末という節目にすら園長に出せずに、こうして鞄の中に忍ばせ続けてし
まっていたのは……きっと未練だ。
 自分でも哂い飛ばしたくなる。あれだけ迷惑を掛けておいて、まだ彼女を巻き込み続けよ
うという自分の身勝手さが酷く醜く思えた。
 でも、この初夢が“正夢”であるのなら。今度こそ、次の出勤で踏ん切りをつけろという
何者かの──僕自身の奥底からの思し召しなのかもしれない。
「……ッ!?」
 ちょうど、そんな時だった。
 突然、それまで酷く静かだった部屋に響いた着信音。携帯電話が僕の好きなクラシックの
メロディを奏で始めていた。
 少しビクッと身を震わせてしまいながらも、僕は踵を返しその相手先の表示を見て思わず
凍り付く。
「雪村先生……」
 表示されていた名前は、間違いなく彼女だった(誤解のないように付け加えておくが、園
や同僚の連絡先は子供達の万が一の時に備え、一通り電話帳に登録してある)。
 元日から何の用だろう。
 僕は先程まで見ていた夢のせいでナーバスになっていた部分もあって、思わず携帯を握り
締めたまま眉根をひそめていた。
 いや待て。そう変に勘繰るべきじゃない。単に年始の挨拶かもしれない。
 何よりこのまま無視する訳にもいかず、少し呼吸を整えた後、僕はようやくその呼び掛け
に応えることにする。
「……もしもし」
『あ、あの……。おはようございます。里見先生、起きてらっしゃいますか?』
「ええ。少し前に。どうしたんですか? わざわざ直接年始のご挨拶ですか?」
 電話の向こうの彼女はおどおどとした声色のように思えた。
 だけど、かといって自分まで動揺していては彼女に悪かろう。
 少し婉曲気味に。挨拶くらいならメールでもいいのにと僕は二言目には口を開いていた。
 しかしそれは別に謙遜でも恐縮でも何でもない。……怖かったのだ。
『……それも、ありますけど……』
 だが、そこで僕もようやく彼女の様子がおかしい事に気付いた。
 何故か緊張しているらしい。職場でやり取りしている時はまた別なのだろうか。
『その……。さっき夢を見たんです。里見先生が、園を辞めちゃう夢を』
 だからこそ、彼女の次の言葉に、僕は目を見開いて二の句を告げなかった。
 何か電話の向こうでぶつぶつと彼女が話している。大方見た夢の詳細だったと思う。
 念の為に言っておくが、僕はまだ辞意を園長にも同僚達にも伝えてない。ましてや彼女本
人になど伝えられている訳がなくて。
『……あの。やっぱり、お辞めになるつもりなんですか』
 ぐわわんと頭の中が揺れている中で、彼女は訊ねていた。
 やっぱり、という事は彼女も僕が居心地の悪さと彼女自身への負い目を抱いていることに
気付いていたのだろうか。今更謝っても謝り切れないが、ズキリと胸が痛む思いがする。
「はい。……園長からもそれとなく言われてきていましたから」
 普段ならたかが夢だと一蹴し合っていただろう。
 だけど、もう僕も彼女も、積み重ねてきたこれまでが夢と現の区別を曖昧にしていた。
 だから僕は正直に認める事にした。
 園長から苦言を呈されたこと、そして僕の所為で貴女に迷惑を掛けた、その謝罪を。
『いいえ、いいんです。里見先生が気に病む事はないですよ。それに私も……これから辞表
を書こうと思っていますから』
「えっ……」
 しかし彼女は次の瞬間、思わぬ言葉を口にしていた。
 彼女も、辞める? それでは自分の辞意はどうなるんだ。僕は貴女にこれ以上迷惑を掛け
まいと決めたのに、そんな事をしたら陰口は一層貴女を狙い撃ちしてしまう……。
 僕は驚きつつも何とか彼女を慰留させようとした。
 だけど、結局彼女は首を縦には振ってくれなかった。私も辞めます。こんな事になったの
は自分にもたくさん非があるからと。
 正直、僕は戸惑った。
 しかしそもそもの元凶である僕に今更引き止める資格なんてあるのだろうか。
 そう思うと、結局僕は彼女の説得を諦める他なかった。
『それに私、先生が辞めるかもしれないと思って、どうしても話しておかないといけない事
があって……。それで、迷惑を覚悟で電話させて貰ったんです』
「別に僕の方は迷惑ではありませんが……。それは、どんなお話でしょうか?」
『……はい。大切なお話、です』
 言って、彼女は電話の向こうで一層言葉を詰まらせているように聞こえた。
 何かに激しく緊張しているような、そして何度も呼吸を整え直しているような、そんな繊
細な息遣いがこちらにも届いてくるような。
『その、は、恥ずかしくて……直接言えなくて、電話越しになってしまってすみません』
 そしてやがて彼女は訥々と前置きを設けると、
『わ、私、ずっと前から里見先生……悠馬さんのことが──』
 僕の目を更に見開かせるように、そう叫び気味に言って……。
                                      (了) 

  1. 2012/01/03(火) 15:00:00|
  2. いつか見た夢
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(短編)真夜中の御二柱

「やべぇ……蕎麦買い忘れてるじゃねぇか」
 俺はその日、そう誰にともなく呟き、小さく舌打ちをしてから我が家(ボロアパート)の
部屋を後にしていた。
 理由は簡単だ。大晦日だというのに、年越し蕎麦が台所になかったのだ。
 食生活は普段からカップ麺を中心に済ませているので、どうせ年越しもそれの一つで事足
りるだろうと早々に意識から追い出していたのが拙かった。
 いざ食料保存用の段ボール箱を開けてみると……見事なまでに空っぽ。
 別に年越し蕎麦を食べなければならないという意識がある訳ではないのだが、今夜はろく
に食事も摂っていない。無情にも腹はぐぅと鳴ってくれやがるのだ。
(寒ぃな……。当たり前だが)
 厚手のコートを羽織って新年のカウントダウンが着々と始まる近所を進み、コンビニへと
向かう。
 とはいえ、ここはお世辞にも都会とは言えない田舎町だ。最寄のコンビニといってもそれ
なりに歩かないといけない。
 しんとした田舎の無音と人気の無さ、夜闇の中を俺はとぼとぼ歩いていく。
 そしてやはり街の中ではもっとたむろしているのかもしれないが、最寄のコンビニは田舎
よろしく閑古鳥だった。時間帯が、というよりも土地柄だと俺は思う。大方、年寄りばかり
が無駄に多いこの辺りでは今頃炬燵に潜って、某○白○合戦に張り付いている連中が大半で
そもそもこの時間に外出している人間などそうそういないのだ。
「一点、八十九円になります~……」
 そんな気だるさはこんな時間にシフトに入れられているバイト君も同じらしい。
 唯一の客として入ってきた俺がややあってレジに持ってきたカップ麺の蕎麦をリーダで通
すと、彼は間延びした声でようやくの仕事らしい仕事を終わらせる。
「ありがとぅござましたァ~……」
 大変だよな。こんな時まで誰かが詰めてないといけないなんて。
 自分のバイトのシフトが入っていない事にこっそりホッとしつつ、俺はバイト君の気だる
い声と入口の自動ドアが鳴らす少々甲高い効果音を背に店を出て行く。

 ──そいつらに出会ったのは、ちょうどその帰り道だった。
 カップ麺の入ったビニール袋をカシャカシャと揺れらしつつ俺が一人舗装されていない道
に入ると、確かにその音が聞こえてきたのだ。
(……ん?)
 夜闇の中から、ぶつかり合うのは何かしらの金属音らしきもの。
 目を細めてその方向を見つめてみるが、如何せん辺りはすっかり暗く、田舎の畦道に外灯
などがある訳もなく、広がっているのはただただ夜の黒と、辛うじて判別できる雑木林の緑
の光沢くらいだ。
(おいおい、勘弁してくれよ……)
 まさかこんな年の瀬に幽霊でしたーなんてオチは止めて欲しい。季節外れもいい所だ。
 とすれば、こんな時期時間に誰かがとち狂っているのだろうか? それはそれで嫌な場面
に出くわした事になってしまうが。
 だが、それでも結局こっそりその茂みの先にそっと忍び寄って覗き込んでいたのは、間違
いなく好奇心だろう。いや刺激が欲しかったのか。
 ふらふらとバイトを右から左へと渡り歩き、部屋に戻ったらシャワーを浴びて寝るだけ、
そんな味気ない生活がずっと続いていて「違う何か」が欲しかったのかもしれない。
 しかし……今なら言える。
 “馬鹿止せやめろ、俺”と。
「──とわぁッ!」
「──ぬぅんッ!」
 一つ一つ話していくことにする。
 先ず、金属のぶつかり合う音は聞き間違いではなかった。実際俺が目の当たりにしたのは
剣(といっても見た感じ相当使い込まれくたびれていたようだったが)を片手に鍔迫り合い
を繰り広げている戦闘の光景であったからだ。
 次に、その剣を振るう主達が変てこな格好をしていたことも付け加えておく。
 何というのだろう。学があまりないので分からないが、大昔の貴族みたいな──ゆたりと
した白い和服に、突起みたいなものが付いた黒い小さな帽子を頭のてっ辺に乗せているとい
う格好。少なくとも普通じゃない。
 そして、何よりも。
「ククク……。譲らぬな、相も変わらず」
「ふふふ……そちらこそ。いい加減我に負ければ楽になるぞ?」
「はんっ、笑止!」
 その二人がやけにちんまくて、なのにどう見ても人間じゃない動きで立ち回ってひたすら
お互いに剣を交えていたというこの超展開な光景に、俺自身が呆然としていたことで。
 だから、俺がそれまでそっと添えていた木の枝がガサリと揺れ戻って物音を立ててしまっ
たのは俺の所為じゃない。
「ッ!?」
「何奴……!?」
 だから、決して俺は別にこのちんまい二人に剣を向けられる謂れなんてある訳がない。
「ちょ……っ!? 待てって! いきなり振り被ってくんな! 俺は別に邪魔しに来たとか
じゃねぇから、ただ偶々通り掛っただけだから!」
 なのにこの変てこな格好の二人は俺がいるのを認めると呼吸ぴったりにそれまで打ち合っ
ていた剣を、一気に間合いを詰めてから突きつけてきて。
 当たり前だが俺は必死に弁明した。敵意はないと。
 というよりも、さっさと帰りたいと思った。
 どう見てもこの状況は化かされたかのような非日常だし、いくら何でもそんなウルトラC
な刺激までは欲していない。
「む……? そうなのか?」
「しかし怪しいのう。そんな珍妙な格好」
「お前らが言うな。何だよ、そのダボダボなの。それに剣なんて振り回していたら危ないだ
ろうが。年の瀬だからって羽目外すのにも限度があんだろ?」
 さっさとこの場を後にしたかったが、つい突っ込んでしまっていた。
 見た目が何だかちんまい所為もあって、気付けば俺はちょっとしたお説教の口調になって
いた。……バイト先のとろい後輩を思い出した。
「何を言うか! これは紅原家に伝わる──」
「貴様、我が蒼崎家の束帯を愚弄するか!?」
「わわっ、止めろって! ストップストップ! もういいよ、その格好については突っ込ま
ないから!」
 またガチャリと二人が剣を振り上げようとした。
 仕方なく俺は折れる形でそう叫んでいた。そこでようやく二人も落ち着いてくれたのか、
暫く互いの様子を見てそっと剣を腰の鞘に収めてくれた。
 サーッと走り収まる金属の音。やはりあれはおもちゃではないらしい。
「……お主何者だ?」
「随分と見慣れぬ格好をしておるな。唐の者か?」
「カラ……? 俺は生粋の日本人だっての」
 そして、俺は眉根を寄せながらそこでようやく気付いた。
 この場所が、雑木林の中にぽつんと佇む古びた神社──いや規模的に社というのが正確な
表現だろうか──である事に。
 自分達の足元に広がる、ちょっと褪せた色の白砂と、古い木造の小屋(見た目は雨露のし
のげるバス停留所みたいな)が一つ。その奥には御神体らしい彫像を祭った網目格子の窓が
あるのが見える。
「……。あんたら、一体何者なんだ?」
 退けずに結局俺は踏み込んでいた。彼らが何者なのか、知りたくなった。
 すると二人はふふんと胸を張り、小さな身体を高らかに言う。
「我が名は紅原右近之介。ここ紫ヶ野を治める領主なり!」
「我が名は蒼崎兵左衛門。ここ柴ヶ野を治める領主なり!」
 だが、その声は内容をほぼ同じにして重なっていた。
 そして俺が「え?」と小さく聞き返すのもそこそこに、二人──右近之介と兵左衛門は再
びお互いを睨み合って剣を抜く。
「領主は私だ!」「何を言うか、私が領主だ!」
 ガキンッと目の前で打ち鳴らされる剣戟。
「待った待った待ったー! ストーップ! だから止めろって!」
 流石に俺は堪らずそんな二人を止める。
「引っ込んでおれ、若造。これは我らの戦いだ」
「然様。それに貴様、やはり邪魔立てする気ではないか」
 二人はむすっと、いや殺気を込めて俺を睨んでいた。
 しかしだ。もしこの状況から判断──その前提が既にもう“日常”じゃない事は百も承知
の上で──するとすれば、この二人はおそらく……。
「戦いってなぁ……。あんたら、ちなみに聞くが今の年号は?」
「治承であろう」「治承だが?」
「……」
 やはりか。俺は思わず手を顔を覆い、夜空を仰いだ。
 そんな俺に二人は頭に疑問符を浮かべている。
 話さなくては駄目だろうか。もう後戻りできる状況でもないが、自分はどんどん余計な事
に首を突っ込んでいるように思えてならない。
「……。いいか、よく聞けよ? 今は平成ってんだ。あんたらは──とっくの昔に死んでる
身だ。領主なんていうものも今じゃ一切無い。この国はな」
 それでも一応言ってみる。
 だが当然の反応か、暫く二人は「お前こそ何を言っているんだ?」という反応で見返して
くるだけだった。
(まさかこんなオカルトに出くわすとはねぇ……)
 荒唐無稽過ぎてこっちがおかしくなりそうだった。
 しかし実際に見えているものを否定しようがない。
 だから俺は……暫くの間、この“死んだまま生きている”二人を説得する時間を半ば取ら
ざるを得なかったのだ。

「──我らが、もう死んでいる……」
「もう、それほどの歳月が流れておったのか……」
 それから、どれだけの時間が経っただろう。
 社の中に腰を下ろし、俺は二人の酷く落胆した様子を見つめる他なかった。
「ああ……。お前らはずっと、死んだことにも気付かず戦い続けてたんだろうよ」
 話を整理するとこうだ。
 この右近之介と兵左衛門は当時、この辺り一帯の領有権を巡って対立していた名士の長同
士であったらしい。二人曰く、この土地神を祭る場で雌雄を決する為に決闘をしたのだそう
だが、とうとう決着はつかなかったのだそうだ。
 ここからは俺の推測だが……おそらく決着は何処かの時点でついていたのだろう。
 だが二人ともその事に気付けなかった。何故なら“相討ち”に終わったから。
 ぐるりとこのボロ社を見て回ったのだが、どうやらここは今ではその二人を守り神として
祭る場所に変えられたらしい。天井の札に二人の名前らしき文字が書かれているのだ。
 ……しかしそれは表向きの文言かもしれない。
 決着がついた時、二人の死体が出来上がった筈だ。それを当時の連中がすぐに“英霊”だ
と祭り上げたとは思えない。
 大方、実際は「魂を鎮める」という意味合いだったのかと思う。
 そして時は流れ、現在。
 そんな二人の決闘を伝える者もいなくなり、そもそもここに社がある事すら忘れられて、
辺りはすっかり草木が生えていよいよ他人から忘れられた。
 なのに、この当人達はずっと戦い続けていた。
 自分達が死んだことすら気付かず、ひたすら何百年も意味のない戦いを続けていたのだ。
「……」
 だから、居た堪れなくなった。
 俺が今夜ここに来なければこいつらはその事実に気付かずにずっと“死につつも生きて”
いられたのではないか。俺のちっぽけな好奇心が長い、停まったままの時間を無遠慮に元に
戻そうとしているのではないか。そう思ってしまって。
「……すまんな。若造」
 でも、二人は怒らなかった。もしかしたらそんな気力すらなかったのかもしれない。
 項垂れた姿。だけど自分に向けてきた表情(かお)は何処かホッとした様子で。
「もう、いいんだな。我らが争わずとも、この地の民草は平和に暮らせておるのだな?」
 ハッとした。そうだ。きっとこの二人は死ぬ間際までこの土地を平穏に治められる世の中
が欲しかった筈で。
「……ああ。今は戦争も起きてない。一応平和っちゃ平和だよ。もうそんな剣を振り回して
喧嘩するこたぁないんだ」
 俺は不器用に笑っていた。でも確かにホッとしていた。
 そうさ。世知辛いのは変わらないかもしれないけど、こいつらの頃に比べればずっと恵ま
れてる。定職がないのが何だ、とりあえず食えてるだけまだいい方じゃないか。
 不思議と、そう思えてくる自分に気付いて更に苦笑いが濃くなる。
「……あ」
 遠くで鐘の音が、除夜の鐘が鳴るのが聞こえてきたのは、ちょうどそんな頃だった。
 しんとした夜闇の中に溶けてゆく新年を告げる音。
 俺達三人はその場で顔を上げ、暫くその遠くの音色に耳を澄ませる。
「……。また一つ、時が流れたか」
「そのようだな。我らはもうとうに古の者となっていた訳だ」
 すると、二人はそっと立ち上がった。
 酷く落ち着いた声。そして俺に振り向いてくる心底穏やかな笑み。
「丁度良い。この機と共に我らも“逝く”としよう」
「戦の炎も消えた。もう、思い残す事はない……」
「お、おい……」
 思わず俺は立ち上がっていた。
 いきなりそんな。だけど確かにこの世(こっち)にいる理由はもうなくて。
 二人はもう一度晴れやかに安堵の息をついて、
「礼を言うぞ。若造」
「さらばだ。良く生きろ、柴ヶ野の子孫よ」
 スッと、ゆっくりとしかし確実にその姿を透明に変えて夜の黒の中に溶けてしまう。
「……。おっさん……」
 暫くその場に立ち尽くしていた。
 ほんの小一時間程度の出会いだったのに、何でここまで胸が苦しくなるんだろう。
 可哀相だと思ったからか? いや、多分きっと……祖先から今という血のリレーというも
のを脳裏に描いて同胞意識のようなものを持ったからなのだろう。
 風が吹いていた。鐘の音がまだ遠く、断続的に聞こえている。
 辺りはもう灯りらしい灯りはない。武者二人の気配もすっかり消えてなくなっていく。
「……」
 それでも、俺は独りだと思うことはなかった。
 おっさん達がいる。いやいた。だけどその生きた証はきっと何処かで自分達と繋がってい
て現在(いま)を作ってくれている。
「……。帰るか」
 気恥ずかしかったけれど、ぽつりと一言を吐いて俺は社から足を踏み出した。ガサリと片
手にぶら下げたビニール袋が揺れる。
 いつもなら独り身の気分で年越しのカップ麺を啜る年と年の境目の日だけれど。
 今年からは──そんな思いを抱かずに済みそうな気がした。
                                      (了)

  1. 2012/01/03(火) 15:00:00|
  2. 真夜中の御二柱
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自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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